2016年01月23日 (土) | Edit |
 最近,鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』(草思社,2015)という本を読みました。
 内閣府が2013年に実施した『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』について,分析・解説した本です。この「調査」は,日本および6つの国(アメリカ,イギリス,スウェーデン,フランス,ドイツ,韓国)の13歳から29歳までの若者を対象に,共通の質問項目で行ったもの。

 その「調査」の質問項目に「あなたは,自分の将来について明るい希望を持っていますか」というのがあります。回答の選択肢は「希望がある」「どちらかといえば希望がある」「どちらかといえば希望がない」「希望がない」の4つ。
 
 この問いに対し,日本の若者の若者の12%が「希望がない」,26%が「どちらかといえば希望がない」と答えています。両者を合わせると4割弱(38%)になります。これは,ほかの6か国にくらべ,明らかに高い数値です。
 「希望がない」」と「どちらかといえば希望がない」の合計値は,日本が38%であるのに対し,アメリカ9%,スウェーデン9%,イギリス10%,韓国14%,フランス17%,ドイツ18%なのです。(23ページ)

 つまり,日本ではほかの国ぐによりも将来に希望を持っている若者が,明らかに少ないのです。

 この調査結果は,一部の人たちの間では衝撃的なものとして話題となりました。
 しかし本書の著者の鈴木さんによれば《「こんな国だから,やっぱりね」という反応があっただけで,特に議論が深まることがなかった》(201ページ)のだそうです。そこで議論を深めるためにこの本を書いたと。

 さまざまな分析をしたうえでの鈴木さんの本書での結論はこうです。

《本書では,経済的な不安定さや,家庭生活に対する不満,友人関係の希薄さ,学歴や仕事の有無など,日本の若者が希望を持てない要因をさまざまな角度から示してきた。それらを一言でまとめると,日本では,現状のマイナス要因が将来の希望度を引き下げる度合いが強いということだ。たとえば受験や就職で一度失敗すると,それをなかなか挽回できない。将来に希望を持っている若者の少なさには日本の社会システムの硬直性が端的に表われている》(200ページ)

 「現状のマイナス要因が将来の希望度を引き下げる度合いが強い」というのは,「一度落ちこぼれると,挽回が難しい」ということ。日本社会にはそういう硬直性がある。「今はダメでも,明日はなんとかなる」という希望を抱きにくいのです。

 たとえば,日本では「学校を中退・休学中」の若者が,将来に「希望がない」または「どちらかといえば希望がない」と答える割合が,ほかの6か国よりも極端に高いです。

 日本では「学校を中退・休学中」の若者の,「希望がない」「どちらかといえば希望がない」という回答は合計で72%。「大学・大学院を卒業」の若者は,42%。「中学・高校を卒業」だと56%。若者全体だと(さきほどみたように)38%です。学校を中退・休学することは,若者の将来への希望度を大きく引き下げている。(99ページ)

 これに対し,アメリカでは「学校を中退・休学中」の場合,「希望がない」「どちらかといえば希望がない」の合計は14%です。「大学・大学院を卒業」だと6%。「中学・高校を卒業」では18%,若者全体だと9%です。(101ページ)

 アメリカでは「中学・高校を卒業」の若者のほうが「中退・休学」よりも希望度が低かったりします。つまり,「中退・休学」の希望度に対する影響は日本ほどではないのです。

 ***

 日本社会の硬直性が,若者の将来への希望度を引き下げている。
 日本では,若者が一度落ちこぼれると「もうダメだ」と思ってしまう傾向が強い,ということです。

 私は,若い人の就職の相談に乗ったりする「キャリア・カウンセラー」のはしくれなのですが,以上のことは自分の経験してきた現場の感覚とも合致します。

 たとえば日本では,20代半ばまでに正社員として就職しないと,その後の職業選択で大きなハンデを負うことになります。正社員になることが相当に難しくなったり,正社員になれるとしても選択の幅が大きく制限されたりするのです(この「選択の幅の制限」ということが,とくに大きいと感じます。「正社員になれない」というよりも「思うような正社員の職に就きにくくなる」ということです)。

 もちろん,カウンセラーとしては,ハンデを乗りこえるための突破口を相談者とともに懸命に考えます。そして,動けば一定の突破口はあるものです。

 でも20代後半の正社員経験のない方の相談にのっていて「この人があと3歳若かったら,希望に沿った就職が,もっと容易にできたはずなのに」と思うことがある。

 また,ある調査では,30代前半の非正社員(契約社員,アルバイトなど)の男性が結婚している割合は,同年代の正社員の男性にくらべてはるかに低いです(元の資料がすぐに出てこないので,具体的な数字はまたいずれ)。これは,常識として「そうだろう」と思いますが,調査結果としても確認されているということ。

 20代前半までに就職につまずいて正社員にならなかった場合,その後も正社員になることに困難や制約が生じ,だとすると結婚も難しくなって・・・と,人生全体に大きな影響が出てくる可能性がある。それをなんとかすることも可能なのですが,全体的な傾向としては「若いうちのマイナスを挽回するのが難しい」という実態はあると,私も感じています。

 日本社会の硬直性は,やはりなんとかしたほうがいい。

 鈴木さんは,さきほど引用した部分の続きで,こう述べています。

《日本の社会システムをより柔軟にし,一度失敗して今がダメでも,明日は成功する可能性があると思える世の中にすることが,希望を持つ若者を増やす最も確実な方法である。したがって,そのための努力を重ねていくことは大切だ。もちろん,それは簡単なことではない。しかし少なくとも,現在の日本の社会システムは決して永続的なものではなく,自分たちがそれを変えてゆけるという意識を持てるようになるべきだ》(200ページ)

 たしかにもっともだと思います。
 しかし,社会システムを変えていくのは,鈴木さんもいうように簡単なことではありません。希望を持ちにくい若者が「自分たちで社会を変えていける」と思えるようになるためには,それこそ社会が大きく変わっていかないといけないはずです。「自分1人の状況をよりよい方向へ変えていける」と思えない者が,「社会を変えていける」と思えるでしょうか?

 批判めいたことを書きましたが,鈴木さんの本書は多くの人に読んでもらいたい,すぐれた著作です。ここで取り上げた「結論」も,基本的には同感なのです。社会を変えていかなければ,というのはそのとりだと思います。だがしかし,ということです。

 私は,若者が「希望」を見出すための具体的な道筋として,「社会を変えていける」感覚よりも,とりあえずはもっと現実的なことを考えたいと思います。
 
 一度はマイナスを背負った若者が希望を見出すために必要なものは「情報」なのではないか?
 挽回するための突破口を見出すための情報です。

 それは,この社会の職業世界に対する情報。この社会には会社勤めだけに限っても,じつにさまざまなあり方があって,探せばどこかしらに自分の居場所をみつけることが可能だ,という見通し。そして職業をベースに,自分の生活や人生を全体としてよりよい形で組み立てていけるという感覚。その見通しを持つための根拠となる具体的な知識・情報です。そのベースには「こんな企業からのこんな求人がある」といったレベルの具体性が必要なのではないか。

 いわゆるキャリア教育は,そのような方向をめざしているのかもしれません。
 でも,そこには,情報の具体性という点で足りないものがあるように思えます。
 「地図を読むのは大切ですから,しっかり読みましょう」という教育があっても,自分がいる場所の具体的な地図が示されない感じです。

 それは政治にかんする教育のあり方と似ていると思います。「政治への意識を持ちましょう」という教育はあっても,今の学校だと具体的な政党やそれぞれの思想や政策の方向性を教えることはまずありません。でもそこまでの具体的な情報がないと,政治的な判断(選挙での投票など)はできないはずです(この点は鈴木さんの本書でも触れていた)。

 「世の中の職業世界の具体的な地図」を示せる教師や専門家は,いるのでしょうか?
 私が知らないだけなのかもしれませんが,そのような人を期待するのはむずかしいと思います。つまり,いたとしても希少な存在だということ。

 学校の先生にとって「企業を中心とする職業の世界」は苦手な分野です。キャリア・カウンセラーだって,じつは幅広い職業・企業について知識を持つことは容易ではありません。「私は社会人経験が豊富だ」という人だって,じつは自分が属していた企業や業界以外のことはよく知らないのがふつうです。

 私がここでいう「職業の情報」は,社会の中で供給が不足しているのです。少なくとも,必要としている若者の助けになる形での供給が圧倒的に足りない。「生き方」などの「道」を説く人はおおぜいいても,役立つ具体的情報を出してくれる人はそれよりも少ない。キャリアに関わる仕事で多くの若者と話をしてきて,そのことを実感しています。

 個々の相談で私は「突破口を見出す情報」を提供することをこころがけてきたつもりです。うまくできないこともありましたが,とにかくそうしようと努めてきた。
 教師のように「生き方」や「心構え」を説いたりはしません。「気づきをうながす」といったような,いかにもカウンセリング的なアプローチもしないわけではないけど,中心ではなかった。

 最近は,個々の相談以外で「情報の供給」ということに関し,自分にできることはないか,とも考えるようになってきました。
 でも,まだ考えがまとまりません。ただ,その「供給」については,若者に直接,ということもあるのですが,先生やカウンセラーや親御さんなどの若者を支援する大人たちに対して,ということも重要なのだと思っています。今の私は,後者のほうにむしろ関心があります。

 そもそも大人たちがこの社会の職業や仕事について,若者によいアドバイスができるほどにわかっていないのかもしれない。私自身も,もっと勉強しないと,とは思います。このあたりは,また別の機会に述べたいと思います。

(以上)
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2015年04月23日 (木) | Edit |
 前回の続きです。先週末,高校の先生方数名に招かれて,勉強会の講師を務めました。
 テーマは「これからの時代を生きるためのスキル・知識」。
 勉強会の背景や,参加者の方々の感想などについては,この記事のすぐ下の,前回の記事をご覧ください。

 また,前回の記事では,この時の勉強会でお配りしたレジメの前半を掲載しています。今回はその後半です。
 「本論」である,「8つのスキル・知識」についての説明です。

 「これからの時代を生きるためのスキル・知識」としてつぎの8つの項目があると,前回述べました。

 1.賢い機械=コンピュータといっしょに働くスキル
 2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
 3.実用的なわかりやすい文章が書ける
 4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
 5.お金(金融・会計)についての知識
 6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史  
 7.科学の本質についてのイメージ
 8.責任感のあるまじめさ・着実さ(基本的態度)


 1~4は「これができる」というスキル
 5~7は人生や社会について考えるための基礎知識(世界観のもとになる)
 8は基本的態度


 これらの項目は,
 ・抽象的・包括的になりすぎず,かといって細かくなりすぎず
 ・学校教育ではあまり力を入れていない
 ・しかし,適切なカリキュラムがあれば,原理的に習得可能(8.除く)
 ということを意識して打ち出しています。

 「抽象的・包括的になりすぎず」というのは,たとえば「生きる力」「問題解決力」「コミュニケーション力」みたいにならないように,ということ。
 
 そして,「この8つは大事だ」ということをお伝えする以上に,「考える刺激」にしていただければと思っています。自分なりに「これからの大事なスキル」のリストをつくってみるのもいいのでは。
  
 ***

勉強会「これからの時代を生きるためのスキルと知識」レジメ・続き

スキル・知識1 賢い機械=コンピュータといっしょに働くスキル

■3つのレベル
「英語」と並んで,このスキルが「大事だ」ということ自体は,誰も異論がないだろう。問題は,その内容をどうとらえるか。「コンピュータといっしょに働くスキル」には,つぎの3つのレベルがある。

 ①情報の消費のための端末を使える
 ②情報の生産・発信のための機器・システムを使える
 ③上記①②のシステムを作り出す・改善する・修理する


 多くのフツーの人に必要なのは,まず①で,それから②の初歩である。①は携帯やスマホやゲーム機を操作したり,パソコンでネット検索をしたりできること。②はおもにパソコンでワープロ・パワポ・DTPソフトのようなアプリケーションを使って,アウトプットができること。③は,ITの専門家・技術者の世界。 

■「②情報の生産」のスキルは自然には身につかない
 ときどき,これら(上記①~③)を混同している議論をみかける。例えば「今の若い人たちはゲーム機やスマホで慣れているから,ことさらにITの教育する必要はない」という意見もある。それでは②の教育はどうするのか? だからといって,コンピュータ言語などの③レベルが誰にも必要と考えるのは行きすぎ。

 ①は,今の時代はかなりの人が生活のなかで身につけている。しかし,自然に②を身につけているわけではない。大学生がワープロで作成した書類をみると,かなりの場合,基本操作ができていない。
 「コンピュータと働くスキル」とは,「コンピュータに手伝ってもらいつつ,コンピュータにはできない何かを行って成果を出せる」ということ。そこで,「コンピュータを補う何か」ができることが重要となる。


