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2013年08月20日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの40回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このあいだまで,書籍,雑誌,新聞,インターネットなど,それぞれの媒体の特徴や扱いかたにかんする話をしてきましたが,今は「書籍」の世界について述べています。
 これまで,教科書や子ども向けの本のことや,「新書のすすめ」,「通な本」「最先端の本」とのつきあい方,といったことを述べてきました。
 今回は,「古典」とのつきあい方。


古典を読んでつまらなくても,気にしない。

 「古典は大事だ」とよく言われますが,実際に読んでみると,きっとつまらないはずです。
 あなたが悪いのではありません。古典は,つまらないのがふつうです。
 古典というのは,あたり前のことを,古くさい文体でくどくど書いているものだからです。

 そのことに気がつくまで,私は何年もかかりました。もっと早く気がつくべきでした。

 古典のメッセージは,現代の私たちにとって「常識」となっています。のちの思想や学問に大きな影響を与えたというのは,そういうことです。偉大な古典ほど,現代では「あたり前」のことを言っています。

 たとえば,フランシス・ベーコンとかデカルトといった,近代初頭(1600年代)の大哲学者は,「アリストテレス(紀元前300年代)などの古代の学説をうのみにするのではなく,自分の眼と頭で考えなくてはいけない」と言っています。そのことを一生懸命説いています。
 
 アリストテレスは,古代ギリシアの哲学者です。当時は,「古代の学説」が絶大な権威を持っていたので,こういう主張は革新的かつ刺激的なものでした。

 でも,今の私たちは「アリストテレスを疑え」と言われても,ピンときません。何とも思っていないものを「疑え」と言われても,とまどってしまいます。

 古典というのは,ベーコンほど大昔の本でなくても,多かれ少なかれ,だいたいこんな調子です。読んでつまらなくても,気にしないことです。

                          *

 とりあえず,古典そのものは読まなくてもいい。でも,「古典のまわりをうろうろする」ということは,やってみたらいいと思います。

 つまり,現代の著者が古典の世界について解説したり議論したりしている本を読むことです。

 科学史や哲学史の全体的な流れを扱った本も,ぜひ読んでみてください。偉大な古典は,科学や学問の最も大切な問題を,真正面から扱っています。さっきのベーコンやデカルトも,「古代の学問にかわる新しい学問はどうあるべきか」という「大問題」を論じています。

 ベーコンは,「科学の成果は産業に応用され,社会を変える」と言いました。デカルトは,「新しい学問では,数学が重要だ」と言っています。やっぱり,あたり前のことを言っているのです。

 古典を語ることは,科学や学問の核心に触れることになります。たとえば,この本でも書いた「科学と学問」とか「仮説・実験」といった,学問のイメージや方法について学ぶことになるのです。
 
 そして,じつは「最先端」と言われる議論には,古典で議論されてきた核心的な問題に新しい光をあてた,というものも多いのです。

 実際は,「核心」など伝わってこない本が多いです。でも,感動的にわかりやすく書いてくれる著者もいます。そういう著者に出会うことができた人は,幸運です。

 私の場合は,そのひとりが板倉聖宣さんという学者でした。

 科学史の研究者である板倉さんは,コペルニクスやガリレオなどの科学者について本を書いていました。それら近代科学の開拓者を通じて,「科学的とはどういうことか」を論じていました。
 そして,そこから「現代の科学教育をどうすべきか」という問題について,具体的な提案を行っていたのです。

 私の場合,古典のまわりをうろうろすることで,「これだ」と思う先生にめぐりあえた,ということです。

 だから,あなたにも「古典のまわりをうろうろする」ということをおすすめします。そのうち,歴史的なことや,いろんな背景がわかってきて,古典そのものも楽しめるようになります。

(以上,つづく)
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