2016年12月27日 (火) | Edit |
昨日(26日)はSMAPの番組「スマスマ」が最終回だったので、今朝からワイドショーでずいぶん取り上げられていました。
私は、今日からすでに年末年始の休みで家にいて、それを結構みました。

SMAPのみなさん、お疲れさまでした。所属事務所の「お家騒動」に巻き込まれてこんなことになってしまった、と私はとらえています。事務所のオーナー経営者は、自分の会社のドル箱を、自分で台無しにするようなことをしてしまった。
それはそれとして…

SMAP解散に関し、私がとくに印象に残っているコメントに、秋頃にX JAPANのYOSHIKI(ヨシキ)さんが言っていたことがあります。主演するCMについての取材で、記者たちにSMAP解散のことを訊かれての発言。

みなさん、まだ生きてますから。 

YOSHIKIさんのバンドも1997年に解散し、その後メンバー1人が亡くなっています。2007年に再結成しましたが、また1人が亡くなっている。

SMAPには再び全員で集まる可能性が残っています。世の中にはフルメンバーで再結成したくても、もうどうしようもないグループがいくつもある。何ごとも、生きていればこそ。 

老スマ

      老スマ。

(以上)
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2016年04月29日 (金) | Edit |
 今度の東京オリンピックのエンブレムに決まった「市松模様」。
 オリンピックもパラリンピックも同じ数の長方形のパーツによって,ち密に考え抜かれた構造で組みたてられている。
 たしかに高いレベルのすぐれた作品だと,素人目にも感じます。
 最終選考に残ったほかの3つの案よりも,はっきりと際立っていると思いました。

東京2020エンブレム
    2020年東京五輪エンブレム(野老朝雄作)

 そして,今の日本の様子をよくあらわしているとも思います。
 詳しく分析すると「こんなところまで考えていたのか」と感心するほど,いろいろ精密な工夫や努力を重ねている。しかし,それが強力な明確な効果を生んでいるかどうかとなると微妙・・・そのような感じがするのです。

 日本の工業製品にかんし,「ガラパゴス化」ということが,少し前にずいぶん言われました。日本のメーカーは,自分たちの論理で細かい製品の改良を積み重ねているけど,市場のニーズに応えていないのではないか。とくにグローバルな市場に対応できていないのではないか。そのことを,ほかの世界とは切り離された独自の生物進化をとげたガラパゴス島の様子になぞらえた言い方でした。

 この市松模様のエンブレムは,たしかに力量のあるデザイナーの渾身の作品だと思います。しかし一方で,「ガラパゴス」なほうに行ってないだろうかと不安も感じます。

 外国の人たちは,これをみてどう思うのだろうか。私たちは「日本的」と感じるかもしれないけど,市松模様なんて,世界の多くの人たち(とくに新興国や発展途上国の人たち)にわかるのだろうか。

 また,このほぼモノトーンの幾何学模様を,会場や現場で掲示した場合に,「元気なお祭り」とは異質の無機的なクールすぎる感じにならないだろうか。このエンブレムを,たとえば「日本の伝統を紹介する博覧会」に使うのだったら,まさにしっくりくると思います。でも,これはオリンピックという「運動会」のためのものなのです・・・

 「ガラパゴス」でなければ「ひとりよがりなクール・ジャパン」になっている恐れも感じる,ということです。

 この不安がもしもあたっているとしても,これはデザイナーの責任ではありません。デザイナー自身は,自分の仕事を精いっぱい行って,それが採用されたということです。責任は,国家的なイベントの運営責任を負う,トップクラスのエリートの人たち=偉い人にあります。

 今度の東京オリンピックのエンブレムは,最初に選ばれた「サノケン」さんの案に「盗用ではないか」などのケチがついて,再度の選考の結果,今回の案が選ばれたわけです。

 あのサノケンさんの案が「類似」「盗用」といえるかどうかは,議論があるようです。とくに専門家といわれる人たちは「類似」とみることに慎重な傾向があるように,ニュースやネット上での発言をみるかぎり,私は感じます。しかし,多くの一般の人たちの(とくにネット上でつよく主張する人たちの)声に押されるような形で,「偉い人」たちはこの案をボツにして,再選考を行うことにした。このエンブレム以外のサノケンさんの仕事で,盗用を疑われるものが出てきたのも,大きなマイナスだった。

  東京2020エンブレム佐野案
 東京五輪エンブレム佐野研二郎案

 なお,私はあのサノケン案じたいは(盗用がどうかを問わないとしたら),オリンピックのエンブレムとしては,今回決まった案よりもよかったのではないかと思っていますが,ここでは立ち入りません。

 再選考では幅広い公募などの「民主的」な形式がとられました。最初の案のときのような「密室での選考」という非難をかわしたい,ということでしょう。 こういうのを「アリバイづくり」といいます。

 そのようなゴタゴタや,とりあえず「民主的」な手続きから決まったものが,もしもガラパゴスだったとしたら,このエンブレムの件は,まさに「日本の衰え」を示すできごとのように思います。

 1964年の,前の東京オリンピックのエンブレムは,亀倉雄策による「枠いっぱいの大きな日の丸」「金色の五輪」「同じく金色のTOKYO1964」の文字だけで構成されたものでした。シンプルで力強く,モダンで普遍性がありながら,日本的な要素がおそらく世界の人たちにもわかりやすいかたちで表現されている――そのような定評がある作品です。私もまさにそうだと思います。このような傑作は,民主的につくられたわけではありません。一部のエリートたちが密室で企画し,選んだものです。

   東京1964エンブレム

 1964東京五輪エンブレム(亀倉雄策作)

 国に勢いがあるときは,こういうことがよくおきるものです。つまり,エリートが密室で決めたことが時代のニーズにうまく適合していて,よい結果を生み出す。そのようなすぐれた構想やアイデアを持つ専門家が,権力の中枢で起用されるチャンスがある。権力を持つ組織に,そのような柔軟性やエネルギーがある。

 東海道新幹線(1964開業)は,国鉄総裁の十河信二が,国鉄内部や政財界で多くの批判があるにもかかわらず執念でおしすすめて実現したものでした。1970年の大阪万博は,若手官僚や当時30~40代だった梅棹忠夫や小松左京などの学者や文化人の発想を核にしてつくられました。

 そうした企画には,当時の多数派の人たちには理解しにくい(しかし今となっては評価の高い)ものが多く含まれていたわけです。たとえばもしも岡本太郎の「太陽の塔」の模型が「最終選考に残った案」として示されても,当時の国民の多くが支持したとは思えません。民主的な意思決定では「太陽の塔」は無理です。

