2014年12月31日 (水) | Edit |

いよいよ2014年もおしまい。
この数日は,年の瀬をたのしんでいました。
この年末年始は27日から1月4日まで9連休という方も多いはず。私もそうです。
9連休の最初の2日間(27日,28日)は,「読むこと・考えること」ばかりをしたいと思って,年賀状書きや掃除やその他の用事を放っておいて,好きな本を読んだり,紙に考えたことをメモしたりして過ごしました。何時間も本屋さんでぶらぶらしたり,カフェでコーヒーを飲んだりしながら・・・
そんな「暇」があって私は幸せです。
私はときどき「ぶらぶらして考える時間」がないと,調子が出ないのです。
子どものときからそうだったと思います。
つぎの2日間(29日,30日)は,家の掃除,本棚や書類の整理,年賀状書きなどをしました。
「やらねば」と思っていたことが片付いて,すっきり。
***
30日の午後からは,妻と出かけました。
「忘年会」と称して,例年30日の夜に,街へ出て2人で外食しているのです。
その途中で,あるラーメン屋さんに立ち寄りました。家からは遠いのですが,ときどき通っているお店。
この店の持ち帰りのラーメンのセットを買いました。これを「年越しそば」にするのが,ウチのこの十数年の恒例です。
店の前の商店街の通りを眺めていて,空がきれいだなーと思いました。
そして気が付いた。
この商店街には,「はりめぐらされた電線」がない。
きっと,地下に埋めたのでしょう。
それで,空がすっきりときれいにみえるのです。
電線の地下化は,やはり景観に相当な影響を与えるのですね。
いつからそうなった? これまで気が付かなかった・・・
でもとにかく,いい景色をみました。

夕飯を食べた店では,妻とビールやワインを呑みながら,今年の反省をしました。
けっこう忙しかったね。
でも,まあなんとかやってこれたね。
来年も元気でいたいものですね。
ほろ酔いになって店を出たあと,街の夜景がきれいだなーと思ったので,撮りました。
これも,いい景色をみました。

今年を振り返りながら,とくに思ったことがあります。
それは「歩いていくうちに,ちがう景色がみえてくる」ということ。
これは,尊敬する学者の板倉聖宣さんから聞いた言葉。
以前お会いしたとき,おっしゃっていました。
10年くらい前に勤めていた会社を辞めてから,ずいぶん迷走もしましたが,そのあいだとにかく何かをして生きてきました。新しい仕事をはじめたり,電子書籍を出版したり,このブログを立ち上げたり,いろんなことがありました。
たしかに,そうやって歩いているうちに,それなりの景色がみえてきました。
最近も,自家製カレンダーをつくってみたり,オープンハウスというミニイベントを我が家でやってみたり,小さいながらも自分で面白いと思うことをやってみました。
すると,「やってみると,こういうことなんだ」という手ごたえがあります。
とにかく,やってみないとわからない。
まあ,あたりまえのことなんですが,でも大事な感覚です。
来年も,新しい景色をみたいですね。
***
本日大みそかの夕方は,私も妻もパソコンに向かって自分のブログを更新していましたが,そろそろおしまいにして,一杯やろうかと思っています。
今年も当ブログに来てくださったみなさま,ありがとうございました。
思いがけない,広い範囲で,いろんな方が読んでくださっている・・・そんなふうに日々感じています。
来年は,もっとペースアップして記事を書いていけたらと思います。
それではみなさん,よいお年を。

大みそかの夕暮れ・我が家のリビング
(以上)
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2014年12月30日 (火) | Edit |
この記事は12月1日にアップしたものです。当分のあいだ2番目に表示されます。
「そういちカレンダー2015」発売!
歴史や科学などに関する記事がぎっしり詰まった「読むカレンダー」をつくって販売しています。トイレの壁とか,家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってください。
周りの人との共通の話題や,「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。
我が家の壁に貼ってある「そういちカレンダー」。
これは2014年版ですが,表紙のデザイン・紙質などは2015年版も同じ。

我が家では,メインのカレンダーである「書道カレンダー」(妻が書道教師なので)の横にサブのカレンダーとして貼っています。2冊目のカレンダーとしてどうでしょう?
(下の画像は2015年1月のページ。記事の内容は毎月ちがいます。現物のサイズはA4判)

【このカレンダーのコンテンツ】
①四百文字の偉人伝 古今東西の偉人を400文字程度で紹介
②今月の名言 世界の見方が広がる・深まる言葉を集めました。
③大コラム ④小コラム 発想法・社会批評・世界史などさまざまなテーマ
⑤今月の知識 統計数値・歴史の年号・基本用語などを短く紹介
⑥各月の日付の欄に偉人の誕生日
これらの記事は,このブログの記事と私そういちの著作(『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』いずれもディスカヴァー21より出版)がおもな素材です。
【カレンダー仕様】 A4サイズ,全14ページ
ダブルループ製本,極厚口の上質紙(アイボリー)
【価格】
1冊1000円(送料込み,「サポート」付き)
10冊以上ご注文の場合,2割引きの1冊800円
【購入方法】
下記のメールアドレスまで「①お名前②お届け先住所③カレンダー〇冊」の3点を書いたメールをお送りください。
カレンダーの発行者である「そういち」のメールアドレスです。
メール送り先:so.akitaあっとgmail.com 「あっと」は@に変換
支払は,商品到着後。5~6日で商品を郵送にてお届けします。
その際,代金振り込み先(郵便振替または楽天銀行の口座)をご案内します。
【発売開始特別キャンペーン】 終了しました
12月15日までにお申込みいただいた方に「特典」として,
もれなく小冊子『そういち大コラム2014』(A5,16ページ)をプレゼント(お1人1冊)。
※『そういちカレンダー2014』のメイン記事「大コラム」の1月~12月分を1冊にまとめたものです。

おまけ特典(12月15日まで申し込み)の小冊子
(以上)
「そういちカレンダー2015」発売!
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我が家の壁に貼ってある「そういちカレンダー」。
これは2014年版ですが,表紙のデザイン・紙質などは2015年版も同じ。

我が家では,メインのカレンダーである「書道カレンダー」(妻が書道教師なので)の横にサブのカレンダーとして貼っています。2冊目のカレンダーとしてどうでしょう?
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おまけ特典(12月15日まで申し込み)の小冊子
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2014年12月23日 (火) | Edit |

天皇誕生日のお休み。クリスマスも近い。
ウチでは,窓際の高いところにちょっとモノが置ける場所があって,そこにこんなツリーを飾っています。
ワイヤーとプラスチックでできています。義姉からもらいました。
正月には,ここに小さな鏡餅を置きます。
***
今日12月23日は,『昆虫記』で有名な博物学者アンリ・ファーブルの誕生日です。
そこで彼の四百文字の偉人伝を。
古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。
ファーブル
たどりついた「楽園」
『昆虫記』で知られる博物学者アンリ・ファーブル(1823~1915 フランス)は,エリートの学者ではありません。学校は,中学程度で一度辞めて働いています。
しかし,奨学生として学業に復帰。卒業後は教師をしながら好きな動植物の研究を続け,30代なかばには,学会で評価されるほどになりました。また,科学の教科書や読み物を出版したところ好評でした。
40代後半で彼は,思いきった決断をします。
教師を辞め,著述業で生きることにしたのです。
それが軌道に乗ると,50代のときには,田舎に広い庭のついた家を買って移り住み,周囲の自然を素材に,観察と実験ざんまいの日々を送るようになりました。
ついに手に入れた「楽園」の暮らし。その中で,『昆虫記』の大部分は書かれました。
その暮らしは終生続きました。浮き沈みもありましたが,晩年は名声が高まり,それなりの収入にも恵まれました。
苦労人の彼が,人生の後半には思う存分好きなことができたのをみると,うれしくなります。
参考:ドゥランジュ著・べカエール直美訳『ファーブル伝』(平凡社,1992),奥本大三郎著『博物学の巨人 アンリ・ファーブル』(集英社新書,1999)
【アンリ・ファーブル】
『昆虫記』(全10巻,1879~1907刊)で知られる昆虫学者・博物学者。第一級の発見をした科学者ではないが,一般向けの科学読み物の著者としてすぐれた仕事をした人といえる。
1823年12月23日生まれ 1915年10月11日没

***
ファーブルのような人生を送る人は,これから増えるでしょう。
「昆虫を追いかける人生」ということではなく,「40代あたりでこれまでとはちがう仕事や生活を新たにはじめる」ということです。
もっと一般的に言うと,人生,とくに仕事で「年齢に応じた固定的なパターン」がなくなっていくのです。完全になくならないまでも,「こうでなければ」というのが,薄れていく。
中高年になって「それなりのポスト」に就く人は少なくなる。
非正社員の立場で,短期の就労をくりかえす人が増える。
失業・リストラを経験する人が増える。
独立して,「起業」というほどでもない,小さな自営業で暮らす人も増える。
長生きになって(でも年金も不十分になって),70歳80歳で働くことが珍しくなくなる。一方で,若くしてリタイヤしたり仕事を長く休む人も増える。
こういう,かなり言われていることは,そのとおり現実になってきています。
であれば,ある程度の年齢になって,「仕事をこれからどうしよう」と考えるのはふつうのこと。
「将来何になる?」という問いかけは,これまでは子どもか若者だけのものでした。
でもこれからは,中高年が「将来何になる?」と考えるのも,おかしなことではなくなるのです。
関連記事:将来何になる?
