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2013年08月31日 (土) | Edit |
 最近,このブログでは世界史関連の記事を多くのせています。
 
 世界史を「繁栄の中心が,ある場所からその近隣(となり)へと移っていく,そのくりかえし」という視点でみる「となり・となりの世界史」というコンセプトを打ち出したり,世界史の通史を,本1冊の数分の1の「2万文字」くらいでざーっとみわたす(「1万文字の世界史」)といったことをしてきました。

 今回は,本筋とは離れた「コラム」的な話題です。

                        *

 世界史のことを書いていて,ちょっと思うことのひとつに,

 「紀元前〇〇年って,わかりにくいなー」ということがあります。
 「歴史の授業は落ちこぼれた」という人に世界史の話をしたときにも,言われました。

 「最初の文明は,紀元前3500年ころのメソポタミアで生まれた」と書いてあると,「それはいつのことか」を読者は計算しないといけません。

 「紀元元年は2000年くらい前だから,それより3500年さかのぼるということは,今から5500年くらい前だ」

 こういうのは,じつにめんどうで,世界史の文章を読みにくくしている原因のひとつです。

 私が書く世界史の文章では,できるだけ「紀元前3500年(5500年前)」というふうに,「何年前か」をカッコ書きでつけていますが,抜本的な解決にはなっていませんね…

 そういえば,「〇世紀」というのも気に入りません。

 1900年代が「20世紀」って,ほんとにわかりにくいです。

 なんでこうなるかといえば,「0世紀」というのを設定しなかったから。
 西暦1年から100年までが「1世紀」です。
 で,西暦101年から200年までが,「2世紀」……うーん……

 ほんとうは,西暦1年から100年までを「0世紀」にすべきでした。

 さらにいえば,「西暦0年」というのも,設定すればよかった。
 そして「西暦0年~99年」を「0世紀」,「西暦100年~199年」を「1世紀」とすればよかったのに…

 このような「世紀」のわかりにくさは,たぶん,いろんな人が言っていることでしょう。

 私が世界史のことも含め,いろいろと大きく影響を受けた板倉聖宣さんという学者も,「世紀」というのは,今述べたようなわかりにくさがあるので,使いません。板倉さんの書く文章では,「20世紀」とはいわず「1900年代」といいます。

 さらに,世界史の年号関係では,もっとひどいのがあります。

 世界史の本には,たまに「前〇千年紀」というのが出てきます。
 たとえば「前2千年紀」というのは,いつの期間をさすと思いますか?

 「前2千年紀」は,紀元前2000年~紀元前1001年をさします。
 「前1千年紀」は,紀元前1000年~紀元前1年です。

 笑っちゃうくらい,わかりにくいですねー

 「紀元前」「世紀」「前〇千年紀」……これらには,たしかにいろいろ問題がある。
 でも,「慣習」として定着してしまったので,今さら変えにくい……

 しかし,年号にかんするさまざまな表記・表現は,歴史の時間軸というモノサシに刻まれた「目盛り」のようなもの。この目盛りが読みにくいのは,困ったものです。

                       *

 私は,今使っている「西暦」「紀元(紀元前)」などというのは,リセットできないかと「妄想」することがあります。

 「西暦」というのは,「キリスト教紀元」のこと。あの宗教の教祖イエスが生まれた,とされる年を基準にしているわけです(ただし,その後の研究では,イエスの誕生は紀元元年よりも数年さかのぼるとされています)。

 そんな特定の宗教の「紀元」なんてやめましょう。
 その意味で,ほかの宗教や民族の伝統に基づく「紀元」も,「西暦」のかわりにはなりません。

 じゃあ,どうしましょうか。

 「シュメール紀元」というのは,どうでしょうか。

 メソポタミア(今のイラク)で「最古の文明」とされるシュメール人の都市国家が栄えはじめた時点を,人類共通の「紀元」とする。

 でも,その具体的な「年」を特定することはできないので,そのおよその時期を「紀元」にしてしまう。
 切りのいいところで,「紀元前4000年」を「シュメール紀元0年」とする。

 だとすると,今年2013年は,シュメール紀元6013年です(4000+2013)。

 ペルシア戦争の開始(紀元前500年)は,シュメール紀元3500年(4000-500)。
 秦の始皇帝による中国の統一(紀元前221年)は,シュメール紀元3779年。
 西ローマ帝国の滅亡(西暦476年)は,シュメール紀元4476年。
 コロンブスの「アメリカ発見(アメリカ大陸付近への到達)」(1492年)は,シュメール紀元5492年。

 西暦に4000足しただけですが…(デーモン小暮閣下が,自称「1万50何歳」とか言っているのと似てます)

 でも,「シュメール紀元」でみると,それぞれの世界史上のできごとが,「文明のはじまり」の時代からどれだけの時間的距離にあるのかが,わかりやすいです。
 そのような「時間的距離」を,紀元前・紀元後にかかわらず,同一線上に並べてみることができるのです。

 シュメール人というのは,ルーツ・系統が不明で,何千年か前に滅びてしまいました。今の世界のどの民族からみても,はるか昔の「縁」のない人たちです。つまり,世界中からみて,かなり「ニュートラル」な存在。
 しかし,世界の文明の「元祖」である。

 そういう存在なので,世界史の「紀元」をシュメール人にもとめるのは,「公平感」があると思うのです。

 でも,「エジプト文明も最古だ」という人がいるので,黙っていないだろうな。「シュメールだけ祀り上げるな」というのでしょうね…

 インド人や中国人も黙ってないかも。
 「我々だって古い。我々を基準にすべきだ」とか言いそうだ。

 そして,世界中に「我々こそが,じつは最も古い伝統を持っている」という人たちがいるのかもしれない(日本にもいそうだ)……

 やっぱり,「シュメール紀元」,無理そうです(^^;)

(以上)
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2013年08月29日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの41回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところは,教科書や子ども向けの本のこと,新書のすすめ,「通な本」と「最先端の本」,古典とのつきあい方,といったことを述べてきました。

 今回は,ちょっと箸休め的な話です。
 

本は安くなった。
勉強したい人には,いい時代。


 「最近の本は高い」という人がいますが,どうでしょうか。

 週刊朝日編『戦後値段史年表』(朝日文庫,1995)という本をみてみます。
 1950年(昭和25年)に,岩波文庫で最も安いものは,30円でした。同じころ,1951年の大卒公務員の初任給が,5500円。
 一方,1995年(平成7年)では,岩波文庫の最低価格は210円。大卒公務員の初任給は,18万円です(1994年)。

 1990年代から現在(2013年)まで,物価全般の変動はわずかしかありませんので,ごくおおざっぱに,90年代の数字は「今現在の物価」とほぼイコールと考えていいでしょう。

 1950年と現在では,給料は33倍に上がっていますが,岩波文庫は7倍の値上げにとどまっています。もし,給料と同じように上がっていたら,30円の33倍で,約千円です。

 「30円」というのは,あくまで安いものの値段です。平均的な岩波文庫の値段は,その2~3倍になります。文庫本が一冊2,3千円もしたら,気安く買えませんね。

 このことは,文庫にかぎらず本全般の値段にあてはまるのではないかと思います。私の手もとに,同じ岩波書店から1951年に出た,当時700円のハードカバーの本があります。90年代後半にそれが復刻されて,6千円ほどで売られていました。

 でも,1950年ころの感覚では,「700円」というのは,700円の33倍で,今の2万円以上の重みがあったのです。初任給が,5~6千円の時代なのですから。

 「2万円」の本を買おうというのは,限られた人たちです。
 でも,そういう本を買わなければ,深い学問はできません。

 今のお年寄りが若いころは,知識とか学問というものは,一部の恵まれた人たちのものでした。ふつうの人たちが学問をするということは,大変な困難を伴いました。

 今は,ふつうのサラリーマンだって,その気になればかなりの本を買ったりできます。電子書籍がさらに普及すれば,本の平均的な値段はもっと下がるでしょう。
 勉強したい人にとって,いい時代です。

(以上,つづく)
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2013年08月28日 (水) | Edit |
 昨日8月27日は,建築家ル・コルビュジエの亡くなった日で,前回の記事は彼の「四百文字の偉人伝」でした。
 今回は「四百文字」よりはヒトケタ多い分量の「〇千文字」で,ル・コルビュジエについて紹介したいと思います。
 といっても,彼の建築について語るというより,「独学者」としての彼の成長過程をおもなテーマにしています。


