2014年04月30日 (水) | Edit |
 昨日の昭和の日は,ひさしぶりに夫婦いっしょの休みだったので,2人で出かけることにしました。
 たまには都心に行こう,ということで,東京駅を出発点に,丸の内から日本橋にかけて歩きました。

 めったに行かないところを歩いたので,新鮮でした。
 すっかり「おのぼりさん」になって,たくさん写真を撮りました。

 私は建築好きです。今回は丸の内界隈の建物が,とくに印象に残っています。
 
 丸の内の周辺は,この10年余りのあいだに,大きく変わりました。つぎつぎと昭和のビルが取り壊され,21世紀の新しいビルに建て替えられていきました。

 新しい丸の内には,最新の・近代的な街並みの美しさが,もちろんあります。
 最近リニューアルした東京駅のように,古い建物を生かすという面も,みられます。
 基本的には「新しい丸の内になって,よかったなあ」と思うのです。

 でも一方で,「これみよがし」「威張った感じ,威圧感がある」「ゴテゴテしている」印象のビルが目立つ気もします。こんな感じです。

丸の内界隈のビル5

丸の内界隈のビル4

丸の内界隈のビル

丸の内界隈のビル2

 以上は銀行などの金融機関のビルが多いです。丸の内は,そういうビルが集まっているところ。

 こういう,私にいわせると「威張った,ゴテゴテした感じ」は,「シンプルなモダン」をのりこえる新しいデザインとして,出てきたものです。近年の建築の傾向です。
 そんな「建築の新しい傾向」を,まとめてみることができるのが,丸の内です。

 私はこの「新しい傾向」が,あまり好きではありません。
 もう少し自己主張をおさえて,静かな・端正なたたずまいにできないものか,と思うのです。大きな大きなビルなんですから,静かにしているだけで,十分な存在感があるのです。自己主張をすると,うるさいです。

 日本橋界隈の新しい・大きな商業施設についても,似た印象を持ちました。
 壁面も天井も,いろんなアイデアを詰め込んだ装飾で埋め尽くされています。
 たのしいし,きれいだとは思うのですが,ちょっと疲れる。

 ラーメンのスープでいうと,今どきの「濃厚」タイプ,みたいな。
 あっさり醤油味が,なつかしくなる。
 自分は「古い」人間になってきたのかな……などとも思いました。

 最後は,昭和20年代から続く喫茶店で,コーヒーフロート(530円)を,2人でいただいて帰りました。
 アイスクリームがおいしかった。甘すぎず,シンプルな味わい。ウエイトレスのお姉さんやご主人の接客もいい。また行こう。

 建物への「文句」をいろいろいいましたが,それでも,普段みることができないものに多く触れることができて,充実したお散歩でした。

(以上) 
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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年04月29日 (火) | Edit |
 最近,「文章にとって大切なことは何か」ということを,よく考えます。

 このブログをはじめてから,私の文章に対し,お褒めの言葉を何度かいただきました。
 「正確でわかりやすい」「読者想い」「プロの文章」……そのように言ってくださるのです。たいへんうれしいことです。励みになります。
 私は上手い書き手ではないですが,「きまじめに,わかりやすく書こう」という気持ちだけはあります。それを認めてくださったのだと感じます。

 「どうすれば文章が書けるようになるか?」と聞かれることもあります。

 また,私は若い人の就職に関わる仕事をしていて,エントリーシートなどの「就活の作文」を添削することもあります。添削の結果,若い方が「こう書けばいいんですねー」と感心したり,明るい表情をみせてくれるのは,じつにうれしいです。

 そんなことが積み重なるうちに,「よい文章を書くための技術と精神」について,しばしば考えるようになりました。
 
 そこで,今ぼんやりとみえてきた,ポイントを書きます。

1.「よい文章」とは,「シンプルで,わかりやすく,正確な文章」である。

  文芸的・芸術的文章をめざす人もいるが,多くの人がめざすべきなのは,これ。


2.「よい文章」には,核となる,伝えたいメッセージがある。

  まず自分のアタマにある「メッセージ」を明確にしないといけない。
  そのメッセージをあらわす「自分なりの表現・コトバ」がみつかったら,
  しめたもの。



3.その「メッセージ」を伝えるため,
  ふさわしい・程よい情報や表現を盛り込む。

 
  抽象的すぎてはいけない。
  かといって,具体的に細かいことを書けばいいというものではない。
  情報が少なすぎてはいけない。情報過多もいけない。

  「読者のアタマにどんなイメージ・像を浮かばせるか」を常に意識する。
  「抽象性・具体性」「情報量」のサジ加減を考えよう。


  文章は,「言語によって,読者に自分の認識(思考や感情)を追体験させる」ために書くのである。
  「認識」とは「イメージ・像」といってもいい。
  書き手は「どんなイメージ・像を読者のアタマに浮かばせたいか」を考えなくてはいけない。
  「抽象性・具体性」ということは,それを考えるうえでのカギである。

 ***
 
 以上をまとめると,

1.シンプルに,わかりやすく,正確に。

2.核となるメッセージ。

3.程よい抽象性・具体性と情報量。

 
 大事なのは,この3つの視点だと思っています。
 具体的な「コツ」や「方法論」は,上記1~3の各論になります。

 たとえば,「ひとつの文に多くのことを盛り込もうとしない」「主語と述語の関係を意識する」といったことは,1.の「わかりやすく,正確に」というテーマの各論です。
 
 世の中には多くの「文章の書き方」の本があります。
 1~3の「ポイント」は,そこで論じられていることを,だいたい網羅しているはずです。

 だいじなことはほかにもあるでしょう。
 たとえば,「論理をどう扱うか」といったこと。でも,これはやや上級の事柄になると思います。
 「入門」としては,まず上記3つのポイントではないかと。

 また,「文章上達の方法論」という切り口もあります。
 上達のためには,「日記的に短い文章を書いてみる」「よく推敲する」ことが大切だ,といった話。これはこれで,たしかに重要です。

 でも今回の「3つのポイント」は,こうした「上達論」ではなく,文章論の「本体」の話です。スポーツで例えれば,「どんなフォームが正しいか,そのフォームで大切なことは何か」についてです。これに対し「上達論」とは,「そのフォームを身につけるために,どんな練習を積むべきか」ということ。

 今回は,ここまで。
 もちろん,これだけでは説明不足。今回は,とりあえずの「メモ」のつもりです。
 今後,「文章論」のシリーズとして,上記の「ポイント」について述べていきます。
 
(以上) 
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2014年04月26日 (土) | Edit |
 この1~2カ月,日経新聞を漫然と読んでいるだけでも,雇用環境や賃金の動きに,ここ数年とはちがう動きが出てきたのがわかります。

 日経の記事の見出しなどをいくつか紹介すると,

《小売り,建設費高騰で出店抑制 イオンは2~3割減 外食,サイゼリヤは2割減》(3月9日朝刊)

《建築資材の値上がりに建設技能者の不足が重なり,商業施設の建設費は5割近く上昇》
なんだとか。

 **

 牛丼の「すき家」が,人手不足で一部店舗が営業できなかったり,営業時間縮小となっていることは,テレビでも報じられてご存じの方も多いと思います。その件にかんする「すき家」を運営するゼンショーの対応についての記事も。組織改革を行い,採用や労務管理のあり方を変えていくのだそうです。

《「すき家」7地域に分社 ゼンショー 人出不足,採用柔軟に》(4月17日朝刊)

 この記事では小売・外食各社の《人材確保に知恵を絞る》いくつかの動きを一覧表で紹介しています。《ファーストリテイリング 国内の「ユニクロ」で働く1万6000人のパート・アルバイトを正社員に》《セブン―イレブン・ジャパン アルバイトの応募者向けコールセンターを本部が設置し,加盟店の求人を支援》《イオンリテール 有期雇用者の一部に正社員とほぼ同じ福利厚生制度を提供》……

 **

 同じ4月17日に,大手企業の労使交渉の記事も。

《賃上げ,16年ぶり7000円台 経団連集計 大手企業,ベアが寄与》(4月17日朝刊)

《大手企業の今春の労使交渉の賃上げが16年ぶりに高水準となった。経団連が16日に発表した労使交渉の1次集計によると,大手企業の定期昇給とベースアップ(ベア)などを合わせた月額の賃上げ額は平均7697円で1998年以来の7千円台となった》


 賃金の増加には,勤続年数が1年伸びるごとに増える「定期昇給」分と,全員の賃金を底上げする「ベースアップ(ベア)」分と,ボーナス(一時金)があります。

 このなかでベアは,その企業の賃金表(勤続年数や役職などに応じていくらの賃金を支払うかを定めた規定)を書きなおすことになるので,将来にわたっての人件費増につながります。そこで,昨年までの労使交渉では,企業は利益があがってもベアには踏み切らず,一時金で従業員に還元することが多かったのです。
 
 しかし,記事によると今春は《業績が好調な企業を中心にベアが相次いだことが(賃上げの)数字を押し上げた》とのこと。

 **

 来年春の大学卒業者の採用計画でも,採用増の傾向が出ています。

《大卒採用 来春16%増 6年ぶり10万人超 小売・建設伸び 本社最終集計》(4月20日朝刊)

《日本経済新聞社は19日,2015年春の採用計画調査(最終集計)をまとめた。大卒は全体で14年春の実績比16.8%増の11万1505人と6年ぶりに10万人を突破。旺盛な採用が続く小売や建設などの非製造業は18.5%と4年連続で2ケタ伸びた》


 私は,若年者の就職支援の仕事にかかわってるので,このあたりのことは「現場」の感覚としてもわかります。

 上記の記事は大企業にかんするものですが,その筋の関係者から聞く,東京地域の中小企業の来春の新卒採用の計画も,はっきりと増加傾向にあります。この4月に出された「来春の大卒者の求人」が,その件数・人数とも,昨年同期にくらべ大幅に増えているのです。それも,少なくとも「何十%増」といった増え方です。

 **

 地方の雇用の状況にかんする記事もありました。

《求人倍率,違う角度でみると… 地方の雇用 本当は元気》(4月21日朝刊)

 これは「厚労省の発表する有効求人倍率」を実態に即して補正することで地方雇用の実態をみる,という記事。

 「有効求人倍率」とは,「現在有効な,ハローワークの求人数÷ハローワークの求職者数」。職を探している人(求職者)1人あたりで,何人分の求人があるか。この「倍率」が高いほど,仕事はみつかりやすくなります。

《厚生労働省が公表するのは,本社所在地ごとの有効求人倍率。東京都に本社があるスーパーが青森県内の店の求人を出すと,原則として東京都の求人として掲載するため都市部が上昇しやすい。これを就業地別に青森県の求人として数え直すと,地域雇用の実態がみえてくる。
 2013年の実績を本社地別でみると東京都が1.33倍で首位。(しかし)就業地別で計算すると1.00倍と大きく下がり,15位まで転落する》


 東京は15位で,1位から14位は地方の各県になっています。1位福島,2位宮城,3位福井,4位愛知,5位富山,6位香川,7位岡山,8位三重,9位岐阜,10位島根……

 以上は2013年(昨年)の統計ですが,大規模なまとまった統計というのは,どうしてもそうなってしまうのです。
 ただし,「地方の雇用 本当は元気」は言い過ぎで,あくまで「地方のなかには,雇用にかんし,東京よりも元気なところがかなりある」ということです。

 また,この記事では,「地域格差」ということについて,つぎの指摘もあります。

《今回の景気回復局面は,都市と地方の雇用がバランスよく持ち直しているのが特徴だ》

 この点を,地域別の有効求人倍率のグラフ(2000~2014年)を示して述べています。

《かつては輸出産業が多い首都圏や中部圏に求人が集まり,地方は雇用回復の恩恵を受けられないケースもあった。今回は公共投資だけでなく医療・サービスなど内需が主導しており,回復の裾野は広がっている》