私も,40歳ころに十数年勤めた会社を辞め,一種の「社会起業」に携わりました。
そこではうまくいかず撤退し,2,3年ブラブラしたあと,今はキャリア・カウンセラーとしての仕事をしています。
40代おわりになった今も,「将来,何しようか?」と考えます。
今の仕事をどう発展させる?
あるいは,別の方面・関連する方面で「これをやってみてはどうか?」などと考え,行動もします。
まあ,「考えざるを得ない」ということなんですが(^^;)。
それでもこれは,悪くない感じです。
いい年して,なんにもできてないなー,いかんなーとも思います。
でも,それよりも「結構楽しいね」という感じが,最近は一層強くなっています。
これは「状況に適応している」ということです。
それも前向きな気分で。
世の中が変化しているときは,その姿勢が大事でしょう。
つまり,変化がもたらす明るい面を前向きにとらえること。
もちろん,「変化」にはシビアな面もあるでしょう。しかし,そこを憂いたり不安がったりばかりでは,楽しい人生にはならないはずです。
あなたがいくつであっても,「将来何になる?」と自分に問いかけてみる。
これは,おすすめです。
(以上)
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- 四百文字の偉人伝 リンドバーグ
- 四百文字の偉人伝 夏目漱石
- 四百文字の偉人伝 ファーブル・「将来何になる?」という問いかけ
- 四百文字の偉人伝 レーニン
- 四百文字の偉人伝 ニールス・ボーアとコペンハーゲン精神
2014年12月20日 (土) | Edit |
今年も残すところ10日ほどになりました。いよいよ年末。
年末年始は,ごちそうを食べることが多いかと思います。
今回は「未来のごちそう」がテーマ。
『そういちカレンダー2014』という,私が発行している「雑誌感覚の読むカレンダー」からの記事。このカレンダーのメインに「大コラム」というコーナーがあり,その12月の分です。
今年も『そういちカレンダー2015』をつくって,販売しています。
そういちカレンダー2015
食べてもなくならないケーキ あるいは未来のごちそう
世の中には「食べてもなくならないケーキ」のような楽しみがあります。例えば「外国語のような,新しい何かを学ぶ楽しみ」は,そう。この楽しみを味わう「席」には限りがありません。得ようと行動すれば,誰もが得ることができます。お金もあまりかかりません。
しかし,より多くの人が関心を持つのは,「食べたらなくなるケーキ」です。みんなが欲しがる素晴しい製品や食べ物は,たいてい数に限りがあります。つまり「希少」なのです。
天然の良質な素材を使った何かや,すぐれたプロが手間暇かけて生み出すモノやサービスは,本来希少なものです。だから高い。しかし文明は,そのような「いいもの」の希少性を克服しようと頑張ってきました。より高品質なものをより大量に安く,という方向で生産技術は進歩してきたのです。
もうお忘れかもしれませんが,去年(2013年)の秋頃に話題となった「食品の偽装」(安価な素材を高級と偽る)も,「ごちそうを,ありふれた材料からつくる」という意味で,希少性を克服することなのかもしれません。
もちろんウソや不正はダメです。でも例えば,もしも春雨から「絶品フカヒレスープ」が本当につくれるなら,たいした技術革新です。「未来のごちそう」は,そのような「春雨による絶品フカヒレ風」のほうに行くのではないでしょうか?
つまり,いろんなごちそうが「食べてもなくならないケーキ」になっていく…
これからは経済発展で,世界の何十億もの人たちがぜいたくを求めるようになります。でも,100億人みんなで貴重な「天然のいいマグロ」を食べるのは無理。だから,アフリカやアマゾンで養殖したある種の魚を「トロ」と呼んで食べるのかもしれません。
それは「おぞましい未来」でしょうか?そうかしれませんが,一方で「より多くの人が一定のぜいたくを味わうことができる,明るい未来」ともいえるでしょう。

(付記)
じっさい,ウナギが養殖ものも含め「希少」になってきた中,カニカマのような「すり身」で,ウナギのかば焼きをつくりだした食品メーカーもあるようです。何か月か前,テレビのバラエティ番組で知りました。
しかもそれがかなりの高品質で,かば焼きの味と触感をうまく再現している,と番組では伝えていました。ただし,まだ業務用のみの販売で,一般向けには売られていないらしい。
こういう食品が発達・普及することは,おおいにあり得るのではないでしょうか。未来の子どもたちは,「かば焼き」といえば「すり身しか知らない」ということになったりするわけです。「すり身のかば焼き」は,「未来のごちそう」の候補のひとつではないかと。
(以上)
年末年始は,ごちそうを食べることが多いかと思います。
今回は「未来のごちそう」がテーマ。
『そういちカレンダー2014』という,私が発行している「雑誌感覚の読むカレンダー」からの記事。このカレンダーのメインに「大コラム」というコーナーがあり,その12月の分です。
今年も『そういちカレンダー2015』をつくって,販売しています。
そういちカレンダー2015
食べてもなくならないケーキ あるいは未来のごちそう
世の中には「食べてもなくならないケーキ」のような楽しみがあります。例えば「外国語のような,新しい何かを学ぶ楽しみ」は,そう。この楽しみを味わう「席」には限りがありません。得ようと行動すれば,誰もが得ることができます。お金もあまりかかりません。
しかし,より多くの人が関心を持つのは,「食べたらなくなるケーキ」です。みんなが欲しがる素晴しい製品や食べ物は,たいてい数に限りがあります。つまり「希少」なのです。
天然の良質な素材を使った何かや,すぐれたプロが手間暇かけて生み出すモノやサービスは,本来希少なものです。だから高い。しかし文明は,そのような「いいもの」の希少性を克服しようと頑張ってきました。より高品質なものをより大量に安く,という方向で生産技術は進歩してきたのです。
もうお忘れかもしれませんが,去年(2013年)の秋頃に話題となった「食品の偽装」(安価な素材を高級と偽る)も,「ごちそうを,ありふれた材料からつくる」という意味で,希少性を克服することなのかもしれません。
もちろんウソや不正はダメです。でも例えば,もしも春雨から「絶品フカヒレスープ」が本当につくれるなら,たいした技術革新です。「未来のごちそう」は,そのような「春雨による絶品フカヒレ風」のほうに行くのではないでしょうか?
