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2030年01月01日 (火) | Edit |
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 (2014年7月6日記す)


そういち自画像
      著者そういち自画像

ブログ「団地の書斎から」のテーマ

団地の小さな書斎で、たまには「大きなこと」について考える。

世界史の大きな流れ。時代の変化。政治経済などの世の中のしくみ。そして、時代や社会をつくった人びとの生きかた。
    
自分のアタマで考えること。「考え」を文章でどう表現するか。
  
古い団地をリノベして暮らしています。「リノベと住まい」もテーマのひとつ。暮らしの中の小さなたのしみについても。 
    
これらをわかりやすく・ていねいに書きたい。


●著者「そういち」について

社会のしくみ研究家。「文章教室のセンセイ」「団地リノベ研究家」も兼ねる。1965年生まれ。東京・多摩地区の団地で妻と2人暮らし。
大学卒業後、運輸関係の企業に勤務し、事業計画・官庁への申請・内部監査・法務コンプライアンス・株主総会などを担当。そのかたわら教育研究のNPOに参加して、社会科系の著作や講演で活動。その後、十数年勤めた会社を辞め、独立系の投資信託会社の設立に参加するが撤退。浪人生活を経て、キャリアカウンセラーとして就職相談の仕事などを行ってきた。
社会や歴史に関し「多くの人が知るに値する・長持ちする知識を伝えること」がライフワーク。 


●そういちの著書

中心の移り変わりから読む 一気にわかる世界史←こちらをクリック
(日本実業出版,2016年8月末より全国書店・アマゾンなどで発売中,1300円+税)

  一気にわかる世界史・表紙

 
『自分で考えるための勉強法』(ディスカバー・トゥエンティワン,電子書籍)
『四百文字の偉人伝』(古今東西の偉人100人余りを紹介,ディスカバー・トゥエンティワン,電子書籍)
『健康と環境』(子ども向けの社会科の本,小峰書店,共著)
『フラッグス・る?』(世界の国ぐにをGDPでみる社会科の本,楽知ん研究所)


 
自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)
(2013/11/01)
秋田総一郎

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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
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資源・環境・リサイクル〈10〉健康と環境資源・環境・リサイクル〈10〉健康と環境
(2002/04)
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↑以上は,アマゾンなど多数のネット書店で発売中。電子書籍はスマホやパソコンでも読めます。

 
【講師いたします】
このブログでテーマにしている世界史,社会のしくみ,勉強法,文章術などについて。グループでも個人でもどうぞ。

お問い合わせは so.akitaあっとgmail.com まで(あっとは@に変換) 


団地の書斎のそういち
撮影:永禮賢
2022年01月20日 (木) | Edit |
しばらく更新が滞っていましたが、元気でやっております。相変わらずおもに家にこもって読んだり書いたりの毎日です。この3日ほどは外へ出ていません(私は、この春に勤めの仕事を辞めて素浪人状態です)。机に向かっていろいろやってはいるのですが、このブログからは、ちょっと離れていました。

先日、ふと思いついて新しいブログを「はてなブログ」で立ち上げました。

「そういいちコラム」というブログです。→こちら

この新しいブログは、200~800文字くらいの「数百文字」の短いコラムだけを集めたものです。そこに自分で描いたイラストをそえています。

それらの記事の多くは、もともとはこの9年ほど年末に毎年つくっている『そういちカレンダー』という私家版の発行物にあったものです。

このカレンダーには、毎月のページに短いコラムを3つ4つ載せています(そういう「読む」カレンダーなのです)。そのカレンダーのコラムを再編集して新しいブログに載せているのです。今日現在で20弱の記事をアップしました。

そして、『そういちカレンダー』の記事の多くは、このブログ「団地の書斎から」、ほかの私のブログ(世界史専門の「そういち総研」)、私の著作(『一気にわかる世界史』日本実業出版社など)からの素材を編集したものです。

カレンダーの紙面には限りがあるので、元の素材を短く切り取ったり、要約したりしています。元は何千文字、場合によっては1~2万文字の記事をもとに、数百文字にするのです。

そうやってうんと短く要約や抜粋をすると、気楽に読める無駄のない文章になるなど、それなりの良さが出てくることも多いです。「文章って、ひとつのテーマでも、いろんな長さで書けるのだなあ」と、そういう作業をしてつくづく思います。苦心惨憺することもあるのですが、よい文章修行にもなっています。

そうやってまとめた「数百文字」のコラムが、9年間で300くらいはたまっていました。

イラストを含めてかなりの労力をかけたものでしたが、カレンダーなのでその年が終われば、もう読者の目に触れることはなくなります。それがもったいなあ、何かまた使えないかなあと思っていたのです。

このブログ「団地の書斎から」に載せることも考えましたが、同じブログ内では、元になった記事とあまりにもかぶる感じがして気がすすみませんでした。そんななか、ふと先日「そういう短いコラムばかりの、別のブログを始めよう」と思い立ったのです。

そして、新しいブログを始めるには、すでに「はてなブログ」で別のブログ(「そういち総研」)を始めているので、「はてな」のサービスで手軽に別ブログをつくることができる。そこで、思い立ったらさっそくやってみました。

このFC2ブログでも別ブログの立ち上げはできますが、「別の場所で」と思ったので、「はてな」を利用することにしました。

同じ文章でも、別の場所においてみると、またちがってみえるところがあります。そして、これまでとはちがう読者の目に触れることにもなる。実際、新ブログを始めて2、3日ですが、初めての方から「いいね」をいただくことが何度かありました。

私は、文章を書く、作品をつくりあげるうえで「過去に書いた作品(文章)にあらためて取り組む・やりなおす」ことを、非常に大事だと思っています。

それは単なる「焼き直し」ではない。そのことを何度も体験してきました。出版できた著作(世界史の本)なども、過去の仕事にあらためて取り組むことを何度か行うことで発展していって、出版にこぎつけたのです。

そして「あらためてやりなおす」ためには、「最初の原型」といえるものを書かないといけないわけです。今の私にとって、このブログがその「最初の原型」を書くメインの場所になっています。

このブログでは、分量の制約とか完成度にはそれほどこだわず(でも読者にとってできるだけ読みやすいように努めて)書いています。

そして、このブログで書いたことをもっと長文のくわしい記事にしたり(「そういち総研」)、コンパクトなコラムにしたりする(「そういちコラム」)。理想としてはそういうパターンになるのでは、と思っています。

そこでこのブログの記事は、文章として粗いところもあるかもしれません。しかし、私が書く文章としてはもっとも鮮度のよい、生き生きしたものになるのかもしれない。そうなるように、今後もこのブログに取り組んでいきたいと思います。

