2014年01月03日 (金) | Edit |
正月なので,風呂敷を広げて,2013~2014の世界と日本を考えてみることにしました。(新年のごあいさつは,下の記事で)
今回は「世界編」です。大風呂敷は広げましたが,短かめに・さっくりと。
***
「世界情勢の1年を振り返る」というと,たいてい「世界は混迷と不安定の度合いを深めている…」というまとめになります。ほぼ毎年そうです。
2013年も「混迷」の材料はたくさんありました。
シリアでは深刻な騒乱(内線)が続いています。
エジプトでは独裁政権を倒した後の政権が,軍事クーデターで倒され,憲法も停止されました。
中国はますます自己主張が強くなり,周辺の国からみれば不当に思える「空の縄張り」(防空識別圏)を宣言したりしています。
そのなかで,米国のリーダーシップはますます低下している……などともいわれます。
私は,こういう現象は,いつも同じような視点でまとめてみてしまいます。
「バカのひとつおぼえ」といってもいいです。
それは,「世界全体の近代化」がますます進んでいる……ということ。
「近代化」とは,民主化や経済発展などの社会の変化です。
シリアの騒乱も,エジプトのクーデターも,2010年ころにはじまった「アラブの春」という民主化の動きにともなうことです。独裁に反発する人びとが,既存の政権を倒したり揺るがせたりしている中でのこと。
この「民主化」の動きは,世界史の大きな流れでみれば,「1990年ころに社会主義の独裁政権がつぎつぎとと崩壊したこと」と同一線上にあるのではないでしょうか。あのとき,ソ連などの社会主義国で起こったのと同様のことが,今のアラブでも起こっているのではないか。
もっと古くは,1970~80年代に,アジア諸国やラテンアメリカなどでも,つぎつぎと独裁政権(軍事政権が多い)が倒されるか支配力が後退して,民主化が進むということがありました(あまり強調されないことですが)。
数十年単位でみれば,世界では「独裁」が後退して「民主化」が進む傾向にある。
「民主化」は「近代化」の重要な一部です。
しかし,民主化が進む大きな流れのなかで,混乱やあつれきが生じることも多いです。今のシリアやエジプトは,まさにそうです。
***
中国が周辺への圧力を強めているのは,中国の経済発展の結果です。
西暦2000年ころ,中国のGDPは100兆円を少し超えるくらいで,日本の4分の1くらいでした。それが,今は日本を少し上回るくらいになりました。
こうなると,自己主張をいろいろしたくなるものです。以前の中国は,もっと自己主張をしたくても,経済などの実力が不足していました。
「経済発展」は,「近代化」の根幹です。
中国が近代化し,経済大国になることで,たしかに世界のバランスは変わってきたのです。
1990年代には,世界のGDPの3分の2は,欧米先進国と日本が占めていました。しかし,中国などの新興国が台頭した現在では,世界のGDPに占める先進国の割合は5割弱となっています。それでは米国の影響力が後退しても当然です。
これも世界の経済発展,つまり「近代化」にともなう必然です。
***
「これは世界史的な近代化(民主化や経済発展)の動きの一部だ」というのは,非常な「上から目線」であるともいえます。その渦中で生じた問題に苦しむ人たちに,冷淡な感じもします。
たとえばシリアの難民の人たちに申し訳なくて,言うのがためらわれます。
でも,「世界は混迷しているだけじゃない」ということは,おさえておいていいのではないでしょうか。
世界はある面で「混迷」しつつも,ひとつの「めざす方向」へ向かっているのではないか。そういう視点やイメージがあっていいと思います。新聞やテレビだと,なかなかそこまで踏み込まないですし……
(以上)
今回は「世界編」です。大風呂敷は広げましたが,短かめに・さっくりと。
***
「世界情勢の1年を振り返る」というと,たいてい「世界は混迷と不安定の度合いを深めている…」というまとめになります。ほぼ毎年そうです。
2013年も「混迷」の材料はたくさんありました。
シリアでは深刻な騒乱(内線)が続いています。
