2014年01月30日 (木) | Edit |
 今日1月30日は,幕末の徳川幕府のリーダー,勝海舟の誕生日です。
 そこで,勝海舟の「〇千文字の偉人伝」を。
 数分で読む,勝海舟の伝記です。

 参考文献は,おもに板倉聖宣さんの下記の著作。
 
勝海舟と明治維新勝海舟と明治維新
(2006/12/24)
板倉 聖宣

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 以下の小さな伝記は,この著作を切り取り,ダイジェストにしたものといっていいです。
 ただ,豊富な内容の著作ですから,どう要約していくかは,いろんなやり方があるでしょう。私がやると,こうなったわけです。その意味で,やはり自分なりのひとつの「作品」になっているとは思います。

 この記事を読んで勝のまとまった伝記を読みたいと思ったら,ぜひ板倉さんの著作を。

 あとは,板倉さんも紹介されていますが,松浦玲さんの著作も。
 松浦さんには『勝海舟』(筑摩書房,2010年)という,「勝海舟伝の決定版」的な分厚い著作がありますが,私が読んだのは,中公新書のコンパクトな『勝海舟』(1968年)。
 
勝海舟―維新前夜の群像3 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)勝海舟―維新前夜の群像3 (中公新書 158 維新前夜の群像 3)
(1968/04)
松浦 玲

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 【勝海舟】
 1823年3月12日(文政6年1月30日)生まれ~1899年(明治32)1月21日没


勝海舟小伝  自分の「蘭学」をみつけよう


意義ある決断

 明治元年(1868)に,薩摩・長州を中心とする勢力=官軍が,旧幕府の勢力を完全に倒した戦争があった。この戦争で,西郷隆盛が指揮する官軍は,江戸城をとり囲んで総攻撃をしかけようとした。

 そのとき,旧幕府側の責任者として西郷と話しあい,江戸城を無血開城することを決めたのが,勝海舟(1823~1898)である。どちら側にも「戦うべきだ」という意見があり,それをどうにか押さえてのことだった。

 もしここで戦いを選んでいたら,江戸の町は戦火につつまれただろう。戦争が長引けば,欧米列強の介入を招き,日本は殖民地にされたかもしれない。
 このときの西郷や勝の判断は,非常に意義のあるものだったのだ。

 江戸城開城のとき,幕府側の重鎮だった勝海舟だが,幕府に仕える武士としては最下級の家の生まれである。父親は,武士なのにケンカや賭博に明け暮れた人だった。そんな父親のせいで,家は貧乏だった。

 その勝が高い地位にのぼりつめて重要な仕事をしたのは,まさに「食い下がって学びつづけた」成果だった。
 何を学んだのかというと,蘭学である。オランダ語による西洋の学問。これによって,彼は頭角をあらわした。


異端だった蘭学

 勝が少年時代に熱心に学んだのは,剣術だった。先生にも恵まれ,相当なレベルに達した。
 それがいつ・どうして蘭学を学ぶようになったのかは,よくわかっていない。しかし,十代の終わりにはオランダ語の勉強をはじめていたのはたしかだ。

 そのころの日本では,一部の先覚者のあいだで,欧米に対する関心が高まりつつあった。

 鎖国をしていた当時の日本がつきあっていた欧米の国は,オランダだけだった。しかし,1700年代から,ほかの欧米の船が日本の近海にときどき現れ,国防に関心のある人びとは警戒していた。1792年にはロシアの船が北海道にやってきて国交を求める,という事件もあった。

 さらに,勝が育った時代には,清国(中国)が欧米におびやかされていることが一部で知られるようになった。

 そんな中,欧米諸国について知る努力をして,その学問や技術が圧倒的にすぐれていることを発見した少数派の人たちがいた。蘭学者である。当時,オランダ語を習得し,書物を読むことが欧米の知識を手に入れる最大の手段だった。

 しかし,関心が高まる一方で,欧米に対する警戒心や敵対心も高まった。

 蘭学は,主流の人たちからみて,未公認の危険思想だった。「欧米の学問をすると,なんでも欧米をよしとして,日本の現状を(政治体制も含め)否定するようになる」というのだ。さらに偏見を抱く人たちは,「西洋の学問をする連中は奴らの手先で,国の敵だ」と考えた。

 蘭学者やその賛同者は世間では異端視され,ときには迫害された。

 たとえば,勝の蘭学の先輩の一人に,高島秋帆という西洋砲術を研究した人がいた。彼は,日本のためを思って研究していた。しかし,「反乱をたくらんだ」という無実の罪で牢屋に入れられ,10年も出られなかった。

 このほかにも,幕末には何人もの蘭学者が処分を受けたり,投獄されたりした。処刑された人もいた。
 勝自身も,オランダ語を勉強中の22歳のとき,「不穏なことを学んでいる」と,周囲の者に密告され,幕府から4年間の「自宅謹慎」処分を受けている。

 それでも彼は,蘭学を続けた。このころ勝はすでに家督を継いで結婚していた。しかし,幕府の役職には就けないでいた(彼の父親もそうだった)。

 だが,武士というのは特に仕事をしていなくても,決まった俸禄(給料)は入ってくる。
 だから,薄給で苦しかったが,時間はあった。謹慎中は,日中は本を読み,夜になると,こっそり蘭学の私塾に通って勉強した。


辞書を手に入れるのも大変

 当然なのだが,勝のオランダ語学習は,ABCの文字さえ知らないところからはじまった。今の私たちは「英語ができない」といっても,少しの単語やごく初歩の文法ぐらいは知っているが,そのレベルまで達するのもかなりの道のりだった。

 そもそも,辞書ひとつ手に入れるのだって,たいへんなのである。当時,『ヅーフ・ハルマ』という代表的な蘭和辞典があった。自宅謹慎中の25歳のとき,勝はこれを手に入れようとしたが,値段を知って驚いた。当時の勝の年収の4倍の60両という値段である。とても買えない。

 そこで,その辞書を持っている人に頼みこんで,有料でその辞書を借り出し,書き写すことにした。1年余りかけて,辞書1冊をすべて写した。2部写して,1部を人に売った。それで辞書のレンタル料を差し引いても,利益が出た。

 そのころの書物は,高価だったので勝にはなかなか買えなかった。そこで,なじみの書店の好意で,よく立ち読みをさせてもらったりもした。
 
 こうして勝の蘭学は,かなりのレベルになっていった。

 彼のおもな関心は,兵学(軍事技術)だった。当時の幕府には,西洋の兵学を研究している人はいなかった。「ならば自分が」ということだ。
 いや,兵学どころか,彼がオランダ語の学習に励んでいた当時は,幕府のそれなりの武士の中で,オランダ語ができる人物など1人もいなかったのだ。


道がひらける

 26歳のとき――辞書の写本に取り組んでいたころ――渋田利佐衛門という人が勝の前にあらわれた。例の書店の主人から,勝のことを聞いて会いたくなったという。
 渋田は蝦夷地(北海道)の裕福な商人だったが,仕事で江戸に来るたび,道楽でたくさんの書物を買い込んでいた。2人は,同じ興味関心をもつ仲間として意気投合した。

 そしてある日,渋田はなんと200両というお金を支援したいと言ってきた。勝の年収の十年分以上のお金。それをポンと渡し,「これで,あなたがこれはと思う本を買って,読んだらそれを(または書き写したものを)私に送ってください」というのである。

 さらに渋田は,各地の知り合いの商人を勝に紹介してくれた。人脈が広がり,さまざまな知識や支援を得た。

 28歳になって,勝は蘭学の私塾を開いた。一人前の蘭学者となったが,依然としてなんの役職にも就けない。

 勝が31歳の1853年,ペリーの「黒船」が浦賀にやってきた。武力をちらつかせ,開国をせまってきた。幕府や各藩は大騒ぎとなった。

 このときの幕府の首脳は,「今後,国として何をなすべきか」についての論文を,広く一般から募るということをしている。たいへん異例なことだった。

 これに対し全国から数百の応募があった。勝も応募した。集まった論文は,抽象的な精神論などのピントはずれな内容のものばかりだった。

 しかし,勝のものはちがっていた。国防の強化には海軍が重要である。それはいかなるもので,その整備には何をすべきか。そういうことが的確に書かれていた。これまでの勉強・研究の成果だった。
 勝の意見は,幕府の中枢に取り上げられ,勝自身も,幕府のなかで役職を得た。

 その後の勝は,行き詰まった幕府が方向転換をして欧米に学ぶようになるなかで,重要な役職を歴任していく。
 1860年(明治維新の8年前),38歳のときに,日本の軍艦がはじめて太平洋を横断した「咸臨丸」の航海を指揮したのは,その重要な1コマだった。

 そして,幕府が崩壊するときには,その最高幹部になっていた。それまでに勝は,学問だけでなく,人を動かす政治的才能も開花させていた。そして,「幕府をどう終わらせるか」という問題に取り組んだのだった。


蘭学の創造性

 創造的な人というのはみな,自分なりの「蘭学」を発見した人である。

 つまり,それを究めることで,世の中の主流の人びとを大きく超える視野がひらけるもの。

 そういう〈新しい世界〉を発見し,追いかけることで人は創造的になる。 新たな理論を開拓した科学者,新しい産業をつくった起業家,偉大なアーティスト,みんなそうである。

 「でも蘭学なんて,既存の学問を輸入したもので,たいして創造的ではない」という見方もあるだろう。

 しかし,江戸時代の日本では,欧米の学問への権威や信頼は確立していなかった。危険思想として弾圧の対象にさえなった。「これを究めた先に,何があるかわからない」というものだった。
 
 それでも蘭学を選んだことは,きわめて創造的なことなのだ。これは,明治以降の日本人が,公認の権威となった欧米の学問をするのとは,わけがちがう。

 勝は,蘭学という,評価の定まっていないものに大きな価値を発見し,それに人生を賭けた。そして,その後の歴史は,勝の選択が正しかったことを証明した。

 未公認の〈新しい世界〉の発見。それに賭けて,全力で取り組む。しかし,世間は認めてくれない。だがしかし,ついに〈新しい世界〉の正しさが実証される……
 創造的で感動的な人生というのは,こういうプロセスを経るものだ。勝の人生は,その劇的なケースである。


自分の「蘭学」をみつけよう

 創造的に生きたいなら,自分なりの「蘭学」をみつけよう。
 たいそうなものでなく,マイナーな,ささやかなものでいい。周囲から「他愛ない(幼稚だ)」と言われるようなものでもいいと思う。

 ただ,「見つけた」と思っても,たぶん,明るい道はすぐには開けない。
 周囲はなかなか理解してくれない。
 投獄はされないだろうが,親は反対し,友達には笑われる。
 みんながすぐに褒めるようでは「蘭学」ではない。
 (もちろん,理解されやすい「公認」のものであっても,好きなことだったらやればいい。先覚者にはなれないが)

 そもそも,「賭け」に勝てるかどうかもわからない。
 「これだ」と思ったものが結局ダメだった,ということがある。
 「マルクス主義の理想」などは,その大規模な例である。前例のない新事業や野心的な創作が世に受け入れられずに終わったケースは,数知れない。
 
