2013年06月30日 (日) | Edit |
住む。表紙

 私は,築30年あまりの古い団地を全面リフォーム(リノベーション)して,カミさんと2人で住んでいます。
 リノベの設計は,建築家の寺林省二さん(テラバヤシ・セッケイ・ジムショ)にお願いしました。

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 つい先日,寺林さんの自邸が雑誌『住む。』(No.46,2013年夏号)で紹介されました(上の写真)。
 「仕事場のある,小さな家。」という特集記事のなかで8ページにわたってとりあげられています。

 寺林さんのお宅には,寺林さんの設計事務所と,奥さんの眞紀さんが営む,暮らしの道具のお店 musubi もあります。
 建坪(敷地)8.5坪,延床面積17坪(2階建て,57㎡)のなかに,生活の場と事務所とお店が同居しているのです。まさに「仕事場のある,小さな家」。

 テラバヤシ邸は,このブログの5月30日の記事でも,以下の写真などでご紹介しました。

 でも,雑誌の写真はやはりきれいです。ぜひ手にとってご覧ください。
 『住む。』は誌面の美しさと,とりあげられている住宅やインテリアなどに惹かれて,ときどき買っています。私が「いいなー,ステキだなー」と感じる住まいが,たくさん載っている雑誌です。

お店と仕事場

居間と店主の仕事場

 5月30日の記事で,テラバヤシ邸にかんし,紹介しきれなかったことがあります。ぜひ語りたかったけど,長くなるのでやめました。

 それは,上の写真の2枚目の,黄色いイスがある,階段下のデスク。
 奥さんの眞紀さんの仕事場です。
 階段下のこじんまりした,でも使い勝手のよさそうなワークスペースに,とっても惹かれました。
 
 アップにすると,こう。

店主の仕事場

 このスペースをみて,私は別の家の,ある写真を思い出しました。

 それは,民族学者・梅棹忠夫(1920~2010)の自宅にある,夫人のワークスペースです。主婦としてのいろんな事務を行うために,やはり階段下にしつらえられたもの。1966年に撮影された写真です(「ウメサオダタオ展」資料『梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡』2011年発行 より)。

梅棹夫人の机

 梅棹忠夫は,著書『知的生産の技術』(岩波新書)『情報の家政学』(中公文庫)などを通して,1960年代から「パーソナルな知的生産の技術」「家庭での情報処理」ということを説いてきた人です。

 上の写真の机は,梅棹によれば「わが家のコントロールタワー」だそうです。生活にかかわる情報処理の中心だ,ということでしょう。

 「コントロールタワー」として必要なさまざまな道具もそろっています。

 まず,電話という「情報端末」。それから,ファイリング・キャビネット。キャビネットの上にあるのは電話帳でしょうか。机の上の本棚には,しばしば参照する資料・冊子が置かれています。本棚の下には蛍光灯のランプが取り付けられています。カレンダーもある。すごく機能的にまとめられています。

 こういう構成は,現代と同じ。
 眞紀さんのワークスペースも 同じような道具だてのはずです。
 「情報端末」に,パソコンも加わったというのがちがうくらい。
 50年近く前の,梅棹の先進的な発想に,感心します。

 もっとも眞紀さんの机は,「商売」のための場所で,専業主婦の仕事場とは,ちょっとちがうのかもしれません。でも,この机で家事にかんする事務をすることも,きっとあると思います(ご本人に確認はしてませんが)。

 一家にひとつ,「司令塔(コントロールタワー)」というのか,「家庭の情報センター」というのか,そんなワークスペースがあると,やはりいいと思います。

 階段下とか,ちょっとしたスキマ的なスペースに,小さな机を置いて,必要な道具をしつらえて……

 その生き生きとした「現物」を,テラバヤシ邸でみてきたわけです。

(以上)
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2013年06月30日 (日) | Edit |
 今,日曜日の夕方。
 今日は好きなように過ごしました。
 
 朝ご飯はトーストと目玉焼きとヨーグルトを妻と2人で食べる。
 8時半に,妻が書道教室に行くのを見送りました(カルチャーセンターで子どもの教室の先生をしている)。

 午前中は,新聞を読んだあと,パソコンに向かって,ブログの記事を書く。
 昨日の「三浦つとむとエリック・ホッファー」の続きを,途中まで。

 13時ころ,外出。となりの駅にある大書店へ。
 私が住むのは,都心から1時間ほどの多摩地区の古い団地。
 そんな「田舎」にも,最近は売り場面積〇百坪の大書店がある。
 30分くらい,いろいろ立ち読み。

 それから目的だった,モンテーニュの『エセー(1)』宮下志朗訳,白水社を買う。
 ほかにも2冊ほど。
 『エセー』は,先日のブログの記事で触れた本。
 図書館で手にしたことはあったけど,ちゃんと読んだことがなかった。

 昼飯は,駅のそばにある,チェーンのラーメン店。
 結構混んでいて,待たされる。
 
 最近は,多摩の郊外でも,かなりいろんなものがそろっている。
 さがしている本がすぐにみつかる大書店,なんていうのもそう。

 映画館(シネコン)もあります。
 夕方,仕事から帰ってきて一休みして,夫婦で映画を観に行く,なんてこともできます。
 今月も『中学生円山』(九藤官九郎監督,草彅剛主演)を,ナイトショーで観ました。
 私が子どものころは,映画を観に行くには都心まで出ないといけなかったのに…

 でも,「郊外」の限界も多々あります。

 たとえば,「通いたくなる,お気に入りのラーメン屋」なんて,私の近所にはなかなかないです。

 今日食べたラーメン屋さんは,結構おいしく,接客もしっかりしているので,繁盛しています。
 でも,どこにでもあるチェーンの店で「行列」ができるなんて,エリアのラーメン店がいかに「不毛」かということですよね…

 「街のにぎわい」に厚みがないのが,郊外というものです。
 それがどうしてもイヤなら,郊外で暮らすのはむずかしい。

 ラーメンのあとは,電車で最寄駅へ戻りました。
 今度はその駅前の,小さな本屋さんをブラブラ。雑誌を立ち読み。

 そのあとは,これまたチェーンのカフェで,アイスコーヒーを飲みながら買った本を読む。

 1時間半ほどカフェで過ごしたあとは,夕飯の材料を買いに,スーパー西友へ。
 今夜は肉野菜いためにしよう。

 もう30数年前にオープンした,古いショッピングセンターの中に,西友はあります。
 西友って,コマーシャルで言っているように,たしかに安いです。助かってます。

 買い物のあと,福引券があったので,2回ガラガラしました。
 そのうちひとつが5等賞。300円相当の景品として,歯ブラシをゲット。

 家に戻ると,またパソコンに。
 でも眠くなったので昼寝。気がついたら夕方。

 こんなふうに,好き勝手に過ごす休日が,私は結構あるほうです。
 40代の中年男では,そういう人は少ないのでしょうか?
 たしかに,家族のこととかいろいろあるので,ふつうはこんなふうには過ごせないかと…

 でも,こういう「ブラブラする」時間がときどきないと,私は調子が悪くなります。

 「あんたは幸せな人だ」と妻にいわれます。
 はい,そうですね,ありがたいことです。

(以上)
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2013年06月29日 (土) | Edit |
ホッファー
エリック・ホッファー

 世の中には,独学で「大インテリ」になった人がいます。
 前回紹介したのは,三浦つとむという昭和の後半に活躍した哲学者。

 今日ご紹介するのは,エリック・ホッファー(1902~1983)というアメリカの思想家です。
 上の写真のおじさんです(エリック・ホッファー自伝―構想された真実 作品社より)。

 「独学」というけど,この人の場合は,学校教育というものを,小学校からまったく受けていません。
 7歳のときに失明して,ずっとニューヨークの下町にある実家にこもっていたのです。ほんとうに極端な独学者です。

 しかし,15歳のとき(1917年)に突然視力が回復。
 失明する前の幼いころ,すでに字を読めるようになっていた彼は,むさぼるように本を読みはじめます。「また目が見えなくなる前に読めるだけ読んでおこう」という気持ちがありました。

 18歳のとき,家具職人だった父親が亡くなりました。母親もすでになくしていたので,天涯孤独となりました。

 父の死にあたり,家具職人の組合から300ドルが出ました。今の日本円で200~300万円くらいか。

 そのお金をもってロサンゼルスへ。暖かいカルフォルニアなら,どんなに貧乏でも(ホームレスでも)なんとかなると思ったのです。
 ロサンゼルスでは,300ドルがなくなるまで仕事もせず,図書館の近くのアパートで,ひたすら本を読んでいました。

 その後,お金が尽きると,日雇い労働者の仕事を転々としていくことになります。
 20代後半には,定職(倉庫管理の仕事)に就いたこともありますが,2年で辞めてしまいました。

 仕事を辞めたあとは,貯金で食いつなぎながら,また読書ざんまいの日々。
 貯金が尽きると,とうとう思いつめて,毒を飲み自殺をはかります。
 でも,死ねませんでした。28歳のときのこと。

 その後は,ロサンゼルスを離れ,10年ほど放浪生活を続けます。カルフォルニア各地の農園や鉱山で,季節労働者として働きました。
 そして,仕事の合間に,行く先々の町で図書館に出入りして,読書を続けました。

 その時期に彼は,フランスの思想家モンテーニュ(1533~92)の『エセー』という古典に出会いました。

 鉱山の仕事で山にこもることになるので,「時間つぶしになる分厚い本を」と,古本屋で買ったものです。
 そして,山ごもりのあいだに,ほとんどおぼえてしまうくらい,『エセー』をくり返し読みました。

 モンテーニュの『エセー』は,「アフォリズム(警句)」の集合として書かれています。アフォリズム的表現が核になっているエッセイ集,といったらいいでしょうか。
 アフォリズムというのは,せいぜい数百文字くらいの短い言葉で,気の利いたこと・深いこと・鋭いことを述べていく,文章の形式です。

 ホッファーは『エセー』を通して,アフォリズム的世界に魅せられました。
 のちに彼が書く文章の多くは,アフォリズムです。あるいは,アフォリズムをベースに,それに肉付けしたエッセイです。

***
 
 30代の終わりに,彼はサンフランシスコにやってきます。
 そこで,港で船の荷物を運ぶ「港湾労働者」として働きはじめました。この仕事が気に入り,以後ずっとサンフランシスコで暮らしました。放浪生活は終わりです。

 その後彼は,仕事の合間に,「読む」だけでなく「書く」こともはじめました。雑誌に何度か投稿して,ある雑誌編集者と知り合ったりもしました。

 その編集者の励ましも受けながら,彼は40代の半ばの数年をかけて,1冊の本を書き上げます。
 
 本のタイトルは,The True Believer 。
 直訳すれば「根っからの信者」「熱狂的な信者」といったところでしょうか。
 
 この本が書かれたのは,第二次世界大戦が終わった直後。
 かつてのナチス・ドイツなどのファシズム(軍国主義の一種)や,戦後になって急速に台頭してきた共産主義などを支える「大衆運動」というものをテーマにした本です。この本には「大衆運動の本質について」という意味のサブタイトルもあります。

 ファシズムや共産主義といったイデオロギーに熱狂し,熱心な支持者・活動家になる人たちの心理。
 それを,独特のアフォリズムの形式で語っている本です。

 この本は,書き上げたあと3年がかりで出版にこぎつけます。1951年,ホッファーが49歳のとき。
 
 この処女作は評判を呼び,彼は思想家・文章家として認められました。
 The True Believer は,1961年に日本でも出版されました。
 邦訳のタイトルは,『大衆運動』(もともとは『大衆』だったが,改題。紀伊國屋書店刊)。

 以後,約30年のあいだに十数冊の本を出版。社会・政治批評,文明論,歴史論,人生論などにかんするアフォリズム集やエッセイ集です。『自伝』も書いています(『エリック・ホッファー自伝』作品社)。
 そして,かなりの読者や知名度を獲得しました。

 1964年から72年までは,カルフォルニア大学バークレー校で,非常勤講師をつとめたりもしています(でも講義は担当せず,週1回講師室に座って,やってきた学生と対話する,ということをしていた)。

 それでも彼は,港湾労働の仕事を辞めませんでした。

 週何日か体を動かして働いて,合間に図書館通い。
 粗末な机で文章を書く。本は借りてくるばかりで,ほとんど持たない。
 そんな暮らしが気にいっていたのです。
 1967年,65歳のときに彼は港湾労働の仕事を「定年退職」することになりますが,そのときは残念がっていたそうです。

 以上,じつに「たぐいまれな人生」だと思います。
 三浦つとむ以上に,「こんな人がいたんだー」とおどろきます。

***
 
 では,彼はどんな文章を書いたのか。
 たとえばこんなアフォリズム。処女作からではないですが,そこでのテーマである「大衆運動」につながる心理を述べたもの。

 情熱の大半には,自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は,すべて逃亡者に似た特徴を持っている。
 情熱の根源には,たいてい,汚れた,不具の,完全でない,確かならざる自己が存在する。だから,情熱的な態度というものは,外からの刺激に対する反応であるよりも,むしろ内面的な不満の発散なのである。


***

 われわれが何かを情熱的に追求するということは,必ずしもそれを本当に欲していることや,それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合,われわれが最も情熱的に追求するのは,本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから,待ちに待った熱望の実現は,多くの場合,われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
 いかなる情熱的な追求においても,重要なのは追求の対象ではなく,追求という行為それ自体なのである。


(『魂の錬金術 エリックホッファー』作品社 所収「情熱的な精神状態」より,中本義彦訳)

***

 どうでしょう。シビれる人はかなりシビれるはずです.
 私もそうでした。ガツーンときた,といってもいい。
 (もちろん,ピンとこない人もいるでしょう)
 
 読書と思索を重ねつつ,社会の底辺で働きながら「世間」をみてきた人間の,深い洞察力を感じます。

 そして,このような「エリック・ホッファーの世界」に,私は「現代性」も感じています。

 まず,アフォリズムという,コンパクトな表現のスタイル。
 これは,ネット上の表現やコンテンツになじみます。
 今のネット上では,表現の単位がどんどん小さくなっています(私のこのブログはその点で時代おくれなんでしょうね……)

 彼のアフォリズムは,「エリック・ホッファーのツィート」です。
 ものすごく磨かれ・深められた「ツィート」といえるでしょう。

 そして,「底辺の労働者」という,彼の「立ち位置」。
 これは,最近の「格差社会のなかでの,不利な立場からの主張」と通じるところがあります。

 ただし,ホッファーは一筋縄ではいきません。彼は「弱者」「大衆」といったものを,突き放した目でみています。さきほど引用したアフォリズムは,まさにそうなのです。しかし一方で,「大衆」の視点から世界をみるということを貫いている。
 
 今のネットの世界には,たくさんの「エリック・ホッファー」がいます。
 「エリートの立場」とは無縁なところで,社会や人間を語り,自己表現する人たち。

 あたりまえですが,その表現の多くは,ホッファーの境地には遠く及ばない。
 (このあたり,自分のことはおいておきます)

 でも,心に迫る言葉に触れることもある。
 荒削りで「完成品」からは遠いかもしれない。ホッファーのような学識はないかもしれない。でも,迫力や心情や鋭さが伝わってくる表現に出あうことがある。
 そのなかから,「21世紀のエリック・ホッファー」が出ないともかぎらない。

(以上) 
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2013年06月28日 (金) | Edit |
三浦つとむ
三浦つとむ(1976年)

 世の中には,「極端な独学者」といえる人がいます。
 高等教育を受けることなく,「大インテリ」になった人。

 明治生まれの哲学者・三浦つとむ(1911~1989)は,そんなひとりです。
 上の写真のおじさん。私の好きな学者です(写真は『唯物弁証法の成立と歪曲 三浦つとむ選集・補巻』勁草書房より)。

 彼は,家が貧しかったので,勉強はできたのですが,「東京府立工芸学校中退」という学歴です。今なら高校中退といったところ。

 しかし,昭和の戦後の時代に思想家として多くの著作を発表し,広く知られるようになりました。
 たとえば,去年亡くなった,有名な評論家の吉本隆明(「吉本ばなな」のお父さん)が主催する雑誌『試行』で,おもな書き手のひとりだった,といえばどうでしょう?「立派な知識人」という感じがしませんか?

