2016年05月19日 (木) | Edit |
 5月19日は,剣豪・宮本武蔵の命日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズで,ときどきこのブログでのせています。100人分くらいを集めて,ディスカバー21という出版社から電子書籍も出版しています。(アマゾンなどで販売中)

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宮本武蔵(みやもと・むさし)

なぜ歴史に名を残したのか

 宮本武蔵(1584~1645)は,「生涯に60回余りの真剣勝負をして負けなかった」といいます。でも,ある研究によれば,「記録で具体的に確認できる生涯の対戦は十数回ほど」ともいいます。
 「剣豪」としての武蔵は,じつはそれほどではなかったのかもしれません。少なくとも,彼くらい強い人は歴史上ほかにもいたようです。
 では,なぜこれほど彼は名を残したのでしょう? それは,『五輪書』という「史上初の本格的な武道論」の本を,晩年に書き残したからです。武蔵がとくに有名な剣豪として語り継がれたのは,この本の内容がすぐれていたからなのです。
 単に自分が強いだけでは,歴史に名を残すことはできません。自分がつかみとった価値ある何かを,後世にも利用できる遺産として残していくことが大切なのです。

南郷継正著『武道への道』(三一書房,1979)に教わった。ほかに参考として,久保三千雄著『宮本武蔵とは何者だったのか』(新潮社,1998),魚住孝至著『宮本武蔵』(岩波新書,2008)

【宮本武蔵】
江戸時代初期の剣豪。若いころ関ヶ原の合戦(1600年)に参加。その後諸国を巡り,強敵を倒して名をあげる。晩年は熊本の大名・細川家に落ち着き『五輪書』を書く。絵画などの美術製作でもすぐれていた。
1584年(天正十二)?生まれ(1582年説あり)
1645年(正保ニ)5月19日没

 宮本武蔵

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 では,武蔵の『五輪書』にはどんなことが書かれているのか。
 冒頭の,さわりの部分だけでも読んでみましょう。
 原文を現代語訳したもの(鎌田茂男『五輪書』講談社学術文庫による)を,さらに私が若干要約・編集した「和文和訳」です。

 《私の兵法(剣術・武術)の道を「二天一流」と名付け,これまで鍛錬してきたことを,はじめて書物に書きあらわすことにする。播磨(兵庫県)生まれの武士である,この宮本武蔵は,60歳になった。

 私は若いときから兵法の道を歩み,13歳のときにはじめて勝負をして勝った。その後21歳のとき京都へのぼり,天下に知られた武芸者と何度か勝負をして,すべて負けなかった。その後,諸国をめぐって60回余りの真剣勝負をしたが,一度も負けたことはない。

 以上は,13歳から20代おわりまでのことだ。
 その後,30歳を過ぎたころから,私は自分の足跡を振り返るようになった。

 私が勝ってきたのは,はたして兵法を極めたからだったのか?
 生まれつき武芸の才能があったからだろうか?
 それとも,対戦相手の武芸が不十分だったということなのか?

 その後,さらに深く兵法を極めようと,私は鍛錬を続けた。
 すると,「兵法の道」といえるものがみえてきて,それにかなうことができるようになった。私が50歳ころのことである。
 それ以後は,新たに究めつくすということはなく,月日を送っている。

 私は,兵法以外にも,いろいろなことに取り組んできた。絵を描き,書をたしなみ,仏像を彫ったりもした。そうしたすべてのことについて,私に師匠はいない。すべては兵法から学んだのだ。

 今,本書を書くにあたっても,兵法それ自体にのみ即して,兵法の世界について述べたいと思う。
 つまり,仏法,儒教,道教などの言葉を借りたりせず,軍記などの故事を用いたりせずに,自分の兵法の真実にせまりたい。》


 どうでしょう。
 この冒頭の部分だけでも,『五輪書』の精神が,なんとなく伝わってくるように思いませんか。

 その「精神」とは,一種の「リアリズム」とか「合理主義」のようなもの。
 「科学」や「技術」の精神の芽生えも,そこにはあるように思えます。

 私は,はじめてこの本を読んだとき,思っていた以上に「近代的」な内容だと,新鮮に感じました。

 ほかにもたとえば,武蔵の「リアリズム」を述べた,こんなくだりがあります。
 「兵法とは,武士とは何か」ということを論じた箇所です。
 また「和文和訳」で,ご紹介します。

 《兵法とは,武士のたしなむ道である。
 仏法では人を救うという「道」があり,医者には病をなおすという「道」があるようなもの。

 武士たるものは,たとえ才能がなくても,自分の能力に応じて兵法(剣術・武術)を修業しなくてはならない。 

 なぜか?
 世の中では,「立派に死ぬことこそが武士の道」だと思われているようだ。
 でも,そのような「死ぬ覚悟」は,武士の専売特許ではない。
 僧侶であっても,女性であっても,百姓であっても,正義や誇りのために死を覚悟するということはある。

 では,武士が武士であるとは,何によるのか?

 それは,敵と戦って勝つための兵法=剣術をたしなんでいる,ということによる。

 武士が兵法を行うのは,どんな状況でも,なんとしても,敵に勝つためだ。
 それによって,主君のため,自分自身のために名をあげ,身を立てる。これが兵法の「意味」といっていい。

 世の中には「兵法など習っても,実戦には役立たない」という人もいる。
 しかし,大事なのは実際に役に立つように兵法を学ぶことだ。そして,戦い以外のあらゆることについても役立つようなかたちで,兵法を学ぶことである。
 それこそが,真の兵法というものだ。》


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 ところで私は,この3年ほど毎年『そういちカレンダー』というものをつくって,ささやかに販売しています。
 このブログの記事をもとに編集した「雑誌感覚の読むカレンダー」といえるもので,さまざまな人物についての「四百文字の偉人伝」も,各月にのっています。こんなカレンダーです。
 カレンダー使用例 (2)

 このカレンダーは,妻が主宰している「奈昌書道教室」にも貼っています。
 5月のページには,宮本武蔵の「四百文字の偉人伝」が。
 以下,妻からの報告。

 先日,妻の書道教室で小学生の生徒の男の子が,カレンダーをみて「あ,宮本武蔵」と気がついた。
 それを聞いた,大人の女性の生徒さん(男の子からみればお祖母さんくらいの年齢の方)が
 「宮本武蔵,知っているの?」と声をかけました。

 「うん,しっているよ,たくさんの人とたたかって勝ったんだよね」
 「そうねー,でもそれだけではないのよ,みんなの役に立つ本を書いたのよ。このカレンダーに書いてあるでしょう・・・」

 などと会話があったそうです。
 大人の女性の方は,自宅のトイレに『そういちカレンダー』を貼っていて,今月の宮本武蔵の記事を「すごく良かった」と妻に語ってくださったそうです。「記事を声に出して読むんですよ」とのこと。
 
 うれしいですねー
 まさにそのような,カレンダーを通していろんな会話が広がるものをつくりたかったのです!

 奈昌書道教室2015年7月・大人も子どもも
 (奈昌書道教室の様子)

(以上) 
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2016年05月05日 (木) | Edit |
 今日5月5日は子どもの日ですが,思想家・経済学者のマルクスの誕生日でもあります。
 そこで,マルクスの「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズで,ときどきこのブログでのせています。100人分くらいを集めて,ディスカバー21という出版社から電子書籍も出版しています。(アマゾンなどで販売中)

マルクス

図書館通いのフリーライター

 1800年代後半の思想家カール・マルクス(1818~1883 ドイツ)の代表作は,『資本論』(第1巻1867年刊)という大著です。これを書いたころのマルクスは,反体制活動で祖国ドイツを追われ,イギリスのロンドンにいました。
 奥さんも子どももいるのに彼には定職もなく,フリーライターの仕事や盟友エンゲルスの支援などでなんとか暮らしていました。家財を質入れすることはしょっちゅうで,債権者が集金に来そうな日には,家族で知人の家に身を隠したりもしました。
 でも,時間はありました。ロンドン市内の大英図書館に通い,経済や歴史の本をノートに抜き書きしながら読みあさりました。それを続けること十余年。抜き書きはノート何百冊分にもなりました。『資本論』は,そんな勉強の成果でした。
 彼の著作は,後世に影響を与えます。1900年代には,「マルクス主義」をかかげる革命が,ロシアなどさまざまな国でおこりました。「ビンボーなフリーライターが図書館通いをして書いた本が,世界を動かした」のです。
 そんな本を書いたマルクスはたしかにすごいです。一方で「図書館も,使い方しだいですごい道具になる」ということにも感心してしまいます。

参考:ブリッグス著,大内秀明監修・小林健人訳『マルクス・イン・ロンドン』(社会思想社,1983),大内兵衛著『マルクス・エンゲルス小伝』(岩波新書,1964),マクレラン著,杉原・重田・松田・細見訳『マルクス伝』(ミネルヴァ書房,1976)

【カール・マルクス】
 『資本論』などの膨大な著作で,後世に「マルクス主義」の教祖とされた思想家・経済学者。1849年以降は終生ロンドンに在住。生涯にわたるエンゲルスの経済的支援と学問的協力のもとで研究を行なった。
1818年5月5日生まれ 1883年3月14日没

  マルクス


 「マルクス主義」というものの評価はともかく,マルクスが後世に大きな刺激――それもきわめて大きな――を与える学問的著作を残したことはたしかです。そういう仕事をするうえで,彼は長い時間をかけて,ぼう大なインプットや探究をしているわけです。

 マルクスが通った大英博物館の図書室(大英図書館)は,当時の世界でダントツに大きな図書館でした。しかも本格的な図書館としてオープンしたのは1850年代のことで,マルクスの時代には最新の施設でした。単に新しい図書館というだけでなく,このような巨大な・よく整備された公共図書館というもの自体の先駆けでした。当時の「世界の中心」といえる大英帝国の首都ならではの施設といえるでしょう。

 マルクスが図書館通いをしたのには,「ビンボーなので思うように本を買えないから」という面もあったでしょう。しかしそれ以上にマルクスは,当時の最新鋭の「情報のインフラ」をフル活用していた,ともいえます。

 才能ある思想家が,その時代なりに豊富な情報に触れ,その情報をトコトン利用し,徹底して時間をかけて材料を集め,自分の体系を構築していった。「才能×情報×時間」ということです。これは,歴史的な書物が生まれるひとつの典型的なあり方だと思います。

(以上)
2015年05月23日 (土) | Edit |
 5月23日は博物学者リンネの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

リンネ

小冊子からはじまった

 植物学者カール・リンネ(1707~1778スウェーデン)は,20代の終わりに,『自然の体系』という12ページの小冊子を出版しました。世界の動植物・鉱物の分類を論じたその著作は,斬新な内容ながら,テーマの大きさに対し情報量がとぼしく,「まだまだ」というものでした。
 その後,リンネは研究を重ね,生物分類の権威になっていきます。それとともに『自然の体系』は改訂を重ね,ページを増やしていきました。 彼が60歳ころに出版した第12版は2400ページに,彼の死後,弟子が編纂した第13版は6300ページにもなりました。その巨大な書物には,リンネ自身や,多くの弟子たちが世界中で集めたデータが詰まっていました。
 『自然の体系』は,一大プロジェクトに成長していったのです。
 でもそのはじまりは,1人の若者がつくった小冊子にすぎませんでした。多くの偉大なプロジェクトは,そういうものです。

西村三郎著『リンネとその使徒たち』(人文書院,1989)による。

【カール・リンネ】
生物分類を確立した植物学者・博物学者。多種多様な生物を分類・整理する方法(二名式命名法など)を考案し,『自然の体系』(第12版は1766~68年刊)ではじめて生物界の全体像を系統的に理解する見通しをひらいた。
1707年5月23日生まれ 1778年1月10日没 

    リンネ

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 今朝パソコンをたちあげて当ブログを開いたら,トップ記事が広告になっていました。1か月更新がないブログは,そうなってしまいます。「これはまずい」と,さっそく記事をアップしました。
 このところ,更新が途絶えていました。1か月も更新していなかったのは,ブログ開設以来,はじめてです。訪問してくださる方がたには申し訳なく,お詫びいたします。

