2014年03月30日 (日) | Edit |
 私は「情報カード」というものを愛用しています。
 20代のころからもう20数年使っていますが,現在の使い方や保存の「システム」に落ち着いたのは,この6~7年です。中断していた時期もありました。

 メモするための,少し厚手の紙片。いくつかのメーカーからさまざまなサイズや仕様のものが出ています。
 私が使っているのは,LIFE社製の「情報カード5×3無地」というもの(100枚で300円ほど)。

 「5×3」というのは,5インチ×3インチ,つまり75ミリ×125ミリサイズということ。情報カードは罫線入りが多いですが,私は無地。真っ白なカードです。昔は,このサイズのカードは図書館の検索カードに使われていました。

 それを,こんなふうに手帳に10数枚ほどはさんで持ち歩いています。
 5×3のカードは,一般的なサイズの手帳にちょうど収まるのです。手のひらにもちょうどいい。

手帖に情報カードをはさむ

 手帳は肌身離さず持ち歩いているので,情報カードも肌身離さず持ち歩いていることになります。

 「そんな化石のようなものを今さら使っているのか」と言われてしまいそうです。
 たしかに,情報カードなんて,「昭和の遺物」みたいなものですね。
 最近では文具屋さんでも置いてないことが多い。大きな店か,ちょっと古い感じのお店にしかない。

 でも,これはなかなか使い勝手がいいです。

 思いついたことを書いて,必要ならとっておいて,要らないなら捨ててしまう。
 肌身離さず持っていれば,歩いているときでも電車のなかでも書くことができる。
 情報端末みたいに「起動」しなくてもいい。
 「紙切れ」ですから,ノートや手帳よりも軽くて薄い。シャツのポケットに入れておくこともできます。

 これは私が書いたもの。
 情報カード

 これらはみんな,このブログの記事などの「アウトプット」につながっています。

 たとえば左上のカードは,このブログのタイトル「団地の書斎から」を思いついたときのもの。

 右上は,このブログの記事にもなった「となり・となりの世界史」というシリーズの一節の素になっています。
 左下は,「団地の間取りの概念図」なのですが,これもこのブログの記事につながっています。

 右下は,去年末につくった「そういちカレンダー」というオリジナルの印刷物の構成案。電車のなかで書いたから乱雑です。小さな文字は,私の特技というか,体質です。

 書いたカードは,つぎのような専用のカードボックスに入れておきます。
 (手前の木製のものはコレクト社製5×3サイズカード用。お値段は二千数百円と安くないですが,木の感触や簡素な外見は悪くないです)
 
 情報カードをカードボックスで整理するための「インデックスカード」というのもあって,それでざっくりと項目別に仕切って入れてあります。たとえば「世界史」「偉人伝」「経済」「名言」「日々のこと」「住まい」といった項目。各項目ごとに新しいカードが手前にくるように並べる。
 
 5×3情報カードのカードボックス

 ***

 さて,このようなカードを,なんのために書いているのか。
 すべては「アウトプット」のためです。
 文章を書くなど,人に何かを伝えるためのネタ帳として,書いているのです。


 だから,カードに書いたことは,いつか「料理」して人前に出したいと思っています。つまり,「カードのメモ」から一定のまとまった文章にして人に読んでもらいたいと思っている。カードに書いたネタは,料理の「素材」みたいなもの。

 カードに書いてから,すぐに「料理」する場合もありますが,たいていは「料理」までかなり時間がかかってしまいます。そこで,カードボックスで保存しておくわけです。

 私は今,数個のカードボックスを持っていて,そこに1千数百枚の書かれたカードが入っているでしょうか。
 もっと本格的に情報やメモを蓄積している人からみれば,じつにささやかな量です。

 でも,私にとってはカードボックスは,だいじな貯蔵庫です。
 自分の考えたことの貯蔵庫。

 ときどき,このカードボックスの特定の項目のカードを全部引っ張り出して読み返しています。
 すると,自分で書いたものなのに,いろんな発見があります。
 「ああ,このことはまだまとめてなかったな」と気が付いて,文章を書きはじめることもあります。
 「あのときの自分は,ここまで考えたのか」と感心することもある。
 
 自分で考えたことというのは,案外忘れてしまうものです。

 だからこそ,メモをする意義があります。
 そして,それを保存・活用する自分なりの仕組みや道具,つまり「システム」が必要なのです。


 20代のころに私に「考えたことをメモする大切さ」を教えてくれた大先輩がいました。私より二まわり年上のビジネスマンで,ご自身の専門分野で著作を何冊も出している方でした。その人は,オリジナルの手のひらサイズの紙切れをつくり,その束を持ち歩いて,何か思いつくと紙切れに書いていました。

 その人が言っていました。

 「生きているというのは,何かを考えているということだ。考えたことをメモするのは,命の記録みたいなもんだ」

 「考えたことのメモ」というのは,生きている時間の密度を濃くしてくれます――つまり人生を豊かにしてくれるのです。それを若い私に教えてくださったことを,今も感謝しています。

 ***

 「メモやその保存のシステム」は,別にカードでなくてもいいのです。人によってはノートや手帳のほうがずっと使いやすいかもしれません。カードを使うにしても,もちろん5×3でなくてもいい。

 私の場合は,カードは使いやすいです。
 それは,いろいろなことに興味があって,さらに「何かを考えてから,それを料理して作品化するまで時間がかかる」からです(これは,関心が散漫で,発表の場もないくせに,大風呂敷なまとまりにくいことばかり考えていて,そのくせ怠けがちである,ということかもしれませんが)。

 逆に言うと,「ひとつのテーマを集中して追いかけている」あるいは「メモしてから作品化するまでのサイクルが短い」場合には,ノート・手帳のほうが使いやすいかもしれません。

 私の場合,長期間にわたって,あるときは「世界史」について,あるときは「住まい」についてメモをつくり,その都度カードボックスに放り込んでおく。1年2年経つと,ある程度カードがたまってきて,それを読み返す……そうやってまとまった文章を書けたこともあります。

 ただ私も,手帳を多少は使っています。「モレスキン」という1冊千何百円もするちょっといい手帳に,読書のなかで「いいな,味わいたいな」と思える箇所を抜き書きしているのです。こんなふうに,です。

 モレスキンへのメモ

 いい文章や感動的な文章というのは,書き写すと,一層味わえるのです。そして,ときどき読み返してさらに味わいたい。読み返すには,カードよりも手帳がいいです。それも,できればちょっといい手帳が。でももちろん,安価なノートでもいいのです。

 しかし,このような手帳に書く「抜き書き」の分量は,カードに書く量の何十分の1です。
 私の「メモ」の中心は,やはり情報カードです。

 ***

 今回の記事は,「メモのすすめ」です。
 それも,スケジュールや日々の活動のための「業務的」なメモではなく,中長期的なアウトプットのためのメモ。
 
 そのための道具としての「情報カード」を紹介したわけですが,もちろんノートや手帳を使ってもいい。
 自分にあった道具でシステムをつくっていけばいいのです。

 ただ,そのときに,くれぐれも注意していただきたいことがあります。

 それは,「何をメモするか」ということについてです。これをまちがえないことです。

 ここでテーマにしている「メモ」に書くのは,あくまで「自分で考えたこと」です。自分の思いつきや感じたことなどを,自分の言葉で書く。本や記事からの抜き書きではありません。

 多少はそういう「抜き書き」をしてもいいと思います(私もやっています)。
 でも,それはここで言う「メモ」の中心ではありません。

 ここは,カードなりノートなりで「アウトプットのための情報整理」を志す人が,よくまちがえることです。
 かなりの人が「抜き書き」をしようとしてしまう。
 
 本の抜き書きというのは,時間の無駄です。
 抜き書きをしなくても,あとで必要なら,その本をみればいいのです。

 もしも,何かの本に書いてあることをメモしたいなら,「ざっくりとこんなことがこんな本に書いてあって,こう面白かった,こう考えた」ということを,自分の言葉で書いておけばいいのです。

 ただしこれは「読む本は,原則として買った本」という人の場合です(私はそうです)。
 「本はたいてい図書館などで借りる」という人の場合,「抜き書き」「コピーによる抜粋」の技術やシステムも必要になるでしょうが,それはまた別の話。

 「本からの抜き書き」などという,骨の折れる,しかも役に立たないことを「メモ」の中心に据えたりすると,メモすることが,つらく虚しいものになります。だから,続きません。私もそういう失敗をしたことがあります。

 くれぐれも,メモするのは「自分の考え」です。
 そのことに気がついてから,私は情報カードを使えるようになりました。

 以上,「メモのすすめ」でした。いつか,情報カードなどの「メモのシステム」についての先人の取り組みや,私個人の試行錯誤の歩みなどについても述べたいと思いますが,今回はこれで。

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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月28日 (金) | Edit |
 明日3月29日は,「実験生理学の父」といわれる医師・サントリオの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。