ル・コルビュジエ略伝 若者が巨匠になるまで

 偉人だって,最初は無名の若者にすぎなかった――あたりまえのことなのだが,私たちはこのことをつい忘れてしまう。

 それは,私たちがふだん接する「偉人」のイメージのせいだろう。
 
 たとえば,アインシュタインの肖像は,いかにも「ユニークな天才」という感じだ。ドラマに登場する勝海舟や西郷隆盛は,計り知れない大物である。とにかく,「ふつう」じゃない。

 しかし,彼らは最初からあんな「完成形」ではなかった。
 あれは,時間をかけた成長の結果である。
 そこに至るまでは,いろいろあった。きちんと書かれた伝記を読むと,それを実感する。「人は成長できるんだ」と思う。

 これから紹介するのも,そんな成長の物語である。ふつうの若者が「巨匠」になるまでの物語。

                       *

 ル・コルビュジエ(1887~1965スイス→フランス)は,20世紀を代表する建築家のひとりである。
 彼は,数々の邸宅や公共建築のほか,大風呂敷な都市計画などで知られる。積極的に文章を書き,講演をして,さまざまな概念やアイデアを提唱した。世界中から弟子が集まった。カリスマ性のある巨匠らしい巨匠だった。

 ル・コルビュジエは,30代以降のペンネームである。本名は,シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ。1887年,スイスのジュラ地方の小さな町に生まれた。この地方は時計の名産地である。父親は時計の装飾加工の職人だった。

 ジャンヌレも時計関係の仕事をめざした。義務教育を終えると,13歳で地元の美術学校の彫金・彫刻コースに入学した。彫金は,時計の装飾に用いられる。
 彼は,優秀な生徒だった。彫金の作品が博覧会で賞をとったこともあった。画家でもあったレプラトニエ先生という恩師とも出会った。先生から,文化・芸術の新しい潮流について教わり,影響を受けた。

 しだいに,時計製作の世界が狭く退屈なものに思え,別の道にすすみたくなった。だが,具体的にはどうしたらいいかわからない。

 17歳のとき,レプラトニエ先生が「建築をやったらどうか」とすすめてくれた。
 先生の紹介で,地元で家を一軒建てる仕事に,若い建築家とともに参加した。設計から深く関わって,取り組んだ。

 その仕事で,知識や経験のほかに,多少の報酬を得た。若者がしばらくのあいだ貧乏旅行できるくらいの金額。
 19歳のジャンヌレは,旅に出た。広い世界がみたかった。イタリア各地はじめ,ウィーン,パリをめぐって,故郷に戻ったのは2年後のことだった。

 この間,さまざまな建物をみてはスケッチをしてメモをとり,何人かの新進の建築家にも会いに行った。
 パリのペレ(ペレ兄弟)という建築家の事務所では,14ヶ月ほど働かせてもらった。ペレは,当時は珍しかった鉄筋コンクリート建築の先駆者である。

 長い旅から戻ったジャンヌレは,22歳のとき(1909年),故郷の町で独立の建築家として活動をはじめた。
 だがその後,また旅に出ている。23歳のときにはドイツに行き,ベルリンの大きな設計事務所で何か月か働いた。24歳のときには,数か月ほどギリシアやイタリアなどをみて歩いた。
 しかし,それ以降の数年間は,故郷で仕事を続けた。この間に,両親の家を含め数件の住宅を設計した。

 それと並行して,「規格化によって低コストで住宅を量産するシステム」など,田舎町の建築家らしくない,先端的なことがらについても研究を続けていた。

 そして30歳のとき(1917年)には,故郷を離れ,パリに移り住んだ。
 多少の実績を積み,人のつながりもできたので,そのまま故郷にいればやっていけるはずだった。しかし,もっと広い世界で活躍したかった。
 
 パリで開業したものの,田舎で家を何件か建てただけの若い建築家に,そうそう仕事は来ない。不安定な生活が続いた。

 そんな中,33歳のとき仲間と小さな雑誌をはじめた。文化や芸術についての評論誌。記事の大半を,友人のひとりとジャンヌレの2人が書く,手作り感覚の雑誌である。
 しかし,斬新な内容で,先端的な一部の人たちのあいだでは評判となった。ジャンヌレが「ル・コルビュジエ」のペンネームで書く建築論も,反響を呼んだ。

 雑誌がひとつのきっかけとなり,新しモノ好きのお金持ちから住宅の仕事がぽつぽつ入るようになった。30代半ばには,仕事が軌道に乗ってきた。

 そのころに彼は,おもにパリを想定して「古い都市を,超高層ビルが並ぶ近代都市に改造する」という計画案を発表している。実現する見込みなどない。それでも,大風呂敷を広げて社会に訴えた。30代後半には,最先端をいく建築家の1人として,知る人ぞ知る存在になっていた。

 40代前半に手がけた「サヴォワ邸」(1931年完成)は,賛否両論あったが反響を呼んだ。
 この邸宅は現在,近代建築の重要な作品としての評価が定まっている。

 また,以前は金持ちの邸宅づくりが仕事の中心だったが,だんだん公共建築の仕事も来るようになった。
 このあたりで彼は,当代一流の建築家になった,といっていいだろう。

 50代には,第二次世界大戦(1939~45)があった。戦争の時代は,建築の仕事はどうしても限られてしまう。すでに世界的な名声を得ていたが,彼には冬の時代だった。

 戦争が終わってから,仕事が再び動きはじめた。
 彼は60歳になろうとしていた。戦後の60歳前後から70代にかけての時期は,彼にとって実りの多い時期だった。建築史に残る大きな傑作をいくつも残した。
 
 とくに有名な代表作が,この時期には目白押しである。
 たとえば,集合住宅・マルセイユのユニテ・ダビタシオンの完成は1952年(彼は65歳)。
 「ロンシャンの礼拝堂」の完成が1955年(68歳)。
 ラ・トゥーレット修道院の完成が1959年(72歳)。

 この時期の仕事によってル・コルビュジエは,20世紀を代表する巨匠になったのである。
 そして1965年に77歳で急死(海水浴中に心臓麻痺)するまで,仕事を続けたのだった。

                          *

 ル・コルビジュエの成長過程をまとめてみよう。

①時計職人をめざす少年  ②恩師の導きで建築の仕事を体験  ③海外を放浪  ④建築事務所でバイト  ⑤田舎の若い建築家  ⑥大都会で開業するが仕事なし  ⑦雑誌で情報発信をして仕事が来るように  ⑧先端的な建築家として頭角をあらわす  ⑨一流の建築家として認められる  ⑩世界的な名声の確立  ⑪20世紀の偉大な巨匠

 このように,無名の若者がだんだんと成長して,巨匠になっていったのである。成功した建築家の人生は,そのプロセスを典型的に示してくれる。

 建築は,お金を出す依頼者がいて,はじめて作品をつくることができる。
 そこが小説や絵画などとはちがう。若手に大きな仕事の依頼は来ない。実績を積むにしたがって仕事のスケールが大きくなり,ピークが人生の後半以降にやってくる。それが「建物」という目にみえるモノで示される。

 一歩一歩の成長ということじたいは,ほかの分野にも共通したことだ。

 たとえば,アインシュタインは20代で偉大な業績を残したが,彼だって最初は初歩的なレベルから科学の勉強を重ねたのである。あたり前のことだ。ただ,その成長のプロセスは内面的であり,また専門的すぎて私たちにはわかりにくい。

 だから,「人は一歩一歩成長する」ということをみるには,建築家をサンプルにするといいのである。

                          *

 さて,現代の日本にもル・コルビュジエを思わせる人がいる。
 建築家・安藤忠雄さん(1941~)である。

 安藤さんは,大学も出ず,特定の先生にもつかず建築を学んだ。ル・コルビュジエと同様,独学で建築家になったのだ。また,若いころ少しだけプロボクサーをしていたという異色の経歴もある。そんな話を聞くと,人間ばなれしたカリスマ性を感じてしまう。

 しかし,安藤さんもまた一歩一歩成長していった人である。

 若いころの安藤さんが建築の勉強で活用したのは,二級建築士の通信教育という地道な方法だった。それで基礎知識を学んだあとは,いくつかの設計事務所で製図などのバイトをした。
 ル・コルビュジエに影響を受けたのか,お金を貯めてヨーロッパの建築をめぐる貧乏旅行にも行っている。