 しかし,「蘭学」の道は,孤独でツラいことばかりでもない。
 たとえば,仲間と出会える,ということもある。

 商人の渋田が勝を支援したことのベースには,「価値観を共有する少数派」としての連帯感があっただろう。 
 彼らは,同じ関心で結ばれた〈小さなコミュニティ〉の住人だった。
 だから,地理的に離れていても出会った。単なる偶然ではない。評価の定まっていない新しいものを追いかけていると,たまにそういう出会いが起きる。そこから,さまざまな可能性がひらけてくる。
 
 それにしても,勝のような先覚者の道が大変だとしても,せめて,同時代の創造的な人たちをバカにしたり迫害したりする側にはなりたくないものだ。
 あるいは自分の関わる世界で,身近に無名の「先覚者」がいたら,ぜひ応援してあげたい。

 それには,やはり勉強するしかないでしょう。ものをみる目を養うしかない。
 お互いがんばりましょう。

(以上)
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2014年01月28日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの70回目。
 2013年11月3日の記事にある新刊の電子書籍『自分で考えるための勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も,ぜひよろしくお願いします。

自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)
(2013/11/01)
秋田総一郎

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 この「勉強法」のシリーズも,いよいよ大詰めです。
 今回は最終回のひとつ前。次回が最終回。

 「アイデアは個人のアタマから生まれるが,それが広がるためにはグループの力(人の結びつきや協力)が必要だ」という話です。
 おおげさにいうと「研究・創造の組織論」。
 その初歩の話です。

 私は,読んだり書いたりということを,基本はひとりでやっているのですが,研究団体的な組織やNPOに積極的に参加していたこともあります。

 そういう体験をふりかえっても,今回の記事で書いていることは,まさにそうだと思います。
 組織や仲間というのは,大事だと。

 でも,深く考えたり,大事なアウトプットというのは,1人で行うものです。「みんなで・仲間で」という姿勢でうまくいくものではない。「大きな仕事」などではなく,ごくささやかな何かをするにしてもそう……そのように私は思っています。

 でも,「考えたこと」をさらに進めていったり,社会に広めていくには,仲間や読者が必要です。人とのつながりが要るのです。
 そもそも,「アウトプット」というのは,自分の考えを社会的なものにしていくため,人とつながるために行うものです。

 このあたりのことを,私はこんなキャッチコピーにしています。

 ひとりでないと考えられない。
 ひとりきりでは考えられない。


 この2つの命題は矛盾しているようにみえます。
 でも,そのように矛盾していることが,まさに真実なのではないかと思います。
 
 ***

新しいアイデアは,つぎのステップで広がる。
「個人」→「グループ」→「社会」


 新しいアイデアが社会に広がっていくには,「個人」→「支持者のグループ」→「社会の大勢」というステップをふみます。

 まず,新しいアイデアは,すべて個人の頭の中で生まれます。あたり前だと思うでしょうが,それを忘れてしまうことがあるのです。

 大企業や政府のプロジェクトの中には,「予算と組織さえあれば,何か新しいものを生み出せる」と勘ちがいして,予算の無駄づかいに終わったものがあります。しかし,特定のアイデアを持つ特定の個人の取り組みによってしか,新しいものは生まれないのです。

 たとえば,1980年代の日本で,「第五世代コンピュータ開発」という国家プロジェクトがありました。「日本独自の技術で,次世代をリードする新しいコンピュータをつくり出そう」というもので,多くの研究者が結集し,何百億円という予算がつぎ込まれました。
 
 このプロジェクトがめざしたのは,「IBMなどがリードしていきたこれまでとは異なる,コンピュータの新しい時代を切りひらくこと」でした。

 しかし,このプロジェクトは,期待したものはほとんど何も生み出せないまま終わりました。

 「コンピュータの新しい時代」をひらいたのは,日本の国家プロジェクトではなく,パソコンを初めてつくり出した,アメリカの無名の若者たちでした。アップル社を設立したスティーブ・ジョブズやスティーブ・ウォズニアックのような人たちです。お金のない彼らは,実家のキッチンやガレージで仕事を始めました。

 「第五世代コンピュータ」のことを,昔話として片づけるわけにはいきません。その後の「インターネットによる新しい世界」に関して創造的な仕事をしたのも,やはり「無名の若者たち」でした。

 ***

 いいアイデアが生まれると,次にそのアイデアを支持する限られた人たちが現れます。その支持者たちが,何らかのグループや組織をつくっていきます。
 
 企業のような組織そのものが,アイデアの支持者として現れることもあります。支持者のグループや組織によって,初めてアイデアが社会の大勢に普及していきます。

 学問研究の場合でも,まず独創的な学者が現れて新しい理論を考え出す。そして,学派の活動によって,新しい理論が学界や社会に影響を与える――そういうステップをふみます。

 パソコンの場合も,いきなり社会の広い範囲に普及したのではなく,少数の熱心なマニアによって支えられていた時期がありました。マニアの人たちや彼らの支持するパソコン雑誌が,パソコンを社会に認知させる「伝道者」の役割を果たしました。

 アイデアは「個人」の頭の中に生まれますが,それを広げていくには「グループ」の社会的活動が必要です。
 どんなにすばらしいアイデアでも,「個人」からいきなり「社会の大勢」ということは,あり得ません。

 新しいアイデアを持つ個人の中には,「なぜ自分のすばらしいアイデアが世に出ないのだろう」とイライラしている人がいます。そういう人は,「自分のアイデアを支持するグループ」がないのです。

 いいアイデアが出てきて,社会に広めたいと思ったら,ここに書いた「ステップ」のことを思い出してください。まず,限られた範囲で支持者が集まるかどうかです。

(以上)
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2014年01月27日 (月) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」の5回目。
 今回は「GDPでないもの」というテーマです。
 
 「これはGDPなのか?」と迷う事柄で,やはりGDPには含まれない,というものがあります。それがどういうものであるかを知ると,「GDPとは何か」がよりはっきりしてくるはずです。
 
 いろんな経済上の事柄について「これはGDPなのか?」という質問を,先日読者のピピネラさんからいただいています。ご質問の多くは,この回で展開したいと思っていたことにかかわります。


GDPでないもの


貨幣経済の外にあるもの

 これまで,「GDPとは」ということを述べてきましたが,ここで,「GDPでないもの」について述べていきます。
 そのことによって,「GDPとは何か」が,よりはっきりするでしょう。

 まず,貨幣経済の外にあるもの,つまりお金で売買されないものは,それが何らかの価値を生み出す活動であっても,GDPに含まれません。(ここでいう「貨幣経済」は,「市場経済」ともいいます)

 たとえば,主婦の家事労働は生活にとって重要なサービスを生み出していますが,お金で売買されないので,GDPには含まれません。しかし,家事労働を家事代行サービスの会社が行う場合は,そのサービスはお金で売買されているので,GDPに含みます。

 また,自給自足的に生産されたものも,売買されていないので,原則としてGDPには含みません。
 しかし,例外として,農家の自家消費分,つまり農家が自分でつくった作物を自分の家で消費した場合は,GDPに含みます。農家の自家消費は,自給自足的な消費としては比較的大きなものなので,これをGDPに含めないと,経済の実態をゆがめてとらえてしまう,という考えからです。

 このようにGDPは「貨幣経済の世界」だけを対象にしています。
 ということは,貨幣経済の発達した社会でないと,GDPというものは成立しないわけです。

 たとえば,日本では平安時代くらいまでは,貨幣経済はきわめて未発達で,お金によるモノやサービスの取引は,ごく限られていました。だから「平安時代のGDPは?」という問いかけは,ほとんど意味をなさないといえます。

 GDPから経済をみることができるのは「近代的な経済」かぎられる,といってもいいでしょう。


金融のお金の流れ

 モノやサービスの売買と同じように,お金のやり取りが行われていても,GDPには含まれないものがあります。
 これは,「金融のお金の流れ」というものです。

 「金融のお金の流れ」とは何か?
 これは,基本としては「お金を貸す」ことだと考えてください。
 「金融の基本は,お金の貸し借り」ということです。

 「お金を貸す」というのは,「返してもらう」という前提の,お金の流れです。たいていは,返済の期限があり,利子を払う約束がつきます。利子とは,お金を貸してくれたことに対するお礼,あるいはお金のレンタル料のようなものです。

 これに対し,GDPに含まれる「買い物」のお金の流れは,お金を支払って,そのかわりに商品(モノやサービス)を手に入れることです。
 
 AさんがBさんに100万円を貸す。そこで100万円のお金が動いていますが,この「お金の流れ・動き」は,GDPには含みません。そこには「モノやサービスの売買」ということがないからです。
 単に「100万円」というお金の置き場所がAさんの財布からBさんの財布に変わっただけ,ともいえます。
 
 私たちが銀行に預金するのも,「お金を貸す」ことの一種です。
 銀行預金の利子は,銀行が私たちに借金の利子を払っているのです。預金を銀行から引き出すのは,貸したお金を返してもらっているのです。

 銀行は,私たちから借りたお金を,企業に貸しつけたり,国債や株などの証券を買ったりして「運用」しています。

 「国債を買う」というのも,「お金を貸す」ことの一種です。
 新たに発行された国債を誰かが買うと,その買ったお金は国の金庫に入ります。そして国は,国債を発行したときの約束にしたがって,国債の保有者に利子つきで借りたお金を返していくのです。

 「株を買う」というのも,その株式を発行した会社にお金を貸しているのに近いです。
 ただし,ふつうの貸し借りではなく,「お金を受け取った株式会社は,事業の利益が出た場合に配当という形で,お金を出した人(株主)にお金を返す」ことになっています。

 こういう特殊なお金の流れは,「貸す」とはいわず「出資」といいます。
 「出資」は「貸す」から派生した進化系といっていいでしょう。
 
 以上のような「お金の貸し借り」「その進化系である出資」ということが,「金融のお金の流れ」の中心です。
 この「金融のお金の流れ」は,GDPには含まれないのです。

 そして,国債や株式の売買には,「最初にそれが発行されたときの売買」と,「一度発行されたものを,他人に譲渡する売買(転売)」があります。今述べたのは「最初に発行されたときの売買」のイメージです。
 そして,「一度発行された証券を転売する」ことも,やはりGDPには含みません。
 これも,お金や証券(株や国債)の持ち主が変わっただけで,新たな付加価値が生まれたわけではない,ということです。

 土地の売買も,これと同様の考えでGDPには含めません。
 土地が売買されても,お金や土地の持ち主が変わっただけ,ということです。

 ただし,銀行が企業にお金を貸すなどして受け取った利子は,GDPに含めています。
 銀行が受け取った利子は,「金融のサービス」という付加価値の対価として位置づけられています。「お金を必要とする企業にお金を融通する」というサービスを提供したのです。銀行などの金融機関は,そのような「金融のサービス」を生産しているわけです。

 また,不動産の売買で不動産会社が得る仲介手数料も,「仲介サービス」の対価であり,GDPに含まれます。

 やや性質は異なりますが,中古品の売買も「持ち主が変わっただけで,新たな付加価値の生産がない」ということで,GDPに含めません。

 
「国内」と「国民」

 結局,「GDPでないもの」は何か?については,以上述べた2つのことをまずおさえましょう。

 (GDPでないもの)

 ・お金で売買されないもの
 ・金融のお金の流れ


 この2つは,いわば基本です。このほかの「GDPでないもの」の知識は,枝葉に属するといっていいです。

 「枝葉」の中の最も代表的なものは,「GDP=国内総生産」と「GNP=国民総生産」のちがいです。
 「国内」と「国民」のちがい。

 「国内総生産」だと,日本在住の外国人の所得は含まれ,外国在住の日本人の所得は含まれません。
 「国民総生産」だと,日本在住の外国人の所得は含まれず,外国在住の日本人の所得は含まれます。

