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2013年10月24日 (木) | Edit |
 今日10月24日は,「微生物の世界」を発見した科学者レーウェンフックの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字ほどで紹介するシリーズ。

 「レーウェンフック」といっても,多くの方はご存じないかも……でも,科学史では有名な人です。こういう「その筋では知られているけど,一般にはあまり知られていない」という人物も,このシリーズではときどきとりあげています。 


レーウェンフック

「個人的な趣味」ではのめり込めない

 1700年ころのオランダにアントニ・レーウェンフック(1632~1723 オランダ)という洋品店の主人がいました。彼は40歳ころに,当時はまだめずらしいものだった顕微鏡を自作してミクロの世界の観察をはじめ,それを生涯熱心に続けました。
 彼は顕微鏡のことを,周囲の人にあまり語りませんでした。
 そこで人びとの多くは,彼を「自分の世界にこもる偏屈なマニア」と考えました。
 でも,じつは彼には外国に科学者の仲間がいて,観察結果を報告する手紙を何百通も書き送っていたのです。彼は学会で「微生物の世界の発見者」と評価されていました。
 1人で趣味にひたっていたのではなく,「科学者のネットワーク」の中で研究活動をしていたのです。
 他人や社会とのつながりのある活動だったからこそ,彼は顕微鏡にのめり込むことができました。「個人的な趣味」では,そうはいきません。

宮地祐司「〈科学者・レーウェンフック〉の発見」『たのしい授業』1987年1月号(仮説社)に教わった。

【アントニ・レーウェンフック】
「微生物の世界」の発見者。肉眼では見えない小さな生物の観察結果をはじめて学会に報告した。彼の顕微鏡は小さなガラス玉のレンズ1個だけの虫眼鏡のようなものだが,当時としては最高の性能だった。
1632年10月24日生まれ 1723年8月27日没

 ***

 「科学」というと,「専門的なむずかしい世界」で,科学者が複雑な実験装置を使って研究している,といったイメージが一般的でしょう。
 たしかに,今の科学の主流は,専門家の世界です。

 しかし,近代科学の初期の時代(1500~1700年代)には,それとは異なる「アマチュア的な科学」の世界がありました。ここで述べた洋品店の親父=レーウェンフックが没頭したような,私たちにも理解できる「たのしい科学」の世界が。

 また,現代にもそのような「近代科学の初期のころの〈たのしい科学〉の伝統」を追いかけているアマチュア研究者たちがいて,私はおもにその人たちからレーウェンフックのことを知ったのでした。宮地祐司さんを中心とする「楽知(ち)ん研究所」というNPOの人たち。

 下の写真は,1990年代末から2000年代初頭に「楽知ん研究所」で発行した研究誌『初等科学史研究MEMO』です。第7号まで出て,発行部数は各500部。

初等科学史研究MEMO

 当時の楽知ん研究所は,まだNPOではなく,単なるサークルでした。しかし非常に熱気があって,「たのしい科学」に関するさまざまなレポートや記事への反響が,全国各地からこの研究誌に寄せられていました。

 職業的な研究者ではない人たちが,さまざまな文献を調べるなどして(ときには外国語の原典にあたりながら),せっせと書いていたのです。

 私も,『初等科学史研究MEMO』の第6号に,アメリカ独立革命についてのレポートを載せてもらったことがありました。「社会の科学」の研究としてです。

 1990年代は,パソコンや安価な印刷などの普及で,かなり手の込んだ印刷物を,以前よりもずっと多くの人がつくれるようになった時代。この研究誌は,そういう時代の産物だともいえるでしょう。

 そして,こういうアマチュアのミニコミ印刷物というのは,今はもう「ちょっと昔」のものなのかもしれませんね……「熱気にあふれた時代」はもう過ぎた,という感じがするのですが,どうなのでしょうか?

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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2013年10月12日 (土) | Edit |
 アメリカ合衆国では,10月12日は「コロンブス・デー」といって,大多数の州で休日なのだそうです(10月第2週の月曜を休日とする所もある)。
 1492年のこの日に,クリストファー・コロンブスが大西洋を横断し,アメリカ大陸に近いバハマ諸島というところに上陸したので,それにちなんでのこと。

 そこで今回は,コロンブスの「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。


コロンブス

何が画期的だったのか

 1492年に大西洋を横断し,ヨーロッパ人によるアメリカ大陸発見への道を開いたクリストファー・コロンブス(1451~1506 イタリア)。
 彼が画期的だったのは,「大西洋を渡ろうとした」ということではありません。
 それなら,先に何人かの人が考えています。しかし,その人たちが主張した航海の目的地は,宗教的な観念に基づく「伝説の楽園」といった,あいまいなものでした。
 これに対し,コロンブスは,当時最新の地理学説(今からみれば大きな誤りもある)に基づいて「アジアをめざす。アジアへの新航路を開拓し,貿易で儲ける」と主張しました。根拠のある,リアルな目標です。
 その目標設定が認められてスペイン国王というスポンサーがつき,航海が実現しました。
 そして,「幻想」に基づいて航海しようとした人たちには成し得なかった成果をあげたのです。
 「その挑戦がめざすもの」を的確に設定できなければ,成功はむずかしいのです。

増田義郎著『コロンブス』(岩波新書,1979)による。

【クリストファー・コロンブス】
大西洋横断の航路を開拓した航海者。「地球球体説」に基づき,従来とは逆に大西洋を西に回ってインドへ達しようとした。その途中で,新大陸に近いバハマ諸島にたどり着いた。
1451年?生まれ(1446年説あり) 1506年5月20日没

 ***

 つけ足しの話をします。
 「コロンブスはアメリカ大陸を発見したのか?」ということについて。
 
 じつはコロンブス自身は,自分はインド(アジア)に到達したと思っていました。のちに1500年代になって,ほかの航海者・探検家たちによって「インドではなく新大陸」ということが明らかになります。「新大陸である」という説を最初にとなえたアメリゴ・ベスプッチにちなんで,「アメリカ」という名称が生まれました。

 でもとにかく,コロンブスは「のちにアメリカ大陸といわれる土地」に到達した。これを「アメリカ大陸の発見」というべきか?

 近年は,「コロンブスは,アメリカを〈発見〉などしていない」ということになっています。
 アメリカ大陸には,先住民の人びとが1万数千年前から住んでいたのだ,コロンブスはそこへやってきただけだ,というわけです。まあ,たしかにそうです。

 この何十年のあいだに「西洋中心主義(なんでも欧米がエライ)」が批判され,さまざまな文化の固有の価値を尊重する「多文化主義」「文化相対主義」などの思想が有力になりました。
 その流れの中で「〈コロンブスのアメリカ発見〉などというのはいかにも西洋中心の見方で,まちがっている」ということになったのです。

 それから,「コロンブス以前にアメリカに到達した航海者」も,発掘されています。

 代表的なのは「ノルマン人(≒ヴァイキング)が西暦1000年ころ北米に達し,移住・植民も試みられたが,途絶えてしまった」という話。
 あと「1400年代初頭に中国の明王朝の船がコロンブスより数十年先に北米に行っていた」という説もあります。

 このうち,「ノルマン人の北米発見」は,歴史学者たちのあいだでほぼ「事実」と認められているようです。
 「中国人による発見」のほうは,異端の説にとどまっています。

 でも,ノルマン人によるものであれ,中国人によるものであれ,いずれにせよその「航海・発見」はあとが続かなかったわけです。だから歴史上の「埋もれた事実」に一度はなったのです。

 これに対し,コロンブスの航海以後は,スペインなどの多くのヨーロッパの船が南北のアメリカ大陸と行き来するようになりました。それはノウハウの蓄積など,航海をさかんにする社会的な取り組みがあったからです。

 コロンブスの航海は,たしかに「アメリカ発見」とはいえないのかもしれません。

 しかし,それが「発見」であったかどうか以上にだいじなのは,「航路を開拓した」ということです。
 つまり,「コロンブスのあとに続くほかの船乗りも,アメリカに行けるようになった。それが継続・発展した」ということ。
 「再現性のある,一種の技術革新をした」といってもいい。
 それが,コロンブスの功績です。

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 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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2013年10月04日 (金) | Edit |
 10月5日は,ビートルズのデビュー曲「ラヴ・ミー・ドゥー」が発売された日です。1962年のこと。
 そこで今回はビートルズの「四百文字の偉人伝」を2本立てで。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 ***

 ビートルズのファンやマニアの方は大勢いて,その筋のブログも数多くあります。
 そういう専門的な視点からすると,以下の「四百文字」の話はいかにも「浅い」かもしれません。

 でも,この「四百文字の偉人伝」の話は,どれもそうです。

 つまり,いろんなジャンルの人物をとりあげていますが,「その筋の人」からみれば「そんなの常識」みたいな話ばかり。
 でも,その人物や,関わる世界をよく知らない人からみれば,新鮮な話だったりするのです。
 
 そんな話に触れて「未知の世界を少しだけ垣間見た感じ」になってくれればいいな,と思っています。

 「四百文字の偉人伝」は,すでに100余りの話を書いています。それをまとめたものが,ディスカヴァー・トゥウエンティワンという出版社から,電子書籍ですが商業出版されてもいます(今回の記事の末尾参照)。

 もしよかったら,その「100話」をまとめて読んでみてください。
 
 「100話」の短い偉人伝は,いわば「人類の文化遺産のいろいろな領域につながるドア」だと思っています。 つまり,それぞれの偉人が関わるさまざまな世界・分野への興味のキッカケになれば,ということです。科学,哲学,発明,探検,美術,音楽,政治経済,企業経営,社会事業などのさまざまな領域……

 そして,そんな「さまざまな世界」を垣間見ることを100回もくり返すと,みえてくるものがあります。

 「この世にはいろいろなすばらしいもの,意義のある仕事,知るに値することがある」という,視野がひらける感覚です。

 これは,私自身が「四百文字の偉人伝」の100話余りを書いてきて,味わった感覚。
 それは,「100回」という「量」の積み重ねによって,はじめて生まれてくるのだと思います。そして,1回が「400文字」だから,気軽に100回くり返せる。