 しかし,そのような「創造的なエリートの決断がよい結果を生んだ時代」はとっくに終わったのです。今の「偉い人」たちには,たぶんはっきりした構想はないのです。知恵を出してくれるはずの専門家たちだって,じつははっきりしない。無理もないことだと思います。そして,私たちのような多くのふつうの人たちも,明確な考えがあるわけではないけど,いろんなことを偉い人たちに対して言うようになりました。

 偉い人たちも自分のかじ取りに確信が持てないので,そのような批判には弱いです。「大先生=権威のある専門家」を持ち出しても,そういうものはネット上の多数派の人たちには,通用しない。やはりボツになってしまった国立競技場の最初の案(ザハ案)の選考では,安藤忠雄さんが中心にいたのに,その威光はあまり役立ちませんでした。なお,サノケン案を採用したときのエンブレムの選考委員のリーダーは,永井一正さんという日本のグラフィックデザインの歴史に残る仕事をした大御所でした。

 国のトップクラスで,いろんなことの構想がはっきりせず,創造的なアイデアや企画を権力の中枢で採用することが減っているのではないか。

 緻密な工夫や努力は行われている。でも,それが力強い効果を生み出すことにつながらない。
 大きな効果を生みだしうるアイデアや才能を持つ人材も社会の中にはいるはずだが,権力の側でその人材を選び出すことができない。「構想」がはっきりしないのだから,選びようがない。大衆からの批判も怖いので,決断がむずかしい。創造的なものには,何かしらの批判はあるものです。

 そういう様子が,今回のエンブレム騒動からは感じられます。
 この手のことが,社会のあちこちで積み重なっていくうちに,国は衰退するわけです。
 どうしたらいいのかは,今はよくわかりません。

※2016年4月30日追記:歴代のオリンピックのエンブレムをみると,日本のエンブレム(前回の東京,札幌,長野,今回の東京)のデザインは劣っていない,というか水準が高いと私は感じます。とくに64年の東京は,それまでのオリンピックのエンブレムの水準を超えるものだったと。なんだかんだいっても,日本は相当な文化力をもった大国ではあるのです。その力をどう維持・発展させていくか,ということが問題なわけです。 

(以上)
2014年10月17日 (金) | Edit |
 このブログはいつも長めの記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それをここでは「雑談」と呼んでいます。

 ***

 ゆうべ,新シリーズがはじまったドラマ『科捜研の女』をみました。
 主演は沢口靖子さん。
 沢口さんのことを,ウチでは「女優ロボット靖子さん」と呼んでいます。

 このロボットさんには,演技をコントロールするボタンが4つだけついています。「笑う」「泣く」「ふつう」「怒る」の4つ。それ以外の微妙な調整はできません。 

 今回『科捜研の女』をみて気が付いたのですが,このドラマでは共演者たちも「ロボット靖子」に合わせた演技をしているようです。ゆっくりとした,平板なセリフまわしになっている。彼女とからむシーンではとくにそうです。ほんとうはもっとできるはずの俳優でも「ロボット」な感じになっている。

 演出としてあえてそうしているのか,靖子さんに影響を受けてそうなってしまうのか,そこはわかりません。
 いずれにしても,出演者全員の演技のあり方を規定してしまうのですから,靖子さんはすごい。

 とにかく,この人なしでは『科捜研の女』は成り立たない。
 『相棒』における水谷豊にあたります。
 演技の上手い共演者たちが束になっても,このドラマでの靖子さんの重要性には及びません。
 そんな存在になるために,「演技力」は必須ではないのです。
 もちろん靖子さんは美人です。でも,それだけではない魅力があるのでしょう。

 ***

  この間の「日本人科学者のノーベル物理学賞受賞」を特集した新聞記事に,「歴代の日本人受賞者」の一覧がありました。湯川秀樹から今回の3人まで。
 
 気になったのは,その一覧表のタイトルの横に「敬称略」とあったことです。
 これは,「湯川秀樹さんの〈さん〉は,本来あってしかるべきですが,都合により省略しました」ということです。

 でも「湯川秀樹」に,本来は「さん」なんて要らないはずです。
 歴史上の偉人や英雄には「敬称」はつけないものです。
 ナポレオンさん,アインシュタインさん,西郷隆盛さん,川端康成さんなどとはいわない,ということ。
 
 たとえば中村修二さんのような現代の科学者であっても,「ノーベル賞受賞者」の一覧のなかでは,偉大な仕事をした「歴史上の人物」です。湯川秀樹と同じ扱いが妥当なはず。

 ほんとうに偉大な人物には敬称はつけない。
 これまで私が読んできた活字の世界では,それが「常識」になっていました。

 だから,歴代のノーベル賞受賞者に「さん」を付けたりしたら,失礼です。
 「博士」「先生」などというのも,それでは尊敬が足りない,ということです。

 文脈によっては,「呼び捨て」が最高の敬意をあらわす,ということがあるのです。 
 
 なのに,新聞で「敬称略」などとエクスキューズをするのはなぜでしょう?

 「歴史上の偉人であっても,とにかく敬称をつけないのは失礼だ」と思う人が増えた,ということなのでしょうか? かつての「常識」が,古くなってきているのかもしれません。

 ***

 先日,帰りの通勤電車でのこと。
 私はドア付近に立って,ドアの窓からみえる夕暮れの景色をながめていました。
 
 私が立っていたのは向かって左側のドアです。
 すぐ隣の右側のドアの前には,50代とおぼしきスーツ姿の男性が立っていて,やはり窓からみえる景色をながめていました。ただ,ぼんやりと遠くをみている様子で,いまひとつ焦点が定まっていません。

 その人が,焦点の定まらないまま,つぶやいたのです。
 低い,唸るような声でした。

 「あと,10日か・・・」

 なんですか,それ?
 あと10日すると,どうなるんですか?
 いいことなの?悪いことなの?

 気になるけど,訊くわけにもいきません。
 
 あれから10日以上経ちましたが,どうなったことやら。

(以上)
2014年09月06日 (土) | Edit |
 このブログはいつも長めの記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それをここでは「雑談」と呼んでいます。

 ***

 カレーライスを,ルーのハコに書いてあるとおりにつくってみました。
 「基本に忠実に」ということの象徴的な例として,松浦弥太郎さんのエッセイにあったのです。ハコに書いてあるとおりにつくってみると,たいへんおいしいのだと。

 ほんとうかな?と思って試してみたのです。
 たしかにふだんは大幅にアレンジして「俺のカレー」をつくっています。それで満足していました。

 しかし先日,「ハウスジャワカレー辛口」のハコの裏にある,野菜や肉や水の分量,過熱時間などにできるだけ忠実につくってみたのです。

 たしかに「なるほど」と思える結果でした。
 多くの人が受け入れてくれるであろう,バランスの良いおいしさ。
 これが「ジャワカレー」のほんらいの味なんだ,なかなかだなーと実感しました。

