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 (2014年7月6日記す)


そういち自画像
      著者そういち自画像

ブログ「団地の書斎から」のテーマ

団地の小さな書斎で、たまには「大きなこと」について考える。

世界史の大きな流れ。時代の変化。政治経済などの世の中のしくみ。そして、時代や社会をつくった人びとの生きかた。
    
自分のアタマで考えること。「考え」を文章でどう表現するか。
  
古い団地をリノベして暮らしています。「リノベと住まい」もテーマのひとつ。暮らしの中の小さなたのしみについても。 
    
これらをわかりやすく・ていねいに書きたい。


●著者「そういち」について

社会のしくみ研究家。「文章教室のセンセイ」「団地リノベ研究家」も兼ねる。1965年生まれ。東京・多摩地区の団地で妻と2人暮らし。
大学卒業後、運輸関係の企業に勤務し、事業計画・官庁への申請・内部監査・法務コンプライアンス・株主総会などを担当。そのかたわら教育研究のNPOに参加して、社会科系の著作や講演で活動。その後、十数年勤めた会社を辞め、独立系の投資信託会社の設立に参加するが撤退。浪人生活を経て、現在はキャリアカウンセラーとして就職相談の仕事を行っている。
社会や歴史に関し「多くの人が知るに値する・長持ちする知識を伝えること」がライフワーク。 


●そういちの著書

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団地の書斎のそういち
撮影:永禮賢
2021年01月14日 (木) | Edit |
新型コロナの被害は、先進国のあいだでも大きくちがいます。先進国と発展途上国のあいだのちがいなら、わかるのです。医療や衛生の状況が大きくちがうのですから。

しかし、いずれも医療や衛生が(国によって多少のちがいはあるにせよ)一定のレベルに達している先進国のなかで、どうしてあれだけ差が出てくるのか?

下の表は、2021年1月初め(1月8日)時点での世界の主要国(人口数千万以上のおもな先進国)の、人口100万あたりの新型コロナによる死者数です(中国は先進国とはいえないですが、参考としてあげています。データは札幌医科大学のサイトより)。

 主要国のコロナ死者 縮小

これらの主要国のあいだでは、被害状況に相当な差があり、被害の程度で3つのグループに分けることができるでしょう。①とくに被害が深刻な第1グループ(イタリア、イギリス、アメリカ、フランス)、②それに次ぐ第2グループ(カナダ、ドイツ)、③比較的被害が少ない第3グループ(オーストラリア、日本、韓国)。

第1グループは濃い網掛け、第2グループは薄い網掛け、第3グループは網かけなしで示しています。

これらの国ぐにでの被害状況の差は、なぜなのか? 政府の対応策の違いは、もちろんあるでしょう。しかし、その前提となる社会の基本的な特徴も大きく影響しているのではないか。

そして、社会の基本的な特徴を反映する社会統計をいろいろ調べて、コロナの被害状況との相関がみられないか確かめることにしました。

そこでまずみつけたのが、乳児死亡率です。乳児死亡率とは、「生存新生児(≒死なずに生まれた赤ちゃん)1000人のうち、満1歳未満で死亡する者の数」です(乳児死亡率のデータは『世界国勢図会』より)。

コロナ死者と乳幼児死亡率 - 縮小

どうでしょうか。2018年のアメリカの乳児死亡率は「5.6」で、この表のなかで最も低い日本の「1.8」よりもはるかに高いです。イギリスやフランスも、日本よりもかなり高い。コロナの人口あたり死者数がとくに多い「第1グループ」4か国のうち3か国が、この表では乳児死亡率の高さで上位となっています。

これは、乳児死亡率の高さの背後にある、社会のなんらかのあり方・要素が、これらの欧米諸国でのコロナの被害拡大に関わっていることを示しているのではないか。そんなふうに私は考えます。

そういう問題意識・テーマの記事を、別ブログそう「そういち総研」にアップしましたので、ぜひご覧ください。

こちら→主要国比較 乳児死亡率・犯罪発生率とコロナの被害


乳児死亡率の高さの背後にある社会のあり方とは、どんなことなのか? また乳児死亡率のほか、人口あたりの殺人や自動車盗難の件数といった犯罪発生率も、とりあげています。犯罪発生率も、コロナの被害状況と一定の相関があるように思われます。

***

あたりまえのことなのでしょうが、統計をとおして社会を考えるのは、大事なことです。一般常識でだいたいわかっていることであっても、統計の裏付けがあると、社会をみる解像度がぐっとあがってくる。

さらに、統計のなかに「おや?」と思うような、ばくぜんとした常識的感覚からは外れるような数値があれば、そこは掘り下げる価値があります。

今回のテーマに関してだと、アメリカ、イギリス、フランスといった、欧米の先進国でコロナが非常に蔓延してしまったことは、少なくとも当初は「おや?」という感じでした(最近は慣れっこ)。最初にこの病気が広がった中国では、かなりおさえ込んだのに。

そして、アメリカの乳児死亡率の高さも、私は以前にぼんやりとは見聞きしていたものの、あらためて統計を確認すると「おや」と思います。

文明の先端をいく超大国で、どうして? 

そして、アメリカでのコロナ蔓延と乳児死亡率の高さは、なんらかの関連があるのでは、というわけです。どちらも、アメリカ社会の一定の特質を反映してそうなっているのではないか。

私のような者が、統計をもちだしてマスコミに登場する専門家もあまり述べていないようなことをコロナ関連で述べても、「信用できない」と思われてしまうかもしれません。

でも、こういう基本的な統計の扱いは、すごく特別な専門性が要るようなものでもないと、私は思っています。それなりの問題意識や一定の慎重さがあれば、何とかなると。厳格に考えを立証することはできなくても、一定の問題提起や考えるための視点の提示はできる。まあ、ぜひ「そういち総研」の記事を、ちらっとでも覗いてみてください。

(以上)
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2021年01月07日 (木) | Edit |
今日の夕方、緊急事態宣言についての菅総理の記者会見を、生放送でみました。

私が抱いた感想は、ネット上で多くみられるものとかなり重なっていて、特別なものではありません。

棒読みで、滑舌も良くない。誠意や気迫は伝わってこない。これまでの政府の対応については、不都合なことに触れないで自己弁護が目立つ。

記者の質問にまともに答えないではぐらかすことも多かった。人を見下しているのか緊張しているのか、少し笑みが浮かぶ場面も。再質問を認めないのは残念。やたらと尾身さんに振ってしまうのも残念……まあ、色々あります。