スキル・知識2 読むための英語

■興味のある分野の英文をなんとか読める
 「読む」「書く」「聞く」「話す」の全部をこなして英語でコミュニケーションするのは,たいへんハードルが高い。英語でのコミュニケーションのうち,最も初歩的で入りやすいのは「読む」こと。
 そして,英語を「読む」力は,今の時代はおおいに使いでがある。インターネットで大量の英文に手軽にアクセスできるようになったから。興味のある分野の記事をたどたどしくても読めたら楽しいし,世界が広がる。

 英語学習のとりあえずの目標は「興味のある分野に関する英文を,多少時間がかかっても読めるようになること」ではないか。もちろん,その先の英語力もあったほうがいいにきまっている。

■いろんなレベルなりに使える
 しかし,「とりあえずこれでいい」というレベルも自覚しておきたい。大事なのは,英語というのはいろんなレベルなりに「使える」ということである。就職の相談で「TOEIC600点じゃ,資格のうちに入らないのでは?」という話を聞くが,そんなことはない。たしかに「それでは足りない」という仕事はある。しかし,「600点でも(いや500点でも)とりあえずオーケー」という,英語を使う仕事もある。


スキル・知識3 実用的なわかりやすい文章が書ける

■重要なスキルなのに,実は学校では教えてくれない
 今の時代は,幅広い人たちが多くの文書を書くことを要求される。メールやSNSでのやり取り,就職活動,プレゼン,議事録,報告書,レジメ,レポート,システムに入力する記録……「実用的なわかりやすい文章が書ける」ことは,今の社会の重要なスキルになっている。しかし,実は学校教育ではあまり力を入れていない。

 国語や作文の授業は,あいかわらず「文芸」中心。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求することがメインで,「実用的でわかりやすい文章を書く」という視点は弱い。
 大学の授業で書かせるレポートも,「実用的な文章」のトレーニングにはなっていない。学術論文をお手本にしているせいではないか。学術論文というのは,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章である。

■書くことが得意な人は少ない 
 書くことが得意な人は,じつは少ない。「パソコンが得意」「英語が得意」という人よりも少ないかもしれない。学校で「書くこと」の教育に力が入らない一因も,そこにある。「文章の書き方」を教えられる人が,教育現場にあまりいない。いたとしても,ほかのことで手一杯。

 数百~2000文字くらいの,一定のメッセージといくつかの情報で構成された,わかりやすい文章。それが不自由なく書けるとしたら,これから生きていくうえで,いろいろ得すること,楽しいことがあるだろう。書く力がアップすると,「読む」「聞く」「話す」も上手になる。


スキル・知識4 制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる

■『暮しの手帖』を創刊した編集長・花森安治(1911~78)の言葉

 美しいものを見わける眼をもっている人は,どんなときでも,自分の暮らしを,それなりに美しくすることが出来る,幸せな人である。  
 (花森安治『灯をともす言葉』河出書房新社)

 これからの時代は,経済面などで多くの「制約」を抱えながら,しかし「美しい暮らしをしたい」という人が増えるのではないか。生活(衣食住)にかかわる,美しいもの,ステキなものについての情報が,世の中にはあふれている。私たちのデザインや美への感覚や欲求は,以前よりレベルアップしていくはず。

■価値観を柔軟にする
 しかし,経済の停滞や格差の拡大によって,思うような所得が得られない人も増えていく。だから,所得のなかで工夫することが大事になる。
 たとえば,ごく少ない・厳選されたモノだけで丁寧に暮らしていく。あるいは,以前は「つまらない」「安物」と思われていたようなものに,新たな価値や美を見出す。何がステキで良いものなのか,という価値観を柔軟にしていく。

 その対極が,ブランド好きのバブリーな価値観。これを追求するなら,少数の経済的成功者になることである。それができれば「バブリー」も楽しい。

 大事なのは,自分なりに「美しいものを見わける眼」である。それさえあれば,なんとかなる。しかし,学校教育は「暮らしを美しく」ということには,関心が薄い。政治家や官僚や企業の偉い人たちも,同様である(彼らの多くは仕事に忙しく,「毎日の・普通の暮らし」には無関心である)。


スキル・知識5 お金(金融・会計)についての知識

■「マネー教育」は必要だが
 従来の学校教育では,金融・会計についてはほとんど教えない。そこでいわゆる「マネー教育」の試みもある。しかしそれが,専門家(例えばファイナンシャル・プランナー)養成のミニチュア版だったり,「株式投資の模擬体験」に終始するような,応用的すぎるものであってはいけない。

 もっと根本的で,その重要性が広く認識されている知識があるので,それを教えるべき。例えば,「バランス・シートとは」「金融と実体経済の関係」といったことの基礎の基礎。それを学ぶことは結局,「企業とは何か」「経済とは何か」について知ることである。

■「金融」のパワーを理解する
 最近話題のトマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房,邦訳2014年)は,次のことを述べている。

・資本の成長率は,経済全般の成長率を上回る。このことは世界各国の長期統計から立証できる。
・そこで,富裕層に富が集中する「格差の拡大」は資本主義の必然であり,近年の世界的傾向となっている


 現代における「資本」とは,「金融資産(株・証券)」とほぼイコール。資本主義の経済は,金融資産を持つ者に有利にできている。今の世界で長者番付(資産ランキング)の上位を占めるのは,株式をおもな資産とする富豪である。

 ならば,普通の人たちもこのような「金融のパワー」を利用してよいのではないか。例えば,できる範囲で株式などの「成長が期待できる金融資産」に投資する。しかし,無知のまま投資を行うのは危険であり,勉強が必要。


スキル・知識6 ざっくりと大きな流れを捉えた世界史

■さまざまな文化を楽しむための基礎
 世界史の素養があると,この世のさまざまな文化や出来事を理解し味わう上で役に立つ。芸術に触れても海外旅行に行っても,多少の歴史的知識があれば,はるかに楽しめる。国際情勢に関するニュースを理解する上でも,世界史の知識は必須である。ニュースが理解できる,ということも人生を豊かにしてくれる。

 また,世界史をきちんと知ることで,社会全般についての見方も変わってくるはずだ。現代の(先進国における)政治・経済の制度が確立するまでの世界史の歩み。その困難な道のりについてイメージがあると,社会についてもっと建設的・現実的に判断できるようになるのではないか。
 つまり,現代社会の根幹をなす要素を根本から否定する,非現実的な思想(例えば「反科学」「無政府主義」)には,より懐疑的になるのではないか。

■世界史教育の混乱
 しかし,世界史教育は,あまりにも多くの国・地域やこまかな出来事について教えようとするあまり,混乱している。教えている先生でも消化しきれないくらいである。だから,読書家・勉強家のあいだでも,日本史に詳しい人はかなりいても,「世界史」に通じている人は少ない。

 これからの世界史教育では,教える内容を大胆に整理して,「ざっくりと大きな流れを捉える」ことをもっと大切にしていくべきである。


スキル・知識7 科学の本質についてのイメージ

■専門分化が進む科学の「本質」を押さえる
 科学の世界では今後,ますます専門分化や応用的な研究の蓄積が進むだろう。だから科学は,素人にはよりわかりにくい・近づき難いものになっていく。

 であればこそ,「科学的とはどういうことか」といった原点や本質を押さえることが必要である。そのためには,「現代の先端的な科学」を追いかけるのではなく,古典的・初歩的な科学について,まずしっかりと押さえること。それによって,「科学は仮説・実験を通して成立する」といった,科学の本質を知ることができる。

■「真理」についてのイメージ
 科学の本質がわかると,「真理とは何か」というイメージも明確になる。つまり「何が正しいか,真理であるか」は,仮説・実験によって初めて明らかになる,という感覚。これがあると,世の中に流布するさまざまなガセネタにひっかかりにくくなる。偏見や思い込みを持ちにくくなる。そのほうが,成功したり生きのびたりする可能性が高くなる。


スキル・知識8 責任感あるまじめさ・着実さ(基本的態度)

■「本当のまじめさ」が求められる
 これは「組織やシステムに守られるための免罪符」としてのまじめさではない。仕事の現場で,戦力として貢献するための「まじめさ」である。

 右肩あがりの,組織に余裕があった時代には,言われたことをこなし,決められたルールを守っていれば組織は評価してくれた。成果があがらなくても「決められた通りやっていたのだから…」という言い訳が通った。しかし,これからはますます組織に余裕がなくなり,本当の成果や貢献を,1人1人に求める傾向が一層強くなる。また,仕事がさらに複雑・高度になっていく。

 そこで,「責任感を持って,現場の問題に真剣に対処する」「コンスタントに着実に取り組む」という「本当のまじめさ」が重要になるだろう。

■優秀な看護師のような資質
 その「まじめさ」のイメージを,コーエンはこう述べている。

 労働市場で真面目さがとくに重んじられる業種が二つある。医療と個人向けサービスだ。医療の現場では医師以外のスタッフが大勢働いているが,そういう人たちは,きちんと手を洗い,カルテに正確に記載し,検査の数値を正しく読み取ってくれないと困る。要するに真面目でなくてはならない。(『大格差』39ページ)

 これは,いわば「優秀な看護師のようなまじめさ」である。「信頼できる人」「あてにできる人」といってもいい。このような資質は,昔から大切だとされていたが,これから一層価値を増すだろう。

 では,それをどうやって子どもや若者に身につけさせるのか? 管理や締めつけを厳しくすればいい,ということではない。本当の「まじめさ」は,やる気や志に支えられている。「締めつけ」では志は育たない。それを育てるのは,簡単ではないはずだ。

(以上)
2015年04月20日 (月) | Edit |
 18日の土曜日に,ある勉強会で講師を務めました。
 このブログの読者の,学校の先生(40代男性)からお声がけをいただいたのです。
 その方はある地方都市の高校に勤務していて,地元の教員労働組合の分会の方々に「これからの時代を生きるためのスキルと知識」をテーマに話をして欲しい,とのことでした。このテーマは,当ブログで(未完ですが)何度か論じてきたもの。

 その先生によれば「これからの時代について考える機会が欲しい。そういう本質的なことを語りあう場がなかなかない」とのこと。そして「いろんな専門家が世の中にいるけど,近代社会の大きな流れから,それをふまえつつ団地リノベや〈ベランダでビール〉みたいなこまかいことまで論じているのが,そういちさんの特長だ」と言ってくださいました。

 以前から「講師いたします」の看板をかかげていた私にとって,願ってもない機会。よろこんでお引き受けしました。

 理科,社会,国語,情報,商業などさまざまな教科の先生方数名を前に,地元の商工会議所の一室で3時間ほどお話しをしてきました。年齢的には30~40代の,男女の方々の集まり。

 私がお話しするだけでなく,参加者の方々にもいろいろなご発言を発言いただきました。みなさま,長時間にわたる話に真剣に耳を傾けていただき,ありがとうございました。

 ***

 「これからの時代を生きるためのスキルと知識」という勉強会の内容ですが,こんなことです。

 技術革新や経済成長の停滞といった大きな流れのなかで,「格差」の広がりや,「中流」的なホワイトカラーの職の減少といったことがおきている。そのような時代では,たとえば「コンピュータと働くスキル」「実用的な文章力」「制約のなかで生活をそれなりに美しくできる」といった能力が重要になるだろう・・・

 今回お話しさせていただいて,こういうテーマは,やはり需要があると実感しました。

 「これからのたいへんな時代をどう生きるか」的な話は,昔からあります。でも,いよいよ本格的に「生き延びるには,どうしたらいいか」といった観点で,しっかりと考えていくべき時代になったのではないか・・・
 そんな感覚が,多くの人にあるのではないか。
 
 私の論じ方は,今回の主催者の方がおっしゃるように,扱う範囲が広いことが特徴です。話のレベル感もいろいろ。大上段な議論もあれば,身近な小さい話もある。
 これは話が散漫になる恐れもありますが,一方で「全体像」を描くうえでは役立つと思います。そして,個人にとってまずだいじなのは「全体像」ではないかと。人は生きるうえで,森羅万象のさまざまな面とかかわるのですから。

 この勉強会を通して,新たに考えたことがいくつかありますが,また別の機会に。
 今回の記事では,参加者の方々の感想と,勉強会でお配りしたレジメの前半をご紹介しておきます。
 
 ***
 
参加者の方々の感想

〇すごく作り込まれたレジメに本当に感動しました!  目の前の参加者の関心事に沿って話をしてくださったので,みなさん,自分のこととして脳ミソが働いたのではないかと思います。これはやっぱり(無料の)ブログでは得られません。私自身は 「〇○さんは自分の文章に自信を持っていい」とそういちさんに言われたことが一番の収穫でした。恥ずかしがらずに,格好つけずに,もっともっと文章を書こう!と思わせてくれました。面接などの就職指導のポイントを教えていただいたのも,いま悩んでいることだったので,本当に助かりました。

