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 (2014年7月6日記す)


そういち自画像
      著者そういち自画像

ブログ「団地の書斎から」のテーマ

団地の小さな書斎で、たまには「大きなこと」について考える。

世界史の大きな流れ。時代の変化。政治経済などの世の中のしくみ。そして、時代や社会をつくった人びとの生きかた。
    
自分のアタマで考えること。「考え」を文章でどう表現するか。
  
古い団地をリノベして暮らしています。「リノベと住まい」もテーマのひとつ。暮らしの中の小さなたのしみについても。 
    
これらをわかりやすく・ていねいに書きたい。


●著者「そういち」について

社会のしくみ研究家。「文章教室のセンセイ」「団地リノベ研究家」も兼ねる。1965年生まれ。東京・多摩地区の団地で妻と2人暮らし。
大学卒業後、運輸関係の企業に勤務し、事業計画・官庁への申請・内部監査・法務コンプライアンス・株主総会などを担当。そのかたわら教育研究のNPOに参加して、社会科系の著作や講演で活動。その後、十数年勤めた会社を辞め、独立系の投資信託会社の設立に参加するが撤退。浪人生活を経て、現在はキャリアカウンセラーとして就職相談の仕事を行っている。
社会や歴史に関し「多くの人が知るに値する・長持ちする知識を伝えること」がライフワーク。 


●そういちの著書
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団地の書斎のそういち
撮影:永禮賢
2019年10月23日 (水) | Edit |
デヴィッド・グレーバーという文化人類学者がうち出した「どうでもいい仕事」という概念がある。bullshit jobsという英語の訳だが、「要らない仕事」と言ってもいいかもしれない。

彼によれば、今のホワイトカラーの仕事の多くが「どうでもいい仕事」である。たとえば管理職、人事・広報・コンプライアンス(法令順守)の部署、コンサルタント、金融関係のプロたち……これらの多くはそれにあたる。

そして、こうした仕事に就く人たちは本音では「自分は人の役に立っていない」と感じている。それを示すアンケート結果もある。にもかかわらず、高給をもらっていたりする。

現代社会では「どうでもいい仕事」は増えているのだという。グレーバーは、美術の世界はひとつの典型だという。昔はアーティストと画廊のオーナーがいただけだったが、今はキュレーターなどのやいろんな専門家が美術作品の取引に関わっている。

たしかにそうだ。昔はコンプライアンス部なんて会社にはなかった。人事や広報のスタッフはもっと少なかった。こんなにさまざまな分野のコンサルタントはいなかった。

今の社会は「どうでもいい仕事」「要らない仕事」が蔓延しているのだ。

そして、自分の仕事をむなしいと感じる高給取りが多くいる一方、社会に必要な、ニーズの高い仕事をする人たちが不遇な目にあったりしているのではないか。

グレーバーも言うように、生産現場などのブルーカラーの仕事は、この何十年かで効率化がすすんで「どうでもいい仕事」はあまり存在しなくなった。しかしその現場では多くの非正規社員が働いている。

医療や介護の現場は、いつも人手不足。本来なら「どうでもいい仕事」が存在する余地はないはずだが、いろんな記録や打ち合わせなどの業務負担が大きく、本来の業務にしわ寄せが生じることもあるという。記録も打ち合わせもたしかに必要な仕事だが、やりすぎると「どうでもいい仕事」の側面が生じてしまう。

なんだかまずい状況だ。

なお、グレーバーの「どうでもいい仕事」に関する著書は、まだ日本語版が出ていない。私は、大野和基によるインタビュー集『未完の資本主義 テクノロジーが変える経済の形と未来』PHP新書(グレーバーへのインタビューが収録されている)で、この概念について知った。

(以上)
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2019年10月22日 (火) | Edit |
今日の即位に関する儀式のなかで、天皇は憲法と皇室典範特例法に基づいてご自身が即位したことをまず述べられた。

平安時代の装束を着た人が「憲法」や「特例法」といった近代的な枠組みのなかで存在している。何ともいえない、不思議や驚きのようなものを感じた。

1000年ほど前の平安時代に主な部分が形成された伝統が、博物館のなかではなくて、今現在の国家の生きたイベントとして姿をあらわしているのだ。

しかし、今の世界のさまざまな国家・社会というのは、みなそうなのだとも思う。つまり、近代的な原理で日常は動いているけれども、古い層の部分を掘り起こすと、近代とは遠く隔たった古い要素が存在している。