 そして,28歳で小さな事務所を立ち上げた。最初のうちは仕事もなく,苦しい日が続いた。
 
 その後,事務所設立から10年ほど経って,ある個人住宅の仕事が舞い込む。小さな土地に建てる小さな家。この仕事が大きな賞を受け,一躍有名になる(「住吉の長屋」1976年完成)。
 その後もさまざまな国内外の賞を受賞する活躍を続け,世界的な建築家になった。

 ここでも,ふつうの若者が経験や実績を積み重ねて巨匠になっていったのである。二級建築士になるための通信教育。それが,「世界のアンドウ」への第一歩だった。

参考文献:ジャン・ジャンジェ『ル・コルビュジエ 終わりなき挑戦の日々』創元社,『ブルータス・カーサ特別編集 新訂版 誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』マガジンハウス,ノルベルト・フーゼ『ル・コルビュジエ』PARCO出版,『太陽』2000年2月号 特集「安藤忠雄の発想力」平凡社,『NHKテレビテキスト 仕事学のすすめ 自ら仕事を創造せよ 安藤忠雄』NHK出版

(以上)
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2013年08月26日 (月) | Edit |
 明日8月27日は,建築家ル・コルビュジエが亡くなった日です。今から48年前のこと。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。

 このブログでは,前回は建築家吉村順三のことだったので,たまたまですが建築家の話が続いてますね。

 関連記事:ル・コルビュジエ略伝・若者が巨匠になるまで


ル・コルビュジエ

建築家が愛した小さな小屋

 ル・コルビュジエ(1887~1965 スイス→フランス)は,20世紀を代表する建築家の1人で,さまざまな公共建築や邸宅や都市計画などで知られています。
 しかし,彼がひときわ愛着を感じていた建築が,そのような大がかりなもののほかにもありました。
 南フランスの海辺に自分の別荘として建てた,小さな小屋です(1952年完成)。その小屋は,8畳ほどの狭いものでしたが,ソファ兼ベッド,テーブル,洗面台,収納家具などが機能的に配置され,快適でした。
 晩年の彼は,たびたびこの小屋を訪れてバカンスを過ごしました。「この休暇小屋の住み心地は最高だ」と,彼は語っています。
 小さくても,いや,小さいからこそ,やり方しだいで建築の本質が凝縮されたすばらしい空間をつくることができる――彼はそう考えたのです。それは,「モノをつくる人」が長年かけてたどりついた境地だった,といえるでしょう。

中村好文著『住宅巡礼』(新潮社,2000),カンブレト著,中村好文監修,石川・青山訳『ル・コルビュジエ カップ・マルタンの休暇』(TOTO出版,1997)による。ほかに参考として,ジャンジェ著,藤森照信監修,遠藤ゆかり訳『ル・コルビュジエ』(創元社,2006)。

【ル・コルビュジエ】
フランク・ロイド・ライト,ミース・ファン・デル・ローエと並び20世紀を代表する建築家。近代建築をひとまず完成の域に高めた1人。代表作は「サヴォア邸」,集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」「ロンシャンの礼拝堂」など。
1887年10月6日生まれ 1965年8月27日没

これがその「休暇小屋」です。南フランスのカップ・マルタンというリゾート地にあります。ル・コルビュジエは,この小屋のすぐ近くの海で海水浴中に,心臓発作で亡くなりました。
カップ・マルタンの休暇小屋
カンブレト著,中村好文監修,石川・青山訳『ル・コルビュジエ カップ・マルタンの休暇』の表紙より

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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(以上)
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2013年08月25日 (日) | Edit |
雨のベランダ
雨の朝,自宅の団地のベランダから

 朝起きたら,しばらくぶりに雨でした。
 夕方の「ゲリラ豪雨」は,最近何度もありましたが,朝に降るのはここのところなかった。

 テレビもついておらず,静かなので,さーっと雨の降る音が聞こえてきます。

 こういうとき,建築家・吉村順三(1908~1997)の言葉を思い出します。


 雨の日に家にいると,家に守られているようで,好きだ。


 今から8年前の2005年に開催された「吉村順三展」で,彼の仕事を紹介するビデオで触れた言葉です(細かいところは,不正確かもしれません)。

2005年の吉村順三展チラシ
吉村順三展チラシ

 この言葉を知ってから,雨の日の気分が少し変わりました。

 吉村順三は,おもに昭和の戦後に活躍した,日本の建築の世界を代表する巨匠のひとり。
 大規模な公共建築,オフィスビルから,個人向けの低予算の小住宅まで手がけ,いずれも見事な作品を残しました。建築の巨匠のなかには,「大きな公共建築は得意だけど,個人住宅は…」という人もいます。これに対し,吉村はじつに幅の広い人でした。その意味で「最強」の建築家だと,私は思います。

 雨の日は,そんな吉村先生のコトバを思い出してみては,いかがでしょうか。
 どんな家でもいいのです。家のなかで「守られているなあ」と,感じてみる……

(以上)
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2013年08月24日 (土) | Edit |
まえおき

 私は世界史が大好きで,「アマチュア世界史研究家」だと自分では思っています。ウチの本棚にある本の半分は,世界史関連です。

 このブログでは,「となり・となりの世界史」というシリーズを続けています。世界史を「繁栄の中心の移りかわり」という視点で見渡していく,というものです。
*このシリーズの記事の大部分は2018年10月現在非公開としていますが、同記事をもとに2016年9月に日本実業出版社から『一気にわかる世界史』を出版しました。
 
 世界史には,それぞれの時代に「世界の繁栄の中心」といえるような地域や国があります。

 今の世界なら,やはりアメリカがそうだといえるでしょう。
 文明のはじまりの時代には,メソポタミア(今のイラク)とその周辺の「西アジア」という地域が,文明の最も進んだ「中心」でした。
 その後,ギリシアやローマといった地中海沿岸(のヨーロッパ側)がおおいに繁栄した時代もあります。
 さらに「イスラムの時代」といえる時期もありました。
 そして,200~300年前にはヨーロッパ(とくにその西側の「西ヨーロッパ」)が台頭して,圧倒的な勢いを持つようになりました。
 そして,1900年代以降は,「アメリカの時代」になります。

 このような「中心の移りかわり」には,一定の法則性があります。
 それは,「新しい中心は,それまでの中心の周辺の,比較的近い場所で生まれる」ということです。

 「比較的近い場所」すなわち「となり」です。

 世界史における「繁栄の中心の移動」は,「となり」へ移っていく,ということがくりかえされてきました。「となり・となり」と移動がくりかえされてきたのです。

 「となり・となりの世界史」という(ちょっとヘンな)タイトルは,そこからきています。

 そして,ごく最近のこのブログでは,「過去数千年の,となり・となりの繁栄の移動」を,2万文字くらいの長さでざーっと見渡すということを行いました。
 「1万文字の世界史」というシリーズです。
*この記事は2018年10月現在ブログ上では非公開にしましたが、同記事をもとに2016年9月に、日本実業出版社から『一気にわかる世界史』を出版しました。
 ただし,「1万文字の世界史」というタイトルで書きはじめたのですが,書いてみると2万文字になってしまった…

「近代の文明」はこれからも力を持ち続ける
                      
 今回は,「1万文字(2万文字)の世界史」をふまえた,「結論」のひとつを述べたいと思います。
 いろんな「結論」が導き出せるとは思うのですが,そのなかで「とくに大事だ」と私が思うこと。

 それは,今の私たちの文明にかんするイメージです。
 つまり,科学や技術に支えられた,近代の文明。
 「資本主義」というのも,「近代の文明」の一部でしょう。

 その「近代の文明」は,これからも力を持ち続けるのではないか。
 「1万文字(2万文字)の世界史」の内容は,そんなイメージにつながると思っています。 
 
 「近代の文明」に,いろんな問題があることはたしかです。
 だから,「反近代」の思想を述べる人は,たくさんいます。

 前にこのブログの記事でもとりあげたのですが,インド独立・建国の指導者・ガンジーもそのひとりでした。

 ガンジーは「機械は西洋と結びついており,悪魔的だ。あんなものはないほうがいい」「経済生活は,衣食住の基本さえみたせば,それ以上を求めるべきでない」「輸出も輸入も排斥されるべきだ。国の経済は自給自足が理想だ」などと主張しているのです。(ロベール・ドリエージ『ガンジーの実像』白水社より)
 
 機械文明も経済発展も貿易も否定する,ガンジー。

 ガンジーのように「反近代」の主張をする人はこれからもくり返しあらわれるにちがいありません。
 そして,かなりの人をひきつけたりするかもしれません。
 しかし,ガンジー的な主張が世界の主流派として力を持つことはない,でしょう。

