2014年05月30日 (金) | Edit |
 2020年の東京オリンピックに向け,国立競技場は建て替えるそうです。
 「さよなら国立競技場」ということで,さまざまなアーティストやゲストが登場するイベントも,明日31日に行われるとか。
 
 この競技場は,オリンピック招致を意識して1958年に建てられました。築50数年になるのですね。1964年の東京オリンピックのメインスタジアムでした。

 しかし私は,「なんであれを1000何百億円もかけて建て替えるんだろう?」と思っています。
 「ムダではないか」「今のものを改修して使えば十分ではないか」ということです。

 収容人数を増やすことも,その他運営上のさまざまな課題も,改修でクリアできるはず。優秀な建築家たちの知恵を使えば,何とかなる。それで,コストも大幅に減らせる。

 それに,コンペで優勝したという,宇宙船みたいな「新しい国立競技場」も,私は好きにはなれません。自己主張が強すぎる「これみよがし」な感じが,苦手です。

 ***

 日本の政策決定をする人たち,つまり「オジさん」たちは,改修・リフォームが好きではないように思います。
 オジさんは,リフォームなんかより,ドーンと新しいものをつくるのが大好き。
 
 そこには,建設業やその周辺にお金を回したいという,利益誘導的な背景もあるのかもしれません。
 もちろん,もう少し広い視野で,「日本の経済成長のために,大きな公共工事が必要」という考えもあるでしょう。

 でもそれだけではない。
 「ピカピカの新しい,大きなものをつくる」こと自体に,夢やロマンを感じるという面があると思います。
 そんな「男のロマン」を追うのが,オジさんというものではないかと。

 今回の東京オリンピック招致のスローガン(当初のもの)は「今,ニッポンにはこの夢の力が必要だ」でした。

 「国立競技場をドーンと建て替える」ことは,その「夢」のだいじな要素なのでしょう。
 そこに共感する人も少なくないのかもしれません。
 女性や若い人にも,「オジさんの夢」に共感する人がいることでしょう。

 しかし,私は「国立競技場の建て替え」のようなプロジェクトには,どうにも「ロマン」を感じません。
 それは,高度成長期的な発想の,「古い夢」だと思うのです。
 前の東京オリンピック(1964年)のころはそれでよかったけど,今はどうなのか。

 今から50年ほど前の当時の日本では,近代的な・大規模な設備はきわめて不十分でした。
 だから,新しいものを建てることには,おおいに意味がありました。
 「意味」のある新しい建物には,やはり「夢」があります。

 でも,今の東京は,50年前とはちがうのです。
 相当なインフラや施設がすでに存在している。
 近代都市としてそれなりに整備された東京が,すでにあるのです。

 だったら,すでに「あるもの」を,きめこまかくリフォームして充実させていくことを,まず考えればいいのです(「メンテナンスして維持する」という課題もありますが,ここでは立ち入りません)。
 その「きめこまかいリフォーム」は,徹底的に行えばいい。
 
 東京の「きめこまかいリフォーム」とは,どういうことでしょうか。
 たとえば,街角のベンチ,階段の手すり,公共トイレ,街灯,サイン・標識,歩道,街路樹,案内所,ちょっとした憩いのスペース……そういうこまごましたものを,とことん「人にやさしく」「クール」にしていくことです。
 
 そのために,大勢のすぐれたデザイナーたちに腕を振るってもらう。
 モノつくりにかかわる,日本のさまざまな企業や職人が,ていねいな仕事でそれをカタチにする。
 
 そういうことを,きちんとした構想をもって,それなりの予算で行うのです。
 オジさんたちは「なんだ,そんなつまらんことか」と言うでしょう。

 しかし,2020年に東京を訪れる外国の人たちは,きっと感心するのではないでしょうか。
 「こんなところにまで,こんな工夫をしているんだ」「こまかいところまでクールだなあ」と,おどろいてくれるのではないか。「さすがニッポン」というわけです。そして,「きめこまかい東京」をたのしんでくれるのはないか。

 もちろん,その手の「こまかい整備」も,オリンピックのプランには含まれているでしょう。でも,それは「メイン」の扱いではないはずです。私が言っているのは,「こまかいリフォームこそメインテーマだ」ということです。

 たぶん,「1000億2000億かけた新しい競技場」などでは,世界は感心したりしないでしょう。
 そういうのは,どこの国でもやっている。新興国の発想と変わらない。

 ***

 つまり,「建て替えの思想」でなく,「リフォームの思想」でオリンピックを実施していくということ。
 すると,オリンピックを通じて,ほんとうの意味での「新しい日本」を世界にアピールできるように思います。

 それは,「文明の先端に立っている日本」ということでもあります。

 おそらく,「ピカピカした新しいものをやたらとよろこぶ」のは,世界の文明の「先端」ではない。
 「十分に使えるものを壊して新しいのに替える」というのは,過去のやり方。
  
 近代文明は,今やぼう大な蓄積や遺産を築き上げています。「蓄積されたものを手直ししながら,ていねいに使う」というのが「文明の先端」のあり方ではないかと,私は思います。 
 
(以上) 
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2014年05月28日 (水) | Edit |
 今日5月28日は,トヨタ自動車の現在につながる基礎を築いた技術者・大野耐一が亡くなった日。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 ***

大野耐一(おおの・たいいち)

うわべの数字にだまされない

 トヨタ自動車の大野耐一(1912~1990)は,「トヨタ生産方式」という高度な生産管理のシステムを築いた技術者です。
 彼が自社の工場で,いくつもの工程が並ぶ,組み立てラインをみていたときのこと。
 大野は不機嫌そうでした――「ラインの稼働率(機械が動いた時間の割合)が98%とは高すぎる。作業の人数が多すぎるからだ」
 稼働率が高いのは「作業が順調に流れている」ということで,一見それでよさそうです。たしかに,工程のどこかに非効率や無理があると,ラインの流れが滞ります。
 その問題点を,きちんと改善するのならいいのです。しかし,やり方を改善せず,単に人手を増やして問題をカバーすることもあります。それでは,本当の生産性の向上にはなりません。
 「人手が多くかかる」というのは,そのぶん非効率なわけです。めざすべきは「より少ない人手で,作業が順調に流れること」です。
 「もっとラインが止まるような人数にして,問題点がわかるようにしなければ」と,大野はいいました。
 彼は,うわべだけの「いい数字」にはダマされない本物のエンジニアでした。

下川浩一・藤本隆宏編著『トヨタシステムの原点』(文眞堂,2001)による。ほかに参考として,三戸節雄著『日本復活の救世主 大野耐一と「トヨタ生産方式」』(清流出版,2003),大野耐一著『トヨタ生産方式』(ダイヤモンド社,1978)。

【大野耐一】
トヨタ自動車の技術者・役員。従来の大量生産工程で一般的だったさまざまなムダを改善する生産管理の方法を体系化した。これが「トヨタ生産方式」と呼ばれ,世界の製造業に大きな影響を与えた。
1912年(明治45)2月29日生まれ 1990年(平成2)5月28日没

 ***

 大野から私たちが学ぶべきなのは,「科学や技術の持つ合理的な精神」です。

 大野は,「日本のモノつくり」を代表する1人です。だから,彼を賞賛すると「モノつくり・製造業こそが大事なのだ」という方向にいくことがあります。しかし,大事なのは「モノつくり」だけではないはずです。
 サービス業などのほかの産業や,社会のさまざまな分野で「科学・技術の精神」は生かせるでしょう。

 たとえば,大野よりやや後の時代に,セブン‐イレブンの鈴木敏文は,「売上のデータをしっかりと分析して戦略を立てる」という方法を確立しました。鈴木は,流通業において「大野耐一」的な仕事をした,ともいえるのです。

 今回の「偉人伝」のエピソードには,「問題をつねに冷静に・客観的にとらえる」という大野の姿勢があらわれています。現実に即さない「願望」や「場の雰囲気」に流されず,「現実」をしっかりとらえようとする精神です。

 かなりの組織やリーダーは,大野のようにはいかないのです。統計やアンケート調査などのデータひとつとっても,「組織の論理」にとって都合のよいように数字を編集したり,解釈したりして「それでよし」とする傾向があります。
 そういう,「データに基づく合理性」を装った「非合理」が,世の中にはまだまだ多い。