生放送をみると、あとで編集したニュースでは伝わらない様子がわかります。

ニュースは、記者がわかりやすく内容をまとめてくれているので、実際のあの会見よりも総理が端的に内容のあることを言っているような感じになるのです。しかし実際には、用意した答弁から離れるとのらりくらりとあいまいで、責任を負いたくない感じがにじみ出る答弁をしているのが、生放送ではわかります。

私は心配になってきました。コロナ対策のことはもちろんですが、さらに中長期的な日本の政治の行く末も。

こんな調子では、日本の既存の政治家たちへの信頼が、ほんとうに失われてしまう。

自民党の有力政治家のあいだの談合で選ばれた、「実務派」という触れ込みの総理大臣。それが、こんなレベルだったのかという失望。

その失望が、既存の政治家全般への失望へと深まっていくのではないか。菅さんや二階さんのような自民党の有力者への失望にとどまらず、野党も含めた日本の既存の政治家全般への失望ということです。前の安倍政権への支持の背景には、野党への失望ということもおおいにあったのですから、自民党がダメだからといって野党が期待されるわけでもないはずです。

以前から「政治への失望」ということは言われていますが、それがある臨界点を超えていくことにならないだろうか。

そうなると、既存の政治の枠組みとは無縁な、アウトサイダー的な政治家が「革命児」として台頭する余地が大きくなります。あるいは、既存の政治家のなかでも、強い野心がある人物が革命児として支持を集めるかもしれない。

それでいいじゃないかと思う人もいるでしょう。でも、私はそれは今の世界においては危険なことだと思っています。

この会見をみながら、私には今日のもうひとつの大ニュースである、アメリカでのトランプ支持者による国会議事堂への乱入のことが思い出されてなりませんました。

トランプ現象は、アメリカ政治におけるエスタブリッシュメントといわれる人たちへの失望が広まった結果です。

キャリアのある、既存の政治家への期待が失われて、そこからトランプという、政治経験のない異端児が頭角をあらわす余地が生まれた。

エスタブリッシュメントの政治家たちは、自分たちが多くの国民から信頼を失っていたことに気が付かず、当初はトランプを舐めていた。しかし、結局あんなことになって(この4年間のいろいろなこと)、今日はこんなひどいことになっている。

アウトサイダー的な革命児が政治の実権を握ると、民主主義や政治制度の大事な部分が、深刻なダメージを受ける恐れがあるのです。革命児は既存の枠組みを壊そうとして、かなりの大衆もそれを支持する。

その壊す対象には、たとえば司法の独立、選挙や報道への信頼といった、民主的な社会にとって根幹となるものも多く含まれている。正義の名のもとに、それらへの攻撃は行われる。

そのことを、トランプ政権の4年間は示しています。発展途上国や新興国ではなく、ヒトラーのような歴史上の究極のケースを持ち出すまでもなく、現代のアメリカという民主主義の最先進国でそういうことが起り得る、という点が重要です。

アメリカで起こったことは、かたちを変えてでしょうが、日本でも起こり得るんじゃないか。そんなことを今日の総理の会見をみながら思ったのでした。

(以上)
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2021年01月07日 (木) | Edit |
新型コロナウイルスの感染症というのは、「社会的動物」であるヒトの急所を突く病気です。その点でつくづく厄介なものだと、近頃思うようになりました。

「社会的動物」というのは、群れ集まって暮らし、互いにさまざまな交流や物資の交換をしながら生きているということです。

社会的動物とは、もともとは古代ギリシアの哲学者アリストテレスによる言葉です。アリストテレスは「人間はポリス(古代ギリシアの都市国家)的動物だ」と述べました。

他者との交流が活発な個人や集団は、ヒトという種のなかでは優位に立ちます。人づきあいが活発で上手な人は、社会的に成功する傾向がありますし、繁栄する都市や国家は、とくに多くの人やモノが出入りしている。

進化や歴史の積み重ねの結果、今の私たちのなかには「人と交流したい」という欲求が深く組み込まれているのでしょう。

それがどの程度まで遺伝子レベルによるもので、どの程度まで文化的な影響によるものなのかは別にして、とにかく私たちは人と交流せずにはいられない。少なくともそういう欲求を強く持つ人が、社会の主流をなしています。

そして、「交流」の核にあるのが、飲食をともにすることです。なかでも酒を飲む交流(パーティー・飲み会)は、昔から人間関係を深めるうえで特別なものでした。

ところが今度のコロナの病気は、飲食をともにして語り合うこと、なかでも飲み会がとくに感染リスクが高いというのです。もちろん飲食だけが問題なのではなく、人の交流・接触全般に一定のリスクがあるわけで、そのなかで飲み会がとくに危ないものの代表格だということです。

これはまさに「社会的動物」の急所を突く病気だなあと思います。

だから、感染防止の対応がむずかしく、衛生や医療の発達した先進国でも蔓延してしまうのです。

そう考えると、日本の国会議員たちが飲食の会合をなかなかやめられず、「4人までならいいでしょう」とか言っているのもわかる気がします。

国会議員は、社会的動物である人間らしさの頂点に立っている人たちです。つまり、さまざまな方面での交流や会合をふつうの人の何百倍、何千倍も職業的に行っています。交流がきわめて得意で、それに適合している人たち。だから、社会的動物としての欲求もとくに強いはずです。

そういう人たちに、「情報交換が目的なら、飲食抜きでミーティングをすればいい」といっても、空疎な建前にしか感じられないでしょう。社会的動物を極めた人たちにとって、飲食を伴わない会合は、ビール好きにとってのノンアルコールビールのように、まったくもの足りないはずです。

「政治家こそが率先垂範を」というのは正論なのですが、政治家こそが「飲食をともなう会合」をやめることが本来的にむずかしい存在だというわけです。

もちろん、その「むずかしい」ところを、危機意識にもとづいて自制することが、今求められています。しかし、今現在の様子をみるかぎり、日本の国会議員の有力な人たちのなかに、自制心がそこまでは強くない人がかなりいるということです。