つまり,いろんなごちそうが「食べてもなくならないケーキ」になっていく…
これからは経済発展で,世界の何十億もの人たちがぜいたくを求めるようになります。でも,100億人みんなで貴重な「天然のいいマグロ」を食べるのは無理。だから,アフリカやアマゾンで養殖したある種の魚を「トロ」と呼んで食べるのかもしれません。
それは「おぞましい未来」でしょうか?そうかしれませんが,一方で「より多くの人が一定のぜいたくを味わうことができる,明るい未来」ともいえるでしょう。

(付記)
じっさい,ウナギが養殖ものも含め「希少」になってきた中,カニカマのような「すり身」で,ウナギのかば焼きをつくりだした食品メーカーもあるようです。何か月か前,テレビのバラエティ番組で知りました。
しかもそれがかなりの高品質で,かば焼きの味と触感をうまく再現している,と番組では伝えていました。ただし,まだ業務用のみの販売で,一般向けには売られていないらしい。
こういう食品が発達・普及することは,おおいにあり得るのではないでしょうか。未来の子どもたちは,「かば焼き」といえば「すり身しか知らない」ということになったりするわけです。「すり身のかば焼き」は,「未来のごちそう」の候補のひとつではないかと。
(以上)
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- がんばるなかれ 水木しげるの言葉
- そういちカレンダー2015発売中
- 食べてもなくならないケーキ・あるいは未来のごちそう
- 【今月の名言】未来はすでにここにある(ウイリアム・ギブスン)
- 団地の秋・カレンダー制作中
2014年12月14日 (日) | Edit |
前回,前々回の続きですが,この回だけ読んでいただいても大丈夫です。
「世の中を生きていくために何を身につけたらいいのだろう」ということは,多くの人が考えると思います。
私も「これからの時代を生きるためのスキル・知識」について考えた。
自分も含め,多くの人に役立つだろうという8つの項目をあげてみました。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
***
もし,「高いスキルをもった少数の人材」として高収入やステイタスを得たい,つまり「エリート」をめざすなら,これではもちろん足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があるでしょう。
そして,「エリート」になろうとするなら,このリストにあるくらいのことは「土台」として当然に身につけておくべきだと思います。
でも,そういう元気で能力の高い人たちよりも,私が話したいのは「いろんなことがうまくできない」と感じている人たちです。多数派のフツーの人たち,といっていい。
そんな多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つでしょう。「この8つ全部が誰にも必要」なんてことはありません。
なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていません。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかされていない。
あるいは,それぞれの項目で「まず大事なことは何か」について議論が混乱していたりします。「多くの人にとって必要なレベル」と「社会の最先端を担う人材に必要なレベル」を混同していたりするのです。
だからこそ,こういうリストをつくってみる意味があります。
これらの8つの項目については,今の学校やマスコミはしっかり教えてくれないので,自分で自分を教育していく姿勢が大事です。
また,そもそもこういう「教育内容のリスト」については,人によって考え方が大きく異なります。
私のリストをみて「あれが足りない」「これは要らない」という意見はいろいろあると思います。あるいは,もっと抽象度の高い項目で考えるべきだという人や,逆にもっと具体的な内容のリストであるべきだ,という人もいるはずです。
私は私なりのさじ加減で「このくらいの抽象度でまとめるといい」と思っているわけです。「生きる力」とか「問題発見力」みたいな包括的すぎる項目にならないように,かといって細かくなりすぎないように・・・
以上,この8つの項目のリストは
・必ずしも「エリート」ではない多数派の人にとっても大事と思われることで
・学校では十分に教えていないことを
・抽象的になりすぎず,細かくなりすぎず
という意識のもとにピックアップしたものです。
このリストをきっかけに,自分なりのリストを考えてみるのもいいかと思います。
***
それでは,各項目について説明していきます。
まず最初の2つは「IT」と「英語」ですから,「それが大事だ」ということじたいは,誰も異論がないでしょう。
問題は,その内容をどうとらえるかということです。
世の中の議論にはいろいろ混乱や誤解があるように思います。
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
これは,3つのレベルがあります。
①情報の消費のための端末を使える
②情報の生産・発信のための機器・システムを使える
③上記①②のシステムを作り出す
多くのフツーの人に必要なのは,まず①で,それから②の初歩です。①は携帯やスマホやゲーム機がいじれる。パソコンでネットの検索ができる。②はおもにパソコンでアプリケーションのソフトなどを使って,アウトプットをする。③は,ITの専門家・技術者の世界です。
ときどき,これらがごちゃごちゃになっている議論をみかけます。
「今の若い人たちはゲーム機やスマホで慣れているから,ことさらにITの教育する必要はない」という人がいます。でも,それでは②の教育はどうするのか? だからといって,コンピュータ言語などの③レベルが誰にも必要と考えるのは行きすぎです。
①は,今の時代はかなりの人が生活のなかで身につけています。
しかし,若い人でIT機器に慣れているはずだから,自然に②が身についているということはありません。
大学生のつくったワープロの書類をみると,かなりの場合「基本操作ができていない」とわかります。パソコンに疎い中年の私がみても「ダメだなー」と思うものがかなりあるのです。(私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職相談の仕事をしています)
それから,ここで「コンピューター操作のスキル」などといわずに「コンピューターと働くスキル」というのには,わけがあります。
それは,「コンピューターを扱うこと」自体が目的ではないからです。「コンピューターに手伝ってもらいつつ,コンピューターにはできない何かを行って成果を出す」のが目的です。
だとすると,私たちに「コンピューターにできない何か」ができるかどうかが,大事になります。そのうえで,コンピューターとどう関わるか。その視点が必要です。
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
「読む」「書く」「聞く」「話す」の全部をこなして英語でコミュニケーションするのは,ものすごくハードルの高いことです。英語でのコミュニケーションのうち,最も初歩的で入りやすいのは「読む」こと。
そして,英語を「読む」力は,今の時代はおおいに使いでがあります。インターネットで大量の英文に手軽にアクセスできるからです。興味のある分野の記事を,たどたどしくても読めたら楽しいし,世界が広がります。
少し前は「読むに値する英文」に出会うこと自体がたいへんでした。ふだんから多くの英語の本や新聞,専門誌などに触れている特別な人にだけ,それが可能でした。でも今はちがいます。インターネットのおかげです。
なので,英語学習のとりあえずの目標は「興味のある分野に関する英文を,多少時間がかかっても読めるようになること」だと考えるといいでしょう。
もちろん,その先の英語力もあったほうがいいにきまっています。「社会の最前線」にいるビジネスマンに話を聞くと「英語はやっぱり勉強したほうがいい。英語ができると職業選択の幅は大きく広がる」といったことを,多くの人が言います。
でも,「とりあえずこれでいい」というレベルも自覚しておきましょう。
大事なのは,英語というのはいろんなレベルなりに「使える」ということです。
就職の相談で「TOEIC600点じゃ,資格のうちに入らないのでは?」という話を聞きますが,そんなことはありません。たしかに「それでは足りない」という仕事はあります。でも,「600点でも(いや500点でも)とりあえずオーケー」という,英語を使う仕事もあるのです。
***
以上の「IT」と「英語」は,私にとっては苦手の分野です。ほんとうはエラそうなことは言えません。
でも,苦手なりに,苦手だからこそ「何が大切か」を感じるところもあります。
また,パソコンにせよ英語にせよ,ささやかにしかできなくても,ほかのスキルと結びついたとき,じつに有意義なものだと感じます。
たとえば私は,このブログや自家製の印刷物や商業出版などで情報発信をしていますが,それに必要な初歩のパソコンのスキルを身につけて,ほんとうによかったと思うのです。
私が「初歩のパソコンスキル」と組み合わせているのは,つぎの「文章を書く」というスキルです。
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
昔ながらの定義だと,知識人とは「文章・文書で,複雑なコミュニケーションがとれる人」のことです。軍隊や役所での文書によるやりとりが,その古典的なかたちです。きちんとした文書の読み書きができるのは,昔は高等教育を受けた人だけでした。だからそのような人たちが将校や高級官僚になったのです。
今の時代は,幅広い人たちが将校や官僚のように多くの文書を書いています。メールやSNSでのやり取り,就職活動,プレゼン,議事録,報告書,レジメ,レポート,システムに入力する記録・・・
「実用的なわかりやすい文章が書ける」ことは,今の社会の重要なスキルになっています。
でも,学校教育ではあまり力を入れていません。