 まえおきが長くなりました。
 以下のビートルズの話も,そんな100余りの「ドア」のひとつのつもりです。


ビートルズ

修行時代の終わり

 ビートルズは,本格デビュー前の1960~1962年に,ドイツのハンブルクに何度か行っています。
 長いときは数ヶ月にわたる巡業。クラブのステージで1時間ほどの演奏を,多いときは1日5~6回(かそれ以上)。のべ何百回にもおよぶステージ。
 この圧倒的な量のつみ重ねで,彼らの音楽は筋金入りになりました。
 その過程で,メンバーの1人は「別の仕事をしたい」と脱退しました。
 デビュー直前にはもう1人,ドラム担当のメンバーが「腕がイマイチ」とされて,リンゴ・スターと替えられてしまいました。それも,青春ドラマなどにありがちな「オトナたち(プロデューサーなど)の差しがね」ではなく,メンバーのジョンやポール自身が積極的に動いた結果です。
 非情なことですが,このときのジョンたちには「いい音楽をつくる」ことがとにかく重要だったのです。
 多くのつみ重ねの結果,彼らにはふつうの人にはみえないものがみえるようになっていました。
 このときが,ビートルズの「修行時代」の終わりでした。

グラッドウェル著・勝間和代訳『天才!成功する人びとの法則』(講談社,2009)に教わった。このほか,和久井光司著『ビートルズ』(講談社,2000)による。


ビートルズの大失敗

 ビートルズ(活動1962~1970)の楽曲二百数十曲のほとんどは,メンバーのジョン・レノン(1940~1980)とポール・マッカートニー(1942~)による作詞・作曲です。
 しかし,その楽曲の権利はジョンやポールのものではありません。彼らに一定の印税は入りますが,作品の出版や使用についての決定権は持っていません。その意味で「自分のもの」ではないのです。
 じつは,彼らはデビューしてまもなく,自分たちの楽曲の権利を契約会社に譲り渡すことになる書面にサインしていました。
 無理もないことですが,知的所有権やそれに関わるビジネスのしくみについて,彼らはまったくの無知だったのです。
 その後,権利は何人かの手を渡り,一時期は歌手のマイケル・ジャクソンがおもな所有者でした。
 自分のアイデアや創造は,くれぐれも大切に扱いましょう。

コールマン著・中川聖訳『ポール・マッカートニーと『イエスタデイ』の真実』(シンコー・ミュージック,1996)による。田中靖浩著『経営がみえる会計』(日本経済新聞社,1999)に教わった。

【ビートルズ】
20世紀の新しい音楽を集大成し,ファッション,アートなどの文化全般や,若者のライフスタイルにまで影響を与えた4人組のグループ。1962年イギリスでデビュー。64年以降世界的人気に。70年解散。

1962年10月5日 デビューシングル発売 1970年4月(ポールの脱退宣言により)解散

 ***

 余談ですが,ポール・マッカートニー(現在71歳)という人は,現存する「20世紀の偉人・文化人」のなかで一番の大物かもしれません。

 今生きている人で「20世紀に,ビートルズのポール・マッカートニーに匹敵する活躍をした文化人」って思い浮かびますか? 音楽だけの話ではなく,芸術・文化の全ジャンルをみわたして,です(くりかえしますが,「今生きている人」で)。
 私はとくにビートルズファンではなく,ひいき目はないつもりですが,どうも思いあたりません。

 「もっと素晴らしい仕事をした人はいる」という意見はあるかもしれません。でも,ビートルズほどメジャーではないはずです。
 あるいは,同じくらいか,もっと「メジャー」といえる20世紀の文化人もいるのでしょう。
 ピカソとかアインシュタインなんて,そうかもしれない。スティーブ・ジョブズを「文化人」とみなせば(21世紀にも活躍したけど)そうだったかも……でも,みんな死んでしまいました(ジョン・レノンも死んでしまったわけですし)。

 というわけで,私はポール・マッカートニーを「現存する・世界最大の文化人」と認定しています(^^;)
 「20世紀の生き残りのうち,最大の人物」といってもいいかも。

 ご本人には,たぶんその自覚はないでしょうが。

 ***

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 あさって9月17日は,明治の文人・正岡子規の生まれた日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


正岡子規(まさおか・しき)

今も続く「楽しみの輪」

 正岡子規(1867~1902)は,俳句や短歌を革新する運動を行い,近代的な日本語文の成立にも貢献した明治の文人です。
 これらの仕事を,彼は自分のサークルをつくって仲間とともに行いました。子規はワクワクすることを提案し,人をまきこむ名人でした。
 文学だけではありません。学生時代には,野球を楽しむ集まりを,日本ではじめて主宰したりもしています。
 彼は,結核のため35歳で亡くなりました。
 30歳ころからは,病気で家にこもりきりの生活です。
 それでも,彼の家には頻繁に人が訪れ,句会などが催されました。また,病床から新聞や雑誌に文章を発表し,賛同者を全国に増やしていきました。
 そして子規の死後,彼の仲間たちは,文芸の世界でそれぞれに活躍していったのでした。
 現代の俳句や短歌の愛好者たちは,100年以上前に子規が立ちあげた「楽しみの輪」の中で今も活動している,といえるのでしょう。すごい主催者です。

坪内稔典著『正岡子規の〈楽しむ力〉』(NHK出版生活人新書,2009)に教わった。

【正岡子規】
明治の文人。〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉の人。俳句と短歌を革新し,新時代の文芸として再生した。『病牀六尺』などに収められた随筆は,近代的日本語文の成立にも影響を与えた。
1867年(慶応三)9月17日生まれ 1902年(明治35)9月19日没

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 今日9月9日は,「ケンタッキーフライドチキン」の創業者カーネル・サンダースの生まれた日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。


カーネル・サンダース

65歳の再出発

 「65歳の自分に,やり直すことができるだろうか……」
 1950年代なかば,アメリカの田舎町でのこと。経営不振になった自分の飲食店を売り払った,カーネル・サンダース(1890~1980 アメリカ)という男がいました。店の近くに高速道路ができて人の流れが変わり,お客が減ってしまったのです。
 彼の手元には,税金と未払いの代金を支払うと,ほとんどお金は残っていません。
 しかし,彼はあきらめませんでした。
 「そうだ,自分の店で評判だった特製フライドチキンのつくり方をいろいろなレストランに教えて,その売り上げの一部を報酬として受け取る,というのはどうだろう」――これは,「フランチャイズ」というしくみです。
 彼は,チキンを揚げる圧力釜と調味料をクルマにつめ込み,旅に出ました。全米のレストランを回ってセールスです。
 節約のため,車内に泊り込むこともあった旅。
 世界的なフランチャイズ・チェーン「ケンタッキーフライドチキン」は,そこからはじまったのです。

藤本隆一著『65歳から世界的企業を興した伝説の男 カーネル・サンダース』(産能大学出版部 1998)による。

【カーネル・サンダース】
ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者。創業8年目の1964年には店舗が600を超えるまでに成功し,事業を売却。その後も会社に関わり,KFCの顔として世界を回った。「カーネル」は称号・愛称。
1890年9月9日生まれ 1980年12月16日没

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2013年09月03日 (火) | Edit |
 あさって9月5日は,マザー・テレサの亡くなった日です。
 そこで,彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


マザー・テレサ

目的に対して真摯

 修道女マザー・テレサ(1910~1997 マケドニア)は,インドのスラム街で,貧しい人びとを助ける慈善活動を行いました。活動は世界各地に広がり,彼女はその功績でノーベル平和賞を受賞しました(1979年)。
 彼女は,テレビの取材など,マスコミへの対応には積極的でした。
 もちろん,有名になりたかったのではありません。
 顔を売ることで活動資金を集めやすくしたかったのです。だから,どんなにカメラマンにつきまとわれても気にしない。「それでお金が集まるなら」ということです。
 慈善活動でとくに大変なのが,資金集めです。でも,「困っている人を助けたい」という人で,彼女くらいお金のことに懸命な人は少ないのです。
 一方,彼女の組織には(少なくとも初期のころは),経理の帳簿はありませんでした。
 集めたお金は,全部人を助ける仕事にすぐ使ってしまう。だから経理なんかいらない。それより,本来の仕事にエネルギーを注ぎたい――とにかく,自分の目的や使命に対して真摯な人でした。

塩野七生『ローマの街角から』(新潮社,2000)所収のエッセイ「修道女マザー・テレサ」,チャウラ著・三代川律子訳『マザー・テレサ 愛の軌跡(増補改訂版)』(日本教文社,2001)による。

【マザー・テレサ】
慈善活動家。高校卒業後,カトリックの修道女に。1948年,修道会を離れ,インドのカルカッタで独自の救貧活動の組織を立ち上げる。この組織はのちに法王庁公認となって活動を広げ,彼女が亡くなった1997年には,世界各地に2000を超える拠点を持つようになった。
1910年8月26日生まれ 1997年9月5日没

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2013年08月26日 (月) | Edit |
 明日8月27日は,建築家ル・コルビュジエが亡くなった日です。今から48年前のこと。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。

 このブログでは,前回は建築家吉村順三のことだったので,たまたまですが建築家の話が続いてますね。

 関連記事:ル・コルビュジエ略伝・若者が巨匠になるまで


ル・コルビュジエ

建築家が愛した小さな小屋

 ル・コルビュジエ(1887~1965 スイス→フランス)は,20世紀を代表する建築家の1人で,さまざまな公共建築や邸宅や都市計画などで知られています。
 しかし,彼がひときわ愛着を感じていた建築が,そのような大がかりなもののほかにもありました。
 南フランスの海辺に自分の別荘として建てた,小さな小屋です(1952年完成)。その小屋は,8畳ほどの狭いものでしたが,ソファ兼ベッド,テーブル,洗面台,収納家具などが機能的に配置され,快適でした。
 晩年の彼は,たびたびこの小屋を訪れてバカンスを過ごしました。「この休暇小屋の住み心地は最高だ」と,彼は語っています。
 小さくても,いや,小さいからこそ,やり方しだいで建築の本質が凝縮されたすばらしい空間をつくることができる――彼はそう考えたのです。それは,「モノをつくる人」が長年かけてたどりついた境地だった,といえるでしょう。

中村好文著『住宅巡礼』(新潮社,2000),カンブレト著,中村好文監修,石川・青山訳『ル・コルビュジエ カップ・マルタンの休暇』(TOTO出版,1997)による。ほかに参考として,ジャンジェ著,藤森照信監修,遠藤ゆかり訳『ル・コルビュジエ』(創元社,2006)。

【ル・コルビュジエ】
フランク・ロイド・ライト,ミース・ファン・デル・ローエと並び20世紀を代表する建築家。近代建築をひとまず完成の域に高めた1人。代表作は「サヴォア邸」,集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」「ロンシャンの礼拝堂」など。
1887年10月6日生まれ 1965年8月27日没