 うわべの「いい数字」にだまされる組織やリーダーがあとを絶たないわけです。 
 そして,その「いい数字」は自分たちでつくったもの。
 自分で自分にだまされている。

 私たちの社会は,そのレベルを早く卒業しないといけないのです。

 ***

  「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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(2013/02/04)
秋田総一郎

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2014年05月26日 (月) | Edit |
 最近,地元のコミュニティの「総会」的な集まりに出席しました。
 ここで「総会」というのは,「組織として公式に決議する議案がある会議で,普段は顔を合わせないような広い範囲のメンバーが集まるもの」としておきましょう。

 そういう「総会」は,いろんな組織で行われています。
 大きな会社の株主総会は,その最も本格的なもののひとつでしょう。
 ほかには地元の自治会でも,その他の団体やサークルでも,「総会」というのはあります。

 先日のその集まりや,そのほかの場で体験して,しみじみ思うことがあります。

 それは,
 「総会を気持ちよく,充実した機会にするための,共通認識の必要性」
 ということです。

 たいした話ではありません。それは,ごく基本的なルールや原則を確認しておく,ということです。また,そのルールの意味(なぜ,そうしなければいけないのか)を知っておくこと。

 ***

 たとえば,総会で「不規則発言」を頻繁にする人がいます。
 私もみたことがあります。「何いってんだ」「議事進行」「もうやめろよ」などをヤジを飛ばして,発言している人にプレッシャーを与えたりするのです。

 「不規則発言」とは,本来は挙手をして名乗って発言しないといけないのに,それをしないで勝手に声をあげることです。

 なぜ,総会で挙手をして名乗らないといけないのか。
 そこには「自分の発言に責任を持ってもらう」という主旨があります。
 これが根本であって,「発言者の名前を議事録に書かないといけないから」なんてことは,枝葉です。

 手をあげて「私はここです」というのを示してもらわないと,周囲としては「誰が声を出しているのかわからない」ことが多いです。ヤジというのは「匿名で発言できる」側面があるのです。だから「無責任」になりうる。
 
 そして,「責任を持って発言するならば,発言したい人には等しく発言の機会が与えられる」という原則があります。
 手をあげた人に対し,議長は発言の機会を等しく与えないといけない。

 不規則発言を野放しにすると,このようなだいじな「原則」が崩れます。
 だから不規則発言は,「いけないこと」なのです。
 もしも,不規則発言をくりかえす人がいたら,「それはダメだよ」と注意してあげるか,議長に対し「注意してください」とお願いするといいでしょう。

 ***

 また,こんな場面もみたことがあります。

 ある人が議案について質問をした。その質問には,前に出た別の人による質問と重複するところがあった。回答すべき担当の役員も「またか」という様子。議長は「それはもういいでしょう」と判断。担当役員に回答をうながすことなく,「つぎの質問どうぞ」と進めていった・・・

 これもだいじな「原則」を踏み外しています。
 議案についての質問が出たら,手続きとしては一律に「回答」をしなくてはいけないのです。 
 議長が「それはもういいでしょう」などと言ってはいけない。必ず担当役員などに答えさせる。

 担当役員として「その質問には答える必要はない」というなら,その旨を理由を添えて回答すればいいのです。
 そして,その「回答しない理由」が根拠のあるものでないと,「説明責任」を果たしたことにはならないわけです。もしも「前に出た質問」と本当に重なっているなら,それはそれで「根拠」になります。

 ただし,質問者がまじめに質問しているなら,たとえ「重複」していても切り捨てることなく真剣に回答したほうが,誠意が伝わってよい結果を生むとは思います。

 議長自身が「担当役員」的な立場のときもあります。そのときはまず「今出たご質問については,私から回答します」と言います。ここで議長は「議長」の立場から「担当役員」の立場に切り替わることになる。そして,「しかし今のご質問は,前に出た質問と重複しますので」ということでもいいのです。
 
 いずれにせよ「回答する」というプロセスはしっかり行わないといけない。

 議長の一存やその場の雰囲気で,なんとなくその質問をスルーする,というのはダメ。
 それを認めてしまうと,「参加者が等しく発言する権利」が,守られなくなります。
 議長や,一部の人の判断で,ある質問を無視することもできてしまうからです。

 なお,このケースを目撃した私は,議長に指摘をしました。そして,「担当役員が答えるべきだ」と主張し,受け入れられました。

 ***

 以上は,ほんの一例です。そして,きわめて初歩的な話なのでしょう。
 「総会を充実させるための,参加者の共通認識」としては,ほんの入り口の話。

 「そんなこともできていない総会,みたことない」という方もいるかもしれません。
 でも,「不規則発言や,その手のことをみたことがある」という方もいるはずです。

 今述べた「一例」から言えるのは,民主的な話し合いをするためには,やはり基本的なルールを守らないといけない,ということ。そして,「どうしてそのルールを守らないといけないのか」という原理的なことを理解しておく必要があるということ。
 そのような認識を持っている人が多数派である組織は,やはり充実した話し合いや活動ができるでしょう。

 「民主主義」ってめんどくさい,と思うかもしれません。
 たしかに,「めんどう」なところもあります。
 でも,大事な「ルール」や「原理」を参加者みんなが身につけるなら,「気持ちよく,たのしい」状況が生まれることとでしょう。

 なんだか,中学校のホームルームみたいで,書いていて気恥ずかしい感じもします。
 でも,世の中の実態をみると,「大人も確認しておいていい話」だと思います。
 
(以上)
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2014年05月24日 (土) | Edit |
 私たちが暮らす今の世の中は,一応は「近代社会」の原理・原則によって運営されています。

 つまり,こういうことです。

 職業の自由や言論の自由のような「自由」が誰にも認められている。現実はともかく,少なくとも法的にはそうなっている。そのような「自由」の基礎となる生命や財産がおびやかされてはいけないことにもなっている。
 つまり,近代社会というのは「自由な社会」であるということ。
 その基礎として,「基本的人権」が尊重されなくてはならない。

 つぎに「民主主義」の原則。政治体制は,民主主義的に運営されている。民主主義とは「政治的意思決定に対し,その決定に従う多数者が参加できる」ということ。

 政府や権力者が恣意的に権力を用いることはできない。いかなる権力も,憲法やその他の法律にしたがわないといけない。つまり,「法の支配」の原則。

 「自由(自由主義)」「民主主義」「法の支配」……これらの原則は,近代社会の三本柱です。

 ***

 このようにいうと,「何を今さら」「陳腐だ」「自由などといってもねえ…」「民主主義はもう限界」といった反応もあります。たしかにこれらの「原則」には,限界や問題点や取扱い注意なところがある。私も,そういう面を論じたことがあります。

 でも,上記の「近代社会の原則」なんてどうでもいい,という社会を想像してみてください。
 やはり,「ひどい社会」といえるでしょう。

 しかし,最近の海外情勢のニュースをぼんやりみているだけでも,「近代社会の原則」なんてどうでもいい,という人びとがi今の世界にかなりいることがわかります。つまり「昔の考え」の人びと。あるいは「昔の考え」を歪んだかたちで今の時代に展開している人びと。

 たとえば「女子に教育をあたえるのはまちがっている」という主張をかかげ,学校を襲撃して少女たちを誘拐するテロリスト。
 ナイジェリアの「ボコ・ハラム」という集団による犯行のことです。
 
 このようなテロそのものを支持する人は,まずいないでしょう。でも,「女子の教育」を否定する人たちは,世界各地にいます。アフガニスタンの「タリバン」などもそうだったわけです。

 ほかには,政治が行き詰ると軍部が出てきて,憲法を停止するという「世直し」がくりかえされる国。それをある程度は受け入れる国民。

 先日のタイのクーデターのことですが,注意すべきなのは,この国が「貧しい発展途上国」などではない,ということ。タイの1人あたりGDPは「60~70万円」で,「先進国」のレベル(1人あたりGDP100~200万円以上)もある程度みえてきた「中進国」の位置にあります。