 では,どんな業績があるのか。
 まず1950年代における「スターリン批判の先駆者」というのがあります。

 スターリンは,社会主義の総本山である「ソ連(今のロシア)」の指導者です。その思想や理論を批判したのです。
 それは,マスコミでよくみかけるような,権力者にちょっとケチをつけた,といったものではありません。
 堂々と,系統だった論陣を張って,批判したのです。

 「だからどうした」と思うかもしれません。
 でも,それは当時,たいへん勇気のいることでした。たとえていえば,「カトリックの神父が,ローマ法王に神学論争を挑んだ」というかんじです。

 当時の三浦は共産党員でした(のちに,除名)。そして,今では想像もつかないくらい多くの知識人が,共産党や社会主義に共鳴していました。社会主義には,たいへんな勢いがあったのです。その中で,スターリンは神のように尊敬されていました。
  
 でも,その後の社会主義の末路をみると,三浦は正しかった,ということです。

 社会主義の権威がピークだったのは,1950年ころです。そこからは世界的に,いろんな批判や,権威の低下ということがおこってきます。

 三浦のスターリン批判は,そんな「世界の潮流」の先駆けのひとつでした。あとでふりかえると,そういうことになります。
 
 そんな「世界的」なことを,日本人の,それも「高校中退」の独学者がやってのけたのです。

 三浦のほかの業績としては,言語論があります。「言語過程説」という学説に基づいて,理論書を書きました。
 言語過程説は学界ではまったくのマイナーですが,三浦理論は,日本の言語学にひとつの足跡を残したとはいえるでしょう(私は,彼の理論が基本的に正しいと思っていますが)。

 そして,三浦の「スターリン批判」は,スターリンの言語理論を批判したものでした。
 「スターリンのような政治家が言語理論?」と思うかもしれませんが,当時の社会主義の指導者は「万能の超人」を売りにしていました。つまり,政治や軍事のほか,学問も芸術もすごい人なんだと。そこで,そんな学問的理論も発信していたのです。

 また,彼の言語論の啓蒙書『日本語はどういう言語か』は,何十万部ものベストセラーになりました(今も講談社学術文庫で読めます)。

 ほかにも,「弁証法」という,論理学の一種についての解説書や,弁証法をからめた人生論など,多くの著作を残しました。
 映画や落語やことわざなどを自在に引用しながら,「下町」なかんじで哲学を語る,その独特な世界が多くのファンを得ました。

                        *

 三浦は,修業時代に,どんな独学をしたのか。

 若いころの彼を知る人は,博覧強記の読書家だったといいます。
 でも,ビンボーで本はほとんど買えません。また,当時(昭和の戦前期)は,図書館も今のようには充実していませんでした。
 だから,本屋さんで立ち読みして,短時間で必死にアタマに入れたそうです。

 それから,少し変わった仕事をしていました。
 ガリ版(コピーが普及する前に一般的だった簡易な印刷方法,その原版)作成の内職の仕事です。
 それも,東大の講義ノートのガリ版をつくっていました。

 まじめな学生が書いた講義のノートを何冊か集めて,それを集約した参考書のようなものをつくる。
 そうやって,東大の講義をふつうに受ける以上の知識を身につけたのです。

 どうでしょう? 「そんな人がいた」ということに,ちょっと驚きませんか?

 三浦の「文章家としてのデビュー」も,かなり「異端」なかんじです。

 三浦が若いころに通っていた映画館で,毎週発行していたミニコミ誌のようなチラシがあり,彼はそこにしばしば投書していました。
 その投書がいつもすばらしいので,映画館主が,彼に原稿を依頼した。そして毎号,映画の短評を書くようになったのが,彼の「デビュー」です。

                       *
 
 有名になってからの三浦の自宅を訪ね,その書斎をみた人から,話を聞いたことがあります。
 今は80代のその方が,若いころのこと。

 その人は,びっくりしたそうです。
 本が少ない。
 大きくはない書棚がひとつかふたつ。

 そこに,マルクスやヘーゲルや,言語学の著名な本などが並んでいる(ドイツ語の原書もあります)。
 
 それしかない。

 すでに有名な知識人になり,本を買うお金はあったはずなのに,「多くの本が並んだ立派な書斎」をつくることを,三浦はしませんでした。

 彼の読書の中心は,マルクスやヘーゲルのような基本の古典を読み込むこと。
 そして,おそるべき理解力・洞察力で,自分のものにしてしまう。
 それをベースに,「自分の考え」を構築していく。
 (前回のこのブログの記事でいう「つくる読書」)

 一方で,いろんな本を読み,知識を広げることもしています(「広げる読書」)。
 哲学書,専門書から,文学全集,推理小説,落語にいたるまで,いろいろインプットしている。

 でも,読んだ本を自分の蔵書として蓄積していくことはしないのです。

 中年になってからの三浦は,もう「立ち読み」ではなく,本は買っていたはずです。
 立ち読み感覚で,本は読んだら処分していたのでしょうか?

 この読書のスタイルは,彼の仕事に反映しています。

 三浦の仕事は,マルクスなどの古典をベースに,もっぱら「考え方」を述べていくものです。
 多くのデータや資料を駆使して,という仕事ではありません。
 膨大な文献にあたって歴史小説を書いた,司馬遼太郎あたりとはちがうわけです。

 そのような三浦の述べる「考え方」は,平明に書かれているのに,鋭くて,パワーがありました。
 ある知識人は,「三浦つとむにかかると,何でもわかってしまう」といいました。

 データや事実の積み重ねは少なく,もっぱら「理論」や「考え方」で押し通す。

 「考え方主義」とでもいったらいいでしょうか。
 それが三浦つとむの世界でした。

 それにシビれた人は,とにかく「考え方」を磨けばいい,とする傾向がありました。そして,一般的な学者が書くような「知識」中心の本をバカにするところがありました。

 そんなスタイルで,10年20年「独学」していったら,どうなるか……

 三浦つとむだって,「そんな,〈考え方〉だけじゃ,どうしようもないだろう,もっと本を読め」と言うんじゃないでしょうか……(そういう発言を読んだり聞いたりしたわけではありません。言っているかもしれませんが,思いだせません)

                        *

 さて,もうひとり,ろくに学校に行かずに「大インテリ」となった「極端な独学者」がいます。
 彼も,三浦と同じように「立派な書斎」をつくりませんでした。読書はもっぱら図書館です。
 
 アメリカの思想家のエリック・ホッファー(1902~1983)という人。
 
 ホッファーは三浦より9歳年上ですが,ほぼ同時代の人といえるでしょう。

 私は,ホッファーのことを「アメリカの三浦つとむ」だと思っています。
 でも,世界的にはホッファーのほうがたぶん有名なので,三浦つとむが「日本のエリック・ホッファー」というべきでしょうか。

 つぎは,エリック・ホッファーの話をしますね。

(以上)
 
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2013年06月27日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの第30回。
 最近は,「読書論」をテーマにしています。


読書には,「考えをつくる読書」と
「知識を広げる読書」がある。


 読書には,ふたつのものがあります。
 ひとつは,「自分の考え方をつくる読書」です。
 これと決めた先生の本を丹念に読むことで,自分の「核」になる考え方をつくっていくことです。
 「先生」というのは,そのすばらしい仕事に感動して,「この人の思考や創造性をマネしたい」と思えるような人。

 もうひとつは,「自分の知識を広げる読書」です。
 「考え方」を身につけるだけでは足りません。いろんなものを読んで知識をたくわえることが必要です。

 以上をひとことでいうと,「つくる読書」「広げる読書」ということです。
 
 この言葉は,若いころに看護学者の薄井担子さんの著作で読んだと思うのですが,出典が確認できない……

 読書は,この両方をしなくてはいけません。
 どちらか一方が欠けていると,自分で考える力はつかないのです。

 たくさんの知識を持ちながらアウトプットが苦手な人は,「つくる読書」をしてこなかったのです。寄せ集めの知識ばかりで,一貫した思考というものが不足している。それで考えがまとまらない。

 私は,尊敬する先生たちの本で「考え方をつくる読書」を心がけてきました。
 先生たちは,既存の学問に対する批判者でした。批判だけでなく,それにかわる自分の学問を,それぞれの専門分野で示してみせました。そんな先生たちの考え方を身につければ,自分にも何かできるのではないかと思って,くり返し著作を読みました。

 でも,ある程度勉強したところで気がつきました。
 「考え方だけでは駄目だ。先生とは異なる,既存の学問の多数派の人たちの本もいろいろ読んで知識を増やさないと,どうにもならない」
 先生たちもじつはそういうことを言っているのですが,気にとめていなかったのです。

 独学者の人で,とくに非主流派やマイナーなものにひかれる人は,気をつけてください。
 「考え方」だけになって,「知識を広げる」ことを忘れてしまってはいけません。

(以上,つづく)

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2013年06月26日 (水) | Edit |
 「5分間の世界史講座」というのを,ときどきやっています。世界史のいろんなことがらをあつかった,1話が原稿用紙数枚~10枚ほどのエッセイ。 

カテゴリー:5分間の世界史

 前回の「5分間の世界史」(6月23日の記事)で,「1800年代のイギリスの鉄道網,つまり世界初の鉄道網は,どのような資金でつくられたか?」ということを問題にしました。
 
 今回はそのつづきです。
 前回(6月23日の記事)をまだ読んでない方は,まずそれを読んでいただいたほうが楽しめるはずです。

 でも,「めんどうだ」という方は,以下「ネタバレ」で前回の「答え」を。

 ***

 1800年代のイギリスの鉄道網をつくったのは,政府の予算でも,王侯貴族による寄付でもなく,株式会社という民間のお金の流れだった。おおぜいが資金を出し合って会社をつくり,その事業として鉄道は建設・運営されたのである。
 株式会社というしくみがなかったら,鉄道という新しい・大規模な事業を,急速に発展させることはできなかっただろう…

 
鉄道をつくったお金の流れ2


1700年代イギリスの道路整備
 今度は,イギリスで最初に鉄道網が整備された1800年代から,100年ほど時代をさかのぼる。1700年代のイギリスでのこと。
 当時の最も進んだ交通手段は,陸上では馬車だった。
 1700年ころのイギリスでは,商工業の発展で,馬車で人やモノを運ぶことがますます増えていた。
 
 馬車がスムースに通るためには,道路が石などで舗装されていることが必要だった。しかし,きちんと舗装された道路は少なかった。
 舗装されていないと,デコボコがひどかったり,車輪がめりこんだり,ということがある。馬車で旅をする人は,たいへんだった。

 交通量が増えるにつれて道路の傷みはますますひどくなっていた。そこで,道路の整備を求める声が強くなった。
 1700年代には,イギリスの国じゅうの〈おもな都市を結ぶ道路〉(幹線道路)について,舗装などの整備が行われた。

 では,「1700年代のイギリスの幹線道路の整備」は,どのようなお金(資金)によって行われたのだろうか?

(予 想)
 ア.政府が国の予算で,公共事業として行った。
 イ.民間の人たちで資金を出しあって会社をつくり,その会社の事業として行った。 
 ウ.各地の貴族などの少数の大金持ちが,お金を寄付して行った。
 エ.その他

 下の地図は,1750年時点の「舗装などの整備がなされた幹線道路」である。「この道路網が,どのようなお金で整備されたか?」ということだ。

幹線道路網
フォーカスほか『イギリス歴史地図』(東京書籍)より。赤い四角はロンドン


有料道路会社
 上の地図にある道路は,各地でつくられた「有料道路会社」が整備し,管理していたものである。
 「有料道路会社」とは,「多くの人からの出資で道路の整備を行い,道路の利用者から通行料を受け取って収入を得る」事業のこと。出資者には,利益が出たら利子や配当などの形で分配する。

 有料道路会社は,今の株式会社とはちがう点がたくさんあるが,「株式会社の一種」である。だから答えはイだ。

 道路会社ができる以前,幹線道路の補修は,村ごとに農民が無償で働くことで行われていた。これは法できめられた義務だった。

 しかし,それは仕事の効率も質も低いものだった。
 幹線道路をおもに利用したのは,農民ではなく商人や役人である。
 農民にとっては,道路がどうなろうと,あまり関心がない。なので,イヤイヤ仕事をしていた。

 こうしたやり方は,商工業が発達して交通量が増えると,現実にそぐわないものになっていた。
 時代に即した新しい方法がもとめられていた。

 そんなとき,社会の新しい要求にこたえたのは,政府ではなく,民間の人びとの試みだった。

 それが「有料道路会社」である。
 
 そのころの政府は,イギリスのような進んだ国でも,道路整備のような公共事業を行う能力は,きわめてかぎられていた。政府をほとんどあてにできない社会だった。

 たとえば,1700年ころのイギリスの政府予算の使いみちは,「軍事費」が約7割,「利払い」が約2割,「民生費」(公共的なサービスが含まれる)が約1割……となっている。これは戦争がなかった「平時」の数字である。(パトリック・オブライエン『帝国主義と工業化 1415~1974』ミネルヴァ書房 167ぺ)

 株式会社は,1500~1600年代にイギリス,オランダなどのヨーロッパの進んだ国で生まれた。

 初期の株式会社の中心は「海外との貿易」を目的とするものだった。海外に行く船を用意して乗組員を雇うには,多くの資金がいる。それをおおぜいで出しあって,貿易で儲かったら,利益を分けあう,というものである。

 有料道路会社は,こうした株式会社のしくみを「社会全体に役立つサービス」に応用したのである。

 このしくみは,これまでの「農民による道路の管理」にくらべると,はるかによくできていた。

 会社に出資した人も,経営者も,事業がうまくいけば,利益や報酬を手にする。
 道路工事で働く人たちは,ただ働きではなく賃金が支払われる。
 関係する人たちが,それぞれに個人的な利益を得ながら,「使いやすい整備された道路」という社会の利益を実現できる。

 最初の有料道路会社は,1660年代につくられたが,各地でさかんにつくられるようになったのは,1700年代になってからである。

 ひとつの道路会社には,だいたい「何百人」という出資者がいた。その中には,貴族や大金持ちもいたが,商店の主人や多少裕福な農民といった,「少し生活に余裕のある,ふつうの人たち」もかなりふくまれていた。