ただし、これは政治家だけにあてはまることではないでしょう。私たちと国会議員のちがいは、程度の問題だと思います。同じ社会的動物どうしですから。

パーティーや飲み会の徹底した規制というのは本当にむずかしい。よほどの強い権力や人びとの危機意識がないかぎり、それを皆無にすることはできない。くり返しになりますが、飲み会は社会的動物としての強い欲求に基づくものだから。

こうして考えると、新型コロナウイルスというものは、ヒトを宿主とするウイルスの生存戦略としてはじつによく出来ていると思います(誰かがつくったわけではないにしても)。性行為がおもな感染ルートであるエイズのHIVウイルスなどよりも、はるかに感染防止がむずかしい。

エイズに関する啓蒙では「HIVウイルスは一緒に働いたり、一緒に普通に生活したり、感染者をケアしたりすることではうつらない」ということが強調されます。

さっき私がみたあるエイズ関連のパンフの画像では、みんなで食事をしているイラストがあって、「こういうことではうつらない」と説明していました。エイズは恐ろしい病気ですが、感染を防ぐという点ではかなり対処しやすいのだと、今のコロナとの対比で思いました。エイズは、「社会的動物」の急所を外しているところがある。

感染症というのは元来、人間が集まって暮らし交流することをベースに広まるもので、ヒトが社会的動物であることと深く結びついています。そのなかでも今回のコロナほど「急所」をとらえているものはないのでは?

社会的動物の「急所」を突くという点で、これまではインフルエンザという王者がいたのですが、それを凌ぐものがあらわれた。

以上、なんの解決策も展望もここでは示せないのですが、新型コロナの性質について「なぜそれが厄介なのか」をあらためて考えてみました。

(以上)
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2021年01月04日 (月) | Edit |
この年末年始のテレビで一番印象に残っているのは、NHKで再放送されたドラマ「たけしくんハイ!」です。1985年に全15回で放送されたものを、年末年始の元旦を除く4日間に、まとめて放送していました。

ドラマの原作は、ビートたけしによる、自分の子ども時代をモチーフにしたエッセイ。舞台は1954年(昭和29)の東京・足立区。高度成長が始まりつつあった、まだ貧しかった頃の日本。

腕白な小学生のたけし少年(この子役がたけしによく似ている!)と家族を描いた人情ホームドラマなんですが、そこでは「勉強」あるいは「人びとの勉強意欲」ということが重要なテーマになっています。

家は貧乏。林隆三演じるたけしのお父さんは、字が読めません。ペンキ塗装の一人親方を細々とやっている。もとは漆塗り職人で頑張っていたのですが、今は職に恵まれない。暇さえあれば飲んでいる。

一方、たけし一家のほかの人たちは、優等生・インテリ系です。木の実ナナが演じる、しっかりもので明るいお母さんは、女学校を出ています。

女学校(高等女学校)卒というのは、当時のお母さんの世代では、女性としては今の大学卒のようなものです(なお、林隆三も木の実ナナも好演でした)。

そして、たけしの2人のお兄さんたち。上のお兄さんは、東大生。下のお兄さんも、優秀な進学校の高校を受験して、見事合格。

お父さんは、ペンキの仕事を受注するときの見積もり計算ができないので、上のお兄さんが現場に立ち会って、代わりに計算しています。2人のお兄さんはどちらも良くできた若者で、たけしのこともかわいがってくれます。

お父さんの母親であるおばあさんも同居し、近所の旦那さんたちに義太夫などの唄を教えたりしていて、なかなか文化人です。

たけし少年も、「勉強はきらい」といいながらも、落ちこぼれではない。ドラマの終盤では算数のテストで100点満点をとっています。たしかに、のちのたけしさんは明治大学工学部に入学しているのです。

以上のドラマの家族は、実際のたけしさんの一家とは異なるところがあります。たとえば、現実のたけしさんにはお姉さんや幼くして死んだお兄さんがいます。また、実際のたけし少年は、ドラマのような元気な腕白ではなく、部屋にこもって本を読むのが好きな、内向的なところのある子どもだったそうです。

以上のように、ドラマと現実のあいだに異なるところはあるのですが、核心的な部分は、事実に基づいているといえるでしょう。

経済的に恵まれない一家、元漆塗り職人でペンキ屋の、飲んでばかりのお父さん、大学に行った秀才のお兄さん、しっかり者の教育熱心なお母さん、家族にかわいがられて育った末っ子のたけし……こういう基本は事実なのです。

また、実際のおばあさんも、若い頃は「娘義太夫」という、今でいえばアイドルのような芸能の仕事をしていました。

そして、1985年当時の多くのスタッフにとって、ドラマの舞台である1950年代は自分たちもよく知っている過去なので、その時代背景も比較的正確に描かれているのでしょう。

つまり、このドラマのような一家や人びとは、当時いたわけです。

親が義務教育しか受けていなくても、子どもは大学に進むということは、ときどきあったことです。戦後の昭和の時代には、今とちがって子どもは親よりも高い学歴となることが一般的でした。

今の日本の大学進学率は50~60%ですが、1955年(昭和30)には8%でした。高校への進学率は、今は99%ですが、1955年には52%。

つまり、昭和の頃からの数十年で、学校教育はものすごく量的に拡大しました。多くの人が勉強や進学への強い意欲を持ち、国家や社会もそれに対応して学校を整備していったからです。

このような教育の量的拡大は、戦前からのものです。

1915年(大正4)には、今の高校に相当する中等教育(「旧制中学」「高等女学校」など)の就学率(≒進学率)は20%を少し切るくらいでした。その後、1930年(昭和5)には中等教育の就学率は36%になっています。

当時は、今とは大きく教育制度がちがいます。義務教育は小学校(尋常小学校)の6年間だけでした。そしてその延長線上に2年制の「高等小学校」というものがあり、ここまでは全体の6割が通いました。

高等小学校を卒業した子どもたちは、ほとんどの場合、家業を手伝ったり就職したりします。上の学校に進むことはまれでした。旧制中学や高等女学校などの中等教育機関は、それとは別コースで小学校のうえにあって、基本的には5年制でした。

そして、こういう中等教育を一応は「今の高校にあたる」といいましたが、全体の2割しか進まないのですから、当時としては相当な高学歴です。

そして、1915年の今の大学に相当する高等教育の就学率は1%ほどでした。ここで高等教育とは、当時の「旧制高校」「専門学校」「旧制大学」といった学校のことです。高等教育を受けた人は、高度のエリートでした。