〇いま自分がやっていることに自信が持てず,毎日,自分は何をしているのか,何のためにこの仕事をしているのか,考えるだけで行動に移さない私にとって,そういちさんの講義は,自己目標設定の指標になる内容でした。行動に移せるように思えました。まずは8つのスキル・知識を私自身が身につけて・・・いや,真面目でありたいと思います。
                                                   
〇自分自身のテーマの一つが「イマドキの高校生が世の中の変化につぶされずにいかにやっていく方法をみにつけさせるか」ということなので,大変参考になりました。「教え込む」というより「気づかせる」というイメージでしょうか。
                                                    
〇大変興味深く聞かせていただきました。学校現場で日々悩むことが多く,なかなか本質的な話をする時間もありませんので,このような場をつくっていただいて,ありがとうございました。何を教えるべきか,どう教えるべきか,たくさんのヒントをいただいたと思います。また,今日は多くの本を紹介してくださいましたので,後日ぜひ読んでみたいと思います。
                                                 
***

勉強会でお配りしたレジメ(の前半)

これからの時代を生きるためのスキルと知識

講師:そういち
近代社会のしくみ研究家,キャリアカウンセラー。ブログ『団地の書斎から』主催。
著書に『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァ―21刊,電子書籍)


1.タイラー・コーエン『大格差 機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』

■賢い機械と働くことが得意か?
 「これからの時代を充実して生きるためのスキルと知識」を考える素材として,タイラー・コーエン『大格差』(NTT出版,邦訳2014年,原題「平均は終わった」)をとりあげる。
 テクノロジーの発達で,賢い機械(コンピュータ)が多くの人の職をおびやかしつつある。賢い機械にできる仕事の範囲は,これからもどんどん広がっていく。しかるべきスキルを持たない人は,就業の機会から締め出されてしまう時代がやってくるのではないか。コーエンはこう述べる。

あなたは,賢い機械と一緒に働くことが得意か,そうでないか?…あなたの技能がコンピューターを補完するものなら,あなたが職に就き,高い賃金を受け取れる確率は高い。しかし,あなたの技能がコンピューターを補完できなければ,見通しはおそらく暗い。将来は,ますます多くの働き手がこのいずれかに二分されるようになる。そう,平均は終わったのである。(同書6ページ)
 
 これからの技術革新の方向性と,それが未来の労働市場にどう影響をあたえるのか? 未来の労働市場で求められる資質は何か? 
     
大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか
(2014/09/11)
タイラー・コーエン

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■英語よりもお辞儀の仕方か? 
 この本を,先日友人に紹介した。高校の先生である彼が,つぎのように言っていたので,「これからの時代に子どもたちに何を教えたらいいか」を考えるうえで参考になると思ったのである。

私の同僚の若い英語の先生が,『英語なんてウチの生徒には役に立たない。社会で役立つ,お辞儀の仕方とか,礼儀やマナーをもっと教えないといけない』って言うんだよね。ちょっと理解できない…私は物理を教えているけど,教科をきちんと教えることは,これからの時代も意味があると思っている。(高校教師K・40代)

 私(そういち)も「英語よりもお辞儀の仕方だ」という考えには賛成しない。役に立たないのは「英語」そのものではなく,今の授業の英語なのかもしれない。英語の先生なら「目の前の生徒にとって役立つ英語は何か」を考えればいい。でも,「これからの時代を生きるために,教育で何を教えるべきか」について,これまでとはちがった考えが必要だという点には,かなり同意する。


2.これからの時代を生きるためのスキル・知識 一覧

 では「何が大事か」ということだが,その一覧を考えた。コーエンが『大格差』で述べていることと重なる部分もあるが,私なりの視点もある。

■これからの時代を生きるためのスキル・知識 8つ

 1.賢い機械=コンピュータといっしょに働くスキル
 2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
 3.実用的なわかりやすい文章が書ける
 4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
 5.お金(金融・会計)についての知識
 6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史  
 7.科学の本質についてのイメージ
 8.責任感のあるまじめさ・着実さ(基本的態度)


 1~4は「これができる」というスキル
 5~7は人生や社会について考えるための基礎知識(世界観のもとになる)
 8は基本的態度


 ※これらの項目の説明は,レジメの後半にある。次回の記事で掲載します。

 以上は,「生きる力」や「問題発見力」のような,広すぎる漠然とした概念にならないように,一定の具体性を備えるよう意識した。どれも原理的には,適切なカリキュラムを組めば,学校などで教えることができる(8.はやや難しいかもしれない)。

■このうち2つでも3つでも
 もし,「高いスキルをもった少数の人材」,つまり「エリート」をめざすなら,これではとうてい足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要がある。しかし,多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つだろう。

 なのに,これらの項目の多くは,学校教育ではそれほど重視されていない。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかなされていない。あるいは,それぞれの項目で「大事なことは何か」について議論が混乱していたりする。「多くの人にとって必要なレベル」と「社会の先端を担う人材に必要なレベル」を混同していたりするのである。


3.「平均は貴重なものになった」という認識  

■「そこそこのホワイトカラー」が減っていく
 コーエンは「平均は終わった」と言う。未来において,世の中の働き手は,賢い機械(コンピュータ・人工知能)を補えるような高度のスキルや判断力を持つ少数派と,そうでない多数派に大きく分かれていく。「そうでない」人たちが,これまでのような「中流」でいられるだけの所得を得ることは難しくなる。

 近年の日本では技術革新(とくにIT関係)によって,従来の「中流」的な人たちのおもな職であった「そこそこのスキルで行う,そこそこ知的な感じのホワイトカラーの,安定した仕事」(そこそこのホワイトカラー)が減りつつある。

 これには,技術革新のほかに「経済成長の停滞」もかかわっている。経済の停滞が長く続けば,企業としては「比較的簡単な判断業務を行うだけの課長職」や「単純な事務処理をコツコツ行って年収数百万円の,正社員事務職」などを養う余裕はなくなる。さまざまな技術革新とあいまって,仕事の現場では「そこそこのホワイトカラー」を減らしてやっていくことが浸透してきた。

 それには「グローバル化の進展による競争の激化」も影響している。新興国の安価な製品に対抗するのに,生産性の低い高給のホワイトカラーを大勢かかえるわけにはいかない。

■「普通のOL」「公務員」になるのも,なかなか大変
 有名ではない中小企業の,おそらく若い女子を想定していると思われる「一般事務職」,つまり「普通のOL」の求人があったとする。それはたいてい「1人」「2人」の募集だが,そこに数十人以上の応募があることもしばしば。
 公務員をめざす若者も多い。公務員の世界には「そこそこのホワイトカラー」がまだまだ残っている。でも,これも今や難関。小さな市町村の役所に入るにしても,予備校通いをして筆記試験に合格し,相当な倍率の面接を突破しないといけない。

■これからも就職は「厳しい」
 これから,一定の好景気がやってくることもあるだろう。しかし,「ホワイトカラー」にとってのよき時代が再び訪れることはない。世の中の仕事の仕方が変わっていくからである。最近になって日本経済では一定の景気回復の兆しや雇用の改善がみられるが,事務系管理職などの「そこそこのホワイトカラー」の職は増えていない。

 これから当面の日本では,多少の「景気回復」があったとしても,「実感がない」と多くの人は言うはず。失業率や有効求人倍率などからみて「雇用の改善」があっても,人びとは「就職が厳しい」と言い続けるだろう。「かつての中流的な仕事や生活がなかなか得られない」ということであれば,そうなる。


4.「平均が貴重な時代」における対応の選択肢

■対応の仕方はいろいろある
 ことさらに危機感をあおったり,「こんな社会はまちがっている」とさかんに憂いたりするつもりはない。対応策はいろいろある。若い人ほど,選択肢の幅は広い。ここでは「政策」ではなく,あくまで「個人としての対応」に話をしぼる。

(対応の選択肢)
1.「少数の高いスキル」を持つ人になる。
 未来の労働市場が,少数の高いスキルを持つ人材とその他大勢に2極化するというなら,自分は「少数の高いスキルを持つ人」になれないだろうか? 具体的には,それぞれの分野で上位何パーセントかの人になるということ。若くて元気な人は,それを目指すことをまず考えればいい。これは「これからの労働市場」をふまえた「仕事論」において主流の考え方。
 
  これは気が進まない,あるいは「無理」という人は,以下の道がある。

2.「賢い機械が苦手な仕事で,人を雇う意欲のある分野」で少しでも納得のいく職をみつける。
 たとえばある種の接客・サービスなどは,このような分野にあたる。 

3.納得のいく職がどうしてもなければ,自分で「小商い」「スモールビジネス」を立ち上げる。
 自営業者になるということ。あるいは「将来,小さな起業をする」ことを意識して職を選ぶ。

4.「そこそこのホワイトカラー」として安定したいなら,今もそのような職がないわけではない。
 若い人は,それをめざすことも考えられる。ただし,それなりの戦略や努力が必要。今の親世代のように,漫然とした取り組みで「そこそこのホワイトカラー」になれると思わないこと。

5.中高年の人は,今現在「まあまあ納得」の安定した仕事があるなら,大切にしよう。

6.「一生真剣にやってきたい」ということがあり,それがなかなか職業や収入に結びつかないなら,「食えないアーティスト・文化人」として生きる道もある。

 今の社会はかなり豊かになったので,「食えないアーティスト」が貧乏しながら生きていく余地も,昔よりはある。でも,その道へ行くかどうか迷うようなら,やめたほうがいい。

■中流や平均を安易に求めない
 すべてに通じるのは「今までの中流や平均を安易に求めても,うまくいかないし,楽しくもない」ということ。「中流」や「平均」を求めてもいいが,「それは簡単ではない」というイメージを持ち,「それだけがあるべき姿だ」と考えないこと。「平均は終わった」とまではいかなくても,「平均は貴重なものになってきた」のである。その状況に適応することを,考えてみよう。村上龍のつぎの言葉は,参考になる。

…進路を考えるときに,どの方向が有利か,というような問いは,経済力や学力に恵まれた子どもや若者だけに許された限定的なものだ。だから,どの方向が有利か,ではなく,どうすれば一人で生きのびて行けるか,という問いに向き合う必要がある。(村上龍『13歳の進路』幻冬舎,5ページ)

(以上,つづく)
2015年01月12日 (月) | Edit |
 今日は,久々に2本の記事を書きました。
 今日最初にアップした記事は,この記事のすぐ下ですので,そちらもご覧ください。

 *** 

 最近,「プチ富裕層とのつきあい方」というテーマが,よく頭をよぎります。
 「プチ富裕層」とは何か。世間でも使われることのある言葉ですが,「これだ」という定義はありません。

 あくまで「ここだけの定義」として,「金融資産(預貯金や証券の保有額)が数千万円~数億円」あるいは「年収1千万円~数千万円」に該当する人たち,ということにしておきます。すごいお金持ちではないですが,かなりの経済力を持っている人たち。

 こういう人たちは,ここ10年余りで増えています。
 野村総合研究所の推計だと,西暦2000年には「金融資産5000万円~5億円未満」(野村総研の分類だと「準富裕層」と「富裕層」の合計)に含まれる世帯数は,約330万世帯。
 それが2013年には,約410万世帯になっています。2割以上の大幅な増加です。

 その一方で,「金融資産ゼロ」という世帯も増えています。「資産ゼロ」世帯は,2007年には全世帯の約20%でしたが,2013年には約30%になりました。

 日本の総世帯数は,5200万世帯(2010年)。
 このうち400万世帯を少し超えるくらいが,「プチ富裕層」に含まれるわけです。これは,全世帯の8%。どんぶりで「全世帯の1割弱」というイメージでいいのではないでしょうか。

 その一方,全世帯の3割が「資産ゼロ」ということ。
 「プチ富裕層」も「資産ゼロ」も,近年増えてきている。

 ということは,日本社会における「経済的ゆとり」は,特定の層に集中する傾向が,近年はみられるのです。いわゆる「格差の拡大」というものです。

 ***

 そして,現代の特徴は,相当な経済力を持つ「プチ富裕層」が,これまでになく分厚く存在することです。何しろ,社会の1割にもなる。近い将来,さらに増えるかもしれません。15%とか20%になるということです。そのときには,「資産ゼロ」の人も増えているでしょう。

