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2013年09月08日 (日) | Edit |
 ご存じのとおり,2020年のオリンピック開催地が,東京に決まりました。

 候補地として争った,東京,マドリード(スペイン),イスタンブール(トルコ)。

 これらの都市がある国の世界史的な「立ち位置」には,共通性があります。

 それは,この200年ほど世界史の「中心」であった欧米先進国に近い,「周辺」にあるということ。
 「中心」のすぐ近くの「周辺」。
 「準中心」といってもいいような位置。
 
 そして,それぞれの意味において「新興国」である,ということ。


 日本は,前回の記事でも述べたように,アメリカ(アメリカ合衆国)と太平洋を挟んで「となり」にあります。そして,アメリカの影響を強く受けながら,近代化や経済発展をしてきました。

 高度成長の結果,欧米と肩を並べる先進国となったのは,1970年代。
 前回の東京オリンピック(1964年)は,急速な成長の真っ只中でした。

 日本が「先進国」「経済大国」となって,40年くらい経ちます。かなり経ったようにも思えますが,世界史の大きな時間の流れでみれば,この数十年の,つい最近のこと。

 その意味で世界史的には,日本は「新興国」なのです。


 ここで「新興国」とは,「欧米の先進国以外で,それに迫るレベルに発展してきた(発展しつつある)国」ということです。
 日本は,世界のなかで,そのはしりといえます。
 そして,「最も成功した新興国」ともいえるでしょう。

 そして,「新興国」のなかの「古株」なだけに,最近は勢いがおとろえてきました。
 「勢いがあったころの夢よもう一度」という気分が,オリンピック招致をすすめた人たちにはあったでしょう。

                       *

 マドリードのあるスペインもまた,「新興国」の一種です。

 西ヨーロッパのスペインを「新興国」というと,違和感があるかもしれません。
 たしかに,「大航海時代」(おもに1500~1600年代)のスペインは,ヨーロッパの「近代」を切り開いた,最先端の国でした。

 しかし,その後のヨーロッパの発展,とくに産業革命(1800年ころ)以後の技術や産業の進歩には,かなりとり残されました。西ヨーロッパの中心は,オランダ,イギリス,ドイツなどの北部のほうへシフトしていきました。

 そして1900年代になっても,ほかの西ヨーロッパ諸国の「民主主義」とは異なる,独裁的な政治体制が長く続きました。それがおわって,スペインが現在の「民主的」といえる体制になったのは,1970年代のこと。それ以降,経済発展も動き出しました。

 その意味で,スペインもまた「新興国」なのです。


 1992年のバルセロナオリンピックは,「生まれ変わったスペイン」を象徴する祭典でした。1964年の東京オリンピックが,「敗戦からよみがえったニッポン」の祭典だったのと,似たところがあります。
 
 そして,スペインの経済は,ここ数年ひどい不景気で混乱しています。招致にかかわる人たちに「バルセロナの夢よもう一度」的な気持ちはあったはずです。

                        *

 そして,トルコのイスタンブール。

 トルコが「新興国」であるというイメージは,かなり一般的と思います。

 しかし,トルコには「古くから栄えた文明国」という面もあります。

 大航海時代にスペインが繁栄していた時代,それをも上回る超大国として栄えていたのは,オスマン・トルコという,イスラムの帝国でした。
 しかし,欧米諸国が台頭して以降,イスラムは衰退していきました。
 1900年代初頭までに,オスマン・トルコ帝国は崩壊し,今のトルコ共和国が建国されました。

 その後,ある程度の発展は続いていたのですが,この20年ほどで,かつてない急速な経済の成長・発展がおこりました。

 今のトルコは,イスラム世界のなかで,最も先進国に近いレベルまで発展しています。

 そこには,西ヨーロッパ諸国に隣接し,さまざまな交流を通じてヨーロッパの影響を受けてきた,ということがあるでしょう。

 数百年以上前のヨーロッパ人は,隣接するイスラムの人びとから,さまざまな技術や文化を学んで発展しました。
 今の世界では,トルコの人たちが隣接するヨーロッパとの交流を通じて,急速に発展している。かつてとは逆方向で「文明」が伝わっているのです。


 ニュースで,今回のIOC総会でのイスタンブールのプレゼンを少しみました。
 近代的な建築物やインフラの様子を示す映像。
 今のトルコが「先進国」の一歩手前まで来ている,というのを感じます。
 
 「アジアとヨーロッパの架け橋」というメッセージにも,リアリティがあります。
 トルコは,ヨーロッパでおこった産業革命を,イスラム世界ではじめて本格的に消化し,「近代化」に成功しつつある国なのですから。

 イスタンブールでの開催というのは,今後(2024以降)十分あり得るのではないでしょうか。

 世界の勢力分布が大きく変わってきたことを,今回の「オリンピック招致」ではあらためて感じました。

(以上) 
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2013年09月08日 (日) | Edit |
(まえおき)
 このブログでは,「となり・となりの世界史」というシリーズを続けています。
 世界史を「繁栄の中心の移りかわり」という視点で見渡していく,というものです。
*このシリーズの記事の大部分は2018年10月現在非公開としていますが、同記事をもとに2016年9月に日本実業出版社から『一気にわかる世界史』を出版しました。
 