「道路会社」「運河会社」「鉄道会社」
 そして,少し後の時代(1700年代後半~1800年代前半)には,「運河会社」というものもさかんにつくられた。
 イギリスでは,河や運河による輸送が重要な役割をはたしていた。
 運河の建設には,道路以上にお金がかかる。
 それを道路会社と同じように株式会社のしくみをつかって進めていったのである。

 そして,「有料道路会社」から「運河会社」へと受けつがれてきた株式会社のしくみは,1800年代には「鉄道会社」に受けつがれ,さらに発展したのだった。

 1800年代後半には,鉄道会社が「株式会社の最も進んだ形」になっていた。
 そして,鉄道業以外の会社も,鉄道会社を「株式会社のお手本」にした。

 イギリスの鉄道会社は,「現代的な株式会社の元祖」といっていいのである。そのルーツをたどると「1700年代の有料道路会社」ということになる。


時代をきりひらく「会社」
 鉄道の時代になってから,道路会社は採算がとれなくなり,道路整備は政府の仕事になっていった。
 鉄道も採算がきびしくなって,現代では政府が経営している国が多い。

 このように「時代の変化で採算がとれなくなったが,社会に必要なサービス」は,政府の仕事になる。しかし,時代をきりひらく新しいサービスを生み出すのは,やはり会社などの民間の組織なのだ。

 鉄道や道路(整備された幹線道路)も,昔は新しいサービスだった。それを生み出したのは,政府ではなく株式会社だった(このように「公共的」と思われるサービスでも,そうなのである)。

 そして,そのような会社に,貴族や大金持ちだけなく,今の私たちに近いふつうの人たちも出資して,かかわっていたのである。

 会社とは「社会に必要なサービスを提供するために,人びとが自らの手でつくりだしたもの」である。

 今の社会は,昔にくらべると,「会社をつくること」も,「会社に期待してお金を出すこと(出資・投資)」も,ずっと幅広い人たちが行えるようになっている。
 新しく会社をつくることや,会社をつくる人・経営する人を出資などで応援することが,これからますます盛んになるだろう。

※参考文献:湯沢威「一八世紀イギリスの道路・河川・運河運営」,道重一郎『イギリス流通史研究』日本経済評論社など。このほかについては,今回にさらに続いて後日アップする予定の「鉄道をつくったお金の流れ3」で示す。

(以上)
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2013年06月25日 (火) | Edit |
 今日6月25日は,マイケル・ジャクソンが亡くなった日です。4年前の2009年のことでした。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西のさまざまな偉人について,400文字ほどで紹介するシリーズ。


 頼れるリーダー

 音楽ビジネス史上最高の活躍をしたスターのひとり,マイケル・ジャクソン(アメリカ,1958~2009)。
 しかし,ある時期からは奇行が取りざたされ,訴訟・裁判にまみれた人生でした。やがて活躍も減ってしまいました。
 そして,健康も害し,50歳の若さで亡くなってしまったのでした。
 亡くなる直前,彼は「これが最後」という大規模なコンサートツアーを準備していました。彼の死で本番を迎えることのなかったツアーでしたが,リハーサルの様子がのちに映画化されました。
 そこには,「奇行」の人などではないマイケルがいます。
 演出家に注文を出すときは,「信頼しているよ」「愛しているよ」という言葉をそえる。
 若手の女性ギタリストと共演する場面では,「もっと強くギターを鳴らせ!ここが君の見せ場だ!」と声がけしてリードする。
 キーボード奏者への微妙な指示は,自分で軽く歌ってニュアンスを示す。
 そして,力強いスピーチで,ダンスチームの士気を盛り上げる。
 まさに,「仕事を知り尽くした,頼れるリーダー」なのです。
 ステージの上の彼こそが,本当の彼なのでしょう。ステージの上こそが,マイケル・ジャクソンにとって,ほんとうに生きている時間なのです。

【マイケル・ジャクソン】
 1958年8月29日生まれ 2009年6月25日死去

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)

  
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2013年06月24日 (月) | Edit |
 このブログでは,いろいろなテーマを扱うつもりです。
 「世界史」「社会のしくみ」「発想法」「勉強法」,それから「団地リフォームと住まい」……雑多なのですが,私としてはこれらに共通するひとつの視点があります。

 それは,「近代社会を精いっぱい生きる」という大テーマです。

 「近代社会」ってなんのことか?
 ひとことでいうと,「多くのふつうの人でも,したいことがいろいろとできる社会」のことです。
 いわゆる「自由な社会」。
 「自由」とは「したいことができる」ということです。

 数百年以上昔の社会は,世界のどこをみても「したいことをする自由」を,法律などで制限していました。
 たとえば,「どんな仕事に就くか」が,生まれながらにしてほぼ決まっていました。江戸時代の日本なら,武士の子は武士に,農民の子は農民に。「身分社会」というものです。

 この数百年の世界は,身分社会を脱して「自由な社会=近代社会」を築く方向で動いていきました。
 「まだまだ」という国もかなりありますが,欧米や日本のような先進国では,近年は「かなり自由になった」といえるでしょう。

 でも,こういう話は,いかにも抽象的です。「自由」について,もう少し生き生きとイメージできる手がかりはないでしょうか。
 そこで,「昔は特別な恵まれた人にしかできなかったことが,今はふつうの人にもできるようになった」という話をしたいと思います。その切り口で話すと,「わかってもらえた」ということがありました。

 たとえばこういうことです。
 今の子どもたちは,生まれたときからビデオやデジカメでいっぱい撮影され,ぼう大な映像が残っています。
 では,「生まれたときから,たくさんの映像(動画)が残っている史上はじめての人物は誰か?」なんて,考えたことがありますか?

 「それはおそらく,今のイギリスの女王のエリザベス2世(1926~)だ」という説があります。
 映画の発明は,1800年代の末です。エリザベス女王が生まれた1920年代には,映画撮影の機材は高度なハイテク機器でした。そんな機材と専門家チームを投入して,日常的に撮ってもらえる赤ちゃんは,当時は大英帝国のお姫様くらいだった,ということです。

 この説がほんとうに正しいかどうかは,立証がむずかしいところもあります。でも,あり得る話です。

 90年ほど前には,世界じゅうでエリザベス2世でしかあり得なかったことが,今では誰でもできるようになっている。

 こういうことは,ほかにも山ほどあります。
 クルマに乗って出かけることは,昔はかぎられた人だけのぜいたくでした。
 「好きなときに音楽を聴く」ことは,蓄音機の発明(1870年代)以前には,自分の屋敷に「お抱えの楽団」がいるような,富豪だけの特権でした。ipodは,「ポケットに入るお抱えの楽団」です。

 たしかに私たちの「自由=できること」は増えているんだろうな。技術の進歩や経済発展のおかげだな……

 そこで,いろいろ考えるわけです。
 だったら,今の社会で,私たちはどんなことができるんだろう?
 少し昔の感覚で思うよりも,ずっと多くの自由や可能性があるかもしれない。
 その可能性を,できるかぎり使いきって生きていけないだろうか。
 それが,「近代社会を精いっぱい杯生きる」ということです。

 ***

 「団地リフォーム」も,私にとっては「近代社会を精いっぱい生きる」ことのひとつです。

 私は,数年前に築30年ほどの公団住宅(団地)を買って,全面リフォームして住んでいます。
 設計は寺林省二さんという建築家にお願いしました。いろいろと要望をして,自分好みのインテリアをつくってもらったのです。

 「建築家に家をつくってもらう」などというのは,私たちの親の時代には,相当に恵まれた人だけができることでした。それを今は,団地住まいの私でも行っているわけです。
 
 これも,今の社会があたえてくれる「自由」や「可能性」を活用した一例です。
 そんな「活用」が,人生のさまざまな場面でできるようになるには,いろんな「発想」や「勉強」も必要になるでしょう。「社会のしくみ」についての知識や,その背景となる歴史もおさえておきたい。

 どうでしょうか。一見雑多なもろもろのテーマは,「近代社会を精いっぱい生きる」という視点で,結構つながっているとは思いませんか?

(以上)

※以上は,このブログをはじめて2回目(2013年1月14日)にアップした記事の「再放送」です。このブログの中でとくに大事な話だと思っていますので,「掘り起こす」ことをしました。
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2013年06月24日 (月) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの第29回。
 前回から「読書論」の話をしています。
 といいながら,「本を読む」ことの話ではないんですね……でも,だいじなことだと思っています。


まず本屋さんへ行って,
本を手に取ってみよう。


 「本を読みたいのですが,何か面白い本はありませんか?」と聞かれることがあります。
 でも,そういう質問は答えにくいのです。「こういうことを知りたいが,いい本はないか」というのなら,答えようがあるのですが……

 ただばくぜんと「何かいい本はないか」という人には,とにかく「近所の本屋さんへ行って,本を手に取ってみること」をおすすめします。

 読書の最初のステップは,「本屋さんへ行くこと」です。

 本屋さんに行ったら,まずうろうろしてください。
 普段のぞいたことのないようなコーナーにも行ってみてください。「へえ,こんな本もあるのか」という発見があるでしょう。

 本屋さんのいいところは,洋服屋さんとちがって「いらっしゃいませ,今日は何をおさがしですか?」などと声をかけられないことです。だから,安心してうろうろできます。

 読書の第二のステップは,「本を手に取ること」です。

 うろうろしてみて,ちょっとでも興味の持てそうな本が目にとまったら,すぐに手に取ってみましょう。ここでは,「何も考えずに気軽に手に取る」ことが大事です。

 ビジネスの本をさがしていて,ふと料理の本が目にとまったとします。そのとき,「今さがしているのはこれじゃないから,あとで」などと考えてはいけません。すぐに,その本を手に取ることです。どんどん手に取って,パラパラめくってみる。つまらなかったら,棚に戻せばいい。

 私が勤めていた会社の近所には,かなり大きな本屋さんがあって,昼休みによく行きました。「うろうろする」時間は,30分くらいでしょうか。その間に,10冊くらいの本を手に取っています。

 本屋さんに全然行かない日というのはあまりないので,そうやって年間に「何千冊」という本と出会えるわけです。10冊手に取ると,1冊くらいは「買ってもいいかな」と思える本があります。

 まず,1週間に30分ほど「本屋さんをうろうろする」ということを,してみてはどうでしょうか?

(以上,つづく)

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2013年06月23日 (日) | Edit |
 「5分間の世界史講座」というのを,ときどきやっています。世界史のいろんなことがらをあつかった,1話が原稿用紙数枚~10枚ほどのエッセイ。 

カテゴリー:5分間の世界史


鉄道をつくったお金の流れ 


鉄道のはじまり
 世界初の鉄道は,1825年にイギリスで営業を開始した。ストックトンとダーリントンという町を結ぶ,40キロほどの区間を蒸気機関車が走った。
 その後鉄道は,イギリスじゅうに,そして世界じゅうに広がっていった。日本では1872年(明治5)に最初の鉄道が営業をはじめた。

 鉄道によって,人やモノを大量に・速く・遠くへ運べるようになった。それはその後の社会の発展の基礎となった。今ではあたりまえすぎて忘れがちだが,鉄道はきわめて重要な革新だった。 

 つぎの地図をみてほしい。

イギリスの鉄道網
フォーカスほか『イギリス歴史地図』(東京書籍)より

 これは,ある時代のギリスの鉄道網である。どの時代かは,あとで「問題」にする。

 このときの鉄道の総延長(さまざまな路線の長さの合計)は,1.0万キロほど。
 この地図の出典である『イギリス歴史地図』(フォーカスほか著,東京書籍)によれば,この地図のころ「主要都市を結ぶ鉄道網が完成」したのだそうだ。赤い四角はロンドン。

 では,この「イギリスの鉄道網」の地図は,いつのものだろうか?

(予想)
 ア.1850年ころ(最初の鉄道開通から20~30年後)
 イ.1900年ころ(    〃    70~80年後)
 ウ.1950年ころ(    〃    120~130年後)
 エ.もっと後の時代

 ***

急速に整備された鉄道 
 さきほどの地図は,1852年のイギリスの鉄道網である。答えはア。
 1850年ころ,つまり最初の鉄道ができて20数年ほどで,イギリスの鉄道の総延長は,1.0万キロほどになった(下のグラフ参照)。
 イギリスの鉄道の総延長は,1920年代に最大となった。このときは3.8万キロ。その後自動車の普及などで鉄道の利用が減り,路線が廃止されていった。

 なお,2000年現在,イギリスの鉄道の総延長は1.7万キロで,日本は2.7万キロ。国土面積は,イギリスが24万平方キロ,日本は38万平方キロ。
 
イギリスの鉄道総延長

 上のグラフを「片対数グラフ」というものに書きかえたのが,つぎのグラフである。片対数グラフでは,成長の勢いが一定なら線の傾きも一定になる。「成長の勢い」をみるのに便利なグラフだ。
 片対数グラフでみると,(赤い線で示した)1850年ころまでの成長は,とくに急速だったことがわかる。

 イギリスの鉄道は,はじめての路線が開通してから,早い時期に急速に整備がすすんだのである。 
 
イギリスの鉄道総延長・対数グラフ

 ***

鉄道をつくった資金は? 
 ところで,鉄道をつくるにはお金(資金)がかかる。
 では,はじめて鉄道ができてから最初の数十年間(1800年代)のあいだ,イギリスの鉄道は,どのような資金によってつくられたのだろうか?