エジプトでは独裁政権を倒した後の政権が,軍事クーデターで倒され,憲法も停止されました。
中国はますます自己主張が強くなり,周辺の国からみれば不当に思える「空の縄張り」(防空識別圏)を宣言したりしています。
そのなかで,米国のリーダーシップはますます低下している……などともいわれます。
私は,こういう現象は,いつも同じような視点でまとめてみてしまいます。
「バカのひとつおぼえ」といってもいいです。
それは,「世界全体の近代化」がますます進んでいる……ということ。
「近代化」とは,民主化や経済発展などの社会の変化です。
シリアの騒乱も,エジプトのクーデターも,2010年ころにはじまった「アラブの春」という民主化の動きにともなうことです。独裁に反発する人びとが,既存の政権を倒したり揺るがせたりしている中でのこと。
この「民主化」の動きは,世界史の大きな流れでみれば,「1990年ころに社会主義の独裁政権がつぎつぎとと崩壊したこと」と同一線上にあるのではないでしょうか。あのとき,ソ連などの社会主義国で起こったのと同様のことが,今のアラブでも起こっているのではないか。
もっと古くは,1970~80年代に,アジア諸国やラテンアメリカなどでも,つぎつぎと独裁政権(軍事政権が多い)が倒されるか支配力が後退して,民主化が進むということがありました(あまり強調されないことですが)。
数十年単位でみれば,世界では「独裁」が後退して「民主化」が進む傾向にある。
「民主化」は「近代化」の重要な一部です。
しかし,民主化が進む大きな流れのなかで,混乱やあつれきが生じることも多いです。今のシリアやエジプトは,まさにそうです。
***
中国が周辺への圧力を強めているのは,中国の経済発展の結果です。
西暦2000年ころ,中国のGDPは100兆円を少し超えるくらいで,日本の4分の1くらいでした。それが,今は日本を少し上回るくらいになりました。
こうなると,自己主張をいろいろしたくなるものです。以前の中国は,もっと自己主張をしたくても,経済などの実力が不足していました。
「経済発展」は,「近代化」の根幹です。
中国が近代化し,経済大国になることで,たしかに世界のバランスは変わってきたのです。
1990年代には,世界のGDPの3分の2は,欧米先進国と日本が占めていました。しかし,中国などの新興国が台頭した現在では,世界のGDPに占める先進国の割合は5割弱となっています。それでは米国の影響力が後退しても当然です。
これも世界の経済発展,つまり「近代化」にともなう必然です。
***
「これは世界史的な近代化(民主化や経済発展)の動きの一部だ」というのは,非常な「上から目線」であるともいえます。その渦中で生じた問題に苦しむ人たちに,冷淡な感じもします。
たとえばシリアの難民の人たちに申し訳なくて,言うのがためらわれます。
でも,「世界は混迷しているだけじゃない」ということは,おさえておいていいのではないでしょうか。
世界はある面で「混迷」しつつも,ひとつの「めざす方向」へ向かっているのではないか。そういう視点やイメージがあっていいと思います。新聞やテレビだと,なかなかそこまで踏み込まないですし……
(以上)
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この記事へのコメント
世界はある面で「混迷」しつつも,ひとつの「めざす方向」へ向かっているのではないか。そういう視点やイメージがあっていいと思います。新聞やテレビだと,なかなかそこまで踏み込まないですし……
これは必然的な流れなのでしょうか?
また,混迷は避けられないのでしょうか?
「豊かに生活したい」という意思が「目指している」としたら,
その先には何が待っているいるのでしょうか?
とても不安と同時にわくわく感があります。
どうなるかはわからないのだと思いますが,確かめたくもなります。
これは必然的な流れなのでしょうか?
また,混迷は避けられないのでしょうか?
「豊かに生活したい」という意思が「目指している」としたら,
その先には何が待っているいるのでしょうか?
