2013年09月30日 (月) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの52回目。

 このところ,「文章論」について述べています。
 今回は「書いたものを読み返して推敲する」ことについて。


書いたものを何度も何度も読み返す。
わかりやすく書くには,結局それしかない。


 わかりやすく書かないと,誰も読んでくれません。
 誰かに読んでもらいたいなら,わかりやすく書くことです。

 わかりやすく書くには,どうしたらいいのでしょうか? 

 「文章の書き方」については,いろんな本が出ています。そういう本を,私も読みました。その中で一番役に立ったアドバイスは,「細かな方法論はいいから,書きながら何度も読み返して,推敲することだ」というものです。
 評論家の立花隆さんが,『知のソフトウェア』(講談社現代新書 1984)という本で,そういうことを書いています。

 それを読んだのは,大学生のころでした。「なるほど」と印象に残ったのですが,実行することになったのは,何年もあとのことです。

 自分のことを振り返って思うのですが,わかりやすく書けない人は,ほとんど推敲をしていません。自分の書いた文章を,ほんの1~2回しか読み返していないのです。

 自分の本を何冊も出しているような書き慣れた人の話を聞いても,少ない人でも5~6回は読み返して推敲すると言います。書くことに慣れてないうちは,もっともっと読み返すことが必要です。読み返すたびに,直すところをみつけて,少しでもわかりやすく,読みやすくなるようにします。

 ワープロは,書き直すのに便利な道具です。ワープロで書く場合は,推敲が百回を超えることも少なくありません。

 私だって,この「勉強法」の文章をパソコンのワープロで書いているわけですが,何十回読み返しているか,もうわかりません。それでも,直すところはまだまだあるのです。

(以上)
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2013年09月29日 (日) | Edit |
 以前の記事(9月10日)で,ドラマ「半沢直樹」のことを少しだけ取り上げました。
 筋の通った中堅銀行員が,理不尽で卑劣な上司・先輩を叩きのめす。
 それでみんな「すっきり」している。
 
 その「上司」にあたるバブル世代は,嫌われているんだなあ,と思います。私もバブル世代なので,しみじみ感じる。今の日本の,若い世代と中高年以上のあいだの「世代対立」ということが,ドラマのヒットに関係しているのかもしれない…

 そんな話題や,記事に寄せられたコメントをきっかけに,今の日本の「世代」間の問題について,考えてみました。

 ***

 世代間のギャップ・対立というのは,いつの時代でもあります。
 ただ,今の日本では,その「対立」の背景にある状況が今までと大きく変わりました。

 ひとつは,「超高齢化」ということ。

 日本の人口の,最も大きなまとまりである「団塊の世代」は,今65歳くらい。
 この人たちは,十数年後(2030年ころ)には80歳を過ぎます。
 それをどう支えていくか。

 一般的な予測では,2030年には,65歳以上のいわゆる「高齢者」が人口に占める割合は,32%になります(2010年には23%,2000年には17%だった)。
   
 もうひとつは,「経済の低成長が続いている」ということ。
 低成長が長く続くと,「よい仕事,よいポスト(職位・地位)」の供給が細くなっていきます。


 経済が成長しないというのは,会社も大きくならないということ。そうなると,人を新たに雇ったり,部署や管理職を増やすことが以前ほどにはできなくなります。

 すると,以前は「年功序列で地位や給料があがっていく」のを多くの人が期待できたのに,若い世代ではそうでもなくなっていく。
 安定した「よい仕事」に就くのも,以前より難しくなる…

 たとえば「非正規雇用」の増加は,その状況をあらわしています(それにしても「非正規」ってイヤな表現ですね)。

 非正規雇用とは,正社員以外のパート・アルバイト,契約社員,派遣社員等のことです。
(では「正社員」とは何かというと,「雇用期間の定めのない,終身雇用を前提とした労働者」と考えればいいでしょう)

 1990年には,男性(15歳以上)の非正規雇用者の割合は,1割弱でした。それが,2012年では2割ほどになっています。女性の非正規雇用は,1990年には4割弱だったのが,2012年には55%になりました。

 ***

 さて,「超高齢化」「新たな職やポストの供給減」――今の日本の世代間の問題を考えるうえで,このふたつの条件は,つねに忘れてはいけないと思います。

 そして,日々の言動のなかでも,忘れてはいけないのではないかと。
 とくに中高年以上の世代は,そうだと思います。

 まず,今の社会で,何よりも嫌われるのは「エラそうなオジさん(オバさん)」ではないでしょうか?

 ワシは長く生きてきて,なにしろ経験の厚みがある,だからワシを尊敬しなさい。

 今の世の中や会社を築いてきたのは,私たちの実績。だから,私の今のポジションは,与えられて当然(キミたちも頑張んなさい)。


 そういう態度が出てしまうのは,今の時代はホントにいけない。
 ふた昔前(今50歳くらいの私の若いころ)には,こういうオジさんも,まあまあ許されました。将来は自分もあのオジさんのような,まずまずのポジションが得られそうだ,と思えばガマンできなくもないです。

 でも今は(未来は)そうじゃないわけです。

 リタイヤ世代の方で,かなりの社会的地位(大企業や官公庁の役員・幹部とか)にあった人も,気をつけたほうがいいと思います。そんなことを自慢しないように……ふた昔以上前は,そういう方は,たとえば親類や知人の子の「コネ入社」の世話とかができたのです。
 でも,今はよほどの「大物」でないとムリです。
 それなのにかつての地位や仕事の自慢なんかしたって,嫌われるだけ。

 若い人からすれば「オジさん,そんなに偉いなら,ボクを(あたしを)その会社に就職させてよ」といいたいでしょう。

 今の若い世代からみれば,オジさんたちは「先に生まれただけで,おいしい果実を先に持っていってしまった人たち」と映っている面がおおいにあるのです。

 ネット上では,若い人たちの「あいつら(オジさんたち),エラそうでムカつく」という話が,あふれています。感情的なものもあれば,理路整然としたものもあります。私もオジさんなので,読んでいるとめげるので,あまりみませんが…

 「超高齢化」の時代です。若い人には,これからたいへんな負担をかけることになります。中高年はエラそうにしている場合ではないのです(かといって,もちろん卑屈になってもいけない)。

 なお,私は以前は会社勤めをしていましたが,今はフリーターのような立場。若い人の前で「自慢」はしにくい状況です。なので以上のようなことを書きやすい面があります。また,今の仕事で若い人向けの就職相談をしていることも,今回の記述に影響しています。

 ***

 以上は個々人の態度の話ですが,政策的な「課題」についても考えてみましょう。
 つまり,「超高齢化」「職やポストの供給減」のなかでの課題。

 私は,一つの糸口・勘所として「同一の仕事には同一の賃金を」ということが大事だと思っています。

 非正規の人で,正社員と同じような,ときにはダメ社員よりもずっと仕事をしている人がいる。こういう「よく働く非正規」の多数派は,若い現役世代です。でも,その賃金は正社員よりもあまりに低い。これを政策的になんとかできないか。

 非正規雇用の問題については「非正規を正社員化する」という方向の主張もあります。じっさい,その手の法改正なども,近年行われている。

 しかし,現実として「非正規の正社員化」は容易ではないと思います。

 もちろん,正社員としての雇用を,社会全体で大きく増やせるなら,そのほうがいいに決まっています。個々人の問題としても,正社員になれるなら,当然そのほうがいいのです。

 しかし,社会全体の方向性として考えると,「非正規の正社員化」は困難ではないか,ということです。
 「不透明な時代なので,会社の業績・状況に応じて解雇可能な労働力の比重を高めたい(正社員の解雇は法的に困難なので)」という企業側のニーズは強固です。法改正などでは簡単には崩せないと,私はみています。

 しかし,「同一労働・同一賃金」なら,いくらか話がちがいます。説明は今回は省きますが,企業側にも検討の余地があるはずです。やり方しだいでは,職場の生産性向上にもつながる要素があるのです。
  
 高齢化とか「世代間」とかいうと,社会保障やその財政上の問題など,大問題が目白押しです。
 そこももちろん重大なのです。しかし,比較的短期に前進できる(かもしれない)課題として,「同一労働・同一賃金」ということは,もっと議論されていい。
 
 そもそも「仕事に応じた賃金」なんて,本来あたりまえのことでしょう。

 「同一労働・同一賃金」の考え方が力をもってくると,それはいろんな形で波及して,日本の職場や経済に影響をあたえるのでは,と思っています。

 ***
 
 とにかく,できるだけ早く,今の時代特有の「世代間のわだかまり」のもとになりそうな状況に対し,手を打つべきなのでしょう。そのために,私たち(とくに年長者)の態度や心持ちも切り替えないといけないし,政策的にも大きなことをしていかないといけない。
 
 今回は,そのあたりの入口の話でした。おそらく多くの人がご存じだったり,思っていたりすることを,ちょっとまとめてみた,という感じです。

(以上) 
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2013年09月28日 (土) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの51回目。

 このところ,「文章論」について述べています。
 今回は,「真似・借用」について。文章にかぎらず,何かを生み出すうえで重要なこと。それをどう考えるか。


どんどん真似しよう。どんどん借用しよう。
そして,そのことを隠さない。


 文章を書くなら,いいと思うものはどんどん真似しましょう。
 感動した言葉は,どんどん借りて使いましょう。
 どんなに真似したって,借りてきたって,あなたらしい個性は出てくるものです。良しにつけ悪しきにつけ,そうなのです。

 ただし,気をつけなくてはいけないことがあります。

 文章を書いて発表するときは,「真似や借用について隠さない」ということです。

 他人の言葉や考えを「引用」するのはいいのです。一定の制約はありますが,原則的にはかまいません。しかし,他人から借用しながら,それを隠して自分のオリジナルだと偽ったら,「盗作」です。

 創造とは,他人のつくりあげたものを受け継ぎ,それに新しい何かをつけ加えることです。
 新しいものを生み出すには,まず先人の仕事をふまえることです。

 だから,「自分の仕事が,先人のどんな仕事に負っているか」「どこまでが先人の成果で,どこからが自分のつけ加えたものなのか」をはっきりさせることは,創造的であろうとするかぎり,きわめて重要なのです。

 このシリーズは「創造のための学び方」がひとつのテーマです。
 「他人からの借用」に関して,いい加減なことはできません。

 そこで,こんな軽い文章にしてはめずらしく,出典をわりあいきちんと示すようにしています。最低限,「これは誰が言っている」ということは書きます。きちんとした論文なら,「誰の,何という著作の,どこに」というところまで示さないといけません。

 すべてにわたってそうする必要はありません。板倉聖宣さんによれば,オリジナルかどうか《読者にとってとくにまぎらわしいものについてだけ,その出所を明らかにする》のです(『増補版 模倣と創造』仮説社 1987)。

 ***

 私はこのシリーズで,板倉聖宣さんをはじめとする先生たちの考えを,多く引用したり借用したりしています。というより,このシリーズで述べている重要な部分のほとんどが,そうした先生の著作やお話をもとにしている,と言ってよいでしょう。

 しかし,ただ先生と同じことを口真似しているのとはちがいます。
 私は,先生の言ったことを,自分の経験やほかの書物で検証してみて,「やっぱりそうなんだ」と納得したことだけを書いています。

 自分自身でやってきたこと,試してきたことだけを書いているのです。
 だから,先生と同じテーマを扱っても,私なりの言葉で書けていると思っています。

 また,このシリーズは何十という小さな断片の集まりで,断片の冒頭に,目立つ文字でキャッチコピー的な表題がついていますが,これは,いろんなビジネス書でみられるスタイルです。
 私が初めて意識したのは,1990年代に読んだ中谷彰宏さん(ビジネス書のベテランで,何百という著作がある)の本からでした。読みやすいスタイルだと思います。

 真似や借用をみっともないことだと考える人がいます。
 そういう人のなかから,他人の創造を自分のオリジナルと偽る人が出てくるのです。そういう人には,先人の成果を活用して,そこから自分独自のものをつくり出すことはできないのです。

(以上)
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2013年09月27日 (金) | Edit |
 いつも長い記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それを「雑談」と,ここでは呼んでます。

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 ***

 自分のペットをテーマにしたブログは,多いですね。
 このブログを訪れてくださる方のブログにも,あります。

 でも,昔は飼っている動物を,あんなに写真に撮ることはありませんでした。

 妻の田舎の実家では,子どものころ,三毛猫の「タマ」を飼っていました。
 10年一緒に暮らしたタマとの思い出を,妻はよく話します。

 でも,タマの写真は一枚もありません。

 ネコを撮るなんて,フィルムがもったいない。
 30~40年前,とくに田舎では,そうだったのでしょう。

 でもこのあいだ,古い写真を整理していたら,ありました!

