2015年01月20日 (火) | Edit |
家に帰ってテレビをつけると,NHKニュースで「イスラム国」が日本人2人を人質にとった事件について,大きく報道していました。
このようなテロは許せないし,とにかく2人の無事を祈るばかりです。
「イスラム国」の残虐行為は,私たちの「文明社会」に対する挑戦です。
その意味で彼らは「敵」である。
しかし,「敵」を知ることは大事です。
表面的な「時事解説」ではなく,本質的なところをつかんでおきたい。
この2週間くらい,たまたまイスラム関係の本を読み返したり,「イスラム国」について論じた本を読んでいました。
そこで知ったことを,簡単に書きます。
とくに,ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』 (文藝春秋)を参考にしています。
***
「イスラム国」は,シリアの一部からイラクの一部にまたがる地域を支配する,イスラム過激派のテロ組織です。
去年(2014年)の6月に「国家」としての独立宣言(国際社会では未承認)を行ってから,急に注目されるようになりました。
それ以前には,目立った存在ではなかった。この2,3年のあいだに台頭したのです。
この組織のリーダー,アブ・バクル・アル・バグダディは,2009年までイラク国内の米軍の収容施設(刑務所)に入っていました。つまり,ほんの数年前に刑務所から出てきた男が,急速に大きくしたということ。
「イスラム国」が台頭した根本には,その「戦略」があります。
その戦略は,従来のイスラム過激派とは異なっています。
従来のイスラム過激派の運動方針は,「革命モデル」といえるもの。
これに対し,「イスラム国」は「征服モデル」です。
「革命モデル」とは,テロや武力によって政権を転覆し,国家権力を奪取しようとするやり方です。
その攻撃対象は,国家権力の中枢。
例えていえば,国家という巨大な乗り物のコントロール室を攻撃・占拠し,その操縦桿を奪うということ。
レーニンが指揮したロシア革命(最初の社会主義国家・ソ連を建国)は,まさにそういうものでした。
ただし現実には,多くの過激派組織は「権力奪取」には程遠い状態です。たいていは「散発的なテロや武力行使で,政権を動揺させる」といった「準備段階」にとどまっています。自爆テロを行う組織は,そんな状態にあるわけです。
イスラム過激派にかぎらず,「過激派」とよばれる組織は,ほとんどがこの「革命モデル」の発想で動いてきました。
「9.11テロ」のアルカイダの場合は,「国際革命モデル」とでもいったらいいでしょうか。
世界の支配者(コントロール室)であるアメリカを攻撃することで,世界秩序に揺さぶりをかけようというものです。
***
つぎに,「イスラム国」の戦略である,「征服モデル」について。
これは「国家権力の中枢」を攻撃するのではなく,「国家権力が行き届かない地域を征服する」という発想です。内戦などで一種の無政府状態になっている地域を狙うのです。
そのような権力の空白地帯では,地域ごとに小規模な武力勢力が割拠していたり,勢力どうしの戦闘がくり返されたりしています。暴力や犯罪が横行し,割拠する支配者は暴虐で,インフラも荒廃しています。まさに「非道」な状態です。
そんな支配勢力を排除し,各地を自らの支配下におくことを,「イスラム国」はシリアやイラクの一部において積み重ねてきたのです。
そして,征服した地域では「非道」な状態を,ある程度改善してきました。最低限の治安を維持し,道路や電気などのインフラを立て直し,食糧の配給や予防接種を行う,といったことです。それによって住民からの一定の支持を得てきました。「とにかく,これまでよりはましだ」というわけです。
その一方で,自分たちへの反対者には,徹底して攻撃を加える。残酷な手段も辞さない。
活動の資金源は,征服した地域にある油田です。油田のある場所を,彼らはまずおさえようとしました。採れた原油は精製加工して,闇取引で売りさばく。あとは,銀行強盗や誘拐などの犯罪で資金を得る。
多くの過激派組織は,社会の中に潜伏する文字通りの「組織」です。これに対し,「イスラム国」は地域社会を占領・支配しているのです。それは未熟なかたちであれ,やはり「国家」といっていいでしょう。しかし,国際社会の主流派によって承認されていないので,マスコミでは「国家」とはいわないのです。
まず,辺境の無政府地帯を征服し,自分たちの小さな「国家」をつくる。
そして,その「国家」は周辺の地域や国ぐにを征服し,拡張していく。
最終的には,アフリカから東南アジアにいたるイスラム圏の全体を包括する。そこに自分たちの考える「イスラムの教え」に基づく,巨大なユートピアを建設する。
そんな「プラン」「夢想」を,「イスラム国」は抱いているのです。
近代以降の世界史では,国家は革命や独立によってつくられるものでした。
近代以前には,国家はおもに征服によってつくられました。つまり,より強力な国家(共同体)が,周辺の共同体を支配下におくことで,国家は大きくなっていったのです。ローマ帝国もモンゴル帝国もそうです。そして,かつてのイスラムの帝国も,預言者ムハンマドが基礎をつくったムスリム(イスラム教徒)の共同体が,周辺の国ぐにをつぎつぎと征服することで生まれました。
「イスラム国」のように,何もないところから,征服によってこれだけの規模の国家に近いものが形成されたのは,近代ではまれです。パレスチナのような事例もあり,空前のことではありませんが,レアケースです。
***
以上,彼らは一種の「狂信」に基づく組織ではありますが,必ずしも支離滅裂ではありません。
一定の戦略や合理性を持ち合わせているのです。
「イスラム国」が最終的に勝利をおさめるのか,滅びるのかは,今は予想がつきません。
「勝利」とは,とりあえず「国際社会で承認される国家の創設」といえるでしょう。
「敗北」したとしても,「イスラム国」の事例は,今後のイスラム過激派に多大な影響を残すことでしょう。「征服モデル」という,新しい運動の方向を示したのですから。
この組織の特徴については,ほかにもいろいろ言われています。
インターネットなどのメディアの活用,外国人を広く受け入れていること等々です。
その中で「イスラム国」の最も重要な特徴は,「征服モデル」による運動ということです。
「国家をつくろうとしている,征服するテロリスト」。それが「イスラム国」。
つい最近まで,思ってもみなかったようなものが,この世界にあらわれたのです。
(以上)
このようなテロは許せないし,とにかく2人の無事を祈るばかりです。
「イスラム国」の残虐行為は,私たちの「文明社会」に対する挑戦です。
その意味で彼らは「敵」である。
しかし,「敵」を知ることは大事です。
表面的な「時事解説」ではなく,本質的なところをつかんでおきたい。
この2週間くらい,たまたまイスラム関係の本を読み返したり,「イスラム国」について論じた本を読んでいました。
そこで知ったことを,簡単に書きます。
とくに,ロレッタ・ナポリオーニ『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』 (文藝春秋)を参考にしています。
***
「イスラム国」は,シリアの一部からイラクの一部にまたがる地域を支配する,イスラム過激派のテロ組織です。
去年(2014年)の6月に「国家」としての独立宣言(国際社会では未承認)を行ってから,急に注目されるようになりました。
それ以前には,目立った存在ではなかった。この2,3年のあいだに台頭したのです。
この組織のリーダー,アブ・バクル・アル・バグダディは,2009年までイラク国内の米軍の収容施設(刑務所)に入っていました。つまり,ほんの数年前に刑務所から出てきた男が,急速に大きくしたということ。
「イスラム国」が台頭した根本には,その「戦略」があります。
その戦略は,従来のイスラム過激派とは異なっています。
従来のイスラム過激派の運動方針は,「革命モデル」といえるもの。
これに対し,「イスラム国」は「征服モデル」です。
「革命モデル」とは,テロや武力によって政権を転覆し,国家権力を奪取しようとするやり方です。
その攻撃対象は,国家権力の中枢。
例えていえば,国家という巨大な乗り物のコントロール室を攻撃・占拠し,その操縦桿を奪うということ。
レーニンが指揮したロシア革命(最初の社会主義国家・ソ連を建国)は,まさにそういうものでした。
ただし現実には,多くの過激派組織は「権力奪取」には程遠い状態です。たいていは「散発的なテロや武力行使で,政権を動揺させる」といった「準備段階」にとどまっています。自爆テロを行う組織は,そんな状態にあるわけです。
イスラム過激派にかぎらず,「過激派」とよばれる組織は,ほとんどがこの「革命モデル」の発想で動いてきました。
「9.11テロ」のアルカイダの場合は,「国際革命モデル」とでもいったらいいでしょうか。
世界の支配者(コントロール室)であるアメリカを攻撃することで,世界秩序に揺さぶりをかけようというものです。
***
つぎに,「イスラム国」の戦略である,「征服モデル」について。
