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2013年05月27日 (月) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの18回目。

これまで,「この人の仕事はすばらしい,その仕事のすべてを知りたい」と思えるような著者・アーティストなどをみつけて追いかけよう,と述べてきました。

誰かのすばらしい仕事への感動が,広い世界・深い世界への出発点となります。その「誰か」を「先生」とここでは呼んでいます。 

今回は,「先生とはどういう人か」について。これまでとはちがった側面からの話です。


あなたをほめてくれる人が,
あなたの「先生」とはかぎらない。


「どんな先生を選んだらいいか」ということは,一概には言えません。

私にも自分の「先生」だと思っている人がいるわけですが,その人があなたにとってよい先生かどうかはわかりません。あなた自身で,あなたが感動してついていきたくなる先生をさがしてください。

でも,先生選びについて,「こういう人は気をつけて」というアドバイスならできます。

まず,「私についてきなさい」という人には気をつけましょう。にせものの可能性があります。拒んでも人が集まってくるくらいが本物です。あるいは,本物は自分の仕事に必死で,弟子など集めるヒマがないのです。

もちろん,権威ある大学教授が「自分の研究室にいらっしゃい」と言ってくれるような場合は別です。でも,そういう声がかかる秀才は例外です。ふつうの若い人は,誰にも声をかけてもらえません。私も,そうでした。

「にせもの」があなたをひきよせる手段として,そういうあなたのさびしさを突いてくることがあります。「にせもの」があなたをほめるのです。「君は才能があるね。みどころがある」と言うのです。

ほめるだけだったら,その人はあなたを勇気づけてくれたありがたい人です。素直に感激して励みにしましょう。そういうときに感激できる,というのは大事なことです。

しかし,「にせもの」の場合,ほめ言葉であなたをとり込もうとするのです。

「感動」が出発になる,と私は言いました。でもその感動というのは,「先生のすばらしい仕事」への感動です。これと,「自分をほめてもらった感激」とを混同してはいけません。

そのうち「にせもの」は,高い「お布施」を取ったり,「出家」をせまったりするようになるでしょう。それが「にせもの」ということです。

先生に値する人は,あなたに学校や会社を「やめろ」とは言いません。たとえば科学者をめざしている人が,大学をやめてどうやって研究を続けるのでしょう。

先生に値する人ならば,他人の生活や人生を左右してしまうことの重さを,十分にわかっているはずです。

(以上,つづく)

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