(予想)
 ア.政府が国の予算を使って,公共事業としてつくった
 イ.民間で資金を出し合って会社をつくり,会社の事業としてつくった
 ウ.各地の貴族などの少数の大金持ちが,お金を寄付してつくった
 エ.その他

 「鉄道の歴史」というと,「どんな車両が…」といった技術的な話になりがちである。「どんな資金によってつくられたか」なんて,まず話題にならない。
 でも,これは重要なことだ。
 「どのような資金で」というのは,「どのような社会的な力で」といってもいい。
 鉄道という,今の文明の基礎を築いたインフラは,どのような社会の力でつくられたのか。

 ***
 
 1800年代のイギリスの鉄道は,いくつもの民間の「株式会社」によってつくられ,運営された。答えはイである。
 株式会社とは,つぎのようなしくみである。

 ・まず誰かが「こういう事業を行いたい」という計画をかかげ,
  「お金を集めたい」と呼びかける。

 ・それに賛同する人たちがお金を出し合う(出資)。
  ひとりひとりの出した金額は少なくても,
  多くの人が出し合えば,大きな金額になる。

 ・そのお金を,事業を経営する意欲や能力のある人に託し, 
  会社の経営者になってもらう。経営者は,そのお金で事業を行う。

 ・事業の利益が出たら,お金を出した人(出資者)に,
  出したお金の額に応じて,利益が分配される。


 株式会社のしくみは,時代や国によってちがいがある。しかし,その「最も基本的なしくみ」というと,以上のとおりである。「経営者のほかに,おおぜいの出資者が存在する」というのがポイントだ。


社会的なしくみの重要性
 世の中には,「事業をはじめたいが,必要なお金(資金)がない」という人がいる。一方で「余ったお金があるが,事業を自分で経営するだけの意欲や能力はない」という人もいる。

 株式会社というしくみがあると,この両者をむすぶ「お金の流れ」が生まれる。

 つまり,社会のなかで「眠っていた」お金が,新たな「事業」という場へ流れこんで,社会を動かすのである。

 こんなことは,株式会社以前にはなかった。 

 株式会社以前には,ごくささやかなものはともかく,あるていど大規模な「起業」というのは,きわめて困難だった。貴族や富豪などの特権階級か,それに特別のコネがある者だけに可能だった。

 これでは,社会や経済の発展は,おおいに制約されてしまう。
 社会に存在する,さまざまな資金や才能などの「エネルギー」が,活用されず埋もれてしまうからだ。

 株式会社というしくみは,そんな「制約」を,大幅に少なくした。
 社会の「エネルギー」を開放するのに,役立った。
 
 1800年代当時,イギリスの多くの人びとが,鉄道という新しい事業に期待をかけて,出資(投資)を行った。株式会社というしくみがなかったら,鉄道のように多くの資金が必要な新事業をおこすのは,むずかしかっただろう。

 新しい鉄道会社の多くが成功して利益をあげることができたので,ますます多くの資金が鉄道事業に集まるようになった。
 そうして,鉄道網が急速に広がっていった。社会のエネルギーが爆発したような勢いだった。

 ***

 鉄道ができたのは,蒸気機関などの機械の技術が発達した結果である(蒸気機関の発明は1700年代)。
 しかし,機械の技術だけが重要なのではない。
 株式会社のような「社会のしくみ」の発明も重要なのである。これは「社会の技術」の革新といってもいい。
 
 近代にうまれた「社会の技術」のなかで,株式会社はとくに大きなものである。
 なにしろ,世界初の鉄道網は,株式会社というお金の流れでつくられたのだから。

 ***
 
 ここで,「では,日本の鉄道はどうだったのか(どんなお金の流れでつくられたのか)」「ほかの国ぐには?」という疑問が出てもいいはずだ。

 「日本初の鉄道(新橋~横浜間)は,政府がつくったのでは?」という人もいるだろう。たしかに,日本初の鉄道は,政府がつくったものだ。

 「日本など,ほかの国はどうなのか?」ということについては,また,あらためて。 

(参考文献)
フォーカス,キリンガム『イギリス歴史地図』(東京書籍),ミッチェル『イギリス歴史統計』(原書房),日本銀行統計局『明治以降本邦主要経済統計』など。ほかにもあるが,今回の話の「続編」のときにまとめてご紹介したい。


(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月22日 (土) | Edit |
 私の生業(ナリワイ)は,「キャリアカウンセラー」といったらいいでしょうか。
 若い人たちを対象とした,就職相談をしています。

 会社勤めや,会社経営(これは失敗した)を経て,この仕事にたどりつきました。

 この仕事で出会った世界のひとつに,「文章の添削・指導」があります。

 学生さんなどの若い人が,企業に出す応募書類を「添削してください」と,持ってくる。「自己PR」「これまでに力を入れたこと」「志望動機」などが書かれたものです。
 
 私は自分なりにずっと文章を書いてきました。ささやかですが商業出版をしたこともあります。会社勤めのころは,報告書や議事録の類をずいぶんと書きました。
 そんな私にとって,文章の添削は,興味深い仕事です。

 この仕事を経験してはっきりとわかったのは,

 学校では文章の書き方を教えてくれない

 ということです。
 
 もう少しいうと,「わかりやすく・正確に書く」ことを教えてくれないのです。

 書くことに戸惑っている人は,ほんとうに多いのです。それを日々実感しています。

 学校でも,いろんな作文は書かされます。でも,本格的に添削・指導されることは,まずありません。
 「わかりやすく,正確に書く」といった技術的なことを,授業できちんと習ったことなど,ふつうはないはずです。

 国語の授業は,「プレーンでわかりやすい文章」の世界よりも,文芸的な,美的な,深い価値を追求するような世界を教えるほうに力を入れています。それももちろん大事ですが,基本的な作文の技術も,もっと教えたらいいはずです。
 
 大学でレポートや卒論を書くのも,「書く」練習にならないことが多いです。
 大学でのレポートは,学術論文をお手本にしています。でも,たいての学術論文は,社会で広く求められる文章の基準では,ひどい「悪文」です。もってまわった,ガチガチした文章。そんなものを「お手本」とするのは,練習としてはどうかと思います。

 就職のための文章は,かなり難しいことを要求されます。

 たとえば「自己PR」(自分の特徴,持ち味について)では,「自分はこういう人間で,それを説明する事実・出来事としてこんなことがあった」というのを述べるのが一般的です。

 そして,「出来事」を述べるにあたっては,「自分がその場で何を考え,どう動いたか」を伝えないといけない。「自分の視点」を打ち出さないといけない。企業が知りたいのは,エピソードそのものではなく,「あなたがどんな人か」ということだから。

 これを,200~300文字(もう少し長い場合も多い)で,書くのです。
 書かれている「場面」について目にうかぶように,過不足なく情報を盛り込んで,読みやすく書く。

 これはあくまで高い「目標」です。
 こんなことがすんなりできる学生は,じっさいにはまずいません。社会人だって,かなりの人はできません。でも,めざすところはやはり以上のようなことです。

 就職活動でのさまざまな作文や表現について,冷ややかな目でみる人は多いです。
 「自己分析とか自己PRとかって,どこか気持ち悪い」というのです。
 そういう面は,たしかにあると思います。

 「私の長所は……です。たとえばこんなことがありました……」などと訴えるなんて,日常の感覚ではまずありえません。

 しかし一方で,「自己PR」のような「シューカツの作文」は,たいていの若者にとって「人生で体験する,はじめての本格的な文章作成」です。じつは大きな意味があると思います。

 「本格的」というのは,明確な目的や伝えたいことがあって,そのために事実と主観をおりまぜながら,わかりやすく・正確に,しかもコンパクトに書く,ということ。

 これは学校では教えてくれなかった。
 大事なことなのに。

 若者たちは,就職活動で,その「大事なこと」をはじめて体験しているのです。
 それは「おかしい」のかもしれませんが,実態です。

 彼らが「書く」ことで四苦八苦しているのを支援する現場に,私はいます(私もたまに四苦八苦してます)。
 文章を書くことを続けてきた者として,じつに興味深いことです。

 「わかりやすく・正確に書く」ための文章指導。
 多少経験をつんでみて,これは自分に合っている仕事だ,と感じています。
 その手の指導者は,世の中で多くはないようです。
 この世界を,今後も掘り下げていくつもりです。

(以上) 
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月22日 (土) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの28回目。
 このところ「学問とは」「科学とは」というテーマで述べてきましたが,今回から「読書」について。
 本のさがしかた,読みかたの入門です。

 私は,おもに本を読んで勉強してきました。
 だから,読書論はこの「勉強法」の最も大きな柱になっています。


全部読む本は,10冊に1冊あればいい。

 本を,最初から全部通して読む必要はありません。

 「とばし読みでは頭に残らない」「最初から追っていかなければ,著者の主張はわからない」という人がいます。
 でも,「本を読むなら全部読まなくては」と思うから,本が読めないのです。ざっと目を通して,興味の持てるところ,理解できるところだけを読めばいいのです。

 そういうことにしておくと,気が楽になって,どんどん本に手を出すことができるでしょう。

 だいたい,「最初からきちんと論理を追っていかなくては理解できない」などという本は少ないのです。多くの本は,とばし読みを許さないほど厳密には書かれていないのです(小説のように,プロセスを味わって読む本は別です)。

 その本に書かれている情報の中で,あなたが興味を持てるところ,理解できるところにこそ値打ちがあります。あなたにとっての意味があります。

 つまらないところに無理につきあっても,頭に残りません。読んだことは無駄になります。
 いつか,もっと勉強してから読んでみると,意味や面白さがわかるかもしれません。
 反対に,「やはりつまらない」ということがわかるかもしれません。

 「とばし読みでいいんだ」と思えるようになってから,私は以前よりも多くの本を読めるようになりました。
 全部読むのは,10冊に1冊もあればいいほうです。

 多くの場合,1冊通して読むよりも,その間に10冊を拾い読みするほうが,はるかに豊富な情報に接することができます。

 そして,「10冊に1冊」というのは,拾い読みをしていくうちに,「これはいい本だ」と思えて,つい全部読んでしまったものです。
 そういう本に出会うと,うれしくなります。

 とばし読み・拾い読みのコツは,本の「もくじ」「まえがき」「序章」「終章」「解説」などに書かれている情報をまずチェックすることです。本の構成や概要,著者の意図や思いなどについて,まずイメージをつかんでおくのです。

(以上,つづく)

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テーマ:思うこと
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2013年06月20日 (木) | Edit |
 前回は,古い団地をリノベして住んでいる,我が家の「書類のファイリング」について述べました。
 つくりつけの本棚に,書類を入れたクリアファイルをひたすら並べるやり方です。

 今回は,そんなファイリングの話の「つけ足し」です。

 デジタルの時代になっても,家庭には毎日,大量の「紙」が流れこんできます。
 チラシ,ダイレクトメール,請求書,取引の報告,手紙,さまざまな案内等々…

 ウチでは,生活に関わるそのような「紙」が届くと,まずリビングの本棚に並べます。
 つぎのような,専用コーナーをつくっているのです。
   
リビングの書類

本棚2


 届く書類の多くは,封筒に入っているので,封筒ごとそのまま並べることも多いです。でも,クリアファイルもかなり使います。
 この本棚の仕切りは,A4サイズをタテに並べる高さになっていないので,書類はヨコ置きです。

 写真にある,黄色やグレーのボックスは,ハガキや小型の封筒などの,小さめの紙を入れておくためのもの。
 病院の診察券なども,ここに入れてます。
 
 届いたものを,とにかくまずここに並べておく。
 そのあと,折をみて仕訳をする。
 要らないのを処分したり,ファイリングのメインの場所である書斎の本棚におさめたりします。

 この写真の「並んでいる書類」は,かなり整理されて,少ないときのもの。
 たいていは,この2~3倍の書類が並んでいます。

 放っておくと,この書類置き場は,どんどん荒れていきます。

 ウチの奥さんが,整理をしてくれるので,何とかなっています。いつもすいません。

                     *
 
 毎日ウチに届く大量の「紙」。それを受けとめて,必要に応じ保管するファイリングのしくみが,家庭にも必要です。

 そのために,立派なファイリングキャビネットなどは要りません。
 ウチでは,つくりつけの本棚の一画を使っていますが,そんな大げさな棚も要らない。
 たとえば「食器棚の上」とか「テレビの横」のような間に合わせの場所に,書類を並べてもいい。
  
 家のなかに,そういうちょっとした「システム」をつくってみてはどうでしょうか。

 とくに,若い人にはおすすめです。
 若いうちから,自分なりの「書類を整理する術」を身につけておくと,人生の生産性が上がるんじゃないでしょうか? 
 私も,「もっと若いときから,この手の整理を実行していればよかった」と思っています。

(以上) 

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2013年06月19日 (水) | Edit |
書斎

 このあいだ,仕事の関係で,ある講習会を受けて得た資格の更新期限を,たしかめる必要がありました。
 今の自分にとって「すごく重要」というわけでもない資格で,講習を受けたのは去年かおととしのこと。

 資格証は,どこだったっけ。
 書斎のファイルの棚に,クリアファイルに入れて,つっこんでおいたよな。 
 (棚をゴソゴソ)
 あった,あった。

 「書斎のファイルの棚」というのは,上の写真の部屋の,机の背後にあります。

 私は,築30年以上の古い団地をリノベーションして住んでいます。
 リノベにあたって,あちこちにつくりつけの本棚を設置しました。
 書斎は,そんな本棚に囲まれた,4畳ほどのスペース。

 関連記事:団地リノベーションの我が家

 机の背後は,こんなふうになっています。

書斎のファイル

 これは,透明のクリアファイルに書類を入れて,たくさん並べているのです。
 幅70センチ×7段を,そういうふうに使っています。
 このほか妻も,本棚の3段分を,同じように使っています。

 アップにすると,こう。

書斎のファイル2

 さきほどの「資格証」を入れたクリアファイルは,この段の真ん中へんにありました。
 
 そのクリアファイルには,名刺サイズの資格証が1枚入っているだけ。

 クリアファイルはケチらず使うのが,このファイリングのコツです。

 保存したい書類は,とにかくクリアファイルに入れ,この棚に並べていく。
 ただ,新しいものを端っこに並べていく,つまり時系列で並べるだけ。
 
 並べるモノは雑多です。
 勉強や文章を書くのに使う資料のコピーもありますが,こまごましたものも多いです。請求書,手紙,何かの案内,契約書,証明書,チラシ……

 これは,野口悠紀雄さんの『「超」整理法』にあった「野口式ファイリングシステム」のやり方です。
 (「野口式」のルーツには,山根一眞さんのファイリングシステムや,梅棹忠夫が『知的生産の技術』で述べた書類整理の考え方などがあるのですが,それはまたいずれ)

 『「超」整理法』の「野口式」では,クリアファイルではなく,A4サイズの封筒を使うことになっています。
 でも,私は見た目がどうしても好きになれません。だから,クリアファイルです。
 書類の中身もみえて,扱いやすいです。

 野口式ファイリングが提唱された1990年代には,クリアファイルは1冊100円くらいしました。
 でも今は1冊10数円ほど。安くなったので,ふんだんに使えます。
 ウチには1000数百冊のクリアファイルが,本棚におさまっているはずです。

 デジタルの時代とはいえ,紙の書類は,まだまだたくさんあります。
 大量の「紙」が,日々ウチに流れこんでくる感じ。

 それを,受けとめて保管しておくためのファイリングのシステムが,家庭でも必要です。(1960年代末に梅棹忠夫が述べたことです)

 ウチの場合は,以上のようなやりかたです。
 基本的なシステムは,十数年変わっていません。今の我が家に越してくる前から続けています。

 ほんらい私は整理が苦手な人間です。
 「あれがない,これがない」とよくさがしものをしています。

 だったら,「ファイリング」なんて意味がないかというと,そうではないです。
 このような「システム」を自分なりにつくってきたから,どうにか「崩壊」しないでやっているのだと思います。

 このファイリングの本棚がなかったら,例の「資格証」なんて,どこにいったか,わからなくなっていたはずです。
 すぐにみつかって,よかった,よかった。

(以上)
 
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2013年06月19日 (水) | Edit |
 私は,『四百文字の偉人伝』という電子書籍を,ディスカヴァー・トゥエンティワンという出版社から出しています(最初のリリースは2012年3月)。

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。
 このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝

 電子書籍『四百文字の偉人伝』は,その101話をまとめたものです。
 アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなど(ほかにもあります)で販売しています。価格は400円。 

 友人に「買って,読んでみてね」というのですが,電子書籍って買うのがめんどうなところがあります。

 電子書籍を販売しているサイトでアカウントを取得するために,いろいろ入力して,読むためのアプリをダウンロードして,決済のためにまたアカウントを取得して…などということもある。
 
 「アカウントの取得」がめんどうな人は,たとえばアマゾンのKindle(キンドル)ストアはどうでしょう。
 アマゾンのアカウントがあれば買い物できます。
 アマゾンのアカウントなら,かなりの人が持っているはずです。
 
