2015年10月02日 (金) | Edit |
 「GDPからみた経済入門」シリーズの3回目。
 1回目GDPとは何か,2回目GDPの内訳は,すぐ下にあります。

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「ダブり」を取り除く

 「GDPは総買い物額である」というと,「ほかの本で読んだ説明とちがう」とか,「総買い物額がなんで〈総生産〉なの?」といわれることがあります。ここで,そんな疑問に答えます。

 「総買い物額」というけど,じつはそこにはふくまれない,特殊な「買い物」があります。それは,「そのモノを誰かに売ることを前提にモノを買う場合」です。日常的な言葉なら,「仕入れ」と言えばいいでしょう。「仕入れ」は,個人が日常生活でする「買い物」ではなく,企業がビジネスのためにするものです。

 「仕入れ」としての買い物は,GDPにはカウントしません。「仕入れ」には,①仕入れたモノをそのままの形で売る場合と,②原材料として仕入れる場合とがあります。

 たとえば,「スーパーがパン工場からパンを仕入れる」のは①のパターンで,「パン工場が原材料の小麦粉を仕入れる」のは②のパターンです。

 なぜ,そんなやり方なのか。「そうしないと,生産されたモノの価値をダブって計算してしまうことになるから」です。

 経済の入門書でよくあるのは,つぎのような説明です。

・スーパーで食パンが100円で売られている。私たちがそれを手にするまでには,いろんな過程を経ている。

(イメージ)
 農家がコムギを育てる→コムギを原料に製粉業者が小麦粉をつくる→小麦粉を原料にメーカーが工場でパンをつくる→パンを小売店が仕入れて消費者に売る。

・コムギは,ひとつの段階を経るごとに手を加えられ,そこでの仕事(労働)の分の値段を上乗せされていく。

(イメージ)
 100円の食パンの材料に使うコムギが10円。
 それが,小麦粉になると20円。
 その小麦粉でつくったパンを,メーカーは80円でスーパーに売る。
 さらに,スーパーはそのパンを100円で私たちに売る。

・GDPの計算では,以上のすべての段階の金額(買い物額)を合計するということは行わない。最終的に生産されたパン100円の価値だけをカウントする。

 なぜこのように考えるのでしょうか。

 この過程で生産されたのは,あくまで100円の価値のパンです。小麦粉などの原材料費や,スーパーが工場から仕入れるときの値段は,スーパーでの販売価格100円の中にふくまれています。そこをダブってカウントしないようにしているのです。最終的に生産された100円の価値だけをカウントします。

 このように,「ダブリ」を除いて,国全体の買い物額をカウントしていったのが,GDPです。このダブリの部分のことを経済学では「中間投入」といいます。

 「中間投入を除く」という一定の操作を加えた「総買い物額」。
 そうやって「生産された価値」を把握した数字。

 それがGDPの,よりくわしい定義です。「生産された価値」のことは,「付加価値」といいます。

 つまり,GDPは「国全体で,さまざまな労働によって生産されたモノやサービスの付加価値の合計」なのです。国内で生産された価値の合計。だから,「国内総生産」といいます。


誰かの支出は誰かの所得

 じつは,「国内総支出」という言葉もあります。さしているものは「国内総生産」と同じです。

 ただ「総支出」というのは,生産された価値あるモノやサービスを誰かがお金を「支出」して買っている,という面からものごとをみています。「買い物」としてGDPをとらえた言葉です。

 最初に出てきた「GDPは総買い物額」というのは,「総支出」としてGDPをみたものなのです。「総生産」と「総支出」は,コインの表と裏のような関係です。同じものを,どちら側からみるか,というちがいです。

 さらに,「総所得」という言葉もあります。これも,「総生産」「総支出」と同じものを,別の側面からみたものです。

 つまり,誰かがお金を支出してモノやサービスを買ったとき,それは売った者(企業やその従業員)の所得になります。つまり,「それだけのお金が入ってくる」ということです。
 誰かの支出は誰かの所得。だから両者もイコールだ,というわけです。

 「誰か」というのは,要するに私たちのことです。「誰かの支出は誰かの所得」というのは,

 私たちが買い物をすれば,それは誰かの所得となる

 ということです。

 言ってしまえばなんでもないことですが,これはじつは経済をみるうえで非常に重要なことです。

 また,「生産された付加価値は,誰かの所得」ということもいえます。付加価値というのは,売上から原材料費などの中間投入を除いた分のことでした。これは,かみくだいていえば商売の「儲け」の一種だといっていいでしょう。

 この「儲け」は,どうなるのかというと,会社の従業員と会社,そして会社に出資した株主などで分けることになるのです。

 つまり,従業員の給与,役員への報酬,株主への配当,会社の蓄え(内部留保という)などになります。「儲け」が山分けされてみんなの「所得」になるのです。そして,「儲け」とは言い換えれば「付加価値」のことなのです。


GDPの三面等価

 誰かの支出であり,同時に誰かの所得である金額は,そのモノやサービスを生む労働によって生産された「価値」である。
 つまり,

 総生産=総支出=総所得

 これを,経済学で「GDPの三面等価」といいます。

 これは,たとえばこんなイメージです。
 底面が三角の立方体(三角柱)があって,これが「GDP」だとする。この三角柱はみる角度によって,ちがう面(「生産」か「支出」か「所得」か)がみえている。でも,どの面からみても,同じひとつの存在(三角柱)をみている……
     GDP三角柱

 多くの経済の入門書や教科書では,「総生産」という面から,GDPをまず説明します。真正面からの説明です。
 しかし,「中間投入を除いた価値の総生産額」という説明は,入門としてはじつはハードルが高いのです。最初にこの説明をもってくると,初心者からはかなりの率で拒絶反応がおきます。(私は,初心者向けの経済の勉強会などで,何度か話し手をしたことがあって,そこで経験したことです)
 
 それより,「買い物」としてまずGDPをとらえるほうが,初心者にはイメージしやすい。そして,まずはばくぜんと「国全体の総買い物額」とイメージする。そのあとで一歩進めて,「ダブリ=中間投入」を除いたものとして,理解すればいい。ここでは,そういう説明の順序をとりました。

(以上)
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2015年09月30日 (水) | Edit |
 前回の「GDPとは何か」の続きです。
 安倍総理の「GDP600兆円をめざす」という発言をきっかけに,GDPについて考えてみよう,基本的なことをについて知ろう,という企画です。前回の記事はすぐ下にあります。

 ***

みんなの買い物の「みんな」とは?

 これまでに「GDPとはみんなの買い物の総額である」「日本の1人あたりのGDPは360万円である(2012年度)」ということを述べました。

 それに対しこんな疑問を抱く人もいます。「1人あたり360万円ということは,4人家族だと1400万円。ほんとにそんなに買い物するの?」

 じつは,まだ大事なことを説明していませんでした。それは,「みんなの買い物」というときの「みんな」というのは,私たち1人1人のような「個人」だけではない,ということです。

 経済において「買い物をする存在」は,大きく分けてつぎの3つがあります。

 ①個人(家計)  ②企業  ③政府(国や自治体)

 この「買い物をする存在」のことを「経済(の)主体」といいます。「経済における行動の担い手」ということです。

 企業というのは,製品やサービスをつくったり売ったりするのが仕事ですが,その仕事をするためにパソコンを買ったり,本社のビルを買ったり,工場を建てたり機械を買ったり,いろんな「買い物」をしています。工場の建設のような企業が事業を拡大するための大きな買い物を「設備投資(または単に投資)」といいます。

 政府も同じことです。役所にある机もパソコンも,買ってきたものです。道路をつくったり,学校や病院を建てたりといった公共事業は,政府の大きな「買い物」といえるでしょう。何かの公共サービスの活動を生み出したときは,そのサービスを行う人たちに政府が支払った報酬や賃金も,GDPの世界では「政府の買い物」としてカウントします。

 「個人」は経済学では「家計」といいますが,とっつきにくい言い方なので,この本では「個人」にします。
また,ここで「企業」というのは,純粋な民間企業だけでなく,政府や自治体の経営する公営の企業もふくみます。

 ここまでをまとめると,こういう「公式」になります。

日本の総買い物額
 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物


 「その国の経済は,個人と企業と政府の買い物が合わさってできている」といってもいいです。
「買い物額が1人平均年間360万円というのは多すぎるのでは?」と思った方は,たしかにそのとおりで,この「360万円」には,企業や政府の分もふくまれていたのです。だから,「個人の買い物の1人あたり平均」は,360万円よりは少ないです。


主体別の内訳

 では,日本の総買い物額=GDPに占める「個人」「企業」「政府」のそれぞれの割合は,どうなのでしょうか?

【問題】
現在の日本のGDPで,最も多くの割合を占めているのは,つぎのうちのどれだと思いますか? 

予想
ア.個人による買い物
イ.企業による買い物
ウ.政府による買い物


***


 つぎの帯グラフは,今の日本のGDP=総買い物額の内訳です。個人による買い物がGDP全体の60%を占めています。GDPの最も多くの部分は,私たち個人の買い物が占めているのです(2010年度のデータですが,最近もこの割合は大きく変わりません)。

GDP内訳

 ここでいう「個人の買い物」には,「個人消費」と「住宅の購入」があります。住宅の購入は,統計のうえでは,日常的な買い物である「消費」と区別するのです。ただ,住宅購入の額は,個人消費よりずっと少ない(20分の1ほど)ので,個人の買い物≒個人消費と言っていいです。

 日本の1年間の個人消費(+住宅購入)の総額は,286兆円。1人あたりだと,286兆円÷1億2800万人≒220万円。
 これが「個人の年間の買い物額の平均」なら,多くの人の生活感覚ともそんなにズレていないのではないでしょうか。

 なお,個人,企業,政府の買い物のほかに「非営利団体」による買い物もあります。「非営利団体」とは,病院,学校,宗教法人などです。

 また,GDPには「純輸出」という項目もあります。年間の輸出額から輸入額を引いたものです。外国の人(個人,企業,政府)が日本でつくりだしたモノやサービスなどを「買い物」してくれた額,とイメージすればいいでしょう。純輸出じたいが日本のGDPに占める割合は今は高くありませんが,輸出の動向は経済に大きな影響をあたえます。多くの企業の設備投資などに関わってくるからです。

 そこで,GDPの内訳の式をつぎのように改訂します。

GDP=個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物+純輸出(外国からの買い物)


国の経済の内訳を知る

 「景気がいい・悪い」というのは,「みんなの買い物額=GDPが増える傾向にあるか,減る傾向にあるか」ということです。

 そして,GDPの最も大きな部分は,個人の買い物(「個人消費」というのと,ほぼイコール)なのです。だから,景気がよくなる・悪くなるということに対して,私たち個人の動きは,きわめて大きな影響をあたえるということです。

とにかく,この「公式」は重要です。

GDP=個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物+純輸出(外国からの買い物)

 こういう内訳を知るのが重要なのは,国の経済がどういう要素で成り立っているかを知ることだからです。それは,景気低迷などの問題があるときに,どこに原因があるのか,どういう対策をとるべきか,といったことを考える入り口になります。

 会社の経営でも,会社全体の数字だけでなく各部門別の売上などの数字をみて,どの部分に問題があるのかを把握しようとします。それと同じようなことです。

(以上)
2015年09月28日 (月) | Edit |
 先日,安倍首相が2020年に向けた経済政策の方針として「GDP600兆円を目標とする」と発言しました。
 GDPという数値を前面に出して,大きな政策目標を打ち出すのは,近年ではめずらしいのではないでしょうか。

 その意味で,目標の実現可能性はともかく,注目してよい発言だと思います。
 あらためて,GDPや経済のことについて考えてみるよい機会ではないかと。

 そこで,「そもそもGDPとは何か」という話をしたいです。
 以下は,これまでこのブログで以前にアップした記事を編集・改訂したものです。何回かのシリーズにするつもりです。

 再々放送になるのですが,何度も取りあげてよい内容だと思っています。
 それだけ,GDPの概念は私たちが社会を理解するうえで大事なものです。
 
 *** 

国内総生産・GDP

 あなたは,「GDPとは何か」と聞かれて,自信を持って「わかっている」と言えますか?

 別の言いかたをすれば,「〈GDPとは何か〉を中学生に説明できるか?」ということです。私の友人たちに聞いてみると,「だいたいのことはわかっている」という人でも,「子どもに説明するとなると,ちょっと自信がない」と言います。

 GDPというのは,英語の頭文字をとった言葉です。日本語では「国内総生産」。
 しかし,「コクナイソウセイサン」というのは長くて言いにくい。そこで英語の

 ross(グロス=英語で「全体の」「総」と言う意味)
 omestic(ドメスティック=国内の)
 roduct(プロダクト=生産)

の頭文字をとったGDPという方を,よく使います。


「総買い物額」のイメージ

 GDPとは,一言でいうと「国全体の,みんなの1年間の買い物の総額」のことです。

 つまり,みなさんがスーパーで食料品を買ったり,デパートで服や靴を買ったり,ローンを組んで自動車やマンションを買ったり,美容院に行ったり,旅行で電車に乗ったりホテルに泊まったり……そんなふうにして,日本じゅうで1年間に使った金額です。
 この「買い物額」の合計(総買い物額)がGDPです。

 「四半期(3ヶ月)」のGDPというのもありますが,より一般的なのは「1年間」でみた数字です(この記事では「GDP」というときは,とくに断らないかぎり1年間のGDPです)。

 「何を買うか」は,モノを買う場合とサービスを買う場合があります。食料品や洋服や自動車やマンションを買うのは,モノを買うこと。髪を切ってもらう,電車に乗る,ホテルに泊まる,というのはサービスを買っています。理容のサービス,輸送のサービス,宿泊場所の提供というサービスです。

 「GDPは総買い物額である」というのは,うんと単純化した説明です。補足すべき点もあります。しかし,最初に入るときのイメージとしては,とりあえずこれでいいのです。

(補足,ある程度の知識を前提にした説明です)
 この説明について,「一般的な説明とはちがう,と感じる人もいるかもしれません。よくある入門的な説明では「GDPとは生産された付加価値の総額」と述べることが多いです。もちろん「付加価値」という説明は正しいのですが,「付加価値」の概念は,まったくの初心者にはとっつきにくいと思います。
 GDPには,生産(付加価値)・支出・所得という3つの面があります。そのなかで初心者に最もイメージしやすいのは,支出つまり買い物ではないかと思っています。また,「GDPの最も多くを占める個人消費が・・・」「経済成長のためには,投資がもっと増える必要がある」などというときは,「支出」としてのGDPを論じています。経済の議論のなかでは,「支出としてのGDP」が論じられることが多いのです。



日本のGDPの額

ここで,問題です。

【問題】
現在(2010年代)の日本のGDPは,どれくらいだと思いますか?

予想
ア.50兆円 イ.100兆円 ウ.300兆円 エ.500兆円

***

 2012年度の日本のGDPは,約470兆円です(以下,「約」は略します。こういう議論では詳しい数字は不要です。最初の一ケタか二けたで十分)

 これは「名目値」(名目GDP)といって,物価変動を計算に入れないナマの数値。 「名目値」に対するのは,物価変動をもとに加工した「実質値」(実質GDP)というもの。たとえば,GDPの名目値が年間で1%増えたとしても,物価が1%上昇していれば,実質値でみればGDPの増加は0%となる。
 今回安倍首相が目標にかかげた「600兆円」は,名目値です。

 日本のGDP(名目値)のピークは、1997年の520兆円でした。
 それからみれば50兆円くらい減っているのです。
 
 「470兆円」というのは,「500兆円まではいかない,それをやや割り込んだ数字」と理解すればいいでしょう。

 日本のGDPは470兆円。
 
 これは,「日本の人口は1億2800万人(2012年現在)→1億3千万人」という数字とともに,ぜひ知っておいてほしい数字です。

日本経済を知る最重要の数字
 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 470兆円



政府が算出する数字

 そもそも,GDPは,どうやってわかるのでしょうか?
 GDPは,政府が算出する統計数値です。しかし,政府が「すべての人の買い物を調べて合計している」わけではありません。

 そのかわり,政府はモノやサービスの売り手である企業に対して,売上などの状況を調査しています。各社の会計帳簿にもとづいたデータです。企業の売上は,結局はお客さんであるみなさんの買い物です。だから,そこからGDPがわかるのです。
 このほかにも,政府は国の経済や社会の様子をつかむため,つねにいろいろな統計調査を行っています。

 GDPは,企業の売上をはじめとするさまざまな調査のデータをもとに,政府の専門家がいろいろな計算をして出した数字です。これには,たいへんな手間がかかります。だから,信頼できる数字を出すには,しっかりした政府や企業の組織が,社会に存在していることが必要です。

 ***

1人あたりGDP

 GDPは,「国全体の,みんなの買い物額」です。これを国の人口で割った「1人あたりGDP」という数値があります。これも,社会や経済を知るうえで重要な数字です。
買い物の額というのは,実際には人によってまちまちですが,平均値を求めたのが,1人あたりGDPです。

 2010年度の日本の「1人あたりGDP」を計算してみます。

 GDP470 兆円÷1億3千万人=およそ360万円/人
 (465兆億円) (1億2750万人)

 「360万円」というのは,さらにドンブリで「300何十万円」でもいいです。
 この計算結果も,「最重要の数字」のリストに加えましょう。

日本経済についての最重要の数字(2012年)

 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 470兆円
 ・日本の1人あたりGDP 360万円/人 


 1人あたりGDPは「その国の経済発展の度合い」を測るモノサシとして,使われています。これに対しGDPは,「その国の経済の大きさ」を示す数値です。

 日本の1人あたりGDPが「370万円」というのは,世界のなかで上位のほうに位置します。アメリカ,ドイツ,フランス,イギリスといった世界のおもな先進国の1人あたりGDPも,日本円に換算して300万~400万円台ですので,それと肩を並べる水準です。

 これらの先進国にくらべ,たとえば中国の1人あたりGDPは日本の8分の1ほどの水準です。お隣の韓国は日本の半分ほど。

 このように日本の1人あたりGDPは世界の中で高いほうです。とはいえ,一昔前より「順位が下がった」といわれるし,事実そうなのですが,ここでは立ち入りません。

 また,世界には1人あたりGDPが「数万円」という国もあります。アフリカやアジアで「最も貧しい」と言われる国は,その水準です。


数字の背後に,暮らしや社会がある

 「1人あたりGDPが大きい」ということは,その国では多くの人が活発な経済活動をしているということです。たくさんの高価な買い物をしたり,いろんな場所へ仕事や旅行で出かけたりする人が大勢いるのです。

 そしてそれは,そんな「人びとの活発な活動」を支えるさまざまな社会のしくみや設備が整っているということでもあります。
 無数の立派な工場やオフィス。国のすみずみまでいきわたった交通・通信網。いろいろ不満や問題はあるにせよ,まあまあまともに機能する政府と行政機関。さまざまなモノやサービスが並ぶショッピングセンターや繁華街。家庭にはモノがあふれている……

 そして,それだけの設備やモノを作り出せるだけの発達した産業があります。
 このような国が,一般に「先進国」といわれるのです。日本はそのひとつです。

 一方,1人あたりGDPがごく小さい国では,多くの人びとは,高価な買い物をすることも,自分の住む村や町を出ることも,あまりありません。人びとが活発に動きながら暮らすためのしくみや設備も不十分です。家財道具も,つつましい。

 このような国は,「発展途上国」といわれます。
 このように,「1人あたりGDP」という数字の背後には,その国の暮らしや,社会全体のあり方が存在しているのです。

 ***

 さきほど,「GDP÷人口=1人あたりGDP」である,と述べました。ここからちょっと踏みこんで,つぎのような式で,国の経済をイメージしてみましょう。

1人あたりGDP × 人口 = GDP(その国の経済)

 日本の1人あたりGDPは360万円。人口は1.3億人。
 これを,こう考えるのです。

「年間に1人あたり平均で360万円ほどの買い物をする国民が,1.3億人集まって,日本経済ができている」

 それだけの活発な経済活動をして暮らす人たちが1.3億人集まっている,ということです。その結果,GDPで400何十兆円という経済になっている。

 結局のところ,「1人あたりGDP×人口=GDP」という式は,「1人1人の暮らしが集まって,その国の経済ができている」といっているのです。

 1人1人の暮らしが集まって経済はできている。

 これは,すべての基本となる,だいじなイメージです。「経済なんて,むずかしく考えなくても,要するにそういうものなんだ」と思ってもらってもいいです。

 そのイメージを式であらわすと,「1人あたりGDP×人口=GDP」となるわけです。

 1人あたりGDP,人口,GDPの関係を図で表すと,こうなります。タテ軸に人口,ヨコ軸に1人あたりGDPを取ると,国のGDPは,つぎの図のような長方形の面積であらわすことができます。

1人あたりGDP×人口

 ふつうは,「GDP÷人口=1人あたりGDP」という説明だけなのですが,「1人あたりGDP×人口=GDP」というのは,私なりの独自な見方だと思っています。ほかではまずみかけません。「ある経済的な活動レベル(平均値)をもつ個人の集合体」として国の経済をみるわけです。

 その「経済的活動レベル」をあらわす代表的な数字が「1人あたりGDP」ということです。

(以上)
2015年04月04日 (土) | Edit |
 ひさしぶりに経済のことについて書きます。
 アベノミクスで景気が今どうなっているのか,という話です。
(末尾に4月5日付記「安倍政権の目標について」もあります)

 アベノミクスが描いていたシナリオは,こんな感じでしょう。
 
 その1
 大規模な財政出動(公共事業など)で景気を刺激しつつ,
 金融緩和(金融の現場に大量のお金を送り込む)を行う。

 その2
 金融緩和は,株価の上昇や円安をもたらす(どうしてそうなるかは省略)。
 株価が上昇すれば,それで利益を得た人たちの財布のヒモは緩むだろう。

 その3
 円安は日本の輸出産業にとって有利に働くので,
 輸出増をもたらす(どうしてそうなるかは省略)。

 その4
 その後「成長戦略」もを打ち出していく(どんな戦略かは省略)。
 財政出動や金融緩和の効果とあいまって,企業の業績は改善する。

 その5
 業績が改善した企業は,今後のさらなる需要増も見越して,
 設備投資を増やすだろう。

 「もしも物価上昇が期待されれば,実質金利の低下が見込まれるので,
 借金をして設備投資をする意欲も高まる」という面もある(その説明も省略)。

 その6
 さらには雇用や賃金も増えて,家計も潤うはず。
 そうなると,多くの人たちが消費(買い物)を増やし,
 個人消費も伸びていく。


 個人消費はGDP(日本全体の総買い物額とイメージしましょう)の6割を占めています。
 つまりGDPの最も主要な部分。これが伸びて行けば,景気回復は軌道に乗ったといえます。「景気がいい」とは「GDPが順調に増えていく」ことです。

  関連記事:GDPでみる経済入門2 GDPの内訳
         ざっくりと,経済全体の話         
 
 ***

 アベノミクスではまず「その1 大規模な財政出動と金融緩和」を行いました。
 そして「その2 株価上昇,円安」は現実になりました。
 株価上昇による利益を得た人やその周辺の羽振りがよくなる,ということも起こっています。

 しかし「その3 円安による輸出の増加」は,今のところ起きていません。
 少なくとも2014年いっぱいまでは,そうです。
 ただし,年末から今年にかけてわずかに輸出が増えているという統計も出ています。
 
 なぜ輸出がのびないのか?
 円安になると,円高のときよりも安い値段で輸出できるのに。安ければもっと売れるはずなのに。
 ひとことでいえば「日本の産業の活力が落ちている」ということなのかもしれません。

 ただし「日本の輸出は,今は高付加価値のものが中心で,そういう製品は価格の変動による影響を受けにくい(値段でなく品質・性能で売れているから)」という面を強調する専門家もいます。
 だとすると「日本の産業の高度化・成熟化」が,「円安でも輸出がのびない原因」ということになります。
 あるいは,「活力低下」と「高度化・成熟化」の両方の面があるのかもしれません。

 「その4 企業の業績回復」というのも,ある程度実現しています。
 大企業(資本金10億円以上)の経常利益の合計は,2年前とくらべて何割か増えています。

 問題は,そこから先です。
 「その5 設備投資の増」と「その6 雇用・賃金の増→個人消費増」は,ほぼ起こっていません。

 直近の「景気の底」といえる2012年10月~12月期と比較して,
 その後2年間のGDPのおもな項目の伸び率(年間あたり)は,つぎのとおりです。

 民間消費 マイナス0.01%
 民間設備投資 1.8%増
 公的資本形成(公共投資) 8.1%
 
 (日経新聞 2015年3月11日「経済教室」宮川努教授のレポートより)

