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2030年01月01日 (火) | Edit |
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 (2014年7月6日記す)


そういち自画像
      著者そういち自画像

ブログ「団地の書斎から」のテーマ

団地の小さな書斎で、たまには「大きなこと」について考える。

世界史の大きな流れ。時代の変化。政治経済などの世の中のしくみ。そして、時代や社会をつくった人びとの生きかた。
    
自分のアタマで考えること。「考え」を文章でどう表現するか。
  
古い団地をリノベして暮らしています。「リノベと住まい」もテーマのひとつ。暮らしの中の小さなたのしみについても。 
    
これらをわかりやすく・ていねいに書きたい。


●著者「そういち」について

社会のしくみ研究家。「文章教室のセンセイ」「団地リノベ研究家」も兼ねる。1965年生まれ。東京・多摩地区の団地で妻と2人暮らし。
大学卒業後、運輸関係の企業に勤務し、事業計画・官庁への申請・内部監査・法務コンプライアンス・株主総会などを担当。そのかたわら教育研究のNPOに参加して、社会科系の著作や講演で活動。その後、十数年勤めた会社を辞め、独立系の投資信託会社の設立に参加するが撤退。浪人生活を経て、現在はキャリアカウンセラーとして就職相談の仕事を行っている。
社会や歴史に関し「多くの人が知るに値する・長持ちする知識を伝えること」がライフワーク。 


●そういちの著書
【最新刊】
中心の移り変わりから読む 一気にわかる世界史←こちらをクリック
(日本実業出版,2016年8月末より全国書店・アマゾンなどで発売中,1300円+税)

  一気にわかる世界史・表紙

 
『自分で考えるための勉強法』(ディスカバー・トゥエンティワン,電子書籍)
『四百文字の偉人伝』(古今東西の偉人100人余りを紹介,ディスカバー・トゥエンティワン,電子書籍)
『健康と環境』(子ども向けの社会科の本,小峰書店,共著)
『フラッグス・る?』(世界の国ぐにをGDPでみる社会科の本,楽知ん研究所)


 
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【講師いたします】
このブログでテーマにしている世界史,社会のしくみ,勉強法,文章術などについて。グループでも個人でもどうぞ。

お問い合わせは so.akitaあっとgmail.com まで(あっとは@に変換) 


団地の書斎のそういち
撮影:永禮賢
2020年01月19日 (日) | Edit |
今年になって、別ブログの「そういち総研」で、つぎの2つの記事をアップしました。

ビザンツ帝国=東ローマ帝国とはどういう国だったか

古代・中世・近代という世界史の時代区分

「ビザンツ帝国=東ローマ帝国」というのは、世界史のなかではややマイナーなテーマです。少なくとも古代ギリシアやローマ帝国、あるいはイスラムの帝国などに比べると。

たとえば、世界史に興味がある人なら「古代ギリシアやローマ帝国の有名な人物をあげよ」といわれたら、いろんな名前が出てくるはずなんですが、ビザンツ帝国についてはなかなか出てこないのが普通です。

でも、じつはビザンツ帝国というのは、興味深いと思っています。その国家・社会のあり方が、現代世界の先進国によく似ているのです。

成熟して文化の活気は衰え、細かな応用や改良が中心。かつての民主主義の伝統は形骸化し、新たに台頭した周辺の新興国の脅威にさらされている……ビザンツで起こったことは、これからの世界でも起きるんじゃないか?もちろん、時代がちがうので同じことの繰り返しではなく、現代的に形を変えて起こるのでしょう。

「古代・中世・近代という世界史の時代区分」ですが、昔から重視してきたテーマです。じつは、私が世界史にのめり込み始めたきっかけは、20代の頃に世界史の時代区分について興味を持ったことでした。

当時、多少の本を読んでいるうちに「従来の世界史の時代区分には再検討の余地がある」と考えるようになって、その考えを補強するために色々読み始めたのです。そのときは「大きな発見」をしたような気持ちで、じつにわくわくしました。そして、20数年経った今現在も、基本的には当時のアイデアに沿って、それを充実させる方向で、世界史について考えています。

ところが最近の歴史家のあいだでは「時代区分は単なる便宜で、学問的にはあまり意味がない」などという考えが有力なのだそうです。とんでもないと思います。

時代区分というのは、膨大な歴史的知識を分類整理するための大きな枠組みを提供するものです。分類・整理を否定して、何が「学問」でしょうか。

遅くなりましたが、2020年における当ブログ最初の更新ですね。今年も世界史のことを中心に、いろいろ書いていきたいです。「書くことはたくさんある」と感じています。よろしくお願いします。

(以上)
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2019年12月15日 (日) | Edit |
「そういちカレンダー2020」発売中!