 このように両者はちがいますが,基礎となる「生産」の概念は同じです。つまり,貨幣経済のなかで取引される付加価値の生産を対象としており,金融のお金の流れを含まない,という「幹」の部分は同じなのです。

 ***

 それから,「輸出・輸入」といった海外とのやりとりのことは,これまで触れてきませんでした。
 これは,後の章できちんと述べます。
 「海外とのやりとり」のことは,国内の経済をみるのとはやや異なる視点や発想があるので,別に扱ったほうがよいと考えるからです。

 とりあえず,

 「輸出-輸入」額がGDPに含まれる

 ということだけ述べておきます。

 「輸出-輸入」のことを「純輸出」といいます。「貿易黒字」というのは,この「純輸出」です。


実体経済と金融経済

 もうひとつ,まとめておくべきことがあります。

 それは,経済には大きく2つの「お金の流れ」があるということです。

 「お金の流れ」というのは「お金の動き」「お金のやり取り」あるいは「取引」などといってもいいですが,ここでは「お金の流れ」ということにします。
 今の社会では,お金の流れをともなわない経済活動(自給自足や物々交換)の比重は,かぎられています。
 だから「お金の流れの世界≒経済」と考えていいでしょう。

 【経済の2つのお金の流れ】

 ①GDPに含まれるお金の流れ…「買い物」の世界(モノ・サービスの生産・取引)
 ②GDPに含まれないお金の流れ…「金融」の世界(お金を貸す・出資する)
 

 ①のことを実体経済,②を金融経済ともいいます。

 「実体経済」「金融経済」といういいかたには,「実体」のほうがよりホンモノである,というニュアンスがあります。たしかに私たちの生活を「直接」にかたちづくるのは「実体経済(GDPに含まれる世界)」のほうです。その意味で「実体」なのです。

 しかし,現代の経済においては「実体」と「金融」は,ワンセットです。金融経済なしで実体経済はまわっていきません。銀行が企業にお金を融資(貸す)したり,株式の発行によって資金調達をする,国債を発行して政府が予算をまかなうといったことがないと,企業も政府も満足な活動ができないのです。

 「金融」とは,「お金を融通する」ということです。
 「融通する」とは,お金を「余っているところから,必要としているところへ移してあげる」ことです。

 このような活動は,GDPそのものにはカウントされなくても,GDPに影響を与えます。
 たとえば,生産拡大のために資金を必要としている企業にお金が十分に融通されれば,つまり融資が活発になされれば,GDPは増えていきます。

 つまり,金融とは,必要なところへお金を移すしくみといっていいでしょう。

 ***

 これから,何回かにわたって「実体経済や金融経済を構成する各要素と,その相互の関係」をみていきます。
 「実体経済」「金融経済」という,経済の2大領域を見渡すための最低限の話をするつもりです。

 たとえば「個人の買い物(個人消費)」「企業の買い物(設備投資)」「政府の買い物(政府支出)」の相互関係,といったことです。
 金融経済についても,「金利」「為替」「株価」などの重要な要素があり,それが実体経済に影響を与えています。また,金融経済の各要素のなかでも,互いに影響を及ぼしあっているわけです。

 そのような相互関係の基礎を,ざっくりみわたしていきます。
 すると,初歩のレベルなりに「経済全体の見取り図」がアタマの中にできていくはずです。

(以上)
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2014年01月25日 (土) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」の4回目。
 とにかくまずGDPに関する基礎概念を述べています。これがあやふやだと,やはり経済はわかりません。
 

「付加価値」というパイを分け合う

「利益」にはいろいろある

 ここで,GDPについて前に述べた「生産された付加価値は誰かの所得」ということについて補足します。

 前回(第3回)に「GDP=生産された付加価値」であり,それは「商売,つまり企業の儲け(利益)の一種」だといいました。

 すると,「それなら,GDPが増えても企業が儲かるだけで,私たちには関係ない」と思う人がいるかもしれません。でも,それはちがいます。GDPの増加は,企業だけでなく,私たち個人にも影響します。社会全体に影響を及ぼすのです。

 まず,「企業の儲け=利益」ということについて,もう少し説明しましょう。

 利益とは,企業がその活動で得たお金から,活動にかかったお金をさしひいた残りのことです。企業が得たお金のことは,会計の用語で「収益」といいます。かかったお金は「費用」といいます(「会計」とは,企業などのカネやモノの出入りを記録・管理すること。専門的なノウハウやルールがある)。

 つまり, 収益(得たお金)-費用(かかったお金)=利益 です。

 ただ,「どこまでを収益・費用として考えるか」というのが,場合によってちがいます。ここがポイントです。

 会計の用語で「売上総利益」とか「経常利益」というのがあります。どちらも「利益」ですが,内容がちがいます。

 売上総利益は,その会社の「本業」にかかわる収益・費用を計算したものです。「粗利」ともいいます。

 つまり,工場でモノをつくるのが本業の会社なら,

 製品の売上-工場でかかった費用(原材料費,工場での人件費や電気代など)=売上総利益(粗利)

 これには,本業以外で得た収益や,現場(工場)以外で発生した費用は入っていません。

 「本業以外の収益」というと,たとえば会社の銀行預金につく利子があります。「現場以外で発生する費用」には,たとえば本社(総務・経理など)の人件費や,借入金に対し支払う利子があります。こういうのもふくめて計算したのが,経常利益です。

 さらに,経常利益でもカウントしない「災害による損失」のようなイレギュラーなこともふくめた「当期利益」というのもあります。

 なぜ,いろいろな「利益」があるのでしょうか? それは,場合によって「企業の何をみたいのか」がちがうからです。「本業でどのくらい儲かっているか」をみたいときもあれば,本業以外のこともふくめてトータルにみたいときもあり,それで使いわけるのです。


付加価値という「利益」

 さて,GDP=付加価値=企業の利益の一種ということについてです。
 この場合の「利益」,つまりGDPの世界でいう付加価値というのは,製品・サービスの売上-原材料費(または仕入れた商品の値段)です。

 これは,売上総利益(粗利)よりも,さらに費用の範囲が狭いです。原材料費だけを費用としています。

 じつはこういう「利益」は,企業の会計ではあまり使いません。ふつうの人の感覚ともちがいます。「利益」というには,あまりに多くの費用を計算に入れてないからです。一般的な感覚でいう「利益」とは,原材料費のほか,人件費や家賃や電気代などの諸費用を支払った結果,残った金額のことです。

 しかし,GDPでいう付加価値は,そうではないわけです。原材料費のほかにもある,いろんな支払いをさし引く前の「利益」のことなのです。だから,その利益=付加価値の多くは,企業の手元には残らないで,いろんな相手方への支払となって外へ出ていきます。

 まず大きいのが,従業員に支払う給与(人件費)です。ほかに,大家に家賃を支払ったり,電力会社に電気代を支払ったり,銀行に利子を払ったり……。運送,清掃,警備などのサービスを提供する会社に料金を支払う場合もあるでしょう。

 このようにいろいろな支払をしたうえでの利益は,さきほどの経常利益に近いものです。これを,株主に配当として分配したり,役員へのボーナスにしたりするのです。

 そのうえで残ったお金が,企業の最終的な利益です。当期利益というのは,ほぼこれのことです。この最終的な利益の蓄積を,会計の用語で「内部留保」といいます。


「パイ」を分けあう

 このように,会社が生産した付加価値は,いろんな人たちへの支払いになるわけです。

 これはつまり「付加価値を関係者みんなで分けあっている」ということです。関係者とは,その会社の従業員,納入業者,銀行,株主,経営者等々です。

 そこには,「従業員」といった「ふつうの個人」もふくまれています。また,納入業者などの企業への支払は,その企業の売上(収益)となって,その従業員などの関係者にさらに分配されることになります。

 そういうことが社会のつながりなかで無数に行われて,生産された付加価値をみんなで分けあっているのです。分けあった付加価値=支払われたお金は,それぞれの所得となります。

 だから,GDP=付加価値の増加は,企業の利益の増加だけではないわけです。私たち個人の所得にもつながっていることなのです。

 GDP=付加価値のことを,食べ物の「パイ」にたとえることがあります。うまいたとえだと思います。

 私たちは,みんなでパイを分けあって食べているのです。
 GDPの増加は,「パイが大きくなる」ということです。
 単に「分けあう」だけでなく,経済活動を通してその「パイ(GDP)」を大きくできる,というのは大事なことです。

 こういうと,「パイの分け方をもっと公平すべきだ」とか,気になることがあるかもしれません。それはそれで,重要な問題です。しかしまずは,つぎのイメージをしっかりと持ちましょう。

 つまり,

 付加価値というパイを社会のみんなで分けあっている
 
 このイメージも経済を理解するうえで基礎となる,たいへん重要なものです。


個人と企業の間の分配

 下のグラフは,GDP=付加価値というパイを,個人と企業でどう分けあっているかの比率を示したものです。これは,「所得の分配」という面からみたGDPの内訳です。
 ただし,分けあうベースとなっている数字は,GDPではなく「国民所得」というものです。これは,GDPをもとに一定の足し算・引き算をして,「国全体の正味の稼ぎ・儲け」を割り出した数字です。

国民所得の分配

 国全体の「正味の」稼ぎ・儲け=国民所得を割り出すために,どうするのか? GDPから「国全体の建物や設備(固定資産という)が年々古くなって価値が目減りする分の金額」を差し引くのです。建物や設備は,古くなると価値が下がります。たとえば中古のマンションは,新築のときよりも値段が安いのがふつうです。

 国全体の「固定資産の目減り分」の金額は,2009年度は103兆円になりました。GDPの2割ほどにもなる,大きな金額です。
 ほかにも足し算・引き算がありますが,おもな項目は固定資産の価値の減少です。

 なお,ここではこのような計算方法について立ち入る必要はありません。「国民所得は,GDPと似たようなもの」という理解でもいいのです。
 この「国全体の正味の稼ぎ・儲け」である国民所得は,「国全体の所得の分配」状況をみるうえでよく用いられる数値です。


おもに個人に分配される

 このグラフで「雇用者報酬」というのは,個人に支払われる給与などです。つまり,個人の所得です。これが全体の7割ほどを占めています。

 「財産所得」は,企業以外(個人,政府,非営利団体)が得た,預金の利子や株式の配当などの所得です。実態として財産所得のほとんど(9割以上)は個人の分です。雇用者報酬と財産所得を合わせると78%です。国民所得の8割弱が個人に分配されているということです。

「企業所得」は,企業の利益です。法人(会社)だけでなく,個人の自営業の分もふくみます。

 この数字をみて,「個人の割合が,思ったより多い」という人もいます。しかし,第2回でみたように,個人の買い物がGDPに占める割合は,6割ほどです。国民所得(GDPをベースにした数字)の7割ほどが個人に分配される,というのはそれとだいたいつじつまがあいます。


政府の税収の源泉も,貯蓄の源泉も,GDP

 そして政府は,個人と企業の所得から,その一部を税金として集めています。

 個人の所得には「所得税」が,企業の所得(利益)には「法人税」がかかります。「消費税」というのもありますが,これは「所得を使って買い物をしたとき」にかかる税金です。