 もちろん当ブログはこれからも続けていきます。せっかく何百もの記事を積み上げてきて,更新が滞っているにもかかわらず,訪れてくださる方の数も相変らず,ということにもなってきたのです。さらに記事を重ねていきたいと思います。基本的なスタンス・テーマも変えません。
 リンネ大先生だって,何十年も積み上げた末に偉大な成果を残したのだから,2年3年で終わってしまってはお話しになりません。今回はちょっとお休みさせていただいた,ということです。

 ブログがお休みのあいだは,オフの時間には「世界史」関係の原稿を書いていました。「発表のあてもない原稿」です。
 以前に当ブログに載せた となり・となりの世界史 というシリーズを大幅に増補改訂して,1冊の本にできる原稿に仕上げようとしています。

 数年前からボチボチと書いていたのですが,「このままではいつまで経っても完成しない」と思って,やや集中して進めるようにしたのです。1か月くらいやってみると,「近いうちに完成できそうだ」というメドが立ちました。といっても,まだ何か月かかかるでしょう。

 行っていたのは,「すでに書いた原稿の編集・改訂」です。これまでに(文字の組み方にもよりますが)400ページ弱分の原稿は書いているのです。これを,もっと短く300ページ以内に整理して,一方で不足していることを加えていく。典拠を示す注なども整備する。

 原稿ができたら,まずごく少部数の製本された冊子をつくって,お仲間や関心のある方に読んでいただく。それで検討したうえで,100部単位くらいで自費出版したいと考えています。自前の電子書籍化ということも(今はノウハウがありませんが)できれば,と思います。

 我が家の本の半分くらいは,世界史関連です。私にとって読んだり書いたりのうち,最も時間を割いてきたのは,世界史に関わること。やはり歴史・世界史が好きなのです。この1か月でも,家にある本をあさりながら,いろいろ調べたり,それを文にしたりといった作業は,しんどいところもありますが,夢中になれるものでした。

 「こんなことして何になる?(お金にもキャリアにもならない)」とも思います。でも,オフに好きなことをしているのだから,まあいいかと。 

図や絵
世界史関連で書いたメモや図の一部(こういうメモを書いて考えるのが好きです)
 
(以上)
2015年04月14日 (火) | Edit |
 今日4月14日は,ヘレン・ケラーの家庭教師アン・サリバンの誕生日です。
 そこで彼女の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。

 このシリーズは,単行本になっています。
 ディスカバー21という出版社から,電子書籍で出ているのです。
 100人余りの偉人の話が載っている本。

 偉人とは,私の定義では「それぞれの分野で著しい業績をあげ,歴史に名を残した人」のこと。「反面教師的に名を残した人」も含みます。

 電子書籍「四百文字の偉人伝」では,さまざまな価値ある仕事を成し遂げた人たちの様子や精神に,手軽に触れることができます。それぞれの偉人がかかわる,さまざまな世界への,ちょっとした入門にもなるでしょう。100余りの偉人の話に触れることで,「この世にはいろんなすばらしいもの,意義ある仕事,知るに値するものがあるんだ」という,視野の広がる感覚があるはずです。

 新年度がはじまったばかりの,「さあやるぞ!」という時期にぴったりかと思います。


四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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サリバン

その情熱が奇跡を育てた

 1歳のときの病気で視覚と聴覚を失いながら,高い教育を身につけたヘレン・ケラー(1880~1968 アメリカ)と,その家庭教師アン・サリバン(1866~1936 アメリカ)。2人については,ご存知の方も多いでしょう。
 障害のため何もわからず,わがままで手のつけられなかったヘレンと格闘し,人間として生きる基礎を教えたのはサリバン先生でした。
 では,6歳のヘレンにはじめて会ったとき,サリバン先生は何歳だったか知っていますか? 
 そのとき,彼女はまだ20歳でした。彼女は,貧しい家に生まれ,子どものときに失明寸前になって盲学校に通いました。のちに視力は回復し,学校を卒業すると,ヘレンの家庭教師として就職したのです。
 サリバン先生は,これといった学歴も経験もない「ふつうの女の子」だったのです。
 「先生」にあったのは,若さと情熱だけでした。でも,そのふつうの女の子の強い思いと行動が,「奇跡の人」を育てたのです。

瀬江千史著『育児の生理学』(現代社,1987)に教わった。このほか,サリバン著・槇恭子訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(明治図書,1973)による。

【アン・サリバン】
ヘレン・ケラーを育てた家庭教師。生涯ヘレンに付き添いながら,障害者への理解を訴える著述や講演を行った。ヘレンの自伝の翻訳には,『わたしの生涯』(岩崎武夫訳,角川文庫)などがある。
1866年4月14日生まれ 1936年10月20日没

     サリバン先生

(以上)
2015年02月04日 (水) | Edit |
 今日2月4日は,飛行家リンドバーグの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

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リンドバーグ

余計なものをそぎ落として挑む

 チャールズ・リンドバーグ(1902~1974 アメリカ)は,1927年に,ニューヨークからパリまでを飛行機ではじめて無着陸で横断することに成功しました。
 それまで,ニューヨーク~パリ間の無着陸飛行には,何人かの飛行家が挑戦しましたが,テスト時や本番飛行中での事故があいついで失敗していました。それらはたいてい,何基ものエンジン(プロペラ)を積んだ大型機に,複数のパイロットが乗り組んだものでした。
 リンドバーグは,ちがう方法を選びました。
 「エンジンがひとつの小さな飛行機で,1人だけでいこう」というのです。
 周囲の人の多くは反対でした。しかし,「エンジンが増えても,そのぶん故障のリスクが増すだけだ」と考えたのです。そして,33時間余りを1人で操縦して,みごと成功したのでした。
 このように「余計なものをそぎ落として必要な道具だけで行い,最後は1人でやり抜く」という姿勢は,冒険に挑むときだいじなことではないでしょうか。

リンドバーグ著・佐藤亮一訳「翼よ,あれがパリの灯だ」『世界ノンフィクション全集3』(筑摩書房,1960)による。

【チャールズ・リンドバーグ】
はじめて二ューヨーク~パリ間の無着陸飛行に成功した飛行士。この無着陸飛行については,1919年ある事業家が初成功に巨額の賞金を出すと宣言。リンドバーグは奔走してスポンサーをみつけ,挑戦した。
1902年2月4日生まれ 1974年8月26日没

リンドバーグ

2015年01月05日 (月) | Edit |
 今日1月5日から仕事はじめという方も多いと思います。
 私も休みが終わってしまいました。休みのあいだにやりたいと思っていたこと(考えたり,書いたりしたいことがあった)の半分くらいしかできませんでした。でも,半分くらいできたのだからいいか・・・

 そして,今日1月5日は,文豪・夏目漱石の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズです。 

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夏目漱石(なつめ・そうせき)

作家になることは大きな賭けだった

 明治~大正の作家・夏目漱石(1867~1916)は,英文学者として大学の講師をしながら,「我輩は猫である」などの小説を発表していました。小説は好評で,収入にもなりました。
 一方で,創作活動と教職の両立もたいへんになってきました。そんなとき,「帝国大学の教授に」という,結構な就職話も持ちあがりました。
 しかし,彼は教職を辞め,専業の作家として生きていくことにしました。漱石が40歳のときのことです。
 この転職は,彼にとって大きな賭けでした。
 小説が不人気なら,仕事はなくなってしまいます。また,当時は大学教授の地位は今以上に高く,作家の地位は低かったのです。それでも,彼はリスクの大きい作家の道を選びました。
 この決断がなければ,「文豪・夏目漱石」は存在しなかったでしょう。作家業に専念したことで,彼は多くのすぐれた作品を残すことができたのです。

山本順二著『漱石の転職――運命を変えた四十歳』(彩流社,2005)による。

【夏目漱石】
明治~大正の文豪。教職を辞めてから,朝日新聞と契約して作家生活に入る。49歳で病死したので,専業作家としての活動は10年ほど。小説のほか,評論・講演でも後世に影響を与えた。
1867年(慶応三)1月5日生まれ 1916年(大正5)12月9日没

 ***

 漱石は,40代で人生の大きな変更をしたわけです。
 エリートコースから「やりたいこと」の世界に行ったのです。

 でも,決して中高年が無謀な「夢」を追うというものではありません。
 すでに作家としてかなりの名声を得ていましたし,朝日新聞の専属作家として「安定した高いギャラ」がもらえるよう,契約内容などにもこだわっています。家族を養う「家長」として,生活の十分な糧を得ることは,絶対条件でした。
 
 それでも,「作家」はやはり不安定な仕事。
 くりかえしになりますが,漱石は相当な「賭け」をしたのだと思います。

 だがしかし,自分ももう40になって,あとどれくらい精力的に書けるのだろう,このまま「いずれ」と思っているうちに,活発に動ける「旬」の時期を過ぎてしまうのでは,という思いもあったはずです。そこで,踏み切ったわけです。

 たしかに,人生には「旬」というのはあるのでしょう。
 漱石は良い例です。漱石が40代に作家専業で活躍できなかったら,名は残したでしょうが,あれだけの「文豪」にはなっていないはず。それに,49歳で亡くなっているのですから,「作家への転職」が,もうあと何年か遅れていたら,活動時間はごくかぎられたものになっていたかも。

 「やりたいこと」がある。そして人生には,「旬」や「時期」がある。
 しかし,自分や家族の暮らしというものもある。

 その辺のせめぎあいで悩む大人は,世の中にたくさんいます。
 そして,それぞれの選択をしています。

 ただ,私自身は漱石のように,どこかで踏み切って「やりたいこと」へ進んでいく人生に惹かれます。
 自分自身も,ある時期に勤めた会社を辞めたりしているからでしょう。

 でも,軽々しく人に「今の仕事を辞めてしまおう」などとはいいません。
 私自身の経験からも「辞めて生きていく」のは,やっぱり大変です(まだまだ苦労が足りないのでしょうが)。
 でも,魅力的なところがあるのです。

 結論は出ませんが,漱石の人生からあらためて考えました。

(以上)
2014年12月23日 (火) | Edit |
 クリスマスツリーと花

 天皇誕生日のお休み。クリスマスも近い。
 ウチでは,窓際の高いところにちょっとモノが置ける場所があって,そこにこんなツリーを飾っています。
 ワイヤーとプラスチックでできています。義姉からもらいました。
 
 正月には,ここに小さな鏡餅を置きます。

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 今日12月23日は,『昆虫記』で有名な博物学者アンリ・ファーブルの誕生日です。
 そこで彼の四百文字の偉人伝を。
 古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

ファーブル

たどりついた「楽園」

 『昆虫記』で知られる博物学者アンリ・ファーブル(1823~1915 フランス)は,エリートの学者ではありません。学校は,中学程度で一度辞めて働いています。
 しかし,奨学生として学業に復帰。卒業後は教師をしながら好きな動植物の研究を続け,30代なかばには,学会で評価されるほどになりました。また,科学の教科書や読み物を出版したところ好評でした。
 40代後半で彼は,思いきった決断をします。
 教師を辞め,著述業で生きることにしたのです。
 それが軌道に乗ると,50代のときには,田舎に広い庭のついた家を買って移り住み,周囲の自然を素材に,観察と実験ざんまいの日々を送るようになりました。
 ついに手に入れた「楽園」の暮らし。その中で,『昆虫記』の大部分は書かれました。
 その暮らしは終生続きました。浮き沈みもありましたが,晩年は名声が高まり,それなりの収入にも恵まれました。
 苦労人の彼が,人生の後半には思う存分好きなことができたのをみると,うれしくなります。

参考:ドゥランジュ著・べカエール直美訳『ファーブル伝』(平凡社,1992),奥本大三郎著『博物学の巨人 アンリ・ファーブル』(集英社新書,1999)

【アンリ・ファーブル】
『昆虫記』(全10巻,1879~1907刊)で知られる昆虫学者・博物学者。第一級の発見をした科学者ではないが,一般向けの科学読み物の著者としてすぐれた仕事をした人といえる。
1823年12月23日生まれ 1915年10月11日没

 ファーブル

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 ファーブルのような人生を送る人は,これから増えるでしょう。
 「昆虫を追いかける人生」ということではなく,「40代あたりでこれまでとはちがう仕事や生活を新たにはじめる」ということです。
 
 もっと一般的に言うと,人生,とくに仕事で「年齢に応じた固定的なパターン」がなくなっていくのです。完全になくならないまでも,「こうでなければ」というのが,薄れていく。

 中高年になって「それなりのポスト」に就く人は少なくなる。
 非正社員の立場で,短期の就労をくりかえす人が増える。
 失業・リストラを経験する人が増える。
 独立して,「起業」というほどでもない,小さな自営業で暮らす人も増える。
 長生きになって(でも年金も不十分になって),70歳80歳で働くことが珍しくなくなる。一方で,若くしてリタイヤしたり仕事を長く休む人も増える。

 こういう,かなり言われていることは,そのとおり現実になってきています。
 であれば,ある程度の年齢になって,「仕事をこれからどうしよう」と考えるのはふつうのこと。
 
 「将来何になる?」という問いかけは,これまでは子どもか若者だけのものでした。
 でもこれからは,中高年が「将来何になる?」と考えるのも,おかしなことではなくなるのです。

 関連記事:将来何になる?