日本人の多数派は、多少とも経済的な余裕があれば、無理をしてでも上の学校へ進もうとしました。

ドラマのたけし一家も、相当に努力や無理をしています。お母さんとおばあさんは、お父さんの稼ぎが少ないので、いっしょうけんめいに内職をして、息子の学費を稼ごうとしているようでした。

ドラマのお兄さんたちは、勉強部屋などない狭い家で、お父さんが酒に酔ってうるさくしていても、お茶の間の片隅の机でいつも勉強しています。ときには、あまりにお父さんがうるさいので、下のお兄さんはお母さんと一緒に外に出て、近所の街灯の下で勉強したりもした。

なぜそんなにいっしょうけんめい勉強するのかといえば、少しでも高い学歴を身につければ、良い仕事や収入を得ることが期待できたからです。今以上にその期待値は高かった。

ドラマのなかでたけし少年が近所のおもちゃ屋さんで、とても買ってもらえそうにない、ショーケースの高価な機関車の模型をじっともの欲しそうにみていると、お店の主人が「しっかり勉強して、いい学校出て会社に入って、いいお給料をもらうようになったら買えるから」ということを言っていました。

こういうことは、今の大人は言いません。たぶん、このドラマがつくられた昭和の末期くらいから言わなくなったのではないでしょうか(昭和の末期に高校生や大学生だった私の感覚です)。

このドラマは、教育の量的拡大がすすんで、「勉強の価値」が以前ほどいわれなくなった時代に、「昔はそうではなかった」という認識に基づいてつくられています。

昔は(たけし少年の時代には)、勉強することは、自分の人生をきりひらくために、少しでも良い暮らしをするために必須の、きわめて価値のあることだった。そのことは、大人にも子どもにも共通の了解事項だった。

今の子どもや知識の少ない若い人がこのドラマをみても、おそらくピンとこないでしょう。いろんな前提がのみこめないはずです。

文字が読めないお父さんなんているわけがない、「女学校」って何?、ああいう貧乏な家に東大生がいるなんておかしい、街灯の下でまで必死に勉強するお兄さんは異様、「勉強したら好きなものが買える」なんてくだらない説教……そんな違和感や疑問ばかりになりそう。そこで描かれているのは「三丁目の夕日」みたいに、今の人にとってのみこみやすく改変した昭和ではなく、1980年代に振り返った、それなりに本質を再現した昭和のあり方です。

そういうドラマをみて、1960年代の昭和生まれの私は、昭和的な精神を思い出しました。

ああ、勉強ってやっぱり人生をきりひらくうえで大事なんだよな、思いきり勉強ができるって幸せなことなんだよな、なのに今の子どもは何かにつけて「なんで勉強しなきゃいけないの?」とか言うんだよ、オレたちの子どものときよりもさかんに言うようになったけど、よろしくないなあ……そんな「月並」なことを結局思いました。

そして、今の時代なりに「勉強は人生をきりひらく」ということを、なんらかのかたちで大人は子どもに伝えないといけないんだろうな、とも思いました。どう伝えたらいいかは、今はわかりません。

(以上)
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2021年01月02日 (土) | Edit |
あけましておめでとうございます。今年の正月はコロナの影響で、初詣は自粛ムード。あるいは日程を分散させることが呼びかけられています。大晦日の鉄道の終夜運転も中止となりました。

また、近頃はテレビで「電車でお参りに行くのではなく、近所で済ませては?」と述べるのを何度か見聞きしました。さらにその背景的な知識として、「江戸時代には近所でのお参りが普通で、遠くまで初詣に行くことは、明治以降の鉄道の発達で普及した」のだと解説していることもあった。

私の本棚に、平山昇『鉄道が変えた寺社参詣』(交通新聞社新書、2012)という本があります。平山さんの研究は、テレビで述べていることの元ネタです。この記事も、平山さんの同書に基づいています。

まず、平山さんによれば結論として“「初詣」は鉄道の誕生と深く関わりながら明治中期に成立したもので、意外にも新しい行事”なのだそうです。(同書19ページ)

そもそも、今の私たちが行っている「初詣」とは何か。明確な定義があるわけではありませんが、「正月に神社仏閣に参拝すること」で、多くの場合遠出をして有名な神社やお寺に行く。そのためにおもに鉄道などの公共交通機関を使う。

しかし鉄道ができる前の江戸時代には、様子がちがいます。寺社への参拝はたいていは近隣で済ましていました。

そして「いつ」「どこに」お詣りするかについて、様々なルールがありました。「元旦には氏神様へ」とか「家からみてその年の恵方(えほう、神が存在する幸運をもたらす方角、5年周期で変わる)に当たる寺社へ」等々。このようなルールにしたがって参拝することによってご利益がアップするとされていました。

ところが今の初詣には、この手の縛りがないわけです。まず「いつ」に関してはばくぜんとしています。3が日の参拝が多いですが、おおむね1月中に行けばまあ「初詣」といえるようです。「どこに」については、どこの寺社に行っても構わない。

そのような、縛りの少ない今日型の初詣は、どのように成立したのか。

鉄道による寺社参拝の先駆となったのは、川崎大師です。

明治5年(1872)に日本初の鉄道が新橋~横浜間に開通しましたが、その途中駅の川崎停車場から数キロほどのところに川崎大師はありました。数キロというのは、当時の人には十分に徒歩圏です。

鉄道を使えば、有名なお寺に以前よりもはるかに容易にアクセスできるようになり、川崎大師にはおもに東京から多くの人が訪れるようになりました。とくに正月には多くの人で賑わった。

このような、鉄道を利用した正月の寺社への参拝は、鉄道網の発展とともに、各地へ広まっていきました。

ただし、鉄道による川崎大師の賑わいは、大師様の「縁日」(弘法大師の命日にちなむ)である21日がメインでした。また「東京からの恵方にあたる年かどうか」にも影響を受けました。「いつ」「どこに」の縛りは重要だったのです。

しかしやがて、それも変わっていきます。明治20年代には、1月21日の縁日(初縁日)ではなく、おもに3が日に参拝が集中し、東京からの恵方にあたるかどうかに関係なく、毎年多くの人が集まるようになっていました。

明治になって七曜制が採用されると、21日が日曜でないと多くの人は都合が悪くなり、一般にはお休みの3が日がお参りしやすくなったためです。また、5年に1回変わる恵方に皆がこだわると、東京からの恵方ではない年には参拝者が減ってしまいます。これは鉄道会社や寺社にとって不都合です。