 ***

 「雇用・賃金の増加」については,去年の衆議院総選挙のころ,安倍総理が「この2年ほどで雇用が100万人以上増えた」と言っていました。たしかに,アベノミクス以降,求人の数は急速に増えました。
 しかし,増えたのはおもに非正社員の雇用です。正社員は十数万人減っているのです(ただし新卒などの若い人の求人では正社員ははっきりと増えている。しかし就職市場のほんの一部といえる)。
 さらに,増えた雇用の5割強は65歳以上の非正社員です。
 
 また,「増えた雇用がおもに非正社員」ということとも関連しますが,雇用者報酬(働く人たちが受け取る賃金の国全体の合計)は,増えていません。物価を計算にいれた「実質値」でみると,少し減っている。
 これでは消費に火は付かない。消費税を8%に上げたことや,一定の物価上昇という逆風もあれば,なおさらです。

 ただし,この2月には久々に非正社員が減り,正社員の伸びが大きかったという統計も出ています。人手不足の中,一部の企業で,スタッフの正社員化をすすめ人材を確保しよう,という動きもあります。これもまた一部の企業ですが,積極的な賃上げの動きもあります。また,さきほど述べたように「今年に入ってわずかに輸出が増えている」ということもあるわけです。

 まとめると,「この2年で,GDPの増加というかたちでの明確な景気回復はおきていない。しかし,一部に明るい兆しもある。だがしかし,それほど力強いものではなく,先行きは不透明」といったところでしょうか。「先行き」のカギとなるのは,多くの専門家がいうように,「設備投資」や「雇用・賃金」に火が付くかどうかということです。

 ***

 つまり,現時点では企業はそれなりに利益をあげているのに,正社員の雇用を増やしたり,給料を上げたり,設備投資を積極的に行ったりということをしていないのです。もちろん,企業によってちがいますが,全体の傾向としてはそうなっている。
 そのぶん,企業は手持ちのお金(内部留保)を増やしています。

 どうしてそうなるのか。
 「グローバル経済のなかで新興国と競争するには,人件費を増やすわけにはいかない」「不透明な環境のなかでは,内部留保をしっかりと確保して,何かあったときに備えないといけない」等々の説明はできるでしょう。

 でも,根本にあるのは「リスクをとらない,安全志向」ということでしょう。
 人(とくに正社員)を増やすのも,設備投資をするのも,成長に向けてリスクを取ることです。
 それを回避して,現金や国債のような安全資産をため込もうとする。
 
 これは,ようするに「保身」ということです。
 企業の意思決定を担う人たちの保身。
 
 今の日本企業は,そういうスタンスの経営者や株主が主流であるということです。
 経営者側としては,「昔とは環境がちがう。今の時代の経営はむずかしいのだ」ということなのでしょう。
 たしかに,昔の右肩上がりのころとは環境が大きくちがいます。だから「今の経営者は無能だ」と決めつけるわけではありません。でも,「リスクが取れないでいる」というのは,現実だということです。

 企業のかじ取りをする人たちの「保身」の姿勢が,景気回復のボトルネック(妨げ)になっている。
 
 そう考えると,「景気回復が思うようにはすすまない」ことについて,「安倍政権がいけない」「政治がいけない」とばかり言えない気がするのです。
 企業の経営者やその周囲にいる,かなり大勢の人たちの意思やスタンスが,かかわっているのですから。
 
 「リスクを取らない経営者」を「それではダメだ,無責任だ」と批評することはできます。
 リーダーなんだから,リスクのある,大変なことに取り組んでもらわないと困ります。

 でも,「リスクを取りたがらない」のは,経営者だけの話ではないはずです。

 今の日本では,多くのふつうの人たちも,リスクを取るのはイヤなのだと思います。たとえば,若い人たちのあいだで公務員や公益法人が就職先として非常に人気が高かったりする。庶民がリスクを避けようとするのは当然ですが,その傾向が一層強まっているように,私は感じます。私たちの多くは,すでにかなりのいろいろな財産や権利や,あるいはそれらを手に入れる可能性を持っていて,そうした利益を失うことを恐れるようになっているのです。

 今の経営者の姿勢は,そんな日本人全体の様子を代表しているのかもしれません。

 「今の経営者はダメだ」というなら,私たちは自分の身近で「リスクをとって新しい何かに挑戦する人」がいたときに,応援しているでしょうか?
 じつは冷ややかにみていたり,非難や反対をしたりしていないでしょうか? 

 リーダーが選んだ「無難に,安全に」という路線を,私たちも支持していないでしょうか? 積極的に新しいことに挑戦する自分の会社の経営者を,「めんどくさい存在」として嫌っていないでしょうか? 
 そんなふうに,自問してしまうのです。

 ***

(2015年4月5日付記・安倍政権の目標について)
 アベノミクスについて「大企業や金持ちに利益をもたらすばかりで,庶民の暮らしは悪化した。貧困や格差は拡大している。それがアベノミクス=安倍政権の本質であり,意図するところなのだ」という見方があります。「大企業や金持ち優先で,庶民・大衆はどうでもいい」のだと。

 それはちょっとちがうのでは,と私は思います。景気刺激などの経済政策は,たいていは大企業やお金持ちに有利に働きます。極端な社会福祉政策をとらず,自由主義的な経済運営のスタンスをとるなら,そうなるのです。資本主義というのは金持ちに有利にできています。そして「経済をうまく運営するには,基本的には自由主義しかない」という考えは,それなりに合理的で有力なものではないでしょうか? 私もその立場です。

 そして,安倍さんは「最初は大企業や金持ちに利益があるはずだが,それはやがて大衆にも波及するはずだ。アベノミクスによって,社会の多数派もハッピーになれるはずだ」と本気で思っているのではないかと,私はとらえています。
 
 なぜなら「大衆にも喜ばれる成果をあげること」が,彼の最終的な政治目標にとって,ぜひとも必要だからです。
 つまり,「憲法改正」を実現するには,大衆の圧倒的な支持が必要です。
 これまで以上に幅広い,深い支持が。

 そのためには,アベノミクスを成功させないといけない。圧倒的多数の人が「おかげで暮らしがよくなった,安倍さんに拍手!」と感じるようにならないといけない。

 人は,ときに不合理な目標を抱くこともあります。
 しかし,その目標を実現するための手段が,案外合理的であることも多いです。
 「憲法改正」という目標が「不合理」かどうかはおいておきますが,内外で反対の多い目標であることは事実です。
 安倍さんは,憲法改正という批判の多い最終目標を達成するために,「経済運営を成功させ,多くの人の暮らしを向上させる」という,じつにまっとうな中間目標を設定しているのだと思います。

 政治的な大目標を達成するために,経済政策を成功させる。

 そのようなケースで最も有名なのは,ヒトラーです。ヒトラーは大恐慌で混乱していたドイツ経済を,積極的な公共投資などで見事に立ち直らせ,失業を一掃したのでした。それが,ヒトラーの最初の大仕事でした。その成果をもとに,彼は独裁者としての地位を固め,侵略戦争を開始して,「ドイツによるヨーロッパ制覇」という,かねてからの大目標の実現に向け本格的に動き出したのです。ヒトラーは,政権の座につく以前には,経済政策にはあまり関心がなかったといいます。

 くれぐれも,安倍さんをヒトラーのようだと言っているのではありません。安倍さんは,もっと常識的な,現代日本の政治家です。でも,「自分の本来の政治目標を実現するために,手段として経済政策にまず力を入れる」ということが,有力な政治家の歩む道として,あるのだということです。

(以上) 
2014年04月26日 (土) | Edit |
 この1~2カ月,日経新聞を漫然と読んでいるだけでも,雇用環境や賃金の動きに,ここ数年とはちがう動きが出てきたのがわかります。

 日経の記事の見出しなどをいくつか紹介すると,

《小売り,建設費高騰で出店抑制 イオンは2~3割減 外食,サイゼリヤは2割減》(3月9日朝刊)

《建築資材の値上がりに建設技能者の不足が重なり,商業施設の建設費は5割近く上昇》
なんだとか。

 **

 牛丼の「すき家」が,人手不足で一部店舗が営業できなかったり,営業時間縮小となっていることは,テレビでも報じられてご存じの方も多いと思います。その件にかんする「すき家」を運営するゼンショーの対応についての記事も。組織改革を行い,採用や労務管理のあり方を変えていくのだそうです。

《「すき家」7地域に分社 ゼンショー 人出不足,採用柔軟に》(4月17日朝刊)

 この記事では小売・外食各社の《人材確保に知恵を絞る》いくつかの動きを一覧表で紹介しています。《ファーストリテイリング 国内の「ユニクロ」で働く1万6000人のパート・アルバイトを正社員に》《セブン―イレブン・ジャパン アルバイトの応募者向けコールセンターを本部が設置し,加盟店の求人を支援》《イオンリテール 有期雇用者の一部に正社員とほぼ同じ福利厚生制度を提供》……

 **

 同じ4月17日に,大手企業の労使交渉の記事も。

《賃上げ,16年ぶり7000円台 経団連集計 大手企業,ベアが寄与》(4月17日朝刊)

《大手企業の今春の労使交渉の賃上げが16年ぶりに高水準となった。経団連が16日に発表した労使交渉の1次集計によると,大手企業の定期昇給とベースアップ(ベア)などを合わせた月額の賃上げ額は平均7697円で1998年以来の7千円台となった》


 賃金の増加には,勤続年数が1年伸びるごとに増える「定期昇給」分と,全員の賃金を底上げする「ベースアップ(ベア)」分と,ボーナス(一時金)があります。

 このなかでベアは,その企業の賃金表(勤続年数や役職などに応じていくらの賃金を支払うかを定めた規定)を書きなおすことになるので,将来にわたっての人件費増につながります。そこで,昨年までの労使交渉では,企業は利益があがってもベアには踏み切らず,一時金で従業員に還元することが多かったのです。
 
 しかし,記事によると今春は《業績が好調な企業を中心にベアが相次いだことが(賃上げの)数字を押し上げた》とのこと。

 **

 来年春の大学卒業者の採用計画でも,採用増の傾向が出ています。

《大卒採用 来春16%増 6年ぶり10万人超 小売・建設伸び 本社最終集計》(4月20日朝刊)

《日本経済新聞社は19日,2015年春の採用計画調査(最終集計)をまとめた。大卒は全体で14年春の実績比16.8%増の11万1505人と6年ぶりに10万人を突破。旺盛な採用が続く小売や建設などの非製造業は18.5%と4年連続で2ケタ伸びた》


 私は,若年者の就職支援の仕事にかかわってるので,このあたりのことは「現場」の感覚としてもわかります。

 上記の記事は大企業にかんするものですが,その筋の関係者から聞く,東京地域の中小企業の来春の新卒採用の計画も,はっきりと増加傾向にあります。この4月に出された「来春の大卒者の求人」が,その件数・人数とも,昨年同期にくらべ大幅に増えているのです。それも,少なくとも「何十%増」といった増え方です。

 **

 地方の雇用の状況にかんする記事もありました。

《求人倍率,違う角度でみると… 地方の雇用 本当は元気》(4月21日朝刊)

 これは「厚労省の発表する有効求人倍率」を実態に即して補正することで地方雇用の実態をみる,という記事。

 「有効求人倍率」とは,「現在有効な,ハローワークの求人数÷ハローワークの求職者数」。職を探している人(求職者)1人あたりで,何人分の求人があるか。この「倍率」が高いほど,仕事はみつかりやすくなります。

《厚生労働省が公表するのは,本社所在地ごとの有効求人倍率。東京都に本社があるスーパーが青森県内の店の求人を出すと,原則として東京都の求人として掲載するため都市部が上昇しやすい。これを就業地別に青森県の求人として数え直すと,地域雇用の実態がみえてくる。
 2013年の実績を本社地別でみると東京都が1.33倍で首位。(しかし)就業地別で計算すると1.00倍と大きく下がり,15位まで転落する》


 東京は15位で,1位から14位は地方の各県になっています。1位福島,2位宮城,3位福井,4位愛知,5位富山,6位香川,7位岡山,8位三重,9位岐阜,10位島根……

 以上は2013年(昨年)の統計ですが,大規模なまとまった統計というのは,どうしてもそうなってしまうのです。
 ただし,「地方の雇用 本当は元気」は言い過ぎで,あくまで「地方のなかには,雇用にかんし,東京よりも元気なところがかなりある」ということです。

 また,この記事では,「地域格差」ということについて,つぎの指摘もあります。

《今回の景気回復局面は,都市と地方の雇用がバランスよく持ち直しているのが特徴だ》

 この点を,地域別の有効求人倍率のグラフ(2000~2014年)を示して述べています。

《かつては輸出産業が多い首都圏や中部圏に求人が集まり,地方は雇用回復の恩恵を受けられないケースもあった。今回は公共投資だけでなく医療・サービスなど内需が主導しており,回復の裾野は広がっている》

 ***

 数か月前には「景気が動きはじめているのでは」という世間話をすると,「そんなのは一部の話で,我々には実感はない」といった反応が「相場」でした。
 今でも「世間話の受け答え」としては,そうなのかもしれません。
 80年代のバブルが終わって以降,世間話で「景気がいいですね(よくなってきましたね)」とは,めったに言いません。

 しかし,最近の状況をみると「経済が大きく動いている,潮目が変わってきた」というのが,かなりはっきりしているようです。

 「雇用状況が改善したといっても,私は就職で苦労している」という方も,もちろんいると思います。
 上記の記事で「明るい兆し」が多少ともあるのは,おもに若年者や大企業の社員です。
 この人たちは,「買い手が比較的多い」「労働者として恵まれている」等,日本の就職・労働市場における「強者」といえるのです。

 その「強者」以外の人たちには,「改善」が実感できないとしても,無理はありません。

 また,労働市場での需要が高まっている事例として,上記の記事が取りあげていたのは,建設,飲食,流通,介護といった分野。これは,職を求める若い人たちのあいだでは「人気」とはいえない領域です。その背景には賃金や仕事の面での「きびしさ・キツさ」がある。少なくとも,そのようなイメージがある。

 その他のいわゆる人気企業・人気業界をめざす人からみれば,「就職がたいへん」という状況は,変わらないことでしょう。

 それでも,経済で「何かが動いている」ことは確かです。
 とりあえず,この点は確認しておきましょう。

 「これでみんながハッピーだ」などとは言っていません。
 今の状態が「いい」のか「悪い」のか,「満足のいく状態か,そうでないか」といったことは,今はおいておきましょう。とにかく,この数年の日本経済でみられなかった何かが,今起こっている。

 「これはアベノミクスの成果だ」「いやそうではない,あんなものは…」といった議論や,「一部で景気回復があっても,それに取り残された人はどうなる?」といった意見もあるでしょう。
 「日経新聞なんて,政財界の提灯持ち。あんな新聞に載ったことを真に受けてはいけない」という意見も見聞きします。

 それらはもちろん,考えるに値する視点です。

 でも,世の中には,そのような「疑問の言葉」とともに,現状を認識することをやめてしまう人がいます。空模様が大きく変わってきたのに,それをみようとしない人がいる。

 まずは,「空模様」を,価値観のフィルターなしで,みてみましょう。そのうえで,それがいつまで続くのか,何をもたらすのか,自分はどうするのがよいか等について考えていきましょう。「空模様」の変化を無視して考えるのは,やめたほうがいいでしょう。

(以上)
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月27日 (月) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」の5回目。
 今回は「GDPでないもの」というテーマです。
 
 「これはGDPなのか?」と迷う事柄で,やはりGDPには含まれない,というものがあります。それがどういうものであるかを知ると,「GDPとは何か」がよりはっきりしてくるはずです。
 
 いろんな経済上の事柄について「これはGDPなのか?」という質問を,先日読者のピピネラさんからいただいています。ご質問の多くは,この回で展開したいと思っていたことにかかわります。


GDPでないもの


貨幣経済の外にあるもの

 これまで,「GDPとは」ということを述べてきましたが,ここで,「GDPでないもの」について述べていきます。
 そのことによって,「GDPとは何か」が,よりはっきりするでしょう。

 まず,貨幣経済の外にあるもの,つまりお金で売買されないものは,それが何らかの価値を生み出す活動であっても,GDPに含まれません。(ここでいう「貨幣経済」は,「市場経済」ともいいます)

 たとえば,主婦の家事労働は生活にとって重要なサービスを生み出していますが,お金で売買されないので,GDPには含まれません。しかし,家事労働を家事代行サービスの会社が行う場合は,そのサービスはお金で売買されているので,GDPに含みます。

 また,自給自足的に生産されたものも,売買されていないので,原則としてGDPには含みません。
 しかし,例外として,農家の自家消費分,つまり農家が自分でつくった作物を自分の家で消費した場合は,GDPに含みます。農家の自家消費は,自給自足的な消費としては比較的大きなものなので,これをGDPに含めないと,経済の実態をゆがめてとらえてしまう,という考えからです。

 このようにGDPは「貨幣経済の世界」だけを対象にしています。
 ということは,貨幣経済の発達した社会でないと,GDPというものは成立しないわけです。

 たとえば,日本では平安時代くらいまでは,貨幣経済はきわめて未発達で,お金によるモノやサービスの取引は,ごく限られていました。だから「平安時代のGDPは?」という問いかけは,ほとんど意味をなさないといえます。

 GDPから経済をみることができるのは「近代的な経済」かぎられる,といってもいいでしょう。


金融のお金の流れ

 モノやサービスの売買と同じように,お金のやり取りが行われていても,GDPには含まれないものがあります。
 これは,「金融のお金の流れ」というものです。

 「金融のお金の流れ」とは何か?
 これは,基本としては「お金を貸す」ことだと考えてください。
 「金融の基本は,お金の貸し借り」ということです。

 「お金を貸す」というのは,「返してもらう」という前提の,お金の流れです。たいていは,返済の期限があり,利子を払う約束がつきます。利子とは,お金を貸してくれたことに対するお礼,あるいはお金のレンタル料のようなものです。

 これに対し,GDPに含まれる「買い物」のお金の流れは,お金を支払って,そのかわりに商品(モノやサービス)を手に入れることです。
 
 AさんがBさんに100万円を貸す。そこで100万円のお金が動いていますが,この「お金の流れ・動き」は,GDPには含みません。そこには「モノやサービスの売買」ということがないからです。
 単に「100万円」というお金の置き場所がAさんの財布からBさんの財布に変わっただけ,ともいえます。
 
 私たちが銀行に預金するのも,「お金を貸す」ことの一種です。
 銀行預金の利子は,銀行が私たちに借金の利子を払っているのです。預金を銀行から引き出すのは,貸したお金を返してもらっているのです。

 銀行は,私たちから借りたお金を,企業に貸しつけたり,国債や株などの証券を買ったりして「運用」しています。

 「国債を買う」というのも,「お金を貸す」ことの一種です。
 新たに発行された国債を誰かが買うと,その買ったお金は国の金庫に入ります。そして国は,国債を発行したときの約束にしたがって,国債の保有者に利子つきで借りたお金を返していくのです。

 「株を買う」というのも,その株式を発行した会社にお金を貸しているのに近いです。
 ただし,ふつうの貸し借りではなく,「お金を受け取った株式会社は,事業の利益が出た場合に配当という形で,お金を出した人(株主)にお金を返す」ことになっています。

 こういう特殊なお金の流れは,「貸す」とはいわず「出資」といいます。
 「出資」は「貸す」から派生した進化系といっていいでしょう。
 
 以上のような「お金の貸し借り」「その進化系である出資」ということが,「金融のお金の流れ」の中心です。
 この「金融のお金の流れ」は,GDPには含まれないのです。

 そして,国債や株式の売買には,「最初にそれが発行されたときの売買」と,「一度発行されたものを,他人に譲渡する売買(転売)」があります。今述べたのは「最初に発行されたときの売買」のイメージです。
 そして,「一度発行された証券を転売する」ことも,やはりGDPには含みません。
 これも,お金や証券(株や国債)の持ち主が変わっただけで,新たな付加価値が生まれたわけではない,ということです。

 土地の売買も,これと同様の考えでGDPには含めません。
 土地が売買されても,お金や土地の持ち主が変わっただけ,ということです。

 ただし,銀行が企業にお金を貸すなどして受け取った利子は,GDPに含めています。
 銀行が受け取った利子は,「金融のサービス」という付加価値の対価として位置づけられています。「お金を必要とする企業にお金を融通する」というサービスを提供したのです。銀行などの金融機関は,そのような「金融のサービス」を生産しているわけです。

 また,不動産の売買で不動産会社が得る仲介手数料も,「仲介サービス」の対価であり,GDPに含まれます。

 やや性質は異なりますが,中古品の売買も「持ち主が変わっただけで,新たな付加価値の生産がない」ということで,GDPに含めません。

 
「国内」と「国民」

 結局,「GDPでないもの」は何か?については,以上述べた2つのことをまずおさえましょう。

 (GDPでないもの)

 ・お金で売買されないもの
 ・金融のお金の流れ


 この2つは,いわば基本です。このほかの「GDPでないもの」の知識は,枝葉に属するといっていいです。

 「枝葉」の中の最も代表的なものは,「GDP=国内総生産」と「GNP=国民総生産」のちがいです。
 「国内」と「国民」のちがい。

 「国内総生産」だと,日本在住の外国人の所得は含まれ,外国在住の日本人の所得は含まれません。
 「国民総生産」だと,日本在住の外国人の所得は含まれず,外国在住の日本人の所得は含まれます。

 このように両者はちがいますが,基礎となる「生産」の概念は同じです。つまり,貨幣経済のなかで取引される付加価値の生産を対象としており,金融のお金の流れを含まない,という「幹」の部分は同じなのです。

 ***

 それから,「輸出・輸入」といった海外とのやりとりのことは,これまで触れてきませんでした。
 これは,後の章できちんと述べます。
 「海外とのやりとり」のことは,国内の経済をみるのとはやや異なる視点や発想があるので,別に扱ったほうがよいと考えるからです。

 とりあえず,

 「輸出-輸入」額がGDPに含まれる

 ということだけ述べておきます。

 「輸出-輸入」のことを「純輸出」といいます。「貿易黒字」というのは,この「純輸出」です。


実体経済と金融経済

 もうひとつ,まとめておくべきことがあります。

 それは,経済には大きく2つの「お金の流れ」があるということです。

 「お金の流れ」というのは「お金の動き」「お金のやり取り」あるいは「取引」などといってもいいですが,ここでは「お金の流れ」ということにします。
 今の社会では,お金の流れをともなわない経済活動(自給自足や物々交換)の比重は,かぎられています。
 だから「お金の流れの世界≒経済」と考えていいでしょう。

 【経済の2つのお金の流れ】

 ①GDPに含まれるお金の流れ…「買い物」の世界(モノ・サービスの生産・取引)
 ②GDPに含まれないお金の流れ…「金融」の世界(お金を貸す・出資する)
 

 ①のことを実体経済,②を金融経済ともいいます。

 「実体経済」「金融経済」といういいかたには,「実体」のほうがよりホンモノである,というニュアンスがあります。たしかに私たちの生活を「直接」にかたちづくるのは「実体経済(GDPに含まれる世界)」のほうです。その意味で「実体」なのです。

 しかし,現代の経済においては「実体」と「金融」は,ワンセットです。金融経済なしで実体経済はまわっていきません。銀行が企業にお金を融資(貸す)したり,株式の発行によって資金調達をする,国債を発行して政府が予算をまかなうといったことがないと,企業も政府も満足な活動ができないのです。

 「金融」とは,「お金を融通する」ということです。
 「融通する」とは,お金を「余っているところから,必要としているところへ移してあげる」ことです。

 このような活動は,GDPそのものにはカウントされなくても,GDPに影響を与えます。
 たとえば,生産拡大のために資金を必要としている企業にお金が十分に融通されれば,つまり融資が活発になされれば,GDPは増えていきます。

 つまり,金融とは,必要なところへお金を移すしくみといっていいでしょう。

 ***

 これから,何回かにわたって「実体経済や金融経済を構成する各要素と,その相互の関係」をみていきます。
 「実体経済」「金融経済」という,経済の2大領域を見渡すための最低限の話をするつもりです。

