2014年10月28日 (火) | Edit |
 築30数年の古い団地をリノベした我が家。
 近く,我が家のオープンハウスを下記の内容で開催いたします。
 「オープンハウス」とは,家を開放して,希望する方にお見せすること。

 つぎのような「2部構成」で行います。
 第一部・第二部のどちらかに参加するもよし,両方に参加するもよし。

 ***

「昭和の公団」オープンハウス

 開催日:2014年11月29日土曜日
 場所:このブログの著者そういちの自宅(東京都多摩市内の団地)
     申込み方法・集合場所などのご案内は,この記事の末尾に
 参加費:無料

     
〇第一部 オープン本棚  11:00~13:30(途中のお帰り自由)
  リノベした我が家のあちこちにつくりつけた本棚。
  そこにある本(5000冊くらいあります)を自由に手にとってご覧いただきます。
  私そういちが,ご案内・解説いたします。

〇第二部 団地リノベ見学+建築家寺林省二さんミニ講演 13:30~15:30ころ
  我が家の団地リノベについて詳しく見学。
  設計者である建築家・寺林省二さんが解説してくださいます。
  皆で見学したあとは,寺林さんと私そういちによるミニ講演。
  リノベの体験談や考え方などについてお話しします。質疑応答・座談会も。

〇参加申し込み方法
  下記の内容で
  so.akitaあっとgmail.com のアドレスまでメールをお送りください
  (「あっと」は@)
  ・メールのタイトルは「オープンハウス参加」
  ・お名前   
  ・「第一部のみ参加」「第二部のみ参加」「両方参加」のどれであるか
   お書きください

   お申込みへの返信で,さらに具体的な集合場所などの
   ご案内をさせていただきます。
   集合場所は多摩市内の最寄駅。
   そこから徒歩5分ほどで「オープンハウス会場」です。
   第一部:11:00集合  第二部:13:30集合

〇その他のこと
  ・「第一部・第二部両方参加」の方は,お弁当などご持参ください。
   それを我が家で召し上がっていただくということで。
   お茶・コーヒーはありますが,食事はご用意していないので・・・

  ・第一部・第二部とも,お子さん連れでのご参加もオーケーです。

  ・定員は第一部,第二部それぞれ15名(10月31日追記)
      
 はじめての方も,そういちのお友だちの皆様も,どうぞおいでください。
 お待ちしております。

 ※リンク:寺林省二さんのブログ「日々」
      ・・・記事のなかに今回のオープンハウスのことや
        そういち自宅の写真へのリンクがあります

 ※リンクその2:くらしとどうぐの店musubiブログ
      ・・・今回のオープンハウスを紹介していただきました(11月13日追記)
   
  ***
 
 2012年10月に開催した我が家のオープンハウスの様子

  オープンハウス その4

  オープンハウス その3

(以上) 
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2014年10月25日 (土) | Edit |
  ミニマムな書斎のイメージ

 今日は天気のいい週末ですが,家のなかで遊んでいます。

 上の写真は「ミニマムな書斎(最小限書斎)」のイメージです。
 家のなかにあるものを組みあわせて,「お遊び」「仮のもの」としてつくってみたのです。
 「なかなかいい」と思います。

 今私は40代のおわりですが,若いころから「読んだり書いたりする場所」に関心を持ってきました。20年かけてに段階的に「設備」を拡充していった結果,現在の「団地の書斎」ができました。家のあちこちにつくりつけた本棚には,何千冊かがおさまっています。

 これは,これでいいのです。
 私は自分の「団地の書斎」が気にいっています。

 さらに「せっかくだから,これをオープンにしてほかの人と楽しめるようにできないか」などとも考えています。「オープンハウス」「オープン本棚」のイベントです。これは11月29日土曜日に,東京・多摩市の我が家で開催します(詳細の告知は次回の記事あたりで)。

 モノを抱え込むこと,設備を備えることは,それはそれで楽しい。
 ただし,自分にとって愛着のあるものを持たないと,「楽しい」ことにはならないでしょうが・・・

  書斎と本棚
  団地の書斎 狭いがミニマムとはいえない

 ***

 その一方で,「そんなに多くのモノがなくても,読んだり書いたりはできる」とも思います。
 「ミニマムな書斎」があれば,なんとでもなる。
 そのイメージを,具体的な「絵」にしてみたのが,いちばん上の写真です。

 「デスク」は,無印良品の折りたたみのローテーブルで,5000円くらいのもの。
 「本棚」は,これも無印のパルプボードボックスで,1000数百円。
 あと,ニトリで買った1000円くらいのテンピュール(低反発素材)の座ぶとん。

 「蔵書」は厳選した愛読書が何十冊かあるだけ。あとは電子書籍か,図書館で。紙の資料も,この写真くらいの最低限のファイリングは行うが,できるかぎり電子化する(本棚に入るくらいの小型のスキャナーがあればいい)。

 ファイリングは,ボックスファイルに,クリアファイルを数十冊立てておけば,かなりの書類が整理できる。
 机のうえには,パソコン以外はペン立てひとつがあるくらい。
 あとはタブレット端末。プリンターはあってもなくてもいい。

 こういう「ミニマムな書斎」は,快適だと思います。
 「身軽さ」や「すっきりした気持ち」を味わえるでしょう。
 うまく使えば,相当な生産性を発揮することができるはず。
 パソコンやインターネットのおかげです。

 知的なエネルギーを持っている人(とくに若い人)のなかには,すでにこの写真のような書斎を使って元気に活動する人もいるでしょう。

 これから「書斎」を持ちたいと思う人は,「まずはこのくらいで十分」ということです。パソコンや蔵書を除くと数千円のコストで,機能的な書斎を構築することができるのです。

 私もいつか「ミニマムな書斎」で,読んだり書いたりしているかもしれません。それも悪くないですね。蔵書や資料の電子化が,納得のいくかたちでできるなら,それもいい。
 そのときは積極的に「シンプル」「機能性」「快適」といったことを追求したいと思います。

 そして,「今持っているものがなくたって,身軽に楽しくやれる」とイメージすると,「自由」を感じます。モノに執着することからくる不安や苛立ちがやわらぐのです。

 私の場合は「書斎」でしたが,それぞれが自分の関心のあることで「ミニマム」を考えてみるといいと思います。「ミニマムな台所」「ミニマムなワードロープ」「ミニマムなオーディオまわり」など。

  関連記事:ファイリングの本棚

(以上)
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2014年10月21日 (火) | Edit |
 2人の大臣の辞任。ひとりは選挙民にうちわを配った。ひとりは選挙民が芝居をみる費用の一部を払った。いずれも公職選挙法が禁止する寄付にあたる可能性がある。

 公職選挙法や政治資金規正法の違反で,政治家が失脚したり起訴されたりするのは,何度もみてきました。
 そのたび,「私たちの法の支配は,まだまだ不完全だ」と思います。

 どういうことか?