 それは,「1万文字の世界史」でみてきたことからも,明らかではないかと。

 「〈近代〉はこれからも力を持ち続ける」――こういう主張は,いきなり述べてもなかなか受けいれてもらえないと思います。

 しかし,「となり・となりの世界史」あるいは「1万文字の世界史」をこれまで読んでくださった方なら,(全面的に賛成ではなくても)ある程度は「受け入れる」ことができるのではないでしょうか。
 少なくとも「主旨」(いいたいこと)は理解していただけるのでは…

 なぜなら,今の世界で主流になっている「近代」の文化や技術が,どのようなプロセスで生まれたものかについて,すでに知っているからです。

 つまり,これまでの世界史において,さまざまな民族が過去の遺産を継承し,新しいものをつけ加え,つぎの世代に渡していく――「1万文字の世界史」から,そのイメージを得ているからです。

 数千年にわたるさまざまな遺産の継承の積み重ねの末に,「近代」は生まれました。

 「近代」をかたちづくる要素のひとつである「近代科学」にかぎっていえば,

 最古の文明以来の西アジアの学問を,ギリシア人が受け継いで古代の学問・科学を開化させ,
 それをローマ人やイスラムの人びとが受け継ぎ,
 イスラムに学んだ西ヨーロッパ人が独自の要素を加えて近代科学を開化させた……

 そんな過程があるわけです。

 そして,イスラムにはインドの学問も影響をあたえましたし(「0」を使うアラビア数字など),印刷術などの中国発の技術は,ヨーロッパの文化に多大な影響を与えています。

 つまり,数千年間の世界のおもな文明によるさまざまな遺産の集大成として,「近代科学」は生まれ,発展してきたのです。

 このようなイメージがしっかりとあれば,科学をはじめとする,「近代」の根幹をなす要素を,簡単に否定するようにはならないと思うのですが,どうでしょうか?

 数千年にわたり,世界中の人びとが参加して築きあげてきたものを,どうして安易に捨て去ることができるでしょうか。


ジョブズの言葉

 さまざまな遺産の継承のうえに,今の私たちが存在している――これは,「世界史」を通して私たちが知るべき,だいじなメッセージだと思います。

 このイメージについて,アップルの創業者スティーブ・ジョブズが晩年に語った言葉があります。

 ジョブズの言葉は,歴史への認識にもとづいて,私たちが個人として,あるいは国民や市民としてどう生きるか,ということにも触れています。

 《なにが僕を駆り立てたのか。クリエイティブな人というのは,先人が遺してくれたものが使えることに感謝を表したいと思っているはずだ。僕が使っている言葉も数字も,僕は発明していない。自分の食べ物はごくわずかしか作っていないし,自分の服なんて作ったことさえない。
 僕がいろいろできるのは,ほかの人たちがいろいろしてくれているからであり,すべて,先人の肩に乗せてもらっているからなんだ。そして,僕らの大半は,人類全体になにかをお返ししたい,人類全体の流れになにかを加えたいと思っているんだ。それはつまり,自分にやれる方法でなにかを表現するってことなんだ……僕らは自分が持つ才能を使って心の奥底にある感情を表現しようとするんだ。僕らの先人が遺してくれたあらゆる成果に対する感謝を表現しようとするんだ。そして,その流れになにかを追加しようとするんだ。
 そう思って,僕は歩いてきた。》

(ウォルター・アイザックソン(井口耕二訳)『スティーブ・ジョブズⅡ』講談社より)

 私たちも,歴史の遺産になにかを加えることをしていきましょう。
 ごくささやかなことでいいと思います。
 あるいは,そんな仕事をすすめている人たちを,少しでも応援していきましょう。

 私たちも,私たちになりに歩いていきましょう。

(以上)
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2013年08月20日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの40回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このあいだまで,書籍,雑誌,新聞,インターネットなど,それぞれの媒体の特徴や扱いかたにかんする話をしてきましたが,今は「書籍」の世界について述べています。
 これまで,教科書や子ども向けの本のことや,「新書のすすめ」,「通な本」「最先端の本」とのつきあい方,といったことを述べてきました。
 今回は,「古典」とのつきあい方。


古典を読んでつまらなくても,気にしない。

 「古典は大事だ」とよく言われますが,実際に読んでみると,きっとつまらないはずです。
 あなたが悪いのではありません。古典は,つまらないのがふつうです。
 古典というのは,あたり前のことを,古くさい文体でくどくど書いているものだからです。

 そのことに気がつくまで,私は何年もかかりました。もっと早く気がつくべきでした。

 古典のメッセージは,現代の私たちにとって「常識」となっています。のちの思想や学問に大きな影響を与えたというのは,そういうことです。偉大な古典ほど,現代では「あたり前」のことを言っています。

 たとえば,フランシス・ベーコンとかデカルトといった,近代初頭(1600年代)の大哲学者は,「アリストテレス(紀元前300年代)などの古代の学説をうのみにするのではなく,自分の眼と頭で考えなくてはいけない」と言っています。そのことを一生懸命説いています。
 
 アリストテレスは,古代ギリシアの哲学者です。当時は,「古代の学説」が絶大な権威を持っていたので,こういう主張は革新的かつ刺激的なものでした。

 でも,今の私たちは「アリストテレスを疑え」と言われても,ピンときません。何とも思っていないものを「疑え」と言われても,とまどってしまいます。

 古典というのは,ベーコンほど大昔の本でなくても,多かれ少なかれ,だいたいこんな調子です。読んでつまらなくても,気にしないことです。

                          *

 とりあえず,古典そのものは読まなくてもいい。でも,「古典のまわりをうろうろする」ということは,やってみたらいいと思います。

 つまり,現代の著者が古典の世界について解説したり議論したりしている本を読むことです。

 科学史や哲学史の全体的な流れを扱った本も,ぜひ読んでみてください。偉大な古典は,科学や学問の最も大切な問題を,真正面から扱っています。さっきのベーコンやデカルトも,「古代の学問にかわる新しい学問はどうあるべきか」という「大問題」を論じています。

 ベーコンは,「科学の成果は産業に応用され,社会を変える」と言いました。デカルトは,「新しい学問では,数学が重要だ」と言っています。やっぱり,あたり前のことを言っているのです。

 古典を語ることは,科学や学問の核心に触れることになります。たとえば,この本でも書いた「科学と学問」とか「仮説・実験」といった,学問のイメージや方法について学ぶことになるのです。
 
 そして,じつは「最先端」と言われる議論には,古典で議論されてきた核心的な問題に新しい光をあてた,というものも多いのです。

 実際は,「核心」など伝わってこない本が多いです。でも,感動的にわかりやすく書いてくれる著者もいます。そういう著者に出会うことができた人は,幸運です。

 私の場合は,そのひとりが板倉聖宣さんという学者でした。

 科学史の研究者である板倉さんは,コペルニクスやガリレオなどの科学者について本を書いていました。それら近代科学の開拓者を通じて,「科学的とはどういうことか」を論じていました。
 そして,そこから「現代の科学教育をどうすべきか」という問題について,具体的な提案を行っていたのです。

 私の場合,古典のまわりをうろうろすることで,「これだ」と思う先生にめぐりあえた,ということです。

 だから,あなたにも「古典のまわりをうろうろする」ということをおすすめします。そのうち,歴史的なことや,いろんな背景がわかってきて,古典そのものも楽しめるようになります。

(以上,つづく)
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2013年08月15日 (木) | Edit |
四百文字の偉人伝・手塚治虫(てづか・おさむ)

戦争中に描きためた三千枚

 太平洋戦争(1941~1945)のころ,明日のまったくみえない時代。マンガ家志望の学生だった手塚治虫(1928~1989)は,それでもひたすらマンガを描いていました。
 そのころに描いた原稿は,およそ三千枚。
 戦時中で発表のあてもない原稿を,それだけ描いたのです。それも,空襲が日増しに激しくなる中,教師などの周囲の大人ににらまれながらです。
 だから,描いたものは親しい友人にだけみせていました。でも,どうしても多くの人にみてもらいたくて,動員されていた軍需工場で,エラい人にみつからないよう,工員専用のトイレの個室に作品を貼ったこともありました。
 やがて,戦争が終わりました。
 手塚はほっとすると同時に,「これで思いきりマンガを描ける。マンガ家になれるぞ!」と胸をおどらせました。
 その後,描きためた原稿を基にした作品がつぎつぎと出版され,新しい時代のマンガとして大きな反響を呼んだのでした。
 戦争が終わったとき,ただほっとしたり呆然としたりするのではなく,「これで思いきり〇〇できる!」と叫んだ若者は,手塚のほかにもいろんな分野でいたはずです。そういう人たちが,戦後の日本社会を築いていったのです。