これがその「休暇小屋」です。南フランスのカップ・マルタンというリゾート地にあります。ル・コルビュジエは,この小屋のすぐ近くの海で海水浴中に,心臓発作で亡くなりました。
カップ・マルタンの休暇小屋
カンブレト著,中村好文監修,石川・青山訳『ル・コルビュジエ カップ・マルタンの休暇』の表紙より

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2013年08月15日 (木) | Edit |
四百文字の偉人伝・手塚治虫(てづか・おさむ)

戦争中に描きためた三千枚

 太平洋戦争(1941~1945)のころ,明日のまったくみえない時代。マンガ家志望の学生だった手塚治虫(1928~1989)は,それでもひたすらマンガを描いていました。
 そのころに描いた原稿は,およそ三千枚。
 戦時中で発表のあてもない原稿を,それだけ描いたのです。それも,空襲が日増しに激しくなる中,教師などの周囲の大人ににらまれながらです。
 だから,描いたものは親しい友人にだけみせていました。でも,どうしても多くの人にみてもらいたくて,動員されていた軍需工場で,エラい人にみつからないよう,工員専用のトイレの個室に作品を貼ったこともありました。
 やがて,戦争が終わりました。
 手塚はほっとすると同時に,「これで思いきりマンガを描ける。マンガ家になれるぞ!」と胸をおどらせました。
 その後,描きためた原稿を基にした作品がつぎつぎと出版され,新しい時代のマンガとして大きな反響を呼んだのでした。
 戦争が終わったとき,ただほっとしたり呆然としたりするのではなく,「これで思いきり〇〇できる!」と叫んだ若者は,手塚のほかにもいろんな分野でいたはずです。そういう人たちが,戦後の日本社会を築いていったのです。

手塚治虫著『ぼくはマンガ家』(角川文庫,2000),同『ぼくのマンガ人生』(岩波新書,1997)による。

【手塚治虫】
マンガ家。現代マンガ(=ストーリーマンガ)の基礎をつくった。1947年『新宝島』で本格デビュー。『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など多くの作品を残した。
1928年(昭和3)11月3日生まれ 1989年(平成元)2月9日没

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 明日8月10日は,明治維新のリーダー,大久保利通の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。

 あらためて生没年月日をみると,大久保がほぼ48歳で死んだことに気がつきました(暗殺による)。
 今の私と同じ年じゃないか。
 だから,どうということもないのですが…

 若いころ,板倉聖宣さんという先生から,雑談としてですが「革命家は早死にするほどカッコいい」という法則があるなんて話を聞いたことがあります。
 
 たしかに,明治維新の功労者の場合,それはよくあてはまるように思います。

 高杉晋作や坂本龍馬のように20代や30過ぎの若さで死んだ人は,「めちゃくちゃカッコいい」。
 一方で,70近くまで生きた伊藤博文は,「あまりカッコよくない」。
 まして,80代まで生きた山形有朋は,「非常にカッコよくない」わけです。

 じっさい,一般のイメージとして,そういう「序列」があるように思います。

 「龍馬のように生きたい」という青年には,何度も会ったことがありますが,「山形有朋のように生きたい」という青年には,会ったことがありません。

 50歳くらいまで生きた大久保利通や西郷隆盛は,この「カッコよさの序列」のなかでは,中間的なところにいるのでしょう。
 ただし,西郷の場合は,特別に尊敬・崇拝する人もいますが,「多数派のイメージとして」ということです。

 まあ,正確な議論のできる話ではありません。「カッコよさ」というのは,その人物の業績の大小ともちょっとちがいます。軽く聞き流して(読み流して)くださいね…


大久保利通 (おおくぼ・としみち)

20年間,維新を引っぱった

 大久保利通(1830~1878)は,西郷隆盛と並ぶ明治維新のリーダーで,明治政府の基礎を築いた政治家です。
 でも,西郷が「大人物」として人気があるのにくらべ,大久保には「冷酷な策謀家」のイメージがあって,人気はイマイチ。
 たしかに彼には,「政治的判断で,恩人や盟友を切り捨てた」といわれてもしかたないできごともありました。
 しかしそれは,「彼が私欲や情に左右されず,なすべき仕事を強い意志で推し進めたからだ」という見方もできます。
 たとえば,「郷土の人間をひいきしてとりたてる」ことを彼は好みませんでした。明治政府での彼のおもな部下の多くは,出身の薩摩(鹿児島)以外からの人材でした。
 こういう人は,不人気なことが多いものです。
 大久保は,幕末から明治にかけての動乱の時代に,20年もの間トップリーダーであり続けました。それは,彼が単なる「策謀家」などではなく,自分の軸を持つ「信頼に値する人物」だったからではないでしょうか。

佐々木克著『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館,1998)に教わった。このほか,佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫,2004年,大久保についての同時代人の証言集)による。

【大久保利通】
 徳川幕府を倒した中心人物の1人で,初期の明治政府のトップに立つ。薩摩藩の下級武士出身。版籍奉還,廃藩置県,地租改正などの重要事項を推進した。政府に不満を抱く士族により暗殺された。
1830年(天保元)8月10日生まれ 1878年(明治11)5月14日没

                        *

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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2013年08月04日 (日) | Edit |
 その人の誕生日や命日にちなんだわけではありませんが,新作の「四百文字の偉人伝」を。
 手塚治虫,藤子・F・不二雄,石ノ森章太郎,赤塚不二夫といった,マンガの巨匠について。

 あえていえば,おとといの8月2日は,赤塚の命日でした。

 先日「ゴロウデラックス」(TBS系)という深夜番組をみました。SMAPの稲垣吾郎さんがメイン司会で,作家や文化人をゲストに呼び,その著書を紹介する番組です。その日は直木賞を戦後最年少で受賞した作家・朝井リョウさんが出ていました。

 そのなかで,朝井さんが 「SMAPは,1989年生まれの自分からみれば,電気・水道・ガスみたいなインフラのようなものだ」ということを言っていました。
 「物心ついたときから,テレビに出ているのをたくさんみてきたので,あたりまえのような存在だ」ということでしょう(SMAPは1988年結成。ウチのカミさんは大ファンです)。
 タレント・文化人を「インフラ」というのは,おもしろい表現だと思いました。

 それを聞いて, 「自分にとってそのような意味でのインフラって,何(誰)だろう?」と考えました。

 思い浮かんだのは,手塚治虫のような,昭和のマンガの巨匠たち。

 私が子どもだった1970年代に,すでに彼らはマンガ界の重鎮で,しかもバリバリの最前線で活躍していました。リアルタイムで,つぎつぎと生まれてくる新作が読めたのです。
 それはマンガ好きの少年にとって,あたりまえの「インフラ」みたいなものでした。

 しかし,時は流れました。巨匠たちも,多くは亡くなった。ちばてつや先生や,藤子不二雄A先生や,水木しげる先生など,かぎられた人が今もおられるくらい。ただし,第一線からはすでに退いている。

 でも,巨匠たちが残した作品が「インフラ」として残っている,といえるのでしょう。

                       *

手塚治虫ほか,マンガの巨匠

命を縮めるほど,精一杯だった

 画家や作家には,長寿の人のたくさんいます。でも,マンガの基礎をつくった巨匠には,長生きしなかった人が目立ちます。
 亡くなった歳は,手塚治虫,60歳。藤子・F・不二雄,62歳。石ノ森章太郎,60歳。赤塚不二夫,66歳で病に倒れ,6年間の入院の末,死去。
 彼らは,20歳ころから,締切りに追われながら睡眠や食事の時間を切り詰め,ひたすらアイデアを練って描くという生活を何十年も続けました。
 たとえば,NHKのドキュメンタリー(1986年放送)の中で,50歳代の手塚は,店屋物のチャーハンを夜食に,徹夜で机に向かっていました。タクシーのなかでも原稿を描いていました。
 こういう生活が命を縮めたのです。
 また,赤塚のように,中年期からはストレスで酒におぼれてしまったケースもあります。
 彼らほどハードな仕事を長年続けたクリエイターは,ほかの分野ではまずみあたりません。それだけマンガの発展期のエネルギーはすごかった,ということです。

参考:石ノ森章太郎『トキワ荘の青春』(講談社文庫,1986),藤子不二雄(藤子不二雄A)著『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(文春文庫,1980)

【手塚治虫】
1928年11月3日生まれ~1989年2月9日没
【藤子・F・不二雄】
1933年12月1日生まれ~1996年1月23日没
【石ノ森章太郎】
1938年1月25日生まれ~1998年1月28日没
【赤塚不二夫】
1935年9月14日生まれ~2008年8月2日没

 現代マンガ(=ストーリーマンガ)開拓者である手塚治虫と,その影響を受け,マンガの発展に大きく貢献した作家たち。藤子,石ノ森,赤塚は新人時代の1950年代に「トキワ荘」というアパートに集まって住み,刺激を受けあっている。

                         *

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2013年07月31日 (水) | Edit |
 7月28日の記事は,大正から昭和のはじめに活躍した実業家・大原孫三郎の「四百文字の偉人伝」でした。
 大原は,美術館・研究所・病院の創設,孤児院の支援,自らが経営する倉敷紡績での労働条件の改善など,さまざまな社会事業や福祉に取り組んだことで知られています。

 この大原との対比で,明治~大正に活躍した実業家・渋沢栄一が語られることがあります。

 日本の企業経営の歴史のなかでは,渋沢のほうが大原よりもはるかに「大物」です。
 渋沢は下記の「四百文字の偉人伝」で述べるように,500社もの企業の創設に関わり,日本の資本主義の基礎を築いた人物です。

 大原と渋沢が対比されるのは,渋沢もまた社会事業・公益事業に熱心に取り組んだからです。
 下記の「四百文字の偉人伝」では割愛しましたが,渋沢がかかわった,福祉,医療,教育,国際交流等々の公益事業の数は,600にもなるといわれます。
 さきほど述べた営利的な事業の創設数(500)よりも多いくらいです。

 今日は,そんな渋沢の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。
 

渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)

日本史上最高の起業家

 幕末のこと。若き渋沢栄一(1840~1931)は,幕府の欧州視察の一行に加わりました(1867年)。
 彼は,もともとは欧米諸国に反発していました。しかし,ヨーロッパの進んだ文化に感動し,「欧米からトコトン学ぶべきだ」という考えに変わりました。
 明治になって,渋沢は実業家となり,「社会に必要なさまざまな会社の設立」に尽力しました。
 銀行,鉄道,保険,郵船,紡績,建設,電力,ホテル,造船,化学……彼が設立に関わった会社はおよそ500社。その多くが大企業となり,今も続いています。
 しかし,彼は「それらの会社を支配して自分の財閥をつくること」はしませんでした。
 新会社が軌道に乗ると人にまかせ,つぎの会社の立ち上げに移る――それをくり返しました。
 「財力や権力の拡大」ではなく,「立ち上げた事業が発展し,社会をつくっていく」のをみるのが楽しかったのです。
 そんなスケールの大きな起業家がいたのです。