 ***

 数か月前には「景気が動きはじめているのでは」という世間話をすると,「そんなのは一部の話で,我々には実感はない」といった反応が「相場」でした。
 今でも「世間話の受け答え」としては,そうなのかもしれません。
 80年代のバブルが終わって以降,世間話で「景気がいいですね(よくなってきましたね)」とは,めったに言いません。

 しかし,最近の状況をみると「経済が大きく動いている,潮目が変わってきた」というのが,かなりはっきりしているようです。

 「雇用状況が改善したといっても,私は就職で苦労している」という方も,もちろんいると思います。
 上記の記事で「明るい兆し」が多少ともあるのは,おもに若年者や大企業の社員です。
 この人たちは,「買い手が比較的多い」「労働者として恵まれている」等,日本の就職・労働市場における「強者」といえるのです。

 その「強者」以外の人たちには,「改善」が実感できないとしても,無理はありません。

 また,労働市場での需要が高まっている事例として,上記の記事が取りあげていたのは,建設,飲食,流通,介護といった分野。これは,職を求める若い人たちのあいだでは「人気」とはいえない領域です。その背景には賃金や仕事の面での「きびしさ・キツさ」がある。少なくとも,そのようなイメージがある。

 その他のいわゆる人気企業・人気業界をめざす人からみれば,「就職がたいへん」という状況は,変わらないことでしょう。

 それでも,経済で「何かが動いている」ことは確かです。
 とりあえず,この点は確認しておきましょう。

 「これでみんながハッピーだ」などとは言っていません。
 今の状態が「いい」のか「悪い」のか,「満足のいく状態か,そうでないか」といったことは,今はおいておきましょう。とにかく,この数年の日本経済でみられなかった何かが,今起こっている。

 「これはアベノミクスの成果だ」「いやそうではない,あんなものは…」といった議論や,「一部で景気回復があっても,それに取り残された人はどうなる?」といった意見もあるでしょう。
 「日経新聞なんて,政財界の提灯持ち。あんな新聞に載ったことを真に受けてはいけない」という意見も見聞きします。

 それらはもちろん,考えるに値する視点です。

 でも,世の中には,そのような「疑問の言葉」とともに,現状を認識することをやめてしまう人がいます。空模様が大きく変わってきたのに,それをみようとしない人がいる。

 まずは,「空模様」を,価値観のフィルターなしで,みてみましょう。そのうえで,それがいつまで続くのか,何をもたらすのか,自分はどうするのがよいか等について考えていきましょう。「空模様」の変化を無視して考えるのは,やめたほうがいいでしょう。

(以上)
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2014年04月24日 (木) | Edit |
 少し過ぎてしまいましたが,4月22日は哲学者カントの誕生日でした。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズです。

カント

町を出ずに世界を語る

 「ドイツ観念論」の大哲学者イマニュエル・カント(1724~1804 ドイツ)は,大学で哲学のほかに,地理学の講義も行いました。その講義は大好評で,多くの学生や市民が聴講しました。彼は世界の町や自然を,目にうかぶように生き生きと語りました。
 しかし,じつはカントは,生まれ育ったドイツの地方都市ケーニヒスベルクをめったに出たことはありませんでした。
 規則正しい生活をしながら研究に打ち込み,市内の大学で講義する毎日。
 その合間に,いろいろな職業のお客さんを食事に招いては世間話を楽しみました。地理学の講義はすべて,そんなふうに書物や人から得た知識で話していたのです。
 「それで世界を語るなんて,ホラ吹きだなあ」と思うかもしれません。
 でも,「リアルなホラを吹くこと」は知性の力なのです。豊富な知識と,想像力・構成力のたまものです。

ヤハマン著・木場深定訳『カントの生涯』(理想社,1978),小牧治著『(人と思想)カント』(清水書院,1967)による。

【イマニュエル・カント】
哲学の古典的な学派「ドイツ観念論」の原点となった哲学者。感覚を超えた「真の実在」を想定して世界を説明する理論(これが観念論)を,『純粋理性批判』などの著作で綿密に構築した。
1724年4月22日生まれ 1804年2月12日没

カント

 上記の「偉人伝」にあった「お客さんを招いて,世間話をたのしむ食事会」について,少し。

 カントはこのような食事会を,休みの日には頻繁にひらいています。午後の何時間かをかけて,食事もそれなりのものを出してと,かなり力を入れているのです(なお,カントは生涯独身でしたが,料理人や召使がいました)。

 そこでは「哲学の話題は禁止」ということになっていましたが,それ以外のいろんな「世間」の話が出たことでしょう。カントの住む町は,港町であり,いろんな情報が入ってきました。

 カントにとって,この食事会は,「社交」「人づきあい」の場であるとともに,「学問的研鑽」の場でもあったと思います。
 この世界についてのさまざまな視点・情報の窓口であり,自分の思考や知識を,一般市民に対して語ってみることで「試す」場であったのだと思います。カントはやはり,きわめて真摯な「学究の徒」なのです。
 
***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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2014年04月22日 (火) | Edit |
 前回と前々回の記事で,ヒトラー論を書きました。その誕生日にちなんでのことです。
 今回は,「前から書きたいと思っていたことを書けた」という気持ちがあります。

 もちろん仕事でもないし,それほど多くの読者がいるわけでもない,ほんとうに「何にもならない」ことをしているのです。でも,ついそれをやってしまう。

 書き上げた直後に,プリントアウトしたものを妻に読んでもらいました。
 近所のコーヒーショップで,2人でのんびりでしていたとき。

 読み終わったあと,妻が「最後のほうで,結構泣けてきた」といいました。「なんか,痛々しい,悲しい感じがしてきた」とのこと。

 妻は,歴史の本などまったく読まないのですが,そういう人にも届いたものがある。
 身内の言葉なんですが,「最初の読者」による,うれしい反応。

 ***

 今回の記事を書いていて,十数年前に交流のあった,Oさんのことを思い出しました。当時勤めていた会社の,私より3つ4つ年上の先輩です。
 
 私のヒトラー論のおもな元ネタは,セバスチャン・ハフナーの『ヒトラーとは何か』だと述べましたが,この本はOさんから教えてもらったのです。90年代後半の,私が30歳ころのことでした。
 水木しげるの『劇画ヒットラー』のことも,Oさんからです。

 Oさんは,「ドイツマニア」といえる人でした。
 正確には,「ドイツのミリタリー(軍隊),とくに戦車のマニア」です。
 そこから派生して,ドイツの文化や歴史全体に興味を持っていたのです。

 やせ型の,繊細な風貌の人でした。細かいことによく気がつく中間管理職で,部下からみて「うるさい上司」なところがあったのか,「ゲシュタポ」といいうあだ名がついていました(でも,とくに嫌われていたわけではない。むしろ親しまれていたと思う)。

 部署の異なるOさんと知り合ったのは,同年代の社員を集めた海外研修旅行でのことでした。「研修」という名の物見遊山の旅です(こういう「古きよき日本企業」の世界も,今は昔だと思います)。

 その「研修旅行」のなかで,2人1組になって何日間か,ヨーロッパの好きなところを自由行動できる機会がありました。そこでOさんと私がペアになった。

 海外旅行の段取りなどまるでできない私は,すべてをOさんに委ね,彼が組んだスケジュールにしたがって,当然ながらドイツをめぐりました。ベルリン周辺と,旧東ドイツのドレスデンをめぐる旅。

 一般的な観光地も多少は行きましたが,その行き先の多くは,やはりOさんならではのものでした。

 「戦争博物館」などで,沢山の戦車や戦闘機をみました。ユダヤ人強制収容所の跡地や,東ベルリンの古い雑居ビルの一室にある,ホロコースト(ユダヤ人虐殺)関係の展示施設にも行きました。観光客が行かないような,ふつうの「町の古い教会」の塔にのぼって,街を見下ろしたりもしました。
 その道中で,Oさんによる第二次大戦の戦史や,ヒトラー論なども聞いたのでした。

 自分ではまず行かないところをみることができて,貴重な経験でした。
 今回の記事を書いていても,あのときのドイツ旅行でみたもの・触れたものが,思いだされました。

 マニアについていくと,いいことがあるのです。

 Oさん,お元気でしょうか。2人とも,もう会社を辞めてしまいましたね。あのときはありがとうございました。

(以上)
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2014年04月20日 (日) | Edit |
 昨日の前回の続きです。
 本日4月20日はヒトラーの誕生日。それにちなんで,ヒトラーについて考えます。

 前回は,ヒトラーの軌跡を,年表形式でたどりました。ヒトラーについて考えるための基礎知識です。

 それをふまえて,「本題」に入りましょう。
 でも今回の記事は,前回を読んでいなくても,十分読めます。

 結局,ヒトラーとは何だったのか。なぜ,あれだけの権力を得て,世界を巻き込んで大惨事をもたらすまでになったのか?

 以下,私の考えは,セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社)がおもな元ネタです。あとは,ハフナーと重なるヒトラー像を,さらに専門的な研究を通して論じた,イアン・カーショー『ヒトラー 権力の本質』(白水社)を参考にしています。

 そして,このブログで何度も取り上げた,政治学者の滝村隆一さんや,教育学者の板倉聖宣さんの著作にも基づいています。また,在野の思想家エリック・ホッファーの影響もあります。この人たちも,ヒトラーあるいは関連する政治思想について論じているのです。

 これらの学者がヒトラーについて書いていることには,多くの共通点があります。それについての,私なりの理解ということです。まちがいがあれば,もちろん私のせいです。

 ***

 ヒトラーについての通俗的なイメージは,「超人的な,人間ばなれした悪」ということではないでしょうか。映画やマンガに出てくるのは,そんなイメージ。

 これは,マンガの世界だけのことではありません。多くの一般的な知識人も,そういう前提で,ヒトラーについて語っています。

 「大衆はヒトラーの詐欺にだまされたり,暴力や脅しに屈服させられて,彼に従ったのだ。そのよう非道を迷いなく実行できたヒトラーは,人間ばなれした悪魔なのだ」

 こういうイメージを前提にすると,「ヒトラーとは何か」についての思考は停止してしまいます。
 でも「それではいけない」と,ハフナーはこう述べています。

《ヒトラーの政治思想を批判的に分析しないかぎり,彼の理論が人びとの考える以上に――それも決してドイツ人のあいだだけでなく,また意識的なヒトラー支持者のあいだだけでもなく――生き続ける》(『ヒトラーとは何か(旧版)』91ページ)

 おそらく,私たちのなかにはヒトラー的な発想が,いつのまにか芽生える可能性があるのです。その意味で,ヒトラーの思想は,ある種の普遍性を持っているといえます。たしかに,彼の主張や行動には,その時代の人たちを納得させるものがありました。それを,これからみていきます。 

 板倉聖宣さんは,「ヒトラーとは何だったのか」ということについて,明確に答えを出しています。

《ヒトラーは,大ドイツ帝国の「理想」を追った純粋な愛国者に過ぎなかったのです》(「ヒトラー現象から何を学ぶか」『たのしい授業』2007年3月号,99ページ)

 「人間ばなれした悪魔」ではなく,「愛国者」に過ぎない。
 もちろん,板倉さんはヒトラーを肯定しているのではありません。その「理想」は「とんでもない」ものだとしています。

《自分の「大ドイツ帝国の建設」という「理想」だけを追ったヒトラーには,家族もなく汚職をする必要もありませんでした。……汚職をするような政治家には強いマスコミも,とんでもない「理想」のために献身する政治家には弱いのです》(同,99ページ)