そこで鉄道会社は、明治の当時から「新春の寺社への参詣は〇〇鉄道で」みたいな新聞広告をうっていたのですが、その広告で「恵方」ということをいわなくなっていきます。

東京からの恵方にその鉄道沿線の寺社が該当するときは「恵方詣り(えほうまいり)」ということをうたうのですが、恵方から外れる年には「恵方詣」という代わりに「初詣(はつまいり、はつもうで)」というようになります。

平山さんはこう述べています。“「初詣」は恵方詣にも初縁日参詣にも該当しない正月の参詣を指すために用いられはじめた、いわば「隙間言葉」であり、新聞でも大正前期までは正月の報道で毎年必ず使われるほどメジャーな言葉ではなかった”(116ページ)

それが、明治末以降には「恵方」などの「いつ」「どこに」の縛りを受けない便利な言葉として、鉄道会社がもともとはマイナーだった「初詣」を積極的に使うようになり、今につながる「初詣」のコンセプトが全国に普及していったのです。

平山さんは、さらにこうまとめています。

“初詣はもともと恵方だの初縁日だのといった細かいことにこだわらずにお詣りするという、きわめてアバウトな行事として成立し、そのアバウトさに利用価値を見出した鉄道会社のPRによって社会に定着していったものなのである”(130ページ)

そして、そんなインスタントに定着した「伝統」なのに、“あたかも「初詣の正しい伝統」などといったものが古来からあるかのように説明する語り方が定着している”ことに疑問を呈しています。また、そのような「初詣の伝統」の語り方は昭和に入って流布したものなのだそうです。(130ページ)

「古来からの伝統」のように言われているもののなかには、じつはかなり新しい、近代的要素が含まれていることがある。

このことは、たしかに知っておいていいと思います。初詣はその代表的事例のひとつなのでしょう。

「初詣は実は新しい伝統」ということは、最近はある程度普及してきた知識ですが、以前には明確ではなかったのです。それを、平山さんのような研究者が近年になって明らかにしていったのです。

***

ところで、「二年参り」のための大晦日の鉄道の終夜運転は、いつ始まったのか?

予想を立ててみてください
(選択肢)
ア.昭和初期(1920年代)
イ.第二次大戦後まもなく(昭和20年代、1950年頃)
エ.高度成長期(昭和30年代、1960~1965頃)
オ.もっと後(1970年代以降)

答えは下に




初詣のための終夜運転が初めて行われたのは、昭和4年(1929)の正月のこと。成田山初詣のための終夜運転を、今の京成電鉄が始めたのが初だそうです。

当時、京成は競合する国鉄と初詣の旅客を奪い合っていて、その競争のなかで国鉄が終電を遅くしたのに対抗して、終夜運転を始めたのでした。そして昭和10年頃までには多くの鉄道路線で「二年参り」のための終夜運転が定着していきました。(140~143ページ)

私は、このことを知るまでは、ばくぜんと「初詣のための終夜運転というのは、戦後(昭和20以降)のことではないか」と思っていましたが、戦前の昭和にすでにあったのですね。こちらは意外に長い歴史があったのだと。

それが今回の正月はコロナによって中止されたわけです。やはり今、たいへんなことが起きているのだと、あらためて感じます。

(以上)
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2020年12月31日 (木) | Edit |
12月は、ベートーヴェン(1770~1827)の「第九」が風物詩ですが、ベートーヴェンは12月(16日)の生まれでもあります。そして、今年はベートーヴェンの生誕250年でもありました。そこでいろんなところで取り上げられた。

私も別ブログ「そういち総研」で、ベートーヴェンに関する記事をアップしました。

そういち総研の記事→世界史の中のベートーヴェン

私には音楽的なことは扱いきれません。そこで、「世界史の大きな流れの中におけるベートーヴェン」という視点で述べています。

ベートーヴェンは、ヨーロッパが王侯貴族が支配する社会から市民(平民)が主役の社会へと移り変わる、そんな時代の変化を象徴する人物でした。

べートーヴェンが活躍したのは1800年代前半。ベートーヴェン以前の音楽家は、特定の貴族のお抱えとして生計を立てていました。貴族の注文に応じて、冠婚葬祭のようなイベントのために作曲・演奏するのです。

しかし、大成してからのベートーヴェンはちがいます。おもに劇場での演奏会や楽譜出版による収入で生活していました。演奏会の観客や楽譜のユーザーの多くは、市民の音楽愛好家です。貴族のお抱えではなく、不特定多数の市民による「投げ銭」で生きていたのです。

ベートーヴェンは、いわば「市民のお抱え音楽家」の先駆けでした。彼は「市民の時代」の幕開けを象徴する、トップランナーだったといえます……そんなことを書いています。

***

ところで、ベートーヴェンの誕生日については、「12月16日頃」みたいな、あいまいな書き方になっていることがあります。じつは彼の誕生日の記録はなく、17日に教会で洗礼を受けた記録があるので、16日か15日の生まれと推測されているのだそうです。

また、このベートーヴェンの記事の感想を、個人メールで送ってくださった友人がいました(感謝)。その人は自分のメールでは「ベートーベン」と書いていて、あとでそれについて「まちがいでした、正しくはベートーヴェンですね」などと訂正されていました。

たしかに今の表記では「ベートーヴェン」と書くことがほとんどのようです。でも、昔は「ベートーベン」は多かったような気がします。

そして、NHKの雑誌(『NHKウイークリーステラ』の今月出た最新号)をみると「ベートーベン」なんですね。

NHKの交響楽団は、終戦から間もない頃に「第九」を年末に演奏することを始めたパイオニアだそうです(NHKの「チコちゃん」で知りました)。

その昭和の当時はおそらく「ベートーベン」が一般的だったのではないかと思います。そういう背景があるので、NHKには当時からの表記を今も貫いているのかもしれません。私のあやしい推測ですが…だいたい、さっきNHK交響楽団のサイトをみたら「ベートーヴェン」でした。でも本体のテレビのNHKが関わるところでは「ベートーベン」。