これは「国家権力の中枢」を攻撃するのではなく,「国家権力が行き届かない地域を征服する」という発想です。内戦などで一種の無政府状態になっている地域を狙うのです。
そのような権力の空白地帯では,地域ごとに小規模な武力勢力が割拠していたり,勢力どうしの戦闘がくり返されたりしています。暴力や犯罪が横行し,割拠する支配者は暴虐で,インフラも荒廃しています。まさに「非道」な状態です。
そんな支配勢力を排除し,各地を自らの支配下におくことを,「イスラム国」はシリアやイラクの一部において積み重ねてきたのです。
そして,征服した地域では「非道」な状態を,ある程度改善してきました。最低限の治安を維持し,道路や電気などのインフラを立て直し,食糧の配給や予防接種を行う,といったことです。それによって住民からの一定の支持を得てきました。「とにかく,これまでよりはましだ」というわけです。
その一方で,自分たちへの反対者には,徹底して攻撃を加える。残酷な手段も辞さない。
活動の資金源は,征服した地域にある油田です。油田のある場所を,彼らはまずおさえようとしました。採れた原油は精製加工して,闇取引で売りさばく。あとは,銀行強盗や誘拐などの犯罪で資金を得る。
多くの過激派組織は,社会の中に潜伏する文字通りの「組織」です。これに対し,「イスラム国」は地域社会を占領・支配しているのです。それは未熟なかたちであれ,やはり「国家」といっていいでしょう。しかし,国際社会の主流派によって承認されていないので,マスコミでは「国家」とはいわないのです。
まず,辺境の無政府地帯を征服し,自分たちの小さな「国家」をつくる。
そして,その「国家」は周辺の地域や国ぐにを征服し,拡張していく。
最終的には,アフリカから東南アジアにいたるイスラム圏の全体を包括する。そこに自分たちの考える「イスラムの教え」に基づく,巨大なユートピアを建設する。
そんな「プラン」「夢想」を,「イスラム国」は抱いているのです。
近代以降の世界史では,国家は革命や独立によってつくられるものでした。
近代以前には,国家はおもに征服によってつくられました。つまり,より強力な国家(共同体)が,周辺の共同体を支配下におくことで,国家は大きくなっていったのです。ローマ帝国もモンゴル帝国もそうです。そして,かつてのイスラムの帝国も,預言者ムハンマドが基礎をつくったムスリム(イスラム教徒)の共同体が,周辺の国ぐにをつぎつぎと征服することで生まれました。
「イスラム国」のように,何もないところから,征服によってこれだけの規模の国家に近いものが形成されたのは,近代ではまれです。パレスチナのような事例もあり,空前のことではありませんが,レアケースです。
***
以上,彼らは一種の「狂信」に基づく組織ではありますが,必ずしも支離滅裂ではありません。
一定の戦略や合理性を持ち合わせているのです。
「イスラム国」が最終的に勝利をおさめるのか,滅びるのかは,今は予想がつきません。
「勝利」とは,とりあえず「国際社会で承認される国家の創設」といえるでしょう。
「敗北」したとしても,「イスラム国」の事例は,今後のイスラム過激派に多大な影響を残すことでしょう。「征服モデル」という,新しい運動の方向を示したのですから。
この組織の特徴については,ほかにもいろいろ言われています。
インターネットなどのメディアの活用,外国人を広く受け入れていること等々です。
その中で「イスラム国」の最も重要な特徴は,「征服モデル」による運動ということです。
「国家をつくろうとしている,征服するテロリスト」。それが「イスラム国」。
つい最近まで,思ってもみなかったようなものが,この世界にあらわれたのです。
(以上)
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2015年01月19日 (月) | Edit |
今回は「今の多くの人がめざすべき,よい文章とは何か」について。私自身,ささやかながら著作を出したり,文章を書きながら考えてきたことです。また,この数年は若い方の就職の相談の仕事をしていて,多くの人の自己PRや小論文などを添削する機会がありました。その経験からも,「文章のありかた」について,いろいろ考えます。
***
「よい文章」の4つのポイント
多くの人がめざすべき,「よい文章」とはどんなものでしょうか? それを支える技術や精神は何か?
これには,4つのポイントがあります。
1.「よい文章」とは,シンプルでわかりやすく,正確な文章である。つまりそれは「実用的」ということ。
芸術的な文章というのもありますが,多くの人がまずめざすべきなのは,実用的な文章です。
学校教育では,そのような文章の教育にあまり力を入れていません。国語や作文の授業は,あいかわらず文芸中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求する傾向があります。
大学の授業で書くレポートも,「シンプルにわかりやすく書くこと」のトレーニングにはなりにくいようです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文は,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。
2.「よい文章」には,核となる,伝えたいメッセージがある。
まず,自分のアタマにある「メッセージ」を明確にしないといけません。
「メッセージ」とは,主張や意見,ぜひ伝えたい知識・情報,自分の想い・感情などです。
そのメッセージをあらわす「自分なりの表現・コトバ」がみつかったら,しめたもの。その「核」さえあれば,文章は書けます。なければ,いい文章にはならない。
3.その「メッセージ」を伝えるため,ふさわしい・程よい情報や表現が盛り込まれている。
抽象的すぎてはいけない。かといって,具体的に細かいことを書けばいいというものでもない。情報が少なすぎても,情報過多でもいけない。「読者のアタマにどんなイメージ・像を浮かばせるか」を常に意識しないといけません。「抽象性・具体性」「情報量」のさじ加減を考えましょう。
文章は,「言語によって,読者に自分の認識(思考や感情など)を追体験させるため」に書くのです。「認識」とは「イメージ・像」といってもいいです。
書き手は「どんなイメージ・像を読者のアタマに浮かばせたいか」を考えなくてはいけません。「抽象性・具体性」はそれを考える上でのカギです。
4.「押しつけ」を感じさせないだけの論理性がある。
逆にいえば,文章の「論理性」とは「読者に押しつけを感じさせない」ということです。そのためには,「論理の飛躍」をできるだけ排除しないといけません。
不注意に書いた文章には「飛躍」が多いです。それは読者には「押しつけ」と映ります。そうならないためには,ある結論にもっていくとき,つねに必要な前提や情報を盛り込んでいくことです。
***
「4つのポイント」はどう位置づけられるか
以上をまとめると,
1.シンプルに,わかりやすく,正確に。
2.核となるメッセージ。
3.程よい抽象性・具体性と情報量。
4.押しつけを感じさせない論理性。
重要なのは,以上4つの大まかな視点です。具体的なコツや方法論は,上記1~4の各論になります。たとえば,「ひとつの文に多くのことを盛り込まない」「主語と述語の関係を意識する」といったことは,「1.わかりやすく,正確に」の各論です。
世の中には多くの「文章の書き方」の本があります。1~4のポイントは,そこで論じられていることをほぼカバーしているはずです。
また,「よい文章とは」というほかに,「文章の上達の方法論」という切り口もあります。たとえば,上達のためには「日記的に短い文章をたくさん書く」「よく推敲する」「誰かに読んでもらう」等々のことが大切だ,といった話です。
しかし,この4つのポイントは,そうした「上達論」ではなく,文章論の「本体」の話です。
スポーツで例えれば,「どんなフォームが正しいか,そのフォームで大切なことは何か」についてです。これに対し「上達論」とは,「そのフォームを身につけるためにどんな練習を積むべきか」ということです。
多くの文章論に不足している「体系性」と「論理性」
文章論や文章講座の中には,上記の4つのポイントのような大きな見方と,細かい具体的なノウハウを同列に論じているものもあります。また,「本体」(何があるべき姿か)と「上達論」(どう練習すべきか)がごっちゃになっていたり,どちらかが欠けていたりすることもあります。
あるいは,上記1~4のどれかに関わる,ある一面だけを強化することで文章力を上げようとするものもある。
それでは「体系性や論理性が足りない」と言わざるを得ません。しかし本来は,初心者が力をつけるためには,体系的なアプローチが必要です。さまざまな側面の事柄について整理しながら,ひとつひとつ押さえていかないといけないのです。
(以上)
***
「よい文章」の4つのポイント
多くの人がめざすべき,「よい文章」とはどんなものでしょうか? それを支える技術や精神は何か?