 それでも,この国の民主主義や法の支配は,弱々しい。日常のレベルでは法や秩序が生きているのでしょうが,国の政治の根本では「近代」とは異質の原理が力を持っている。

 タイのケースは,「法の支配のような,近代社会の原理を根付かせることがいかにむずかしいか」を示しているのかもしれません。

 それから,わが国のすぐ隣にある,「北」の独裁国家。「民主主義」の対極にあり,人権も自由も法の支配も,まったく関係ない国。そんな国が,私たちのほうにミサイルを発射したり失敗したり。「南」の隣国を砲撃したとかしないとか。

 「北」の独裁国家ほど極端ではありませんが,中国もロシアも「近代社会の原則」が確立していない国です。そのような国が,大きな存在感を世界のなかで放っています。

 ***

 「人権」とか「自由」とか「法の支配」を信じていない国が大きな力を持つと,国際社会の中で傍若無人になりがちです。

 つまり,最近のロシアのように隣国の一部を強奪したり,中国のように周辺諸国にたいして無茶な「領有権」を主張したりする。そして,「侵略」や「圧迫」を受けた人びとから抵抗を受ける。混乱や悲劇が起きる。ウクライナで起こっていることと,ベトナムの人びとの中国への怒りは,共通性のある出来事です。

 中国やロシアの行動の基本には,「領土を拡張することが国威発揚になる」という発想があるでしょう。指導者にその発想があり,国民もかなりそれを支持している。

 でも,これはたいへん古い発想です。19世紀か,せいぜい20世紀前半までの考え方。
 現代の国ぐにの繁栄は,領土の大小とは無関係です。資源の有無ともあまり関係がありません。産業革命以降,そうなりました。

 それでも,「近代社会の原則なんて,どうでもいい」という人たちは,領土にこだわる傾向がある。
 「古い考え方」の人たちなわけです。

 一昔前,発展や再興がすすむ中国・ロシアには「未来において新しい〈世界のリーダー〉になる可能性」があったと思います。アメリカという「リーダー」の対抗軸となる,「世界の新興国のリーダー」です。
 
 ところが,今の中国やロシアをみていると,ほかの多くの新興国がついてくるとはとても思えない。むき出しの暴力をふるいかねない国を信頼するなんて,できません。一定のつきあいはしても,深い同盟関係はためらわれます。ただし,「とにかくアメリカが憎い」という国なら,結びつくことができるでしょうし,実際そのような動きがあるわけです。

 たしかに超大国や覇権国というのは,「力による押しつけ」をほかの国に対してするものです。アメリカだってそうです。でも,今の中国・ロシアみたいな粗暴なこととは,やはり異なるのです。いろいろ手続きを踏んだり画策したりして,もっとうまいこと「押しつける」のが,現代の覇権国というものです。

 たとえば,TPPが仮に「アメリカの陰謀」だとしても,その実現に向けては「交渉」の手続きが踏まれ,少なくとも一応は「難航」したりしているのです。

 中国やロシアは「新しい世界のリーダー」になるチャンスを,今現在失いつつあるように思います。
 彼らとしては,もっとうまくやる方法があったはずなのです。

 「近代」の発想がわからない,「昔の考えの人びと」の限界を感じます。
 でも,そんな人びとが,世界には今も大勢いる。
 「前近代」「反近代」は力を持っているということ。

 世界は,まだまだ近代化されていない。ということは,近代は「まだまだ」なんであって,「行き詰っている」なんてことはないのです。簡単に「陳腐だ」なんていわないほうがいいと思っています。 

(以上) 
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2014年05月21日 (水) | Edit |
イケア立川
イケア立川

 この前の日曜日,妻と2人でイケア立川に行ってきました。

 イケアはスウェーデン発祥の,家具の小売業。ヨーロッパ,北米,オセアニア,そして日本など,世界各地に出店しています。ウィキペディアによれば,全世界の総売上高は2兆1000億円。従業員は10万人。
 低価格でデザイン性の高い家具,巨大で魅力的な店舗,アフターサービスの良さなどで,多くの支持を得たといいます。

 イケア立川はこの4月にオープンしたばかり。都内初の出店です。
 私は,イケアに行くのははじめて。これまではどの店も,ちょっと遠かった。今回,わりと近いところに店ができたので,行ってみたのです。

 やはり大きい。私の知る「家具・インテリアの店」とは次元の異なる大きさ。
 家族連れでにぎわう店内。まるでテーマパーク。
 並んでいる商品は,たしかに低価格。
 「え,このイスが,テーブルがこの値段?」みたいなことがしばしばあります。
 そこに並ぶ商品といい,店じたいといい,たしかにこれは従来の日本になかったものだ。
 
 イケアって,すごいなー。
 
 その一方で違和感のようなものも,少しありました。
 並んでいる商品が,どうにも「大味」に感じられるのです。

 もちろん,デザインは,この価格としては上等です。
 「なかなかだな」「いいな」と思えるものが,もちろんあります。
 でも全般に,ゴツゴツした,いかにも「欧米」的な,粗っぽい肌触りやサイズ感がある。
 「欧米的」というのは,「アメリカ的」といってもいいです。

 この家具は,私たち日本人の家になじむのだろうか?
 日本の家は,繊細でこじんまりしています。デザインの良し悪しや値段の高低にかかわりなく,とにかく「きめ細かく,ていねい」な感じがある。
 そのような「日本の家」とは異質な感触が,イケアの家具にはあるように思いました。

 でも,イケアの家具は日本でも支持されているのですよね・・・日本でも次々とお店ができているのですから。
 だから,私の「違和感」は,的はずれなのかもしれません。

 しかし,それでもやはり「イケアは,このまま日本に深く浸透していくのだろうか?」と考えてしまう。そして,「どうなんだろうか?」という感じが残るのです。

 そして,「日本のイケア」が,日本にあるといいな・・・とも思いました。
 「イケア」の日本支店ではなく,「日本発の,イケア的な会社」ということ。圧倒的な品ぞろえや低価格。それを「日本的なきめ細かい感じ」のデザインでつくって売る会社。そしてそれが世界にも受け入れられるということ。

 無印良品やニトリはまだ,「日本のイケア」ということではないでしょう。
 無印は,商品数やデザインの幅がイケアにくらべれば限定されています。価格的にもイケアより上です。狙っているものがイケアとは異なるのです。

 ニトリは,とくにデザイン的にはまだまだこれから,という気がします。あるユーザー層に向けては,非常に考えてつくっているのでしょう。低価格もたいしたものです。でも,「家具やインテリアに目覚めた人」が好むかというと,どうでしょうか。非常に日本的なデザインだとは思いますが。

 でも,無印やニトリが発展していくことで,「日本のイケア」になる可能性はあるかもしれません。
 あるいは,ほかの何かが発展して,「イケア」的な存在になるかもしれない。
 もしかしたら,日本にあるイケアじたいが「日本化」していくのかも。

 そんなことを考えながら,巨大な店舗をあとにしました。

(以上)
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テーマ:建築デザイン
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年05月18日 (日) | Edit |
 5月になると,来年春に大学などを卒業する就活生たちのなかに「第一志望に落ちてしまって」という人が多くあらわれます。

 そのころまでに「人気のある大企業」では,採用の選考がひと段落する。
 そうした選考で,残念ながら落ちてしまった人たちがおおぜい出てしまう。
 「もう,受ける会社がない」などと落ち込む人もいる。

 もちろん,「受ける会社がない」なんてことはありません。たしかに,一部の大企業の選考は,かなり終わりました。でも,それは日本の会社のほんの一部。受ける価値のある会社は,まだまだあります。

 アニメの宮崎駿監督による「採用試験」というコラムがあります。(宮崎駿『出発点1979~1996』徳間書店 所収)
 宮崎さんは,だいぶ昔にあるアニメ会社のアニメーター採用試験にたざずわったことがあります。数百名の応募から約10名を採用する選考で,多くの人が不採用になりました。

 しかし,じつはこうだった,といいます。

《その後,仕事場を移って何本か映画を作った。そのたびに,スタッフの中にそのときの選考で私が不合格にした若者たちと出会った。いま作っている映画の中心メンバーにも,その数名が参加している。そのとき合格にして養成した新人たちも,成長して仲良く机を並べている。
 いったい,あの選考はなんだったんだろう》(166ページ)


