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2013年06月28日 (金) | Edit |
三浦つとむ
三浦つとむ(1976年)

 世の中には,「極端な独学者」といえる人がいます。
 高等教育を受けることなく,「大インテリ」になった人。

 明治生まれの哲学者・三浦つとむ(1911~1989)は,そんなひとりです。
 上の写真のおじさん。私の好きな学者です(写真は『唯物弁証法の成立と歪曲 三浦つとむ選集・補巻』勁草書房より)。

 彼は,家が貧しかったので,勉強はできたのですが,「東京府立工芸学校中退」という学歴です。今なら高校中退といったところ。

 しかし,昭和の戦後の時代に思想家として多くの著作を発表し,広く知られるようになりました。
 たとえば,去年亡くなった,有名な評論家の吉本隆明(「吉本ばなな」のお父さん)が主催する雑誌『試行』で,おもな書き手のひとりだった,といえばどうでしょう?「立派な知識人」という感じがしませんか?

 では,どんな業績があるのか。
 まず1950年代における「スターリン批判の先駆者」というのがあります。

 スターリンは,社会主義の総本山である「ソ連(今のロシア)」の指導者です。その思想や理論を批判したのです。
 それは,マスコミでよくみかけるような,権力者にちょっとケチをつけた,といったものではありません。
 堂々と,系統だった論陣を張って,批判したのです。

 「だからどうした」と思うかもしれません。
 でも,それは当時,たいへん勇気のいることでした。たとえていえば,「カトリックの神父が,ローマ法王に神学論争を挑んだ」というかんじです。

 当時の三浦は共産党員でした(のちに,除名)。そして,今では想像もつかないくらい多くの知識人が,共産党や社会主義に共鳴していました。社会主義には,たいへんな勢いがあったのです。その中で,スターリンは神のように尊敬されていました。
  
 でも,その後の社会主義の末路をみると,三浦は正しかった,ということです。

 社会主義の権威がピークだったのは,1950年ころです。そこからは世界的に,いろんな批判や,権威の低下ということがおこってきます。

 三浦のスターリン批判は,そんな「世界の潮流」の先駆けのひとつでした。あとでふりかえると,そういうことになります。
 
 そんな「世界的」なことを,日本人の,それも「高校中退」の独学者がやってのけたのです。

 三浦のほかの業績としては,言語論があります。「言語過程説」という学説に基づいて,理論書を書きました。
 言語過程説は学界ではまったくのマイナーですが,三浦理論は,日本の言語学にひとつの足跡を残したとはいえるでしょう(私は,彼の理論が基本的に正しいと思っていますが)。

 そして,三浦の「スターリン批判」は,スターリンの言語理論を批判したものでした。
 「スターリンのような政治家が言語理論?」と思うかもしれませんが,当時の社会主義の指導者は「万能の超人」を売りにしていました。つまり,政治や軍事のほか,学問も芸術もすごい人なんだと。そこで,そんな学問的理論も発信していたのです。

 また,彼の言語論の啓蒙書『日本語はどういう言語か』は,何十万部ものベストセラーになりました(今も講談社学術文庫で読めます)。

 ほかにも,「弁証法」という,論理学の一種についての解説書や,弁証法をからめた人生論など,多くの著作を残しました。
 映画や落語やことわざなどを自在に引用しながら,「下町」なかんじで哲学を語る,その独特な世界が多くのファンを得ました。

                        *

 三浦は,修業時代に,どんな独学をしたのか。

 若いころの彼を知る人は,博覧強記の読書家だったといいます。
 でも,ビンボーで本はほとんど買えません。また,当時(昭和の戦前期)は,図書館も今のようには充実していませんでした。
 だから,本屋さんで立ち読みして,短時間で必死にアタマに入れたそうです。

 それから,少し変わった仕事をしていました。
 ガリ版(コピーが普及する前に一般的だった簡易な印刷方法,その原版)作成の内職の仕事です。
 それも,東大の講義ノートのガリ版をつくっていました。

 まじめな学生が書いた講義のノートを何冊か集めて,それを集約した参考書のようなものをつくる。
 そうやって,東大の講義をふつうに受ける以上の知識を身につけたのです。

 どうでしょう? 「そんな人がいた」ということに,ちょっと驚きませんか?