そして、このブログから派生した新しいブログ(そういちコラム)もご覧いただければ、うれしいかぎりです。

今日は4日ぶりに外へ出たいと思います。

(以上)
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2021年12月11日 (土) | Edit |
日本人の有名な実業家が宇宙ステーションに到着したニュースについて、ワイドショーのコメンテーターが「しょせんは大金持ちの道楽だ」と、冷淡なことを言っていました。

でも、大金と暇さえあれば宇宙旅行に行けるようになったのは、やはり技術として新しい段階に入ったということです。

かつての宇宙旅行は、国家権力(それも大国のみ)に属する特殊な専門家である宇宙飛行士にしかできないことでした。どんなに大金を積んでも、それで行けるというものではなかった。権力者であっても、ハードな長期の訓練を積む時間やそれに耐える能力がないのが普通なので、宇宙に行くことは考えられなかった。

それが最近になって、権力者ではない富豪にも宇宙旅行が可能になったのです。大金のほかに、一定の訓練をする意欲と時間があれば、可能になった。

それは、富豪ではない多くの人たちにも可能になるための第一歩です。それ以前の「どんな富豪でも無理だった」段階とは一線を画することなのです。だから、「所詮は金持ちしか行けない」とばかり言うこともないと思います。

そして、技術の進歩とはだいたいそういうものです。つまり歴史をみわたすと、重要な製品やサービスは、たいてい最初は「権力者やその周辺の特殊な専門家」が独占していました。そのつぎに富豪にも入手可能となる段階があり、そこからは価格低下によって大富豪から一般的な富裕層へと拡大し、最後の到達点として庶民にも普及するようになる。

つまり「国家権力と特殊な専門家の独占」→「富豪にも開放」→「一般富裕層にも普及」→「庶民にも普及」という段階をたどるということです。このなかで「富豪にも開放」というのは、大事なブレークスルーです。このブレークスルーによって、技術は一般社会へとリリースされたことになる。

たとえばコンピュータはそうでした。最初は(1940年代には)軍や政府の先端的な研究機関にのみ存在する、きわめて特殊な、途方もなく高価で扱いも難しい機械だった。

それが1950年代には、IBMのようなコンピュータ企業が生まれて、巨大企業や予算のある政府機関が導入する工業製品になった。巨大企業とは、つまり現代社会の最大の「富豪」です。そして、コンピュータは一部の科学者だけが使う道具から、企業のエンジニアも使う道具になった。

その後は、たいていの大企業で導入するようになり、さらに中小企業にもコンピュータが導入されるようになった。そして1970年代にはパーソナルコンピュータが登場…というわけです。

映像(動画)撮影も、似たようなものです。最初は発明家による実験的な映像の段階があり、つぎに映画産業によって商業作品がつくられるようになった。その後、家庭にも映像撮影の技術が入ってくる。

「生まれたときからぼう大な動画が残っている史上最初の人物」は、1926年生まれのエリザベス2世ではないかと考えられます。そして今は、100年前には世界で大英帝国のお姫様でしかかあり得なかったことが、庶民のあいだであたり前になっている。

こういうことは、ほかにいくらでも例があげられるでしょう。

現代の宇宙旅行は、コンピュータにおける1950年代前半のような状況にあると思います。つまり、民間企業による供給が始まり、大富豪が最初の顧客となった、「富豪にも開放」の段階の初期。

ただ、宇宙旅行の場合は、コンピュータよりも「国家権力と特殊な専門家に限定」の時代がずっと長かったです。最初の宇宙飛行士といえるソ連のガガーリンの飛行は1961年で、あれから60年経っています。

コンピュータの場合は、本格的な研究・試作が始まったのは1940年頃からなので、「富豪にも開放」という段階に達するまで10数年です。これに対し宇宙旅行は60年以上かかっているわけです。

これはたぶん、宇宙旅行へのニーズが、コンピュータへのニーズよりもはるかに弱いということがあるのでしょう。コンピュータを使って行いたい切実なことはたくさんあったけど、宇宙に行く動機となるニーズはそれほどではないのでしょう。宇宙ステーションに用事のある人は、めったにいない。

大航海時代にヨーロッパから新大陸やアジアに行くにあたっては、「貿易で一発あてたい」みたいな、強い(切実ともいえる)欲望が後押ししました。しかし、そういう要素は今のところ宇宙旅行にはなさそうです。少なくとも民間人の宇宙旅行では考えにくいです。

つまり、宇宙旅行がさらに発展・普及するためには「宇宙へ行く切実な用事」が一般化することが必要です。

それはついに生まれないかもしれない。だとすれば、宇宙旅行は「富豪にも解放」止まりか「一般富裕層への普及」が若干すすんだ程度で、進歩が停滞するでしょう。

でも、なんらかの宇宙へ行く切実な用事・目的などが生まれる可能性も否定できないと思います。コンピュータだって、最初は戦争における弾道計算のような限られた用途しか考えられなかったのですが、その後、たとえば企業での事務処理などいろんな用途が生まれたのです。これは「用途が発見・開拓された」といってもいい。パーソナルコンピュータも、初期には用途がはっきりしない「おもちゃ」だと言われました。

宇宙に行く切実な用事や目的―-何かはわかりませんが、それが開拓されたとき、宇宙旅行は飛躍的に進歩するはずです。

それが見いだせないかぎり、宇宙旅行は今現在のような「金持ちの自己実現のためのおもちゃ」にとどまるでしょう。そして、普及にともなって「自己実現≒自慢できる」という要素は薄れていくので、別の次元の「用事や目的」が、宇宙旅行の発展にはぜひとも必要になるのです。

(以上)
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2021年12月07日 (火) | Edit |
フィッシュマンズ・チラシ

先月(11月)のことですが、京王沿線にある映画館・下高井戸シネマで「映画:フィッシュマンズ」を観ました。1990年代に活動したバンド、フィッシュマンズについてのドキュメンタリー映画。

このバンドで作詞作曲やボーカルを担った佐藤伸治(しんじ)さんは1999年に急逝し、現在はメンバーの茂木欣一さんらがゲストのボーカリストを迎えてバンドを続けている。1990年代の当時は、一部で高く評価され熱心なファンもいたが、大きなヒットには恵まれなかった。しかし近年はネットの音楽配信などによって海外でも評価されるようになっている。

ネットでみると彼らの音楽について「今も新鮮で普遍性を感じる」という人が、若い世代を含め大勢います。そしてこの映画も、音楽や映画が好きな人たちのあいだで評判になった。

音楽に疎い私は、フィッシュマンズのことは最近までまったく知りませんでした。佐藤伸治さんは1966年の生まれです。今も御存命なら50代半ばで、私も同年代なのですが、知らなかった。1990年代の私は、残業の多い若手のサラリーマンで、読書はするけど音楽はほとんど聴かず、テレビで流行りのJポップを少し耳にするくらいでした。