サントリオ

実験生理学の父は「科学くん」

 1600年ころのイタリアにサントリオ・サントリイ(1561~1636)という医師がいました。
 彼は,人間の体重変化について研究していました。そのために,「人間が座って体重を測れる大きな天秤をつくり,1日じゅう乗って飲食したり排泄したりしたときの体重の変化を記録する」という実験を行いました。
 天秤にはイスがついていて,そこで食事やトイレもできます。
 実験台は,サントリオ自身。
 これで徹底的に体重の変化を調べていった結果,「大小便をしなくても,絶えず少しずつ汗が出て体重が減る」といった現象が明らかになりました。
 なんだかテレビのバラエティでやっている実験みたいです。ちょっと笑える感じもします。
 しかしこの実験は,人間の生理を数量的に明らかにする研究の先駆でした。サントリオは「実験生理学の父」といわれています。
 彼は天動説のガリレオとも親交があり,たがいに影響を受けています。
 実験による謎解きに夢中な人たち。
 近代科学を切りひらいたのは,こういう「科学くん」たちだったのです。
 
『科学者伝記小事典』(仮説社,2000)などの板倉聖宣氏の著作による。

【サントリオ・サントリイ】
体重変化の研究などで「実験生理学の父」といわれる医師。脈拍計や体温計の研究でも先駆者である。ベネチア共和国のパドヴァ大学の教授であり,大学の同僚のガリレオや地元の科学好きのアマチュアらと科学愛好家のサークルをつくって活動したりもした。
1561年3月29日生まれ 1636年2月24日没

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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2014年03月26日 (水) | Edit |
 東京・多摩からターミナル駅まで,片道約50分の電車通勤。
 あえて,やや空いている各駅停車に乗ります。
 そこでの読書は,毎日のたのしみです。
 この3~4週間で読んだ本で,印象深かったものをご紹介します。

 このシリーズは3回目ですが,前回から何か月も経ってしまいました。
 これからはもっと頻繁に,と思っています。

 ***

●児美川孝一郎『キャリア教育のウソ』ちくまプリマ―新書,2013

キャリア教育のウソ (ちくまプリマー新書)キャリア教育のウソ (ちくまプリマー新書)
(2013/06/05)
児美川 孝一郎

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 2000年代初頭から学校などで広まった「キャリア教育」について論じた本。
 それをまるっきり「ウソ」だと批判しているわけではない。
 ただ,いろんな限界や落とし穴もある,と述べています。
 
 たとえば,「自分のやりたいこと,なりたい職業をみつけよう」という,よくあるテーマ。「やりたいこと」主義のような傾向が,今の「キャリア教育」にはあるという。
 しかし,著者は言います。

《子どもや若者の「やりたいこと」は,必ずしも特定の職業や仕事という次元に落とし込まれる必要はない。
 技術系なのか,事務系なのか,広い意味での対人サービスなのかといった「方向感覚」と,自分が働いていくうえで何を大切にしたいのか,何をやりとげたいのかといった「価値観」が,大まかにつかめれば十分である。》(78ページ)


 私も,この考えに賛成です。
 私は,若い人の就職相談の仕事をしていて,「キャリア教育」の世界と縁がありますが,「方向感覚と価値観がつかめればよい」というのは,「現場」の感覚としても賛同できます。こういう考え方が,はやく多くの人の常識になればと思います。



●伊東孝之ほか編著『新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社,1998
ポーランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史)ポーランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史)
(1998/12)
伊東 孝之、 他

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 「問題」となっているウクライナについて知りたくて,本棚から引っ張り出した。
 ネットだけではわからないことが,こういう本を読むとわかるのだと思います。
  
 大国の「狭間(はざま)」にあって,大国の圧迫や侵略を受け続けてきた国ぐにの歴史です。

 この本が対象とする「ロシアとドイツ(プロシア)の狭間の地域」は,この数百年で何度も何度も「勢力図」が大きく塗り替わってきました。その経過は複雑で,ほんとにややこしい。

 これにくらべると,日本の歴史はシンプルに思えます。
 
 日本とは大きく異なる歴史の歩み。
 「狭間の国」としての苦しみは,今も続いている。

 具体的なことはアタマに残らなくても,そのような歴史の「イメージ」だけでも知っておくと,世界が広がる気がします。
 


●西内啓『統計学が最強の学問である』ダイヤモンド社,2013

統計学が最強の学問である統計学が最強の学問である
(2013/01/25)
西内 啓

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 ベストセラーになっている,統計学入門の本。

 冒頭に,1800年代のロンドンでコレラが大流行した際に,統計的分析を使ってその流行をおさえることに貢献したジョン・スノウの話が出てきます。
 こういう歴史的な「原点」をおさえているのは,好感がもてます。

 後半以降は「統計学の6つの分野」(統計学がフル活用されている6つの分野)をとりあげ,それぞれの「統計学」について論じています。「社会調査」「疫学・生物統計学」「計量経済学」等々の分野。

 こういう構成は,「現実のいろんな問題を解くために統計は使える,そのために統計学はある」という視点が明確だということです。だから,生き生きした新しい入門書になっている。

 また,最近流行の,多額の予算を投じた「ビッグデータ」の手法には懐疑的で,「データを活かすのにお金は要らない」と述べています。統計学の基本がわかっていれば,少ない費用で十分な統計的な分析や判断ができるというのです。これにも共感。

 でも,一か所気に入らないところがありました。

 「古い時代のダメな統計」のことを「ナイチンゲール的統計」と呼んで,けなしていること。
 「白衣の天使」ナイチンゲールは,1800年代に専門分野としての「看護」を確立した人。病院や軍隊での健康や衛生の状況を把握するために,統計的な手法も用いました。

 彼女は,現実の問題を解くために,熱意をもって統計的研究を行ったパイオニアでした。

 のちの統計学の水準からみれば限界があったとしても,「ダメ統計」の代名詞みたいに言うのはまちがいです。ナイチンゲールは,この本の著者が高く評価するジョン・スノウなどと同じ系列に属する仕事をしたのだと,私は思います。


●フランシス・フクヤマ『政治の起源 上・下』講談社,2013

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで
(2013/11/06)
フランシス・フクヤマ

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政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで
(2013/12/25)
フランシス・フクヤマ

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 原始時代からフランス革命のころまで,世界史上のさまざまな国家や政治体制を比較・分析して,政治制度発展の理論を構築しようとした本。

 とりあげるのは,秦・漢の中国,マウリヤ朝のインド,イスラムのマムルークの制度,そしてスペイン・フランス・イギリス・ロシア・ハンガリーなどのヨーロッパの絶対王政……

 こういう大風呂敷な話は,「しろうと談義」「与太話」になってしまいがちです。

 しかし,この本はちがう。歴史学のさまざまな成果を引用しながら,一定の学的根拠に基づいた幅広い議論を展開しています。その主張に賛成しない人もいるでしょうが,やはり「学問」にはなっている。

 フクヤマは日系3世の米国の学者。1990年ころ,ソ連が崩壊した「冷戦終結」の際,その世界史的意味について論じた「歴史の終わり」論で世界的に有名になりました。

 こういう大風呂敷な本が,「ステイタスのある学者・知識人」によって書かれ,ある程度は売れている。
 これはアメリカのすごいところだと思います。

 この本については,あらためて論じたいと思います。この10日ほど,おもに電車のなかで読み続けて,今日読み終わったばかり。また読み返すでしょう。

  関連記事:世界史から謎を解く(『政治の起源』について)

(以上)
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テーマ:本の紹介
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月23日 (日) | Edit |
 3月23日は,映画監督・黒澤明の誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の歴史を400文字程度で紹介するシリーズ。

黒澤 明(くろさわ・あきら)

一番大切なのは脚本

 映画監督・黒澤明(1910~1998)は,『七人の侍』など数々の名作を生み出した,日本映画を代表する巨匠です。
 黒澤は,「脚本は,映画の苗だ」といいました。
 「映画にとって,脚本はすべてのもとである」ということです。「基礎となる設計図」といってもいいでしょう。
 脚本がダメだと,演出や役者の演技やそのほかのことがどんなによくても,二流以下の映画しかできない。でも,脚本がおもしろければ,きっといい映画ができる。
 「まず,設計がだいじ」というのは,何ごとにも通じるのではないでしょうか。
 そして黒澤は,若い映画人にいっています。「映画監督になるには,まず脚本を書いて完成させることだ。忙しくても,1日に原稿用紙1枚書けば,1年で300枚になる」――彼も助監督時代にそれを実行したのです。
 私たちも彼のように,夢を形にするために,自分の仕事を進めていきたいものです。

黒澤明著『夢は天才である』(文藝春秋,1999),同『蝦蟇の油』(岩波現代文庫,2001)による。

【黒澤 明】
世界の映画史に名を残す映画監督。『羅生門』が1951年にベネチア映画祭でグランプリを受賞し,海外で日本映画が評価される先駆けとなった。有名な傑作が1,2本ではなく,数多くあることがすごい。
1910年(明治43)3月23日生まれ 1998年(平成10)9月6日没

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
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(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月22日 (土) | Edit |
東ヨーロッパの地域区分