要するに、こういう海外の固有名詞の表記には、多数派・少数派はあっても「正解」はないということ。

話がそれました。今回、記事を書くためにベートーヴェンの伝記などを数冊読んだのですが、ベートーヴェンの人生ってやはり波乱万丈で、読んでいて面白いですね。

人物的にも魅力を感じました。とくに今回、ベートーヴェン研究家の青木やよひさんの『ベートーヴェンの生涯』(平凡社ライブラリー)を読んでそう思ったのです。

青木さんは「苦悩に満ちた、孤高の天才」といった従来の通俗的なイメージではない、多くの人と交わり、その人たちに支えられ、自由人として情熱的に生きたベートーヴェン像を、詳しい研究に基づいて提示しています。

私は、偉人の伝記は人よりたくさん読んできたほうで、100人余りの偉人をそれぞれ短い文章で紹介した『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァートゥエンティワン刊、電子書籍)という本も出版しています。ただ、このところ以前ほどは人物伝・偉人伝を読んでいなかったのです。

今回ベートーヴェンの伝記を読んで、また伝記を通じていろんな人物のことを知りたい・掘り下げてみたいと思いました。とくに、ベートーヴェンのように近代の社会・文化の形成に大きな影響をあたえた何人かについて、もっと読みたい、何か書いてみたいと思った次第です。これは来年の課題としましょう。

(以上)
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2020年12月29日 (火) | Edit |
コロナに関していろんな報道や発言や調査などを見聞きして、この1年、私が最も気になったのは「コロナへの対応に、日本社会の特徴が端的にあらわれている」ということでした。

その特徴とは、日本社会の「団体構造」といったらいいでしょうか。

これは「日本ではさまざまなレベルの組織や団体が幾層にも積み重なっていて、そのような中間的な組織・団体に権威や権限が分散している」ということ。

企業でたとえれば、トップの経営者に権限が集中するのではなく、事業部や各課や各営業所のようなさまざまなレベルの組織がトップのコントロールからかなり自由で、自分たちの組織の論理で独自に動いているところがある、ということ。

そういう各組織が、慣習や前例をベースに、必要なときにはお互いに調整・話し合いをすることで、日々の仕事は動いていく。トップダウンや明確な原則やルールよりも、各組織のあいだの「調整」でものごとが決まる傾向が強い。

たしかに日本の会社や役所では、何かにつけ「調整、調整」といってます。

こういう「団体構造」が、日本社会の全体としてみられるということです。

もちろん、さまざまなレベルの団体や組織が積み重なっている、というのは世界じゅうの国にあることですが、ここでいう、「調整」を重視する団体構造的な傾向が、日本はとくに強いのではないか。

これは私の思いつきではありません。歴史学者の一部には、こういう団体構造が、日本では国家成立以来の長い歴史のなかで形成されてきたと指摘する人がいます。

このような日本の特徴は、中国との対比で論じられることが多いです。中国は日本とは異質な「強い権力者のもとにバラバラの個々人が束ねられる」という構造の「専制(独裁)」型の社会だというのです。(例えば足立啓二『専制国家史論』ちくま学芸文庫)

また歴史学者だけでなく、現代中国ウォッチャーといえる専門家にも、似た見解を持つ人がいます。(益尾知佐子『中国の行動原理』中公新書)

日本社会の団体構造ということは、私は今年の2月下旬の別ブログ(そういち総研)の記事でも論じました。

当時の日本では、横浜に寄港した客船での集団感染が一大事で、コロナはまだ「対岸の火事」的なところがありました。そのときの日本政府の対応が、もろもろの調整に足をとられて、かなりもたついている感じがしたのです。これはじつに日本的だと。その日本的なあり方とは、「団体構造」だと論じたのです。

一方、同じ頃の中国では、当初はコロナの発生を、不都合な事柄として隠ぺいしようとしていたのに、それが無理だとわかると、指導者の号令で一斉に対策を徹底する方向に舵を切ったのでした。これはいかにも専制(独裁)国家的でした。

何事も「調整、調整」の団体構造。このことは、その後の日本社会のコロナへの対応のあり方を規定し続けたと思います。

たとえば、PCR検査。日本ではPCR検査が欧米やほかの東アジア諸国(中国・韓国)と比べて大幅に少ないので、もっと行うべきではないかという話が、春頃からずっとあります。

私も、日本のPCR検査は(そこにマイナスの側面や検査としての限界があるとしても)今よりはもっと増やしたほうがいいと思うのですが、その是非にはここでは立ち入りません。

ただ、PCR検査については緊急事態宣言下の安倍総理にしても、大幅に増やしていくのだという方針を示しています。そして、政府の直轄下以外の、大学やその他民間の検査能力も動員すれば、日本には相当な余力がある、ということもずいぶん言われました。

しかし、あれから何か月か経ち、たしかに春頃や緊急事態宣言下の頃よりも大幅に検査は増えたものの、欧米や東アジアとの格差は依然として大きいです。

そこには日本の「団体構造」が関わっているように、私には思えてなりません。

つまり、長期政権の、相当な権勢を誇った総理大臣が号令を出しても、実務を担う組織が動かないのです。

実務を担う組織のなかには、「PCR検査をやたらと増やすべきではない」という考えを持つ、その組織レベルの権威者たちがいて、頑張っているわけです。この人たちには、総理大臣がどう言おうとも守りたい、自分たちの論理がある。

そして、トップとしても現場に深く手を突っ込んで大きく動かそうという、強い信念を持っていない。信念の根拠となる情報も不足している。法的な根拠が不明確なところもあるかもしれない。

これは、平時において、「各レベルの組織で、調整しながらよろしくやってくれればいい」という運営をずっと行っきたせいです。トップが強権の発動に不慣れで、能力が不足しているのです。これは、団体構造の社会におけるトップに特徴的なこと。

だから、「そんな、ろくに何もわかっていない総理大臣の指図は受けない」という、組織のボスの意思が大きな力を持ち続ける。そこで、劇的な方針転換(欧米並みにPCR検査を行う)ということにはならなかった。

これはまさに、権威や権限が各レベルの組織に分散している「団体構造」的な現象だと思うのです。

以上は、あまり情報もないままに、私が推測した、仮説的な見立てに過ぎません。でも、特定の省庁の部署や研究機関の人たちを取り上げて、PCR検査の拡充にその人たちが抵抗している、と述べるジャーナリストや専門家もいる。ただし、深い取材がいくつも積み重なって、一般に共有されているという感じでもない。ジャーナリストは、どうもこのあたりには十分に切り込めていない。