歴史や科学などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって販売しています(下の画像)。トイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。
周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。


2014年版から制作していて、今回で7年目。
このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。

イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷まで自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。

こういう、時間や手間のかかる「遊び」ができるのは、いろんな環境に恵まれているからこそ。今年もこのカレンダーを制作できたことに感謝。

購入については、画像(2月のページ)の下に。

カレンダー2020見本

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③コラム 発想法・社会批評・世界史等々
④知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑤各月の日付の欄に偉人の誕生日

【カレンダー仕様】 B5サイズ,全14ページ
ダブルループ製本、極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】1冊1000円(送料込み) 
10冊以上ご注文の場合、2割引きの1冊800円

【購入方法】
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

支払は、商品到着後。
ご注文があってから数日ほどで商品を郵送にてお届けします。
商品とともに代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)のご案内をお送りします。

(以上)
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2019年11月11日 (月) | Edit |
今から30年ほど前、私そういちが若者だった1980年代後半から1990年頃、活字文化はまだそれなりに元気だった。

当時の私(大学生から新入社員の頃)は読書好きの1人として、社会・人文系の古典を読むことに大きな意義を感じていた。神保町の古書店街にもときどき足を運んだ。給料をもらうようになって、学生時代から欲しかった岩波のヘーゲル全集やアリストテレス全集を何万円かで買ったりもした。こういう古典は、活字文化のなかで高い位置を占めていた。

1990年代前半の頃、インターネットはまだ一部の科学者やマニアのもので、家庭でのパソコンの普及も限られていた。私はワープロ専用機で書いた文章を印刷し、仲間との集まりで配ったりしていた。

1990年代の終わりに、私は初めてパソコンを買ってインターネットも始めた。パソコンやインターネットの急速な普及は1990年代半ばからだというから、その動きに対し、やや後ろのほうからついていく感じである。

そして、Eメールの機能を使ってグループをつくり交流する「メーリングリスト」の集まりに参加するようにもなった。私が参加したのは、科学教育、科学史・科学論に関心を持つ、数十人のアマチュアの集まりだった。なお、当時は今のようなSNSのプラットフォームはまだない。

会社勤めから帰ると夢中になって、メーリングリストにさまざまな書き込みをした。今書いているもののベースになるような歴史や社会に関する議論も、全国のメーリングリストの仲間と行った。これは本当に楽しかった。また、その仲間とはときどき「研究会」というかたちで、顔を合わせた。

2000年代(ゼロ年代)半ばには、ブログというものがあることを知って、自分も始めてみた。そのときのブログは数か月でやめてしまい、その数年後(2013年)に今のこのブログを始めた。メーリングリストのほうは、最初にブログを始めたあたりから私の中では停滞ぎみになり、やがてやめてしまった。2000年代後半は、SNSの時代の始まりである。

さて、今はどうか? 今どきヘーゲルみたいな古典を読むのはその方面の研究者か、そうでなくてもかなり特殊な人だけに限られるようだ。知的な素養としてそうした古典をぜひ読んでおこう、という価値観はすたれてしまった。そのような価値観は私が若い頃にもかなり下火にはなっていたが、今はもう本当に「終わった」という感じだ。

また、最近の私は古書店に行くことが減って、古本はおもにアマゾンで買っている。書いた文章を最初に発表するのは、たいていは自分のブログである。

2016年には私のブログをみた出版社の方から声がかかり、世界史に関する本を出す、などということもあった(拙著『一気にわかる世界史』日本実業出版社)。そんなかたちで本の著者になることなど、若い頃にはもちろん想像できなかった。遅ればせながら、最近になってツイッターも始めた。

知識・情報のやり取りに関する環境は、この30年で激変したのである。私が若い頃の「旧世界」はパソコンやインターネットの普及などで消滅し、新しい今の世界が出現した。

今50代半ばの私は、ちょうどその新旧2つの「世界」をある程度深く体験できた世代だと思う。それぞれの体験が中途半端かもしれないが、両方の世界を知ることができたのは良かったと思っている。