 過去の採用試験落ちた人たちにも,その後第一線で活躍する人が結構いるのです。

 採用試験って,そういうもの。
 落ちたら「自分はダメ」とか,「もう終わり」とかいうことではない。

 採用試験で「すぐれた資質の人を客観的に選ぶ」ことは,たいへんむずかしいのです。ある程度はできるかもしれませんが,「あてにならない部分」はかなりあります。
 
 宮崎さんも,コラムでこう述べています。

《書類選考を始めてすぐ壁にぶつかった》
《一目瞭然の独創性,すぐれた資質の者などひとりもいない。混沌である。…面接しても,全員緊張ではりつめているから,瞳がキラキラしていて,質良く見えてしまう。慎重に客観的にと思いつつ,結局は狭い経験主義に頼ってしまったようだ》(166ページ)


 ***

 「第一志望」を落ちてしまった人へ。もしも,めざす場所に対し,あなたがある程度「いい線」のレベルにあると思えるなら,同業のほかのところをあたりましょう。その世界のどこかで,あなたを採用してくれるところがあるでしょう。「理想」の条件ではないかもしれませんが,チャンスは与えられるはずです。

 「〈理想〉の条件でないなら,あこがれの〈あの会社〉でないなら,その世界はいやだ」という人もいるでしょう。「野球選手になるなら巨人でないといやだ」とか「スタジオジブリでないとアニメーターにはなりたくない」といったことです。だったら,自分の「夢」を考えなおしてみてもいいかもしれません。
 
 そして,「いい線いっている,一定のレベル」に達するのには,それなりの努力や準備をすればいいのです。
 「一定のレベル」に達するだけなら,努力でどうにかなります。
 そこは,才能や,運の良し悪しや,面接のときの勢い・要領などには,あまり左右されません。
 
 もしも,そんな努力を重ねながらも「採用」に至らないなら,あるいは「一定のレベル」に達するのがむずかしいようなら,別の世界をあたってみましょう。
 「自分」を売り込む・持っていく場所を変えてみるのです。

 すると,あなたへの評価が大きく変わることがあります。「NO」といわれ続けていた人が,別の場所では「いいね!」といわれることがあるのです。そこが自分を生かす場所かもしれない。

 以上は,「きれいごと」ではなく,ほんとうのことです。
 くりかえしますが,採用試験なんて,そういうものなのです。

(以上)
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年05月16日 (金) | Edit |
 今回は,昨年11月の記事の再録です。
 「民主主義(多数決)には,少数派に奴隷的な服従を強いる側面がある」ということがテーマ。

 最近,そのことを考えざるを得ない状況が身の回りにあるのです。
 自分の属するコミュニティで,重要なことがらに関し,私には賛成できないことを公式に決議しようという動きがある。決議しだいで,私の日常に重大な影響が及ぶ。
 この記事に書いたことを,「身近な自分の問題」として実感しています。

 ***

 社会では,ある人たちが民主主義や自由を享受するためには,別の人たちには一種の「奴隷」になることが強いられるのかもしれません。

 少なくとも,古い時代の生産や技術の水準では,そうならざるを得ませんでした。

 「民主主義」で有名な古代ギリシア(今から2400~2500年前)にも,奴隷がいました。
 それは,一説には全人口の2~3割程度で,多数派ではなかったようです(「半分程度」ともいわれるが,いずれにせよ「奴隷のほうが市民とその家族よりもずっと多い」ということではない。なお,参政権などのある「市民」は,古代ギリシアでは男性のみ)。

 でも,その「2~3割」がめんどうな家事や労働を担うことで,快適な暮らしや余暇を得た人たちがいたのです。ギリシア社会の,比較的恵まれた人たちはそうでした。
 そのような人たちが,古代ギリシアの政治や文化を担いました。
 ギリシアの民主主義には,奴隷が必要だった,とさえいえるでしょう。
 「必要」とされる側は,たまったものではありませんが。

 しかし,当時の技術や生産力では,社会の多数派の人たちが,「自由」を感じられるような物質的・時間的な余裕を得ることは無理でした。
 それは,近代以前のすべての社会にあてはまることでしょう。

 古代ギリシアの奴隷は「商品」として売買されました。
 このように「人間が売買の対象になる」というのが「奴隷」ということです。

 そのような立場におかれた人たちは,世界史において広く存在しています。

 前近代の農民のかなりの人たちは,自分の住む土地を離れることはできず,その土地を支配する領主の所有物のように扱われました。領主によって土地といっしょに売買されることもあったのです。そのような不自由な農民を「農奴」と呼ぶこともあります。

 世界の歴史の流れは,かつては広くみられた「奴隷」的な立場の人たちを,だんだんと少数の「例外」にしていきました。

 ***

 そのような「世界史」の最先端に,現代の先進国の,民主的な社会があります。
 でも,そこにもやはり,「奴隷」はいます。

 ひとつは,違法なのだけど,いろんな事情で奴隷的労働を強いられている人たち。この人たちは,その労働がイヤでもやめることができない。普通の労働契約とはちがう状況で働いています。かなりの人たちは,背負った借金を返すために,そういう目にあっています。

 でも,現代の「奴隷」は,それだけではありません。
 奴隷という言葉は,「売買の対象となる人間」ではなく,もっと広く「自分の意志に反することに従わざるを得ない人」と定義することもできます。

 そのように定義すると,「奴隷」の状態を経験したことのある人は,世の中にたくさんいるのではないでしょうか。

 たとえば中学のころ,「アイドルの写真を学校に持ってくるのは禁止」というルールがありました。そういうことを生徒会で決めたりする。
 写真がみつかると没収されるので,不本意だけど好きなアイドルの写真を持っていくのをやめる……ささやかなことですが,そういうのだって,「意志に反することに従う」という意味で,「奴隷」的です。

 もう少し重たい例だと,喫煙者が今の「禁煙」の拡大の中で,タバコを吸うことをいろんな場でガマンする,というのはそうです。これも,意に沿わないことを強いられているのだと思います(なお,私はタバコは吸いません)。

 さらにずっと大きなことだと,自分の村や町にダムができる,原発ができる,「基地」ができる,といったことがあります。

 こういうとき,「賛成」と「反対」があり,結局は多数決で決まるわけですが,そのときの少数派の人たちは,深刻なかたちで「意志に反することに従う」のを強いられるわけです。不本意なかたちで,生活を大きく変えないといけないのです。

 前回の記事(2013年11月9日)で述べた「古い団地の建て替え」も同様です。
 その記事で述べた「諏訪団地」は,9割以上の賛成で建て替えとなりましたが,全員が賛成だったわけではありません。ということは,涙をのんだ少数派がいたわけです。その人たちも,不本意なかたちで自分の住まいや生活を大きく変えることになりました。

 もっと広い範囲にかかわる話だと,「税金」のことはまさにそう。今回の消費税アップに納得できない人も,国会で決議されたことであれば,従わざるを得ません。

 ***

 以上のような,現代における「奴隷」的状態には,たいていは「民主主義」「多数決」がかかわっています。

 多数決は民主主義の「最重要ツール」といっていいでしょう。

 2013年10月31日の記事「民主主義とは,政治的な意思決定に対し,それに従う多数派が参加すること」だと述べました。
 古い社会では,政治的なことは1人か少数の権力者が決めていました。それ以外の「ものごとの決め方」といったら,話し合いで折り合いがつかなければ,「多数決」くらいしかありません。多数派の人間がみんなで意思決定するのだから,そうなります。

 しかし,多数決というのは,決議での決定に反対であった少数派をも,その決定に従わせるのがふつうです。つまり,少数派を「奴隷」的な状態におく面があります。

 私が尊敬する学者の板倉聖宣さんは,1980年代に書かれたエッセイで「最後の奴隷制としての多数決原理(あるいは民主主義)」ということを,述べました。(「最後の奴隷制としての多数決原理」『社会の法則と民主主義』仮説社,1988)