 子どものときの妻を撮った写真の隅に,おしりだけ写っている。

タマのおしり

 ***
 
 先日,手塚治虫を描いたスペシャルドラマ『神様のベレー帽』(フジテレビ系)をみました。
 手塚は,私が興味を抱く人物のひとり。

 手塚治虫に扮するのは,SMAPの草彅剛。
 ベレー帽以外は,ぜんぜん似てません(^^;)。
 彼の扮する手塚が登場したときは,「大丈夫か?」と思いました。
 
 でも,そこで描かれる手塚は「ふつうのマンガ家より5倍描くのが速いけど,10倍の仕事を引き受け,ムチャクチャなスケジュールで仕事をする」という人。
 20ページの原稿を,締切を過ぎてから描きはじめ,8時間で完成させたりする。

 これは,芸能人としてとにかくたくさんの仕事をしている草彅君(やSMAP)と,重なるところがあります。「大御所」になっても,マイペースにならず,馬車馬のように働いている…

 「ジャニーズなんて…」という方も,とにかく彼(彼ら)が「たくさん働いている」のは認めるはず。

 途中から「今回の手塚は,草彅君でよかったんだ」と思いました。
 「仕事漬けの大御所」のふつうでない感じが,かなり出ていた気がします。

 ***

 先週,友人数人を自宅に呼んで飲み会をしました。
 そのなかにトモコさん(仮名)という人がいました。
 
 この人が,大学時代のお友だちを1人連れてきた。

 そういえばこのあいだは,前の職場のお仲間がいっしょでした。

 中学時代の友人がいっしょだったときもあります。
 彼女が関わる,地元のバンド仲間がいたことも。

 どの友人とも,長いおつきあい。
 そして,今もあまりご無沙汰せず,しっかりと行き来がある。

 そんなトモコさんをみていて,「人生の友だちバス」というイメージを思いつきました。

 自分が運転する,友だちを乗せて走るバス。
 「人生」という路線を走るバス。
 「中学」「大学」「前の会社」といった停留所で,「友だち」が乗ってくる。
 ふつうは,停留所ごとに「乗る」友だちもいれば,「降りる」友だちもいる。

 私もそう。50年近くバスを走らせているけど,乗る人は増えたり・減ったり…
 
 でも「トモコの友だちバス」は,停留所ごとに乗る人が増える一方です。
 ステキですね。

(以上) 
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テーマ:思うこと
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2013年09月26日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの50回目。

 ここしばらく「読書論」を続けていましたが,前々回から「文章論」について述べています。
 強調したいのは,「文章を書くことで考える力がつく。だから書こう」ということです。今回は,書き続けるために大切な「読者への感謝」ということについて。

 このブログを読んでくださっているみなさんにも,あらためて感謝です。
 いただいたコメントをはじめ,拍手やアクセス数など,いつも励みにしています。ありがとうございます。


あなたの文章を読んでくれる人は,恩人。

 文章は書き続けていかないと,上達しません。
 どうしたら,書き続けることができるのでしょうか?

 一番大切なのは,「たったひとりでいいから,読んでくれる人をみつけること」です。

 人に読んでもらうあてのない文章を書くのは,むなしいことです。
 だから日記は,たいてい三日坊主で終わるのです。

 私は幸運でした。文章を書き始めたとき,読んでくれる人が身近にいたからです。私に書くことすすめてくれた若い先生が読んでくださいました。
 また,一緒に勉強する友だちがひとりいて,書いたものをみせ合っていました。

 最初の数年は,この二人だけが私の読者でした。書いたものに自信がなかったので,二人がいれば満足でした。

 やがて,少し上達したと思ったので,二人以外にも読んでもらいたくなりました。

 そこで,友だちや知り合いのなかで興味を持ってくれそうな人に書いたものを渡したり,送ったりするようになりました。さらに,人の主催する勉強会(数人くらいの小さなもの)に書いたものを持ち込んで,発表するということもしました。

 渡したものが,読んでもらえないことも多いです。感想を言ってもらえることは,そんなにあるわけではありません。
 素人の書いたものを読んでコメントするのは,疲れることです。「書いたものを読んでほしい」というのは,無理なお願いをしているのです。

 だから,ちょっとでも読んでくれた人は,無理をきいてくれた恩人です。

 中には,読んで好意的なことを言ってくれる人がいます。これは本当にうれしいです。そういう人は,決して多くありません。でも,うれしさがいつまでも残ります。十年前のことでも,憶えています。

 読んでくれる人をさがしていると,たまにほめてくれる人がいます。その時のうれしさをいつまでもひっぱって,書くことを続けました。

 あなたもどうにかして,読んでくれる人をさがしましょう。もし読んでくれたら,心から感謝しましょう。

(以上)
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テーマ:勉強
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2013年09月25日 (水) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの49回目。

 ここしばらく「読書論」を続けていましたが,前回から「文章論」について述べています。
 強調したいのは,「文章を書くことで考える力がつく。だから書こう」ということです。

 
学校で作文が苦手だった人でも,
続ければ本の著者になれる。


 中学・高校のころの私は,作文が苦手でした。授業で書かされる400字,800字の小論文に四苦八苦していました。やっと書き上げても,なかなかいい点数はもらえませんでした。

 それが,大学生になってから,ちょっとずつ何かを書くことを始めました。
 最初は,前回述べた,短い「日記」のようなものです。

 そこから,原稿用紙10~20枚のレポートが書けるようになるまで1年余りかかりました。あまり上達の早いほうとは言えません。

 そして,内容はともかく,50~100枚のものが書けるようになるまで,さらに2~3年。
 さらに4~5年経つと,本1冊分,つまり原稿用紙300枚が書けるようになっていました。

 今でも自分の文章がうまいとは思いませんが,人に読んでもらえる文章を,たとえばこのシリーズのように1冊分書きとおせるようにはなりました(このシリーズは,本1冊分の原稿がすでにあります)。

 これまで,ささやかですが商業出版もしましたし,最近は,若い人の作文・小論文の指導もしています。

 本を書く人は,必ずしも子どものころから文章を書くのが得意だったわけではありません。もちろん得意だった人も多いのですが,そうでない人も同じくらいいるのです。

 絵画やスポーツでは,こうはいきません。
 プロの腕前になる人は,みんな子どものころから「絵がうまい」「野球がうまい」と言われていました。これにくらべると,学問や文章の世界での上達というのは,誰にでも開かれているのです。

 でも,多くの人は「何か書けるようになりたい」「自分の考えを持ちたい」と願っても,ここで言っていること――文章を書くこと――を実行しません。

 たくさんの本を読んで勉強している人でも,なかなか書きません。
 ブログを始めても,数百文字以上のまとまった文章を書き続ける人は,多くありません。

 とるべき方法がシンプルで,その方法をわかっていても,実行に移す人は少ないのです。

 だから,「文章を書いてみよう」「書き続けよう」ということを,このシリーズでは強調しています。

(以上)
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テーマ:勉強
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2013年09月23日 (月) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの48回目。

 ここしばらく「読書論」を続けていましたが,今回から「文章論」に入ります。
 一番言いたいのは,「文章を書かなければ,考える力はつかない」ということ。


少し勉強したら,文章を書いてみよう。

 たくさん本を読めば考える力がつく,というわけではありません。ぜんぜん読まないのも駄目ですが,読んでいるだけでは,力はつきません。

 力をつけるためには,文章を書く必要があります。

 読むだけでは,頭の使い方が受け身になってしまって,能動的に考える力がつきにくいのです。

 100冊読める時間があったら,その全部を読むことに費やしてはいけません。読むのは50冊くらいにして,残りの時間は書くことに使いましょう。

 書き始めたとしても,まだあまり勉強していないわけですから,思うようには書けません。読み返すのも恥ずかしいでしょう。でも,気にしないで書いてください。

 初めは,日記程度でいいと思います。日常生活での体験,読んだ本の感想,最近のニュースのことなど,何でもいいから気軽に書くことです。書き慣れない人は,100字,200字で十分です。ただし,単なるセンテンスや単語のメモでなく,文章で書くのです。そのうち,もっと長く書けるようになります。

 ひとつの目標は,どんなテーマでもいいから,400字詰め原稿用紙10~20枚くらいの論文やエッセイが書けるようになることです。
 それが,月に1~2本は書けること。
 そこまでいけば,だんだんと自分の関心領域というものが見えてくることでしょう。

 これは,文章を書くこととしては,かなり本格的なレベルです。だから,そこに至るステップというものがあります。それについては,また別の回で述べます。

 書くことで,本を読むにしても読み方が変わってきます。
 知識を自分の中に主体的に組み込んでいく感じになるのです。だから,同じ量を読んでも,残るものが多くなっていきます。

 私には,20代の前半に,学問の世界について教えてくれた若い先生がいました。その人に数年間,月1回くらいのペースで小論文のような手紙を書いて送っていました。先生も,感想を書いて送ってくださいました。
 その若い先生が,ここで書いたやり方を教えてくれました。

 たとえ読んでくれる人がいなくたって,短いレポートをたくさん書く。

 これは,「考える力」を上達させる上で,最も大切なことです。方法はこれに尽きる,と言っていいでしょう。このことは,実力のある人ならみんなわかっています。

 私のように,書いたものをみてくれる先生がいれば,幸せです。
 そんな先生がいなければ友だちでもいいです。遠くの友だちにメールやSNSで読んでもらってもいいのです。感想を言ってくれなくても,気にしないで書いたものを送ったりしましょう。