 私も,40歳ころに十数年勤めた会社を辞め,一種の「社会起業」に携わりました。
 そこではうまくいかず撤退し,2,3年ブラブラしたあと,今はキャリア・カウンセラーとしての仕事をしています。
 
 40代おわりになった今も,「将来,何しようか?」と考えます。
 今の仕事をどう発展させる?
 あるいは,別の方面・関連する方面で「これをやってみてはどうか?」などと考え,行動もします。
 
 まあ,「考えざるを得ない」ということなんですが(^^;)。
 それでもこれは,悪くない感じです。
 いい年して,なんにもできてないなー,いかんなーとも思います。
 でも,それよりも「結構楽しいね」という感じが,最近は一層強くなっています。

 これは「状況に適応している」ということです。
 それも前向きな気分で。

 世の中が変化しているときは,その姿勢が大事でしょう。
 つまり,変化がもたらす明るい面を前向きにとらえること。
 もちろん,「変化」にはシビアな面もあるでしょう。しかし,そこを憂いたり不安がったりばかりでは,楽しい人生にはならないはずです。
  
 あなたがいくつであっても,「将来何になる?」と自分に問いかけてみる。
 これは,おすすめです。
  
(以上)
2014年11月07日 (金) | Edit |
※11月29日に我が家でオープンハウス(家の公開)を行います。
  くわしくは,
前々回の記事をご覧ください

 今日11月7日(旧暦10月25日)は,かつての「ロシア革命記念日」。1917年にレーニンらによって「ロシアにソビエト政権が樹立された日」とされます。この政権は周辺諸国を併合し,ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)を形成しました。そして,一時はアメリカに対抗する強国ともなりましたが,1991年に体制崩壊してしまいました。

 この「ソビエト時代」に,11月7日は国民の祝日でした。ソ連が崩壊したあともロシアでは名前を変え祝日として生き残ったのですが,2005年に祝日ではなくなりました。

 それにちなんで,今日はレーニンの「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

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レーニン

「革命」を発明した男

 ロシア革命(11月革命,1917)を指導し,初の社会主義国家・ソビエト連邦(ソ連,1991年に崩壊)を建国したウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870~1924 ロシア)。
 彼は,当時の多くの革命家とちがい,「民衆とともに」という理想を捨て,「少数の革命家による独裁」に徹しました。膨大な読書をして理想国家建設の理論をつくりあげ,それにすべてを従わせようとしました。「強制収容所」を建設し,多くの反対者を送りこみました。これらのことを彼は,質素な服装でぜいたくもせず,朝から晩まで働きづめで行ったのです。
 毛沢東をはじめ,のちの革命家や独裁者の多くはレーニンを手本にしました。ソ連と敵対したヒトラーでさえ,「マルクス主義(レーニンのやり方)に多くを学んだ」と語っています。
 レーニンは,20世紀の「革命」を発明した男だったのです。
 しかし,レーニン流の革命は,人びとが苦しむ暗黒社会を生み,今ではその多くが崩壊しました。彼はたしかに巨大でしたが,「多くの問題の根源」といわれてもしかたないのです。

参考:カレール=ダンコース著,石崎・東松訳『レーニンとは何だったか』(藤原書店,2006),ラウシュニング著・船戸満之訳『永遠なるヒトラー』(八幡書店,1986)

【ウラジーミル・イリイチ・レーニン】
ソビエト連邦の建国者。初期には弁護士を開業しながらマルクス主義運動を行う。1900年に亡命し,17年までは一時期を除き国外(西欧諸国)で活動。数々の著作を残し,「マルクス=レーニン主義」の教祖となった。
1870年4月22日生まれ 1924年1月21日没

 ***

 この記事の参考文献であるカレール=ダンコースの本に,こんなくだりがあります。

 《レーニンはあらゆる矛盾を含んだ人間である。ます個人としては,温厚な,風采もあがらず,健康と安楽に大いに心を尽くし,身内の安楽に気を配り,自然の中を長時間散策することに慣れ,(亡命時代には)パリの街を静かに自転車で走り,図書館に閉じこもるこの小男の姿と・・・カリスマ的な指導者の姿とを,どうやって両立させたらよいのだろう》 

 一見すると,地味で穏やかなインテリ。
 子ども時代は知的で幸せな家庭に育った。
 愛する妻(革命をともにした)や多くの親しい仲間もいた。
 そんな人間が,恐ろしい「革命」を主導するカリスマとなった。
 近代の歴史で,特別な位置を占める「革命の発明者」となった。

 どうしてそういうことになるのだろう?

 ここでは,その答えには立ち入りません。まあ,私もよくわからない。
 とにかく「一見ふつうの人間も,条件しだいで怪物になりうる」ということ。
 歴史や社会において,そういうことがあり得るのだということです。

 ***
  
  「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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テーマ:歴史
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2014年10月07日 (火) | Edit |
 もう1日の終わりですが,10月7日は物理学者ニールス・ボーアの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 ボーアは20世紀の最も偉大な物理学者の1人。1922年にはノーベル賞も受賞しています。
 日本人3人のノーベル物理学賞受賞のニュースもありましたので,ちょうどいい機会です。

 ***

ボーア

「大家」の義務

 「量子力学」の建設者,ニールス・ボーア(1885~1962 デンマーク)は,アインシュタインと並んで,20世紀を代表する物理学者です。
 研究業績は「同等」といってよい2人ですが,ボーアのほうがはるかにまさっていることがあります。
 それは,多くの弟子を育てたことです。
 アインシュタインは,ほとんど弟子をとりませんでした。一方,彼が所長をつとめるコペンハーゲン(デンマーク)の「ボーア研究所」には,世界中から物理学者が集まりました。そして,ボーアを中心にワイワイ議論しながら研究を進めました。そうして多くの人材が育っていったのです。
 20世紀なかばには,世界のおもな原子物理学者の何割かは「ボーアの弟子か孫弟子」という状況になっていました。「大家(たいか)」には,自分の仕事を進めるだけでなく,このように弟子を育てる義務があるのではないでしょうか。

西尾成子著『現代物理学の父ニールス・ボーア』(中公新書,1993)による。

【ニールス・ボーア】
現代物理学の重要な理論である量子力学(原子や素粒子などの,極小の世界の状態を説明する科学)の成立に大きく貢献した物理学者。ボーア研究所の自由な学風は,世界の物理学者に影響を与えた。
1885年10月7日生まれ 1962年11月18日没

 ***

 「コペンハーゲンのボーア研究所に世界じゅうから科学者が集まって,ワイワイ議論した」と書きました。これはおもに1920~30年代のこと。

 当時のボーア研究所は,まさに黄金時代でした。そこには「コペンハーゲン精神」といわれる独特の雰囲気や文化がありました。ボーアが世界の科学者に示した,科学研究の精神です。

 それはある科学者によれば《要点として(1)別け隔てのない協力の精神,(2)型にはまらない自由な討議,(3)ゆとりとユーモアのある探究,といったところになる》のだそうです。(吉原賢二『科学に魅せられた日本人』岩波ジュニア新書)

 (1)~(3)とも,官僚的な組織が苦手なことばかりです。とくに「ゆとりとユーモア」は,大の苦手。

 ボーア研究所には,日本の若い科学者もやってきました。
 その1人で,のちに北大教授となった堀健夫(1900生まれ)は,ボーア研究所の様子をこうふり返っています。

《・・・ボーア研究所の雰囲気というのは,・・・日本における雰囲気とは全く違っておりました。コロキウム(討論)が盛んに行われるんですね。頻繁に行われる。何も日にちが決まっているわけじゃございません。誰かが話しをする新素材を持ち出したときは,直ぐボーア先生自身が・・・みんなを招集しておられました》

《また,その・・・議論の活発なことといったら・・・お互い無遠慮で,質疑・応答》


 「別け隔てのない精神」「型にはまらない自由な討議」ということです。
 そして,「ゆとりとユーモア」については,こんな話が。

《ボーア先生はいろんなことに知識の豊富な方で・・・例のツタンカーメンというエジプトの王様の墓の探検の話・・・一種の受け売りですけれども,とにかくおもしろおかしく我々に長い時間かけてその探検話をしてくださったのです》

《遊びの問題でも,いろんなことを我々に見せてくださった。例えばハンカチの両方を持って,これを離さないで結ぶことができるかという問題を出された。誰も考えつかない。そこで先生,こういうふうにして(腕をくんで)ハンカチの両端を・・・・・・そのほかいろんな遊びもやったことを覚えております》
(西尾成子『現代物理学の父 ニールス・ボーア』より)

 ***

 ボーア研究所で学んだ日本人科学者の1人に,仁科芳雄(1890~1951)という人がいました。
 仁科は,「理化学研究所(理研)」の中心的な科学者の1人でした。
 理研は,大正期に民間主導で設立された科学研究機関です。とくに1920年代から30年代は,その黄金時代といっていいでしょう。

 仁科は,1920年代に欧米に留学し,1930年代以降は,理研のエースとして活躍しました。第二次大戦中には,陸軍の原爆開発の研究に携わり,終戦直後には理研の所長にもなっています。

   関連記事:理化学研究所のこと(STAP細胞のニュースに寄せて)

 当時の理研は,「コペンハーゲン精神の日本版」といえるところがあります。「本家」にはとても及びませんが,日本人がつくりあげた研究組織の傑作であり,「科学者の楽園」などといわれました。

 理研といえば,最近は「STAP」の件で注目されました。あれにかんする報道をみると,今の理研は「科学者の楽園」ということでもないようです。

 理研にかぎらず,現代の大きな研究所で「コペンハーゲン精神」というのは,非常にむずかしいことでしょう。
 その理想を維持していくことは,まず無理ではないかと。
 
 研究組織が「コペンハーゲン精神」にあふれたものであるためには,ボーアのようなリーダーが必要なのです。
 科学者としての圧倒的な実力を持ち,そして「コペンハーゲン精神」をつよく持っている人です。

 そのような人物が絶対的なリーダーであれば,そこに集まった人たちは,別け隔てなく自由な討議を行い,ゆとりやユーモアを忘れることもないでしょう。

 しかし,そんなリーダーはめったにいません。だから,コペンハーゲン精神はこの世界ではなかなか有力にならない・・・

 それとも,ボーア研究所の全盛期から100年近く経った今,コペンハーゲン精神は,少しはこの世界に浸透したのでしょうか? いくらかは浸透したのでしょうが,「まだまだ」という気がするのです・・・