 たとえばこんなことを,板倉さんは述べています。

《…私は,〈多数決というのは,もともと少数派を奴隷的な状態に置く決議法である〉という理解のもとに,〈できるだけ決議をしないことが大切だ〉と考えています。〈決議をするときは,少数派を奴隷にしなければならないほどに切実なことだけを決議しろ〉というのです。》(『社会の法則と民主主義』45ページ)

 そして,《民主主義の恐ろしさを知って民主主義を守る》ことが大切である,と言います。

《…私は――今のところ民主主義よりもいいものがない以上――その民主主義を守るために,〈民主主義は時によってはもっとも恐ろしい奴隷主義にもなりかねない〉ということを承知の上で事にあたる人々が増えることを期待して止まないのです。》(49ページ)

社会の法則と民主主義―創造的に生きるための発想法社会の法則と民主主義―創造的に生きるための発想法
(1988/06/10)
板倉 聖宣

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 ここで述べてきた「奴隷」の定義や,「現代の民主主義で〈少数派〉という奴隷が生じる」という考え方を,私は板倉さんのエッセイで知りました(学生時代のことです)。

 板倉さんのエッセイは,30年ほど前の,今よりもずっと「民主主義」という言葉に権威や信頼感があった時代のものです。その発想の先進性や鋭さには,やはり驚かされます。民主主義のさまざまな側面を,簡潔にやさしく述べた「民主主義の取り扱い説明書」として,ぜひ読んでみてください。

 ***

 板倉さんの論から,私はつぎのように考えました。

 今の民主主義というのは,社会のそれぞれの人たちが,その立場や状況に応じて一種の「パートタイム」で「奴隷」になっているのではないか

 「持ち回りの奴隷制」といっていいかもしれません。

 民主主義とは,「持ち回りの奴隷制」ということ。

 現実の社会では,じつは特権的な人もいて,「持ち回りの奴隷制」の輪の外にいたりするかもしれません。しかし,民主主義がめざす理想としては,「みんなが等しく〈持ち回り〉で〈パート奴隷〉を引き受ける」ということなのでしょう。

 でも,「パート」であっても,やはり「奴隷」はイヤです。

 だから,「奴隷」がまわってくる機会をいかに減らすかが,今の文明の課題です。
 そのための最大の手段は,技術革新や生産性の向上です。

 極論をいえば,みんなが欲しがるものをローコストでいくらでも生産できるようになれば,あるいはどんな病気でもすぐに治せるようになったら,また,なんでも面倒なことをやってくれるロボットが普及したら,人びとに「奴隷」を強いる必要はほぼなくなるでしょう。

 しかし,今の科学技術は,そこまでいっていません。
 そしてさらに,現代では「民主主義」の思想が一層深まってきて,「少数派を奴隷状態におく」ことへの反省や疑念が多少は自覚されるようになりました。
 また,「少数派」の自己主張というのもつよくなっています。そして,「自分が割を食う,苦しめられる」ことに対する抗議の声も,昔より相当強くあがるようになりました。要するに「みんなうるさくなった」ということ。

 だから,現代の社会では,「奴隷」を引き受けてくれる人をみつけるのが,以前よりも難しくなっているのです。

 でも,社会は一定の「奴隷」を,今も必要としています。「何でもやってくれるロボット」ができていない以上,そうなのです。どうすればいいのか……

 ***

 現代の民主主義では,ある種の新しい「奴隷」が発見され,そのフロンティアが開拓されたのだと,私は思います。

 その「新しい奴隷」とは,「未来の世代」です。


 放漫な国家財政で,今現在の自分たちのニーズを満たし,そのツケを将来の世代にまわすということが,現代の先進国では行われがちです。

 それはおもに,高齢化のなかで社会保障費(おもに高齢者の福祉)が大幅に増えるというかたちでおこっています。

 そのような財政であっても,若い世代は驚くほどおとなしいです。現代の先進国の政治で多数派である高齢者の決めたことに対し,大きな反発はおきていません。とくに日本ではその傾向が顕著です。

 そして,子供や赤ん坊やまだ生まれていない世代には,このことに関しなんの発言権もありません。「そんな財政赤字を積み上げるのはやめて」とは,絶対言わない。彼らは「多数決」の外にいるのです。その点では,ギリシアの奴隷と同じです。

 高齢者や,それに近い大人世代は,未来の世代を「奴隷」にしている。
 これが,現代における「民主主義」の到達点。
 
 ずいぶん「どぎつい」言い方なのかもしれませんが,重要な視点だと思っています。不快かもしれませんが,少しは意識すべき見方だと思うのです。
 
(以上)  
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2014年05月14日 (水) | Edit |
 今日5月14日は,社会運動家ロバート・オウエンの生まれた日。共産主義的な思想にもとづく「理想の村」をつくった人物です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

***

オウエン

「理想の村」のむずかしさを実証

 ロバート・オウエン(1771~1858 イギリス)は,裸一貫から身をおこして,紡績工場の経営者になりました。すぐれた手腕で事業を成功させただけなく,労働者の待遇改善や教育・啓蒙にも熱心に取り組みました。
 彼にはさらなる理想がありました。やがて彼は私財を投じ,「私有財産を否定した,すべてが共有の〈理想の村〉」をアメリカの田舎に建設しました。
 しかし,この村は労働が非効率で,経済的に行き詰まり失敗。
 再びイギリスでも「理想の村」づくりに取り組みましたが,また失敗。
 結局,財産をあらかた失いました。
 それでも,自分の主義主張を捨てずに言論活動を続け,貧しいまま亡くなりました。
 オウエンは,理想主義だけではない,経営の経験や才能のあるすぐれたリーダーでした。
 その彼でさえ,すべてを共有財産で運営する「理想の村」は経営しきれないのです。彼の生涯は,「その理想がいかに無理なものであるか」を示す実験だったともいえるでしょう。

参考:土方直史著『ロバート・オウエン』(研究社,2003),オウエン著・五島茂訳『オウエン自叙伝』(岩波文庫,1961)

【ロバート・オウエン】
「理想の村」の実験を行った社会運動家。アメリカで共産社会「ニューハーモニー」の実験を行う(1825~28年)。のちのマルクス主義による評価では,サン=シモン,フーリエと並ぶ「空想的社会主義者」の1人。「空想的」というのは,マルクス主義の立場からみて「社会・経済についての体系だった学問的理論を持っていない」という意味。
1771年5月14日生まれ 1858年11月17日没

 ***

 私有財産に背を向ける,あるいはその限界を超えようという考え方は,昔からあります。
 そのかつての代表は,社会主義の理想。
 今なら「共有」「シェア」の思想というものがあります。「共有」の思想に基づくコミュニティの実験は,今もどこかで行われています。

 「共有」「シェア」の部分を取り入れることによって,私たちの暮らしがより豊かになる,ということはあると思います。
 たとえば自家用車の「シェア」ということは,短期間のうちにある程度普及して,一定のニーズに応えています。社会全体にとっても,ムダが減るなど,ある種の「最適化」をもたらす面があります。
 
 私の好きな世界だと,図書館は「共有」の古典的なものです。公共図書館は,みんなで共有する蔵書であり,書斎です。充実した図書館が近所にあるなら,それをうまく利用すれば,私たちの暮らしはより豊かになるでしょう。
 私も,図書館をときどき利用しています。

 でも,あくまで自分の蔵書や書斎を補うものとしてです。
 私の読んだり書いたりする活動のベースは,やはり自分の蔵書です。

 もしも,自分の蔵書がなくなってしまって,そのかわりに図書館を使え,といわれたら困ります。
 その図書館がどんなに充実していても,まっぴらという気がします。
 充実した公共サービスであっても,そこにはいろんな制約があります。他人の考えに合わせないといけない部分が出てきます。大事な自由が奪われている感じがするでしょう。

 「自分の蔵書のない,図書館だけの世界」を考えると,私は息が苦しくなる。
 
 みなさんも,自分の好きなものについて「自分の所有の〇〇がない,共有の〇〇だけがある世界」を想像してみてください。息が苦しくなりませんか?

