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2013年02月14日 (木) | Edit |
ざっくりした社会・文明論的エッセイ。
以前にアップした記事の改訂版です。大幅に圧縮しています。
すでに「過去の記事」のまま改訂していたのですが,掘り起こすためにあらためて新しい記事としてアップしました。こういうことはこれからもときどき行うと思います。
 
先日,ある読者からこの記事について,こんな感想をいただきました。

《なるほどと頷けますね。社会が停滞しているのは誰もが感じているはずだし,考えてみればそうなんですが。考えはじめるといろいろ考えて?しまいますね》
   
この「社会の変化はゆっくりに…」は,自分としては強い思い入れがある文です。でも,読者に受け入れてもらうのがむずかしいのでは,とも感じていました。だから,こういう感想をいただけたのは非常にうれしいことでした。


社会の変化は,ゆっくりになっている?


親と子が同じものに夢中になる

「社会の変化は,どんどん速くなっている」と,よく言われる。
でも,本当だろうか? 
私には,「社会の変化は,じつはゆっくりになっているのではないか」と思えることがしばしばある。
 
それはたとえば,今どきの小さな子どもが「ウルトラマン」のテレビやキャラクターグッズに夢中になっているのを見ているときだ。

子どもたちは,親たちがかつて夢中になったのと同じキャラクターで遊んでいる。

ウルトラマンだけではない。今子どもたちがみているテレビ番組やマンガには,親の世代が子どものころみていたのと同じものがたくさんある。
「ドラえもん」や「鬼太郎」はそうだし,「仮面ライダー」や「なんとかレンジャー」もあるし,「ガンダム」みたいなロボットものもそうだ。

しかし,今(2013年現在)親になっている30代~40代の人たちとその親のあいだでは,「共通のキャラクターに夢中になる」という関係はないはずだ。

私は,初代ウルトラマンのテレビ放送がはじまった1965年(昭和40年)の生まれだ。
私が生まれる二十数年ほど前の,昭和のはじめから戦中期に子どもだった私の父は,当時の人気雑誌『少年倶楽部』に連載していた漫画「のらくろ」や「冒険ダン吉」を熱心に読んでいた。

でも,私は子どものころ「のらくろ」を知ってはいたが,夢中になったことはない。
私が小学生のころテレビアニメになったこともあったが,子どもたちはあまりみていなかった(そんなアニメは知らない人が多いのでは?)。
 
私のような1960年代に生まれた世代は,「親と自分たちでは,育った時代や環境がまるでちがう」と感じている。昭和の戦前・戦中に生まれた私たちの親は,テレビもアニメもない世界で育ったのだ。

しかし,今の子どもたちは,親と同じテレビ番組をみて育っているのである。
もちろん,今人気のキャラクターの中には,最近になってでてきた新しいものもたくさんあるわけだが,「ウルトラマン」のような古いキャラクターも,「定番」として重要な位置を占めている。

「子どもたちが,親の子ども時代と同じキャラクターに夢中になる」というのは,「それだけ世の中の変化がゆっくりになってきた」ということではないだろうか。

私の父が生まれた1930年代から,私が生まれた1960年代までの30年と,60年代から現在までの30~40年を比べると,最近のほうがゆっくりと時間が流れているのではないか,ということだ。

変わらない顔ぶれ

テレビの世界で「長いあいだ顔ぶれが変わっていない」のは,子ども番組だけではない。ビートたけし,タモリ,さんま,といった人たちが「お笑い」の頂点に立ってから(1980年代から)三十年ほどが経つが,彼らはずっと第一線で活躍し続けている。これらの大御所にとって代わる新世代は現れていない。

こんな「長期政権」は,1960年代や70年代のテレビにはなかった。クレイジー・キャッツやドリフターズや欽ちゃん(萩本欽一)がテレビの世界の主役でいた期間は,もっと短かかった。

子ども向けのキャラクターやお笑いタレントを例としてあげたのは,最も多くの人にとっておなじみで,活気や変化にあふれていると思われている分野だからだ。ほかのジャンルでも似たようなことはあるだろう。

音楽や文学や美術やファッションや建築でも,特定の大御所が20年30年とその世界の頂点に立ち,今も第一線で活躍し続けているということがある。新しいスターも生まれてはいるが,古い大御所に取って代わる存在ではない……自分の関心のある分野で考えてみると,きっと例が浮かぶだろう。

そして,50年以上前には,そんな「長期政権」は,その分野には存在しなかったはずだ。もっと短いサイクルで,主役は交代していた。
                       
なぜ「変化」が強調されるのか

以上,いろいろ述べたけれど,どうだろうか?
「社会の変化がゆっくりになっている」などという話は,たぶんあまり聞いたことがないと思う。「変化が速くなっている」という人が世の中には多すぎる。
 
どうしてそうなるのか。ひとつには,そのほうが新製品や出版物が売りやすいということがあるだろう。

「世の中はどんどん変化していますよ」と言ったほうが,人びとは社会の変化にあわせて新製品を買おうとしたり,新しい時代のために知識を得ようと本を買ったりしてくれるはずだ。だから,情報発信する人たちが「変化」を強調する。それが世の中に影響をあたえているということだ。
 
それに,私たちにものを教えてくれる専門家たちは,自分の分野について「変化がゆっくりになっている」などとはまずいわない。それでは「私たちの仕事は,最近はマンネリです」といっているようなものだ。そんなことはいいたくないだろう。

また,それぞれの分野で,たくさんのこまかい改良や洗練が積み重ねられているのも事実だから,くわしい人ほど,そっちのこまかい進歩に気をとられてしまう。それで,大きな流れ(じつは変化がゆっくりになっていること)に気がつかない。
 
こんなふうに,世の中には,いろんなかたちで「変化」ばかりを強調してしまう傾向があるように思う。そういうしくみになっている,といったらいいだろうか。

だがけっきょくのところ,「社会の変化はゆっくりになっている」なんて,「ほんとうにそうだ」とみんなが納得できるように示すのはむずかしい。やはりとらえどころのない話だ。
 
それに,「ゆっくりになっているとしたら,それはなぜ?」と,気になる人もいるだろう。

1950~70年代の高度経済成長のような,急激な経済の発展がおわったから?

それもあるかもしれない。高度成長期には,年率10%程度で経済が大きくなっていたが,この20年はせいぜい年率1~2%にすぎない。急激に経済が成長していた時期と,この20年ほどの,すっかり成長が鈍くなった時期とでは世の中の変化のスピードが変わって当然だ。

さらに,人間の寿命が延びたことも影響しているかもしれない。旧世代がいつまでも元気だと,世の中はなかなか変わっていかない。あるいは,もっとちがう何かが関係しているのかもしれないが,「なぜ?」という話はこのくらいにしておこう。

それから,「変化がゆっくりに」というのは,日本だけのことなのか?という問題もある。海外は,世界はどうなのか? 先進国と発展途上国ではちがうのか?

これらのことは,また別の機会に。
 
とりあえずは,ここで述べたこと――「変化がゆっくりになっている」ということに十分に納得がいかなくても,「そうかもしれない」「そういう面もあるかも」くらいに思ってもらえればいい。

その視点を持つことによって,社会のいろんな現象を,より深くみることができるのではないかと思う。ものごとのいろんな面に気づきやすくなるのだ。
 
(以上)

 
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