たとえば近代に建国されたアメリカ合衆国でさえそうだ。大統領の就任式では、「神よご照覧あれ」という決まり文句が出てくる。神とはキリスト教の神だ。教義の中身はいろいろ変遷をたどったとしても、古代ローマ帝国の時代以来、2000年の歴史を持つ信仰における神。近代的な人工国家アメリカの古い層にも、古代以来の神が存在しているのだ。

長い歴史の積み重なりのうえに、私たちはいる。

とにかくこれは日本だけのことではない。今日の儀式を報道でみた世界の人たちのなかにも、自分たちの古い伝統について思った人がいたはずだ。

ただ日本の儀式は、とくに純度も完成度も高いかたちで「古い伝統」ということを示している。その意味で、世界のなかでやはり特別なものではあると思う。

(以上)
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2019年10月15日 (火) | Edit |
台風19号の被害について、テレビのニュースでいろいろと報じている。ずっとみていると悲しくつらいので、チャネンルを変えることもある。

これからの日本では、台風やその他の自然災害は、さらに増えていくのだろう。そこには温暖化などの世界的な気候変動がかかわっているという。年に何度か「スーパー台風」が日本を襲うようになるとしたら、「災害の時代」がやってくるということだ。

「災害の時代」への対処として、政府は防災のためのさまざまな建設や投資を行う必要がある。しかし、これからの日本に、そのための財政的な余力があるのだろうか?

テレビでは、ある専門家が水害防止について「すべての河川に十分なハードを備えることは無理だ。だから、組織運営や人びとの行動、つまりソフトで対応するしかない」と言っていた。

たしかにそうかもしれない。しかしその「ソフト」の肝は「しかるべきときに避難する」ことだという。ということは、避難が終わって家に戻ったとき、家が泥に埋まっているのもやむを得ないということなのだろう。

うーん、それじゃあ困るなあ……命は助かるとしても自宅の浸水は防げないんじゃ、安心して暮らせないなあ……

いつ災害にあうかわからないような場所には、やはりできれば住みたくない。これからの日本では、災害に強い安全なエリアの地価や家賃は相対的に上がっていくのではないか。一方で、災害リスクの高いエリアの地価は下がっていく。なおこれは、おもに都市部でのことを言っている。

もちろん、災害への安全度が地価に影響することは従来からあるのだが、今後は一層拍車がかかっていくということだ。水害や地震の被害に関する「ハザードマップ」が地価に与える影響は、今後ますます強くなる(ということは、ハザードマップが経済的利権に深くかかわるようになるということで、ややこしい問題を生むかもしれないが、ここでは立ち入らない)。

その行きつく先は、都市のなかで安全なエリアは富裕層ばかりが住み、危険なエリアは庶民・低所得者が住む、という「分断」だ。

そして、危険なエリアに住む庶民は、それに適応したライフスタイルを選択するのかもしれない。それは「限られたモノで暮らす身軽な生活」である。

江戸時代の長屋に住む人びとは、家具や食器などの家財道具への関心が薄かったという。だからたいていの人は「ミニマリスト」のような暮らしをしていた。それは貧しかったからというだけでなく、江戸では頻繁に大きな火災があったからだともいわれる。いつ火事で燃えてしまうかわからないから、モノをためこんでも意味がないという価値観が定着したということだ。

そのような説明がほんとうに正しいかどうかは、立証が難しいところもある。だがともかく、「少ないモノで暮らす」のは、災害が頻発する状況では合理的な選択だろう。

極論だが、住んでいるところが賃貸で、スーツケースひとつに家財道具がすべておさまってしまうくらいだったら、それを持って避難すればかなり安心だ。もしも家が浸水や倒壊ということになっても、ダメージは少ない。

未来の日本では、防災上安全なエリアには金持ちが、危険なエリアには貧しい人ばかりが住むようになり、危険エリアでは、江戸の長屋暮らしのような「ミニマリスト」の生活がスタンダードになっている……

日本がそのような「分断」社会になるのはイヤだが、十分あり得ることではないだろうか。

(以上)

別ブログ「そういち総研」の新しい記事も、アップしました。
日本と世界の文化で創造の活力が低下している?