(以上)
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2019年10月29日 (火) | Edit |
妻が家の近所でビルの一室を借りて、書道教室をしている。生徒さんは大人も子どももいるが、子どもが多い。今の場所に教室を構えて4年近く経つ。

教室には「おまけ」として、おもに子供向けの本を100何十冊並べた本棚を置いて、「そういち文庫」と呼んでいる。本は自宅から持ってきたものもあるが、ほとんどはこの文庫のために買ったものだ。頂いた本はほとんどない。

こういう文庫は、よく選んだ本をそろえないといけない。「要らなくなった本」を持ち寄ったのではダメだと思う。

そういち文庫で本を読む帽子の子

子どもたちはお稽古が終わってから、気が向いたら本を棚から取り出して読む。読まない子もいるけど、かなりの子が読む。それはお母さんが迎えに来るまでの、ほんの10分の間だったりする。

この「10分」はおおいに意味がある。

ほんの短い間でも、ぐりとぐらやだるまちゃんと遊んだ気持ちになったり、宇宙の構造や世界の国旗について知ったり、犬の写真集で癒されたり、「怪談レストラン」(松谷みよ子作の人気シリーズ)にドキドキしたり、「魔女の宅急便」のキキの成長や、書道マンガ「とめはねっ!」に登場する高校生たちの青春に自分を重ねたりするのは、有意義な時間だ。10分でも子どものアタマや心に、いろいろとのこしてくれるはずだ。

子どもの10分の読書は、大人の1時間くらいに匹敵するのではないか。

子どもたちは「この本をもっと読みたい」と思えば、借りることもできる。そういち文庫は開設4年目になるが、貸出のノートは今3冊め。ノート1冊には200件の貸し出し記録がある。文庫は、すごく繁盛しているわけではないが、それなりに機能している。

最初は貸出が大事だと思っていたが、最近は教室で合間にちょっと読むというのも、すごくいいと思っている。

同じ本を何度も手にするのに、その本を借りてはいかない子もいるが、そういう「合間の読書」をたのしんでいるのだろう。

忙しかったりで疲れ気味の子は、文庫には寄りつかない。

教室にはお手玉、サイコロ、万華鏡、キャラクターの置物、変わった文具などのちょっとしたおもちゃも置いてあるので、疲れた子はそれらをいじって癒しにする(子どもたちの様子は妻からいろいろ聞いている)。たしかにある程度余裕がないと読書は楽しめないよね……

3年前にこの教室で「オープンルーム」と称し、生徒やお母さん、友人・知人に来ていただいて交流会をした。そのとき私は、そういち文庫の蔵書を紹介するプレゼンをさせてもらった。この文庫の本は子ども時代の愛読書もあるし、近年の「これは」という本もある。本について語るのは楽しかった。

参加者のひとりのブロガー仲間の方は「そういちさんにとって本は人生そのものなんですね」と言っていた。そのとおり。一昨日から読書週間だそうだが、私は1年中読書週間だ。

(以上)
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2019年10月28日 (月) | Edit |
最近、狭い家、小さな家に関する本を2冊読んだ。ひとつは高村友也『スモールハウス 3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方』(ちくま文庫)。

アメリカ発の「スモールハウス」というムーブメントがある。数坪程度の小さな小さな家を建てて暮らす。それによってローンやムダなモノに縛られず、シンプルかつ自由に生きていこうーーそんな人たちがいるのだそうだ。

アメリカ、オーストラリアの数人のスモールハウスを、著者の高村さんが取材している。高村さん自身も、雑木林の土地を買い、そこにセルフビルドの小さな小屋を建てて暮らしている(ただしその小屋と都会のアパート2か所の暮らし)。

もう1冊は、加藤郷子『あえて選んだ せまい家』(ワニブックス)。

30~50平米ほどの「せまい家」をあえて選び、リフォームやインテリアの工夫などで快適に暮らす人たちを、ライター兼編集者の著者が取材した本。たとえば30平米のワンルームに、夫婦2人で素敵に暮らしている様子が紹介されている。

この方たちはもっと広い家に住む経済力もある。しかし、都心に近い便利な場所で、小さな部屋を隅々まで整えて暮らすのが心地いいのだという。限られたスペースなので掃除も楽だ。

最近、本屋のインテリアのコーナーに行くと、「狭い家」「小さな家」をテーマにしたものが、以前より目につく。少し前に「ミニマリスト」(最小限のモノで暮らす人)という言葉が流行った。その言葉は最近は定着しているようだ。そういう「ミニマム(最小限)」への志向が高まっているということなのだろうか。