 そうなれば,プチ富裕層の存在感や影響力は非常に大きなものになる。
 しかし,その人たちがわかりやすいひとつの「社会集団」として姿をあらわすことはないでしょう。

 中高年,高齢者を中心としながらも,そこにはさまざまな年齢,職業,ライフスタイルなどの人たちが含まれているでしょう。ライフスタイルでみても,質素倹約な人もいれば,浪費的な人もいるはずです。新しい考えの人も保守的な人もいる。そこに明らかな共通性を見出すのはむずかしく,共通性があるとしたら,ばくぜんと「それなりのゆとりがある」ということくらい。

 そして,社会の1割を占めるのですから,誰もが(プチ富裕層であろうとなかろうと)彼らと日々関わることになるでしょう。たとえば,企業に勤める人なら,その人たちが顧客である製品やサービスを扱うことになるだろうし,何かの活動をすれば,プチ富裕層の人が重要なメンバーだったりするのです。

 ***

 だから,「プチ富裕層とのつきあい方」ということは,大事だと思います。
 そこには,広い意味が含まれています。

 プチ富裕層でない人,たとえば「資産ゼロ」やそれに近い人でも,仕事や何かの活動で彼らが重要になってくることがある。あるいは,「どうやって経済力をつけてプチ富裕層になるか,それに近づくか」を考えることもあるでしょう。

 プチ富裕層の人にとっては,「〈自分がプチ富裕層であること〉とどう向きあうか」が課題です。まず,自分がそのような存在だと自覚する。そのうえで「ゆとり」をどう使っていくか。あるいは,その経済力を維持するのにどうするか・・・

 その中で私が最も関心があるのは,「富裕でない人間として,プチ富裕層とどう関わるか」です。

 ところで私自身も,10年くらい前はここでいう「プチ富裕層」に近い状態だったのです。しかし,起業をしたところうまくいかず,散財や失業の結果(借金はありませんが),今は野村総研の分類だと「マス層」になりました。十分に稼ぐだけの実力が不足している,ともいえます(これから頑張りたいですが)。

 ***

 さらに,「どう関わるか」とは,「どう関心を持ってもらうか」ということだと捉えます。
 
 そのためにはマーケティング的な活動も必要ですが,根本は面白い・意義ある何かをすることです。何かをしていると,誰かの関心をひくことがある。とくに,ゆとりのあるプチ富裕層には,好奇心が旺盛で面白いことを積極的にさがしている人が多い。

 たとえば,私は何かを発信したり,何かの相談相手になったり,教えたりという方向での活動をしています。この活動はとくに富裕層向けにしているわけではありません。むしろ,経済的に制約のある人を意識したものです(私自身がそうだから,という面もあります)。私は「大衆路線」が好きなのです。
 
 でも,私のしていることに関心を寄せてくれる方の重要な部分に,いつもプチ富裕層の人たちがいると感じています。それなりのゆとりがあり,好奇心の豊かな人たち。全くの無名である私にアクセスしてくださるのですから,積極的な方が多いです。

 そのほかの人たちもいます。
 たとえば「若者」です。「社会でのポジションが未定」という特殊な存在。それだけに,いろんなことに興味を持つ傾向があります(そうでもない人もいますが)。
 
 あとは,富裕層ではない,いろんな人たち。この人たちにおもに語りかけているのだから,当然です。

 ただ,その中にはプチ富裕層と関わりが深い人も,少なくありません。
 自分が何かの活動をしていて,そこでプチ富裕層を顧客としたり,活動仲間としたりしているのです。
 
 たとえば,先日会った知人の1人。この人は,自分の小さな工房・アトリエを構えているフリーランスです。制作するプロダクツは受注生産。オーダーする顧客の多くはプチ富裕層といっていいです。でも,ご本人は「ビンボーでも好きなことをして生きていく」という道を歩んでいる。

 あるいは,私の友人のミュージシャンは,音楽活動のほかにアルバイトもしていますが,彼の音楽仲間には,プチ富裕層が結構います。中には,野村総研の分類だと「超富裕層」といえる人もいます。

 また,私の親しいある女性は,書道の教師をしています。書道の世界は基本的には富裕層の参加によって成り立ってきました。たとえば,書道の先生(とくに自宅で教えている人)は,多くの場合プチ富裕層といっていいでしょう。でも私の知り合いの彼女はちがいます。私の奥さんですので・・・

 ***
 

 ここで私が注目するのは,このような「自分自身は富裕層でないけど,プチ富裕層の関心をひく活動をしながら,楽しくがんばっている人たち」です。

 彼らはどうしているのか。

 単純なことですが,自分の分野でよく勉強して,楽しいこと・ステキなことをつくり出す活動をしています。情報発信やライブやイベントやプロダクツ制作をしているのです。自分なりにできるかたちで,「面白いこと」を続けている。その上で,「自分を人に知ってもらう」ための工夫や努力をしている。

 彼らをみていると,「自分はビンボーでも,世の中を楽しく豊かにするのに貢献できる」というのがわかります。こういう「ビンボーな人」がいないと,世の中は味気ないものになるでしょう。
 「ビンボー人」というのが失礼なら,「文化人」といってもいいです。

 また,そんな「ビンボー人ないしは文化人」をさまざまなかたちで応援するプチ富裕層の人たちも,世の中を楽しくしているといえます。また,プチ富裕層の人自身が「面白いこと」をつくり出す主体になっている場合も多いです。

 これは「社会を貧困から救う」といった,かつての社会主義的な理想とはちがいます。なにしろ「プチ富裕層」がカギを握るのです。プチ富裕層は,社会主義の教義では嫌われ者でした。

 ***

 この社会には「プチ富裕層の関心をひくビンボー人ないしは文化人」というポジションがあるようです。
 このような人たちも,これからの社会で一層の存在感を放つと思います。

  「富裕層を顧客やパトロンとする文化人」は,昔からいました。でもきわめて少数で,エリート的な存在でした。富裕層の数がごくかぎられていたからです。しかし「プチ富裕層に関わる文化人」はもっと数が多く,大衆的なものです。プチ富裕層が巨大なボリュームで存在するからです。「プチ富裕層」に対応するものとして「プチ文化人」といってもいいかもしれません。

 私も,そのあたりの「ビンボー人」のポジションは意識したいと思っています。そのために,いろんな意味での勉強や,行動をしていかないとね・・・

 
(以上)  
2014年12月14日 (日) | Edit |
 前回,前々回の続きですが,この回だけ読んでいただいても大丈夫です。

 「世の中を生きていくために何を身につけたらいいのだろう」ということは,多くの人が考えると思います。
 私も「これからの時代を生きるためのスキル・知識」について考えた。
 自分も含め,多くの人に役立つだろうという8つの項目をあげてみました。

【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】

1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる


 ここまでは,「これができる」という「スキル」。

 以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
 世界観のもとになる知識といってもいい。

5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ


 そして,基本的な態度・心構えとして

8.責任感のあるまじめさ・着実さ

 ***

 もし,「高いスキルをもった少数の人材」として高収入やステイタスを得たい,つまり「エリート」をめざすなら,これではもちろん足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があるでしょう。
 そして,「エリート」になろうとするなら,このリストにあるくらいのことは「土台」として当然に身につけておくべきだと思います。

 でも,そういう元気で能力の高い人たちよりも,私が話したいのは「いろんなことがうまくできない」と感じている人たちです。多数派のフツーの人たち,といっていい。
 
 そんな多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つでしょう。「この8つ全部が誰にも必要」なんてことはありません。

 なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていません。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかされていない。
 あるいは,それぞれの項目で「まず大事なことは何か」について議論が混乱していたりします。「多くの人にとって必要なレベル」と「社会の最先端を担う人材に必要なレベル」を混同していたりするのです。

 だからこそ,こういうリストをつくってみる意味があります。
 これらの8つの項目については,今の学校やマスコミはしっかり教えてくれないので,自分で自分を教育していく姿勢が大事です。

 また,そもそもこういう「教育内容のリスト」については,人によって考え方が大きく異なります。
 私のリストをみて「あれが足りない」「これは要らない」という意見はいろいろあると思います。あるいは,もっと抽象度の高い項目で考えるべきだという人や,逆にもっと具体的な内容のリストであるべきだ,という人もいるはずです。
 
 私は私なりのさじ加減で「このくらいの抽象度でまとめるといい」と思っているわけです。「生きる力」とか「問題発見力」みたいな包括的すぎる項目にならないように,かといって細かくなりすぎないように・・・

 以上,この8つの項目のリストは

 ・必ずしも「エリート」ではない多数派の人にとっても大事と思われることで
 ・学校では十分に教えていないことを
 ・抽象的になりすぎず,細かくなりすぎず

 という意識のもとにピックアップしたものです。
 このリストをきっかけに,自分なりのリストを考えてみるのもいいかと思います。

 ***

 それでは,各項目について説明していきます。
 まず最初の2つは「IT」と「英語」ですから,「それが大事だ」ということじたいは,誰も異論がないでしょう。
 問題は,その内容をどうとらえるかということです。
 世の中の議論にはいろいろ混乱や誤解があるように思います。

1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル

 これは,3つのレベルがあります。

 ①情報の消費のための端末を使える
 ②情報の生産・発信のための機器・システムを使える
 ③上記①②のシステムを作り出す

 多くのフツーの人に必要なのは,まず①で,それから②の初歩です。①は携帯やスマホやゲーム機がいじれる。パソコンでネットの検索ができる。②はおもにパソコンでアプリケーションのソフトなどを使って,アウトプットをする。③は,ITの専門家・技術者の世界です。 

 ときどき,これらがごちゃごちゃになっている議論をみかけます。
 「今の若い人たちはゲーム機やスマホで慣れているから,ことさらにITの教育する必要はない」という人がいます。でも,それでは②の教育はどうするのか? だからといって,コンピュータ言語などの③レベルが誰にも必要と考えるのは行きすぎです。
 
 ①は,今の時代はかなりの人が生活のなかで身につけています。
 しかし,若い人でIT機器に慣れているはずだから,自然に②が身についているということはありません。

 大学生のつくったワープロの書類をみると,かなりの場合「基本操作ができていない」とわかります。パソコンに疎い中年の私がみても「ダメだなー」と思うものがかなりあるのです。(私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職相談の仕事をしています)

 それから,ここで「コンピューター操作のスキル」などといわずに「コンピューターと働くスキル」というのには,わけがあります。
 それは,「コンピューターを扱うこと」自体が目的ではないからです。「コンピューターに手伝ってもらいつつ,コンピューターにはできない何かを行って成果を出す」のが目的です。

 だとすると,私たちに「コンピューターにできない何か」ができるかどうかが,大事になります。そのうえで,コンピューターとどう関わるか。その視点が必要です。

 
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める

 「読む」「書く」「聞く」「話す」の全部をこなして英語でコミュニケーションするのは,ものすごくハードルの高いことです。英語でのコミュニケーションのうち,最も初歩的で入りやすいのは「読む」こと。

 そして,英語を「読む」力は,今の時代はおおいに使いでがあります。インターネットで大量の英文に手軽にアクセスできるからです。興味のある分野の記事を,たどたどしくても読めたら楽しいし,世界が広がります。

 少し前は「読むに値する英文」に出会うこと自体がたいへんでした。ふだんから多くの英語の本や新聞,専門誌などに触れている特別な人にだけ,それが可能でした。でも今はちがいます。インターネットのおかげです。

 なので,英語学習のとりあえずの目標は「興味のある分野に関する英文を,多少時間がかかっても読めるようになること」だと考えるといいでしょう。

 もちろん,その先の英語力もあったほうがいいにきまっています。「社会の最前線」にいるビジネスマンに話を聞くと「英語はやっぱり勉強したほうがいい。英語ができると職業選択の幅は大きく広がる」といったことを,多くの人が言います。

 でも,「とりあえずこれでいい」というレベルも自覚しておきましょう。
 大事なのは,英語というのはいろんなレベルなりに「使える」ということです。

 就職の相談で「TOEIC600点じゃ,資格のうちに入らないのでは?」という話を聞きますが,そんなことはありません。たしかに「それでは足りない」という仕事はあります。でも,「600点でも(いや500点でも)とりあえずオーケー」という,英語を使う仕事もあるのです。

 ***

 以上の「IT」と「英語」は,私にとっては苦手の分野です。ほんとうはエラそうなことは言えません。
 でも,苦手なりに,苦手だからこそ「何が大切か」を感じるところもあります。

 また,パソコンにせよ英語にせよ,ささやかにしかできなくても,ほかのスキルと結びついたとき,じつに有意義なものだと感じます。
 たとえば私は,このブログや自家製の印刷物や商業出版などで情報発信をしていますが,それに必要な初歩のパソコンのスキルを身につけて,ほんとうによかったと思うのです。