 「共有」「シェア」とは,あくまで「自由に使用・処分ができる個々人の所有物」を補完するものではないでしょうか。「補完」という枠を超えて,社会の全体や大部分を「共有」にしてしまうのは,やはり無理がある。

 そんな社会主義的な世界をつくったとして,その巨大な「共有」財産の運用については,どうやって決定するのか? 
 民主的に決める? 
 民主的って,多数決のこと? 
 そうだとして,多数でない少数派の人の意思はどうなるの? 
 社会のおもな部分がすべて「共有」だったら,少数派の人には逃げ場はないのでは?

 「すべてが共有の理想の村」の実験を行い,挫折したオウエン。その生涯をみていると,以上のような「共有」の限界や「息苦しさ」について考えてしまうのです。

 ***

 「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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四百文字の偉人伝四百文字の偉人伝
(2013/02/04)
秋田総一郎

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(以上)
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2014年05月11日 (日) | Edit |
 前回の記事で,秋田県のある城下町を歩いた話をしました。そして,町のあちこちでみかけるお店や自営の看板をみながらつぎのように思った,と書きました。

 「地方経済はどうなるのか,どうあるべきか」みたいなことはおいておきます。
 とにかく,「みんな,何かして暮らしてるんだなー」と。
 自分も,何かの「生業(なりわい)」で生きていかないといけない……


 この「生業」という言葉について,読者の方(かずゆきさん)から,つぎのコメントをいただきました。

 「生業(なりわい)」と「職業」には何となく違いを感じます。
  生計を立てようとするとき,いろいろな仕事をして生計をたてるのが,「生業」で,1つの仕事に集中して働き生計を立てるのが「職業」というイメージがあります。両方とも生きるため,ということには変わりがないのですが。
  知り合いに,島に暮らしている人がいて,畑で農業をし,海で漁師をし,公共事業で土木作業員をして生計を立てていました。とても明るく過ごされていました。何でもできてすごいなあと思ったものでした。


 たしかに,「生業」という言葉には,「いろいろなことをして生計を立てる」というニュアンスがあります。

 「農業をしながら漁師をして土木作業員もしている」というのは,まさにそうです。
 「田舎」といわれるところでは,それがかなり一般的なのではないでしょうか。

 私の親戚の何人かは,相当山深いところに住んでいます。その本人(叔父)はサラリーマンだったりするのですが,周囲には複数の「生業」で暮らす人が多いと聞きます。「専業農家」や「会社勤めだけ」という人は少ないのです。

 私が歩いた城下町の自営業の方たちも,その商売だけで食べている人ばかりではないでしょう。本人や家族が何かの勤めをするなど,ほかの仕事と兼業であることも,かなりあるはずです。

 そのような「自営」の仕事は,「生業」という言葉がしっくりくると思います。

 ***

 生業という言葉の意味あいや意義について,私がとくに意識するようになったのは,伊藤洋志『ナリワイをつくる』(東京書籍)という本を通してでした。

ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方ナリワイをつくる:人生を盗まれない働き方
(2012/07/02)
伊藤 洋志

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 著者の伊藤さんは1979年生まれ。大学院を出たあとベンチャー企業勤務やフリーランスの記者を経て,2007年から《個人が小さい元手ではじめられる頭と体をつかう仕事をテーマにナリワイづくりを開始》したとのこと。

 今は,小さな「一棟貸し」の宿の経営,「モンゴル武者修行ツアー」の主宰,田舎暮らしについて学ぶワークショップの主宰,古い木造校舎を使った手づくりウェディングの企画運営等々の「ナリワイ」を行っているそうです。

 伊藤さんのいう「ナリワイ」とは,上記にあるように「個人が小さい元手ではじめられる頭と体を使う仕事」です。ひとつひとつから得られる収入はかぎられていて,それらを複数組み合わせて食べていく……そんなイメージです。

 伊藤さんは,こう述べています。

《ナリワイで生きるということは,大掛かりな仕掛けを使わずに,生活の中から仕事を生み出し,仕事の中から生活を充実させる。そんな仕事をいくつもつくって組み合わせていく。いわば現代資本主義での平和なゲリラ作戦だ》(同書27ページ)

 「ナリワイ」というのは,そういうざっくりした考え方。
 明確な定義があるわけではない。

 その点については,伊藤さんはこう述べています。

《あえて言えば,ナリワイは「弱いコンセプト」なのである。会社で使おうものなら,「詰めが甘い!」とか,「落とし込みが足りない!」と叱責されそうだが,強いコンセプトでは越えられない状況を越えるには,あえて弱いコンセプトにとどめておく事が大事だとも考えている》(同書58ページ)

 関連図書として,藤村靖之『月3万円ビジネス』(晶文社)という本もあります。
 この本の著者の藤村さんには,伊藤さんも学んだといいます。

月3万円ビジネス月3万円ビジネス
(2011/07/02)
藤村靖之

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 こちらも,「複数の,小規模な仕事・ビジネスを組み合わせて生計を立てていく」ということがテーマです。「月3万円の粗利が得られる小さなビジネスを10個も持てば,食べていける」という考え方や,そのようなビジネスの事例について述べています。

 「ナリワイ」という考え方は,今は新鮮な視点だと思います。
 しかし,いずれ「おなじみ」になっていくのではないでしょうか。

 経済の停滞・低成長が続くなかで,「ナリワイの組み合わせで生きる」人は増えていくはずです。
 安定した,十分な収入が得られる「正社員」的な仕事が,手に入りにくくなっているのですから。また,「正社員」の仕事が,以前よりも「疲れる」「重たい」ものになっている,ということもあるでしょう。
 
 そして最初は,伊藤さんのように積極的に「ナリワイで生きる」ことを選ぶ人が,その道を切りひらくのでしょう。
 しかしやがては,「否応なく」という人が増えていくのではないか。

 あるいは,すでに「否応なくナリワイで生きている」という人が増えているなかで,伊藤さんのように「ナリワイ」の可能性や意義を掘り下げる人が出てきた,ということなのかもしれません。
 
 ***

 私は,10年近く前にサラリーマンを辞め,会社をつくりました。しかし,その会社からは撤退してしまい,その後は「専業」という意味での「職業」は持っていない,といえます(それにしても,創業にかかわったその「会社」は,「ナリワイ」の対極にある,まさに「大掛かりな仕掛け」そのものでした…)。

 そこで,自分なりの「ナリワイ」をつくっていかないといけないと思います。そのための試行錯誤も,少しだけはしていますが,まだまだ。これからの課題です。

(以上)
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2014年05月09日 (金) | Edit |
金萬
秋田名物「金萬」

 このゴールデンウイークは,妻の郷里の秋田県に,夫婦2人で行ってきました。
 帰省するたび,義父はクルマで県内の観光に連れて行ってくれます。

 今回はどこへ行こうか。話し合って,県内のある城下町を訪ねることにしました。妻の実家の農村地帯からクルマで1時間半の,人口10万ほどの町。父も,ほとんど行ったことがないそうです。

 その町の郊外には,美術館などの文化・観光施設がまとめて建てられた一画があります。
 まずはそこへ行って,それから市内に,という予定でした。

 でも,施設につながる道はクルマが列をなしている。「混んでいるから,やめておこう」ということになって,まっすぐ市内に向かいました。

 まず,市の中心のJRの駅前へ。そこで観光案内所に行き,いろいろ教えてもらいました。

 駅前を「市の中心」といいましたが,JRの駅周辺がはっきりと「中心」であったのは,昭和の時代の話。
 近年は,郊外のショッピングセンターや,ロードサイドのお店のほうがにぎわっていたりします。
 その駅も,駅の周辺も,人通りは多くありません。

 駅近くの公共駐車場にクルマを停め,父母と私たち夫婦4人で,数時間ほど町を散策しました。

 名物のB級グルメを小さな中華食堂で食べ(おいしかった),町の伝統文化を紹介する施設に行き,古い街並みが残る一画を歩く。駅前のホテルのラウンジでコーヒーを飲んだりもしました。

 ガイドに載っている「スポット」を渡り歩いたわけですが,スポットそのもの以上に,街中を歩くことじたいが,たのしい。

 父は最初「市内を歩いたって,みるものはないんじゃないか」と言っていました。
 たしかに,「なんでもない風景」といえば,そのとおり。

 でも,古い商家がぽつんと残っていたり,小さなお寺をみかけたりします。
 「昭和」な感じの,お茶や茶器を売る立派なお店があったり,その横には大きな魚屋さんがあったり。