 世界史には,それぞれの時代に「世界の繁栄の中心」といえるような地域や国があります。

 文明のはじまりの時代には,メソポタミア(今のイラク)とその周辺の「西アジア」が,文明の最も進んだ「中心」でした。その後,ギリシアやローマがおおいに繁栄した時代もあります。さらに「イスラムの時代」といえる時期もありました。
 そして,200~300年前にはヨーロッパ諸国が台頭して圧倒的になり,1900年代以降は「アメリカの時代」になりました。

 そして,このような「中心の移りかわり」には,「新しい中心は,それまでの中心の周辺の,比較的近い場所で生まれる」という法則性があります。

 「比較的近い場所」すなわち「となり」です。

 世界史における「繁栄の中心の移動」は,「となり」へ移っていく,ということがくりかえされてきました。「となり・となり」と移動がくりかえされてきたのです。

 今回は,近現代の「となり・となり」について述べます。 


となり・となりの世界史15

「となり」の欧米,アメリカ


日本に最も影響をあたえた欧米の国は?

 現代の世界をみるうえでも,「となり・となり」という視点は,やはりカギになります。
 現代の世界でも,「となり・となりの法則」は成り立っているのです。つまり,従来の「中心」の周辺に,新しく繁栄する国が出てくるということが,おこっています。

 たとえば,日本の繁栄がそうです。

 日本の発展の歴史には,「〈となり〉の欧米」であるアメリカが大きく影響しています。
 また,日本の繁栄は,「となり」にある中国,韓国などの経済成長に影響をあたえています。

 日本が世界の「繁栄の中心」のひとつになったのは,1900年代なかば以降のことです。

 くわしくいうと,1950~60年代にあった「高度経済成長」という急速な発展のあとの,1970年代からです。それ以降,日本は欧米の先進国と肩を並べる「経済大国」になったといえるでしょう。
 そしてそれは,明治維新(1868年)以来,「欧米諸国に追いつこう」として近代化をすすめてきた成果です。

 ではその「欧米諸国」のなかで,日本に対しとくに影響の大きかった国をあげるとすれば,どこでしょうか?

 それは,アメリカ(アメリカ合衆国)ではないでしょうか。


 その影響の「良し・悪し」ということは,とりあえずおいといて,ほかの国と比較しての「影響の大きさ」ということで考えることにします。すると,やはりアメリカではないでしょうか。
 
 アメリカは,じつは日本にとって最も近くにある,「となり」の欧米です。
 アメリカは,日本からみて太平洋をはさんだ向こう側にあるのです。ヨーロッパよりもずっと近いです。


 そもそも,日本が近代化への第一歩をふみだすきっかけは,幕末(1853年)にアメリカの4隻の軍艦=「黒船」がやってきて,外交関係を結ぶ「開国」をせまったことでした。
 当時の日本は,200年あまりのあいだ,欧米諸国とのつきあいを絶つ「鎖国」政策を続けていました(オランダだけは例外として関係を持っていました)。
 
 その後,徳川幕府が最初に外交の条約を結んだ欧米諸国は,アメリカです。

 また、幕府は1860年に,西洋型軍艦・咸臨丸(かんりんまる)でアメリカに使節を派遣しました。これは,鎖国をやめて以後はじめての外交使節団だったのです。咸臨丸には,勝海舟や若き日の福沢諭吉といった人たちが乗っていました。


アメリカの影響

 それから,あまり知られていませんが,明治初期には,日本人の留学先のトップはアメリカでした。アメリカに熱心に学ぼうとしていたのです。

 アメリカ文化の研究者・亀井俊介さんが引用する統計によれば,《明治元年から七年まで……五五〇人中二〇九人……の留学生がアメリカに行っており,二位のイギリスを断然引き離していた。》といいます。(亀井俊介編・解説『アメリカ古典文庫23 日本人のアメリカ論』研究社)

 そして,第二次世界大戦(1938~45)では,日米の全面戦争がありました。その結果,日本が完敗して6年間にわたりアメリカに占領されました。そして,アメリカの占領軍の主導で,さまざまな政策・改革が行われました。

 占領の時代がおわったあとも,アメリカは,日本に大きな影響を与えつづけました。

 音楽・映画・ファッションは,いうまでもありません。外交などの政治もそうです。自動車や家電の産業も,アメリカの模倣からはじまりました。スーパーマーケットもコンビニも,アメリカにあったものを日本に持ってきたのです。
 
 このようにアメリカの影響が大きかったのは,ひとつには1900年代が「アメリカの時代」だった,ということがあります。アメリカは,日本だけでなく世界じゅうの国に影響をあたえてきました。