しかし、3~4か月前だと思いますが、J‐WAVEの野村訓市さんのラジオ番組でこの映画とフィッシュマンズのことを熱く紹介していて、興味を持ったのです(野村さんについての説明は省きますが、この人も興味深い人です)。

野村さんが推す作品や展示を、以前にも観に行ったことがあって面白かったし、番組でかかったフィッシュマンズの曲もいいので、「これは観にいこう」と思った。

その後、下高井戸シネマという、なじみのある映画館で上映することを妻がみつけ、上映後に監督たちの話が聞ける回があるので、そこに2人で行くことにしました。

***

この映画は3時間に及びます。しかし、ひきこまれて長くは感じませんでした。フィッシュマンズについて、あらかじめ音楽を聴いたりネットで調べたりすることなく「白紙」でのぞんだのですが、初めて聴く彼らの音楽には素直に感動しました。たしかに今も古くなっていない、普遍性があると感じます。

そしてこの映画で描かれていることにも、私のようなフィッシュマンズを知らない、とくに思い入れもない人間をもひきつける普遍性があります。

この映画は「ひとりの創造的な若者がいて、彼が深い喜びや苦しみを味わいながら成長して道を究めていって、道半ばで、しかしひとつのたしかな高みに達したところで亡くなってしまう」という過程を描いています。

そしてそのような「輝く才能」にひかれて集まり、深くかかわった人びとの喜びや苦しみも、もうひとつの主題として描かれている。

「そんなふうに平板にまとめてしまうのは、つまらない」と思う人はもちろんいるでしょう。フィッシュマンズのファンは、とくにそうかもしれません。

でも、この映画のさまざまな場面や出来事や証言は、創造的な「何か」に挑戦したことのある、あるいはそれに関心のある人には、自分にも(レベルはともかく)覚えがあるはずです。身につまされたり、ほかの事例でも見聞きしたことがある、そんなことの連続です。私はそこにひかれました。

***

ボーカルの佐藤(佐藤伸治)さんは、母親からみれば頑固なところはあるけど、平凡な子どもだった。本を読むのは好きだったそうです。一方、幼なじみの回想によれば、小学生のときから、センスの良さを感じさせるところが多々あったという。

それが兄の影響でギターを始め、大学生のときには音楽サークルの花形になっていました。「輝いている彼と一緒にやれるなんてうれしい」と思う仲間が集まり、フィッシュマンズが結成された。それでも音楽で食べていくのはむずかしいからと、就活で国会図書館の司書のような安定した職に応募したりもした。

でも結局、フィッシュマンズの仲間とともにプロの道にすすんだ。デビュー当時(1990年代初頭)はバブル的な時代だったので、いきなり海外のスタジオで録音するなど、恵まれたスタートを切った。しかし、売上的にはおもわしくない。メジャーなドラマの主題歌を、ヒットをめざし満を持して出したこともあったが、売れなかった。

それから佐藤さんは、メジャー路線で「売れる」ことよりも「自分の音楽」を追究するほうへ明確に舵を切った。それを評価・支援してくれる業界人も熱心なファンもいたけど、やはり数字的にはいまひとつ。しかし、音楽的な探究はさらに深まっていった。高い音楽性と同時に一般の音楽ファンにも理解しやすいバランス感覚を備えた、まさに名作といえるアルバムも生まれた。

だがしかし、佐藤さんはそれを壊していくような、さらに突き詰めた方向へとすすんでいく。ただしやりたい放題ではない。プロとして商業的に成立させることは、つねに課題だった。

そのような一連の過程で、信頼する、すぐれたミュージシャンの仲間が1人、また1人と去っていった。辞めていく理由は人それぞれ。1人1人にドラマや想いがある。

佐藤さんはさらに自分を追い込むようになっていく。そのプレッシャーは心身をむしばみ、命を縮めたのかもしれない。しかし、映像が残る晩年のライブ(1998年末)は、それまでの集大成といえる、すばらしいものだった。

その頃の佐藤さんは、デビュー当時とくらべてすっかり様子が変わっていた。最初はかわいらしさも残るお洒落な若者だったが、このライブではすっかり「道を究めた人」という感じ。ひたすら必死に歩み続けた結果、多くのミュージシャンには不可能な、遠く高いところに達していた…

以上は、私がこの映画で知ったことを、私なりに解釈した要約です。だから不正確なところがあるかもしない。そして、こういう説明・要約は、やはりつまらないのでしょう。

しかし映画は、以上のことを、映像や肉声や音楽をしっかりと構成して、私たちにみせてくれます。こんな「説明」ではなく、シーンを積み重ねることで感覚の厚みをともなって伝えてくれるのです。

この作品が、ぼう大な、深い取材をもとにして出来上がったものであるのは明らかでした。

上映後の座談会(手嶋悠貴監督、企画・制作の坂井利帆さん、編集の大川景子さんによる)でも、「上映時間の何倍分(かそれ以上)のインタビューやその他の素材を、どう精選して構成するかに苦慮した」という主旨の話がありました。

「普遍性」というのは、この映画のキーワードのように思います。

フィッシュマンズの音楽の普遍性のほかに、この映画が描く佐藤さんや仲間たちの歩みには、ジャンルや時代を超えた普遍性があります。たとえば「創造の喜びや苦しさ」を、現代日本(少し昔ですが)を舞台に、感動的に伝えてくれる。たんにファンや思い入れのある人のための映画ではありません。フィッシュマンズを知らない人にもおすすめです。

(以上)
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2021年12月06日 (月) | Edit |
「そういちカレンダー2022」発売中!

歴史や偉人などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています(下の画像)。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。

2014年版から制作していて、今回で9年目。このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

購入については、画像(1月)の下に。そういちへの直接注文か、メルカリで。

そういちカレンダー2022 1月見本
そういちカレンダー2022 8月見本

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③コラム 発想法・社会批評・世界史等々
④知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑤各月の日付の欄に偉人の誕生日

【カレンダー仕様】 B5サイズ,全14ページ
ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】1冊1000円(送料込み)
10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法①】そういちへの直接注文
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。

【購入方法②】メルカリでの購入
価格は同じく1冊1000円です。メルカリのサイトで「そういちカレンダー」または「偉人と歴史の話が満載 そういちカレンダー」と入力して検索すると、出てきます。

出てきた商品が販売済みになっている場合も、ほかに在庫はありますので、画面の下のほうの、「この出品者の(ほかの)商品」をクリックしてください。

(以上)
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2021年11月11日 (木) | Edit |
先月末に、東京・両国にある江戸東京博物館に夫婦で行ってきました。私は都内に住んでいるので、これはコロナ下で推奨されるようになった近場の旅行――マイクロツーリズムですね。初めて行った施設ですが、充実していて面白かったです。

