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2013年06月29日 (土) | Edit |
ホッファー
エリック・ホッファー

 世の中には,独学で「大インテリ」になった人がいます。
 前回紹介したのは,三浦つとむという昭和の後半に活躍した哲学者。

 今日ご紹介するのは,エリック・ホッファー(1902~1983)というアメリカの思想家です。
 上の写真のおじさんです(エリック・ホッファー自伝―構想された真実 作品社より)。

 「独学」というけど,この人の場合は,学校教育というものを,小学校からまったく受けていません。
 7歳のときに失明して,ずっとニューヨークの下町にある実家にこもっていたのです。ほんとうに極端な独学者です。

 しかし,15歳のとき(1917年)に突然視力が回復。
 失明する前の幼いころ,すでに字を読めるようになっていた彼は,むさぼるように本を読みはじめます。「また目が見えなくなる前に読めるだけ読んでおこう」という気持ちがありました。

 18歳のとき,家具職人だった父親が亡くなりました。母親もすでになくしていたので,天涯孤独となりました。

 父の死にあたり,家具職人の組合から300ドルが出ました。今の日本円で200~300万円くらいか。

 そのお金をもってロサンゼルスへ。暖かいカルフォルニアなら,どんなに貧乏でも(ホームレスでも)なんとかなると思ったのです。
 ロサンゼルスでは,300ドルがなくなるまで仕事もせず,図書館の近くのアパートで,ひたすら本を読んでいました。

 その後,お金が尽きると,日雇い労働者の仕事を転々としていくことになります。
 20代後半には,定職(倉庫管理の仕事)に就いたこともありますが,2年で辞めてしまいました。

 仕事を辞めたあとは,貯金で食いつなぎながら,また読書ざんまいの日々。
 貯金が尽きると,とうとう思いつめて,毒を飲み自殺をはかります。
 でも,死ねませんでした。28歳のときのこと。

 その後は,ロサンゼルスを離れ,10年ほど放浪生活を続けます。カルフォルニア各地の農園や鉱山で,季節労働者として働きました。
 そして,仕事の合間に,行く先々の町で図書館に出入りして,読書を続けました。

 その時期に彼は,フランスの思想家モンテーニュ(1533~92)の『エセー』という古典に出会いました。

 鉱山の仕事で山にこもることになるので,「時間つぶしになる分厚い本を」と,古本屋で買ったものです。
 そして,山ごもりのあいだに,ほとんどおぼえてしまうくらい,『エセー』をくり返し読みました。

 モンテーニュの『エセー』は,「アフォリズム(警句)」の集合として書かれています。アフォリズム的表現が核になっているエッセイ集,といったらいいでしょうか。
 アフォリズムというのは,せいぜい数百文字くらいの短い言葉で,気の利いたこと・深いこと・鋭いことを述べていく,文章の形式です。

 ホッファーは『エセー』を通して,アフォリズム的世界に魅せられました。
 のちに彼が書く文章の多くは,アフォリズムです。あるいは,アフォリズムをベースに,それに肉付けしたエッセイです。

***
 
 30代の終わりに,彼はサンフランシスコにやってきます。
 そこで,港で船の荷物を運ぶ「港湾労働者」として働きはじめました。この仕事が気に入り,以後ずっとサンフランシスコで暮らしました。放浪生活は終わりです。

 その後彼は,仕事の合間に,「読む」だけでなく「書く」こともはじめました。雑誌に何度か投稿して,ある雑誌編集者と知り合ったりもしました。

 その編集者の励ましも受けながら,彼は40代の半ばの数年をかけて,1冊の本を書き上げます。
 
 本のタイトルは,The True Believer 。
 直訳すれば「根っからの信者」「熱狂的な信者」といったところでしょうか。
 
 この本が書かれたのは,第二次世界大戦が終わった直後。
 かつてのナチス・ドイツなどのファシズム(軍国主義の一種)や,戦後になって急速に台頭してきた共産主義などを支える「大衆運動」というものをテーマにした本です。この本には「大衆運動の本質について」という意味のサブタイトルもあります。

 ファシズムや共産主義といったイデオロギーに熱狂し,熱心な支持者・活動家になる人たちの心理。
 それを,独特のアフォリズムの形式で語っている本です。

 この本は,書き上げたあと3年がかりで出版にこぎつけます。1951年,ホッファーが49歳のとき。
 
 この処女作は評判を呼び,彼は思想家・文章家として認められました。
 The True Believer は,1961年に日本でも出版されました。
 邦訳のタイトルは,『大衆運動』(もともとは『大衆』だったが,改題。紀伊國屋書店刊)。

