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2013年11月19日 (火) | Edit |
 何十年も前に,チャールズ・イームズというデザイナーが,「あこがれの新しい対象」ということを述べています。ややわかりにくい表現ですが,「食べてもなくならないケーキのようなたのしみ」だと,私はイメージしています。

 たとえば「新しい外国語を学ぶ・知るたのしみ」というのは,「食べてもなくならないケーキ」。
 このたのしみを味わう「席」には,限りがありません。何かを学ぶたのしみは、得ようと行動するなら,誰もが得ることができます。努力は要りますが,お金はあまりかかりません。

 イームズは,こういうたのしみを,たとえば高級車のような,お金さえ出せば得られる「古い」タイプの「あこがれ」とは異なるものとして,「あこがれの新しい対象」と呼んだのです。(イームズ・デミトリオス『イームズ入門』日本文教出版,127~128ページ)
 
 一方,より多くの人が関心を持つ「たのしみ」「あこがれ」というのは,たいてい「食べるとなくなってしまうケーキ」ではないでしょうか?
 すばらしい製品や食べ物は,数に限りがあります。すばらしいコンサートのチケットは,まさに「席」に限りがあります。そこにあるケーキも,何人かで食べると,なくなってしまいます。

 「食べるとなくなってしまうケーキ」というのは,「希少性のあるモノやサービス」といってもいいかもしれません。天然の良質な素材を使った何かや,すぐれたプロが手間暇をかけてつくりあげるモノやサービスなどです。

 「いいもの」というのは,本来希少なはずです。だから高い。

 しかし,文明というのは,この「いいもの」の「希少性」をなんとか克服しようと頑張ってきました。
 より高い品質のものを,より大量に安く,という方向で生産技術は進歩してきました。

 たとえばさきほどのイームズは,イスのデザインの仕事で知られていますが,「いいイスを,より安く」ということは,彼の大きなテーマでした。大量生産品のイスのデザイン・機能を大きく向上させることに,イームズは貢献しました。「あこがれの新しい対象」という話は,彼のそのような関心がベースにあります。

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 そして現代では,「希少性の克服」にかんし,だいたい解決する見込みがついた分野もあります。
 
 それは,「ソフト」の分野です。文章,画像,音楽,ゲームなどの世界。
 デジタルやインターネットの技術などによって,ソフトの複製や流通がきわめて大量に・容易にできるようになりました。
 そのおかげで「ソフト」にかんしては,この10年ほどで,いろんなものをタダで手にいれることが可能になったのです。
 もちろん,タダでは手に入らないものも,まだまだあります。でも「将来はもっといろんなものがタダになる」という見通しがつきました。

 ソフトにかんしては,「食べてもなくならないケーキ」を,私たちは(ほぼ)手に入れた,といっていいでしょう。

 こういう「ソフト」の世界で実現したこと(ローコストな大量の複製や流通)が,ソフト以外での「たのしみ」でもできたらいいのに,と思います。

 たとえば,すばらしくおいしい食べ物を,そこいらのありふれた材料や物質から,安価に大量に合成できるとか。今のところはSFの空想です……

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 でも,最近話題になったホテルのレストランなどでの「食品偽装」も,見方によっては「希少性」を克服する取り組み,といえるのかもしれません。

 もしも,おもに春雨を使って「絶品フカヒレスープ」がつくれるんだったら,多くのサメが犠牲ならずに済みます。「絶品フカヒレスープ」が,「希少」ではない,「食べてもなくならないケーキ」に近いものになるはずです。

 もちろん,ウソをついて高い料金を取るのは,不正であり,論外です。
 しかし,「春雨でつくった,ほんとうにおいしいフカヒレ風スープ」ができたとして,それを正直に表示して,適正な値段で出したならどうなのか?ということです。

 今の世の中で,そんなものは受け入れられないかもしれません。「そんなニセモノ…」ということになるのかもしれない。

 しかし,未来はちがうのではないか。
 「未来のごちそう」というのは,おおむね「春雨による絶品フカヒレ風」の方向に行くと,私は思います。

 世界の何十億もの人たちが,これから経済発展の結果,「ぜいたく」を求めるようになります。
 しかし,何十億,100億といった人たちみんなで,天然のいいマグロで寿司を食べるのは,たぶん無理です。この地球に,マグロはそんなにはいないはずです。

 それでも地球のみんなで「ごちそう」を食べたいなら,「希少性」の制約の少ない素材を,調理技術でおいしくして,あとは言葉のイメージや器や空間の演出で「ごちそう」にするしかないはずです。

 「イメージの力を借りる」ことは,みんなで「ごちそう」を食べるためには大切です。それはたとえば,缶ジュースを「フレッシュジュース」と呼び,美しい空間でいい器で飲む,といったことです。

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 アフリカの湖やアマゾン河で大量に養殖したある種の魚を刺身にして,それを「トロ」と呼び,銀座の寿司屋でも出すような未来がくるかもしれません。そのときには,人びとの味覚や感性が,ある程度変わっているはずです。

 それは「おぞましい未来」なのでしょうか?
 もちろん,そういう面があるとは思います。

 でも一方で,「文明の必然」のような気もします。また,「より多くの人たちが,ぜいたくやたのしみを味わうことができる」という意味で,明るく建設的な面もあるでしょう。「あこがれ」の対象を,どうにかしてより大量に供給すること――つまり「希少性の克服」をめざして,文明は進んできました。

 ソフトやネットの世界で実現しつつある「希少性の克服」が,「リアル」の世界でもできるなら,それに越したことはないのでは?ということ。 

 そのためには,いろんな技術や発想や,私たちの「感性」の変化も必要なのでしょう。つまり,「春雨によるフカヒレ風」を「ニセモノ」と切り捨てるのではなく,ある種の「ホンモノ」として受けとめ,積極的に評価するような感性や価値観が必要です。

 それは,生活のなかでの私たちの関心を,「食べてもなくらならないケーキ」のほうへ,よりシフトしていくことなのかもしれません。
 「天然もののいいマグロを食べたい」ということを,あまり重視しない価値観にならないと,未来の世界は生きにくいはずです。

 その点,今の若い世代は,ネット上のフリーのソフトを,自分のたのしみの世界に積極的に取り入れるなど,「食べてもなくならないケーキ」重視の傾向がみられます。「とにかく,タダだから」ということなのかもしれませんが。

 以上,「食品偽装」のニュースをみていて,考えました。

 関連記事:イームズの仕事

(以上) 
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