この博物館は、名称のとおり江戸と東京の歴史についての展示をする施設。1993年にオープンした、バブル時代の計画らしい派手で立派な建物です(まるで「地球防衛軍」の基地)。

江戸東京博物館
江戸東京博物館

展示としては、当時の実際のモノはもちろんですが、とくに目をひくのはジオラマ的な模型や、実物大で再現された昔の暮らしです。

江戸時代の街並みや大名屋敷のジオラマがあり、庶民の長屋や昭和の2DKの団地の内部が実物大で再現されていたりする。それらが非常にていねいに、よく研究されてつくられていると感じました。

同博物館の江戸のジオラマ
江戸ジオラマ1

こういう「昔の暮らし」は、映像や写真でみるのもいいのですが、やはり現物は迫力があります。

私は「世界史研究家」を名乗っていて、いろいろな歴史書を読みますが、活字による情報のほかに「現物」を通して手ごたえやイメージを得ることは、歴史を学ぶうえで大事だと思っています。

学校の歴史の授業でも、歴史に関するさまざまなモノ(レプリカや模型で可)に触れることが、もっといろいろあっていいと思います。

たとえば、世界史なら古代文明の粘土板文書やパピルスの巻物のレプリカで、適当なものが授業で使えたらいい(あれば私も欲しい)。

さらに、中世の羊皮紙や写本、近代初期の活字本などのレプリカもあれば、「書物からみた世界史」の授業ができます。現物の生きた手ごたえをともなって、数千年にわたる人類の歩みをたどる授業になるでしょう。

話がそれてしまいました。とにかく、歴史を知るうえで博物館っていいものだということを、この江戸東京博物館であらためて感じました。

たとえば、この博物館で再現された江戸の長屋暮らしをみると、この時代にはすでにいろんな技術や工夫をこらした、コンパクトでそれなりに便利・快適な暮らしが行われていたのだと感心します。

江戸の長屋の再現
江戸の長屋の再現

長屋の各戸に水道はひかれていませんが、水道網は江戸の町じゅうにすでに張りめぐらされていました(玉川上水などによる)。水道から水をくむ井戸が町のあちこちにあって、各家庭では甕(かめ)にためた水で炊事をする。

ガスや電気はないけど、七輪や行灯などがある。あとは布団と柳行李(衣装ケース)におさまるくらいの衣類と、食器や道具箱などの最低限の家財道具。長屋には押し入れはなく、生活用具は狭い部屋の片隅に置けるくらいの量。

家のなかはミニマリストでも、町に出れば芝居や寄席や出版物による娯楽や、そば屋や寿司などの気楽なグルメや、ショッピングの楽しみがある。

これらの江戸の明るい・快適な面は、貧困や悲惨、災害や疫病などの暗い側面と隣りあわせではあったにせよ、少なくともうまく回っているかぎりは、なかなか高度な文明生活だったと思います。

しかし、これはこのように言葉にするとなんだか平板ですね。だから、やはり博物館に行って具体的なモノをみると、手ごたえをもって深く感じられると思います。

ただ、たしかに「江戸には高度の文明生活があった」と思うのですが、私はこの博物館で妻につぎのようなことも言いました。

「でも、水道が街中に張りめぐらされてあちこちに水汲み場があったといえば、2000年前のローマはすでにそうだった(江戸もローマも人口約100万人)」

「ローマ人は3階建て4階建ての石造りのアパートに住み、ひんぱんに闘技場や劇場に足を運び、パピルスの巻物の書物が書店や図書館に並んでいて、気軽な飲食店も贅沢な料亭もあって、それらは夜も営業していて…そういう都市が江戸よりも千数百年も前に世界にはあったわけで…」

妻には「またか、ここでそういうことは言わない」とたしなめられたので、そのくらいでやめました。とにかく、江戸東京博物館はおすすめです。そのうち改装で休館になるようです。

博物館のあとは、近くにある、グルメ情報で評価の高いそば屋さんへ。もりそばと熱燗でお昼にしました。いい蕎麦って美味しい。日本酒にあう。こういう外出、やっぱりたのしいですね。

(以上)
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2021年10月28日 (木) | Edit |
最近ブログの更新が滞っていますが、これは別のことに取り組んで、それにかかりきりになっているからです。数年前から取り組んでいる、本にしたいと思っている原稿(世界史の概論的な文章)を完成させる作業を、この1か月毎日やっています。

私は並行していろいろやるのが昔から苦手です。今は勤めを辞めていて、1日机に向かうこともできるのですが、そういうかなり時間のある状態になっても、「並行作業が苦手」というのは変わらないようです。あらためないといけないとは思ってはいるのですが。

私は5年前に世界史の入門的な概説書を出版しました(『一気にわかる世界史』日本実業出版社、アマゾンなどで発売中)。しかし、そこでは書ききれなかったことがたくさんあって、それをまとめたい、ぜひそれだけはやっておきたいという気持ちで、その本が出てまもなく「次の本」の原稿を書き始めました。

ただ、出版した私の本は残念ながらあんまり売れなかったので、「次の本」の話はどこからも来ていません。でも、それはあまり気にしないでとにかく完成させようと、書き進めていったのです。

なお、「売れていない」といっても、じつは出版後5年経った今もぽつぽつ売れているし、読者の評価もおおむね良好ではあります。アマゾンでの読者の評価は、2021年10月現在で12件あって平均は4.7です。8割がたの人は5点満点をくださっているのです。

そして「流れを理解させることに関しこんなに親切な本はない」「ここまでコンパクトに全体像がわかる本はない」「本当に知識ゼロで読める」などと評価してくださっています。

なかには「今まで色々な世界史の入門書、導入書を読んだが、稀にみる良書。群を抜いて良い」とまで言う方も。一方で(別の書評サイトで)「どうしてこれだけ知名度が低いのか不思議」と述べている方もいました。みなさん、ありがとうございます。

前に出した本のことはこれくらいにして、今取り組んでいる原稿のことに話を戻します。この原稿は、当初は1、2年もあれば完成できると思っていたのに、ずいぶん時間がかかっています。これはフルタイムの仕事を持ちながら書いている限界(私が勤めを辞めたのは半年前)もあったと思いますし、単純に実力不足ということもあるでしょう。

書き始めたときは、「このくらいの時間で何とかなるだろう」と思っていたけど、それは自分の知識やスキルについての楽観的すぎる見通しに基づいていたわけです。この原稿を完成させるのに「10」の力が必要だとして、自分にはそれに近い実力があると思っていたけど、実際にはせいぜい「5」か「6」くらいだったという感じが今はしています。

しかし、原稿に取り組んでいろいろ勉強や試行錯誤をしながら、実力がかなり上がったという手ごたえは十分にあるのです。

「何とか完成できるだろう」という、自分の実力をかえりみない楽観的な見通しは、本を書くうえでは大事なことだと思います。「完成できるか」ということについて、悲観的な人や慎重な人は、本を書き始めるのがむずかしいはずです。