渋沢研究会編『新時代の創造 公益の追求者・渋沢栄一』(山川出版社,1999)による。

【渋沢栄一】
日本の資本主義の基礎を築いた明治~大正の実業家。設立に関与した会社の例:第一勧銀,国鉄,東京海上火災,日本郵船,東洋紡,王子製紙,清水建設,東京電力,帝国ホテル……
1840年(天保十一)2月13日生まれ 1931年(昭和6)11月11日没

                        *

 10年くらい前,大原孫三郎に興味をもって,自分なりに本を集めたり,彼の地元の倉敷に行って「現地」をみたりした時期があります。

 大原については,当時はまだ読みやすい伝記が書かれていませんでした。
 本格的な評伝とまではいかなくても,大原のことをわかりやすく紹介した,まとまった文章を自分で書きたいものだ,と思っていました。でも,結局できませんでした。短い文章を書いて,仲間うちでみせたりはしましたが…

 当時の私が大原にひかれたのは,「彼の取り組んだことが,今の自分たちの関心と重なる部分がある」と感じたからです。

 大原が活躍した大正時代と,今の私たちの平成の時代は,歴史のなかの立ち位置として似たところがあると。

 大正時代というのは,明治時代からの「近代化」,つまり近代社会としての基礎的なインフラを整備することがある程度かたちになって,日本が「列強」のひとつになった時期です。

 政府の組織や憲法などの法典,全国的な鉄道網,銀行などの金融機関,さまざまな分野の工場,学校制度,郵便や電信のネットワーク…そういったものの基礎が,だいたい整ったわけです。

 渋沢栄一は,この動きに(とくに経済面で)貢献した最大の人物のひとりです。

 そして,大正時代は,明治に建設されたインフラ・基礎に立って,一部の恵まれた人たちが,その先を行くさまざまな社会実験を行った時代でした。

 それは,「基礎の基礎」ではなく,「もっときめ細かい社会的なサービス」といえる分野での実験です。

 より健康に文化的に人びとが生きるためのさまざまな取り組み。
 「文化的」などというのは,従来は一部の恵まれた人たちだけの特権でした。
 それをより広い範囲の人たちに。

 大原孫三郎は,そのような大正時代の「社会実験」において,最もすぐれた仕事をしたひとりです。

 美術館や,より良い病院や,社会問題を研究する研究所をつくったり,というのは「基礎の基礎とはちがう,きめ細かい社会のサービス」をつくっているわけです。美術館がなくたって,人は生きられるのですから。

 こういう感じが,私は現代に通じると思ったのです。
 高度成長を成し遂げて,経済大国になった日本。
 衣食には不自由しなくなった私たち。
 「その先の欲求」もあるはずだけど,社会におけるサービスのおもな生産者である政府や大企業は,それに十分にこたえられていない。
 10年前は,今以上にそうでした。

 そこで,NPOなどの民間による,新しい社会的サービスの創出ということが,当時(10年前)は,今以上に新鮮な話題でした。

 大原孫三郎は,そのようなNPO的な世界の,近代日本における「最高峰」だと思えました。
 渋沢栄一は偉大だけど,今の自分たちの関心により即しているのは,大原孫三郎ではないか。
 そんなふうに,思ったのです。

 今回はここまで。

                         *

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2013年07月28日 (日) | Edit |
 今日7月28日は,大正から昭和にかけて活躍した実業家・大原孫三郎の誕生日です。

 そこで大原の「四百文字の偉人伝」を。四百文字程度で,古今東西のさまざまな偉人を紹介する」シリーズ。
 2013年1月18日の記事を多少編集し直しての再放送です。

 そのころは,このブログをはじめて数日後。訪れる人も1日に数人という状況でした。だから,読んでおられない方が多いと思いますので,再放送。
  

大原孫三郎(おおはら・まごさぶろう)

すぐれたコレクションは志がちがう

 大正~昭和初期の実業家・大原孫三郎(1880~1943)は,地元の倉敷市(岡山県)で紡績会社などを経営しながら,孤児院,研究所,病院,美術館などさまざまな社会事業を手がけました。
 そんな大原が集めた西洋絵画は,現代でも「日本有数のコレクション」といわれます。彼の依頼でヨーロッパへ渡り,絵を買い付けたのは,大原の親友で洋画家の児島虎次郎でした。
 制約もある予算の中で児島が選んだ作品は,その選択が的確で,のちに評価が高まっていったものばかり。
 絵は,まず地元の学校を借りて公開されました。それが盛況だったので,さらに多くの絵を買い集め,のちに「大原美術館」を建てました(1930年開館)。
 日本初の「本格的な西洋美術のコレクションを有する美術館」です。
 大原は,みんなにみてもらうために絵を買ったのです。現代の企業や金持ちが,値上がり目当てで買った高い絵を,金庫にしまっておくようなのとは志がちがいます。

(参考文献)
山陽新聞社編『夢かける 大原美術館の軌跡』(山陽新聞社,1991)による。ほかに参考として,城山三郎著『わしの眼は十年先が見える』(新潮文庫,1997)


                        *

 以上,大原美術館のことを書きましたが,これは大原の社会事業の一部にすぎません。大原のことを人名事典ふうにまとめると,こうです (写真は『大原孫三郎傳』より)。

大原孫三郎

【大原孫三郎】
 大正~昭和初期の実業家・社会事業家。若くして父が経営する倉敷紡績を継ぎ,おおいに発展させた。若いときに「岡山孤児院」の創設者・石井十次と出会って影響を受け,社会事業にも力を注ぐ。私財を投じ大原社会問題研究所(労働問題等を研究,1919年設立),倉敷中央病院(1923年),大原美術館(1930年)などを創設した。倉敷紡績の労働条件改善にも取り組む。いずれの仕事も当時画期的なものであった。
1880年(明治13)7月28日生まれ  1943年(昭和18)1月18日没


 このように多方面の活動をしています。
 大原は,近代日本におけるNPO活動の最高峰のような人です。
 
 「NPOによって新しい公のサービスを作り出すこと」は,社会の重要テーマになっています。
 大原孫三郎は,これからますます注目・評価されるようになるでしょう。

 2012年12月には,兼田麗子著『大原孫三郎―善意と戦略の経営者』(中公新書)という本が出ました。

 
大原孫三郎―善意と戦略の経営者 (中公新書)大原孫三郎―善意と戦略の経営者 (中公新書)
(2012/12/18)
兼田 麗子

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 じつはこれまで,大原については,「多くの人が手軽に読めるまとまった伝記」がありませんでした。
 城山三郎『わしの眼は十年先がみえる』(新潮文庫)という,大原の生涯を描いた小説があるくらい。大原に縁のあった人たちでつくった『大原孫三郎傳』(昭和58年)という基本文献もありますが,手軽に買えないし,読みやすい本とはいえません。
 
 兼田さんには『大原孫三郎の社会文化貢献』(成文堂,2009年)という著作もありますが,こうして新書というかたちで,まとまった大原伝が出たわけです。

                        *

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2013年07月22日 (月) | Edit |
 今日7月22日は,遺伝の法則の発見者メンデルの誕生日です。
 そこで,彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。

メンデル

埋もれていったアマチュア研究

 1800年代のなかば,オーストリア(現在はチェコ共和国内)の地方都市にある修道院でのこと。
 その庭で1人の修道士が,本来の仕事の合間に,エンドウ豆を育てては何やら観察をしていました。実験なのだ,といいます。
 それは8年ほど続けられ,何か発見があったようでした。
 1865年,修道士は論文をまとめ,さまざまな科学者に送りました。
 しかし,アマチュアである彼の研究に対し,注目する人は皆無でした。
 やがて,彼は修道院長になって忙しくなり,研究はペースダウン。論文は埋もれたまま,彼は1884年に亡くなりました。
 ところが,論文が書かれて30年以上経った1900年に,複数の科学者が彼と同じ発見をします。それがきっかけで,彼の業績は高く評価されるようになりました。
 修道士の名は,グレゴール・メンデル(1822~1884 オーストリア)。遺伝の法則の発見者です。
 彼の研究は,「遺伝子研究」という新しい科学の原点になりました。無名で終わったアマチュア研究者が成しとげた業績としては,これ以上の例はないでしょう。

中沢信午著『遺伝学の誕生』(中公新書,1985),マローン著,山田五郎監修・石原薫訳『偉大な,アマチュア科学者たち』(主婦の友社,2004)による。

【グレゴール・メンデル】
 遺伝の法則の発見者。エンドウ豆を交配し,育った豆の色やシワなどの形質について統計をとると,みごとな数量的法則性があることを発見。それが遺伝的形質を伝える因子(遺伝子)の存在を示す証拠となった。
1822年7月22日生まれ 1884年1月6日没


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2013年07月19日 (金) | Edit |
 先日,私が住む私鉄沿線にある小さな古本屋の,特売本が並んでいるコーナーで,つぎの本をみつけて買いました。

 前嶋信次『玄奘三蔵 史実西遊記』(岩波新書,1952年)

 「2冊で100円」のうちの1冊です。1952年(昭和27)の初版当時のもの。背表紙が茶色くなった,古びた新書です。玄奘三蔵は,『西遊記』の三蔵法師のモデル。
 
 著者の前嶋信次(1903~1983)は東洋史家。とくに,『アラビアン・ナイト』の全巻を,はじめてアラビア語の原典から邦訳(全18巻+別巻,平凡社東洋文庫)した人として知られています。

 この「50円」の本を通勤電車で読みつつ,資料として使って,「四百文字の偉人伝」が1本完成しました。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズです。
 50円で,ずいぶん楽しませてもらいました。
 昨日のブルース・リーに続き,今日も中国のヒーローの話になりました…
 

玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)

タフなお坊さん

 唐の時代の中国に,玄奘(602~664)という僧侶がいました。小説『西遊記』(16世紀にオリジナルが完成)の三蔵法師のモデルです。
 彼は,「仏教発祥の地・インドへ行ってオリジナルの経典を究めたい」と志していました。
 しかし,国の許可がおりません。政情不安のため,国境の出入りが制限されていたのです。
 そこで彼は,密出国を行いました(629年)。
 最初は同行者がいましたが,すぐに1人に。人目を避けて夜道を行く。砂漠を何日もさまよったことも。
 町にたどりつけば,見知らぬ土地で旅を支援してくれる人をさがす。
 そうやって,中央アジアのルートを1年あまりかけてインドに到着。十数年学んだのち,多くの経典を持って帰国したのでした。
 心も体もタフな人です。本やドラマで描かれる「やさ男」とはちがいます。
 玄奘は,物語と史実のギャップがとくに大きい人物です。『西遊記』では,実際の三蔵法師=玄奘が持つ強さは,孫悟空に託されているのです。
 史実を知ると,「タフで強い三蔵法師」を,いつかドラマで観てみたいとは思いませんか?