今年みたいくつかの展示・作品……工事中の新国立競技場、高畑勲展、建築家のアアルトやル・コルビュジエ、現代芸術のトム・サックス展などをみて考えたことをまとめています。当ブログの過去の記事も使い、そこにいろいろ加えたもの。
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2019年10月10日 (木) | Edit |
先週末にやっと高畑勲展(東京国立近代美術館)をみてきました(10月6日に終了してしまいましたが)。「ハイジ」「火垂るの墓」などで有名なアニメーション監督の仕事を回顧する、大規模展。

この展示をみてあらためて気が付いたのは「高畑監督は今の日本のアニメでおなじみの、生活を緻密に描き出すアニメの発明者だった」ということ。それは高畑1人によるものではないが、その業績の中心にいたということ。

その発明は1970年前後の頃(1960年代末から1970年代前半)のことだった。野心作だったけど大コケした映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968)から、『アルプスの少女ハイジ』(1974)にかけてのこと。「ホルス」は高畑の初監督作品。「ハイジ」は初めて(事実上の)監督として手がけたテレビシリーズで、こちらは大ヒットした。

「生活を緻密に描き出すアニメ」は、「ホルス」が先駆で、「ハイジ」によってかたちになり、みとめられるようになったといっていい。

それまでのアニメはあくまで子ども向けで、リアルさ、緻密さの要素は弱かった。たとえば銃や車が出てきたとしても、マンガ的・抽象的な「銃」「車」である。しかし、高畑勲やその周辺の人たちは、具体的なブランド・商品がわかるようなモノをアニメに登場させた。

高畑が演出の1人として参加した、最初のテレビシリーズのルパン(1971)はまさにそうだった。ルパン三世が持つのはワルサーP38という、実在の銃である。運転する車もフィアットの実在するタイプのものだったり。(この点については、当時の「ルパン三世」のチーフアニメーター・大塚康生の著作『作画汗まみれ』文春ジブリ文庫による)

ハイジにしても、「ロケハン」といって、スイスのアルプスにスケッチや撮影に行って、綿密に取材したうえで作品の舞台をつくりあげた。そんなことをテレビマンガで行うなど、当時は常識外だった。そしてそれは、当時は認識されていなかったが、世界の最先端でもあったのだ。

なお、「ホルス」は、北欧をモデルにした世界を舞台とするファンタジーだが、村人の暮らしの様子が、ロケハンこそしていないものの、かなりリアルに描かれている(今回の展示で再確認した)。そのときの試みを「ハイジ」でさらにつきつめていったのである。

今の日本のアニメで傑作とされるものの多くは、高畑監督とその仲間が築いた「緻密な生活描写」の土俵のうえで行われた仕事だ。たしかに精緻化はすすんだ。ものすごく細かくリアルに、また美しく描かれた東京の街や地方都市や学園の風景などが出てくる。

しかし一方で、今から半世紀前の若いクリエイターたちによる革新を大きく超えているわけでもないように思う。「進歩」「発展」はあるのだけど、フロンティアを開拓しているという感じではない。その開拓は高畑監督たちの時代でおわってしまった。「生活を緻密に描き出すアニメ」は、もう見飽きるほどおなじみになった。

こういうことは、日本文化のほかのジャンルでもいえるのではないだろうか。

つまり、創造の活気がこの30~40年で落ちたということだが、それは日本だけでなく欧米でもいえると思っている。これは世界的な現象ではないか。音楽とか美術とか建築とか、ほんとうにそうなっている。

それぞれの分野に詳しい人なら、思い当たるところがあるだろう。つまり、基本的なアイデアはかなり前に出尽くしていて、今の作り手は過去の遺産を精緻化したり、組み合わせたり、崩したりして、自分たちのオリジナリティをどうにかして出そうとしているのだ。

(以上)

別ブログ「そういち総研」の記事も最近また更新しました
大人のための世界史の勉強法

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2019年09月29日 (日) | Edit |
さきほど、私の別ブログの「そういち総研」に、つぎの記事をアップしました。

以下をクリック
久し振りの「怒れる若者」 グレタ・トゥンベリさんの演説

国連での環境関連の会議で大人たちを痛烈に批判した、グレタさんについて。

グレタさんが主題としたのは地球温暖化のことだけど、私が目をみはったのは「こんなふうに強いトーンで怒っている若者が登場して、それが広く話題になったのは久しぶりだ」ということ。