 世界で大きな問題となっているウクライナの話をします。
 でも,詳しい状況の分析や解説などできないので,うんと基本的な話を。

 そもそも,ウクライナってどこなのか? 
 少し前は,それだってほとんどの日本人は知りませんでした。

 でも最近は上の地図(西ヨーロッパからロシアにかけての地図)のなかの赤い斜線の場所だというのは,わかる人が増えたはずです。そして「分離・編入(ロシアによる占領・分割)」のことが問題となっているクリミア半島は,上の地図の赤く塗りつぶした部分。

 以上は単なる空間的な座標軸のうえでの話。

 もう少し踏み込んで,「歴史的・世界史的にみてウクライナは,どういう場所なのか」ということを,この記事では述べたいと思います。

 ***

 ウクライナを「世界史の地域区分」という視点で位置づけると「東ヨーロッパの一部」ということなります。
 
 そもそもヨーロッパとは何かというと,「キリスト教徒が主流の国ぐに(ただし,アメリカ大陸除く)」と,とりあえず考えてください。

 そして,そのヨーロッパは東西に分けて考えることが一般的です。西ヨーロッパ(西欧)と東ヨーロッパ(東欧)です。
 ざっくり言って,西ヨーロッパは,カトリックとその分派であるプロテスタントが主流の地域。
 東ヨーロッパは東方正教(ギリシア正教)という,キリスト教の宗派が主流の地域。
 ただし,例外もあります。おもな国・地域では,ポーランドはカトリックが主流ですが,一般に「東」に分類されます。

 なお,ロシアも東方正教が主流の地域であり,「東ヨーロッパ」といえるのですが,ほかの東ヨーロッパの国ぐににくらべて圧倒的に強大で,特別なポジションを占めてきたので,ロシアは「ロシア」という別個の地域だとすることもあります。

 世界全体の地域区分や「ヨーロッパとは何か」ということについては,下記のこのブログの記事をご参照ください。

  ヨーロッパとは何か
  地域区分と「カンタン世界地図」


 では,「東ヨーロッパ」ってどういう地域なのか?

 一言でいうと「狭間(はざま)の地域」ということです。


 西ヨーロッパ(ドイツなど)とロシア,それからイスラム(オスマン・トルコ)という,強大な勢力の間に挟まれた国ぐに。過去数百年の歴史をみると,そう言える。

 冒頭の地図をみてください。

 オレンジに塗りつぶしたのは,西ヨーロッパ諸国。
 黄色く塗りつぶしたのは,ロシア。
 グレーは,イスラムの国ぐに。

 その3つに囲まれているのが,東ヨーロッパです。
 赤い線,緑の線,むらさきの線で国境を囲ってあります。
 このような色分けは,東ヨーロッパをさらに地域分けしているのですが,そのことはまたあとで説明します。

 「狭間の地域」なんていうと,「国や地域としての独自性を無視した見方で,けしからん」と怒られるかもしれません。

 でも,東ヨーロッパの国ぐにが西欧諸国やロシアヤオスマン・トルコから圧力や侵略を受けてきたこと,それらの強大な国ぐにの勢力争いの場になってきたのは,やはり事実です。

 たとえば東ヨーロッパの主要国のひとつ,ポーランドは,1700年代末にはロシアと西欧の列強であるプロシア,オーストリアによって分割占領され,国家が消滅してしまいました。
 その後100年以上経った第一次大戦後(1919)には独立を回復しますが,第二次世界大戦(1939~45)のころ以降は,ソ連(ロシアを中心とする巨大な社会主義国家)の支配・影響下に入り,1991年のソ連崩壊の時期まで,それが続くのです。

 東ヨーロッパの,もうひとつのメジャーな勢力といえるハンガリーにも,似た歴史があります。
 ハンガリー王国は,1500~1600年代には,オスマン・トルコ(イスラムの当時の超大国だった)とハプスブルグ帝国(今のオーストリアを中心とするドイツ)に征服され,のちには全体がハプスブルグ領になりました。その後独立に向けた抵抗も行われますが,挫折。
 1919年にようやく独立を回復しましたが,第二次世界大戦後はソ連の影響下にある社会主義政権が成立し,ソ連の崩壊期まで続きます。

 東ヨーロッパの特徴として,ポーランドやハンガリーにかぎらず,ほとんどの国・地域が第二次世界大戦後に社会主義化して,1990年ころまでソ連の勢力圏に組み入れられていたということもあります。

 東ヨーロッパの人たちは,もちろん自分たちの独自性やプライドを自覚し続けてきたと思います。でも一方で,自分たちが「狭間にある」という感覚も抱かざるを得なかったのではないでしょうか。

 ***

 同じ地図をもう一度。

東ヨーロッパの地域区分

 さて,東ヨーロッパは,さらに3つの地域に分けることができます。このような地域区分は,いろいろ説がありますが,ひとつの有力な見方として,そういう区分があるのです。

 1.赤で囲った ポーランド・ウクライナ・バルト地域
 2.むらさきで囲った バルカン地域(ルーマニア,ブルガリア,旧ユーゴスラヴィアなど)
 3.緑で囲った チェコ・オーストリア・ハンガリー地域


 2.の「バルカン地域」以外は,国の名前の羅列で,いい呼び名がありません。

 では,それぞれの特徴は何か。
 東ヨーロッパは「狭間の地域」だといいました。そこで「どんな狭間なのか」ということで,みていきましょう。どんな勢力がそこでひしめきあってきたのか。

 ウクライナの属する「1」の地域はあとまわしにします。

 まず「2.バルカン地域」。バルカン半島の国ぐに。

 これは,もともとはキリスト教徒(東方正教)の地域だったのを,1400~1500年代以降イスラムの大国・オスマン・トルコが支配するようになった地域
です。つまり長いあいだ,オスマン・トルコ領だったのです。

 1800年代以降は,西ヨーロッパの列強,ロシア,オスマン・トルコの間で支配を争い,1900年代後半には,かなりの部分がソ連の支配下にありました。

 つまり「イスラム世界とキリスト教世界の狭間」といえる地域です。とくにトルコの影響が大きかったのが特徴です。
 
 ただし,1800年代後半からオスマン・トルコは衰退し,その影響力は限られるようになりました(1920年代にオスマン・トルコは滅亡し,かわってトルコ共和国が成立)。そして,西欧列強の後押しもあり,バルカン半島の国ぐにの多くがオスマン・トルコから独立しましたが,バルカン諸国内での対立や民族紛争が激化しました。
 そのなかで,ロシア(ソ連)の影響が大きくなり,第二次大戦後は社会主義化していったのです。

 ***

 つぎに「3.チェコ・オーストリア・ハンガリー地域」。

 ここは,「ドイツ圏の東の端」です。
オーストリアは広い意味での「ドイツ」の一部だといえます。オーストリアの住民の9割弱はドイツ語を話します。

 そして,この地域は「ヨーロッパにおけるオスマン・トルコとの接点」といえる場所。ハンガリーの支配を,オスマン・トルコとハプスブルグ帝国(オーストリアを中心とするドイツ)が争ったことは前に述べました。

 また,ナチス・ドイツが第二次世界大戦前夜に最初に併合・侵攻したのは,この地域(オーストリア,当時のチェコスロバキア)です。ドイツにとって重要な「勢力圏」と位置付けられていたのです。
 そして第二次大戦後は,ハンガリー,チェコ,スロバキアは,社会主義化してソ連の勢力圏に組み入れられていったのでした。

 ここは「オスマン・トルコとドイツとロシアの狭間」といったらいいでしょうか。とくにドイツの影響が大きいのが特徴です(オーストリアはドイツの一部といえるのですから)。

 ***

 そして,ウクライナの属する「1.ポーランド・ウクライナ・バルト地域」。

 ここはまさに「ドイツ(プロシア)とロシアの狭間」といえる地域です。バルト三国(エストニア,ラトビア,リトアニア),ベラルーシ,ウクライナは,ソ連の一部でした。とくにロシアの影響が大きいのが特徴です。


 それから,ここでいう「ドイツ」は,おもに「プロシア」というドイツ北東部の国です。さきほど出てきた「オーストリア」とは,同じく広い意味での「ドイツ」ではありますが,系統や歴史がややちがいます。1800年代以降,プロシアはいくつもの国に分かれていたドイツ人の住む地域の大部分を統一して,現代のドイツの原型を築きます。
 
 ロシア人のような外部の民族以外だと,この地域の中心的勢力は,ポーランド人です。

 中世(ここでは西暦1000年ころから1500年ころと考えてください)には「ポーランド王国」がおおいに繁栄しました。たとえば1500年代に活躍した「地動説」の提唱者コペルニクスは,ポーランド人です。そういう偉大な学者を出すような国だったわけです。
 
 この1000年ほどの歴史のなかで,かなりの期間にわたって,ポーランドはこの「赤で囲った地域」の広い範囲を支配していたのです。その過程でキエフ公国(今のウクライナにあたる場所)やリトアニア公国(バルト三国の原型)といった勢力と争うこともあり,それらを支配下におくこともありました。