これには,4つのポイントがあります。
1.「よい文章」とは,シンプルでわかりやすく,正確な文章である。つまりそれは「実用的」ということ。
芸術的な文章というのもありますが,多くの人がまずめざすべきなのは,実用的な文章です。
学校教育では,そのような文章の教育にあまり力を入れていません。国語や作文の授業は,あいかわらず文芸中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求する傾向があります。
大学の授業で書くレポートも,「シンプルにわかりやすく書くこと」のトレーニングにはなりにくいようです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文は,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。
2.「よい文章」には,核となる,伝えたいメッセージがある。
まず,自分のアタマにある「メッセージ」を明確にしないといけません。
「メッセージ」とは,主張や意見,ぜひ伝えたい知識・情報,自分の想い・感情などです。
そのメッセージをあらわす「自分なりの表現・コトバ」がみつかったら,しめたもの。その「核」さえあれば,文章は書けます。なければ,いい文章にはならない。
3.その「メッセージ」を伝えるため,ふさわしい・程よい情報や表現が盛り込まれている。
抽象的すぎてはいけない。かといって,具体的に細かいことを書けばいいというものでもない。情報が少なすぎても,情報過多でもいけない。「読者のアタマにどんなイメージ・像を浮かばせるか」を常に意識しないといけません。「抽象性・具体性」「情報量」のさじ加減を考えましょう。
文章は,「言語によって,読者に自分の認識(思考や感情など)を追体験させるため」に書くのです。「認識」とは「イメージ・像」といってもいいです。
書き手は「どんなイメージ・像を読者のアタマに浮かばせたいか」を考えなくてはいけません。「抽象性・具体性」はそれを考える上でのカギです。
4.「押しつけ」を感じさせないだけの論理性がある。
逆にいえば,文章の「論理性」とは「読者に押しつけを感じさせない」ということです。そのためには,「論理の飛躍」をできるだけ排除しないといけません。
不注意に書いた文章には「飛躍」が多いです。それは読者には「押しつけ」と映ります。そうならないためには,ある結論にもっていくとき,つねに必要な前提や情報を盛り込んでいくことです。
***
「4つのポイント」はどう位置づけられるか
以上をまとめると,
1.シンプルに,わかりやすく,正確に。
2.核となるメッセージ。
3.程よい抽象性・具体性と情報量。
4.押しつけを感じさせない論理性。
重要なのは,以上4つの大まかな視点です。具体的なコツや方法論は,上記1~4の各論になります。たとえば,「ひとつの文に多くのことを盛り込まない」「主語と述語の関係を意識する」といったことは,「1.わかりやすく,正確に」の各論です。
世の中には多くの「文章の書き方」の本があります。1~4のポイントは,そこで論じられていることをほぼカバーしているはずです。
また,「よい文章とは」というほかに,「文章の上達の方法論」という切り口もあります。たとえば,上達のためには「日記的に短い文章をたくさん書く」「よく推敲する」「誰かに読んでもらう」等々のことが大切だ,といった話です。
しかし,この4つのポイントは,そうした「上達論」ではなく,文章論の「本体」の話です。
スポーツで例えれば,「どんなフォームが正しいか,そのフォームで大切なことは何か」についてです。これに対し「上達論」とは,「そのフォームを身につけるためにどんな練習を積むべきか」ということです。
多くの文章論に不足している「体系性」と「論理性」
文章論や文章講座の中には,上記の4つのポイントのような大きな見方と,細かい具体的なノウハウを同列に論じているものもあります。また,「本体」(何があるべき姿か)と「上達論」(どう練習すべきか)がごっちゃになっていたり,どちらかが欠けていたりすることもあります。
あるいは,上記1~4のどれかに関わる,ある一面だけを強化することで文章力を上げようとするものもある。
それでは「体系性や論理性が足りない」と言わざるを得ません。しかし本来は,初心者が力をつけるためには,体系的なアプローチが必要です。さまざまな側面の事柄について整理しながら,ひとつひとつ押さえていかないといけないのです。
(以上)
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2015年01月12日 (月) | Edit |
今日は,久々に2本の記事を書きました。
今日最初にアップした記事は,この記事のすぐ下ですので,そちらもご覧ください。
***
最近,「プチ富裕層とのつきあい方」というテーマが,よく頭をよぎります。
「プチ富裕層」とは何か。世間でも使われることのある言葉ですが,「これだ」という定義はありません。
あくまで「ここだけの定義」として,「金融資産(預貯金や証券の保有額)が数千万円~数億円」あるいは「年収1千万円~数千万円」に該当する人たち,ということにしておきます。すごいお金持ちではないですが,かなりの経済力を持っている人たち。
こういう人たちは,ここ10年余りで増えています。
野村総合研究所の推計だと,西暦2000年には「金融資産5000万円~5億円未満」(野村総研の分類だと「準富裕層」と「富裕層」の合計)に含まれる世帯数は,約330万世帯。
それが2013年には,約410万世帯になっています。2割以上の大幅な増加です。
その一方で,「金融資産ゼロ」という世帯も増えています。「資産ゼロ」世帯は,2007年には全世帯の約20%でしたが,2013年には約30%になりました。
日本の総世帯数は,5200万世帯(2010年)。
このうち400万世帯を少し超えるくらいが,「プチ富裕層」に含まれるわけです。これは,全世帯の8%。どんぶりで「全世帯の1割弱」というイメージでいいのではないでしょうか。
その一方,全世帯の3割が「資産ゼロ」ということ。
「プチ富裕層」も「資産ゼロ」も,近年増えてきている。
ということは,日本社会における「経済的ゆとり」は,特定の層に集中する傾向が,近年はみられるのです。いわゆる「格差の拡大」というものです。
***
そして,現代の特徴は,相当な経済力を持つ「プチ富裕層」が,これまでになく分厚く存在することです。何しろ,社会の1割にもなる。近い将来,さらに増えるかもしれません。15%とか20%になるということです。そのときには,「資産ゼロ」の人も増えているでしょう。
そうなれば,プチ富裕層の存在感や影響力は非常に大きなものになる。
しかし,その人たちがわかりやすいひとつの「社会集団」として姿をあらわすことはないでしょう。
中高年,高齢者を中心としながらも,そこにはさまざまな年齢,職業,ライフスタイルなどの人たちが含まれているでしょう。ライフスタイルでみても,質素倹約な人もいれば,浪費的な人もいるはずです。新しい考えの人も保守的な人もいる。そこに明らかな共通性を見出すのはむずかしく,共通性があるとしたら,ばくぜんと「それなりのゆとりがある」ということくらい。
そして,社会の1割を占めるのですから,誰もが(プチ富裕層であろうとなかろうと)彼らと日々関わることになるでしょう。たとえば,企業に勤める人なら,その人たちが顧客である製品やサービスを扱うことになるだろうし,何かの活動をすれば,プチ富裕層の人が重要なメンバーだったりするのです。
***
だから,「プチ富裕層とのつきあい方」ということは,大事だと思います。
そこには,広い意味が含まれています。
プチ富裕層でない人,たとえば「資産ゼロ」やそれに近い人でも,仕事や何かの活動で彼らが重要になってくることがある。あるいは,「どうやって経済力をつけてプチ富裕層になるか,それに近づくか」を考えることもあるでしょう。
プチ富裕層の人にとっては,「〈自分がプチ富裕層であること〉とどう向きあうか」が課題です。まず,自分がそのような存在だと自覚する。そのうえで「ゆとり」をどう使っていくか。あるいは,その経済力を維持するのにどうするか・・・
その中で私が最も関心があるのは,「富裕でない人間として,プチ富裕層とどう関わるか」です。
ところで私自身も,10年くらい前はここでいう「プチ富裕層」に近い状態だったのです。しかし,起業をしたところうまくいかず,散財や失業の結果(借金はありませんが),今は野村総研の分類だと「マス層」になりました。十分に稼ぐだけの実力が不足している,ともいえます(これから頑張りたいですが)。
***
さらに,「どう関わるか」とは,「どう関心を持ってもらうか」ということだと捉えます。