 すると,「でも,キンドルの専用端末を持ってないから」と,よくいわれます。

 いえ,キンドルの電子書籍(キンドル本といいます)は,iPhoneやAndroidといったスマホでも読めます。
 キンドル本を読むための専用アプリ(無料)をダウンロードすれば,読めるのです。
 (iPhoneなら「Appストア」,Androidなら「Google Playストア」でダウンロードできる)

 スマホでキンドル本を読める。

 もしよかったら,電子書籍『四百文字の偉人伝』,読んでみてください。

 でも,私はというと,じつは専用端末もスマホも持っていません…
 この手の道具を買うのは,私はいつも人よりうんと遅いです。

 自分の電子書籍は,最初にリリースされたとき,出版元のディスカヴァー社のサイトで,パソコンで読めるバージョンを買いました。
 それしかみてないので,専用端末やスマホだと,自分の本がどんなかんじなのか,知りません。

 「けっこうかわいいかんじだよ」といってくれる方がいましたが,みたことがない…
 それもどうかと思います…

 そろそろ,専用端末を買おうかと。

(以上)  
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テーマ:思うこと
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2013年06月18日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの27回目。
 このところ,「科学とは」「学問とは」という話をしています。
 前回と前々回は「科学になっている学問とそうでない学問がある」と述べました。


科学者の言うことだからって,
信用できるとはかぎらない。


 「科学になっていない学問については,権威のありそうな学者の言うことでも,うのみにしてはいけない」ということを,前の項で述べました。

 さらに言えば,科学者≒自然科学の研究者の言うことでも,信用できるとはかぎりません。

 まず,自分の専門外のことについて言っている場合です。
 たとえば,物理学者がノーベル賞をもらったりすると,「社会のリーダー」ということになって,社会や歴史の問題について発言することがあります。

 しかし,その人が若いころから熱心に研究してきたのは,あくまで物理学です。社会や歴史については詳しくなかったり,偉くなってからの付け焼刃だったりするかもしれません。
 卓見が述べられることはもちろんあるでしょうが,ありがたがってばかりではいけません。

 つぎに,自然科学ではあっても,科学としての信頼度が低い分野があります。
 たとえば,健康や環境に関する分野です。地震や火山の研究もそうです。

 これらの分野は,歴史がまだ浅いのです。だから,昔「正しい」と言われていたことが,あとで「まちがいだった」「不十分だった」ということが,よくあります。

 たとえば,以前は「傷口は消毒する」というのが常識だったのに,最近は「傷口は水で洗ったら,消毒しないでラップなどで覆い,乾かさないようにすると治りが早い」などと言います。

 このように,「そんなこともわかっていなかったのか」ということが,いろいろあるのです。

 「健康や環境にいい物質・悪い物質」について,いろんな話が出てきますが,時間が経つとすっかり忘れられていることがあります。

 地震や火山の噴火があると,専門家はいろんな解説をしてくれます。でも,「これからどうなるか」ということになると,まったく歯切れが悪くなります。

 健康や環境や地震についての研究が,インチキだなどと言っているのではありません。
 これらの分野にも,信頼できる成果というのは,もちろんあるのです。

 ただ,その蓄積が比較的限られている。だから,「地震を予知して欲しい」といった世の中のニーズに応えきれていない,ということです。なのに,無理に応えようとする専門家もいて,あやしいことを言ってしまう。

 そういう,科学や学問の実態について,私たちは知っておく必要があります。

(以上,つづく)

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2013年06月17日 (月) | Edit |
 今日6月17日は,デザイナーのチャールズ・イームズの誕生日です。
 そこで,彼チャールズと妻レイのコンビ,チャールズ&レイ・イームズの「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。今回は2本立て。

カテゴリー:四百文字の偉人伝

イームズ夫妻

まず「つくるための道具」をつくる

 夫チャールズ(1907~1978 アメリカ)と妻レイ(1912~1988)のイームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)は,モダンデザインの名作イスをつぎつぎと生み出し,後世に大きな影響を与えたデザイナーです。
 イスの試作品づくりを,彼らは家具メーカーにまかせず,自分たちのオフィスで行いました。
 ふつうは図面を渡してつくってもらいますが,彼らは自分たちの手を動かして,デザインの細部をつめていきました。
 さらに,材料のベニヤ板を曲げる特殊な器具さえも,研究して自作しています。
 多才な彼らは,数多くの短編映画も製作しました。
 それらは,彼らのオフィスで撮影された手づくりの映画でしたが,先駆的な発想や技術が高く評価されています。映画づくりでも,彼らは撮影器具を自作したことがあります。イメージを実現できる適当な既製品がなかったからです。
 本当に新しいモノをつくる人は,「モノをつくる道具」から自分でつくり出します。
 たいへんですが,創造とはそういうものなのでしょう。

イームズ・デミトリオス著,泉川真紀監修・助川晃自訳『イームズ入門』(日本文教出版,2004),『カーサ ブルータス特別編集 Eames-The Universe of Design』(マガジンハウス,2003)による。

【イームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)】
デザイナー・映像作家。成型合板(ベニヤ板の一種)やFRP(繊維強化プラスチック)等の新素材を用いて,イスのデザインを革新した。住宅「イームズ自邸」や短編科学映画「パワーズ・オブ・テン」も評価が高い。

チャールズ・イームズ
1907年6月17日生まれ 1978年8月21日没
レイ・イームズ
1912年12月15日生まれ 1988年8月21日没

イームズ夫妻


イームズ夫妻2

よけいな「改善」はしない

 夫チャールズと妻レイのイームズ夫妻(チャールズ&レイ・イームズ)は,モダンデザインの名作イスをつぎつぎと生み出したデザイナーです。ほかに映像やグラフィックデザインなど,さまざまな分野で活躍しました。
 1950年代のこと。彼らはビール最大手・バドワイザーの新しいロゴをデザインしてほしいという依頼を受けました。
 しかし6か月後,「バドワイザーのロゴは,このままで十分にすばらしい」といって,仕事を断ってしまいました。
 そのロゴは,その後何度も改訂されましたが,基本のイメージは長く継承されました。
 多くのデザイナーがあこがれるような大きなオファーです。けんめいに取り組んで,自分の作品を後世に残したいと思うのがふつうです。
 しかし彼らのスタンスは,あくまで「よけいな改善はしない」ということでした。
 自分の存在を残すことよりも,「使う人にとって何がよいか」を優先したのです。
 そして,そこを見きわめる眼力がありました。こういう人はまれです。
 だから,世の中では上に立つ人が変わると,やたら「刷新・改革」が唱えられます。そして,成果のあがらないことが多いのです。

イームズ・デミトリオス著,泉川真紀監修・助川晃自訳『イームズ入門』(日本文教出版,2004)による。

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)


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テーマ:建築デザイン
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2013年06月16日 (日) | Edit |
 今回は,かけ足で,ざっくりと経済の全体的な話をします。

 そのへんのメージがぜんぜんないと,今の経済の話はさっぱりわかりません。
 すでに知っている人も再確認ということで。
 基本的なことを,手軽に・人知れず,少しまとめておさえておくにはいい記事だと(著者としては)思ってます。

 いろいろとはしょっている,説明がとんでいる部分が多くあります。でも,「全体をみわたす」ことを優先しました。


 経済はまず,つぎの2つから成り立っています。

 1.実体経済(モノやサービスの生産・販売) 
 2.金融経済(銀行が企業にお金を貸す,株などの証券を売り買いする等々)


 この2つは,次元が異なります。お互いつながっているけど,別々のもの。

 経済は,けっきょくは「お金の動き・流れ」だともいえます。
 それには,「実体経済のお金の流れ」と「金融経済のお金の流れ」があります。

 私たちが,自動車を1台買うのは「実体経済のお金の流れ」。
 自動車メーカーが,工場を建てる(設備投資する)のも,そう。

 これにたいし,私たちがトヨタのような会社の株を買うのは「金融経済のお金の流れ」。
 銀行が,設備投資をする自動車メーカーにお金を貸すのも,そう。

 実体経済のお金の流れと,金融経済のお金の流れは,どこがちがうのか。

 実体経済のお金の流れは,そこで「付加価値」が生まれています。
 自動車という現実の生活や生産に役立つモノが生み出され,それが誰かに「買われる」というかたちで,その「価値」が実現している。
 実体経済は,「付加価値を生む」世界。

 GDP(国内総生産)というのは,国内で生産された付加価値の合計です。「買い物額の合計」といってもいい。
 実体経済の世界=GDPの世界,といっていいです。

 関連記事:GDPとは国全体の買い物額
 
 金融経済は,直接はそのような「付加価値」を生みません。
 銀行が企業にお金を貸す,誰かがどこかの会社の株を買う,ということじたいはGDPにはカウントされません。直接は付加価値を生んでないからです。

 しかし,金融経済は,付加価値を生む活動を下支えしています。
 銀行が設備投資しようとする企業にお金を貸すことで,企業は思うような生産活動ができるのです。
 
 金融がしっかり機能しないと,実体経済は不活発になってしまいます。
 
                       *

 アベノミクスが行ってきた「金融緩和」は,経済にマネーを送り込むこと。

 でも政府・日銀が直接に「実体経済」にマネーを送り込むことはできません(ヘリコプターでお金をばらまいたり,魔法の力でみんなのサイフの中身を増やすわけにはいかない)。
 金融緩和で,マネーが直接に送りこまれるのは,「金融経済」です。つまり,銀行などの金融機関にたいしてです。
 
 だから,金融緩和によって動きだすのは,まず金融経済です。
 そして,金融経済で取引する人たちは,経済のいろんな「動き」に敏感で,反応しやすいです。そこで安倍政権の金融緩和などの動きにたいして,為替や株式などの金融の「市場」は,はっきりした反応を示しました。「円安」や「株価の上昇」ということがおこったのです。

 このあたりから,金融経済の動きが実体経済にも関係してきます。
 
 円安は,有力なメーカーのような,日本を代表する企業(輸出産業)に有利にはたらきます。
 これには,円安で有利になる企業の株価を上昇させる,という作用もあります。

 株価の上昇は,株を保有している個人や企業に利益をもたらします。株で儲けた個人は,ちょっとぜいたくをしたりするでしょう。つまり,「買い物」が増える=GDPの増加です。社会のほんの一部の動きですが。
 企業も,財務内容がよくなるので,活動しやすくなります。

 株のような「資産」の価格が上がると,その資産を持つ人の財布のヒモがゆるむということがある。
 このように,金融経済の動き(為替とか株価とか)は,実体経済に影響をあたえます。
 このイメージはとてもだいじです。
 
 なお,このイメージは,今でこそ経済を語る人は誰でももっていますが,20~30年前のバブルのころの日本ではそうでもありませんでした。「株価(や地価)がどうなろうと,実体経済は大丈夫」という意見もかなり有力でした。
 だから,今でも「経済のことはよくわからない」という人にとっては,なじめないところがあるのでは?

                       *

 さて,ここで「実体経済」の構造に分け入りましょう。

 実体経済=GDPというのは,どういう内訳になっているか,ということです。これはとてもだいじ。

 GDPはおもに,つぎの3つでなりたっています。

 ①個人による買い物(≒個人消費)
 ②企業による買い物(≒設備投資)
 ③政府による買い物(政府支出。公共事業や公的サービスを行うために支払うお金)


 つまり,おおまかにいえばこうです。

 実体経済(GDP)= 個人消費 +(企業の)設備投資 + 政府支出

 近年の日本のGDPは500兆円弱。
 そのうち6割が個人消費。あとは設備投資が2割,政府支出が2割弱。

 関連記事:総買い物額の内訳

 個人消費と設備投資と政府支出。このうち最も変動が激しいのはどれだと思いますか?

 じつは設備投資なのです。
 設備投資は,景気の動きに敏感に反応して上下します。

 たとえば,リーマンショックの直後は,企業の設備投資は対前年で20~30%減少しました。
 個人消費は,そんなに激しくうごきません。「20~30%」とくらべれば「ほぼ一定」といえる増減しかおこりません。毎日の暮らしをそんなに急には変えられないです。

 なお,政府の支出は,政策によってかなり人為的に動かせるのが特徴です。しかし,政府支出全体を1年で20~30%上下させるというのは,むずかしいです。
 安倍政権は,景気浮揚のために,公共投資に一層力を入れるといっています。公共投資を増やしたら,その分は確実にGDPが増えます。
 「ケインズ政策」といわれるこの方法は,戦後の日本でずっと行われてきました。

                        *

 さて,今の経済の動きの最大の焦点は,「設備投資がどこまで増えるか(増やせるか)」ということです。
 
 今,「景気が上向くかもしれない」という判断で,設備投資を増やそうという動きはたしかにあります。「景気が上向けば,売上・注文が増えるだろうから,それに対応する準備をしよう」ということです。

 株価が上がっている,一部でぜいたくする人が出ている,輸出企業が元気になってきた,といった(ほかにもありますが)さまざまな社会の変化を企業が察知しているのです。

 日経新聞の調査によれば,2013年度の全産業の設備投資の計画は,前年度実績より12%増ということです(6月3日朝刊)。これは,近年の「好景気」といえる2004~2005年ころの水準に近づいているといえます。

 ただし,これは4月末時点の計画を集計したもの。その後,株式相場の急激な上昇が「調整」の局面になったので,企業が計画を見直したりするかもしれません。

 政府は,企業の設備投資をうながすために,つい最近「設備投資に対する減税」の政策を打ち出しました。

                        *

 では,企業が設備投資を増やすと,どうなるのか。
 
 ここでだいじなのが,「波及効果」という概念です。「あることが,さらにあることをつぎつぎと呼んでいく」ということ。「〇〇が〇〇を呼ぶ」世界。

 ある企業が工場を建てるとか,生産ラインを増やす,ということは,建設会社とか機械メーカーに発注するということです。その発注額とは,つまり企業による「買い物」です。その分,GDPは増えます。

 でも,それだけではありません。
 たとえば新しい工場ができれば,そこで新しく人が雇われるはず。受注した建設会社や機械メーカーの売り上げも増える。仕事も忙しくなる。
 雇用が増えたり,働く人たちへの給与が増えたり,ということが起こり得る。

 そういうことが社会のあちこちで起こったらどうなるか。
 
 そうなると,個人消費も増加傾向がはっきりしてきます(設備投資ほどはげしい動きではないにせよ)。雇用や給与が増えるというのは,個人の所得が全体として増えるということです。それに応じて,消費も増えていく。
 それに反応して,企業の側もさらに設備投資に積極的になる……

 これが「波及効果」です。

 今は「工場」を例にあげましたが,別に製造業でなくてもいいです。飲食店のようなサービス業的な分野でも同じことです。むしろ,今の経済は製造業よりもサービス業で働く人のほうが多いので,サービス業での業務拡大・設備投資は重要です。

 以上のような「波及効果」が起こっていくなら,理想的です。

 でも,そこまではまだまだいっていないわけです。
 金融緩和で,最初に「火」がついたのは金融経済。
 そこからの「熱」が実体経済の一部に伝わってきた…今はそんなところです。