前島信次『玄奘三蔵 史実西遊記』(岩波新書,1952)による。

【玄奘三蔵】
 仏教の発展に貢献した僧侶。帰国後は,持ち帰った経典の翻訳に取り組み,没するまで十数年にぼう大な漢訳を行った。当時,類のない規模の翻訳事業であり,論理学や文法学にも寄与した。彼の旅行記『大唐西域記』は,史料としての価値が高い。
 602年生まれ 664年3月7日没
 

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2013年07月18日 (木) | Edit |
 あさっての7月20日は,俳優ブルース・リーが亡くなった日です。
 彼が病気で急死したのは,1973年のこと。32歳の若さでした。今年は亡くなってから40年目。もしも生きていたら,70歳過ぎになっているんですね…

 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

ブルース・リー

ドラゴンは勉強家

 映画『燃えよドラゴン』などで知られる俳優ブルース・リー(李小龍,1940~1973,香港)。1970年代に,今の私たちがイメージする「カンフーのアクション」というものを確立し,世界に広めた人です。
 彼は,32歳の若さで病死しました。その遺品には,何千冊もの蔵書や,武術や東洋思想を論じた原稿がありました。
 それらをみると,彼が「多くの本を読む勉強家で,武術の本格的な研究者だった」ということがわかります。
 これは,彼の一般的なイメージ――独特の叫び声を発しながら闘っている姿――とはかなりちがうと思いませんか?
 しかし,それだけ熱心に自分の専門を掘り下げていったからこそ,彼のアクションには,ほかの人がマネできない魅力が生じたのではないでしょうか? 
 やっぱり,どんな分野でも,道をきわめるのは「情熱をもってよく勉強する人」なのです。

参考:リンダ・リー著・柴田京子訳『ブルース・リー・ストーリー』(キネマ旬報社,1993),四方田犬彦著『ブルース・リー ――李小龍の栄光と孤独』(晶文社,2005),ブルース・リー,ジョン・リトル『ブルース・リー ノーツ』(福昌堂,1997)

【ブルース・リー(李小龍)】
 カンフーを世界に広めた俳優・武術家。香港で育ち,子役で映画に出演。大学を出たアメリカで道場を開いたが,のちに俳優となり,おもに香港映画で活躍した。代表作『燃えよドラゴン』公開の年に病のため急死。
1940年11月27日生まれ 1973年7月20日没


読書するブルース・リー
(『ブルース・リー ノーツ』福昌堂 より)

読書するブルース・リー


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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
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2013年07月07日 (日) | Edit |
 今朝(7月7日)の日経新聞の一面に,こんな告知がありました。

 日経「星新一賞」
 想像力に富んだ物語募集


 日本経済新聞社は文芸賞,日経「星新一賞」を新設します。星新一氏が残した自由な発想の作品は現実の科学を刺激し,未来を切り開いてきました。形式やジャンルにとらわれない理系的な発想力,想像力に富んだ物語を募集します。


 公募で「1万文字」以内の短編を募集。ジュニア部門もある。団体でも応募可。
 さらに「人工知能」といったプログラムソフトでつくった作品も応募可,というのも話題になっています(最近はそういうソフトも研究されているそうです)。
 応募期間は今年7月から10月。審査発表は来年3月。

 日本の科学を(ひいては産業・経済の発展も)刺激したいという趣旨が,日経らしい。

 そういえば,「星新一賞」っていうのは,まだなかったんですね。

 星新一は,いわゆる「文壇」での評価は高くありませんでした。いや,SFファンのあいだでも,ある時期からは「SFの入門編」扱いで,「主流」からは外れた感じになっていました。
 最相葉月(さいしょうはづき)著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮文庫,上・下)などによれば,そういうことらしいです。

星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)星新一〈上〉―一〇〇一話をつくった人 (新潮文庫)
(2010/03/26)
最相 葉月

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 でも最近は,再評価されているようです。
 今述べた,最相さんの「星についての初の本格的な伝記」といった仕事(単行本が2007年刊)も,その動きをリードしたといえるでしょう。

 まあ,「再評価」というよりも,「新しい権威・古典」になった,といったほうがいいかもしれません。
 すでに相当な権威でしたが,さらに「格」があがったという感じ。

 「新しい権威・古典」は,世代交代によって生まれます。

 つまり,星新一を少年少女時代に読んで育った世代が,中高年になって偉くなってきたということ。

 星の本(『ボッコちゃん』など)が,中高生に人気を博し,ベストセラーになったのは1970年代からのこと。
 星の活躍は1950年代末からですが,初期の読者は大人,とくにSFファンが中心でした。途中からそのような読者が離れていって,文学やSFに特別な興味があるわけではない若い読者に読まれるようになっていきます(さきほどの,最相『星新一』などによる)。

 だから「星新一世代」というのは,一番上の年齢層で,60歳前後(40数年前の高校生)ということです。メインは40~50代でしょうか。私もこの世代ですし,星新一を中高生のときに読みました(この数年で,また読み返してます)。

 その「星新一世代」が若いころは,「あんなのは,子どもの読み物だ」という人たちが上で威張っていました。
 でも,そんな旧世代がいた席に,最近は「星新一世代」が座るようになった。
 そして,自分が若いころに影響を受けたものを,「権威」として評価しようとするようになる。

 そんなふうにして,かつての「サブカルチャー」が,「新しい古典」として殿堂入りしていく。
 こういうことは,社会のあちこちで起こっている。
 そして,そのことは「前向きにとらえていい」と思ってます。

***

 前置きが長くなりましたが,そういうわけで,星新一の「四百文字の偉人伝」を。
 400文字前後で古今東西のさまざまな偉人を紹介するシリーズ。


星 新一(ほし・しんいち)

発刊済みの本を手直しし続けた

 作家・星新一(1926~1997)は,SFを中心に1000余りの短編を残しました。彼の本の発行部数の累計は,何千万部にもなります。多くの人に読まれた作家でした。
 彼の作品の多くは,子どもでも楽しめる読みやすいものです。そのように書くのは,じつはむずかしいことです。
 しかし,世の中には「子どもが読めるようでは低級だ」と思う人がいます。そのためか星の仕事は,文学賞にはあまり縁がありませんでした。
 それを,星は残念に思っていたかもしれません。
 でもそれ以上に,「多くの人が読んでくれる」ことによろこびやプライドを感じていました。
 だからこそ晩年は,過去の作品を推敲して,「今の子どもが読みにくい,古びた表現を直す」ことに熱心でした。「ダイヤルを回す」を「電話をかける」に直したりしたのです。彼ほど発刊済みの本を手直しする作家はいませんでした。
 彼の「大衆に尽くそう」とするサービス精神と,「後世に作品を残したい」という執念を感じます。

最相葉月著『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社,2007)による。

【星 新一】
 昭和の戦後に活躍した作家。日本のSF(空想科学小説)の開拓者の1人。「ショートショート」といわれる超短編の傑作を数多く残した。作品集に『ボッコちゃん』など。
1926年(大正15)9月6日生まれ 1997年(平成9)12月30日没 

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)


四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
テーマ:創造と表現
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年07月02日 (火) | Edit |
 あと1時間後の7月3日は,作家フランツ・カフカの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。

カフカ

発表できなくても,野心作をとにかく書いた

 フランツ・カフカ(1883~1924 チェコ)は,前衛的な作品で20世紀文学に多大な影響を与えた作家です。
 でも彼は,生前はほとんど無名でした。作家としては生活できず,保険会社に勤めながら,小説を書き続けます。会社から帰って夕食をとってから深夜,ときには明け方まで机に向かう毎日。
 しかし,作品の多くを発表できないまま,結核のため40歳で亡くなりました。
 遺稿となった小説(全作品約70編のうち本数では半数以上,分量的には大部分)は,のちに友人の作家の手で出版されました。
 そして,死後20年余り経って,哲学者サルトルなどの著名人が高く評価したことで,世界的に知られるようになったのです。
 発表できなくても,とにかく書く――それは,彼が無欲で謙虚だったということでしょうか?
 いや,むしろ「新しい文学をつくってみせる」という大きな野心が,彼を支えたのではないでしょうか?
 そうでなければ,挑戦的な質の高い作品を,何十編も書き続けることなどできないはずです。

『ダ・ヴィンチ解体新書vol.2人気作家の人生と作品』(リクルート,1997)所収の池内紀氏の発言に教わった。このほか,池内紀・若林恵著『カフカ事典』(三省堂,2003)による。

【フランツ・カフカ】
20世紀文学の重要な作家。その作品は「不条理」「疎外」「孤独」「不安」などの言葉で語られることが多い。たとえば代表作「変身」は,主人公が朝起きるとなぜか大きな虫になっている,という書き出し。
1883年7月3日生まれ 1924年6月3日没

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テーマ:創造と表現
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月25日 (火) | Edit |
 今日6月25日は,マイケル・ジャクソンが亡くなった日です。4年前の2009年のことでした。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西のさまざまな偉人について,400文字ほどで紹介するシリーズ。


 頼れるリーダー

 音楽ビジネス史上最高の活躍をしたスターのひとり,マイケル・ジャクソン(アメリカ,1958~2009)。
 しかし,ある時期からは奇行が取りざたされ,訴訟・裁判にまみれた人生でした。やがて活躍も減ってしまいました。
 そして,健康も害し,50歳の若さで亡くなってしまったのでした。
 亡くなる直前,彼は「これが最後」という大規模なコンサートツアーを準備していました。彼の死で本番を迎えることのなかったツアーでしたが,リハーサルの様子がのちに映画化されました。
 そこには,「奇行」の人などではないマイケルがいます。
 演出家に注文を出すときは,「信頼しているよ」「愛しているよ」という言葉をそえる。
 若手の女性ギタリストと共演する場面では,「もっと強くギターを鳴らせ!ここが君の見せ場だ!」と声がけしてリードする。
 キーボード奏者への微妙な指示は,自分で軽く歌ってニュアンスを示す。
 そして,力強いスピーチで,ダンスチームの士気を盛り上げる。
 まさに,「仕事を知り尽くした,頼れるリーダー」なのです。
 ステージの上の彼こそが,本当の彼なのでしょう。ステージの上こそが,マイケル・ジャクソンにとって,ほんとうに生きている時間なのです。