 法に違反した場合,たとえ有力な政治家であっても,社会的制裁や法的処罰を受けるというのは,その点では「法の支配」や「法治」ということが実現しているといえます。

 しかし,一方で法の使い方に,恣意的な面はないでしょうか?
 それは,こういうことです。

 公職選挙法や政治資金規正法は,クリーンな政治を実現するために,それなりに厳しくこと細かに,政治のお金の流れを規制しています。なにしろ,うちわを配れば法に触れるのです。そのようなクリーンな世界をめざしているということです。

 それだけに,本気で守られることのない法律なのかもしれません。
 理想に現実が追いつかない,といってもいい。

 有力な政治家であれば,こまかく追及すれば,どこかで「政治のお金の流れ」にかんし違法な何かをしていることがみつかるのでは?
 政治家は「叩けばホコリが出るものだ」ということ。

 そう断言できる根拠があるわけではありません。
 でも,かなりの人が「それはそうかも」と思えるのではないでしょうか。

 もし仮に「政治家は,叩けばホコリが出るもの」だとしたら,日本の政治は,不安定な要素をつねにかかえることになります。
 反対勢力が特定の政治家を失脚させようと思えば,いつでもそれができる,ということですから。
 
 一定の「力」をもった勢力なら,敵対する政治家の「お金の流れ」をくわしく調べて,何らかの「違法」をみつけることができる。マスコミや世論がそれを追求する。あるいは検察が動く。
 敵対する政治勢力どうしで,かなり効果的な「足の引っ張り合い」ができてしまう。

 有力な政治家が足を引っ張られてばかりだと,まとまった政策は実現しにくくなります。とくに,大きな変革はむずかしくなるでしょう。

 もしそうだとすると,「政治資金規正法」や「公職選挙法」は,これでいいのか?
 考え直す余地はないものか。 

 もう少し,「理想」のレベルを妥協して,現実的に「守れそう」というところまで規制をゆるやかにしてもいいのかもしれない。そのかわり一線を越えた場合はきびしく罰することにするとか。
 それが正しいかどうかはともかく,議論はもっとあっていいのでは…
 
 でも,「〈政治のお金〉についての規制を緩和すべきだ」なんて,誰が言えるでしょう? 政治家や官僚としては,主張にしくいです。
 そんなことを言えば,つよい批判を受けるでしょう。選挙になれば,落ちてしまいそう。

 ***

 「政治のお金の流れ」だけではありません。

 世の中には「法のめざす理想」と「現実」に大きなギャップのある事例が,いくつもあります。
 たとえば,道路の速度制限,残業手当の支払い,未成年の喫煙・飲酒の規制のように,「違反」が日常茶飯事になっている(と思われる)ことが,けっこうあるのです。

 こういうケースは,ルールの中身や運用に,どこか「現実」にそぐわない面があるのかもしれません。
 その法がめざす「理想」は正しいのですが・・・

 昔の「生類憐みの令」や「禁酒法」ほどに,むちゃな「理想」をかかげているわけではありません。しかし,現実に対してどこか「無理」を強いているところはないか。
 少なくとも,そういう「疑い」をもって考えてみてもいいと思います。
 
 しかし,「理想をかかげて何が悪い」という考えもあるでしょう。
 「あるべき姿を示すのも,法のだいじな役割ではないか」というわけです。
 
 でも,「遵守されないのがあたりまえ」という「法」がはびこるとしたら,やはり社会にとって大きなマイナスではないでしょうか。それでは法というものが,あまりに「軽い」ものになってしまいます。

 みんなが法を守ること,法の適用や違反者の処罰が平等に行われることが,「法治国家」の条件です。
 その条件が崩れてしまう。

 違反する人間がかなりおおぜいいて,「誰を追求し・取り締まるか」が権力や利害関係者の都合による,というのでは「法治」としてのレベルが低いわけです。
 法が社会的な権威として力を持っているという意味では,一定の「法治」にはなっていますが,それだけではダメです。

 今回の「大臣の辞任」のようなケースに接すると,「日本における〈法の支配〉は,まだまだ発展途上なのだ」と,私は感じます。これを,もう少し進化させていかないといけない。「政治と金の問題がどうの」とか「説明責任が云々」というだけの話ではないと思うのです。

(以上)  
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2014年10月19日 (日) | Edit |
 古い団地をリノベした我が家。
 家の本棚のあちこちには「なごむもの」を置いています。
 たとえば,こんなものです。
 
  ネコとウサギと馬

  多面体サイコロとお手玉

  多面体サイコロ

  エッフェル塔と象さんとカバ

  ミー

  ソ連製マグ

  地球儀と豆本と瓢箪

 いかにもゆるい感じの,値打ちのなさそうなものばかりです(^^;)
 たしかに,これらの多くは数百円以内で買いました。あとは,もらったものや実家にあったもの。
  
 お手玉は,母がつくったもの(中にアズキが入っている)。
 エッフェル塔は,友だちのフランスみやげ。
 カラフルなマグカップは20数年前にいただいた,今はなきソ連製。
 20面体サイコロは,子どものころから実家にあった。
 ひょうたんは,亡父がつくったもの。

 2000~3000円した「高額」のものもあります。
 青いガラスのうさぎ,青のカバ,地球儀はそう。これは,少数派。

 でも,こういうものでも,たまに眺めたり手にとったりすると,なごむのです。
 お客さんとのコミュニケーションも生まれます。

 エッフェル塔をはじめてみた子どもは,たいてい関心を示します。「これなあに?」「なかに何がはいってるの?」「エッフェエルとう,っていうんだよね」などとといいます。
 お手玉は,子どもはもちろん,大人も「なつかしいね」などといって,手にとったりします。