 私が「初歩のパソコンスキル」と組み合わせているのは,つぎの「文章を書く」というスキルです。


3.実用的なわかりやすい文章が書ける

 昔ながらの定義だと,知識人とは「文章・文書で,複雑なコミュニケーションがとれる人」のことです。軍隊や役所での文書によるやりとりが,その古典的なかたちです。きちんとした文書の読み書きができるのは,昔は高等教育を受けた人だけでした。だからそのような人たちが将校や高級官僚になったのです。

 今の時代は,幅広い人たちが将校や官僚のように多くの文書を書いています。メールやSNSでのやり取り,就職活動,プレゼン,議事録,報告書,レジメ,レポート,システムに入力する記録・・・

 「実用的なわかりやすい文章が書ける」ことは,今の社会の重要なスキルになっています。
 でも,学校教育ではあまり力を入れていません。

 国語や作文の授業は,あいかわらず「文芸」中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求することがメインで,「実用的でわかりやすい文章を書く」という視点は弱いです。

 大学の授業で書かせるレポートも,「実用的な文章」のトレーニングにはなっていないようです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文というのは,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。

 私は会社員時代(総務・法務の担当だった)や今のキャリアカウンセラーの仕事などを通じて,さまざまな文章をつくったり,人の文章を検討したりしてきました。また,個人の活動として著作も行ってきました。「文章・文書にまみれて生きてきた」といってもいいかもしれません。

 それでわかったのは,「書くことが得意な人は少ない」ということです。
 「パソコンが得意」「英語が得意」という人よりも少ないかもしれません。
 年齢・学歴などを問わず,多くの人が「文章を書く」ことには苦戦しています。 

 学校で「書くこと」の教育に力が入らない一因も,そこにあります。
 「文章の書き方」を教えられる人が,教育現場にあまりいない。
 いたとしても,ほかのことで手一杯。

 数百~2000文字くらいの,一定のメッセージといくつかの情報で構成された,わかりやすい文章。
 それが不自由なく書けるとしたら,これから生きていくうえで,いろいろ得すること,楽しいことがあるでしょう。

 文章が書けるようになると,話すのも,聞くのも,読むのも上手になります。一流の作家の多くは,弁の立つ人でなくても,しっかりと伝えるべきことを話したり,人の話を引き出したりできるのです。

 でも,それは今の学校教育ではまず教えてくれないので,自分で何とかしないといけません。

 この項目は,私としてはこれまで追求してきた分野です。関連する著作(電子書籍 自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library) アマゾンキンドルで発売中)もあります。書きたいことはもっとありますが,今回はこのへんで。

 ほかの項目(4.以下)は,次回以降に。

(以上)
2014年12月13日 (土) | Edit |
 前回の記事で,「これからの時代を生きるための知識とスキル」ということで,後で述べる8つの項目をあげました。
 これを考えるきっかけとなった,タイラー・コーエン著 大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか という本や,高校の先生である友人との会話などについても述べました。

 コーエンは「平均は終わった」と言います。これからは「格差」の時代なのだと。テクノロジーによる社会の変化がそのような時代をもたらす・・・

 今回は,「8つの項目」の前提になる話をします。
 これからの世の中についての,おおざっぱな認識です。
 とくに就職や所得にかんすること。

 ***

 技術革新(おもにIT関係)によって,従来の「中流」的な人たちのおもな職であった「そこそこのスキルで行う,そこそこ知的な感じのホワイトカラーの,安定した仕事」が大幅に減りつつあるのではないか。

 世の中の働き手は,賢い機械(コンピュータ・人工知能)を補えるような高度のスキルや判断力を持つ少数派と,そうでない多数派に大きく分かれていく。「そうでない」人たちが,これまでのような「中流」でいられるだけの所得を得ることは難しくなる。今すでにその傾向はあらわれているが,将来は一層はっきりしてくるのではないか…

 このような「中流の消滅」や「格差の拡大」には,技術革新のほかに「経済成長の停滞」もかかわっています。

 「そこそこの安定したホワイトカラー」は,経済成長が長く続いたことで生まれた「余裕」の産物です。
 日本では1980年代から90年代は,そんな「ホワイトカラー」の黄金時代でした。

 私が新入社員だった1980年代後半には,「比較的簡単な判断業務を行うだけの,オフィスで新聞を読む時間もたっぷりある課長職」や「比較的単純な事務処理をコツコツ行って年収数百万円の,正社員事務職」というのが,かなりフツーにありました。

 経済の停滞が長く続けば,会社にそのような人たちを養う余裕はなくなっていきます。
 そして,さまざまな技術革新とあいまって,仕事の現場では「そこそこのホワイトカラー」を減らして・抜きにしてやっていくことが浸透してきたのです。

 「余裕」の消滅には,よく言われるように「グローバル化の進展による競争の激化」も関係しています。新興国の安価な製品に対抗するのに,生産性の低い高給のホワイトカラーを大勢かかえるわけにはいきません。

 今,上記のようなのんびりした「課長職」はどれだけあるでしょうか?
 また,就職活動をする今の若い人たちにとって,「コツコツ事務作業をしさえすれば給料や身分が保証される事務職」になることがどれだけ難しいか。そのような求人は今や貴重です。あったとしても相当な競争倍率です。

 たとえば,今の世の中「普通のOL」になるのは,なかなか大変です。
 有名ではない中小企業の,おそらく若い女子を想定していると思われる「一般事務職」,つまり「普通のOL」の求人があったとする。それはたいてい「1人」「2人」の募集ですが,そこに数十人以上の応募があることもしばしばです。有名な大企業ではなく,中小企業でもそうなのです。

 そして,そもそも「普通のOL」だって,コツコツ事務作業をしたりお茶を入れたりすればいい,なんてことはまずあり得ない。だから,そこがわかっていない人は,なかなか採用されません。

 公務員をめざす若者も増えました。
 公務員の世界には「そこそこのホワイトカラー」がまだまだ残っています。でも,これも今や難関。小さな市町村の役所に入るにしても,予備校通いをして筆記試験に合格し,相当な倍率の面接を突破しないといけません。今の親世代が若いころは,筆記試験に通れば,かなりの確率で採用されたのですが,今はそうではないのです。

 「〇〇さんの子どもが市役所に就職した」という話があっても,よく聞いてみると「契約職員」などの,いわゆる「非正規」の雇用であることが結構あります。その多くは,一定期間で契約を切られてしまう(解雇される)ことになっています。

 これから,一定の好景気がやってくることもあるでしょう。
 しかし,「ホワイトカラー」にとっての黄金時代が再び訪れることはないでしょう。世の中の仕事の仕方が変わっていくからです。

 去年から今年にかけて,日本経済では一定の景気回復や雇用の改善がみられましたが,ここでいう「そこそこのホワイトカラー」の職は増えていません。

 ここ1~2年で求人がとくに増えたのは,建設や販売接客など,「賢い機械」が苦手な分野の仕事です。製造や営業やIT技術者などほかの領域でも,少なくとも部分的には求人増はあります。しかし,「そこそこのホワイトカラー」を増やす考えは,今の企業にはないのです。

 これから当面の日本では,多少の「景気回復」があったとしても,「実感がない」と多くの人たちは言うでしょう。
 失業率や有効求人倍率などからみて「雇用の改善」があっても,「就職が厳しい」と言い続けるはずです。
 「かつての〈中流〉的な仕事や生活がなかなか得られない」ということであれば,そうなります。20~30年前の「黄金時代」が戻ってこないかぎり,多くの人たちには不満が残ってしまうのです。

 ***

 以上のような話は,たいしてめずらしいものではないでしょう。あちこちで言われていることです。
 でも,今回書いてみたのは,私なりにこのような「社会の変化」を,「現場」の感覚としても実感しているからです。
 
 また,幅広い現象をざっとみわたす文章は意外と少ないので,自分でまとめてみた,ということもあります。

 この何年か,私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職の相談の仕事をしてきました。千数百回の相談を行い,万を超える具体的な求人をみたりしてきました。そのうえで得た「実感」をもとに関係者の話を聞いたり,活字の情報に学んだりして,「世間でよく言われていることはやはり本当だ」と思うのです。

 また,「古き良き日本企業」といえる会社に十何年勤めたり,その合間に教育に関するNPOにかかわったり,サラリーマンを辞めて金融系の会社をつくったり,失業者として何年かブラブラしたことなどもあります。その過程で見聞きしたことももちろんベースにあります。

 そのうえで,冒頭で紹介したコーエンや,その他の識者が述べているような「これからは格差の時代」「平均や中流の終わり」ということは,たぶん本当なのだろうと。

 じゃあ,どうしたらいいの?
 
 私は,ことさらに危機感をあおったり,「こんな社会はまちがっている」とさかんに憂いたりするつもりはありません。
 対応策は,その人なりにいろいろあると思います。
 若い人ほど,どうにでもなりやすいです。
 やたらと眉間にシワを寄せるのはよくないです。

 「政策をこうすべきだ」という話も,ないわけではありませんが,ここではおいておきます。
 あくまで「個人としての対応」に話をしぼります。

 まず,未来の労働市場が,少数の高いスキルを持つ人材とその他大勢に2極化するというなら,自分は「少数の高いスキルを持つ人」になれないだろうか? 

 具体的には,それぞれの分野で上位何パーセントかの人になるということです(ただし,その分野に社会的なニーズがないといけません)。それに「手が届きそう」という人は,結構います。若くて元気な人は,それを目指すことをまず考えればいいでしょう。

 「これからの労働市場」をふまえた「仕事論」の本がいくつか出ていますが,そこで主流なのは「少数の高いスキルを持つ人になろう」と説く本です。
 
 それはちょっと気が進まない,あるは「無理」と思う人もいるでしょう。
 (しかし「無理」かどうかは,よく考えてみたほうがいいと思う。結構やれるかもしれない)
 でもまあ,それならそれで,いろんな考えはあるはずです。

 さきほど述べたような,建設や接客・サービスなどの「賢い機械が苦手な仕事で,人を雇う意欲のある分野」で少しでも納得のいく職をみつける。
 納得のいく職がどうしてもなければ,自分で「小商い」「スモールビジネス」を立ち上げる。自営業者になるということです。あるいは「将来,小さな起業をする」ことを意識して職を選ぶ。

 そんなのはイヤだ,やっぱり「そこそこのホワイトカラー」として安定したいというなら,今でもそのような職がまったくないというわけではありません。若い人,とくに学生であれば,それをめざすことも考えられます。

 そのための具体的な戦略もあるので,熱意を持って追求すればいいと思います。ただ,今の親世代のときのように,まともな戦略や努力もなく「そこそこのホワイトカラー」にすんなりなれる時代は終わったということです。そして「社会のかぎられた席を得る競争」には必ず「敗者」がいて,自分がそうなる可能性もあるということも忘れてはいけない・・・

 でも,「安定したそこそこのホワイトカラー」を志向する人にかぎって,それをめざすための戦略や熱意が弱い傾向があるのです。だから「それなら意識をもってやろうよ」ということです。

 中高年の人は,今現在「まあまあ納得」の安定した仕事があるなら,大切にしましょう。

 そして,「一生真剣にやってきたい」ということが本当にあって,しかしそれがなかなか職業や収入に結びつかないという人。
 それなら,「食えないアーティスト・文化人」として生きる道もあるでしょう。そういう人が生きるための戦略や知恵というのもあるので,これも追及していくことかと思います。

 今の社会はかなり豊かにはなったので,「食えないアーティスト」が貧乏しながら生きていく余地も,昔よりはだいぶあるのです。でも,その道へ行くかどうかおおいに迷うようなら,やめたほうがいいかと。

 あとは,「生活のなかの愉しみ」について,柔軟な考えを持つといいと思います。
 衣食住について,娯楽について,何がステキで良いものなのか,という感覚を柔軟にすることです。今まで「安いもの」「つまらないもの」といわれてきたものに新たな「価値」を見出せたら「シメた!」と思いましょう。それはこれからの社会への「適応力」が増すということです。

 その対極が,だいぶマイナーにはなりましたが「バブリー」な価値観です。いわゆる高級品とかブランドとかその亜流が大好きだということ。この価値観で生きていこうとするなら,これからの時代は「少数の経済的成功者」になることでしょう。それができるなら「バブリー」もいい。それはそれで楽しいはず。

 ***

 「あれもある・これもある」という話をしましたが,すべてに通じるのは「今までの中流や平均を安易に求めても,うまくいかないし,楽しくもない」という考え方です。「中流」や「平均」を求めてもいいのですが,「それは簡単ではない」というイメージを持つことです。また,「それだけがあるべき姿だ」と考えるのも,まちがいです。

 「平均は終わった」とまではいかなくても,「平均は貴重なものになってきた」ということ。
 その状況に適応することを,考えてみよう。
 やり方は,いろいろあるはずです。

