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2013年06月22日 (土) | Edit |
 私の生業(ナリワイ)は,「キャリアカウンセラー」といったらいいでしょうか。
 若い人たちを対象とした,就職相談をしています。

 会社勤めや,会社経営(これは失敗した)を経て,この仕事にたどりつきました。

 この仕事で出会った世界のひとつに,「文章の添削・指導」があります。

 学生さんなどの若い人が,企業に出す応募書類を「添削してください」と,持ってくる。「自己PR」「これまでに力を入れたこと」「志望動機」などが書かれたものです。
 
 私は自分なりにずっと文章を書いてきました。ささやかですが商業出版をしたこともあります。会社勤めのころは,報告書や議事録の類をずいぶんと書きました。
 そんな私にとって,文章の添削は,興味深い仕事です。

 この仕事を経験してはっきりとわかったのは,

 学校では文章の書き方を教えてくれない

 ということです。
 
 もう少しいうと,「わかりやすく・正確に書く」ことを教えてくれないのです。

 書くことに戸惑っている人は,ほんとうに多いのです。それを日々実感しています。

 学校でも,いろんな作文は書かされます。でも,本格的に添削・指導されることは,まずありません。
 「わかりやすく,正確に書く」といった技術的なことを,授業できちんと習ったことなど,ふつうはないはずです。

 国語の授業は,「プレーンでわかりやすい文章」の世界よりも,文芸的な,美的な,深い価値を追求するような世界を教えるほうに力を入れています。それももちろん大事ですが,基本的な作文の技術も,もっと教えたらいいはずです。
 
 大学でレポートや卒論を書くのも,「書く」練習にならないことが多いです。
 大学でのレポートは,学術論文をお手本にしています。でも,たいての学術論文は,社会で広く求められる文章の基準では,ひどい「悪文」です。もってまわった,ガチガチした文章。そんなものを「お手本」とするのは,練習としてはどうかと思います。

 就職のための文章は,かなり難しいことを要求されます。

 たとえば「自己PR」(自分の特徴,持ち味について)では,「自分はこういう人間で,それを説明する事実・出来事としてこんなことがあった」というのを述べるのが一般的です。

 そして,「出来事」を述べるにあたっては,「自分がその場で何を考え,どう動いたか」を伝えないといけない。「自分の視点」を打ち出さないといけない。企業が知りたいのは,エピソードそのものではなく,「あなたがどんな人か」ということだから。

 これを,200~300文字(もう少し長い場合も多い)で,書くのです。
 書かれている「場面」について目にうかぶように,過不足なく情報を盛り込んで,読みやすく書く。

 これはあくまで高い「目標」です。
 こんなことがすんなりできる学生は,じっさいにはまずいません。社会人だって,かなりの人はできません。でも,めざすところはやはり以上のようなことです。

 就職活動でのさまざまな作文や表現について,冷ややかな目でみる人は多いです。
 「自己分析とか自己PRとかって,どこか気持ち悪い」というのです。
 そういう面は,たしかにあると思います。

 「私の長所は……です。たとえばこんなことがありました……」などと訴えるなんて,日常の感覚ではまずありえません。

 しかし一方で,「自己PR」のような「シューカツの作文」は,たいていの若者にとって「人生で体験する,はじめての本格的な文章作成」です。じつは大きな意味があると思います。

 「本格的」というのは,明確な目的や伝えたいことがあって,そのために事実と主観をおりまぜながら,わかりやすく・正確に,しかもコンパクトに書く,ということ。

 これは学校では教えてくれなかった。
 大事なことなのに。

 若者たちは,就職活動で,その「大事なこと」をはじめて体験しているのです。
 それは「おかしい」のかもしれませんが,実態です。

 彼らが「書く」ことで四苦八苦しているのを支援する現場に,私はいます(私もたまに四苦八苦してます)。
 文章を書くことを続けてきた者として,じつに興味深いことです。

 「わかりやすく・正確に書く」ための文章指導。
 多少経験をつんでみて,これは自分に合っている仕事だ,と感じています。
 その手の指導者は,世の中で多くはないようです。
 この世界を,今後も掘り下げていくつもりです。

(以上) 
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2013年06月22日 (土) | Edit |
 「自分で考えるための勉強法」シリーズの28回目。
 このところ「学問とは」「科学とは」というテーマで述べてきましたが,今回から「読書」について。
 本のさがしかた,読みかたの入門です。

 私は,おもに本を読んで勉強してきました。
 だから,読書論はこの「勉強法」の最も大きな柱になっています。


全部読む本は,10冊に1冊あればいい。

 本を,最初から全部通して読む必要はありません。

 「とばし読みでは頭に残らない」「最初から追っていかなければ,著者の主張はわからない」という人がいます。
 でも,「本を読むなら全部読まなくては」と思うから,本が読めないのです。ざっと目を通して,興味の持てるところ,理解できるところだけを読めばいいのです。

 そういうことにしておくと,気が楽になって,どんどん本に手を出すことができるでしょう。

 だいたい,「最初からきちんと論理を追っていかなくては理解できない」などという本は少ないのです。多くの本は,とばし読みを許さないほど厳密には書かれていないのです(小説のように,プロセスを味わって読む本は別です)。

 その本に書かれている情報の中で,あなたが興味を持てるところ,理解できるところにこそ値打ちがあります。あなたにとっての意味があります。

 つまらないところに無理につきあっても,頭に残りません。読んだことは無駄になります。
 いつか,もっと勉強してから読んでみると,意味や面白さがわかるかもしれません。
 反対に,「やはりつまらない」ということがわかるかもしれません。

 「とばし読みでいいんだ」と思えるようになってから,私は以前よりも多くの本を読めるようになりました。
 全部読むのは,10冊に1冊もあればいいほうです。

 多くの場合,1冊通して読むよりも,その間に10冊を拾い読みするほうが,はるかに豊富な情報に接することができます。

 そして,「10冊に1冊」というのは,拾い読みをしていくうちに,「これはいい本だ」と思えて,つい全部読んでしまったものです。
 そういう本に出会うと,うれしくなります。

 とばし読み・拾い読みのコツは,本の「もくじ」「まえがき」「序章」「終章」「解説」などに書かれている情報をまずチェックすることです。本の構成や概要,著者の意図や思いなどについて,まずイメージをつかんでおくのです。

(以上,つづく)

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