 「愛国者に過ぎない」とはつまり,つぎのようなことだと,私は理解しています。

 ***

 芸術家になる夢が破れ,放浪の生活を送る,元ホームレスの青年・アドルフ・ヒトラー。職も家族も,家もない。
 
 そんな彼が,情熱を傾けたのは,政治問題だった。「愛国者」として「大ドイツ」の理想について考えること。

 本当に望む「夢」がなわないとき,代わりの何かを追い求める,というのはよくあること。

 そして,ハフナーも言うようにその対象が「政治」であることも,一般的だった。個人の生活やたのしみの幅が狭かった当時は,「政治」について語ることは,人びとにとって今の時代よりもはるかに大きな意味があった。

 「大ドイツの理想」は,当時(第1次大戦後)のドイツ人にとって,おおいに訴えるものでした。
 第1次大戦でドイツは,英・仏などに敗れました。その結果,過大な賠償金を課せられたり,軍備を制限されたり,国の一部が切り取られてしまうなど,残念な目にあっていたのです。

※なお,ヒトラーはオーストリアで生まれ育ったので,「オーストリア人」といえます。ただし,ドイツ語を話す,広い意味での「ドイツ人」ともいえます。青年ヒトラーが帰属意識をもったのは,オーストリアではなく,広い範囲のドイツ人を包括する「大ドイツ」でした。

 彼は,貧しい生活を送りながら,カフェなどにある新聞・雑誌や書籍を手あたりしだい読みあさり,政治や社会について知ろうとしました。孤独な独学を続けたのです。

 そんなヒトラーが,右翼の弱小政党(のちのナチ党)に出会います。その出会いの当初,ヒトラーは飛び入りで,自分の政治主張について演説をしています。言いたいことは,山ほどある。

 その演説が,その場で大喝采。彼は,自分の演説や扇動の才にめざめます。

 これまで社会のなかの「無能者」として生きてきた彼にとって,「自分の演説で人を動かせる」ことを知ったのは,震えるほどうれしかったはずです。

 そして,「政治家になりたい」と思うようになります。ホームレスだった,学歴も家柄もない青年にとっては,かなり無茶な「野望」です。しかし,全力で活動を重ね,ほんとうに政治家になったのでした。

 ヒトラーは政治活動に,心底から全力を傾けることができました。それは,彼の初期の成功の鍵だったといえます。
 仕事も友人も恋人も家族もなく,「政治」以外に何もなかったのですから。
 
 そして,「政治以外,何もない」という状態は,その後もヒトラーの生涯にわたって続きました。
 
 まず,このようなヒトラーの「出発点」をおさえることが大事だと思います。
 もともとのヒトラーは,「どこにでもいる若者だった」といえるのではないでしょうか。

 今の世の中で,ネット上で熱く政治談議をしている青年のなかに,彼と似た境遇(あくまで境遇がです)の人は,いないでしょうか。

 ***

 つぎにおさえたいのは,「なぜ,ヒトラーは独裁的な権力を手に入れたか」ということ。

 それを「デマや暴力のせいだ」というのは,まちがいです。少なくとも,それは一面的な見方ではないでしょうか。

 ヒトラーはたしかに,デマや暴力を,フルに使っています。冷静な目でみれば支離滅裂な,あやしげな扇動をくりかえしています。自分の自由になる「暴力実行」の部隊を編制し,それを使って反対勢力を潰したりもしました。

 でもそれだけが,彼の権力の源泉ではありません。

 デマや暴力は,権力を掌握する初期の段階では,たしかに重要でした。しかし,「国民の心からの支持を得る」には,それでは足りません。しかし,「大ドイツの理想」を実現するために諸外国と戦うには,そのような「国民の支持」に基づく,絶大な権力が必要でした。そして,1935~36年ころには,それを手に入れていたのです。

 これは,彼が国家の指導者として大きな「実績」をあげたからです。
 その最初のものが,「大恐慌で混乱に陥った経済の再建」です。

 ヒトラーが首相に就任した1933年,ドイツには600万人の失業者がいました。これを,ヒトラーは3年後にはほぼ一掃してしまったのです。シャハトというエコノミストを経済政策の責任者に抜擢して,公共事業などの財政出動を積極的に行った成果でした。その公共事業のひとつに,有名な「アウトバーン(高速道路)」の建設があります。

 それは基本的には,アメリカのルーズベルト大統領が同時代にとった「ニューディール政策」と共通するものでしたが,ニューディール政策よりも,明らかな成果をあげたのでした。

 こういう「成果」をあげると,世間の評価は変わってきます。

 ハフナーの表現では《あの男(ヒトラー)には欠点があるかもしれない。だが彼は我々に再び職とパンを与えてくれたんだ》(前掲書,33ページ)という声が支配的になってくるのです。

 そして,ヒトラーはより確かなものになった権力を駆使して,「大ドイツ」建設に向け動きはじめたのです。

 まず,国際社会の秩序を破って,軍備拡大を開始。

 軍備を拡大すると,軍人の多くは,ヒトラーの味方になっていきました。軍の組織が大きくなると,もともとの将兵たちは自動的に昇格したり,いろいろと立場がよくなっていくものです。軍拡を行う指導者は,軍人にとっては大歓迎です。

 そして,その軍備を用いて,最初はラインラントやチェコ(の一部)のような,「もともとドイツといえる」あるいは「いえなくもない」という地域を手にいれる。そこからだんだんと,範囲を広げていく……

 これは,第1次大戦後,国際社会のなかで屈辱を味わい,また大恐慌で苦しんだドイツ国民にとって「明るいニュース」でした。
 「ヒトラーが,我々のプライドを取り戻してくれた!」と感激する人も多かったのです。

 その頂点は,1940年にドイツ軍がフランスを征服したことでした。

 ヒトラーは,誰もが想像しなかった,とほうもない「成果」をあげたのです。
 こうなると,「神」のような権威が生まれるでしょう。

 ハフナーは,こう述べています。

《このようにほとんど全国民を自分の支持者にしたこと,それも十年足らずのあいだにやり遂げたことは,恐るべき業績だった。しかもデマゴギーによってではなく,業績によってなのだ》(前掲書,41ページ)

 このあと,ヒトラーは英仏だけでなく,米国やソ連にも宣戦布告して,まさに全世界を相手とする戦争に突入していきます。ユダヤ人の大量虐殺も加速していきます。

 ヒトラーがそのような「暴挙」を実行できたのは,1940年ころまでの「成果」があったからです。これまでの実績から「ヒトラーについていくしかないだろう。総統ならどんなことでもやってしまうのではないか」という了解が,国民のあいだにあったのです。

 こうした視点は,近年はいろいろな本で説明されており,かなり普及したといえるでしょう。でも,もっと知られていいはずです。

 ***

 もうひとつ,かなり流布しているヒトラーについての捉え方に,「ヒトラーの政治思想は,体系も何もない滅茶苦茶なものだ。その行動も場当たり的にイケイケで進んだものに過ぎない」というものがあります。

 「ヒトラーの思想は空っぽ」ということです。

 これも,誤った捉え方だと,私は考えます。
 この点は,主著の『我が闘争』などにあるヒトラーの主張や,その思想をきちんと解説したものを読めばわかることです。

 だいじなのは,「知識人をうならせるような手の込んだものでなくても,思想は思想だ」ということ。多くのインテリは,ヒトラーの思想がおよそ学問的とはいえない,いびつで貧しいものであるために,「こんなものは」と切り捨ててしまうのです。

 かなり有力な説として,「すべてに反対するのがファシズムである」という主張があります(ヒトラーの主義主張は「ファシズム」という政治思想の一種とされる)。ファシズムは「反社会主義」であり,一方で「反資本主義」でもあり,国際主義にも反対し,反ユダヤでもある。そのように積極的な主張があるわけでなく,何にでも反対するネガティブな意志にこそ,その本質がある,というのです。

 これは,まさに「ヒトラーは空っぽ」という論です。

 でも,ヒトラーの言動を偏見なくみれば,そこにそれなりの積極的な主張や考えがあることは明らかではないでしょうか。

 その核にあるのは,これまでにも述べたように,「大ドイツの理想を実現しよう」ということ。

 戦争に敗れ,落ちるところまで落ちたドイツの栄光を取り戻そう。

 では,ヒトラーにとっての「大ドイツの理想」とは何なのか。

 それは,じつに単純なことで,「領土の拡張」です。まずは,彼にとって「もともとのドイツ」といえる,オーストリアやチェコなどを取りもどす。

 さらに,そのような「ドイツ本体」を守るために,その周辺をも従属させる。たとえばポーランドは,そのような「周辺」にあたる。

 また,そのような「大ドイツ」をはばむ敵は撃破する。フランスやイギリスはそう。

 どうでしょう。こういう主張をヒトラーは著作や談話で述べています。
 そして何より,実際に行動に移しているのです。

 ただし,ヒトラーの「理想」はこれだけでは終わりません。
 おどろくべきことに,ここからさらに,理念として「世界制覇」まで突き進んでいくのが,ヒトラーの思想の特異な部分です。つまり,こんな展開です。

 こうして,「ドイツ」を中心とする,ヨーロッパ全体を支配する一大帝国が建設される。それを踏み台にして,遠い将来には,文字通りの「世界制覇」も視野に入れていく。ただし,自分の生涯では,「ヨーロッパ制覇」くらいで時間切れになるだろうが……

 「世界制覇」にどこまで近づけるかは別にして,この「理想」に向かって進むには,とにかく「戦争」です。

 「大ドイツ」ひいては「世界制覇」のための戦争に必要なことは何か。

 それは,国の持つ資源・産業・人材のすべてを戦争に動員して,総力をあげて戦い抜くことだ。
 そのためには,「国のすべてを動員できるだけの権力」が存在しないといけない。
 その権力こそが,議会や憲法などに一切拘束されない「総統」なのだ。

 ヒトラーがつくりあげた権力の根底には,以上のような発想があります。
 単純化していうと,「世界征服のための体制」です。

 「戦争」を至上目的にして,社会全体のしくみを徹底的につくりなおしていく。それが「ファシズム」の政治。

 ではなぜ,「世界征服」しないといけないのか?

 それは,「優秀な人種・民族の宿命」みたいなもの。

 ヒトラーは,自分の属する民族的な集団を「ドイツ」というほか,「ゲルマン」「アーリア」と呼んだりしています。その定義はあいまいで,意味不明な点が多いです。しかしいずれにせよ「自分の属する優秀な人種」が,この世界には存在している。その「優秀な人種」が,世界を支配しないといけないのだと。

 一方で,この世界には「ユダヤ人」という,一種の「悪魔」がいて,この世界を汚している。彼らもまた,世界を支配することを狙っている。だから我々は,彼らと戦わなければならない。彼らをドイツから追い出すだけではダメだ。世界から抹殺しないと。

 以上,単純化して述べると,あきれかえるような内容です。「ひどい」と思います。
 でも,「積極的な主張が何もない」ということはありません。ちゃんと一定の「主張」があり,「内容」があります。

 この思想・世界観から「何をすべきか」も,明らかです。

 「戦争」をするのです。そのためにどんな社会的取り組みが必要か。それは「平和と繁栄の社会」を築くために何が必要か,というよりもずっとはっきりしているのではないでしょうか。

 そして,その「単純さ」は,ヒトラーの思想の「強さ」です。
 もしもヒトラーを信頼するとしたら,「単純」なだけに,その思想は多くの人の「腑に落ちる」のですから。
 「腑に落ちた思想」は,行動を生みます。

 以上の捉え方は,多数派の学者の考えではありません。おもに滝村隆一さんの論に拠りました。

 滝村さんは,つぎのように述べています。

《「ファシズム」思想は,当該民族の極端な対外的自己主張から出発している。そのため,その思想的徹底と体系化ともない,否応なしに,当該民族による世界征服と世界帝国建設の夢想にまで突っ走る必然性を,はじめから内在させている》(『国家論大綱 第1巻下』473ページ)