そのためにはマーケティング的な活動も必要ですが,根本は面白い・意義ある何かをすることです。何かをしていると,誰かの関心をひくことがある。とくに,ゆとりのあるプチ富裕層には,好奇心が旺盛で面白いことを積極的にさがしている人が多い。
たとえば,私は何かを発信したり,何かの相談相手になったり,教えたりという方向での活動をしています。この活動はとくに富裕層向けにしているわけではありません。むしろ,経済的に制約のある人を意識したものです(私自身がそうだから,という面もあります)。私は「大衆路線」が好きなのです。
でも,私のしていることに関心を寄せてくれる方の重要な部分に,いつもプチ富裕層の人たちがいると感じています。それなりのゆとりがあり,好奇心の豊かな人たち。全くの無名である私にアクセスしてくださるのですから,積極的な方が多いです。
そのほかの人たちもいます。
たとえば「若者」です。「社会でのポジションが未定」という特殊な存在。それだけに,いろんなことに興味を持つ傾向があります(そうでもない人もいますが)。
あとは,富裕層ではない,いろんな人たち。この人たちにおもに語りかけているのだから,当然です。
ただ,その中にはプチ富裕層と関わりが深い人も,少なくありません。
自分が何かの活動をしていて,そこでプチ富裕層を顧客としたり,活動仲間としたりしているのです。
たとえば,先日会った知人の1人。この人は,自分の小さな工房・アトリエを構えているフリーランスです。制作するプロダクツは受注生産。オーダーする顧客の多くはプチ富裕層といっていいです。でも,ご本人は「ビンボーでも好きなことをして生きていく」という道を歩んでいる。
あるいは,私の友人のミュージシャンは,音楽活動のほかにアルバイトもしていますが,彼の音楽仲間には,プチ富裕層が結構います。中には,野村総研の分類だと「超富裕層」といえる人もいます。
また,私の親しいある女性は,書道の教師をしています。書道の世界は基本的には富裕層の参加によって成り立ってきました。たとえば,書道の先生(とくに自宅で教えている人)は,多くの場合プチ富裕層といっていいでしょう。でも私の知り合いの彼女はちがいます。私の奥さんですので・・・
***
ここで私が注目するのは,このような「自分自身は富裕層でないけど,プチ富裕層の関心をひく活動をしながら,楽しくがんばっている人たち」です。
彼らはどうしているのか。
単純なことですが,自分の分野でよく勉強して,楽しいこと・ステキなことをつくり出す活動をしています。情報発信やライブやイベントやプロダクツ制作をしているのです。自分なりにできるかたちで,「面白いこと」を続けている。その上で,「自分を人に知ってもらう」ための工夫や努力をしている。
彼らをみていると,「自分はビンボーでも,世の中を楽しく豊かにするのに貢献できる」というのがわかります。こういう「ビンボーな人」がいないと,世の中は味気ないものになるでしょう。
「ビンボー人」というのが失礼なら,「文化人」といってもいいです。
また,そんな「ビンボー人ないしは文化人」をさまざまなかたちで応援するプチ富裕層の人たちも,世の中を楽しくしているといえます。また,プチ富裕層の人自身が「面白いこと」をつくり出す主体になっている場合も多いです。
これは「社会を貧困から救う」といった,かつての社会主義的な理想とはちがいます。なにしろ「プチ富裕層」がカギを握るのです。プチ富裕層は,社会主義の教義では嫌われ者でした。
***
この社会には「プチ富裕層の関心をひくビンボー人ないしは文化人」というポジションがあるようです。
このような人たちも,これからの社会で一層の存在感を放つと思います。
「富裕層を顧客やパトロンとする文化人」は,昔からいました。でもきわめて少数で,エリート的な存在でした。富裕層の数がごくかぎられていたからです。しかし「プチ富裕層に関わる文化人」はもっと数が多く,大衆的なものです。プチ富裕層が巨大なボリュームで存在するからです。「プチ富裕層」に対応するものとして「プチ文化人」といってもいいかもしれません。
私も,そのあたりの「ビンボー人」のポジションは意識したいと思っています。そのために,いろんな意味での勉強や,行動をしていかないとね・・・
(以上)
今日最初にアップした記事は,この記事のすぐ下ですので,そちらもご覧ください。
***
最近,「プチ富裕層とのつきあい方」というテーマが,よく頭をよぎります。
「プチ富裕層」とは何か。世間でも使われることのある言葉ですが,「これだ」という定義はありません。
あくまで「ここだけの定義」として,「金融資産(預貯金や証券の保有額)が数千万円~数億円」あるいは「年収1千万円~数千万円」に該当する人たち,ということにしておきます。すごいお金持ちではないですが,かなりの経済力を持っている人たち。
こういう人たちは,ここ10年余りで増えています。
野村総合研究所の推計だと,西暦2000年には「金融資産5000万円~5億円未満」(野村総研の分類だと「準富裕層」と「富裕層」の合計)に含まれる世帯数は,約330万世帯。
それが2013年には,約410万世帯になっています。2割以上の大幅な増加です。
その一方で,「金融資産ゼロ」という世帯も増えています。「資産ゼロ」世帯は,2007年には全世帯の約20%でしたが,2013年には約30%になりました。
日本の総世帯数は,5200万世帯(2010年)。
このうち400万世帯を少し超えるくらいが,「プチ富裕層」に含まれるわけです。これは,全世帯の8%。どんぶりで「全世帯の1割弱」というイメージでいいのではないでしょうか。
その一方,全世帯の3割が「資産ゼロ」ということ。
「プチ富裕層」も「資産ゼロ」も,近年増えてきている。
ということは,日本社会における「経済的ゆとり」は,特定の層に集中する傾向が,近年はみられるのです。いわゆる「格差の拡大」というものです。
***
そして,現代の特徴は,相当な経済力を持つ「プチ富裕層」が,これまでになく分厚く存在することです。何しろ,社会の1割にもなる。近い将来,さらに増えるかもしれません。15%とか20%になるということです。そのときには,「資産ゼロ」の人も増えているでしょう。
そうなれば,プチ富裕層の存在感や影響力は非常に大きなものになる。
しかし,その人たちがわかりやすいひとつの「社会集団」として姿をあらわすことはないでしょう。
中高年,高齢者を中心としながらも,そこにはさまざまな年齢,職業,ライフスタイルなどの人たちが含まれているでしょう。ライフスタイルでみても,質素倹約な人もいれば,浪費的な人もいるはずです。新しい考えの人も保守的な人もいる。そこに明らかな共通性を見出すのはむずかしく,共通性があるとしたら,ばくぜんと「それなりのゆとりがある」ということくらい。
そして,社会の1割を占めるのですから,誰もが(プチ富裕層であろうとなかろうと)彼らと日々関わることになるでしょう。たとえば,企業に勤める人なら,その人たちが顧客である製品やサービスを扱うことになるだろうし,何かの活動をすれば,プチ富裕層の人が重要なメンバーだったりするのです。
***
だから,「プチ富裕層とのつきあい方」ということは,大事だと思います。
そこには,広い意味が含まれています。
プチ富裕層でない人,たとえば「資産ゼロ」やそれに近い人でも,仕事や何かの活動で彼らが重要になってくることがある。あるいは,「どうやって経済力をつけてプチ富裕層になるか,それに近づくか」を考えることもあるでしょう。
プチ富裕層の人にとっては,「〈自分がプチ富裕層であること〉とどう向きあうか」が課題です。まず,自分がそのような存在だと自覚する。そのうえで「ゆとり」をどう使っていくか。あるいは,その経済力を維持するのにどうするか・・・
その中で私が最も関心があるのは,「富裕でない人間として,プチ富裕層とどう関わるか」です。
ところで私自身も,10年くらい前はここでいう「プチ富裕層」に近い状態だったのです。しかし,起業をしたところうまくいかず,散財や失業の結果(借金はありませんが),今は野村総研の分類だと「マス層」になりました。十分に稼ぐだけの実力が不足している,ともいえます(これから頑張りたいですが)。
***
さらに,「どう関わるか」とは,「どう関心を持ってもらうか」ということだと捉えます。
そのためにはマーケティング的な活動も必要ですが,根本は面白い・意義ある何かをすることです。何かをしていると,誰かの関心をひくことがある。とくに,ゆとりのあるプチ富裕層には,好奇心が旺盛で面白いことを積極的にさがしている人が多い。
たとえば,私は何かを発信したり,何かの相談相手になったり,教えたりという方向での活動をしています。この活動はとくに富裕層向けにしているわけではありません。むしろ,経済的に制約のある人を意識したものです(私自身がそうだから,という面もあります)。私は「大衆路線」が好きなのです。