冬に入ってとくに危機感が持たれるようになった、コロナによる医療崩壊のことも、日本の団体構造がかかわっていると、私は思います。

日本のコロナの感染状況は、欧米にくらべれば「一桁(かそれ以上)少ない」といえる状況なのに、コロナを診ている医療現場では「切迫している」という声が強くあがっている。これに対し「日本の医療のリソースは、そこまで限られていないのでは?」という疑問も出ている。

この点については、私は「日本では、コロナに対応するための、人材や病床などのリソースを柔軟に・機動的に活用するための、国家レベルの司令塔が十分に機能していない」という問題があると思います。もっと具体的なことはともかく、基本的には要するにそういうことだと。

また、政府や知事には、医療のリソースを大きく動かすだけの法的な権限が不足しています。なのに、その問題に対処するための、法改正もしてこなかった。

こうしたことを言っている専門家はいるわけで、それに基本的には賛成だということです。

もちろん、「司令塔」はある程度は機能しているにちがいありません。でも不十分なのだということです。そこを埋めるために、各医療機関などの個々の組織やそれを束ねる団体レベルでの、自主的な調整や努力もなされてきました。でも、それだけは限界があるのは当然です。

2週間ほど前、ある医療の専門家はテレビ(BS)で「コロナ受け入れ態勢についての、人材の配置などの調整は、政府や知事にはとてもできないのではないか」と述べていました。

そして「そういう調整は、地域の実態にあわせて、ほんとうにその調整の力のある者でないと無理だろう。たとえばある地域では有力病院のボスがその地域のドクターの配置を動かす力を持っている」という主旨のことを述べていました。その場にいるドクター出身の国会議員も賛同する様子でした。

「政府や知事には、医療資源の配置の調整は無理」などというのは、テレビ的にはかなり乱暴な見解です。「政府や知事が何とかすべきだ」というのは、世論の前提でしょうから。でもこの発言は、いかにも「団体構造」の日本社会らしいあり方を、本音で語っていると思いました。

今の「医療崩壊の危機」に対処する、政府中枢の立ち位置やあり方は、PCR検査を劇的に増やそうとしたときと同じです。

つまり、なんとかしなければと思って号令をかけようとするのだけど、現場や組織が動かない。そもそも、何をどう動かしたら良いのか、わからない。

今回の「医療崩壊の危機」に関しては、何がボトルネックになっていて、どこにどういう働きかけや指示をすべきかが、PCR検査のとき以上にややこしいと思われます。関係者が、国公立の大病院のほか、欧米よりも数が多いとされる何千もの民間の病院、そして町の診療所など、多様な日本の医療機関の全体なのですから。だからなおさら政府中枢は、この件に関し、積極的な発信や指示がおいそれとはできないのではないでしょうか。

政府のスタッフや、世の中の専門家のなかには、事態を適切に理解して対処しうる人材がいるのかもしれません。でも、その人が今の政府中枢に見いだされることも、まだないようです。

以上のように、コロナへの政府の対処について、日本社会の団体構造という、ずいぶんと包括的な(大上段な)次元からその特徴を論じるというのは、私は見聞きしたことがありません。論じられるのは、もっと具体的な話です。それらのより具体的な話を関連付け、解きほぐすための見方として「団体構造」というのは、有効だと思っています。

抽象論のように思うかもしれませんが、まずは「何が起きているか」の、大まかな構図をつかむことは、問題解決には必要です。私には具体的な処方箋など、とてもわかりません。でも、世の中の人間のひとりとして「何が起きているか」を、ある程度理屈をもって系統的に理解したいという気持ちがあるです。

(以上)
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2020年12月09日 (水) | Edit |
「そういちカレンダー2021」発売中!

歴史や偉人などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています(下の画像)。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。

2014年版から制作していて、今回で8年目。このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

購入については、画像(1月、7月のページ)の下に。

今年からメルカリでの販売も始めました。詳細は画像の下に。
メルカリ・そういちカレンダーの出品ページ
こちらをご利用になれば、匿名でお買い求めできます。前年までは私そういちにお届け先などを知らせていただくしかありませんでしたが、そうでなくでもお求めできる手段も用意しました。ただし、そういちに直接連絡いただく場合よりも、価格が100円増し(1100円)になります。

2021年1月

2021年7月

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③コラム 発想法・社会批評・世界史等々
④知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑤各月の日付の欄に偉人の誕生日

【カレンダー仕様】 B5サイズ,全14ページ
ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】1冊1000円(送料込み)
メルカリからお買い求めの場合、1100円 
10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法①】そういちへの直接注文
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。

【購入方法②】メルカリでの購入 今年から導入
メルカリ・そういちカレンダーの出品ページ
←こちらをクリックしてメルカリの手順で購入

上記のクリック先の品が販売済みになっている場合も、ほかに在庫はありますので、画面の下のほうの「同じ出品者のほかの出品」をクリックしてください。こちらの場合は、価格は1100円(送料込み)。

(以上)
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2020年09月25日 (金) | Edit |
今の日本のトップにとって、最重要の中長期的課題は「これからの日本の繁栄の基盤をどうするか」だと思います。これはいわゆる「経済政策」よりも次元の高い一般論で、「この国をどうするか」という話よりは具体的な議論です。

しかし、最近の自民党総裁選では、この問題意識による議論は弱かった。新総理が打ち出している方針やメッセージでも、はっきりしていない。菅総理は規制改革のような、もっと実務的・個別的な問題の立て方が得意で、関心があるようです。

たしかに「繁栄の基盤をどうするか」というのは、非常に難しい、議論しにくい問題ではあります。だから踏み込みにくい。

でも、やはり考えなくてはいけないと思います。

この数十年の日本の繁栄の基盤は、「家電や自動車などの工業製品をつくり、輸出すること」でした。つまり「工業立国」ということです。

しかし、この基盤は近年かなり揺らいでいます。中国などの新興国が台頭して「工業立国」のお株を奪われ、IT化の進展で、日本のお家芸だった従来の工業が、産業の花形ではなくなってきたのです。