《「ファシズム」国家では,戦時国家体制がほとんど極限まで徹底・強化されるとともに,その常態的固定化と永遠化が,最初から言明されることになる》(同,479ページ)


 それは《巨大な軍事力の創出というただ一点で国民社会を強力に支配・統制することから出発する》(同,480ページ)

 「なんだ,それだけか」ということなかれ。
 
《この〈ただ一点〉がじつは大変な曲者なのだ。…この〈ただ一点の強力な統制〉は,国民社会の政治的編成と経済体制を,ごく短期間のうちに大きく変形させ変質させかねない》(同,481ページ)

 なお,前に述べたように「ヒトラーの思想を検討する必要」を説くハフナーも,ヒトラーが「空っぽ」ではなく「積極的な主張を行っている」という前提に立つわけです。

 ***

 ヒトラーは,単純で粗雑な,インテリからはバカにされるような「思想体系」を,孤独な独学でつくりあげたのです。正統な教育や教養に触れることができなかった彼がつくった思想は,インテリたちのつくった「社会主義」などとは異質なものでした。権威ある知識や教養の枠組みのなかにおさまらないものだったのです。

 だからこそ,「何にでも反対するのがファシズムだ」という学者がいるのです。

 たしかに,ヒトラーの正体は「ただの愛国者」なのでしょう。

 でも,もう少しつけ加えるなら,その「愛国」は,一般の連想するところとは,だいぶちがう。

 「かなり本気で,世界制覇を夢見る愛国」――それがヒトラーの「愛国」です。
 
 彼は,そのような「理想」を本気で信じ,それに生涯をささげたのです。

 そして,その「理想」を一時であれ,かなりのところまで実現しました。さらに突き進んで,世界全体を相手にするような狂気の沙汰の戦争に足を踏み入れ,多大な犠牲を出しました。また,戦争の勝利には関係のない(むしろマイナスなはずの)ユダヤ人虐殺などということも実行した。彼の思想や世界観に従って,それらを行ったのです。

 こういう人間のことを「狂信者」といいます。
 
 思想家エリック・ホッファーに『トゥルー・ビリーバー』という著作があります(邦訳は『大衆運動』)。「根っからの信奉者・狂信者」と訳せるでしょう。右翼や左翼の過激な政治運動に身を投じる人びとについて論じた,エッセイ集です。

 こうしてヒトラーのことを考えていくと,彼を一言であらわすなら「トゥルー・ビリーバー」というのが,ぴったりくるように,私は思います。

 自分自身が孤独な独学で生み出した「ヒトラー主義」の最も強烈な信奉者。
 それが,アドルフ・ヒトラーではないかと。

 「ヒトラー主義」的な思想は,またあらわれるかもしれません。
 内容はもちろんそのままではありません。その時代なりの素材や切り口,語り口になるでしょう。

 でも,いかにも素人的で,知識人の規格や伝統からは外れているけど,多くの人に訴える「強さ」を持つ危険な思想というのは,これからもあり得るのではないか。

 そうした思想に飲みこまれないために,ヒトラーのことは知っておく必要があるのです。

(以上)
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2014年04月19日 (土) | Edit |
 あす4月20日は,独裁者アドルフ・ヒトラーが生まれた日です。
 また,4月30日は,ヒトラーの死んだ日。連合軍の攻撃によってベルリンが陥落したあと,当時の参謀本部であった地下壕で自殺したのです。

 それにちなんで,「ヒトラーとは何だったのか?」について考えてみます。
 この人物については,社会や人間を知るために,ときどきは考えてみる必要があると思うのです。

 まず,ヒトラーについての「四百文字の偉人伝」を。このブログでときどき載せている,古今東西の偉人や歴史上の人物を400文字程度で紹介する読み物です。
 
ヒトラー

元ホームレスの「ヨーロッパ征圧」

 1910年代のドイツに,1人のフリーターの青年がいました。彼,アドルフ・ヒトラー(1889~1945 ドイツ)は貧しく,ホームレスだったこともあります。もともとは芸術家になりたかったのですが,美術学校の入試に失敗し,以後ずっと定職に就くことなく過ごしていました。
 その後,第一次大戦(1914~1918)に従軍。
 戦後の1919年には,ドイツ労働者党(のちのナチ党)に入党します。
 「党」といっても,カギ屋の主人や土建業の社長や売れない物書きやら,無名の変わり者が集まって政治談議をしているだけ。きちんとした綱領(党の基本理念)も予算も何もない。
 定職もなくヒマなヒトラーは,党の活動にのめりこんで働きます。演説会のチラシをつくって配ったり,募金を集めたり。新聞広告を出した演説会に100人ほどが集まったときは,うれしかった……

 その後,1930年代後半。ヒトラー総統率いるナチス・ドイツは,全ヨーロッパの制圧をめざし,戦争をはじめます。
 元ホームレスの青年が,十数年後にはそんなことに……! ヒトラーの生涯を追っていると,想像を絶する事実を前にして,「なぜこんなことが?」と問わずにはいられなくなります。

参考:ハフナー著・赤羽龍夫訳『ヒトラーとは何か』(草思社,1979),カーショー著・石田勇治訳『ヒトラー 権力の本質』(白水社,1999)。ほかにマンガの水木しげる著『劇画ヒットラー』(ちくま文庫,1990)もよい入門であり参考にした。

【アドルフ・ヒトラー】
ファシズムという反民主主義の思想に立って独裁権力を手にし,世界を大戦争に巻き込んだ政治家。1933年選挙を通じ政権を獲得。39年ポーランドに侵攻し大戦勃発。45年終戦直前に自殺。ユダヤ人虐殺を行った。
1889年4月20日生まれ 1945年4月30日没 

 ***

 さて,それにしても,なぜ「フリーターの青年」が十数年ほどでドイツの独裁者になり,世界を相手に戦争をはじめるまでになったのでしょう?

 ナチ党(ナチス)に入ってから,死に至るまでのヒトラーの軌跡を年表でたどってみます。

 まずは,非常に簡略化して,全体像を示します。そのあと,やや詳しく。

1919年(30歳) ナチ党(ナチス)入党。2年後には党首に。

1923年(34歳) ミュンヘン一揆という「革命」をめざした武装蜂起をするが失敗。 投獄され,主著『わが闘争』を書く。以後数年は,合法的な政権獲得をめざすが,うまくいかず。

1929年(40歳) 世界大恐慌による社会・経済の混乱を期に,ナチスの勢力が拡大しはじめる。

1933年(44歳) ヒトラー,首相に(前年の総選挙でナチスは第1党になっていた)。以後翌年にかけて独裁権力を確立し,「総統」と称する。

1935~1941(46~52歳) 経済の立て直し,軍備拡張をすすめ,周辺諸国の併合など,外交・軍事面で「成功」をおさめる。1940年にはフランスを占領するなど,41年までにヨーロッパを制圧。 

1941~1945(52~56歳) ソ連との戦争を開始し,泥沼化するなど,戦況が不利になっていく。 以降,ドイツは負け戦を重ね,壊滅状態に。1945年4月,ヒトラー自殺。        

 ***         

 つぎに,やや詳しい「ヒトラーの軌跡」。
 よほど興味のある方でないと,ちょっとつらいと思いますが,初心者の方でもどうにか読めるようには書いています。

 結局,ヒトラーの政治活動は,大きく4つの時期に区分してみると,わかりやすいと思います。

第1期 1919~28 ナチ党が弱小政党にとどまっていた時代。

第2期 1929~35 世界大恐慌による経済・社会の混乱の中,ナチ党が勢力を伸ばし,選挙を通じ政権を獲得。その後独裁権力を確立するまで。

第3期 1935~41 外交や軍事でつぎつぎと成功をおさめ,ヨーロッパを制圧するまで。

第4期 1941~45 ソ連との戦争を開始して以降,敗北を重ね,破滅に至るまで。


 以上の視点で,つぎの年表を読んでみてください。            


ヒトラーの軌跡          

政治活動第1期 弱小政党の時代

1919年(30歳) ヒトラー,ミュンヘンで設立されて間もない弱小政党・ドイツ労働者党(のちの「国家社会主義ドイツ労働者党」,通称「ナチ党」または「ナチス」)に入党。ミュンヘンはドイツ南部の中心都市。

1921年(32歳) 党の拡大に貢献したことから,ナチスの党首に。しだいに右翼系の政治活動家として,地方レベルではそれなりに知られるように。

1923年(34歳) 「ミュンヘン一揆」といわれる,反政府の武装蜂起を行うが失敗し,監獄へ。獄中で『わが闘争』という,自身の政治思想・世界観を述べた著作を執筆し,1925~27年に出版。

1924年(35歳) 出獄し,政治活動再開。今度は武装蜂起ではなく,「大衆の支持によって合法的に政権を獲得する」ことをめざすが,弱小政党のまま伸び悩む。この時期の数年は,ドイツの政治・社会は安定していて,ナチスの「出る幕」はない感じだった。

 **

第2期 政権獲得と独裁の確立

1929年(40歳) 世界恐慌はじまる。アメリカでの株価暴落をきっかけに,世界的な経済混乱・不況に突入。ドイツでも,大量の失業が発生するなどの事態に。その混乱の中で,多くの大衆や,一部の資本家,軍部などの支持を得て,ナチスは急速に勢力を拡大。

1932年(43歳) ナチス,総選挙で第1党に。

1933年(44歳) 1月 ヒトラー,首相に。政権の座につく。 まず,暴力で反対派(共産党や労働組合など)を粉砕。ヒトラーは警察などの政府機関とは別に,ナチ党の中にそのような「暴力」を実行する組織をすでにつくりあげていたので,それを駆使して反対派に危害を加えたのだった。その後3月には「全権委任法」という独裁を正当化する法律を成立させ,当時の憲法(ワイマール憲法)を事実上停止。7月までにナチス以外のすべての政党を解散。

1934年(45歳) 8月 大統領(国家元首)と国防軍司令長官を兼ねる独裁権力を確立。「総統」と称するようになる。
     
反対派を弾圧し,権力集中を進めるなかで,大恐慌で混乱する経済再建にも取り組む。エコノミストのシャハトを起用し,大胆な財政出動(公共事業など)を進め,大成功。33年の首相就任時にはドイツには600万人の失業者がいたが,36年にはほぼ完全雇用に。
    
以上の,「反対派の粉砕・撲滅」と「経済政策の成功」による国民的な支持を背景に,絶対的な権力を手にしていく。

そして,『わが闘争』のころから描いていた,軍事・外交面での「プラン」の実現に向け,本格的に動きはじめる。

 **

第3期 外交と軍事における成功

1935年(46歳) 3月 ベルサイユ講和条約に反し,一般義務兵役施行。

1936年(47歳) 3月 ロカルノ条約を破棄し,ラインラント進駐。

以上の出来事の意味について。

第1次大戦(1914~17)で,ドイツは英・仏・米などと戦って敗れた。その結果重い賠償金を課せられ,軍事力や勢力範囲を限定される条約を締結させられていた(この時代まで敗戦国は戦勝国に賠償金を支払うのが一般的)。
 
ヒトラーは「第1次大戦後の国際社会の秩序に対し,反乱を起こした」のである。

さらにヒトラーは,行動をエスカレートしていく。

1938年(49歳) オーストリア併合。チェコのズデーデン地方併合。

1939年(50歳) チェコのベーメンとメーレンを併合。リトアニアのメーメル占領。

こうしたヒトラーの「反乱」に対し,英・仏・米といったほかの大国は,とくに対抗措置をとらなかった。基本的には「ドイツの周辺で,歴史的にドイツ領ともいえる地域や,ドイツ人が多く住む場所でヒトラーが暴れても,自分たちには直接影響もないし,まあ仕方ないだろう。〈民族自決〉という考え方からも,ドイツ人を大きなひとつの国にまとめようとするヒトラーの行動には,一定の正当性がある。ある程度縄張りを増やせば,ヒトラーも満足しておとなしくなるはずだから,様子をみよう」と考えたのである。「ヒトラーは危険だ,断固たる対応をすべきだ」という意見もあったが,この時点では主流にならなかった。

とにかくここまでは,ヒトラーにとっては大成功。
ヒトラーは,ドイツ国民にとって「偉大なドイツの栄光を取り戻した英雄」となった。

しかしここから先は,ほかの国ぐにからの本格的な抵抗を受けるようになる。ヒトラーが「ドイツ周辺」といえる範囲を超えて勢力を拡大しようとしはじめたのである。そこで,大規模な軍事衝突,つまり「戦争」の事態になっていった。その「戦争」においても,ヒトラーは連戦連勝を続けた。

1939年(50歳) 9月 ポーランド侵攻・征服。英仏,ドイツに宣戦布告。これをもって「第2次世界大戦勃発」とされる。

1940年(51歳) 4月 デンマーク,ノルウェー占領, 5月 オランダ,ベルギー,ルクセンブルク占領。そして,6月 フランス征服。

なんと短期間でフランス全土を制圧した。この辺がヒトラーの絶頂期。

1941年(52歳) 4月 ユーゴとギリシア占領。

これで,ヨーロッパの主要部分をすべて制圧!