 多面体のサイコロは,もともとは大小をヨコに並べていましたが,お客さんの誰かがいつの間にか写真のようにタテに重ねて置いていて,以来その置き方をしています。

 小さなネコやウマを,大人でも子どもでも「かわいい」といってくれることがある。
 大人は見過ごすような小さなゾウ(カバの背にのせている)も,子どもはちゃんと気が付いて,いじくったりする。

 ***

 若いころは,よけいなものを身のまわりに並べるのは,好きではありませんでした。
 でも,10年くらいまえから「よけいなもの」をぽつぽつと並べるようになりました。
 そして,「よけいなもの」でなく「なごむもの」になったのでした。

 本や雑誌で紹介されている「ステキな暮らし」をしている人たちにも,影響を受けました。

 たとえば,10年ほど前に買い,今も読みかえす『大橋歩の生活術』という本には,大橋さんの自宅に並べてあるさまざまな雑貨やアートや置物や拾ってきた石などの写真がありました。

  大橋歩さんの本から (2)

  大橋歩さんの本から

 大橋さんはイラストレーターで,1960年代から活躍する大御所。
 「ステキな暮らし」系の大先輩みたいな人です。
 写真にあった品々は,いかにも「センス」や「美」を感じます。
 お値段もそれなりものが,あることでしょう。

 
大橋歩の生活術 (Magazine House mook)大橋歩の生活術 (Magazine House mook)
(2001/06)
大橋 歩

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 私がしているのは,そういう「大先輩」な人の模倣ですね。
 大衆的な・ささやかな模倣。
 団地にふさわしい,チープで「ゆるい」もの。
 それで,いいのだと思います。

 ***

 「それでいい」というのは,「自分なりのことをすればいい」ということですが,それだけではありません。
 「文化とか,人間のすることは結局は模倣だ」ということもあるのです。

 現代の私たちが「ステキな暮らし」系の本や雑誌で目にする,家のなかの「なごめるもの」のギャラリーはみな,昔の巨匠の模倣だからです。数十年以上前の,創造の最先端にいたアーティストのしていたことに,直接・間接に影響を受けている。

 そんな「昔の巨匠」の代表格に,チャールズ&レイ・イームズがいます。おもにミッドセンチュリー(1940~60年代)に活躍したデザイナーです。
 下の写真は,イームズの自宅の本棚です(『ブルータス』2011年7月15日号より)。

  イームズの本棚
 
 さっき,大橋歩さんの自宅に飾ってあるものに「センス」や「美」を感じる,と書きました。
 これは,あくまで「今どき」の感覚です。
 少し昔の一般的な感覚だと,ああいうものは「何がいいの?」「まるでおもちゃだね」ということになるはずです。

 そんな古典的な「美」や「アート」の価値観を打ち破って,それまで「ガラクタ」とみなされていたモノに積極的な価値を見出し,自宅に飾る。その飾り方も,おもちゃ箱をひっくり返したようなもの。伝統的な「陳列」のイメージではない。

 イームズは,そういう「革新」のさきがけ(少なくともその1人)でした。

 名もない民芸品やおもちゃを,彼らは愛しました。
 これは,最初のうちはじつに「異端」で「新しい」ことだったのです。

 数十年前には,世界の最先端を行く偉大なクリエイターのしていたことが,その後より広い範囲のアーティストや「高感度」な人たちのあいだに伝わり,それを団地のオジさんがささやかにマネをする。
 くりかえしますが,文化というのはそういうものです(^^;)

 関連記事:イームズの仕事

(以上) 
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2014年10月17日 (金) | Edit |
 このブログはいつも長めの記事が多いので,たまには短い・とりとめのない話を。
 それをここでは「雑談」と呼んでいます。

 ***

 ゆうべ,新シリーズがはじまったドラマ『科捜研の女』をみました。
 主演は沢口靖子さん。
 沢口さんのことを,ウチでは「女優ロボット靖子さん」と呼んでいます。

 このロボットさんには,演技をコントロールするボタンが4つだけついています。「笑う」「泣く」「ふつう」「怒る」の4つ。それ以外の微妙な調整はできません。 

 今回『科捜研の女』をみて気が付いたのですが,このドラマでは共演者たちも「ロボット靖子」に合わせた演技をしているようです。ゆっくりとした,平板なセリフまわしになっている。彼女とからむシーンではとくにそうです。ほんとうはもっとできるはずの俳優でも「ロボット」な感じになっている。

 演出としてあえてそうしているのか,靖子さんに影響を受けてそうなってしまうのか,そこはわかりません。
 いずれにしても,出演者全員の演技のあり方を規定してしまうのですから,靖子さんはすごい。

 とにかく,この人なしでは『科捜研の女』は成り立たない。
 『相棒』における水谷豊にあたります。
 演技の上手い共演者たちが束になっても,このドラマでの靖子さんの重要性には及びません。
 そんな存在になるために,「演技力」は必須ではないのです。
 もちろん靖子さんは美人です。でも,それだけではない魅力があるのでしょう。

 ***

  この間の「日本人科学者のノーベル物理学賞受賞」を特集した新聞記事に,「歴代の日本人受賞者」の一覧がありました。湯川秀樹から今回の3人まで。
 
 気になったのは,その一覧表のタイトルの横に「敬称略」とあったことです。
 これは,「湯川秀樹さんの〈さん〉は,本来あってしかるべきですが,都合により省略しました」ということです。

 でも「湯川秀樹」に,本来は「さん」なんて要らないはずです。
 歴史上の偉人や英雄には「敬称」はつけないものです。
 ナポレオンさん,アインシュタインさん,西郷隆盛さん,川端康成さんなどとはいわない,ということ。
 
 たとえば中村修二さんのような現代の科学者であっても,「ノーベル賞受賞者」の一覧のなかでは,偉大な仕事をした「歴史上の人物」です。湯川秀樹と同じ扱いが妥当なはず。

 ほんとうに偉大な人物には敬称はつけない。
 これまで私が読んできた活字の世界では,それが「常識」になっていました。

 だから,歴代のノーベル賞受賞者に「さん」を付けたりしたら,失礼です。
 「博士」「先生」などというのも,それでは尊敬が足りない,ということです。

 文脈によっては,「呼び捨て」が最高の敬意をあらわす,ということがあるのです。 
 
 なのに,新聞で「敬称略」などとエクスキューズをするのはなぜでしょう?