【マイケル・ジャクソン】
 1958年8月29日生まれ 2009年6月25日死去

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テーマ:あれこれ
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月19日 (水) | Edit |
 私は,『四百文字の偉人伝』という電子書籍を,ディスカヴァー・トゥエンティワンという出版社から出しています(最初のリリースは2012年3月)。

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。
 このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝

 電子書籍『四百文字の偉人伝』は,その101話をまとめたものです。
 アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなど(ほかにもあります)で販売しています。価格は400円。 

 友人に「買って,読んでみてね」というのですが,電子書籍って買うのがめんどうなところがあります。

 電子書籍を販売しているサイトでアカウントを取得するために,いろいろ入力して,読むためのアプリをダウンロードして,決済のためにまたアカウントを取得して…などということもある。
 
 「アカウントの取得」がめんどうな人は,たとえばアマゾンのKindle(キンドル)ストアはどうでしょう。
 アマゾンのアカウントがあれば買い物できます。
 アマゾンのアカウントなら,かなりの人が持っているはずです。
 
 すると,「でも,キンドルの専用端末を持ってないから」と,よくいわれます。

 いえ,キンドルの電子書籍(キンドル本といいます)は,iPhoneやAndroidといったスマホでも読めます。
 キンドル本を読むための専用アプリ(無料)をダウンロードすれば,読めるのです。
 (iPhoneなら「Appストア」,Androidなら「Google Playストア」でダウンロードできる)

 スマホでキンドル本を読める。

 もしよかったら,電子書籍『四百文字の偉人伝』,読んでみてください。

 でも,私はというと,じつは専用端末もスマホも持っていません…
 この手の道具を買うのは,私はいつも人よりうんと遅いです。

 自分の電子書籍は,最初にリリースされたとき,出版元のディスカヴァー社のサイトで,パソコンで読めるバージョンを買いました。
 それしかみてないので,専用端末やスマホだと,自分の本がどんなかんじなのか,知りません。

 「けっこうかわいいかんじだよ」といってくれる方がいましたが,みたことがない…
 それもどうかと思います…

 そろそろ,専用端末を買おうかと。

(以上)  
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月17日 (月) | Edit |
 今日6月17日は,デザイナーのチャールズ・イームズの誕生日です。
 そこで,彼チャールズと妻レイのコンビ,チャールズ&レイ・イームズの「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。今回は2本立て。

カテゴリー:四百文字の偉人伝

イームズ夫妻

まず「つくるための道具」をつくる

 夫チャールズ(1907~1978 アメリカ)と妻レイ(1912~1988)のイームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)は,モダンデザインの名作イスをつぎつぎと生み出し,後世に大きな影響を与えたデザイナーです。
 イスの試作品づくりを,彼らは家具メーカーにまかせず,自分たちのオフィスで行いました。
 ふつうは図面を渡してつくってもらいますが,彼らは自分たちの手を動かして,デザインの細部をつめていきました。
 さらに,材料のベニヤ板を曲げる特殊な器具さえも,研究して自作しています。
 多才な彼らは,数多くの短編映画も製作しました。
 それらは,彼らのオフィスで撮影された手づくりの映画でしたが,先駆的な発想や技術が高く評価されています。映画づくりでも,彼らは撮影器具を自作したことがあります。イメージを実現できる適当な既製品がなかったからです。
 本当に新しいモノをつくる人は,「モノをつくる道具」から自分でつくり出します。
 たいへんですが,創造とはそういうものなのでしょう。

イームズ・デミトリオス著,泉川真紀監修・助川晃自訳『イームズ入門』(日本文教出版,2004),『カーサ ブルータス特別編集 Eames-The Universe of Design』(マガジンハウス,2003)による。

【イームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)】
デザイナー・映像作家。成型合板(ベニヤ板の一種)やFRP(繊維強化プラスチック)等の新素材を用いて,イスのデザインを革新した。住宅「イームズ自邸」や短編科学映画「パワーズ・オブ・テン」も評価が高い。

チャールズ・イームズ
1907年6月17日生まれ 1978年8月21日没
レイ・イームズ
1912年12月15日生まれ 1988年8月21日没


イームズ夫妻2

よけいな「改善」はしない

 夫チャールズと妻レイのイームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)は,モダンデザインの名作イスをつぎつぎと生み出したデザイナーです。ほかに映像やグラフィックデザインなど,さまざまな分野で活躍しました。
 1950年代のこと。彼らはビール最大手・バドワイザーの新しいロゴをデザインしてほしいという依頼を受けました。
 しかし6か月後,「バドワイザーのロゴは,このままで十分にすばらしい」といって,仕事を断ってしまいました。
 そのロゴは,その後何度も改訂されましたが,基本のイメージは長く継承されました。
 多くのデザイナーがあこがれるような大きなオファーです。けんめいに取り組んで,自分の作品を後世に残したいと思うのがふつうです。
 しかし彼らのスタンスは,あくまで「よけいな改善はしない」ということでした。
 自分の存在を残すことよりも,「使う人にとって何がよいか」を優先したのです。
 そして,そこを見きわめる眼力がありました。こういう人はまれです。
 だから,世の中では上に立つ人が変わると,やたら「刷新・改革」が唱えられます。そして,成果のあがらないことが多いのです。

イームズ・デミトリオス著,泉川真紀監修・助川晃自訳『イームズ入門』(日本文教出版,2004)による。

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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月13日 (木) | Edit |
 明日6月14日は,革命家エルネスト・ゲバラの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

カテゴリー:四百文字の偉人伝

 ところで以下に出てくる「ゲリラ」という言葉。中高年はともかく,若い人は知らないかもしれません。
 ゲリラというのは,戦争の用語で「小部隊で出没・奇襲して敵側をかき乱す戦法」のこと(『新明解国語辞典』)。
 ゲバラはこの「ゲリラ戦法」の達人だったのです。


ゲバラ

「世界革命」を夢みたゲリラ戦士

 1959年,キューバで革命が起こり,社会主義政権が樹立されました。エルネスト・ゲバラ(1928~1967 アルゼンチン→キューバ)は,リーダーのカストロに協力し,ゲリラ戦を指揮した革命の英雄です。
 ゲバラは,この革命だけでは満足しませんでした。
 つぎに彼は,「世界中の腐敗した政権を倒し,人びとを開放する」という壮大な目標をかかげます。そしてその手はじめとして,兵士を率いてアフリカのコンゴに渡り,現地の政権に戦いを挑みました。
 しかし,失敗して撤退。
 今度は南米のボリビアで活動しますが,うまくいきません。現地の民衆は,彼の「革命」を相手にしませんでした。
 やがて彼は敵の政府に捕らえられ,殺されてしまいました。
 ゲバラを,「1人よがりの正義をふりかざして敗北した愚か者」とみることもできます。
 しかし,正義のために本当に命をかけた彼を,尊敬する人もおおぜいいます。あなたはどう思いますか?

シュナイダー著・瀬野文教訳『偉大なる敗北者たち』(草思社,2005)に教わった。ほかに参考として,三好徹著『チェ・ゲバラ伝(新装版)』(原書房,2001)。

【エルネスト・ゲバラ】
 キューバ革命の指導者。アルゼンチン出身。もとは医師だったが,母国の独裁政権に反発して出国。中南米諸国を渡り歩く中,1955年にメキシコで亡命中のカストロと出会い,軍事訓練をはじめる。
1928年6月14日生まれ 1967年10月9日没

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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月08日 (土) | Edit |
今日6月8日は,「DNAの二重らせん構造」の提唱者のひとり,フランシス・クリックの誕生日です。そこで,今回はクリックとその共同研究者ワトソンの「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざな偉人を400文字ほどで紹介するシリーズです。
カテゴリー:四百文字の偉人伝

ワトソンとクリック

模型は謎解きのだいじな道具

 ジェームス・ワトソン(1928~ アメリカ)とフランシス・クリック(1916~2004 イギリス)は,「遺伝情報を伝える物質・DNAの二重らせん構造」の提唱者です。
 その提唱がなされた1950年代には,「DNAがどんな分子構造であるか」は,重要なテーマでした。
 彼らの研究で威力を発揮したのが,「分子模型をつくって考える」という方法です。
 模型は,科学的に計算してつくられてはいますが,おもちゃのブロックのようなもの。最初のうちは段ボールと針金でつくったりもしました。
 それで「どの原子がどの原子の隣に座るのが好きか聞いてみる」というのです。
 模型を前に「どんな原子の配列があり得るか」をあれこれイメージしていった,ということです。
 模型づくりは,少し前にノーベル化学賞をとったポーリングも行っており,彼らはそれを積極的に取り入れたのでした。
 模型づくりは,一見子どもじみていますが,じつは奥の深い作業です。
 発想法として,「模型をつくる=論理や構造をモノの形にする」というやり方は,広く使えるのではないでしょうか。

ワトソン著,江上・中村訳『二重らせん』(講談社文庫,1986),ボールドウィン著・寺門和夫訳『ジェームス・ワトソン DNAのパイオニア』(ニュートンプレス,2000)による。

【ジェームス・ワトソン】
【フランシス・クリック】
共同研究でDNAの二重らせん構造を提唱し(1953年),遺伝子研究の世界を切りひらいた科学者。この業績で1962年にノーベル生理学・医学賞をウィルキンスとともに受賞した(ウィルキンスはX線を使ってDNAの構造解明に貢献)。
ジェームス・ワトソン
1928年4月6日生まれ(現存)
フランシス・クリック
1916年6月8日生まれ  2004年7月28日没

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テーマ:自然科学
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年05月31日 (金) | Edit |
今22時過ぎなので2時間ほどフライングですが,明日6月1日は女優マリリン・モンローの誕生日です。そこで彼女の「四百文字の偉人伝」を。