 「所得」とは,国民所得のことです。国民所得とは,GDPから「固定資産の目減り分」を差し引いたものです。
ということはつまり,政府の税収の元になっているのは,GDPなのです。税金を納めるというのは,「GDPの一部を政府に渡すこと」です。

 ほかにも,GDPを源泉とするものはあります。「貯蓄」はそうです。

 貯蓄とは,「個人や企業が得た所得のうち,それが新たな買い物に使われないで残った分」です。その残った分を,多くの人は銀行や郵便局に預けます。

 ここで所得とは,GDPのことです。GDPというのは,ある一面からみたら「所得」なのですから。ということは,貯蓄の源泉も,やはりGDPなのです。貯蓄とは,いわば「使われずに余ったGDP」です。

 ところで,銀行や郵便局に預ける以外にも,「貯蓄」の方法はあります。「余ったGDPの行先」は預貯金以外にもある,ということです。それは,株式や国債といった証券を買うことです。

 「金融」や「証券」といったことについては,あとでまた説明します。とりあえず「証券とは,配当や利子といったお金を受け取ることができる,そういう約束を記した権利証のこと」と理解してください。

たとえば国債というのは,個人や企業が政府に「貸す」というかたちでお金を渡して,受け取る権利証です。そうやって証券を受け取ることを,(証券を)「買う」というのです。

 政府は,活動に必要な資金を,税収のほかに国債を売って借金することでもまかなっています。その国債は,人びとが余った所得(=GDP)で買っています。ということは,政府が借金をする源泉も,やはりGDPなのです。これも押さえておいてください。

 結局,税収せよ借金にせよ,政府の活動資金の源泉は,すべてGDPを源泉としているのです。

 ただし,国債を外国人(外国の企業・政府・個人)に買ってもらうこともあります。これは,外国のGDPを源泉として,政府が資金を得ていることになります。

 どの国も多かれ少なかれ,外国人に国債を買ってもらっています。

 日本の場合は,2012年末現在で「国債のほとんど(90%)を国内の個人や企業が買っていて,外国人の割合は少ない」のですが,中には外国人の割合のほうが高い国もあります。たとえば,近年「債務危機」が問題になったギリシャの国債の7割ほどは,外国人が買っているのです。

 きちんとした説明は,あとで「国債」をテーマにした章で行いますが,やはり財政や経済の安定にとっては,国債はおもに国内の人びとに買われるほうが望ましいです。つまり,政府の活動資金をむやみに外国のGDPに頼るわけにはいきません。


くたばれGDP,がんばれGDP

 世の中には,「くたばれGDP」という主張があります。「GDPの拡大ばかり追求するのはまちがっている」「環境や文化のような,GDPではあらわせない価値のほうが大事だ」といった考え方です。

 もちろん私も,GDPがすべてだとは思いません。GDPというのは「買い物額」ですから,お金で売買されるものしかあらわせません。「お金であらわせる以外にも,大事なものがある」というのは,当然のことです。

 しかし,これまでみてきたことからすると,GDPというのはやはり重要なものだと思ませんか?
 私たちはみなGDPという「パイ」を分け合って暮らしています。それは政府も同じことです。政府の活動資金の源泉は,GDPなのです。貯蓄も,GDPが源泉です。

 そういうものを,「くたばれ」といって無視して,経済や社会のことがわかるはずもありません。GDPのことは,経済をみるための重要な概念として,しっかり押さえておかないといけません。

 「くたばれ」という人がたくさんいるので,「がんばれGDP」といいたくなるくらいです。

 だからといって,「GDPこそすべて」ということではないわけです。まずは,それ(GDP,お金であらわせる世界)についてよく知ろうじゃないか,というだけです。

 GDPを深く知ることで,あなたの経済や社会についての視野は,ずっとひらけてきます。それとあわせて,GDPであらわせない世界についても考えていけばいいでしょう(GDPの世界とGDPであらわせない世界の関係についても,勉強するといろいろみえてくるでしょう)。

 ただし,このシリーズでは「お金であらあわせる世界」をメインに話を進めていきたいと思います。「経済入門」として,まず大事なのはそれです。

(以上)
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2014年01月23日 (木) | Edit |
GDPの三面等価

「ダブり」を取り除く

 「GDPは総買い物額である」というと,「ほかの本で読んだ説明とちがう」とか,「総買い物額がなんで〈総生産〉なの?」といわれることがあります。ここで,そんな疑問に答えます。

 「総買い物額」というけど,じつはそこにはふくまれない,特殊な「買い物」があります。それは,「そのモノを誰かに売ることを前提にモノを買う場合」です。日常的な言葉なら,「仕入れ」と言えばいいでしょう。「仕入れ」は,個人が日常生活でする「買い物」ではなく,企業がビジネスのためにするものです。

 「仕入れ」としての買い物は,GDPにはカウントしません。「仕入れ」には,①仕入れたモノをそのままの形で売る場合と,②原材料として仕入れる場合とがあります。

 たとえば,「スーパーがパン工場からパンを仕入れる」のは①のパターンで,「パン工場が原材料の小麦粉を仕入れる」のは②のパターンです。

 なぜ,そんなやり方なのか。「そうしないと,生産されたモノの価値をダブって計算してしまうことになるから」です。

 経済の入門書でよくあるのは,つぎのような説明です。

・スーパーで食パンが100円で売られている。私たちがそれを手にするまでには,いろんな過程を経ている。

(イメージ)
 農家がコムギを育てる→コムギを原料に製粉業者が小麦粉をつくる→小麦粉を原料にメーカーが工場でパンをつくる→パンを小売店が仕入れて消費者に売る。

・コムギは,ひとつの段階を経るごとに手を加えられ,そこでの仕事(労働)の分の値段を上乗せされていく。

(イメージ)
 100円の食パンの材料に使うコムギが10円。
 それが,小麦粉になると20円。
 その小麦粉でつくったパンを,メーカーは80円でスーパーに売る。
 さらに,スーパーはそのパンを100円で私たちに売る。

・GDPの計算では,以上のすべての段階の金額(買い物額)を合計するということは行わない。最終的に生産されたパン100円の価値だけをカウントする。

 つまり,コムギ10円+小麦粉20円+パン80円(メーカーからスーパーへの卸価格)+パン100円(スーパーでの販売価格)=200円 ということは,しない。

 なぜこのように考えるのでしょうか。

 この過程で生産されたのは,あくまで100円の価値のパンです。小麦粉などの原材料費や,スーパーが工場から仕入れるときの値段は,スーパーでの販売価格100円の中にふくまれています。そこをダブってカウントしないようにしているのです。最終的に生産された100円の価値だけをカウントします。

 このように,「ダブリ」を除いて,国全体の買い物額をカウントしていったのが,GDPです。このダブリの部分のことを経済学では「中間投入」といいます。

 「中間投入を除く」という一定の操作を加えた「総買い物額」。
 そうやって「生産された価値」を把握した数字。

 それがGDPの,よりくわしい定義です。「生産された価値」のことは,「付加価値」といいます。

 つまり,GDPは「国全体で,さまざまな労働によって生産されたモノやサービスの付加価値の合計」なのです。国内で生産された価値の合計。だから,「国内総生産」といいます。


誰かの支出は誰かの所得

 じつは,「国内総支出」という言葉もあります。さしているものは「国内総生産」と同じです。

 ただ「総支出」というのは,生産された価値あるモノやサービスを誰かがお金を「支出」して買っている,という面からものごとをみています。「買い物」としてGDPをとらえた言葉です。

 最初に出てきた「GDPは総買い物額」というのは,「総支出」としてGDPをみたものなのです。「総生産」と「総支出」は,コインの表と裏のような関係です。同じものを,どちら側からみるか,というちがいです。

 さらに,「総所得」という言葉もあります。これも,「総生産」「総支出」と同じものを,別の側面からみたものです。

 つまり,誰かがお金を支出してモノやサービスを買ったとき,それは売った者(企業やその従業員)の所得になります。つまり,「それだけのお金が入ってくる」ということです。
 誰かの支出は誰かの所得。だから両者もイコールだ,というわけです。

 「誰か」というのは,要するに私たちのことです。「誰かの支出は誰かの所得」というのは,

 私たちが買い物をすれば,それは誰かの所得となる

ということです。

 言ってしまえばなんでもないことですが,これはじつは経済をみるうえで非常に重要なことです。

 また,「生産された付加価値は,誰かの所得」ということもいえます。付加価値というのは,売上から原材料費などの中間投入を除いた分のことでした。これは,かみくだいていえば商売の「儲け」の一種だといっていいでしょう。

 この「儲け」は,どうなるのかというと,会社の従業員と会社,そして会社に出資した株主などで分けることになるのです。

 つまり,従業員の給与,役員への報酬,株主への配当,会社の蓄え(内部留保という)などになります。「儲け」が山分けされてみんなの「所得」になるのです。そして,「儲け」とは言い換えれば「付加価値」のことなのです。

 ここのところはややむずかしいので,次回以降でまた補足します。


GDPの三面等価

 誰かの支出であり,同時に誰かの所得である金額は,そのモノやサービスを生む労働によって生産された「価値」である。
 つまり,

 総生産=総支出=総所得

 これを,経済学で「GDPの三面等価」といいます。

 これは,たとえばこんなイメージです。
 底面が三角の立方体(三角柱)があって,これが「GDP」だとする。この三角柱はみる角度によって,ちがう面(「生産」か「支出」か「所得」か)がみえている。でも,どの面からみても,同じひとつの存在(三角柱)をみている……
     GDP三角柱

 多くの経済の入門書や教科書では,「総生産」という面から,GDPをまず説明します。真正面からの説明です。
 しかし,「中間投入を除いた価値の総生産額」という説明は,入門としてはじつはハードルが高いのです。最初にこの説明をもってくると,初心者はかなりの率で拒絶反応がおきます。
 
 それより,「買い物」としてまずGDPをとらえるほうが,初心者にはイメージしやすい。そして,まずはばくぜんと「国全体の総買い物額」とイメージする。そのあとで一歩進めて,「ダブリ=中間投入」を除いたものとして,理解すればいい。この本では,そういう説明の順序をとりました。

(以上)
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2014年01月19日 (日) | Edit |
「総買い物額」の内訳

みんなの買い物の「みんな」とは?

 これまでに「GDPとはみんなの買い物の総額である」「日本の1人あたりのGDPは370万円(400万円弱)である」ということを述べました。

 それに対しこんな疑問を抱く人もいます。「1人あたり370万円ということは,4人家族だと1500万円。ほんとにそんなに買い物するの?」

 じつは,まだ大事なことを説明していませんでした。それは,「みんなの買い物」というときの「みんな」というのは,私たち1人1人のような「個人」だけではない,ということです。

 経済において「買い物をする存在」は,大きく分けてつぎの3つがあります。

 ①個人(家計)  ②企業  ③政府(国や自治体)

 この「買い物をする存在」のことを「経済(の)主体」といいます。「経済における行動の担い手」ということです。

 企業というのは,製品やサービスをつくったり売ったりするのが仕事ですが,その仕事をするためにパソコンを買ったり,本社のビルを買ったり,工場を建てたり機械を買ったり,いろんな「買い物」をしています。

 政府も同じことです。役所にある机もパソコンも,買ってきたものです。道路をつくったり,学校や病院を建てたりといった公共事業は,政府の大きな「買い物」といえるでしょう。

 「個人」は経済学では「家計」といいますが,とっつきにくい言い方なので,この本では「個人」にします。
また,ここで「企業」というのは,純粋な民間企業だけでなく,政府や自治体の経営する公営の企業もふくみます。

 ここまでをまとめると,こういう「公式」になります。

日本の総買い物額
 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物


 「その国の経済は,個人と企業と政府の買い物が合わさってできている」といってもいいです。
「買い物額が1人平均年間370万円というのは多すぎるのでは?」と思った方は,たしかにそのとおりで,この「370万円」には,企業や政府の分もふくまれていたのです。だから,「個人の買い物の1人あたり平均」は,370万円よりは少ないです。


主体別の内訳

 では,日本の総買い物額=GDPに占める「個人」「企業」「政府」のそれぞれの割合は,どうなのでしょうか?