手塚治虫著『ぼくはマンガ家』(角川文庫,2000),同『ぼくのマンガ人生』(岩波新書,1997)による。

【手塚治虫】
マンガ家。現代マンガ(=ストーリーマンガ)の基礎をつくった。1947年『新宝島』で本格デビュー。『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など多くの作品を残した。
1928年(昭和3)11月3日生まれ 1989年(平成元)2月9日没

(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年08月10日 (土) | Edit |
 このブログをはじめて7か月ほど経ちました。
 アップした記事の数も200を超えました。
 ここ数か月,だいたい毎日更新しています。
 
 そのなかで,アクセスとかランキングににかんするデータも,毎日みています。
 そこで感じたことを,いくつか。

 ブログのハウ・ツーについて述べた本やブログで,つぎのような話を何度か読んだことがあります。

 「ブログへのアクセス数は,アップされている記事の本数に比例する傾向がある。まずは半年くらい毎日更新して,記事が200くらいになると,蓄積効果も働いてアクセスが伸びてくる(ことがある)」
 
 でも,ウチのブログでは,とくにそういうことは起こってないような…
 「起こっているかも」と感じる時もありますが,はっきりしません。

 このブログは,いろんなことを書いてます。
 団地リノベ,世界史,偉人伝,経済,勉強法,それから身辺雑記も。
 ひとつのテーマごとにみれば,記事の本数はまだせいぜい30~40本。
 そう考えると,蓄積がまだまだなのかもしれません。
 (などと,自分を納得させてます)

 ***

 あと,「曜日によってアクセス数が変わる」ということも,ほかのブログで読んだことがあります。
 土曜あたりはみんな外出するので,アクセスが少なくなる。日曜日はやや増える。月曜日はぐっと増える。水曜あたりの週のなかばは,減ってくる。金曜日の夜も少ない…

 そういう傾向は,このブログではあまりはっきりしないような…
 土日は少ないときもあれば,多いときもある。
 週の半ばに増えるときもある。
 でも,金曜日は少ない,というのは比較的あるようです。

 これは,このブログなりの傾向があるのかもしれないし,1日数十人の訪問者ですから,一般の統計的な傾向どおりにはいかないということかもしれません。

 ***

 あと,ページビューのこと。
 ブログの「アクセス」の数字には,「訪問者数」と「ページビュー」があります。
 訪問者数というのは,その日にそのブログを訪れた「人」の数(ネット上の住所であるドメインで識別)。
 「その人」が1日のうちでくりかえしそのブログを訪れたとき,「訪問者数」は増えませんが,「ページビュー」は増える。

 この1か月,訪問者数よりもページビューのほうがはっきりと増えています。

 「アクセス解析」のデータで詳細をみると,まんべんなく増えているというより,ときどき1日に10回20回とアクセスしてくださる「ヘビーユーザー」の方がぽつぽつといて,平均値を押し上げているというかんじ。

 どなたが,ということはもちろんわかりません。
 熱心に読んでくださっているとしたら,もちろんうれしいことです。

 でも,どんな実態で,どんな気持ちでそんなにアクセスしてくださったのか…
 そこは気になりますが,よくわかりません。
 もし,興味を持ってくださったなら,コメント等いただければ幸いです。

 ***

 あと,ブログのアクセス数のランキングというのが,こブログの属するFC2にもあります。
 あのランキングというのは,どういう基準で出しているのだろう?

 自分に近いランキングの人のブログを何度かみたことがあるのですが,中にはアクセス数のカウンターが1日数人くらいで,もう長いこと更新していないようなブログが,1日のアクセスが数十人,100人のブログと同じようなランクにあったりします。

 どうしてなんでしょうか?

 そういう,わからないことがちょこちょこあります。
 検索すると,ある程度のことはわかります。少なくとも「わかった気」になります。

 たとえば,「アクセスのランキングは,基本は訪問者数に基づいているが,ページビューとか,コメントとかの数も勘案して出している(そういう計算式になっている)」みたいなことが,根拠・出典はともかく,書いてあったりします。
 でも,「訪問者数1日数人のブログの,ランキングの謎」などは,よくわかりません。
 
 そしてこんなふうに,ブログをやっていて「わからないこと,気になること」があっても,それについて教えてもらえるお仲間もいませんし…

 ここに書いた,ブログがらみの話題や疑問について,なにかご存じの方がいらしたら,ぜひ教えてください。

 人とつながりたくって,ブログなどというものをやっているわけですが,まだまだですね(「つながり」にも,いろいろあるでしょうが)。

 要するに「まだまだ」ということ。
 これからも,まずは記事を積み重ねていきます。
 ほかのことはともかく,それだけはできそうです。

(以上)
 
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2013年08月10日 (土) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの39回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このあいだまで,書籍,雑誌,新聞,インターネットなど,それぞれの媒体の特徴や扱いかたにかんする話をしてきましたが,今は「書籍」の世界について述べています。
 これまで,教科書や子ども向けの本のことや,「新書のすすめ」といったことを述べてきました。
 今回は,「通」な本,「最先端」の本とのつきあい方。


「通」な本や「最先端」の本で博識ぶると,
上達しない。


 若い人は背伸びをしたいものです。そこでよくやるのが,「知る人ぞ知る」という感じの,ちょっと「通」な本の知識をひけらかす,という手です。
 文学なら,誰でも名前を知っているような文豪ではなく,もっと「通」な感じのする誰かを読む。

 「最先端」というのに弱い人もいます。たとえば哲学の世界だったら,アリストテレスやカントやヘーゲルではなくて,むずかしそうな「現代思想」です。

 私の学生時代(1980年代)には,そういうのがインテリ志向の人たちの間でおおいに流行りました。「最先端」な感じがしたのです。今も「現代思想」に関心を寄せる人はいますが,かつてほどの勢いはないようです。「科学の最先端」といった本は,今も昔もよく出ています。

 「通」な本や「最先端」の本のことを知ると,博識になった気がします。「現代思想」は,聞いたこともないような用語・術語のオンパレードです。人によってはそこにひかれるのでしょう。

 でも,いきなりそういう本に飛びついてはいけません。
 ちらちらと見ておくのはいいのです。

 「月並み」ではなく,より「深いもの」「新しいもの」を求めることは,やはり大事です。
 「通」や「最先端」を求める気持ちは,それとつながっています。

 でも,「通」や「最先端」の本ばかり読んでいるのでは,上達が進みません。

 まず読むべきは,誰でも名前を知っている,いろんな場面で言及される「超有名な本」です。あるいはそれを論じた本です。それぞれの分野にそういう本があります。

 学問の歴史は,ときどき現れる「超有名な本」の示したテーゼ(理論や主張)をめぐる論争の歴史です。
 「超有名な本=古典」について知ることが,学問についての幅広い素養をつくる近道です。

 「通」な本,「最先端」の本というのは,学問にとっては「枝葉」的な存在です。今は注目されていても,時の試練に耐えられず,そのうち枯れてしまうことが多いのです。

 中には大きく成長していくものもあるでしょうが,わずかです。そんなあてにならないものに深い入りして,自分の頭を固めてしまっては,損をします。

 「最先端」というのは,「すぐ駄目になる危険が大きい」ということです。

(以上,つづく)

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2013年08月09日 (金) | Edit |
 明日8月10日は,明治維新のリーダー,大久保利通の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。

 あらためて生没年月日をみると,大久保がほぼ48歳で死んだことに気がつきました(暗殺による)。
 今の私と同じ年じゃないか。
 だから,どうということもないのですが…

 若いころ,板倉聖宣さんという先生から,雑談としてですが「革命家は早死にするほどカッコいい」という法則があるなんて話を聞いたことがあります。
 
 たしかに,明治維新の功労者の場合,それはよくあてはまるように思います。

 高杉晋作や坂本龍馬のように20代や30過ぎの若さで死んだ人は,「めちゃくちゃカッコいい」。
 一方で,70近くまで生きた伊藤博文は,「あまりカッコよくない」。
 まして,80代まで生きた山形有朋は,「非常にカッコよくない」わけです。