 「歴史上の偉人であっても,とにかく敬称をつけないのは失礼だ」と思う人が増えた,ということなのでしょうか? かつての「常識」が,古くなってきているのかもしれません。

 ***

 先日,帰りの通勤電車でのこと。
 私はドア付近に立って,ドアの窓からみえる夕暮れの景色をながめていました。
 
 私が立っていたのは向かって左側のドアです。
 すぐ隣の右側のドアの前には,50代とおぼしきスーツ姿の男性が立っていて,やはり窓からみえる景色をながめていました。ただ,ぼんやりと遠くをみている様子で,いまひとつ焦点が定まっていません。

 その人が,焦点の定まらないまま,つぶやいたのです。
 低い,唸るような声でした。

 「あと,10日か・・・」

 なんですか,それ?
 あと10日すると,どうなるんですか?
 いいことなの?悪いことなの?

 気になるけど,訊くわけにもいきません。
 
 あれから10日以上経ちましたが,どうなったことやら。

(以上)
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2014年10月15日 (水) | Edit |
 ウチは,古い団地をリノベしたもので,そこにいくつもの本棚をしつらえました。
 そこに何千冊かの本があります。
 
 それらの本のうち「これはオススメ,手に取ってほしい」というものをセレクトして,本棚の一画や「特設コーナー」に並べる,ということをしています。つい最近はじめました。

 このセレクトコーナーを「そういち文庫」と呼んでいます。
 こんな感じです。

そういち文庫

そういち文庫 (2)

 そして,今日のことですが,ウチへ遊びにいらした妻のお友だちが,そういち文庫の本を手に取っておられたとのこと。
 「この本,私も買おうかと思ってたのよね」「これが団地リノベの本ね」などとお話ししながら。

 私は仕事で,その場にいませんでしたが,妻が写真に撮ってくれていました。

 そういち文庫の本を手に取る方たち

 「そういち文庫」のはじめてのお客さま。ほんの何分かのことですが。

 そうそう,こういうふうになってほしかった。
 うれしいです。

 本棚全体の中身は同じでも,少し並べ方を変えるだけで,「お客さんも楽しめる本棚」になり得るのですね。

 前にも告知しましたが,11月29日(土)に東京・多摩市の我が家でオープンハウス(自宅の公開)をします。我が家のリノベーションを手がけた建築家の寺林省二さんに来ていただいて,お話しを伺ったりもします。詳細はまた後日。

(以上)
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2014年10月14日 (火) | Edit |
 今年も残すところあと2か月半ほどになりました。
 2015年のカレンダーも発売されていますね。

 去年,私そういちはそういちカレンダー2014というものを製作し,販売しました。文字がびっしり詰まった,雑誌感覚の読むカレンダーです。
 ↓こういうもの。

カレンダー使用例 (2)

 「そういちカレンダー2015」もつくって販売します。現在,鋭意製作中。

 今日の記事は「そういちカレンダー2014」(10月のページ)からの抜粋です。このカレンダーには【大コラム】という,いちばん長文のコーナーがあって,そこからの記事。 いろんな話題を載せているコーナーですが,今回は世界史の話です。

 ***

騎馬遊牧民という「強者」

 騎馬遊牧民とは「草原地帯に住んで馬を乗りこなし,遊牧(羊などの家畜を移動しながら育てること)によって暮らす人びと」の総称です。彼らの根拠地はアジアからヨーロッパにかけての草原地帯。そこをおもな舞台に「トルコ系」「モンゴル系」など,世界史上さまざまな騎馬遊牧民が活動しました。

 では,騎馬遊牧民が史上初めて登場したのはいつ頃だったのでしょう?

 【選択肢】
  ア.1万年前(世界の一部で農耕が始まった時代)
  イ.6000年前(メソポタミアなどで最古の文明がおこった時代)
  ウ.3000年前(世界の一部で鉄器が普及し始めた時代)

 ***

 史上初の騎馬遊牧民が登場したのは,今から3000~2700年前のシベリア南部でのことでした(正解ウ,林俊雄『遊牧国家の誕生』による)。

 騎馬は一見原始的にみえますが,じつは高度な道具が必要な技術です。安定して馬に乗るための「くら」「あぶみ」「くつわ」などの馬具は,精密さや耐久性が求められますし,部品の要所には金属も要ります。
 なので,鉄器などの金属器が普及するほどに技術が発達しないと,騎馬遊牧民というのは成立しません。騎馬の発明(約3000年前)は,馬車の発明(約5000年前)よりずっと後のことです。

 つまり,騎馬のほうが馬車よりスピードが出て,デコボコ道も行ける,より進んだ技術ということです。

 騎馬遊牧民が武装して集まると,機動性に優れた強力な軍事力になりました。中でもチンギス・ハン率いる13世紀のモンゴル人は,史上最大とされる大帝国を築いたのでした。

 騎馬遊牧民というと「自然で素朴な人びと」というイメージがありますが,もともとは,騎馬という高度の技術を駆使する「強者」だったのです。我々農耕民とは異質だけど,高度の文明を持つ人びと。そんな人たちが強く存在感を放つ「今とはちがう世界」があったのです。 

      弓を射る騎馬遊牧民
(以上)
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テーマ:歴史
ジャンル:学問・文化・芸術
2014年10月12日 (日) | Edit |
 今日は,ごく近所のほかは,ほとんど家を出ることなく過ごしました。
 ウチから半径数百メートル以内にあるもので,楽しみました。
 
 下の写真は,どこかの雑木林や公園ではありません。
 ウチの団地の「庭」です。芝生があって,ちょっと樹が植わっている場所。
 築30数年の古い団地に住んでいますが,こういう環境が大きな魅力です。