【問題】
現在の日本のGDPで,最も多くの割合を占めているのは,つぎのうちのどれだと思いますか? 

予想
ア.個人による買い物
イ.企業による買い物
ウ.政府による買い物


***


 つぎの帯グラフは,今の日本のGDP=総買い物額の内訳です。個人による買い物がGDP全体の60%を占めています。GDPの最も多くの部分は,私たち個人の買い物が占めているのです。

GDP内訳

 ここでいう「個人の買い物」には,「個人消費」と「住宅の購入」があります。住宅の購入は,統計のうえでは,日常的な買い物である「消費」と区別するのです。ただ,住宅購入の額は,個人消費よりずっと少ない(20分の1ほど)ので,個人の買い物≒個人消費と言っていいです。

 日本の1年間の個人消費(+住宅購入)の総額は,286兆円。1人あたりだと,286兆円÷1億2800万人≒220万円。
 これが「個人の年間の買い物額の平均」なら,多くの人の生活感覚ともそんなにズレていないのではないでしょうか。

 なお,個人,企業,政府の買い物のほかに「非営利団体」による買い物もあります。「非営利団体」とは,病院,学校,宗教法人などです。また,GDPには「純輸出」という項目もあります。年間の輸出額から輸入額を引いたものですが,これは別のところでまた説明します。


国の経済の内訳を知る

 前にも述べたように,「景気がいい・悪い」というのは,「みんなの買い物額=GDPが増える傾向にあるか,減る傾向にあるか」ということです。

 そして,GDPの最も大きな部分は,個人の買い物(「個人消費」というのと,ほぼイコール)なのです。だから,景気がよくなる・悪くなるということに対して,私たち個人の動きは,きわめて大きな影響をあたえるということです。

とにかく,この「公式」は重要です。

 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物

 こういう内訳を知るのが重要なのは,国の経済がどういう要素で成り立っているかを知ることだからです。それは,景気低迷などの問題があるときに,どこに原因があるのか,どういう対策をとるべきか,といったことを考える入り口になります。

 会社の経営でも,会社全体の数字だけでなく各部門別の売上などの数字をみて,どの部分に問題があるのかを把握しようとします。それと同じようなことです。

(以上)
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2014年01月19日 (日) | Edit |
 「GDPでみる経済入門」のシリーズを,もう一度最初からやり直します。
 このブログをはじめた頃にスタートしたのですが,あちこち寄り道しているうちに,当初予定していた「系統的な展開」がどこかへいってしまいました。そこで仕切り直し。

 経済入門の本や文章は山ほどあります。
 「世界一やさしい」「高校生でもわかる」とうたっている本も多いですが,ほんとうに「やさしい」「わかる」というものを私はめったにみたことがありません。ほとんどは,「やはりむずかしい」か,イラストやあいまいなたとえ話で「ごまかしている」ように,私には思えます(ただし「初心者には少々むずかしくても,内容のしっかりした良い本」というのはあります)。

 「経済入門」というのは,それだけむずかしいということです。

 この数年,「やさしい経済入門」を書こうとトライして,すでに何百ページかの草稿を書いているのですが,その「むずかしさ」を痛感しています。

 この「GDPでみる経済入門」の方針は,とにかく「欲張らない」こと。
 経済について一応の常識的な理解や見方をするための,入門的な知識を述べていく。
 「全体」のほんの一部のことだけでもいい。多くを網羅しようとしない。
 ほんの「さわり」の知識でいい。
 「最新ニュースがわかる」とか「常識を覆すものの見方」などは,得られなくていい。
 
 それでも,丁寧に,ごまかさず,一定の体系性をもったかたちで「経済を理解するための知識」を述べていきたいと思います。

 その核になるのは,「マクロ経済学」です。
 「マクロ」というのは,「大きな視点でみた・全体の」ということ。
 マクロ経済学は,「国の経済を全体としてとらえる学問」です。現代の経済にかんする議論の,メインの領域といっていいです。

 「経済全体をとらえる」というのは,あたりまえのようにも思います。
 でも,じつは経済という大きな全体をとらえるのは,むずかしいです。私たちは経済をみるとき,小さな・個別的な現象を基準にものを考えがちです。そして,「個別」でみれば正しくても「全体」にあてはめるとまちがっている,ということが,経済ではしばしばあるのです(このへんは,本文で述べていきますので)。
 
 このシリーズの表題にもある「GDP」という概念は,マクロ経済学の基礎ともいえるものです。
 このあたりのことは,20世紀の経済学がきりひらいた,偉大な遺産。
 その偉大な「遺産」の初歩の初歩,つまり「幼稚園」レベルを,述べていきたいと思います。

 それではものたりない?

 でも,偉大な学問・科学の遺産の「幼稚園レベル」というのは,しっかり自分のものにすれば,かなり役に立つはずです。
 経済の未来をピタリと予測したり,すばらしい経済政策を考えたり,ということまでは難しいと思います。でも,巷にあふれている,経済にかんするいい加減な見解をうのみにはしなくなるはずです。あるいは,少しは自信を持って経済のニュースを見たり聞いたりできるはず。

 そんなささやかなレベルが,この「経済入門」の目標です。それでも,「世界をみる目」はかなり確かなものになるのではないかと思います。

 系統性(話のつながり・まとまり)を大事にしたいので,1回の記事がかなり長くなるかもしれませんが,よろしければぜひおつきあいを。


GDPとは「国全体の総買い物額」

国内総生産・GDP

 あなたは,「GDPとは何か」と聞かれて,自信を持って「わかっている」と言えますか?

 別の言いかたをすれば,「〈GDPとは何か〉を中学生に説明できるか?」ということです。私の友人たちに聞いてみると,「だいたいのことはわかっている」という人でも,「子どもに説明するとなると,ちょっと自信がない」と言います。

 GDPというのは,英語の頭文字をとった言葉です。日本語では「国内総生産」。
 しかし,「コクナイソウセイサン」というのは長くて言いにくい。そこで英語の

 ross(グロス=英語で「全体の」「総」と言う意味)
 omestic(ドメスティック=国内の)
 roduct(プロダクト=生産)

の頭文字をとったGDPという方を,よく使います。


「総買い物額」のイメージ

 GDPとは,一言でいうと「国全体の,みんなの1年間の買い物の総額」のことです。

 つまり,みなさんがスーパーで食料品を買ったり,デパートで服や靴を買ったり,ローンを組んで自動車やマンションを買ったり,美容院に行ったり,旅行で電車に乗ったりホテルに泊まったり……そんなふうにして,日本じゅうで1年間に使った金額です。
 この「買い物額」の合計(総買い物額)がGDPです。

 「四半期(3ヶ月)」のGDPというのもありますが,より一般的なのは「1年間」でみた数字です(この本では「GDP」というときは,とくに断らないかぎり1年間のGDPです)。

 「何を買うか」は,モノを買う場合とサービスを買う場合があります。食料品や洋服や自動車やマンションを買うのは,モノを買うこと。髪を切ってもらう,電車に乗る,ホテルに泊まる,というのはサービスを買っています。理容のサービス,輸送のサービス,宿泊場所の提供というサービスです。)

 「GDPは総買い物額である」というのは,うんと単純化した説明です。補足すべき点もあります。しかし,最初に入るときのイメージとしては,とりあえずこれでいいのです。


日本のGDPの額

ここで,問題です。

【問題】
現在(2010年度)の日本のGDPは,どれくらいだと思いますか?

予想
ア.5兆円 イ.20兆円 ウ.100兆円 エ.500兆円


***


 2010年度(2010年4月~2011年3月)の日本のGDPは,476兆円(475兆7578億円)です。

 最近数年間の日本のGDPの推移はこうです。

 2006年度  2007年度  2008年度  2009年度  2010年度
 511兆円   516兆円   492兆円   474兆円   476兆円

 ご覧のように,最近はやや減少傾向にあります。このような変動はありますが,だいたいの数字で「日本のGDPは480兆円」と憶えておけばいいでしょう。「480兆円」というのは,「500兆円まではいかないけど,450兆円よりは多い」というニュアンスです。あるいは,もっとざっくりと「400何十兆円(なんじゅっちょうえん)」でもいいです。

 「日本のGDPは480兆円」というのは,「日本の人口は1億2800万人(2010年現在)→1億3千万人」という数字とともに,ぜひ知っておいてほしい数字です。

日本経済を知る最重要の数字
 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 480兆円


 「正確な数字」にこだわらず,このドンブリの数字でおぼえるのがコツです。細かい数字は,使いこなせません。
 しかし,この「GDP480兆円」は,必ずしも「常識」にはなっていないようです。この問題を「経済の素人」を自認する大人に出してみると,何割かはまちがえるか,自信のなさそうな答えになります。


政府が算出する数字

 そもそも,GDPは,どうやってわかるのでしょうか?
 GDPは,政府が算出する統計数値です。しかし,政府が「すべての人の買い物を調べて合計している」わけではありません。

 そのかわり,政府はモノやサービスの売り手である企業に対して,売上などの状況を調査しています。各社の会計帳簿にもとづいたデータです。企業の売上は,結局はお客さんであるみなさんの買い物です。だから,そこからGDPがわかるのです。
 このほかにも,政府は国の経済や社会の様子をつかむため,つねにいろいろな統計調査を行っています。

 GDPは,企業の売上をはじめとするさまざまな調査のデータをもとに,政府の専門家がいろいろな計算をして出した数字です。これには,たいへんな手間がかかります。だから,信頼できる数字を出すには,しっかりした政府や企業の組織が,社会に存在していることが必要です。


普及して数十年ほど

 GDPやそれと同類の統計数値(「GNP」「国民所得」など)が広く使われるようになったのは,この数十年ほどのことです。ほぼ第二次世界大戦後(1945年以降)といっていいでしょう。
 現代では,経済の問題について考える人は,誰もがGDPという数字をみるようになりました。

 GDPは,経済が発達し,政府の組織が整備され,経済や統計についての学問が進歩した結果,生まれた考え方なのです。

 「景気がいい・悪い」ということが,つねづね論じられます。「景気がいい」とは,みんなの買い物が活発になって,GDPが増える傾向にあることです。「景気が悪い(不況である)」とは,みんなの買い物が停滞して,GDPが減る傾向にあることです。

 「中国のGDPが,日本のGDPを追い抜いた」ことが近年話題になりました。それは,「GDPの大きさ」が,「国力」を測る最も重要なモノサシになっているからです。

 GDPは,少々とっつきにくくても,理解のしがいのある概念です。そこには,さまざまな知識の遺産や膨大な労力が詰まっています。GDPという数字を通して,経済や社会のいろんなものがみえてくるのです。