この30年くらい「怒れる若者」というのは下火だった。でも、潮目が変わってきたのかもしれない。そんなことを書いています。ご覧いただければ幸いです。

こういう、時事評論的なものはこれまではこの「団地の書斎」にのせてきたのですが、今回は「そういち総研」のほうにしてみました。

(以上)
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2019年09月22日 (日) | Edit |
この2週間ほどは別ブログの「そういち総研」の記事の更新をすすめています。10本近く記事をアップしたでしょうか。書きためていた原稿を初めてアップしたものもありますし、当ブログで以前にアップした記事を加筆・修正したものもあります。いずれも数千文字以上のかなりの長文なので、こちらのブログではなく、「そういち総研」のほうにあげています。

こちらのブログ「団地の書斎から」のほうは更新が滞っているのですが、最近は結構けんめいに机に向かって書くことに取り組んでいます。

私はかなり時間をかけて記事を書くほうです。長文の数千文字の記事だと、数時間か、あるいは10時間以上かかる。1万文字2万文字の記事もありますが、それだと何十時間とか(あるいはそれ以上)かけていると思います。これは、リサーチ・勉強の時間も含めてです。

何かで読んだ話では、ブログの記事というのは1本30分か、せいぜい1、2時間で書くもののようです。それにくらべるとまったく生産性が低いなあとあきれます。

私には高い生産性でブログを運営するセンスがまるでないようです。お客さんのアクセス数は、何年経っても初心者レベル(そのなかで訪れてくださる読者のみなさま、ありがとうございます)。

でも、とくにかく読むに値する記事を、しっかり書いていきたい。読むこと・書くことはやはり楽しく、やりがいがある。とはいえ、ブログとしてはもう少しおおぜいに読んでいただきたいので、このままではまずいなあという感じもあります。具体的にははっきりしませんが「生産性を上げる」ということなんでしょうね。

「そういち総研」トップへはこちらをクリック
そういち総研


今日アップした最新の記事。当ブログの以前の記事を大幅加筆。かなり手ごたえあり。読んでいただけるとうれしいです。
壁をつくってきた歴史

このブログ「団地の書斎から」を始めたばかりの頃の記事を改定したもの。思い入れのある記事です。
近代人の典型 ベンジャミン・フランクリン

(以上)

2019年09月08日 (日) | Edit |
2019年10月26日(土)に西新宿で下記のセミナーを開催します。今回で6回目。半日(4時間)で世界史5000年の流れを一気にみわたすというもの。

高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ(これまでにも高校生とお父さんの参加がありました)。参加費は3500円、ただし親子参加の場合親子2人で6000円。

親子・高校生も
5000年を半日でみわたす・大人のための
世界史「超要約」セミナー

●日時
2019年10月26日(土) 
12:30~16:30(12:15開場)

定員9名 予約制 

講師:このブログの著者・そういち
プロフィールは下記に

●会場
新宿・ノマドカフェ 「BASE POINT」(ベースポイント) 2F D
東京都新宿区西新宿7-22-3
*地図は下に

●参加費
3500円
親子参加は2人で6000円(子どもさんが成人・社会人でも) 
当日支払い、フリードリンク付き

●お申込み・予約制です
メールにて so.akitaあっとgmail.com まで。(「あっと」は@に変換)
その際お名前(ハンドルネーム可)をお知らせください。
返信は翌日になることがあります。

イベント告知サイト(こくちーず)からも申し込みできます
こくちーず

会場(ベースポイント)地図
ノマドカフェ地図
JR新宿駅西口より徒歩8分
丸の内線西新宿駅より徒歩6分
大江戸線新宿西口駅より徒歩11分

ベースポイント
BASE POINT(会場)

世界史セミナー2018年3月24日その2
本セミナーの様子(2018年3月)

***

●講師プロフィール
そういち:社会のしくみ研究家。1965年生まれ。企業勤務のかたわら社会科系の著作やセミナーを行う。
著書は『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)のほか『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン、電子書籍)など。このほか、以下で世界史関連の記事を監修。雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)2017年10月号「大人の学び直し 経済&歴史」特集
ムック『おとなのための教養入門』(プレジデント社、2018年7月刊)

***

世界史の勉強がむずかしいのは、対象範囲が非常に広いからです。膨大な国や民族が出てきますが、学校の教科書では、それらをできるだけ幅広く扱おうとして詰め込みすぎています。