ヨーロッパでヒトラーに敵対するおもな勢力というと,チャーチル首相が指揮するイギリスだけになった。
 
なお,ムッソリーニ政権のイタリアとは,1936年に同盟関係を結び,ロシア(ソ連)とは,1939年に独ソ不可侵条約(互いに戦争はしない)を締結。

※ドイツは,軍国主義下の日本とも,同盟関係を結んでいる(1940年,日独伊三国同盟締結)。

 **

第4期 失敗・破滅

1929年から1941年までの12年ほどのあいだ,ヒトラーは「成功」に「成功」を重ねた。しかしそれ以降は,敗北を重ね,破滅していく。

1941年(52歳) 6月 独ソ戦開始。ドイツは突如「独ソ不可侵条約」を破ってソ連に攻め入った(対ソ戦のことを「バルバロッサ作戦」と呼んだ)。41年10月にはドイツ軍は首都モスクワに迫るなど優勢だった。

しかし,43年のスターリングラードの戦いに敗れて以降は,ソ連が猛反撃。独ソ戦開始以降から,ヒトラーにとって戦況はしだいに不利になっていった。
   
3月 米国が,ヨーロッパの戦争への介入を開始。12月には,ドイツから米国に宣戦布告。米国とも本格的に戦争開始。

41年から,ヒトラーのドイツは,米ソという2つの超大国と英国などのヨーロッパ全体を同時に敵にまわして,戦争をすることになった。これは,どうみても無茶としかいいようがないが,それを実行してしまった(ソ連に対しても米国に対しても,ヒトラーから宣戦布告している)。ヒトラーがなぜそのような道を選んだのかについては,見解が分かれている。

※1941年12月には日本軍が「真珠湾攻撃」を行い,日米の戦争開始。

1942年(53歳) 1月 ナチ党幹部の会議で「全ヨーロッパのユダヤ人絶滅」についての方向性が定まる(「ヴァンゼー会議」という)。以前からナチスの支配下でユダヤ人虐殺は行われていたが,これ以降,さらに激化。
    
ヒトラーのユダヤ人虐殺は,ナチスにとって,戦争の範囲が拡大し,「雲行き」があやしくなってきた頃から,激しくなったのである。

1943年(54歳) 2月 スターリングラードの戦い,ソ連軍にドイツ軍大敗。 5月 北アフリカのドイツ軍,米英連合軍に降伏(北アフリカでも,ドイツ軍はイタリア軍とともに米英と戦った)。 9月 イタリア,米英連合軍に無条件降伏。

1944年(55歳) 3月 米国空軍によるベルリン爆撃開始。これ以降,ドイツの都市は空爆で破壊されていく。 6月 米英連合軍によるノルマンディー上陸作戦開始。フランス北西部の海岸に20万人の連合軍兵士が上陸。9月には,パリがドイツの支配から解放される。

1945年(56歳) 1月 ドイツ軍最後の大規模な反撃であるアルデンヌ作戦で,ドイツ軍壊滅。 同じく1月 ソ連軍,ポーランドの首都ワルシャワからドイツ軍を追放し,占領。 

3月 ヒトラー,ドイツ国民を死においやる命令を出す。「国内の残ったインフラや財産を破壊して,敵が利用できないようにせよ」などの命令。敗北を覚悟したヒトラーは,ドイツ国民を道連れにしようとした,といえる。

4月 米英とソ連の連合軍によって,ドイツの首都ベルリン陥落。

4月30日 ベルリンの官邸の地下壕で,ピストル自殺。 ※日本の全面降伏(1945年8月15日)の3カ月余り前

 *** 

 どうでしょうか。

 やはり,想像を絶する,とんでもない生涯です。
 こんな人間が,70~80年前の世界に実在したのです。
 
 「ヒトラーとは何か」ということを論じるのは,次回以降に。

 まずは,上記の年表にあるような基礎知識を,いくらか知っておくといい,と思います。
 
 第2次大戦やヒトラーに関する読書をするうえでも,役に立つはずです。

 多少とも歴史に興味のある人なら「聞いたことある」という言葉や事件が並んでいるはず(もちろん「聞いたことのない言葉ばかり」という人も多いと思います)。それがヒトラーの生涯や第2次世界大戦という「物語」のなかで,どう位置づけられるかが,いくらかわかるはずです。

 私自身,こういう年表をつくってみて,たいへん勉強になった,知識が整理されたと感じています。

(4月20日付記,参考文献について)
 以上は,セバスチャン・ハフナー『ヒトラーとは何か』(草思社,1979年版)の記述や,訳者の赤羽龍夫さんによる巻末の「関連年表」のほか,いくつかの事典類などにあたって書いたものです。ヒトラーの活動の「時期」の区分も,ハフナーの考えをベースにしています。「本格的に調べて書いた」とはとてもいえませんが,それでも年表というのは,つくってみる価値があるのです。

 ハフナーの本は,ヒトラー論としておすすめですが,ほかに「入門的にイメージを描く」ための本として,漫画家・水木しげるによる『劇画ヒットラー』(ちくま文庫)もいいと思います。

 「水木しげる」だからといって,おどろおどろしい「妖怪」「怪物」としてヒトラーを描いている,などと思ってはいけません。そこには「ちょっと内向的なフリーターの青年が,やがて政治に足を踏み入れ,闘争や成功を通じて巨大化していく過程」が,ときにはコミカルな描写もまじえながら,しかし冷徹に描かれています。ヒトラーという大きなテーマを,これだけ見事に料理できる水木しげるは,やはりすごい漫画家です。
 
(以上)
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2014年04月18日 (金) | Edit |
【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)
板倉聖宣(いたくら・きよのぶ 教育学者,科学史家)

聞くは一生の恥 聞かぬは永遠の謎 
こっそり知ろう常識は


 板倉聖宣さんの著作に,『発想法かるた』(仮説社)という本があります。板倉さんオリジナルの,発想を豊かに・柔軟にしてくれる「創作ことわざ」を集めた本です。今回は,そこからの引用。

 ふつうは「聞くは一時の恥,聞かぬは一生の恥」といいます。
 しかし実際は,へたに聞くと「この人はそんなことも知らなかった」と後々までバカにされたりするものです。

 だから,常識はこっそり知る。聞くのは気安い間柄だけ。
 そして,それなりに勉強したら「わからないことはわからない」と言える仲間をつくりましょう。

  永遠の謎

 『発想法かるた』には,こんなことわざが何十も載っています。

 この本をつらぬくテーマには,「弁証法入門」ということがあります。

 「弁証法」とは何か。
 とりあえず「この世界のさまざまなものごとの関連・運動・変化・発展をとらえる,哲学的な論理の世界」だと述べておきます。
 そういう分野というか,切り口が,哲学の世界にはあるのです。

 「対立物の相互浸透」「量質転化」「否定の否定」「矛盾」といった概念・言葉があります。これらはみな弁証法のキーワードです。

 弁証法は,一般には難しい・奥の深いものとされますが,それをこの本ではやさしく,たのしく述べています。

発想法かるた (ものの見方考え方シリーズ 2)発想法かるた (ものの見方考え方シリーズ 2)
(1992/04/10)
板倉 聖宣

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(以上)
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2014年04月15日 (火) | Edit |
 このあいだの週末は,都内の繁華街にある大きな書店へ行って,2~3時間過ごしました。
 昨日も,仕事の帰りに,職場の近くの大書店に立ち寄って,30分くらいうろうろしました。

 本が好きだから,そういうことは習慣になっています。
 本好きが本を探しに,本屋さんへ行くのは,あたりまえです。

 しかし,この数年は「本を探しに行く,買いに行く」という以上の意味を,「大書店に行くこと」に感じています。

 それは,「賢い人,物知りな人が大勢いる場所に相談に行く」ような感覚です。

 巨大な博覧会場に,講演会やカウンセリングのブースが無数にあって,大勢の「賢い人たち」が,お客さんと話している。私は,いくつもの好きなブースを訪ねて,講演を聴いたり,「賢い人」に相談したりする。

 大きな書店を,そんな場所のように感じるのです。ずっと前からそうでしたが,ここ数年とくにそう思います。

 「好きな場所を訪ねて,そこでの語りに触れる」というなら,ネットはまさにそうではないか,と思うかもしれません。

 しかし,私はネットは少しちがう,と思っています。
 開設されてる「ブース」の質が,やはりちがうのです。
 そこで語られている情報や意見の質が,平均すると書籍のほうが,大幅に高いわけです。
 
 それは常識的な話とも言えますが,実際に巨大書店をうろうろしていると,実感できると思います。
 この数年で,私もネット上の記事を読むことが増えました。勉強にもなるし,たのしいことも多いのですが,そこで得られるものの限界も感じます。

 書店に並ぶ本を書いた人たちは,やはり相当な知識や経験や思索を積み重ねた人たちです。中には「残念」な著者もいますが,その一方で,世界的な人,歴史に名を残すような人もいる。

 そんな人たちのアタマの中の「最も価値がある」とされる部分が書かれたものが,大量に並んでいる場所。
 「本という,書いた人の分身」が並んでいる,とも言えるでしょう。
 それが大書店です。

 図書館もそういう場所ですが,大書店のほうが,より現代的な,鮮度の高い知恵や情報が並んでいる傾向があります。
 ネット書店は,立ち読みがほとんどできないので,著者と対話している気分にはなれません。

 大勢の知恵のある人たちにものを尋ねに行くような気持ちで,大書店に行くといいです。
 
 具体的に「こういうことを知りたい・勉強したい」というときは,その方面の棚へ行けばいい。

 でも,具体的な「テーマ」などなくてもいいのです。
 ぼんやりと店内の棚のさまざまな本を手にしながら,「今の自分はどういう場所にいて,どこへ向かいたいのか」といったことを考える。そして,著者からさまざまな刺激や示唆や励ましを受ける。

 そんなことをしたくて,大書店に行くことも,私は多いです。
 本屋さんを出るときには,素晴らしい講演やカウンセリングを経験した後のような気分になっている。

 何かの企画やレポートに取り組んでいて,「よく知らない世界で,何をどう考えたらいいかわからない」という人は,大書店へ行ってうろうろしながら,ネタを探し,考えてみましょう。

 本屋さんの書棚におさまっている,大勢の専門家やコンサルタントの「分身」に,話を聞くことです。
 机の前に座って,ネットに向かいながら考えるよりも,ずっと多くのことがみえてくるはずです。