  近所の「森」

  ピロティからみえる「森」

 すぐ近くで,「秋だなあ」と思わせる落ち葉をみつけました。
 植物のことを知らないので,なんの葉っぱかわかりませんが。

  落ち葉

 ***

 家の棚にある本を並び替えて遊ぶ,などということもしました。
 我が家は古い団地をリノベしたもので,本棚をあちこちにつくりました。そこに何千冊かが収まっています。

 世界史や社会,哲学にかんする本が多いですが,住まいや生活,生き方にかんする本,伝記やエッセイなどもあります。とっつきにくい本もありますが,多くの人と面白さを分かちあえそうな本もあります。
 
 そのような「分かちあえそうな本」をピックアップして,本棚の特定の場所に集めてみる,ということを最近すすめています。そういうコーナーをつくると,ウチに来てくれた方とのあいだで,本棚を眺めながら話が広がるのではないか。

 せっかくの本棚なら「自分だけの道具」ではなく,「人と楽しめるもの」にしたい,と思うようになったのです。

 たとえば先日,この本棚の真ん中の列の上の2段に,そういう「セレクトコーナー」をつくってみました。

  リビング テーブル側の本棚

 こういう具合です。これを「そういち文庫」と呼ぶことにしました。
  そういち文庫

 今日は,その「そういち文庫」のコーナーを増設してみました。
 こんな具合です。小さなテーブルの上にのっているボックスが「増設」箇所。

  そういち文庫(1)

  そういち文庫 (2)

 台になっているテーブルは,無印良品のもの。
 「パイン材ローテーブル・折りたたみ式」で,5000円弱。
 上に載っている「本棚」も,無印良品。
 「パルプボードボックス,タテヨコA4サイズ・2段」で,1700円ほど。

 ローテーブルはもともとウチにあったもので,パルプボードボックスは「そういち文庫」用に先日買ってきました。
 この「パルプボードボックス」に,ビジュアル系の大きな判の本と絵本などの児童書を納めてました。あわせて40~50冊。

 それから,「増設前」の「本棚の上2段」のコーナーには,一般的なサイズの単行本や文庫本を70~80冊収めました。

 「どれを並べようか」と考えながら,本棚をながめたり触ったりするのは,楽しいです。
 並べてみた「そういち文庫」から,本を取り出して読み返すのも楽しい。
 午後の2時間ほどは,それで遊んでいました。

 土門拳による昭和の大物たちの肖像写真に,「濃い顔だなー」と惚れ惚れし,
 解剖学者・三木成夫の「生命の形態」にかんする,芸術的な図解を味わい,
 建築家・吉村順三の,軽井沢の別荘の写真集にやはり惚れ惚れし,
 フードコーディネーター・飯島奈美さんがつくった,おいしそうな朝ご飯の写真をみながら,「あすの朝は目玉焼きにしよう」と思ったり,
 水木しげるの名言集を読んで,気合を入れたり(先生いわく「じっといれば餓死です」),
 「ぐりとぐら」を読み返して(月並みですが)童心に帰ったり,
 
 そんなことをしていました。
 本って,やはりいいものですね。
 森羅万象のうちの,かなりのものが,とりあげられている。
 手にとれば,家で寝ころびながらでも,広い世界を垣間見ることができる。
 すぐれた人,もの知りな人の話を聞ける。

 ***

 11月29日(土)に,我が家(東京・多摩市)でオープンハウスをする予定です。
 団地リノベに興味のある方,ウチの本棚や「そういち文庫」を覗いてみたい方など,ぜひおいでください。妻と2人でお待ちしています。
 我が家のリノベーションを手がけた建築家・寺林省二さんにも来ていただき,いろいろお話しを伺います。私も自宅についてお話しさせていただきます。

 さらに詳細が決まりましたら,また告知いたします。

 ***

 10月13日追記:上記でとりあげた本の,アマゾンへのリンクです。
   
土門拳の伝えたかった日本土門拳の伝えたかった日本
(2000/09/01)
毎日新聞社、 他

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生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ
(1992/11)
三木 成夫

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小さな森の家―軽井沢山荘物語小さな森の家―軽井沢山荘物語
(1996/04)
吉村 順三、さとう つねお 他

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朝ごはんの献立-12のシーンとおいしいごはん朝ごはんの献立-12のシーンとおいしいごはん
(2008/11/15)
飯島 奈美

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水木しげるがんばるなかれ―小さなことを笑い飛ばすコトバ (YM books)水木しげるがんばるなかれ―小さなことを笑い飛ばすコトバ (YM books)
(2008/09/25)
水木 しげる

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ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)ぐりとぐら [ぐりとぐらの絵本] (こどものとも傑作集)
(1967/01/20)
なかがわ りえこ

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(以上)
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2014年10月10日 (金) | Edit |
 西暦2000年の時点で,日本のGDPは世界全体の15%を占めていました。これは,アメリカ(世界のGDPの31%)に次いで,世界2位。

 そしてこの「15%」のシェアは,3位のドイツ(6%),4位のイギリス(5%),5位のフランス(4%)の3国を合わせたのと,ちょうど同じです。経済規模でみて,ドイツ+イギリス+フランス=日本だったのです。
 
 最近(2011年)はどうか。

 1位アメリカ(世界のGDPの21%)
 2位中国(10%)
 3位日本(8%)
 4位ドイツ(5%)
 5位フランス(4%)

 日本が世界に占めるシェアは「15%」のほぼ半分になりました。
 そして,中国に抜かれ世界第3位に。

 これは,この20年ほど日本の経済成長がほかの国にくらべて停滞していたからです。

 1980年代から90年ころにかけて,日本の勢いにはめざましいものがありました。
 それが,上記の「2000年ころの日本が世界に占めるシェア」にあらわれています。90年代の日本は,世界のなかで「単独2位」で,たんなる「大国」以上の「超大国」的なポジションにあったのです。少なくとも「超大国」に近づきつつあった,といえるでしょう。 

 ここで「超大国」というのは,経済はもちろん大事ですが,文化や科学の力なども含めた,総合的なパワーで世界に大きな影響をあたえる存在ということです。20世紀以降のアメリカは,まさにそういう国です。

 しかし残念ながら,日本はそのような「超大国」にはなれませんでした。
 1990年前後の時代の,超大国になる,おそらく唯一のチャンスを逃した,といっていいでしょう。