 「基本」どおりやってみる,というのはたしかに大事なのでしょう。
 その「基本」というのは,高い技術をもつ人たちが時間をかけてつくったもの。人それぞれの片寄りやクセを,できるかぎり排除しています。それで「よい結果」を出せるようになっている。そういうものこそが「基本」に値する。

 *** 

 6年くらい履いて,靴底がひどく傷んでしまったビジネスシューズを,修理に出しました。 
 数か月前に,メーカーの修理に出そうと,買ったお店に持っていきましたが,「こんなに傷んでしまっては,もう無理」と言われました。修理には積極的なメーカーと聞いていたのですが。

 その後思い立って,近所のショッピングセンターにあるクツの修理屋さんに持っていったら,8000円で修理できるとのこと。
 このクツは2万何千円で買ったもの。安物ではないと思いますが,とくに上等というわけでもない。それを8000円かけて直すというのはどうなのか。「買ったほうがいい」という考えもあるでしょう。

 でも,足をつつむ「アッパー」の部分はやわらかくなじんでいて,まだまだ使えるのです。捨てるのはもったいない。

 修理に出して3週間ほどで,先週そのクツがかえってきました。靴底をすべて取り換えました。
 オリジナルの履き心地とはやや異なりますが,十分使用に耐えます。見た目も違和感はありません。

 その後,2~3日に一度はこのクツを履いています。よくなじんでいるので,このクツが一番疲れない。
 そして,「自分にあっているものを,大切に使っている」というよろこびがあります。

 ***

 安倍内閣の改造。
 最近の大臣には「地方創生」「女性活躍」みたいな,政策課題がその名称となっている,聞きなれない名前の大臣もいます。また,ある「特命大臣」は「再チャレンジ」「クールジャパン戦略」担当だったり。
 
 従来からの大臣に,その時々の政策課題が「兼務・担当」としてくっついていたりもします。たとえば,文部科学大臣は「東京五輪・パラリンピック」担当です。 

 政治の解説者たちによれば,今回の内閣改造は,自民党のなかでの利害調整という面が大きかったとのこと。つまり,国会議員たちが欲しがる大臣のポストを党内のさまざまな派閥や立場の人たちに分配して,納得してもらう。それで安倍さんへの党内の支持をより確かなものにする。

 「国や国民のため」ということは,ここではそれほど重要ではない。

 そんなに大臣のポストを分けあうのが大事なら,「政策課題で大臣のポストをつくること」をもっと徹底すればいい。
 「クールジャパン戦略」みたいなレベルのものなら,何十とつくれるでしょう。

 あるいはテーマをさらに分けてもいい。たとえば「クールジャパン」を細分化して「世界に和食を広める大臣」とか「マンガとジャパニメーション振興大臣」とかつくればいいのです。

 100くらい大臣のポストをつくって,何度めかの当選議員はみんな,自動的に何かの大臣になれることにすればいい。

 でも100人の大臣のためにそれぞれの執務室やスタッフを用意するのはたいへん。だから,ほとんどの大臣は,学校の職員室のような大部屋の「大臣室」で仕事をしてもらう。この部屋の人たちは「大部屋大臣」といわれることでしょう。

 ***

 広島での豪雨による惨事など,大きな自然災害の問題をとりあげたテレビのワイドショーで,ある評論家が言っていました。

 「最悪の事態を想定し,それに備えるのが危機管理です」

 「最悪の事態」についてイメージして,それを勘定に入れておくのは,たしかに必要なことです。
 でも「それに備えるのが危機管理」というのは,「?」と思います。

 最悪の状態に備えることができれば,たしかにそれにこしたことはない。
 でも,それではたいへんなコストがかかったり,平常時の活動に大きな支障が生じたりすることが多い。
 
 だから,どのくらいの・どのような危機に,どういう備えをしておくのが現実的かつ効果的なのかということで,実務家はアタマを悩ます。

 さじ加減や妥協点をさぐる,といったらいいでしょうか。
 過剰な備えはできない。でも備えておかないといけない。まじめな実務家や組織ほど,その狭間で悩みます。真剣に悩まなければいけない。
 私も会社員時代に,法務・コンプライアンスを担当していたとき,やはり悩みました。

 個人的なリスクに備えるときも同じです。
 たとえば,高い保険に入ればいい,というものではない。

 こういう評論家はダメだな,ラクチンなこと言うなよ,と思いました。

 ***

 近所の書店に,こんな本が平積みになっていました。
 昭和末期に活躍した女優,夏目雅子(1957~85)が表紙のムックです。
 彼女は20代後半の若さで,病のため亡くなりました(若い人はご存じないかもしれないので)。

文藝春秋増刊 日本の美しい女 2014年 07月号 [雑誌]文藝春秋増刊 日本の美しい女 2014年 07月号 [雑誌]
(2014/06/09)
株式会社 文藝春秋

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 お母さんと小学校3~4年生くらいの男の子がそれをみていました。
 「きれいな人よねー」と,お母さん。

 「この人はね,もういないのよ。あんたが生まれるより前に亡くなったの」
 「えー,じゃあボクが生まれる前の写真なの?ふーん」

 親子は本の前を立ち去りました。
 お母さんは書店の別のコーナーで雑誌の立ち読みをはじめました。

 すると,ひとりになった男の子は,夏目雅子のところへ戻ってきました。
 そして,もう一度表紙をまじまじと数秒くらいみて,離れていきました。

 あのくらいの年の男の子でも「ほんものの美人」というのは,わかるんだね。
 (私もそうだったかもしれない)
 すごいなー,昭和の大女優。

(以上)
2014年06月14日 (土) | Edit |
ヒカリエからみた渋谷
ヒカリエからみた渋谷

ヒカリエ・orb
シアターオーブのロビー
 
 先日の夜,渋谷の東急シアターオーブで,「オーシャンズ11」というミュージカルを観ました。

 同名のハリウッド映画をミュージカル化したもの。主演は香取信吾。共演は山本耕史,観月ありさほか。
 香取君がジョージ・クルーニー,山本君がブラッド・ピット,観月さんがジュリア・ロバーツというわけです。

 私の妻は長年のSMAPファンです。コンサートだけでなく,メンバーが主演の舞台は,よく観に行ってます。私も何度もご一緒しております。

 シアターオーブは,渋谷ヒカリエの11階にあります。
 渋谷ヒカリエのような,新しい大きな建物に行くと,立派だなー,いかにもきれいだなーと感心します。
 子どものころにイメージした「21世紀のピカピカの未来都市」が,かなり現実になっている。
 それを建築として,本当に好きかどうかは別ですが・・・

 劇場のロビーからは,渋谷の街やその先の新宿周辺が見渡せます。雨上がりの空が美しかった。(上の写真)