 科学の世界だけではなく,「コペンハーゲン精神」的なものは,私たちの生活や職場のなかにもあっていいはずです。でもやはり,世間ではめったにみかけないものでしょう。だがしかし,自分のなかに少しでもこの「精神」を持っていたいものです。

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2014年10月01日 (水) | Edit |
 いろんなところで言っていますが,50年前の今日,つまり1964年10月1日は東海道新幹線が開業した日です。
 そこで,新幹線をつくった国鉄総裁・十河信二の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 新幹線は,もう50年なんですね。私は来年生誕50年だな・・・

 ***

十河信二(そごう・しんじ)

多くの人が反対した新幹線建設

 今からみると不思議な気がしますが,東海道新幹線(1964年開業)の建設計画は,当時多くの反対を受けました。国鉄(現在のJR)の内部でも,「そんなものは無用の長物だ」という意見が主流でした。
 そんな中,本気で「新幹線をつくろう。これからの日本にぜひ必要だ」と主張していたのは,当時の国鉄総裁・十河信二(1884~1981)と,技術責任者の島秀雄くらいのものでした。
 国鉄総裁といえども,この計画を実現するためには,反対する周囲や関係者に対し説得に説得を重ねなければなりませんでした。
 彼ら2人の構想力と執念で,東海道新幹線は実現したのです。
 あとで,開業した新幹線が大盛況なのをみると,多くの人が「自分も最初から建設に賛成だった」といいはじめました。そういうことって,ありますよね。

葛西敬之著『未完の「国鉄改革」』(東洋経済新報社,2001)による。

【十河信二】
 新幹線をつくった国鉄総裁(在職1955~63)。東海道新幹線開業の前年(1963年)に総裁を辞任。新幹線建設の大幅な予算超過と62年の三河島事故(死者160人の鉄道事故)の責任を取った,とされる。
 1884年(明治17)4月14日生まれ 1981年(昭和56)10月3日没

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2014年08月20日 (水) | Edit |
 最近,更新が疎かになっていました。
 この2週間は,前回の記事でも述べた,身辺の資料やモノの整理をしたり,少し仕事や生活をゆっくりペースにしたり,「自分の状態を整える」ことを第一にしていました。そのなかで,ブログの更新があとまわしになってしまいました。

 有名な自己啓発書で,コヴィーの『7つの習慣』という本があります。そこに成功のためのだいじな「習慣」のひとつとして「刃を研ぐ」というのがあります。「自分の状態を整える」ということです。

 たとえば,木こりの仕事。ひたすら斧をふるって樹を切り続けるのではなく,ときどき作業を中断して刃を研ぐことをしないといけない。そのほうが「切る」仕事を休まず続けるよりも,高いパフォーマンスを発揮することができる。
 今回は,そんな「刃を研ぐ」ことをしているつもりです。

 でも,ずっと研いでばかりでもいけない。ぼちぼち作業(やりたいこと・やるべきこと)に復帰しないと。
 
 ***

 さて,1日過ぎてしまいましたが,8月19日はファッションデザイナーのシャネルの誕生日でした。
 そこで彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

シャネル

ブランド創業のとき

 有名ブランド「シャネル」を創業した,デザイナーのガブリエル(愛称ココ)・シャネル(1883~1971 フランス)。彼女の仕事は,「現代のファッション産業の原型を築いた」といわれています。
 彼女は,貧しい家に生まれ,親に捨てられて孤児院で育ちました。魅力的な娘に成長したココは,歌手をめざしましたがうまくいかず,20代なかばのときには,あるお金持ちの男性の愛人として暮らすようになりました。
 経済的には何不自由ない暮らし。
 でも,しばらくすると「このままじゃ,イヤだ」という思いが強くなりました。
 やがて彼女は男性の支援を受け,パリのアパートの一室で小さな帽子店を開業しました(1908年)。彼女はお針子の仕事をしていたことがあり,趣味で友人に帽子をつくったりもしていたのです。
 それまでの夢をあきらめた若い女性が,アパートではじめた小さなショップ――そんな「等身大」のところから,あのシャネルははじまったのです。

安達正勝著『二十世紀を変えた女たち』(白水社,2000),山口昌子著『シャネルの真実』(新潮文庫,2008)による。

【ガブリエル・シャネル】
「シャネル」を創業したデザイナー・実業家。1908年に帽子店をはじめ,1913年から服づくりを手がける。活動的でシンプルかつ優雅なデザインの服を量産し,女性のファッションを革新した。
1883年8月19日生まれ 1971年1月10日没

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 最近,伊藤洋志監修・風来堂編『小商いのはじめかた』(東京書籍)という本を読みました。

小商いのはじめかた:身の丈にあった小さな商いを自分ではじめるための本小商いのはじめかた:身の丈にあった小さな商いを自分ではじめるための本
(2014/07/31)
不明

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 「小商い」とは,この本によれば「初期投資やリスクの少ない形での,シンプルで身の丈にあった小さな商い」のこと。

 本書では,10数人の「小商い」の実践者たちのことが紹介されています。たとえば・・・

 コレクションしていためずらしい植物の販売。
 自宅の料理教室から発展して小さな飲食店を開くまでになった。
 デザインの学校で学ぶことなく,古着に手を加えて独自の服をつくりだし,小さなお店で自分の「ブランド」を立ち上げた。
 「旅」に関する本に特化した行商の古本屋さん。
 小麦農家によるパンの製造・販売。
 ネットを通じて,最適・最安の旅のルートをコンサルティングする仕事。
 故郷の町で「カーゴバイク」(素敵なデザインのリヤカー付き自転車)をひきながら手作りのケーキを売る。

 シャネルの「創業」も,こういう「小商い」だったわけです。
 彼女の場合はドラマチックな人生が背景にあり,その後もドラマチックに事業や人生が展開していくので,ふつうの人の「小商い」とはちがうようにみえますが,はじまりは同じこと。つまり「お姉さんがはじめた小さな帽子屋さん」だったのです。

 この本にあるような「小商い」の世界は,これからの日本でもっと一般的になっていくように思います。
 今は「ニッチ」な感じがしますが,そのうち職業の有力な選択肢のひとつになっていく。

 昔の社会では,「小商い」はありふれたものでした。でも高度成長期以降の「サラリーマン社会」においては,マイナーになったのです。しかし,経済の成熟化や技術の発展の結果,一種の「先祖がえり」が起きるのではないか。

 つまり,「経済的に豊かになって,比較的低収入でも,やり方しだいでそれなりに暮らせる」「インターネットなど,小商いを支えるさまざまなサービスや道具がある」といった条件が「小商いの時代」をもたらすのでは,ということです。

 このほか,「サラリーマンとして思うような職が得られない人が増える」といった要素もあるでしょう。

 成熟した経済では,景気の良し悪しにかかわらず,企業は人を採用することに慎重です。景気が上向いたときでも,かつての「右肩あがり」の時代のような勢いで「人を増やす」ことはないのです。少なくとも,多くの人が求めるホワイトカラーの職については,「就職難」のまま。

 そして,人びとの考え方が成熟・発展して「サラリーマンだけが生き方ではない」と,いろんな方向を模索する傾向が強まる,ということも。これも経済成長の結果です。

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 もう過ぎてしまいましたが,7月3日は作家フランツ・カフカの誕生日。
 「7月の偉人」ということで,彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。

カフカ

発表できなくても,野心作をとにかく書いた

 フランツ・カフカ(1883~1924 チェコ)は,前衛的な作品で20世紀文学に多大な影響を与えた作家です。
 でも彼は,生前はほとんど無名でした。作家としては生活できず,保険会社に勤めながら,小説を書き続けます。会社から帰って夕食をとってから深夜,ときには明け方まで机に向かう毎日。
 しかし,作品の多くを発表できないまま,結核のため40歳で亡くなりました。
 遺稿となった小説(全作品約70編のうち本数では半数以上,分量的には大部分)は,のちに友人の作家の手で出版されました。
 そして,死後20年余り経って,哲学者サルトルなどの著名人が高く評価したことで,世界的に知られるようになったのです。
 発表できなくても,とにかく書く――それは,彼が無欲で謙虚だったということでしょうか?
 いや,むしろ「新しい文学をつくってみせる」という大きな野心が,彼を支えたのではないでしょうか?
 そうでなければ,挑戦的な質の高い作品を,何十編も書き続けることなどできないはずです。

『ダ・ヴィンチ解体新書vol.2人気作家の人生と作品』(リクルート,1997)所収の池内紀氏の発言に教わった。このほか,池内紀・若林恵著『カフカ事典』(三省堂,2003)による。

【フランツ・カフカ】
20世紀文学の重要な作家。その作品は「不条理」「疎外」「孤独」「不安」などの言葉で語られることが多い。たとえば代表作「変身」は,主人公が朝起きるとなぜか大きな虫になっている,という書き出し。
1883年7月3日生まれ 1924年6月3日没

***

 私は「就職に関する相談」の仕事をしています。キャリア・カウンセラーというものです。
 そこでたまにですが,作家志望の人にお会いすることがあります。相談の内容は「作家になるには?」ということではなく,「すぐには作家にはなれないので,まずは就職しないと・・・」ということですが。

 そのような方は2つに分かれます。
 新人賞などに応募するための作品を書きあげたことがある人と,そうでない人。
 圧倒的に多いのは「まだ書いたことがない」という人。でも,何か書かないことにははじまらないのです。
 
 さらに,「書き上げたことがある人」は「実際に新人賞に応募したことがある人と,そうでない人」に分かれます。 「応募したことがある」という人は,やはり少ない。小説を書きたいのであれば,デビューの方法は比較的はっきりしています。作品を書いて何かの新人賞に応募することです。

 私も何か書いて発表したり出版したいと思ってきました。
 思うようには書けていません。でも2,3冊分の原稿はなんとかまとまったので,それを出版社に持ち込みました。私の書くジャンルは,小説のような「新人賞」がないのです。なんのツテもない出版社でしたが,「電子書籍でなら」ということで出してもらえました。

 それなりに書くことを続けているつもりのオジさんとしては,じつにささやかな成果で,恥ずかしい気もします。でも,原稿が日の目をみたのはやはり「成果」であり,うれしいことです。

 とにかく,何か書いて完成させないことにははじまらない。
 でも,「これを書いてどうなるんだろう」という,発表のあてのない原稿を書きつづけるのは,たいへんです。
 たしかにカフカはすごい。

 私もカフカを見習って,今書いているのをなんとか完成させないと・・・
 深夜・早朝や土日に書くのです。「いい年して何をやっているんだ」と思うときもありますが,まあいいでしょう。
 
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2014年06月04日 (水) | Edit |
 明日6月5日は『国富論』の著者アダム・スミスの誕生日。
 そこで彼の四百文字の偉人伝を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

アダム・スミス

パトロンの援助が名著を生んだ

 アダム・スミス(1723~1790 イギリス)の『国富論』は,経済学史上の偉大な古典です。
 では,岩波文庫版で全4巻になるこの大著を書いたときのスミスの職業は何だったのでしょうか? 大学教授? 公務員? 貴族や資産家?
 どれもちがいます。彼は,大学教授だったこともありますが,『国富論』を書いているときには辞めていました。貴族やお金持ちでもありません。
 では,どうやって食べていたのでしょうか?
 じつは,ある公爵が「お金の面倒はみるから」ということで,十分な年金を出してくれていたのです。これは,その公爵の「家庭教師」としての報酬なのですが,実際にはその仕事に時間を取られることはありませんでした。
 彼は,9年間著作に専念して『国富論』を完成させました。「研究のことだけ考えていられる環境」を用意してくれたパトロンのおかげで,不朽の名著が生まれたのです。

参考:バカン著・山岡洋一訳『真説アダム・スミス』(日経PB社,2009),浜林正夫,鈴木亮著『(人と思想)アダム=スミス』(清水書院,1989)

【アダム・スミス】
『国富論』(1776年刊)を著した政治経済学者。当時のイギリスで新しく生まれた「近代的な市場経済の社会」について論じ,後世に影響を与えた。同書にある「みえざる手」という言葉はさんざん引用された。
1723年6月5日生まれ 1790年7月17日没