 たとえば「個人の買い物(個人消費)」「企業の買い物(設備投資)」「政府の買い物(政府支出)」の相互関係,といったことです。
 金融経済についても,「金利」「為替」「株価」などの重要な要素があり,それが実体経済に影響を与えています。また,金融経済の各要素のなかでも,互いに影響を及ぼしあっているわけです。

 そのような相互関係の基礎を,ざっくりみわたしていきます。
 すると,初歩のレベルなりに「経済全体の見取り図」がアタマの中にできていくはずです。

(以上)
テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月25日 (土) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」の4回目。
 とにかくまずGDPに関する基礎概念を述べています。これがあやふやだと,やはり経済はわかりません。
 

「付加価値」というパイを分け合う

「利益」にはいろいろある

 ここで,GDPについて前に述べた「生産された付加価値は誰かの所得」ということについて補足します。

 前回(第3回)に「GDP=生産された付加価値」であり,それは「商売,つまり企業の儲け(利益)の一種」だといいました。

 すると,「それなら,GDPが増えても企業が儲かるだけで,私たちには関係ない」と思う人がいるかもしれません。でも,それはちがいます。GDPの増加は,企業だけでなく,私たち個人にも影響します。社会全体に影響を及ぼすのです。

 まず,「企業の儲け=利益」ということについて,もう少し説明しましょう。

 利益とは,企業がその活動で得たお金から,活動にかかったお金をさしひいた残りのことです。企業が得たお金のことは,会計の用語で「収益」といいます。かかったお金は「費用」といいます(「会計」とは,企業などのカネやモノの出入りを記録・管理すること。専門的なノウハウやルールがある)。

 つまり, 収益(得たお金)-費用(かかったお金)=利益 です。

 ただ,「どこまでを収益・費用として考えるか」というのが,場合によってちがいます。ここがポイントです。

 会計の用語で「売上総利益」とか「経常利益」というのがあります。どちらも「利益」ですが,内容がちがいます。

 売上総利益は,その会社の「本業」にかかわる収益・費用を計算したものです。「粗利」ともいいます。

 つまり,工場でモノをつくるのが本業の会社なら,

 製品の売上-工場でかかった費用(原材料費,工場での人件費や電気代など)=売上総利益(粗利)

 これには,本業以外で得た収益や,現場(工場)以外で発生した費用は入っていません。

 「本業以外の収益」というと,たとえば会社の銀行預金につく利子があります。「現場以外で発生する費用」には,たとえば本社(総務・経理など)の人件費や,借入金に対し支払う利子があります。こういうのもふくめて計算したのが,経常利益です。

 さらに,経常利益でもカウントしない「災害による損失」のようなイレギュラーなこともふくめた「当期利益」というのもあります。

 なぜ,いろいろな「利益」があるのでしょうか? それは,場合によって「企業の何をみたいのか」がちがうからです。「本業でどのくらい儲かっているか」をみたいときもあれば,本業以外のこともふくめてトータルにみたいときもあり,それで使いわけるのです。


付加価値という「利益」

 さて,GDP=付加価値=企業の利益の一種ということについてです。
 この場合の「利益」,つまりGDPの世界でいう付加価値というのは,製品・サービスの売上-原材料費(または仕入れた商品の値段)です。

 これは,売上総利益(粗利)よりも,さらに費用の範囲が狭いです。原材料費だけを費用としています。

 じつはこういう「利益」は,企業の会計ではあまり使いません。ふつうの人の感覚ともちがいます。「利益」というには,あまりに多くの費用を計算に入れてないからです。一般的な感覚でいう「利益」とは,原材料費のほか,人件費や家賃や電気代などの諸費用を支払った結果,残った金額のことです。

 しかし,GDPでいう付加価値は,そうではないわけです。原材料費のほかにもある,いろんな支払いをさし引く前の「利益」のことなのです。だから,その利益=付加価値の多くは,企業の手元には残らないで,いろんな相手方への支払となって外へ出ていきます。

 まず大きいのが,従業員に支払う給与(人件費)です。ほかに,大家に家賃を支払ったり,電力会社に電気代を支払ったり,銀行に利子を払ったり……。運送,清掃,警備などのサービスを提供する会社に料金を支払う場合もあるでしょう。

 このようにいろいろな支払をしたうえでの利益は,さきほどの経常利益に近いものです。これを,株主に配当として分配したり,役員へのボーナスにしたりするのです。

 そのうえで残ったお金が,企業の最終的な利益です。当期利益というのは,ほぼこれのことです。この最終的な利益の蓄積を,会計の用語で「内部留保」といいます。


「パイ」を分けあう

 このように,会社が生産した付加価値は,いろんな人たちへの支払いになるわけです。

 これはつまり「付加価値を関係者みんなで分けあっている」ということです。関係者とは,その会社の従業員,納入業者,銀行,株主,経営者等々です。

 そこには,「従業員」といった「ふつうの個人」もふくまれています。また,納入業者などの企業への支払は,その企業の売上(収益)となって,その従業員などの関係者にさらに分配されることになります。

 そういうことが社会のつながりなかで無数に行われて,生産された付加価値をみんなで分けあっているのです。分けあった付加価値=支払われたお金は,それぞれの所得となります。

 だから,GDP=付加価値の増加は,企業の利益の増加だけではないわけです。私たち個人の所得にもつながっていることなのです。

 GDP=付加価値のことを,食べ物の「パイ」にたとえることがあります。うまいたとえだと思います。

 私たちは,みんなでパイを分けあって食べているのです。
 GDPの増加は,「パイが大きくなる」ということです。
 単に「分けあう」だけでなく,経済活動を通してその「パイ(GDP)」を大きくできる,というのは大事なことです。

 こういうと,「パイの分け方をもっと公平すべきだ」とか,気になることがあるかもしれません。それはそれで,重要な問題です。しかしまずは,つぎのイメージをしっかりと持ちましょう。

 つまり,

 付加価値というパイを社会のみんなで分けあっている
 
 このイメージも経済を理解するうえで基礎となる,たいへん重要なものです。


個人と企業の間の分配

 下のグラフは,GDP=付加価値というパイを,個人と企業でどう分けあっているかの比率を示したものです。これは,「所得の分配」という面からみたGDPの内訳です。
 ただし,分けあうベースとなっている数字は,GDPではなく「国民所得」というものです。これは,GDPをもとに一定の足し算・引き算をして,「国全体の正味の稼ぎ・儲け」を割り出した数字です。

国民所得の分配

 国全体の「正味の」稼ぎ・儲け=国民所得を割り出すために,どうするのか? GDPから「国全体の建物や設備(固定資産という)が年々古くなって価値が目減りする分の金額」を差し引くのです。建物や設備は,古くなると価値が下がります。たとえば中古のマンションは,新築のときよりも値段が安いのがふつうです。

 国全体の「固定資産の目減り分」の金額は,2009年度は103兆円になりました。GDPの2割ほどにもなる,大きな金額です。
 ほかにも足し算・引き算がありますが,おもな項目は固定資産の価値の減少です。

 なお,ここではこのような計算方法について立ち入る必要はありません。「国民所得は,GDPと似たようなもの」という理解でもいいのです。
 この「国全体の正味の稼ぎ・儲け」である国民所得は,「国全体の所得の分配」状況をみるうえでよく用いられる数値です。


おもに個人に分配される

 このグラフで「雇用者報酬」というのは,個人に支払われる給与などです。つまり,個人の所得です。これが全体の7割ほどを占めています。

 「財産所得」は,企業以外(個人,政府,非営利団体)が得た,預金の利子や株式の配当などの所得です。実態として財産所得のほとんど(9割以上)は個人の分です。雇用者報酬と財産所得を合わせると78%です。国民所得の8割弱が個人に分配されているということです。

「企業所得」は,企業の利益です。法人(会社)だけでなく,個人の自営業の分もふくみます。

 この数字をみて,「個人の割合が,思ったより多い」という人もいます。しかし,第2回でみたように,個人の買い物がGDPに占める割合は,6割ほどです。国民所得(GDPをベースにした数字)の7割ほどが個人に分配される,というのはそれとだいたいつじつまがあいます。


政府の税収の源泉も,貯蓄の源泉も,GDP

 そして政府は,個人と企業の所得から,その一部を税金として集めています。

 個人の所得には「所得税」が,企業の所得(利益)には「法人税」がかかります。「消費税」というのもありますが,これは「所得を使って買い物をしたとき」にかかる税金です。

 「所得」とは,国民所得のことです。国民所得とは,GDPから「固定資産の目減り分」を差し引いたものです。
ということはつまり,政府の税収の元になっているのは,GDPなのです。税金を納めるというのは,「GDPの一部を政府に渡すこと」です。

 ほかにも,GDPを源泉とするものはあります。「貯蓄」はそうです。

 貯蓄とは,「個人や企業が得た所得のうち,それが新たな買い物に使われないで残った分」です。その残った分を,多くの人は銀行や郵便局に預けます。

 ここで所得とは,GDPのことです。GDPというのは,ある一面からみたら「所得」なのですから。ということは,貯蓄の源泉も,やはりGDPなのです。貯蓄とは,いわば「使われずに余ったGDP」です。

 ところで,銀行や郵便局に預ける以外にも,「貯蓄」の方法はあります。「余ったGDPの行先」は預貯金以外にもある,ということです。それは,株式や国債といった証券を買うことです。

 「金融」や「証券」といったことについては,あとでまた説明します。とりあえず「証券とは,配当や利子といったお金を受け取ることができる,そういう約束を記した権利証のこと」と理解してください。

たとえば国債というのは,個人や企業が政府に「貸す」というかたちでお金を渡して,受け取る権利証です。そうやって証券を受け取ることを,(証券を)「買う」というのです。

 政府は,活動に必要な資金を,税収のほかに国債を売って借金することでもまかなっています。その国債は,人びとが余った所得(=GDP)で買っています。ということは,政府が借金をする源泉も,やはりGDPなのです。これも押さえておいてください。

 結局,税収せよ借金にせよ,政府の活動資金の源泉は,すべてGDPを源泉としているのです。

 ただし,国債を外国人(外国の企業・政府・個人)に買ってもらうこともあります。これは,外国のGDPを源泉として,政府が資金を得ていることになります。

 どの国も多かれ少なかれ,外国人に国債を買ってもらっています。

 日本の場合は,2012年末現在で「国債のほとんど(90%)を国内の個人や企業が買っていて,外国人の割合は少ない」のですが,中には外国人の割合のほうが高い国もあります。たとえば,近年「債務危機」が問題になったギリシャの国債の7割ほどは,外国人が買っているのです。

 きちんとした説明は,あとで「国債」をテーマにした章で行いますが,やはり財政や経済の安定にとっては,国債はおもに国内の人びとに買われるほうが望ましいです。つまり,政府の活動資金をむやみに外国のGDPに頼るわけにはいきません。


くたばれGDP,がんばれGDP

 世の中には,「くたばれGDP」という主張があります。「GDPの拡大ばかり追求するのはまちがっている」「環境や文化のような,GDPではあらわせない価値のほうが大事だ」といった考え方です。

 もちろん私も,GDPがすべてだとは思いません。GDPというのは「買い物額」ですから,お金で売買されるものしかあらわせません。「お金であらわせる以外にも,大事なものがある」というのは,当然のことです。

 しかし,これまでみてきたことからすると,GDPというのはやはり重要なものだと思ませんか?
 私たちはみなGDPという「パイ」を分け合って暮らしています。それは政府も同じことです。政府の活動資金の源泉は,GDPなのです。貯蓄も,GDPが源泉です。

 そういうものを,「くたばれ」といって無視して,経済や社会のことがわかるはずもありません。GDPのことは,経済をみるための重要な概念として,しっかり押さえておかないといけません。

 「くたばれ」という人がたくさんいるので,「がんばれGDP」といいたくなるくらいです。

 だからといって,「GDPこそすべて」ということではないわけです。まずは,それ(GDP,お金であらわせる世界)についてよく知ろうじゃないか,というだけです。

 GDPを深く知ることで,あなたの経済や社会についての視野は,ずっとひらけてきます。それとあわせて,GDPであらわせない世界についても考えていけばいいでしょう(GDPの世界とGDPであらわせない世界の関係についても,勉強するといろいろみえてくるでしょう)。

 ただし,このシリーズでは「お金であらあわせる世界」をメインに話を進めていきたいと思います。「経済入門」として,まず大事なのはそれです。

(以上)
2014年01月23日 (木) | Edit |
GDPの三面等価

「ダブり」を取り除く

 「GDPは総買い物額である」というと,「ほかの本で読んだ説明とちがう」とか,「総買い物額がなんで〈総生産〉なの?」といわれることがあります。ここで,そんな疑問に答えます。

 「総買い物額」というけど,じつはそこにはふくまれない,特殊な「買い物」があります。それは,「そのモノを誰かに売ることを前提にモノを買う場合」です。日常的な言葉なら,「仕入れ」と言えばいいでしょう。「仕入れ」は,個人が日常生活でする「買い物」ではなく,企業がビジネスのためにするものです。

 「仕入れ」としての買い物は,GDPにはカウントしません。「仕入れ」には,①仕入れたモノをそのままの形で売る場合と,②原材料として仕入れる場合とがあります。

 たとえば,「スーパーがパン工場からパンを仕入れる」のは①のパターンで,「パン工場が原材料の小麦粉を仕入れる」のは②のパターンです。

 なぜ,そんなやり方なのか。「そうしないと,生産されたモノの価値をダブって計算してしまうことになるから」です。

 経済の入門書でよくあるのは,つぎのような説明です。

・スーパーで食パンが100円で売られている。私たちがそれを手にするまでには,いろんな過程を経ている。

(イメージ)
 農家がコムギを育てる→コムギを原料に製粉業者が小麦粉をつくる→小麦粉を原料にメーカーが工場でパンをつくる→パンを小売店が仕入れて消費者に売る。

・コムギは,ひとつの段階を経るごとに手を加えられ,そこでの仕事(労働)の分の値段を上乗せされていく。

(イメージ)
 100円の食パンの材料に使うコムギが10円。
 それが,小麦粉になると20円。
 その小麦粉でつくったパンを,メーカーは80円でスーパーに売る。
 さらに,スーパーはそのパンを100円で私たちに売る。

・GDPの計算では,以上のすべての段階の金額(買い物額)を合計するということは行わない。最終的に生産されたパン100円の価値だけをカウントする。

 つまり,コムギ10円+小麦粉20円+パン80円(メーカーからスーパーへの卸価格)+パン100円(スーパーでの販売価格)=200円 ということは,しない。

 なぜこのように考えるのでしょうか。

 この過程で生産されたのは,あくまで100円の価値のパンです。小麦粉などの原材料費や,スーパーが工場から仕入れるときの値段は,スーパーでの販売価格100円の中にふくまれています。そこをダブってカウントしないようにしているのです。最終的に生産された100円の価値だけをカウントします。

 このように,「ダブリ」を除いて,国全体の買い物額をカウントしていったのが,GDPです。このダブリの部分のことを経済学では「中間投入」といいます。

 「中間投入を除く」という一定の操作を加えた「総買い物額」。
 そうやって「生産された価値」を把握した数字。

 それがGDPの,よりくわしい定義です。「生産された価値」のことは,「付加価値」といいます。

 つまり,GDPは「国全体で,さまざまな労働によって生産されたモノやサービスの付加価値の合計」なのです。国内で生産された価値の合計。だから,「国内総生産」といいます。


誰かの支出は誰かの所得

 じつは,「国内総支出」という言葉もあります。さしているものは「国内総生産」と同じです。

 ただ「総支出」というのは,生産された価値あるモノやサービスを誰かがお金を「支出」して買っている,という面からものごとをみています。「買い物」としてGDPをとらえた言葉です。

 最初に出てきた「GDPは総買い物額」というのは,「総支出」としてGDPをみたものなのです。「総生産」と「総支出」は,コインの表と裏のような関係です。同じものを,どちら側からみるか,というちがいです。

 さらに,「総所得」という言葉もあります。これも,「総生産」「総支出」と同じものを,別の側面からみたものです。

 つまり,誰かがお金を支出してモノやサービスを買ったとき,それは売った者(企業やその従業員)の所得になります。つまり,「それだけのお金が入ってくる」ということです。
 誰かの支出は誰かの所得。だから両者もイコールだ,というわけです。

 「誰か」というのは,要するに私たちのことです。「誰かの支出は誰かの所得」というのは,

 私たちが買い物をすれば,それは誰かの所得となる

ということです。

 言ってしまえばなんでもないことですが,これはじつは経済をみるうえで非常に重要なことです。

 また,「生産された付加価値は,誰かの所得」ということもいえます。付加価値というのは,売上から原材料費などの中間投入を除いた分のことでした。これは,かみくだいていえば商売の「儲け」の一種だといっていいでしょう。

 この「儲け」は,どうなるのかというと,会社の従業員と会社,そして会社に出資した株主などで分けることになるのです。

 つまり,従業員の給与,役員への報酬,株主への配当,会社の蓄え(内部留保という)などになります。「儲け」が山分けされてみんなの「所得」になるのです。そして,「儲け」とは言い換えれば「付加価値」のことなのです。

 ここのところはややむずかしいので,次回以降でまた補足します。


GDPの三面等価

 誰かの支出であり,同時に誰かの所得である金額は,そのモノやサービスを生む労働によって生産された「価値」である。
 つまり,

 総生産=総支出=総所得

 これを,経済学で「GDPの三面等価」といいます。

 これは,たとえばこんなイメージです。
 底面が三角の立方体(三角柱)があって,これが「GDP」だとする。この三角柱はみる角度によって,ちがう面(「生産」か「支出」か「所得」か)がみえている。でも,どの面からみても,同じひとつの存在(三角柱)をみている……
     GDP三角柱

 多くの経済の入門書や教科書では,「総生産」という面から,GDPをまず説明します。真正面からの説明です。
 しかし,「中間投入を除いた価値の総生産額」という説明は,入門としてはじつはハードルが高いのです。最初にこの説明をもってくると,初心者はかなりの率で拒絶反応がおきます。
 
 それより,「買い物」としてまずGDPをとらえるほうが,初心者にはイメージしやすい。そして,まずはばくぜんと「国全体の総買い物額」とイメージする。そのあとで一歩進めて,「ダブリ=中間投入」を除いたものとして,理解すればいい。この本では,そういう説明の順序をとりました。

(以上)
2014年01月19日 (日) | Edit |
「総買い物額」の内訳

みんなの買い物の「みんな」とは?

 これまでに「GDPとはみんなの買い物の総額である」「日本の1人あたりのGDPは370万円(400万円弱)である」ということを述べました。

 それに対しこんな疑問を抱く人もいます。「1人あたり370万円ということは,4人家族だと1500万円。ほんとにそんなに買い物するの?」

 じつは,まだ大事なことを説明していませんでした。それは,「みんなの買い物」というときの「みんな」というのは,私たち1人1人のような「個人」だけではない,ということです。

 経済において「買い物をする存在」は,大きく分けてつぎの3つがあります。

 ①個人(家計)  ②企業  ③政府(国や自治体)

 この「買い物をする存在」のことを「経済(の)主体」といいます。「経済における行動の担い手」ということです。

 企業というのは,製品やサービスをつくったり売ったりするのが仕事ですが,その仕事をするためにパソコンを買ったり,本社のビルを買ったり,工場を建てたり機械を買ったり,いろんな「買い物」をしています。

 政府も同じことです。役所にある机もパソコンも,買ってきたものです。道路をつくったり,学校や病院を建てたりといった公共事業は,政府の大きな「買い物」といえるでしょう。

 「個人」は経済学では「家計」といいますが,とっつきにくい言い方なので,この本では「個人」にします。
また,ここで「企業」というのは,純粋な民間企業だけでなく,政府や自治体の経営する公営の企業もふくみます。

 ここまでをまとめると,こういう「公式」になります。

日本の総買い物額
 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物


 「その国の経済は,個人と企業と政府の買い物が合わさってできている」といってもいいです。
「買い物額が1人平均年間370万円というのは多すぎるのでは?」と思った方は,たしかにそのとおりで,この「370万円」には,企業や政府の分もふくまれていたのです。だから,「個人の買い物の1人あたり平均」は,370万円よりは少ないです。


主体別の内訳

 では,日本の総買い物額=GDPに占める「個人」「企業」「政府」のそれぞれの割合は,どうなのでしょうか?

【問題】
現在の日本のGDPで,最も多くの割合を占めているのは,つぎのうちのどれだと思いますか? 

予想
ア.個人による買い物
イ.企業による買い物
ウ.政府による買い物


***


 つぎの帯グラフは,今の日本のGDP=総買い物額の内訳です。個人による買い物がGDP全体の60%を占めています。GDPの最も多くの部分は,私たち個人の買い物が占めているのです。

GDP内訳

 ここでいう「個人の買い物」には,「個人消費」と「住宅の購入」があります。住宅の購入は,統計のうえでは,日常的な買い物である「消費」と区別するのです。ただ,住宅購入の額は,個人消費よりずっと少ない(20分の1ほど)ので,個人の買い物≒個人消費と言っていいです。

 日本の1年間の個人消費(+住宅購入)の総額は,286兆円。1人あたりだと,286兆円÷1億2800万人≒220万円。
 これが「個人の年間の買い物額の平均」なら,多くの人の生活感覚ともそんなにズレていないのではないでしょうか。

 なお,個人,企業,政府の買い物のほかに「非営利団体」による買い物もあります。「非営利団体」とは,病院,学校,宗教法人などです。また,GDPには「純輸出」という項目もあります。年間の輸出額から輸入額を引いたものですが,これは別のところでまた説明します。


国の経済の内訳を知る

 前にも述べたように,「景気がいい・悪い」というのは,「みんなの買い物額=GDPが増える傾向にあるか,減る傾向にあるか」ということです。

 そして,GDPの最も大きな部分は,個人の買い物(「個人消費」というのと,ほぼイコール)なのです。だから,景気がよくなる・悪くなるということに対して,私たち個人の動きは,きわめて大きな影響をあたえるということです。

とにかく,この「公式」は重要です。

 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物

 こういう内訳を知るのが重要なのは,国の経済がどういう要素で成り立っているかを知ることだからです。それは,景気低迷などの問題があるときに,どこに原因があるのか,どういう対策をとるべきか,といったことを考える入り口になります。

 会社の経営でも,会社全体の数字だけでなく各部門別の売上などの数字をみて,どの部分に問題があるのかを把握しようとします。それと同じようなことです。

(以上)
2014年01月19日 (日) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」のシリーズを,もう一度最初からやり直します。
 このブログをはじめた頃にスタートしたのですが,あちこち寄り道しているうちに,当初予定していた「系統的な展開」がどこかへいってしまいました。そこで仕切り直し。

 経済入門の本や文章は山ほどあります。
 「世界一やさしい」「高校生でもわかる」とうたっている本も多いですが,ほんとうに「やさしい」「わかる」というものを私はめったにみたことがありません。ほとんどは,「やはりむずかしい」か,イラストやあいまいなたとえ話で「ごまかしている」ように,私には思えます(ただし「初心者には少々むずかしくても,内容のしっかりした良い本」というのはあります)。

 「経済入門」というのは,それだけむずかしいということです。

 この数年,「やさしい経済入門」を書こうとトライして,すでに何百ページかの草稿を書いているのですが,その「むずかしさ」を痛感しています。

 この「GDPでみる経済入門」の方針は,とにかく「欲張らない」こと。
 経済について一応の常識的な理解や見方をするための,入門的な知識を述べていく。
 「全体」のほんの一部のことだけでもいい。多くを網羅しようとしない。
 ほんの「さわり」の知識でいい。
 「最新ニュースがわかる」とか「常識を覆すものの見方」などは,得られなくていい。
 
 それでも,丁寧に,ごまかさず,一定の体系性をもったかたちで「経済を理解するための知識」を述べていきたいと思います。

 その核になるのは,「マクロ経済学」です。
 「マクロ」というのは,「大きな視点でみた・全体の」ということ。
 マクロ経済学は,「国の経済を全体としてとらえる学問」です。現代の経済にかんする議論の,メインの領域といっていいです。

 「経済全体をとらえる」というのは,あたりまえのようにも思います。
 でも,じつは経済という大きな全体をとらえるのは,むずかしいです。私たちは経済をみるとき,小さな・個別的な現象を基準にものを考えがちです。そして,「個別」でみれば正しくても「全体」にあてはめるとまちがっている,ということが,経済ではしばしばあるのです(このへんは,本文で述べていきますので)。
 
 このシリーズの表題にもある「GDP」という概念は,マクロ経済学の基礎ともいえるものです。
 このあたりのことは,20世紀の経済学がきりひらいた,偉大な遺産。
 その偉大な「遺産」の初歩の初歩,つまり「幼稚園」レベルを,述べていきたいと思います。

 それではものたりない?