モンロー

演技派になりたい

 マリリン・モンロー(1926~1962アメリカ)は,おもに1950年代に活躍し,今も語り継がれる映画女優です。
 彼女は,セクシーな魅力で人気者になりました。それを彼女はよろこぶ一方,「演技派の女優になりたい」と願っていました。
 彼女は,デビュー前から借金をして演技のレッスンを受けたり,人気絶頂の50年代なかばには,仕事を犠牲にして演技指導の巨匠のもとに通ったりしています。その後の作品では,批評家も認める名演技を残したのでした。
 今でこそ,女優が「セクシー路線から演技派へ」というのは,十分アリです。
 しかし,モンローの時代には「女(女優)は,可愛いければそれでいい」という偏見も強く,彼女はなかなか理解されず悩みました。
 ほかにもさまざまな心労が重なって彼女は心身の健康を害し,36才で亡くなりました(睡眠薬の飲み過ぎによる。自殺・事故・他殺の諸説あり)。
 今も,「カワイイだけで終わりたくない」と,努力する若い女優やタレントがいます。もしモンローがみたら,「がんばってね!」と心から応援することでしょう。

亀井俊介著『マリリン・モンロー』(岩波新書,1987),サマーズ著・中田耕治訳『マリリン・モンローの真実(上)(下)』(扶桑社,1988)による。

【マリリン・モンロー】
ハリウッド女優。孤児院などで苦労して育つ。その死の謎を論じた本,男性遍歴を主題にした本がいくつもあるが,ゴシップだけでなく,20世紀なかばの「時代」を象徴するアイドルとして今も多くの人に知られる。
1926年6月1日生まれ 1962年8月5日没

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2013年05月18日 (土) | Edit |
今日ではなく明日ですが,5月19日はベトナム建国の指導者ホー・チ・ミンの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。未発表の新作です。

ホー・チ・ミン

アメリカに勝利した男

 1954年,フランスの植民地だったベトナムが,対仏戦争に勝って独立しました。ただし,北部のみの独立です。その指導者ホー・チ・ミン(1890~1969)は,南部も含めた祖国統一のため,戦いを続けます。
 しかし,彼の政権は社会主義をかかげていたので,アメリカが介入してきました。ベトナム戦争(1965~75)のはじまりです。
 やがて戦争は泥沼化。米軍の爆撃で国土が破壊され,おおぜいが亡くなりました。
 それでも,ホーの戦う意志はゆらぎません。ゲリラ戦法で徹底抗戦しました。戦争中にホーは病死しますが,後継者が戦いを続けます。
 そして,開戦から10年目,ついにアメリカは撤退したのでした。
 20世紀の世界で,アメリカと大きな戦争をして勝ったのは,ホー・チ・ミンたちだけです。ホーという指導者がいなければ,ベトナムはもっと早くアメリカに屈したでしょう。
 そのかわり,何百万人もの命が失われることもなかったはずです。彼は,ベトナム人の誇りを守りました。しかし,「偉大な指導者が多くの犠牲を生む」という面もあるのです。

参考:フェン著・陸井三郎訳『ホー・チ・ミン伝(上・下)』(岩波新書,1974)『TIMEが選ぶ20世紀の100人(上)』(アルク,1999)

【ホー・チ・ミン】
ベトナム独立・統一の指導者。青年時代から独立運動を組織。1945年,武装蜂起に成功してベトナム民主共和国を宣言,初代元首に(任1945~69)。その後の対仏独立戦争(インドシナ戦争,1945~54),ベトナム戦争を指導した。
1890年5月19日生まれ 1969年9月2日没

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***

「四百文字」のなかでは消化しきれないので取りあげませんでしたが,ホー・チ・ミンのこんな言葉があります。1964年,フランスとの戦争のなかでの発言。

「われわれがフランス兵をひとり殺す間に,フランスはベトナム兵を十人殺せる。しかし,たとえそうであっても,フランスは負け,われわれが勝つ」 
(『TIMEが選ぶ20世紀の100人(上)』スタンレー・カーナウによる記事より)

すさまじい意志・気迫です。この意志のまえにフランスは敗れ,アメリカも二の舞となりました。

そして,「その過程でおおぜいが死んでいった」というのは,「四百文字」で書いたとおり。出典のカーナウによる記事では《彼はベトナムの独立にこだわり続けた。まさにこの目的のために,数百万人のベトナム人が戦い,死んでいったのである》とあります。

これまで,勇ましいことをいう「反米」の国家指導者は,くりかえしあらわれました。でも,ホー・チ・ミンのようなほんとうの「筋金入り」は,まずいません。

しかし,「筋金入り」というのは,恐ろしい,とも思います。「敵を1人殺すあいだに,10人殺されようとも,絶対勝つ」などというのですから……

(以上)

テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年05月12日 (日) | Edit |
今日5月12日は,看護婦ナイチンゲールの誕生日です。そこで彼女の「四百文字の偉人伝」を。

ナイチンゲール

愛だけでは救えない

 クリミア戦争(イギリス・トルコなどとロシアの戦争,1853~1856)で,イギリス軍の野戦病院の看護婦長として活躍したフローレンス・ナイチンゲール(1820~1910 イギリス)。
 彼女が来る前,スクタリ(戦場となったトルコの地名)の野戦病院の管理・運営はガタガタでした。
 このため,病院内では「本来は死なずにすんだはずの患者」が,おおぜい亡くなっていました。彼女は病院の管理体制を立て直して,多くの兵士の命を救ったのでした。
 しかし,もっと大きな仕事は,戦争のあとイギリス本国で取り組んだ,陸軍全体での保健・衛生の改革運動でした。
 改革の基礎データとして,彼女は野戦病院での死亡原因を統計的に分析し,論文を書いています。ナイチンゲールは,そうした統計的研究の先駆者です。
 「管理」とか「統計」とか,ふつうに思う「白衣の天使」のイメージとはちがうと思いませんか?
 「愛だけでは人を救えない」ということを,彼女は知っていたのです。

板倉聖宣,松野修編著『社会の発明発見物語』(仮説社,1998)による。ほかに参考として,長島伸一著『ナイチンゲール』(岩波ジュニア新書,1993),多尾清子著『統計学者としてのナイチンゲール』(医学書院,1991)。

【フローレンス・ナイチンゲール】
専門職としての「看護」の確立者。彼女以前には,看護は一般に専門分野として評価されていなかったが,彼女の実践と,研究・教育の活動がそれを変えた。社会全般の保健・衛生改革にも取り組む。
1820年5月12日生まれ 1910年8月13日没

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「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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2013年04月30日 (火) | Edit |
今日4月30日は,独裁者アドルフ・ヒトラーが死んだ日です。連合軍の攻撃によってベルリンが陥落したあと,当時の参謀本部であった地下壕で自殺したのです。

「ヒトラーが偉人(エライ人)だって?」と疑問に思う人もいるでしょう。私は,「偉人」とは,「それぞれの分野で著しい業績をあげ,歴史に名を残した人」と定義しています。そこには「反面教師的に名を残した人」も含みます。ヒトラーはそれにあたります。大きな罪や過ちを犯しているのですが,人類の歴史のなかで特筆すべき存在ではあるわけです。

ヒトラー

元ホームレスの「ヨーロッパ征圧」

 1910年代のドイツに,1人のフリーターの青年がいました。彼,アドルフ・ヒトラー(1889~1945 ドイツ)は貧しく,ホームレスだったこともあります。
 その後,第一次大戦(1914~1918)に従軍。
 戦後の1919年には,ドイツ労働者党(のちのナチ党)に入党します。
 「党」といっても,カギ屋の主人や土建業の社長や売れない物書きやら,無名の変わり者が集まって政治談議をしているだけ。きちんとした綱領(党の基本理念)も予算も何もない。
 定職もなくヒマなヒトラーは,党の活動にのめりこんで働きます。演説会のチラシをつくって配ったり,募金を集めたり。新聞広告を出した演説会に100人ほどが集まったときは,うれしかった……

 その後,1930年代後半。ヒトラー総統率いるナチス・ドイツは,全ヨーロッパの制圧をめざし,戦争をはじめます。
 元ホームレスの青年が,十数年後にはそんなことに……! ヒトラーの生涯を追っていると,想像を絶する事実を前にして,「なぜこんなことが?」と問わずにはいられなくなります。

参考:ハフナー著・赤羽龍夫訳『ヒトラーとは何か』(草思社,1979),カーショー著・石田勇治訳『ヒトラー 権力の本質』(白水社,1999)。ほかにマンガの水木しげる著『劇画ヒットラー』(ちくま文庫,1990)もよい入門であり参考にした。

【アドルフ・ヒトラー】
ファシズムという反民主主義の思想に立って独裁権力を手にし,世界を大戦争に巻き込んだ政治家。1933年選挙を通じ政権を獲得。39年ポーランドに侵攻し大戦勃発。45年終戦直前に自殺。ユダヤ人虐殺を行った。
1889年4月20日生まれ 1945年4月30日没

関連記事
ヒトラーについて考える・本編
ヒトラーについて考える・まえおき 

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「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)
テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年04月28日 (日) | Edit |
三連休で,のんびりしています。きのうは近所をぶらぶら。書店で本を買い,カフェでお茶をしながら読んだりしました。そうやってウチに帰ると,カミさんに「今日はすっきりした顔をしてるね」といわれます。

きのう手にした本の1冊に,大杉栄『獄中記』(大杉豊解説,土曜社)があります。明治末から大正にかけて活動した「無政府主義」の思想家・大杉栄(1885~1923)が,政治犯としての刑務所暮らしを綴ったもの。原著は1919年(大正8)の出版です。それを読みつつ,大杉の「四百文字の偉人伝」を書いてみました。

大杉栄

監獄のなかでできあがった人間

 「無政府主義」という思想を日本に広めた大正期の思想家・大杉栄(1885~1923)。無政府主義やそれにかかわる社会主義の思想じたいは,現代ではすたれました。しかし,人間や文化を語る彼の言葉には「〇〇主義」を超えた魅力があり,今も読者がいます。
 大杉は自分を「監獄のなかでできあがった人間だ」といいました。
 彼は政治犯として何度か刑務所暮らしをしています。短いときは数か月,長いときは2年あまり。
 当時の監獄は,居住環境は劣悪でしたが,本を読んだりする時間はかなりありました。社会科学や自然科学の本を差し入れてもらっては,読み漁る毎日。エスペラント語やドイツ語も勉強しました。『ファーブル昆虫記』の日本初の翻訳ということも監獄で行っています。大杉にとって,監獄は集中できる場所でした。
 また,雑居房での囚人たちとの共同生活のなかで,人の心の機微にも関心を深めていきました。
 監獄での勉強や体験は,彼の視野を大きく広げてくれたのです。
 私たちも,「監獄に2~3年入るとしたら,何をするか(本やちょっとした道具は持ち込めるとして)」ということを考えてみるといいかもしれません。
 それは,「自分にとって大切なことは何か」を考えるということです。

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以上は,「刑務所はいいところだ」というのでは,もちろんありません。

しかし,外界から隔離された場所で,勉強に打ち込んだり,深く考え続けたり,という機会は価値のあるものです。

アメリカの大学・大学院に留学して真面目に勉強してきた人の話を聞くと,「まるで刑務所暮らしだ」と思えます。授業に出て,図書館で勉強して,学生寮に帰ってまた勉強して寝る。そのくりかえし。キャンパスという「塀の中」から出ることはめったにない。大都市の近郊にある大学に数年いても,街にくりだしたことなんて,数えるほどしかなかった……といいます。

勉強でも仕事でも,「塀の中」にいるような,ほかのことができずに,そのことにひたすら取り組んでいる状況というのは,かなり苦しいはずです。でも,あとでふりかえると,一種の「黄金時代」のように思えるのではないでしょうか。

もし私が,「自由時間のたっぷりある刑務所」に2~3年入るとしたら,何をするでしょうか?