でも,私のしていることに関心を寄せてくれる方の重要な部分に,いつもプチ富裕層の人たちがいると感じています。それなりのゆとりがあり,好奇心の豊かな人たち。全くの無名である私にアクセスしてくださるのですから,積極的な方が多いです。
そのほかの人たちもいます。
たとえば「若者」です。「社会でのポジションが未定」という特殊な存在。それだけに,いろんなことに興味を持つ傾向があります(そうでもない人もいますが)。
あとは,富裕層ではない,いろんな人たち。この人たちにおもに語りかけているのだから,当然です。
ただ,その中にはプチ富裕層と関わりが深い人も,少なくありません。
自分が何かの活動をしていて,そこでプチ富裕層を顧客としたり,活動仲間としたりしているのです。
たとえば,先日会った知人の1人。この人は,自分の小さな工房・アトリエを構えているフリーランスです。制作するプロダクツは受注生産。オーダーする顧客の多くはプチ富裕層といっていいです。でも,ご本人は「ビンボーでも好きなことをして生きていく」という道を歩んでいる。
あるいは,私の友人のミュージシャンは,音楽活動のほかにアルバイトもしていますが,彼の音楽仲間には,プチ富裕層が結構います。中には,野村総研の分類だと「超富裕層」といえる人もいます。
また,私の親しいある女性は,書道の教師をしています。書道の世界は基本的には富裕層の参加によって成り立ってきました。たとえば,書道の先生(とくに自宅で教えている人)は,多くの場合プチ富裕層といっていいでしょう。でも私の知り合いの彼女はちがいます。私の奥さんですので・・・
***
ここで私が注目するのは,このような「自分自身は富裕層でないけど,プチ富裕層の関心をひく活動をしながら,楽しくがんばっている人たち」です。
彼らはどうしているのか。
単純なことですが,自分の分野でよく勉強して,楽しいこと・ステキなことをつくり出す活動をしています。情報発信やライブやイベントやプロダクツ制作をしているのです。自分なりにできるかたちで,「面白いこと」を続けている。その上で,「自分を人に知ってもらう」ための工夫や努力をしている。
彼らをみていると,「自分はビンボーでも,世の中を楽しく豊かにするのに貢献できる」というのがわかります。こういう「ビンボーな人」がいないと,世の中は味気ないものになるでしょう。
「ビンボー人」というのが失礼なら,「文化人」といってもいいです。
また,そんな「ビンボー人ないしは文化人」をさまざまなかたちで応援するプチ富裕層の人たちも,世の中を楽しくしているといえます。また,プチ富裕層の人自身が「面白いこと」をつくり出す主体になっている場合も多いです。
これは「社会を貧困から救う」といった,かつての社会主義的な理想とはちがいます。なにしろ「プチ富裕層」がカギを握るのです。プチ富裕層は,社会主義の教義では嫌われ者でした。
***
この社会には「プチ富裕層の関心をひくビンボー人ないしは文化人」というポジションがあるようです。
このような人たちも,これからの社会で一層の存在感を放つと思います。
「富裕層を顧客やパトロンとする文化人」は,昔からいました。でもきわめて少数で,エリート的な存在でした。富裕層の数がごくかぎられていたからです。しかし「プチ富裕層に関わる文化人」はもっと数が多く,大衆的なものです。プチ富裕層が巨大なボリュームで存在するからです。「プチ富裕層」に対応するものとして「プチ文化人」といってもいいかもしれません。
私も,そのあたりの「ビンボー人」のポジションは意識したいと思っています。そのために,いろんな意味での勉強や,行動をしていかないとね・・・
(以上)
2015年01月12日 (月) | Edit |
今日は成人式。成人式といえば振袖の女子が華やかです。
20年くらい前,成人式のシーズンに,昭和ヒトケタ生まれの私の父が,自分の若かった昭和20年代の田舎を思い出して,こんなことを言っていました。
「そのころ(昭和20年代)は,娘さんに振袖をつくってやれる家なんて,村にほんの何軒かあるだけだった。ちゃんとした着物は高かったんだ。でも今はいいよな。ほとんどみんなが成人式で振袖を着れる時代になった」
その後の高度経済成長(1955頃から1975頃,昭和30~40年代)で,人びとの所得が増える一方,生産力の進歩で着物を安価につくれるようになった結果,「振袖で成人式」は一般的になったのでしょう。
何十年か昔の日本では,「きちんとした着物をつくる(買う)」というのは,たいへんなことだったようです。
このことは,たまに思い出すといいかもしれません。
では「きちんとした着物」が昔はいくらくらいしたのか,ということを知りたいと思って,手持ちの「値段史」の本などをあたりましたが,よくわかりませんでした。モノによってかなりちがうので,統計資料的に示しにくいのかもしれません。いつかもう少し調べてみたい。
***
さらに,何百年も前の昔にさかのぼると,着物を新調することは,もっとたいへんでした。
たとえばこんな話が文書で残っているそうです。
小泉和子『ものと人間の文化史46 箪笥』(法政大学出版局)にあった話です。
安土桃山~江戸時代初期のこと。三十万石の大名家の娘が,父に手紙で新しい小袖(それなりの立派な着物でしょう)をつくらせてほしい,とお願いをした。一着しかない小袖が古くなったのだと。
三十万石の大名の娘が,一着しか持ってないの?
着物一枚つくるのに,父である殿様に伺いをたてないといけないの?
当時は,そういう時代だったのです。
それだけ衣類というものが貴重で高価だったということ。
そして殿様は,娘が着物を新調することを許しませんでした。最初は手紙や家来を通してのやり取りでしたが,最後は姫様本人が父君にじかにお願いしました。しかし,「一着あれば十分」と却下され,ひどく叱られたそうです。
「昔は貧しかった」というイメージは,私もある程度は持っているつもりでしたが,この話には少々おどろきました。
大名でも,そうだったのか・・・と。
また,これと同時代の人で,石田三成の重臣だった三百石取りのある武士の娘が,晩年にこう語ったそうです。
「自分は13歳から17歳まで,たった1枚の着物で通した。しまいには寸足らずになってすねが出て困った・・・」
「三百石」というのは,かなり上級の武士です。それでも,そんなにも質素だった。
だとしたら,庶民の着ているものなど,どれだけひどいものだったか・・・
当時も,美しい着物をつくる技術はありました。
しかし,それを享受できるのは,きわめて少数の人間だけだったのです。
***
ただし,こういう記録に残っているのは,「印象的なほどに質素」という,やや例外的な事例である可能性もあります。
でも,数百年前の日本が,現代の感覚でふつうに想像する以上に貧しく質素だった,ということはいえるのではないでしょうか。
小泉和子さんの同書などによれば,着物に関しこのような「超・質素」な状態を脱したのは,江戸時代のことだといいます。木綿や絹織物の生産・流通が発展し,美しい高級な呉服も,相当に大衆化していったのです。
そのずっと先の延長線上に,今の成人式の風景もあるわけです。
(以上)
20年くらい前,成人式のシーズンに,昭和ヒトケタ生まれの私の父が,自分の若かった昭和20年代の田舎を思い出して,こんなことを言っていました。
「そのころ(昭和20年代)は,娘さんに振袖をつくってやれる家なんて,村にほんの何軒かあるだけだった。ちゃんとした着物は高かったんだ。でも今はいいよな。ほとんどみんなが成人式で振袖を着れる時代になった」
その後の高度経済成長(1955頃から1975頃,昭和30~40年代)で,人びとの所得が増える一方,生産力の進歩で着物を安価につくれるようになった結果,「振袖で成人式」は一般的になったのでしょう。
何十年か昔の日本では,「きちんとした着物をつくる(買う)」というのは,たいへんなことだったようです。
このことは,たまに思い出すといいかもしれません。
では「きちんとした着物」が昔はいくらくらいしたのか,ということを知りたいと思って,手持ちの「値段史」の本などをあたりましたが,よくわかりませんでした。モノによってかなりちがうので,統計資料的に示しにくいのかもしれません。いつかもう少し調べてみたい。
***
さらに,何百年も前の昔にさかのぼると,着物を新調することは,もっとたいへんでした。
たとえばこんな話が文書で残っているそうです。
小泉和子『ものと人間の文化史46 箪笥』(法政大学出版局)にあった話です。
安土桃山~江戸時代初期のこと。三十万石の大名家の娘が,父に手紙で新しい小袖(それなりの立派な着物でしょう)をつくらせてほしい,とお願いをした。一着しかない小袖が古くなったのだと。
三十万石の大名の娘が,一着しか持ってないの?
着物一枚つくるのに,父である殿様に伺いをたてないといけないの?
