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2013年05月02日 (木) | Edit |
1日早いですが,憲法記念日にちなんで,憲法のことを考えてみます。

日本国憲法で私が気になっているのは,「三権分立」のことです。「三権分立」という点で,どうもうまくいっていない,と思うのです。

そもそも三権分立とは何か。よくある説明は「立法,行政,司法の勢力均衡のしくみ」といったところでしょうか。でも,私はつぎのように説明しています(政治学者・滝村隆一の説にもとづく)。
 
三権分立とは,国の重要な意思決定にかんするプロセスを,政府の3つの機関に分担させるしくみである。

その「プロセス」というのは「何をするか決める(プラン)」「実行する(ドゥ)」「結果を,最初に決めたことに照らしチェックする(シー)」の3つの段階から成り立っている。大きく分けたら,この3つ以外にはありえない。

そして,「プラン」にあたるのが「議会≒立法」,「ドゥ」が内閣や官僚機構など≒行政,「シー」が裁判所≒司法である。


なぜこんなしくみが必要なのか。

国家権力の暴走から,国民の人権を守るためです。
 
立法や行政が,人権をおかすようなことをしたとき,司法が「待った」をかける。

プレーヤーである立法や行政じしんが,自分でまちがいを正すこともあるかもしれませんが,むずかしいことです。自分のまちがいは誰しもみとめたくない。だから,独立の司法という「審判」にチェックさせるのです。

そして,とくに「暴走」する危険があるのは,行政です。いろんなことを実行する,現実的な「力」をもっているのは行政だからです。

近代以前の政府では,三権は未分化でした。行政が立法も司法も握っていた,という感じです。こういう政府は,やりたい放題の「独裁」になってしまうものです。
 
それでも,昔の政府の「やりたい放題」は,まだましでした。交通・通信や軍事力などの技術,行政機構が未発達な時代には,国民を徹底的に管理する力は,政府にはなかったのです。

でも,近代以降の政府はちがいます。発達した技術や組織を持っています。暴走すると,恐ろしいことになる。

ここでは立ち入りませんが,たとえば第二次世界大戦のときのドイツのファシズムや日本の軍国主義,あるいは20世紀の社会主義の政治体制は,そうでした。

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このように「三権分立」はだいじだ,というわけです。日本国憲法でも,「基本的人権を守るためのシステム」として,三権分立が採用されています。

でも,その三権分立にはいろんな問題があるのでは,ということです。

具体的には,「行政」が強すぎて,「行政」が「立法」や「司法」の領域でも力をふるっているのではないか,ということです。裏をかえせば,「立法」や「司法」が弱くて,本来の機能を十分果たせていない,ということ。

たとえば,日本の国会の立法府としての機能は不十分で,「法律をつくる」実権は,官僚機構がにぎっているのではないか。

日本では,議員立法よりも官僚主導の「行政立法」が,重要な位置を占めています。アメリカではちがいます。それは「アメリカでは議員立法が主流」というのではなく,制度上「議員立法しかありえない」のです。立法権は議会だけにあります。アメリカの三権分立は,このように厳格です。

そして,アメリカには議員立法を支える具体的な組織があります。議会の事務スタッフが分厚いのです。アメリカの連邦議会では,議員の個人スタッフ,議会の各委員会のスタッフなどあわせると,「〇万人」という単位になります。議会≒立法が自前の官僚機構を持っているのです。

一方,日本の国会の事務スタッフや,議員の公設秘書の人数は,「〇百人」というレベルです。ろくにスタッフがいないわけですから,日本の国会議員が,官僚機構にかなうはずがありません。

そして,そもそも論ですが,日本の議院内閣制というのも,「三権分立」という観点からすると,中途半端な制度です。

まず,総理大臣という行政のトップを,立法府(衆議院)で,その構成員(議員)のなかから選挙するということ。また,衆議院は過半数による「内閣不信任決議」で,内閣を総辞職に追い込むことができること。そして,総理大臣のほうでは,「解散権」を行使して,国会議員(衆議院議員)をクビにできること……こういうしくみが作用して,日本の総理大臣の権力も,国会の運営も,なんだか不安定になっています。

ここは,教科書的なとらえ方と大きく異なります。一般にはこのあたりのことは「立法と行政の相互抑制・均衡」のひとつのありかたとして,「三権分立を機能させる要素」とされます。

でも,私は三権分立を「三権の相互抑制」ではなく,「立法・行政・司法が,政府の活動における〈プラン・ドゥ・シー〉というそれぞれの役割を担うしくみ」ととらえます。そして,国会,内閣と官僚機構,裁判所が,各自の役割をしっかりと全うすることこそが重要だと考えます。

だとすると,国会と内閣が相互にけん制しあって身動きがとれなくなるような「議院内閣制」のありかたは,「三権分立」的ではない,ということになるのです。

「国会の運営の不安定」というと,参議院の問題もあります。衆議院を通過した法案を参議院が否決すると,衆議院で再度議決して3分の2以上の多数がないと,法案は流れてしまいます(総理大臣の指名と予算や条約の承認は別)。

参議院の拒否権はたいへん強いのです。与党が衆参両院で過半数をおさえているか,衆議院で3分の2以上を占めているかでないと,国会の運営は不安定となり,たいした意思決定ができなくなるおそれがあります。

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司法についてもみてみましょう。

司法の頂点にある最高裁判所の裁判官(や長官)は,誰が決めるのか?

これは,内閣だけで選任することができます。国会で承認する,といったことはありません。つまり,行政が司法のトップについて,人事権のもっともだいじな要素である「選任」の権限をもっているのです(ただし,解任権はありません)。

ということは,原理的には,内閣が自分たちに都合のいい人物を最高裁に送りこむこともできるわけです。じっさい,そういうことが行われている,と憶測されることがあります。

また,制度上,国民が最高裁の裁判官を「審査」することが行われてはいますが,私たちに最高裁のメンバーがどんな人かなんて,まず判断できません。だから,この国民審査は,あまり機能していません。

というわけで,最高裁の人事(選任)は,もっぱら内閣がきめているわけです。そして,内閣の「事務局」である官僚機構が,それを事実上仕切っている可能性があります。

それから,「検察」という存在の,司法への影響ということがあります。

「検察」というのは,犯罪者を裁判=司法の場へ送り込むかどうかを決める権限を持つ,特殊な「行政」の一機関です。そして,検察が「起訴」と決めた場合,裁判所へ送られた容疑者は,どのくらいの割合で「有罪」になると思いますか?

じつは,99%以上,つまりほとんど全員が「有罪」になるのです(ほかの先進国ではこういうことはない)。ということは,司法=裁判所で「有罪」を決めるのではなく,検察という行政機関が決めていることになりませんか? 

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以上,かけあしでしたが,日本の三権分立には,このようなことがあるわけです。ほんらいなら何回かに分けて説明したほうがいいのかもしれません。でも,ざっとみわたしておくのも,意味があると思います。

立法や司法や内閣の弱い部分,空洞化している部分に,官僚機構の力が入り込んでいる感じ。

こうした「三権分立」の不徹底の問題が,日本の政治システムにはあるのではないかと思っています。

(以上)

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