今よりも、もっと「小さな暮らし」をしたいという気持ちは、私にもある。

私は20坪、66平米ほどの昭和時代に建てられた団地をリノベして、夫婦2人で住んでいる。住み始めて10数年。たいへん気に入っていて、この家は自分にとってほんとうに大切なものだ。

しかし一方で、この家に住み始めた40歳ころとくらべて、自分が変わってきたのも感じている。たとえば「いろんなものが欲しい、揃えたい」ということが、当時よりも少なくなった。

40歳ころまでは、欲しいモノを買って家におさめていくのがうれしかった。結婚して10年ほどのあいだは、モノが年々増えていった。しかしこの10年は、家のモノが大幅に増えたということはない。たぶん我が家は、50代の夫婦2人暮らしとしてはモノは少ないほうだ。何千冊かある私の本を除いては。

それでも、買ったモノの多くを使っていない。本だって、蔵書の8~9割はこの1年手に取っていない。

40歳のころは「20坪の限られたスペース」だと思っていたけど、最近は「20坪って、私たち2人には結構な邸宅だ」と感じる。家でくつろぐとき、リビングのソファ周辺のわずかな一画で、2人で何時間もこじんまりと過ごしたりしている。

もっと少ないモノで、小さな狭い家で(20坪だって十分狭いけど、もっと)暮らしたら、たしかに気持ちいいかもしれない。使わないモノや空間を抱えているのは、大きな石を背負っているようなものだ。そんなことをときどき思います。

ただし、私がイメージする「小さな暮らし」は3坪のスモールハウスや小さなワンルームみたいな「究極」ではなく、もう少しマイルドなものだ。今より4~5割減といったところか。

それを近いうちに実行するという予定はない。でも、今回読んだ2冊にあった、極めた人たちの暮らしをみていると、「こんなミニマムな暮らしが可能なんだ」というイメージを描ける。自由になれそうな感じがしてくる。

(以上)
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2019年10月27日 (日) | Edit |
別ブログ「そういち総研」の新しい記事を、さきほどアップしました、

15分で読む世界史まとめ←クリック

世界史5000年の大きな流れを、15~20分で読める分量(6000文字ほど、原稿用紙十数枚分)で書いています。各時代の最も繁栄した「中心」といえる国・地域に焦点を合わせ、その移り変わりを追いかけるという方法によるものです。

これまで、ごく短い分量で世界史をまとめるというのは、数百文字、1000~2000文字、1~2万文字といったバージョンで書いたことがありますが、5000~6000文字というのは初めてです。正確には、10年近く前にそのくらいの長さで書いたものがありますが、それは公表せず、1~2万文字のバージョンに改定していきました。

「世界史を15分で」というのは、無謀な感じもしますが、多くの人が世界史に入門するうえでおおいに意義があると思っています。短時間で全体像をつかむことができれば、「わかりにくい」とされる世界史が、かなりとっつきやすくなるはずです。

「短い分量で世界史をまとめる」というのは、私にとって大事なテーマのひとつ。この「15分バージョン」は、今現在の自分の認識をふまえて、以前のものをベースにしながらも、新しく書き下ろした感じです。これからもバージョンアップなどを重ねていきたい。

そして、5000~6000文字の分量というのは、なかなかいいなと思います。読んでいただければ幸いです。

(以上)
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2019年10月26日 (土) | Edit |
テレビでみて知ったが、「正倉院の世界」展が今日から奈良と東京・上野で始まったそうだ。正倉院は、奈良時代(1300年前頃、文化史では天平時代という)の天皇ゆかりの品などをおさめた倉で、奈良の東大寺の一画にある。

もともとは奈良時代の官庁や寺院の主な倉庫一般を「正倉院」というのだが、今も残っているのは東大寺の正倉院だけなので、正倉院といえばそれを指すようになった。

正倉院の宝物について、博物館の学芸員の人が「その工芸品としての見事さを味わってほしい」ということを言っていた。テレビの出演者たちも宝物の画像をみて「こんなすばらしいものが1300年前につくられていたんですね」と感心していた。

たしかに正倉院の宝物には、天平の当時ならではの美しさがあると思う。しかしそれ以上にすごいのは、1300年前の品物の数々があれだけの保存状態で残っているということだ。