 町を歩いていて,「商店・飲食店や自営業の看板が多いなー」と感じます。

 肉屋,ケーキ屋,居酒屋,洋食屋,旅館,理髪店,洋品店,雑貨屋,英会話教室,工務店,墓石店,歯医者,自動車用品の店……考えられるかぎりのお店がある。古い店もあれば,イマドキな構えの店も。さびれた店もあれば,活気を感じる店もある。それらが,人の住むエリアの中にあるのです。チェーン店はほとんどなく,個人営業が中心。

 人が暮らしているんだから,いろんな店が並んでいるのは,あたりまえといえばあたりまえです。

 でも,私の住む東京の多摩地区にはあまりない光景です。私の住む町では,人が住む地域と商業の地域は分かれています。お店も,新しい・大企業のチェーン店ばかり。

 「地方の経済は,たいへん苦しい」といわれます。
 たしかにそうなのでしょう。そのことは,経済の本や統計からも,年輩の人の「昔はこの町もにぎやかだった…」といった思い出話からもわかります。
 
 私たちの歩いた,この町の商店や駅前も,昭和の時代にはもっとにぎやかだったにちがいありません。でも,今はかなりひっそりとしています。

 私は就職・キャリア関係の仕事をしていることもあり,地方の就職の状況も,多少はわかります。地方での,安定した正社員の職は,やはりかぎられています。「公務員の職があった」といっても,パートや契約職員だったりする。

 しかし,それでも人びとは何とかして,何かをして食べている。
 多くの商店や自営の看板をみていると,それを感じます。

 それぞれの商売は,それだけでは食べていけないのかもしれない。何かの勤め(パートの仕事かもしれない)との兼業でどうにか,ということもかなりあるでしょう。

 でもとにかく,自分の「生業(なりわい)」をみつけて,やっているわけです。
 自営で雑貨を売ったり,散髪をしたり,電気工事をしたり,英語を教えたり,ほかの人が求める何かを提供して,収入を得ているのです。

 「地方経済はどうなるのか,どうあるべきか」みたいなことはおいておきます。
 とにかく,「みんな,何かして暮らしてるんだなー」と。
 自分も,何かの「生業」で生きていかないといけない……

 そんなことを感じながら,町を歩きました。

 父も散策の後半からは,「なかなかおもしろいね,美術館などに行くよりよかった」と言ってくれました。
 
 知らない町をぶらぶら歩く。観光スポット以外の光景をじっくりみる。これはおすすめです。


昭和な店
町に残る昭和な店構え

橋の上から
町を流れる川

(以上) 
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2014年05月07日 (水) | Edit |
 ゴールデンウィークも終わりました。私は4日から2泊3日で妻の郷里へ行き,昨夜帰ってきました。
 今回は,仕事開始にちょうどいい「名言」かもしれません。
 
【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)

ウィンストン・チャーチル(第二次世界大戦時の英国の首相,1874~1965)

われわれの仕事を行うには,
大量の書類を読む必要がある。
だが,ほとんどの書類が長すぎる。


 何かの計画にせよ報告にせよ,ほとんどのことは書類1枚程度で伝えられる。
 できないなら,考え・内容が混乱しているのだ。その仕事を見直す必要あるのでは?

 書類の山

 **

 この言葉は,木下是雄『理科系の作文技術』(中公新書)で知りました。おすすめの名著です。

理科系の作文技術 (中公新書 (624))理科系の作文技術 (中公新書 (624))
(1981/01)
木下 是雄

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 同書の冒頭にこの言葉が引用され,出典(英書)も示されています。私が持っている2,3冊のチャーチル伝には,この言葉はみあたらなかった。

 この言葉は,1940年に首相に就任したチャーチルが,政府の各部局に送ったメモからのもの。
 1940年というのは,英国がナチス・ドイツの脅威に直面していたとき。ひとつ間違えば,英国はドイツに征服されかねない状況でした。そのような「危機の時代」に首相となったのが,チャーチルでした。

 メモには,「文書の書き方に」について,具体的なつぎの指示があります。

《1.報告書は,要点をそれぞれ短い,歯切れのいいパラグラフにまとめて書け。

2.複雑な要因の分析にもとづく報告や,統計にもとづく報告では,要因の分析や統計は付録とせよ。

3.正式の報告書でなく見出しだけを並べたメモを用意し,必要に応じて口頭でおぎなったほうがいい場合が多い。

4.次のような言い方はやめよう。:「次の諸点を心に留めておくことも重要である」,「……を実行する可能性も考慮すべきである」(以下略)》


 **

 1930年代末,ヒトラーのナチス・ドイツは,つぎつぎと周辺諸国を軍事力で制圧していきました。

 そのようなナチスに対し,英国の政府は,当初は強硬な対応はとりませんでした。「ある程度好きにさせれば,ヒトラーも満足しておとなしくなるだろう」という見通しのもと,「ヒトラーとの妥協点をさぐるほうが,平和的で得策だ」という意見が有力だったのです。

 これに対し,「ヒトラーは極めて危険だ,徹底抗戦すべきだ」と主張したのが,チャーチルでした。
 「ヒトラーの危険性」が明らかになる中で,チャーチルは首相となりました。そして,強烈な意思とリーダーシップで,ナチスとの戦争を指導しました。

 上記の「文書を短く」と指示するチャーチルのメモは,当時の「緊張感」が背景にあるのでしょう。

 チャーチルほどの重たい危機感や緊張感は,私たちには縁遠いとは思います。
 でも,書類ひとつにしても,ピシッと引き締まったものを出していきたいですね。

(以上)
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2014年05月04日 (日) | Edit |
 「世界遺産」への登録が確実になった,群馬県の富岡製糸場がおおぜいの見学客でにぎわっているといいます。GWの人気スポットになっている。
 そこで今回は富岡製糸場の話を。

 富岡製糸場は,1872年(明治5)に開業した,官営の「模範工場」のひとつです。蚕の繭から絹糸をつくる工場。
 明治政府が,西洋の近代産業を日本に導入するための「モデルケース」としてつくったのです。経営も政府が行いました。

 この辺までは,かなりの人が,だいたいのことであれば知っています。

 では,その後富岡製糸場がどういう経営状態だったかについてはご存じでしょうか? 順調に利益をあげていた? それとも赤字だった?

 「だいたいにおいて大幅な赤字だった」というのが,答えです。

 巨額の投資をして,高給の外国人技術者を雇い,従業員も比較的恵まれた条件。とにかくコストが高い。この工場でおもに用いられた,輸入品の最新機械設備は,当時の日本にとってはあまりにも高価でした。さらに官営ならではの非効率な運営もあり,その経営はうまくいかなかったのです。

 これは,当時の日本でいくつかつくられた,官営工場に共通することでした。

 そこで政府は1880年代以降,官営工場を民間へ払い下げていきます。富岡製糸場は,1893年(明治26)に三井家に払い下げられました。

 もちろん,経営がうまくいかなかったとしても,官営工場は「日本の産業の近代化」にとって大きな役割を果たしました。「これが近代的な産業というものだ」ということ,その「威力」というものを,人びとに実物で示したのです。

 そして,官営工場に学んだ(あるいは影響を受けた)民間人の中から,当時の日本の「現実」にあわせた近代的工場をつくる人たちが出てきます。

 たとえば,諏訪(長野県)の中山社という企業は,まさにそうでした。中村隆英『日本経済 その成長と構造(第3版)』(東京大学出版会)には,こうあります。

《中山社はすべての設備を近隣の大工,加治屋の手でつくらせた。木にかえられるところはすべて木を用い,鉄を使わない。いかに資本節約的になったかは,富岡では模範工場とはいえ,300釜で19万円余の設備費を要したのが,100釜の中山社の総設備費が1900円にすぎなかったといわれているところにあらわれている》(77~78ページ) 

