FC2ブログ
2013年02月20日 (水) | Edit |
私がこのブログで書いている文は,どれも「橋渡し」のためのものです。

つまり,おもに本で得た知識を,その本の読者層とはちがう読者層へお届けする。「ちがう読者層へ」というところがポイントです。たとえば「マニア」や「読書家」の世界のものを,初心者へお届けするのです。

そんな「お届け」にあたっては,いろんな加工や編集が必要です。つまり,オリジナルのものを読みやすくつくりかえていく。「オリジナル」の多くが,初心者や特別な関心を持たない「ふつうの人」にとっては,消化しにくいものになっているからです。

たとえば,2月16日の記事「アメリカ合衆国の基本設計1」で,「三権分立の意味」について私はこんなふうに述べました。

《…三権分立とは何なのか。 国家でも企業でも個人でも,「何かを行う」というのは,大きく3つの段階から成っている。「大きく分けたらこの3つ以外考えられない」といったほうがいいかもしれない。
1.何をするか・どうあるべきか決める(Plan=企画・計画)
2.実行する(Do=実行)
3.結果を当初の決定に照らしてチェックする(See=検証

…じつは三権分立とは,この各段階を,ひとつの政府機関ではなく,3つの機関にそれぞれ分担させるシステムなのである。
Planにあたるのが立法≒議会,Doが行政≒官僚機構,Seeが司法≒裁判所である。
国家レベルでのPlan→Do→See(計画―実行―検証)。それが三権分立なのである。》

 
これには,元になった「オリジナル」があります。政治学者・滝村隆一さんの説です。

滝村さんは,「三権分立」についてこう述べています。

《…直接には三大機関の分立としてあらわれる,三権分立制の制度論的根拠は,規範としての意志の形成〔立法〕と,定立された規範にもとづく実践的遂行〔執行〕,それにこの規範としての意思の形成・支配の全過程が,定立された規範の規定にもとづいて,正しく実践されているか否かをたえず厳しく監視し,違法行為があった場合には,規範にもとづいて審査し処罰する〔司法〕。このような,〈この三つ以外にはありえない〉という意味での,<三種の論理的な区別>にもとづいているのである。
 したがってこのような,〈なにゆえ三権でなければならないのか〉という意味での,本質論的把握は,理論的には意志論としての規範論を,前提として可能となる。》

(『国家論大綱』第一巻上,勁草書房,588ページ)

滝村さんの「三権分立」論に,私は目をひらかされました。この説は,もっと多くの人に知られていいと思います。しかし,《本質論的把握は,理論的には意志論としての規範論…》といった語り口は,広く普及するという点では,たぶんマイナスでしょう。

そこで,私はPlan→Do→Seeという言葉に置きかえてみました。ビジネス書などでおなじみの表現です。とにかく,「ふつうの人」にとっつきやすい表現にしたかったのです。そのことで,理論的な正確さがいくらかは損なわれるとしてもです。

***

たとえば以上のようなことが,私の行っている「橋渡し」です。これは「表現をやわらかく言いかえる」という加工・編集です(かなり極端な例だとは思います)。
 
ほかにもいろんなやり方があります。
 
たとえば,2月1日「インドカレーの歴史」では,「要約」ということをしています。

この記事の元ネタであるコリンガム著『インドカレー伝』は何百ページもあります。そのエッセンスを(書籍なら)数ページ分でお伝えしようとしたのです。カレーの歴史を知るために分厚い本1冊を読み通す人は,世の中ではやはり少数派です。

これとは逆に,2月13日「「紙の発明」から考える」では,「付け加える」ことをしています。

この記事は科学史家の山田慶兒さんが述べたことを元にしています。そして,そこに「紙というのはどういう発明で,なにがすぐれていたのか」といった,前提となる初歩的な情報を加えたりしています。そのほか,話の力点や表現をいろいろと変えています。

「四百文字の偉人伝」は,そんな「加工・編集」の最たるものです。多くの人には,偉人のだれかの生涯について,伝記1冊分つきあうだけの時間やエネルギーはまずありません(「カレーの歴史」と同じことです)。だから,「四百文字」です。

その偉人のイメージを描く手がかりとなるようなネタを拾いあげる。または,ある側面を切り取る。それを,四百文字でコンパクトに紹介する。これなら,多くの人がつきあうことができます。
 
「橋渡しすること」
「そのために編集・加工すること」

これが私の仕事の「核」です。私にこれといった「専門」はないですが,あえていえば「橋渡し」が専門です。

むかしは,「自分にはそのくらいしかできないからなあ」と思っていました。

でも,近ごろは「橋渡し」「編集」というのは,今の文化ではだいじなことだ,と思っています。たくさんの情報が「遺産」としてつみあがった時代だからです。

そこから「多くの人が知るに値すること」を選び出してお伝えしていくというのは,けっこう意味のあることではないでしょうか。
 
(以上)