 ***

 スミスは晩年にこんな言葉を残しています。

 「もっと大きな仕事をするつもりだったのだが」

 『国富論』も,彼にとってはもっと大きな構想の一部にすぎませんでした。
 
 たとえば彼は,社会全体を「万有引力」のような根本原理で説明する理論を築きたいと考えていました。その糸口として,『道徳感情論』という大著で「共感」という概念について論じました。「人が人に共感する」という普遍的な作用。その概念を政治や法の理論に適用しようとしましたが,うまくいきませんでした。

 また,科学や芸術について包括的に論じる哲学体系も構想しました。しかし,いくつかの論文を残しただけで終わっています。

 学問的巨匠とは,こういうものなのでしょう。

 つまり,途方もなく大きな問題について考えようとする。
 そして,その大きな問題について「自分なら解ける」という強い自負がある。
 だからこそ,本気で生涯を賭けて,その問題に取り組むのです。
 
 その結果,構想のすべては実現できなくても,部分的には成功する。
 その「部分」というのは,ふつうの感覚でみれば「大きな・体系的な仕事」です。

 おそらく人は,自分が考えた以上のことなど実現できない。
 頑張っても,「考えたこと」の一部がどうにかカタチになるだけ。
 それだけに「どんなスケールでものごとを考えるか」というのは,根本的で重要なことのようです。

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2014年05月28日 (水) | Edit |
 今日5月28日は,トヨタ自動車の現在につながる基礎を築いた技術者・大野耐一が亡くなった日。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

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大野耐一(おおの・たいいち)

うわべの数字にだまされない

 トヨタ自動車の大野耐一(1912~1990)は,「トヨタ生産方式」という高度な生産管理のシステムを築いた技術者です。
 彼が自社の工場で,いくつもの工程が並ぶ,組み立てラインをみていたときのこと。
 大野は不機嫌そうでした――「ラインの稼働率(機械が動いた時間の割合)が98%とは高すぎる。作業の人数が多すぎるからだ」
 稼働率が高いのは「作業が順調に流れている」ということで,一見それでよさそうです。たしかに,工程のどこかに非効率や無理があると,ラインの流れが滞ります。
 その問題点を,きちんと改善するのならいいのです。しかし,やり方を改善せず,単に人手を増やして問題をカバーすることもあります。それでは,本当の生産性の向上にはなりません。
 「人手が多くかかる」というのは,そのぶん非効率なわけです。めざすべきは「より少ない人手で,作業が順調に流れること」です。
 「もっとラインが止まるような人数にして,問題点がわかるようにしなければ」と,大野はいいました。
 彼は,うわべだけの「いい数字」にはダマされない本物のエンジニアでした。

下川浩一・藤本隆宏編著『トヨタシステムの原点』(文眞堂,2001)による。ほかに参考として,三戸節雄著『日本復活の救世主 大野耐一と「トヨタ生産方式」』(清流出版,2003),大野耐一著『トヨタ生産方式』(ダイヤモンド社,1978)。

【大野耐一】
トヨタ自動車の技術者・役員。従来の大量生産工程で一般的だったさまざまなムダを改善する生産管理の方法を体系化した。これが「トヨタ生産方式」と呼ばれ,世界の製造業に大きな影響を与えた。
1912年(明治45)2月29日生まれ 1990年(平成2)5月28日没

 ***

 大野から私たちが学ぶべきなのは,「科学や技術の持つ合理的な精神」です。

 大野は,「日本のモノつくり」を代表する1人です。だから,彼を賞賛すると「モノつくり・製造業こそが大事なのだ」という方向にいくことがあります。しかし,大事なのは「モノつくり」だけではないはずです。
 サービス業などのほかの産業や,社会のさまざまな分野で「科学・技術の精神」は生かせるでしょう。

 たとえば,大野よりやや後の時代に,セブン‐イレブンの鈴木敏文は,「売上のデータをしっかりと分析して戦略を立てる」という方法を確立しました。鈴木は,流通業において「大野耐一」的な仕事をした,ともいえるのです。

 今回の「偉人伝」のエピソードには,「問題をつねに冷静に・客観的にとらえる」という大野の姿勢があらわれています。現実に即さない「願望」や「場の雰囲気」に流されず,「現実」をしっかりとらえようとする精神です。

 かなりの組織やリーダーは,大野のようにはいかないのです。統計やアンケート調査などのデータひとつとっても,「組織の論理」にとって都合のよいように数字を編集したり,解釈したりして「それでよし」とする傾向があります。
 そういう,「データに基づく合理性」を装った「非合理」が,世の中にはまだまだ多い。

 うわべの「いい数字」にだまされる組織やリーダーがあとを絶たないわけです。 
 そして,その「いい数字」は自分たちでつくったもの。
 自分で自分にだまされている。

 私たちの社会は,そのレベルを早く卒業しないといけないのです。

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2014年05月14日 (水) | Edit |
 今日5月14日は,社会運動家ロバート・オウエンの生まれた日。共産主義的な思想にもとづく「理想の村」をつくった人物です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

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オウエン

「理想の村」のむずかしさを実証

 ロバート・オウエン(1771~1858 イギリス)は,裸一貫から身をおこして,紡績工場の経営者になりました。すぐれた手腕で事業を成功させただけなく,労働者の待遇改善や教育・啓蒙にも熱心に取り組みました。
 彼にはさらなる理想がありました。やがて彼は私財を投じ,「私有財産を否定した,すべてが共有の〈理想の村〉」をアメリカの田舎に建設しました。
 しかし,この村は労働が非効率で,経済的に行き詰まり失敗。
 再びイギリスでも「理想の村」づくりに取り組みましたが,また失敗。
 結局,財産をあらかた失いました。
 それでも,自分の主義主張を捨てずに言論活動を続け,貧しいまま亡くなりました。
 オウエンは,理想主義だけではない,経営の経験や才能のあるすぐれたリーダーでした。
 その彼でさえ,すべてを共有財産で運営する「理想の村」は経営しきれないのです。彼の生涯は,「その理想がいかに無理なものであるか」を示す実験だったともいえるでしょう。

参考:土方直史著『ロバート・オウエン』(研究社,2003),オウエン著・五島茂訳『オウエン自叙伝』(岩波文庫,1961)

【ロバート・オウエン】
「理想の村」の実験を行った社会運動家。アメリカで共産社会「ニューハーモニー」の実験を行う(1825~28年)。のちのマルクス主義による評価では,サン=シモン,フーリエと並ぶ「空想的社会主義者」の1人。「空想的」というのは,マルクス主義の立場からみて「社会・経済についての体系だった学問的理論を持っていない」という意味。
1771年5月14日生まれ 1858年11月17日没

 ***

 私有財産に背を向ける,あるいはその限界を超えようという考え方は,昔からあります。
 そのかつての代表は,社会主義の理想。
 今なら「共有」「シェア」の思想というものがあります。「共有」の思想に基づくコミュニティの実験は,今もどこかで行われています。

 「共有」「シェア」の部分を取り入れることによって,私たちの暮らしがより豊かになる,ということはあると思います。
 たとえば自家用車の「シェア」ということは,短期間のうちにある程度普及して,一定のニーズに応えています。社会全体にとっても,ムダが減るなど,ある種の「最適化」をもたらす面があります。
 
 私の好きな世界だと,図書館は「共有」の古典的なものです。公共図書館は,みんなで共有する蔵書であり,書斎です。充実した図書館が近所にあるなら,それをうまく利用すれば,私たちの暮らしはより豊かになるでしょう。
 私も,図書館をときどき利用しています。

 でも,あくまで自分の蔵書や書斎を補うものとしてです。
 私の読んだり書いたりする活動のベースは,やはり自分の蔵書です。

 もしも,自分の蔵書がなくなってしまって,そのかわりに図書館を使え,といわれたら困ります。
 その図書館がどんなに充実していても,まっぴらという気がします。
 充実した公共サービスであっても,そこにはいろんな制約があります。他人の考えに合わせないといけない部分が出てきます。大事な自由が奪われている感じがするでしょう。

 「自分の蔵書のない,図書館だけの世界」を考えると,私は息が苦しくなる。
 
 みなさんも,自分の好きなものについて「自分の所有の〇〇がない,共有の〇〇だけがある世界」を想像してみてください。息が苦しくなりませんか?

 「共有」「シェア」とは,あくまで「自由に使用・処分ができる個々人の所有物」を補完するものではないでしょうか。「補完」という枠を超えて,社会の全体や大部分を「共有」にしてしまうのは,やはり無理がある。

 そんな社会主義的な世界をつくったとして,その巨大な「共有」財産の運用については,どうやって決定するのか? 
 民主的に決める? 
 民主的って,多数決のこと? 
 そうだとして,多数でない少数派の人の意思はどうなるの? 
 社会のおもな部分がすべて「共有」だったら,少数派の人には逃げ場はないのでは?

 「すべてが共有の理想の村」の実験を行い,挫折したオウエン。その生涯をみていると,以上のような「共有」の限界や「息苦しさ」について考えてしまうのです。

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
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2014年04月24日 (木) | Edit |
 少し過ぎてしまいましたが,4月22日は哲学者カントの誕生日でした。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズです。

カント

町を出ずに世界を語る

 「ドイツ観念論」の大哲学者イマニュエル・カント(1724~1804 ドイツ)は,大学で哲学のほかに,地理学の講義も行いました。その講義は大好評で,多くの学生や市民が聴講しました。彼は世界の町や自然を,目にうかぶように生き生きと語りました。
 しかし,じつはカントは,生まれ育ったドイツの地方都市ケーニヒスベルクをめったに出たことはありませんでした。
 規則正しい生活をしながら研究に打ち込み,市内の大学で講義する毎日。
 その合間に,いろいろな職業のお客さんを食事に招いては世間話を楽しみました。地理学の講義はすべて,そんなふうに書物や人から得た知識で話していたのです。
 「それで世界を語るなんて,ホラ吹きだなあ」と思うかもしれません。
 でも,「リアルなホラを吹くこと」は知性の力なのです。豊富な知識と,想像力・構成力のたまものです。

ヤハマン著・木場深定訳『カントの生涯』(理想社,1978),小牧治著『(人と思想)カント』(清水書院,1967)による。

【イマニュエル・カント】
哲学の古典的な学派「ドイツ観念論」の原点となった哲学者。感覚を超えた「真の実在」を想定して世界を説明する理論(これが観念論)を,『純粋理性批判』などの著作で綿密に構築した。
1724年4月22日生まれ 1804年2月12日没

カント

 上記の「偉人伝」にあった「お客さんを招いて,世間話をたのしむ食事会」について,少し。

 カントはこのような食事会を,休みの日には頻繁にひらいています。午後の何時間かをかけて,食事もそれなりのものを出してと,かなり力を入れているのです(なお,カントは生涯独身でしたが,料理人や召使がいました)。

 そこでは「哲学の話題は禁止」ということになっていましたが,それ以外のいろんな「世間」の話が出たことでしょう。カントの住む町は,港町であり,いろんな情報が入ってきました。

 カントにとって,この食事会は,「社交」「人づきあい」の場であるとともに,「学問的研鑽」の場でもあったと思います。
 この世界についてのさまざまな視点・情報の窓口であり,自分の思考や知識を,一般市民に対して語ってみることで「試す」場であったのだと思います。カントはやはり,きわめて真摯な「学究の徒」なのです。
 
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2014年04月13日 (日) | Edit |
 明日4月14日は,ヘレン・ケラーの家庭教師,アン・サリバン(サリバン先生)の誕生日。
 そこで,彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 もうひとつ,DNAのらせん構造の提唱者,ワトソンとクリックの「四百文字の偉人伝」も。もう誕生日は過ぎたのですが,ワトソンは4月生まれ。「今月の偉人」といえます。