 そういう友だちがいないなら,自分で自分の読者になりましょう。

 ***

 初心者のうちにブログをするのは,良い面と悪い面があります。たしかに,ブログを通して書く習慣を身につけ,上達していく人もいます。

 ただし,上達してくると,書き始めたころの文章が恥ずかしくなって,それを誰もが読める状態にしておくのがイヤになってくるはずです……

 初心者がブログをするデメリットとしては,「不特定の人に読まれるかもしれない」という意識に縛られてしまうことがあります。ブログに書きやすいテーマや見解ばかり書いてしまう。初心者のうちからそういうことをしていると,上達しません(かと言って,不特定の人に読まれて困ることを書いてはいけません)。

 ここで「文章を書こう」というのは,自分の思考を深め,それに形を与えていく練習です。
 練習というのは,みっともないことが多いです。
 だからひとりきりでやるか,内輪でしかみせられないのが普通です。練習を公開することもありますが,それはかなり上手くなってからです。

 ブログを一種の「公開練習」の場にすることはできますが,ある程度書けるようになってから始めることをおすすめします。

 もちろんこれは「書く練習の場」としては,ということです。何かの連絡・広報など,ちがう目的があれば別です。

 「ある程度書ける」の目安のひとつは,「あなたの文章をよろこんでくれる人が,身近にひとりでもいるかどうか」です。ひとりでも読者を獲得できるかどうか,ということです。

(以上)
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2013年09月19日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの47回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところ,「本代にいくらかけるか」「ときには高い本も買う」といった,本の買い方のことを述べています。これも,「読書論」のだいじな要素です。今回もそのつづき。


「いつか読むかも」という本は買っておく。
お金が許すのなら。


 ふつうの,教養や楽しみのための読書だったら,「これから読もう」と思う本を買います。
 でも,もっと深い勉強や,文章を発表するなどのアウトプットを志す場合は,ちがいます。
 
 買うのは,「これから読もう」という本だけではありません。
 「今は読まないけど,いつか読むかもしれない」という本も買うのです。

 私が尊敬する板倉聖宣さんという学者は,「研究テーマに関する本は全部集める」というやり方をします。

 板倉さんは,いつも複数の関心やテーマを持っていますが,そのときどきで集中できるのは,ひとつのテーマに絞られます。あるとき,「A」というテーマで研究していたとします。
 そのとき,「いつか取り組みたい」「面白そうだ」と思っている「B」や「C」に関する本をみつけたら,買っておきます。すぐに読むのではなく,ただ買っておく。

 それを積み重ねると,「A」に取り組んでいる間に「B」や「C」に関する情報も,相当集まっています。
 やがて,「B」に集中するときがきます。そのときには,「B」についての資料は大部分集まっていて,「あとはこれとこれを集めれば全部」というふうになっています。そこで,「あとの足りないもの」を短期間で集中的にさがして集めます。

 そんな達人の域には,なかなか行けません。

 でも,私たちだって,それなりの真似をしたらどうでしょうか。「今読むわけではないけど」という本も買ってみるのです。

 そんなふうに買った本を,数年後に初めて読んで,実にいい本だったことがあります。本はすぐに品切れ・絶版になってしまいます。古書を探しても,すぐにはみつからないことも結構あります。
 
 あのとき買っておいてよかった,と思います。

(以上)
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2013年09月17日 (火) | Edit |
 ちょっと過ぎてしまいましたが,おとといの9月15日は,「リーマン・ショック」からちょうど5年目にあたります。
 あれは2008年のことでした。

 ※リーマン・ショック:米国のリーマン・ブラザーズという巨大投資銀行(証券会社の一種)の経営破たんをきっかけに起こった,株価暴落などの金融危機

 あれから5年。
 今現在の世界全体の株価は,リーマン・ショックの直前を約2割上回る水準なのだそうです(世界全体の株価動向を示すMSCI世界株価指数というものによる)。

 日本の株価も,そのような「世界平均」とほぼ同じレベルで回復しています。(以上,日経新聞9月15日朝刊による)

 5年前の今ごろ,「世界はどうなってしまうんだろう」という不安を,程度の差こそあれ,多くの人が抱いたと思います。私もそのひとりでした。
 
 当時,1929年にはじまった世界大恐慌のことが,しばしばひきあいに出されました。

 ※世界大恐慌:1929年10月24日のニューヨーク市場の株価大暴落をきっかけに広がった,世界的な大不況

 大恐慌以降――1930年代の世界は,混迷をきわめました。
 具体的な経緯は省きますが,結局その混迷は,第二次世界大戦へとつながっていったといっていいでしょう。
 大恐慌は,世界の「破滅」につながったのです。

 そして,アメリカで株価が大恐慌以前の水準に戻ったのは,戦後の1950年代後半のことでした。20数年かかったわけです。(2008年10月30日読売新聞朝刊による)

 1930年代のようなことに,またなってしまうんじゃないか。
 つまり,混迷が長期化して,なんらかの「破滅」へ世界はつき進むのではないか。
 そんな不安を述べる人もいました。

 でも,そうはならかったようです。
 なんでだろう?

 ***

 私の手もとに2008年11月18日の日経新聞のコラム「大機小機」の切り抜きがあります。
 あのころ,私は失業していてヒマでした。それで新聞を丁寧に読んで,切り抜きしたりしていたのです。
 そのころの切り抜きのほとんどは捨ててしまいましたが,このコラムは印象に残っていたので,とってありました。

 コラムのタイトルは 「『30年代』にはならない理由」

 その「理由」はまず,1930年代とちがって,世界の政府の対応が速いから。

 大恐慌のとき,不況対策について世界67か国の代表が集まって議論した「世界経済会議」が開かれたのは,1933年6月のこと。29年10月の株価の暴落から3年8か月も経っています。これは遅い!
 それに対し,リーマン・ショックのときには,2008年11月上旬にはG20の首脳が集まる「金融サミット」が開かれ,危機への対応策が話し合われています。

 また, 「政策対応のスピードの違い」「国際協調」のほかに,ケインズ理論をはじめとする経済学の知見が蓄積されたことも意味がある,といいます。

 金融機関への資本注入やさまざまな金融緩和,景気対策としての公共事業,貿易を縮小させる「保護主義」の排除など,「なすべきこと」を今の政府は知っている。
 
 だから,「30年代」のようにはならないだろう…というわけです。

 で,このコラムの筆者の「手毬」氏という人は,先日9月14日の「大機小機」にも登場して,「前に自分が述べたことは,おおむね正しかった」という意味のことを述べています(「30年代にはならなかったが」)。

 まあ,たしかにそうです。
 その9月14日のコラムをみて,2008年11月の切り抜きのことを思い出したのでした。

 ここで得られる教訓・イメージはなんでしょうか?
 
 おそらく,「いろいろ問題はあるけど,人間はいくらかは進歩している」ということではないでしょうか。
 少なくとも,経済の運営ということにかんしては,1930年代より多少は進歩しているようです。

 もちろん,限界や問題だらけではあります。

 だから,「強欲」がまた力を持って,あやしげなバブルを生むということが,これからもくりかえされるかもしれません。
 「危機を脱した」となると,そういう動きがまた活発化しつつあるのかもしれません。

 そして,「進歩した」ということは,そのなかで発生する問題も「進歩(グレードアップ)」しているのでしょう。

 たとえば財政危機の問題。
 リーマン・ショック以降,現在までに世界の主要国の政府債務は,おおむね大きく増大しました。リーマン・ショック以降の危機に対応するため,さまざまな財政出動を行った結果です。これが今後どうなっていくのか…日本はその問題の「最先端」にいるわけです。

 ***

 でも,こんなふうに「世界はこれからどうなるんだろう」という一方で,「自分はこれからどうなるんだろう?」ということも,考えます。 

 これからまた5年先に,どこで,どんな毎日を送っているのか?
 とくに,仕事は何をしているのか?

 さきほども述べましたが,5年前,私は失業中でした。
 サラリーマンを辞めてある事業を立ち上げたのですが,いろいろあってそこから撤退した直後のことでした。(「独立系投資信託」という,株価にもかかわる金融系の事業です。そのことはまたいつか)

 その後もいろいろあって,今は,新しい仕事で働いています。
 「若い人の職業相談に乗る」という,5年前にはまったく考えていなかった仕事です。

 人間,どうなるかわかりません。

 だから「5年後に,世界は,自分はどうなっているんだろう…」というのは,ほんとうに切実に思うことです。(まあ,「7年後の東京オリンピックのときに…」と考える人も,最近は多いかもしれませんが)

 みなさんは,そのあたり,どうでしょうか?

 今日の帰りの通勤電車では,そんなことを考えていました。

(以上) 
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2013年09月16日 (月) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの46回目。

 「読書論」の話を続けています。
 前回は「本にいくらお金をかけるか」という話をしました。今回はその続きです。本の買い方,本にかんするお金の使い方のこと。これも,「読書論」のだいじな要素だと思っています。


たまには,ちょっと高価な本を買ってみる。

 たまには,少し高価な本を買ってみるといいと思います。
 高価な本をていねいに読むと,「具体的なデータをもとに,自分なりに考える」ことの練習ができます。

 「高価な本」といっても,一部のマニアが集めるような,何十万円もするものではありません。4,5千円とか,せいぜい1,2万円のものです。

 これに対して「安い本」があります。文庫や新書,それと2千円くらいまでの単行本です。

 本に使えるお金が月に1万円あったら,千円の本を10冊買うようなことをしてはもったいないです。
 そういう「安い本」は3~4冊にしておいて,残りは「高価な本」を一冊買うのに使いましょう。

 「本の値打ちは値段では決まらない」ということは,よく言われます。確かに,高くてもいい本とはかぎらないし,安くてもすばらしい本があります。
 
 でも,「高価な本」でないと得られないものもあるのです。

 「高価な本」というのは,細かな具体的データや情報が入っていてかさばるから,高くなるのです。また,専門的で細かなデータを求める人の数はかぎられているので,多少値段を高くしないと採算がとれないということもあります。

 盛り込まれる細かなデータの量のちがいが,「高価な本」と「安い本」のちがいです。
 書いてある結論が高級であったり低級であったりということではありません。

 「安い本」は,結論に力点が置かれていて,データが簡略化されています。一般にはそれで十分だし,そのほうが読みやすいのです。

 でも,他人の結論や主張だけを読んでいたのでは,考える練習にはなりません。
 「考える」というのは,他人が調べたことでもいいから,いろんなデータをもとに自分なりの結論を導き出すということです。

 それには,「高価な本」を読んで,たくさんのデータにあたる必要があります。
 高いレベルをめざすなら,「高価な本」にも手を出さなくてはいけません。

(以上)
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2013年09月15日 (日) | Edit |
 先週読んだ,吉本隆明『僕ならこう考える』青春出版社(1997年,文庫版2000年)に,「独学者の限界」ということが述べられていました。
 「偉大な独学者」のことを,このブログでは何人も紹介しています。たとえばフランクリン,イームズ,ル・コルビュジエ…

 関連カテゴリ・記事:フランクリン  イームズ  ル・コルビュジエ略伝 

 吉本隆明(1924~2012)は,ご存じの方も多いと思いますが,戦後日本を代表する著名な評論家です。
 その吉本さんが若い人向けに書いた(語り下ろした)人生論。十数年前に読んだけど,だいぶ前に処分してしまって,最近古本屋でみかけてまた買いました。