 ポーランドは,キエフ(ウクライナ)やリトアニアの地域では,モスクワを中心とするロシア帝国ともその支配をめぐって争いました。
 ウクライナについては,リトアニア,オーストリア,ハンガリーなどの国がその一部を支配したこともあります。

 そして,ウクライナは1700年代以降はロシア領となり,1991年までソ連の一部でした。

 ポーランドは,ロシアとの闘いに敗れたのです。ポーランド王国が1700年代末にはロシア,プロシア,オーストリアによって滅ぼされてしまったのは,前に述べたとおりです。

 「ウクライナ」という国が,独立国家としてはっきりと成立したのは,1990年代のソ連からの独立以降,といえます。

 でも,ウクライナ,あるいはウクライナ人にはひとつの地域や民族としての相当に長い歴史があります。

 ウクライナの原型は,800~1100年代に成立した「キエフ公国」という国です。この国は1200年代に有力な騎馬遊牧民・モンゴル人の侵入で衰え,1300年代にモンゴル人が去ってからは,先ほど述べた,ポーランド,ロシアなどの近隣の異民族による侵略や支配が続きました。

 ウクライナという地域・国の歴史をみていると,まさに「狭間のなかの狭間」という感じがあります。
 いろいろな勢力の争いの場となり,歴史のなかで地図の色が何度も塗り替わっていく。

 世界には,そういう歴史を歩んだ地域もあるということ。

 今回の記事で,個別的な知識は忘れてしまってかまいません。
 でも,こういう「狭間の地域」の歴史のイメージだけは,少し知っておいていいと思います。

 私たち日本人にとって,世界史でわかりにくいことのひとつに「狭間の地域」の歴史があります。
 日本は,世界の端っこに位置し,海に囲まれ比較的安全が保たれていました。近隣の大国などからの侵略は,限られていました。世界のなかでは,国のとしての同一性や領域が安定してきた国といえます。

 そういう国の人間には,東ヨーロッパの歴史は,わかりにくいです。
 でも,そこを知らないと(ざっくりしたイメージだけでいいですが),世界はわからないのだと思います。

 なぜなら,多かれ少なかれ,世界の国ぐにの多くは,何かの「狭間」にあるからです。

 ウクライナなどを「狭間の地域(国ぐに)」と呼ぶのは,伊東孝之ほか編著『新版世界各国史20 ポーランド・ウクライナ・バルト史』(山川出版社)の「まえがき」にあったもので,そのコンセプトを使わせてもらいました。その「まえがき」でも,「世界の国ぐには,たいていは何かの狭間にある」ということを言っています。

 たとえばアジアの国の多くは,インドや中国の狭間にあるし,インドだってイスラムと中国の狭間にあるといえます。

 ドイツは,「東ヨーロッパと,英仏という西欧の中心の狭間にある」ともいえるのです。

 トルコ人は,自分たちを「ヨーロッパとイスラムの狭間にある」と思っている。

 韓国・朝鮮の人びとは(自分では言わないかもしれませんが),中国と日本の狭間にあると感じているでしょう。
 
 「狭間の感覚」が少ない国は,少数派だと思います。
 まあ,日本のほかだと,中国やアメリカ合衆国はそうでしょうか。イギリスもそう。

 ただし,中国人やアメリカ人や(少なくともかつての)イギリス人は,自分たちが「中心」にあると思っていて,日本人とはまた感覚がちがいますが……
 
 いずれにせよ,世界の多数派は「狭間の地域」です。
 東ヨーロッパは,その典型。
 なかでもウクライナは,とくに「狭間」的だといえます。

 今回のウクライナの問題は,そのような「狭間」としての歴史や悲劇が今もまだ続いているということです。
 ロシアの支配・影響から脱し,EU(西ヨーロッパ)側に接近しようとする動きと,それをおさえ込もうとするロシアおよび親ロシアの勢力。西ヨーロッパとロシアの狭間。

 「狭間の国」が混乱し苦しんでいるという点では,ポーランド王国とロシア帝国が争っていたころと,変わっていないといえるでしょう。残念なことです……

(以上) 
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2014年03月21日 (金) | Edit |
 最近,ビジネスシューズを一足買いました。
 何年も履いていた靴が古くなったので,新しいのを買ったのです(先日,カバンも買い替えたので,最近は身の回りのものを新しくすることが重なっています)。

 でも古い靴は,革がやわらかくなじんでいます。
 そこで,とくに傷んだ靴底のところを修理して,引き続き履きたいと思いました。
 
 そういう修理を積極的に受けるメーカーの製品だったので,買ったお店に古い靴を持っていきました。

 しかし,店員さんによれば「もう,靴底が修理不能なまでに傷んでいる」とのこと。

 「もう少し早く持ってきていただければよかったんですが…」

 モノを長く使うためには,しかるべきタイミングできちんとメンテや修理をしていかないとダメだということか。

 ***

 今回の靴は残念なことでしたが,今住んでいる団地の自宅は,ぜひ長く使っていきたいと思っています。

 今,ウチの団地は築30数年。
 
 「築30年を超えたマンション・集合住宅は,老朽化している。寿命だ」などという話があります。
 「マンションの寿命は30年」という説。
 お聞きになったことがあるかもしれません。

 じつはこれは,平成14年の法改正(区分所有法というマンション関連の法律)のときに,政府関係の調査で取り上げた60件ほどの建替え事例で,その「平均築年数」が約30年(33.3年)だったことから言われるようになったものです。そのようにかなりの専門家が指摘しています。玄人のあいだでは,よく知られた話なのだそうです。

 その政府関係の調査で取り上げられた集合住宅は,建物が物理的に「老朽化」して使用不能になったから建替えたのではありません。

 まだまだ耐用年数的には使える状態であっても,いわゆる「等価交換」方式で住民の費用負担の少ないかたちで建替えられたものばかり。

 これはたとえていえば,仮に「自家用車を新しいのに買い替えるまでの平均年数が5年」という数字があったとして,その「5年」を「クルマの寿命」といっているようなものです。でもその「5年」というのは,クルマの物理的・機械的な寿命とはちがうわけです。

 ***

 なお,日本建築学会では,鉄筋コンクリート造集合住宅の耐用年数を,高品質であれば100年以上,普通程度でも60年以上としています。

 ただし,これは通常必要なメンテナンスをきちんと施したうえでのことです。

 集合住宅を長く使い続けるためには,メンテナンスが重要です。

 団地の修繕の専門家として知られる藤木良明氏(元・愛知産業大学教授・工学博士)は,著書(『マンションにいつまで住めるのか』平凡社新書)のなかで「老朽は適切なメンテナンスを施さないから発生する」と述べています。

 以上,「マンションの寿命は30年」というのは,かなり歪んだ情報だといえるでしょう。

 「新しい建物をどんどん建てたい」という業界関係者の思惑や,「コンクリート大好き」「ピカピカの新築大好き」な価値観から生まれ,広まった(広められた)のでは,と思います。

 ウチの団地も,「60年」「100年」が本来の寿命だとしたら,まだまだこれから。
 人間でいえば,30~40代の働きざかりといったところか。
 それを「老朽」なんていったら,かわいそう。

 でも,やっぱりメンテナンスはしっかりしていかないと,ということですね。
 人間だって,そうですし……

 
(以上) 
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2014年03月18日 (火) | Edit |
 この前の土日に,木村拓哉主演のスペシャルドラマ『宮本武蔵』(テレビ朝日系)を観ました。
 ウチの奥さんがスマップの熱心なファンで,一緒に観たのです。この10年余り,そんなふうに一緒にテレビや映画を観たり,コンサートに行ったりしているうちに,「スマップファン」が感染してしまいました。
 
 木村拓哉は,武蔵を熱演していました。
 何十人(76人)もの敵と戦い,全員を斬っていくシーンや,ライバル佐々木小次郎との対戦など,なかなか迫力がありました。ファンの目からみて,「新境地」や「挑戦」といえるところが,いくつもありました。
 でも,(妻がネットで調べたところでは)視聴率的には,かなり厳しい数字だった模様。

 木村君,たいへんですが,頑張ってください。

 今,「木村君」と言いました。

 木村拓哉やスマップのファンならば,「キムタク」とは言いません。あれは一種の「蔑称」です。たとえば彼の周囲の関係者などは,決して「キムタクさん」などとは言わない。「〇〇君」というのは,スマップにかぎらずジャニーズの世界全般において,敬愛を込めた呼び方とされています。ジャニーズの人たちは,先輩のことも「〇〇君」と呼んだりする。それが失礼にはあたらないことになっている。