それで、先月の時点で400字詰めの原稿用紙に換算して800~900枚くらい書いて、全体の7割くらいのところまでいっていました。でも正しくは「そこまでいったと思っていた」ということでした。

先月に今まで書いた原稿をもう一度丁寧に読みかえしてみたところ、どうも流れが良くない、硬くて読みにくい感じがしてなりませんでした。「これでいいのか?」という疑念が急速に大きくなりました。以前からその疑念はありましたが、それが確かなものになりました。

じつは勤めを半年前に辞めた動機のひとつに、この原稿を早く完成させたいということもあったのですが、にもかかわらず私は半年のあいだこの原稿をほとんど触わっていませんでした。

そういう「寝かせた」状態の書きかけの原稿を読み返して、「これはだめだ」と確認することになったのです。寝かせておいて読み返すと客観的に読めるので、自分にこうした「ダメ出し」ができたのでしょう。

それで、もう一度この原稿を最初から全面的に書き直そうと思い立ちました。もっとやわらかく、シンプルに、語りかけるように書けないか。

とにかく私のような無名の著者は、たとえば圧倒的な読みやすさ(さらに言えば「心地よく読める」)のような、ほかの本にはない特徴が必要です。すらすら読めて、しかしかなり高度な世界史論の世界に読者を引き込める、そういう知的な読み物にしたい。それにふさわしい語り口で書かなくては……

そんなことを考えながら、この1か月ほどで、それまで書いていた原稿の3分の1ほどの部分を書きなおしました。それで分量は元の原稿の6割になりました。構成もかなり変わりました。

今は、書き直しただけのことはあったと、かなりの手ごたえを感じています。やっぱり元の原稿ではダメだったなあと。

***

この書き直し作業を行っている最中に(先週のことですが)、村上春樹さんの『職業としての小説家』(新潮文庫)という自伝的エッセイ集を読みました。そこに、村上さんの「原稿の全面的書き直し」の話がのっていて、励まされました。

村上さんは30歳くらいのときに初めて書いた小説「風の歌を聴け」でデビューしました。その作品を村上さんは、当時生業にしていたジャズ喫茶の店主の仕事をしながら、夜中にキッチンで書いたそうです。それで何か月かかけていったんは最後まで書き上げたのですが、読み返すとどうもしっくりこなかった。そのときは、一般的な小説・文学の文体(と思われるもの)で書いたけど、「これじゃないな」と感じたのです。

それで書き直すために模索を始めます。そこで村上さんが行ったのは、原稿の最初の1章ぶんくらいを全部英文に訳すことでした。英文にすると(村上さんはかなり英語ができたのでしょうが)込み入った表現はどうしてもできないので、表現がシンプルになります。そして、つぎはその英文を日本語に訳していく。

すると、自分が「これだ」と思うようなシンプルで新しい日本語の文体がみえてきたといいます。そして、あとの部分はその文体によって直接日本語で書き直しを行って作品を完成させた。その作品――「風の歌を聴け」は雑誌の新人賞を取って、村上さんは作家デビューすることになりました。

「日本語を英語にして、それをまた日本語にする」というノウハウは、経済学者(地域産業論)の関満博さんの『現場主義の知的生産法』(ちくま新書)でも読んだことがあります。

関さんは、27歳のころに全力投球で書いた論文を指導教授にみせたところ、硬くて読みにくい箇所について先生から「これを一番得意な外国語に訳してごらん」と言われました。それで英語に訳したら「今度はそれを忠実に日本語に訳してごらん」と言われて日本語に直した。すると、じつに平明な文になったというのです。

「英文に訳して日本語に戻す」というのは、シンプルでわかりやすい文章を書くうえで普遍性のあるノウハウのようです。

でも、私には自分の書いたものを英文にするだけの英語力がありません。そこで「和文和訳」によって、平明な文章を生み出すしかない。それに今取り組んでいるわけです。

ノーベル文学賞の候補になるような大作家や、多くの業績を残した一流の学者と自分のことを重ねあわせるのは、気恥ずかしい感じもあります。でも、「巨匠も初級者も、仕事をうまくやり遂げるための道筋や構造は基本的に同じ」というのが私の持論です。

これまで原稿用紙で800枚書いたものを一から書き直すなんてどうなんだろう、みたいな迷いも多少はありましたが、村上さんのエッセイを読んで「これでいいんだ」という思いを強くしました。

なお同書(『職業としての小説家』)のあとがきによれば、このエッセイ集も、一度書いた原稿を全面的に書き直したものだそうです。村上さんは、以前から同書の元になる原稿を(依頼されたわけではないけど)書き溜めていたそうです。その原稿は一般的なエッセイの文体で書かれていたのですが、それを、数十人規模の聴衆に語りかける講演のような文体に書き直したのだといいます。

たしかに同書を最初に読んだとき「話し言葉のようで読みやすい」「講演を書きおこしたものだろうか」と思ったのですが、わざわざ講演のような文体で(講演はしていないのに)書きおろしたものなのですね。

村上さんは、駆け出しのときだけなく大作家になっても、やはり「文体」を模索する書き直しをしているのです。ということは、大作家ではない人間はどんどん書き直してあたりまえということです。

それにしても、まだリタイアする歳でもないのに、家にひきこもって依頼もない原稿を毎日書いているなんて(それはいつまでも続かないとは思いますが)、なんとも幸せなことだとは思います。

(以上)
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2021年09月17日 (金) | Edit |
自民党総裁選の候補者たちは、このところずっと安倍さんや麻生さんのような長老が自分をどうみているかを非常に気にしながら動いている。それらの長老が、選挙戦で大きな比重を占める国会議員票に強い影響をあたえる等のことがあるからだ。

その光景は慣れてしまったが、やはり違和感がある。

国会議員というのは、本来は「一国一城の主」ではないか。たいへんな努力で地元や党でのさまざまな基盤を築き、選挙戦を勝ち抜いてその地位についた人(またはその後継者)なのだ。

しかしその一国一城の主も、その独立性は不完全で、ほかの有力者に従わざるを得ないことがしばしばあるようだ。日本では、国会議員のあいだでの親分‐子分関係が、欧米よりも強く存在するという論説も、読んだことがある。

また、「〇〇チルドレン」のように、ほんとうは「一国一城の主」の域にまで達していないのに、長老や党の力を頼りに議員になった人もかなり存在する。

それにしても、長老の影響力は「チルドレン」レベルではなく、総裁選に立候補するような議員たちにも強くおよんでいるのである。

日本では、権力のトップに立つためには、既得権を持つ有力者のきびしい審査を通らないといけないのだ。

自民党の総裁選で、立候補するには20人の議員による推薦が必要という条件や、党員票よりも国会議員票の影響が明らかに大きいというルールは、既得権側の有力者=エスタブリッシュメントによるきびしい審査の大事な一環である。