 吉本さんはこう述べています。

《僕は学業としては,大学を出たほうがいいと思うんです。なぜかというと,ほんとは誰も遊ばせてくれない生涯の時期に遊んじゃっている経験をもったかもたないかは,ものすごくその人にはばをもたせ,心のゆとりを与えるからです。》

《独学者でも偉大な人,よくできた人はたくさんいます。知っている人で例えば三浦つとむなどそうです。…三浦さんていう人は東京府立工芸学校[注:ほぼ高校程度]…を出た人で,哲学を独学でやった人なんですね。いい仕事をしてるし,大変な人だと思います。…教わったことは多いんですが,独学者だから,遊ぶっていうことをわからないところがありました。遊ぶっていうことのもっている一種のゆとりというか,悪さなんですが,それを知らないんです。…それが三浦さんの考え方を…狭くしていたような気がします。》
 
《大学なんか遊んでもカンニングしてもいいからとにかく出たほうがいいというのが僕の考えです。…なぜかというと,いい歳をして遊べるから。…いい歳をして遊んだという時期を持っているかいないかで,ものすごく人生が違っちゃいます。
 独学で偉い人ってたくさんいるけれども,どこかに弱点があるとすればそれですね。》(以上20~22ページ)

 三浦つとむ(1911~1989)は,戦後の昭和に活躍した哲学者。家が貧しかったため,大学などへは行かずに,独学で著名な知識人になった人です。吉本さんとも親交がありました。私の尊敬する学者の1人で,このブログでもとりあげています。

 関連記事:三浦つとむとエリック・ホッファー

 三浦つとむという人に,吉本さんの言うような「きまじめさ」があったというのは,私も別の人から聞いたことがあります。やはり三浦つとむを直接知る,ある学者(今80代の方)からです。その人も,「あのきまじめさは,大学で遊んだことのある人間とはちがう」と言っていました。

 ***

 「遊びやゆとりを知らないのが,独学者の限界だ」

 吉本隆明によれば,そういうことだそうです。
 これは,私は半分賛成で,半分反対です。

 「遊びやゆとり」を知っていることは,何かの文化的な活動をするうえで重要です。学問,芸術って,もともと遊びなんですから。
 だから,それを知らないのは,たしかに「弱点」かもしれない。

 そして,生活の苦労をしながら学んだ独学者が,苦労人ゆえに「遊び」の心を知らない,むしろそれを忌み嫌う傾向がある,というのもある程度はいえるでしょう。

 しかし,それは「ある程度」なのではないか。
 とくに,最近の世の中は,三浦つとむのころとはだいぶ変わっているよう思います。

 つまり,だいぶ豊かになったということ。

 何かの事情で「独学」となった人でも,三浦つとむの若いころからみれば,相当な暮らしの余裕があります。

 フリーターの若者が,海外旅行に行くことも可能です。書物や情報の値段も安くなりました(タダのものも多い)。いろんなものに触れて「遊ぶ」というかんじを,今は多くの人が知るようになったのではないでしょうか。

 たしかに,大学などに行かず「独学」するのは,「遊び・ゆとり」を知るうえでは,やや不利かもしれません。
 でも,決定的ではない。
 「遊びを知っていたほうがいい」ということを自覚さえしていたら,相当カバーできるのではないか。

 つまり,意識して「遊ぶ」機会・時間をつくり,たのしむ。
 今の社会の経済的な豊かさなら,それが可能だと思います。いろいろ努力や工夫は要るでしょうが。

 ***

 私には,「苦労人」だけど「遊び心」も知っている,という独学者が何人か浮かんできます。

 たとえば1700年代に生きた,ベンジャミン・フランクリン(1706~1790)。彼は,家の事情で小学校(レベルの学校)を途中でやめてから,学校に行っていません。それ以来ずっと働きながら独学を続けました。
 そして,商才のあった彼は実業家として成功しました。すると,40代で事業から手をひき,科学の研究に没頭するようになったのです。科学研究というのは,彼にとっては「道楽」「遊び」です。そして,その「道楽」をきわめて,世界的な科学者にまでなりました。

 アメリカ独立革命に参加したときも,重要な使命を帯びて乗った船のなかで,フランクリンはちょっとした科学実験をしたりして遊んでいます。

 20世紀後半に活躍した建築家・デザイナーのチャールズ・イームズ(1907~1978)も,「遊び心」を知る独学者です。
 彼は,中退していますが一応大学には行っています。しかし,高校は働きながら通いました。それなりの苦労人です。

 しかし彼は弟子たちには,つねに「遊び」の大切さを説いていました。
 「真剣に遊べ」と。

 たとえば,彼はスーパーボールやコマなどの「おもちゃ」で,遊ぶのが好きでした。今ではめずらしくないですが,彼の時代(数十年前)には,いい大人がそんなことをするのはヘンでした。おもちゃに限らず,彼は自分のスタジオで,いろんな遊びに没頭していたといいます。

 駆け出しのころは,妻子を置いて,1人で何か月も海外を放浪する,などということもありました。

 そんな彼が打ち出したデザインやコンセプトは,生活を彩る現代的な「遊び心」の先駆けになっているのです。

 ***
  
 大学に行かなかったから,独学だから「遊びを知らない・狭い」人間になる,なんてことはないのです。たしかに独学には不利な面はありますが,そこはやり方しだいで,なんとかなるのです。

 「遊び・ゆとりの大切さ」や「独学者の弱点」という視点をもっていれば,それはできるはずです。

 ただし,それを「知って」いないといけない。
 どんなかたちであれ,「知る」「学ぶ」ということは,やはりだいじだということも,あらためて思います。

(以上) 
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2013年09月15日 (日) | Edit |
 あさって9月17日は,明治の文人・正岡子規の生まれた日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


正岡子規(まさおか・しき)

今も続く「楽しみの輪」

 正岡子規(1867~1902)は,俳句や短歌を革新する運動を行い,近代的な日本語文の成立にも貢献した明治の文人です。
 これらの仕事を,彼は自分のサークルをつくって仲間とともに行いました。子規はワクワクすることを提案し,人をまきこむ名人でした。
 文学だけではありません。学生時代には,野球を楽しむ集まりを,日本ではじめて主宰したりもしています。
 彼は,結核のため35歳で亡くなりました。
 30歳ころからは,病気で家にこもりきりの生活です。
 それでも,彼の家には頻繁に人が訪れ,句会などが催されました。また,病床から新聞や雑誌に文章を発表し,賛同者を全国に増やしていきました。
 そして子規の死後,彼の仲間たちは,文芸の世界でそれぞれに活躍していったのでした。
 現代の俳句や短歌の愛好者たちは,100年以上前に子規が立ちあげた「楽しみの輪」の中で今も活動している,といえるのでしょう。すごい主催者です。

坪内稔典著『正岡子規の〈楽しむ力〉』(NHK出版生活人新書,2009)に教わった。

【正岡子規】
明治の文人。〈柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺〉の人。俳句と短歌を革新し,新時代の文芸として再生した。『病牀六尺』などに収められた随筆は,近代的日本語文の成立にも影響を与えた。
1867年(慶応三)9月17日生まれ 1902年(明治35)9月19日没

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
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(以上)
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2013年09月14日 (土) | Edit |
 東京・多摩からターミナル駅まで,片道約50分の電車通勤。
 あえて,やや空いている各駅停車に乗ります。
 そこでの読書は,毎日のたのしみです。
 この3~4週間で読んだ本で,印象深かったものをご紹介します。

 関連記事:通勤電車の立ち読み書斎

●馬場マコト『花森安治の青春』白水社,2011

花森安治の青春花森安治の青春
(2011/09/16)
馬場 マコト

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 雑誌『暮らしの手帖』を創った編集者・花森安治の伝記。

 花森の少年時代から,戦後間もなく(1948年)『暮らしの手帖』を創刊し,軌道に乗せるまでを描いています。花森については,酒井寛『花森安治の仕事』などもありますが,青年期に焦点をあてているのがこの本です。

 花森は太平洋戦争のころ,「大政翼賛会」という,戦争のための国家的組織の宣伝部で,メインのプロデューサーとして働きました。

 それを「戦争協力」として非難する向きもあります。
 ことさら弁護するつもりはありませんが,この本を読んでいて,「とにかくこの人は,置かれた状況で精いっぱい生きようとしたんだ」と感じました。

 花森や彼がスカウトした人材が入ってくるまで,大政翼賛会の宣伝は低レベルなものでした。また,組織全体としても,偉そうにするばかりで,ロクに仕事をしないのがあたりまえの状態。

 そのなかで,花森たちだけが,せっせと「創造的な,いい仕事」をしていた。
 そうせずにはいらなれなかった,という感じがします。
 ただ,それは「戦争」という忌まわしい目的に奉仕するものだった。

 終戦直後の1945年の暮れに,34歳の花森は,大橋鎮子(当時25歳)と,出版社を立ち上げます。大橋は,当時花森が仕事をしていた小さな新聞社の社員でした。大橋が社長で,花森が編集長。そして,3年ほど後に『暮らしの手帖』が生まれます。

 若い2人は,焼け跡のなかで,まさに精いっぱい生きようとしたのです。そして今度は,権力におしつけられた課題でなく,自分でえらんだ「目的」や「価値」にむかっていったわけです…


●小林登志子『シュメル――人類最古の文明』中公新書,2005

シュメル―人類最古の文明 (中公新書)シュメル―人類最古の文明 (中公新書)
(2005/10)
小林 登志子

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 8月に「1万文字の世界史」というシリーズをこのブログでアップしました。その関連で手にして,再読。
 「シュメル人」は,今から5500年ほど前に「最古の文明」を築いた人びと。

 この本の冒頭に,シュメルの「大洪水伝説」がでてきます。

 大洪水で世界が壊滅したあと,「巨大な船」に乗って生き残った人たちが,ふたたび文明を再建しはじめる…

 旧約聖書の「ノアの方舟」も,このあたりがルーツなのでしょう。

 私たちの国は,つい2年前に「大洪水」を経験しました。今も再建の途中です。
 5000年前も今も,同じようなことを,「文明社会」は背負っているのだな…


●青木正夫・岡俊江・鈴木義弘『中廊下の住宅』住まいの図書館出版局,2009

中廊下の住宅―明治大正昭和の暮らしを間取りに読む (住まい学大系)中廊下の住宅―明治大正昭和の暮らしを間取りに読む (住まい学大系)
(2009/03/01)
青木 正夫、鈴木 義弘 他

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 「中廊下住宅」というのは,明治のおわりから昭和にかけて,中流家庭の住宅の間取りとして一般的だったもの。 玄関から廊下がのびていて,そこに沿ってふすまなどで仕切られたいくつかの部屋が配置されている…
 
 「ウチの実家は,そうだった」という人は,大勢いるはずです。
 その間取りの形成史を,綿密な調査に基づいて,明らかにした本。
 
 この本によれば,「中廊下住宅」は,大衆(生活者)が生み出した間取りであって,建築家が主導したものではない。

 「接客」をなにより大事にする,江戸時代以来の間取りをもとにして,ふつうの人たちが試行錯誤しながら発展させたもの。「接客中心」を残しながら,近代の新しい暮らしと折り合いをつけるなかで,生まれた。