 ***

 話がそれました。
 今回のテーマは,ドラマや木村君のことではなく,歴史上の人物としての宮本武蔵です。ドラマを観たので,語りたくなりました。

 そもそもですが,宮本武蔵(1584?~1645)は,実在の人物です。

 私は,若い人から「宮本武蔵って,実際にいた人なんですよね?」と聞かれたことがあります(「丹下左膳」や「座頭市」みたいなものかもしれないと思ったのでしょう)。

 宮本武蔵は,江戸時代の初期に活躍した剣豪。

 武蔵の生きた時代には,真剣(ホンモノの刀)で斬りあう勝負をして,剣術の腕を競い合う武芸者たちが,本当にいました。木刀での勝負もかなりありましたが,それでも命の危険があります。
 そのような「真剣勝負」の世界で名をあげると,大名家に「剣術指南」などの立場でスカウトされる可能性がありました。

 そういう目的があったとしても,負けたら命にかかわる「勝負」を,本当に行っていたのです。すごい時代です。

 宮本武蔵は,「60回余りの真剣勝負をして負けなかった」と自ら書き残しています。
 ただ,ある研究者によれば「具体的に史料や記録で確認できる,武蔵の生涯の対戦は十数回ほど」だともいいます(久保三千雄『宮本武蔵とは何者だったのか』)。
 
 でもとにかく,少なくとも「十数回」は「負けたら死ぬ」勝負を,行っていたのです。
 そして,そのすべてで負けなかった。
 しかも,相手は素人ではなく,全て剣術の玄人たちです。その中には佐々木小次郎のような「剣豪」もいたわけです。

 そんな勝負を,生涯で何十回もくり返した。
 恐ろしい人間がいたものです。
 
 これは,今のスポーツ選手の「真剣勝負」とは次元の異なる世界です。

 武蔵の「勝負」の世界では,たとえばこのあいだのオリンピックの(ショートプログラムでの)浅田真央選手のようなことだと,フリーで挽回する前に多分死んでいるわけです。お相撲さんなら,黒星がついた時点で,死んじゃう。ウインブルドンなら,優勝者以外はみんな……もうやめておきます。

 ***

 それにしても,宮本武蔵はなぜこれほど有名なのでしょう?

 直接の原因は,昭和の大作家の吉川英治が『宮本武蔵』というベストセラーの名作を残したから。それが何度もドラマや映画やマンガになって,ヒットしたから。今回の木村君のドラマも吉川英治原作です。最近の大ヒットマンガ『バガボンド』(井上雄彦作)も,吉川の小説が原作。

 では,なぜそのような小説の素材になるほどに名を残したのか?

 「そりゃ,武蔵が強かったからじゃないの」と思うかもしれません。
 たしかにそれはそうです。でも,それだけではないです。

 大事なのは,彼が『五輪書(ごりんのしょ)』という「史上初の本格的な武道論・武術論の本」を,晩年に書き残したことです。
 武蔵がとくに有名な剣豪として語り継がれたのは,この本の内容がすぐれていたからなのです。

 単に自分が強いだけでは,歴史に名を残すことはできません。
 自分がつかみとった価値ある何かを,後世にも利用できる遺産として残していくことが大切なのです。

 (私は以上のことを,現代の武道家・南郷継正の著作で知りました)

 では,その『五輪書』の冒頭の,さわりの部分だけでも読んでみましょう。
 原文を現代語訳したもの(鎌田茂男『五輪書』講談社学術文庫による)を,さらに私が若干要約・編集した「和文和訳」です。

 ***

 《私の兵法(剣術)の道を「二天一流」と名付け,これまで鍛錬してきたことを,はじめて書物に書きあらわすことにする。播磨(兵庫県)生まれの武士である,この宮本武蔵は,60歳になった。

 私は若いときから兵法の道を歩み,13歳のときにはじめて勝負をして勝った。その後21歳のとき京都へのぼり,天下に知られた武芸者と何度か勝負をして,すべて負けなかった。その後,諸国をめぐって60回余りの真剣勝負をしたが,一度も負けたことはない。

 以上は,13歳から20代おわりまでのことだ。
 その後,30歳を過ぎたころから,私は自分の足跡を振り返るようになった。

 私が勝ってきたのは,はたして兵法を極めたからだったのか?
 生まれつき武芸の才能があったからだろうか?
 それとも,対戦相手の武芸が不十分だったということなのか?

 その後,さらに深く兵法を極めようと,私は鍛錬を続けた。
 すると,「兵法の道」といえるものがみえてきて,それにかなうことができるようになった。私が50歳ころのことである。
 それ以後は,新たに究めつくすということはなく,月日を送っている。

 私は,兵法以外にも,いろいろなことに取り組んできた。絵を描き,書をたしなみ,仏像を彫ったりもした。そうしたすべてのことについて,私に師匠はいない。すべては兵法から学んだのだ。

 今,この『五輪書』を書くにあたっても,兵法それ自体にのみ即して,兵法の世界について述べたいと思う。
 つまり,仏法,儒教,道教などの言葉を借りたりせず,軍記などの故事を用いたりせずに,自分の兵法の真実にせまりたい。》


 ***

 どうでしょう。
 この冒頭の部分だけでも,『五輪書』の精神が,なんとなく伝わってくるように思いませんか。

 その「精神」とは,一種の「リアリズム」とか「合理主義」のようなもの。
 「科学」や「技術」の精神の芽生えも,そこにはあるように思えます。

 私は,はじめてこの本を読んだとき,思っていた以上に「近代的」な内容だと思い,新鮮に感じました。

 ほかにもたとえば,武蔵の「リアリズム」を述べた,こんなくだりがあります。
 「兵法とは,武士とは何か」ということを論じた箇所です。

 そこからの「和文和訳」で,今回はしめくくります。


 《兵法とは,武士のたしなむ道である。
 仏法では人を救うという「道」があり,医者には病をなおすという「道」があるようなもの。

 武士たるものは,たとえ才能がなくても,自分の能力に応じて兵法を修業しなくてはならない。 

 なぜか?
 世の中では,「立派に死ぬことこそが武士の道」だと思われているようだ。
 でも,そのような「死ぬ覚悟」は,武士の専売特許ではない。
 僧侶であっても,女性であっても,百姓であっても,正義や誇りのために死を覚悟するということはある。

 では,武士が武士であるとは,何によるのか?

 それは,敵と戦って勝つための兵法=剣術をたしなんでいる,ということによる。

 武士が兵法を行うのは,どんな状況でも,なんとしても,敵に勝つためだ。
 それによって,主君のため,自分自身のために名をあげ,身を立てる。これが兵法の「意味」といっていい。

 世の中には「兵法など習っても,実戦には役立たない」という人もいる。
 しかし,大事なのは実際に役に立つように兵法を学ぶことだ。そして,戦い以外のあらゆることについても役立つようなかたちで,兵法を学ぶことである。
 それこそが,真の兵法というものだ。》


(以上) 
 
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月17日 (月) | Edit |
 今回は,そういちカレンダー2014から。
 昨年末につくって販売した,雑誌感覚の読むカレンダーです。
 その中に【大コラム】という,いちばん長文のコーナーがあって,そこからの記事。

 【大コラム】の記事は,もともとはこのブログに載せていたもの。それを700~800文字におさまるよう再編集しているのです。
 文章を短く書きなおすのというのは,いろいろ発見があります。
 相当煮詰めて書いたつもりの文章でも,「まだまだそぎ落とせるところがあるんだ」などと感じます。
 
 ***

「問題」への2つのアプローチ

 私たちは,生活の中でさまざまな問題につきあたります。仕事のトラブル,人間関係,病気,お金がない……。
 そんなとき,二通りのアプローチがあるはずです。

 ひとつは,「これはどういうことなんだ?なぜこうなった?」と状況を分析して対策を考える,というもの。
 これは,学問のやり方です。
 学問のやり方を発展させた結果,近代科学が生まれました。

 もうひとつのやり方では,自分の外で起こっている問題のあり方よりも,問題を受けとめる自分の心のあり方を問題にします。
 「くよくよ考えてもしかたない。受けとめ方を変えよう」というのです。世界についての受けとめ方を変えることによって,問題を問題にしなくなる。
 これは宗教のやり方です。

 神のような,絶対的・超越的な存在をおき,そこに全幅の信頼を寄せることによって「安心」する。
 それによって,世界の見方も変わってくるということです。そのことで,大きな視野や広い心を得る人も少なくありません。

 また,宗教でも「いいこと・悪いことは前世の報い」のように,一応は「なぜ」を説明したりもします。でも結局は神や仏を原因にするので,あまり説明になっていません。

 「悟り」とは,「問題を問題としなくなった境地」と言えるでしょう。
 どの程度の問題まで問題としなくなったかによって,悟りのレベルにちがいが出てきます。

 こういう説明を,私(そういち)は学生時代に武道家の南郷継正という人の著作で知りました。あれから少しは本を読みましたが,学問や宗教の本質について,これほど簡潔・明快な説明にはお目にかかっていません。

(秋田総一郎『自分で考えるための勉強法』ディスカヴァー21 より)

  2つのアプローチ
(以上)
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2014年03月13日 (木) | Edit |
【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)
マックス・デルブリュック(分子生物学者,1969年ノーベル賞)