 じっさい,一般のイメージとして,そういう「序列」があるように思います。

 「龍馬のように生きたい」という青年には,何度も会ったことがありますが,「山形有朋のように生きたい」という青年には,会ったことがありません。

 50歳くらいまで生きた大久保利通や西郷隆盛は,この「カッコよさの序列」のなかでは,中間的なところにいるのでしょう。
 ただし,西郷の場合は,特別に尊敬・崇拝する人もいますが,「多数派のイメージとして」ということです。

 まあ,正確な議論のできる話ではありません。「カッコよさ」というのは,その人物の業績の大小ともちょっとちがいます。軽く聞き流して(読み流して)くださいね…


大久保利通 (おおくぼ・としみち)

20年間,維新を引っぱった

 大久保利通(1830~1878)は,西郷隆盛と並ぶ明治維新のリーダーで,明治政府の基礎を築いた政治家です。
 でも,西郷が「大人物」として人気があるのにくらべ,大久保には「冷酷な策謀家」のイメージがあって,人気はイマイチ。
 たしかに彼には,「政治的判断で,恩人や盟友を切り捨てた」といわれてもしかたないできごともありました。
 しかしそれは,「彼が私欲や情に左右されず,なすべき仕事を強い意志で推し進めたからだ」という見方もできます。
 たとえば,「郷土の人間をひいきしてとりたてる」ことを彼は好みませんでした。明治政府での彼のおもな部下の多くは,出身の薩摩(鹿児島)以外からの人材でした。
 こういう人は,不人気なことが多いものです。
 大久保は,幕末から明治にかけての動乱の時代に,20年もの間トップリーダーであり続けました。それは,彼が単なる「策謀家」などではなく,自分の軸を持つ「信頼に値する人物」だったからではないでしょうか。

佐々木克著『大久保利通と明治維新』(吉川弘文館,1998)に教わった。このほか,佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫,2004年,大久保についての同時代人の証言集)による。

【大久保利通】
 徳川幕府を倒した中心人物の1人で,初期の明治政府のトップに立つ。薩摩藩の下級武士出身。版籍奉還,廃藩置県,地租改正などの重要事項を推進した。政府に不満を抱く士族により暗殺された。
1830年(天保元)8月10日生まれ 1878年(明治11)5月14日没

                        *

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年08月08日 (木) | Edit |
生ハムメロン

 夏休みモードで,オフィス街の飲食店とか,場所によってはお客さんが少ないようです。
 このブログの来訪者も,そのせいなのか(?)普段よりもかなり少ないです。

 とにかく記事も,夏休みモードで。

 上の写真は,このあいだウチで食べた生ハムメロンです(^^;)

 先週末,近所に住む母が,お中元のおすそ分けで,メロンを一個くれました。
 その「お中元」というのは,秋田県の,妻の実家からのものです。
 そのうちの一個が結局,私たち夫婦にもまわってきたわけです。

 秋田の実家の近くには,旧・八竜町(今は周辺の町と合併し,三種町となった)という,全国的なメロンの名産地があります。そこの,すばらしいメロン。

 そういえばこのあいだ,義理の兄貴夫婦から,これまた「お中元」でハムの詰め合わせをもらったなー
 あれに,生ハムがあったはずだ。

 生ハムメロンにしよう!

 というわけで,上等なメロンに上等な生ハムの,すばらしい生ハムメロンができました。

 みなさん,ありがとう。
 私は,何にも贈ってないのに,申し訳ありません。
 おいしかったです。

 そういえば,昔から,人に食べ物を贈ったことがほとんどありません。
 お祝いなどを贈ることはあるのですが,たいていは雑貨とかの食べられないモノです。
 私の関心の在り様が,あらわれていると思います。

 思えば,これまでいろんな方から,いろんなおいしいものをいただいてきました。
 何年か前,私が失業・浪人していた時代に,意識的においしいものを夏と冬に送り続けてくださった方もいました。
 今は辞退申し上げていますが,その節はありがとうございました。

(以上)
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年08月05日 (月) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの38回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このあいだまで,書籍,雑誌,新聞,インターネットなど,それぞれの媒体の特徴や扱いかたにかんする話をしてきましたが,今は「書籍」の世界について述べています。
 前回は,教科書や子ども向けの本のこと。今回は「新書」のすすめ。


新書には,本の世界のエッセンスが凝縮されている。
おおいに利用しよう。


 あまり読書したことがなくて,「どんな本から読んだらいいんだろう」という人には,新書をおすすめします。

 新書とは,173ミリ×105ミリまたはそれに近い判型(サイズ)のシリーズ本のことです。
 岩波新書,中公新書,講談社現代新書などが,新書の代表的な老舗ですが,ほかにもいろんな新書が出ています。

 書店へ行って,新書の棚の前に立ってみましょう。
 新書のテーマは,科学・哲学から,歴史,時事問題,健康法,パソコン・インターネット,風俗……と森羅万象にわたっています。いかにも「カタい教養書」といったものもあれば,「手軽な実用書」といった感じのものもあります。
 
 新書のラインナップの中には,きっとあなたの関心に合うものがあります。
 一冊数百円ですから,気軽に買えます。持ち運びもしやすいです。

 比較的あたり外れが少ないのが,新書の特長です。

 それは,新書の著者の多くが,そのテーマに関してすでに定評のある人だからです。以前にそのテーマについて,本や論文を発表して,評価を得ている人ばかりだからです。

 面白いと思う新書に出会ったら,その著者の書いたほかの本を読んでみましょう。
 本の後ろのほう,奥付などにある著者紹介のコーナーにその人の主要著作が載っています(アマゾンなどのインターネット書店で,著者名から検索することもできます)。

 そして,その著書のうちのいくつかは,新書ではない,ハードカバーなどのやや専門的な本のはずです。とくに,著者が研究者である場合はそうです。

 同じ著者によるより専門的な本と新書を読みくらべてみると,専門的な本のほうに詳しい情報が載っていて,勉強になることがしばしばあります。しかし場合によっては,あとになってからより一般向けに書かれた新書のほうが,さらに本質的で深い議論を展開していることもあります。

 さらに,参考文献の案内がしっかりしているものもかなりあって,そのテーマのガイドブックになります。

 新書は,より深く大きな世界への窓口にもなってくれるのです。

 あるテーマについて,この新書のシリーズから一冊,この新書からも一冊……というかたちで読むこともできます。一般的なテーマであれば,可能です。
 それで三冊も読めば,そのテーマについて,かなりの勉強ができるでしょう。

 新書だけで読書の世界は成り立ちませんが,新書というのは,本の世界・知の世界のエッセンスが凝縮されている,すぐれた媒体です。おおいに利用しましょう。

(以上,つづく)
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テーマ:雑学・情報
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年08月04日 (日) | Edit |
コロンボのライト

コロンボのライト (2)

 以前の記事で紹介したことがあるのですが,上の写真はウチのリビングにあるフロアライトです。
 ミッド・センチュリー(ほぼ1950~60年代)のイタリアを代表するデザイナー,ジョエ・コロンボ(1930~1971)の作。

 私はこれを8年前に買いました。いかにも簡素で,古い団地をリノベして住んでいる我が家にも合う。暗い部屋で点灯すると,器具の存在感が消えて,「明かり」だけが際立つ。気に入っています。

 このライトの電球が,おととい切れました。

 下の写真がそれです。向かって右が切れたもの。左が昨日買った新品。
 「クリプトン電球」の,ややマイナーなタイプ。

クリプトン電球

 クリプトン電球の「クリプトン」とは,電球のなかに入っているガスの名前。最も一般的な白熱電球とはちがう物質が入っています。
 くわしいことはわかりませんが,一般の電球よりも大きさのわりに強く発光するタイプが多い。光線の色合いなどもやや異なっていて,独特の味わいがある。

 値段は,かなり高いです。
 昨日買ったのは,ある量販店では1100円ほどでした。

 私が昨日,この電球を買うために覗いたのは,新宿の東急ハンズでした。ほかの買い物もあったので,ついでに,という感じです。

 そこで電気・照明が専門の店員さんから聞いたのは,「この手のクリプトン球は,最近どんどん生産が減っている」ということ。

 とくに私の使っているタイプ(ソケットにねじ込む金口の口径17ミリ)というのはマイナーで,今は日本では東芝でしか作っていない。私が使っていた(今回切れてしまった)パナソニック製は,すでに生産中止である……

 店頭には今置いてないので,取り寄せになるとのこと。
 
 東急ハンズは,量販店より少し値段が高いですが,たまにこういう話を聞けるのがいいですね。
(あとで近くの家電量販店をみたら,そこにはあったので,1個買って帰りました)

 その後ネットで調べてみても,たしかに私が買ったようなクリプトン球というのは,マイナーなようです。
 独特の光の風合いが好まれることもあったけど,やはり値段が高いので敬遠される。発熱量が多く,使いづらいという面もある。だから,あまり普及していない。

 そもそも,白熱電球じたいがマイナーになってきています。
 蛍光灯やLEDへの移行を促そうと,政府が「白熱電球の生産の自粛」をメーカーに求めたりしている。省エネと新しい需要を喚起するためです。

 クリプトン電球(私の使っているタイプ)は,近い将来消えてしまう運命なのかも?