当時は,そういう時代だったのです。
それだけ衣類というものが貴重で高価だったということ。
そして殿様は,娘が着物を新調することを許しませんでした。最初は手紙や家来を通してのやり取りでしたが,最後は姫様本人が父君にじかにお願いしました。しかし,「一着あれば十分」と却下され,ひどく叱られたそうです。
「昔は貧しかった」というイメージは,私もある程度は持っているつもりでしたが,この話には少々おどろきました。
大名でも,そうだったのか・・・と。
また,これと同時代の人で,石田三成の重臣だった三百石取りのある武士の娘が,晩年にこう語ったそうです。
「自分は13歳から17歳まで,たった1枚の着物で通した。しまいには寸足らずになってすねが出て困った・・・」
「三百石」というのは,かなり上級の武士です。それでも,そんなにも質素だった。
だとしたら,庶民の着ているものなど,どれだけひどいものだったか・・・
当時も,美しい着物をつくる技術はありました。
しかし,それを享受できるのは,きわめて少数の人間だけだったのです。
***
ただし,こういう記録に残っているのは,「印象的なほどに質素」という,やや例外的な事例である可能性もあります。
でも,数百年前の日本が,現代の感覚でふつうに想像する以上に貧しく質素だった,ということはいえるのではないでしょうか。
小泉和子さんの同書などによれば,着物に関しこのような「超・質素」な状態を脱したのは,江戸時代のことだといいます。木綿や絹織物の生産・流通が発展し,美しい高級な呉服も,相当に大衆化していったのです。
そのずっと先の延長線上に,今の成人式の風景もあるわけです。
(以上)
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2015年01月10日 (土) | Edit |
パリで週刊紙の本社が銃撃され,12人が死亡したテロ。
これに関し「表現の自由への侵害は許されない」とあちこちで述べていることに違和感があります。
こういうテロは「表現の自由」などという,高度な文明社会の価値観に関わる話ではありません。
少なくとも,そこが肝心なのではない。
「気に入らないからって,人を殺してはいけない」
そういう,もっと基本的な人間社会のルールに関わることではないかと思います。
***
人は,気に入らない人間を攻撃したいという感情を持っています。
でも,その感情を野放しにしたら,社会の秩序は保てません。
そこで,それをコントロールする価値観や道徳を,文明社会は発展させてきました。
今のところ,そのひとつの到達点は,近代的な「人権思想」「民主主義」などの価値観でしょう。
「民主主義」とは,「気に入らないからって,殺したりしないで話し合おう」という考え方です。
あるいは「気に入らないなら,殴ったり殺したりしないで,いろいろ言ってやりましょう」ということ。
「宗教」も,人間の攻撃性をコントロールする機能を持ってきました。
宗教は,一定の道徳的な価値体系を持っています。「侮辱されたら,殺してもいい」という宗教的道徳は,まず考えられません。少なくとも,社会の中でメジャーな勢力となった宗教ではありえない。
それは,今回のテロの背景にあるとされる「イスラム」においても同じことです。
イスラムでいう不信心者に対する「聖戦」にしても,《必ずしも戦闘によるものではない》のだといいます。《説得など,平和的手段によって本当の宗教の意味を説明することも意味して》いるのです。(宮田律『アメリカはイスラム国に勝てない』PHP新書より。宮田さんはイスラム情勢の専門家)
***
しかし,宗教には「道徳」を人びとに根付かせる構造に,大きな矛盾や問題があるように思います。
つまり,信じる人たちの一部に不寛容や狂信を生んでしまう。どうしてもそういう傾向があるということ。
宗教の考えかたは,こうです。
「神」のような絶対的な存在をおき,それに全幅の信頼を寄せる。そして,「神」あるいは「神の代理人」が述べたとされることを,無条件に受け入れる。
「無条件に受け入れる」というのは,根拠を求めたり,検証しようとしたりしない,ということ。
無条件に受け入れたことの中には「あなたの隣人を愛しなさい」みたいな道徳も含まれます。
そこで,信心深い人は道徳的にもなり,隣人を愛するようになるはずです。個人の小さな感情を超えた,大きな愛で人と接するようにもなるでしょう。そんな人が増えれば,社会の安定や平和も実現する・・・はずです。
ところが,「無条件な信仰」というのは,どこかで不寛容を生みます。
自分の信仰を否定されると,非常に攻撃的になる,ということがあるのです。
理屈を超えて深く信じているものを侮辱されれば,理屈を超えた大きな怒りがあっても無理はないです。
もちろん,信仰を持つ人の多くは常識やバランス感覚を持っているのですが,一部にはそうでない人もいる。
そして究極には,「自分たちの神を侮辱する人間は,殺してもいい」というのが「神の教え」だとまじめに考える者まで出てくるのです。
こういうのを「狂信」といいますが,「無条件な信仰」というのは,一部に(あくまで一部です)狂信を生むのです。
そして,狂信は暴力や殺戮を生む。
社会に平和や秩序をもたらすはずの「教え」が,そんなことになってしまう。
***
ペンをかかげて今回のテロに抗議するというのは,私にはどうもしっくりきません。
「表現の自由」などというものをかかげて,非西洋の人たちに本当に訴えるものがあるのか?
新聞やテレビの論調に影響されすぎてはいないかと疑います。
たしかに,マスコミの人たちにとっては,このテロはまず第一に「表現の自由」への挑戦であるはずです。マスコミ人にとって,その「自由」ほど大事なものはないでしょう。
しかし,「表現の自由」などといわれてもピンとこない人たちが,世界には何十億人もいるのではないか。その人たちは「そんな自由は,欧米の特殊な価値観にすぎない」と思わないでしょうか?
だから,そんなことよりも「人間としての根本的な道徳」にもっと訴えるべきではないかと思います。
「気に入らない人間がいたからって,殺していいのか? (そんなことは,あなたたちの信仰や道徳でも認められていないはずだ)」
そういう訴えかたが,もっとあっていいのではないか。
「表現の自由をおびやかす何か」に抗議するのではない。
人間のなかに潜む「攻撃性」や「不合理な狂信」に抗議するということを,もっとはっきりさせないといけないように思います。
そうでないと,こういう事件のあと,人びとのあいだで別の「狂信」が力を持ってしまうように思えてなりません。たとえば「〇〇人はとにかく邪悪で凶暴な存在であり,そのようなあいつらの本性は絶対変わらない。だからあんな奴らは我が国では・・・」みたいな方向です。
(以上)
付記(1月12日)
その後,いただいたコメントなどから,次のように考えました。
「表現の自由」という観点が中心だと,「侮辱された人間の怒り」ということが抜け落ちてしまうのではないか。自分が深く信仰する教えを「風刺」されるのは,された側としては,ひどい「侮辱」と感じられるはずです。
コメントをくださった方もいうように「人を侮辱してはいけない」というのも,人間の基本的な道徳のはずです。
だがしかし,「どんなに激しく侮辱されたとしても,殺してはいけない」ということは外せない。
一方,この事件は個人の感情や道徳の次元だけで論じきれるものでは,もちろんありません。
その背景には,それなりのイデオロギーがあり,それへの「狂信」がこのようなテロを生んでいる,と言えるでしょう。犯人には背景になる組織があって,その組織の観点に立ったテロを行っています。だから,イスラムを批判する新聞が襲われ,警察官が襲われ,ユダヤ系スーパーが襲われたのです。
やはり憎むべきは「狂信」だと,私は思います。
そして,犯人がこうした組織に関わるまでには,「移民の子」としていろんな侮辱を受けてきたことでしょう。それへの個人としての怒りが背景にあるわけです・・・
これに関し「表現の自由への侵害は許されない」とあちこちで述べていることに違和感があります。
こういうテロは「表現の自由」などという,高度な文明社会の価値観に関わる話ではありません。
少なくとも,そこが肝心なのではない。
「気に入らないからって,人を殺してはいけない」
そういう,もっと基本的な人間社会のルールに関わることではないかと思います。
***
人は,気に入らない人間を攻撃したいという感情を持っています。
でも,その感情を野放しにしたら,社会の秩序は保てません。
そこで,それをコントロールする価値観や道徳を,文明社会は発展させてきました。
今のところ,そのひとつの到達点は,近代的な「人権思想」「民主主義」などの価値観でしょう。
「民主主義」とは,「気に入らないからって,殺したりしないで話し合おう」という考え方です。
あるいは「気に入らないなら,殴ったり殺したりしないで,いろいろ言ってやりましょう」ということ。
「宗教」も,人間の攻撃性をコントロールする機能を持ってきました。
宗教は,一定の道徳的な価値体系を持っています。「侮辱されたら,殺してもいい」という宗教的道徳は,まず考えられません。少なくとも,社会の中でメジャーな勢力となった宗教ではありえない。
それは,今回のテロの背景にあるとされる「イスラム」においても同じことです。
イスラムでいう不信心者に対する「聖戦」にしても,《必ずしも戦闘によるものではない》のだといいます。《説得など,平和的手段によって本当の宗教の意味を説明することも意味して》いるのです。(宮田律『アメリカはイスラム国に勝てない』PHP新書より。宮田さんはイスラム情勢の専門家)
***
しかし,宗教には「道徳」を人びとに根付かせる構造に,大きな矛盾や問題があるように思います。
つまり,信じる人たちの一部に不寛容や狂信を生んでしまう。どうしてもそういう傾向があるということ。
宗教の考えかたは,こうです。
「神」のような絶対的な存在をおき,それに全幅の信頼を寄せる。そして,「神」あるいは「神の代理人」が述べたとされることを,無条件に受け入れる。
「無条件に受け入れる」というのは,根拠を求めたり,検証しようとしたりしない,ということ。
無条件に受け入れたことの中には「あなたの隣人を愛しなさい」みたいな道徳も含まれます。
そこで,信心深い人は道徳的にもなり,隣人を愛するようになるはずです。個人の小さな感情を超えた,大きな愛で人と接するようにもなるでしょう。そんな人が増えれば,社会の安定や平和も実現する・・・はずです。
ところが,「無条件な信仰」というのは,どこかで不寛容を生みます。
自分の信仰を否定されると,非常に攻撃的になる,ということがあるのです。
理屈を超えて深く信じているものを侮辱されれば,理屈を超えた大きな怒りがあっても無理はないです。
もちろん,信仰を持つ人の多くは常識やバランス感覚を持っているのですが,一部にはそうでない人もいる。
そして究極には,「自分たちの神を侮辱する人間は,殺してもいい」というのが「神の教え」だとまじめに考える者まで出てくるのです。
こういうのを「狂信」といいますが,「無条件な信仰」というのは,一部に(あくまで一部です)狂信を生むのです。
そして,狂信は暴力や殺戮を生む。
社会に平和や秩序をもたらすはずの「教え」が,そんなことになってしまう。
***
ペンをかかげて今回のテロに抗議するというのは,私にはどうもしっくりきません。
「表現の自由」などというものをかかげて,非西洋の人たちに本当に訴えるものがあるのか?