 三浦の「文章家としてのデビュー」も,かなり「異端」なかんじです。

 三浦が若いころに通っていた映画館で,毎週発行していたミニコミ誌のようなチラシがあり,彼はそこにしばしば投書していました。
 その投書がいつもすばらしいので,映画館主が,彼に原稿を依頼した。そして毎号,映画の短評を書くようになったのが,彼の「デビュー」です。

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 有名になってからの三浦の自宅を訪ね,その書斎をみた人から,話を聞いたことがあります。
 今は80代のその方が,若いころのこと。

 その人は,びっくりしたそうです。
 本が少ない。
 大きくはない書棚がひとつかふたつ。

 そこに,マルクスやヘーゲルや,言語学の著名な本などが並んでいる(ドイツ語の原書もあります)。
 
 それしかない。

 すでに有名な知識人になり,本を買うお金はあったはずなのに,「多くの本が並んだ立派な書斎」をつくることを,三浦はしませんでした。

 彼の読書の中心は,マルクスやヘーゲルのような基本の古典を読み込むこと。
 そして,おそるべき理解力・洞察力で,自分のものにしてしまう。
 それをベースに,「自分の考え」を構築していく。
 (前回のこのブログの記事でいう「つくる読書」)

 一方で,いろんな本を読み,知識を広げることもしています(「広げる読書」)。
 哲学書,専門書から,文学全集,推理小説,落語にいたるまで,いろいろインプットしている。

 でも,読んだ本を自分の蔵書として蓄積していくことはしないのです。

 中年になってからの三浦は,もう「立ち読み」ではなく,本は買っていたはずです。
 立ち読み感覚で,本は読んだら処分していたのでしょうか?

 この読書のスタイルは,彼の仕事に反映しています。

 三浦の仕事は,マルクスなどの古典をベースに,もっぱら「考え方」を述べていくものです。
 多くのデータや資料を駆使して,という仕事ではありません。
 膨大な文献にあたって歴史小説を書いた,司馬遼太郎あたりとはちがうわけです。

 そのような三浦の述べる「考え方」は,平明に書かれているのに,鋭くて,パワーがありました。
 ある知識人は,「三浦つとむにかかると,何でもわかってしまう」といいました。

 データや事実の積み重ねは少なく,もっぱら「理論」や「考え方」で押し通す。

 「考え方主義」とでもいったらいいでしょうか。
 それが三浦つとむの世界でした。

 それにシビれた人は,とにかく「考え方」を磨けばいい,とする傾向がありました。そして,一般的な学者が書くような「知識」中心の本をバカにするところがありました。

 そんなスタイルで,10年20年「独学」していったら,どうなるか……

 三浦つとむだって,「そんな,〈考え方〉だけじゃ,どうしようもないだろう,もっと本を読め」と言うんじゃないでしょうか……(そういう発言を読んだり聞いたりしたわけではありません。言っているかもしれませんが,思いだせません)

                        *

 さて,もうひとり,ろくに学校に行かずに「大インテリ」となった「極端な独学者」がいます。
 彼も,三浦と同じように「立派な書斎」をつくりませんでした。読書はもっぱら図書館です。
 
 アメリカの思想家のエリック・ホッファー(1902~1983)という人。
 
 ホッファーは三浦より9歳年上ですが,ほぼ同時代の人といえるでしょう。

 私は,ホッファーのことを「アメリカの三浦つとむ」だと思っています。
 でも,世界的にはホッファーのほうがたぶん有名なので,三浦つとむが「日本のエリック・ホッファー」というべきでしょうか。

 つぎは,エリック・ホッファーの話をしますね。

(以上)
 
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