そこで、大人が世界史を学ぶ場合は、つぎのことが大切です。

①大まかな時代と出来事をおさえる
細かい年号や固有名詞にとらわれず、まずはざっくりと。

②それぞれの時代の中心的な大国をおさえる
世界史では時代ごとに繁栄した強国・大国があります。古代ギリシア、ローマ帝国、中国の王朝、イスラムの帝国、大英帝国、アメリカ合衆国など……それらを追いかけていくと、世界史の流れがつかめます。

以上の方針で、
古代から現代までの世界史5000年の流れを、半日で一気にお話しします。

本セミナーによって、アタマのなかの断片的な知識が「ひとつの物語」としてつながっていくでしょう。世界史の本を読むための基礎知識も養えます。

世界史は自然科学と同様に、世界の成り立ちについての基本的な学問です。また、政治・経済や美術など、さまざまな教養の基礎になっています。

どの分野の本を読んでも、世界史の知識があるのとないのとでは理解が大きく違ってくるでしょう。

こんなふうに世界史は「役に立つ」ことも多いですが、それ以前に知る喜びのある分野です。世界史を学ぶ最大の効用は、単に「楽しいから」と言ってもいいのです。

「大人のための」世界史セミナーですが、高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ。若い人にこそ、受験のためだけではない「大人の世界史」を。

***

最後に、昨年度の本セミナーでお父さんと参加された高2男子の方の感想

世界史については“カタカナが多くて教科書も時間軸がややこしくて頭に入ってこない”と感じていたとのこと。これはほとんどの人にとって、そうでしょう。

でも“このセミナーを聞いているうちに先入観を捨てて、少しずつ好きになることができました。特に文化などが国から国へと移り、新しくなっていく過程が気になったので、これから調べてみて、親しくなっていこうと思います。本当にありがとうございました”とのことでした。

こちらこそ、ありがとうございます。みなさまとお会いできることをたのしみにしています。

プレジデントウーマン地図
世界史上の繁栄の中心の移り変わり
『プレジデントウーマン』2017年10月号より

(以上)
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2019年09月01日 (日) | Edit |
大規模な抗議デモが続く、最近の香港。香港人の犯罪の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能とする、条例の改正(「逃亡犯条例」改正)への反対から、このような抗議活動が起こった。

香港の人たちが「逃亡犯条例」改正に反対するのは、香港の法治がそれで失われるのを恐れるからだ。このことについて、抗議活動の中心の1人である周庭(アグネス・チョウ)さんが、今年6月の明治大学での講演で、わかりやすく説明している。(ハフポスト日本版2019年6月12日「香港が想像できない場所になる」 “民主の女神“が訴えた、逃亡犯条例の危険性)

「逃亡犯条例」改正によって香港はどうなるか。周庭さんは、こう述べる。

“自由や権利の保障、司法の独立が全部無くなります。私たちの身の安全すら保障されない場合があります。なぜ香港は外国からの観光客が多く、外国の企業も多いのでしょうか。香港には国際金融都市という地位があるからです”

“なぜその地位があるかというと、1国2制度という制度があって、私たちは法治社会であり、司法の独立や公平な裁判が行われる場所なので、外国の人も安心して商売ができる場所なんです。でも、この特別な地位は無くなるかもしれません”。

“今デモに参加している香港人は、可決されたら香港はもう香港じゃないというか、私たちが想像できない場所になるかもしれないという考えを持っています”

周庭さんは8月30日の朝、香港警察に逮捕され、夜には釈放されたそうだ。テレビのニュースをみていると、彼女は釈放後のインタビューで「今闘わないと香港は死ぬ」「逮捕は怖くない、当局に殺されることが怖い」ということを語っていた。

そこには危機感というより悲壮感が漂っている。市民運動といわれるものでは「今は深刻な危機だ、立ちあがろう!」ということが叫ばれるものだが、深刻さをおおげさに言っているんじゃないかと思えるケースもないわけではない。しかし今回の香港は、ほんとうに深刻なのだ。今までの、法治に支えられた自由が社会から失われようとしている。香港が香港でなくなろうとしている……

今の香港の状況は、ときどきひきあいに出される、1989年に中国本土でおこった天安門事件(民主化を求める若者らの運動に対し中国当局が武力を用いて、多くの死傷者が出た)のときとは大きくちがう。天安門事件のときは、自由や民主主義が成立していない発展途上国での民主化要求だった。しかし香港では、イギリス統治時代から形成され、すでに社会に根付いた法治や自由が失われようとしているのである。ただし、基本の構図がちがうといっても、香港でも天安門事件のような中国政府の武力介入は、十分起こり得るだろう。