とても不安と同時にわくわく感があります。
どうなるかはわからないのだと思いますが,確かめたくもなります。
2014/01/05(Sun) 10:48 | URL | かずゆき #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
より多くの自由とか経済的な豊かさ(両者は結びついています)を,人びとが求めるというのは,大きな流れで見た場合,世界史のなかでみとめられるはっきりとした傾向だと思います。その意味で「必然」じゃないかと。ただ,短期的・局所的にはわかりません。
そして,「変革や前進に伴うあつれきや混迷は避けられるか」というと,「どの程度を混迷というか」という問題もありますが,これはやりようによっては避けられてきたとも思います。大きな社会変革で,その変革の大きさの割に,混乱は小さかった,というケースは世界史の中でもあります,長期の激しい内線といったことにならず,社会が大きく前進できた,という事例です。明治維新はそうだと思います。アメリカ独立革命も,ずっとあとで南北戦争がありますが,そうです。
一方,「混迷」の極致である内線がひどくなってしまったケースもあります。独立後のアフリカ諸国のうちの相当な部分が,1990年代まで内線などでひどい状態でした。今も完全には終わっていないものの,だいぶ状況がよくなりましたが……今後のアラブ諸国の騒乱も,長期化・深刻化しないとはかぎりません。今回の記事も,けっしてアラブ諸国の騒乱について楽観的な見通しを持っている,ということではないです。
「混迷」を防ぐにはどうしたらいいか,という問題もあります。混迷がひどくなったケースとひどくならなかったケースを分けたものは何か? 大事な問題と思いますが,(当然ながら)手に余るテーマなので,少しはわかることがあれば,いつか書くということで。
より多くの自由とか経済的な豊かさ(両者は結びついています)を,人びとが求めるというのは,大きな流れで見た場合,世界史のなかでみとめられるはっきりとした傾向だと思います。その意味で「必然」じゃないかと。ただ,短期的・局所的にはわかりません。
そして,「変革や前進に伴うあつれきや混迷は避けられるか」というと,「どの程度を混迷というか」という問題もありますが,これはやりようによっては避けられてきたとも思います。大きな社会変革で,その変革の大きさの割に,混乱は小さかった,というケースは世界史の中でもあります,長期の激しい内線といったことにならず,社会が大きく前進できた,という事例です。明治維新はそうだと思います。アメリカ独立革命も,ずっとあとで南北戦争がありますが,そうです。
一方,「混迷」の極致である内線がひどくなってしまったケースもあります。独立後のアフリカ諸国のうちの相当な部分が,1990年代まで内線などでひどい状態でした。今も完全には終わっていないものの,だいぶ状況がよくなりましたが……今後のアラブ諸国の騒乱も,長期化・深刻化しないとはかぎりません。今回の記事も,けっしてアラブ諸国の騒乱について楽観的な見通しを持っている,ということではないです。
「混迷」を防ぐにはどうしたらいいか,という問題もあります。混迷がひどくなったケースとひどくならなかったケースを分けたものは何か? 大事な問題と思いますが,(当然ながら)手に余るテーマなので,少しはわかることがあれば,いつか書くということで。
2014/01/05(Sun) 19:35 | URL | そういち #-[ 編集]
あけましておめでとうございます!
「めざす方向」そのゴールはどこですか?世界連邦?
その道の途中にいくつの戦争があって、何人の血が流れるでしょうか。わたしの息子がその渦に巻き込まれることはないでしょうか・・・
日本は、大きな流れに逆行してる気がします。それは「混乱」の一種かもしれませんが・・・
特定秘密保護法は、近代的な法律ですか?
法律もだけど、公約にしなかった重要法案を大した議論もせず数の力で通してしまうって、民主主義ですか?
麻生さんのナチ発言は伏線だったのかと思ってしまいます。
この国は、大丈夫ですか?
正月早々ネガティブですみません。
今年もよろしくおねがいします♥
「めざす方向」そのゴールはどこですか?世界連邦?
その道の途中にいくつの戦争があって、何人の血が流れるでしょうか。わたしの息子がその渦に巻き込まれることはないでしょうか・・・
日本は、大きな流れに逆行してる気がします。それは「混乱」の一種かもしれませんが・・・
特定秘密保護法は、近代的な法律ですか?
法律もだけど、公約にしなかった重要法案を大した議論もせず数の力で通してしまうって、民主主義ですか?