 というわけで,大きな本屋さんに行ってみましょう。そして,1冊か2冊は本を買って帰りましょう(もっとたくさん買ってしまうかもしれませんが)。
 書店というすばらしい場所への「投げ銭」を忘れずに。いつもそうする必要はないと思いますが,できるだけ。

 大書店が近くにない,行く時間がないという人は,身近な本屋さんに行けばいいのです。「賢い人」「物知りな人」との対話ができるのは,同じです。

(以上)
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2014年04月13日 (日) | Edit |
 明日4月14日は,ヘレン・ケラーの家庭教師,アン・サリバン(サリバン先生)の誕生日。
 そこで,彼女の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 もうひとつ,DNAのらせん構造の提唱者,ワトソンとクリックの「四百文字の偉人伝」も。もう誕生日は過ぎたのですが,ワトソンは4月生まれ。「今月の偉人」といえます。

 この2つの話に共通するのは「若者の力」ということ。
 これについては,偉人伝本文のあとでまた。


サリバン先生

その情熱が奇跡を育てた

 1歳のときの病気で視覚と聴覚を失いながら,高い教育を身につけたヘレン・ケラー(1880~1968 アメリカ)と,その家庭教師アン・サリバン(1866~1936 アメリカ)。2人については,ご存知の方も多いでしょう。
 障害のため何もわからず,わがままで手のつけられなかったヘレンと格闘し,人間として生きる基礎を教えたのはサリバン先生でした。
 では,6歳のヘレンにはじめて会ったとき,サリバン先生は何歳だったか知っていますか? 
 そのとき,彼女はまだ20歳でした。
 彼女は,貧しい家に生まれ,子どものときに失明寸前になって盲学校に通いました。のちに視力は回復し,学校を卒業すると,ヘレンの家庭教師として就職したのです。
 サリバン先生は,これといった学歴も経験もない「ふつうの女の子」だったのです。「先生」にあったのは,若さと情熱だけでした。
 でも,そのふつうの女の子の強い思いと行動が,「奇跡の人」を育てたのです。

瀬江千史著『育児の生理学』(現代社,1987)に教わった。このほか,サリバン著・槇恭子訳『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』(明治図書,1973)による。

【アン・サリバン】
ヘレン・ケラーを育てた家庭教師。生涯ヘレンに付き添いながら,障害者への理解を訴える著述や講演を行った。ヘレンの自伝の翻訳には,『わたしの生涯』(岩崎武夫訳,角川文庫)などがある。
1866年4月14日生まれ 1936年10月20日没

 ***

ワトソンとクリック

模型は謎解きのだいじな道具

 ジェームス・ワトソン(1928~ アメリカ)とフランシス・クリック(1916~2004 イギリス)は,「遺伝情報を伝える物質・DNAの二重らせん構造」の提唱者です。
 その提唱がなされた1950年代には,「DNAがどんな分子構造であるか」は,重要なテーマでした。彼らの研究で威力を発揮したのが,「分子模型をつくって考える」という方法です。
 模型は,科学的に計算してつくられてはいますが,おもちゃのブロックのようなもの。それで「どの原子がどの原子の隣に座るのが好きか聞いてみる」というのです。
 模型を前に「どんな原子の配列があり得るか」をあれこれイメージしていった,ということです。
 模型づくりは,少し前にノーベル化学賞をとったポーリングも行っており,彼らはそれを積極的に取り入れたのでした。
 模型づくりは,一見子どもじみていますが,じつは奥の深い作業です。発想法として,「模型をつくる=論理や構造をモノの形にする」というやり方は,広く使えるのではないでしょうか。

ワトソン著,江上・中村訳『二重らせん』(講談社文庫,1986),ボールドウィン著・寺門和夫訳『ジェームス・ワトソン DNAのパイオニア』(ニュートンプレス,2000)による。

【ジェームス・ワトソン】
【フランシス・クリック】
共同研究でDNAの二重らせん構造を提唱し(1953年),遺伝子研究の世界を切りひらいた科学者。この業績で1962年にノーベル生理学・医学賞をウィルキンスとともに受賞した(ウィルキンスはX線を使ってDNAの構造解明に貢献)。
ジェームス・ワトソン
1928年4月6日生まれ
フランシス・クリック
1916年6月8日生まれ 2004年7月28日没

 ***

 ヘレン・ケラーに出会ったときのサリバン先生は,20歳。
 「DNAのらせん構造」について発想して,研究をすすめていたときのワトソンは20代,クリックは30代。

 先日ips細胞の山中教授が国会での答弁で,「30代の研究者は,実験は上手だが,そのほかの点では未熟」という主旨の発言をされましたが,この2人のうちとくにワトソンは,まさに「研究以外のことは未熟」な若者だったといえます。
 
 これまで100数十人分の「四百文字の偉人伝」を書いてきました。創造的な仕事をした人たちを大勢調べてきたわけです。すると,歴史上の重要な革新・創造の大部分が,20代・30代の人たちによってなされてきたことがわかります。科学研究は,それが最も顕著な分野。

 たとえば,アインシュタインのおもな業績は20代半ばのときのもの。湯川秀樹のノーベル賞も,20代のときの研究による。まあ,中には中高年や熟年になっても,生産的な仕事を続けたガリレオのような例もありますが。

 「若者の熱意と柔軟なアタマ」は,文明や社会が前進するための,根本的なエネルギー源です。

 もちろん,中高年が創造的な何かをすることもあるでしょう。
 でもそんなときも,結局はこの「根本的なエネルギー」を増幅したり,余熱を活用したりしているのだと私は思っています。

***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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2014年04月10日 (木) | Edit |
 ワイドショーやニュースで,昨日行われた小保方さんの会見の一部をみました。

 残念ながら,「科学」の議論にはなってないと感じました。

 「悪意はない(私は悪い人じゃない,ウソはつきません)」
 「私は200回は成功した,だから信じてください」

 これは,科学の議論ではなくて,会議や根回しの論理です。

 あるいは「オカルトの人」の論理かもしれません。
 つまり,

 「私は200回金星人と会ったことがあるので,金星人は実在します。証拠となる映像もあるけど今は出せません。私以外に金星人と会った人はいませんが,私はウソはつきません。金星人をみなさんの前に呼ぶこともできます。でも今日はちょっと……」

と言っているようなものです。

 でも,この問題で第一に重要なことは,「追試(ほかの科学者による再現の実験)がどうなるか」ということ。その可能性はともかくとして,もしも「再現」がなされたら,状況は一変します。ということは,ほかのことは「枝葉」なのです。この点は3月2日の記事 科学ってそういうもの でも述べたとおりです。

 しかし,小保方さんにとって「自分の身を守る」という点からは「会議や根回しの論理で争う」ということが必要になってしまっている。
 そのあげくに,見方によっては「金星人に会った人」と同じようなことを言っているのです。
 ほんとうに残念なことです。

 ***

 以上「残念」だとは述べましたが,あまり批判めいたことは言いたくない,とも思います。「この件が今後の日本の科学や社会にとって,悪い影響を残さないか」と心配だからです。

 「悪い影響」というのは,この件が「若い連中は,やっぱりダメだ」という話になっていくこと。

 「今の日本は,若い世代に冷たい」と私は思っています。その根本の原因には,高齢化で中高年が社会の多数派や主流になったことがあるでしょう。もうこれ以上,若い人の足を引っ張る「材料」が増えてほしくないです。
 
 先日の国会答弁で山中教授が述べた「30代の研究者は実験は上手だが,ほかの点は未熟」という発言も,そこだけ取り出して若い世代へのバッシングの材料にならないように,と思います。

 あの答弁は「国会のオジさんたちが,山中教授にああいうことを言ってほしくてお呼びして,期待に応えてもらったもの」だと,私は捉えています。
 
 立派な人格者の,国家予算が必要な科学者なら,あんなふうに「オジさんの求める話」を言うでしょう。あまり影響されないことです。
(なお,ノーベル賞受賞者や,それに匹敵する科学者のなかには「何を言い出すかわからない」タイプもいますが,そういう人は国会には呼ばれない。でも,そんな人の話こそ,ホントは聞きたい)

 「30代の研究者が科学の実験以外は未熟」なら,たぶん50代や60代の科学者でもそういう面があるはずです。
 人によって違いはありますが,専門家というのは,そういうものではないでしょうか。科学者でなくても,私たちの多くは自分の専門や,住んでいる世界の外へ出れば「未熟」なものです。

 この件が,「すべて,ひとりの若い・未熟な研究者がやったこと」というトーンになっては,いけない。

 もちろん,問題を引き起こした人には,その人としての責任があります。
 でも,若い世代が問題を起こすときには,上にいる人間のマネジメントの落ち度や劣化ということが,あるものです。月並みな言葉でいえば「管理不行き届き」。そのことを忘れている発言には,ご用心。

(以上)
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2014年04月06日 (日) | Edit |
 今回は「フランシス・フクヤマと滝村隆一の共通点」ということです。
 フクヤマも滝村も,政治や政治思想についての研究者・著述家。

 この両者の共通点を論じた文章など,たぶんないでしょう。

 「政治思想」をある程度知っている人からは,「バカじゃないの」といわれそうです。

 フランシス・フクヤマ(1952~)は,日系3世の米国の研究者。1990年ころ,ソ連が崩壊した「冷戦終結」の際,その世界史的意味について論じた「歴史の終わり」論で有名になりました。

 彼は「ネオ・コン(ネオ・コンサバティブ=新しい保守)」という,「アメリカのタカ派系」の理論家とされる人物。その筋では,現代の著名な知識人といっていい。「ネオ・コン」を簡単に「タカ派」といっていいかどうかはともかく,よくある理解ではそうなっている(ただ,近年のフクヤマはネオ・コンとは距離を置いている,ともいわれる)。

 滝村隆一(1944~)は,「異端のマルクス主義者」といったらいいでしょうか。いわゆる「左翼」に属する,とされる人。

 滝村については,今は関心を持つ人が少なくなっていると思います。
 でも,中高年(だいたい50歳以上)で若いころに「左翼思想」や「吉本隆明」に関心をもった人なら,聞いたことがあるはずです(なお,私そういちは今40代おわりの年齢なので,ここでいう「中高年」より少し若い)。

 滝村は,1960年代末に,若くして吉本隆明(1924~2012)が主宰する雑誌『試行』(当時,知的な志向の人たちのあいだでステイタスのある雑誌だった)でデビューし,1970~80年代に最も活発に執筆活動を行いました。その仕事は,吉本からは「世界的」とまで評価された。なお,吉本隆明は吉本ばななのお父さんで,戦後のインテリに大きな影響をあたえた評論家。基本的には「左翼系」の人。
 
 滝村は大学などの一般的なアカデミズムの組織には属さず(その仕事があまり認められなかった,といっていい),「在野の研究者」として活動しました。

***

 要するにフクヤマは「保守」で,滝村は「左翼」ということです。「右」と「左」といってもいい。だから,「2人はぜんぜん違うだろう」というのが,ふつうの見方だと思います。

 ほんとうは,「保守」「左翼(右と左)」「タカ派」といったことから説明しないと,不親切だとは思います。でも,今回の本題ではないのでそこは省略します。

※以下,「滝村さん」と呼ぶ一方,フクヤマは敬称略のままとします。私は,現存する人には敬称をつけるのですが,外国人には「さん」づけがどうもしっくりこない。

***

 では,フクヤマと滝村さんのどこが共通しているのか。
 それは,「学問的な方法論」という点です。「学問的な方法論」というのは,「学者として,どのような姿勢ややり方で,自分のテーマをきわめていくか」ということ。