 店員さんの話を聞いて,「こういう電球もいつ買えなくなるかわからないから,ストックを持っておこう」と思い,数個を注文しました。
 1個で3年くらい持つので,10数年分か。
 このフロアライトは使えるかぎり,使いたいと思っています。

 白熱電球の一種をかたくなに使い続けるなんて,今の「省エネ」の流れに逆行しているのかもしれません。
 でも,好きなデザインの照明を使い続けたい。
 好きな光の色合いをたのしみたい。

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                        *

 LEDの光は,すべてがそうではないですが,違和感があります。
 将来は改良されていくのでしょうが,今のところはそう感じています。

 私にとって,電灯の理想的な光は,白熱電球の暖かい光です。オフィスではともかく,家でくつろぐときは,あれがいい。

 その点で,白熱電球タイプの蛍光灯は,相当良くなりました。白熱灯にかなり近い光になっています。私も使っています。

 去年のことですが,毎日通る道の街灯が,白熱灯からLEDに変わりました。前の明かりは,みるたびになごんだのですが,今は青白いギラギラした光になってしまいました。

 省エネのためなら,仕方ないのかなあ…

 でも,「古い照明器具を20年30年使う」みたいなことも,モノを大切に使うという意味での「省エネ(省資源)」です。

 あと,ウチの場合,自家用車も持ってないし,エアコンも,ほぼ使っていません(2台あるうちのメインの1台が故障して直してないのです)。現代人としては,かなり省エネな暮らしをしているはずです。

 だから,それに免じて,クリプトン球を使ったフロアライトを使い続けたしても,バチはあたらないのでは…と勝手に思っています。

(以上)
 
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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年08月04日 (日) | Edit |
 その人の誕生日や命日にちなんだわけではありませんが,新作の「四百文字の偉人伝」を。
 手塚治虫,藤子・F・不二雄,石ノ森章太郎,赤塚不二夫といった,マンガの巨匠について。

 あえていえば,おとといの8月2日は,赤塚の命日でした。

 先日「ゴロウデラックス」(TBS系)という深夜番組をみました。SMAPの稲垣吾郎さんがメイン司会で,作家や文化人をゲストに呼び,その著書を紹介する番組です。その日は直木賞を戦後最年少で受賞した作家・朝井リョウさんが出ていました。

 そのなかで,朝井さんが 「SMAPは,1989年生まれの自分からみれば,電気・水道・ガスみたいなインフラのようなものだ」ということを言っていました。
 「物心ついたときから,テレビに出ているのをたくさんみてきたので,あたりまえのような存在だ」ということでしょう(SMAPは1988年結成。ウチのカミさんは大ファンです)。
 タレント・文化人を「インフラ」というのは,おもしろい表現だと思いました。

 それを聞いて, 「自分にとってそのような意味でのインフラって,何(誰)だろう?」と考えました。

 思い浮かんだのは,手塚治虫のような,昭和のマンガの巨匠たち。

 私が子どもだった1970年代に,すでに彼らはマンガ界の重鎮で,しかもバリバリの最前線で活躍していました。リアルタイムで,つぎつぎと生まれてくる新作が読めたのです。
 それはマンガ好きの少年にとって,あたりまえの「インフラ」みたいなものでした。

 しかし,時は流れました。巨匠たちも,多くは亡くなった。ちばてつや先生や,藤子不二雄A先生や,水木しげる先生など,かぎられた人が今もおられるくらい。ただし,第一線からはすでに退いている。

 でも,巨匠たちが残した作品が「インフラ」として残っている,といえるのでしょう。

                       *

手塚治虫ほか,マンガの巨匠

命を縮めるほど,精一杯だった

 画家や作家には,長寿の人のたくさんいます。でも,マンガの基礎をつくった巨匠には,長生きしなかった人が目立ちます。
 亡くなった歳は,手塚治虫,60歳。藤子・F・不二雄,62歳。石ノ森章太郎,60歳。赤塚不二夫,66歳で病に倒れ,6年間の入院の末,死去。
 彼らは,20歳ころから,締切りに追われながら睡眠や食事の時間を切り詰め,ひたすらアイデアを練って描くという生活を何十年も続けました。
 たとえば,NHKのドキュメンタリー(1986年放送)の中で,50歳代の手塚は,店屋物のチャーハンを夜食に,徹夜で机に向かっていました。タクシーのなかでも原稿を描いていました。
 こういう生活が命を縮めたのです。
 また,赤塚のように,中年期からはストレスで酒におぼれてしまったケースもあります。
 彼らほどハードな仕事を長年続けたクリエイターは,ほかの分野ではまずみあたりません。それだけマンガの発展期のエネルギーはすごかった,ということです。

参考:石ノ森章太郎『トキワ荘の青春』(講談社文庫,1986),藤子不二雄(藤子不二雄A)著『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(文春文庫,1980)

【手塚治虫】
1928年11月3日生まれ~1989年2月9日没
【藤子・F・不二雄】
1933年12月1日生まれ~1996年1月23日没
【石ノ森章太郎】
1938年1月25日生まれ~1998年1月28日没
【赤塚不二夫】
1935年9月14日生まれ~2008年8月2日没

 現代マンガ(=ストーリーマンガ)開拓者である手塚治虫と,その影響を受け,マンガの発展に大きく貢献した作家たち。藤子,石ノ森,赤塚は新人時代の1950年代に「トキワ荘」というアパートに集まって住み,刺激を受けあっている。

                         *

「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
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テーマ:思うこと
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2013年08月03日 (土) | Edit |
 先日(7月29日)麻生副総理が都内のシンポジウムで発言したことが,問題になっています。
 憲法改正についてナチス政権を引き合いにして,「手口を学んだらどうか」と述べたのです。

 発言の「問題」の部分は,具体的にはこうです(「朝日新聞デジタル」より。テレビのニュースで私も観ました)。

《憲法は,ある日気づいたら,ワイマール憲法が変わって,ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。》

 ひどい発言だと思います。全体の文脈がどうこう,というのはともかく,この箇所だけで非難されて当然です。選挙で圧勝して,気が緩んでいるのでしょうか。

 ところで,「本筋」からはややそれますが,この麻生発言で私がとくに気になったのは「…ナチス憲法に変わった」という箇所。

 え,ナチス憲法?

 「ナチス憲法」というのは,存在しません。

 第一世界大戦(1914~1918)でドイツは,敗戦しています。それに伴ってドイツでは,それまでの「ドイツ帝国」の体制が崩壊。新たに「ワイマール憲法」という民主的な憲法にもとづく「ワイマール共和国」の体制が成立しました。

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 そのワイマール憲法のもとで,ヒトラー(1889~1945)のナチス政権が誕生します。もともとナチスが政権の座についたのは,憲法に基づく選挙で勝利したからです。

 その後ヒトラーは,単なる「政権」ではなく,「独裁」の体制をつくっていきます。
 1933年にヒトラー内閣が誕生してしばらくすると,政治的決定のすべてをヒトラーに委ねることになる「全権委任法」という法律を国会で成立させました。
 これによって,ワイマール憲法は,事実上「死んだ」のでした。

 しかし,ナチス・ドイツでは,最後まで独自の憲法は制定されませんでした。

 つまり,「ナチス体制」というのはあっても,「ナチス憲法」というのはないのです。

 これは近代以降の有名な独裁国家のなかでは,「イレギュラー」といえるでしょう。

 ナポレオン(1769~1821)も,ソ連の指導者スターリン(1879~1953)も,中国の毛沢東(1893~1976)も,憲法を制定しています。
 
 しかし,ヒトラーはそれをしなかった。
 なぜでしょうか?
 