 ***

 以上のような「社会への認識」をふまえて,つぎのような「これからの時代を生きるためのスキル・知識」を考えました。
 もし,「高いスキルをもった少数の人材」,つまり「エリート」をめざすなら,これではとうてい足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があります。

 しかし,多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つと思います。

 なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていないのです。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかなされていない。

【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】

1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる


 ここまでは,「これができる」という「スキル」。

 以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
 世界観のもとになる知識といってもいい。

5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ


 そして,基本的な態度・心構えとして

8.責任感のあるまじめさ・着実さ

 ***

 各項目についての説明は,次回に。
 前のときも「次回に」といっておきながら,今回説明しませんでしたが,今度はします。

(以上)
2014年12月10日 (水) | Edit |
 10月から11月にかけては,普段あまり会えない友人と会って,じっくり話すことが何度かありました。オープンハウス(我が家を公開)のイベントで,何人もの方とお会いしました。興味深い本に出会うこともできた。

 そんな刺激を受けると,いろいろ考えます。
 考えたことを書きたくなります。
 書く時間がなかなかとれなかったのですが,今日はその一端を書きます。

 テーマは,「これからの時代を生きるためのスキルと知識」をいくつかあげてみよう,というもの。
 「生きる」というのは,充実して,楽しく生きるということ。

 それを考えるきっかけのひとつが,先月読んだ,タイラー・コーエン『大格差』(NTT出版,2014年)という本です。
 この本のサブタイトルは「機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」。

大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか
(2014/09/11)
タイラー・コーエン

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 テクノロジーの発達で,賢い機械(コンピューター)が多くの人の職をおびやかしつつある。
 賢い機械にできる仕事の範囲は,これからもどんどん広がっていく。
 しかるべきスキルを持たない人は,就業の機会から締め出されてしまう時代がやってくるのではないか。
 著者は,こう述べます。
  
 《あなたは,賢い機械と一緒に働くことが得意か,そうでないか?・・・あなたの技能がコンピューターを補完するものなら,あなたが職に就き,高い賃金を受け取れる確率は高い。しかし,あなたの技能がコンピューターを補完できなければ,見通しはおそらく暗い。将来は,ますます多くの働き手がこのいずれかに二分されるようになる。そう,平均は終わったのである》(6ページ)

 これからの技術革新の方向性と,それが未来の労働市場にどう影響をあたえるのか?
 未来の労働市場で求められる資質は何か?

 そんなことを論じた本です。
 この本を,先日(オープンハウスのイベントで)我が家に来てくれた友人に紹介しました。高校の先生である彼が,こんなことを言っていたからです。
  
 「ボク(40代)の同僚の若い英語の先生が,『英語なんてウチの生徒には役に立たない。もっと社会で役立つ,お辞儀の仕方とか,礼儀やマナーをもっと教えないといけない』って言うんだよね。ちょっと理解できない・・・ボクはおもに物理を教えているけど,教科をきちんと教えることは,これからの時代も意味があると思っている」

 彼の勤務する学校はいわゆる進学校ではないので,「ウチの生徒に英語なんて・・・」といった話が出てくるのかもしれません。

 そして,若い先生はこの人なりに「時代の変化」を感じているのでしょう。

 この世代の先生は,就職ではずいぶんたいへんな思いをしています。教員採用の試験は,昔は筆記試験が通れば,かなりの確率で「採用」となったのですが,今はそうはいかない。それなりの競争倍率の面接をくぐり抜けないと,先生にはなれない。面接官に気に入ってもらえるように,じょうずにコミュニケーションを取っていくことが必要。礼儀やマナーも大事。

 「礼儀やマナーを生徒に教えないと」というのは,おそらく若い世代の「就活体験」に根ざした考えなのでしょう。
 
 私の友人は,研究熱心で生徒にも慕われている先生ですが,組織のなかで要領よく行儀よくふるまうのは得意ではありません。
 「若いころのあなたのような人は,今の時代だと採用試験を通らないかもね」というと,彼も「そうだねー」。

 「これからの時代に何を身につけるといいか(何を教えるといいか)」を考える参考として,私は友人にこの本を紹介したのです。

 ***

 私は「英語よりもお辞儀の仕方だ」という考えには賛成しません。
 役に立たないのは「英語」そのものではなく,今の授業の英語なのかもしれません。英語の先生なら「目の前の生徒にとって役立つ英語は何か」を考えればいい。

 でも,「これからの時代を生きるために,教育で何を教えるべきか」について,これまでとはちがった考えが必要だという点には,かなり同意します。
  
 では,「何が大事か」ということですが,その簡単な一覧を考えてみました。
 コーエンが『大格差』で述べていることと重なる部分もありますが,私なりの視点もあります。
 
 こんな一覧です。

【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】

1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる


 ここまでは,「これができる」という「スキル」です。

 以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
 世界観のもとになる知識といってもいい。

5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ


 そして,基本的な態度・心構えとして

8.責任感のあるまじめさ・着実さ

 ***

 以上の項目は,抽象的にならないよいうに心がけました。「生きる力」や「問題発見力」のような,広すぎる漠然とした概念にならないように。ざっくりだけど,一定の具体性を備えた項目のつもりです。原理的には,適切なカリキュラムを組めば,学校などで教えることができるスキルや知識です(8.はやや難しいですが)。

 そして,教育の世界では,これまであまり重視されていなかったことばかり。

 もっと説明が必要ですが,それは次回以降に。

(以上) 
2014年05月18日 (日) | Edit |
 5月になると,来年春に大学などを卒業する就活生たちのなかに「第一志望に落ちてしまって」という人が多くあらわれます。

 そのころまでに「人気のある大企業」では,採用の選考がひと段落する。
 そうした選考で,残念ながら落ちてしまった人たちがおおぜい出てしまう。
 「もう,受ける会社がない」などと落ち込む人もいる。

 もちろん,「受ける会社がない」なんてことはありません。たしかに,一部の大企業の選考は,かなり終わりました。でも,それは日本の会社のほんの一部。受ける価値のある会社は,まだまだあります。

 アニメの宮崎駿監督による「採用試験」というコラムがあります。(宮崎駿『出発点1979~1996』徳間書店 所収)
 宮崎さんは,だいぶ昔にあるアニメ会社のアニメーター採用試験にたざずわったことがあります。数百名の応募から約10名を採用する選考で,多くの人が不採用になりました。

 しかし,じつはこうだった,といいます。

《その後,仕事場を移って何本か映画を作った。そのたびに,スタッフの中にそのときの選考で私が不合格にした若者たちと出会った。いま作っている映画の中心メンバーにも,その数名が参加している。そのとき合格にして養成した新人たちも,成長して仲良く机を並べている。
 いったい,あの選考はなんだったんだろう》(166ページ)


 過去の採用試験落ちた人たちにも,その後第一線で活躍する人が結構いるのです。

 採用試験って,そういうもの。
 落ちたら「自分はダメ」とか,「もう終わり」とかいうことではない。

 採用試験で「すぐれた資質の人を客観的に選ぶ」ことは,たいへんむずかしいのです。ある程度はできるかもしれませんが,「あてにならない部分」はかなりあります。
 
 宮崎さんも,コラムでこう述べています。

《書類選考を始めてすぐ壁にぶつかった》
《一目瞭然の独創性,すぐれた資質の者などひとりもいない。混沌である。…面接しても,全員緊張ではりつめているから,瞳がキラキラしていて,質良く見えてしまう。慎重に客観的にと思いつつ,結局は狭い経験主義に頼ってしまったようだ》(166ページ)


 ***

 「第一志望」を落ちてしまった人へ。もしも,めざす場所に対し,あなたがある程度「いい線」のレベルにあると思えるなら,同業のほかのところをあたりましょう。その世界のどこかで,あなたを採用してくれるところがあるでしょう。「理想」の条件ではないかもしれませんが,チャンスは与えられるはずです。

 「〈理想〉の条件でないなら,あこがれの〈あの会社〉でないなら,その世界はいやだ」という人もいるでしょう。「野球選手になるなら巨人でないといやだ」とか「スタジオジブリでないとアニメーターにはなりたくない」といったことです。だったら,自分の「夢」を考えなおしてみてもいいかもしれません。
 
 そして,「いい線いっている,一定のレベル」に達するのには,それなりの努力や準備をすればいいのです。
 「一定のレベル」に達するだけなら,努力でどうにかなります。
 そこは,才能や,運の良し悪しや,面接のときの勢い・要領などには,あまり左右されません。
 
 もしも,そんな努力を重ねながらも「採用」に至らないなら,あるいは「一定のレベル」に達するのがむずかしいようなら,別の世界をあたってみましょう。
 「自分」を売り込む・持っていく場所を変えてみるのです。

 すると,あなたへの評価が大きく変わることがあります。「NO」といわれ続けていた人が,別の場所では「いいね!」といわれることがあるのです。そこが自分を生かす場所かもしれない。

 以上は,「きれいごと」ではなく,ほんとうのことです。
 くりかえしますが,採用試験なんて,そういうものなのです。

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年05月11日 (日) | Edit |
 前回の記事で,秋田県のある城下町を歩いた話をしました。そして,町のあちこちでみかけるお店や自営の看板をみながらつぎのように思った,と書きました。

 「地方経済はどうなるのか,どうあるべきか」みたいなことはおいておきます。
 とにかく,「みんな,何かして暮らしてるんだなー」と。
 自分も,何かの「生業(なりわい)」で生きていかないといけない……


 この「生業」という言葉について,読者の方(かずゆきさん)から,つぎのコメントをいただきました。

 「生業(なりわい)」と「職業」には何となく違いを感じます。
  生計を立てようとするとき,いろいろな仕事をして生計をたてるのが,「生業」で,1つの仕事に集中して働き生計を立てるのが「職業」というイメージがあります。両方とも生きるため,ということには変わりがないのですが。
  知り合いに,島に暮らしている人がいて,畑で農業をし,海で漁師をし,公共事業で土木作業員をして生計を立てていました。とても明るく過ごされていました。何でもできてすごいなあと思ったものでした。


 たしかに,「生業」という言葉には,「いろいろなことをして生計を立てる」というニュアンスがあります。

 「農業をしながら漁師をして土木作業員もしている」というのは,まさにそうです。
 「田舎」といわれるところでは,それがかなり一般的なのではないでしょうか。

 私の親戚の何人かは,相当山深いところに住んでいます。その本人(叔父)はサラリーマンだったりするのですが,周囲には複数の「生業」で暮らす人が多いと聞きます。「専業農家」や「会社勤めだけ」という人は少ないのです。

 私が歩いた城下町の自営業の方たちも,その商売だけで食べている人ばかりではないでしょう。本人や家族が何かの勤めをするなど,ほかの仕事と兼業であることも,かなりあるはずです。

 そのような「自営」の仕事は,「生業」という言葉がしっくりくると思います。

 ***

 生業という言葉の意味あいや意義について,私がとくに意識するようになったのは,伊藤洋志『ナリワイをつくる』(東京書籍)という本を通してでした。

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方
(2012/07/02)
伊藤 洋志

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 著者の伊藤さんは1979年生まれ。大学院を出たあとベンチャー企業勤務やフリーランスの記者を経て,2007年から《個人が小さい元手ではじめられる頭と体をつかう仕事をテーマにナリワイづくりを開始》したとのこと。

 今は,小さな「一棟貸し」の宿の経営,「モンゴル武者修行ツアー」の主宰,田舎暮らしについて学ぶワークショップの主宰,古い木造校舎を使った手づくりウェディングの企画運営等々の「ナリワイ」を行っているそうです。

 伊藤さんのいう「ナリワイ」とは,上記にあるように「個人が小さい元手ではじめられる頭と体を使う仕事」です。ひとつひとつから得られる収入はかぎられていて,それらを複数組み合わせて食べていく……そんなイメージです。

 伊藤さんは,こう述べています。

《ナリワイで生きるということは,大掛かりな仕掛けを使わずに,生活の中から仕事を生み出し,仕事の中から生活を充実させる。そんな仕事をいくつもつくって組み合わせていく。いわば現代資本主義での平和なゲリラ作戦だ》(同書27ページ)

 「ナリワイ」というのは,そういうざっくりした考え方。
 明確な定義があるわけではない。

 その点については,伊藤さんはこう述べています。

《あえて言えば,ナリワイは「弱いコンセプト」なのである。会社で使おうものなら,「詰めが甘い!」とか,「落とし込みが足りない!」と叱責されそうだが,強いコンセプトでは越えられない状況を越えるには,あえて弱いコンセプトにとどめておく事が大事だとも考えている》(同書58ページ)

