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2013年06月11日 (火) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの第24回。

前回から「科学とは」というテーマでやっています。「科学とは,仮説の真否を実験的に確かめる学問のことだ」と前回述べた,その続き。「科学は信頼できる」という見方に賛成できない人も「〈科学の立場〉についての,わりと読みやすい説明」の例として,読んでみてください。
   

多くの確認作業の上に成立するから,
科学は信頼できる。


ある科学者が,「実験的にこういう現象や法則が明らかになった」と報告したとします。でも,それがすぐに「科学的な真理」として認められるわけではありません。疑い深いほかの科学者が同様の実験をやってみて,「本当だ」ということを確認してからでないと,認められないのです。

このような「ほかの科学者による確認のための実験」を,「追試」といいます。

だいぶ前になりますが,1989年に「常温核融合」という現象が,ある科学者によって報告され,センセーションを巻き起こしました。超高温・超高圧のもとでしか起きないとされていた「核融合」(原子と原子が融合して,大きなエネルギーが発生する)という現象が,日常的な低温の中でも起こせるというのです。

世界中の科学者が追試を始めました。多くの議論と実験が積み重ねられた結果,現在では科学者のほとんどは「あの〈常温核融合〉の報告はまちがいだった」と考えています。

この手のことが,科学の歴史にはごろごろしています。

常温核融合が本当だとすると,物理学の理論やエネルギー関係の技術に,大きなインパクトを与えると予想されます。そういう大きな問題だけに,大勢の科学者が時間をかけて,追試という確認作業にあたったのです。

教科書に出てくるような科学上の原理や法則は,膨大な追試をくぐり抜けてきたものです。だから,「真理」として信頼できるのです。

もし「超能力」や「死後の世界」が本当だとすれば,今の科学の体系がひっくりかえってしまうでしょう。常温核融合の何万倍もインパクトのあることなのです。

そんな重大なことなのに,「超能力は私が見たんだから本当だ」と簡単に言う人がいます。「私が見た」「あの人も見た」というくらいでは駄目なんだ,ということがわかっていないのです。わかっていて,いい加減なことを言っているのかもしれませんが……

超能力が科学的真理として認められるには,アニメやマンガに出てくるような,すごい超能力者が現れることが必要です。スプーン曲げや空中浮遊くらいでは話になりません。マジシャンが再現できるような「奇跡」では足りないのです。

科学的真理というのは,大勢の手による慎重な確認作業の上に成立します。だからこそ,信頼できるのです。

(以上,つづく)
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2013年06月11日 (火) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの23回目。

「勉強」というと,「試験のためにがまんしてするもの」というイメージもありますが,ここでいう「勉強」の目的は「自分のアタマで考えて生きていく」ということ。 それは,誰かに押しつけられてする勉強ではできないし,「教養を豊かにしよう」といった問題意識のゆるやかな勉強ともちがう…

このところ,学問とは,科学とは,宗教とはといった基本概念について述べてきました。とくに「宗教と学問(のちがい)」がテーマになっていました。こういう基本概念をおさえることは,「自分のアタマで考える」うえでだいじだと思っています。

今回からは,「科学とは」という話に入ります。もっとも肝心なところ。


学問は,「筋の通った説明」でおしまい。
科学は,その説明の真否を実験で確かめる。


「宗教と学問」のつぎは,「学問と科学」です。この本は一種の学問論ですから,「学問とは何か」ということを,はっきりさせておきたいのです。そして,学問や科学が追求する「真理」ということについても,述べておきたいと思います。

少し回り道でもこういうことは,初めのうちにきちんと押さえておいたほうがいいのです。

私の科学論は,科学史と教育学の研究者である板倉聖宣さんの著作から学んだものです(たとえば『科学と方法』季節社 1969,『科学的とはどういうことか』仮説社 1979など)。

板倉さんは,私にとってこの本で言っている意味での「先生」です。でも,私が一方的に著作や講演などを通して学んでいるだけです。このシリーズでは「板倉さんの著作や発言をもとにして書いた」ということがいくつも出てきますが,そこにまちがいがあれば,当然ながらすべて私の責任です。

さて,学問と科学は混同しやすいのですが,本当は区別すべきです。

「なぜだろう?」「これはどうなっているんだろう?」という問いかけは,学問も科学も同じです。問いかけに対し,「こうだから,こうなんだ」「これは,こうなっている」といった論理的な説明をあたえようとするのも同じです。

学問というのは,そういう一応筋の通った説明ができれば,それでおしまいです。ところが科学の場合,それでは終わりません。科学の場合,そういう説明は「一応筋は通っているけど,まちがっているかもしれない仮の説=仮説」だと考えます。

そして,実験や観察によって,その「仮説」の真否を確かめるところまで進むのです。

科学というのは,学問の特殊なかたちです。

科学とは,「仮説の真否を実験的に確かめる学問」のことです。科学は,とても慎重で疑い深いのです。

(以上,つづく)

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