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2013年11月06日 (水) | Edit |
 11月7日は,物理学者キュリー夫人(マリー・キュリー)の誕生日です。
 そこで,彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西のさまざまな偉人を紹介するシリーズ。

キュリー夫人

史上初の(本格)女性科学者

 「史上初の女性科学者」というと,誰でしょうか? 「歴史に名を残した」という条件をつければ,それは「ラジウムの発見者」マリー・キュリー(1867~1934 ポーランド→フランス)です。
 彼女があれだけ有名なのは,「大発見をした史上初の女性科学者」だったからです。
 女性科学者は,今ではめずらしくありませんが,彼女が生きた1900年ころの世界では,今でいえば「女性F1レーサー」と同じくらい驚異的でした。
 しかも彼女は,ノーベル賞を2回も受賞しています。そして,多忙な研究の合間に家事もきちんとこなし,子どもたちも立派に育てました。
 すぐれた科学者が,常にこんなに「完璧」とはかぎりません。
 ただ,彼女の場合は,女性として前人未踏の仕事をする開拓者でした。
 こういう人だからこそ,男性優位がとても強かった時代にも活躍できたのかもしれません。

安達正勝著『二十世紀を変えた女たち』(白水社,2000)に教わった。ほかに参考として,エーヴ・キュリー著,川口・河盛・杉・本田訳『キュリー夫人伝(新装版)』(白水社,1988)

【マリー・キュリー】
ラジウムの発見などで放射能研究を開拓した科学者。1903年夫ピエール(1906年死去)らと共同でノーベル物理学賞。1911年には単独でノーベル化学賞。長女夫妻も35年に2人でノーベル化学賞を受けた。
1867年11月7日生まれ 1934年7月4日没

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 さらに,キュリー夫人の「〇千文字の偉人伝」を。

 これは,「四百文字の偉人伝」の参考文献にある,安達正勝『二十世紀を変えた女たち』のキュリー夫人の章(の一部)を圧縮・編集して,そこに自分の視点を若干加えた,といったものになっています。以下は,半ば安達さんの本からの「引用」といっていいでしょう。
 その点でオリジナリティは薄いですが,「コンパクトな読み物」としての意味はあると思っています。キュリー夫人のことは,やはり知る価値があります。安達さんの本もおすすめです。

二十世紀を変えた女たち―キュリー夫人、シャネル、ボーヴォワール、シモーヌ・ヴェイユ二十世紀を変えた女たち―キュリー夫人、シャネル、ボーヴォワール、シモーヌ・ヴェイユ
(2000/07)
安達 正勝

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彼女が大学に入るまで キュリー夫人

 多くの偉人伝で,感動の中心となるモチーフといえばまず,「主人公が困難にくじけることなく,食い下がって学び続けた姿」である。
 なかでもキュリー夫人の物語は,その代表格である。

 「キュリー夫人」こと,マリー・キュリー(1867~1934,ポーランド→フランス)があれだけ有名なのは,彼女が史上初の「大発見をした女性科学者」だからである。ラジウムの発見などにより,放射能研究の世界を開拓したこと。それが,彼女の最大の業績である。

 女性科学者は,今では珍しくないが,彼女が生きた1900年ころの世界では,皆無だった。大学教育を受けた女性さえ,たいへん珍しかった時代である。

  彼女のエピソードでよく取り上げられるのは,祖国ポーランドからパリ大学に留学した彼女が,貧しさと闘いながら必死に勉強する姿である。
 
 たとえばこういう話がある。貧乏でストーブの石炭を買うお金がない。ベッドでは,布団の上にありったけの衣類を何枚も重ねるけど,寒い。そこで,布団や衣類の上にイスを置き,その「重さ」の感覚で寒さをまぎらわせて眠った……

 だがじつは,パリにやってくるまでだって,いろいろ大変だったのである。むしろ,パリで苦学した時代は,念願だった大学への入学を果たし,思う存分学問に打ち込むことができた「輝ける」時期だったとさえいえる。

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 のちにマリー・キュリーとなる女の子,マリア・スクワドフスカは,1867年にポーランドの首都ワルシャワで生まれた。両親は2人とも学校の先生だった。

 彼女が育った1800年代後半,ポーランドはロシアなどの隣接する強国によって分割され,国家が消滅してしまった。祖国の復興・独立は,当時のポーランド人の悲願だった。独立を勝ち取るために武器を持って立ち上がり,命を落とした人たちもいた。マリアの親戚にもそういう人がいた。

 父親は,学識のある人格者だったが,ロシアの役人が支配する教育現場では,不遇な目にあっていた。だから,家庭は裕福ではなかった。
 そんな環境で,マリアは,祖国の復興を強く願う若者に成長していった。

 彼女は17歳のとき女学校を主席で卒業した。さらに大学で勉強したかった。指導的な教育者になって,祖国のために尽くすことが,彼女の夢だった。
 
 だが,当時のポーランドの大学は女子に門戸を開いていなかった。フランスなど一部の国の大学では,1800年代後半から女子の入学が認められていた(それ以前は,昔から大学に入れるのは男子だけだった)。だから,彼女が大学に行くには,海外留学が唯一の道だった。

 しかし,家にはそんなお金はない。当時は,現代のような奨学金制度もなかったし,大学に通いながら働けるようなアルバイトの仕事もなかった。

 それでも,何とか外国に行って大学で学びたい。そこでどうしたか?