  ***
 
 劇場の席に着くと,まわりは女性ばかり。
 おしゃれな・きれいな女の子もたくさんいる。渋谷は華やか。

 劇中では,香取君や山本君が,いかにもキザな伊達男という感じで歌って踊っていました。
 「まるで宝塚の男役みたい」と思いました。あとで妻からきくと,この作品は「ハリウッド映画をもとにした宝塚の演目を,さらにリメイクしたもの」なんですね。どおりで。
 
 ほんとうに男前の役者が「キザで伊達な感じ」をやると,たしかにサマになります。
 「かっこいいー」という女性の声も聞こえてきました。

 宝塚の男役の人がみたら,「やっぱりホンモノの男にはかなわない・・・」と嫉妬するかもしれません(おネエの人が,きれいな女性に嫉妬するみたいな感じでしょうか)。

 観月ありささんは,私たちの3階席の遠くからみても,「美人」であることがはっきわかる。さすがです。
 「敵役」のカジノのオーナーを演じた橋本さとしさんは,堂々たるセリフまわしや歌いっぷり。まさに「任せて安心」のプロ。

 そんな様子を,楽しんできました。

 こういうとき,私は「有名人をみる眼福」ということを思います。
 どういうことかについては,以下をご覧ください。去年の記事の再録です。

 ***

有名人を見るという「眼福」

 最近,東京のある繁華街のはずれを妻と歩いていて,安室奈美恵さんをすぐ近くでみかけました。
 上はニットで下はぴったりしたジーンズ。帽子やサングラスは着けてません。髪型は,まさにテレビでみるロングヘア。

 …などということをよろこんで書くのは,幼稚で品がないかなーというためらいが,以前の私にはありました。

 でも,何年か前に本多信一さん(職業相談の大家)のエッセイで「有名人の美しい人やみごとな人をみるのは『眼福』である,つまり人のだいじな幸せだ」という意味の話を読んでから,変わりました。

 「眼福(がんぷく)」というのは,「ほかでは見られないすぐれた物を見て,楽しい思いをすること」です(『新明解国語辞典』)。「眼福を得る」などというそうです。

 本多さんは今70歳代で,幼いころからずっと東京の阿佐ヶ谷に住んでいます。近所に相撲部屋があったので,昭和の名力士が実家のタバコ屋に買いにきたり,駅前で将棋の名棋士をみかけたりして,「眼福」を得たのだそうです。

 さて,間近でみた安室さんは,CMなどでみるお人形さんのようなキュートというより,シャープな,鍛えたバレリーナみたいな感じでした。やはりふつうの人ではない。「眼福」をいただきました。

 私は多摩の奥地に住んでいて,都会にはめったに出ません。でも「上京」すると,有名人をみかけることが結構あります。東京ってすごいなー。

 **

 私がこれまでに得てきたいくつかの「眼福」を振り返りたくなりました。

 20年近く前,20歳くらいの宮沢りえさんが,ドラマのロケをしているのを,近所の駅前でみたこと。
 そのときの宮沢さんは,観音さまのようにキレイでした(今もキレイなんでしょうけど)。

 学生時代(20数年前),ある映画の試写会に行ったとき,来賓の手塚治虫先生と藤子・F・不二雄先生が,休憩時間にロビーのベンチで,談笑しているのをみたこと。
 神と神が話している!

 これも学生時代,まだ「国民的」になる前の宮崎駿監督の新作(あるテレビシリーズ)の試写会で,監督の講演を聴いたこと。(あのころ,雑誌で知ったこういう試写会に結構行ってたな)
 「どうして宮崎さんの描くおんなのこはかわいいんですか?」などと質問する若者がいましたが,宮崎監督は罵倒することなく,まじめに対応されていました。

  10数年前,友人の結婚披露宴で,近くのテーブルに座っている人間国宝の歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)さんをみたこと。美しい着物姿でした。

 ふつうの人は,長丁場の披露宴のどこかでダラけたり,崩れたりするものです。私は人間国宝をちらちら見ていたのですが,いつも朗らかで,「今日はめでたい」という感じがまったく崩れないのです。どこからみても絵になる方でした。

 数年前,草彅剛さん主演のお芝居を妻と観たあと,劇場近くの路上で,草彅さんを間近にみたこと。
 「出待ち(劇場の出口で役者をまちぶせ)」ではなく,おわってから,近くの居酒屋で一杯やってフラフラ歩いてたら,みかけたのです。

 草彅さんは,何人かのファンの女性に囲まれ,「プレゼント渡していいですか?」と声をかけられていました。「いいよー」と,上機嫌な様子でした。舞台のあとで疲れてそうなのに…

 ウチの妻はSMAPの大ファンで,とくに草彅さんがひいきなのです。だから,大よろこび。数年たった今でも,ときどき思い出してほくそえんでいます。

 これが,有名人をみる「眼福」というものなのでしょう。
 
 私も,以上のことを思い出すと,なんとなく幸せな気分になります。
 
 この手の体験は,多くの人にあるのではないでしょうか。
 美しい人,何かを極めた人,そういう人をみるのは,やはりたのしい。
 人間をみることは,人間にとって最大の娯楽です。

 妻は,ときどき夢でSMAPメンバー,とくに草彅さんと会うそうです(笑)。
 私も,夢で安室さんや手塚先生と会ってみたいけど,まだ会えていません。

(以上)
2014年04月04日 (金) | Edit |
エッフェル塔ボトル

 いつも長い記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それをここでは「雑談」と呼んでいます。

 ***

 上の写真は,パリに旅行した友人のおみやげ。エッフェル塔型のブランデーボトル。数か月前にいただきました。リビングの本棚に,ひっそりと飾っています。
 
 これが,我が家を訪れる,友人・知人の子どもたちに人気です。

 幼稚園から小学生の子どものほとんどが,「これなあに?」と注目します(数人のサンプルしかありませんが)。

 そして,「これ,エッフェル塔?」と聞いてきます。ちゃんと知っているんですね。
 中の液体について,「何が入ってるのかなあ?」とも。

 この本棚には,ほかにもいくつか小物が飾ってあるんですが,エッフェル塔の人気の足元にも及びません。

 このボトル,最初は「なんだかしょぼくて笑える」と思ったのですが,今は「たいへんステキなものをくださった」と感謝しています(^^;)

 ***

 先々月に,近隣の行きつけの古本屋が閉店してしまいました。
 郊外型の「ブックオフ」みたいな(でもブックオフではない)古本屋の,支店のひとつ。
 15年間営業していたのですが……

 ウチにある本の数パーセントは,ここで買ったかも。つまり生涯でいちばん多くの本を買った本屋かもしれない。
 それがなくなった。さびしいなあ。
 
 「ブックオフ」のような古本屋(本のリサイクルショップ)というのは,かつては「新しい」「今どき」のものでした。
 1990年代には,書店全般が衰退するなか,勢いよく成長していました。