 この2つの話に共通するのは「若者の力」ということ。
 これについては,偉人伝本文のあとでまた。


サリバン先生

その情熱が奇跡を育てた

 1歳のときの病気で視覚と聴覚を失いながら,高い教育を身につけたヘレン・ケラー(1880~1968 アメリカ)と,その家庭教師アン・サリバン(1866~1936 アメリカ)。2人については,ご存知の方も多いでしょう。
 障害のため何もわからず,わがままで手のつけられなかったヘレンと格闘し,人間として生きる基礎を教えたのはサリバン先生でした。
 では,6歳のヘレンにはじめて会ったとき,サリバン先生は何歳だったか知っていますか? 
 そのとき,彼女はまだ20歳でした。
 彼女は,貧しい家に生まれ,子どものときに失明寸前になって盲学校に通いました。のちに視力は回復し,学校を卒業すると,ヘレンの家庭教師として就職したのです。
 サリバン先生は,これといった学歴も経験もない「ふつうの女の子」だったのです。「先生」にあったのは,若さと情熱だけでした。
 でも,そのふつうの女の子の強い思いと行動が,「奇跡の人」を育てたのです。

瀬江千史著『育児の生理学』(現代社,1987)に教わった。このほか,サリバン著・槇恭子訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(明治図書,1973)による。

【アン・サリバン】
ヘレン・ケラーを育てた家庭教師。生涯ヘレンに付き添いながら,障害者への理解を訴える著述や講演を行った。ヘレンの自伝の翻訳には,『わたしの生涯』(岩崎武夫訳,角川文庫)などがある。
1866年4月14日生まれ 1936年10月20日没

 ***

ワトソンとクリック

模型は謎解きのだいじな道具

 ジェームス・ワトソン(1928~ アメリカ)とフランシス・クリック(1916~2004 イギリス)は,「遺伝情報を伝える物質・DNAの二重らせん構造」の提唱者です。
 その提唱がなされた1950年代には,「DNAがどんな分子構造であるか」は,重要なテーマでした。彼らの研究で威力を発揮したのが,「分子模型をつくって考える」という方法です。
 模型は,科学的に計算してつくられてはいますが,おもちゃのブロックのようなもの。それで「どの原子がどの原子の隣に座るのが好きか聞いてみる」というのです。
 模型を前に「どんな原子の配列があり得るか」をあれこれイメージしていった,ということです。
 模型づくりは,少し前にノーベル化学賞をとったポーリングも行っており,彼らはそれを積極的に取り入れたのでした。
 模型づくりは,一見子どもじみていますが,じつは奥の深い作業です。発想法として,「模型をつくる=論理や構造をモノの形にする」というやり方は,広く使えるのではないでしょうか。

ワトソン著,江上・中村訳『二重らせん』(講談社文庫,1986),ボールドウィン著・寺門和夫訳『ジェームス・ワトソン DNAのパイオニア』(ニュートンプレス,2000)による。

【ジェームス・ワトソン】
【フランシス・クリック】
共同研究でDNAの二重らせん構造を提唱し(1953年),遺伝子研究の世界を切りひらいた科学者。この業績で1962年にノーベル生理学・医学賞をウィルキンスとともに受賞した(ウィルキンスはX線を使ってDNAの構造解明に貢献)。
ジェームス・ワトソン
1928年4月6日生まれ
フランシス・クリック
1916年6月8日生まれ 2004年7月28日没

 ***

 ヘレン・ケラーに出会ったときのサリバン先生は,20歳。
 「DNAのらせん構造」について発想して,研究をすすめていたときのワトソンは20代,クリックは30代。

 先日ips細胞の山中教授が国会での答弁で,「30代の研究者は,実験は上手だが,そのほかの点では未熟」という主旨の発言をされましたが,この2人のうちとくにワトソンは,まさに「研究以外のことは未熟」な若者だったといえます。
 
 これまで100数十人分の「四百文字の偉人伝」を書いてきました。創造的な仕事をした人たちを大勢調べてきたわけです。すると,歴史上の重要な革新・創造の大部分が,20代・30代の人たちによってなされてきたことがわかります。科学研究は,それが最も顕著な分野。

 たとえば,アインシュタインのおもな業績は20代半ばのときのもの。湯川秀樹のノーベル賞も,20代のときの研究による。まあ,中には中高年や熟年になっても,生産的な仕事を続けたガリレオのような例もありますが。

 「若者の熱意と柔軟なアタマ」は,文明や社会が前進するための,根本的なエネルギー源です。

 もちろん,中高年が創造的な何かをすることもあるでしょう。
 でもそんなときも,結局はこの「根本的なエネルギー」を増幅したり,余熱を活用したりしているのだと私は思っています。

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2014年03月28日 (金) | Edit |
 明日3月29日は,「実験生理学の父」といわれる医師・サントリオの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


サントリオ

実験生理学の父は「科学くん」

 1600年ころのイタリアにサントリオ・サントリイ(1561~1636)という医師がいました。
 彼は,人間の体重変化について研究していました。そのために,「人間が座って体重を測れる大きな天秤をつくり,1日じゅう乗って飲食したり排泄したりしたときの体重の変化を記録する」という実験を行いました。
 天秤にはイスがついていて,そこで食事やトイレもできます。
 実験台は,サントリオ自身。
 これで徹底的に体重の変化を調べていった結果,「大小便をしなくても,絶えず少しずつ汗が出て体重が減る」といった現象が明らかになりました。
 なんだかテレビのバラエティでやっている実験みたいです。ちょっと笑える感じもします。
 しかしこの実験は,人間の生理を数量的に明らかにする研究の先駆でした。サントリオは「実験生理学の父」といわれています。
 彼は天動説のガリレオとも親交があり,たがいに影響を受けています。
 実験による謎解きに夢中な人たち。
 近代科学を切りひらいたのは,こういう「科学くん」たちだったのです。
 
『科学者伝記小事典』(仮説社,2000)などの板倉聖宣氏の著作による。

【サントリオ・サントリイ】
体重変化の研究などで「実験生理学の父」といわれる医師。脈拍計や体温計の研究でも先駆者である。ベネチア共和国のパドヴァ大学の教授であり,大学の同僚のガリレオや地元の科学好きのアマチュアらと科学愛好家のサークルをつくって活動したりもした。
1561年3月29日生まれ 1636年2月24日没

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2014年03月23日 (日) | Edit |
 3月23日は,映画監督・黒澤明の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の歴史を400文字程度で紹介するシリーズ。

黒澤 明(くろさわ・あきら)

一番大切なのは脚本

 映画監督・黒澤明(1910~1998)は,『七人の侍』など数々の名作を生み出した,日本映画を代表する巨匠です。
 黒澤は,「脚本は,映画の苗だ」といいました。
 「映画にとって,脚本はすべてのもとである」ということです。「基礎となる設計図」といってもいいでしょう。
 脚本がダメだと,演出や役者の演技やそのほかのことがどんなによくても,二流以下の映画しかできない。でも,脚本がおもしろければ,きっといい映画ができる。
 「まず,設計がだいじ」というのは,何ごとにも通じるのではないでしょうか。
 そして黒澤は,若い映画人にいっています。「映画監督になるには,まず脚本を書いて完成させることだ。忙しくても,1日に原稿用紙1枚書けば,1年で300枚になる」――彼も助監督時代にそれを実行したのです。
 私たちも彼のように,夢を形にするために,自分の仕事を進めていきたいものです。

黒澤明著『夢は天才である』(文藝春秋,1999),同『蝦蟇の油』(岩波現代文庫,2001)による。

【黒澤 明】
世界の映画史に名を残す映画監督。『羅生門』が1951年にベネチア映画祭でグランプリを受賞し,海外で日本映画が評価される先駆けとなった。有名な傑作が1,2本ではなく,数多くあることがすごい。
1910年(明治43)3月23日生まれ 1998年(平成10)9月6日没

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2014年03月02日 (日) | Edit |
 3月2日は,ソビエト連邦最後の指導者ゴルバチョフの誕生日です。
 そこで,彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

ゴルバチョフ

それでもやはり世界平和の功労者

 ミハイル・ゴルバチョフ(1931~ ロシア)は,1991年に崩壊した社会主義国・ソビエト連邦(ソ連)最後の指導者です。
 彼がリーダーになった当時(80年代後半)のソ連は,アメリカと軍事力で競い合う「超大国」でしたが,人びとの自由は抑圧され,経済はボロボロ。ソ連とアメリカはいつ核戦争になってもおかしくない状況でした。
 彼は,政治の大改革に取り組み,アメリカとの関係も改善しました。
 しかし,改革がきっかけで動揺したソ連の体制は崩壊し,彼も失脚してしまいます。ソ連に従属していた東欧諸国の社会主義体制も,同じ道をたどりました。
 でもその結果,ソ連や東欧の国民は以前より自由になり,米ソの戦争も避けられたのです。
 彼はその後,「名士」として講演やイベント出演などで稼いでいます。
 偉人らしくない? そうかもしれませんが,それでも彼が世界平和に大きく貢献したことはまちがいないのです。

シュナイダー著・瀬野文教訳『偉大なる敗北者たち』(草思社,2005)に教わった。

【ミハイル・ゴルバチョフ】
ソビエト連邦の幕を引いた政治家。1985年,ソ連の最高権力者に。86年以降「ペレストロイカ(再建)」「グラスノスチ(情報公開)」と称する改革を行う。91年にはソ連共産党を解散し,連邦解体の激動の中で辞任。
1931年3月2日生まれ(2014年3月現存)

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2014年02月19日 (水) | Edit |
 もう今日も終わりなのですが,2月19日は地動説の提唱者コペルニクスの誕生日です。
 そこで,彼の「四百文字の偉人伝」を。400文字程度で古今東西の偉人を紹介するシリーズ。

コペルニクス

データだけで新発想は生まれない

 「地動説」(太陽中心説。地球は太陽のまわりを回っている)を提唱したニコラウス・コペルニクス(1473~1543 ポーランド)。彼はどうして地動説を考え出したのでしょうか? 単に「星空を観測しているうちに」というのではありません。
 当時の通説だった「天動説」(地球中心説)は,大きな問題をかかえていました。
 進歩を重ねていた天体観測のデータが豊富になるにつれ,既存の天動説では説明のつかないことがいろいろ出てきました。そのつど,新しいデータとつじつまを合わせるため,天動説にはさまざまな手直しがほどこされていたのです。
 そのような手直しを積み重ねた結果,天動説はすっかり「複雑怪奇」なものになっていました。
 コペルニクスは,「ほかの考えはないか」と過去の文献を探しました。
 そして,古代の書物で「地動説」の考えを知り,そこから自説を築いていきました。地動説で考えると,天動説よりもはるかにすっきりとした宇宙の姿が浮かび上がってきたのです。
 新しい発想は,データだけでは生まれません。問題意識を持って先人の遺産をヒントにしていくことが大切です。
 さらに言うと,「過去にとらわれない新鮮なアタマで考える」というだけでもダメです。「過去のアイデアや議論についてある程度は知っている」ことも,革新には必要なのです。でも,過去を知りすぎて,それで発想が固まってしまってはいけないということです。

板倉聖宣著『科学と方法』(季節社,1969)による

【ニコラウス・コペルニクス】
地動説の提唱者。聖職者(司教の秘書官)と医師の仕事をしながら天文学を研究。地動説は聖書に反する危険思想だったので,彼はその公表をためらい,主著『天球の回転について』の刊行は亡くなる直前だった。
1473年2月19日生まれ 1543年5月24日没

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2014年02月09日 (日) | Edit |
 豪雪の朝
 
 昨日は,私の住む東京地方も,久々の大雪。
 みなさんいかが過ごされたでしょうか。写真はベランダからみた今朝の風景。

 最近,インターネットの回線の不具合で,接続が不安定です。
 業者に問い合わせ,対応することになっていますが,回復に1~2週間かかるかもしれません。
 接続が不安定だと,なかなかまとまった記事が書けません。
 今,たまたま回線の具合がよいようなので,急ぎ下記の記事をアップしました。