 中山社が,日本の実情にあわせて工夫して設備をつくったら,富岡製糸場とくらべ(もしも同じ規模の設備なら)「数十分の1」のコストでできた,ということです。

 そのようなコストダウンができたからこそ,日本の製糸業は,競争力のある産業として成立していくわけです。

 以上の「官営工場の限界」や「民間によるコストダウン」については,原田泰『世相でたどる日本経済』(日経ビジネス人文庫)で,はじめて知りました。原田さんは,つぎのように述べています。

《…経営的にはうまくいかなくとも,これらの官営模範工場は新しい技術,生産様式の力を人々に示した。その意味で模範工場は模範であった。
 しかし,欧米から導入された新しい生産技術を日本の状況(低い労賃,高い資本財価格)に適応させる努力は,むしろ民間の企業家によってなされた》(86~87ページ)


 ***

 発展途上国が「近代化」するときの大きな壁に,「先進国の技術を,自国の現実に適応させる」という課題があるはずです。
 
 外国から先進技術を導入して「模範工場」をつくる――ここまでは,多くの国の指導者が行っています。そして,その「模範工場」はたいていの場合,赤字を垂れ流して終わるのです。
 そこから先の「自国の現実への適応」というところまで,なかなか進めない。ここは,むずかしい課題なのです。

 しかし,明治の日本人は,その「課題」をクリアすることに成功しました。
 中山社は,そのような(少なくとも一定の)成功事例のひとつということです。似たことが,ほかの場所や分野でもあるでしょう。

 「後追い」で近代化を行う国にとって,成功のカギは「中山社のようなケースがどれだけ出てくるか」なのです。

 ところで,私は知らないのですが,中山社の設備は,今どうなっているのでしょう? 少しだけ検索してみたけど,よくわかりませんでした(調べ方が足りないのかもしれませんが)。

 明治時代のものが何か残っていて,それなりの展示がされているのかもしれません。でも「世界遺産登録」などとは無縁な状況でしょう。
 コストを削って地味に・堅実につくった工場なのです。もしも残っていたとしても,観光スポットとして,富岡製糸場ほどの「華」はない。

 でも,そもそも「歴史において,ほんとうに革新的で重要な営み」というのは,「観光スポット」にはなりにくいのではないでしょうか。

(以上)
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2014年05月03日 (土) | Edit |
 今日は憲法記念日。
 そこで「憲法は何のためにあるのか」について,基本をコンパクトにまとめた記事を。

 以下はそういちカレンダー2014からの抜粋です。これは,昨年末につくって販売した,雑誌感覚の読むカレンダー。その中に【大コラム】という,いちばん長文のコーナーがあって,そこからの記事。

 ***

憲法は何のためにあるのか

 憲法の一番の目的は「国家権力の暴走やエラーを防ぐ」ことです。

 国家・政府というものは,社会にとって必要です。
 でも,それが暴走することもあり得ます。
 政府は大きな力を持っているので,暴走したら恐ろしいです。
 
 国家権力が暴走すると,大事なものが侵されます。
 それは「基本的人権」です。
 別のいい方をすると,国民の幸福や,幸福を追求する権利が侵される。

 基本的人権が侵されないように,国家に対し縛りをかける。憲法に定める,政府のしくみの基本である「三権分立」は,そのためのものです。政府の機構を立法(≒国会)・行政(≒官僚機構)・司法(≒裁判所)の3つに分け,立法や行政が法に違反したら,司法がこれに「待った」をかけることができるのです。

 司法の判断の最終的な拠りどころが,「最高法規」である憲法です。

 日本国憲法には,「表現の自由」のような,いくつかの基本的人権を定めた条文があります。

 そして,それらの人権を抽象的にまとめた「幸福追求権」を定めた憲法第13条があります。
 「すべて国民は,個人として尊重され,…生命,自由及び幸福を追求する…権利については,…最大限の尊重を必要とする」とあるのです。

 この「13条」的なことがらを守るため,憲法があります。
 国家権力といえども,憲法を頂点とする法に従って行動しないといけない。
 その行為が基本的人権を侵すものであってはいけない。
 
 こういう考え方を「立憲主義」といいます。

 日本国憲法について考えるなら,立憲主義の考え方や憲法13条の重要性を,まずおさえたらいいと思います。
 
 でも,学校の授業やよくあるマスコミ的議論だと,第9条(戦争放棄)あたりから入ることが多いです。
 
 9条はたしかに重要です(憲法にあることは,たいていは重要です)。
 しかし,憲法の基礎や原理という観点では,13条にくらべれば「各論」的な問題,つまり枝葉だとみることもできます。「国歌や国旗」といった問題も,そうです。

 もちろん,あくまで基本的人権という「幹」のことにくらべれば,ということですが。

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 「家族のあり方」「国の伝統」についての積極的な主張を憲法に盛り込むべきだ,という意見もあります。しかし,これらのことも,「憲法」にとっては主題とはいえない「枝葉」ではないでしょうか。
 そのテーマじたいは重要です。しかし,「憲法」以外の場所で論ずべきことではないか,ということです。

 憲法という器に「世の中,こうあってほしい」という想いをあれこれ盛り込もうとするのは,気をつけたほうがいいです。そのことで,「国家権力の暴走やエラーを防ぐ」という一番大切なことがぼやけたり,歪められたりする恐れもあるのです。

  国会議事堂と日の丸

(以上)

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2014年05月01日 (木) | Edit |
 今朝(5月1日)の日経新聞のコラム『春秋』に,「万有引力」の発見者アイザック・ニュートン(1642~1727)のことがとりあげられていました。

 80年ほど前に,経済学者ケインズがオークションでニュートンの遺稿を落札し,それを検討したところ,遺稿の大半を占めていたのは怪しげな錬金術に関する文書だった。ケインズによればニュートンは「最初の近代科学者」というより「最後の魔術師」である。

 「錬金術」とは,中世に流行した魔術的な化学の研究のこと。だからケインズにいわせれば,ニュートンは「最後の中世人」といってもいいでしょう。

 コラムの筆者は,このような《ケインズのニュートン評は面白い》と述べています。

 コラムのしめくくりは,こうです。

《今の科学者の仕事の現場は,ニュートンの時代に比べると様変わりした。厳密な手順に沿った実験を踏まえてデータを整え,論文を書き上げなくてはならない。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大教授が以前に発表した論文をめぐって反省の意を表明したのは,科学の水準が高くなった証しともいえようか》

 ちょっと待ってください。

 ニュートンは,錬金術の研究を机の中にしまったまま,終生公表しなかったのです。
 それが,「科学研究として公表できる代物ではない」とわかっていたからです。

 多くの錬金術師が「金の合成に成功した」などと誤ったことをいいましたが,ニュートンはそんなことはいいませんでした。

 つまりニュートンは,「科学」と「非科学」を区別できる正真正銘の科学者だったということ。ニュートンのことを「魔術師」と誤解する人たちなどよりも,ずっと「科学とは何か」を知っていたのです。

 このことは,科学史家・教育学者の板倉聖宣さんが述べています。

《最近は「ニュートンは,光学や力学や微分積分以上に錬金術やキリスト教的年代学に凝っていた」ということが明るみに出されるようになりましたが,じつはニュートン自身はそれらの「いかがわしい」研究については,その「研究成果」をひとつも公表していないのです。だから,彼のそういう研究をあまり強調するのは行き過ぎとも思えます。自ら公表しなかったアイデアまで問題にされたら,大科学者などというものはみな〈怪しげな思想家〉とされてしまいます》(『科学と科学教育の源流』仮説社,154ページ)

 ニュートンの時代から,ホンモノの科学者というのは,「科学とは何か」について知っていたのです。

 今の時代,たしかに科学研究は精緻化・厳密化が進んだのでしょう。
 しかし,多くの人たちのあいだでは,依然として「科学とは何か」ということは,はっきりしていない。大新聞のコラムを書くような教養人でさえ,たぶんそうなのです。「未公表のアイデア」と「公表した研究」をごっちゃにしてしまうのですから。
 山中教授が「反省の意」を表したのは,それが「公表した研究論文」でのことだったからです。

 「科学とは」ということは,基本的なイメージだけなら,そんなにむずかしい話ではありません。でも,私たちの知識・認識の「穴」なのかもしれません。

(以上)
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