 関連図書として,藤村靖之『月3万円ビジネス』(晶文社)という本もあります。
 この本の著者の藤村さんには,伊藤さんも学んだといいます。

月3万円ビジネス月3万円ビジネス
(2011/07/02)
藤村靖之

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 こちらも,「複数の,小規模な仕事・ビジネスを組み合わせて生計を立てていく」ということがテーマです。「月3万円の粗利が得られる小さなビジネスを10個も持てば,食べていける」という考え方や,そのようなビジネスの事例について述べています。

 「ナリワイ」という考え方は,今は新鮮な視点だと思います。
 しかし,いずれ「おなじみ」になっていくのではないでしょうか。

 経済の停滞・低成長が続くなかで,「ナリワイの組み合わせで生きる」人は増えていくはずです。
 安定した,十分な収入が得られる「正社員」的な仕事が,手に入りにくくなっているのですから。また,「正社員」の仕事が,以前よりも「疲れる」「重たい」ものになっている,ということもあるでしょう。
 
 そして最初は,伊藤さんのように積極的に「ナリワイで生きる」ことを選ぶ人が,その道を切りひらくのでしょう。
 しかしやがては,「否応なく」という人が増えていくのではないか。

 あるいは,すでに「否応なくナリワイで生きている」という人が増えているなかで,伊藤さんのように「ナリワイ」の可能性や意義を掘り下げる人が出てきた,ということなのかもしれません。
 
 ***

 私は,10年近く前にサラリーマンを辞め,会社をつくりました。しかし,その会社からは撤退してしまい,その後は「専業」という意味での「職業」は持っていない,といえます(それにしても,創業にかかわったその「会社」は,「ナリワイ」の対極にある,まさに「大掛かりな仕掛け」そのものでした…)。

 そこで,自分なりの「ナリワイ」をつくっていかないといけないと思います。そのための試行錯誤も,少しだけはしていますが,まだまだ。これからの課題です。

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年05月09日 (金) | Edit |
金萬
秋田名物「金萬」

 このゴールデンウイークは,妻の郷里の秋田県に,夫婦2人で行ってきました。
 帰省するたび,義父はクルマで県内の観光に連れて行ってくれます。

 今回はどこへ行こうか。話し合って,県内のある城下町を訪ねることにしました。妻の実家の農村地帯からクルマで1時間半の,人口10万ほどの町。父も,ほとんど行ったことがないそうです。

 その町の郊外には,美術館などの文化・観光施設がまとめて建てられた一画があります。
 まずはそこへ行って,それから市内に,という予定でした。

 でも,施設につながる道はクルマが列をなしている。「混んでいるから,やめておこう」ということになって,まっすぐ市内に向かいました。

 まず,市の中心のJRの駅前へ。そこで観光案内所に行き,いろいろ教えてもらいました。

 駅前を「市の中心」といいましたが,JRの駅周辺がはっきりと「中心」であったのは,昭和の時代の話。
 近年は,郊外のショッピングセンターや,ロードサイドのお店のほうがにぎわっていたりします。
 その駅も,駅の周辺も,人通りは多くありません。

 駅近くの公共駐車場にクルマを停め,父母と私たち夫婦4人で,数時間ほど町を散策しました。

 名物のB級グルメを小さな中華食堂で食べ(おいしかった),町の伝統文化を紹介する施設に行き,古い街並みが残る一画を歩く。駅前のホテルのラウンジでコーヒーを飲んだりもしました。

 ガイドに載っている「スポット」を渡り歩いたわけですが,スポットそのもの以上に,街中を歩くことじたいが,たのしい。

 父は最初「市内を歩いたって,みるものはないんじゃないか」と言っていました。
 たしかに,「なんでもない風景」といえば,そのとおり。

 でも,古い商家がぽつんと残っていたり,小さなお寺をみかけたりします。
 「昭和」な感じの,お茶や茶器を売る立派なお店があったり,その横には大きな魚屋さんがあったり。

 町を歩いていて,「商店・飲食店や自営業の看板が多いなー」と感じます。

 肉屋,ケーキ屋,居酒屋,洋食屋,旅館,理髪店,洋品店,雑貨屋,英会話教室,工務店,墓石店,歯医者,自動車用品の店……考えられるかぎりのお店がある。古い店もあれば,イマドキな構えの店も。さびれた店もあれば,活気を感じる店もある。それらが,人の住むエリアの中にあるのです。チェーン店はほとんどなく,個人営業が中心。

 人が暮らしているんだから,いろんな店が並んでいるのは,あたりまえといえばあたりまえです。

 でも,私の住む東京の多摩地区にはあまりない光景です。私の住む町では,人が住む地域と商業の地域は分かれています。お店も,新しい・大企業のチェーン店ばかり。

 「地方の経済は,たいへん苦しい」といわれます。
 たしかにそうなのでしょう。そのことは,経済の本や統計からも,年輩の人の「昔はこの町もにぎやかだった…」といった思い出話からもわかります。
 
 私たちの歩いた,この町の商店や駅前も,昭和の時代にはもっとにぎやかだったにちがいありません。でも,今はかなりひっそりとしています。

 私は就職・キャリア関係の仕事をしていることもあり,地方の就職の状況も,多少はわかります。地方での,安定した正社員の職は,やはりかぎられています。「公務員の職があった」といっても,パートや契約職員だったりする。

 しかし,それでも人びとは何とかして,何かをして食べている。
 多くの商店や自営の看板をみていると,それを感じます。

 それぞれの商売は,それだけでは食べていけないのかもしれない。何かの勤め(パートの仕事かもしれない)との兼業でどうにか,ということもかなりあるでしょう。

 でもとにかく,自分の「生業(なりわい)」をみつけて,やっているわけです。
 自営で雑貨を売ったり,散髪をしたり,電気工事をしたり,英語を教えたり,ほかの人が求める何かを提供して,収入を得ているのです。

 「地方経済はどうなるのか,どうあるべきか」みたいなことはおいておきます。
 とにかく,「みんな,何かして暮らしてるんだなー」と。
 自分も,何かの「生業」で生きていかないといけない……

 そんなことを感じながら,町を歩きました。

 父も散策の後半からは,「なかなかおもしろいね,美術館などに行くよりよかった」と言ってくれました。
 
 知らない町をぶらぶら歩く。観光スポット以外の光景をじっくりみる。これはおすすめです。


昭和な店
町に残る昭和な店構え

橋の上から
町を流れる川

(以上) 
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月06日 (木) | Edit |
 私は今,若い人の就職の相談に乗る「キャリア・カウンセラー(アドバイザー)」の仕事をしているので,今回はその話題を。
 ここでは,就職=就社ということにしておきます。

 2月から3月にかけては,多くの大学3年生が就職活動で本格的に動き出す時期。少なくとも今の大学生の「シューカツ」のカレンダーでは,そうです。

 だからその時期である今,大上段につぎのことをお尋ねします。

 就職活動でいちばん大事なことは何でしょうか?

 ***
 
 この質問に「自己分析」と答える人もいます。

 でも,たぶんちがう。
 
 では,何が大事なのか?
 
 就職活動で,いちばん大事なことは,「会社」をみつけることです。

 では,どんな「会社」をみつける,というのでしょう?

 「いい会社」をみつける?
 「自分に合う会社」をみつける?

 これだと,ことがらの「半分」しかとらえてないと思います。あるいは,もう少し踏み込んで明確にしたほうがいいのかもしれません。

 大事なのは

 「自分が入社してもいい」と思える会社で
 「自分を採用してくれる会社」をみつけること。


 そして,その中でできるかぎり「納得」の度合いの大きい会社をみつけること。

 これは,「シューカツとは何か」ということでもある。

 言ってしまえば,あたりまえの話です。
 でも,この「あたりまえ」を見失ってしまうことも,かなり多いのです。

 たとえば,「あこがれの一流企業」ばかり受けている学生さんは,そうなのかもしれません。

 もちろん,就職活動の時期だからこそ,そのような「あこがれ」の会社を受けることができるのですから,トライしたらいいと思います。でも,そういう活動だけでは,どうなのか……

 ***

 就活生におすすめしたいのは,「大学受験生のような発想で,自分が受ける会社を考えてみよう」ということです。

 大学受験のときには,自分にとって「難しい」と思える大学(高望み),「なんとかいけそう」という大学(実力相応),「かなり確実に受かりそう」な大学(滑り止め)をみきわめ,それぞれ1つは受けたりしたものです。「偏差値」は,その「みきわめ」のための道具でした。
 まあ,最近はペーパー試験なしで大学に入る人も増えましたが……

 こういう発想で,自分の受ける会社を「松」「竹」「梅」的にピックアップしていくのです。せめて,「松」のほかに「竹」くらいは考えておく。

 そして,ピックアップした会社について,基本的なことを研究していく。つまり,書かれた情報を読んだり,人から話を聞いたり,足を運んで様子をみたりする。
 
 もちろんこれからのシーズンだと,ただ机に向かって「研究」しているのではなく,じっさいにいろんな会社にエントリーしながら,同時並行的に慌ただしく「研究」していくのがいいでしょう。
  
 ただし,会社というのは,試験勉強の「偏差値」的な尺度で測ることはできません。
 とくに「滑り止め」なんて,会社の場合はみつけるのが難しい。
 でも,「自分にとって」ということで,そこは自分なりに判断していくことです。

 難しいところもありますが,それを考えていくこと,そのための情報収集をしていくことです。

 以上のような姿勢で勉強したり行動したりしていくと,その人の「会社をみつける」能力は,だいぶ高くなっているはずです。

 それによって,就職活動の問題の半分くらいは解決します。

 つまり,「自分が入ってもいいと思える会社で,自分を採用してくれそうな会社」をある程度はみきわめられるようになってくる。

 もちろん「ある程度」であって,アテが外れることのほうが多いのですが,やみくもに会社を受けるレベルよりも,はるかに「納得」のいく結果に近づくことができるのです。

 ***

 以上,ずいぶん抽象的な,結論だけを押し付けるような話をしました。
 
 でも,今現在就職活動のことが気になっているという人には,ピンとくるところがあったはずです。
 抽象的にまとまった話だから,役に立つということもある。

 このブログの読者で,就活生の人は少ないと思いますが,就活生が周囲にいる大人の方,いずれ就活生になる方,参考にしていただければ幸いです。

(以上)  
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月22日 (土) | Edit |
 私の生業(ナリワイ)は,「キャリアカウンセラー」といったらいいでしょうか。
 若い人たちを対象とした,就職相談をしています。

 会社勤めや,会社経営(これは失敗した)を経て,この仕事にたどりつきました。

 この仕事で出会った世界のひとつに,「文章の添削・指導」があります。

 学生さんなどの若い人が,企業に出す応募書類を「添削してください」と,持ってくる。「自己PR」「これまでに力を入れたこと」「志望動機」などが書かれたものです。
 
 私は自分なりにずっと文章を書いてきました。ささやかですが商業出版をしたこともあります。会社勤めのころは,報告書や議事録の類をずいぶんと書きました。
 そんな私にとって,文章の添削は,興味深い仕事です。

 この仕事を経験してはっきりとわかったのは,

 学校では文章の書き方を教えてくれない

 ということです。
 
 もう少しいうと,「わかりやすく・正確に書く」ことを教えてくれないのです。

 書くことに戸惑っている人は,ほんとうに多いのです。それを日々実感しています。

 学校でも,いろんな作文は書かされます。でも,本格的に添削・指導されることは,まずありません。
 「わかりやすく,正確に書く」といった技術的なことを,授業できちんと習ったことなど,ふつうはないはずです。

 国語の授業は,「プレーンでわかりやすい文章」の世界よりも,文芸的な,美的な,深い価値を追求するような世界を教えるほうに力を入れています。それももちろん大事ですが,基本的な作文の技術も,もっと教えたらいいはずです。
 
 大学でレポートや卒論を書くのも,「書く」練習にならないことが多いです。
 大学でのレポートは,学術論文をお手本にしています。でも,たいての学術論文は,社会で広く求められる文章の基準では,ひどい「悪文」です。もってまわった,ガチガチした文章。そんなものを「お手本」とするのは,練習としてはどうかと思います。

 就職のための文章は,かなり難しいことを要求されます。

 たとえば「自己PR」(自分の特徴,持ち味について)では,「自分はこういう人間で,それを説明する事実・出来事としてこんなことがあった」というのを述べるのが一般的です。

 そして,「出来事」を述べるにあたっては,「自分がその場で何を考え,どう動いたか」を伝えないといけない。「自分の視点」を打ち出さないといけない。企業が知りたいのは,エピソードそのものではなく,「あなたがどんな人か」ということだから。

 これを,200~300文字(もう少し長い場合も多い)で,書くのです。
 書かれている「場面」について目にうかぶように,過不足なく情報を盛り込んで,読みやすく書く。