 ここでいう「接客」は,上下関係をともなうような,あらたまった接客です。封建的な社会では,それがすごく大事だった。

 今どきの住宅では,「接客空間」は省略され,「居間(リビングルーム)」が中心の間取りとなっています。
 団地の間取りも,リビングルーム中心かどうかは別にして,接客専用の部屋というのは,ありません(狭くて無理)。

 でも,この本によれば「接客中心」から「居間中心」へという変化は,じつはそれほど進んでいないのだそうです。日本の住宅は,今現在大きな変革期にある。

 「団地リノベ」をテーマ(のひとつ)とする,このブログとも大きくかかわる内容です。この本のことは,またとりあげます。


●トム・ピーターズ『エクセレントな仕事人になれ!』阪急コミュニケーションズ,2011
●大前研一『稼ぐ力 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方』小学館,2013


エクセレントな仕事人になれ! 「抜群力」を発揮する自分づくりのためのヒント163エクセレントな仕事人になれ! 「抜群力」を発揮する自分づくりのためのヒント163
(2011/09/29)
トム・ピーターズ

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稼ぐ力: 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方稼ぐ力: 「仕事がなくなる」時代の新しい働き方
(2013/09/05)
大前 研一

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 ビジネス書の巨匠2人の本を,おとといから昨日にかけて読みました。
 トム・ピーターズは,若い人はご存じないのでは? 80~90年代に一世を風靡した経営論の人。
 この10年くらい本は出していなかったそうです。しかし,ここ数年で書いていたブログの記事をもとに,本書をまとめました。

 どちらの本も,「きびしい時代だから,がんばって勉強して,頭を使いながら,がんばって働こう」と言っています。
 ひどい要約で,すいません…

 個別的な内容は置いときます。
 とにかく,2人の熟年の元気さが印象的です。
 
 トム・ピーターズ(1942~)も大前研一(1943~)も,年齢はほぼ70才。
 そんな人たちが,今どきの産業・ビジネスについて,さまざまな事例や情報をもとに生き生きと論じているのです。本当の「最先端」の人からみれば「ジジイ」なのかもしれません。でも,70になっても貪欲に新しい知識を求め,考え,発信していこうとしているのは,たしかです。
 やっぱりすごいです。

 ただ,大前さんの本を読むと「英語は必須だ」とくりかえし強調されているので,耳が痛い。
 私は40代のおわりですが,とうとう英語がモノにならないで終わりそう…

 その点,トム・ピーターズの本は「英語を勉強しろ」とはとくに書いてないので,気持ちよく励まされます……でも,アメリカ人だからあたりまえか(苦笑)……昨日の朝は,そんなことを考えながら,駅から職場まで歩きました。

(以上)
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テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月13日 (金) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの45回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところは,本を読むうえでの「スタイル」について述べてきました。どこで,どんなふうに読むか,どんなふうに本をさがすか,といったこと。
 今回は,また少しちがう切り口で。「本にかけるお金」のこと。


「本代にいくらかけよう」とは言えない。でも……

 「本代にいくら使えばいいか」と聞かれても,具体的に答えるのはむずかしいです。人によって,生活の事情というものがあるからです。

 でも,「住むところや洋服やクルマにお金をかけてしまうようではちょっと……」ということは言えます。ここで「お金をかける」というのは,「その人の収入からみて,平均以上にお金を使っている」ということです。

 たとえば,二十代のふつうのサラリーマンが,背伸びして自分の年収ほどもするクルマを買ったりしたら,もう本を買うお金は残っていないでしょう。
 クルマが好き,クルマで出かけるのが好き,それでほかに関心事もない,というのならいいのです。でも,知的な世界の追求に関心があるのなら,クルマにお金をかけているようでは,たいした上達は望めないでしょう。

 本を読むのもドライブも,どちらも好きだというのなら,安いクルマはいくらでもあります。何百万円のクルマを買うかわりに,何十万円や何万円のクルマを買えばいいのです。それで楽しいドライブをしましょう。残るお金を本につぎ込んだら,相当買えます。

 もっとも今の時代は,「ぜいたく品にお金をかけて,本を買わない」という人は減っていると思います。
 それより,「とにかくお金を使わない,だから本も買わない」というほうが多いでしょう。「本を買うお金があったら,今は貯金だ」という若い人は,少なくないと思います。
 
 でも,勉強したい気持ちがあるのなら,何とかやりくりして,できる範囲で本を買ってください。若いときに本を買わないで過ごしてしまうのは,あまりにもったいないです。

 「将来,もう少し給料が増えたら,本を買おう」などと考えてはいけません。

 若いころに使った1万円の本代は,歳をとってからの5万円,10万円に匹敵する値打ちがあります。
 子どものとき,お年玉でもらった1万円は,使いでがありました。それと同じです。

 若いときほど,少ない費用で多くのものを得ることができます。
 若いときに本代をつぎ込むほうが効率がいいのです。

 「収入からみて,かなり本にお金をかけている」というのが,望ましい状態です。
 でも生活の事情で,どうしても本を買う余裕なんてない,という人もいるでしょう。
 そういう人は,図書館を使うのです。図書館は,使う気さえあればいろいろ使えます。お金がない本好きの味方になってくれます。

 関連記事:近所の図書館

(以上,つづく)
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テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月12日 (木) | Edit |
ホテルの小さな図書室
 
 写真は,最近泊まったリゾートホテルにあった,図書室。
 屋根裏的なスペースにしつらえてあります。

 空間としては悪くないのですが,残念なのは並んでいる蔵書。
 要らなくなった本が「捨ててある」かんじが否めない。

 今はあまり読む人のいない,ふた昔前の流行作家の本や,なつかしい健康体操の本とかが,あるわけです。

 病院や集会所などの公共施設にも,ちょっとした「文庫」「図書室」が設けられていることがあります。でも,私の知るかぎり,いつも「捨てられた本」が並んでいるだけ。

 せっかくなら,もう少し「読まれる本」を並べることはできないものか。

 「高尚」な古典とか,しゃれた洋書とか,最新のベストセラーを多く並べようというのではありません。

 それよりむしろ,軽いかんじのハウ・ツー本,子ども向けのライトノベルやマンガなどがたくさんあっていいと思います。図鑑のような,ビジュアル系の本もいい。

 でも,そのなかで,定評のあるもの,「定番」的なものを選んでそろえられないものでしょうか。
 そして,「定番」というからには,「最新」よりはちょっと古いものがいい。
 本の数も「量より質」で,まずは何百冊かあれば十分。いや,「何十冊」だっていい。

 たとえば,写真のホテルの図書室には,ゴルフの練習本が何冊かありました。宿泊者が置いていったのでしょう。でもその分野できっと「定番」とか「とくによく読まれている」という本があるはずです。そういうのを置けたらいいと思います。

 そんな「良くセレクトされた」蔵書の並ぶ,小さなみんなの図書室。
 ウチの団地にあったら,いいな…

 あるいは,ウチでできないだろうか。
 (日時限定のオープンハウス方式になりますが)

 予算と人手と知恵が必要だけど,工夫すればなんとかなるのでは…

 たいていの「小さな図書室」の蔵書は,「みんなの本を持ち寄って…」というやり方で集めたものです。これでは,まずいい本は集まりません。図書室が「要らない本の捨て場所」になるだけ。
 やっぱり,予算を使って「これは」という本を買っていかないと。
 そして,「何を買うか」を仕切る「司書」のような人材も必要です。

 でも,これは本好きの妄想だろうなあ。

 そんな「図書室」があったところで,誰も使わないかな…立派な公共図書館だって近所にあるわけだし。
 その図書館ですら,最近は利用率が下がっているのですから。
 でもだからこそ,もっと身近なごく近所(歩いて2~3分以内)に,小さな図書室があればいいのかもしれません。

 まあ,とにかくこれは妄想です。無責任な,具体性もなにもない話。
 本棚に囲まれた真夜中の書斎で,ぼんやり考えたこと。もう寝ます。

(以上) 
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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
2013年09月10日 (火) | Edit |
 いつも,長い記事ばかりなので,たまには短かい「雑談」を。「与太話」といってもいいです。
 反響を伺いつつ,シリーズにするかも。
 ツイッターでやるのがふつうかもしれませんが,私はブログで。

 ***

 今度の東京オリンピックの公式キャラクターは,どうするんでしょうか?

 招致のプレゼンで,過去の遺産を活用し,コンパクトでスマートなオリンピックを行う,みたいなことを言っていました。代々木の体育館(by丹下健三)とか,また使うのだそうです。たしかにああいうすばらしい建築の遺産は,ぜひ活用すべきだと思います。

 キャラクターも,それでいけばいいのでは?

 つまり,ドラえもんとかキティちゃんとかアンパンマンを,東京五輪の公式キャラにしてしまう。

 ヘンテコな新キャラをつくるより,日本が誇る世界的な「遺産」を活用すべきでは?
 もちろん,権利者には無償で,オリンピックのために提供しいただくのです…。

 ***

 今日の昼休み,職場近くのカフェで,30代のサラリーマン3人組が,「半沢直樹,視聴率30%超えたそうだ」などと話をしていました。3人ともこのドラマをみているらしい。

 私も,あれを3~4回みたことがあります。
 筋の通った中堅サラリーマンが,理不尽で卑怯な上司を叩きのめす。
 これは,すっきりしますね。

 このときの3人組の会話でも,「前回の話だと,まだすっきりしてないよね」というふうに,「すっきり」という言葉が出てきました。

 数千万人のサラリーマンの「すっきり」のツボをさぐり当てたのが,このドラマなんだと思います。

 で,主人公に叩きのめされる上司や同僚のおもなところは,だいたいバブル入社世代(50歳前後)。
 この世代が,今どきの「チャラチャラとズルい感じ」のサラリーマンを象徴しているらしい。
 オレもこの世代だ。残念。

 ***
 
 街角で見かけた,小学校3~4年生くらいの女の子2人。

 1人が「そらーにーあこがれてー」と,ジブリ映画『風立ちぬ』の例の主題歌を歌っている。

 もう1人の子が,

 「それ,ゆーみんっていうおばさんが歌ってるんだって」

 「おとうさんは,このおばさんの歌を,よくクルマできいてるんだよ」

 そういって,いっしょに歌いだしました。

 彼女を知らない子どもたちまでがその歌を口ずさみ,「誰の歌か」を話題にしてしまう。
 それだけ印象に残るということです。
 それも,ほとんど「孫」といっていいような子どもたち。

 ユーミンは,偉大ですね。

(以上)
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テーマ:思うこと
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2013年09月10日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの44回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところは,本を読むうえでの「スタイル」について述べてきました。どこで,どんなふうに読むか,ということです。
 今回はそこから派生して,「本を探し,選ぶうえでのスタイルやツール」の話,といったらいいでしょうか。

 ところで,やや時間が経ってしまったのですが,この「勉強法」のシリーズを,先日あるブログでたいへん好意的に紹介していただきました。たきやん。さんの たきやん。のBurning Heart(2013年8月26日)で,このブログについて,こう述べられていたのです。