たぶん,「世界史」に関する本を書こうとすると思います。世界史のイメージを初心者に伝えるための,啓蒙的な本。若干の資料を持ち込んで,ときどき必要な本を差し入れてもらって,ノートにボールペンで書くでしょう。私がそんなものを書いても,発表のあてもないし,たぶんなんにもならないのでしょうが,いいのです。それをやりたいのです。
 
でもじつは,もうそれは実行してしまいました。

起業に失敗して,無職で3年あまり過ごしたことがあります。そのころは,自由にできるお金がかぎられていたので(ほんとうは働けばいいんですが),行動範囲もせまかったです。近所の本屋や図書館や公園をぶらつくのが,気晴らしでした。カフェなんかめったに入らなかった。

とくによく「ぶらついた」のは,自宅の本棚です。「つんどく」になっていた本をずいぶん読みました。当時の私は,近所や自宅という「塀の中」で,したいことをしていました(「あんたは幸せな人だ」というなら,まあそういうことにしておきましょう)。

そんななかで,自分にとって「懸案」だった世界史関連の原稿もかなり書いたのです。「書く」というのは,お金をかけない時間つぶしとしては,最高です。それからしばらくの中断を経て,その原稿の整理・仕上げにも取り組んでいます。このブログにもいずれアップしていきたいです。

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年04月27日 (土) | Edit |
今日4月27日は,はじめて世界周航を行った航海者・マゼランが亡くなった日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。

マゼラン

究極の地図のない旅

 まともな地図はなく,自分がどこにいるのかはっきりしない。目的地にたどりつくルートがあるのかさえ,確証はない……大航海時代の有名な航海は,みなそういうものでした。
 その代表格が,フェルディナンド・マゼラン(1480?~1521 ポルトガル)です。
 彼は,「南米と南極の両大陸を分かつ海峡が存在し,未知の大洋(太平洋)へ抜けられる」という未確認情報を信じて出発し,南米大陸の南部にやってきました。
 しかし,海峡はみつかりません。
 海峡かと思って進んでも,河口や入り江です。
 ようやく海峡を発見し,太平洋に抜けたのは,スペインの港を出てから1年2ヵ月後のことでした(1520年)。
 しかし,この大洋の大きさも,目的地の香料諸島(モルッカ)まで海が続いているかどうかも,まだわからない……未知に挑む,超人的な冒険の世界です。
 でも,じつは私たちそれぞれの人生も,地図のない,マゼランの航海のようなものなのかもしれませんね。

野口悠紀雄著『「超」整理法3』(中公新書,1999)に教わった。参考として,ツバイク著,関・河原訳『マゼラン』(みすず書房,1972),ペイヤール著・高田勇訳「マジェランの世界一周」『世界ノンフィクション全集5』(筑摩書房,1968)。

【フェルディナンド・マゼラン】
 初の世界周航を指揮した航海者。地球が丸いことを劇的に証明。1519年9月スペインを出航。太平洋に出てグアム経由でフィリピンに到達し,ここで現地民に殺された。部下が航海を続け,22年9月スペインに帰還。
1480年?生まれ 1521年4月27日没

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テーマ:歴史
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2013年04月18日 (木) | Edit |
前回は,古代ギリシアの哲学者アリストテレスの「四百文字の偉人伝」でした。それがきっかけで,きのう今日とアリストテレスを読みかえしました。

といっても,岩波文庫を何冊かぱらぱら,といった程度。あとは,出隆『アリストテレス哲学入門』(岩波書店,1972)という,解説+アリストテレスの著作からのさまざまな抜粋(ミニ選集)の本。これは電車のなかでかなりじっくり読みました。ちゃんと読みとおしたのは二十代のとき以来。あのころも電車のなかでした。

それで,「やっぱりアリストテレスってすごい」と思いました。何がって,とにかく学問への執念がすごい。

全世界について,徹底的に「認識の網」をかけるような感じ。それも,さまざまな事実にくわしく分け入ったうえでのことです。「いろいろあって,ややこしい」と思えるような対象も,彼の手にかかればみごとに整理されます。

たとえば,こんなかんじです。

「何かを述べるときの述語には,どんなかたち・種類があるのか」を,アリストテレスが論じている一節。「〇〇は,△△である」というときの,「△△」には,つぎのようなパターンがあると。学問全般に通じる,概念とか説明のあり方についての議論です。

それを『アリストテレス哲学入門』から引用します。ただし,出隆による訳文を,読みやすいように若干変えています。読んでいてかったるい」と思ったら,軽く流してください。とにかく彼の「執念」だけ,少し感じてください。

 述語の諸形態(カテゴリー)にはつぎのものがある。
1.実体をさす,2.ものがどれほどあるか(量),3.ものがどのようにあるか(性質),4.それが他のものに対してどうあるか(関係),5.どこにあるか(場所),6.いつであるか(時),7.どう置かれているか(位置),8.何をつけているか(様態・状態),9.何をするか(能動),10.何をされるか(受動)

「実体」とは,おおまかにいうと,たとえば人間とか馬である。
「量」というのは,たとえば二尺とか三尺である。
「性質」というのは,たとえば白いとか文法的といったことである。
「関係」というのは,たとえば2倍とか半分とか,より大きいといったことである。
「場所」というのは,たとえば「学校に」とか「市場で」とかである。
「時」というのは,たとえば昨日とか昨年である。
「位置」というのは,たとえば横たわっているとか,座っているということである。
「様態」というのは,たとえば靴をはいているとか,鎧をつけているとかである。
「能動」というのは,たとえば切るとか焼くとかである。
「受動」というのは,たとえば切られるとか焼かれるとかである。


こういう議論は,対象としているものごとにたいし,整理の枠組みをつくっているわけです。
 
「ロジカル」なビジネス書で,「フレームワーク」などという世界。

その整理の枠組みについて,これもビジネス書に出てくる概念で「もれなくダブりなく(MECE,ミーシー)」というのがありますが,アリストテレスの議論はまさにそれです。
 
彼は,もれなくダブりなく,うまくものごとを整理していると思いませんか?

だって,彼が述べているカテゴリーのほかに,「述語」のパターンを思いつきますか?あるいは彼が述べているカテゴリーで,「ダブっている」と思えるものはありますか?

まあ,くわしく検討したら,アラをみつけられるかもしれません。でも,これは2300年前の人間の議論ですので。今の私たちからみて多少のアラがあってもおかしくないでしょう。

この「述語のカテゴリー」というのは,「アリストテレスの世界」のなかでは,かなり枝葉の部分です。

もう少し大きなテーマの一例として,たとえば「事物の運動とは何か,運動の諸形態にはどんなものがあるか」といったことがあります。ここで「運動」というのは,身体をうごかすスポーツではなく,「ものごとがAからBに転化すること」一般をさします。

そして,「運動」にはつぎのカテゴリーがある,とアリストテレスは述べます。さきほどの「述語のカテゴリー」とも関連する話です。

 1.性質にかんする運動は,これを「変化」と呼ぼう。…2.量にかんする運動は,…「増大」と「減少」がある。3.場所にかんする運動は,「移動」である。

とにかく,万事この調子。フレームワークや概念規定の「鬼」なのです。

そして,世界全体をカバーするような,大きな大きなフレームワークとして,「哲学史入門」の本にかならず出てくる「質料」と「形相」,「可能態」と「現実態」のような,アリストテレス独特の概念があります。

その内容は,ここではどうでもいいです。

とにかく,この世界にたいしていろんなレベルで,彼は独自のフレームワークをつくっていったのです。もれなくダブりなく,ち密に・正確に,それを行おうとしました。そして,何千ページもの論文を書いていった……

前回のくりかえしですが,2300年前に,そんな学者がいたのです。

(以上)
 
2013年04月17日 (水) | Edit |
前回(4月15日)の記事で,「古代の文明レベル」を論じた際に,哲学者アリストテレスのことに触れました。そこで,今日はアリストテレスの四百文字の偉人伝を。

アリストテレス

2300年前に書かれた1万ページの論文

 古代ギリシャの大哲学者アリストテレス(前384~前322)の著作は,岩波書店の『アリストテレス全集』で読むことができます。
 『全集』は,1冊平均500ページほどで全17巻。
 合計すると,なんと1万ページ近く(約9000ページ)にもなります。論理学,政治学,経済学,心理学,力学,天文学,気象学,生物学,生理学など,「森羅万象」(この世のすべて)といえるほどの幅広い分野を扱った論文集です。
 アリストテレスは,数世紀分にもおよぶ「古代ギリシャの歴史はじまって以来の哲学の文献」を徹底的に集めて検討したり,何百種類もの生物について観察や解剖をしたり,さまざまなギリシャの都市国家の政治体制を調査するなどして,これらの論文を書いたのでした。
 そんなすごい学者が,日本でいえば縄文時代の終わりころの今から2300年前にいたのです。
 彼の学説はその後2千年近くの間,最高の権威であり続けました。それもうなずけます。

とくに板倉聖宣著『ぼくらはガリレオ』(岩波書店,1972)に教わった。ほかに参考として,堀田彰著『(人と思想)アリストテレス』(清水書院,1968),出隆著『アリストテレス哲学入門』(岩波書店,1972)。

【アリストテレス】
古代ギリシャの学問を集大成した哲学者・自然学者。近代科学が成立するまでの約2千年間,最高の権威とされた。ガリレオなどの近代初頭の科学者に対しては,「検証や反論の対象」として影響や刺激を与えた。
紀元前384年生まれ 紀元前322年没
 
これは,うちの本棚にある『アリストテレス全集』。こういう,『全集』を撮った写真は,板倉聖宣さんの本(『ぼくらはガリレオ』岩波書店)にあり,それをマネたものです。

アリストテレス全集100_5570

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