国語や作文の授業は,あいかわらず「文芸」中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求することがメインで,「実用的でわかりやすい文章を書く」という視点は弱いです。
大学の授業で書かせるレポートも,「実用的な文章」のトレーニングにはなっていないようです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文というのは,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。
私は会社員時代(総務・法務の担当だった)や今のキャリアカウンセラーの仕事などを通じて,さまざまな文章をつくったり,人の文章を検討したりしてきました。また,個人の活動として著作も行ってきました。「文章・文書にまみれて生きてきた」といってもいいかもしれません。
それでわかったのは,「書くことが得意な人は少ない」ということです。
「パソコンが得意」「英語が得意」という人よりも少ないかもしれません。
年齢・学歴などを問わず,多くの人が「文章を書く」ことには苦戦しています。
学校で「書くこと」の教育に力が入らない一因も,そこにあります。
「文章の書き方」を教えられる人が,教育現場にあまりいない。
いたとしても,ほかのことで手一杯。
数百~2000文字くらいの,一定のメッセージといくつかの情報で構成された,わかりやすい文章。
それが不自由なく書けるとしたら,これから生きていくうえで,いろいろ得すること,楽しいことがあるでしょう。
文章が書けるようになると,話すのも,聞くのも,読むのも上手になります。一流の作家の多くは,弁の立つ人でなくても,しっかりと伝えるべきことを話したり,人の話を引き出したりできるのです。
でも,それは今の学校教育ではまず教えてくれないので,自分で何とかしないといけません。
この項目は,私としてはこれまで追求してきた分野です。関連する著作(電子書籍 自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library) アマゾンキンドルで発売中)もあります。書きたいことはもっとありますが,今回はこのへんで。
ほかの項目(4.以下)は,次回以降に。
(以上)
「世の中を生きていくために何を身につけたらいいのだろう」ということは,多くの人が考えると思います。
私も「これからの時代を生きるためのスキル・知識」について考えた。
自分も含め,多くの人に役立つだろうという8つの項目をあげてみました。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
***
もし,「高いスキルをもった少数の人材」として高収入やステイタスを得たい,つまり「エリート」をめざすなら,これではもちろん足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があるでしょう。
そして,「エリート」になろうとするなら,このリストにあるくらいのことは「土台」として当然に身につけておくべきだと思います。
でも,そういう元気で能力の高い人たちよりも,私が話したいのは「いろんなことがうまくできない」と感じている人たちです。多数派のフツーの人たち,といっていい。
そんな多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つでしょう。「この8つ全部が誰にも必要」なんてことはありません。
なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていません。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかされていない。
あるいは,それぞれの項目で「まず大事なことは何か」について議論が混乱していたりします。「多くの人にとって必要なレベル」と「社会の最先端を担う人材に必要なレベル」を混同していたりするのです。
だからこそ,こういうリストをつくってみる意味があります。
これらの8つの項目については,今の学校やマスコミはしっかり教えてくれないので,自分で自分を教育していく姿勢が大事です。
また,そもそもこういう「教育内容のリスト」については,人によって考え方が大きく異なります。
私のリストをみて「あれが足りない」「これは要らない」という意見はいろいろあると思います。あるいは,もっと抽象度の高い項目で考えるべきだという人や,逆にもっと具体的な内容のリストであるべきだ,という人もいるはずです。
私は私なりのさじ加減で「このくらいの抽象度でまとめるといい」と思っているわけです。「生きる力」とか「問題発見力」みたいな包括的すぎる項目にならないように,かといって細かくなりすぎないように・・・
以上,この8つの項目のリストは
・必ずしも「エリート」ではない多数派の人にとっても大事と思われることで
・学校では十分に教えていないことを
・抽象的になりすぎず,細かくなりすぎず
という意識のもとにピックアップしたものです。
このリストをきっかけに,自分なりのリストを考えてみるのもいいかと思います。
***
それでは,各項目について説明していきます。
まず最初の2つは「IT」と「英語」ですから,「それが大事だ」ということじたいは,誰も異論がないでしょう。
問題は,その内容をどうとらえるかということです。
世の中の議論にはいろいろ混乱や誤解があるように思います。
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
これは,3つのレベルがあります。
①情報の消費のための端末を使える
②情報の生産・発信のための機器・システムを使える
③上記①②のシステムを作り出す
多くのフツーの人に必要なのは,まず①で,それから②の初歩です。①は携帯やスマホやゲーム機がいじれる。パソコンでネットの検索ができる。②はおもにパソコンでアプリケーションのソフトなどを使って,アウトプットをする。③は,ITの専門家・技術者の世界です。
ときどき,これらがごちゃごちゃになっている議論をみかけます。
「今の若い人たちはゲーム機やスマホで慣れているから,ことさらにITの教育する必要はない」という人がいます。でも,それでは②の教育はどうするのか? だからといって,コンピュータ言語などの③レベルが誰にも必要と考えるのは行きすぎです。
①は,今の時代はかなりの人が生活のなかで身につけています。
しかし,若い人でIT機器に慣れているはずだから,自然に②が身についているということはありません。
大学生のつくったワープロの書類をみると,かなりの場合「基本操作ができていない」とわかります。パソコンに疎い中年の私がみても「ダメだなー」と思うものがかなりあるのです。(私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職相談の仕事をしています)
それから,ここで「コンピューター操作のスキル」などといわずに「コンピューターと働くスキル」というのには,わけがあります。
それは,「コンピューターを扱うこと」自体が目的ではないからです。「コンピューターに手伝ってもらいつつ,コンピューターにはできない何かを行って成果を出す」のが目的です。
だとすると,私たちに「コンピューターにできない何か」ができるかどうかが,大事になります。そのうえで,コンピューターとどう関わるか。その視点が必要です。
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
「読む」「書く」「聞く」「話す」の全部をこなして英語でコミュニケーションするのは,ものすごくハードルの高いことです。英語でのコミュニケーションのうち,最も初歩的で入りやすいのは「読む」こと。
そして,英語を「読む」力は,今の時代はおおいに使いでがあります。インターネットで大量の英文に手軽にアクセスできるからです。興味のある分野の記事を,たどたどしくても読めたら楽しいし,世界が広がります。
少し前は「読むに値する英文」に出会うこと自体がたいへんでした。ふだんから多くの英語の本や新聞,専門誌などに触れている特別な人にだけ,それが可能でした。でも今はちがいます。インターネットのおかげです。
なので,英語学習のとりあえずの目標は「興味のある分野に関する英文を,多少時間がかかっても読めるようになること」だと考えるといいでしょう。
もちろん,その先の英語力もあったほうがいいにきまっています。「社会の最前線」にいるビジネスマンに話を聞くと「英語はやっぱり勉強したほうがいい。英語ができると職業選択の幅は大きく広がる」といったことを,多くの人が言います。
でも,「とりあえずこれでいい」というレベルも自覚しておきましょう。
大事なのは,英語というのはいろんなレベルなりに「使える」ということです。
就職の相談で「TOEIC600点じゃ,資格のうちに入らないのでは?」という話を聞きますが,そんなことはありません。たしかに「それでは足りない」という仕事はあります。でも,「600点でも(いや500点でも)とりあえずオーケー」という,英語を使う仕事もあるのです。
***
以上の「IT」と「英語」は,私にとっては苦手の分野です。ほんとうはエラそうなことは言えません。
でも,苦手なりに,苦手だからこそ「何が大切か」を感じるところもあります。
また,パソコンにせよ英語にせよ,ささやかにしかできなくても,ほかのスキルと結びついたとき,じつに有意義なものだと感じます。
たとえば私は,このブログや自家製の印刷物や商業出版などで情報発信をしていますが,それに必要な初歩のパソコンのスキルを身につけて,ほんとうによかったと思うのです。
私が「初歩のパソコンスキル」と組み合わせているのは,つぎの「文章を書く」というスキルです。
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
昔ながらの定義だと,知識人とは「文章・文書で,複雑なコミュニケーションがとれる人」のことです。軍隊や役所での文書によるやりとりが,その古典的なかたちです。きちんとした文書の読み書きができるのは,昔は高等教育を受けた人だけでした。だからそのような人たちが将校や高級官僚になったのです。