新聞やテレビの論調に影響されすぎてはいないかと疑います。
たしかに,マスコミの人たちにとっては,このテロはまず第一に「表現の自由」への挑戦であるはずです。マスコミ人にとって,その「自由」ほど大事なものはないでしょう。
しかし,「表現の自由」などといわれてもピンとこない人たちが,世界には何十億人もいるのではないか。その人たちは「そんな自由は,欧米の特殊な価値観にすぎない」と思わないでしょうか?
だから,そんなことよりも「人間としての根本的な道徳」にもっと訴えるべきではないかと思います。
「気に入らない人間がいたからって,殺していいのか? (そんなことは,あなたたちの信仰や道徳でも認められていないはずだ)」
そういう訴えかたが,もっとあっていいのではないか。
「表現の自由をおびやかす何か」に抗議するのではない。
人間のなかに潜む「攻撃性」や「不合理な狂信」に抗議するということを,もっとはっきりさせないといけないように思います。
そうでないと,こういう事件のあと,人びとのあいだで別の「狂信」が力を持ってしまうように思えてなりません。たとえば「〇〇人はとにかく邪悪で凶暴な存在であり,そのようなあいつらの本性は絶対変わらない。だからあんな奴らは我が国では・・・」みたいな方向です。
(以上)
付記(1月12日)
その後,いただいたコメントなどから,次のように考えました。
「表現の自由」という観点が中心だと,「侮辱された人間の怒り」ということが抜け落ちてしまうのではないか。自分が深く信仰する教えを「風刺」されるのは,された側としては,ひどい「侮辱」と感じられるはずです。
コメントをくださった方もいうように「人を侮辱してはいけない」というのも,人間の基本的な道徳のはずです。
だがしかし,「どんなに激しく侮辱されたとしても,殺してはいけない」ということは外せない。
一方,この事件は個人の感情や道徳の次元だけで論じきれるものでは,もちろんありません。
その背景には,それなりのイデオロギーがあり,それへの「狂信」がこのようなテロを生んでいる,と言えるでしょう。犯人には背景になる組織があって,その組織の観点に立ったテロを行っています。だから,イスラムを批判する新聞が襲われ,警察官が襲われ,ユダヤ系スーパーが襲われたのです。
やはり憎むべきは「狂信」だと,私は思います。
そして,犯人がこうした組織に関わるまでには,「移民の子」としていろんな侮辱を受けてきたことでしょう。それへの個人としての怒りが背景にあるわけです・・・
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2015年01月06日 (火) | Edit |

2年近く前に,我が家のガスストーブを紹介した記事を書きました。
今回は,その再録とプラスアルファの話を。
***
上の写真は,我が家のガスストーブです。ウチのメインの暖房。
9年前,ここに引っ越してきてはじめての冬に買いました。6万数千円ほどしました(値段の話も,あえてさせていだきます)。
東京ガスのショップで売っていたものです。リンナイ製。
この手のタイプは,売り手の位置づけでは「家庭用」よりも,「業務用」です。最大で20畳くらいを温めることができ,集会所や教室などでの使用を想定しています。「家庭用製品」のカタログでは,後ろのほうに小さく載っているだけ。
東京ガスに買いにいったときも,まずファンヒータータイプをすすめられました。
でも,姿かたちが好きで,こっちを買いました。ずんぐりしたところが,なんとなくかわいい。
古い団地の特徴のひとつに,ガスコンセントが多い,ということがあります。
我が家(1978年竣工の公団)にも,床に設置されたガスコンセントが,ほぼ各部屋にひとつづつ,合計3つあります。
エアコンが広く普及する前の時代の設計なので,「暖房のメインはガスストーブ」という考えがあったのでしょう。
夜,我が家のリビングは灯りをおさえめにしています。
ほの暗い部屋でガスの炎をみていると,なごみます。
写真では,やかんでお湯をわかしていますが,網をおいて,お餅や魚を焼くこともあります。
ガスストーブは,「団地の暖炉」ですね。
***
ガスストーブは,ほんとに餅がうまく焼けます。
台所のガスレンジで餅を焼くと,黒く焦げたりするのですが,ストーブの上で焼くと,こんがりキツネ色になるのです。
強い火で遠くから焼くのが,いいみたいです。

いいかんじで焼けてきた。

(以上)
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2015年01月05日 (月) | Edit |
今日1月5日から仕事はじめという方も多いと思います。
私も休みが終わってしまいました。休みのあいだにやりたいと思っていたこと(考えたり,書いたりしたいことがあった)の半分くらいしかできませんでした。でも,半分くらいできたのだからいいか・・・
そして,今日1月5日は,文豪・夏目漱石の誕生日です。
そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズです。
***
夏目漱石(なつめ・そうせき)
作家になることは大きな賭けだった
明治~大正の作家・夏目漱石(1867~1916)は,英文学者として大学の講師をしながら,「我輩は猫である」などの小説を発表していました。小説は好評で,収入にもなりました。
一方で,創作活動と教職の両立もたいへんになってきました。そんなとき,「帝国大学の教授に」という,結構な就職話も持ちあがりました。
しかし,彼は教職を辞め,専業の作家として生きていくことにしました。漱石が40歳のときのことです。
この転職は,彼にとって大きな賭けでした。
小説が不人気なら,仕事はなくなってしまいます。また,当時は大学教授の地位は今以上に高く,作家の地位は低かったのです。それでも,彼はリスクの大きい作家の道を選びました。
この決断がなければ,「文豪・夏目漱石」は存在しなかったでしょう。作家業に専念したことで,彼は多くのすぐれた作品を残すことができたのです。
山本順二著『漱石の転職――運命を変えた四十歳』(彩流社,2005)による。
【夏目漱石】
明治~大正の文豪。教職を辞めてから,朝日新聞と契約して作家生活に入る。49歳で病死したので,専業作家としての活動は10年ほど。小説のほか,評論・講演でも後世に影響を与えた。
1867年(慶応三)1月5日生まれ 1916年(大正5)12月9日没
***
漱石は,40代で人生の大きな変更をしたわけです。
エリートコースから「やりたいこと」の世界に行ったのです。
でも,決して中高年が無謀な「夢」を追うというものではありません。
すでに作家としてかなりの名声を得ていましたし,朝日新聞の専属作家として「安定した高いギャラ」がもらえるよう,契約内容などにもこだわっています。家族を養う「家長」として,生活の十分な糧を得ることは,絶対条件でした。
それでも,「作家」はやはり不安定な仕事。
くりかえしになりますが,漱石は相当な「賭け」をしたのだと思います。
だがしかし,自分ももう40になって,あとどれくらい精力的に書けるのだろう,このまま「いずれ」と思っているうちに,活発に動ける「旬」の時期を過ぎてしまうのでは,という思いもあったはずです。そこで,踏み切ったわけです。
たしかに,人生には「旬」というのはあるのでしょう。
漱石は良い例です。漱石が40代に作家専業で活躍できなかったら,名は残したでしょうが,あれだけの「文豪」にはなっていないはず。それに,49歳で亡くなっているのですから,「作家への転職」が,もうあと何年か遅れていたら,活動時間はごくかぎられたものになっていたかも。
「やりたいこと」がある。そして人生には,「旬」や「時期」がある。
しかし,自分や家族の暮らしというものもある。
その辺のせめぎあいで悩む大人は,世の中にたくさんいます。
そして,それぞれの選択をしています。
ただ,私自身は漱石のように,どこかで踏み切って「やりたいこと」へ進んでいく人生に惹かれます。
自分自身も,ある時期に勤めた会社を辞めたりしているからでしょう。
でも,軽々しく人に「今の仕事を辞めてしまおう」などとはいいません。
私自身の経験からも「辞めて生きていく」のは,やっぱり大変です(まだまだ苦労が足りないのでしょうが)。
でも,魅力的なところがあるのです。
結論は出ませんが,漱石の人生からあらためて考えました。
(以上)
私も休みが終わってしまいました。休みのあいだにやりたいと思っていたこと(考えたり,書いたりしたいことがあった)の半分くらいしかできませんでした。でも,半分くらいできたのだからいいか・・・