講演・発表にあたっての心構え…「デルブリュックの教え」

ひとつ,聞き手は完全に無知だと思え。
ひとつ,聞き手は高度の知性を持つと想定せよ。


 いろいろなところで引用されている名言です。

 「聞き手に専門知識がなくても,きちんと説明すれば高度の内容も理解してもらえる」ということ。
 聞き手への配慮と信頼。
 人に何かを伝える上で大事な姿勢です。

 でも残念ながら,この「教え」とは逆のことをしているケースは多いです。
 つまり,専門用語や恰好つけたコトバをたくさん使っているのに,月並みな常識しか語っていない,あるいは論旨が通っていない……

 プレゼン

(以上)
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2014年03月10日 (月) | Edit |
 もうすぐ,あの震災から3年。

 復興はもっと早くすすむのではないかと,思っていました。

 でも,そうでもない。
 巨額の予算がちぐはぐな使われ方をされたり,それにともなって物資や人材が必要なところにいかなかったり,再建にむけての合意形成がすすまなかったり……

 これは,生産力とか技術とか,あるいは経済力の問題ではないように思えます。

 足りないのは,私たちの「社会についての運営の能力」ではないか。
 つまり,政治や行政のことが,どうにもうまくできないのです。

 がんばっていることもあるにせよ,思うようにできていないことが,たくさんある。

 「政治家や役人がダメだ」といっているのではありません。

 私たちの社会や文明がまだその程度なのだ……そんなふうに私は感じます。

 福島の原発をめぐるその後の東電や政府の対応(ごまかしやその場しのぎの連続)は,「運営がうまくできない私たちの社会」を象徴しているように思います。
 
 深刻な「問題」にきちんと対応できる,実行力のある政治や行政というのは,簡単ではない。
 ほんとうにむずかしいことなのだ。
 届けるべきところへ必要なものを届けるのは,たいへんなこと。

 そんなことは,あたりまえなのかもしれません。
 あるいは「そんなこといっても,なんにもならない」といわれてしまうかもしれません。

 でもたぶん,「問題に対応できる政治や行政」というものを,私たちはかなり安易に考えている。そんなものは「あってあたりまえ」くらいに思っている。
 世の中で「賢い」といわれる人たちでさえ,そうなのではないか。

 その認識を,少しでもあらためることが,いろんなことを考える出発点になるように思うのですが,どうでしょうか?


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  大震災から2年
  仕事の手をとめない人たち

(以上) 
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2014年03月09日 (日) | Edit |
 昨日はバスで少し行ったところにある郊外のショッピングセンターで,仕事のカバンを買いました。
 これまで6年使っていたのが傷んで無残な姿になってきたので,新しいのを買ったのです。
 「新しい」といっても,また同じカバンを買いました。

 こんなものです。新しいのと,使い古したのを並べています。

吉田カバン

 吉田カバンという大手メーカーの「ポーター」というシリーズのなかの,定番的なナイロン製ビジネスバッグ。1万5000円くらい。

 今回買ったのは私にとって「3代目」になります。今までのは「2代目」。同じ型のカバンを10年くらい使っていて,おそらくまた数年使うはずです。

 お店でほかのカバンもみましたが,「やっぱりこれがいい」ということになりました。

 吉田カバンの「ポーター」だけでも,いろんなタイプがあるのですが,これが自分にとっては一番使い勝手がいいように思えます。カバンの中の仕切り方とか小物の収納の形とか,全体的な容量などが,私にはちょうどいい。値段的にもこのシリーズのなかでは安いほうで,それも選択の理由。

 3回同じのを買ったのだから,これは私にとって「愛用品」といっていいでしょう。

 近所のショッピングセンターで売っている,「高級品」とはいえない(でも安物でもない)ナイロン製のバッグを,いいオヤジが「愛用品」などというのはどうかとも思います。でも,もう10年来毎日使っているんだから,まさに愛用品。

 ***

 新しいカバンを買って,「ほかにも,自分には長いこと毎日肌身離さず使っている道具があるなあ」と思いおこしました。

 つぎの写真の品々です。

能率手帳など

 ひとつは,手帳。これはこの数年ほどのおつきいですが,「能率手帳1」(日本能率協会製)というのを使っています。(ただし,10年以上前にも少し使ったことがあり,通算だと10年近いつきあい)

 今のビジネスダイアリーの原点のような商品で,1949年から発売されています。どこでも売っている,これも「定番」の品です。

 似たような手帳はたくさんあるのですが,紙質や印刷の感じ(やや黄色がかった紙にモスグリーンの文字や線),表紙の感触や年号の文字などが好きなのです。

 この手帳には,「5×3インチカード」というものをいつも10枚くらいはさんでいます。手帳くらいの大きさ(75ミリ×125ミリ)の白地の,やや厚手の紙でできたカードです。何か思いついたこと,覚えておきたいことなどをこれにメモするのです。

 このようなカードには複数のメーカーの製品がありますが,私が使っているのは,LIFE社製の「情報カード5×3無地」というもの。100枚で300円ほど。

 そして,手帳やカードに書く筆記具も,ずっと同じものを使っています。

 パイロット社製の「HI‐TEC‐C(ハイテック)」という水性ボールペンの黒で,太さ「0.4」。(このシリーズにはいろんな色や太さがあります)1本200円。

 こちらは10年くらい使っているでしょうか。
 
 水性ボールペンにはいろんなものがあり,これより安い100円のものや,同じ価格帯のライバル製品などもあります。でも,この「ハイテック」の書き味(なめらかだけど少し硬い手ごたえがある)とかシャープな線が,いちばん好きなのです。

 肌身離さずこのペンを持っていますが,たまに忘れたり,切らしたりもします。そんなときほかのペンで代用するわけですが,どうも落ち着きません。きちんとメモしたり,メモしながら考えたりするときは,このペンでないと,どうも調子が出ない。

(去年,あるデザイン系の冊子で,日本で働く1人の外国人デザイナーが,このペンについて似たようなことを述べているのをみたこともあります)
 
 だから,この「ハイテック」を切らさないように,いつも数本のストックをこころがけています。

 私は,文具には興味がありますが,趣味的な「高級文房具」には,ほとんど関心がありません。
 このような手帳といい,筆記具といい,安価な実用品です。
 それも,「定番」のシンプルな製品ばかり。「最新機能」にもあまり関心がない。

 でも,そんなシンプルな製品のなかにこそ,本格的な文房具の魅力というのが,いっぱい詰まっているように思うのですが。

 これらの製品(吉田カバンも含め)はみな,デザイン的にも洗練されていると思いますし,値段を考えるとたいした性能です。たとえば200円の「ハイテック」の細く安定した線やなめらかな書き味は,すごいと思います。

 こういう「ささやかな愛用品」は,多くの人にあるのではないでしょうか。
 でも,意外と自覚がなかったりするのです。
 「こんな安物,べつにこだわりの品でもないし…」とか思っていたりする。

 でも,そういうものこそ,じつはほんとうにすばらしいモノであるのかもしれません。

(以上)
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月08日 (土) | Edit |
 昨年末に「そういちカレンダー2014」というものをつくりました。
 その3月のページの画像を,この記事の下のほうに貼っています。

 このブログの記事をおもな材料にして,さまざまなコンテンツを詰め込んだ雑誌感覚のカレンダーです。
 文・イラスト・レイアウトとも私・そういちによるものです。
 
カレンダー使用例 (2)

 もう時期は過ぎていますが,販売もしています。ご注文後,数日でお届けします。

・1冊1000円(送料込み,10冊以上ご注文の場合1冊800円)
(仕様)A4判14ページ,ダブルループ製本

・ご注文は,so.akitaあっとまーくgmail.com まで下記事項を記したメールをお送りください。
 ①お名前 ②お届け先住所 ③ご注文冊数 
 代金は後払い。商品発送とともに振込先(郵便振替か楽天銀行)をご案内します。
 

 カレンダーは,以下の画像のようなもの。画像は3月のページ。記事は,月ごとにちがいます。

カレンダー2014年3月
 
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2014年03月06日 (木) | Edit |
 私は今,若い人の就職の相談に乗る「キャリア・カウンセラー(アドバイザー)」の仕事をしているので,今回はその話題を。
 ここでは,就職=就社ということにしておきます。

 2月から3月にかけては,多くの大学3年生が就職活動で本格的に動き出す時期。少なくとも今の大学生の「シューカツ」のカレンダーでは,そうです。

 だからその時期である今,大上段につぎのことをお尋ねします。

 就職活動でいちばん大事なことは何でしょうか?

 ***
 
 この質問に「自己分析」と答える人もいます。

 でも,たぶんちがう。
 
 では,何が大事なのか?
 
 就職活動で,いちばん大事なことは,「会社」をみつけることです。

 では,どんな「会社」をみつける,というのでしょう?

 「いい会社」をみつける?
 「自分に合う会社」をみつける?