こういう枠組みだと、急激な政治的変革は起こりにくい。

しかし、一方で危険なポピュリストが天下を取ることもむずかしいだろう。

ポピュリストとは、一言でいえば「民主主義が生んだ、反民主主義の政治家」だ。

よりくわしくは、つぎのように定義できると思う。

「現実性や長期的な持続性を軽視した、しかしかなりの大衆には受けの良い主張や政策をかかげ、民主的手続きによって権力を得て、国民の支持をバックに反対派を不当に攻撃し、メディアや司法に露骨に介入するなど、民主主義や法の支配の基礎を破壊する傾向の強い政治家」

じつは有力な政治権力者というのは、誰もが上記のような傾向を多かれ少なかれ持っている。あるいは上記のようなダークサイドへの誘惑を常に受けている。一定のところで踏みとどまる政治家とそうでない政治家がいるだけだ。

ポピュリストは、踏みとどまることなくダークサイドへと堕ちていったほうの政治家だと、私は思っている。

こういうポピュリストが今の世界のあちこちで登場しているのは、ご存知のとおり。アメリカのトランプ前大統領も、少なくとも批判的な人びとからみれば上記のポピュリストにあたるのだろう。

このようなポピュリストの台頭を食い止めるのは、おそらく「国民の良識」などではないようだ。それも大事かもしれないが、国民の良識はそれほどはあてにならないことを、世界各地の政治情勢は示している。

今のところ、ポピュリストを抑える最も大きな力は、アウトサイダーを排除する既得権側のチェックではないか。

ポピュリストというのは、基本的には既得権とは縁の薄いアウトサイダー出身である。トランプだって、大富豪ではあったけどアメリカの政治権力の世界ではアウトサイダーだった。しかし、大衆的人気で頭角をあらわし、権力を得た。

そうなったのには、共和党内でアウトサイダーを排除する選別が、十分に働かなかったことがある。

おそらくこのチェックの機能は、相当に弱っていた。トランプを支持する大衆の意向を、エスタブリッシュメントは抑えきることができなかった。

今回の自民党総裁選の様子をみると、日本ではアウトサイダー的なポピュリストの台頭ということが、いかにむずかしいか痛感する。それで、日本の政治情勢は世界のすう勢とはかなりちがうものになっている。

もちろん、大統領などのトップが国民の投票で直接的に選ばれる公選制と、日本のような議院内閣制のちがいという、政治制度の基本的なところも大きい。

しかし、政治文化も重要な意味を持っている。つまり、長老の政治家が大きな影響力を持ち、そのパワーが大衆の意向に負けないようなしくみにもなっている。さらに、それを多くの大衆が容認しているのだ。

長老たちによる、アウトサイダーのポピュリスト排除がつよく作用している日本の政治。これには一定の長所もあるのかもしれないと、最近は思う。

しかし、やはりこれでは、改革すべきことの改革はすすまない。社会の安定性は保ちながら、必要な改革もすすめられるという、いい具合のやり方はないものだろうか。そんな都合のいいことは、ないものねだりなのだろうか。

(以上)
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2021年09月10日 (金) | Edit |
アフガニスタンの歴史について勉強してみると、その凄絶な歴史に驚きます。

このような歴史を経た社会や、そこで生きる人たちをみるとき、平和に慣れた私たちの常識や尺度が通用しないことが多々あるだろうと思います。そこはいろんな意味で気をつけないといけないのではないか。それを、結論として強く思いました。

アフガニスタンという国で、なぜあれほど混迷や混乱が続くのか。

最新のニュースやレポートとは、ちょっと距離をおいて考えてみたいと思って、自分の書棚で眠っていた前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(河出書房新社)のような概説書や、ネットでみつけた記事やレポートなどを読みました。

アフガン史の本を追加したいと思ってアマゾンをみると、20年近く前に出た、関連の岩波新書(古書)が数千円にもなっている。

リーマン・ショックのときに、大恐慌のことを書いた、ある経済史の古書が高騰したことや、去年のコロナ禍のはじまりのときに、感染症史の本が品薄だったのを思い出します。

でも、そのうちアフガニスタンについては新しい本が出るでしょう。感染症の歴史のときは、そうでした。

***

アフガニスタンの混迷の背景にある要素は、基本的にはつぎの3つに集約されると思います。

①大国のあいだの「狭間の国」なので、大国間の勢力争いの舞台になりやすかった。
②大国の都合による人為的な国境線で民族間の勢力バランスが歪められて拮抗し、国がまとまりにくい。
③もともと「反近代」「反西洋」が先鋭化しやすいイスラム教の存在に加え、それをさらに強化・後押しする地元に根付いた保守的価値観。

短くいうと、
「①狭間の国で、勢力争いの舞台」
「②人為的な国境線による民族間の勢力拮抗」
「③反近代を後押しする地元の価値観」
ということです。

アフガニスタンが混乱する背景についての論説は、だいたいこれらのうちのどれかについて述べています。

まず「①狭間の国で、勢力争いの舞台」ということですが、この300~400年だけをみても、アフガニスタンでは何度も大国の勢力争いがくり広げられてきました。

1700年代までは、インドのムガル帝国とイランのサファヴィー朝の争い。とくにサファヴィー朝からは干渉や影響を受けました。しかし、1700年代後半にはサファヴィー朝やその後継の王朝と戦って、王国として独立するに至った。

1800年代の帝国主義の時代になると、南下しようとするロシアと植民地インドを守ろうとするイギリスの争い。そして結局1800年代後半には、アフガニスタンはイギリスから主権を奪われた「保護領」になります。

ただし、その後第一世界大戦でイギリスが弱っているのに乗じて、アフガニスタンは戦いを挑み、1919年には独立を回復しました。

第二次世界大戦や戦後の冷戦時代には、中立的な外交政策をとる一方、「世俗化」といって、イスラムを国教としながらも西洋の制度や技術を受け入れ、一定の発展の兆しもみえてきました。

しかし、大戦後しばらくすると隣国パキスタンとの関係が悪化して、ソ連と接近するようになりました。ソ連の影響力が強くなったことは、不幸の始まりだった。

1970年代には、ソ連が黒幕となって、社会主義系のクーデターが起こります。

一度目のクーデターでできた政権はソ連の言うことをきかなくなったので、ソ連は別の勢力に二度目のクーデターを起こさせ、社会主義政党と軍部が主導する政権が成立しました。

この社会主義政権には、反イスラム的要素がありました。そこで、多くのイスラム主義者が猛反発し、武装して反政府のゲリラ戦を展開するようになりました。

これを鎮圧しようと、1979年にソ連によるアフガニスタン侵攻が始まった。

1980年代のアフガニスタンは、ソ連軍とイスラム主義の武装勢力(ジハードの戦士=ムジャヒディンという)のあいだの戦争の時代でした。ムジャヒディンは徹底抗戦して、1989年についにソ連軍は完全撤退。