《一連の世界史の記事は本当に楽しみながら読ませていただいていますが,それ以上に自分が推したいカテゴリは『自分で考えるための勉強法』です。
 このカテゴリを読めば,世に出ている勉強法の本は1冊も必要ない,と私は考えています。》


 たきやん。さんのブログとは,お互いにリンクを貼らせていただいていて,いろいろ刺激を受けています。
 しかし,おつきあいはブログの場だけで,お会いしたことはありません。
 「書いたもの」だけを通じて,このように高く評価してくださったことを,ありがたくうれしく思います。「自分の書いた言葉が届いている」というよろこび。とにかく,ありがとうございます。 


専用の手帳に「読みたい本」をメモしておく。

 私は,「読みたい本」をメモするための小さな薄い手帳を持ち歩いています。

 新聞・雑誌の書評に載っていた本
 読んだ本の中で紹介されていた本
 書店や図書館でみかけて「いつか読もう」と思った本
 出版社別や分野別の出版目録で「これは」と思った本

 などをそこにメモしておきます(出版目録は,大きな書店でときどき山積みになっていて,タダでもらえます)。

 ここ数年は,インターネット書店で検索して,気になった本をメモすることも増えました。
 たとえば書評で知った本を検索すると,その関連図書も表示されます。
 それを見ていると,「こんな本もあったのか」という発見が時々あるのです。インターネット書店は,本と出会う手段のひとつとして,役立ちます。

 メモ帳には,順番につぎの項目を書きます。
 これらの事項は,「本を扱う上での基本情報」です。

・記述日(いつメモしたか),重要性のランク(A~C)
・著者名,書名,出版社,出版年,価格
・備考(必要に応じて書く。内容を示すキーワードや,書評の紙誌名と発行日付,所蔵図書館,記載の目録名など)

 書評などでみかけた本を,スケジュール帳などにメモする人がいますが,「専用の手帳に書く」というのがポイントです。
 そのことによって,蓄積ができていきます。自分にとっての本のデータベースをつくるのです。スケジュール帳では,翌年になったら使わなくなってしまいます。

 私はこの方法を,学生時代に評論家・呉智英さん(1946~)の『読書家の新技術』(情報センター出版局 1982,のちに朝日文庫 1987)という本で知りました。細かいところは,私なりにアレンジしています。

 当時,たまたま手に取ったその本をみると,著者の呉さんは大学の先生でもマスコミ出身でもない若手で,会社勤めの経験があり,独学で評論活動をするようになった,とあります。知識人としてエリートコースの人ではないようです。
 「それでも,こんなふうに自分の主張を本にできるんだ」――そこにひかれて,読み始めました。

 そして,この本に書いてあるいくつかのノウハウ――読んだ本についてポイントを記録する「読書カード」など――を実行してみたり,推薦する本を読んでみたりしました。

 でもやがて読書カードはやめてしまい,推薦図書も,自分の志向とはちがうとわかってきて,読まなくなりました。

 しかし若い私は,この本から「制約の多い中でも,工夫して勉強していこう」というメッセージを感じて,勇気づけられたと思います。読書法の具体的なこともいろいろ教わりました。中でも,「探書手帳」は今も続いているわけです。

(以上)
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2013年09月09日 (月) | Edit |
 今日9月9日は,「ケンタッキーフライドチキン」の創業者カーネル・サンダースの生まれた日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を,400文字程度で紹介するシリーズ。


カーネル・サンダース

65歳の再出発

 「65歳の自分に,やり直すことができるだろうか……」
 1950年代なかば,アメリカの田舎町でのこと。経営不振になった自分の飲食店を売り払った,カーネル・サンダース(1890~1980 アメリカ)という男がいました。店の近くに高速道路ができて人の流れが変わり,お客が減ってしまったのです。
 彼の手元には,税金と未払いの代金を支払うと,ほとんどお金は残っていません。
 しかし,彼はあきらめませんでした。
 「そうだ,自分の店で評判だった特製フライドチキンのつくり方をいろいろなレストランに教えて,その売り上げの一部を報酬として受け取る,というのはどうだろう」――これは,「フランチャイズ」というしくみです。
 彼は,チキンを揚げる圧力釜と調味料をクルマにつめ込み,旅に出ました。全米のレストランを回ってセールスです。
 節約のため,車内に泊り込むこともあった旅。
 世界的なフランチャイズ・チェーン「ケンタッキーフライドチキン」は,そこからはじまったのです。

藤本隆一著『65歳から世界的企業を興した伝説の男 カーネル・サンダース』(産能大学出版部 1998)による。

【カーネル・サンダース】
ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者。創業8年目の1964年には店舗が600を超えるまでに成功し,事業を売却。その後も会社に関わり,KFCの顔として世界を回った。「カーネル」は称号・愛称。
1890年9月9日生まれ 1980年12月16日没

                        *

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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2013年09月08日 (日) | Edit |
 ご存じのとおり,2020年のオリンピック開催地が,東京に決まりました。

 候補地として争った,東京,マドリード(スペイン),イスタンブール(トルコ)。

 これらの都市がある国の世界史的な「立ち位置」には,共通性があります。

 それは,この200年ほど世界史の「中心」であった欧米先進国に近い,「周辺」にあるということ。
 「中心」のすぐ近くの「周辺」。
 「準中心」といってもいいような位置。
 
 そして,それぞれの意味において「新興国」である,ということ。


 日本は,前回の記事でも述べたように,アメリカ(アメリカ合衆国)と太平洋を挟んで「となり」にあります。そして,アメリカの影響を強く受けながら,近代化や経済発展をしてきました。

 高度成長の結果,欧米と肩を並べる先進国となったのは,1970年代。
 前回の東京オリンピック(1964年)は,急速な成長の真っ只中でした。

 日本が「先進国」「経済大国」となって,40年くらい経ちます。かなり経ったようにも思えますが,世界史の大きな時間の流れでみれば,この数十年の,つい最近のこと。

 その意味で世界史的には,日本は「新興国」なのです。


 ここで「新興国」とは,「欧米の先進国以外で,それに迫るレベルに発展してきた(発展しつつある)国」ということです。
 日本は,世界のなかで,そのはしりといえます。
 そして,「最も成功した新興国」ともいえるでしょう。

 そして,「新興国」のなかの「古株」なだけに,最近は勢いがおとろえてきました。
 「勢いがあったころの夢よもう一度」という気分が,オリンピック招致をすすめた人たちにはあったでしょう。

                       *

 マドリードのあるスペインもまた,「新興国」の一種です。

 西ヨーロッパのスペインを「新興国」というと,違和感があるかもしれません。
 たしかに,「大航海時代」(おもに1500~1600年代)のスペインは,ヨーロッパの「近代」を切り開いた,最先端の国でした。

 しかし,その後のヨーロッパの発展,とくに産業革命(1800年ころ)以後の技術や産業の進歩には,かなりとり残されました。西ヨーロッパの中心は,オランダ,イギリス,ドイツなどの北部のほうへシフトしていきました。

 そして1900年代になっても,ほかの西ヨーロッパ諸国の「民主主義」とは異なる,独裁的な政治体制が長く続きました。それがおわって,スペインが現在の「民主的」といえる体制になったのは,1970年代のこと。それ以降,経済発展も動き出しました。

 その意味で,スペインもまた「新興国」なのです。


 1992年のバルセロナオリンピックは,「生まれ変わったスペイン」を象徴する祭典でした。1964年の東京オリンピックが,「敗戦からよみがえったニッポン」の祭典だったのと,似たところがあります。
 
 そして,スペインの経済は,ここ数年ひどい不景気で混乱しています。招致にかかわる人たちに「バルセロナの夢よもう一度」的な気持ちはあったはずです。

                        *

 そして,トルコのイスタンブール。

 トルコが「新興国」であるというイメージは,かなり一般的と思います。

 しかし,トルコには「古くから栄えた文明国」という面もあります。

 大航海時代にスペインが繁栄していた時代,それをも上回る超大国として栄えていたのは,オスマン・トルコという,イスラムの帝国でした。
 しかし,欧米諸国が台頭して以降,イスラムは衰退していきました。
 1900年代初頭までに,オスマン・トルコ帝国は崩壊し,今のトルコ共和国が建国されました。

 その後,ある程度の発展は続いていたのですが,この20年ほどで,かつてない急速な経済の成長・発展がおこりました。

 今のトルコは,イスラム世界のなかで,最も先進国に近いレベルまで発展しています。

 そこには,西ヨーロッパ諸国に隣接し,さまざまな交流を通じてヨーロッパの影響を受けてきた,ということがあるでしょう。

 数百年以上前のヨーロッパ人は,隣接するイスラムの人びとから,さまざまな技術や文化を学んで発展しました。
 今の世界では,トルコの人たちが隣接するヨーロッパとの交流を通じて,急速に発展している。かつてとは逆方向で「文明」が伝わっているのです。


 ニュースで,今回のIOC総会でのイスタンブールのプレゼンを少しみました。
 近代的な建築物やインフラの様子を示す映像。
 今のトルコが「先進国」の一歩手前まで来ている,というのを感じます。
 
 「アジアとヨーロッパの架け橋」というメッセージにも,リアリティがあります。
 トルコは,ヨーロッパでおこった産業革命を,イスラム世界ではじめて本格的に消化し,「近代化」に成功しつつある国なのですから。

 イスタンブールでの開催というのは,今後(2024以降)十分あり得るのではないでしょうか。

 世界の勢力分布が大きく変わってきたことを,今回の「オリンピック招致」ではあらためて感じました。

(以上) 
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2013年09月08日 (日) | Edit |
(まえおき)
 このブログでは,「となり・となりの世界史」というシリーズを続けています。
 世界史を「繁栄の中心の移りかわり」という視点で見渡していく,というものです。
 
 世界史には,それぞれの時代に「世界の繁栄の中心」といえるような地域や国があります。

 文明のはじまりの時代には,メソポタミア(今のイラク)とその周辺の「西アジア」が,文明の最も進んだ「中心」でした。その後,ギリシアやローマがおおいに繁栄した時代もあります。さらに「イスラムの時代」といえる時期もありました。
 そして,200~300年前にはヨーロッパ諸国が台頭して圧倒的になり,1900年代以降は「アメリカの時代」になりました。

 そして,このような「中心の移りかわり」には,「新しい中心は,それまでの中心の周辺の,比較的近い場所で生まれる」という法則性があります。

 「比較的近い場所」すなわち「となり」です。

 世界史における「繁栄の中心の移動」は,「となり」へ移っていく,ということがくりかえされてきました。「となり・となり」と移動がくりかえされてきたのです。

 今回は,近現代の「となり・となり」について述べます。 


となり・となりの世界史15

「となり」の欧米,アメリカ


日本に最も影響をあたえた欧米の国は?