 しかし,それだけではありません。さきほど述べたように,日本からみれば,アメリカは「最も近くにある欧米」です。
 日本とアメリカ(西海岸)は,太平洋をはさんで「となり」どうしの関係にあります。
 これは,イギリスとアメリカ(東海岸)が大西洋をはさんで「となり」どうしであるのと,同じようなことです。これにたいし,日本からみてヨーロッパは,はるかに遠いところにあります。とくに飛行機以前の時代には,そうでした。

 アメリカという,「となり」の中心的な大国から影響を受けた日本。

 このように,日本の繁栄についても,「従来の中心の近くから,新しい中心が生まれる」という「となり・となりの法則」が成り立っています。文明が「アメリカ→日本」というかたちで伝わっています。


ヨーロッパの影響も大きい

 もちろん,ヨーロッパも日本に大きな影響をあたえました。とくに1800年代は,イギリスが「世界の中心」といえるほどに繁栄した時代ですので,当然その影響が大きかったです(明治維新:1868年)。
 そして,ドイツにも大きな影響を受けました。

 日本人の留学先は,明治後半からはヨーロッパにシフトしていきます。

 先ほどの亀井さんの著作からまた引用すると,《明治二〇年代から,……外国のモデルとしてはヨーロッパ,特に新興帝国であるドイツが,政治および文化のあらゆる面で重んじられるようになった。逆にアメリカは,その共和制度や自由思想のゆえに危険視され,文化的にも軽視されるようになった》のです。

 そして,明治20~30年代には,留学先のトップはドイツとなり,次がイギリスで,アメリカは4番手になりました(以上,政府が費用を出す「官費留学生」についての統計による)。

 「なぜ,ドイツだったのか」を少し補足しておきます。

 明治時代の日本は,天皇という君主を頂点とする政治体制でした。アメリカは,君主のいない「共和制」でした。選挙で選ばれた大統領が国のトップです。「自由と平等」が重んじられ,君主や貴族といった「生まれながらの特権階級」に批判的な傾向が強かったのです。

 一方,当時のドイツは「皇帝」を頂点とする君主制でした。しかもそれは比較的最近になって成立した新しい体制で,その新体制のもとで急速に国の勢いを伸ばしていました。そこで,日本にとっていろいろ参考になると考えられたのです。

 しかし,ヨーロッパの影響が強くなった後もアメリカからの影響は続きました。とくに,アメリカが新しく「繁栄の中心」になった1900年ころ以降は,その影響はまた大きくなったといえるでしょう。

 電灯,蓄音機,映画,飛行機など,現代的な文明の利器の多くは,アメリカから入ってきたものです。明治末から大正にかけての,民主主義的な考え方が有力になった「大正デモクラシー」の時代には,アメリカは第一のお手本でした。


日本とアメリカの貿易

 以上の経緯は,たとえば日本の貿易(輸出入)のデータにもあらわれています。
 貿易をみるのは,それが多く行われていれば,「国どうしのつき合いが深く,影響を受けやすい」と一般にいえるからです。

 明治以降(昭和初めまで)の日本の輸出入額を,「アジア州」「ヨーロッパ州」「北アメリカ州」といった地域別の割合でみると,つぎのようになっています。
 南アメリカ,アフリカ,オセアニアなどのほかの地域は,ごく少ないので,省略です。

 表の数字を追うのがめんどうな人は,表はとばして,そのつぎの文章のところだけお読みください。

日本の貿易相手の地域別割合

●1875~79年(明治時代前半)
   (輸出) (輸入)
アジア 25   24%     
欧 州 46   68
北 米 29   7 

●1900~04年(明治後半)
   (輸出) (輸入)
アジア 43   45%     
欧 州 24   36
北 米 31   17 

●1925~29年(大正末~昭和の初め)
   (輸出) (輸入)
アジア 43   42%     
欧 州  7   18
北 米 44   31 


データ出典:安藤良雄編『近代日本経済史要覧 第2版』(東京大学出版会 1979)23ページ。

 明治の前半には,「ヨーロッパ」との貿易の割合が最も大きいです。近隣のアジアよりも多いのです。

 しかしその後(明治中ごろ以降),アジアの割合が増えていき,「ヨーロッパ」は減っていきます。さらに後には,「北アメリカ≒アメリカ合衆国」の割合も大きく増えます。

 この貿易額の推移は,これまでに述べてきた,「日本とアメリカの関係の深さ」を,おおむね裏付けていると思いますが,どうでしょうか?
 とくに,このデータからは「昭和の初期には,アメリカは日本にとって最大の貿易相手だった」ということがうかがえます。

 日本とアメリカは,1941~45年(昭和16~20)まで,全面戦争をしました。

 戦争というのは,険悪で疎遠な相手とのあいだでおきることもありますが,「関係が深い相手と,利害がぶつかっておきる」ケースも多いのです。
 つきあいが深いと,そのぶん対立が頻繁になったり,深刻化したりすることがあります。早い話,よく戦争になるのは,遠くの国どうしよりもとなりどうしです。

 具体的な経緯にはここでは踏み込みませんが,日米の戦争は,そのような「〈となり〉にある,関係が深い者どうし」の戦争だったのです。

(以上)
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テーマ:歴史
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