 でも,偉大な学問・科学の遺産の「幼稚園レベル」というのは,しっかり自分のものにすれば,かなり役に立つはずです。
 経済の未来をピタリと予測したり,すばらしい経済政策を考えたり,ということまでは難しいと思います。でも,巷にあふれている,経済にかんするいい加減な見解をうのみにはしなくなるはずです。あるいは,少しは自信を持って経済のニュースを見たり聞いたりできるはず。

 そんなささやかなレベルが,この「経済入門」の目標です。それでも,「世界をみる目」はかなり確かなものになるのではないかと思います。

 系統性(話のつながり・まとまり)を大事にしたいので,1回の記事がかなり長くなるかもしれませんが,よろしければぜひおつきあいを。


GDPとは「国全体の総買い物額」

国内総生産・GDP

 あなたは,「GDPとは何か」と聞かれて,自信を持って「わかっている」と言えますか?

 別の言いかたをすれば,「〈GDPとは何か〉を中学生に説明できるか?」ということです。私の友人たちに聞いてみると,「だいたいのことはわかっている」という人でも,「子どもに説明するとなると,ちょっと自信がない」と言います。

 GDPというのは,英語の頭文字をとった言葉です。日本語では「国内総生産」。
 しかし,「コクナイソウセイサン」というのは長くて言いにくい。そこで英語の

 ross(グロス=英語で「全体の」「総」と言う意味)
 omestic(ドメスティック=国内の)
 roduct(プロダクト=生産)

の頭文字をとったGDPという方を,よく使います。


「総買い物額」のイメージ

 GDPとは,一言でいうと「国全体の,みんなの1年間の買い物の総額」のことです。

 つまり,みなさんがスーパーで食料品を買ったり,デパートで服や靴を買ったり,ローンを組んで自動車やマンションを買ったり,美容院に行ったり,旅行で電車に乗ったりホテルに泊まったり……そんなふうにして,日本じゅうで1年間に使った金額です。
 この「買い物額」の合計(総買い物額)がGDPです。

 「四半期(3ヶ月)」のGDPというのもありますが,より一般的なのは「1年間」でみた数字です(この本では「GDP」というときは,とくに断らないかぎり1年間のGDPです)。

 「何を買うか」は,モノを買う場合とサービスを買う場合があります。食料品や洋服や自動車やマンションを買うのは,モノを買うこと。髪を切ってもらう,電車に乗る,ホテルに泊まる,というのはサービスを買っています。理容のサービス,輸送のサービス,宿泊場所の提供というサービスです。)

 「GDPは総買い物額である」というのは,うんと単純化した説明です。補足すべき点もあります。しかし,最初に入るときのイメージとしては,とりあえずこれでいいのです。


日本のGDPの額

ここで,問題です。

【問題】
現在(2010年度)の日本のGDPは,どれくらいだと思いますか?

予想
ア.5兆円 イ.20兆円 ウ.100兆円 エ.500兆円


***


 2010年度(2010年4月~2011年3月)の日本のGDPは,476兆円(475兆7578億円)です。

 最近数年間の日本のGDPの推移はこうです。

 2006年度  2007年度  2008年度  2009年度  2010年度
 511兆円   516兆円   492兆円   474兆円   476兆円

 ご覧のように,最近はやや減少傾向にあります。このような変動はありますが,だいたいの数字で「日本のGDPは480兆円」と憶えておけばいいでしょう。「480兆円」というのは,「500兆円まではいかないけど,450兆円よりは多い」というニュアンスです。あるいは,もっとざっくりと「400何十兆円(なんじゅっちょうえん)」でもいいです。

 「日本のGDPは480兆円」というのは,「日本の人口は1億2800万人(2010年現在)→1億3千万人」という数字とともに,ぜひ知っておいてほしい数字です。

日本経済を知る最重要の数字
 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 480兆円


 「正確な数字」にこだわらず,このドンブリの数字でおぼえるのがコツです。細かい数字は,使いこなせません。
 しかし,この「GDP480兆円」は,必ずしも「常識」にはなっていないようです。この問題を「経済の素人」を自認する大人に出してみると,何割かはまちがえるか,自信のなさそうな答えになります。


政府が算出する数字

 そもそも,GDPは,どうやってわかるのでしょうか?
 GDPは,政府が算出する統計数値です。しかし,政府が「すべての人の買い物を調べて合計している」わけではありません。

 そのかわり,政府はモノやサービスの売り手である企業に対して,売上などの状況を調査しています。各社の会計帳簿にもとづいたデータです。企業の売上は,結局はお客さんであるみなさんの買い物です。だから,そこからGDPがわかるのです。
 このほかにも,政府は国の経済や社会の様子をつかむため,つねにいろいろな統計調査を行っています。

 GDPは,企業の売上をはじめとするさまざまな調査のデータをもとに,政府の専門家がいろいろな計算をして出した数字です。これには,たいへんな手間がかかります。だから,信頼できる数字を出すには,しっかりした政府や企業の組織が,社会に存在していることが必要です。


普及して数十年ほど

 GDPやそれと同類の統計数値(「GNP」「国民所得」など)が広く使われるようになったのは,この数十年ほどのことです。ほぼ第二次世界大戦後(1945年以降)といっていいでしょう。
 現代では,経済の問題について考える人は,誰もがGDPという数字をみるようになりました。

 GDPは,経済が発達し,政府の組織が整備され,経済や統計についての学問が進歩した結果,生まれた考え方なのです。

 「景気がいい・悪い」ということが,つねづね論じられます。「景気がいい」とは,みんなの買い物が活発になって,GDPが増える傾向にあることです。「景気が悪い(不況である)」とは,みんなの買い物が停滞して,GDPが減る傾向にあることです。

 「中国のGDPが,日本のGDPを追い抜いた」ことが近年話題になりました。それは,「GDPの大きさ」が,「国力」を測る最も重要なモノサシになっているからです。

 GDPは,少々とっつきにくくても,理解のしがいのある概念です。そこには,さまざまな知識の遺産や膨大な労力が詰まっています。GDPという数字を通して,経済や社会のいろんなものがみえてくるのです。


GDPとGNP

 ある程度以上の年齢の方なら,「以前はGDPではなく,GNP(国民総生産)という数字が使われていた」ことをご存じかもしれません。

 GNPは,gross national(ナショナル) productの略です。「ナショナル」は,「国民の」という意味です。これに対しGDPつまり gross domestic productの「ドメスティック」は,「国内の」という意味です。

 「国民の」と「国内の」は,どうちがうのか? 日本のGNPは,日本国民の経済活動を対象にした数字です。日本国民の経済活動なら国内での分だけでなく,海外での分もGNPの対象になります。具体的には,日本人や日本企業が海外で受け取った給料や預金の利子などの所得がGDPにはふくまれます。

 一方GDPは,日本の国内(地域内)での経済活動を対象にした数字です。国民の海外での活動分はふくみません。

 GDP+海外で国民が得た所得=GNP 

ということなのです。

 なお,GNPのことを,GNI(国民総所得)と呼ぶこともあります。同じ中身なのですが,名称を変えたものです。
昔は日本政府もマスコミもGNPを使っていましたが,90年代にGDPに切り替えました。欧米を中心に「GDPを使う」という流れになったので,それに乗ったのです。

 GNPの具体的な金額をみてみましょう。

 2010年の日本のGDP…480兆円
    〃   GNP…490兆円(487兆円)


 GDPとGNPは,だいたいは同じようなものです。数字的にそれほど大きなちがいはありません。しかし「〈国内の景気〉をみるうえでは,対象を国内の経済活動に絞ったほうがすっきりする」という考えから,GNPに換えてGDPを使うことにしました。

 この背景には,国際化の進展で「海外での国民の活動」が増えたことがあります。このためGNPとGDPのギャップが大きくなり,「それならGDPのほうを使おう」ということになったのです。

 でも,だからといってGNPという数字をまったく使わなくなったのではありません。GNPのほうも,経済の専門家などは今も必要に応じて使います。しかし,「国の経済規模や景気の状態をみるうえでの代表的な統計数値としては,GDPをおもに使う」ということです。そこで,テレビのニュースや新聞ではGDPのほうを使っています。


1人あたりGDPは,経済の発展度を示す

1人あたりGDP

 GDPは,「国全体の,みんなの買い物額」です。これを国の人口で割った「1人あたりGDP」という数値があります。これも,社会や経済を知るうえで重要な数字です。
買い物の額というのは,実際には人によってまちまちですが,平均値を求めたのが,1人あたりGDPです。

 2010年度の日本の「1人あたりGDP」を計算してみます。

 GDP480 兆円÷1億3千万人=およそ370万円/人
(475兆7578億円) (1億2805万人) (372万円/人) 

 「372万円」というのは,「370万円」とおぼえましょう。もっとドンブリで「300何十万円」でもいいです。
 この計算結果も,「最重要の数字」のリストに加えましょう。

日本経済についての最重要の数字(2010年)

 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 480兆円
 ・日本の1人あたりGDP 370万円/人 


 1人あたりGDPは「その国の経済発展の度合い」を測るモノサシとして,使われています。これに対しGDPは,「その国の経済の大きさ」を示す数値です。

 日本の1人あたりGDPが「370万円」というのは,世界のなかで上位のほうに位置します。たとえば,つぎのような世界のおもな先進国の1人あたりGDPと肩を並べる水準です。アメリカ420万円,ドイツ380万円,フランス390万円,イギリス330万円……

 これらの先進国にくらべ,たとえば中国の1人あたりGDPは40万円で,日本の10分の1ほどです。お隣の韓国は200万円ほどです(以上,2010年の数字)。

 このように日本の1人あたりGDPは世界の中で高いほうです。とはいえ,一昔前より「順位が下がった」といわれるし,事実そうなのですが,ここでは立ち入りません。

 また,世界には1人あたりGDPが「数万円」という国もあります。アフリカやアジアで「最も貧しい」と言われる国は,その水準です。


数字の背後に,暮らしや社会がある

 「1人あたりGDPが大きい」ということは,その国では多くの人が活発な経済活動をしているということです。たくさんの高価な買い物をしたり,いろんな場所へ仕事や旅行で出かけたりする人が大勢いるのです。

 そしてそれは,そんな「人びとの活発な活動」を支えるさまざまな社会のしくみや設備が整っているということでもあります。
 無数の立派な工場やオフィス。国のすみずみまでいきわたった交通・通信網。いろいろ不満や問題はあるにせよ,まあまあまともに機能する政府と行政機関。さまざまなモノやサービスが並ぶショッピングセンターや繁華街。家庭にはモノがあふれている……

 そして,それだけの設備やモノを作り出せるだけの発達した産業があります。
 このような国が,一般に「先進国」といわれるのです。日本はそのひとつです。

 一方,1人あたりGDPがごく小さい国では,多くの人びとは,高価な買い物をすることも,自分の住む村や町を出ることも,あまりありません。人びとが活発に動きながら暮らすためのしくみや設備も不十分です。家財道具も,つつましい。

 このような国は,「発展途上国」といわれます。
 このように,「1人あたりGDP」という数字の背後には,その国の暮らしや,社会全体のあり方が存在しているのです。

1人あたりGDP×人口=その国の経済

 さきほど,「GDP÷人口=1人あたりGDP」である,と述べました。ここからちょっと踏みこんで,つぎのような式で,国の経済をイメージしてみましょう。

1人あたりGDP × 人口 = GDP(その国の経済)

 日本の1人あたりGDPは370万円。人口は1.3億人。
 これを,こう考えるのです。

「年間に1人あたり平均で370万円ほどの買い物をする国民が,1.3億人集まって,日本経済ができている」

 それだけの活発な経済活動をして暮らす人たちが1.3億人集まっている,ということです。その結果,GDPで400何十兆円という経済になっている。

 結局のところ,「1人あたりGDP×人口=GDP」という式は,「1人1人の暮らしが集まって,その国の経済ができている」といっているのです。

 1人1人の暮らしが集まって経済はできている。

 これは,すべての基本となる,だいじなイメージです。「経済なんて,むずかしく考えなくても,要するにそういうものなんだ」と思ってもらってもいいです。

 そのイメージを式であらわすと,「1人あたりGDP×人口=GDP」となるわけです。

 1人あたりGDP,人口,GDPの関係を図で表すと,こうなります。タテ軸に人口,ヨコ軸に1人あたりGDPを取ると,国のGDPは,つぎの図のような長方形の面積であらわすことができます。

1人あたりGDP×人口

(以上)
2013年10月20日 (日) | Edit |
 最近,靖国神社への閣僚の参拝のことがニュースになっています。
 「秋の例大祭」という靖国神社にとって重要な祭事(宗教上のイベント)があり,それに合わせて複数の閣僚が参拝したのです。安倍首相も「年内に参拝する」と言い出した。これに対し中国や韓国で抗議や非難の声があがっているとのこと。

 念のために「こっそり知っておきたい常識」を書いておきます。

 靖国神社には,明治維新のころ以降の日本の戦争で没した,多くの兵士や軍人が祀(まつ)られているだけでなく,「A級戦犯」という,第二次世界大戦のときの日本政府の指導者たち(の一部)も祀られています。中国や韓国の人びとは,そのような「軍国主義の指導者」を祀る神社に,日本政府のリーダーが参拝することに抗議しているわけです。

 多くの兵士や軍人や政治家が「祀られている」というのは,一種の「神さま=拝む対象」として扱われているということ。
 なんだか不思議な感じもしますが,神道(神社の宗教)では,そのような「記憶にとどめるべき何かをした人を,神さまとして祀る」ということを行うのです。

 ***
 
 そんな話からはじめましたが,今回は「靖国」そのものがテーマではありません。
 もっと広く,「日中韓の関係」のことを述べます。

 日本と中国・韓国との関係は,この数年なんだか険悪になりました。
 緊張感が高まった,といってもいい。
 
 「靖国問題」も,その要素のひとつ。
 
 それだって,じつは最近になってとくに問題になったのだ,という人もいます。
 「靖国参拝に対し,中国や韓国で強く反応するようになったのは,2000年代はじめの小泉首相の参拝からで,そんなに昔からのことではない」という見解もあるのです。

 これには異論もあるでしょうが,「中国・韓国との関係がここ数年悪くなった」というのは,ほぼ誰もが感じていることでしょう。

 ***

 それにしても,これはなぜなんでしょう?
 いろんな解説がなされています。

 たとえば,「中国共産党は,大衆に対し日本を〈悪〉とみなす教育・啓蒙をして,社会への不満や怒りが共産党にではなく,日本に向くようにしてきたのだ」といった説明がされることもあります。

 たしかに,そういうこともあるのかもしれません。

 でも,そういう説明よりも,もっと基本的で当たり前のことを,まずは押さえたらいいと思います。
 そのうえで,より具体的な事情についても目を向けるといいのでは……

 では,何を押さえるのか。
 それは「経済発展による,日中韓の国力の相対的な関係の変化」です。
 つまり,「中国や韓国が急速に経済発展した結果,日本の国力(≒経済力)が,以前ほど中国や韓国に対し圧倒的ではなくなった」ということ。

 国力・経済力をはかる代表的なモノサシであるGDPで,それをみてみます。
  
 GDP(国内総生産)は,その国で生産された富の総額をあらわす数字。それを人口で割った「1人あたりGDP」は,その国の経済的な豊かさや発展度を示します。
 
 つぎの数字をみてください。
 ざっくりした数字ですが,こういうのはざっくりみることが大事です。

【日本・中国・韓国の1人あたりGDP,人口,GDP】
 2000年
    1人あたりGDP  人口    GDP
 日本   3.7万ドル   1.3億   4.7兆ドル
 中国   0.1万ドル   12.7億   1.2兆ドル
 韓国   1.1万ドル   4600万   0.5兆ドル

 2010年
    1人あたりGDP  人口    GDP
 日本   4.3万ドル   1.3億   5.5兆ドル
 中国   0.4万ドル   13.4億   5.7兆ドル
 韓国   2.1万ドル   4800万   1.0兆ドル


※中国の1人あたりGDPは,2000年:950ドル,2010年:4350ドル。2012年には0.6万ドル(6100ドル)になっている。人口やほかの国のGDPは,2010年以降現在まで「そう変わっていない」とみていい。

※円に換算するなら,いずれの年も,どんぶり計算で「1ドル100円くらい」(2000年:1ドル115円,2010年:88円)。「1万ドルは100万円くらい」「1兆ドルは100兆円くらい」ということ。

 今から10年余り前の2000年には,中国のGDPは,日本の4分の1でした。韓国は10分の1。
 それが2010年には,中国のGDPは日本を少し追い抜き,韓国は日本の5分の1になった。
 
 
 そうなったのは,おもに「1人あたりDGP」の向上で測れるような経済発展の結果です。

 日本の人口が増えていないのに,中国や韓国の人口がやや増えている,ということもあります。しかし,それよりも経済発展≒1人あたりGDPの向上が重要です。 

 2000年には,中国の1人あたりGDPは,日本の40分の1でしたが,2010年には10分の1になりました。
 韓国の1人あたりGDPは,2000年には日本の4分の1(か3分の1)でしたが,2010年には2分の1に迫っています。


 このように,GDPや1人あたりGDPでみた日本との「国力」の差は,以前よりも縮まってきたのです。

 2000年ころ,日本という経済大国は,中国や韓国からみて圧倒的な存在でした。
 日本は,中国からみて経済規模「4倍」の国であり,韓国からみれば「10倍」の国だったのです。

 それが,今や中国はGDPでは日本を追い抜き,韓国は1人あたりGDPでみれば「半分」のところまできた。

 このように発展して,日本との差が縮まれば,「日本に対する自己主張」が強くなってくるのも,十分考えられることではないでしょうか?

 「日本との戦争」「日本の支配」の過去があり,これまで「となりの経済大国・日本」を仰ぎみる立場だった国。それが「日本の背中がみえてきた」となれば,どういう雰囲気になるか……「愛国的な自己主張」のエネルギーが,とくに日本に向けられるということはあると思います。
 
 やや具体的にいえば,10年20年前には日本との貿易や,日本による投資や技術の提供といったことが中国や韓国の経済にとって,きわめて大事だったわけです。
 しかし,ここ数年は以前ほどではなくなってきた。
 すると,「日本には,いろいろ言いたいことがある」となってくるわけです。

 このように「経済発展による,日本と中国・韓国との格差縮小」が,問題の根底にあるのではないか。

 だとしたら,「中国や韓国との緊張関係は一時的なものではなく,中長期の問題としてじっくりと向き合う必要がある」ということです。小手先の何かで解決しようとしたり,一時の感情に走る,というのはダメということ。
 
 「問題」をあおっているつもりはありません。
 そうではなく,問題を冷静にみる材料になる話をしているつもりです。
 
 最近の中国,韓国との関係悪化の基礎にあるのは,共産党の陰謀や,中国や韓国の人の「民族性」などよりも,GDPで測れるような経済的な現象ではないか,と言っているのですから……
 もちろん「それがすべて」などとは言ってません。「それが基礎として関わっているのでは」ということです。

 以上,当たり前と言えば当たり前の話。
 ほかで似たような主張を見聞きした人もいるでしょう。
 でも,GDPの具体的な数字をみながらという機会は,あまりないのでは?

(以上)
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2013年10月06日 (日) | Edit |
 来年4月1日から消費税率が8%に上がるのが決まったので,今回は税金の話です。
 毎度のことですが,超ざっくりとした,広い範囲をみわたすような話をします。とにかく,それしかできないので……「こっそり手軽に常識を知る」のにも使えるはずです。

 まずお話ししたいのは,税金の分類について。
 ものごとの「全体像」をイメージするには,まず大まかな「分類」を考えるといいのです。

 ***

 税金にはいろいろありますが,それを「直接税」「間接税」に分類することがあります。
 
 所得税,法人税,住民税,固定資産税,相続税などは直接税。消費税,酒税,揮発油税などは間接税。
 
 直接税…税の負担者が直接政府などに税金を納める場合
 間接税…税を納めるのが負担者でなく,課税対象となる商品を販売した事業者などである場合


 たとえば消費税の場合は,税を負担するのは消費者(買った人)ですが,政府などに税金分のお金を直接納めるのは,商品を売った事業者です。だから,消費税は間接税。

 さて,「直接税・間接税」という分類は,税金の分類としてよくみかけるのですが,ほかに「所得課税」「消費課税」「資産課税」という分類も,知っておくといいでしょう。

 「所得課税」とは,収入や利益をベースに税金をかけること。所得税や法人税はそうです。個人や法人への住民税もそうです。

 「消費課税」とは,モノやサービスを買うことに対し税金をかけること。その代表は消費税です。酒税,揮発油税,たばこ税などもそう。税金を「直接・間接」に分けたときの「間接税」は,これにあたります。

 「資産課税」とは,財産の保有・移転に税金をかけること。固定資産税や相続税などはそうです。

 「所得課税・消費課税・資産課税」という分類のいいところは,経済における「お金・資産の動き」に沿っている点だと,私は思います。

 つまり,世の中のお金の流れとしては,所得があり,消費(買い物)があり,ストックとしての資産がある。経済は,だいたいこの3つで成り立っています。

 ということは,「所得課税・消費課税・資産課税」という「3分類」は,「人間の経済活動のどの局面に対し課税するか」という視点での分類なのです。
 「直接・間接」という分類と「所得・消費・資産」という分類は,重なるところもありますが,後者の「3分類」のほうが経済を考えるうえでは,より整理されていると思います。

 では,ここで問題です。

【問題】
 「所得課税・消費課税・資産課税」のうち,日本の税収(国税と地方税の合計)で,一番多くの割合を占めるのは,どれだと思いますか?

(予想)
 ア.所得課税  イ.消費課税  ウ.資産課税

                     
 ***

 最新の日本の税収(国税と地方税の合計,平成25年度予算81兆円)を,税の「3分類」でみると,次のような内訳です。

 所得課税53%  消費課税31%  資産課税16%

 つまり,所得課税が一番比重が高いということ。

 帯グラフ(雑な手描きですが)であらわすと,こうなります。
 タテ線による3分割は「所得課税・消費課税・資産課税」です。ヨコ線は,その3項目をさらに分ける線です。

「3分類」による日本の税の内訳(平成25年度予算)
「3分類」による税金の内訳

 所得課税には,個人が支払う所得税などと,企業などの法人が支払う法人税などがあります。
 税収全体に占める個人が支払う所得課税の割合は,32%。法人が支払う所得課税は,20%ほどです。

 消費課税のうち最大のものは,消費税です。
 税収全体に占める消費税の割合は,13%。

 資産課税のうち最大のものは,固定資産税です。
 税収全体に占める固定資産税の割合は,11%。
 なお,相続税が税収全体に占める割合は2%弱で,全体の中ではそんなに大きくありません。

 ***

 「国の税金システム」を設計するうえで,基本のひとつとなるのは,「所得課税・消費課税・資産課税それぞれの割合をどんなサジ加減にするか」です。

 たとえば,「所得課税中心でいこう」とか「いや,消費課税中心で」といったことです。
 ほかにも,「3つの課税をバランスよく」とか,いろんな考え方があるでしょう。

 では,日本の税金システムの基本設計は,どうなのか?

 基本的には,「所得課税」中心といっていいでしょう。
 税収の5割以上が「所得課税」なのですから。

 じつは,何十年か前には,日本の税金はもっと「所得課税中心」でした。
 1970年代には国税(地方税は含まない)の,60~70%を所得課税(所得税や法人税など)が占めていました。

 これは,ほかの税金,とくに「消費課税」の割合が低かったということです。

 現在「消費課税」のシェアは30%くらいです。
 そのメインの消費税が,税金全体に占める割合は10%くらい。

 しかし,1989年に消費税が税率3%ではじまったときには,(当然ですが)その割合はもっと低いものでした。
 「税率3%」の時代(1989~96年)に,消費税が税金全体に占める割合は,だいたい5~6%。
 これが,97年に現在の「税率5%」に引き上げられてから,10%程度のシェアになりました。

 今の日本の税金の全体的なシステムは,「所得課税中心」をベースに,近年は「消費課税」の割合を増やして修正したもの,といえるでしょう。

 ***

 日本の「所得課税中心」という税金のシステムは,第二次世界大戦(~1945)以後にできたものです。

 それ以前は,「所得課税中心」とは,ちがうシステムでした。
 では,どのようなものだったのか?
 