今の時代は,幅広い人たちが将校や官僚のように多くの文書を書いています。メールやSNSでのやり取り,就職活動,プレゼン,議事録,報告書,レジメ,レポート,システムに入力する記録・・・
「実用的なわかりやすい文章が書ける」ことは,今の社会の重要なスキルになっています。
でも,学校教育ではあまり力を入れていません。
国語や作文の授業は,あいかわらず「文芸」中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求することがメインで,「実用的でわかりやすい文章を書く」という視点は弱いです。
大学の授業で書かせるレポートも,「実用的な文章」のトレーニングにはなっていないようです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文というのは,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。
私は会社員時代(総務・法務の担当だった)や今のキャリアカウンセラーの仕事などを通じて,さまざまな文章をつくったり,人の文章を検討したりしてきました。また,個人の活動として著作も行ってきました。「文章・文書にまみれて生きてきた」といってもいいかもしれません。
それでわかったのは,「書くことが得意な人は少ない」ということです。
「パソコンが得意」「英語が得意」という人よりも少ないかもしれません。
年齢・学歴などを問わず,多くの人が「文章を書く」ことには苦戦しています。
学校で「書くこと」の教育に力が入らない一因も,そこにあります。
「文章の書き方」を教えられる人が,教育現場にあまりいない。
いたとしても,ほかのことで手一杯。
数百~2000文字くらいの,一定のメッセージといくつかの情報で構成された,わかりやすい文章。
それが不自由なく書けるとしたら,これから生きていくうえで,いろいろ得すること,楽しいことがあるでしょう。
文章が書けるようになると,話すのも,聞くのも,読むのも上手になります。一流の作家の多くは,弁の立つ人でなくても,しっかりと伝えるべきことを話したり,人の話を引き出したりできるのです。
でも,それは今の学校教育ではまず教えてくれないので,自分で何とかしないといけません。
この項目は,私としてはこれまで追求してきた分野です。関連する著作(電子書籍 自分で考えるための勉強法 (Discover Digital Library) アマゾンキンドルで発売中)もあります。書きたいことはもっとありますが,今回はこのへんで。
ほかの項目(4.以下)は,次回以降に。
(以上)
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- 勉強会「これからの時代を生きるためのスキル」の講師を務めました
- 「プチ富裕層」とのつきあい方
- これからの時代を生きるためのスキルと知識3
- これからの時代を生きるためのスキルと知識2
- これからの時代を生きるためのスキルと知識
2014年12月13日 (土) | Edit |
前回の記事で,「これからの時代を生きるための知識とスキル」ということで,後で述べる8つの項目をあげました。
これを考えるきっかけとなった,タイラー・コーエン著 大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか という本や,高校の先生である友人との会話などについても述べました。
コーエンは「平均は終わった」と言います。これからは「格差」の時代なのだと。テクノロジーによる社会の変化がそのような時代をもたらす・・・
今回は,「8つの項目」の前提になる話をします。
これからの世の中についての,おおざっぱな認識です。
とくに就職や所得にかんすること。
***
技術革新(おもにIT関係)によって,従来の「中流」的な人たちのおもな職であった「そこそこのスキルで行う,そこそこ知的な感じのホワイトカラーの,安定した仕事」が大幅に減りつつあるのではないか。
世の中の働き手は,賢い機械(コンピュータ・人工知能)を補えるような高度のスキルや判断力を持つ少数派と,そうでない多数派に大きく分かれていく。「そうでない」人たちが,これまでのような「中流」でいられるだけの所得を得ることは難しくなる。今すでにその傾向はあらわれているが,将来は一層はっきりしてくるのではないか…
このような「中流の消滅」や「格差の拡大」には,技術革新のほかに「経済成長の停滞」もかかわっています。
「そこそこの安定したホワイトカラー」は,経済成長が長く続いたことで生まれた「余裕」の産物です。
日本では1980年代から90年代は,そんな「ホワイトカラー」の黄金時代でした。
私が新入社員だった1980年代後半には,「比較的簡単な判断業務を行うだけの,オフィスで新聞を読む時間もたっぷりある課長職」や「比較的単純な事務処理をコツコツ行って年収数百万円の,正社員事務職」というのが,かなりフツーにありました。
経済の停滞が長く続けば,会社にそのような人たちを養う余裕はなくなっていきます。
そして,さまざまな技術革新とあいまって,仕事の現場では「そこそこのホワイトカラー」を減らして・抜きにしてやっていくことが浸透してきたのです。
「余裕」の消滅には,よく言われるように「グローバル化の進展による競争の激化」も関係しています。新興国の安価な製品に対抗するのに,生産性の低い高給のホワイトカラーを大勢かかえるわけにはいきません。
今,上記のようなのんびりした「課長職」はどれだけあるでしょうか?
また,就職活動をする今の若い人たちにとって,「コツコツ事務作業をしさえすれば給料や身分が保証される事務職」になることがどれだけ難しいか。そのような求人は今や貴重です。あったとしても相当な競争倍率です。
たとえば,今の世の中「普通のOL」になるのは,なかなか大変です。
有名ではない中小企業の,おそらく若い女子を想定していると思われる「一般事務職」,つまり「普通のOL」の求人があったとする。それはたいてい「1人」「2人」の募集ですが,そこに数十人以上の応募があることもしばしばです。有名な大企業ではなく,中小企業でもそうなのです。
そして,そもそも「普通のOL」だって,コツコツ事務作業をしたりお茶を入れたりすればいい,なんてことはまずあり得ない。だから,そこがわかっていない人は,なかなか採用されません。
公務員をめざす若者も増えました。
公務員の世界には「そこそこのホワイトカラー」がまだまだ残っています。でも,これも今や難関。小さな市町村の役所に入るにしても,予備校通いをして筆記試験に合格し,相当な倍率の面接を突破しないといけません。今の親世代が若いころは,筆記試験に通れば,かなりの確率で採用されたのですが,今はそうではないのです。
「〇〇さんの子どもが市役所に就職した」という話があっても,よく聞いてみると「契約職員」などの,いわゆる「非正規」の雇用であることが結構あります。その多くは,一定期間で契約を切られてしまう(解雇される)ことになっています。
これから,一定の好景気がやってくることもあるでしょう。
しかし,「ホワイトカラー」にとっての黄金時代が再び訪れることはないでしょう。世の中の仕事の仕方が変わっていくからです。
去年から今年にかけて,日本経済では一定の景気回復や雇用の改善がみられましたが,ここでいう「そこそこのホワイトカラー」の職は増えていません。
ここ1~2年で求人がとくに増えたのは,建設や販売接客など,「賢い機械」が苦手な分野の仕事です。製造や営業やIT技術者などほかの領域でも,少なくとも部分的には求人増はあります。しかし,「そこそこのホワイトカラー」を増やす考えは,今の企業にはないのです。
これから当面の日本では,多少の「景気回復」があったとしても,「実感がない」と多くの人たちは言うでしょう。
失業率や有効求人倍率などからみて「雇用の改善」があっても,「就職が厳しい」と言い続けるはずです。
「かつての〈中流〉的な仕事や生活がなかなか得られない」ということであれば,そうなります。20~30年前の「黄金時代」が戻ってこないかぎり,多くの人たちには不満が残ってしまうのです。
***
以上のような話は,たいしてめずらしいものではないでしょう。あちこちで言われていることです。
でも,今回書いてみたのは,私なりにこのような「社会の変化」を,「現場」の感覚としても実感しているからです。
また,幅広い現象をざっとみわたす文章は意外と少ないので,自分でまとめてみた,ということもあります。
この何年か,私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職の相談の仕事をしてきました。千数百回の相談を行い,万を超える具体的な求人をみたりしてきました。そのうえで得た「実感」をもとに関係者の話を聞いたり,活字の情報に学んだりして,「世間でよく言われていることはやはり本当だ」と思うのです。
また,「古き良き日本企業」といえる会社に十何年勤めたり,その合間に教育に関するNPOにかかわったり,サラリーマンを辞めて金融系の会社をつくったり,失業者として何年かブラブラしたことなどもあります。その過程で見聞きしたことももちろんベースにあります。
そのうえで,冒頭で紹介したコーエンや,その他の識者が述べているような「これからは格差の時代」「平均や中流の終わり」ということは,たぶん本当なのだろうと。
じゃあ,どうしたらいいの?
私は,ことさらに危機感をあおったり,「こんな社会はまちがっている」とさかんに憂いたりするつもりはありません。
対応策は,その人なりにいろいろあると思います。
若い人ほど,どうにでもなりやすいです。
やたらと眉間にシワを寄せるのはよくないです。
「政策をこうすべきだ」という話も,ないわけではありませんが,ここではおいておきます。
あくまで「個人としての対応」に話をしぼります。
まず,未来の労働市場が,少数の高いスキルを持つ人材とその他大勢に2極化するというなら,自分は「少数の高いスキルを持つ人」になれないだろうか?