こうしてみると、アフガニスタンの人びとには、外国勢力と勇敢に戦って、負けなかった歴史があるのですね。サファヴィー朝に対しても、イギリスに対しても、ソ連に対しても。そして今回も。

その後、ソ連の傀儡政権とムジャヒディン勢力が戦って、1992年にはムジャヒディンによる政権が樹立されます。

しかし、今度はムジャヒディンのなかで主導権争いが始まり、激しい内戦になってしまいました。

ここで「②人為的な国境線による民族間の勢力拮抗」ということが、重要な意味を持ってきます。

アフガニスタンは多民族国家です。ムジャヒディンの勢力は、おもに民族を背景として各派に分かれていました。だからムジャヒディン各派の対立は、民族間の争いという面が強い。

そして、アフガニスタンの最大勢力は、パシュトゥン人という人たちですが、全体の人口に占める割合は、4割ほど。これに次ぐ民族は3割弱で、ほかに2つくらいの民族が1割弱。

こういう、民族間の勢力が拮抗する国は、なかなかまとまりません。

そして、もともとはパシュトゥン人の比率はもっと高かったのです。しかし、イギリスに支配された際に押しつけられた国境線で、パシュトゥン人の居住地域が分断され、アフガニスタン国内のパシュトゥン人がその分少なくなってしまった。これが、国がまとまるうえでマイナスに働いている。

***

80年代がソ連との戦争の時代なら、90年代はムジャヒディン各派の勢力争いによる内戦の時代です。

この内戦で、ソ連との戦争のとき以上に、社会や人びとの暮らしはめちゃくちゃになるわけです。国は無法地帯となって、暴力、破壊、誘拐、略奪が日常茶飯事となりました。

一般の市民は、「もう誰でもいいから、内戦を終わらせて欲しい」と思ったはずです。

そしてその思いが、タリバンを生みました。

タリバンは、パシュトゥン人が主流の勢力です。イギリスが押しつけてパシュトゥン人を分断することになった、アフガニスタンとパキスタンの国境周辺の地域で誕生し、勢力を伸ばしました。

それには、アフガニスタンへの影響力を強くしたいパキスタンの支援もあったといわれます。

タリバンというのは「学生たち」という意味です。アフガニスタンとパキスタンの国境周辺にあった、反西洋主義のイスラム神学校の学生たちが、母国の治安を取り戻すために武器を持って、1994年に決起したのが活動の始まりでした。

その後、タリバンの「治安回復」という目標に多くの人が共感して、タリバンの勢力は急拡大。

96年にはタリバンは首都カブールを制圧し、99年には国土の9割がたを支配しました。

追い詰められたムジャヒディン各派は同盟を結び、北部の地域を拠点としてタリバンと戦いました(「北部同盟」といいます)。

国の支配者となったタリバンの政権は、彼らのイスラム解釈に基づいて、女性の自由を奪い、報道や芸能といった表現活動を制限するなど、生活全般をつよく規制しようとしました。そして、これに反発する人たちをきびしく弾圧したのでした。

一方、タリバンには政治の経験が皆無で、政治・行政をうまく回すことができず、社会はなかなか安定しませんでした。

そして、2001年9月11日には、アメリカで同時多発テロが起こります。

このテロの首謀者であるアラブ系テロリストのビンラディンは、当時アフガニスタンを拠点としていたので、アメリカ政府はタリバン政府に引き渡しを要求しましたが、タリバンは拒否。ビンラディンは自分たちの「客人」だから渡せないという。

2001年10月には、「テロとの戦い」をかかげたアメリカとその同盟国によるアフガニスタンへの空爆と地上軍による侵攻が始まりました。

この攻撃でタリバン政権は崩壊し、アメリカなどの駐留軍の後追しで、タリバンと戦っていたムジャヒディンたちの政権が成立しました。

しかし、タリバンは地方に潜伏して力を蓄えていました。2004年にイラク戦争が始まって、兵力がそちらに割かれるなど、アフガニスタンでの駐留軍が縮小するにつれ、タリバンの勢いは増していきました。

その後、2019年にはトランプ大統領が近い将来におけるアフガニスタン駐留軍の撤退を決定。

バイデン大統領もそれを受け継いで、2021年4月に、9月には駐留軍が完全撤退すると発表しました。この時点でタリバンはかなり勢力を盛り返していましたが、「アフガニスタンの政府軍も育ってきたので、当分は大丈夫だろう」という読みでした。

しかし、この発表後、タリバンは急速に勢力を拡大し、2021年8月には首都カブールを制圧。9月までには国土のほぼ全てを掌握してしまった。

駐留軍が支えたアフガニスタンの政府はひどく腐敗していて、政府軍もじつはまともに育っていなかったことが、これ以来広く知られるようになりました。

***

タリバンは、ほんとうにしぶといです。そのしぶとさの背景に「③反近代を後押しする地元の価値観」があると、かなりの専門家は指摘しています。

もともとイスラム教徒のあいだには、西洋の価値観や法を受け入れることへの根強い反対意見がありました。

イスラム教というのは、神の教えに基づく「イスラム法」で国家や社会を律する宗教です。キリスト教や仏教では、そういうことはありません。これらの大宗教では、宗教が個人の内面や家族生活には深くかかわっても、社会全般を規制することはないのです。

そのような「宗教で国をつくる」発想がイスラム教には強くあるので、西洋的な法や価値観とはするどく対立する面が、本来的にありました。

イスラム世界において、西洋との妥協点をさぐっていこうとする立場も有力ですが、それが絶対許せないという人たちもいる。

タリバンは、その「許さない」という立場の極端な例です。

そして、タリバンがしぶといのは、イスラムのなかにある「反西洋」に加え、女性蔑視のようなタリバンの価値観を後押しする、地元パシュトゥン人の保守的な価値観があるからだともいわれます。

パシュトゥン人のあいだでは、「外部の敵と徹底的に戦う」「ときに残酷な復讐も辞さない」「女性は家にいるべき」「客人は厚くもてなす」「大事なことはムラの寄合で決める」等々の、いかにも辺境のきびしい土地らしい価値観が残っているというのです。

この価値観は、タリバンの主義主張とおおいに重なっています。そして、腐敗した政府への失望とともに、タリバンの復活を後押しする要素になったのではないか…

うーん、ほんとうに根深い・むずかしい問題がいろいろあるようです。

以上のことは、別ブログ「そういち総研」でも、よりくわしい形でまとめましたので、ご覧いただければ幸いです。

その記事→そういち総研・アフガニスタンの歴史

でも、この記事でもそれなりに説明していますね。最初はもっと簡単に書こうとしましたが、結局かなり長くなってしまいました。

(以上)
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2021年09月08日 (水) | Edit |
北斎づくし展
「北斎づくし」展