 明治の末から昭和戦前にかけての日本の税金のメインは,「消費課税」でした。1910年(明治43)には,酒・タバコにかかる税金が,国税収入の4割ほどを占めていました。

 さらにさかのぼって,明治時代の前期には,日本の税金の中心は「資産課税」でした。
 それは「地租」という,田畑の地価の3%を税金として納めるものです。1875年(明治8)には,地租が国税全体に占める割合は85%にもなりました。(以上,戦前の税金については板倉聖宣『歴史の見方考え方』より)。

 このように,時代によって,「税金システムの基本設計」は,大きく異なるのです。
 つまり,時代にあわせてシステムをつくり変えてきた,といえます。

 では,これからどうなるのか? どうしたらいいのか?

 今の動きの延長線上だと,「所得課税中心」から「消費課税中心」へ移行しつつあるといえるのでしょう。あるいは,「所得課税と消費課税をバランス良く」ということかもしれません。

 はたしてそれでいいのか,という議論は当然あるでしょう。

 そういう議論の基礎として,私たちは「所得課税」「消費課税」「資産課税」それぞれの特徴を知らないといけないと思います。
 たとえば,それぞれのうちのどれかを強化した場合に,どんなことが起こり得るのか?……そんなことを少しでいいから知っておくのです。

 そんな「所得課税・消費課税・資産課税,それぞれの特徴」の話を,次回にしたいと思います。今回はここまで。

(以上)  
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2013年09月29日 (日) | Edit |
 以前の記事(9月10日)で,ドラマ「半沢直樹」のことを少しだけ取り上げました。
 筋の通った中堅銀行員が,理不尽で卑劣な上司・先輩を叩きのめす。
 それでみんな「すっきり」している。
 
 その「上司」にあたるバブル世代は,嫌われているんだなあ,と思います。私もバブル世代なので,しみじみ感じる。今の日本の,若い世代と中高年以上のあいだの「世代対立」ということが,ドラマのヒットに関係しているのかもしれない…

 そんな話題や,記事に寄せられたコメントをきっかけに,今の日本の「世代」間の問題について,考えてみました。

 ***

 世代間のギャップ・対立というのは,いつの時代でもあります。
 ただ,今の日本では,その「対立」の背景にある状況が今までと大きく変わりました。

 ひとつは,「超高齢化」ということ。

 日本の人口の,最も大きなまとまりである「団塊の世代」は,今65歳くらい。
 この人たちは,十数年後(2030年ころ)には80歳を過ぎます。
 それをどう支えていくか。

 一般的な予測では,2030年には,65歳以上のいわゆる「高齢者」が人口に占める割合は,32%になります(2010年には23%,2000年には17%だった)。
   
 もうひとつは,「経済の低成長が続いている」ということ。
 低成長が長く続くと,「よい仕事,よいポスト(職位・地位)」の供給が細くなっていきます。


 経済が成長しないというのは,会社も大きくならないということ。そうなると,人を新たに雇ったり,部署や管理職を増やすことが以前ほどにはできなくなります。

 すると,以前は「年功序列で地位や給料があがっていく」のを多くの人が期待できたのに,若い世代ではそうでもなくなっていく。
 安定した「よい仕事」に就くのも,以前より難しくなる…

 たとえば「非正規雇用」の増加は,その状況をあらわしています(それにしても「非正規」ってイヤな表現ですね)。

 非正規雇用とは,正社員以外のパート・アルバイト,契約社員,派遣社員等のことです。
(では「正社員」とは何かというと,「雇用期間の定めのない,終身雇用を前提とした労働者」と考えればいいでしょう)

 1990年には,男性(15歳以上)の非正規雇用者の割合は,1割弱でした。それが,2012年では2割ほどになっています。女性の非正規雇用は,1990年には4割弱だったのが,2012年には55%になりました。

 ***

 さて,「超高齢化」「新たな職やポストの供給減」――今の日本の世代間の問題を考えるうえで,このふたつの条件は,つねに忘れてはいけないと思います。

 そして,日々の言動のなかでも,忘れてはいけないのではないかと。
 とくに中高年以上の世代は,そうだと思います。

 まず,今の社会で,何よりも嫌われるのは「エラそうなオジさん(オバさん)」ではないでしょうか?

 ワシは長く生きてきて,なにしろ経験の厚みがある,だからワシを尊敬しなさい。

 今の世の中や会社を築いてきたのは,私たちの実績。だから,私の今のポジションは,与えられて当然(キミたちも頑張んなさい)。


 そういう態度が出てしまうのは,今の時代はホントにいけない。
 ふた昔前(今50歳くらいの私の若いころ)には,こういうオジさんも,まあまあ許されました。将来は自分もあのオジさんのような,まずまずのポジションが得られそうだ,と思えばガマンできなくもないです。

 でも今は(未来は)そうじゃないわけです。

 リタイヤ世代の方で,かなりの社会的地位(大企業や官公庁の役員・幹部とか)にあった人も,気をつけたほうがいいと思います。そんなことを自慢しないように……ふた昔以上前は,そういう方は,たとえば親類や知人の子の「コネ入社」の世話とかができたのです。
 でも,今はよほどの「大物」でないとムリです。
 それなのにかつての地位や仕事の自慢なんかしたって,嫌われるだけ。

 若い人からすれば「オジさん,そんなに偉いなら,ボクを(あたしを)その会社に就職させてよ」といいたいでしょう。

 今の若い世代からみれば,オジさんたちは「先に生まれただけで,おいしい果実を先に持っていってしまった人たち」と映っている面がおおいにあるのです。

 ネット上では,若い人たちの「あいつら(オジさんたち),エラそうでムカつく」という話が,あふれています。感情的なものもあれば,理路整然としたものもあります。私もオジさんなので,読んでいるとめげるので,あまりみませんが…

 「超高齢化」の時代です。若い人には,これからたいへんな負担をかけることになります。中高年はエラそうにしている場合ではないのです(かといって,もちろん卑屈になってもいけない)。

 なお,私は以前は会社勤めをしていましたが,今はフリーターのような立場。若い人の前で「自慢」はしにくい状況です。なので以上のようなことを書きやすい面があります。また,今の仕事で若い人向けの就職相談をしていることも,今回の記述に影響しています。

 ***

 以上は個々人の態度の話ですが,政策的な「課題」についても考えてみましょう。
 つまり,「超高齢化」「職やポストの供給減」のなかでの課題。

 私は,一つの糸口・勘所として「同一の仕事には同一の賃金を」ということが大事だと思っています。

 非正規の人で,正社員と同じような,ときにはダメ社員よりもずっと仕事をしている人がいる。こういう「よく働く非正規」の多数派は,若い現役世代です。でも,その賃金は正社員よりもあまりに低い。これを政策的になんとかできないか。

 非正規雇用の問題については「非正規を正社員化する」という方向の主張もあります。じっさい,その手の法改正なども,近年行われている。

 しかし,現実として「非正規の正社員化」は容易ではないと思います。

 もちろん,正社員としての雇用を,社会全体で大きく増やせるなら,そのほうがいいに決まっています。個々人の問題としても,正社員になれるなら,当然そのほうがいいのです。

 しかし,社会全体の方向性として考えると,「非正規の正社員化」は困難ではないか,ということです。
 「不透明な時代なので,会社の業績・状況に応じて解雇可能な労働力の比重を高めたい(正社員の解雇は法的に困難なので)」という企業側のニーズは強固です。法改正などでは簡単には崩せないと,私はみています。

 しかし,「同一労働・同一賃金」なら,いくらか話がちがいます。説明は今回は省きますが,企業側にも検討の余地があるはずです。やり方しだいでは,職場の生産性向上にもつながる要素があるのです。
  
 高齢化とか「世代間」とかいうと,社会保障やその財政上の問題など,大問題が目白押しです。
 そこももちろん重大なのです。しかし,比較的短期に前進できる(かもしれない)課題として,「同一労働・同一賃金」ということは,もっと議論されていい。
 
 そもそも「仕事に応じた賃金」なんて,本来あたりまえのことでしょう。

 「同一労働・同一賃金」の考え方が力をもってくると,それはいろんな形で波及して,日本の職場や経済に影響をあたえるのでは,と思っています。

 ***
 
 とにかく,できるだけ早く,今の時代特有の「世代間のわだかまり」のもとになりそうな状況に対し,手を打つべきなのでしょう。そのために,私たち(とくに年長者)の態度や心持ちも切り替えないといけないし,政策的にも大きなことをしていかないといけない。
 
 今回は,そのあたりの入口の話でした。おそらく多くの人がご存じだったり,思っていたりすることを,ちょっとまとめてみた,という感じです。

(以上) 
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2013年09月17日 (火) | Edit |
 ちょっと過ぎてしまいましたが,おとといの9月15日は,「リーマン・ショック」からちょうど5年目にあたります。
 あれは2008年のことでした。

 ※リーマン・ショック:米国のリーマン・ブラザーズという巨大投資銀行(証券会社の一種)の経営破たんをきっかけに起こった,株価暴落などの金融危機

 あれから5年。
 今現在の世界全体の株価は,リーマン・ショックの直前を約2割上回る水準なのだそうです(世界全体の株価動向を示すMSCI世界株価指数というものによる)。

 日本の株価も,そのような「世界平均」とほぼ同じレベルで回復しています。(以上,日経新聞9月15日朝刊による)

 5年前の今ごろ,「世界はどうなってしまうんだろう」という不安を,程度の差こそあれ,多くの人が抱いたと思います。私もそのひとりでした。
 
 当時,1929年にはじまった世界大恐慌のことが,しばしばひきあいに出されました。

 ※世界大恐慌:1929年10月24日のニューヨーク市場の株価大暴落をきっかけに広がった,世界的な大不況

 大恐慌以降――1930年代の世界は,混迷をきわめました。
 具体的な経緯は省きますが,結局その混迷は,第二次世界大戦へとつながっていったといっていいでしょう。
 大恐慌は,世界の「破滅」につながったのです。

 そして,アメリカで株価が大恐慌以前の水準に戻ったのは,戦後の1950年代後半のことでした。20数年かかったわけです。(2008年10月30日読売新聞朝刊による)

 1930年代のようなことに,またなってしまうんじゃないか。
 つまり,混迷が長期化して,なんらかの「破滅」へ世界はつき進むのではないか。
 そんな不安を述べる人もいました。

 でも,そうはならかったようです。
 なんでだろう?

 ***

 私の手もとに2008年11月18日の日経新聞のコラム「大機小機」の切り抜きがあります。
 あのころ,私は失業していてヒマでした。それで新聞を丁寧に読んで,切り抜きしたりしていたのです。
 そのころの切り抜きのほとんどは捨ててしまいましたが,このコラムは印象に残っていたので,とってありました。

 コラムのタイトルは 「『30年代』にはならない理由」

 その「理由」はまず,1930年代とちがって,世界の政府の対応が速いから。

 大恐慌のとき,不況対策について世界67か国の代表が集まって議論した「世界経済会議」が開かれたのは,1933年6月のこと。29年10月の株価の暴落から3年8か月も経っています。これは遅い!
 それに対し,リーマン・ショックのときには,2008年11月上旬にはG20の首脳が集まる「金融サミット」が開かれ,危機への対応策が話し合われています。

 また, 「政策対応のスピードの違い」「国際協調」のほかに,ケインズ理論をはじめとする経済学の知見が蓄積されたことも意味がある,といいます。

 金融機関への資本注入やさまざまな金融緩和,景気対策としての公共事業,貿易を縮小させる「保護主義」の排除など,「なすべきこと」を今の政府は知っている。
 
 だから,「30年代」のようにはならないだろう…というわけです。

 で,このコラムの筆者の「手毬」氏という人は,先日9月14日の「大機小機」にも登場して,「前に自分が述べたことは,おおむね正しかった」という意味のことを述べています(「30年代にはならなかったが」)。

 まあ,たしかにそうです。
 その9月14日のコラムをみて,2008年11月の切り抜きのことを思い出したのでした。

 ここで得られる教訓・イメージはなんでしょうか?
 
 おそらく,「いろいろ問題はあるけど,人間はいくらかは進歩している」ということではないでしょうか。
 少なくとも,経済の運営ということにかんしては,1930年代より多少は進歩しているようです。

 もちろん,限界や問題だらけではあります。

 だから,「強欲」がまた力を持って,あやしげなバブルを生むということが,これからもくりかえされるかもしれません。
 「危機を脱した」となると,そういう動きがまた活発化しつつあるのかもしれません。

 そして,「進歩した」ということは,そのなかで発生する問題も「進歩(グレードアップ)」しているのでしょう。

 たとえば財政危機の問題。
 リーマン・ショック以降,現在までに世界の主要国の政府債務は,おおむね大きく増大しました。リーマン・ショック以降の危機に対応するため,さまざまな財政出動を行った結果です。これが今後どうなっていくのか…日本はその問題の「最先端」にいるわけです。

 ***

 でも,こんなふうに「世界はこれからどうなるんだろう」という一方で,「自分はこれからどうなるんだろう?」ということも,考えます。 

 これからまた5年先に,どこで,どんな毎日を送っているのか?
 とくに,仕事は何をしているのか?

 さきほども述べましたが,5年前,私は失業中でした。
 サラリーマンを辞めてある事業を立ち上げたのですが,いろいろあってそこから撤退した直後のことでした。(「独立系投資信託」という,株価にもかかわる金融系の事業です。そのことはまたいつか)

 その後もいろいろあって,今は,新しい仕事で働いています。
 「若い人の職業相談に乗る」という,5年前にはまったく考えていなかった仕事です。

 人間,どうなるかわかりません。

 だから「5年後に,世界は,自分はどうなっているんだろう…」というのは,ほんとうに切実に思うことです。(まあ,「7年後の東京オリンピックのときに…」と考える人も,最近は多いかもしれませんが)

 みなさんは,そのあたり,どうでしょうか?

 今日の帰りの通勤電車では,そんなことを考えていました。

(以上) 
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2013年06月16日 (日) | Edit |
 今回は,かけ足で,ざっくりと経済の全体的な話をします。

 そのへんのメージがぜんぜんないと,今の経済の話はさっぱりわかりません。
 すでに知っている人も再確認ということで。
 基本的なことを,手軽に・人知れず,少しまとめておさえておくにはいい記事だと(著者としては)思ってます。

 いろいろとはしょっている,説明がとんでいる部分が多くあります。でも,「全体をみわたす」ことを優先しました。


 経済はまず,つぎの2つから成り立っています。

 1.実体経済(モノやサービスの生産・販売) 
 2.金融経済(銀行が企業にお金を貸す,株などの証券を売り買いする等々)


 この2つは,次元が異なります。お互いつながっているけど,別々のもの。

 経済は,けっきょくは「お金の動き・流れ」だともいえます。
 それには,「実体経済のお金の流れ」と「金融経済のお金の流れ」があります。

 私たちが,自動車を1台買うのは「実体経済のお金の流れ」。
 自動車メーカーが,工場を建てる(設備投資する)のも,そう。

 これにたいし,私たちがトヨタのような会社の株を買うのは「金融経済のお金の流れ」。
 銀行が,設備投資をする自動車メーカーにお金を貸すのも,そう。

 実体経済のお金の流れと,金融経済のお金の流れは,どこがちがうのか。

 実体経済のお金の流れは,そこで「付加価値」が生まれています。
 自動車という現実の生活や生産に役立つモノが生み出され,それが誰かに「買われる」というかたちで,その「価値」が実現している。
 実体経済は,「付加価値を生む」世界。

 GDP(国内総生産)というのは,国内で生産された付加価値の合計です。「買い物額の合計」といってもいい。
 実体経済の世界=GDPの世界,といっていいです。

 関連記事:GDPとは国全体の買い物額
 
 金融経済は,直接はそのような「付加価値」を生みません。
 銀行が企業にお金を貸す,誰かがどこかの会社の株を買う,ということじたいはGDPにはカウントされません。直接は付加価値を生んでないからです。

 しかし,金融経済は,付加価値を生む活動を下支えしています。
 銀行が設備投資しようとする企業にお金を貸すことで,企業は思うような生産活動ができるのです。
 
 金融がしっかり機能しないと,実体経済は不活発になってしまいます。
 
                       *

 アベノミクスが行ってきた「金融緩和」は,経済にマネーを送り込むこと。

 でも政府・日銀が直接に「実体経済」にマネーを送り込むことはできません(ヘリコプターでお金をばらまいたり,魔法の力でみんなのサイフの中身を増やすわけにはいかない)。
 金融緩和で,マネーが直接に送りこまれるのは,「金融経済」です。つまり,銀行などの金融機関にたいしてです。
 
 だから,金融緩和によって動きだすのは,まず金融経済です。
 そして,金融経済で取引する人たちは,経済のいろんな「動き」に敏感で,反応しやすいです。そこで安倍政権の金融緩和などの動きにたいして,為替や株式などの金融の「市場」は,はっきりした反応を示しました。「円安」や「株価の上昇」ということがおこったのです。

 このあたりから,金融経済の動きが実体経済にも関係してきます。
 
 円安は,有力なメーカーのような,日本を代表する企業(輸出産業)に有利にはたらきます。
 これには,円安で有利になる企業の株価を上昇させる,という作用もあります。

 株価の上昇は,株を保有している個人や企業に利益をもたらします。株で儲けた個人は,ちょっとぜいたくをしたりするでしょう。つまり,「買い物」が増える=GDPの増加です。社会のほんの一部の動きですが。
 企業も,財務内容がよくなるので,活動しやすくなります。

 株のような「資産」の価格が上がると,その資産を持つ人の財布のヒモがゆるむということがある。
 このように,金融経済の動き(為替とか株価とか)は,実体経済に影響をあたえます。
 このイメージはとてもだいじです。
 
 なお,このイメージは,今でこそ経済を語る人は誰でももっていますが,20~30年前のバブルのころの日本ではそうでもありませんでした。「株価(や地価)がどうなろうと,実体経済は大丈夫」という意見もかなり有力でした。
 だから,今でも「経済のことはよくわからない」という人にとっては,なじめないところがあるのでは?

                       *

 さて,ここで「実体経済」の構造に分け入りましょう。

 実体経済=GDPというのは,どういう内訳になっているか,ということです。これはとてもだいじ。

 GDPはおもに,つぎの3つでなりたっています。

 ①個人による買い物(≒個人消費)
 ②企業による買い物(≒設備投資)
 ③政府による買い物(政府支出。公共事業や公的サービスを行うために支払うお金)


 つまり,おおまかにいえばこうです。

 実体経済(GDP)= 個人消費 +(企業の)設備投資 + 政府支出

 近年の日本のGDPは500兆円弱。
 そのうち6割が個人消費。あとは設備投資が2割,政府支出が2割弱。

 関連記事:総買い物額の内訳

 個人消費と設備投資と政府支出。このうち最も変動が激しいのはどれだと思いますか?

 じつは設備投資なのです。
 設備投資は,景気の動きに敏感に反応して上下します。

 たとえば,リーマンショックの直後は,企業の設備投資は対前年で20~30%減少しました。
 個人消費は,そんなに激しくうごきません。「20~30%」とくらべれば「ほぼ一定」といえる増減しかおこりません。毎日の暮らしをそんなに急には変えられないです。

 なお,政府の支出は,政策によってかなり人為的に動かせるのが特徴です。しかし,政府支出全体を1年で20~30%上下させるというのは,むずかしいです。
 安倍政権は,景気浮揚のために,公共投資に一層力を入れるといっています。公共投資を増やしたら,その分は確実にGDPが増えます。
 「ケインズ政策」といわれるこの方法は,戦後の日本でずっと行われてきました。

                        *

 さて,今の経済の動きの最大の焦点は,「設備投資がどこまで増えるか(増やせるか)」ということです。
 
 今,「景気が上向くかもしれない」という判断で,設備投資を増やそうという動きはたしかにあります。「景気が上向けば,売上・注文が増えるだろうから,それに対応する準備をしよう」ということです。

 株価が上がっている,一部でぜいたくする人が出ている,輸出企業が元気になってきた,といった(ほかにもありますが)さまざまな社会の変化を企業が察知しているのです。

 日経新聞の調査によれば,2013年度の全産業の設備投資の計画は,前年度実績より12%増ということです(6月3日朝刊)。これは,近年の「好景気」といえる2004~2005年ころの水準に近づいているといえます。

 ただし,これは4月末時点の計画を集計したもの。その後,株式相場の急激な上昇が「調整」の局面になったので,企業が計画を見直したりするかもしれません。

 政府は,企業の設備投資をうながすために,つい最近「設備投資に対する減税」の政策を打ち出しました。

                        *

 では,企業が設備投資を増やすと,どうなるのか。
 
 ここでだいじなのが,「波及効果」という概念です。「あることが,さらにあることをつぎつぎと呼んでいく」ということ。「〇〇が〇〇を呼ぶ」世界。

 ある企業が工場を建てるとか,生産ラインを増やす,ということは,建設会社とか機械メーカーに発注するということです。その発注額とは,つまり企業による「買い物」です。その分,GDPは増えます。

 でも,それだけではありません。
 たとえば新しい工場ができれば,そこで新しく人が雇われるはず。受注した建設会社や機械メーカーの売り上げも増える。仕事も忙しくなる。
 雇用が増えたり,働く人たちへの給与が増えたり,ということが起こり得る。

 そういうことが社会のあちこちで起こったらどうなるか。
 
 そうなると,個人消費も増加傾向がはっきりしてきます(設備投資ほどはげしい動きではないにせよ)。雇用や給与が増えるというのは,個人の所得が全体として増えるということです。それに応じて,消費も増えていく。
 それに反応して,企業の側もさらに設備投資に積極的になる……

 これが「波及効果」です。

 今は「工場」を例にあげましたが,別に製造業でなくてもいいです。飲食店のようなサービス業的な分野でも同じことです。むしろ,今の経済は製造業よりもサービス業で働く人のほうが多いので,サービス業での業務拡大・設備投資は重要です。

 以上のような「波及効果」が起こっていくなら,理想的です。

 でも,そこまではまだまだいっていないわけです。
 金融緩和で,最初に「火」がついたのは金融経済。
 そこからの「熱」が実体経済の一部に伝わってきた…今はそんなところです。

 しかも,最初に「熱く」なったはずの金融経済(株式市場など)も,5月末からの状況だとかなり熱気が下がっています。一時1万5000円台までになった日経平均株価は,先週末で1万2000円台と,4月はじめの水準に戻りました。
 とはいえ,前の政権のころの8000円台より大きく上がった,という状態はまだキープされています。

 経済全体に「熱」が伝わっていくのには,かなりの時間がかかります。
 1年弱くらいの時間は最低かかる,という専門家は多いです。

 たしかに,設備投資の計画が実現して,それが雇用によい影響をおよぼして…というのは,かなりの時間がかかるでしょう。

 そして,今のべた「波及効果」のイメージは,あくまで「理想」です。
 「理想」どおりいくためには,いろんな「壁」があります。
 設備投資が増えても,雇用や働く人の給与が増えない,ということもあり得ます。2000年代前半(小泉政権時代)の「好景気」は,その傾向がありました。

 その「壁」を超えられるか,つまり,実体経済のなかで,最も「熱」が伝わりにくい「個人消費」にどうやって「熱」を伝えていくのか――これが「設備投資がどれだけ増えるか」のつぎの焦点です。
 でも,今の動きはまだそこまでいっていません。その前の段階(設備投資が増えるかどうか)なのです。
 
 その「壁」の問題などについては,ここでは立ち入りません。このへんでやめておきます。

                       *
 
 以上,特別なこともない,ありふれた解説です。
 でも意外と,このくらいの広い範囲をサーッと述べている解説をみないので,自分で書いてみました。だから,じつはありふれてないかもしれません。

 テレビなどをみていると,こういう初歩的なイメージもないままに,今の経済についてコメントする人(経済の専門家ではない,キャスターやコメンテーター)もいるようです。
 「株が上がったって,我々庶民には関係ない」みたいな話でおわらないでほしいものです……
 ふつうの世間話ならいいのです。でもテレビで賢そうな人がいうのはちょっと,と思います。

(以上)
2013年06月15日 (土) | Edit |
 日経平均株価は,この5月23日に大幅に下落(1143円安)してから,大きく上がったり下がったりを何度もくりかえしながら,この週末には,4月はじめの水準にまで下がりました。最近のピークだった1万5000円台から,1万2000円台に下がった。