 「つながらない」状態になってみると,自分にとってネットがいかに大事なものであるかがわかります。

 私は,自宅のADSL回線だけでネットに接続しています(モバイルはやっていない)。
 それがダメになると,ブログの更新はもちろん,人との連絡も,ちょっとした調べものもできなくなる。
 最近は,ブログ上に自分のアウトプットのかなりの部分を置いているので,それを参照することもできない。

 10年近く前に,パソコンの故障で1週間くらい自宅でインターネットができなかったときがありましたが,こういう不自由な感じはありませんでした。しかし,今はちがう。

 それでも,このあいだにワープロで記事や原稿を書いたりしようとも思っています。
 オフラインだと,気が散ることなく集中できるはず。

 今日,ある資料をワープロでつくったのですが,まさにそうでした。
 90年代のころは,こんなふうに「つながっていないワープロ(オアシスとか)」で書いてたよなあ……機能はかぎられていたけど,あれはあれでシンプルでよかったなあ……

 イライラしましたが,これはこれで「じっくり書く機会」だと思うことにしましょう。 

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 2月11日は,発明王エジソンの誕生日。エジソンは建国記念日の生まれなんですね。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。400文字程度で古今東西の偉人を紹介するシリーズ。

エジソン

発明家の限りない欲望

 発明王トマス・エジソン(1847~1931 アメリカ)は,蓄音機や電灯などの数多くの発明で,電気の時代を切りひらいた人物です。
 「発明は,お金にならないとダメだ」というのが,彼の信条でした。「お金になる」というのは,世の中のニーズがあるということです。
 だいじなお金を支払う価値のある発明によって「人びとの笑顔」を生み出すこと。それが,彼の求めたことなのです。
 そして,その「笑顔」を際限なく求め続けました。
 彼は,数々の発明で得た巨額の利益を,つぎの発明の研究につぎ込みました。そして,研究所に泊まりこんで仕事に没頭する――そんな生活を何十年も続けたのです。
 エジソンにとって「発明でお金が入る」ことは,「人びとの笑顔」の証であり,「つぎの発明の研究資金を得る」ということでした。
 彼ほど「発明家の限りない欲望」というものをあらわしている人はいないでしょう。

参考:浜田和幸著『快人エジソン』(日経ビジネス人文庫,2000),名和小太郎著『起業家エジソン』(朝日新聞社,2001)

【トマス・エジソン】
電気の時代を開拓した発明王。小学生のとき学校教育から落ちこぼれ,母の教育と独学で科学・技術を身につける。おもな発明は,蓄音機,電灯,映画,謄写版,蓄電池,アルカリ電池,電話(の改良)など。
1847年2月11日生まれ 1931年10月18日没

 ***

エジソン2

「ハロー」という言葉の発明

 「ハロー」という英語のあいさつは,1880年代にはじめて辞書に載るようになった,比較的新しい言葉です。この言葉をつくったのは,じつはエジソンなのです。
 エジソンは,「電話機の発明者」として有名なベルより少しだけ遅れて(1877年),別個に電話機を完成させた1人でした。
 発明されたばかりの電話で,「最初に話しかけるときに適当なあいさつの言葉があると便利だ」と彼は考え,「ハロー」という新語をつくったのです。当時はまだ,電話の呼びかけの言葉は「用意はいいか」「誰かいるか」など,ばらばらでした。
 しかし「ハロー」は,「簡単で響きもいい」ということで普及していきました。そして,電話のときだけでなく,気軽に声をかける際のあいさつとして,世界中に広まっていったのです。
 発明王は,機械だけでなく,「それを使いやすくするノウハウやソフト」を発明する能力も抜群でした。

浜田和幸著『快人エジソン』(日経ビジネス人文庫,2000)による。

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 2月4日は,ニューヨーク~パリ間無着陸飛行のリンドバーグの誕生日。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


リンドバーグ

余計なものをそぎ落として挑む

 チャールズ・リンドバーグ(1902~1974 アメリカ)は,1927年に,ニューヨークからパリまでを飛行機ではじめて無着陸で横断することに成功しました。
 それまで,ニューヨーク~パリ間の無着陸飛行には,何人かの飛行家が挑戦しましたが,テスト時や本番飛行中での事故があいついで失敗していました。それらはたいてい,何基ものエンジン(プロペラ)を積んだ大型機に,複数のパイロットが乗り組んだものでした。
 リンドバーグは,ちがう方法を選びました。
 「エンジンがひとつの小さな飛行機で,1人だけでいこう」というのです。
 周囲の人の多くは反対でした。しかし,「エンジンが増えても,そのぶん故障のリスクが増すだけだ」と考えたのです。そして,33時間余りを1人で操縦して,みごと成功したのでした。
 このように「余計なものをそぎ落として必要な道具だけで行い,最後は1人でやり抜く」という姿勢は,冒険に挑むときだいじなことではないでしょうか。

リンドバーグ著・佐藤亮一訳「翼よ,あれがパリの灯だ」『世界ノンフィクション全集3』(筑摩書房,1960)による。

【チャールズ・リンドバーグ】
 はじめて二ューヨーク~パリ間の無着陸飛行に成功した飛行士。この無着陸飛行については,1919年ある事業家が初成功に巨額の賞金を出すと宣言。リンドバーグは奔走してスポンサーをみつけ,挑戦した。
1902年2月4日生まれ 1974年8月26日没

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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月12日 (日) | Edit |
 昨日ポストに,私の電子書籍を出してくれている出版社からの,郵便が届いていました。
 封筒をあけると,「平成25年度分 報酬,料金,契約金および賞金の支払調書」というものが入っていました。
 つまり,「私の電子書籍の去年の印税がいくらだったか」という書類です。

 そう,私は印税を受け取っているわけです。

 「印税生活」ってことでしょうか?

 じつは,その金額たるや,微々たるもの。
 このあいだ親戚の子どもにあげたお年玉以下,といっていいです(^^;)

 電子書籍というものを出してみて,しみじみわかりました。
 
 私のような無名の著者にとって,電子書籍を買ってもらうこと,そこから収入を得ることは,きわめてむずかしい。
 
 これは,今まで私が経験したささやかな「出版」のケースとくらべても,そういえると思います。
 
 ***
 
 私は,1度だけですが,共著(2人)で紙の本を商業出版したことがあります。
 子ども向けの社会科関係の本です。
 
 紙の本というのは,出版にあたってまず一定の部数を刷ります。
 有名でない著者だと「何千部」というところでしょう。

 そして,一般的な契約だと,その「何千部」の売上額相当×数%~10%くらいが,著者に入ってきます。
 私のときも,そうでした。
 だから,地味な出版でも,最低で十万円単位くらいの収入には,なります。

 それから,NPO法人による私家版の出版物も,著者として何冊か出しました。
 「私家版の出版物」とは,「一般の書店で売られていない」ということ。
 
 私がかかわったNPOは,「私家版」といっても,かなり本格的でした。千部単位で刷って,独自のつながりでそれらを売っていくことを相当程度行っていたのです。その売上から,一定の「印税」を著者が受けとることになっていました。

 電子書籍の「印税」は,どうなっているのか?
 電子書籍の場合,一般的には「実際に売れた額×一定の%」が著者に入ります。その「一定の%」は,紙の本よりも高いことがほとんどです。
 紙の本の場合は,(一般には)まず最初に刷った「何千部」からの印税が入るわけですが,そういうものは,電子書籍では存在しないのです。

 それでも,電子書籍が売れさえすれば,それなりの印税が入ります。

 でも,私の本は非常に売れていませんので,印税も皆無というわけです。

 とはいえ,電子書籍のなかで「最低クラス」でしか売れていないわけでもありません。アマゾンが販売する電子書籍「キンドル本」が十数万点(13年末現在)あるなかでのランキングをみると,私の電子書籍はこれまで上位の数分の1に入っていました。瞬間的に上位数パーセントのこともありました。

 それだけ電子書籍というものの売れ行きが,今はまだ小さいということなのでしょう。

 「印税生活」などというタイトルですが,これは自虐を込めています。私が今得ている「印税」は,「小遣い」にすらならない額なのですから。
 「紙の本の(ささやかな)出版」や「NPOでの出版」のときは,「小遣い」くらいにはなっていたのですが……

 もちろん,売れないのは,いろんな意味での私の力不足。
 著者なりに「売る」努力をすることも大事だと思っています。

 本は書くだけではダメで,「売る」ことがむしろ本番である……そのことはNPOでの出版にかかわって知ったことです。あのときは「いかに売るか」について組織をあげて,いろいろ取り組みました。
 
 ***

 ところで,私が出している電子書籍の1冊に『四百文字の偉人伝』というのがあります。
 古今東西のさまざまな分野の偉人を400~500文字で紹介する,ショート・ショートの「偉人伝」を100本ほど集めたもの。このブログでも「シリーズ」として一部を載せています。

 カテゴリ:四百文字の偉人伝

 電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
 アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円
                     
四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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 ああ,この『偉人伝』も売れてないなあ……と思いながら,今日書店を歩いていると,あるベストセラーが平積みになっているのが目にとまりました。

 水野敬也ほか『人生はワンチャンス!』という本。
 
人生はワンチャンス!   ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
(2012/12/11)
水野敬也、長沼直樹 他

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 水野さんは,ベストセラー『夢をかなえるゾウ』の著者。
 帯をみると,続編とあわせて「シリーズ累計95万部」とあります。
 
 この本も「ショート・ショートの偉人伝を集めたもの」です。
 さまざまな偉人の,1話400文字前後のエピソードが,教訓や名言とあわせて数十本載っています。

 ていねいに編集され,ひとつひとつの文章の読みやすさ,エピソードの切り取り方,込められたメッセージ等々,いろいろ共感できる,読むに値する本だと思います。

 「共感できる」と書きましたが,それはそうだなあ,とも思います。

 この本は,『四百文字の偉人伝』と,おおいに共通したところのある本だからです。少なくとも,私はそう思っています。

 「偉人もの」の本はたくさんあるのですが,「私の『四百文字の偉人伝』に似た本は,世の中にはない」と,以前は思っていました。でも,この本が登場して,そうでもなくなったと思います。

 なお,先にできたのは『四百文字の偉人伝』のほうです(原型の『三百文字の偉人伝』は2007年に楽知ん研究所から出版,現在の電子書籍版は2012年3月末リリース,『人生はワンチャンス!』は2012年12月刊)。

 さらにいうと,「三百文字の偉人伝」の何篇かをはじめて発表したのは,10年以上前。『楽知んカレンダー』(楽知ん研究所刊,各年版あり)の2002年版などでのことでした。

 もちろんだからといって「マネをされた」とか,そんなことをいっているのではありません。水野さんの本の参考文献らんにも,私の電子書籍はあがっていません。
 「四百文字の偉人伝」的なショート・ショートの偉人伝のスタイルは,私は私で独自にあみ出したのですが,ほかの誰かが考えてもおかしくないと思います。それだけの「普遍性」がある,と思っています。

 それにしても,片や100万部に迫る勢いで,片や(私のほう)は,印税が小遣いにもならないレベル。

 うーん,その違い(そこまでの大きな違い)はなんだろう?
 それが自分としてははっきりと「みえない」ので,私にはベストセラーを生むセンスはないのかも……ここは,今後の課題ですね。

 水野さんの本については,去年のはじめころ,この本が出てまもなく気がつきました。

 その後,この本がベストセラーになったので,私は出版社に「『四百文字の偉人伝』も,紙の本で出してもらえませんか?少しは売れないでしょうか?」などと申し出たのですが,「今はむずかしい」とのことでした。

 しばらく,この本のことは忘れていましたが,本日また思い出した次第。

 それにしても,そのうち誰かが私に「『四百文字の偉人伝』って,最近ベストセラーのあの本をマネたのでしょう」と言ってくるかもしれない,と思っていました。
 そうしたら,このブログで「いや,ああいうスタイルの偉人伝は,私のほうが先で…」という話を書こうと思っていたのです。
 でも,誰も言ってきません(^^;)。