麻生さんのナチ発言は伏線だったのかと思ってしまいます。
この国は、大丈夫ですか?
正月早々ネガティブですみません。
今年もよろしくおねがいします♥
2014/01/06(Mon) 21:25 | URL | ピピネラ #eR1ha.nA[ 編集]
あけましておめでとうございます。
コメントありがとうございます。
ヘビーなご質問の連続ですが,でも私もぼんやり考えてしまう興味のあるテーマばかりです。
「めざす方向」で,とりあえずはっきりしていると私が思うのは,「世界全体の新興国化(中進国化)」です。
アフリカの経済成長の可能性がはっきりしてきた昨今,これは数十年から100年~200年のうちに実現する可能性があると思います。それが実現すると,かなり世界は安定するはずです。ある程度経済的に豊かになると,「守るもの」が増えるので,人は戦争という危険な手段を選ばなくなる傾向があります。
今後,「世界連邦」があるとしたら,世界全体の経済レベルがもっと均質的になってからです。経済のレベルがちがいすぎると,国どうしではいろんな利害対立が生じます。切実なかたちでの「共通の利害」が生まれにくいのです。共通の利害がないと,人びとが「ひとつの国(世界連邦)」としてまとまるのはむずかしいです(ここはもっと説明が要るはずですが,とばします)。
余談ですが,世界連邦ができるとしたら,あとは,宇宙人が攻めてくることです。これによって「宇宙からの侵略者と戦う」という共通利害が,世界の人びとの間に生じます。
いずれにせよ,容易なことではありません。でも,「世界連邦」は,世界史のひとつの到達点だとは思います。(小市民のブログなのに,大風呂敷でなんだか照れます)
ただ,新興国化=経済発展のテンポは,地域や国によってちがいがあります。
それがあつれきを生むという面があります。比較的人口の大きな国が,ほかよりも急速に経済成長したりすると,その国が周辺に対し「帝国主義」的になったりする。その種のあつれきが,今後世界の各地で局所的に起こっていく可能性はあると思います。今の中国は,そういう「あつれき」を生む存在になってきています。かつての,戦争をしていたころの日本もそうでした。
私たちやピピネラさんの子どもさんが,そういうあつれきの渦に巻きこまれる恐れがないとは言い切れないと思います。
だから,私たちはしっかりしないといけないのだと思います。
つまり,不合理な情念とか怨念とか歪んだプライドとかに気をつける必要がある。
そのことは,12月の「安倍総理の靖国参拝」のニュースに接して,とくに思いました。
安倍総理のとってきた政策には,ある種の合理性に裏打ちされた部分と,そうでない不合理な情念に基づくものがあるのではないか。
金融緩和などのアベノミクスは,前者の「合理性」の世界に属すると思います。
多くの批判はあるし,最終的な結果はどうなるかわかりませんが,それなりの理論的な考え方がバックボーンにある政策です。
沖縄の普天間の問題を,いわば「お金」で解決しようとするやり方も,「汚らしい」「イヤな感じ」とはいえるでしょうが,ある意味「合理的」といえるかもしれません。お金で何かを解決するというのは,世間でよくあることです。
近隣諸国(中国や韓国以外)を精力的に訪問して,経済的メリットを手土産にして味方につけるという外交政策は,まさに合理的な行動だったと思います。
でも,例の法案や靖国への参拝のことは,そういう「合理性」とはちがう次元の「情念」のようなものを感じます。
しかし,これらに関する安倍さんのやり方をみていると,このような「不合理な情念」の部分を,個人的にはすごく大事にしているようです。
私たちの周囲をみても,はたからみれば「そこにそんなにこだわっても,得はないでしょう」ということに,妙にこだわって,行動の軸にしている人はいるのです。私たちだって,場面によってはそういうことをしているのかもしれません。
こういう「不合理な情念」って,人間的ともいえますが,恐ろしいと思います。それは「反近代」ともいえます。個人ならともかく,国家レベルになれば,それがたいへんな問題をひき起こすことがある。
不合理な,損得勘定抜きの妙な「情念」には,のみこまれたくないなあ…と思います。
まとまりのない話になりましたが,ピピネラさんの問いかけをきっかけに書かせていただきました。