 それにしても,その上がったり下がったりの様子はなんだかヘンです。

 米国の経済統計がこうだったから,安倍首相の発表した「成長戦略」がイマイチ,為替市場で円が高くなる動きがちょっとがあった……毎日発生する個々のトピックに対し,反応をくりかえしているわけです。

 統計でみる米国経済の動きも,首相が打ち出す政策も,円相場も,たしかに経済にとってだいじなことです。
 でも,1日ごとにビクビク反応するのは,やはり奇妙な光景です。
 しかしそういうことを,ずっと「市場」は続けています。
 なんだかバカみたい。
 「子どもの目」になってみたら,そう映る。

 これでは,多くの人にとって,株式とか株式市場,ひいては金融というものが「うさんくさい」と映っても当然です。嫌われ,バカにされても無理はない。

 でも,「株式」「株式会社」というのは,人類の偉大な発明です。
 株式は,ほんらいは「市場」で奇妙な売ったり買ったりを繰りかえすための素材として発明されたわけではありません。

 株式や株式会社は,「社会のより多くの人たちが,新しい事業をたちあげ,社会をつっていくための道具」として生まれました。1600~1700年代の,イギリス,オランダなどの西欧でのことです。

 「株式」という証券を発行し,多くの人から出資をつのって,会社をたちあげる――そのような株式会社というしくみがなかったら,「起業」ということはとてつもなく困難です。ささやかな事業ならともかく,工場や鉄道を建設したりするようなことはむずかしいです。

 だから,「株式会社」以前には,ある程度のスケールをともなった「起業」は,貴族や富豪のような特権階級か,そこに特別のコネがある者にしかできませんでした。

 それが,株式会社という制度によって,特権階級でなくても,一定の「才覚」があれば,起業できるようになった。
 これは,社会を大きく変えていきました。
 
 このへんのイメージを,少しでも伝えるための「読み物」を私は書いているので,いずれこのブログでご紹介したいです。
 その読み物では「株式とか株式会社って,建設的で,だいじなものなんだな」というイメージを伝えたいです。

 でも,たいていの人は,そういうイメージはあまり持っていません。忘れている,といっていい。
 それよりも,まず目につくのは,いかにも強欲な,「市場」のヘンな動きです。テレビや新聞では,おもにそれが報じられている。

 インテリとか文化的と言われる人の多くは,「市場」的なものにたいしとにかく懐疑的です。
 少し株式市場が活況になると,「あんなのはいずれダメになる」という人が多いです。そして,上昇相場が終わると(上昇相場というのは,たしかにいつかは終わります),自分の見識が正しかったことを確認するのです。
 こういうことが,ずっとくりかえされています。

 その一方で「市場」に参加して,とにかく毎日忙しい,金融のプロや一般投資家のような人たちがいる。

 こういう,「対極」にある人たちばかりが目立つ気がします。
 もう少しちがう立場というのはないのか。
 私は,それを模索しています。
 さきほど述べた「株式会社の建設的なイメージを伝える読みもの」を書いたのも,その「模索」の一部です。

(以上)
 
2013年05月25日 (土) | Edit |
 マスコミの仕事は,「人びとが社会についてより賢明に判断するために,情報や考え方を知らせる」ということでしょう。じっさい,マスコミはその役割をそれなりに果たしていると思います。

 でもたまに「そのときどきの出来事に反応して,気分を煽るだけ」になってしまうこともあります。

 「株式相場」とか「景気」にかんしては,とくにその面がつよいです。

 たとえば,株価が低迷しているとき,マスコミはほとんど株のことを話題にしません。読者(視聴者)も見向きもしません。
 でも,株価が上がってくると,あちこちで特集が組まれます。読者も関心を持ってくれます。「今,株を買ったらいいですよ」という「イケイケ」のメッセージを,人びとはそこから受け取ります。
 
 でも,「株価の安定性」という面からみると,相場が低迷しているときこそ,株を話題にして,相場に勢いがあるときには,もっと冷静な態度をとるほうがいいはずです。

 「安定性」「安定的な変化」というのは,社会にとって重要です。
 「急激」な変化は,しばしば問題や副作用をひきおこします。

 ところで,テレビの科学番組でみたのですが,ある種の向精神薬と,ある種の違法薬物は,「脳に作用して,効いているときの状態」が似ているのだそうです(分析の画像でみると,たしかに似ている)。
 では何がちがうのか。「効く」速度がちがうのです。
 違法薬物は,急激に効いて,急激に消えていく。正しい薬は,もっとゆっくりと作用する。

 物価だって,1~2年で2倍に上がったら,大問題になりますが,20年で2倍なら,むしろ「健全」といわれます。

 マスコミはときどき,「急激な変化」に加担することがあります。
 たとえば「不安が不安を呼ぶ」ときの,「社会の気分の増幅装置」になってしまう。ほんとうは「安定化」に貢献しないといけない場面でも,そうなってしまう。

 でも,最新のニュースを報道する以上,そうなりがちなのは,しかたがないともいえます。

 たとえば,それまで何か月も上昇一本やりだった株式相場が,ある日急落した。
 その事実を1面で大きく報道することじたいが,「気分の増幅」につながります。
 どんなに淡々とした表現であっても,「不安」は伝わります。

 だから,そこから先がマスコミ人の腕のみせどころなのでしょう。
 ことがらの背景にあるいろんな側面を,コンパクトにうまく伝えられるかどうか。
 むずかしいことだとは思いますが,それができたらみごとに「役割」を果たしたといえます。
 
                      *

 きのう,駅のスタンドでいくつかの新聞(朝刊)を買って,読みくらべてみました。株価の急落をどう報じているか。こういうときは,「読みくらべる」いい機会だと思ったのです(ヒマ人ですね)。

 23日の株式市場のことは,どの大新聞も1面トップでした。見出しを並べてみましょう。

 【日本経済新聞】 過熱警戒で売り増幅 株急落,1143円安 一時的調整の声
 【読売新聞】 株急落1143円安 史上11番目の下げ幅 金利上昇の悪影響懸念
 【産経新聞】 東証急落1143円安 NY株乱高下 世界市場混乱 期待先行に水差す
 【朝日新聞】 東証暴落1143円安 13年ぶりの下げ幅 円・金利も乱高下 アベノミクス危うさ露呈


 読売と産経は,淡々とした,客観的「事実」中心の表現。そのぶん,記事を読むと,ややぼんやりした感じがします。
 これに対し,あるメッセージを打ち出している新聞もあります。
 日経は「これは一時的な調整だ,景気失速ではない(はずだ)」。朝日は「ほら,アベノミクスはやっぱり危ない」。

 日経は,「株式市場が盛り上がってほしい」というスタンスが明確な新聞です。そういう読者層の新聞なのです。だから「イケイケ」な気分を増幅するところがあります(ところで,株価に影響しない出来事には,日経は冷淡です。株価急落と同じ日の「80歳三浦さんエベレスト登頂」のニュースは,他紙では1面でしたが,日経では社会面の扱いなのです)。

 朝日は,「株式市場」というのが,キライなのでしょう。そういえば,今回の株価の急落を「暴落」と表現したのは,このなかでは朝日だけです。

 記事全体をだいたい読んだのですが,今回については,朝日新聞は,事件に反応して「不安」「不信」を煽ることをしている,と感じました。そのように「〈警鐘をならすこと〉こそがマスコミの仕事だ」と思っている人が,紙面をつくっていると。それが見出しにあらわれているわけです。
 
 いつも朝日がそうだということではないでしょう。別の場面では別のマスコミが,同じような「増幅」をしていることもあるはずです。気をつけたいものです。

(以上)
  
2013年05月24日 (金) | Edit |
 昨日の株価の急落(日経平均株価が1143円下げた)をみていると,つくづく「金融経済と実体経済のテンポのズレ」ということを感じます。

 実体経済は,企業業績や個人消費など,よくなる動きがみえていて,それは一応続いている。
 株価などの金融経済は,実体経済よりもせっかちに先に行こうとしてしまう。
 実体経済と金融経済のあいだには,どうしてもズレやギャップが生じてしまう。
 そのなかで「市場」の参加者の心理を揺さぶるような何かが起きると,それにたいする反応がわっと起きてしまう(今回のその「何か」は,新聞によれば,「中国景気への懸念」などでした)。

 こういう動きをみて,「やっぱり,金融とか株とか好景気とかいうのは,いかがわしい」ということがあちこちでいわれるのかもしれません。

 でも,感情や気分で「いかがわしい」とばかりいわないで,経済にたいするもっと明確なイメージにもとづいてものごとをみる人が増えてほしいと思います。

 たとえば,金融経済について,それが「短期志向」でせっかちになるのは,「社会のお金の流れを活発にする」という金融本来の役割からして,当然といえば当然です。 
 関連記事:金融のいかがわしさの根底にある短期志向

 実体経済だと,たとえば新しい設備投資が実行されて成果を上げるまで,年単位の時間を要することもあります。これは金融で求められるテンポとはちがいます。「市場」参加者は,もっと早く成果を出したいのです。

 そういう「金融」と「実体」のテンポのズレのようなものを,基本イメージとして持っているだけでも,経済の見方はちがってくるように思います。
 たとえば,「実体」が徐々によくなっていても,「金融」が先に行きすぎると,「調整」がおきることもある。今回についてもそんな見方が(ひとつの仮説的イメージとして)うかんでくるはずです。
 そういう見方ができないと,今回のようなことは,ただ「わけのわからない不安なできごと」として映ってしまいます。

 もし「わけのわからない不安」が広がってしまうと,とにかく「急いで株を売らなきゃ」とか「やっぱり財布のヒモを締めないと」といった動きになっていく……

 でもほんとうは,世の中で「株価が少し下がったから,ここでちょっと買っておこう」なんていう人が増えたほうが,株価も安定してくるわけです。

 そういう「ちょっと冷静な人」が世の中で分厚くいる経済は,安定性が高いです。
 「金融」と「実体」のギャップからくるあつれきを,いろいろ緩和してくれる動きが生じるから。

 私自身も含め,経済についての教育・啓蒙がもっと必要だと思います。

(以上)
 
2013年05月18日 (土) | Edit |
 アベノミクスの政策の目玉である「金融緩和」は,「マネタリズム」という経済学上の考え方を理論的なバックボーンにしています。
 * 関連記事:5月11日「景気浮揚・何が効いている?」

 それは,ざっくりいうと,こういうこと。

 アベノミクスにおける「金融緩和」とは,社会に出回るマネーの量を増やすこと。
 これを強力に推し進めることで,「将来はインフレになる」という,人びとの予想に働きかける。すると,「今のうちに投資をしよう,買い物をしよう」と人びとが動きだして,経済が活性化するはずだ。

 この「マネタリズム」の古典的なかたちが,「貨幣数量説」というものです。1700年代の哲学者ヒュームあたりからはじまって,その後も多くの経済学者に影響をあたえました。

 貨幣数量説とは,「物価水準は,最終的には経済全体に流通するお金の量に比例する」というものです。
 お金の量が増えると,それだけ物価全般が上がっていくというのです。「お金の量」以外の条件が変わらないなら,ということですが。

 この理屈は,常識的な,たしかなことのように思えます。

 だから,マネタリズムの立場では「金融緩和を強く推し進めると,多くの人が貨幣数量説の原理に沿った発想で,インフレになると予想する」というのです。
 こんなふうに説明する学者もいます。
 「インフレとは,お金の価値が下がることだ。供給が増えればそのものの価値は下がるのだから,お金が増えれば,お金の価値も下がる。」

                        *

 私は,このような考えを,疑わしいと思っています。
 
 でも,その意味するところは,一応はわかるつもりです。

 貨幣数量説の説明は,こんなふうな「たとえ」でイメージできると考えます。
 「体育館と空気の流れのたとえ」とでもいいましょうか。

 窓のない,体育館のようなガランとした建物がある。
 建物には,換気口があり,そこからポンプで大量の空気を送り込む。
 すると,どうなるか。
 建物内部の空気圧が上がるでしょう。
 
 そして,貨幣数量説の考え方も,これと同じくらいあたりまえだというわけです。

 「社会のお金の量が増えれば,物価全般が上がる」というのは,「閉じた空間に大量の空気を送りこめば,空気圧が上がる」というのと同じようなことだ,と。

 貨幣数量説は,自明で確実な考えなのだ。
 だったら,これを経済の問題を考える基礎に据えよう。

 そんなふうにかなりの経済学者が考えました。

 もちろん,今述べたような「貨幣数量説」の説明が,きわめて単純化されたものであることは,その説を主張する人たちもよくわかっています。
 でも,「単純化されていても,おおまかには正しい」というわけです。
 そんな「ざっくりした説明」を,学問の用語で「第0近似」などといいます。
 ある有名なマネタリストは,「マネーの量に物価が比例するというのは,第0近似としては正しい」と発言しています。

 でも,ほんとうに「第0近似として正しい」のか?
 そこが私は気になります。
 
 単純化,抽象化がいけないのではありません。

 それは,ものを考えるうえで大事なことです。やたらと細かいことまで考えにいれていたら,ごちゃごちゃしてわけがわからなくなるものです。

 科学の進歩にとっても,単純化・抽象化は重要でした。

 たとえば,ガリレオの「落下運動の法則」は,「真空中」での物体の運動を論じたものです。空気抵抗のような複雑な要素は「捨象」する(ないものとして扱う)ことで,議論を単純化しています。
 それによって,ものごとの法則性が明確に浮かび上がったのです。これは,彼以前に物体の運動を研究した学者にはない発想でした。

 でも,ものごとのありかたに即さない,ゆがんだ「抽象」「捨象」をしてはダメです。

 太平洋戦争のときの日本陸軍が行った,作戦のシュミレーションなどは,それでした。

 あるとき,「この場所に,これだけの兵力を投入したとして…」といった検討をしていました。
 すると,「その兵力にたいする食糧補給はどうするのか?」という問いかけに「それは,補給できると仮定して…」と答えた参謀がいたそうです。「兵士がものを食べること」は捨象する,というのです。
 それは,あまりにも現実に反していて,「第0近似」とはいえません。そんな「捨象」にもとづいて作戦を考えたら,戦争には勝てません。

 しかし,補給の問題を軽視していた当時の日本軍にとって,そういう「ゆがんだ捨象」は,よくあることでした。

 この手のことを,「貨幣数量説」は行っているのではないか。

 貨幣数量説では,「経済という体育館に,マネーという空気を送り込めば,物価という空気圧が上がる」と説明しているように,私は思います。

 でも,現実の経済は,がらんとした体育館とは異質なものではないか。

 つまり,いくつもの大小の部屋に仕切られている・分かれている。
 国の経済の基本構造とは,そういうものではないのか。
 
 たとえば,空気が送り込まれる換気口の周辺が,壁で囲われた部屋になっていたら?
 その「換気口を囲む部屋」には,排気ダクトがあって,そのダクトが特定の小部屋や,建物の外につながっていたとしたら?

 そういう構造だと,建物の多くの範囲で,空気圧の上昇はないでしょう。
 空気が流れていかないからです。

 そして,そのような「換気口を囲む部屋」は,経済の世界に実在しています。
 それは「金融機関」というものです。

 金融緩和(マネーの増加)は,具体的には,日銀(中央銀行)が,銀行などの金融機関が保有する国債を買い取るなどして,行われます。国債が買い取られた分,金融機関の手持ちのお金は増えるのです。
 「お金の流れ」としては,そこまでは確実です。

 でもそこから先,金融機関が手にしたお金が,「実体経済」に流れていくかどうかについては,確実ではありません。いろんな「壁」があります。
 「実体経済」とは,消費者がモノを買ったり,企業が設備投資をしたりする,現実のモノやサービスの動きです。それは,「金融機関」という「換気口に直結する部屋」の向こうに広がる別の大きな部屋,といっていいでしょう。

 そして,この10年ほどの日本経済は,一定の金融緩和を行っても,お金が「実体経済」に思うように流れていきませんでした。

 たとえば,銀行で手持ちの資金が増えても,企業への融資は活発にはなりませんでした。
 「貸してもいい企業がみあたらない」というのです。
 では銀行はお金をどうしたのか? 一般企業への融資以外に,お金を回しました。たとえばアメリカ国債などの証券を買ったりしました。あるいは,証券や商品(資源)の取引市場で投資をする人たちに,融資したりしました。そこには海外の投資家も多く含まれます。

 このようなお金の動きを,「建物内の空気の流れ」でたとえると,

 換気口から送りこまれた空気が,「実体経済」の部屋に流れこまず,
 別のところ(「市場」などへ)へ流れていった

 ということです。
 
 「換気口と直結する部屋(金融機関)」の周辺には,「市場」という部屋があって,そこには空気が流れるようになっている――そんなイメージです。

 そして,金融緩和(マネーを増やす)が,実体経済に影響をあたえるのは,「市場」などの金融のお金の流れを通してなのです。
 その経路については,今回は立ち入りませんが,とにかく「物価上昇」とか「インフレ期待」といったこととはちがうのではないか。貨幣数量説の説明とはちがうのでは,ということです。

                       *

 「社会のお金の流れ」を「建物内の空気の流れ」に例えることは,私は気にいっています。

 そう考えることで,貨幣数量説が見落としているものが,みえてくるからです。

 「お金が増えれば,増えたものの価値は下がるから,お金の価値の下落=インフレになる」などという説明は,いかにも抽象的です。
 そこには,プロセスとか時間的経過ということがありません。「どういうことがおこって,マネーの増加がインフレにつながるのか」の説明がないのです。

 このことは貨幣数量説に否定的な経済学者・吉川洋さんが著書『デフレーション』(日本経済新聞出版社)のなかで指摘しています。吉川さんの本については,いずれ紹介します。

 そこで,「時間軸やプロセスのある,貨幣数量説の考え方」の「たとえ」として,「がらんどうの体育館モデル」を考えてみました。貨幣数量説のロジックを,無理やりですが,明確なプロセスのある現象で表現しようとしました。
 それが,「がらんどうの体育館に空気を送り込んだら気圧が上がる」という想定です。
 
 でも,現実の経済は,「がらんどうの体育館」とは基本的にちがうのではないでしょうか。

 空気が均質的に流れるのを妨げる構造になっている。
 さまざまな仕切りや空気を誘導する設備が,そこにはある。
 (そして,仕切られた部屋ごとに,異なるルールがある。たとえば,金融の「市場」関係者と,実体経済に生きる消費者や企業家では,発想や行動が大きくちがう)
 そういうことを「捨象」してしまってはいけないのではないか。
 それでは,現実を「整理」するのではなく,現実から「乖離」するだけではないか。

 「体育館」や「空気の流れ」のような,実体のはっきりしたものになぞらえて考えると,それがみえてくると思います。
                    
                        *

 マネタリズムとか貨幣数量説について考えるというのは,たんに「経済ニュース」について知る,ということではありません。
 「社会科学の発想とはなにか」について考える,よい材料だとも思っています。
  
(以上) 

テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年05月11日 (土) | Edit |
 1か月ほど前(4月14日,日曜日)の日経新聞の1面トップの見出しは,つぎのとおりでした。

 景気 動き出す歯車
 消費先行,投資カギ


 この記事のリード文(要約)は,こう。

 景気が浮揚してきた。円安・株高を好感して消費者は財布のヒモを緩め,企業は生産を増やし始めた。金融緩和,財政支出,成長戦略を柱とする安倍晋三政権の経済政策(アベノミクス)で成長力が高まると投資家は期待する。ただ,回復の持続力への懸念で企業は国内で雇用や投資を増やすことにまだ慎重だ。デフレ脱却に向けて超えるべきハードルは幾つもある。

 このような状況は,今現在も続いているといえるでしょう。

 アベノミクスの政策の柱はつぎの3つです。「三本の矢」などといっています。
 その目的は,「景気浮揚」にほかなりません。

 1.金融緩和。経済の中で動くお金の量を増やす。
 2.財政支出。公共事業を増やす。
 3.成長戦略。政府が主導する産業・経済の活性化策。中身はまだはっきりしない。

 このなかで,「目玉」といえるのは,1.金融緩和です。

 「経済の中で動くお金の量を増やす」といっても,ほんとうはもっと説明が必要ですが,今回はいい加減にすませます。
 これはより具体的にいえば,「日本銀行が,銀行などの金融機関が持つ国債をより多く買い取るなどして,金融機関の手持ちの資金量を増やす」ことをさしています。ここで「お金」というのは,「現金・預金と,それに近い金融資産」のこと。なにかを買うときの支払い手段として,すぐに使える資産のことです。
 そして,銀行などで手持ちのお金が増えれば,それがなんらかの形で経済の現場に流れていくだろう,と考えます。

 それが経済を活性化させるはずだ,と。

 じつは,このような「金融緩和」は,これまでにも行われてきました。けれど,それをもっと大々的にやろう,というのがアベノミクスの主張です。そして,そういう考えの人を日銀総裁に据えました。

                      *

 では,経済の中で動くお金の量が増えると,なんで経済が活性化するのか?

 これについては,「マネタリズム」という,経済学上の考え方があります。それが,アベノミクスの金融緩和政策の理論的なバックボーンです(私はこれに疑問を持っていますが,とりあえず,この説の立場で説明していきます)。

 そのキーワードは,「期待(予想)」です。

 経済の中で動くお金の量が増えることで,人びと(消費者・企業)が,「将来は物価が上がるのでは」と期待・予想するはずだ。金融緩和によって,そういう認識を生み出す働きかけを行うのだ。

 そんなふうに考えます。
 ではなぜ,金融緩和が「将来は物価が上がる」という予想を生むのでしょうか?