 しかし,今はそうではない。こういう店で立ち読みしたり買ったりするのは,シブい,古めかしいことになってきたのです。自分が年をとってきた感じもします。

 ***

 ジャンボジェット機が先日,日本のエアラインからすべて引退したというニュース。

 ジャンボジェットは,1970年代につくられたもの。そして,史上最大のジェット旅客機です。40年も前のものが「史上最大」で,その後これを上回るものはつくられていないのです。

 こういう話を聞くと,「文明の進歩は,以前にくらべここ30~40年,ずいぶんゆっくりになった」と感じます。

 それで思い出すのは,ある格安航空会社が一種の「キャンペーン」として打ち出した,「キャビンアテンダントの制服をボディコンのミニスカートに」という話です。
 
 ミニスカートというのも,1970年ころに非常に短いものが登場して以来,それ以上のものは出ていません(まあ,限度はありますよね……)。
 何十年も前に「極致」に達したという点で,ジェット機の大きさとスカートの短さは共通しています。

 だとしたら,今回の制服を「短い」といって騒ぐのは,何十年も前の人みたいで,古くさいことだともいえるのです。でも,それなりに話題になったり,非難の声があがったりしています……やはり社会は40年くらい前から,そんなに変わっていないのかも。

 ***

 ウチの近所に,ある大企業の研修施設があります。4月のこの時期は,新入社員の研修が行われています。
 今朝,通勤の途中にこの施設の前を通ったとき,研修に向かう新入社員数名とすれ違いました。

 すると,新入社員の1人が私に「おはようございます!」。
 となりの1人もつられて,「おはようございます」。

 どうやら私を,会社の先輩か上司だと思ったらしい。
 泊りがけの研修を終え,施設をあとにするところだと思ったのか。 

 「よくわからないけど,あいさつしとけばいいだろう」ということなのかもしれません。

 それでいいのだと思います。
 あいさつは社会人の基本。
 誰にだって,あいさつしといて損はない。

 私も,ちょっと可笑しかったけど,「おはようございます」と返しておきました。
 今日もがんばりましょう。

(以上) 
2014年02月22日 (土) | Edit |
 昨日のテレビは,浅田真央選手のことをたくさん流していました。私はこの日休暇を取ったので,朝のワイドショーも,夜のニュースも観ました。

 私も浅田選手を親戚のオジさんのような気持ちで応援し,ショートプログラムの結果に落胆し,フリー演技に感動した1人です。

 キャスターやコメンテーターが「真央ちゃんよく頑張った」「笑顔で日本に帰って来てね」というのには,素直に共感します。
 夜のNHKの報道番組で,しんみりと話していた浅田選手のお姉さんが,やがて感極まって涙するのも「うん,うん」という気持ちでみていました。

 でも,そのあたりから「これ,まるでお通夜だな」と思うようになりました。

 みんなで集まって神妙な顔をして,浅田選手のこれまでの歩みを振り返り,「いい子だった」と涙する人もいる。
 これは,まさにお通夜でやることです。

 でも,じっさいの彼女は,3回転半ができるくらいピンピンしています。
 あと60年は生きるでしょう。
 彼女の人生は,これから。

 テレビの浅田真央特集が,なんだか奇妙な,ちょっと吹き出したくなる光景にみえてきました。 

 私は彼女のフリーの演技を生放送では観てないので,フルで観たかったのですが,なかなかそれは流してくれない(あとで観ましたが)。
 テレビで流れているのは,「お通夜」の様子ばかり。

 この土日でも,テレビでは浅田選手のことをたくさんやるはずです。
 それを「また,お通夜(あるいは告別式)をやっている」という眼でご覧になると,様子がちがってみえてくると思います。

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年02月21日 (金) | Edit |
 ライブのチラシ

 昨日の夜は,ジャズとブラジル音楽のライブを聴きに吉祥寺に行ってきました。
 会場は「Strings」というお店。

 私は,音楽はあまり聴きません。積極的にCDを買ったりダウンロードすることは,ほとんどありません。音楽に興味がないわけではないのです。でも,「そこまで手が回らない」「本を買うので精いっぱい」と思って,若いうちからその方面には手を出さないできました。

 コンサートに行ったのは,これまでの人生で20数回くらいでしょうか。あれ,結構行っていますね……でもそのうちの半分が,妻が大ファンである,SMAPのコンサートです……。

 そんな私が今回出かけたのは,友人のベーシスト・西脇慎二さんの演奏を聴くためです(上の画像は,ライブのチラシ)。

 西脇さんとは,数年前の浪人(失業)時代に知り合って,以来ときどき飲んでいる仲。

 知りあったときは,お互い失業中の身でした。そういうことでもないと,知り合えなかったかもしれません。失業者になると,ミュージシャンの友だちができたりして,世間が広がることもあるわけです。 

 ***

 会社の仕事を早々に切り上げ,ライブ開始の1時間ほど前に吉祥寺に着いたので,街を少しブラブラしました。

 吉祥寺は,この10年で数回来ただけですが,歩くたびに「たのしげな,すてきな街だ」と思います。

 多くの人が「住みたい」というのもわかります。
 私が住む,多摩ニュータウンにはない世界があるのです。

 横丁の飲み屋さんもあれば,今どきなカフェもあり,ファッションビルが複数あり,さまざまな趣味の専門店があり,私の好きな書店は大書店もあれば個人経営の素敵な店もある……住宅地のそばに,そんな街ができている。井の頭公園もある。

 それから,東急デパート吉祥寺店も,昭和の古きよきデパートの雰囲気が残っていて,「いいな」と思います。
 日曜日に行くと,おしゃれなお嬢さんとお母さんが,いっしょに素敵なバッグを選んでいたりする。一昨年にトイレを借りにこのデパートに入ったとき,そんな光景をみました。

 昔はこのような,ほどよい大きさのデパートが各都市にあって,栄えていたのですが,多くが消えてしまったはずです。でも,ここにはそれがまだ,それなりに活気ある状態で残っています。

 私は,腹ごしらえをしようと,こぎれいとはいえない中華屋さんに入って,肉もやしそばとギョーザと生ビールを注文。しめて1100円ほど。安くてうまい。こういう店も「ニュータウン」にはないなあ……

 ***

 ライブ会場のStringsは,吉祥寺駅から数分ほど。イタリア料理やお酒をたのしみながら,演奏を聴くお店です。
 中心街から少し外れたところですが,その周辺にもいろんなお店が並んでいます。
 
 20~30人でいっぱいになる小さな空間。小さなスペースにボーンとグランドピアノが置いてあったり,「狭くてたのしい」感じがあります。

 19時30分。3人のミュージシャンによる演奏がはじまりました。
 今回の演目は,ジャズとブラジル音楽の,よく知られた曲が中心なんだそうです(でも私は,どの曲も知りません)。

 ところで,「ジャズ」はともかく,「ブラジル音楽」っていわれて,みなさんイメージわきますか?
 たいていの人は「リオのカーニバルで踊っているときの曲」みたいなのを思い浮かべるのでは?
 