 これだと,ことがらの「半分」しかとらえてないと思います。あるいは,もう少し踏み込んで明確にしたほうがいいのかもしれません。

 大事なのは

 「自分が入社してもいい」と思える会社で
 「自分を採用してくれる会社」をみつけること。


 そして,その中でできるかぎり「納得」の度合いの大きい会社をみつけること。

 これは,「シューカツとは何か」ということでもある。

 言ってしまえば,あたりまえの話です。
 でも,この「あたりまえ」を見失ってしまうことも,かなり多いのです。

 たとえば,「あこがれの一流企業」ばかり受けている学生さんは,そうなのかもしれません。

 もちろん,就職活動の時期だからこそ,そのような「あこがれ」の会社を受けることができるのですから,トライしたらいいと思います。でも,そういう活動だけでは,どうなのか……

 ***

 就活生におすすめしたいのは,「大学受験生のような発想で,自分が受ける会社を考えてみよう」ということです。

 大学受験のときには,自分にとって「難しい」と思える大学(高望み),「なんとかいけそう」という大学(実力相応),「かなり確実に受かりそう」な大学(滑り止め)をみきわめ,それぞれ1つは受けたりしたものです。「偏差値」は,その「みきわめ」のための道具でした。
 まあ,最近はペーパー試験なしで大学に入る人も増えましたが……

 こういう発想で,自分の受ける会社を「松」「竹」「梅」的にピックアップしていくのです。せめて,「松」のほかに「竹」くらいは考えておく。

 そして,ピックアップした会社について,基本的なことを研究していく。つまり,書かれた情報を読んだり,人から話を聞いたり,足を運んで様子をみたりする。
 
 もちろんこれからのシーズンだと,ただ机に向かって「研究」しているのではなく,じっさいにいろんな会社にエントリーしながら,同時並行的に慌ただしく「研究」していくのがいいでしょう。
  
 ただし,会社というのは,試験勉強の「偏差値」的な尺度で測ることはできません。
 とくに「滑り止め」なんて,会社の場合はみつけるのが難しい。
 でも,「自分にとって」ということで,そこは自分なりに判断していくことです。

 難しいところもありますが,それを考えていくこと,そのための情報収集をしていくことです。

 以上のような姿勢で勉強したり行動したりしていくと,その人の「会社をみつける」能力は,だいぶ高くなっているはずです。

 それによって,就職活動の問題の半分くらいは解決します。

 つまり,「自分が入ってもいいと思える会社で,自分を採用してくれそうな会社」をある程度はみきわめられるようになってくる。

 もちろん「ある程度」であって,アテが外れることのほうが多いのですが,やみくもに会社を受けるレベルよりも,はるかに「納得」のいく結果に近づくことができるのです。

 ***

 以上,ずいぶん抽象的な,結論だけを押し付けるような話をしました。
 
 でも,今現在就職活動のことが気になっているという人には,ピンとくるところがあったはずです。
 抽象的にまとまった話だから,役に立つということもある。

 このブログの読者で,就活生の人は少ないと思いますが,就活生が周囲にいる大人の方,いずれ就活生になる方,参考にしていただければ幸いです。

(以上)  
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月02日 (日) | Edit |
 STAP細胞に関する小保方晴子さんたちの論文に対し,論文を掲載した科学誌ネイチャーが,2月18日に「論文の画像に不自然な点がある」として調査をはじめました。

 ネイチャーによれば,異なる実験でSTAP細胞などからつくったはずのマウスの胎盤の写真2枚が酷似していた,とのこと。
 論文の共同執筆者である山梨大学の若山照彦教授も,2枚の写真が似ていることを認め,「ミスによって画像を取り違えたのでは」「しかし,研究成果そのものは揺るがない」と述べている……

※(3月3日追記)2月末から3月はじめの報道によると,小保方さんらの論文の補足的な記述で,ほかの研究者による論文と酷似している箇所もみつかっているそうです。論文の主要な部分ではないものの,それが「引用」であることを示す記述はなく,無断引用(読者に対し引用だと断っていない,不適切な引用)の疑いがあるとして,小保方さんの所属する理化学研究所は調査をすすめているとのこと。「画像」の問題といい,この「無断引用」の問題といい,こういうことが重なると,それらが仮に「ミス」であり,論文の根幹にかかわらないとしても,「もっと重要なところで不適切なことをしていないか」といった疑いは生じてしまうことでしょう。

 こういうことがあって,この研究がそもそも「ねつ造」ではないかという話までいろいろ出ているようです。
 ネットで「小保方 ねつ造」などのキーワードで検索してみると,出るわ出るわ……

 私には,この「画像の不自然な点」の詳細も,それが研究全体にどう影響するかも,はっきりとはわかりません。そこを判断する能力がありません。

 でもひとついえるのは,「科学って,そういうものだ」ということ。

 では,(科学って)どういうものなのか?

 科学研究の具体的な中身はわからないけど,「科学研究がどのような社会的活動か」ということについての一般論は,少しだけわかるつもりです。

 ***

 研究がネイチャーのような権威のある雑誌に載った,ということは,その研究がかなり信頼できるということではあります。なぜなら,権威ある雑誌に論文が載るには,「査読」という一流の科学者による審査を通らないといけないから。

 でも,その「査読」によるチェックは,絶対ではありません。ネイチャーでも,「ねつ造」だと後に判明した論文を載せてしまったことはあります。

 では,私たちは何を信頼したらいいのか?
 ある論文なり研究なりの「正しさ」は,どうやってわかるのか?

 それは,最終的には「追試」ということによって明らかになるのです。
 「追試」とは,科学論文に載っている実験を,疑い深いほかの科学者が同じようにやってみて,論文にあるような結果が得られるか確認することです。

 「同じ結果が得られた」ときは,「追試に成功した」などといいます。

 STAP細胞の場合,まだ「追試」に成功した科学者は,いないのだそうです。
 つまり,小保方論文を読んで,それを真似てSTAP細胞をつくりだした人はいない。

 そこで,「論文発表から1か月経つのに,おかしいじゃないか」という専門家もいます。
 でも,「まだ1か月じゃないか」という専門家もいます。「追試に成功するまで,もっと時間のかかった実験はある」というのです。
 
 もしも,今後も追試がうまくいかないとしたら,「実験の前提条件に何かの見落としがあった」「細かな技術的なことで,論文には書かれていない・書ききれていないことがある」といったことが考えられます。そうでなかったら,「基本的にまちがい」か「ねつ造」であったということです。

 いずれにしても,時間が経つと決着がつきます。

 どこかの時点で「追試に成功した」という科学者が何人かあらわれて,その後それに続く人たちがおおぜい出てくれば,「小保方論文は正しかった」ということになります。その過程で,修正・補足すべき点などが明らかになるかもしれませんが。

 もしも,何年経っても「追試に成功した人が出てこない」なら,「あれはまちがいか,ねつ造だった」ということになる。科学の歴史にはそういうこともあります。

 科学の真理というのは,議論とか世論の雰囲気とかでは決まりません。

 権威や権力のある人が「あれはねつ造だろう」あるいは「あれは本当なんだ」と言ったところで,「追試」がどうなるか次第で,全部吹き飛んでしまいます。もちろん,私たちのような素人や自称専門家がネットで「ああだ,こうだ」といっていることも,同様です。

 仮にこれから小保方さんが記者会見などを行い,好感度の高いプレゼンで世論を味方につけたとしても,あるいは逆に外部への説明・対応をとくに行わず(今のところそうですが),世論の非難を受けたとしても,結局は「追試がどうなるか」ということがだいじです。

 科学の真理は,実験的にしか決まらない。
 その「実験(追試)」は,疑い深い多くの専門家によって行われる。
 「重大な発見」を主張する研究ほど,あらゆる批判や吟味にさらされる。

 それが,人間のつくった「科学研究」という営みのすぐれたところだと思います。

 ***

 では,科学研究はひたすらクリーンで透明なものかというと,人間の営みですから,いろいろあります。

 功名心からトンデモなウソやねつ造を行う科学者も後を絶ちません。
 利害関係や嫉妬心,派閥意識などから,後世からみれば「ほんとうは正しかった」研究を無視したり,非難したりすることもくりかえされてきました。

 今回のSTAP細胞だって,さまざまな人たちの「利害」に影響を与える研究です。
 「この研究がまちがいだったらいいのに」と思う人はいるはずです。あるいは「せめて,今攻撃をしておけば,当面の研究予算を得るのを邪魔することができるだろう」という人がいても,私は不思議ではないと思います。

 とにかく,私たち素人は,以上のような「科学というものの基本の基本」みたいなことは知っておいたほうがいいと思っています。

 つまり,「科学ってそういうもんだ」という眼で,今回のSTAP細胞の件もみていくといいはずです。

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2014年03月02日 (日) | Edit |
 3月2日は,ソビエト連邦最後の指導者ゴルバチョフの誕生日です。
 そこで,彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