 現代の世界をみるうえでも,「となり・となり」という視点は,やはりカギになります。
 現代の世界でも,「となり・となりの法則」は成り立っているのです。つまり,従来の「中心」の周辺に,新しく繁栄する国が出てくるということが,おこっています。

 たとえば,日本の繁栄がそうです。

 日本の発展の歴史には,「〈となり〉の欧米」であるアメリカが大きく影響しています。
 また,日本の繁栄は,「となり」にある中国,韓国などの経済成長に影響をあたえています。

 日本が世界の「繁栄の中心」のひとつになったのは,1900年代なかば以降のことです。

 くわしくいうと,1950~60年代にあった「高度経済成長」という急速な発展のあとの,1970年代からです。それ以降,日本は欧米の先進国と肩を並べる「経済大国」になったといえるでしょう。
 そしてそれは,明治維新(1868年)以来,「欧米諸国に追いつこう」として近代化をすすめてきた成果です。

 ではその「欧米諸国」のなかで,日本に対しとくに影響の大きかった国をあげるとすれば,どこでしょうか?

 それは,アメリカ(アメリカ合衆国)ではないでしょうか。


 その影響の「良し・悪し」ということは,とりあえずおいといて,ほかの国と比較しての「影響の大きさ」ということで考えることにします。すると,やはりアメリカではないでしょうか。
 
 アメリカは,じつは日本にとって最も近くにある,「となり」の欧米です。
 アメリカは,日本からみて太平洋をはさんだ向こう側にあるのです。ヨーロッパよりもずっと近いです。


 そもそも,日本が近代化への第一歩をふみだすきっかけは,幕末(1853年)にアメリカの4隻の軍艦=「黒船」がやってきて,外交関係を結ぶ「開国」をせまったことでした。
 当時の日本は,200年あまりのあいだ,欧米諸国とのつきあいを絶つ「鎖国」政策を続けていました(オランダだけは例外として関係を持っていました)。
 
 その後,徳川幕府が最初に外交の条約を結んだ欧米諸国は,アメリカです。

 また、幕府は1860年に,西洋型軍艦・咸臨丸(かんりんまる)でアメリカに使節を派遣しました。これは,鎖国をやめて以後はじめての外交使節団だったのです。咸臨丸には,勝海舟や若き日の福沢諭吉といった人たちが乗っていました。


アメリカの影響

 それから,あまり知られていませんが,明治初期には,日本人の留学先のトップはアメリカでした。アメリカに熱心に学ぼうとしていたのです。

 アメリカ文化の研究者・亀井俊介さんが引用する統計によれば,《明治元年から七年まで……五五〇人中二〇九人……の留学生がアメリカに行っており,二位のイギリスを断然引き離していた。》といいます。(亀井俊介編・解説『アメリカ古典文庫23 日本人のアメリカ論』研究社)

 そして,第二次世界大戦(1938~45)では,日米の全面戦争がありました。その結果,日本が完敗して6年間にわたりアメリカに占領されました。そして,アメリカの占領軍の主導で,さまざまな政策・改革が行われました。

 占領の時代がおわったあとも,アメリカは,日本に大きな影響を与えつづけました。

 音楽・映画・ファッションは,いうまでもありません。外交などの政治もそうです。自動車や家電の産業も,アメリカの模倣からはじまりました。スーパーマーケットもコンビニも,アメリカにあったものを日本に持ってきたのです。
 
 このようにアメリカの影響が大きかったのは,ひとつには1900年代が「アメリカの時代」だった,ということがあります。アメリカは,日本だけでなく世界じゅうの国に影響をあたえてきました。

 しかし,それだけではありません。さきほど述べたように,日本からみれば,アメリカは「最も近くにある欧米」です。
 日本とアメリカ(西海岸)は,太平洋をはさんで「となり」どうしの関係にあります。
 これは,イギリスとアメリカ(東海岸)が大西洋をはさんで「となり」どうしであるのと,同じようなことです。これにたいし,日本からみてヨーロッパは,はるかに遠いところにあります。とくに飛行機以前の時代には,そうでした。

 アメリカという,「となり」の中心的な大国から影響を受けた日本。

 このように,日本の繁栄についても,「従来の中心の近くから,新しい中心が生まれる」という「となり・となりの法則」が成り立っています。文明が「アメリカ→日本」というかたちで伝わっています。


ヨーロッパの影響も大きい

 もちろん,ヨーロッパも日本に大きな影響をあたえました。とくに1800年代は,イギリスが「世界の中心」といえるほどに繁栄した時代ですので,当然その影響が大きかったです(明治維新:1868年)。
 そして,ドイツにも大きな影響を受けました。

 日本人の留学先は,明治後半からはヨーロッパにシフトしていきます。

 先ほどの亀井さんの著作からまた引用すると,《明治二〇年代から,……外国のモデルとしてはヨーロッパ,特に新興帝国であるドイツが,政治および文化のあらゆる面で重んじられるようになった。逆にアメリカは,その共和制度や自由思想のゆえに危険視され,文化的にも軽視されるようになった》のです。

 そして,明治20~30年代には,留学先のトップはドイツとなり,次がイギリスで,アメリカは4番手になりました(以上,政府が費用を出す「官費留学生」についての統計による)。

 「なぜ,ドイツだったのか」を少し補足しておきます。

 明治時代の日本は,天皇という君主を頂点とする政治体制でした。アメリカは,君主のいない「共和制」でした。選挙で選ばれた大統領が国のトップです。「自由と平等」が重んじられ,君主や貴族といった「生まれながらの特権階級」に批判的な傾向が強かったのです。

 一方,当時のドイツは「皇帝」を頂点とする君主制でした。しかもそれは比較的最近になって成立した新しい体制で,その新体制のもとで急速に国の勢いを伸ばしていました。そこで,日本にとっていろいろ参考になると考えられたのです。

 しかし,ヨーロッパの影響が強くなった後もアメリカからの影響は続きました。とくに,アメリカが新しく「繁栄の中心」になった1900年ころ以降は,その影響はまた大きくなったといえるでしょう。

 電灯,蓄音機,映画,飛行機など,現代的な文明の利器の多くは,アメリカから入ってきたものです。明治末から大正にかけての,民主主義的な考え方が有力になった「大正デモクラシー」の時代には,アメリカは第一のお手本でした。


日本とアメリカの貿易

 以上の経緯は,たとえば日本の貿易(輸出入)のデータにもあらわれています。
 貿易をみるのは,それが多く行われていれば,「国どうしのつき合いが深く,影響を受けやすい」と一般にいえるからです。

 明治以降(昭和初めまで)の日本の輸出入額を,「アジア州」「ヨーロッパ州」「北アメリカ州」といった地域別の割合でみると,つぎのようになっています。
 南アメリカ,アフリカ,オセアニアなどのほかの地域は,ごく少ないので,省略です。

 表の数字を追うのがめんどうな人は,表はとばして,そのつぎの文章のところだけお読みください。

日本の貿易相手の地域別割合

●1875~79年(明治時代前半)
   (輸出) (輸入)
アジア 25   24%     
欧 州 46   68
北 米 29   7 

●1900~04年(明治後半)
   (輸出) (輸入)
アジア 43   45%     
欧 州 24   36
北 米 31   17 

●1925~29年(大正末~昭和の初め)
   (輸出) (輸入)
アジア 43   42%     
欧 州  7   18
北 米 44   31 


データ出典:安藤良雄編『近代日本経済史要覧 第2版』(東京大学出版会 1979)23ページ。

 明治の前半には,「ヨーロッパ」との貿易の割合が最も大きいです。近隣のアジアよりも多いのです。

 しかしその後(明治中ごろ以降),アジアの割合が増えていき,「ヨーロッパ」は減っていきます。さらに後には,「北アメリカ≒アメリカ合衆国」の割合も大きく増えます。

 この貿易額の推移は,これまでに述べてきた,「日本とアメリカの関係の深さ」を,おおむね裏付けていると思いますが,どうでしょうか?
 とくに,このデータからは「昭和の初期には,アメリカは日本にとって最大の貿易相手だった」ということがうかがえます。

 日本とアメリカは,1941~45年(昭和16~20)まで,全面戦争をしました。

 戦争というのは,険悪で疎遠な相手とのあいだでおきることもありますが,「関係が深い相手と,利害がぶつかっておきる」ケースも多いのです。
 つきあいが深いと,そのぶん対立が頻繁になったり,深刻化したりすることがあります。早い話,よく戦争になるのは,遠くの国どうしよりもとなりどうしです。

 具体的な経緯にはここでは踏み込みませんが,日米の戦争は,そのような「〈となり〉にある,関係が深い者どうし」の戦争だったのです。

(以上)
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2013年09月07日 (土) | Edit |
 昨日から今日にかけて,宮崎駿監督の「引退」記者会見の様子をテレビでみました。

 何百人という記者団がつめかけ,会場に監督が入ってくると,ものすごいシャッター音とフラッシュ。
 
 会見の内容以上に,その光景がまず印象的でした。

 宮崎駿という人が,こんなにも「偉く」なるなんて!

 私は今年48歳で,中学生のとき宮崎監督のファンになりました。
 70年代おわりの,宮崎さんの初のテレビシリーズ演出作品『未来少年コナン』(1978年)や,初の劇場用映画の監督作品『ルパン三世カリオストロの城』(79年)に,夢中になりました。

 そのころの宮崎さんは,業界の人や一部のアニメファンにしか,知られていません。
 また,興業的にも不発でした。
 『未来少年コナン』はNHK初の連続アニメ番組でしたが,視聴率はヒトケタで低迷。
 『カリオストロの城』もお客の入りが悪く,2週間ほどでロードショーの上映が打ち切られてしまいました。

 その後,数年間は宮崎さんには「冬」の時代でした。

 企画を出しても通らず,作品がつくれない。
 そんななか,半ば仕方なく描きはじめたのが,マンガの『風の谷のナウシカ』(82年連載開始,映画は84年)。
 月刊のアニメ雑誌に連載していたのを,高校生の私は,ナウシカのページだけ切り抜いてファイルしていました。オタクですね。

 それをみた私の父(昭和ヒトケタ)は,「高校生にもなって,そんな幼稚なくだらんものを大切そうに!」と罵倒しました。

 でも,あれから30数年。
 宮崎さんは今では,「現代日本文化の,最高の権威」みたいになっているのです。
 私の父が尊敬してやまなかった,かつての司馬遼太郎みたいなポジションにいる,といってもいいでしょう。(そうなっていったプロセスは,今回は立ち入りませんが)

 昨日の記者会見で,私はあらためて「時代は変わる」ということを,感じました。

 つまり,マイナーだったもの,ステイタスの低かったもののなかに,つぎの時代のメジャーや権威があらわれることがある。

 あるいは,予想もつかないところから,「新しい時代の主役」が出てくることがある。


 かつての宮崎駿のケースは,そのわかりやすい典型です。

                        *

 ところで今の世の中では,「未来の主役」は,どこにいるのでしょうか?

 きっと社会のどこかで,今も何かをしているのでしょう。
 そして,その仕事に一部の若い人たちが夢中になっているのかもしれない。

 でも,50歳近くなった私には,きっとわからない。
 その「誰か」に気づいていないだろうし,みかけたとしても,評価せずスルーしてしまうにちがいない。

 今の私は,私の「ナウシカ」の切り抜きを罵倒した当時の親父と,ほぼ同じ年齢になりました。

 そんな私が「なんだこりゃ」と眉をひそめるもののなかにこそ,文化の未来があるのかもしれない。

 でも,そうでもないかもしれない。

 私たちの文化は,じつはかなり停滞していて,オジさんの理解を超えるものが,新たに台頭することが少なくなっていくのかもしれない……
 たとえば,AKBとかは,昔のアイドルをみていた世代にとっては,じゅうぶん理解できるものです。「ああいうの,オレたちのころにもあったなあ」と。(そもそも仕掛け人がオジさんですし…)

 まあ,わかりません。

 そんなことをぼんやり思いながら,記者会見の報道をみていました。

 関連記事 社会の変化はゆっくりになっている?