 ああいうのもたしかに「ブラジル音楽」なんですが,それはある一面に過ぎません。
 
 ブラジル音楽というのは,さまざまな顔をもつ,高度に発達した「音楽の大陸」です。
 たとえば「ジャズ」と比較しうるような(しかしそれとは異質の体系をもつ),大きな世界をかたちづくっているのです。
 ジャズがそうであるように,ブラジル音楽の世界にも,高度な技巧や構想力を備えた,偉大な作曲家やミュージシャンがきら星のごとくいる,ということです。

 しかし私たち日本人の多くは,そういう大きな音楽の世界があることを,ほとんど知らないわけです。私も,西脇さんから教えてもらうまでは,そうでした(今もよくわかっているわけではないですが)。

 ライブは2部構成。第1部はジャズを中心に。第2部はブラジル音楽中心。
 
 生の音は,やはり迫力があります。ズンズン響いてきます。
 ウイスキーを飲みながら,私も気持ちよくなっていきました。

 音に包まれている感じに,ほんとうになります。
 目の前に「色」や「像」も浮かんできます。ジャズのときは渋いモノクロな感じの像が,ブラジル音楽のときは,もう少しカラフルな色彩がみえてくる……
  
 音楽が好きな人は,こういう気持ちのよさを味わいに,ライブに足を運ぶんだろうな……

 お店の中で,スーツにネクタイの「サラリーマン」は,私だけ。
 ちょっと場違いなところに行ったのかもしれません。でも,世界が広がる感じがして,いい体験でした。

(以上) 
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年02月16日 (日) | Edit |
 ソチ五輪で,銀メダルに輝いたスノーボード・ハーフパイプの平野歩夢選手。
 テレビ報道で,彼をよく知る人が「基本を徹底的に繰り返し,チェックを重ねる練習をしていた」ということを言っていました。

 「基本の徹底重視」――私も,どんな分野でも大事なことだと思います。

 だから「平野選手さすが」と思うのですが,ほかの選手ならともかく,15歳の,いかにもイマドキの若者という感じの人がそうだというのが新鮮で,意味深いと思いました。

 日本のスポーツ界のなかで,「世界レベル」に達していない分野は,たいていは「まだ基本ができていない」のだと,私は勝手に思っています。

 サッカーでたとえれば,ボールの蹴り方の基本とかができていない,という感じです(日本のサッカーがそうだといっているのではありません。私にはそこはわかりません)。

 「お家芸」といっていた競技が衰退していくのも,おそらく「基本の軽視」がかかわっている。
 たとえば柔道がそうなっていかないか,心配です。

 基本は大事。
 でも問題は「何が基本か」ということ。

 「基本」は,ただの「初歩」というのともちがう気がします。

 それを身につけることで,さまざまな展開が可能になる,一種の「土台」のようなものだと,私はイメージしています。

 基本を無視するのは,論外。
 でも,的外れな「基本」をたくさん練習しても,高いレベルには上達しない。

 平野選手は,「基本」の名に値する何かについて,深く知ることができたのです。すぐれた指導者に恵まれたのでしょう。
 
(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月27日 (金) | Edit |
 いつも長い記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それを「雑談」と,ここでは呼んでます。

 関連記事:雑談1
 
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 自分のペットをテーマにしたブログは,多いですね。
 このブログを訪れてくださる方のブログにも,あります。

 でも,昔は飼っている動物を,あんなに写真に撮ることはありませんでした。

 妻の田舎の実家では,子どものころ,三毛猫の「タマ」を飼っていました。
 10年一緒に暮らしたタマとの思い出を,妻はよく話します。

 でも,タマの写真は一枚もありません。

 ネコを撮るなんて,フィルムがもったいない。
 30~40年前,とくに田舎では,そうだったのでしょう。

 でもこのあいだ,古い写真を整理していたら,ありました!

 子どものときの妻を撮った写真の隅に,おしりだけ写っている。

タマのおしり

 ***
 
 先日,手塚治虫を描いたスペシャルドラマ『神様のベレー帽』(フジテレビ系)をみました。
 手塚は,私が興味を抱く人物のひとり。

 手塚治虫に扮するのは,SMAPの草彅剛。
 ベレー帽以外は,ぜんぜん似てません(^^;)。
 彼の扮する手塚が登場したときは,「大丈夫か?」と思いました。
 
 でも,そこで描かれる手塚は「ふつうのマンガ家より5倍描くのが速いけど,10倍の仕事を引き受け,ムチャクチャなスケジュールで仕事をする」という人。
 20ページの原稿を,締切を過ぎてから描きはじめ,8時間で完成させたりする。

 これは,芸能人としてとにかくたくさんの仕事をしている草彅君(やSMAP)と,重なるところがあります。「大御所」になっても,マイペースにならず,馬車馬のように働いている…

 「ジャニーズなんて…」という方も,とにかく彼(彼ら)が「たくさん働いている」のは認めるはず。

 途中から「今回の手塚は,草彅君でよかったんだ」と思いました。
 「仕事漬けの大御所」のふつうでない感じが,かなり出ていた気がします。

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 先週,友人数人を自宅に呼んで飲み会をしました。
 そのなかにトモコさん(仮名)という人がいました。
 
 この人が,大学時代のお友だちを1人連れてきた。

 そういえばこのあいだは,前の職場のお仲間がいっしょでした。

 中学時代の友人がいっしょだったときもあります。
 彼女が関わる,地元のバンド仲間がいたことも。

 どの友人とも,長いおつきあい。
 そして,今もあまりご無沙汰せず,しっかりと行き来がある。

 そんなトモコさんをみていて,「人生の友だちバス」というイメージを思いつきました。

 自分が運転する,友だちを乗せて走るバス。
 「人生」という路線を走るバス。
 「中学」「大学」「前の会社」といった停留所で,「友だち」が乗ってくる。
 ふつうは,停留所ごとに「乗る」友だちもいれば,「降りる」友だちもいる。

 私もそう。50年近くバスを走らせているけど,乗る人は増えたり・減ったり…
 
 でも「トモコの友だちバス」は,停留所ごとに乗る人が増える一方です。
 ステキですね。

(以上) 
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月10日 (火) | Edit |
 いつも,長い記事ばかりなので,たまには短かい「雑談」を。「与太話」といってもいいです。
 反響を伺いつつ,シリーズにするかも。
 ツイッターでやるのがふつうかもしれませんが,私はブログで。

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 今度の東京オリンピックの公式キャラクターは,どうするんでしょうか?

