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2013年08月15日 (木) | Edit |
四百文字の偉人伝・手塚治虫(てづか・おさむ)

戦争中に描きためた三千枚

 太平洋戦争(1941~1945)のころ,明日のまったくみえない時代。マンガ家志望の学生だった手塚治虫(1928~1989)は,それでもひたすらマンガを描いていました。
 そのころに描いた原稿は,およそ三千枚。
 戦時中で発表のあてもない原稿を,それだけ描いたのです。それも,空襲が日増しに激しくなる中,教師などの周囲の大人ににらまれながらです。
 だから,描いたものは親しい友人にだけみせていました。でも,どうしても多くの人にみてもらいたくて,動員されていた軍需工場で,エラい人にみつからないよう,工員専用のトイレの個室に作品を貼ったこともありました。
 やがて,戦争が終わりました。
 手塚はほっとすると同時に,「これで思いきりマンガを描ける。マンガ家になれるぞ!」と胸をおどらせました。
 その後,描きためた原稿を基にした作品がつぎつぎと出版され,新しい時代のマンガとして大きな反響を呼んだのでした。
 戦争が終わったとき,ただほっとしたり呆然としたりするのではなく,「これで思いきり〇〇できる!」と叫んだ若者は,手塚のほかにもいろんな分野でいたはずです。そういう人たちが,戦後の日本社会を築いていったのです。

手塚治虫著『ぼくはマンガ家』(角川文庫,2000),同『ぼくのマンガ人生』(岩波新書,1997)による。

【手塚治虫】
マンガ家。現代マンガ(=ストーリーマンガ)の基礎をつくった。1947年『新宝島』で本格デビュー。『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『火の鳥』『ブラック・ジャック』など多くの作品を残した。
1928年(昭和3)11月3日生まれ 1989年(平成元)2月9日没

(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術