 ヒトラーの時代は,戦争の時代でした(ヒトラーは,それをはじめた張本人ですが)。
 なので,非常時のあわただしさのなかで,憲法制定までは手が回らなかった,ということもあるでしょう。

 でもそれ以上に,ヒトラーは「憲法をつくると,憲法によって権力者が拘束される」ということを嫌ったのではないかと思います。

 非民主的な国,独裁政治の国でも,しばしば憲法は制定されています。
 そんな国の憲法ではたいてい,基本的人権には大幅な制約がかけられ,独裁権力の正統性がうたわれています。
 ソ連の憲法などの,かつての社会主義国の憲法は,その類でした。

 そのような「独裁を正当化する憲法」であっても,きゅうくつだ。
 結局はいろんな手続きに縛られる。
 それよりも,「戦争という緊急事態のなかで,憲法が停止され,指導者に全権が委ねられている」という状態のほうが,ずっとやりやすい。
 「緊急事態」なら,めんどうな手続きとか,いろんなことから自由だ。

 おそらく,そんなふうにヒトラーは考えていたのでしょう。

 「憲法は(非民主的なものであっても),政府や権力者を拘束する」という,憲法の本質的なところを,ヒトラーは彼なりに理解していたのではないでしょうか?
 
 関連記事:憲法は何のためにあるのか

 このように,「ナチス憲法はなかった」ということは,じつは憲法の本質にかかわる話なのです。

 歴史上の独裁者のなかで,「憲法」の精神をもっとも強烈に否定した,ヒトラー。
 そんな人物の「やり口」を「憲法改正」の議論で,「学んだらどうか」などというのは,やはりトンデモ発言ですね……
 
 ところで,麻生さんは「ナチス憲法というのはなかった」ということを,ほんとうに知らなかったのでしょうか?ひょっとすると「ナチス体制」というべきところを言いまちがえたのかもしれませんが,まあ,どっちでもいいでしょう。

 なお,「ナチス・ドイツに独自の憲法がなかった」ということと,その意味について私がはじめて(明確に)知ったのは,20代の時に読んだ,セバスチャン・ハフナー著・赤羽龍夫訳『ヒトラーとは何か』(草思社,1979)という本からでした。ヒトラーについて考えるうえで欠かせない本のひとつです。
 さっき,アマゾンをみたら,今年1月に新訳が出てました(私が読んだのは,旧訳)。

新訳 ヒトラーとは何か新訳 ヒトラーとは何か
(2013/01/17)
セバスチャン ハフナー

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(以上)
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2013年08月02日 (金) | Edit |
2013年2月24日の記事の再放送です。だいぶ前の記事ですが,「団地 間取り」などのキーワードによる検索でみつけて,訪問してくださる方が毎日のようにいます。

私は築30数年の古い団地をリノベーションして住んでいます。団地の魅力をみなさんにお伝えすることは,このブログのテーマのひとつです。

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***

団地の魅力のひとつに,その「間取り」があります。「〇平方メートル」「〇LDK」ではあらわしきれない特徴が,団地の間取りにはあるのです。

下の図は,団地の間取りのイメージです。

斜線の部分は,玄関ホールなどの廊下的なスペース。赤い線は,窓。出入口の横にあるのは,階段。

(団地の間取り)
団地の間取り

これに対し「今どきのマンション」のイメージは,こうです。団地と同じく,斜線の部分は廊下で,赤い線は窓。

(今どきのマンションの間取り)
今どきのマンションの間取り

多くの古い団地は,となりあう2戸が対になって階段を共有しています。これだと,ひとつの棟にいくつもの階段があるのがふつうです。これを「2戸1(ニコイチ)」ということがあります。

それに対し,今どきのマンションの多くは,エレベーターとメインの階段は1か所に集約され,外廊下を通って出入りする構造になっています。これだと通行人の目が気になるので,外廊下に面した窓は,たいていは閉めっぱなしです(だから,上の図では省略しました)。

これを,「外廊下」方式といいましょう(一般的な呼び名ではなく,ここだけのものです)。
 
一方,「ニコイチ」方式の団地では,両方の窓(多くは南北)をオープンにできます。これは,やはり快適です。

まず,北側の部屋も,明るい。古い団地は,家全体に日差しが入ってきます。そして,風通しが断然いいです。

私の住む団地も「ニコイチ」です。高台に建っているせいもあって,南北の窓を開けると風が非常によく通ります。おかげで夏場もほとんど冷房を使わずに暮らしています。
 
「外廊下がない」「そのため,南北の窓をオープンにできる」

これは,多くの古い団地の特徴であり,明らかなメリットです。

***

もうひとつ,団地の間取りの特徴として,「全体のかたちが正方形に近い」ということがあります。その「正方形」が,襖(ふすま)などでゆるやかに仕切られています。

これに対し,今どきのマンションは,やや細長い長方形です。

玄関から廊下がのびていて,その両側に部屋がある。各部屋の独立性は団地よりも高いです。たいていは,廊下のつきあたりがリビング+ダイニングになっています。

「正方形」型と「長方形」型。「どちらがいい」とは,はっきりはいえません(これも,ここだけの呼び方です)。

ただ私は,ゆるやかに仕切られた「正方形」型の団地の間取りが好きです。なんとなく,のびのびした感じがするのですが,どうでしょうか? 家じゅうを「ぐるぐる」「うろうろ」できるので,面積のわりには,きゅうくつな感じがしません。

もちろん「仕切りがゆるやか」というのは,各部屋のプライバシー度が低いということです。私がそれをデメリットと感じないのは,夫婦2人暮らしだからかもしれません。年頃の子どもさんがいる家庭などでは,またちがうはずです。

あとは,やはり日当たり,風通しのことがあります。「長方形」型だと,その真ん中あたりは,どうしても外の光や空気が入りにくくなります。

*「長方形」型は,業界では一般に「田の字プラン」といいます。でも,私にはあまり「田の字」にはみえないのですが。

***
 
今どきのマンションは,多くが「外廊下」方式であり,「長方形」型です。それがスタンダードになっています。しかし,その「スタンダード」は,かならずしも暮らしやすさを追求して生まれたものではありません。むしろ「経済性」を追求した結果生まれました。

正確にいうと,「予算の制約のなかで,一定品質の住宅を数多く提供しよう」と工夫するなかで生まれたのです。

もしも,今の高層マンションを「ニコイチ」でつくったら,ひとつの棟にエレベーターをいくつも設置しないといけません。それはコストがかさみます。マンションの値段がそのぶん高くなってしまいます。

「長方形」型というのも,経済効率のうえで意味があります。具体的な説明は省きますが,「長方形」型だと,「正方形」型にくらべ,同じ建築コスト(土地代+材料費+工事の手間)でより多くの家をつくれるのです。

「だから今どきのマンションはダメだ」などというのではありません。「外廊下」方式は,現実的な妥協案です。「長方形」型の間取りも,これはこれでよくできていると思います。

でも,古い団地のような「ニコイチ」方式も「正方形」型もあるということです。そして,その良さはもっと知られてもいいと思うのです。

(以上)
 
(参考文献)隔月刊「コンフォルト」5月増刊『図説 日本の「間取り」』建築資料研究社,2001年。「間取り」というものを考えるうえでよい本です。豊富な図版と解説で,住宅に興味のある人なら初心者でもたのしめると思います。ただし,今は入手困難かもしれません。

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2013年08月01日 (木) | Edit |
ウチで使っている小さなグラスです。「つよいこグラス(S)」といいます。石塚硝子というメーカーの製品。

つよいこグラス S

小ぶりなのは,子ども用にデザインされたものだからです。真ん中がくぼんでいるのが,子どもにも持ちやすい。2~3歳の子が持つとちょうどいいかんじ。

たとえば,こんなふうに。
   
かわいい手につよいこグラス

この間ウチに来てくれたお友だちの子どもさんです。

かわいい手にかかえられているのをみて,このグラスの魅力を再確認。

お母さんは,「割ったりしないかしら」と,ちょっと気がかりだったそうです。
 
ステキなグラスだから,お値段もするのかもしれないし…という心配もあるかもしれません。
  
でも,その点は大丈夫。このグラスは,1個263円(税込)なのです。

現物を前に,このグラスの値段をいうと,たいていの人は「安いねー」と感心します。
 
もっと高くして売ってもいいんじゃないか,と思える。デザインもすばらしいけど,メーカーの量産技術も,すばらしい。

私は日本酒やワインや,水やお茶をちょっとだけ飲むときなどに使っています。
  
私がこれを買ったのは,musubiという,国立(谷保駅近く)にある「くらしのどうぐ」のお店。6月30日の記事でもご紹介したところです。

2年ほど使ってますが,じつにいい買い物でした。

(以上)
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