FC2ブログ
2013年04月28日 (日) | Edit |
三連休で,のんびりしています。きのうは近所をぶらぶら。書店で本を買い,カフェでお茶をしながら読んだりしました。そうやってウチに帰ると,カミさんに「今日はすっきりした顔をしてるね」といわれます。

きのう手にした本の1冊に,大杉栄『獄中記』(大杉豊解説,土曜社)があります。明治末から大正にかけて活動した「無政府主義」の思想家・大杉栄(1885~1923)が,政治犯としての刑務所暮らしを綴ったもの。原著は1919年(大正8)の出版です。それを読みつつ,大杉の「四百文字の偉人伝」を書いてみました。

大杉栄

監獄のなかでできあがった人間

「無政府主義」という思想を日本に広めた大正期の思想家・大杉栄(1885~1923)。無政府主義やそれにかかわる社会主義の思想じたいは,現代ではすたれました。しかし,人間や文化を語る彼の言葉には「〇〇主義」を超えた魅力があり,今も読者がいます。

大杉は自分を「監獄のなかでできあがった人間だ」といいました。

彼は政治犯として何度か刑務所暮らしをしています。短いときは数か月,長いときは2年あまり。

当時の監獄は,居住環境は劣悪でしたが,本を読んだりする時間はかなりありました。社会科学や自然科学の本を差し入れてもらっては,読み漁る毎日。エスペラント語やドイツ語も勉強しました。『ファーブル昆虫記』の日本初の翻訳ということも監獄で行っています。大杉にとって,監獄は集中できる場所でした。

また,雑居房での囚人たちとの共同生活のなかで,人の心の機微にも関心を深めていきました。監獄での勉強や体験は,彼の視野を大きく広げてくれたのです。

私たちも,「監獄に2~3年入るとしたら,何をするか(本やちょっとした道具は持ち込めるとして)」ということを考えてみるといいかもしれません。それは,「自分にとって大切なことは何か」を考えるということです。

*** 

以上は,「刑務所はいいところだ」というのでは,もちろんありません。

しかし,外界から隔離された場所で,勉強に打ち込んだり,深く考え続けたり,という機会は価値のあるものです。

アメリカの大学・大学院に留学して真面目に勉強してきた人の話を聞くと,「まるで刑務所暮らしだ」と思えます。授業に出て,図書館で勉強して,学生寮に帰ってまた勉強して寝る。そのくりかえし。キャンパスという「塀の中」から出ることはめったにない。大都市の近郊にある大学に数年いても,街にくりだしたことなんて,数えるほどしかなかった……といいます。

勉強でも仕事でも,「塀の中」にいるような,ほかのことができずに,そのことにひたすら取り組んでいる状況というのは,かなり苦しいはずです。でも,あとでふりかえると,一種の「黄金時代」のように思えるのではないでしょうか。

もし私が,「自由時間のたっぷりある刑務所」に2~3年入るとしたら,何をするでしょうか?

たぶん,「世界史」に関する本を書こうとすると思います。世界史のイメージを初心者に伝えるための,啓蒙的な本。若干の資料を持ち込んで,ときどき必要な本を差し入れてもらって,ノートにボールペンで書くでしょう。私がそんなものを書いても,発表のあてもないし,たぶんなんにもならないのでしょうが,いいのです。それをやりたいのです。
 
でもじつは,もうそれは実行してしまいました。

起業に失敗して,無職で3年あまり過ごしたことがあります。そのころは,自由にできるお金がかぎられていたので(ほんとうは働けばいいんですが),行動範囲もせまかったです。近所の本屋や図書館や公園をぶらつくのが,気晴らしでした。カフェなんかめったに入らなかった。

とくによく「ぶらついた」のは,自宅の本棚です。「つんどく」になっていた本をずいぶん読みました。当時の私は,近所や自宅という「塀の中」で,したいことをしていました(「あんたは幸せな人だ」というなら,まあそういうことにしておきましょう)。

そんななかで,自分にとって「懸案」だった世界史関連の原稿もかなり書いたのです。「書く」というのは,お金をかけない時間つぶしとしては,最高です。それからしばらくの中断を経て,その原稿の整理・仕上げにも取り組んでいます。このブログにもいずれアップしていきたいです。

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)


関連記事
テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年04月28日 (日) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの11回目。
前回(4月24日),こんなことを述べました。

 勉強は,まず「何か」を選ばないといけない。つまり,「どんなことをしたいのか」「誰に学ぶのか」を決めるのである。とくに大事なのは「誰に学ぶか」ということ。特定の分野への関心は,特定の「誰か」の仕事にたいする感動からはじまる。その感動できる誰かが,あなたの「先生」である。何かを選ぶとは,先生を選ぶことだ。

今回はそのつづきです。


じかに教えてもらえなくても,
最高の先生をさがそう。


ここで「先生」というのは,あなたが「こんなふうに考えることのできる頭になりたい」と思える人です。「その思考のすべてを真似したくなる人」です。

でも,その人があなたにとって遠い世界の人だったら,どうすればいいでしょう? 
 
先生が高名な文化人や学者などであって,じかに教えを受けることが困難な場合は?

会えなくても,著作をくり返し読みましょう。講演会があれば,行きましょう。先生は,ひとつしかないあなたの頭をデザインするためのお手本です。「この人だ」と心から思える人を選びましょう。

じかに教えを受けることができなくたって,最高の先生をさがすことです。

担任の先生のように,あなたの身近にいてものを教えてくれる人はもちろん大切です。でも,根本的なものの考え方に関して,安易に「身近な先生」の言うとおりに自分の頭をデザインしてはいけません。

でもかなりの場合,「身近な先生」に情が移ってしまって,「最高の先生」が言っていることよりも,身近な先生の言うほうを尊重してしまうものです。学校でたまたま受け持ちになった先生や,会社の上司などを基準にものを考えてしまう。

身近な先生が駄目な人だと,「オレの言うことだけ聞いていればいいんだ」と言うはずです。自分が最高の先生を求めることなく,身近な先生だけを大切にして育ってきたからです。

もし,身近な先生がすぐれた人なら,「世の中にはすごい人がいるんだ,自分なんかを〈先生〉にしたら駄目だ」と言うでしょう。その人にはきっと最高の先生がいて,その大切さがわかっているのです。

私が高校生のとき出会った若い先生が,そんな人でした。その人は,高校の剣道部でコーチをしていたのですが,部活のミーティングでどういうわけか,哲学の講義を始めてしまう。それが,どの授業よりも面白かった。

身近な先生に素敵な人がいたら,「あなたの〈先生〉は誰だったのですか?」と聞いてみてください。傾倒している人や愛読書を聞くのです。

「身近な先生の先生」があなたにとっての「先生」になるかもしれません。私もそうやって,自分にとっての最高の先生をみつけたのです。

(第11回おわり,つづく)

関連記事
テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術