(以上)
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2013年09月05日 (木) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの43回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところは,教科書や子ども向けの本のこと,新書のすすめ,「通な本」と「最先端の本」,古典とのつきあい方,といったことを述べてきました。
 そして今回は,前回に引き続き,本を読むうえでの「スタイル」のようなこと。どこで,どんなふうに読むか,という話です。
 

机に向かっていては,本は読めない。

 「本は書斎の机に向かって読むもの」と思っていると,読めません。自分を振り返ってみても,机に向かって読んでいる時間というのは,そんなに多くありません。

 本が一番読めるのは,書店のそばのコーヒーショップに入って読むときや,帰りの電車の中で読むときです。

 そういうとき,「読みたい」という気分が最も盛り上がっています。
 そこでざっと拾い読みしたときの内容が,一番頭に残ります。本から得た知識の半分くらいは,買った直後に読んだものかもしれません。

 買ってきた本は,家に帰ると机やベッドの脇に積んでおきます。そのときすでに「読む気」は急速におとろえています。積んだまま何か月も読まないことも多いです。

 買った本は,すぐに本棚にしまい込んではいけません。そのまま読まないで終わってしまいます。目につくところに積んでおきましょう。

 つぎに本が読めるのは,ベッドの上です。

 ベッドの脇に積まれた本の中から,ふと思い出した本を取り出して読みます。仕事から帰って,風呂あがりの「やれやれ」というときに,寝ころがったままページをめくります。休日に,何時間もベッドの上で読んでいることもあります。

 ベッドの上の読書は,ストレスのない楽しい時間です。ベッドの上でなく机に向かって読んでいたら,疲れるでしょうね。

 たくさん読むコツは,「読みたいときに読む」ことと,「楽にして読む」ことなのです。それを,意識的にやっていくことです。

(以上,つづく)
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2013年09月03日 (火) | Edit |
 あさって9月5日は,マザー・テレサの亡くなった日です。
 そこで,彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


マザー・テレサ

目的に対して真摯

 修道女マザー・テレサ(1910~1997 マケドニア)は,インドのスラム街で,貧しい人びとを助ける慈善活動を行いました。活動は世界各地に広がり,彼女はその功績でノーベル平和賞を受賞しました(1979年)。
 彼女は,テレビの取材など,マスコミへの対応には積極的でした。
 もちろん,有名になりたかったのではありません。
 顔を売ることで活動資金を集めやすくしたかったのです。だから,どんなにカメラマンにつきまとわれても気にしない。「それでお金が集まるなら」ということです。
 慈善活動でとくに大変なのが,資金集めです。でも,「困っている人を助けたい」という人で,彼女くらいお金のことに懸命な人は少ないのです。
 一方,彼女の組織には(少なくとも初期のころは),経理の帳簿はありませんでした。
 集めたお金は,全部人を助ける仕事にすぐ使ってしまう。だから経理なんかいらない。それより,本来の仕事にエネルギーを注ぎたい――とにかく,自分の目的や使命に対して真摯な人でした。

塩野七生『ローマの街角から』(新潮社,2000)所収のエッセイ「修道女マザー・テレサ」,チャウラ著・三代川律子訳『マザー・テレサ 愛の軌跡(増補改訂版)』(日本教文社,2001)による。

【マザー・テレサ】
慈善活動家。高校卒業後,カトリックの修道女に。1948年,修道会を離れ,インドのカルカッタで独自の救貧活動の組織を立ち上げる。この組織はのちに法王庁公認となって活動を広げ,彼女が亡くなった1997年には,世界各地に2000を超える拠点を持つようになった。
1910年8月26日生まれ 1997年9月5日没

                          *

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
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(以上)
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2013年09月02日 (月) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの42回目。

 「読書論」の話を続けています。
 このところは,教科書や子ども向けの本のこと,新書のすすめ,「通な本」と「最先端の本」,古典とのつきあい方,といったことを述べてきました。

 今回は,本を読むうえでの「スタイル」のようなこと。どこで,どんなふうに読むか,という話です。
 でも,スタイルというのは,重要度は比較的低いと思います。「どこで,どんなふうに読むか」よりも,「何を,どんな問いかけで読むか」というほうが,ずっと大事です。

 ビジネスのハウ・ツー本の世界では,スタイルの話(カフェで積極的に仕事をしよう,みたいな)はさかんです。たしかに,スタイルの話は具体的でイメージしやすく,「自分もやってみよう」という積極的な気持ちにさせてくれるところがあります。

 つぎの話も,読書にたいし積極的になるうえで,ひとつの参考として読んでいただければ,幸いです。


カバンの中に,三冊の本を入れて持ち歩く。

 カバンの中に本を入れて持ち歩いていますか?
 読みかけの本を一冊入れている人は,かなりいるでしょう。でも,何冊も持ち歩いている人は少ないのではないでしょうか。重たいですから。

 でも,本当に本が好きでよく読む人は,常に何冊もの本を持ち歩いています。
 私も,いつも三冊くらいはカバンの中に入っています。

 カバンの中に本を入れておくのは,待ち合わせや移動の時間など,毎日の中でふいにやってくる「本を読める時間」を逃さないためです。

 忙しい合間に,カバンから本を取り出して読む人が,たくさんの本を読める人です。

 でも,せっかく「本を読める時間」に出くわしても,読めないことがあります。もちろん,カバンの中には本が入っていますが,「今読みたいのはそういう本ではない」というときです。
 科学の本が読みたいのに,文芸書しかカバンの中に入っていない。軽いものが読みたいのに,堅い本しか持っていない。そういうときは,なかなか読めません。

 「今何が読みたいか」という欲求は,体調のように変化します。
 その変化に対応できるように,今読んでいる本の中から,タイプの異なるものを何冊かカバンの中に用意しておく。
 そして,そのときの欲求にあったものを読むのです。
 そうすれば,「甘いものが食べたい」と思ったときに甘いものを食べるとおいしさがしみわたるように,本の中身がしみわたってきます。

 何冊もの本を平行して読むこと。
 それらの本を持ち歩くこと。
 それが,たくさん読むコツです。おいしく味わって読むコツでもあります。

(以上,つづく)
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2013年09月01日 (日) | Edit |
 数日前,カミさんと1泊2日の短い旅行に行ってきました。
 高原のリゾートホテルで温泉につかって,ほかにとくに何もせず帰ってきました。
 帰省以外で,いわゆる「旅行」を家族でするのは,数年ぶりです。
 この何年か,いろんな意味で,そういう余裕がありませんでした。

 泊まったホテルは,これまで3,4回行ったことがあります。
 
 お高いホテルではありません。でも格安ホテルでもなく,一定のちゃんとした設備があります。
 私は,旅行をあまりしないし,ホテルもろくに知らないのですが,「ここは好きだ」と感じて,複数回訪れています。

 何が好きかというと,まず建物。
 1970年代後半に建てられたもので,おおむね3階建て。
 全体の部屋数も「何十」という単位でこじんまりしています。
 今どきのホテルのきらびやかな感じはありません。人によっては「古くさい」と感じるかもしれませんが,70年代っぽい,あたたかさや落ち着きがあります。
 
 こんな感じです。
 室内の写真は,ちょっとマニアックな私の視線です。こんなところは,ホテルのパンフにも載らないでしょう。お客さんの多くも,気にとめていないと思いますが,私は気にいっています。

高原のホテル・建物

高原のホテルの建物1

高原のホテルの建物2

 それから,広々とした芝生や雑木林のある庭も,魅力的です。散歩すると,気分がすっきりします。

高原のホテルの庭・雑木林

                        *

 さて,この週末はいつも通り団地の我が家で過ごしました。ウチは築30数年の古い団地をリノベーションして住んでいます(そのことについて書くのが,このブログの柱のひとつです)。

 下の写真は,ウチの棟の前の,小さな小さな雑木林。
 今朝のいくらか涼しいときに,ちょっとだけそこに出て,なごみました。
 上の写真の,リゾートの庭に負けてない…かも。

 「団地リゾート」(笑)も,なかなかです。

団地の雑木林・夏

ピロティからみた雑木林

(以上)
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テーマ:建築デザイン
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2013年09月01日 (日) | Edit |
震災のあと (2)

震災のあと (1)
東日本大震災当日の我が家(リビングと書斎)

 1923年(大正12)の今日,関東大震災がありました。
 あちこちで,それにちなんだ行事や訓練が行われいるようです。私も,3月11日とともに,この日は自然災害(とくに地震)について考えます。

 上の写真は,東日本大震災で揺れた直後の我が家です。
 私の住む東京の多摩地区は,震度5強でした。
 築30数年の古い団地の我が家でしたが,建物本体には大きな被害はありませんでした。
 でも,かなり揺れたようです。
 
 私は地震のときは外出中で,たまたま市内にいました。
 地震の2時間後に帰宅すると,このありさまでした。
 書棚の本の8割がたは床に散乱し,食器類も,半分近く割れている。
 カバンのなかにデジカメがあったので,記録しておこうと,撮りました。
 
 でも,本が散らかったり,皿が割れたくらいのことで済んだわけです。翌日の夜にはだいたい片付いていました。被災地の様子を思えば,「被害はなかった」といっていいでしょう。

 しかし,家がぐちゃぐちゃになった様子には,やはりびっくりしました。

 そして,「今回くらいの揺れだとこれで済んだけと,震度6以上のさらに大きな揺れだと,非常に恐ろしいことになる」というのを,ひしひしと感じました。

 このブログでは,基本的に「古い団地のリノベ暮らし」を「いいですよ」といっています。
 しかし,「地震に比較的弱い」というのは,古い団地のデメリットです。
 1970年代に建てられた我が家は,現在の耐震基準(新耐震)以前の建築です。
 今の建物にくらべ,耐震性ではやはり劣るのです。

 だから,古い団地に住む人間として,一定の不安を持っているのは事実です。
 でも,普段はそれをあまり意識しません。
 (ただし防災グッズを家に備えたり,普段持ち歩いたりするような,最低限の備えはしています)

 でも,「不安だから,引っ越そう」という気にはなりません。

 引っ越そうにも先立つものもない,ということはあります。でもそれ以上に「やっぱり,ここを離れたくない」という気持ちがつよいのです。
 また,自分なりに耐震の問題について調べ考えた結果,「不安ばかりでもない」とも思っています。古い団地にもそれなりの相当な耐震性がある,ということです(ここでは立ち入りませんが)。
 
 この団地の我が家は,いろんな想いや考えを込めて,つくりあげてきた「自分の場所」です。

 きわめて激しい大災害の前には無力なのかもしれませんが,だからこそ,今の住まいや暮らしを,せいいっぱい大事にしていきたいと思っています。
 自分にはそれしかないな,ということです。

(以上) 
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