 もちろん,「超大国」ではありませんが,今の日本も「大国」であることには変わりありません。
 
 たとえば,ついこのあいだ,3人の日本人科学者のノーベル賞受賞のニュースがありました。日経新聞をみると,これまでの日本人のノーベル賞受賞歴をふりかえって「日本人,2000年から受賞ラッシュ」などともあります。これは,文化・科学も含めた,現在の「大国・日本」の力を示しているといえるでしょう。
 
 しかし,ノーベル賞というのは,かなり過去に行われた研究に対し授与されることがほとんどです。今回の物理学賞の対象となった研究も,80年代から90年ころの成果です。つまり,日本が「超大国」になりかけていたころのもの。
 今後もこの10年ほどのような「受賞ラッシュ」が続くかどうか。そこは,要注意なのかもしれません。

 つまり,西暦2000年代以降の,やや勢いをなくした日本において,科学・技術の研究がどんな状態になっていたのか,ということです。それについては,私はよくわかりません。これから10年,20年のうちにたとえばノーベル賞の受賞の状況などで,伺い知ることもできるでしょう。

 私たちの国は,とにかく「大国」にはなった。
 でも,「その先」へは行けなかった。20~30年前の千載一遇のチャンスを逃した。

 何がいけなかったのか,足りなかったのかということは,ここでは立ち入りません。
 そのへんはまだ,私たちのあいだではよくわかっていないのだと思います。わかっていたら「超大国」になっていたことでしょう。

 ***

 さて,世界には「その先」へ行けないで,足踏みしている国がほかにもあります。
 たとえば中国です。

 中国は,まちがいなく「大国」となり,アメリカと並ぶ「超大国」を伺うようになりました。
 しかし,どうも偏狭な自己主張や,文化的・政治的な「許容範囲の狭さ」などが抜けないようです。周辺諸国への領土にかんする主張や,国内の「民主化」への対応に,それはあらわれています。

 これではほんとうの「超大国」への道のりは遠い。
 正しくやれば「世界の新興国のリーダー」になるチャンスが,この10年ほどの中国にはあったはずなのに。

 それから韓国。この国も今「大国」への道を歩みつつあります。でも,最近のニュースのように,「大統領の名誉を棄損した」外国人記者を法的に処罰しようとしたりする。これは「小国」の政権の発想です。この発想なら,アメリカの大統領など,ジャーナリストを何万人起訴しても足りないでしょう。

 中国も韓国も,今「その先」へ行けないで,迷っている。
 それはかつての日本とも重なるところがある。「超大国になりそこねた日本」です。
 最近のニュースをみて,そんなことを思いました。

(以上)
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2014年10月07日 (火) | Edit |
 もう1日の終わりですが,10月7日は物理学者ニールス・ボーアの誕生日です。そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 ボーアは20世紀の最も偉大な物理学者の1人。1922年にはノーベル賞も受賞しています。
 日本人3人のノーベル物理学賞受賞のニュースもありましたので,ちょうどいい機会です。

 ***

ボーア

「大家」の義務

 「量子力学」の建設者,ニールス・ボーア(1885~1962 デンマーク)は,アインシュタインと並んで,20世紀を代表する物理学者です。
 研究業績は「同等」といってよい2人ですが,ボーアのほうがはるかにまさっていることがあります。
 それは,多くの弟子を育てたことです。
 アインシュタインは,ほとんど弟子をとりませんでした。一方,彼が所長をつとめるコペンハーゲン(デンマーク)の「ボーア研究所」には,世界中から物理学者が集まりました。そして,ボーアを中心にワイワイ議論しながら研究を進めました。そうして多くの人材が育っていったのです。
 20世紀なかばには,世界のおもな原子物理学者の何割かは「ボーアの弟子か孫弟子」という状況になっていました。「大家(たいか)」には,自分の仕事を進めるだけでなく,このように弟子を育てる義務があるのではないでしょうか。

西尾成子著『現代物理学の父ニールス・ボーア』(中公新書,1993)による。

【ニールス・ボーア】
現代物理学の重要な理論である量子力学(原子や素粒子などの,極小の世界の状態を説明する科学)の成立に大きく貢献した物理学者。ボーア研究所の自由な学風は,世界の物理学者に影響を与えた。
1885年10月7日生まれ 1962年11月18日没

 ***

 「コペンハーゲンのボーア研究所に世界じゅうから科学者が集まって,ワイワイ議論した」と書きました。これはおもに1920~30年代のこと。

 当時のボーア研究所は,まさに黄金時代でした。そこには「コペンハーゲン精神」といわれる独特の雰囲気や文化がありました。ボーアが世界の科学者に示した,科学研究の精神です。

 それはある科学者によれば《要点として(1)別け隔てのない協力の精神,(2)型にはまらない自由な討議,(3)ゆとりとユーモアのある探究,といったところになる》のだそうです。(吉原賢二『科学に魅せられた日本人』岩波ジュニア新書)

 (1)~(3)とも,官僚的な組織が苦手なことばかりです。とくに「ゆとりとユーモア」は,大の苦手。

 ボーア研究所には,日本の若い科学者もやってきました。
 その1人で,のちに北大教授となった堀健夫(1900生まれ)は,ボーア研究所の様子をこうふり返っています。

《・・・ボーア研究所の雰囲気というのは,・・・日本における雰囲気とは全く違っておりました。コロキウム(討論)が盛んに行われるんですね。頻繁に行われる。何も日にちが決まっているわけじゃございません。誰かが話しをする新素材を持ち出したときは,直ぐボーア先生自身が・・・みんなを招集しておられました》

《また,その・・・議論の活発なことといったら・・・お互い無遠慮で,質疑・応答》


 「別け隔てのない精神」「型にはまらない自由な討議」ということです。
 そして,「ゆとりとユーモア」については,こんな話が。

《ボーア先生はいろんなことに知識の豊富な方で・・・例のツタンカーメンというエジプトの王様の墓の探検の話・・・一種の受け売りですけれども,とにかくおもしろおかしく我々に長い時間かけてその探検話をしてくださったのです》

《遊びの問題でも,いろんなことを我々に見せてくださった。例えばハンカチの両方を持って,これを離さないで結ぶことができるかという問題を出された。誰も考えつかない。そこで先生,こういうふうにして(腕をくんで)ハンカチの両端を・・・・・・そのほかいろんな遊びもやったことを覚えております》
(西尾成子『現代物理学の父 ニールス・ボーア』より)

