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2013年06月12日 (水) | Edit |
 最近,東京のある繁華街のはずれを妻と歩いていて,安室奈美恵さんをすぐ近くでみかけました。
 上はニットで下はぴったりしたジーンズ。帽子やサングラスは着けてません。髪型は,まさにテレビでみるロングヘア。

 …などということをよろこんで書くのは,幼稚で品がないかなーというためらいが,以前の私にはありました。

 でも,何年か前に本多信一さん(職業相談の大家,いずれまた紹介します)のエッセイで「有名人の美しい人やみごとな人をみるのは『眼福』である,つまり人のだいじな幸せだ」という意味の話を読んでから,変わりました。

 「眼福(がんぷく)」というのは,「ほかでは見られないすぐれた物を見て,楽しい思いをすること」です(『新明解国語辞典』)。「眼福を得る」などというそうです。

 本多さんは今70歳代で,幼いころからずっと東京の阿佐ヶ谷に住んでいます。近所に相撲部屋があったので,昭和の名力士が実家のタバコ屋に買いにきたり,駅前で将棋の名棋士をみかけたりして,「眼福」を得たのだそうです。

 さて,間近でみた安室さんは,CMなどでみるお人形さんのようなキュートというより,シャープな,鍛えたバレリーナみたいな感じでした。やはりふつうの人ではない。「眼福」をいただきました。

 私は多摩の奥地に住んでいて,都会にはめったに出ません。でも「上京」すると,有名人をみかけることが結構あります。東京ってすごいなー。

                       *

 私がこれまでに得てきたいくつかの「眼福」を振り返りたくなりました。

 20年近く前,20歳くらいの宮沢りえさんが,ドラマのロケをしているのを,近所の駅前でみたこと。
 そのときの宮沢さんは,観音さまのようにキレイでした(今もキレイなんでしょうけど)。

 学生時代(20数年前),ある映画の試写会に行ったとき,来賓の手塚治虫先生と藤子・F・不二雄先生が,休憩時間にロビーのベンチで,談笑しているのをみたこと。
 神と神が話している!

 これも学生時代,まだ「国民的」になる前の宮崎駿監督の新作(あるテレビシリーズ)の試写会で,監督の講演を聴いたこと。(あのころ,雑誌で知ったこういう試写会に結構行ってたな)
 「どうして宮崎さんの描くおんなのこはかわいいんですか?」などと質問する若者がいましたが,宮崎監督は罵倒することなく,まじめに対応されていました。

  10数年前,友人の結婚披露宴で,近くのテーブルに座っている人間国宝の歌舞伎役者・中村芝翫(しかん)さんをみたこと。美しい着物姿でした。

 ふつうの人は,長丁場の披露宴のどこかでダラけたり,崩れたりするものです。私は人間国宝をちらちら見ていたのですが,いつも朗らかで,「今日はめでたい」という感じがまったく崩れないのです。どこからみても絵になる方でした。

 数年前,草彅剛さん主演のお芝居を妻と観たあと,劇場近くの路上で,草彅さんを間近にみたこと。
 「出待ち(劇場の出口で役者をまちぶせ)」ではなく,おわってから,近くの居酒屋で一杯やってフラフラ歩いてたら,みかけたのです。

 草彅さんは,何人かのファンの女性に囲まれ,「プレゼント渡していいですか?」と声をかけられていました。「いいよー」と,上機嫌な様子でした。舞台のあとで疲れてそうなのに…

 ウチの妻はSMAPの大ファンで,とくに草彅さんがひいきなのです。だから,大よろこび。数年たった今でも,ときどき思い出してほくそえんでいます。

 これが,有名人をみる「眼福」というものなのでしょう。
 
 私も,以上のことを思い出すと,なんとなく幸せな気分になります。
 
 この手の体験は,多くの人にあるのではないでしょうか。
 美しい人,何かを極めた人,そういう人をみるのは,やはりたのしい。
 人間をみることは,人間にとって最大の娯楽です。

 妻は,ときどき夢でSMAPメンバー,とくに草彅さんと会うそうです(笑)。
 私も,夢で安室さんや手塚先生と会ってみたいけど,まだ会えていません。

(以上)
 
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2013年06月12日 (水) | Edit |
「自分で考えるための勉強法」シリーズの第25回目。このところ「科学とは」という話をしています。そういう根本のところをさらっとでもおさえておくのは,「自分で考えるための勉強」のコツのひとつだと思っています。


「学問」には,科学になっているものと
そうでないものがある。


「理科の教科書に出てくるような科学上の原理や法則は,膨大な追試(検証のための実験)をくぐり抜けてきたものだ。だから真理として信頼できる」――前に,私はそう言いました。「科学は信用できる」ということです。

ところが,「科学」を自称していながら,じつは科学とは言えないものが世の中にはたくさんあるので,話がややこしくなります。「一応もっともらしい説明だが,まだ実験的な検証を十分に経ていない,単なる仮説に過ぎないものを,確かな真理であるかのように主張している」ことが,たくさんあるのです。

学問には,科学として確立している分野と,そうでない分野があります。

物理学,化学,生物学などの自然科学のおもな分野は「科学になっている」と言っていいでしょう。

でも,経済学,政治学といった「社会科学」は科学かというと,かなりあやしい部分があります。心理学,言語学などを「人文科学」と言うことがありますが,同様です。世の中にはたくさんの「〇〇学」がありますが,科学になっているのはその一部です。

科学として確立している学問と,そうでない学問を区別するポイントは,どこにあるのでしょうか。

それは,「学派」の状態をみることです。見解の異なるいくつもの学派に分かれている学問は,まだ科学になりきっていません。科学と言えるには,その分野の研究者のほとんどが支持する共通の基盤ができている必要があるのです。複数の学派に分かれているというのは,その基盤がまだできていないということです。

たとえば,人間の精神を研究する学問のひとつとして,心理学というものがあります。大学の一般教養課程で使うような心理学の概説書では,最初のほうに,いろんな学派や聞きなれない学問の名称が出てくることがあります。「行動主義」「ゲシュタルト心理学」「精神分析」「認知心理学」「ユング心理学」などなど……。

これは,学派の数だけいろんな「心理学」があるということです。これらの学派は,おたがいの考え方が基本的なレベルで異なっています。

だから,おたがいが論争してもかみ合わない。入り口の基本的なところで引っかかってしまいます。人間の精神という同じ対象を扱いながら,それぞれが別世界の住人なのです。

ただし,「それは少し前までの話で,最近の心理学では,これまでの学派の対立は解消されてきている」と述べている本もあります。それでも,少なくとも以前には心理学にはいろんな流れがあり,深いレベルで意見の対立があった,ということです。

自然科学の主要分野では,こういうことはないのです。物理学や化学の教科書に「学派」の紹介なんて載っていないでしょう。そこには,共通の方法論や基礎概念というひとつの基盤の上に立つ,「物理学」や「化学」といったひとつの科学があるだけです。

こういう分野では,研究者の間に対立があるといっても,個別的・具体的な問題についてであって,根本的なレベルのものではありません。たとえば,原子の実在や生物進化を否定する科学者はいないのです(ただし,原子の実在も生物進化も,1800年代には科学者の間で議論がありました。科学の発展の中で,そういう対立が解消されていったのです)。

いろんな学派に分かれていて,その分野としての共通の基盤ができていないということは,その学問が科学としては未発達な分野である,ということです。このことは,勉強の前提として,ぜひ押さえておきましょう。

(以上,つづく)

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