GDPとGNP

 ある程度以上の年齢の方なら,「以前はGDPではなく,GNP(国民総生産)という数字が使われていた」ことをご存じかもしれません。

 GNPは,gross national(ナショナル) productの略です。「ナショナル」は,「国民の」という意味です。これに対しGDPつまり gross domestic productの「ドメスティック」は,「国内の」という意味です。

 「国民の」と「国内の」は,どうちがうのか? 日本のGNPは,日本国民の経済活動を対象にした数字です。日本国民の経済活動なら国内での分だけでなく,海外での分もGNPの対象になります。具体的には,日本人や日本企業が海外で受け取った給料や預金の利子などの所得がGDPにはふくまれます。

 一方GDPは,日本の国内(地域内)での経済活動を対象にした数字です。国民の海外での活動分はふくみません。

 GDP+海外で国民が得た所得=GNP 

ということなのです。

 なお,GNPのことを,GNI(国民総所得)と呼ぶこともあります。同じ中身なのですが,名称を変えたものです。
昔は日本政府もマスコミもGNPを使っていましたが,90年代にGDPに切り替えました。欧米を中心に「GDPを使う」という流れになったので,それに乗ったのです。

 GNPの具体的な金額をみてみましょう。

 2010年の日本のGDP…480兆円
    〃   GNP…490兆円(487兆円)


 GDPとGNPは,だいたいは同じようなものです。数字的にそれほど大きなちがいはありません。しかし「〈国内の景気〉をみるうえでは,対象を国内の経済活動に絞ったほうがすっきりする」という考えから,GNPに換えてGDPを使うことにしました。

 この背景には,国際化の進展で「海外での国民の活動」が増えたことがあります。このためGNPとGDPのギャップが大きくなり,「それならGDPのほうを使おう」ということになったのです。

 でも,だからといってGNPという数字をまったく使わなくなったのではありません。GNPのほうも,経済の専門家などは今も必要に応じて使います。しかし,「国の経済規模や景気の状態をみるうえでの代表的な統計数値としては,GDPをおもに使う」ということです。そこで,テレビのニュースや新聞ではGDPのほうを使っています。


1人あたりGDPは,経済の発展度を示す

1人あたりGDP

 GDPは,「国全体の,みんなの買い物額」です。これを国の人口で割った「1人あたりGDP」という数値があります。これも,社会や経済を知るうえで重要な数字です。
買い物の額というのは,実際には人によってまちまちですが,平均値を求めたのが,1人あたりGDPです。

 2010年度の日本の「1人あたりGDP」を計算してみます。

 GDP480 兆円÷1億3千万人=およそ370万円/人
(475兆7578億円) (1億2805万人) (372万円/人) 

 「372万円」というのは,「370万円」とおぼえましょう。もっとドンブリで「300何十万円」でもいいです。
 この計算結果も,「最重要の数字」のリストに加えましょう。

日本経済についての最重要の数字(2010年)

 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 480兆円
 ・日本の1人あたりGDP 370万円/人 


 1人あたりGDPは「その国の経済発展の度合い」を測るモノサシとして,使われています。これに対しGDPは,「その国の経済の大きさ」を示す数値です。

 日本の1人あたりGDPが「370万円」というのは,世界のなかで上位のほうに位置します。たとえば,つぎのような世界のおもな先進国の1人あたりGDPと肩を並べる水準です。アメリカ420万円,ドイツ380万円,フランス390万円,イギリス330万円……

 これらの先進国にくらべ,たとえば中国の1人あたりGDPは40万円で,日本の10分の1ほどです。お隣の韓国は200万円ほどです(以上,2010年の数字)。

 このように日本の1人あたりGDPは世界の中で高いほうです。とはいえ,一昔前より「順位が下がった」といわれるし,事実そうなのですが,ここでは立ち入りません。

 また,世界には1人あたりGDPが「数万円」という国もあります。アフリカやアジアで「最も貧しい」と言われる国は,その水準です。


数字の背後に,暮らしや社会がある

 「1人あたりGDPが大きい」ということは,その国では多くの人が活発な経済活動をしているということです。たくさんの高価な買い物をしたり,いろんな場所へ仕事や旅行で出かけたりする人が大勢いるのです。

 そしてそれは,そんな「人びとの活発な活動」を支えるさまざまな社会のしくみや設備が整っているということでもあります。
 無数の立派な工場やオフィス。国のすみずみまでいきわたった交通・通信網。いろいろ不満や問題はあるにせよ,まあまあまともに機能する政府と行政機関。さまざまなモノやサービスが並ぶショッピングセンターや繁華街。家庭にはモノがあふれている……

 そして,それだけの設備やモノを作り出せるだけの発達した産業があります。
 このような国が,一般に「先進国」といわれるのです。日本はそのひとつです。

 一方,1人あたりGDPがごく小さい国では,多くの人びとは,高価な買い物をすることも,自分の住む村や町を出ることも,あまりありません。人びとが活発に動きながら暮らすためのしくみや設備も不十分です。家財道具も,つつましい。

 このような国は,「発展途上国」といわれます。
 このように,「1人あたりGDP」という数字の背後には,その国の暮らしや,社会全体のあり方が存在しているのです。

1人あたりGDP×人口=その国の経済

 さきほど,「GDP÷人口=1人あたりGDP」である,と述べました。ここからちょっと踏みこんで,つぎのような式で,国の経済をイメージしてみましょう。

1人あたりGDP × 人口 = GDP(その国の経済)

 日本の1人あたりGDPは370万円。人口は1.3億人。
 これを,こう考えるのです。

「年間に1人あたり平均で370万円ほどの買い物をする国民が,1.3億人集まって,日本経済ができている」

 それだけの活発な経済活動をして暮らす人たちが1.3億人集まっている,ということです。その結果,GDPで400何十兆円という経済になっている。

 結局のところ,「1人あたりGDP×人口=GDP」という式は,「1人1人の暮らしが集まって,その国の経済ができている」といっているのです。

 1人1人の暮らしが集まって経済はできている。

 これは,すべての基本となる,だいじなイメージです。「経済なんて,むずかしく考えなくても,要するにそういうものなんだ」と思ってもらってもいいです。

 そのイメージを式であらわすと,「1人あたりGDP×人口=GDP」となるわけです。

 1人あたりGDP,人口,GDPの関係を図で表すと,こうなります。タテ軸に人口,ヨコ軸に1人あたりGDPを取ると,国のGDPは,つぎの図のような長方形の面積であらわすことができます。

1人あたりGDP×人口

(以上)
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2014年01月14日 (火) | Edit |
 「自分で考える勉強法」シリーズの69回目。
 2013年11月3日の記事にある新刊の電子書籍『自分で考えるための勉強法』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も,ぜひよろしくお願いします。

自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library)
(2013/11/01)
秋田総一郎

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 この「勉強法」のシリーズでは,「勉強したら,文章を書いて人にみせよう(発表しよう)」ということを,強調しています。今回の記事は「発表する範囲(お客さんの数)というのは,続けるうちに拡大していく」というイメージを述べています。その「拡大」にはステップがある,という話。

 前回の記事「印税生活?」で述べた,「自分の出した電子書籍がなかなか売れない」というのは,これに関わっています。私は今,お客さんの数を商業出版のレベル(数千人以上)にしたいと取り組んでいるのですが,そのむずかしさを感じているわけです。
 読んだり書いたりを続けて,もう50歳近いけど,まだまだそういうレベル。
 でも,「駆け出し」として元気にやっているつもりなので,それはそれでいいか,と思います。


最初からドームでできるミュージシャンはいない。

 デビューからいきなりドームとか武道館で演奏できるミュージシャンはいません。みんな,初めはライブハウスや小さなイベント会場でやっていました。

 いや,そういう小さな場所で演奏できるまでだって,大変でした。何年も懸命に練習を積んで,初めてできることです。メジャーになった人は,小さな会場でやっている時期にスカウトされたり売り込んだりして,チャンスをものにしたのです。

 ものを書いて発表することも同じです。いきなり何万,何十万の読者を相手にすることはできません。

 巨匠といわれる人でも,その多くは「発行部数何千部」といった媒体からスタートしました。そこで初めて,原稿料をもらって書くことができたのです。

 その前は,同人誌やサークルの機関誌など,「何百部」「何十部」の世界で書いていました。そこでは,原稿料をもらうどころか,会費を払って書いています。さらにその前は,限られた仲間だけに,書いたものを見せていました。

 「部数何百部」の世界で文章を発表するというのが,最初の目標として目安になります。
 その規模の同人誌や機関誌では,よい原稿がなかなか集まらなくて,困っていることが多いです。その媒体に合ったもので,きちんとしたものを書いて持っていけば,載せてもらえる可能性は高いです。

 その段階をふむことなく,いきなり「何千部」の世界で原稿料をもらって書ける人もいます。さらに,最初から「何万部」の世界で活躍できる人もいます。

 でも,自分がそうなれないからといって,気にすることはありません。
 書いたものがすぐに世に出なくても,まずは「何百部」の世界で発表していけばいいのです。そこで蓄積をつくりながら,上のステップをめざせばいいのです。

 それから,今はインターネットがあります。紙の同人誌や機関誌のほかに,ネット上の媒体に載ることも,大きな選択肢です。また,ブログなどのかたちで,自分で発表の場をつくることもできます。

 ただ,ネットの世界でも,読者の数に応じていろんな階層の媒体があることは,紙の出版と変わりません。そして,最初はお客さんの少ない場所からスタートする,ということも同じです。

 小説の世界では,「同人誌でたくさん書いてからデビューした作家は,長続きする」と言われてきました。小説の同人誌は近ごろはめっきり減ってきたそうですが,「蓄積をつくる時期が,誰にも必要だ」ということは変わりません。

(以上)
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テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月12日 (日) | Edit |
 昨日ポストに,私の電子書籍を出してくれている出版社からの,郵便が届いていました。
 封筒をあけると,「平成25年度分 報酬,料金,契約金および賞金の支払調書」というものが入っていました。
 つまり,「私の電子書籍の去年の印税がいくらだったか」という書類です。

 そう,私は印税を受け取っているわけです。

 「印税生活」ってことでしょうか?