 では,2人に共通する「方法論」とは何か。

 それは,一言でいうと「世界史から謎を解く」ということ。

 2人の最大のテーマは「政治とは何か」「国家とは何か」ということ。挑戦的で志を持った政治の研究者なら,誰もがそれを「大問題」として意識するでしょう。

 フクヤマ,滝村の2人は,その「大問題」について,近現代の国家や政治のありかただけでなく,世界史上のさまざまな国家や政治体制について調べることによって迫ろうとしているのです。

 フクヤマの最新刊『政治の起源 上・下』(講談社,2013)は,そういう本です。

政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで政治の起源 上 人類以前からフランス革命まで
(2013/11/06)
フランシス・フクヤマ

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政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで政治の起源 下 人類以前からフランス革命まで
(2013/12/25)
フランシス・フクヤマ

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 この本は,原始時代からフランス革命のころまで,世界史上のさまざまな国家や政治体制を比較・分析して,政治制度発展の理論を構築しようとしたものです。フランス革命の時代でひとまず終わっていますが,その後の時代(近現代)については,続編で述べるのだそうです。

 とりあげるのは,秦・漢の中国,マウリヤ朝のインド,イスラムのマムルークの制度,そしてスペイン・フランス・イギリス・ロシア・ハンガリーなどのヨーロッパの絶対王政……

 こういう大風呂敷な話は,「しろうと談義」「与太話」になってしまいがちです。

 しかし,この本はちがう。歴史学のさまざまな成果を引用しながら,一定の学的根拠に基づいた幅広い議論を展開しています。その主張に賛成しない人もいるでしょうが,やはり「しろうと談義」を超えた「学問」になっている。

***

 フクヤマは,自分の問題意識について,著作の序盤でつぎのように述べています。

《近代的政治制度を生み出すまでの苦闘は,実に長く苦しいもので,先進国に住む人々は自分たちの社会がそもそもどのようにしてそこにいたったかの歴史については,一種の健忘症にかかっている》(上巻41ページ)

《本書の目的は,歴史の健忘症によって忘れられたものを取り戻すことにある。そのために,[近代国家の]基本的な政治制度がどのように生まれたかを説明する。そうした制度を持つ社会は,その制度を当たり前のものと思ってしまっている。テーマとする3つのカテゴリーは①国家[官僚制などの近代的組織を備えた国家]②法の支配[権力者といえども法の拘束を受けるという原則]③説明責任を持った統治機構[民主主義的な政府のこと]――である。
 近代的自由民主主義がうまく機能している場合は,これら3つの制度を均衡のとれたかたちで合体させている。この均衡を成し遂げる国があるということは,近代政治の偉業といっていい》(42~43ページ,[ ]はそういちによる注釈)


 ここにあらわれているのはまず,フクヤマが「近代的政治制度」,あるいはそれが機能している近代国家を,人類が長い歴史的苦闘のすえに到達した,偉大な成果(偉業)であると認識していることです。

 ところが,多くの人はそういう認識を持っていない。一種の「健忘症」にかかっていて,そこに達するのがどれだけ大変なことだったかを見落としている。

 別の箇所でフクヤマは《実行力を持つだけでなく,法に従い,説明責任を果たすような政治制度・統治形態をつくりだして維持していくことの難しさ》(35ページ)と表現しています。

 そして,その「難しさ」について《小学4年生でも分かるような当たり前のことかもしれないが,よく考えてみると,頭のいい大人でも多くが理解しそこねている事実である》(35ページ)と述べています。

 だからこそ,近代的な政府の重要性や価値を無視した主張がなされることがあります。アナキズムのような「政府のない社会」を夢想する思想は,左翼にも右翼にもあるのです。

 それらについて,フクヤマは《左翼や右翼の夢想家が望んでいるような最小限政府あるいは無政府の社会は,実は幻想ではない。現代の途上国に実際に存在している》といいます。そして,政府がロクに機能していない現代の途上国の一部では,ひどい状態になっているではないか……と。「無政府」なんて,ナンセンスだというわけです。

 また,冒頭でフクヤマは,こう述べています。

《本来,最も望ましい政治制度であるはずの民主主義が苦境に陥っている。問題は民主主義の「理念」ではなく,民主主義を実行する「制度」にある。鍵を握るのは3つの要素,すなわち「国家」「法の支配」「説明責任を持った統治機構」の均衡にある》(26ページ)

 「民主主義の苦境」というのは,21世紀に入ってから,世界のあちこちで「民主化の後退(独裁的政治への逆戻り)」といえる事態が起きていることや,「民主主義」の国家のなかでも,財政危機などさまざまな問題が生じていることを指しています。
 それらの問題を考える基礎として,自由民主主義を機能させる3つの制度(「国家」「法の支配」「説明責任」)について,掘り下げていこう,というのがフクヤマの主旨です。

 そして,そのために《歴史をさかのぼって考察する重要性》ということを強調し,本書全体で実行しているのです。

《3つの制度は,そもそもどこから生まれてきたのか。それらを生み出す力は何であり,どのような条件下で発展していくのか。どのような順序でできあがっていくのか。互いの関係はどうなっているのか。これらの基本的制度がどのようにできあがるのかを理解できれば,アフガニスタンやソマリアと今日のデンマークがなぜ大きく異なっているのかを,よりよく理解できるかもしれない》(44ページ)

 こういう問いかけに基づいて,本書では世界史上のさまざまな国家・政治制度の比較検討ということが行われていきます。「世界史から謎を解く」ということです。

 そして,本書の「比較検討」の特徴は,その範囲が広いことです。先にも述べたように,原始時代から,古代の中国・インド,イスラムの帝国,中世ヨーロッパ,ヨーロッパのさまざまな絶対王政……
 これは,今のアカデミズムでは,まずみられない「大風呂敷」です。この点についてフクヤマはこう述べています。

《政治制度の発展に関して今日の文献について不満に思う理由はいくつかある。一つは,比較を広範なスケールに広げていないことだ。さまざまな社会の経験を比較することによってはじめて,なぜある制度がある社会には生まれて,ほかでは生まれなかったかを説明する複雑な原因を振り分けることが可能になる[のにそれを行っていない]》(44ページ)

 そして,これまでの「近代」の誕生についての議論は,その対象が産業革命のおこったイギリス中心に偏りすぎていたと批判しています。
 
 また,最近ではイギリス中心から脱却して,世界のさまざまな国や文化を取りあげる「多文化的アプローチ」もさかんになったが,《比較という観点からはまともとはいえない》といいます。

 「非西洋文明がいかに人類の進歩に貢献したか」という話ばかり選び出したり,そうでない場合は「非西洋文明の悲惨な歴史」ばかり強調している。このため,《ある制度がある社会で発達し,別の社会では発達しなかった理由をまもともに比較する分析》になっていない,というのです。

 ***

 以上のようなフクヤマの議論には,つぎの特徴があるでしょう。

①「近代国家」「近代的政治制度」を,人類の「到達点」として高く評価。

②「近代」を生み出すプロセスとして歴史・世界史をみている。

③その「近代」という尺度から世界史上のさまざまな国家を比較分析して,「政治」「国家」の一般的な理論を導きだそうとしている。

④「世界史上のさまざまな国家」の比較の幅は,一般的な学問研究と比べてはるかに広い。時代的・地域的に多岐にわたっている。

⑤また,その「比較」においては,近代的な政治・国家を構成するいくつかの重要な「制度」や「原理」(「法の支配」のような)という観点から考察している。


 ***

 私は,フクヤマの本を読んでいて,すぐにこのような彼の議論の特徴がのみこめました。
 それは,上記の点で彼に似たところのある著者の本を,若いころから読んでいたからです。

 その「著者」というのが,滝村隆一さんです。
 滝村さんは,1970~80年代に,つまりフクヤマよりも30~40年前に,政治の理論の研究において「世界史から謎を解く」ことを行っていたのです。

 1978年刊の『アジア的国家と革命』(三一書房)という本のなかで,滝村さんはつぎのように述べています。

《私はこの十年来,国家論の歴史科学としての体系的構築には,国家的支配の形成・発展を何よりも〈世界史〉的発展過程において捉えること,とりもなおさず個別歴史的国家の世界史的再構成が不可欠であると,一貫して主張してきた》(31ページ) 

 滝村さんの文章は,読みにくいところがあります。勉強して慣れてくると,しっかりと論理的に構築されているので,むしろ読みやすい,明晰な文章なのですが……

 そこで,碩学に対し失礼を承知で,滝村さんの文を「和文和訳」します。読みやすいように,いろいろと編集や言い換えをするわけです。論理の厳密性が損なわれても,やむを得ない,ということで。

(そういちによる和文和訳)
 私は十年来,「国家」についての理論的研究(国家論)を体系的に構築するには,国家というものの形成・発展について,世界史上のさまざまな事実を通して知ることが不可欠であると,主張してきた。そして,それは単に歴史的事実を具体的に調べるというだけでは不十分であり,歴史上の個々の国家のありかたを「世界史の中でどう位置づけられるか」という視点で理論的・抽象的に把握していくことが求められる。


 以上に続く部分も,引用します。今度は「和文和訳」から先に。ずいぶん大胆に「和訳」してますが,私なりの滝村理論への理解をふまえたものです。

(そういちによる和文和訳)
 以上の方法について,もう少しくわしく述べよう。国家論を体系化するにあたっては,マルクスが提起した「アジア的国家」「古代的…」「中世的…」「近代資本制…」という,理論的に抽象化された世界史上の国家・社会の発展のあり方を理解することが必須である。その観点に立つと,私たちは,「近代」になってはじめて完成される「国家」のあり方の全体像を,明確に理解することができる。
 それはこういうことだ――近代国家は,歴史的な発展の末に現れた「国家の完成形」である。その「完成形」のレベルから「アジア的」「古代的」「中世的」な世界史上の国家の「典型」といえるものピックアップして,その理論的検討を行ってみよう。すると,それらの過去の国家では,近代国家では十分に開花しているさまざまなことが未発達であるのがわかる。それによって「完成された国家」としての近代国家の特徴も明らかになるし,一方で過去の「アジア的」などの世界史的国家が,「形成・発展しつつある未熟な国家」であることもわかってくる。
 そして,「どの点においてどう未熟だったのか」という,それぞれの「国家」の特異性を把握することも可能である。そのことによって,世界史上のさまざまな国家のあり方について,構造的に全体を見渡すこともできるであろう。
 したがって,一般には「別物」とされてきた,近代国家についての究明と,「アジア的」などの世界史的国家の理論的研究は,じつは同じものにほかならない。


 以上の,滝村さんの原文は,こうです。

《[以上述べてきた]その方法の真意は,国家的諸契機の理論的検討を含んだ国家論の原理的体系化において,アジア的・古代的・中世的な世界史的国家構成が必要とされるのは,それにより,〈近代〉に到ってはじめて発展的に完成される国家的支配の全構造を,立体的に解明することができる,逆言すれば,より発展的に完成された国家的支配のレヴェルから,アジア的・古代的・中世的な世界史国家を構成することによってはじめて,それらを形成・発展しつつある未熟な国家,すなわち特異な完結性をもった歴史的国家として,大きく全構造論的に把握することも可能だという点にある。従って,一般には機械的に分離・切断されている近代国家論の究明とそれ以前の世界史的国家の理論的検討とは,実は同一の作業に他ならない》(31~32ページ)

 ***

 以上,滝村さんは「世界史から謎を解く」ことをめざしているわけです。
 そして,「〈近代国家〉〈近代的政治制度〉を,人類の〈到達点〉として高く評価している」「〈近代〉を生み出すプロセスとして歴史・世界史をみている」「〈近代〉という尺度から世界史上のさまざまな国家を比較分析して,一般的な理論を導きだそうとしている」といったことも,はっきりうかがえるでしょう。(以上は,フクヤマの議論の特徴として先に述べたもの)