 しかも,最初に「熱く」なったはずの金融経済(株式市場など)も,5月末からの状況だとかなり熱気が下がっています。一時1万5000円台までになった日経平均株価は,先週末で1万2000円台と,4月はじめの水準に戻りました。
 とはいえ,前の政権のころの8000円台より大きく上がった,という状態はまだキープされています。

 経済全体に「熱」が伝わっていくのには,かなりの時間がかかります。
 1年弱くらいの時間は最低かかる,という専門家は多いです。

 たしかに,設備投資の計画が実現して,それが雇用によい影響をおよぼして…というのは,かなりの時間がかかるでしょう。

 そして,今のべた「波及効果」のイメージは,あくまで「理想」です。
 「理想」どおりいくためには,いろんな「壁」があります。
 設備投資が増えても,雇用や働く人の給与が増えない,ということもあり得ます。2000年代前半(小泉政権時代)の「好景気」は,その傾向がありました。

 その「壁」を超えられるか,つまり,実体経済のなかで,最も「熱」が伝わりにくい「個人消費」にどうやって「熱」を伝えていくのか――これが「設備投資がどれだけ増えるか」のつぎの焦点です。
 でも,今の動きはまだそこまでいっていません。その前の段階(設備投資が増えるかどうか)なのです。
 
 その「壁」の問題などについては,ここでは立ち入りません。このへんでやめておきます。

                       *
 
 以上,特別なこともない,ありふれた解説です。
 でも意外と,このくらいの広い範囲をサーッと述べている解説をみないので,自分で書いてみました。だから,じつはありふれてないかもしれません。

 テレビなどをみていると,こういう初歩的なイメージもないままに,今の経済についてコメントする人(経済の専門家ではない,キャスターやコメンテーター)もいるようです。
 「株が上がったって,我々庶民には関係ない」みたいな話でおわらないでほしいものです……
 ふつうの世間話ならいいのです。でもテレビで賢そうな人がいうのはちょっと,と思います。

(以上)
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2013年06月15日 (土) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの第26回目。
 このところ「科学とは」という話をしています。そういう根本のところをさらっとでもおさえておくのは,「自分で考えるための勉強」のコツのひとつだと思っています。

 前回は,「学問には,科学になっているものと,そうでないものがある」という話をしました。
 ここで「科学」というのは,ぼう大な仮説・実験による検証をくぐり抜け,「真理として信頼できる」といえる知識のことです。
 そこまでいっているのは,自然科学の一部だけ。
 多くの「学問」は,「科学」を自称していても,そこまでいっていないです。
 だから,たいていの学問では,いろんな学派があって,それぞれ根本から対立したりしています。専門家のあいだで共通基盤となるような,誰もが納得しうる確実な「真理」を,まだ見出していないのです。

 これは,「学問リテラシー入門」みたいな話。そんな話のつづきです。


「科学」になっていない学問では,
権威をうのみにしてはいけない。


 「学問には,科学になっているものと,そうでないものがある」――こういうことは,とても大事なのですが,あまり教えてもらえません。

 それは,みなさんに学問の道案内をする人の多くが,大学の先生などのプロの研究者だからです。

 先生たちは「自分の専門分野は,まだ専門家どうしの共通認識の確立していない,遅れた分野です」とは言いにくいです。
 また,物理学者の大学教授が「心理学なんて遅れた学問だ」と言ったら,よその学部で心理学を教える同僚に対し失礼になります。

 前回,「科学になっていない学問は,専門家のあいだの共通基盤が確立しておらず,いくつもの学派に分かれている」という話をしました。
 そして,「いくつもの学派に分かれている例」として心理学をあげましたが,代表的な学派をいくつかあげられるのは,じつはかなり「進んでいる」のです。心理学は,精神についての学問の中では伝統があって,信頼できるいろいろな積み重ねもある,と言えます(社会科学では,経済学がこれに似た状態です)。

 教育学や経営学のように,さらに実用的な性格の強い学問では,もう整理がつきません。有力な研究者の数だけ学派がある,といった感じです。

 遅れた学問とは,結局「科学になっていない」ということです。そういう学問が世の中では大部分を占めています。

 そして,それは仕方ないことです。

 人間は,自然界や人生に関わるすべてを学問にしようとします。
 直面する疑問や問題に答えるため,知識を整理したり,知識どうしの関連を追及したりします。

 その結果,さまざまな学問が生まれましたが,今のところ自然科学の一部だけが「科学」になることに成功しました。あとは,まだそこまでいっていないのです。

 科学になっていない学問では,たとえ東大教授が言っていることでも,うのみにはできません。権威のあるような顔をしていても,本物の権威ではない場合があります。

 では,科学になっていない「社会科学」や「人文科学」は無用の長物なのかというと,そうではないのです。
 そこで述べられている知識や理論には,何らかの形で実際に役立つものがあります。
 また,部分的には科学として信頼できるもの,あるいは育てていけば科学になり得るものが含まれていたりもするのです。

 その一方で,うのみにしたら有害なものも混じっている,ということです。そのへんを見きわめる力をつけるために,勉強していきましょう。

(以上,つづく)
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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月15日 (土) | Edit |
 日経平均株価は,この5月23日に大幅に下落(1143円安)してから,大きく上がったり下がったりを何度もくりかえしながら,この週末には,4月はじめの水準にまで下がりました。最近のピークだった1万5000円台から,1万2000円台に下がった。

 それにしても,その上がったり下がったりの様子はなんだかヘンです。

 米国の経済統計がこうだったから,安倍首相の発表した「成長戦略」がイマイチ,為替市場で円が高くなる動きがちょっとがあった……毎日発生する個々のトピックに対し,反応をくりかえしているわけです。

 統計でみる米国経済の動きも,首相が打ち出す政策も,円相場も,たしかに経済にとってだいじなことです。
 でも,1日ごとにビクビク反応するのは,やはり奇妙な光景です。
 しかしそういうことを,ずっと「市場」は続けています。
 なんだかバカみたい。
 「子どもの目」になってみたら,そう映る。

 これでは,多くの人にとって,株式とか株式市場,ひいては金融というものが「うさんくさい」と映っても当然です。嫌われ,バカにされても無理はない。

 でも,「株式」「株式会社」というのは,人類の偉大な発明です。
 株式は,ほんらいは「市場」で奇妙な売ったり買ったりを繰りかえすための素材として発明されたわけではありません。

 株式や株式会社は,「社会のより多くの人たちが,新しい事業をたちあげ,社会をつっていくための道具」として生まれました。1600~1700年代の,イギリス,オランダなどの西欧でのことです。

 「株式」という証券を発行し,多くの人から出資をつのって,会社をたちあげる――そのような株式会社というしくみがなかったら,「起業」ということはとてつもなく困難です。ささやかな事業ならともかく,工場や鉄道を建設したりするようなことはむずかしいです。

 だから,「株式会社」以前には,ある程度のスケールをともなった「起業」は,貴族や富豪のような特権階級か,そこに特別のコネがある者にしかできませんでした。

 それが,株式会社という制度によって,特権階級でなくても,一定の「才覚」があれば,起業できるようになった。
 これは,社会を大きく変えていきました。
 
 このへんのイメージを,少しでも伝えるための「読み物」を私は書いているので,いずれこのブログでご紹介したいです。
 その読み物では「株式とか株式会社って,建設的で,だいじなものなんだな」というイメージを伝えたいです。

 でも,たいていの人は,そういうイメージはあまり持っていません。忘れている,といっていい。
 それよりも,まず目につくのは,いかにも強欲な,「市場」のヘンな動きです。テレビや新聞では,おもにそれが報じられている。

 インテリとか文化的と言われる人の多くは,「市場」的なものにたいしとにかく懐疑的です。
 少し株式市場が活況になると,「あんなのはいずれダメになる」という人が多いです。そして,上昇相場が終わると(上昇相場というのは,たしかにいつかは終わります),自分の見識が正しかったことを確認するのです。
 こういうことが,ずっとくりかえされています。

 その一方で「市場」に参加して,とにかく毎日忙しい,金融のプロや一般投資家のような人たちがいる。

 こういう,「対極」にある人たちばかりが目立つ気がします。
 もう少しちがう立場というのはないのか。
 私は,それを模索しています。
 さきほど述べた「株式会社の建設的なイメージを伝える読みもの」を書いたのも,その「模索」の一部です。

(以上)
 
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2013年06月13日 (木) | Edit |
 明日6月14日は,革命家エルネスト・ゲバラの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

カテゴリー:四百文字の偉人伝

 ところで以下に出てくる「ゲリラ」という言葉。中高年はともかく,若い人は知らないかもしれません。
 ゲリラというのは,戦争の用語で「小部隊で出没・奇襲して敵側をかき乱す戦法」のこと(『新明解国語辞典』)。
 ゲバラはこの「ゲリラ戦法」の達人だったのです。


ゲバラ

「世界革命」を夢みたゲリラ戦士

 1959年,キューバで革命が起こり,社会主義政権が樹立されました。エルネスト・ゲバラ(1928~1967 アルゼンチン→キューバ)は,リーダーのカストロに協力し,ゲリラ戦を指揮した革命の英雄です。
 ゲバラは,この革命だけでは満足しませんでした。
 つぎに彼は,「世界中の腐敗した政権を倒し,人びとを開放する」という壮大な目標をかかげます。そしてその手はじめとして,兵士を率いてアフリカのコンゴに渡り,現地の政権に戦いを挑みました。
 しかし,失敗して撤退。
 今度は南米のボリビアで活動しますが,うまくいきません。現地の民衆は,彼の「革命」を相手にしませんでした。
 やがて彼は敵の政府に捕らえられ,殺されてしまいました。
 ゲバラを,「1人よがりの正義をふりかざして敗北した愚か者」とみることもできます。
 しかし,正義のために本当に命をかけた彼を,尊敬する人もおおぜいいます。あなたはどう思いますか?

シュナイダー著・瀬野文教訳『偉大なる敗北者たち』(草思社,2005)に教わった。ほかに参考として,三好徹著『チェ・ゲバラ伝(新装版)』(原書房,2001)。

【エルネスト・ゲバラ】
 キューバ革命の指導者。アルゼンチン出身。もとは医師だったが,母国の独裁政権に反発して出国。中南米諸国を渡り歩く中,1955年にメキシコで亡命中のカストロと出会い,軍事訓練をはじめる。
1928年6月14日生まれ 1967年10月9日没

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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テーマ:歴史
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2013年06月12日 (水) | Edit |
 最近,東京のある繁華街のはずれを妻と歩いていて,安室奈美恵さんをすぐ近くでみかけました。
 上はニットで下はぴったりしたジーンズ。帽子やサングラスは着けてません。髪型は,まさにテレビでみるロングヘア。

 …などということをよろこんで書くのは,幼稚で品がないかなーというためらいが,以前の私にはありました。

 でも,何年か前に本多信一さん(職業相談の大家,いずれまた紹介します)のエッセイで「有名人の美しい人やみごとな人をみるのは『眼福』である,つまり人のだいじな幸せだ」という意味の話を読んでから,変わりました。

 「眼福(がんぷく)」というのは,「ほかでは見られないすぐれた物を見て,楽しい思いをすること」です(『新明解国語辞典』)。「眼福を得る」などというそうです。

 本多さんは今70歳代で,幼いころからずっと東京の阿佐ヶ谷に住んでいます。近所に相撲部屋があったので,昭和の名力士が実家のタバコ屋に買いにきたり,駅前で将棋の名棋士をみかけたりして,「眼福」を得たのだそうです。

 さて,間近でみた安室さんは,CMなどでみるお人形さんのようなキュートというより,シャープな,鍛えたバレリーナみたいな感じでした。やはりふつうの人ではない。「眼福」をいただきました。

 私は多摩の奥地に住んでいて,都会にはめったに出ません。でも「上京」すると,有名人をみかけることが結構あります。東京ってすごいなー。

                       *

 私がこれまでに得てきたいくつかの「眼福」を振り返りたくなりました。

 20年近く前,20歳くらいの宮沢りえさんが,ドラマのロケをしているのを,近所の駅前でみたこと。
 そのときの宮沢さんは,観音さまのようにキレイでした(今もキレイなんでしょうけど)。

 学生時代(20数年前),ある映画の試写会に行ったとき,来賓の手塚治虫先生と藤子・F・不二雄先生が,休憩時間にロビーのベンチで,談笑しているのをみたこと。
 神と神が話している!

 これも学生時代,まだ「国民的」になる前の宮崎駿監督の新作(あるテレビシリーズ)の試写会で,監督の講演を聴いたこと。(あのころ,雑誌で知ったこういう試写会に結構行ってたな)
 「どうして宮崎さんの描くおんなのこはかわいいんですか?」などと質問する若者がいましたが,宮崎監督は罵倒することなく,まじめに対応されていました。

  10数年前,友人の結婚披露宴で,近くのテーブルに座っている人間国宝の歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)さんをみたこと。美しい着物姿でした。

 ふつうの人は,長丁場の披露宴のどこかでダラけたり,崩れたりするものです。私は人間国宝をちらちら見ていたのですが,いつも朗らかで,「今日はめでたい」という感じがまったく崩れないのです。どこからみても絵になる方でした。

 数年前,草彅剛さん主演のお芝居を妻と観たあと,劇場近くの路上で,草彅さんを間近にみたこと。
 「出待ち(劇場の出口で役者をまちぶせ)」ではなく,おわってから,近くの居酒屋で一杯やってフラフラ歩いてたら,みかけたのです。

 草彅さんは,何人かのファンの女性に囲まれ,「プレゼント渡していいですか?」と声をかけられていました。「いいよー」と,上機嫌な様子でした。舞台のあとで疲れてそうなのに…

 ウチの妻はSMAPの大ファンで,とくに草彅さんがひいきなのです。だから,大よろこび。数年たった今でも,ときどき思い出してほくそえんでいます。

 これが,有名人をみる「眼福」というものなのでしょう。
 
 私も,以上のことを思い出すと,なんとなく幸せな気分になります。
 
 この手の体験は,多くの人にあるのではないでしょうか。
 美しい人,何かを極めた人,そういう人をみるのは,やはりたのしい。
 人間をみることは,人間にとって最大の娯楽です。

 妻は,ときどき夢でSMAPメンバー,とくに草彅さんと会うそうです(笑)。
 私も,夢で安室さんや手塚先生と会ってみたいけど,まだ会えていません。

(以上)
 
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2013年06月12日 (水) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの第25回目。
 このところ「科学とは」という話をしています。そういう根本のところをさらっとでもおさえておくのは,「自分で考えるための勉強」のコツのひとつだと思っています。


「学問」には,科学になっているものと
そうでないものがある。


 「理科の教科書に出てくるような科学上の原理や法則は,膨大な追試(検証のための実験)をくぐり抜けてきたものだ。だから真理として信頼できる」――前に,私はそう言いました。「科学は信用できる」ということです。

 ところが,「科学」を自称していながら,じつは科学とは言えないものが世の中にはたくさんあるので,話がややこしくなります。
 「一応もっともらしい説明だが,まだ実験的な検証を十分に経ていない,単なる仮説に過ぎないものを,確かな真理であるかのように主張している」ことが,たくさんあるのです。