 招致のプレゼンで,過去の遺産を活用し,コンパクトでスマートなオリンピックを行う,みたいなことを言っていました。代々木の体育館(by丹下健三)とか,また使うのだそうです。たしかにああいうすばらしい建築の遺産は,ぜひ活用すべきだと思います。

 キャラクターも,それでいけばいいのでは?

 つまり,ドラえもんとかキティちゃんとかアンパンマンを,東京五輪の公式キャラにしてしまう。

 ヘンテコな新キャラをつくるより,日本が誇る世界的な「遺産」を活用すべきでは?
 もちろん,権利者には無償で,オリンピックのために提供しいただくのです…。

 ***

 今日の昼休み,職場近くのカフェで,30代のサラリーマン3人組が,「半沢直樹,視聴率30%超えたそうだ」などと話をしていました。3人ともこのドラマをみているらしい。

 私も,あれを3~4回みたことがあります。
 筋の通った中堅サラリーマンが,理不尽で卑怯な上司を叩きのめす。
 これは,すっきりしますね。

 このときの3人組の会話でも,「前回の話だと,まだすっきりしてないよね」というふうに,「すっきり」という言葉が出てきました。

 数千万人のサラリーマンの「すっきり」のツボをさぐり当てたのが,このドラマなんだと思います。

 で,主人公に叩きのめされる上司や同僚のおもなところは,だいたいバブル入社世代(50歳前後)。
 この世代が,今どきの「チャラチャラとズルい感じ」のサラリーマンを象徴しているらしい。
 オレもこの世代だ。残念。

 ***
 
 街角で見かけた,小学校3~4年生くらいの女の子2人。

 1人が「そらーにーあこがれてー」と,ジブリ映画『風立ちぬ』の例の主題歌を歌っている。

 もう1人の子が,

 「それ,ゆーみんっていうおばさんが歌ってるんだって」

 「おとうさんは,このおばさんの歌を,よくクルマできいてるんだよ」

 そういって,いっしょに歌いだしました。

 彼女を知らない子どもたちまでがその歌を口ずさみ,「誰の歌か」を話題にしてしまう。
 それだけ印象に残るということです。
 それも,ほとんど「孫」といっていいような子どもたち。

 ユーミンは,偉大ですね。

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月07日 (土) | Edit |
 昨日から今日にかけて,宮崎駿監督の「引退」記者会見の様子をテレビでみました。

 何百人という記者団がつめかけ,会場に監督が入ってくると,ものすごいシャッター音とフラッシュ。
 
 会見の内容以上に,その光景がまず印象的でした。

 宮崎駿という人が,こんなにも「偉く」なるなんて!

 私は今年48歳で,中学生のとき宮崎監督のファンになりました。
 70年代おわりの,宮崎さんの初のテレビシリーズ演出作品『未来少年コナン』(1978年)や,初の劇場用映画の監督作品『ルパン三世カリオストロの城』(79年)に,夢中になりました。

 そのころの宮崎さんは,業界の人や一部のアニメファンにしか,知られていません。
 また,興業的にも不発でした。
 『未来少年コナン』はNHK初の連続アニメ番組でしたが,視聴率はヒトケタで低迷。
 『カリオストロの城』もお客の入りが悪く,2週間ほどでロードショーの上映が打ち切られてしまいました。

 その後,数年間は宮崎さんには「冬」の時代でした。

 企画を出しても通らず,作品がつくれない。
 そんななか,半ば仕方なく描きはじめたのが,マンガの『風の谷のナウシカ』(82年連載開始,映画は84年)。
 月刊のアニメ雑誌に連載していたのを,高校生の私は,ナウシカのページだけ切り抜いてファイルしていました。オタクですね。

 それをみた私の父(昭和ヒトケタ)は,「高校生にもなって,そんな幼稚なくだらんものを大切そうに!」と罵倒しました。

 でも,あれから30数年。
 宮崎さんは今では,「現代日本文化の,最高の権威」みたいになっているのです。
 私の父が尊敬してやまなかった,かつての司馬遼太郎みたいなポジションにいる,といってもいいでしょう。(そうなっていったプロセスは,今回は立ち入りませんが)

 昨日の記者会見で,私はあらためて「時代は変わる」ということを,感じました。

 つまり,マイナーだったもの,ステイタスの低かったもののなかに,つぎの時代のメジャーや権威があらわれることがある。

 あるいは,予想もつかないところから,「新しい時代の主役」が出てくることがある。


 かつての宮崎駿のケースは,そのわかりやすい典型です。

                        *

 ところで今の世の中では,「未来の主役」は,どこにいるのでしょうか?

 きっと社会のどこかで,今も何かをしているのでしょう。
 そして,その仕事に一部の若い人たちが夢中になっているのかもしれない。

 でも,50歳近くなった私には,きっとわからない。
 その「誰か」に気づいていないだろうし,みかけたとしても,評価せずスルーしてしまうにちがいない。

 今の私は,私の「ナウシカ」の切り抜きを罵倒した当時の親父と,ほぼ同じ年齢になりました。

 そんな私が「なんだこりゃ」と眉をひそめるもののなかにこそ,文化の未来があるのかもしれない。

 でも,そうでもないかもしれない。

 私たちの文化は,じつはかなり停滞していて,オジさんの理解を超えるものが,新たに台頭することが少なくなっていくのかもしれない……
 たとえば,AKBとかは,昔のアイドルをみていた世代にとっては,じゅうぶん理解できるものです。「ああいうの,オレたちのころにもあったなあ」と。(そもそも仕掛け人がオジさんですし…)

 まあ,わかりません。

 そんなことをぼんやり思いながら,記者会見の報道をみていました。

 関連記事 社会の変化はゆっくりになっている?