具体的には,それぞれの分野で上位何パーセントかの人になるということです(ただし,その分野に社会的なニーズがないといけません)。それに「手が届きそう」という人は,結構います。若くて元気な人は,それを目指すことをまず考えればいいでしょう。
「これからの労働市場」をふまえた「仕事論」の本がいくつか出ていますが,そこで主流なのは「少数の高いスキルを持つ人になろう」と説く本です。
それはちょっと気が進まない,あるは「無理」と思う人もいるでしょう。
(しかし「無理」かどうかは,よく考えてみたほうがいいと思う。結構やれるかもしれない)
でもまあ,それならそれで,いろんな考えはあるはずです。
さきほど述べたような,建設や接客・サービスなどの「賢い機械が苦手な仕事で,人を雇う意欲のある分野」で少しでも納得のいく職をみつける。
納得のいく職がどうしてもなければ,自分で「小商い」「スモールビジネス」を立ち上げる。自営業者になるということです。あるいは「将来,小さな起業をする」ことを意識して職を選ぶ。
そんなのはイヤだ,やっぱり「そこそこのホワイトカラー」として安定したいというなら,今でもそのような職がまったくないというわけではありません。若い人,とくに学生であれば,それをめざすことも考えられます。
そのための具体的な戦略もあるので,熱意を持って追求すればいいと思います。ただ,今の親世代のときのように,まともな戦略や努力もなく「そこそこのホワイトカラー」にすんなりなれる時代は終わったということです。そして「社会のかぎられた席を得る競争」には必ず「敗者」がいて,自分がそうなる可能性もあるということも忘れてはいけない・・・
でも,「安定したそこそこのホワイトカラー」を志向する人にかぎって,それをめざすための戦略や熱意が弱い傾向があるのです。だから「それなら意識をもってやろうよ」ということです。
中高年の人は,今現在「まあまあ納得」の安定した仕事があるなら,大切にしましょう。
そして,「一生真剣にやってきたい」ということが本当にあって,しかしそれがなかなか職業や収入に結びつかないという人。
それなら,「食えないアーティスト・文化人」として生きる道もあるでしょう。そういう人が生きるための戦略や知恵というのもあるので,これも追及していくことかと思います。
今の社会はかなり豊かにはなったので,「食えないアーティスト」が貧乏しながら生きていく余地も,昔よりはだいぶあるのです。でも,その道へ行くかどうかおおいに迷うようなら,やめたほうがいいかと。
あとは,「生活のなかの愉しみ」について,柔軟な考えを持つといいと思います。
衣食住について,娯楽について,何がステキで良いものなのか,という感覚を柔軟にすることです。今まで「安いもの」「つまらないもの」といわれてきたものに新たな「価値」を見出せたら「シメた!」と思いましょう。それはこれからの社会への「適応力」が増すということです。
その対極が,だいぶマイナーにはなりましたが「バブリー」な価値観です。いわゆる高級品とかブランドとかその亜流が大好きだということ。この価値観で生きていこうとするなら,これからの時代は「少数の経済的成功者」になることでしょう。それができるなら「バブリー」もいい。それはそれで楽しいはず。
***
「あれもある・これもある」という話をしましたが,すべてに通じるのは「今までの中流や平均を安易に求めても,うまくいかないし,楽しくもない」という考え方です。「中流」や「平均」を求めてもいいのですが,「それは簡単ではない」というイメージを持つことです。また,「それだけがあるべき姿だ」と考えるのも,まちがいです。
「平均は終わった」とまではいかなくても,「平均は貴重なものになってきた」ということ。
その状況に適応することを,考えてみよう。
やり方は,いろいろあるはずです。
***
以上のような「社会への認識」をふまえて,つぎのような「これからの時代を生きるためのスキル・知識」を考えました。
もし,「高いスキルをもった少数の人材」,つまり「エリート」をめざすなら,これではとうてい足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があります。
しかし,多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つと思います。
なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていないのです。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかなされていない。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
***
各項目についての説明は,次回に。
前のときも「次回に」といっておきながら,今回説明しませんでしたが,今度はします。
(以上)
これを考えるきっかけとなった,タイラー・コーエン著 大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか という本や,高校の先生である友人との会話などについても述べました。
コーエンは「平均は終わった」と言います。これからは「格差」の時代なのだと。テクノロジーによる社会の変化がそのような時代をもたらす・・・
今回は,「8つの項目」の前提になる話をします。
これからの世の中についての,おおざっぱな認識です。
とくに就職や所得にかんすること。
***
技術革新(おもにIT関係)によって,従来の「中流」的な人たちのおもな職であった「そこそこのスキルで行う,そこそこ知的な感じのホワイトカラーの,安定した仕事」が大幅に減りつつあるのではないか。
世の中の働き手は,賢い機械(コンピュータ・人工知能)を補えるような高度のスキルや判断力を持つ少数派と,そうでない多数派に大きく分かれていく。「そうでない」人たちが,これまでのような「中流」でいられるだけの所得を得ることは難しくなる。今すでにその傾向はあらわれているが,将来は一層はっきりしてくるのではないか…
このような「中流の消滅」や「格差の拡大」には,技術革新のほかに「経済成長の停滞」もかかわっています。
「そこそこの安定したホワイトカラー」は,経済成長が長く続いたことで生まれた「余裕」の産物です。
日本では1980年代から90年代は,そんな「ホワイトカラー」の黄金時代でした。
私が新入社員だった1980年代後半には,「比較的簡単な判断業務を行うだけの,オフィスで新聞を読む時間もたっぷりある課長職」や「比較的単純な事務処理をコツコツ行って年収数百万円の,正社員事務職」というのが,かなりフツーにありました。
経済の停滞が長く続けば,会社にそのような人たちを養う余裕はなくなっていきます。
そして,さまざまな技術革新とあいまって,仕事の現場では「そこそこのホワイトカラー」を減らして・抜きにしてやっていくことが浸透してきたのです。
「余裕」の消滅には,よく言われるように「グローバル化の進展による競争の激化」も関係しています。新興国の安価な製品に対抗するのに,生産性の低い高給のホワイトカラーを大勢かかえるわけにはいきません。
今,上記のようなのんびりした「課長職」はどれだけあるでしょうか?
また,就職活動をする今の若い人たちにとって,「コツコツ事務作業をしさえすれば給料や身分が保証される事務職」になることがどれだけ難しいか。そのような求人は今や貴重です。あったとしても相当な競争倍率です。
たとえば,今の世の中「普通のOL」になるのは,なかなか大変です。
有名ではない中小企業の,おそらく若い女子を想定していると思われる「一般事務職」,つまり「普通のOL」の求人があったとする。それはたいてい「1人」「2人」の募集ですが,そこに数十人以上の応募があることもしばしばです。有名な大企業ではなく,中小企業でもそうなのです。
そして,そもそも「普通のOL」だって,コツコツ事務作業をしたりお茶を入れたりすればいい,なんてことはまずあり得ない。だから,そこがわかっていない人は,なかなか採用されません。
公務員をめざす若者も増えました。
公務員の世界には「そこそこのホワイトカラー」がまだまだ残っています。でも,これも今や難関。小さな市町村の役所に入るにしても,予備校通いをして筆記試験に合格し,相当な倍率の面接を突破しないといけません。今の親世代が若いころは,筆記試験に通れば,かなりの確率で採用されたのですが,今はそうではないのです。
「〇〇さんの子どもが市役所に就職した」という話があっても,よく聞いてみると「契約職員」などの,いわゆる「非正規」の雇用であることが結構あります。その多くは,一定期間で契約を切られてしまう(解雇される)ことになっています。
これから,一定の好景気がやってくることもあるでしょう。
しかし,「ホワイトカラー」にとっての黄金時代が再び訪れることはないでしょう。世の中の仕事の仕方が変わっていくからです。
去年から今年にかけて,日本経済では一定の景気回復や雇用の改善がみられましたが,ここでいう「そこそこのホワイトカラー」の職は増えていません。
ここ1~2年で求人がとくに増えたのは,建設や販売接客など,「賢い機械」が苦手な分野の仕事です。製造や営業やIT技術者などほかの領域でも,少なくとも部分的には求人増はあります。しかし,「そこそこのホワイトカラー」を増やす考えは,今の企業にはないのです。
これから当面の日本では,多少の「景気回復」があったとしても,「実感がない」と多くの人たちは言うでしょう。
失業率や有効求人倍率などからみて「雇用の改善」があっても,「就職が厳しい」と言い続けるはずです。
「かつての〈中流〉的な仕事や生活がなかなか得られない」ということであれば,そうなります。20~30年前の「黄金時代」が戻ってこないかぎり,多くの人たちには不満が残ってしまうのです。
***
以上のような話は,たいしてめずらしいものではないでしょう。あちこちで言われていることです。
でも,今回書いてみたのは,私なりにこのような「社会の変化」を,「現場」の感覚としても実感しているからです。
また,幅広い現象をざっとみわたす文章は意外と少ないので,自分でまとめてみた,ということもあります。
この何年か,私はキャリアカウンセラーとして若い人の就職の相談の仕事をしてきました。千数百回の相談を行い,万を超える具体的な求人をみたりしてきました。そのうえで得た「実感」をもとに関係者の話を聞いたり,活字の情報に学んだりして,「世間でよく言われていることはやはり本当だ」と思うのです。
また,「古き良き日本企業」といえる会社に十何年勤めたり,その合間に教育に関するNPOにかかわったり,サラリーマンを辞めて金融系の会社をつくったり,失業者として何年かブラブラしたことなどもあります。その過程で見聞きしたことももちろんベースにあります。
そのうえで,冒頭で紹介したコーエンや,その他の識者が述べているような「これからは格差の時代」「平均や中流の終わり」ということは,たぶん本当なのだろうと。
じゃあ,どうしたらいいの?
