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2013年06月01日 (土) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの20回目。今回から新章突入。これから何回かにわたって「そもそも学問とは,科学とは」といった話をしていきます。こういう根本的なことをおさえておくのは,じつは「上達」のだいじなコツなのです。

それを,高校生にもわかるように。でも,そこいらのむずかしげな本よりも深く。
 
お伝えしたい世界を,キャッチコピー的にいうなら,こんな感じ。

問題について
「どういうこと?」と問うのが学問。
「くよくよするな」というのが宗教。

                        
では,はじめます。


問題につきあたったとき,二つのアプローチがある。

私たちは,生活の中でさまざまな問題につきあたります。仕事のトラブル,人間関係,病気,お金がない……。そんなとき,二通りのアプローチがあるはずです。

ひとつは,「これはどういうことなんだ? なぜこうなったんだ?」と状況を分析して対策を考えよう,というものです。これは,学問のやり方です。学問のやり方を発展させた結果,近代科学が生まれました。

もうひとつのやり方では,そういう分析はやりません。自分の外で起こっている問題のあり方よりも,問題を受けとめる自分の心のあり方を問題にします。

「くよくよ考えてもしかたない。受けとめ方を変えよう」というのです。

世界についての受けとめ方を変えることによって,問題を問題にしなくなる。これは宗教のやり方です。

神のような,絶対的・超越的な存在をおき,そこに全幅の信頼を寄せることによって「安心」する。それによって,世界の見方も変わってくるということです。そのことで,大きな視野や広い心を得る人も少なくありません。

また,宗教でも「いいこと・悪いことは前世の報い」のように,一応は「なぜ」を説明したりもします。でも結局は神や仏を原因にしてしまうので,あまり説明になっていません。

人は,「なぜ」ということがどうしても気になります。だから,宗教でも学問の方法を少しは取り入れて,みんなが納得しやすくしているのです。

「悟り」とは,「問題を問題としなくなった境地」と言えるでしょう。どの程度の問題まで問題としなくなったかによって,悟りのレベルにちがいが出てきます。

こういう説明を,私は学生時代に武道家の南郷継正という人の著作で知りました(『武道と認識の理論Ⅰ』三一書房 1990など)。あれから少しは本を読みましたが,学問や宗教の本質について,これほど簡潔・明快な説明にはお目にかかっていません。

(以上,つづく)
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