 これは,「貨幣数量説」という考えに基づくものです。
 貨幣数量説とは,「物価水準は,(究極的には)経済全体で流通する貨幣の量で決まる」という理論です。
 流通するお金の量が増えれば,それは物価全般の水準を押し上げていく。
 たとえば,国全体で100兆円の貨幣が流通していたとして,それが200兆円に増えれば,あらゆるモノの物価は上がるはずだ(どういう速度やプロセスで増やすかによって,どの程度上がるかは変わってくる)。

 こういう考えは,いかにも原理的で,たしかな真理のようにも思われます。
 そして,かなり古くから主張されていました。1700年代の哲学者ヒュームの主張が,その「古典」です。

 そして,「世の中全体も,この原理にもとづいて未来を予想するだろう」というのがマネタリズムの前提です。
 つまり,「世の中で流通する貨幣の量が増えていくので,これから物価は上がるだろう」と,多くの人が予想・期待するはずだと。

 すると,どうなるか。
 「物価が上がる前に,買うべきものは買っておこう」と考え,行動しはじめるだろう。

 個人なら,自動車や家などの大きな買い物を今のうちに。
 企業なら,設備投資を今のうちに。

 こういうことが起こりはじめると,経済は動きだす。景気が浮揚してくる。
 そうなると,さらに人びとは「物価上昇」がおこるという予想を強めるだろう。
 そして,さらに「今のうちに買っておこう」ということになる……

 経済の中のお金の量の増加 ⇒ 人々が物価上昇を予想 ⇒ 買い物・投資を前倒し ⇒ 経済活性化

 金融緩和がどう景気浮揚に結びつくか,その「マネタリズム」的説明は,おおざっぱにはこんなところです。

 でもこの説明は,私は正直いってよくわかりません。多くの疑問があります(その疑問については今回は立ち入りません)。
 
 そういうと,こう思う人もいるかもしれません。
 
 「でも,アベノミクスで金融緩和することになって,これからどこまで続くかはともかく,とりあえず景気がよくなってきたんでしょう?だったら,そのマネタリズムとか貨幣数量説とかの考え方が正しかったということなんじゃないの?」

 たしかにアベノミクス以降,景気は上向いてきました。
 そして,それが「金融緩和」と結びついている,少なくとも「政府が金融緩和を強く打ち出した」ことと結びついているのは,私も認めます。

 でも,金融緩和の政策が影響をあたえたのは,今のところ,広い範囲の人びとの「物価にたいする予想」ではありません。アベノミクスにいちはやく反応したのは,株式市場や為替市場などで取引をする人たちでした。
 
 こういう「市場」に参加する人たちの感覚は,世の中の多数派とはちがいます。
 ある種の「雰囲気」とか,政権のメッセージなどに,敏感に反応するところがあります。
 また,誰かが反応すると,それにすぐに追従したがるということもあります。
 要するに「ブームに乗りやすい」「付和雷同」なのです。

 そういう「市場」参加者の「予想・期待」を動かすことには,アベノミクスはかなり成功したようです。

 金融緩和は,最近の円安を生みだしました(なぜそうなるのかのしくみについては,今回は省略)。

 円安は,日本の株式市場で重要な位置を占める(日本企業の「顔」のような存在),大手輸出企業の業績を好転させました。円安は輸出企業に有利に働きます(このあたりも,今回は説明は省略)。

 また一方で,金融緩和は最近の(日本の市場での)株高も生みだしました。

 そこには,円安によって輸出企業の業績が改善される見通しがでてきたことがあるでしょう。
 しかしそれだけではなく,もっと抽象的な「期待」が,株式市場で生まれたということもあるでしょう。最近の日本の株高は,安倍政権の成立前後からはじまっています。

 株価の上昇は,「資産効果」ということにつながっていきます。
 株式などの資産価格の上昇が,消費をうながすのです。
 つまり,値上がりした株を売って儲けた人,売ってないけど値上がりで儲けた気分になった人の財布のヒモを緩めます。それが,消費拡大のきっかけになります。最近も,高級ブランド品や億ションなどがよく売れているといいます。

 社会の一部であっても,景気よく買い物する人が出てくれば,より広い範囲の人の心理にも影響をあたえます。多くの人たちの財布のヒモも,いくらか緩んできます。居酒屋でちょっと高いメニューの売れ行きがよくなったりするのです。
 
 以上のようなことが,今の日本の経済でおこっているようです。

 そして,こういう「景気浮揚」は,アベノミクスが頼りにする経済理論(マネタリズム)の説明とちがうのでは,と思うのです。少なくとも,マネタリズムが最も強調しているロジック(人びとの物価に対する「予想」への働きかけ)とはちがうのではないか。

                       *

 「アベノミクスで景気は良くなるか?」ということを,人と話すことがありました。よくある世間話です。

 私の今の時点の考えは「その可能性は相当にある。でも,景気が良くなったとしても,アベノミクスが支えにしている経済理論の想定とはだいぶちがったかたちになるのでは?」ということです。

 でも,経済政策ってそんなもんじゃないでしょうか。

 つまり,経済学というのは,まだまだあやしいのです。自然科学のようなレベルにはいっていません。
 経済学者のあいだでは,物理学者や化学者の世界のような,共通基盤となる理論や前提が確立していません。

 経済政策を決めるうえで導きの糸となる,確実な理論は存在しないのです。それが言い過ぎなら,確かなものはごくわずかだ,ということです。

 だから,政府は「景気を良くするために,効きそうなことは,あれこれやってみる」というスタンスでもいいと思います。

 アベノミクスは,一応それをやっています。
 たとえば,「金融緩和」の一方で,「財政支出(公共事業)」もやるというのです。公共事業に力を入れるのは,ケインズ政策的な発想です。つまり,「金融緩和」を重視するマネタリズムの経済学とは異なる学派の発想なのです。

 こういう「効きそうなことは,いろいろやる」という政策をみていると,私は昔のある「実験」を思い出します。
 それは,1700~1800年代の「壊血病」の克服をめぐる研究です(以下,楽知ん研究所の吉村烈さんの科学史研究レポートを参照しました)。

 壊血病は,ビタミンCの不足が原因で発生する病気です。身体のあちこちで内出血が起こったり,歯が抜けたりします。重症になると,死んでしまうことも多く,恐れられていました。
 壊血病は船乗りに多い病気でした。新鮮な食べ物(とくに野菜・果物類)が不足しがちだからです。
 でも,今では常識である「ビタミン」などにかんする栄養学説は,当時はまったく成立していませんでした。そして,確かな理論のないまま,さまざまな治療・予防が試みられていました。

 では,どんな「試み」がなされていたのでしょうか。
 たとえば「レモンを与える」「サイダーを与える」「硫酸エレキサーというものを与える」「海水を飲ませる」等々です。

 そのなかでも,「レモン」の有効性はかなり確認されていました。
 でもレモンの何が効くのかについては,説が入り乱れていました。「レモンの酸が効く」という説も有力でしたが,「じゃあ酢はなんで効かない?」といった反論がありました。
 「野菜も効くようだが,なぜだ?」といったこともありましたが,見当がつきませんでした。だから「野菜が効く」という説はマイナーでした。
 今の私たちは,「レモンのビタミンCが効く」ことを知っています。ビタミンCが含まれていれば,レモンにかぎらず,さまざまな食品(とくに野菜・果物)が効果あるわけです。

 でも,1900年代になるまでは,科学としての栄養学がないまま,壊血病の克服のために,手さぐりでこのような試みや議論をしていたわけです。

 今の経済政策も,この状況と似ています。たしかな理論のないままの暗中模索。

 壊血病の研究では,そもそもの話として「レモンが効く」という現象的な事実を,多くの人が認めるようになるのだって,相当な紆余曲折がありました。

 今の経済学でも,「金融緩和と景気や物価の関係」といった,「現象」のとらえ方からして,専門家のあいだで対立があります。「レモンが効く」かどうかさえ,はっきりしていない状態ということです。

 そのような経済学や経済政策の状況を,私たちは知っておいていいでしょう。
 
 でも,だからといって「なにもかもあてにならない」と斜に構えてもいけないと思います。
 「なんとか経済を良くしよう」という,今行われている社会的な試みを,真剣に見守ったらいいでしょう。

 「真剣に」というのは,「いったい,何が効くのか」を知ろうとすることです。
 まずは「レモンが効いているのでは」というレベルから。さらに,それが「効いていくプロセス」についても,現象や事実を冷静にみていけるといいと思います。

 とにかく,事実をみていきましょう。「アベノミクスはとにかくうさん臭くて,イヤだ」といった正義感のメガネや,「マネタリズムのような,権威のある経済学にもとづくから正しい」といった「机の上で考えた理論」のメガネは置いておきましょう。

(以上) 
2013年05月08日 (水) | Edit |
 おととい5月6日の日経新聞(朝刊)の1面の見出しに

《スパコン世界一奪還へ 20年稼働 「京」の100倍速く》

 とありました。

《文部科学省は2014年春から,世界最高性能の次世代スーパーコンピューターの開発に着手する。11年に世界一の計算速度を達成した理化学研究所のスパコン「京」を100倍ほど上回り,20年ごろの完成を目指す。スパコンは国の科学技術力の指標となるほか,産業競争力を左右するとされ,世界で開発競争が激化している。…》

 この記事には「世界のスパコンの計算速度ランキング」の表もありました。
 
 1位 オークリッジ国立研究所  米国,クレイ社製 
 2位 ローレンス・リバモア国立研究所  米国,IBM
 3位 理化学研究所  日本,富士通「京」
 4位 アルゴンヌ国立研究所  米国,IBM
 5位 ユーリッヒ研究センター  ドイツ,IBM


 アメリカの研究所やコンピューターメーカーが圧倒的です(クレイもIBMもアメリカの企業)。上位5位に入っているのは,アメリカのほかは日本とドイツ。世界の「科学技術大国」としておなじみの国だけ。
 そして,アメリカ以外のメーカーというと,日本の富士通だけです。
 かつて「世界一」だったのが「3位」に落ちたとしても,トップ争いの一角にいるのにはちがいありません。

 こういうのをみると,日本という国は,「いいカード」をまだまだ持っているのだと感じます。
 いろんな問題を抱えているとしても,です。

 まあ,日経の記事によれば《欧米や中国も同様のスパコンを20年前後に完成させる計画で…》ということなので,「安泰」ではないのです。でも,日本のすぐれた部分,恵まれた部分には,もっと目を向けるといいでしょう。
 
(以上)
2013年05月06日 (月) | Edit |
 昨日5月5日はこどもの日でした。この日の新聞には,たいてい「少子(高齢)化」の話がでています。昨日も《子供の数32年連続減 4月1日時点 1649万人 総人口比12.9%に低下》(日経)といった記事がありました。

 さて,この「少子高齢化」が日本経済の長期停滞の根本原因だ,とする説があります。

 たしかにその説には一定の根拠があります。

 少子高齢化というのは,生産年齢人口の減少でもあります。
 「生産年齢」というのは,子供と高齢者をのぞいた,社会の働き手である「現役世代」のこと。
 現役世代が減れば,社会全体の付加価値(富,GDP)を生み出す力が落ちる。活発に消費をするのもこの現役世代なので,その減少は,消費の低迷ももたらす。それで経済全体が低調になる。

 このような考えは,いかにも「根本的」でしっかりしているように思えます。

 でも,私は信用しません。
 
 現役世代の減少は,たしかに経済の成長(GDPの増加)にマイナスに作用します。
 でも,その影響を,過大評価してはいけないと思います。

 このような数字があります。

 1955年(昭和30)の日本のGDPは,約50兆円(48兆円)でした。
 
 それが,2010年(平成22年)には,約500兆円(511兆円)。

 この数字は,物価の上昇も計算に入れた「実質値」というものです。

 1955年というのは,高度経済成長期のはじまりのころ。
 つまり,高度成長期以降の50年ほどで,日本のGDPは10倍になったのです。

 では人口はどうか。
 1955年の日本の総人口は8900万人。それが2010年には1億2800万人。
 人口は1.4倍ほどにしか増えていません。
 でもGDPは10倍になった。
 1人あたりGDPが大きくのびているのです。

 もう少しくわしくいうと,高度成長期(1955ころ~1970ころ)の年平均の経済成長率(GDPの増加率)は10%ほどですが,生産年齢人口の年平均の増加率は1%ほどです。

 ということは,この50年の日本のGDPの増加のおもな原因は,人口増ではないわけです。

 ではなにが最も大きな原因がというと,広い意味での技術の進歩でしょう。
 1人あたりでより多くの付加価値(富)を生産できるようになった。つまり,「生産性」が上がった。そのためのハードやノウハウの進歩が積み重なった。ほかに,考えられます?

 長期でみた経済成長の最も大きな要素は,技術の進歩(技術革新)である。
 (もっと短期のことになると話はちがってきますが,ここでは立ち入りません)
 
 いってしまえば,あたりまえの話です。でも,「少子高齢化が長期停滞の原因」という説は,かなり人気があるようです。ということは,「あたりまえ」ではないのかもしれません。
 でも,GDPにかんする基本的な数字をもとにちょっと考えてみれば,「その説(人口による説明)はあやしいのでは?」とわかるはずです。少なくとも,立ち止まって検討する余地があるということ。

 もちろん,少子高齢化や人口減少は,重大な社会問題です。
 それはそうなのですが,ただ,この20年ほどの景気低迷の根本原因などではない,ということです。

 ただし,ある条件のもとでは,少子高齢化が経済の停滞に大きなインパクトをあたえることになります。
 その「条件」とは,「技術革新(生産性)が停滞している」ということ。
 1人あたりの生産性が上がらない状態だと,生産年齢人口の減少は,そのまま社会全体の生産力の低下につながります。
 
 この20年の日本は,技術革新が以前よりもスローダウンした。そこに生産年齢人口のピークアウト(停滞から減少へ)という動きも加わった。それが作用して停滞している。ただし,影響としては技術革新のスローダウンのほうがはるかに大きい。そして,技術革新がスローダウンしているなかでの生産年齢人口の減少は,以前よりも経済に大きな影響をあたえつつある。
 
 「長期的」なことをまとめれば,そんなところでしょうか。
 「ろくに説明や論証がないじゃないか!」と怒られそうですが,まずは仮説的な枠組みをざっくり述べさせてもらいました。

 この20年の「停滞」には,ほかにも中期的な(数年~10年単位の)原因もあるでしょう。不良債権による金融システムの機能不全,景気低迷とグローバルな競争の激化による賃金相場の低下(それによる消費の低迷)等々。
 いろんなことが重なっている,とは思います。
 
 このあたりのことも,いずれ述べていきたいと思います。

(以上)
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2013年04月25日 (木) | Edit |
 このブログで書いているいくつかのシリーズの中に「GDPでみる経済入門」というのがあります。これは,ほかの記事にくらべると「拍手」が少なくて,読んでいただけているのか不安になります(^^;)
 でも,めげずに続けていきたいです。
 このシリーズがめざすのは,「マクロ経済学の入門の入門」。
 (「マクロ経済学」とは,「国全体の経済をみわたす経済学」のこと)
 高校の「政治経済」の授業と,大学の教養課程の経済学のあいだをつなぐような話,といってもいいです。

 ここでいう「マクロ経済学」とは,「ケインズ経済学」のことです。
  
 このシリーズの今までの記事では,つぎのことを述べました。

 「GDPとは国全体の総買い物額であり,総所得であり,生産された付加価値の総額である」
 「1人あたりGDPは,その国の経済の発展度や生活水準を示す重要な指標である」
 「GDPは,個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物」

 これから先は,「個人の買い物≒個人消費」と「企業の買い物≒設備投資」と「政府の買い物(政府支出)」の相互の関係を述べていきます。個人消費と設備投資と政府支出は,相互に作用しあっています(あとこの3つに加え「純輸出(輸出-輸入)」という要素も,GDPに含まれます)。
 これら3つ(+純輸出)の相互作用で,経済(GDP)は動いていきます。

 それから,GDPそのものには含まれないけど,GDPに影響をあたえる数字というのもあります。
 たとえば,円・ドルの為替レート,株価,金利,物価。
 これらは何かと何かの「交換比率」とでもいうべき数字です。たとえば為替レートは「ある国の通貨と外貨の交換比率」ですし,物価というのは「モノとお金の交換比率」といえます。
 これらが,さきほどの「GDPの3つの要素+純輸出」にどう作用するのか。

 そんなことの基礎の基礎の話をしたいのです。
 それがひととおりできたら,「国の経済」のしくみがざっくりとみわたせるでしょう。
 いろんな要素や「交換比率」が相互に作用しあっている,ひとつの大きな「システム」として,経済がみえてくるはずです。

 20世紀前半に活躍した経済学者ケインズは,今述べたさまざまな概念の成立・確立に貢献しました。GDPの概念,「消費」と「投資」,政府支出の位置づけ,各要素の相互関係……

 よく勉強している人のなかには,こういう経済の見方について,「そんな古臭いケインズ経済学なんて今さら」という人がいるはずです。「今の経済学はそんなんじゃないだろう」と。
(ケインズ経済学は,40~50年前はマクロ経済学の代名詞といえる主流派でしたが,その後,基本的な発想を異にする「新古典派」の経済学が台頭した)

 たしかにそうなのです。今の経済学者の主流派は,「ケインズ経済学は,もう古い」という人たちです。
 たとえば,アベノミクスのブレーンのエコノミストたちはそうです。
 その多くは「マネタリズム」という考え方に立っています。つまり,経済の動き,たとえば「デフレ」という「物価全般の下落が続く」現象を,「貨幣現象」として説明するのです。「貨幣現象として説明する」というのは,「社会に流通するマネーの量を変化させることで,その現象を左右できる」ということです。

 ケインズ経済学では,そのように「デフレ」をとらえたりはしません。もっと「実体」的に,経済における需要の低迷が続いた結果としてとらえます。

 このあたりは説明不足ですが,とりあえずの説明ということで。

 経済学者の主流派のあいだで「もう古い」とされるケインズ経済学。

 ただし,「古くなんかない」という専門家もいます。
 私はそちらに共感します。
 私たちはそれについて基礎の基礎くらい,知っておいていいのではないか。というか,私たちがまず知るべきなのはそんな「古い経済学」ではないか。

 というのは,経済について語ったり,政策にかかわったりする専門家の多くは,結局は「古い経済学」の整理に基づいて,考えているからです。少なくとも私はそうみています。
 これはその専門家たちが「遅れている」からではなく,「古い経済学」に,現実的な有効性があるからではないかと思うのです。
 経済の現実をよくとらえている(少なくともそういう面がある)ということです。

 アベノミクスも,「金融緩和」のような,いかにも「マネタリズム」的な政策ばかりではありません。「賃金を上げるべきだ」とか,公共事業にも力を入れていく,といったことは,ケインズ経済学の発想とつながっています。
 「成長戦略」とかいう話もあります。それが「官僚が主導して特定の産業を振興させよう」という方向へいくなら,それは学派を問わず今の多くの経済学者が疑わしいとする考え方です。

 つまり,ある学派の考えで一貫しているのではなく,「利きそうなこと」は,ごちゃまぜだろうが何だろうが,とにかく取り入れてみる。
 たぶん,「政策」とはそういうものなのでしょう。

 なんだか,ほんとに説明の足りない話になってしまいました。

 でも,「GDPでみる経済入門」のシリーズのなかで,おいおい述べていくつもりです。
 基礎の概念をコテコテ説明したりして,ちょっと「かったるい」こともあるかもしれません。でも,きちんと理解していくためには,必要なこともあるはずです。
 今後ともおつきあいいただければ,と思います。

(以上)

テーマ:思うこと
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2013年04月13日 (土) | Edit |
※ついさきほどテレビをつけたところ,関西での地震のことを知りました。淡路島方面には友人もいます。とにかくみなさんご無事であることを願っています。

 「GDPでみる経済入門」の5回目。
 これまでGDPは「国全体の総買い物額」という説明をしてきましたが,GDPには別の側面があります。それは「付加価値である」ということ。その話をします。
 理屈っぽくてとっつきにくいところもありますが,やはりだいじなところです。

このシリーズの過去記事
第1回 GDPは「総買い物額」 
第2回 1人あたりGDP×人口=経済 
第3回 『地球家族』という本(1人あたりGDPと人々の暮らし)  
第4回 「総買い物額」の内訳

「付加価値」としてのGDP 

「ダブり」を取り除く
 「GDPは総買い物額である」というと,「ほかの本で読んだ説明とちがう」とか,「総買い物額がなんで〈総生産〉なの?」といわれることがあります。ここで,そんな疑問に答えます。

 「総買い物額」というけど,じつはそこにはふくまれない,特殊な「買い物」があります。
 それは,「そのモノを誰かに売ることを前提にモノを買う場合」です。日常的な言葉なら,「仕入れ」と言えばいいでしょう。
 「仕入れ」は,個人が日常生活でする「買い物」ではなく,企業がビジネスのためにするものです。
 「仕入れ」としての買い物は,GDPにはカウントしません。

 「仕入れ」には,①仕入れたモノをそのままの形で売る場合と,②原材料として仕入れる場合とがあります。

 たとえば,「スーパーがパン工場からパンを仕入れる」のは①のパターンで,「パン工場が原材料の小麦粉を仕入れる」のは②のパターンです。
 なぜ,そんなやり方なのか。「そうしないと,生産されたモノの価値をダブって計算してしまうことになるから」です。

 経済の入門書でよくあるのは,つぎのような説明です。

・スーパーで食パンが100円で売られている。私たちがそれを手にするまでには,いろんな過程を経ている。
(イメージ)
 農家がコムギを育てる
 コムギを原料に製粉業者が小麦粉をつくる
 その小麦粉を原料にメーカーが工場でパンをつくる
 そのパンを小売店が仕入れて消費者に売る


・コムギは,ひとつの段階を経るごとに手を加えられ,そこでの仕事(労働)の分の値段を上乗せされていく。
(イメージ)
 100円の食パンの材料に使うコムギが10円
 それが,小麦粉になると20円
 その小麦粉でつくったパンを,メーカーは80円でスーパーに売る
 さらに,スーパーはそのパンを100円で私たちに売る


・GDPの計算では,以上のすべての段階の金額(買い物額)を合計するということは行わない。最終的に生産さ れたパン100円の価値だけをカウントする。つまり,コムギ10円+小麦粉20円+パン80円(メーカーからスーパーへの卸価格)+パン100円(スーパーでの販売価格)=200円 ということは,しない。

 なぜこのように考えるのでしょうか。
 この過程で生産されたのは,あくまで100円の価値のパンです。小麦粉などの原材料費や,スーパーが工場から仕入れるときの値段は,スーパーでの販売価格100円の中にふくまれています。
 そこをダブってカウントしないようにしているのです。最終的に生産された100円の価値だけをカウントします。

中間投入,付加価値
 このように,「ダブリ」を除いて,国全体の買い物額をカウントしていったのが,GDPです。
 このダブリの部分のことを経済学では「中間投入」といいます。

 「中間投入(ダブり)を除く」という一定の操作を加えた「総買い物額」。
 そうやって「生産された価値」を把握した数字。


 それがGDPの,よりくわしい定義です。「生産された価値」のことは,「付加価値」といいます。

 つまり,GDPは「国全体で,さまざまな労働によって生産されたモノやサービスの付加価値の合計」なのです。国内で生産された価値の合計。だから,「国内総生産」といいます。

誰かの支出は誰かの所得
 じつは,「国内総支出」という言葉もあります。さしているものは「国内総生産」と同じです。
 ただ「総支出」というのは,生産された価値あるモノやサービスを誰かがお金を「支出」して買っている,という面からものごとをみています。「買い物」としてGDPをとらえた言葉です。
 最初に出てきた「GDPは総買い物額」というのは,「総支出」としてGDPをみたものなのです。

 「総生産」と「総支出」は,コインの表と裏のような関係です。同じものを,どちら側からみるか,というちがいです。

 さらに,「総所得」という言葉もあります。これも,「総生産」「総支出」と同じものを,別の側面からみたものです。つまり,誰かがお金を支出してモノやサービスを買ったとき,それは売った者(企業やその従業員)の所得になります。つまり,「それだけのお金が入ってくる」ということです。

 誰かの支出は誰かの所得。だから両者もイコールだ,というわけです。

 「誰か」というのは,要するに私たちのことです。「誰かの支出は誰かの所得」というのは,

 私たちが買い物をすれば,それは誰かの所得となる

ということです。
 言ってしまえばなんでもないことですが,これはじつは経済をするうえで非常に重要なことです。

生産された付加価値は誰かの所得
 また,「生産された付加価値は,誰かの所得」ということもいえます。付加価値というのは,売上から原材料費などの中間投入を除いた分のことでした。これは,かみくだいていえば商売の「儲け」の一種だといっていいでしょう。

 この「儲け」は,どうなるのかというと,会社の従業員と会社,そして会社に出資した株主などで分けることになるのです。
 
 つまり,従業員の給与,役員への報酬,株主への配当,会社の蓄え(内部留保という)などになります。「儲け」が山分けされてみんなの「所得」になるのです。そして,「儲け」とは言い換えれば「付加価値」のことなのです
 ここのところはややむずかしいので,あとでまた補足します。

(以上)
2013年03月29日 (金) | Edit |
 前回,株価の上昇などの金融市場の活況について,「どこかうさんくさい」というイメージを持つ人もいる,という話をしました。
 さらにそれに関連して,「好景気」そのものにたいして,懐疑的な連想をする人もいます。
 
 つまり,「景気がいい」というと,投機目的で株やマンションを買う人がわーっと増えたり,感じの悪いお金持ちが目立ってきたり(たとえば先日仮出所したホリエモンさんは,その象徴あつかいだった),やたら高価な酒を空けて喜ぶドンチャン騒ぎがくりひろげられたり,といった連想をするわけです。「タクシーが混んでいて,拾えない」といったバブル景気の体験を思い出す人もいます。

 たしかに「好景気」には,そういう面もあるでしょう。
 つまり,ちょっとガチャガチャした,品のない感じ。

 でも,「景気がいい」というのは,若い人が納得のいく就職をしやすくなったり,「非正規」といわれる人が「正社員」になるチャンスが増えたり,結婚して家庭を持つ人が増えたり,仕事や金銭で行きづまって自殺する人が減ったり,新しい事業を立ち上げる人が増えたり,税収が増えて政府の財政が改善したり,おいしいものを食べたりする「ちょっとしたぜいたく」をみんなでたのしんだり,ということでもあるわけです。

 これは要するに,「希望」が出てくるということです。

 とくに重要なのは,「若い人たちにとっての希望」だと思います。
 さらにそのなかでも,「就職」ということは,中心テーマでしょう。私自身,今この問題にかかわる仕事をしているせいもあって,とくにそう感じます。

 もちろん,「ほんとうに,多くの人に希望がいきわたるか」という問題はあります。

 たとえば,景気が回復しても,なかなか思うような職がみつからない,といったことが起こるかもしれません。英語で「ジョブレス・リカバリー(雇用なき景気回復)」という現象です。
 リーマン・ショックから景気回復してきたアメリカで,とくにいわれていること。