 学問には,科学として確立している分野と,そうでない分野があります。

 物理学,化学,生物学などの自然科学のおもな分野は「科学になっている」と言っていいでしょう。

 でも,経済学,政治学といった「社会科学」は科学かというと,かなりあやしい部分があります。心理学,言語学などを「人文科学」と言うことがありますが,同様です。世の中にはたくさんの「〇〇学」がありますが,科学になっているのはその一部です。

 科学として確立している学問と,そうでない学問を区別するポイントは,どこにあるのでしょうか。

 それは,「学派」の状態をみることです。見解の異なるいくつもの学派に分かれている学問は,まだ科学になりきっていません。科学と言えるには,その分野の研究者のほとんどが支持する共通の基盤ができている必要があるのです。複数の学派に分かれているというのは,その基盤がまだできていないということです。

 たとえば,人間の精神を研究する学問のひとつとして,心理学というものがあります。
 大学の一般教養課程で使うような心理学の概説書では,最初のほうに,いろんな学派や聞きなれない学問の名称が出てくることがあります。「行動主義」「ゲシュタルト心理学」「精神分析」「認知心理学」「ユング心理学」などなど……。

 これは,学派の数だけいろんな「心理学」があるということです。これらの学派は,おたがいの考え方が基本的なレベルで異なっています。
 だから,おたがいが論争してもかみ合わない。入り口の基本的なところで引っかかってしまいます。
 人間の精神という同じ対象を扱いながら,それぞれが別世界の住人なのです。

 ただし,「それは少し前までの話で,最近の心理学では,これまでの学派の対立は解消されてきている」と述べている本もあります。それでも,少なくとも以前には心理学にはいろんな流れがあり,深いレベルで意見の対立があった,ということです。

 自然科学の主要分野では,こういうことはないのです。物理学や化学の教科書に「学派」の紹介なんて載っていないでしょう。そこには,共通の方法論や基礎概念というひとつの基盤の上に立つ,「物理学」や「化学」といったひとつの科学があるだけです。

 こういう分野では,研究者の間に対立があるといっても,個別的・具体的な問題についてであって,根本的なレベルのものではありません。たとえば,原子の実在や生物進化を否定する科学者はいないのです(ただし,原子の実在も生物進化も,1800年代には科学者の間で議論がありました。科学の発展の中で,そういう対立が解消されていったのです)。

 いろんな学派に分かれていて,その分野としての共通の基盤ができていないということは,その学問が科学としては未発達な分野である,ということです。
 このことは,勉強の前提として,ぜひ押さえておきましょう。

(以上,つづく)

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2013年06月11日 (火) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの第24回。

 前回から「科学とは」というテーマでやっています。
 「科学とは,仮説の真否を実験的に確かめる学問のことだ」と前回述べた,その続き。
 
 「科学は信頼できる」という見方に賛成できない人も「〈科学の立場〉についての,わりと読みやすい説明」の例として,読んでみてください。
   

多くの確認作業の上に成立するから,
科学は信頼できる。


 ある科学者が,「実験的にこういう現象や法則が明らかになった」と報告したとします。でも,それがすぐに「科学的な真理」として認められるわけではありません。
 疑い深いほかの科学者が同様の実験をやってみて,「本当だ」ということを確認してからでないと,認められないのです。

 このような「ほかの科学者による確認のための実験」を,「追試」といいます。

 だいぶ前になりますが,1989年に「常温核融合」という現象が,ある科学者によって報告され,センセーションを巻き起こしました。超高温・超高圧のもとでしか起きないとされていた「核融合」(原子と原子が融合して,大きなエネルギーが発生する)という現象が,日常的な低温の中でも起こせるというのです。

 世界中の科学者が追試を始めました。多くの議論と実験が積み重ねられた結果,現在では科学者のほとんどは「あの〈常温核融合〉の報告はまちがいだった」と考えています。

 この手のことが,科学の歴史にはごろごろしています。

 常温核融合が本当だとすると,物理学の理論やエネルギー関係の技術に,大きなインパクトを与えると予想されます。そういう大きな問題だけに,大勢の科学者が時間をかけて,追試という確認作業にあたったのです。

 教科書に出てくるような科学上の原理や法則は,膨大な追試をくぐり抜けてきたものです。だから,「真理」として信頼できるのです。

 もし「超能力」や「死後の世界」が本当だとすれば,今の科学の体系がひっくりかえってしまうでしょう。常温核融合の何万倍もインパクトのあることなのです。

 そんな重大なことなのに,「超能力は私が見たんだから本当だ」と簡単に言う人がいます。
 「私が見た」「あの人も見た」というくらいでは駄目なんだ,ということがわかっていないのです。
 わかっていて,いい加減なことを言っているのかもしれませんが……

 超能力が科学的真理として認められるには,アニメやマンガに出てくるような,すごい超能力者が現れることが必要です。スプーン曲げや空中浮遊くらいでは話になりません。
 マジシャンが再現できるような「奇跡」では足りないのです。

 科学的真理というのは,大勢の手による慎重な確認作業の上に成立します。だからこそ,信頼できるのです。

(以上,つづく)
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テーマ:自然科学
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2013年06月11日 (火) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの23回目。

 「勉強」というと,「試験のためにがまんしてするもの」というイメージもありますが,ここでいう「勉強」の目的は「自分のアタマで考えて生きていく」ということ。
 それは,誰かに押しつけられてする勉強ではできないし,「教養を豊かにしよう」といった問題意識のゆるやかな勉強ともちがう…

 このところ,学問とは,科学とは,宗教とはといった基本概念について述べてきました。
 とくに「宗教と学問(のちがい)」がテーマになっていました。こういう基本概念をおさえることは,「自分のアタマで考える」うえでだいじだと思っています。
 今回からは,「科学とは」という話に入ります。もっとも肝心なところ。


学問は,「筋の通った説明」でおしまい。
科学は,その説明の真否を実験で確かめる。


 「宗教と学問」のつぎは,「学問と科学」です。
 この本は一種の学問論ですから,「学問とは何か」ということを,はっきりさせておきたいのです。そして,学問や科学が追求する「真理」ということについても,述べておきたいと思います。
 少し回り道でもこういうことは,初めのうちにきちんと押さえておいたほうがいいのです。

 私の科学論は,科学史と教育学の研究者である板倉聖宣さんの著作から学んだものです(たとえば『科学と方法』季節社 1969,『科学的とはどういうことか』仮説社 1979など)。

 板倉さんは,私にとってこの本で言っている意味での「先生」です。でも,私が一方的に著作や講演などを通して学んでいるだけです。このシリーズでは「板倉さんの著作や発言をもとにして書いた」ということがいくつも出てきますが,そこにまちがいがあれば,当然ながらすべて私の責任です。

 さて,学問と科学は混同しやすいのですが,本当は区別すべきです。

 「なぜだろう?」「これはどうなっているんだろう?」という問いかけは,学問も科学も同じです。問いかけに対し,「こうだから,こうなんだ」「これは,こうなっている」といった論理的な説明をあたえようとするのも同じです。

 学問というのは,そういう一応筋の通った説明ができれば,それでおしまいです。
 ところが科学の場合,それでは終わりません。科学の場合,そういう説明は「一応筋は通っているけど,まちがっているかもしれない仮の説=仮説」だと考えます。

 そして,実験や観察によって,その「仮説」の真否を確かめるところまで進むのです。

 科学というのは,学問の特殊なかたちです。
 科学とは,「仮説の真否を実験的に確かめる学問」のことです。科学は,とても慎重で疑い深いのです。

(以上,つづく)

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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年06月10日 (月) | Edit |
 昨日の日曜日の朝は,カミさんと2人でウチの団地の「ピロティ掃除」をしました。
 私は築30年余りの古い公団住宅に住んでいて,そこでは共有スペースを当番で住民が掃除することになっているのです。年に何度かその当番がまわってきます。

 関連記事:団地リノベーションの我が家

 こういう「当番」のメンテナンス活動があるのは,古い団地ならでは。

 「ピロティ」というのは,建築用語です。2階建て以上の建物で,地上階の部分が外部に対しオープンになっている,その「オープン」な空間をいいます。
 言葉ではわかりにくいですね。つまりこういう空間です。

ピロティ掃除1

 モップで床を拭いているのは,ウチのカミさんです。
 古い団地ならかならず「ピロティ」があるというわけではありません。でも,古い団地のなかに,たまにこういう造りをみかけます。ピロティがあるというのは,昔のモダンな建築の,ひとつのパターンだったのです。

 ピロティ掃除2

 これは私が掃除しているところ。
 カミさんは「いかにもイヤイヤやっている感じで,〈罰ゲーム〉の人みたい」といっておりました。

 掃除がすんできれいになりました。

 掃除後のピロティ

 週1回は住民がモップかけをしているので,年季の入った床なのに,とてもキレイです。
 ディズニーランドの清掃担当のエキスパートが,「道ばたにポップコーンを落としても,拾って食べられるくらい,きれいにする」といっていましたが,ウチのピロティの床も,ポップコーンを落としたって大丈夫…かな。

 真夏になると,こどもたちがこの床にすわりこんで,テレビゲームをしたりしています。
 タイルの床は,ちょっとつめたくて,気持ちいいのでしょう。

 私は,この写真のアングルからみた光景が好きです。
 柱と天井に囲われた薄暗い空間の向こうに,明るい「庭」がみえる。
 ピロティってなかなかいいじゃん,と思うのです。

(以上)

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テーマ:建築デザイン
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2013年06月09日 (日) | Edit |
 このブログ「団地の書斎から」をはじめて5か月ほど経ちました。
 ブログやネットのいろんなことがわからないまま,ただただ記事をアップしています。
  
 1週間ほど前から「アクセス解析」(FC2のやつ)を使いはじめました。「まだやってなかったの?」といわれそうですが…

 アクセス解析のデータで「へえー」と思ったのは,「検索キーワード」という機能でした。
 どんなキーワードで検索してこのブログに来てくださったのか,それがリストアップされているのです。もちろん,「誰が」ということはわかりません。

 では,そのリストにどんなキーワードがあったのか。

 まず,「団地」系のワード。
 「団地リノベ」「団地の間取り」「団地マニア」「団地リフォーム」といったものです。
 私は築30数年の古い団地をリノベーション(全面リフォーム)して住んでいて,「団地リノベ研究家」を自称しています。建築やモノのデザインにも関心があります。
 その方面のことは,このブログのひとつの柱です。 

 カテゴリー:団地リフォームと住まい

 今日は自分でも「団地」関連のワードを,ヤフーなどで検索してみました。

 すると,このブログの記事が,けっこう上位で表示されるのですね。
 「団地リノベ」「団地 間取り」「団地マニア」だと,検索結果の1ページ目にで出てきました。
 
 ネット上の「団地系」のなかで,それなりに健闘しているのかも。

 そういえば,「ベランダビアガーデン」というワードでの検索も,何件かありました。
 それで,「ウチのベランダにイスやテーブルを出して,ビールを飲んだ」というこのブログの記事にたどりついた方がいたようです。
 
 関連記事
   ベランダのビアガーデン
   団地リノベはローコストか
   団地の間取りの特徴
   団地マニアでなく,団地エリート

 ***

 団地系以外のキーワードでいらした方もいます。
 たとえば,「ボン基本法」。このワードで検索すると,やはり結果の1ページ目に,このブログのワイマール憲法とボン基本法という記事が出てきました。

 「ボン基本法」は,今のドイツの憲法。そこから,憲法の考え方を述べたものです。
 このブログでは,そんな政治・経済の基本的なこともあつかっています。

 その系統で,アメリカ合衆国の基本設計という,三権分立の原理について述べた記事もあります。
 「アメリカの三権分立の仕組み」といったワードで検索され,この記事にたどりついた方がいたようです。
 
 「インドカレー 歴史」というキーワードで来られた方もいました。
 この言葉で検索すると,このブログの記事インドカレーの歴史が結果の上位に来ます。「インド人はいつからカレーを食べていたか?」という話を通じて世界史を考える,というもの。
 世界史の話も,このブログの柱のひとつです。 

 私はもともとは会社勤めをしながら,教育関連のNPOに参加し,社会科系の教育読み物を書く活動などをしていました。子ども向けの社会科の本を商業出版したこともあります。社会や歴史にかんする「啓蒙」(カビの生えた言葉ですが)は,私のだいじなテーマなのです。

 また,「時代の移り変わりが速くなってきている」といった,かなり絞りこまれた問いかけを検索ワードにして,このブログの社会の変化はゆっくりになっている?という記事にたどりついた方もいたようです。

 この記事は,「社会の変化は急速になっているとよくいわれるけど,じつはゆっくりになっているのではないか」と主張した,大風呂敷なエッセイです。シリーズ化していて,もう7回ほどこのテーマで書いています。

 カテゴリー:社会の変化はゆっくりになっている

 ほかに,このブログの柱に四百文字の偉人伝というカテゴリーがあります。古今東西のさまざまな分野の偉人を400文字ほどのコンパクトな読み物で紹介するシリーズ。
 アクセス解析のリストをみると,最近はホー・チ・ミンルーズベルト大原孫三郎マリリン・モンローなどで検索して,ウチに来られた方がいたようです。

 ***

 こうしてみると,このブログは手を広げ過ぎているのかもしれません。

 団地リノベ,ベランダビアガーデン,ボン基本法,アメリカ合衆国の三権分立,カレーの歴史と世界史,大原孫三郎からマリリン・モンローにいたるさまざまな偉人……

 これは「日記風にいろいろ書いている」のともちがうと思います。

 本来「団地」「政治・経済」「世界史」「偉人」などのテーマをはっきりさせたブログで,それぞれに書くべきことを,ひとつのブログでやってしまっているところがあります。

 だから,訪れた方は,当惑するかもしれません。
 たしかに,団地リノベに興味があって来たのに,「ボン基本法」とかいわれてもなあ……

 つまり,「何の店かわからない」のです。

 カレー屋さんだと思って近づくと,じつはラーメンも出している…なんていうのならまだいいのです。このブログの場合は,カレー屋かと思ったら,寿司もフレンチもやってます,いやじつは雑貨もあつかってます,みたいな感じなのかもしれません。

 そんな店は,流行らないだろうなあ。
 たとえ,出す料理がかなり美味くても,むずかしそうだ。

 でも,私は団地リノベにも,三権分立にも,インドカレーの歴史にも,大原孫三郎の社会事業にも,マリリン・モンローの人生にも,それぞれ関心があって捨てられないのです。

 これらはみんなつながっているんだ…という(勝手な)思いがあります。

 これらがみんなつながっているのが,オレの世界なんだ。

 そういう自己満足を大事に抱えているわけです。

 だから,おつきあいくださる方が多少ともいるかぎりは,今の路線で続けたい。
 「集客」の面でハンデがあることは承知で。

 まあ,ブログとしてはじまったばかり。たくさんのテーマを書くんだったら,今でも週6日は更新していますが,ほんとうはもっともっと(1日3本,5本とか)記事を書かないといけないのかもしれません。

 今の時点では,たとえば「団地リノベ」のブログとしてみたら,数日に1回更新で20本くらいしか記事の蓄積がない,ということになります(団地系の記事は数日に1回くらいしかアップしていないので)。
 これではブログとしてはまだまだ。
 そういうことが,このブログのほかのテーマについてもいえるでしょう。
 