 ***

 ボーア研究所で学んだ日本人科学者の1人に,仁科芳雄(1890~1951)という人がいました。
 仁科は,「理化学研究所(理研)」の中心的な科学者の1人でした。
 理研は,大正期に民間主導で設立された科学研究機関です。とくに1920年代から30年代は,その黄金時代といっていいでしょう。

 仁科は,1920年代に欧米に留学し,1930年代以降は,理研のエースとして活躍しました。第二次大戦中には,陸軍の原爆開発の研究に携わり,終戦直後には理研の所長にもなっています。

   関連記事:理化学研究所のこと(STAP細胞のニュースに寄せて)

 当時の理研は,「コペンハーゲン精神の日本版」といえるところがあります。「本家」にはとても及びませんが,日本人がつくりあげた研究組織の傑作であり,「科学者の楽園」などといわれました。

 理研といえば,最近は「STAP」の件で注目されました。あれにかんする報道をみると,今の理研は「科学者の楽園」ということでもないようです。

 理研にかぎらず,現代の大きな研究所で「コペンハーゲン精神」というのは,非常にむずかしいことでしょう。
 その理想を維持していくことは,まず無理ではないかと。
 
 研究組織が「コペンハーゲン精神」にあふれたものであるためには,ボーアのようなリーダーが必要なのです。
 科学者としての圧倒的な実力を持ち,そして「コペンハーゲン精神」をつよく持っている人です。

 そのような人物が絶対的なリーダーであれば,そこに集まった人たちは,別け隔てなく自由な討議を行い,ゆとりやユーモアを忘れることもないでしょう。

 しかし,そんなリーダーはめったにいません。だから,コペンハーゲン精神はこの世界ではなかなか有力にならない・・・

 それとも,ボーア研究所の全盛期から100年近く経った今,コペンハーゲン精神は,少しはこの世界に浸透したのでしょうか? いくらかは浸透したのでしょうが,「まだまだ」という気がするのです・・・

 科学の世界だけではなく,「コペンハーゲン精神」的なものは,私たちの生活や職場のなかにもあっていいはずです。でもやはり,世間ではめったにみかけないものでしょう。だがしかし,自分のなかに少しでもこの「精神」を持っていたいものです。

***

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2014年10月05日 (日) | Edit |
 最近このブログの近代社会のしくみというカテゴリーでは,「富裕層への課税強化による格差の是正」ということを何度か論じています。

 こんな論旨です。

 資本主義は,「資産」(収益を生む,証券や不動産などの財産)を持つ者が,より多くの利益を得るしくみである。つまり今の世の中は,多くの「資産」を持ち,そこから多くの収入を得ている富裕層にとって,有利にできている。

 とくに,第二次世界大戦後は,一定の平和が長く続いたために,富裕層の資産は順調に成長している。その成長の勢いは,多数派の人びとの収入増や経済全体の成長を上回る。

 そのために,富裕層とその他の人びとの格差は,近年ますます大きくなっている。
 このことは,社会にあつれきや不安定をもたらすおそれがある。

 今後は,この格差を是正する手段として,「富裕層の資産に対する課税強化」ということが,多くの関心を集めるのではないか。

 この数十年の増税は,日本でも多くの先進国でも,消費税の拡充のような「広く・薄く」というものが中心だった。
 しかし,これからは社会の少数派である富裕層を対象にした増税が,重要になっていくのではないか。

 その背景には「格差の拡大」だけでなく,先進国の国家財政の極端な悪化ということもある。
 今の先進国の政府は,とにかく財源が足りない。
 税金をもっと集めないと,破綻してしまう。
 日本はその最たる例である。
 
 ***

 以上がまえおきで,ここからは,今回の話になります。

 では「富裕層への課税強化」などということが,実際にできるのか?

 「できるのか?」というのには,2つの意味があるでしょう。
 ひとつは,「政治的に実現可能なのか」ということ。
 もうひとつは,「そのようなことをして大丈夫か,社会的混乱や問題は起きないか」ということ。

 まず,「政治的な実現可能性」です。
 「資産課税の強化」など,お金持ちは反対で,政治的に抵抗するでしょう。

 そして,その抵抗の力は大きなものであるはずです。富裕層は社会のなかで,大きな影響力を持っています。お金だけでなく,知恵やノウハウや権力者とのつながりがあります。

 それだけに,今の税制は,富裕層に有利につくられているところがある。
 アメリカで2番目の大富豪のウォーレン・バフェットは「私が払う税率より,私の秘書の税率のほうが高い」と言ったことがあるそうです。

 でも,社会の少数派であるお金持ちは,多数派の人たちに,最後は負けるのではないか。
 少なくとも中長期的には。
 そういう視点は持ったほうがいいと思います。

 「資本主義における格差の拡大」を論じた著作が話題になった,経済学者のトマ・ピケティもそのことを述べています。富裕層への課税強化は,政治的に可能だと。
 
《課税は寄付とは違う。民主主義に基づいて多数決で決まり,全員に影響する。富裕層が賛成する,しないは関係ない。民主主義の力によって,富裕層に法の規則を与えることは可能だ》(『週刊東洋経済』2014年7月6日号)

 ***

 世の中をみていると,政治家や官僚が富裕層の代理人のようにみえることがしばしばあります。

 たとえば,この20~30年,米英を中心に「新自由主義」的な政策が進められたことなどはそうでした。その政策のもとでは,富裕層に有利な方向に社会は動いたといえるでしょう。

 しかし,「富裕層と政治権力者(政治家・官僚)が仲がいいのは,平常時のことであって,いつもそうとはかぎらない」と私は思います。「平常時」というのは,社会・経済が比較的安定している状態。
 
 それに対し,深刻な「危機」や「苦しみ」の時代には,政治家や官僚は必ずしも金持ちの味方ではないのです。

 第二次世界大戦のときは,まさにそんな「非常時」でした。

 この戦争のときには,企業の活動は徹底的な統制をうけました。法人の利益や経営層の報酬にも強力な制限がかかりました。戦争に勝つため,企業や資本家は国に奉仕しないといけませんでした。儲けるなど,とんでもない!