1300年前の世界(西暦700年頃)というと、中国では唐王朝が繁栄していた。西ではイスラムの巨大な帝国も勃興していた。これらの世界の「中心」には、きっと正倉院以上の宝物がはるかに大量に存在していたことだろう。

正倉院の品々も当時の世界ではすぐれたものではあったはずだが、世界で本当に最高のものであったか、というと話は別だ。その頃の日本は、まだ周辺の新興国だったのだから。

しかし、当時の唐やイスラムの帝国の皇帝たちの宝物殿など、今は残っていない。1300年前の世界の文明の中心の宝物は、そのほとんどが失われ、断片的に残っているだけ。正倉院ほどの保存状態でまとまったコレクションが残っているなどということはない。

つまり、ほかの国の人たちは、日本以上の長い歴史を持つ中国の人たちでさえも、正倉院にあたるようなものを持っていないのだ。

今の私たちが正倉院展を見物できるのは、1300年の間、日本の社会が、世界の中心的な地域に比べて安定していたからだ。

たしかに戦国時代のような戦乱はあった。しかし、国の根本が崩壊し、文化や伝統が断絶することにはならなかった。異民族による侵略・征服も限られていた。ただし太平洋戦争のときは、正倉院にとっての危機だったはずだが、幸いなことに破壊を免れた。

正倉院の品々は、私たちの国の比較的安定した、幸福な歴史を象徴しているのだと思う。

テレビでは、当時の天皇が用いた衣装や家具を、奈良の博物館長の「イチオシ」として紹介していた。その家具は、やはり1300年前のものとは思えない。せいぜい江戸時代くらいの骨とう品にみえる。すごい。なんだか見に行きたくなったが、混んでそうだなあ……

(以上)

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2019年10月25日 (金) | Edit |
ギャラップ社の調査(2017年)によると、アメリカでは「神が人類を創造した」という創造論を信じる人の割合は38%である。進化ということを認めながらも「人類の進化には神の導きがある」とする人も38%。

そして、「神の導きなしに人類は進化した」という進化論を支持する人は20%である。

この数字は、三井誠『ルポ 人は科学が苦手』(光文社新書、2019年)で知った。アメリカでの「科学不信」の実態や背景について掘り下げた本だ。

アメリカでは、進化論者は2割しかいないのだ。「進化に神が関与」という人も含めれば5~6割。

そして4割弱の人は創造論者である。おそらくその大部分は聖書にある創造論、つまり6000年ほど前にさまざまな生物を含むこの世界が神によって創造されたという話を信じているのだ。アメリカでは授業で進化論とともに創造論を教える学校も少なくないという。

日本ではどうなのか? ネットで検索してみると、2006年の海外の研究者による調査で、進化論の支持率は8割ほどという数字があった。調査の信頼性がどの程度かはわからないし、上記のアメリカのデータとの比較がむずかしい面もある。だが、数字として「まあそんなところかな」という感じはする。

日本とアメリカの違いはどこから来るのか? アメリカではキリスト教がきわめて有力であること、個人の主義主張を大事にする精神や、権威や知識人への反発心が強いことなどが考えられる。

アメリカにおけるさまざまなカルト的な思想・運動について述べた、カート・アンダーセン『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史(上・下)』(東洋経済新報社、2019)も、だいたいその立場だ。ただし同書では、もっと強く「狂気や幻想も含め何でもあり」というのがアメリカなのだと論じている。

上記の本で三井さんは、進化論のような「科学」を人が受け入れるのは、そんなに簡単ではないと述べている。人類の歴史の大部分は石器時代で、人間の脳や心は石器時代に基礎ができた。一方科学はつい最近に生まれた。だから本来石器時代的な人間の脳にとって、受け入れがたい面がある、というのだ。

「人が科学を受け入れるのは容易ではない」という点は、私もまさにそのとおりだと思う。しかし「現代人には石器時代の心が宿っている」とまでは言わなくもいいのではないか。そんなことをどうやって科学的に証明するのか。

それよりも「科学の理屈や説明には、日常的・常識的な感覚におおいに反するところがある」と言うべきだと思う。

「大地は平らではなく巨大な球体である」「太陽が地球のまわりをまわっているのではなく、地球は自転しながら太陽の周りをまわっている」「この世界や物体は真空と微細な粒子(原子)から成り立っている」「この世界の生命はすべて、単細胞の微生物が40億年ほどかけて進化・分化した結果生まれた」