 それだけ,私の本は「気がつかれていない」ということでしょう。
 なんとかしたいものです。
 「無名の壁」を,どうにか少しでものりこえて,多くの人に読んでもらいたいです。

 手前味噌ですが,私は自分の本を「多くの偉人の短い話を集めた本のなかでは,とくに意味のある仕事」だと勝手に思っているのです。

 (いい知恵があったら,どうか教えてください)

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月10日 (金) | Edit |
 1月11日は,実測による日本地図をはじめてつくった人・伊能忠敬の誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 伊能忠敬の偉業は,中高年になって隠居して以降の取り組みによるものです。
 彼が隠居したのは49歳。若いころその話を読んだときには,「ずいぶん年をとってから新しいことをはじめたんだなー」と思いましたが,今は自分もその年代になってしまいました。
 そうなってみると,49歳は「そんなに年寄りでもない」とも感じます。

 ただ,昔の49歳と今の49歳は「年寄り度」がちがうのでしょう。
 「今の人間の年齢(年寄り度)は,昔の人の8掛け」という話を読んだことがあります。
 逆にいえば「昔の人間の年寄り度は,今の人の1.25倍(1÷0.8)」ということか。まあ,これといった根拠はないのでしょうが,私もそんな感じがします。
 だとすると,伊能忠敬のころの49歳は,今でいうと49×1.25=61歳くらい,ということですね……


伊能忠敬(いのう・ただたか)

哲学的な関心からはじまった

 江戸時代後期のこと。裕福な酒造家だった伊能忠敬(1745~1818)は,49歳で隠居したあと,本格的に天文学や測量の勉強をはじめました。
 そして,55歳から17年の間に,10回にわたり測量遠征を行って日本地図作成に取り組み,73歳で没するまでにほぼ完成させたのでした。初の実測による日本地図です。
 でも,忠敬が測量の研究をはじめたのは,「日本地図がつくりたかった」からではありません。
 もともと彼がやりたかったのは,日本ではまだ知られていなかった「地球の大きさ(子午線の長さ)」を測ることでした。
「地図の作成」という実用的な目的ではなく,「地球の大きさ」という「世界観に関わること」を知りたいという動機で,彼の仕事ははじまったのです。
 このように,実用を離れた哲学的な関心から,実用にも役立つ大きな仕事が成しとげられることはあるのです。

渡辺一郎著『伊能忠敬の歩いた日本』(ちくま新書,1999),伊能忠敬研究会編『忠敬と伊能図』(アワ・プランニング,1998)による。

【伊能忠敬】
 実測による最初の日本地図の作成者。はじめて日本列島のほぼ正しい地形を明らかにした。17歳で現在の千葉県佐原市の旧家のムコ養子になり,49歳で隠居。翌年江戸に出て第二の人生に入った。
1745年(延享二)1月11日生まれ 1818年(文政元)4月13日没

***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
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テーマ:歴史
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2013年12月12日 (木) | Edit |
 12月12日は,1万円札の福沢諭吉の誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)

アメリカでおどろいたこと

 福沢諭吉(1834~1901)は,幕末から明治にかけて,旺盛な文筆活動で欧米の近代的なものの考え方を日本人に知らせた人物です。福沢は,若いころに幕府の使節団に随行してアメリカに行っています(1860年)。
 彼がアメリカで最もおどろいたのは,鉄道や電信や工場のような文明の利器ではありません。それらについては,あらかじめ本で読んで知っていました。
 それよりもおどろいたのは,「初代大統領ワシントンの子孫は,今どうしているか?」という質問に,みんなが「さあ?」と無関心だったことです。
 「初代大統領といえば,日本なら初代将軍・徳川家康みたいなものではないか」と思っていたので,意外だったのです。
 彼は,「この国――アメリカでは,家柄なんてほとんど意味を持たない。なんて公平な社会なんだ」と感動しました。この感動は,福沢にとってひとつの出発点になりました。

福沢諭吉著・富田正文校訂『新訂 福翁自伝』(岩波文庫,1978)による。

【福沢諭吉】
「近代の精神」を日本人に啓蒙した幕末~明治の思想家。幕末に洋学の知識を買われて幕臣となり,幕府の使節団に随行し欧米を視察。以後,多くの著作で欧米文化の紹介を行った。慶応大学の創設者。
1834年(天保五)12月12日生まれ 1901年(明治34)2月3日没

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2013年12月07日 (土) | Edit |
 12月7日は,西郷隆盛の誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。
 
 若い人に聞かれたことがあります。「上野の銅像の西郷隆盛って,けっきょく何した人ですか?…薩摩の人とか,明治維新のころの人というのは知ってるんですが…」

 下記の「四百文字の偉人伝」にもあるように,西郷隆盛は,一言でいうと「明治維新のとき,江戸幕府を倒す活動や戦いで,最も活躍した(とされる)人」です。でもそういうことって,意外と知らなかったり,明確に説明できなかったりするものです。

西郷隆盛(さいごう・たかもり)

銅像になった「逆賊」

 西郷隆盛(1827~1877)は,明治維新では幕府を倒すうえで最も活躍した人物でした。旧幕府の勢力を完全に倒した明治元年の戦争では,新政府軍の総指揮をとっています。
 しかしその後,彼は明治政府のほかのリーダーと対立して政権を離れてしまいました。最後は薩摩士族たちの反乱軍を率いて戦い,敗れて自害しました(西南戦争,1877年)。
 当時,できたての明治政府は不安定で,日本はいつ内戦状態になってもおかしくありませんでした。
 しかし,西郷が破れたことで,もう誰も反乱を起こそうとは思わなくなりました。
 彼は,それだけ大きな存在だったのです。
 明治の後期(1898年)になって,東京の上野公園に西郷の銅像が建てられました。明治維新での功績があらためて評価されたのです。
 政府に逆らった「逆賊」の大将だったのに,異例なことでした。

参考:猪飼隆明著『西郷隆盛』(岩波新書,1992),芳即正・毛利敏彦編著『図説 西郷隆盛と大久保利通(新装版)』(河出書房新社,2004)

【西郷隆盛】
倒幕の最大の功労者。下級武士出身だが藩主に見出され,やがて薩摩藩(鹿児島)の重要人物に。大久保利通らとともに藩の政治改革と軍事力の拡充を行って,倒幕を推進した。
1827年(文政十)12月7日生まれ 1877年(明治10)9月24日没

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2013年12月04日 (水) | Edit |
 12月5日は,ウォルト・ディズニーの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 つぎのディズニーの話のように,自分の過去の仕事や持ちネタに何度も向き合って更新していくこと,それによって新しい何かをつくっていくことは,大事なんじゃないかと思います。
 それを「焼き直し」といって,低くみることもありますが,じつはそうでもないはずです。


ディズニー

食い下がって生まれたキャラクター

 数々のアニメーション映画やテーマパークなどで知られるウォルト・ディズニー(1901~1966 アメリカ)。
 駆け出しの映画製作者だった若きディズニーにとって,最初の小さなヒットは,ウサギのキャラクターが活躍する短編アニメのシリーズでした。
 しかし,そのキャラクターの権利は,契約先の映画会社に乗っとられてしまいました。その会社とケンカ別れすると,彼は仲間と新しいキャラクターを考えることにしました。
 でも,なかなかいいのが浮びません。「そうだ,あのウサギの耳を丸くして,ネズミにしてしまえ」――ある研究によれば,そうやって,あの「ミッキー」が生まれたのだそうです。
 大ヒットというのは案外,そんな「苦しまぎれ」からも生まれるんですね。でもそれは,「彼が自分のつくったものの価値にこだわって,食い下がった成果」といえるのではないでしょうか。もしも,彼が「ウサギ」のことをあきらめていたら,ミッキーはこの世に存在していないし,その後のディズニーの活躍もどうなったかわからないのです。

エリオット著・古賀林幸訳『闇の王子ディズニー(上)』(草思社,1994)による。参考としてトマス著,玉置・能登路訳『ウォルト・ディズニー』(講談社,1983)。

【ウォルト・ディズニー】
 20世紀を代表するアニメーション映画の監督・プロデューサー。初のカラーアニメや初の長編アニメ(1937年『白雪姫』」)を製作するなど,多くの革新を行った。ミッキーのデビューは1928年の短編映画。
1901年12月5日生まれ 1966年12月15日没

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2013年11月25日 (月) | Edit |
 11月25日は,実業家・社会事業家のカーネギーの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


カーネギー

お金を使うのはむずかしい

 アンドリュー・カーネギー(1835~1919 アメリカ)は,裸一貫から身をおこし,製鉄業で大成功をおさめました。
 ここまでは,「がむしゃらに金儲けを追及する人生」でした。
 しかし彼は,66歳で会社を売り払い,今の価値で何兆円ものお金にかえてしまいました。そして,それをすべて社会事業につぎ込むことに残りの人生を費やしたのです。
 彼は,多くの図書館のほか,学校やホールを建設したり,平和や教育のための基金を設立したりました。
 また,「いくら社会事業でも,ヘタにお金を使っては,かえって社会にマイナスになる」と考えた彼は,いつも慎重に検討を重ねた上で,お金を使いました。
 そんな彼の活動は,「成功者が私財を投じて行う社会貢献」のモデルとして,後世に大きな影響を与えました。
 「お金は,稼ぐよりも使うほうがむずかしい」と,カーネギーはいっています。

カーネギー著・坂西志保訳『カーネギー自伝』(中公文庫,2002),木原武一著『大人のための偉人伝』(新潮社,1989)による。木原の著書(『続 大人のための偉人伝』もある)は,さまざまな偉人への入門としておすすめしたい。

大人のための偉人伝 (新潮選書)大人のための偉人伝 (新潮選書)
(1989/07/20)
木原 武一

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【アンドリュー・カーネギー】
 一代で築いた巨富を社会事業に使った鉄鋼王。「カーネギー」の名を冠した工科大学,研究所,教育振興財団,国際平和基金などを設立した。資金を提供した図書館はアメリカを中心として世界各地に2800余り。
1835年11月25日生まれ 1919年8月11日没

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2013年11月14日 (木) | Edit |
 11月15日は,坂本龍馬の誕生日です。偶然ですが,命日でもあります。
 そこで,彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざま偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

坂本龍馬(さかもと・りょうま)

ビジョンを吸収して成長

 幕末の志士・坂本龍馬(1835~1867)は,倒幕の中心となった薩摩藩と長州藩が同盟をむすぶ仲介を行いました。また,さまざまな働きかけで大政奉還(幕府の政権返上)の実現に貢献し,新しい政府の構想を打ち出しました。
 土佐の下級武士の出身で,これといった役職にもなく「浪人」にすぎない若者が,それだけのことをやったのです。
 彼はたしかに創造的でした。しかし,何でも彼が独自に構想したのではありません。
 ほとんどは,彼に影響を与えた勝海舟をはじめとする先覚者たちが,すでに主張していました。そのビジョンを吸収し,実現のため行動したのが龍馬だったのです。
 子どものころの龍馬は,勉強ぎらいのいじめられっ子でした。ごく若いころは,特別なビジョンは何も持っていませんでした。
 それが,さまざまな人と出会い学ぶことで,「偉人」に成長していったのです。
 人の成長とはそういうものですが,龍馬はそのみごとな典型です。

とくに河合敦著『誰が坂本龍馬をつくったか』(角川SSC新書,2009)に教わった。ほかに参考として,松浦玲著『坂本龍馬』(岩波新書,2008),ジャンセン著,平尾・浜田訳『坂本龍馬と明治維新(新装版)』(時事通信社,2009)

【坂本龍馬】
倒幕・明治維新に貢献した幕末の志士。維新の前年に暗殺された。維新後忘れられていたが,明治後半には再評価。昭和の戦後には司馬遼太郎の小説などで著名なヒーローに。業績や人物像についての議論も多い。
1835年(天保六)11月15日生まれ 1867年(慶応三)11月15日没

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