私は,ことさらに危機感をあおったり,「こんな社会はまちがっている」とさかんに憂いたりするつもりはありません。
対応策は,その人なりにいろいろあると思います。
若い人ほど,どうにでもなりやすいです。
やたらと眉間にシワを寄せるのはよくないです。
「政策をこうすべきだ」という話も,ないわけではありませんが,ここではおいておきます。
あくまで「個人としての対応」に話をしぼります。
まず,未来の労働市場が,少数の高いスキルを持つ人材とその他大勢に2極化するというなら,自分は「少数の高いスキルを持つ人」になれないだろうか?
具体的には,それぞれの分野で上位何パーセントかの人になるということです(ただし,その分野に社会的なニーズがないといけません)。それに「手が届きそう」という人は,結構います。若くて元気な人は,それを目指すことをまず考えればいいでしょう。
「これからの労働市場」をふまえた「仕事論」の本がいくつか出ていますが,そこで主流なのは「少数の高いスキルを持つ人になろう」と説く本です。
それはちょっと気が進まない,あるは「無理」と思う人もいるでしょう。
(しかし「無理」かどうかは,よく考えてみたほうがいいと思う。結構やれるかもしれない)
でもまあ,それならそれで,いろんな考えはあるはずです。
さきほど述べたような,建設や接客・サービスなどの「賢い機械が苦手な仕事で,人を雇う意欲のある分野」で少しでも納得のいく職をみつける。
納得のいく職がどうしてもなければ,自分で「小商い」「スモールビジネス」を立ち上げる。自営業者になるということです。あるいは「将来,小さな起業をする」ことを意識して職を選ぶ。
そんなのはイヤだ,やっぱり「そこそこのホワイトカラー」として安定したいというなら,今でもそのような職がまったくないというわけではありません。若い人,とくに学生であれば,それをめざすことも考えられます。
そのための具体的な戦略もあるので,熱意を持って追求すればいいと思います。ただ,今の親世代のときのように,まともな戦略や努力もなく「そこそこのホワイトカラー」にすんなりなれる時代は終わったということです。そして「社会のかぎられた席を得る競争」には必ず「敗者」がいて,自分がそうなる可能性もあるということも忘れてはいけない・・・
でも,「安定したそこそこのホワイトカラー」を志向する人にかぎって,それをめざすための戦略や熱意が弱い傾向があるのです。だから「それなら意識をもってやろうよ」ということです。
中高年の人は,今現在「まあまあ納得」の安定した仕事があるなら,大切にしましょう。
そして,「一生真剣にやってきたい」ということが本当にあって,しかしそれがなかなか職業や収入に結びつかないという人。
それなら,「食えないアーティスト・文化人」として生きる道もあるでしょう。そういう人が生きるための戦略や知恵というのもあるので,これも追及していくことかと思います。
今の社会はかなり豊かにはなったので,「食えないアーティスト」が貧乏しながら生きていく余地も,昔よりはだいぶあるのです。でも,その道へ行くかどうかおおいに迷うようなら,やめたほうがいいかと。
あとは,「生活のなかの愉しみ」について,柔軟な考えを持つといいと思います。
衣食住について,娯楽について,何がステキで良いものなのか,という感覚を柔軟にすることです。今まで「安いもの」「つまらないもの」といわれてきたものに新たな「価値」を見出せたら「シメた!」と思いましょう。それはこれからの社会への「適応力」が増すということです。
その対極が,だいぶマイナーにはなりましたが「バブリー」な価値観です。いわゆる高級品とかブランドとかその亜流が大好きだということ。この価値観で生きていこうとするなら,これからの時代は「少数の経済的成功者」になることでしょう。それができるなら「バブリー」もいい。それはそれで楽しいはず。
***
「あれもある・これもある」という話をしましたが,すべてに通じるのは「今までの中流や平均を安易に求めても,うまくいかないし,楽しくもない」という考え方です。「中流」や「平均」を求めてもいいのですが,「それは簡単ではない」というイメージを持つことです。また,「それだけがあるべき姿だ」と考えるのも,まちがいです。
「平均は終わった」とまではいかなくても,「平均は貴重なものになってきた」ということ。
その状況に適応することを,考えてみよう。
やり方は,いろいろあるはずです。
***
以上のような「社会への認識」をふまえて,つぎのような「これからの時代を生きるためのスキル・知識」を考えました。
もし,「高いスキルをもった少数の人材」,つまり「エリート」をめざすなら,これではとうてい足りない。あるいは,それぞれの項目で本当に高いレベルを身につける必要があります。
しかし,多くの人にとっては,この8項目のうち2つでも3つでもそれなりに身につければ,これからの時代を元気に生きるうえでおおいに役立つと思います。
なのに,これらの項目は,学校教育やマスコミなどではあまり重視されていないのです。少なくとも,その重要性についてあいまいな言い方しかなされていない。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
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各項目についての説明は,次回に。
前のときも「次回に」といっておきながら,今回説明しませんでしたが,今度はします。
(以上)
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2014年12月10日 (水) | Edit |
10月から11月にかけては,普段あまり会えない友人と会って,じっくり話すことが何度かありました。オープンハウス(我が家を公開)のイベントで,何人もの方とお会いしました。興味深い本に出会うこともできた。
そんな刺激を受けると,いろいろ考えます。
考えたことを書きたくなります。
書く時間がなかなかとれなかったのですが,今日はその一端を書きます。
テーマは,「これからの時代を生きるためのスキルと知識」をいくつかあげてみよう,というもの。
「生きる」というのは,充実して,楽しく生きるということ。
それを考えるきっかけのひとつが,先月読んだ,タイラー・コーエン『大格差』(NTT出版,2014年)という本です。
この本のサブタイトルは「機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」。
テクノロジーの発達で,賢い機械(コンピューター)が多くの人の職をおびやかしつつある。
賢い機械にできる仕事の範囲は,これからもどんどん広がっていく。
しかるべきスキルを持たない人は,就業の機会から締め出されてしまう時代がやってくるのではないか。
著者は,こう述べます。
《あなたは,賢い機械と一緒に働くことが得意か,そうでないか?・・・あなたの技能がコンピューターを補完するものなら,あなたが職に就き,高い賃金を受け取れる確率は高い。しかし,あなたの技能がコンピューターを補完できなければ,見通しはおそらく暗い。将来は,ますます多くの働き手がこのいずれかに二分されるようになる。そう,平均は終わったのである》(6ページ)
これからの技術革新の方向性と,それが未来の労働市場にどう影響をあたえるのか?
未来の労働市場で求められる資質は何か?