私たちが「自由を求める抗議活動」で思い浮かべるのは、ふつうは天安門事件のときのような「発展途上国型」のものだろう。これに対し、今回の香港のように、すでに自由が根付いていた社会で、それが失われる危機に直面して抗議が起こるというパターンは、「先進国型」といってもいい。

「先進国型」の政治的な抗議活動がこんなにも深刻なかたちで行われるというのは、じつは私たちにはなじみのないことだ。

欧米や日本で一般に行われる政治的な抗議活動には、今回の香港ほどの深刻さはない。「我が国は民主主義からは程遠い独裁国家だ!」と批判する人も、じつは自由の根本が自国から失われることはないとタカをくくっているところがあると思う。しかし香港の人たちは、法治を否定した正真正銘の独裁国家である、今の中国にすべてを支配されるという恐怖に直面しているのだ。

今までの世界では、人びとが独裁的な国家から自由を勝ち取ろうとする戦いが繰り返されてきた。それはこれからも続くだろう。しかしその一方で「これまでの自由が失われることへの抵抗」が、世界のあちこちで起こるかもしれない。要するに先進地域での「自由の後退」ということだ。

もしそうだとすれば、香港はそのような世界的な「自由の後退」現象の先駆けとなるのだろう。その意味で、今の香港で起こっていることは、世界史の最先端なのではないか。

今の世界では、中国のような自由に制限のある独裁国家が、巨大な経済力で世界に影響を与えるようになった。そして、中国との経済的な関係に配慮してか、日本や欧米諸国の政府が香港の抗議活動を援護するという動きはあまりみられない。

20、30年前の世界では、大きな経済力を持つのは自由や民主主義が発達した、欧米や日本などの先進国だけだった。もしもその当時、今の香港のようなことがあったら、圧倒的なパワーを持つ先進国側が中国をけん制することも期待できただろう。しかし今ではそういう構図はかなり崩れてしまった。自由や民主主義を原則とする国家の相対的なパワーは衰えている。それが世界的な「自由の後退」のベースとなり得る。

そしてほんとうの「自由の後退」ということに、まだ私たちは慣れていない。そのせいか、香港についてのマスコミの報道も「この混乱はまだ当分続きそうです」みたいなしめくくりで、ずいぶん能天気だったりする。周庭さんたち香港市民の悲壮感をわかっていない。あの人たちは「混乱」などではなく「自分たちの世界の崩壊」に直面しているのだろう。

(以上)
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2019年09月01日 (日) | Edit |
別ブログで「そういち総研」というのを、昨年開設しました。こちらの「団地の書斎から」よりも長文の論考的なものを載せています。

以前は当ブログに1万文字を超えるような記事も載せていたのですが、それは「そういち総研」のほうで、ということにしました。「そういち総研」は今のところ世界史関連ばかりですが、そのうちほかのテーマの記事も載せるかもしれません。

その「そういち総研」に、昨日新しい記事をアップしました。ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(上・下)』(河出書房新社、2016年)という世界史関連のベストセラーについて批判的に取り上げたもの。

この本はおおいに売れました。この本の「文明によって人類は幸せになったのか?」という問いかけや「農業は詐欺だ」といった文明批判の主張に驚き、感銘を受けた人がおおぜいいたようです。

しかし、こういう文明批判は、1700年代の思想家ルソーも述べている古典的なもので、そんなに驚くようなものではありません。ルソーの『人間不平等起源論』には「人類を堕落させたのは鉄と小麦」という、文明の根本を批判した、思想史では有名なフレーズがあります。

しかし、農業という文明の根本を否定する「反常識」の主張は、文明の問題について真剣に考えたいという現代人の多くの人たちに訴えるものがあった。たぶん、そこに「学校で教わった月並みな常識を超える真理がある」と感じたのでしょう。

でも、私のような「文明の問題は、文明で解決するしかない」と考える人間からみると、「農業は詐欺だ」的な主張こそ月並みなものに思えてなりません。また、文明がもたらした成果についての過小評価や歴史上の事実についての無理な解釈も『サピエンス全史』のなかに感じます。

以上について、数千文字でやや詳しく書いています。以下の記事、お読みいただければ幸いです。

ルソー的文明批判の現代版←こちらをクリック

そういち総研トップページ

(以上)
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