 以後,約30年のあいだに十数冊の本を出版。社会・政治批評,文明論,歴史論,人生論などにかんするアフォリズム集やエッセイ集です。『自伝』も書いています(『エリック・ホッファー自伝』作品社)。
 そして,かなりの読者や知名度を獲得しました。

 1964年から72年までは,カルフォルニア大学バークレー校で,非常勤講師をつとめたりもしています(でも講義は担当せず,週1回講師室に座って,やってきた学生と対話する,ということをしていた)。

 それでも彼は,港湾労働の仕事を辞めませんでした。

 週何日か体を動かして働いて,合間に図書館通い。
 粗末な机で文章を書く。本は借りてくるばかりで,ほとんど持たない。
 そんな暮らしが気にいっていたのです。
 1967年,65歳のときに彼は港湾労働の仕事を「定年退職」することになりますが,そのときは残念がっていたそうです。

 以上,じつに「たぐいまれな人生」だと思います。
 三浦つとむ以上に,「こんな人がいたんだー」とおどろきます。

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 では,彼はどんな文章を書いたのか。
 たとえばこんなアフォリズム。処女作からではないですが,そこでのテーマである「大衆運動」につながる心理を述べたもの。

 情熱の大半には,自己からの逃避がひそんでいる。何かを情熱的に追求する者は,すべて逃亡者に似た特徴を持っている。
 情熱の根源には,たいてい,汚れた,不具の,完全でない,確かならざる自己が存在する。だから,情熱的な態度というものは,外からの刺激に対する反応であるよりも,むしろ内面的な不満の発散なのである。


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 われわれが何かを情熱的に追求するということは,必ずしもそれを本当に欲していることや,それに対する特別の適性があることを意味しない。多くの場合,われわれが最も情熱的に追求するのは,本当に欲しているが手に入れられないものの代用品にすぎない。だから,待ちに待った熱望の実現は,多くの場合,われわれにつきまとう不安を解消しえないと予言してもさしつかえない。
 いかなる情熱的な追求においても,重要なのは追求の対象ではなく,追求という行為それ自体なのである。


(『魂の錬金術 エリックホッファー』作品社 所収「情熱的な精神状態」より,中本義彦訳)

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 どうでしょう。シビれる人はかなりシビれるはずです.
 私もそうでした。ガツーンときた,といってもいい。
 (もちろん,ピンとこない人もいるでしょう)
 
 読書と思索を重ねつつ,社会の底辺で働きながら「世間」をみてきた人間の,深い洞察力を感じます。

 そして,このような「エリック・ホッファーの世界」に,私は「現代性」も感じています。

 まず,アフォリズムという,コンパクトな表現のスタイル。
 これは,ネット上の表現やコンテンツになじみます。
 今のネット上では,表現の単位がどんどん小さくなっています(私のこのブログはその点で時代おくれなんでしょうね……)

 彼のアフォリズムは,「エリック・ホッファーのツィート」です。
 ものすごく磨かれ・深められた「ツィート」といえるでしょう。

 そして,「底辺の労働者」という,彼の「立ち位置」。
 これは,最近の「格差社会のなかでの,不利な立場からの主張」と通じるところがあります。

 ただし,ホッファーは一筋縄ではいきません。彼は「弱者」「大衆」といったものを,突き放した目でみています。さきほど引用したアフォリズムは,まさにそうなのです。しかし一方で,「大衆」の視点から世界をみるということを貫いている。
 
 今のネットの世界には,たくさんの「エリック・ホッファー」がいます。
 「エリートの立場」とは無縁なところで,社会や人間を語り,自己表現する人たち。

 あたりまえですが,その表現の多くは,ホッファーの境地には遠く及ばない。
 (このあたり,自分のことはおいておきます)

 でも,心に迫る言葉に触れることもある。
 荒削りで「完成品」からは遠いかもしれない。ホッファーのような学識はないかもしれない。でも,迫力や心情や鋭さが伝わってくる表現に出あうことがある。
 そのなかから,「21世紀のエリック・ホッファー」が出ないともかぎらない。

(以上) 
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テーマ:哲学/倫理学
ジャンル:学問・文化・芸術