ゴルバチョフ

それでもやはり世界平和の功労者

 ミハイル・ゴルバチョフ(1931~ ロシア)は,1991年に崩壊した社会主義国・ソビエト連邦(ソ連)最後の指導者です。
 彼がリーダーになった当時(80年代後半)のソ連は,アメリカと軍事力で競い合う「超大国」でしたが,人びとの自由は抑圧され,経済はボロボロ。ソ連とアメリカはいつ核戦争になってもおかしくない状況でした。
 彼は,政治の大改革に取り組み,アメリカとの関係も改善しました。
 しかし,改革がきっかけで動揺したソ連の体制は崩壊し,彼も失脚してしまいます。ソ連に従属していた東欧諸国の社会主義体制も,同じ道をたどりました。
 でもその結果,ソ連や東欧の国民は以前より自由になり,米ソの戦争も避けられたのです。
 彼はその後,「名士」として講演やイベント出演などで稼いでいます。
 偉人らしくない? そうかもしれませんが,それでも彼が世界平和に大きく貢献したことはまちがいないのです。

シュナイダー著・瀬野文教訳『偉大なる敗北者たち』(草思社,2005)に教わった。

【ミハイル・ゴルバチョフ】
ソビエト連邦の幕を引いた政治家。1985年,ソ連の最高権力者に。86年以降「ペレストロイカ(再建)」「グラスノスチ(情報公開)」と称する改革を行う。91年にはソ連共産党を解散し,連邦解体の激動の中で辞任。
1931年3月2日生まれ(2014年3月現存)

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
 その101話をまとめた電子書籍『四百文字の偉人伝』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も発売中です(アマゾンKindleストア楽天Kobo,ディスカヴァー社のホームページなどにて販売,400円)
                     
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秋田総一郎

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(以上)
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ジャンル:学問・文化・芸術
2014年03月01日 (土) | Edit |
 2月23日に「ユダヤ人とは何か」入門・前編という記事をお送りしました。
 今回はその続きです。

 「前編」では,古代以来のユダヤ人の歴史を,きわめておおざっぱに述べました。
 今回の「中編」と次回の「後編」は,「近代社会とユダヤ人」がテーマです。
 これも,あくまでざっくりと。

 ***

 ユダヤ人は,人類が近代の経済や文化を築きあげていくうえで,大きな役割を果たしました。

 たとえば近代社会の経済には,銀行や証券業などの「金融」というものが欠かせませんが,ユダヤ人の資本家は,そのような近代的な金融業の元祖といっていいのです。

 たとえばロスチャイルド財閥は,そのようなユダヤ人金融資本家の代表です。

 ロスチャイルド財閥は,1800年代にヨーロッパの金融の王者として大発展を遂げ,のちにアメリカ合衆国にも進出しました。

 そして,この財閥と関わりのある人びとによって,現代のアメリカを代表する金融機関がいくつも創設されています。ゴールドマン・サックス,ソロモン・ブラザーズといった投資銀行(証券会社の一種)などはそうです。

 今はもう消滅しましたが,リーマン・ブラザーズという投資銀行も,ロスチャイルドとつながりがあります。その経営破たん(2008年)は,「リーマン・ショック」といわれる大混乱の引き金となりました。
 (ソロモン・ブラザーズも,現在は他の金融機関との合併などにより,その名前・ブランドはほぼ消えてしまいました)

 アメリカの金融業界の大物には,多くのユダヤ人がいます。
 
 金融・経済の重要な公職を務めるユダヤ人も少なくありません。

 たとえば,1990年代のクリントン政権の時代に財務長官を務めたロバート・ルービンやローレンス・サマーズ。ルービンはゴールドマン・サックスの経営者出身です。

 そして,オバマ政権の現在の財務長官である,ジェイコブ・ルーも,ユダヤ人。

 それから,1987~2006年の長期にわたってアメリカ連邦準備制度理事会議長(日本でいえば日銀総裁)を務めたアラン・グリーンスパン。
 そして,グリーンスパンの後任のベン・バーナンキも,ユダヤ人。

 さらにその後任で,先月(2014年2月)に就任したジャネット・イエレン(はじめての女性議長)も,ユダヤ人です。
  
 アメリカの金融界,ということは世界の金融界でのユダヤ人の影響力は,たいへん大きいわけです。
 その影響力は,政治・経済全般に及ぶといっていいでしょう。

 ***

 世の中で何かが起きると,「これはユダヤの陰謀だ」という「うわさ話」あるいは「トンデモな話」がときどき出てきます。それにはこのように「金融・経済に大きな影響力のあるユダヤ人がおおぜいいる」ということが根本にあるわけです。

 ただ,「ユダヤの陰謀」といういい方には,「陰謀をめぐらす悪の秘密結社としてのユダヤ人」みたいなものが存在する,という前提があります。

 私は,そのような見方は疑わしいと思っています。

 しかし,「世界の金融・経済に影響を与える意思決定に関与する人物の中に,ユダヤ人が多数いる」ということは,現実として知っておいていいと思います。
 そのような存在が,この世界にはいるのだと。

 ***
 
 ではなぜ,ユダヤ人は近代の金融の「元祖」になったのでしょうか?

 その起源は,中世のヨーロッパ(ここでは西暦1000年ころから1500年ころ)にさかのぼります。
 中世のヨーロッパでは,キリスト教徒が「人に金を貸して利子を得ること」が禁止されていました。当時のカトリックの考え方です。
 しかし,現実には「お金を貸してくれる業者(高利貸しという)」は,ある程度発達した経済にとっては必要です。

 そこで,中世ヨーロッパでは(キリスト教徒からみて)「異教徒」であるユダヤ人には,「高利貸し」のビジネスを許可しました。そこでユダヤ人には「高利貸し」の仕事をする人が,かなりいたのです。

 じつは,ユダヤ教でも,「利子を得ること」は禁止なのですが,「異教徒に対しては可」ということになっていました。だから,キリスト教徒相手ならいいわけです。

 中世ヨーロッパにおいて,ユダヤ人の仕事は「高利貸し」にかぎりません。
 金融・商業(貿易など)全般が,ユダヤ人のおもな活躍の場でした(もちろん「金持ち」といえるのは,ユダヤ人であっても一部であり,大多数は中小・零細のビジネスを営む人たちでした)。

 中世ヨーロッパにおいて,商業・金融をになったユダヤ人。

 これは,ユダヤ人がヨーロッパ社会において「異端」の扱いを受けたことが関わっています。
 「異端」であるとは,市民・領民としての権利にいろいろな制約があったということです。

 その「制約」の大きなもののひとつに「土地への権利」というものがありました。
 たとえば,農地を所有することが,基本的にできない。

 だから,ユダヤ人は自営農民や地主にはなれなかったのです。
 (ただし地主に従属する小作人的な農民にはなれましたし,東ヨーロッパにはそのような貧しい農民として生きるユダヤ人が数多くいました)

 農民や地主というのは,近代以前の社会では,まさに主流の存在です。
 農業がメインの産業だったのですから。

 ユダヤ人は,その「主流」からははじき出されていました。

 そして,中世の社会では,農業にくらべると「商業」はステイタスが低かったのです。
 まして金融業は,「周辺的」といえるマイナーな存在でした。
 「賤しい」と考える人も少なくありませんでした。

 ユダヤ人は,社会の「周辺的」な存在だったために,当時は「周辺的」あるいは「賤しい」とされた商業や金融業に従事した,ということです。
 
 しかし,近代になってから(つまり産業革命以降)は,経済は農業社中心から商工業中心へと移行していきました。
 新しい時代の経済では,新しい・発展したかたちの商業や金融が不可欠でした。

 そのときに,中世からずっと商業・金融を担ってきた,ユダヤ人がおおいに活躍するチャンスがあったのです。
 1800年代のロスチャイルド家は,その代表的な存在です。

 ロスチャイルドは,ヨーロッパ各地にネットワークを持っていましたが,イギリスを最大の拠点として発展した財閥です。「大英帝国が生んだ」といっていいでしょう。

 これは,ヨーロッパ(西ヨーロッパ)のなかで,イギリスの政府が最も早くからユダヤ人の権利や活躍を認めていたからです。
 
 イギリスでは,人びとの自由や権利の承認,産業・経済の発展ということが,1700~1800年代のヨーロッパでは最も進んでいたので,「ユダヤ人の権利を認める・その力を利用する」ということは,そうした流れの一部だったといえます。

 ***

 時代が大きく変わると,かつて「周辺」だった存在が,急に「中心的」な役割を担うことになったり,「底辺」「最後尾(ビリ)」だと思っていたものが,先端に躍り出たりすることがあります。

 「近代社会の誕生」のときのユダヤ人は,まさにそうでした。

 社会の「周辺」や「底辺」的な扱いから,近代社会のトップランナー的な位置に躍り出たのです。
 そして,現在に至っています。

 ただし,1800年代には,ユダヤ人への差別や権利の制限はまだまだ残っていました。
 しかしそれでも,ユダヤ人は急速に力をつけていったのです。

 そして,1900年ころにはすでに,欧米社会のなかで経済や文化において,有力な存在となっていました。
 金融・経済だけでなく,学問・芸術などでもユダヤ人は,大きな存在です。

 今回はここまで。次回は「近代の学問・芸術におけるユダヤ人」について。

(以上,未完) 
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