 記事を「1日5本」とかは,勤めを持つ身としては,やはりむずかしいです。
 でもとにかく,まずは記事をもっと蓄積していくことだ…あたりまえかもしれませんが,そんなふうに思っています。

(以上)
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テーマ:思うこと
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2013年06月08日 (土) | Edit |
 今日6月8日は,「DNAの二重らせん構造」の提唱者のひとり,フランシス・クリックの誕生日です。
 そこで,今回はクリックとその共同研究者ワトソンの「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざな偉人を400文字ほどで紹介するシリーズです。
カテゴリー:四百文字の偉人伝

ワトソンとクリック

模型は謎解きのだいじな道具

 ジェームス・ワトソン(1928~ アメリカ)とフランシス・クリック(1916~2004 イギリス)は,「遺伝情報を伝える物質・DNAの二重らせん構造」の提唱者です。
 その提唱がなされた1950年代には,「DNAがどんな分子構造であるか」は,重要なテーマでした。
 彼らの研究で威力を発揮したのが,「分子模型をつくって考える」という方法です。
 模型は,科学的に計算してつくられてはいますが,おもちゃのブロックのようなもの。最初のうちは段ボールと針金でつくったりもしました。
 それで「どの原子がどの原子の隣に座るのが好きか聞いてみる」というのです。
 模型を前に「どんな原子の配列があり得るか」をあれこれイメージしていった,ということです。
 模型づくりは,少し前にノーベル化学賞をとったポーリングも行っており,彼らはそれを積極的に取り入れたのでした。
 模型づくりは,一見子どもじみていますが,じつは奥の深い作業です。
 発想法として,「模型をつくる=論理や構造をモノの形にする」というやり方は,広く使えるのではないでしょうか。

ワトソン著,江上・中村訳『二重らせん』(講談社文庫,1986),ボールドウィン著・寺門和夫訳『ジェームス・ワトソン DNAのパイオニア』(ニュートンプレス,2000)による。

【ジェームス・ワトソン】
【フランシス・クリック】
共同研究でDNAの二重らせん構造を提唱し(1953年),遺伝子研究の世界を切りひらいた科学者。この業績で1962年にノーベル生理学・医学賞をウィルキンスとともに受賞した(ウィルキンスはX線を使ってDNAの構造解明に貢献)。
ジェームス・ワトソン
1928年4月6日生まれ(現存)
フランシス・クリック
1916年6月8日生まれ  2004年7月28日没

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページにて販売,400円)


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テーマ:自然科学
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2013年06月06日 (木) | Edit |
 「5分間の世界史講座」というのを,ときどきやっています。世界史のいろんなことがらをあつかった,1話が原稿用紙数枚ほどのエッセイ。 カテゴリー:5分間の世界史

 今回はひさびさの「5分間の世界史」です。


シュメル人は宇宙人ではない

四大河文明はいつ生まれたか
 「世界最古の文明は,どこで発生したか?」ときかれて,あなたはどう答えるだろうか?
 文明というのは,とりあえず「金属器」「大きな建造物」「政治的支配者」「文字」といった要素をそなえている社会,ということにしておく。
 多くの人は,四大(河)文明というのを思い出すのではないか。メソポタミア,エジプト,インダス、黄河の各文明。

 しかし,この四つはかなり時期がちがう。
 メソポタミア文明(現イラク)の発祥は,紀元前3500年ころ(5500年前)。
 エジプト文明は,紀元前3100年ころ(5100年前)。
 インダス文明(インド)は、だいぶ時代が下って紀元前2300年ころ(4300年前)。
 黄河文明(中国)は,紀元前2000年ころ(4000年前)だ。メソポタミアよりも千数百年あとである。

 「四大河文明」といってひとまとめにあつかうと,同時代のものだと思ってしまう。だが,四つのうちメソポタミア文明は,別格なのである。
 じつは,エジプト文明というのは,メソポタミア文明の影響を受けて生まれた,ということがほぼわかっている。
 インダス文明もそうだったという説があるが,はっきりしない。黄河文明がほかの文明から影響を受けたかどうかは,ほとんど手がかりがない。

 文明の歴史は,紀元前3500年ころ(紀元前3000~4000年)のメソポタミアではじまった。

 これは,世界史の最重要知識のひとつかもしれない。
 では,この「知識」,つまり「文明は,いつ・どこで始まったのか」が明らかになったのは,いつころのことだろうか? 

(予想)
 ア.1900年ころ(日本では明治時代)
 イ.1800年ころ(フランス革命,産業革命の時代)
 ウ.1500年ころ(ルネサンスの時代)
 エ.もっと昔からわかっていた

 ***

 メソポタミアの古代文明(の遺跡)が発見されたのは,1800年代末のことだった。
 その最古の都市のひとつ,ウルクの発掘がはじまったのは,1920年代のこと。そして,調べるうちにメソポタミア文明がエジプト文明よりも古いこともわかった。こうした研究の基礎は,1900年代前半に築かれた。答えはアである。

 メソポタミア文明は,シュメル人とよばれる民族がつくったものだ。
 この名前は,近代の学者が,遺跡のあるメソポタミア南部をさす「シュメル」の地名にちなんでつけた。彼らが自分たちをどう呼んでいたのかは,わかっていない。

 シュメル人は,史上最初の文字である「楔形(くさびがた)文字」をつくった。
 ほかにも,シュメル人は車輪を発明したり,青銅器の製造法を革新したり,さまざまな創造で後世に大きな影響をあたえた。

 世界最古の文明をつくったのは,シュメル人。

 そんな基本的なことも,わかってからまだ100年も経たたないのである。

巨大都市がこつぜんとあらわれた?
 史上最初の文字は,紀元前3100年のウルク(シュメル人の都市)で発明された。
 そのころのウルクの面積は,250ヘクタール(およそ1500m×1500m)。平均的な日本の高校の敷地200個分。当時の世界で最大の都市だった。

 今の西アジア(メソポタミア周辺の地域)で,近代的ビルのない伝統的な町並みだと,人口密度は1ヘクタールあたり100人ほど。もしウルクもその密度だとしたら,100人×250へクタールで,2~3万人の人口だったことになる。
 しかし,当時の人口を知る手がかりはほとんどなく,はっきりしたことはわからない。だがとにかく,5100年前前にそれだけの面積・広がりをもつ都市があったのである。

 しかもその都市は,歴史のなかでこつぜんとあらわれたという感じがある。

 文字が発明された時代から1000年ほどさかのぼった紀元前4000年ころ(6000年前)には,ウルクはまだなかった。そのころの最大級の都市(集落というべきか)の面積は,10数ヘクタールほど。つまり,ウルクとくらべてひとケタ小さい。

 それから数百年のうちに,ウルクの基礎がつくられた。そして、紀元前3500年ころには、ウルクの規模は70ヘクタールに達していた。
 それが,紀元前3100年ころには250ヘクタール。
 さらに,それから数百年後には600ヘクタール(400ヘクタール説もあり)にもなった。

 これが「こつぜんとあらわれた」という感じを私たちにあたえる。
 さらにシュメル人は,どこから来たのか,どういう系統の民族なのかがよくわかっていない。メソポタミアに古くから住んでいたのか、それともかなり後になってやってきたのか,わからないのである。

 そこで、トンデモ本の世界では「シュメル人は宇宙からきた」という説がある。
 「そうでないと,いきなりこんな都市ができたことの説明がつかない」というのだ。

 しかし,それは近代の事例を忘れてないか。
 西暦1800年ころの世界で,最大の都市はロンドンや江戸などだった。その人口は100万人くらい。
 それが200年後の現代では,最大級の都市というと郊外も含めた人口が2000万~3000万ほどである(ニューヨーク、東京など)。
 200年ほどで都市の規模は20~30倍になった。技術革新の結果である。

 だから,シュメルによって都市(集落)が数百年で急速に巨大化したとしても,人智を超えたできごとではない。宇宙人の手を借りなくても,歴史にはそういう飛躍のときがある。それが、5000~6000年前のメソポタミアでも起こったのだ。

ゼロからいきなりではない
 そもそもシュメル人は,ゼロからいきなり巨大都市をつくったのではない。
 メソポタミアでは都市の「前段階」といえる小都市や集落が数多く発掘されている。

 その集落には、「石器時代の最終進化形」といえるような文化があった。代表的な遺跡の名にちなんで「ウバイド文化」といわれるものだ。おもな道具は石器だったが,灌漑農業(水路などで人工的に水をひく農業)が行われ、大量の精巧な土器がつくられていた。
 この文化の主役は,シュメル人だった可能性もあるが,別の民族だったという説が有力である。

 しかしいずれにせよ,シュメル人の都市は、ウバイド文化を受け継いで生まれたのである。長い伝統の蓄積があってのことなのだ。

 さらに,ウバイド文化にも先輩がいる。ウバイド文化の近隣で紀元前6000年ころに発生した「ハラフ文化」といわれる農耕文化である。ウバイド文化は,ハラフ文化の影響を受けているのである。

 どんな民族も,先行する文化遺産から学んでいる。
 ゼロからいきなり多くを生みだすことはできない。これに例外はない。
 「世界最古の文明」を生んだ民族にも,それはあてはまるのだ。

(参考文献)大津忠彦ほか『西アジアの考古学』同成社,中田一郎『メソポタミア文明入門』岩波ジュニア新書,ジャン・ボッテロほか『メソポタミア文明』創元社

(以上)
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テーマ:歴史
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2013年06月06日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの第22回目。
 このところ,科学とは,学問とは,宗教とはのような基本概念について述べています。
 今回は,一連の話なので2話分を一度に。「カルト」や「トンデモ」にご用心,のようなことを書いています。
 私は,古臭くて退屈な啓蒙主義者です。つまり,科学とか理性とかをかなり信用しているオジさんです。


「究極の心理」なんて,信じてはいけない。

 「今,ひとりの天才があらわれて,この世のすべてを説明する究極の真理を発見した」「はるか太古の昔に,深遠な・絶対の真理に到達した民族がいた。私は,彼らの残した遺産の内容を知っている」
 この手の話があとをたちません。「カルト」や「トンデモ」の世界です。
 
 その筋でよく行われるのが,現在の科学の限界や不十分な点を突くことです。
 中でも多いのは,現在の医学では治せない病気を,「我々なら治せる」というパターンです。中でも,心の不安定が影響して体にあらわれる病気=心身症的な病気は,その得意とするところです。

 近代医学は,腐った盲腸を切りとるとか,抗生物質で病原体を死滅させるといった,いわば機械的なやり方から出発しています。だから,「人間の心」や「心が体に及ぼす影響」といったテーマについては,研究が遅れているのです。
 しかし,今ではかなりの医師や学者たちが,この問題に取り組んでいます。たとえば,「明るい希望や信念を持つことが,病気から治ろうとする生理的な力を高める」といったことがわかっているのです。

 司馬遼太郎の『胡蝶の夢』という小説に,関寛斎という幕末の医師が出てきます。
 彼は,「病のほとんどを治す能力を,医学も医者も持っていない」と考えていました。「医者にやっとわかるのは,死期だけだ」と,家族にもらしています。

 寛斎は,当時の日本でトップクラスの医師でしたが,当時の医学は未発達だったため,治療可能な病気の数は,きわめて限られていました。そんな現実を前に,まじめな寛斎は医師として「無力だ」と感じずにはいられなかったのです。

 これは小説の中の描写ですが,司馬遼太郎のことですから史料に基づく可能性はかなりあります。そうでなくても,当時の状況からすれば,こういう医師はきっといたことでしょう。

 今の医学の進歩をみたら,寛斎先生はどう思うでしょうか。
 もう「医者は無力だ」とは思わないはずです。「今も治せない病はあるようだが,治せる病はこれからも増えていくことだろう」と希望を持つでしょう。
 そして,「おまじないで病を治すなどと言う人の話は,信用しないほうがいいよ」と忠告してくれることでしょう。


学校教育は,体系だった世界観を
なかなか与えてくれない。


 「カルト」的な世界の魅力のひとつに,一応は体系だった世界観を与えてくれるということがあります。
 まず,「教祖」の立てた根本原理があって,そこからこの世界のいろんな現象を説明していきます。森羅万象を教義と結びつけて,まとまった世界観を示そうとします。ときには,新しい科学の成果も取りあげて,説得力を持たせようとしています。

 「体系だった世界観」といっても,どの程度手の込んだ,もっともらしい体系をつくれるかは,ケース・バイ・ケースです。
 子どもが見たって「これはおかしい」と思えるような教義や集団もありますが,中には指導的なメンバーが人生経験豊富な大人で,哲学や科学にもかなり通じたインテリだったりすることもあります。そういう知的水準の高い,手の込んだ体系をつくれる集団は,それなりに多くの信者を獲得できるでしょう。

 みなさんの中には,とくに若い人の中には,「自分は議論には結構強いほうだ」と自負している人がいるかもしれません。でも,「手の込んだ体系」を持つその手の集団のメンバー(の指導的な立場の人)と議論したら,きっと負けます。「どうして言い負かされてしまうんだ」と,くやしい思いをするでしょう。

 断片的・感覚的にあなたが正しいことを言っても,体系だったウソには,なかなか歯が立たないのです。体系というのは強いのです。

 だから,論理や思想というのは,真理であるかどうかにかかわらず,昔から体系を志向してきました。
 たとえば,今は世界的な大宗教になっている教えだって,もともとは「教祖の思いや言葉をかき集めたもの」から始まりました。そしてのちの時代に,「体系」が整えられていったのです。

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 学校教育は,体系だった世界観をなかなか与えてくれません。
 高校の教科書を見てください。どの教科書も,すごい分量の知識がつまっています。これがいけないのです。
 これらの知識を消化して,まとまったひとつの世界をイメージすることは,ほとんど不可能です。生徒はもちろん,先生だって消化しきれないのです。たとえば,歴史の授業では出てくる事件が多すぎて,全体的な歴史の流れがわかりません。

 大学に行けばどうなのでしょうか? 大学でも,たぶん駄目です。
 大学の一般教養の講義は,「担当教官の専門に関する狭い範囲のことだけ」というのが多いです。

 たとえば,あまり聞いたことのないひとりの思想家について一年間延々と講義したり,「西洋史」の授業といいながら,狭い地域の限られた時期について,こと細かに教えていたりします。世界を広く見わたす感じは,ありません。大学に入ったころ,私はそれでがっかりしました。

 「世界は全体としてどうなっているんだろう?」「人間とは何だろう?」――それを知りたいという欲求に,学校の授業はなかなか答えてくれません。

 それが,単に学校への不信にとどまらず,授業内容の源泉である科学や学問そのものに対する失望につながることがあります。とくに,まじめで思いつめやすい人の場合,そうなります。失望して,「世界観を与えてくれる教義」にひかれる人もいるはずです。科学や学問の代用品に走るのです。

 少し勉強すればわかるのですが,そんな「代用品」よりも,本物の科学や学問が描き出す自然や人間や歴史のほうが,ずっと奥が深くて魅力的です。
 そのことを初心者にもわからせてくれる授業や本の少ないことが,困ったことなのです。

 私のことを言えば,自分のテーマは「ほんものの科学や学問が描き出す世界」を,入門的な読みやすいかたちで書いていくことだと思っています。この文章も,そのテーマの一部なのです。

(以上,つづく)

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