(以上)
2013年07月26日 (金) | Edit |
風立ちぬ

 私は,宮崎駿監督のアニメ作品のファンです。
 三十数年前,中学生のころに『未来少年コナン』や『ルパン三世カリオストロの城』を観て以来。
 オジさんになってからは,アニメやマンガはあまりみなくなりましたが,宮崎作品は今も観ています。

 今日は,夫婦で宮崎監督の新作『風立ちぬ』を観てきました。

 渋谷の映画館で,朝いちばんの上映。席は6割がた埋まっていて,平日のこの時間では,かなりの入りなのでしょう。子どもは少ない。シニア世代の人もちらほらいるのが,いつもの宮崎作品とちがうと思いました。

 飛行機マニア,軍事オタクの宮崎監督が,アタマの中で培ってきた映像や妄想が,全面的にサクレツしています。
 宮崎アニメ的飛行物体が,宮崎アニメ的な雲や大地の広がる空間を飛んでいる。それも,これまでになく大量に。

 空間や時間の感覚も,ときどき歪んできます。

 そんな「映像」や「妄想」を,「零戦の設計者・堀越二郎の半生」という,一応は「物語」になっている流れのなかに載せているという感じ。

 大正~昭和戦前期の日本の光景や,そのなかでのこまかい生活描写も,目をひきます。
 技術者たちが設計図をかいているシーンですら,「見世物」として楽しめる。

 決して「戦争」とか「近代日本の歩み」などがテーマの作品ではない。

 とにかく,宮崎監督のアタマの中に入って,いっしょに「夢」をみさせてもらうという映画です。
 この映画の中のコトバでいえば,「夢を共有する」ということ。
 (映画の中で,主人公と偉大な飛行機の設計家カプローニという人物の「夢」がつながって共有される,「夢」の世界で2人が出会う,というシーンがある)

 宮崎作品はどれも「宮崎監督との〈夢〉の共有」なのですが,『風立ちぬ』はとくにそうだと思います。
 
 宮崎監督の,飛行機についての「妄想」を集大成した映画。
 それだけに,わくわくする冒険も,笑いも,「かわいい」も,あんまり(ほとんど)ありません。
 でも,これだけの「見世物」をつくれる人は,日本はもちろん,世界でもめったにいないでしょう。

                       *

 そして感じたのは,「やっぱり巨匠のオリジナル作品はいい」ということです。

 スタジオジブリのお弟子さんたちの作品も,たしかにいいのです。今の日本でトップクラスの技量を持つ,すごい人たちだと思います。
 でも,宮崎監督自身による作品は,やはりちがう。
 ひとつひとつのイメージや描写の「切れ」がちがう,といったらいいでしょうか。私の表現力ではうまく表せない…

 建築や工芸など,その他の表現でも,こういうことはあります。
 オリジナルの巨匠と,そのすぐれた弟子たちのあいだのちがい。
 「微妙なちがい」というのか,「圧倒的な」というのか,わかりませんが。

 とにかく「自分がほんとうに観たいのは『ジブリ作品』ではなくて,『宮崎作品』なんだ」ということを再確認しました。
 また「新作」を観れるかなあ…

 それから,もうひとつ確認したのが,こういうすごい作品をみたときの「感動」が,少年時代や若いときほどではないということ。たしかに楽しんでいるし,じわじわくるものはあるのですが,10代や20歳ころのときとは感覚がちがう。

 『カリオストロの城』をはじめて観たときのような「わくわく」感を,オレはもう(映画では)味わえないのか?

 あたりまえといえばあたりまえですね。さびしいことだといえば,たしかにそう。
 でも,年輩の方からは「お前くらいの年(40代後半)で何言っているんだ」と言われてしまうかも…

(以上)

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ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月12日 (水) | Edit |
 最近,東京のある繁華街のはずれを妻と歩いていて,安室奈美恵さんをすぐ近くでみかけました。
 上はニットで下はぴったりしたジーンズ。帽子やサングラスは着けてません。髪型は,まさにテレビでみるロングヘア。

 …などということをよろこんで書くのは,幼稚で品がないかなーというためらいが,以前の私にはありました。

 でも,何年か前に本多信一さん(職業相談の大家,いずれまた紹介します)のエッセイで「有名人の美しい人やみごとな人をみるのは『眼福』である,つまり人のだいじな幸せだ」という意味の話を読んでから,変わりました。

 「眼福(がんぷく)」というのは,「ほかでは見られないすぐれた物を見て,楽しい思いをすること」です(『新明解国語辞典』)。「眼福を得る」などというそうです。

 本多さんは今70歳代で,幼いころからずっと東京の阿佐ヶ谷に住んでいます。近所に相撲部屋があったので,昭和の名力士が実家のタバコ屋に買いにきたり,駅前で将棋の名棋士をみかけたりして,「眼福」を得たのだそうです。

 さて,間近でみた安室さんは,CMなどでみるお人形さんのようなキュートというより,シャープな,鍛えたバレリーナみたいな感じでした。やはりふつうの人ではない。「眼福」をいただきました。

 私は多摩の奥地に住んでいて,都会にはめったに出ません。でも「上京」すると,有名人をみかけることが結構あります。東京ってすごいなー。

                       *

 私がこれまでに得てきたいくつかの「眼福」を振り返りたくなりました。

 20年近く前,20歳くらいの宮沢りえさんが,ドラマのロケをしているのを,近所の駅前でみたこと。
 そのときの宮沢さんは,観音さまのようにキレイでした(今もキレイなんでしょうけど)。

 学生時代(20数年前),ある映画の試写会に行ったとき,来賓の手塚治虫先生と藤子・F・不二雄先生が,休憩時間にロビーのベンチで,談笑しているのをみたこと。
 神と神が話している!

 これも学生時代,まだ「国民的」になる前の宮崎駿監督の新作(あるテレビシリーズ)の試写会で,監督の講演を聴いたこと。(あのころ,雑誌で知ったこういう試写会に結構行ってたな)
 「どうして宮崎さんの描くおんなのこはかわいいんですか?」などと質問する若者がいましたが,宮崎監督は罵倒することなく,まじめに対応されていました。

  10数年前,友人の結婚披露宴で,近くのテーブルに座っている人間国宝の歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)さんをみたこと。美しい着物姿でした。

 ふつうの人は,長丁場の披露宴のどこかでダラけたり,崩れたりするものです。私は人間国宝をちらちら見ていたのですが,いつも朗らかで,「今日はめでたい」という感じがまったく崩れないのです。どこからみても絵になる方でした。

 数年前,草彅剛さん主演のお芝居を妻と観たあと,劇場近くの路上で,草彅さんを間近にみたこと。
 「出待ち(劇場の出口で役者をまちぶせ)」ではなく,おわってから,近くの居酒屋で一杯やってフラフラ歩いてたら,みかけたのです。

 草彅さんは,何人かのファンの女性に囲まれ,「プレゼント渡していいですか?」と声をかけられていました。「いいよー」と,上機嫌な様子でした。舞台のあとで疲れてそうなのに…

 ウチの妻はSMAPの大ファンで,とくに草彅さんがひいきなのです。だから,大よろこび。数年たった今でも,ときどき思い出してほくそえんでいます。

 これが,有名人をみる「眼福」というものなのでしょう。
 
 私も,以上のことを思い出すと,なんとなく幸せな気分になります。
 
 この手の体験は,多くの人にあるのではないでしょうか。
 美しい人,何かを極めた人,そういう人をみるのは,やはりたのしい。
 人間をみることは,人間にとって最大の娯楽です。

 妻は,ときどき夢でSMAPメンバー,とくに草彅さんと会うそうです(笑)。
 私も,夢で安室さんや手塚先生と会ってみたいけど,まだ会えていません。

(以上)
 
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