コメントありがとうございます。
ヘビーなご質問の連続ですが,でも私もぼんやり考えてしまう興味のあるテーマばかりです。
「めざす方向」で,とりあえずはっきりしていると私が思うのは,「世界全体の新興国化(中進国化)」です。
アフリカの経済成長の可能性がはっきりしてきた昨今,これは数十年から100年~200年のうちに実現する可能性があると思います。それが実現すると,かなり世界は安定するはずです。ある程度経済的に豊かになると,「守るもの」が増えるので,人は戦争という危険な手段を選ばなくなる傾向があります。
今後,「世界連邦」があるとしたら,世界全体の経済レベルがもっと均質的になってからです。経済のレベルがちがいすぎると,国どうしではいろんな利害対立が生じます。切実なかたちでの「共通の利害」が生まれにくいのです。共通の利害がないと,人びとが「ひとつの国(世界連邦)」としてまとまるのはむずかしいです(ここはもっと説明が要るはずですが,とばします)。
余談ですが,世界連邦ができるとしたら,あとは,宇宙人が攻めてくることです。これによって「宇宙からの侵略者と戦う」という共通利害が,世界の人びとの間に生じます。
いずれにせよ,容易なことではありません。でも,「世界連邦」は,世界史のひとつの到達点だとは思います。(小市民のブログなのに,大風呂敷でなんだか照れます)
ただ,新興国化=経済発展のテンポは,地域や国によってちがいがあります。
それがあつれきを生むという面があります。比較的人口の大きな国が,ほかよりも急速に経済成長したりすると,その国が周辺に対し「帝国主義」的になったりする。その種のあつれきが,今後世界の各地で局所的に起こっていく可能性はあると思います。今の中国は,そういう「あつれき」を生む存在になってきています。かつての,戦争をしていたころの日本もそうでした。
私たちやピピネラさんの子どもさんが,そういうあつれきの渦に巻きこまれる恐れがないとは言い切れないと思います。
だから,私たちはしっかりしないといけないのだと思います。
つまり,不合理な情念とか怨念とか歪んだプライドとかに気をつける必要がある。
そのことは,12月の「安倍総理の靖国参拝」のニュースに接して,とくに思いました。
安倍総理のとってきた政策には,ある種の合理性に裏打ちされた部分と,そうでない不合理な情念に基づくものがあるのではないか。
金融緩和などのアベノミクスは,前者の「合理性」の世界に属すると思います。
多くの批判はあるし,最終的な結果はどうなるかわかりませんが,それなりの理論的な考え方がバックボーンにある政策です。
沖縄の普天間の問題を,いわば「お金」で解決しようとするやり方も,「汚らしい」「イヤな感じ」とはいえるでしょうが,ある意味「合理的」といえるかもしれません。お金で何かを解決するというのは,世間でよくあることです。
近隣諸国(中国や韓国以外)を精力的に訪問して,経済的メリットを手土産にして味方につけるという外交政策は,まさに合理的な行動だったと思います。
でも,例の法案や靖国への参拝のことは,そういう「合理性」とはちがう次元の「情念」のようなものを感じます。
しかし,これらに関する安倍さんのやり方をみていると,このような「不合理な情念」の部分を,個人的にはすごく大事にしているようです。
私たちの周囲をみても,はたからみれば「そこにそんなにこだわっても,得はないでしょう」ということに,妙にこだわって,行動の軸にしている人はいるのです。私たちだって,場面によってはそういうことをしているのかもしれません。
こういう「不合理な情念」って,人間的ともいえますが,恐ろしいと思います。それは「反近代」ともいえます。個人ならともかく,国家レベルになれば,それがたいへんな問題をひき起こすことがある。
不合理な,損得勘定抜きの妙な「情念」には,のみこまれたくないなあ…と思います。
まとまりのない話になりましたが,ピピネラさんの問いかけをきっかけに書かせていただきました。
2014/01/07(Tue) 07:05 | URL | そういち #-[ 編集]
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