先日、東京ミッドタウン・ホール(六本木)で開催された「北斎づくし」展を妻と2人で見てきました。葛飾北斎(1760~1849)の作品展。

このところ素浪人(無職)生活で、家にこもって机に向かう日々なので、たまにこういうことで出かけるのは、たのしい。

ネットで予約した入館時間の頃に、会場入り口へ。こういう予約制のイベントは、すっかり慣れました。会場がごったがえしていないのはいいけど、いいかげん平常時の、気ままな時間で入れるイベントがなつかしくなってきました。

この企画展の目玉は、『北斎漫画』の全ページを展示したことです。ほかに「富嶽三十六景」46図と『富嶽百景』102図のすべても展示しています。

『北斎漫画』は、今でいうマンガではなくて、「漫然と描いた気楽な絵」という意味。さまざまなイラストを描いたカット集といえるもの。それがモノクロの木版画で冊子になっています。

人物は庶民から高貴な人、歴史上の人物まで描いていて、いろんなポーズや表情も。そして建物、風景、生活用品・道具類、架空のものも含めた動植物、さまざまな文様も…身近なものから珍しいもの・空想上のものまで、森羅万象を描いた、ほとんど博物学の図鑑といっていい感じ。

北斎漫画 見開き
『北斎漫画』の一部

このぼう大なカット集を、北斎は全国にいた自分の弟子への「手本」として描きはじめました。なかなか会えない遠隔地の弟子に「これをみて勉強しろ」ということです。

それで1冊目を出版したところ、大好評につきシリーズ化された。当時の江戸では、木版印刷による出版や、書店での販売ということが普及していて、庶民でも(多少余裕があれば)本を買うことができました。

『北斎漫画』は15編(15巻)まで出ています。1巻は40~50ページくらい。それが15巻なので全部で数百ページ。カット・スケッチの数は、数え方にもよるのでしょうが、全部で3600点。そのすべてを展示していたわけです。

こういうシリーズものは、ふつうは「これだ」という、ごく一部のページを展示するだけですが、この企画展では全ページ。

そのことによって、北斎の絵に対する圧倒的な情熱や探究心、幅の広さなどを、手ごたえをもって感じることができる。

そういうねらいがあったのでしょうが、まさにその通りだと思いました。ポイントやハイライトだけをみるのではわからないことが、やはりあるのだなあと。

そして、全15巻のすべてのページを展示するには、見開きの展示なので、各巻のページ数の半分ほど(20~30)の冊数の、同じ本をくりかえし並べるわけです。同じ本がそれだけの数ないといけない。

この展示では、『北斎漫画』の全巻をそれぞれ100冊くらいは集めた、浦上満さんという美術商のコレクターがいて、その所蔵品を借りているのだそうです。すごいマニアと展示をつくった人たちのおかげで、いいものを見ることができました。

北斎漫画展示
『北斎漫画』の展示、これで1編(1巻)分

***

そして、この『北斎漫画』を彼が描きはじめたのは、53歳になってからのこと(第1冊の出版は55歳)。『北斎漫画』の大ヒットは、彼をメジャーな人気作家に押し上げました。もちろんすでに評価は得ていたのですが、さらに飛躍したということです。

今回の企画展で「そうだったのか」と感心したのは、北斎の画業において50歳くらいまではじつは助走期間であって、全面的に開花するのは60代以降だったということです。

北斎の一番有名な作品である『富嶽三十六景』やそれに準ずる『富嶽百景』は、70代前半の作品です。代表作を70代で描いているわけです。

私は北斎の評伝を少し読んだことがあるので、それを知らないわけではなかったのですが、今回の展示では、作品現物を前にしてそのことを感動的に再認識しました。

これは、老大家が熟成したいい作品を高齢になっても残しているというものではない。

「三十六景」では、これでもかこれでもかと、アイデアや技巧を凝らした緻密な作品を大量に繰り出している。それでもう十分だろうと思うのですが、「三十六景」のあとまもなく、今度は同じ富士山ネタで「百景」です。

現代の画業の人でたとえるなら、宮崎駿さんが70歳すぎて、生涯で最もたくさんの動画を使って、新しいアイデアや面白いシーン満載の代表作をつくったという感じです。あるいは、大友克洋さんが70歳で代表作の『アキラ』を描いたということ。

これは歴史に残る巨匠としては、異例かもしれません。たいていの偉大なクリエイターは、50歳くらいまでには後世に残る重要な仕事を成し遂げているように思います。

宮崎駿さんが50歳で死んでいたとしても、「もののけ姫」やそれ以降の大ヒット作はなくても、「ナウシカ」や「トトロ」は残るわけです。

黒澤明監督も、50歳までに「羅生門」「七人の侍」などの、とくに有名な代表作はつくっています。

建築家のル・コルビュジエは、第二次世界大戦後の60代以降に大きな代表作をいくつも残しましたが、戦前の40代までの革新的な作品や著作だけでも、近代建築の歴史に名を残したのではないかと思います。一般に広く知られるほどではなくても、建築に興味のある人たち(世間にはかなりいる)のあいだで知られた存在になっていたはず。

しかし、北斎がもしも50歳で死んでいたら、現代では浮世絵研究者のような特殊な人しか知らない絵師で終わっていたということです。

まあ、たしかなことは言えないですが、展示をみたあと、ぼんやりとそんなことを考えました。

***

そして、もうひとつあらためて思ったのは、北斎という、日本人としては世界で最も評価される芸術家が、同時代の日本においては、あくまで「サブカルチャーの職人」だったということ。

江戸時代の本格的な芸術(ハイ・カルチャー)としての絵画の主流は、あくまで武家の権力が支えた中国式の絵画でした。そういう「芸術」の側からみれば、北斎の絵がどれだけ庶民にもてはやされようと、くだらないサブカルにすぎなかった。

これは、北斎などの浮世絵についての基礎的で大事な前提です。

しかし、その「サブカル」の作品に、のちに世界が高く評価する革新的な発想や高度の技巧が注ぎ込まれていたわけです。

庶民に向けて「量産」された作品を中心とする今回の企画展をみて、そのことを強く感じました。

それにしても、サブカルが、いやサブカルこそが世界でとくに高く評価されるという構図は、今の日本でも同じですね。

日本では権威筋に認められようとすると、内向きで優等生的になってしまって、本当の革新や創造性から遠ざかってしまう傾向が、とくに強いのかもしれません。

だから、創造のエネルギーが文化のなかで周辺的とされる所で開花することが目立つのではないか。まあ、最近は変わってきているのかもしれませんが…そんなことも思いました。

(以上)
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