 「ジョブレス・リカバリー」には,たんなる景気の変動とは別次元の,社会・経済のしくみの変化がかかわっています。
 ひとことで言えば,「経済の発展が,多くの人びとの技能に適した仕事を,生み出しにくくなった」のです。今の先進国に特有の現象といっていいでしょう。

 こういう社会の変化には,ひじょうに関心があります。
 契約職員の中年男である私にとっても,切実な問題です。
 ときどき,このブログでも掘り下げていきたいです。今回は抽象的にフロシキを広げただけで,おわらせていただきます。

(以上) 

2013年03月27日 (水) | Edit |
 株価の上昇傾向が多くの人の目にもはっきりしてきて,マスコミでも最近はよくとりあげられます。
 でも,「どこかうさんくさい」という見方もつきまとうようです。
 このあいだみたテレビのニュースでも,最近の株価の上昇や,個人投資家の動きが活発化してきた様子を報じていましたが,キャスターのコメントは「でも,こういう動きがまた,いろんな歪みをひきおこさないといいんですが……」といったトーンでした。

 このキャスターにかぎらず,「金融というのは,いかがわしい」という人は少なくありません。

                       *
 
 たしかに金融の世界には,いろんな問題や不祥事があります。数年前のサブプライム問題や80年代の日本のバブル経済のように,金融のお金の流れが社会に混乱やマイナスをもたらすこともあります。

 ただし,そういうことは実体経済(モノやサービスの生産の世界)にもあります。公害が発生したり,不良品が販売されたり,便利な機械やシステムが事故を起こしたり……。しかし,だからといってモノやサービスを生み出す産業じたいを否定する人はまずいません。「やはりそれは必要だ」と思っている。
 金融も同じことではないでしょうか。

 金融のお金の流れがなければ,実体経済は回りません。銀行や株式や国債がなければ,企業も政府も十分な活動資金が得られず,満足に動けません。新しい事業の発展もありません。「実体」と「金融」は,どちらも経済に欠かせない車の両輪です。

 しかし,なぜ金融経済が実体経済を混乱させるようなことがおこるのでしょうか? 
 本来なら金融は,社会のお金の流れを活発にして,経済に役立つはずのものです。

 じつは,この「お金の流れを活発にする」という金融の利点こそが,問題の根底にあります。
 この利点が同時に弊害にもなっている,ということです。

 金融資産は,どんどん売買して動かすことができます。これが金融のお金の流れの利点です。会社の工場や機械を売るのは簡単ではありませんが(なかなか買い手がみつからない),会社の株式を売るのは比較的すぐできます。大きなビルも,「証券化」という,サブプライム問題にもかかわった手法によって短期間に現金化できます。

 こういう,「お金の流れを活発にする」という性質から,金融の世界では「すぐに」「短期で」ということになりがちなのです。

 この傾向が,実体経済とあわないときがあります。
 実体経済では,金融で求められるテンポよりも,ずっと時間のかかることが多いです。新しく立ち上げた企業が軌道に乗るまでには,ふつうは何年もかかるでしょう。新製品の開発,新規市場の開拓といったことも同様です。

 ところが,金融のお金の動きは,たいていはもっとせっかちです。
 株式の売買だと,長くてもせいぜい数ヶ月で(ときには数日,あるいは数分,数秒で)結果を求めることが多いです。会社や事業が育つのに何年かかろうと,株式の売買は一瞬でできてしまうので,そうなってしまいがちです。
 いつでも売って現金化できる条件があると,人は「すぐに結果を出したい」と思うのです。

 そのような短期志向のお金が,バブルの発生・崩壊を生みます。
 「これがすぐに儲かりそうだ」というものがあると,たいした根拠もなくわーっとお金が集まる。
 ブームや熱狂がさめると,サーッとお金を引き上げていく。
 こういう,不合理なお金の動きが生まれるのです。

 もっと腰のすわった,長期志向の金融のお金の流れもないわけではありません。
 たとえば株式投資なら,短期で利ざやを得るのではなく,会社の成長をじっくり見守っていくというものです。そういう方針で運用をする,という資産運用の会社もあります。しかし,「短期志向」にくらべれば少数派で,目立ちません。
 
 多くの人は,短期志向の金融のお金の動きの,とくに派手な部分をみて,「金融というのはいかがわしい」と思うのでしょう。

                       *

 では,この「短期志向」による弊害は,どうやっておさえればいいのでしょう?

 「もっと長期志向になればいい」というのはもっともですが,だからといって,金融経済が実体経済と同じテンポで動いては意味がありません。すばやく活発にお金が動くという金融本来の利点を大きく損なわないようなかたちで,「弊害」を少なくしないといけません。

 「金融経済の短期志向をおさえる規制が必要だ」という意見があります。たとえば,金融取引(証券の売買など)にもっと課税する,金融商品の「安全性」を,当局がもっと監督・規制する……こういうことも必要なのかもしれません。しかし,規制によって金融のお金の流れを沈滞化させないよう,注意が必要です。

 このあたりのことは,議論が多いですが,とにかく,つぎのことは押さえてください。

・金融のいかがわしさの根底にはその「短期志向」の傾向がある。しかしそれは,お金の流れを活発にするという金融本来の性質に根ざしたもの。
・だがしかし,「お金の流れを活発にする」という金融の働きがなければ,現代の経済は成り立たない。

 だから,金融についてやみくもに「あんなものは……」と否定してかかるのは,やめておきましょう。
 もちろん,冷静にみるのはいいのです。でも,「金融を否定するスタンス」が「文化人やインテリのたしなみ」みたいになってはいけないと思います。
 まずは,基本のところを勉強してみましょう……

(以上)

※今回は話をテンポよくすすめるために,基本用語の説明などは省略しました。そこで,まったくの初心者の人にはわかりにくいところがあったと思います。「そもそも証券とは何か」みたいな「基礎の基礎」については,また別の機会に。

2013年03月23日 (土) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」のつづきです。

 このシリーズで使っている「GDPとは総買い物額である」という言い方は,一般的なものではありません。私独自の表現です。一般の経済用語では「総買い物額」でなく「総支出」といいます。
 それを初心者に少しでもイメージしやすいように「総買い物額」と言い換えているのです。
 何でもないことのようですが,こういうことは教育・啓蒙の文章ではだいじなところです。
 「総買い物額(総支出)」ではなく,別の説明や言い方をしている著者も多いです。まず,「総付加価値」あるいは「総所得」としてGDPを説明するのです。しかし,私はやはり「総買い物額」ということをまず述べたほうが(初心者への説明としては)いいと思っています。

 「総支出」とか「総付加価値」とか「総所得」とか,いきなり出てきて戸惑われたかもしれません。このあたりは,また別の回できちんと述べますので。

                         *

4.「総買い物額」の内訳

みんなの買い物の「みんな」とは?
 これまでに「GDP(国内総生産)とはみんなの買い物の総額である」「日本の1人あたりのGDPは370万円(400万円弱)である」ということを述べました。
 それに対しこんな疑問を抱く人もいます。
 「1人あたり370万円ということは,4人家族だと1500万円弱。ほんとにそんなに買い物するの?」

 じつは,まだ大事なことを説明していませんでした。
 それは,「みんなの買い物」というときの「みんな」というのは,私たち1人1人のような「個人」だけではない,ということです。
 経済において「買い物をする存在」は,大きく分けてつぎの3つがあります。

①個人(家計)  ②企業  ③政府(国や自治体)

 この「買い物をする存在」のことを「経済(の)主体」といいます。「経済における行動の担い手」ということです。

 企業というのは,製品やサービスをつくったり売ったりするのが仕事ですが,その仕事をするためにパソコンを買ったり,本社のビルを買ったり,工場を建てたり機械を買ったり,いろんな「買い物」をしています。

 政府も同じことです。役所にある机もパソコンも,買ってきたものです。道路をつくったり,学校や病院を建てたりといった公共事業は,政府の大きな「買い物」といえるでしょう。

 「個人」は経済学では「家計」といいますが,とっつきにくい言い方なので,この本では「個人」にします。
 また,ここで「企業」というのは,純粋な民間企業だけでなく,政府や自治体の経営する公営の企業もふくみます。

 ここまでをまとめると,こういう「公式」になります。

日本の総買い物額
GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物


 「その国の経済は,個人と企業と政府の買い物が合わさってできている」といってもいいです。

 「買い物額が1人平均年間370万円というのは多すぎるのでは?」と思った方は,たしかにそのとおりで,この「370万円」には,企業や政府の分もふくまれていたのです。だから,「個人の買い物の1人あたり平均」は,370万円よりは少ないです。

主体別の内訳
 では,日本の総買い物額=GDPに占める「個人」「企業」「政府」のそれぞれの割合は,どうなのでしょうか?

【問題】
現在の日本のGDP(国内総生産)で,最も多くの割合を占めているのは,つぎのうちのどれだと思いますか? 

予想
ア.個人による買い物
イ.企業による買い物
ウ.政府による買い物

                         *

 2010年度における日本のGDP=総買い物額の内訳はつぎのようになっています。

 個人による買い物 60% 286兆円
 企業による買い物 13%  64兆円
 政府による買い物 24% 116兆円
 その他(非営利団体による買い物1.4%,「純輸出」0.8%)

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 個人による買い物がGDP全体の60%を占めています。
 GDP(国内総生産)の最も多くの部分は,私たち個人の買い物が占めているのです。

 ここでいう「個人の買い物」には,「個人消費」と「住宅の購入」があります。
 住宅の購入は,統計のうえでは,日常的な買い物である「消費」と区別するのです。ただ,住宅購入の額は,個人消費よりずっと少ない(20分の1ほど)ので,個人の買い物≒個人消費と言っていいです。

 日本の1年間の個人消費(+住宅購入)の総額は,286兆円。
 1人あたりだと,286兆円÷1億2800万人≒220万円。

 これが「個人の年間の買い物額の平均」なら,多くの人の生活感覚ともそんなにズレていないのではないでしょうか。

 なお,個人,企業,政府の買い物のほかに「非営利団体」による買い物もあります。
 「非営利団体」とは,病院,学校,宗教法人などです。
 また,GDPには「純輸出」という項目もあります。年間の輸出額から輸入額を引いたものですが,これはまたあらためて説明します。

国の経済の内訳を知る
 前にも述べたように,「景気がいい・悪い」というのは,「みんなの買い物額=GDPが増える傾向にあるか,減る傾向にあるか」ということです。
 そして,GDPの最も大きな部分は,個人の買い物(「個人消費」というのと,ほぼイコール)なのです。

 だから,景気がよくなる・悪くなるということに対して,私たち個人の動きは,きわめて大きな影響をあたえるということです。

 とにかく,この「公式」は重要です。

 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物

 こういう内訳を知るのが重要なのは,国の経済がどういう要素で成り立っているかを知ることだからです。
 それは,景気低迷などの問題があるときに,どこに原因があるのか,どういう対策をとるべきか,といったことを考える入り口になります。
 会社の経営でも,会社全体の数字だけでなく各部門別の売上などの数字をみて,どの部分に問題があるのかを把握しようとします。それと同じようなことです。

(以上)
テーマ:勉強
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2013年03月22日 (金) | Edit |
 今回は「GDPでみる経済入門」の番外編です。

 3月16日の記事で,「若者のあいだでTPPに対する反対意見の割合が高い」というアンケート調査について紹介しました。そして,そこには「若者の,経済に対する知識の不足があるのでは」と述べました。

 もちろん,経済について知らないのは,若者だけではありません。大人世代だって,似たようなものです。
 2月27日の記事で述べましたが,「経済の素人」を自認する大人たちが集まる勉強会で,「日本のGDPの額は?」という選択肢問題を出すと,2~3割の人はまちがえたりします。
 でも,経済のことは,学校教育ではほとんど教えていません。それだけに,大人のほうが社会経験や独自の勉強で,いくらか経済のことを知っているのではないか。そんなことを3月16日の記事では述べました。

                       *

 2,3カ月前,カフェでコーヒーを飲んでいると,となりの,たぶん20代のサラリーマンが「1995年か96年」の(自分の身内の)できごとを「バブルのころ」といっているのを耳にしました。

 でも,日本の「バブル経済(バブル景気)」は,1986年にはじまって,1991年に終わったものです(1990年に終わったという説もあります)。
 おおざっぱに「1980年代後半から1990年ころ」といっていいです。

 また,こんなこともありました。ついこのあいだツタヤで手にした,スタジオジブリ作品『コクリコ坂から』(2011年公開)のDVDのパッケージに,こうあったのです。作品の時代背景を説明した文章です。

《太平洋戦争が終わって18年,日本は焼け跡から奇跡の復活を遂げた。
そして,高度成長が始まろうとしていた時代に,
復活の象徴として,日本は東京オリンピックの開催を目前に控えていた。》


 でも,「高度成長」の時代というのは,「1950年代後半から1970年代前半」のことです。開始時期・終わりの時期ともに,専門家によって若干説が異なりますが,だいたいそんなところ。
 「太平洋戦争が終わって18年」の昭和38年(1963年)というのは,「高度成長が始まろうとしていた時代」ではなく,高度成長が始まって数年~10年経ったころです。「高度成長の真っ只中」というほうがいいでしょう。

 カフェでの会話で「バブル経済」の時期をまちがえるのは,わかります。
 しかし,メジャーな映画の宣伝文書で「高度成長」の時期について,ここまで大胆にまちがっているのは,ちょっとおどろきました(ジブリ作品は,好きなのですが)。

 パッケージの文章にかかわった人たち(大人たち)は,このまちがいを誰もチェックできなかったのです。

 やっぱり私たちは,経済のことを,少しは勉強しておかないといけないのです。

(以上)

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2013年03月16日 (土) | Edit |
 日本経済新聞の本日3月16日朝刊のトップは,「TPP交渉参加 表明」。
 
 TPPとは「環太平洋経済連携協定」の英語の略。
 日経新聞の「きょうのことば」の説明を借りれば,《太平洋を取り囲む国々で,モノやサービスをやりとりする際の関税や規制などの障壁をできるだけ無くし,経済の規模をお互いに膨らませようとする枠組み》。
 この「枠組み」を,アメリカ主導でつくろうとしているわけです。そこに日本も参加する。

 では,問題です。
 去年12月のあるアンケート調査で,いろんな世代の人に「日本のTPP参加」についての意見をききました。選択肢は「反対」「何ともいえない」「わからない」「賛成」。
 このアンケート結果は,世代別に傾向が分かれました。
 では,「TPP参加に反対」の意見が多かったのは,つぎのどちらだったと思いますか?

 ア.20代以下の若年者世代  イ.30代以上の大人世代

                        *
 
 今朝の日経1面の特集記事「日本を変えるTPP」には,つぎのようにありました。

《TPPへの世代別の評価は微妙に違う。一橋大学の青木玲子教授らが昨年12月の衆院選の直前に実施したアンケートによると,30歳以上はほぼTPP賛成論が反対論を上回った。逆に12~19歳,20~24歳の若者層は反対が賛成を大きく上回り,抵抗感が強い。》

 アンケート調査の「原典」がみたいと思ってネットを検索したところ,つぎの記事をみつけました(青木玲子・上杉道徳・西條辰羲「若者と有権者の政党政策選択・ドメイン投票方式・将来省  第46回総選挙前々日の有権者と若者のアンケートから」2013年1月16日,こちらを検索)

 このアンケートはつぎの5つのグループから成る3000人余りから回答を得たものです。アンケートとしてはまずまず使用にたえると思います。

1.未成年の子供がいる有権者 回答1030件 平均年齢40.2歳
2.子供が成人している有権者  515件 61.4歳
3.子供がいない有権者  515件 37.6歳
4.16~17歳  515件 16.6歳  
5.18~19歳  515件 18.6歳

 おおむね,1.2.は中高年以上の大人世代,4.5.が若者(若年)世代,3.はその中間といえるでしょう。

 そして,TPP参加について,「反対」「何とも言えない」「わからない」のどれか?という質問に対してはこうでした(数字は%。「賛成」はレポートには結果の表示がないが,筆者そういちが計算)。

全体の合計  反対23.0 何とも41.9 わからない10.4 賛成24.7 合計100.0(以下同じ)

(以下,カッコ内は平均年齢)
1.グループ(40.2歳) 反対19.2 何とも45.4 わからない9.8  賛成25.6    
2.グループ(61.4歳) 反対13.2 何とも40.0 わからない5.0  賛成41.8
3.グループ(37.6歳) 反対24.7 何とも42.5 わからない8.7  賛成24.1
4.グループ(16.6歳) 反対29.3 何とも40.2 わからない16.1  賛成14.4 
5.グループ(18.6歳) 反対32.4 何とも37.9 わからない13.0  賛成16.7

 どうでしょうか。若者世代での「TPPに反対」の割合は,中高年以上の大人世代よりも,高くなっています。わずかな違いではなく,かなり明確な差があります。
 日経新聞の記述にたいし,年齢層の切り方がちがうのが気になるのですが,とにかく「TPPにたいする世代間のギャップ」はみられるわけです(私がみつけた以外に,もっと詳細なレポートがあるのでしょうか?)。

 このアンケートには,消費税や原発問題など,ほかのことがらにかんする質問もあり,そこにも一定の世代間のちがいがみられます。そのなかでもっとも明確な世代ギャップがみられるのが,このTPPにかんするところでした。

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 この数字をどう解釈するか。
 日経新聞の同記事では《長引くデフレで好景気の記憶がない若年層は,TPPに雇用機会が奪われると不安視している。》と述べています。

 これは,アンケート結果からみた「仮説」的な解釈です。この解釈が正しいかどうかは,また別の調べが必要です。でも,私も十分ありうる話だとは思います。

 もし,「TPPで自分たちの雇用が奪われるかも」と考える若者がかなりいるのだとしたら,それはどうしてなのでしょう?
 
 彼らは,「TPP⇒ 国全体の経済活性化⇒ 雇用拡大」という図式は連想はしないわけです。
 この「図式」は,経済について一定の知識がある人のあいだでは,かなり明らかなことです。少なくとも「多数派」の意見ではある。私も,基本的には正しいと思います。

 もちろん,「全体」でよくなる,といっても部分的には不利益を受ける人たちはいます。その立場から反対するのは,わかります。

 でも,若者のほとんどは,そんな「利害」とは直接は関係ありません。それでも,「TPPに反対」の人が大人世代よりも多くいるのです。
 国全体の経済が少しでも活性化するなら,それは若い人の雇用拡大にもつながるはずなのに,そうは思っていない。

 「TPPで,大企業とか,一部の連中がもうかっても,自分たちには関係ない」ということでしょうか?

 でも,その一部の企業や人びとがもうかって,より多くの投資や買い物をするようになれば,それが社会のより広い範囲に波及していくこともある……そんなイメージはないのでしょうか?

 イメージがないとしたら,経済にたいする基本的な知識が欠けているのかもしれません。
 
 具体的な材料もないまま「若者のアタマの中」をいろいろ推測してもしかたないので,このへんでやめておきます。

 この数字についての解釈は,ほかにも考えられます。「リタイアした人が多い高齢者は自由貿易によってモノの値段が下がることを高く評価するが,若い世代はそうでもない」ということもあるかもしれません(これは青木教授らのレポートにもあります)。

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 とにかく感じるのは,私たちには「経済の基礎」についての勉強が必要だ,ということです。

 学校教育では,これはほとんどわれていません。テレビや新聞は,毎日のニュースを追いかけるのに忙しく,系統だった基礎については教えてくれません。

 だから,若者だけでなく,大人だって,ふつうは経済のことなんてわかりません。
 それでも,大人のほうが,社会経験や独自の勉強によって,いくらか経済を知っています。

 大人と若者では,経済や社会にたいするイメージにかなりの格差があります。
 若者は,かなり勉強のできる人(たとえば有名大学の学生)でも,政治経済のことだと,多くの大人があたりまえに知っていることを知らないのです。たとえば「バブル経済はいつのことだったか」「田中角栄は自民党の政治家」ということを知らなかったりする。

 このあたりは,私は若い人と話す機会が多い(若い人向けの職業相談の仕事をしている)ので,実感があります。

 「TPPへの反対が若者のあいだで多い」ということについて,今日の日経新聞は「若者は好景気のころを知らないからだ」と解釈していました。しかし,そもそも「若者は大人以上に経済を知らない」ということも大きいのではないかと,私は感じています。

(以上)

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2013年03月07日 (木) | Edit |
 「1人あたりGDP」というものを知るうえで,つぎの本は,おすすめです。「経済発展による暮らしの変化を視覚的に体験できる本」なのです。

 マテリアルワールド・プロジェクト著『地球家族 世界30か国のふつうの暮らし』(TOTO出版,1994年,1893円+税)

地球家族表紙

 この本は,世界の国ぐにの暮らしを撮った写真集です。ただし,特別な趣向をこらしています。最貧国から先進国までさまざまな経済発展レベルの30か国を訪ね,その国の「中流家庭」の家財道具を,可能なかぎり家の前に並べ,家族とともに記念撮影――そんなことをしているのです。

 この本は,それぞれの国の1人あたりGDPを参照しながらみると,いっそう興味深いです。

 撮影が行われたのは1993~1994年。そこでGDPなどの数字は,近い時期で切りのいい1995年のデータを使います。(1995年のドル換算の1人あたりGDP×同年の対ドルレート102.9円で円に換算)


 30か国の中で最も貧しい,アフリカのエチオピア(1人あたりGDP1万円)の家財道具はつつましい。ヤギ,牛の毛皮,ラジオ,うすときねとかご……。家は寄せ集めの材木でできた「小屋」という感じ。あとでもくりかえしますが,これはあくまで1993~94年時点のものです。

エチオピア


 インド(1人あたりGDP4万円)になると,家は土壁に瓦屋根と,だいぶ立派になります。金属製の食器・容器。自転車もある。でも,ほかに目立ったものはない……。

インド


 タイ(29万円)だと,家電製品がかなりあります。テレビ,冷蔵庫,ラジカセ,扇風機。それから,スクーター。

タイ


 アメリカ(290万円)をみると,その住居や家財のボリュームに圧倒されます。4人家族でクルマは3台。たくさんの家具や家電製品のほかに,写真に写っていない大型冷蔵庫,各種の電動工具やレジャー用品等々……

アメリカ
 
 日本(390万円)の写真もあります。
 「日本の1人あたりGDPが(アメリカとくらべて)ずいぶん高い」と思われるかもしれませんが,1990年代後半から2000年ころの日本の1人あたりGDPは,世界のトップクラスだったのです(このことはまたあらためて)。

日本

 東京郊外の一戸建てに住む4人家族。2階建て130平米に詰まっていた,ぼう大な家財道具。30か国のなかで,一番ごちゃごちゃしている。
 うーん,たしかにこんな感じだなあ……。「経済の勉強会」で講師役をしたとき,この本をみせたことがありますが,日本の写真には,苦笑いやため息がおきます。

 単に情景を撮るのでなく,「家財道具を家の前に並べる」という縛りを設けたのが,この本のポイントです。そのことで,各国の比較が可能になりました。

 この本をながめていると,それぞれの「お国がら」など,いろいろ発見があるでしょう。
 でも一方で,「1人あたりGDPに応じた共通性」ということにも注目してみてください。たとえば家電製品。1人あたりGDPが同じくらいだと,似たようなものがそろっています。

 このようにすばらしい本なのですが,残念なのは,1993年の撮影時点からもう20年も経った,ということです。
 この20年で世界は変わりました。

 そこに写っているのは,今の人びとの暮らしではありません。変わらない部分もありますが,ちがう点がたくさんあります。
 たとえば,貧しい国の人びとの服装は,今はかなり「近代化」しました。かつてのいかにも質素な,というのではなく,カラフルなTシャツだったりします(とくに子ども)。
 家電製品も,普及が進むとともに,グレードアップしました。発展途上国でも,ケータイ,スマホが相当普及しました。家や街も立派になった……そういう変化は,先進国よりも発展途上国のほうがずっと大きいです。

 子どもにこの本をみせると「アフリカの子どもは,こういう服装なんだ」といった,誤解をする恐れが大きいです。だから,教材としては使いにくいです。

 今となってはこの本は,「今日の世界がどうなっているか」ではなく,「1人あたりGDPの変化が何をもたらすか」という,理論的な視点で読む本なのです。だから,多少古くなっても読む価値があります。

 でも,それでは楽しみが半分以下です。子どもや初心者には,入りにくい。ぜひ,この本のアップデート版(2010年代バージョン)をつくって欲しいものです。ただ,相当な予算や労力が必要なので,むずかしいとは思いますが。

(以上)