 滝村さんは,自身の仕事について「方法としての世界史」(つまり〈世界から謎を解く〉)ということを,何度も述べています。そして,その「方法」は,ヘーゲルやマルクスの「方法」でもあったと言います。
 
 そして,滝村さんは,フクヤマのように幅広い対象を視野に入れて,世界史上のさまざまな国家について研究を行いました。

 原始共同体と部族国家(ギリシア,ローマ,ゲルマン), 部族国家から中世国家へ, 秦・漢帝国にはじまる中国の諸王朝, 古典期のアテナイ・スパルタ・ローマ, マケドニアとローマの帝国, 遼・金・モンゴルなどの遊牧民族の帝国, インカ・アステカ, ヨーロッパの絶対王政, ナポレオンのフランス, 19世紀イギリス・フランス・アメリカの「ブルジョア独裁」, ナチス・ドイツなどのファシズム国家, 大日本帝国, ソビエトの社会主義「専制」国家……

 これらに関しては,滝村さんの代表的著作である『アジア的国家と革命』(1978)『唯物史観と国家理論』(1980)『国家の本質と起源』(1981)と,過去の著作を集大成したといえる『国家論大綱 第1巻,上・下』(2003)などで述べられています。
 
 これらのテーマについての論文は,おもに1970年代半ばから1980年代初頭にかけて,精力的に執筆されました。
 滝村さんが,30歳ころから30代半ばにかけての時期。熱意と体力で,ぼう大な歴史研究の著作や論文を読み込んで,書いたのです。

 なお,こういう幅広い「世界史」の研究は,「研究」といっても直接自分で一次資料にあたるのではなく,専門の歴史学者の著書・論文を「資料」にして行うのです。そうでないと,範囲が広すぎて無理です。

 また,滝村さんは,近代国家を構成する根本的な「制度」のあり方についても,探究しています。というか,それが滝村理論の「本体」です。ここは前に述べた,フクヤマの議論の特徴のひとつである「さまざまな国家を,近代国家におけるいくつかの重要な〈制度〉や〈原理〉という観点から考察している」という点に関わります。
 滝村さんのそのような議論の中心には「三権分立」というテーマがありますが,ここでは立ち入りません。

***

 滝村さんは今の感覚だと「若者」といってもいい年齢のころに,このようにスケールが大きく挑戦的な研究に取り組んだのです。そして,「大言壮語」で終わることなく,つぎつぎとアウトプットをしていきました。

 これに対し,フランシス・フクヤマの場合は,先ほど紹介した『政治の起源』に取り組んだのは,50代半ばから。高名な知識人として円熟期に入ってからの仕事です。
 たしかに,「世界史のさまざまな事象を通して一般理論を構築する」なんていうのは,いかにも「巨匠」の仕事です。

 でも滝村さんは,若いうちから巨匠の精神で,仕事をしていたわけです。世界的なレベルの仕事をしようとした。

 しかし,この人はたとえば東大などのエリート大学や,その大学院にいたわけではない。研究者としては,ほぼ独学といっていい。「留学経験があって語学が堪能」ということでもない。滝村さんの著作の参考文献は,もっぱら日本の学者のものや翻訳書です。

 そのような「若者」が,今から30年前の1980年ころに,アメリカの著名なエリート学者が行ったのに匹敵する・通じるところのある仕事を残したのです。
 ただし,私は「匹敵する」どころか,「滝村理論のほうがフクヤマ理論よりもスケールが大きく,すぐれている」と思っていますが,そのことはまたいつか。今回は,2人の学問の「方法」の一端について述べるだけで,理論の内容には立ち入りません。

 でもたぶん,フクヤマの仕事は世界的に評価され,今後も残っていくのに対し,滝村さんの仕事は,埋もれていくのではないか……これからの世代の日本の学者がきちんと評価して「滝村理論」を宣伝しないかぎり,そうなります。

 ***

 それはともかくとして,フクヤマの『政治の起源』を読み,滝村さんの著作を一部読み返してみて,あらためて確認したことがあります。

 それは,「政治学のような社会科学系の学問においては,世界史の幅広い事象にあたっていくことが不可欠である」ということ。

 背景が大きく異なる2人のすぐれた学者が,同じような方法論(世界史から謎を解く)に達したのです。そこにはきっと,大きな「真理」が存在しているのではないでしょうか。

 しかし,多数派の学者たちは,狭い専門に閉じこもりがちです。現代において「巨匠」といわれる人たちでさえ,フクヤマや滝村さんに言わせれば「扱う範囲が狭すぎる」ということなのでしょう。

 でも,かつてのヘーゲル,マルクスといった古い時代の巨匠たちは,「世界史」を自分の学問の軸に据えていました。
 フクヤマも滝村さんも自分自身で述べているように,2人の仕事はそのような巨匠たちの伝統の,現代的な再現です。

 そして,そのような学問は「専門的なアカデミズム」とは異質で,アマチュア的なところもあります。

 だから,私のような「愛好者」や,ふつうの多くの人たちにも,じつは入っていきやすいのです。フクヤマや滝村さんの著作をみていると,ほんとうにそうだと感じます。「世界史から謎を解く」仕事は,多くの人の「この世界を知りたい」という欲求にこたえるものなのです。 

(以上)

※4月7日の付記
・滝村さんは,ごく若いころに哲学者・三浦つとむの影響を受けたといいます。三浦つとむについては,このブログの以下の記事をご覧ください。
   2人の極端な独学者 三浦つとむとエリック・ホッファー

・滝村さんの学説の一端に触れた,以下の関連記事もあります。
   「橋渡し」の仕事
   アリストテレスと考える,「国家とは何か」

関連記事
2014年04月04日 (金) | Edit |
エッフェル塔ボトル

 いつも長い記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それをここでは「雑談」と呼んでいます。

 ***

 上の写真は,パリに旅行した友人のおみやげ。エッフェル塔型のブランデーボトル。数か月前にいただきました。リビングの本棚に,ひっそりと飾っています。
 
 これが,我が家を訪れる,友人・知人の子どもたちに人気です。

 幼稚園から小学生の子どものほとんどが,「これなあに?」と注目します(数人のサンプルしかありませんが)。

 そして,「これ,エッフェル塔?」と聞いてきます。ちゃんと知っているんですね。
 中の液体について,「何が入ってるのかなあ?」とも。

 この本棚には,ほかにもいくつか小物が飾ってあるんですが,エッフェル塔の人気の足元にも及びません。

 このボトル,最初は「なんだかしょぼくて笑える」と思ったのですが,今は「たいへんステキなものをくださった」と感謝しています(^^;)

 ***

 先々月に,近隣の行きつけの古本屋が閉店してしまいました。
 郊外型の「ブックオフ」みたいな(でもブックオフではない)古本屋の,支店のひとつ。
 15年間営業していたのですが……

 ウチにある本の数パーセントは,ここで買ったかも。つまり生涯でいちばん多くの本を買った本屋かもしれない。
 それがなくなった。さびしいなあ。
 
 「ブックオフ」のような古本屋(本のリサイクルショップ)というのは,かつては「新しい」「今どき」のものでした。
 1990年代には,書店全般が衰退するなか,勢いよく成長していました。

 しかし,今はそうではない。こういう店で立ち読みしたり買ったりするのは,シブい,古めかしいことになってきたのです。自分が年をとってきた感じもします。

 ***

 ジャンボジェット機が先日,日本のエアラインからすべて引退したというニュース。

 ジャンボジェットは,1970年代につくられたもの。そして,史上最大のジェット旅客機です。40年も前のものが「史上最大」で,その後これを上回るものはつくられていないのです。

 こういう話を聞くと,「文明の進歩は,以前にくらべここ30~40年,ずいぶんゆっくりになった」と感じます。

 それで思い出すのは,ある格安航空会社が一種の「キャンペーン」として打ち出した,「キャビンアテンダントの制服をボディコンのミニスカートに」という話です。
 
 ミニスカートというのも,1970年ころに非常に短いものが登場して以来,それ以上のものは出ていません(まあ,限度はありますよね……)。
 何十年も前に「極致」に達したという点で,ジェット機の大きさとスカートの短さは共通しています。

 だとしたら,今回の制服を「短い」といって騒ぐのは,何十年も前の人みたいで,古くさいことだともいえるのです。でも,それなりに話題になったり,非難の声があがったりしています……やはり社会は40年くらい前から,そんなに変わっていないのかも。

 ***

 ウチの近所に,ある大企業の研修施設があります。4月のこの時期は,新入社員の研修が行われています。
 今朝,通勤の途中にこの施設の前を通ったとき,研修に向かう新入社員数名とすれ違いました。

 すると,新入社員の1人が私に「おはようございます!」。
 となりの1人もつられて,「おはようございます」。

 どうやら私を,会社の先輩か上司だと思ったらしい。
 泊りがけの研修を終え,施設をあとにするところだと思ったのか。 

 「よくわからないけど,あいさつしとけばいいだろう」ということなのかもしれません。

 それでいいのだと思います。
 あいさつは社会人の基本。
 誰にだって,あいさつしといて損はない。

 私も,ちょっと可笑しかったけど,「おはようございます」と返しておきました。
 今日もがんばりましょう。

(以上) 
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2014年04月01日 (火) | Edit |
 今日4月1日は,新年度のはじまり。
 こういう時期は,「勉強したい」「成長につながる何かをしたい」という気持ちがおこってくるものです。

 今回は「勉強の秘訣」のような話。
 「これを実行すると,成長できて,いろんな場で役に立つ力がつく」ということが,ひとつあるのです。

 それは,「文章を書く」ということ。意識して「人に読んでもらうために書く」ことです。

 「書くこと」は,学校教育でも,多くの勉強家たちのあいだでも,じつはあまり重視されていません。

 あるいは,学校で作文を書かせることがあっても,その「書かせ方」が「社会のニーズ」とズレていることが多い。そこでめざすものが文芸的すぎたり,学術的すぎたりするのです。

 以下,『そういちカレンダー2014』より。
(さらにその原典は私の電子書籍『自分で考えるための勉強法』です)

 ***

文章を書いてみよう

 勉強というと,まず「教科書や本を読む」ことをイメージします。
 それも大事ですが,「考える力をつける」ためには,読んでいるだけでは足りません。それだけだと,どうしても頭の使い方が受け身になってしまいます。

 考える力をつけるには,文章を書く必要があります。
 100冊読める時間があったら,読むのは50冊くらいにして,残りの時間は書くことに使いましょう。

 書き始めたとしても,最初は思うようには書けません。

 でも,気にしないでください。
 
 初めは,日記程度でいいと思います。日常生活での体験,本・映画・番組の感想,最近のニュースのことなど,何でもいいから気軽に書くことです。書き慣れない人は,100字,200字で十分です(ちょうどツィッターの長さ)。そのうち,もっと長く書けるようになります。

 目標はまず,どんなテーマでもいいから,500~1000字の文章を書けるようになることです(新聞の1面のコラムは500~600文字)。
 それを何本も書きながら,次のステップとして400字詰め原稿用紙で10枚くらいの論文やエッセイを書くことをめざしましょう。それが月に1~2本も書けたら,かなり本格的なレベルです。 

 とにかく,まずは短いレポートをたくさん書くことです。
 力をつける方法はこれに尽きる,といってもいいです。
 でも,実行する人は少ない。

 書くことで,本を読むにしても読み方が変わってきます。知識を自分の中に主体的にとり込んでいく感じになるのです。

 そして,できれば書いたものを誰かに読んでもらいましょう。
 アドバイスをくれる先生のような人がいれば幸せです。
 そんな先生がいなければ友だちでもいいです。
 感想を言ってくれなくても,気にしない。そういう友だちがいないなら,自分で自分の読者になりましょう。

電子書籍『自分で考えるための勉強法』より)

  読む・書く

(以上)
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