 じつは,その金額たるや,微々たるもの。
 このあいだ親戚の子どもにあげたお年玉以下,といっていいです(^^;)

 電子書籍というものを出してみて,しみじみわかりました。
 
 私のような無名の著者にとって,電子書籍を買ってもらうこと,そこから収入を得ることは,きわめてむずかしい。
 
 これは,今まで私が経験したささやかな「出版」のケースとくらべても,そういえると思います。
 
 ***
 
 私は,1度だけですが,共著(2人)で紙の本を商業出版したことがあります。
 子ども向けの社会科関係の本です。
 
 紙の本というのは,出版にあたってまず一定の部数を刷ります。
 有名でない著者だと「何千部」というところでしょう。

 そして,一般的な契約だと,その「何千部」の売上額相当×数%~10%くらいが,著者に入ってきます。
 私のときも,そうでした。
 だから,地味な出版でも,最低で十万円単位くらいの収入には,なります。

 それから,NPO法人による私家版の出版物も,著者として何冊か出しました。
 「私家版の出版物」とは,「一般の書店で売られていない」ということ。
 
 私がかかわったNPOは,「私家版」といっても,かなり本格的でした。千部単位で刷って,独自のつながりでそれらを売っていくことを相当程度行っていたのです。その売上から,一定の「印税」を著者が受けとることになっていました。

 電子書籍の「印税」は,どうなっているのか?
 電子書籍の場合,一般的には「実際に売れた額×一定の%」が著者に入ります。その「一定の%」は,紙の本よりも高いことがほとんどです。
 紙の本の場合は,(一般には)まず最初に刷った「何千部」からの印税が入るわけですが,そういうものは,電子書籍では存在しないのです。

 それでも,電子書籍が売れさえすれば,それなりの印税が入ります。

 でも,私の本は非常に売れていませんので,印税も皆無というわけです。

 とはいえ,電子書籍のなかで「最低クラス」でしか売れていないわけでもありません。アマゾンが販売する電子書籍「キンドル本」が十数万点(13年末現在)あるなかでのランキングをみると,私の電子書籍はこれまで上位の数分の1に入っていました。瞬間的に上位数パーセントのこともありました。

 それだけ電子書籍というものの売れ行きが,今はまだ小さいということなのでしょう。

 「印税生活」などというタイトルですが,これは自虐を込めています。私が今得ている「印税」は,「小遣い」にすらならない額なのですから。
 「紙の本の(ささやかな)出版」や「NPOでの出版」のときは,「小遣い」くらいにはなっていたのですが……

 もちろん,売れないのは,いろんな意味での私の力不足。
 著者なりに「売る」努力をすることも大事だと思っています。

 本は書くだけではダメで,「売る」ことがむしろ本番である……そのことはNPOでの出版にかかわって知ったことです。あのときは「いかに売るか」について組織をあげて,いろいろ取り組みました。
 
 ***

 ところで,私が出している電子書籍の1冊に『四百文字の偉人伝』というのがあります。
 古今東西のさまざまな分野の偉人を400~500文字で紹介する,ショート・ショートの「偉人伝」を100本ほど集めたもの。このブログでも「シリーズ」として一部を載せています。

 カテゴリ:四百文字の偉人伝

 電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)
 アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円
                     
四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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 ああ,この『偉人伝』も売れてないなあ……と思いながら,今日書店を歩いていると,あるベストセラーが平積みになっているのが目にとまりました。

 水野敬也ほか『人生はワンチャンス!』という本。
 
人生はワンチャンス!   ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法人生はワンチャンス! ―「仕事」も「遊び」も楽しくなる65の方法
(2012/12/11)
水野敬也、長沼直樹 他

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 水野さんは,ベストセラー『夢をかなえるゾウ』の著者。
 帯をみると,続編とあわせて「シリーズ累計95万部」とあります。
 
 この本も「ショート・ショートの偉人伝を集めたもの」です。
 さまざまな偉人の,1話400文字前後のエピソードが,教訓や名言とあわせて数十本載っています。

 ていねいに編集され,ひとつひとつの文章の読みやすさ,エピソードの切り取り方,込められたメッセージ等々,いろいろ共感できる,読むに値する本だと思います。

 「共感できる」と書きましたが,それはそうだなあ,とも思います。

 この本は,『四百文字の偉人伝』と,おおいに共通したところのある本だからです。少なくとも,私はそう思っています。

 「偉人もの」の本はたくさんあるのですが,「私の『四百文字の偉人伝』に似た本は,世の中にはない」と,以前は思っていました。でも,この本が登場して,そうでもなくなったと思います。

 なお,先にできたのは『四百文字の偉人伝』のほうです(原型の『三百文字の偉人伝』は2007年に楽知ん研究所から出版,現在の電子書籍版は2012年3月末リリース,『人生はワンチャンス!』は2012年12月刊)。

 さらにいうと,「三百文字の偉人伝」の何篇かをはじめて発表したのは,10年以上前。『楽知んカレンダー』(楽知ん研究所刊,各年版あり)の2002年版などでのことでした。

 もちろんだからといって「マネをされた」とか,そんなことをいっているのではありません。水野さんの本の参考文献らんにも,私の電子書籍はあがっていません。
 「四百文字の偉人伝」的なショート・ショートの偉人伝のスタイルは,私は私で独自にあみ出したのですが,ほかの誰かが考えてもおかしくないと思います。それだけの「普遍性」がある,と思っています。

 それにしても,片や100万部に迫る勢いで,片や(私のほう)は,印税が小遣いにもならないレベル。

 うーん,その違い(そこまでの大きな違い)はなんだろう?
 それが自分としてははっきりと「みえない」ので,私にはベストセラーを生むセンスはないのかも……ここは,今後の課題ですね。

 水野さんの本については,去年のはじめころ,この本が出てまもなく気がつきました。

 その後,この本がベストセラーになったので,私は出版社に「『四百文字の偉人伝』も,紙の本で出してもらえませんか?少しは売れないでしょうか?」などと申し出たのですが,「今はむずかしい」とのことでした。

 しばらく,この本のことは忘れていましたが,本日また思い出した次第。

 それにしても,そのうち誰かが私に「『四百文字の偉人伝』って,最近ベストセラーのあの本をマネたのでしょう」と言ってくるかもしれない,と思っていました。
 そうしたら,このブログで「いや,ああいうスタイルの偉人伝は,私のほうが先で…」という話を書こうと思っていたのです。
 でも,誰も言ってきません(^^;)。

 それだけ,私の本は「気がつかれていない」ということでしょう。
 なんとかしたいものです。
 「無名の壁」を,どうにか少しでものりこえて,多くの人に読んでもらいたいです。

 手前味噌ですが,私は自分の本を「多くの偉人の短い話を集めた本のなかでは,とくに意味のある仕事」だと勝手に思っているのです。

 (いい知恵があったら,どうか教えてください)

(以上)
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月11日 (土) | Edit |
 この記事は12月29日作成。当分の間2~3番目に表示されます。

 「そういちカレンダー2014」発売中!

 下記の画像のように,歴史や科学などに関する記事がぎっしり詰まった「読むカレンダー」をつくって販売しています。トイレの壁とか,家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。
 周りの人との共通の話題や,「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。


 (画像は1月分。記事の内容は毎月ちがいます。現物のサイズはA4判)
そういちカレンダー1月・見本

【このカレンダーのコンテンツ】
 ①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
 ②今月の名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
 ③大コラム ④小コラム 世界史・勉強法などさまざまなテーマ
 ⑤今月の知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
 ⑥各月の日付の欄に偉人の誕生日

 これらの記事は,このブログの記事と私そういちの著作(『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』いずれもディスカヴァー21より出版)がおもな素材です。
 このカレンダーから,たとえばこんな会話や刺激が生まれます。

 「今日1月27日ってモーツァルトの誕生日なんだね。〇〇さんと同じ」
 「地球が太陽の周りを一周する距離って9億4千万キロかー。たしかに宇宙旅行だ」
 「GDPっていう数字があるんだ。470兆円! 知ってた?」
 「私も勝海舟のように,新しい何かをみつけたいな」

 このカレンダーは,人とのコミュニケーションの道具になります。

【サポート付き】
 読者の方が,カレンダーの記事についてのご質問や感想を,作者のメールアドレス(下記のso.akita…)かこのブログのコメント欄に送ってくださった場合,必ず返信いたします。
 いわば「ユーザーサポート」付き。
 読者の方がたと,ぜひ対話できればと思っています。

 ご購入方法は,画像の下に↓

我が家の壁に貼ってある「そういちカレンダー」。上に貼ったのは表紙。

カレンダー使用例 (2)

 我が家では,メインのカレンダーである「書道カレンダー」(妻が書道教師なので)
の横にサブのカレンダーとして貼っています。2冊目のカレンダーとしてどうでしょう?

【カレンダー仕様】 A4サイズ,全14ページ
 ダブルループ製本,極厚口の上質紙(アイボリー)

【価格】
 1冊1000円(送料込み,「サポート」付き)
 
 10冊以上ご注文の場合,2割引きの1冊800円

【購入方法】
 下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。

 カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。

 メール送り先:so.akitaあっとgmail.com  「あっと」は@に変換

 支払は,商品到着後。遅くとも5~6日で商品を郵送にてお届けします。
 その際,代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)をご案内します。
 
【PDF版の販売】 
 住所・氏名という個人情報を伝えるのに抵抗がある方は,上記アドレスにハンドルネームなどで,「カレンダー注文」とのみメールをお送りください。カレンダーの全ページのPDFファイルを添付して返信します。あるいは,この記事あてに「PDFファイルの送り先のアドレスを書いた鍵コメ」を送って頂いても可。このアドレスは普段使っていないものでも,いいわけです。

 お値段は紙版の半額の500円(返信のメールで振込先をご案内します)。
 複製は「このカレンダーを普及させる」という主旨で,かつ「非営利」の場合に限ってオーケーです。

(以上)
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テーマ:勉強
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月10日 (金) | Edit |
 1月11日は,実測による日本地図をはじめてつくった人・伊能忠敬の誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 伊能忠敬の偉業は,中高年になって隠居して以降の取り組みによるものです。
 彼が隠居したのは49歳。若いころその話を読んだときには,「ずいぶん年をとってから新しいことをはじめたんだなー」と思いましたが,今は自分もその年代になってしまいました。
 そうなってみると,49歳は「そんなに年寄りでもない」とも感じます。

 ただ,昔の49歳と今の49歳は「年寄り度」がちがうのでしょう。
 「今の人間の年齢(年寄り度)は,昔の人の8掛け」という話を読んだことがあります。
 逆にいえば「昔の人間の年寄り度は,今の人の1.25倍(1÷0.8)」ということか。まあ,これといった根拠はないのでしょうが,私もそんな感じがします。
 だとすると,伊能忠敬のころの49歳は,今でいうと49×1.25=61歳くらい,ということですね……


伊能忠敬(いのう・ただたか)

哲学的な関心からはじまった

 江戸時代後期のこと。裕福な酒造家だった伊能忠敬(1745~1818)は,49歳で隠居したあと,本格的に天文学や測量の勉強をはじめました。
 そして,55歳から17年の間に,10回にわたり測量遠征を行って日本地図作成に取り組み,73歳で没するまでにほぼ完成させたのでした。初の実測による日本地図です。
 でも,忠敬が測量の研究をはじめたのは,「日本地図がつくりたかった」からではありません。
 もともと彼がやりたかったのは,日本ではまだ知られていなかった「地球の大きさ(子午線の長さ)」を測ることでした。
「地図の作成」という実用的な目的ではなく,「地球の大きさ」という「世界観に関わること」を知りたいという動機で,彼の仕事ははじまったのです。
 このように,実用を離れた哲学的な関心から,実用にも役立つ大きな仕事が成しとげられることはあるのです。

渡辺一郎著『伊能忠敬の歩いた日本』(ちくま新書,1999),伊能忠敬研究会編『忠敬と伊能図』(アワ・プランニング,1998)による。

【伊能忠敬】
 実測による最初の日本地図の作成者。はじめて日本列島のほぼ正しい地形を明らかにした。17歳で現在の千葉県佐原市の旧家のムコ養子になり,49歳で隠居。翌年江戸に出て第二の人生に入った。
1745年(延享二)1月11日生まれ 1818年(文政元)4月13日没