 そのころ,彼女のすぐ上のお姉さんも,医師になるために大学で勉強することを望んでいた。そして,マリアと同じ「壁」につきあたっていた。そこでマリアは,このように提案した。

 「私が,家庭教師をして仕送りするから,姉さんは大学へ行って。姉さんが医師になったら,そのときは私が留学するのを助けてちょうだい。」

 当時,教育のある女性の働き口として「家庭教師」というものがあった。昔のヨーロッパでは,裕福な家庭の子どもは,幼いうちは学校に行かず,そのかわりに家庭教師が付いて勉強するのがふつうだった。お屋敷に住み込みで,1日数時間ほど教える仕事。住居と食事が提供されるので,節約すれば,給料のかなりの部分を仕送りできる。

 マリアは,田舎のお屋敷で,住み込みの家庭教師をして働いた。
 彼女からの仕送りで,お姉さんはパリ大学の医学部に通った。

 3年余りが経つと,お姉さんが近い将来に医師として働ける見込みがついた。また,お父さんに,いくらか収入の多い仕事がみつかった。これで,マリアもどうにか留学できる。

 「3年」というのは,とくに若い人にとっては,長い時間である。その間にマリアは,何度も「もう留学なんて無理,どうでもいい」という気持ちになった。片田舎での寂しい単調な毎日。マイナス思考になるのも無理はない。

 だから,せっかく留学の見通しが立ったのに,マリアは,「もう私の留学のことはいい」と,お姉さんに手紙を書いたりもしている。しかし,お姉さんや周囲の人たちの説得や励ましで,気をとりなおした。

 その後,試験勉強などの準備を経て,1891年,マリアはパリ大学の理学部に入学した。すでに24歳になっていた。

 4年後,彼女は数学と物理の学位を取得して卒業。その翌年の1895年には,在学中に知り合った8歳年上のフランス人物理学者ピエール・キュリー(1859~1906)と結婚した。

 彼女は祖国で教育者になることは断念し,ピエールの共同研究者として科学者の道を歩むことにした。

 2人は協力して研究を進め,ラジウムの発見などの成果により,1902年に夫婦でノーベル物理学賞を受賞した。その間に子宝にも恵まれ,研究の合間に家事・育児もこなした。多忙な,しかし充実した日々だった。
 だがその後,1906年にピエールが馬車による交通事故で不慮の死を遂げてしまう。

 彼女はピエールの後任として,女性初のパリ大学教授に就任し,その後も研究と後進の指導で活躍した。1911年には,単独でノーベル化学賞を受賞している。

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 このようなキュリー夫人の物語は,子供や学生よりも,むしろ大人のほうが感動するのではないだろうか。
 人生経験を積んだ大人は,お金や生活の苦労というものを十分にイメージできる。

 そして,ほとんどの大人には,「自分はこういうふうにはできなかったなあ」という感覚がある。それが勉強であれ何であれ,自分はこれほど懸命にやりたいことをやり抜くことなく大人になった。だから,彼女をほんとうに「素晴らしい」「すごい」と感じる。

 私もそのクチだ。自分の若い時代に対し,それなりの後悔というか,「あれをもっとやればよかった」という感じがある。

 私が学生時代にこの話に触れたとしたら,「説教くさい」と思っただろう。

 しかし,会社に就職して多少の経験を積み,「人生なかなか思うようにはいかない」という感覚がよくわかるようになってからは,この手のエピソードに素直に感動できるようになった。「思うようにいかない」ところを,それでも何とか乗りこえるのは,素晴らしい。

 そして,読書のなかで出会う人物が「食い下がって学ぶ姿」に注目するようになった。そのような話に触れるたび,「自分も,自分なりに好きなことをやっていこう」と思ったものだ。(「好きなこと」とは,私の場合,読んだり書いたりすることだった。その延長線上で,今もこんなものを書いている)

 大人が,偉人の「学ぶ姿」に触れる最も大きな意義は,こういう「後押し」「励まし」を得られるということである。
 もちろん,子どもにとっても同じような意義はある。しかし,大人のほうがより深く理解できるのである。

 偉人の「食い下がって学ぶ姿」にも,いろいろある。キュリー夫人は見事なケースだが,ほんの一例である。そのさまざまなケースを知ることは,私たちに元気や知恵を与えてくれる。

(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術