 これはあくまで高い「目標」です。
 こんなことがすんなりできる学生は,じっさいにはまずいません。社会人だって,かなりの人はできません。でも,めざすところはやはり以上のようなことです。

 就職活動でのさまざまな作文や表現について,冷ややかな目でみる人は多いです。
 「自己分析とか自己PRとかって,どこか気持ち悪い」というのです。
 そういう面は,たしかにあると思います。

 「私の長所は……です。たとえばこんなことがありました……」などと訴えるなんて,日常の感覚ではまずありえません。

 しかし一方で,「自己PR」のような「シューカツの作文」は,たいていの若者にとって「人生で体験する,はじめての本格的な文章作成」です。じつは大きな意味があると思います。

 「本格的」というのは,明確な目的や伝えたいことがあって,そのために事実と主観をおりまぜながら,わかりやすく・正確に,しかもコンパクトに書く,ということ。

 これは学校では教えてくれなかった。
 大事なことなのに。

 若者たちは,就職活動で,その「大事なこと」をはじめて体験しているのです。
 それは「おかしい」のかもしれませんが,実態です。

 彼らが「書く」ことで四苦八苦しているのを支援する現場に,私はいます(私もたまに四苦八苦してます)。
 文章を書くことを続けてきた者として,じつに興味深いことです。

 「わかりやすく・正確に書く」ための文章指導。
 多少経験をつんでみて,これは自分に合っている仕事だ,と感じています。
 その手の指導者は,世の中で多くはないようです。
 この世界を,今後も掘り下げていくつもりです。

(以上) 
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年05月23日 (木) | Edit |
 私のナリワイは,若者の就職相談に乗るキャリア・カウンラーの仕事です。
 今回は,就活の話をします。このブログの読者に就活生はまずいないと思いますが,大人にも読んでいただけると,参考になる点があると思います。
 
                      *

 5月は,それまでがんばってきた就活生が,ヘコたれてくる季節です。
 大手人気企業が続々と内(々)定を出したりしています。
 そのなかで決まらなかった人は,多かれ少なかれ落ち込みます。
 「もう就活やめたい」という人も出てきます。

 でも,これまで志望していた会社に入れなかったことを,あまり深刻に考えないでほしいです。

 深刻になるのは,「最初に入った会社で,人生が決まってしまう」と思っているところがあるから。でも,じっさいはそんなことはありません。

 なぜなら,今の社会では「仕事人生の中長期の展開が,ほとんど読めない」からです。

 「この会社に入れば,10年後はこのポストでこんな仕事で,つぎはこうなって…」などというビジョンを描くのは,ひじょうに困難です。どんな有名企業に入っても,それは変わりません。
 その会社が数年以上先にどうなっているか,そこで自分がどういう立場にあるかは,ほんとうにわからないのです。これは,今の親世代が若者だった時代(1970~80年代)とは,大きくちがいます。

 だから,だいじなのは「明るい未来を約束してくれる会社」に入れるかどうかではないはずです。

 未来に向けての地図が描けないなら,「地図なしでも,どうにか自分で方向をみつけて歩いていける力」を身につけることです。自分なりのコンパスを頼りに進むのです。
 これは,おおげさに考える必要はありません。「その業界や職種の人間として,そこそこの仕事ができる」といったレベルで,まずはいいと思います。

 若者が就職して,3~4年も働けば,そんな「それなり」になる基礎が身につきます。
 「世の中を渡っていくための基礎」です。
 それは,たいていの会社で身につけることができるのです。

 真剣にアタマや体を使いながら働くほど,高いレベルでその「基礎」をモノにできるでしょう。
 そうなれば,自分なりの努力や戦略で,仕事人生をきりひらくこともできます。
 
 だから,だいじなのは,まずは本格的に働くことです。つまり,就職すること。

                      * 

 じゃあ,どうすればいいのか。
 これからも「受ける会社をさがして,受けつづける」ことだと思います。

 受ける会社がみつからない?
 そんなことはないはずです。
 その年の「就職戦線」というのは,5月くらいで終わるものではありません。
 そんな早い時期に終わってしまうのは,大手企業の一部だけです。つまり,とくに有名で人気のある企業だけ。
 そのほかの企業の採用活動は,ほぼ「これから」です。
 中小企業を含めた就職戦線は,1年を通して続きます。新しい求人が,これからつぎつぎと出てきます。

 しかし,そういうことを知らない人も多いです。
 テレビなどで「就活」というと,有名企業のことばかり取りあげるせいかもしれません。

  具体的にはまず,つぎのようなチャネルをあたってみましょう。

 ・「リクナビ」のような就活サイト。これをもう一度掘りおこす。
 ・大学のキャリアセンターに届いている求人。
 ・ハローワークの新卒求人。これは「大卒等就職情報WEB提供サービス」というサイトでみることができます。ここは,中小企業の求人が中心です。

 「いや,さがしていても,みつからないんです」という人がいます。
 でも,たいていの場合「よく知らない会社」をスルーしてしまっています。「知らない会社」もめんどうがらずに,ちゃんとみてください。きっと発見があります。会社の規模や知名度や,業種や職種などについて,今までよりも条件を少し広げて,さがしてみてください。

(以上) 
 
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年04月01日 (月) | Edit |
 「キャリア・カウンセラー」「キャリア・コンサルタント」という仕事があります。
 人の職業・キャリアにかんする相談にのる仕事です。
 おもにアメリカで発達し,日本にも入ってきました。日本で多少認知されるようなったのは,せいぜいこの十数年でしょうか。
 
 私は,ある組織で若い人の就職相談をしているので,その系統の仕事をしているといえるでしょう。
 
 キャリア・カウンセラーの資格というのもあります。
 国家資格ではなく,民間資格です。また「医師免許のように,その資格がないと仕事ができない」というのでもありません。厚労省が指定する「キャリアコンサルタント」の資格が,いくつかあります。

 私もそのような資格のひとつを持っています。資格取得に必要な講座に通い,筆記と実技の試験に合格したのです。

 「実技試験」というのは,相談者(クライエントという)に扮したスタッフと,カウンセラー役の受験者が10分くらい面談をするのです。その様子を試験管が採点する。
 クライエント役の人には,「役柄の設定」があります。たとえば「30代の女性。独身。〇年契約社員として勤めた商社の事務職の仕事が,最近契約打ち切りとなり……」とか。

                        *
 
 先日,今度キャリアカウンセラーの実技試験を受ける知人の男性から,「面談の練習の相手になって,アドバイスしてほしい」といわれ,引き受けました。
 このあいだの日曜日,新宿の喫茶店で,2時間ほどその「練習」を行いました。私がクライエント役で,知人がカウンセラー役。

 「こんにちは,キャリアカウンセラーの〇〇です。今日は,どうされました?」
 「じつは,会社の早期退職の制度を利用しようか迷っていまして…」

 みたいな「お芝居」を,オジさん2人でくりかえしました。きわめて真剣に(^^;)

                       *

 キャリアカウンセリングにかぎらず,専門的に人の相談にのるという行為で,最も重要な核は,「傾聴」という技(わざ)です。

 相談してきた人の話にしっかりと耳を傾ける。
 肯定・否定の判断をせずに,聞く。
 話の腰を折ったりしない。
 結論を急がない。
 自分の考えを押しつけない。
 相手の話を,そのまま受けとめる。

 これって,なかなかできないです。
 ふつうの会話は,こんなふうになりがちです。

 「あたし,もう部活辞めたいな…」
 「最後までがんばったほうがいいよ,がんばれば光がみえてくるから」

 こんなふうに自分の価値観のほうへ,話をもっていこうとしてしまいます。
 よかれと思ってそれを行うことも多いです。
 
 私たちは,つい「ためになる話」をしようとしてしまう。
 それでは,相談の対話は,だいなしです。相談した側は「話すんじゃなかった」となります。

 「傾聴」をテーマにした一般向けの入門書に,

 鈴木秀子著 心の対話者 (文春新書)

 という良書があります。上記の「傾聴」の説明も,この本がベースです。
 
 鈴木さんは,相談の対話がうまくいかない心理について,こう述べています。

《(傾聴せずに)相手を受け入れまいとする姿勢を生む第一の要因は,「自分が正しいと思っている方向に行きたい」という願望にある。その背後には「自分には正しいことがわかっている」という思い込みがある。》

《対話が破綻する前提には,「会話とは自分の意見や話を披露する場」という思い込みがある。》


 私も,この手の「思い込み」にどっぷりつかっている人間のひとりでした(今も抜けきってないかもしれませんが)。
 
 「たがいの意見や話題を出しあって交流する」という対話が求められる場面も,もちろんあります。
 というか,そういう対話のほうが,社会生活のなかでは主流でしょう。
 でもそうではない,「傾聴」を軸とした対話もある。それが必要なときがある。
 
 こんなことを私が言うと,私をよく知る人は笑うでしょう(^^;)。
 親しい人と話すと,自分の見解や知識の「披露」ばかり。放っておくとそれを何時間も続けている人間ですので。(このブログも,その精神でみちあふれています。まあ,ブログですから)
 
 私も,いろいろ勉強して,成長しようとしているのです……。

(以上)

2013年03月18日 (月) | Edit |
 歌人の穂村弘さん(1962~)のエッセイに,こんなくだりがありました。
 スタバでお茶をしながら考えたこと。

 《将来,何になろう。
  どこに住もう。
  誰と暮らそう。
  何をしよう。
  そこで,ふっと思い出す。
  あ,もう,今が将来なんじゃん。
  俺,四十一歳だし。
  何になろうってのは,総務課長になってるんだし…》

 (「クリスマス・ラテ」『本当はちがうんだ日記』集英社文庫)

 このエッセイには,こんなくだりもあります。
 お母さんとの会話。

 《「おまえ,将来何になるんだい?」
  いやだなあ,お母さん,もう今が将来なんですよ》


 何年か前にこれを読んだとき,げらげら笑ってしまいました。
 穂村さん独特の,シュールな味わいの冗談。
 でもそれ以上に「これ,オレのことじゃん」と。

 当時の私は,十数年務めた会社を辞め(最後の役職は,私も総務の課長だった),起業を試みたのですが撤退し,無職でした。四十半ばにして,なんの仕事もなく,ブラブラしていました。お金もありません。事業に貯金をつぎ込んだので,借金は負ってませんが,すっかり丸裸の状態。

 そんな私に母が「あんた,これから何するの?」と会うたびに言っていました。
 私も,「ほんとに,これから何をしようか」と考えていました。

 四十半ばというのは,まさに若いころに考えていた「将来」です(穂村さんの言うとおりです)。
 なのに,母親に「将来何になるんだい?」などといわれている。
 笑っちゃうよね……
 
 でも,これはそんなにシュールなことではない,と今は思います。

 40代くらいの働きざかりで,それまでのキャリアをいったんリセットし,新しい仕事をはじめる。
 もう一度,新しいキャリアを築くための勉強や修行をやりなおす。
 そういうことが,これからはかなり一般的になるのではないでしょうか。

 つまり,四十過ぎて「将来,何になろう?」と考えるのも,結構あたりまえになる。
 そんな時代がくるのではないか。
 いや,すでにそうなっている?(とくにアメリカあたりでは)

 以上のようなイメージは,無職だった私が,その後「キャリア・カウンセリング」という分野の資格勉強をはじめたときに読んだ,テキストや本に述べられていました。

 キャリア・カウンセリングというのは,要するに人の職業選択などの相談に乗る仕事のこと。
 「将来,その仕事をする人になろう」と,勉強をはじめたわけです。

 で,今はその仕事(職業相談)で,給料をもらってどうにか生きています。
 でもまだまだ,私の新しい仕事は,発展途上の状態です。もちろん,ひとりの相談者としては,一定の経験を積んで,依頼者のお役に立てるようになったとは思います。でも,この分野で確立したポジションなどがあるわけではない。そういう意味で,「まだまだ」です。

 だから,今も「将来,どうしよう」としょっちゅう考えます。

 この分野の仕事を続けていくつもりですが,しかし「将来」は今とは別の場所で,またちがったかたちで働いているのではないかと思います。
 それを具体的にどうするか。どういう方向へふみだすか。
 そのために何をしたらよいのか。

 私にはまだまだ考える「将来」があるわけです。

 でも,これは一度失業して,一から出直しとなった私だけのことではないでしょう。
 
 社会でのポジションが固まりきっていて,「将来」をあれこれ考える余地もない,などという人が,じっさいのところ世の中にどれだけいるか?
 いい年をして「将来何になる?」と考えてみることは,悪い冗談ではなく,誰にとっても意味があるのではないでしょうか。

(以上)

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