たしかにこういう見解は、日常的な常識とは本来はかけ離れたものだ。大地は平らだと思うのが、普通の感覚だ。

だから「この説は科学という、権威のある真理なのですよ」と知識を押しつけたときに、それに反発する人や落ちこぼれてしまう人がいるのは当然なのだ。その困難を乗りこえるそれなりの教育的な方法というものは、やはり必要だ。「人は科学が苦手」という前提は大事なことだと思う。

しかし、科学の普及についての楽観的な見通しも、描けないわけではない。最初に述べたギャラップ社の調査をみると、1999年には「神の導きなしで人類は進化した」とする進化論者の割合は10%ほどだった。2017年にはそれが20%になった。

進化論者は、アメリカではまだ少数ではあるが、勢力を伸ばしつつあるようだ。最近は「科学不信が広まっている」ということがよく語られるが、そればかりではないように思う。

(以上)
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2019年10月24日 (木) | Edit |
「リベラル」「保守」という言葉があるが、どういうものか、あなたは説明できるだろうか?

両者は政治的な立場の代表的なものだ。現代の先進国における2大勢力といっていい。

まずリベラル。リベラルは、個人の自由を重視する立場である。

たとえば中絶、同性愛に対しては寛容。「みんながしたいことをすればいい」という考えからだ。また、移民にも寛容である。人間には好きな場所で暮らす自由がある。ならば、国外の人びとが自分たちの国に移り住むことも自由である。

また、リベラルの考えでは、自由を広く実現するため政府は積極的に社会に介入すべきだとされる。その一環としてさまざまな福祉の充実も重要である。だから「大きな政府」志向。一方、軍備の増強には消極的で、話し合いによる国際協調を重視する。

アメリカの民主党は、おおむね以上の立場だ。

一方、保守はこうした「自由万歳」に批判的な立場である。中絶や同性愛は人の道に反する。伝統的な家族を大切に。移民は国の経済・文化に大きな悪影響がある。過度の福祉は国家を破たんさせる(「小さな政府」志向)。強い軍事力で国益を守ろう。

アメリカの共和党は、おおむねこちら。

ただし以上の2つに収まらない主張もある。たとえば個人の自由を何よりも重視する一方、極限まで「小さな政府」志向する「リバタリアン」(リバタリアニズム)という立場がある。これは少数派だが、今のアメリカで一定の勢力ではある。

リバタリアンの立場では、政府というのは個人の自由を妨げる存在なのだ。政府による福祉など要らない。大きな軍隊も要らない。

***

リベラルの考え方は、それまでの古い社会から近代社会が生まれ発展するなかで出てきた、この200~300年の産物である。

その根底には、古い社会の暗黒な部分を是正して理想的な社会を実現しようとする発想がある。近代以前の身分社会には、あまりにも自由がなかったので、もっと自由を。封建領主の政府は民から搾取するばかりで、何もしてくれなかった。だからもっと福祉を。長い歴史を通じて、国際社会はいつもむき出しの弱肉強食だった。だからもっと国際協調を。

保守の考え方は、そんなリベラルの理想に「待った」をかけるものだ。

人間や社会というのは、そんなに急速には変わらないし、アタマで考えた「理想」どおりにはいかないものだ。長い伝統のなかで培われてきたものをもっと大事しないと、足もとをすくわれる。

現に行きすぎた自由の追求によって、社会にはいろんな混乱が生じているではないか。また、大きな政府がますます肥大化することで、国家財政は破たんの危機にあるのではないか。安易な国際協調路線が、邪悪な敵国やテロリストをのさばらせているのではないか。

一方、「自由な社会」という理想を掲げながらも、「大きな政府」や軍拡路線を強く批判するのがリバタリアンということだ。

以上、ごくおおざっぱな見取り図です。日本人は欧米人にくらべると、こういう系統だった主義主張の世界が苦手だ。でも少しは知っておくと、政治のニュースを理解するうえで役立つのでは。

とくにこれからの政治の動きでは、たとえばリバタリアンのような、従来の主流派の枠に収まらない運動が力を持つ可能性が高いと思う。トランプ政権にしても、ここで述べた保守≒共和党の従来のあり方からは逸脱したところが多々ある。たとえば従来の保守にあったはずの手堅さよりも、自分の「理想」にあわせて都合よく現実を解釈する危うい傾向が目立つ。そういう「枠組みの崩壊」を理解するには、「従来の枠組み」についての常識が必要だ。

(以上)
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