 たとえばヒトラーは「前線で兵士が血を流しているのに,銃後で戦争成金が続出するようなことは極力ないようにしないといけない。今度の戦争で儲けようなどとたくらむ者は,死を得るのみだ」ということを言っています(『ナチス経済統制読本』,滝村隆一『国家論大綱』より孫引き)。

 このようなヒトラーを,民衆は熱狂的に支持したのでした。
 国民の支持を得た独裁権力には,資本家も屈服せざると得ませんでした。
 
 「戦争は,悪い政治家と悪い資本家がいっしょになってひきおこす」という話を,かなりの人は聞かされたことがあると思います。しかし,20世紀以降の「総力戦」においては,戦争というのは資本家にとって非常に厳しいものなのです。

 ***

 これからの先進国でも,「平常時」から「非常時」となるおそれはあります。
 可能性が高いのは戦争ではなく,「財政の危機」がもたらす,政治・経済の非常事態です。

 その「財政の危機」をもたらすのは,何か?
 社会保障費などの福祉の負担です。

 今の日本の財政では,そのことが典型的に起こっているわけです。

 2013年度において,社会保障給付費(出ていくお金)は110兆円ほど。それに対し保険料収入は60兆円ほど。
 つまり,50兆円もの財政的な「不均衡」がある。
 この「不均衡」は,このままだと高齢化の進展によってますます拡大していく。
 
 これに対し,消費税を5%から10%に引き上げた場合の増収の見込みは「十数兆円」というところ(今のところは8%に上げただけですが)。
 この増収分は,上記の「不均衡」を穴埋めする原資になり得ます。
 しかし,額としてはあまりに不十分です。
 社会保障の財源不足という大問題にとっては,最近の消費増税は「焼け石に水」ということです。

 だからといって消費税を30%,40%に上げていくことができるのか?
 あるいは,社会保障給付をすぐに大幅にカットできるのか?

 どちらも,むずかしい。そんなことをしたら政権が持たない。国民の支持を得ることができません。
 少なくとも,並の政治家にできることはありません。

 だとしたら,新たな「財源」をどこかに求めないといけません。
 その有力な候補が,富裕層です。

 たとえば,相続財産。今の日本では年間に数十~100兆円程度の相続財産(金融資産と不動産)が発生しているそうです。(鈴木亘『社会保障亡国論』などによる)

 しかし,相続税の税収額は1兆円強にしかすぎません。これは「非課税」の枠がそれだけ大きく設定されているからです。「非課税」の範囲をもっと制限して課税を強化すれば,かなりの税収が見込めます。

 たとえば,すべての相続財産にたいし一律に10%の税を課せば,10兆円くらいになる。あるいは,相続財産の多くの部分は,富裕層が占めているはずです。そこに集中的に課税することも考えられます。

 相続税の拡充は,富裕層への課税強化となるでしょう。
 そして,日本でも来年から相続財産への課税は強化されることになっています。「非課税枠」の縮小などの変更があるのです。

 福祉(社会保障)と戦争は,似たところがあります。
 どちらも,ばく大な国家予算を使います。
 そして,一度深入りすると,その予算が際限なく膨らんでいくところも。
 途中で引き返すのが非常に難しいのです。
 その戦争や福祉の政策を維持することは,「強力な正義」となって,否定することが困難になってしまう。

 人権や人命を踏みにじる行為である戦争と,福祉を同列に置くなんてとんでもない!
 そう思う方もいると思います。
 たしかに「人権や人命の尊重」という点では,戦争と福祉は対極にあります。
 
 しかし,財政への作用という点では,似た面もあるということです。

 財政の危機によって,社会保障が破たんしそうになったとき,多くの人の生活が立ち行かなくなりそうなとき,富裕層への目はきびしいものになるでしょう。
 「この非常時に,自分の財産のことばかり考えるなど,とんでもない!」ということです。「この戦争のときに利益追求など,とんでもない」というのと同じです。

 以上 「民主主義のもとでは,富裕層は安泰ではない」ということです。
 これからの社会をみるうえで,意味のある視点だと思います。

 そして,「富裕層の資産への課税強化」については,もうひとつの視点があります。
 「そんな課税強化をして,社会に混乱や問題が生じないか」ということ。
 民主主義の力で実現したことだからといって,いつもよい結果を生むとはかぎりません。
 そこは冷静に考えてみる必要があります。
 これは,また別の機会に。

(以上)
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2014年10月01日 (水) | Edit |
 いろんなところで言っていますが,50年前の今日,つまり1964年10月1日は東海道新幹線が開業した日です。
 そこで,新幹線をつくった国鉄総裁・十河信二の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

 新幹線は,もう50年なんですね。私は来年生誕50年だな・・・

 ***

十河信二(そごう・しんじ)

多くの人が反対した新幹線建設

 今からみると不思議な気がしますが,東海道新幹線(1964年開業)の建設計画は,当時多くの反対を受けました。国鉄(現在のJR)の内部でも,「そんなものは無用の長物だ」という意見が主流でした。
 そんな中,本気で「新幹線をつくろう。これからの日本にぜひ必要だ」と主張していたのは,当時の国鉄総裁・十河信二(1884~1981)と,技術責任者の島秀雄くらいのものでした。
 国鉄総裁といえども,この計画を実現するためには,反対する周囲や関係者に対し説得に説得を重ねなければなりませんでした。
 彼ら2人の構想力と執念で,東海道新幹線は実現したのです。
 あとで,開業した新幹線が大盛況なのをみると,多くの人が「自分も最初から建設に賛成だった」といいはじめました。そういうことって,ありますよね。

葛西敬之著『未完の「国鉄改革」』(東洋経済新報社,2001)による。

【十河信二】
 新幹線をつくった国鉄総裁(在職1955~63)。東海道新幹線開業の前年(1963年)に総裁を辞任。新幹線建設の大幅な予算超過と62年の三河島事故(死者160人の鉄道事故)の責任を取った,とされる。
 1884年(明治17)4月14日生まれ 1981年(昭和56)10月3日没

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  「四百文字の偉人伝」は,古今東西のさまざまな偉人を,400文字ほどで紹介するシリーズ。このブログでときどき載せています。(カテゴリー:四百文字の偉人伝
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