日本の「繁栄の基盤」については、これまで前提とされていたのは、従来からの「経済大国」路線を、時代にあわせて更新していくことでした。

つまり、最先端の技術や発想によるさまざまな産業を発展させて、世界との競争に勝ち抜く、というイメージです。

でも、それはもうむずかしくなってきている、とかなりの日本人は感じているのではないでしょうか。IT化でも、世界の最先端から遅れを取っているところがあるのですから。

***

そこで、ほかの選択肢を考えるうえで、世界史上に参考になる事例があります。

それは、ベネチア共和国の歴史です。ベネチアは、その長い歴史のなかで、環境の変化に応じて繁栄の基盤を変えています。

ベネチア(ヴェネツィア)は、中世イタリアの有力な都市国家のひとつ。「共和国」というのは、国王ではなく、貴族によって選挙された元首が統治する国だったからです。この元首は、終身制ですが世襲ではありません。

ベネチアは最盛期には人口十数万(このほか周辺の植民地に150万人ほど)でしたが、そのうちの1000~2000人くらいの貴族(商人も兼ねている)の集団が支配する国でした。

その歴史は、西暦400年代から1700年代末までの長きにわたります。

ローマ帝国の衰退期にゲルマン人や遊牧民の攻撃から逃れた人びとがこの地に移り住んだのが、その歴史の始まりです。そして、1797年にナポレオン軍の力に屈してベネチアは独立を失い、共和国の歴史はおわりました。

最初は漁業と塩づくり以外には、何の産業もありませんでした。しかし、800~900年代から東方との貿易業で台頭していきます。東側にビザンツ帝国という、ローマ帝国の末裔の大国があり、そこで仕入れた品物を西欧の国ぐにに売ることを始めたのです。

そしてさらに、イスラムの商品や、さらに東方のインドや中国からの品物もあつかうようになり、ばく大な利益をあげました。その東方貿易のおもな商品は、香辛料と絹でした。また、西欧の毛織物や金属製品をビザンツやイスラムで売ることも、さかんに行いました。造船業、海運業も発展しました。

このような貿易業とその関連産業を繁栄の基盤として、ベネチアは1300~1400年代に絶頂をきわめました。

しかし1400年代末頃から、急激な環境変化が起こります。大航海時代がはじまって、西欧の国ぐにが直接アジアへ航海して、香辛料などのさまざまな商品を仕入れてくるようになったのです。その先鞭をつけたのはポルトガルで、1500年代後半になると、後発のオランダやイギリスが台頭してきました。

その結果、ベネチアの東方貿易のビジネスは大打撃を受け、衰退していきました。そして、ベネチアの国際社会でのプレゼンスは、明らかに低下したのです。

***

そこでベネチアはどう対応したか。まず、毛織物や絹織物の製造に積極的に乗り出しました。

ベネチアは狭い都市で、大きな工場のための土地や工業用水の確保が難しかったので、もともと製造業はさかんではありませんでした。しかし、織物の製造という、当時を代表する産業に活路を見出そうとして、方針転換をはかったのです。

しかし、ベネチアの織物の製造は、あまり成功しませんでした。ベネチアの毛織物は、品質は高かったのですが高コストで、西欧の製品との競争に敗れ、生産は衰えていきました。ベネチアの製造業は、1600年代以降、絹織物、芸術性の高い工芸品、高級家具などのとくに高付価値のものに特化していきました。

また、経済が貿易主導から内需にシフトするということも起こりました。貿易業、海運、造船が衰退する一方で、食料品店、飲食業、その他のさまざまな小売業やサービス業が、1500年代後半から伸びていきました。

そして、ベネチアの港も、かつての国際商業の拠点から、周辺地域の物流を担うローカルな港に変化しました。しかし、船の出入りは活発で、かたちをかえて繁栄し続けたのです。

そして、1600年代以降の衰退期のベネチアは、「文化国家」として評価されるようになります。

多くの劇場がつくられて、オペラという新しい芸術が生まれる。みごとな趣向をこらした祝祭・イベントがさかんになる。出版や学芸もさらに活発に。ベネチアには多くの書店が軒を並べていました。新しい、凝ったデザインの建築も多くつくられた。イスラムから入ってきた飲料であるコーヒーを提供するカフェが、ヨーロッパで最初にオープンするといったこともありました。

そして、こうした文化の振興には、貴族などのリーダーの意思が働いていました。国際社会でのベネチアの地位が低下するなかで、文化的な発信を強化して、国の威信を復活させようとしたのです。ベネチアのリーダーは、かなりの場合、学問・芸術への関心も深く、そこにお金を投じることに積極的でした。

その結果、1700年代になると、ベネチアは「観光立国」化していきます。多くの人びとがさまざまな楽しみや文化を求めて、ヨーロッパ中からベネチアを訪れるようになったのです。

ほかの都市にはない独特の景観。さまざまなグルメ、演劇・音楽、イベントを楽しむことができる。みごとな工芸品やファッション。本屋や図書館も充実。さらにカジノや娼館のような「不道徳」な楽しみの場所でも、ベネチアは有名でした。

衰退期のベネチアは、高付加価値の一定の製造業、内需中心の経済、文化を基盤とするインバウンドの観光業などで成り立つようになりました。そして、国民の生活は高い水準を保ち続けたのです。

どうでしょうか。ベネチアのたどった道は、日本にとって参考になるのではないでしょうか。最近の日本は、かなりベネチア化しているように思えます。経済の内需主導、高付加価値といったことは、かなり言われています。また最近は、さまざまな日本文化や日本的サービスが海外の人びとから支持されるようになり、インバウンドの観光客が急激に増えました。

しかし、衰退期のベネチアのような文化力を、日本は保持できるのでしょうか?

残念ながらこのままでは難しいように、私は思います。

学校教育予算や研究費で、主要国に後れをとっているようでは、おぼつかないです。図書館の予算・運営はかなり厳しい状態になっています。大学にかんしては社会人文系の学部を減らして実学的な学部を拡充すべき、などという主張がかなり有力になったりしている。多くの文化人が「日本では欧米にくらべて芸術に対する公的支援が少ない」とぼやいている。

日本ではベネチアのように、文化が国の基盤になり得ること、つまり何らかのかたちで結構なお金になることが認識されていないのでしょう。

今の日本は、文化の扱いについて再編成が必要だと思います。しかし、もう手遅れかもしれません。高付加価値の産業も観光立国も、基盤は文化力なのに。

***

このような視点で、より詳しくベネチアの歴史について述べた記事を、別ブログ「そういち総研」で立ち上げました。よろしければ、ぜひご一読ください。

こちら→ベネチアの歴史に学ぶ、ゆるやかで幸福な没落

(以上)
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