そんなことを論じた本です。
この本を,先日(オープンハウスのイベントで)我が家に来てくれた友人に紹介しました。高校の先生である彼が,こんなことを言っていたからです。
「ボク(40代)の同僚の若い英語の先生が,『英語なんてウチの生徒には役に立たない。もっと社会で役立つ,お辞儀の仕方とか,礼儀やマナーをもっと教えないといけない』って言うんだよね。ちょっと理解できない・・・ボクはおもに物理を教えているけど,教科をきちんと教えることは,これからの時代も意味があると思っている」
彼の勤務する学校はいわゆる進学校ではないので,「ウチの生徒に英語なんて・・・」といった話が出てくるのかもしれません。
そして,若い先生はこの人なりに「時代の変化」を感じているのでしょう。
この世代の先生は,就職ではずいぶんたいへんな思いをしています。教員採用の試験は,昔は筆記試験が通れば,かなりの確率で「採用」となったのですが,今はそうはいかない。それなりの競争倍率の面接をくぐり抜けないと,先生にはなれない。面接官に気に入ってもらえるように,じょうずにコミュニケーションを取っていくことが必要。礼儀やマナーも大事。
「礼儀やマナーを生徒に教えないと」というのは,おそらく若い世代の「就活体験」に根ざした考えなのでしょう。
私の友人は,研究熱心で生徒にも慕われている先生ですが,組織のなかで要領よく行儀よくふるまうのは得意ではありません。
「若いころのあなたのような人は,今の時代だと採用試験を通らないかもね」というと,彼も「そうだねー」。
「これからの時代に何を身につけるといいか(何を教えるといいか)」を考える参考として,私は友人にこの本を紹介したのです。
***
私は「英語よりもお辞儀の仕方だ」という考えには賛成しません。
役に立たないのは「英語」そのものではなく,今の授業の英語なのかもしれません。英語の先生なら「目の前の生徒にとって役立つ英語は何か」を考えればいい。
でも,「これからの時代を生きるために,教育で何を教えるべきか」について,これまでとはちがった考えが必要だという点には,かなり同意します。
では,「何が大事か」ということですが,その簡単な一覧を考えてみました。
コーエンが『大格差』で述べていることと重なる部分もありますが,私なりの視点もあります。
こんな一覧です。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」です。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
***
以上の項目は,抽象的にならないよいうに心がけました。「生きる力」や「問題発見力」のような,広すぎる漠然とした概念にならないように。ざっくりだけど,一定の具体性を備えた項目のつもりです。原理的には,適切なカリキュラムを組めば,学校などで教えることができるスキルや知識です(8.はやや難しいですが)。
そして,教育の世界では,これまであまり重視されていなかったことばかり。
もっと説明が必要ですが,それは次回以降に。
(以上)
そんな刺激を受けると,いろいろ考えます。
考えたことを書きたくなります。
書く時間がなかなかとれなかったのですが,今日はその一端を書きます。
テーマは,「これからの時代を生きるためのスキルと知識」をいくつかあげてみよう,というもの。
「生きる」というのは,充実して,楽しく生きるということ。
それを考えるきっかけのひとつが,先月読んだ,タイラー・コーエン『大格差』(NTT出版,2014年)という本です。
この本のサブタイトルは「機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」。
![]() | 大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか (2014/09/11) タイラー・コーエン 商品詳細を見る |
テクノロジーの発達で,賢い機械(コンピューター)が多くの人の職をおびやかしつつある。
賢い機械にできる仕事の範囲は,これからもどんどん広がっていく。
しかるべきスキルを持たない人は,就業の機会から締め出されてしまう時代がやってくるのではないか。
著者は,こう述べます。
《あなたは,賢い機械と一緒に働くことが得意か,そうでないか?・・・あなたの技能がコンピューターを補完するものなら,あなたが職に就き,高い賃金を受け取れる確率は高い。しかし,あなたの技能がコンピューターを補完できなければ,見通しはおそらく暗い。将来は,ますます多くの働き手がこのいずれかに二分されるようになる。そう,平均は終わったのである》(6ページ)
これからの技術革新の方向性と,それが未来の労働市場にどう影響をあたえるのか?
未来の労働市場で求められる資質は何か?
そんなことを論じた本です。
この本を,先日(オープンハウスのイベントで)我が家に来てくれた友人に紹介しました。高校の先生である彼が,こんなことを言っていたからです。
「ボク(40代)の同僚の若い英語の先生が,『英語なんてウチの生徒には役に立たない。もっと社会で役立つ,お辞儀の仕方とか,礼儀やマナーをもっと教えないといけない』って言うんだよね。ちょっと理解できない・・・ボクはおもに物理を教えているけど,教科をきちんと教えることは,これからの時代も意味があると思っている」
彼の勤務する学校はいわゆる進学校ではないので,「ウチの生徒に英語なんて・・・」といった話が出てくるのかもしれません。
そして,若い先生はこの人なりに「時代の変化」を感じているのでしょう。
この世代の先生は,就職ではずいぶんたいへんな思いをしています。教員採用の試験は,昔は筆記試験が通れば,かなりの確率で「採用」となったのですが,今はそうはいかない。それなりの競争倍率の面接をくぐり抜けないと,先生にはなれない。面接官に気に入ってもらえるように,じょうずにコミュニケーションを取っていくことが必要。礼儀やマナーも大事。
「礼儀やマナーを生徒に教えないと」というのは,おそらく若い世代の「就活体験」に根ざした考えなのでしょう。
私の友人は,研究熱心で生徒にも慕われている先生ですが,組織のなかで要領よく行儀よくふるまうのは得意ではありません。
「若いころのあなたのような人は,今の時代だと採用試験を通らないかもね」というと,彼も「そうだねー」。
「これからの時代に何を身につけるといいか(何を教えるといいか)」を考える参考として,私は友人にこの本を紹介したのです。
***
私は「英語よりもお辞儀の仕方だ」という考えには賛成しません。
役に立たないのは「英語」そのものではなく,今の授業の英語なのかもしれません。英語の先生なら「目の前の生徒にとって役立つ英語は何か」を考えればいい。
でも,「これからの時代を生きるために,教育で何を教えるべきか」について,これまでとはちがった考えが必要だという点には,かなり同意します。
では,「何が大事か」ということですが,その簡単な一覧を考えてみました。
コーエンが『大格差』で述べていることと重なる部分もありますが,私なりの視点もあります。
こんな一覧です。
【これからの時代を(楽しく)生きるためのスキル・知識】
1.賢い機械=コンピューターといっしょに働くスキル
2.読むための英語 ネットなどで英語の記事が読める
3.実用的なわかりやすい文章が書ける
4.制約のなかでも,生活を(それなりに)美しくできる
ここまでは,「これができる」という「スキル」です。
以下は,人生や社会について考える基礎となる知識。
世界観のもとになる知識といってもいい。
5.お金(金融・会計)についての知識
6.ざっくりと大きな流れを捉えた世界史
7.科学の本質についてのイメージ
そして,基本的な態度・心構えとして
8.責任感のあるまじめさ・着実さ
***
以上の項目は,抽象的にならないよいうに心がけました。「生きる力」や「問題発見力」のような,広すぎる漠然とした概念にならないように。ざっくりだけど,一定の具体性を備えた項目のつもりです。原理的には,適切なカリキュラムを組めば,学校などで教えることができるスキルや知識です(8.はやや難しいですが)。
そして,教育の世界では,これまであまり重視されていなかったことばかり。
もっと説明が必要ですが,それは次回以降に。
(以上)
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2014年12月08日 (月) | Edit |
もう12月。寒くもなってきました。
このところ,『そういちカレンダー2015』(すぐ上の記事でご紹介しています)をつくったり,オープンハウス(すぐ下の記事でご紹介しています)でエネルギーをとられ,更新がおろそかになっていましたが,再開です。
これまで月初めには何度か,「今月の名言」というのを載せています。
【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)
ウイリアム・ギブスン(作家,1948~)
未来はすでにここにある。
ただ,行きわたっていないだけだ。
未来は現在の単純な延長線上にあるのではありませんが,今と全くの別物でもない。
今存在する,まだメジャーでない何かが発展して,思わぬ「未来」ができていくことは少なくないのです。インターネットだって,1980年代にはすでに基礎の技術や概念が生まれていました。「私たちは今すでに〈未来〉に生きている」とも言えます。

未来から来ました
(以上)
このところ,『そういちカレンダー2015』(すぐ上の記事でご紹介しています)をつくったり,オープンハウス(すぐ下の記事でご紹介しています)でエネルギーをとられ,更新がおろそかになっていましたが,再開です。
これまで月初めには何度か,「今月の名言」というのを載せています。
【今月の名言】(そういちカレンダー2014より)
ウイリアム・ギブスン(作家,1948~)
未来はすでにここにある。
ただ,行きわたっていないだけだ。
未来は現在の単純な延長線上にあるのではありませんが,今と全くの別物でもない。
今存在する,まだメジャーでない何かが発展して,思わぬ「未来」ができていくことは少なくないのです。インターネットだって,1980年代にはすでに基礎の技術や概念が生まれていました。「私たちは今すでに〈未来〉に生きている」とも言えます。

未来から来ました
(以上)
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