***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月08日 (水) | Edit |
 先日(1月5日),アンパンマンの作者・やなせたかしを描いたNHKスペシャルを観ました(「みんなの夢まもるため~やなせたかし・アンパンマン人生」,やなせは去年の10月に94歳で亡くなった)。

 番組で強調していたのは,「戦争体験に基づいて,やなせがアンパンマンにこめた想いやメッセージ」といったことでした。
 しかし,私にとってそれ以上に印象的だったのは,「アンパンマンというキャラクターが形になっていったプロセス」でした。

 アンパンマンが大ヒットしたのは,1980年代末にテレビシリーズが放映されてから。
 しかし,アンパンマンの原型は,1969年にすでに生まれていたのだそうです。ただし,そこに出てくる「アンパンマン」は,ふつうの人間がアンパンマン的扮装をしているというもの。内容も大人向けでした。

 その後1970年代初頭に,「顔が食べられるアンパンマン」が登場します。今度は,子ども向けの作品です。しかし,6~7頭身のすらっとしたプロポーションで,現在のアンパンマンとはかなり異なります。

 つまり,アンパンマンというキャラは,作者が長い時間をかけ,何度もつくりなおしていくことで,今のかたちになったのです。そして,そのことによって「大ヒット」となりました。
 1969年や1970年代初頭のバージョンで止まっていたら,「アンパンマン」という作品は,ほとんど知られることなく終わったはずです。

 ***

 チャールズ・イームズというデザイナーは 「過去の仕事にあらためて取り組み,再検討する大切さ」ということを何度も語ったそうです。

 たしかにこれは大切なことなのでしょう。
 アンパンマンだって,「1969年のアンパンマン」という「過去の仕事の再検討」から生まれたのですから。

 イームズは,イスなどの家具や建築や映像表現で,数々の名作を生み出しました。

 たとえばイームズの映像作品の代表作に「パワーズ・オブ・テン」という短編科学映画があります。
 映画の内容そのものにはここでは立ち入りませんが,この映画も「過去の仕事の再検討」から生まれた名作です。
 
 この映画には3つのバージョンがあります。最初のバージョンは1~2分の「試作版」で,1963年製作。その後1968年に,より本格的なモノクロ版がつくられ,1977年にはカラー版(上映時間9分ほど)がつくられました。
 このうち,1977年のカラー版は,最も完成度が高く,(映像に関心のある人たちのあいだで)名作中の名作とされています。1977年版がつくられなかったら,「パワーズ・オブ・テン」という作品は,ここまで名を残さなかったでしょう。

 イスのデザインでも,イームズは「過去の仕事の再検討」によって,作品を生み出しました。

 たとえば,1950年代初頭につくられた,「プラスチック・チェア」という彼の代表作があります。このイスは背もたれと座面が一体化しているのが特徴ですが,そのコンセプトに基づくイス(木製)を,イームズは1930年代末にすでに試作しています。

 ただし,技術的にもデザイン的にもまだまだ発展途上のものでした。それが「完成」の域に達したのが「プラスチック・チェア」だった,と専門家は評価しています。

 「過去の仕事の再検討」は,別のいい方をすると,「焼き直し」です。
 「焼き直し」は,一般にはあまり評価されません。
 それよりも,「新しいこと,未知のことにどんどん挑戦していく」のが,「創造的」とされるのでしょう。

 でも,じつは「焼き直し=過去の仕事の再検討」は,創造の大切な手段のようです。それは,発展途上のアイデアを,完成させていくことなのです。

 ***

 私の今年の目標は,「去年(かそれ以前に)取り組んだ仕事を再検討して,より完成させたり,新しいバージョンをつくったりすること」です。

 たとえば,去年このブログにも載せた世界史関連の文章を改訂する。
 去年の末につくった「そういちカレンダー」の新しいバージョン(2015年版)をつくる。
 去年はじめたこのブログを,いろいろ微調整や改良をしながら,続けていく。
 このほか,「やりかけ」になっているものを,ひとつでも完成させる。
 
 まったく新しいこと・未知のことをしようというのではないのです。

 でも,なんだかわくわくしてきます。「過去の仕事にあらためて取り組む」ことを,私はたのしみにしています。かなり「ぜいたく」なたのしみだと思っています。

(以上)
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年01月06日 (月) | Edit |
 私は今日から仕事はじめです。そういう方,多いと思います。
 今回の記事のタイトル(近代社会を精いっぱい生きる)は,私の座右の銘みたいなもの。このブログを流れるテーマでもあります。年頭(仕事はじめ)にあたって,このことをあらためてとりあげたいと思いました。
 
 以前に同タイトルの記事をアップしていますが,今回はそれを半分くらいに短く書きなおしています。最近つくった「そういちカレンダー」に1月の記事として載せるためです。

 短くすることで,抜け落ちてしまうこともあるでしょう。しかし,すっきりと読みやすくなる面も大きいと思います。「いいたいこと」がよりはっきりしてくる感じがあるのです。文章を短く書きなおすのは面白いと感じました。
 
 関連記事:近代社会を精いっぱい生きる

 ***

 近代社会を精いっぱい生きる

 私たちは「近代社会」に生きています。
 「近代社会」とは,「多くのふつうの人でも,したいことがいろいろとできる社会」のことです。
 いわゆる「自由な社会」。この社会を,精いっぱい生きたいものです。

 数百年以上昔の社会は,「したいことをする自由」を,法で制限していました。
 たとえば,「どんな仕事に就くか」が,生まれながらにしてほぼ決まっていました。江戸時代の日本なら,武士の子は武士に,農民の子は農民に。「身分社会」というものです。

 この数百年の世界は,身分社会を脱して「自由な社会」を築く方向で動いていきました……なんだか,話がちょっと抽象的ですね……
 そこで,もう少し具体的に「昔は特権階級にしかできなかったことが,今はふつうの人にもできる」ということに注目してみましょう。

 たとえば,「生まれたときからたくさんの映像(動画)が残っている史上はじめての人」は,今のイギリス女王のエリザベス2世(1926~)だといわれます。
 映画の発明は,1800年代末。彼女が生まれた1920年代には,日常的に動画を撮ってもらえる赤ちゃんは,大英帝国のお姫様くらいでした。

 あるいは,「好きなときに音楽を聴く」ことは,蓄音機の発明(1870年代)以前には,自分の屋敷に「お抱えの楽団」がいるような富豪だけの特権でした。ipodは,「ポケットに入るお抱えの楽団」です。

 たしかに私たちの「自由=できること」は増えました。技術の進歩や経済発展のおかげです。
 だったら,今の社会で,私たちはどんなことができるのでしょうか? 
 少し昔の感覚で思うよりも,ずっと多くの自由や可能性があるかもしれない。
 その可能性を,できるかぎり使いきって生きていけないだろうか。

 それが,「近代社会を精いっぱい生きる」ということです。

今の人とご先祖
今の人とご先祖様

(以上)
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2014年01月03日 (金) | Edit |
 正月なので,風呂敷を広げて,2013~2014の世界と日本を考えてみることにしました。(新年のごあいさつは,下の記事で)
 今回は「世界編」です。大風呂敷は広げましたが,短かめに・さっくりと。

 ***

 「世界情勢の1年を振り返る」というと,たいてい「世界は混迷と不安定の度合いを深めている…」というまとめになります。ほぼ毎年そうです。

 2013年も「混迷」の材料はたくさんありました。
 シリアでは深刻な騒乱(内線)が続いています。
 エジプトでは独裁政権を倒した後の政権が,軍事クーデターで倒され,憲法も停止されました。
 中国はますます自己主張が強くなり,周辺の国からみれば不当に思える「空の縄張り」(防空識別圏)を宣言したりしています。
 そのなかで,米国のリーダーシップはますます低下している……などともいわれます。
 
 私は,こういう現象は,いつも同じような視点でまとめてみてしまいます。
 「バカのひとつおぼえ」といってもいいです。

 それは,「世界全体の近代化」がますます進んでいる……ということ。

 「近代化」とは,民主化や経済発展などの社会の変化です。

 シリアの騒乱も,エジプトのクーデターも,2010年ころにはじまった「アラブの春」という民主化の動きにともなうことです。独裁に反発する人びとが,既存の政権を倒したり揺るがせたりしている中でのこと。

 この「民主化」の動きは,世界史の大きな流れでみれば,「1990年ころに社会主義の独裁政権がつぎつぎとと崩壊したこと」と同一線上にあるのではないでしょうか。あのとき,ソ連などの社会主義国で起こったのと同様のことが,今のアラブでも起こっているのではないか。

 もっと古くは,1970~80年代に,アジア諸国やラテンアメリカなどでも,つぎつぎと独裁政権(軍事政権が多い)が倒されるか支配力が後退して,民主化が進むということがありました(あまり強調されないことですが)。

 数十年単位でみれば,世界では「独裁」が後退して「民主化」が進む傾向にある。
 「民主化」は「近代化」の重要な一部です。

 しかし,民主化が進む大きな流れのなかで,混乱やあつれきが生じることも多いです。今のシリアやエジプトは,まさにそうです。

 ***
 
 中国が周辺への圧力を強めているのは,中国の経済発展の結果です。
 西暦2000年ころ,中国のGDPは100兆円を少し超えるくらいで,日本の4分の1くらいでした。それが,今は日本を少し上回るくらいになりました。
 こうなると,自己主張をいろいろしたくなるものです。以前の中国は,もっと自己主張をしたくても,経済などの実力が不足していました。

 「経済発展」は,「近代化」の根幹です。
 中国が近代化し,経済大国になることで,たしかに世界のバランスは変わってきたのです。
 
 1990年代には,世界のGDPの3分の2は,欧米先進国と日本が占めていました。しかし,中国などの新興国が台頭した現在では,世界のGDPに占める先進国の割合は5割弱となっています。それでは米国の影響力が後退しても当然です。
 これも世界の経済発展,つまり「近代化」にともなう必然です。

 ***

 「これは世界史的な近代化(民主化や経済発展)の動きの一部だ」というのは,非常な「上から目線」であるともいえます。その渦中で生じた問題に苦しむ人たちに,冷淡な感じもします。
 たとえばシリアの難民の人たちに申し訳なくて,言うのがためらわれます。

 でも,「世界は混迷しているだけじゃない」ということは,おさえておいていいのではないでしょうか。

 世界はある面で「混迷」しつつも,ひとつの「めざす方向」へ向かっているのではないか。そういう視点やイメージがあっていいと思います。新聞やテレビだと,なかなかそこまで踏み込まないですし……

(以上) 
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2014年01月01日 (水) | Edit |
2014 団地の初日の出

 あけましておめでとうございます。
 そういちです。
 写真は,本日元旦にウチの団地のベランダからみた初日の出。

 年頭にあたり「今月(年初め)の名言」をひとつご紹介します。
 最近つくった「そういちカレンダー2014」の1月の記事にも載せてます。


【今月の名言】星新一(作家,1926~97)が友人たちに送った年賀状より。

今年もまたごいっしょに9億4千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速29.7キロメートル。マッハ93。安全です。ほかの乗客たちがごたごたをおこなさいよう祈りましょう。

地球と太陽

 年賀状がまるで短編小説ですね。さすが星新一。(星『きまぐれ博物誌』より)

 今日は家で気分よく酒を飲んでおります。
 本年もよろしくお願いいたします。
 ごいっしょに宇宙を,この時代を旅しましょう。

元旦の酒

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