そして,今日1月5日は,文豪・夏目漱石の誕生日です。
そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズです。
***
夏目漱石(なつめ・そうせき)
作家になることは大きな賭けだった
明治~大正の作家・夏目漱石(1867~1916)は,英文学者として大学の講師をしながら,「我輩は猫である」などの小説を発表していました。小説は好評で,収入にもなりました。
一方で,創作活動と教職の両立もたいへんになってきました。そんなとき,「帝国大学の教授に」という,結構な就職話も持ちあがりました。
しかし,彼は教職を辞め,専業の作家として生きていくことにしました。漱石が40歳のときのことです。
この転職は,彼にとって大きな賭けでした。
小説が不人気なら,仕事はなくなってしまいます。また,当時は大学教授の地位は今以上に高く,作家の地位は低かったのです。それでも,彼はリスクの大きい作家の道を選びました。
この決断がなければ,「文豪・夏目漱石」は存在しなかったでしょう。作家業に専念したことで,彼は多くのすぐれた作品を残すことができたのです。
山本順二著『漱石の転職――運命を変えた四十歳』(彩流社,2005)による。
【夏目漱石】
明治~大正の文豪。教職を辞めてから,朝日新聞と契約して作家生活に入る。49歳で病死したので,専業作家としての活動は10年ほど。小説のほか,評論・講演でも後世に影響を与えた。
1867年(慶応三)1月5日生まれ 1916年(大正5)12月9日没
***
漱石は,40代で人生の大きな変更をしたわけです。
エリートコースから「やりたいこと」の世界に行ったのです。
でも,決して中高年が無謀な「夢」を追うというものではありません。
すでに作家としてかなりの名声を得ていましたし,朝日新聞の専属作家として「安定した高いギャラ」がもらえるよう,契約内容などにもこだわっています。家族を養う「家長」として,生活の十分な糧を得ることは,絶対条件でした。
それでも,「作家」はやはり不安定な仕事。
くりかえしになりますが,漱石は相当な「賭け」をしたのだと思います。
だがしかし,自分ももう40になって,あとどれくらい精力的に書けるのだろう,このまま「いずれ」と思っているうちに,活発に動ける「旬」の時期を過ぎてしまうのでは,という思いもあったはずです。そこで,踏み切ったわけです。
たしかに,人生には「旬」というのはあるのでしょう。
漱石は良い例です。漱石が40代に作家専業で活躍できなかったら,名は残したでしょうが,あれだけの「文豪」にはなっていないはず。それに,49歳で亡くなっているのですから,「作家への転職」が,もうあと何年か遅れていたら,活動時間はごくかぎられたものになっていたかも。
「やりたいこと」がある。そして人生には,「旬」や「時期」がある。
しかし,自分や家族の暮らしというものもある。
その辺のせめぎあいで悩む大人は,世の中にたくさんいます。
そして,それぞれの選択をしています。
ただ,私自身は漱石のように,どこかで踏み切って「やりたいこと」へ進んでいく人生に惹かれます。
自分自身も,ある時期に勤めた会社を辞めたりしているからでしょう。
でも,軽々しく人に「今の仕事を辞めてしまおう」などとはいいません。
私自身の経験からも「辞めて生きていく」のは,やっぱり大変です(まだまだ苦労が足りないのでしょうが)。
でも,魅力的なところがあるのです。
結論は出ませんが,漱石の人生からあらためて考えました。
(以上)
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2015年01月02日 (金) | Edit |
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
このブログをはじめてもうすぐ丸2年です。(はじめたのは2013年の1月)
最近,ある若い友人から「書いていてたのしそうですね」と言われました。
たしかに,たのしいです。
こういう,書きたいことを書いて,どなたかに読んでいただける場所があるのは,いいですね。ブログというのは,ありがたい道具です。今年もこの道具を積極的に使っていきたい。もう少し上手に使えるようにもなりたいです。
***
新春なので,世界や日本について風呂敷を広げて考えてみましょう。
年末にみかけた,あるビジネス雑誌の表紙に「混迷を深める世界・岐路に立つ日本」みたいなキャッチコピーがありました。
これは,決まり文句ですね。
社長さんが社員に「年頭のあいさつ」のスピーチをするときには,よく出てきそうです。20年前30年前にも同じようなことを言っていました。
たぶん,この何十年か世界はずーっと「混迷を深め」てきたし,日本もずーっと「岐路に立ち」続けてきたのです。
皮肉っぽく書きましたが,世界や日本の現状についての抽象的なまとめとして,「混迷する」「岐路に立つ」というのは,決してまちがっていないと思います。
でも,問題は話が抽象的すぎることです。それだけでなんだかわかった気になって,思考が止まってしまうとしたら困ったことです。
社長の新年のあいさつだと,「混迷を深め」「岐路に立つ」という世界や日本の情勢についての基本認識が示されたあとは,たいてい円相場がどう,業界の様子がどう,それを踏まえわが社の事業計画は,といった個別具体的な話題にすすんでいきます。
これだと,すごく抽象的な話と,かなり具体的な話を結ぶ「中間」が欠けているのです。
つまり,「世界が混迷を深めている,日本が岐路に立っているとはういうことか」というのを,もう一歩踏み込んで,しかし個別具体的になりすぎずに説明した話がない。それでは「混迷を深め」「岐路に立つ」というのは,中身のない単なる「枕詞」になってしまう。
そこで,今回はそんな「中間の話」をしましょう。
***
まず「日本が岐路に立っている」とはどういうことか?
これは「成熟した経済・社会への対応を迫られている」ということです。政府も企業も個人も。
では「成熟した経済・社会」とは何かというと,「高度成長の結果,経済的に発展した先進国となり,それが一定の年数を経て定着した状態」のことです。
「先進国に追いつけ・追い越せ」ではなくなった社会。
日本は,高度経済成長が終わった1970年代に,経済面で一応は欧米に追いついて「先進国」となりました。
1人あたりGDP(経済の発展度を示す指標になる)でみると,日本は1970年代にイギリスに追いつき,1980年代にはアメリカに追いついています。
そして 「先進国であること」が定着したのは,1980年代後半から1990年ころ以降ではないかと,私は思います。今から20数年~30年前のこと。バブル経済からその崩壊にかけての時期です。
そのころ「先進国として成熟する」という課題を,日本は背負うようになったのです。
それまでは「先進国になる」のが課題だったのですが,課題が変わった。
これが「日本は岐路に立っている」ということ。
あれから30年。
今も岐路に立ち続けている。
***
「成熟した経済・社会」に,政府や企業や私たち個人は,適応しなくてはいけない。
もちろんある程度はできています。でも,「右肩あがり」の時代の発想は根強い。中高年はとくにそうだし,若い世代も,そんな中高年に影響を受けている。
たとえば,高度成長期に政権を担った政党(自民党)が,今も圧倒的多数で政権を担っています。ほかの政権(民主党など)も試してみたけど,「ダメだ」と感じて元に戻った。「政治の新しい枠組みはないものか」と模索してみたけど,なかなかみえてこない。
日本政府の抱える負債は,ご存じのようにものすごい金額になっています。
これは「経済が順調に成長する」「国民の年齢構成が比較的若い(老人が少ない)」といった,「右肩上がり」の時代の前提に立った社会保障制度を維持してきた結果です。経済成長がペースダウンして高齢化が進んだ「成熟した経済・社会」には,全然適応していない。
「日本株式会社」は,今までの「モノをつくって輸出する」というビジネスモデル以外の新しい何かを,なかなか見いだせないでいます。
つくっているモノの中身も,「なんかズレている」とよく言われます。たとえば消費者が求めるのとはちがう,意味のないハイスペックだったりややこしい機能がついてたり・・・
「円高のせいで輸出が伸びない」と言われたりもしました(説明は省きますが,円高は輸出企業には不利なのです)。しかしアベノミクス以降,円安が進みましたが,全体としては輸出は伸びていません。「モノをつくって輸出が伸びることで経済が活気づく」という従来のモデルは,通用しなくなっているようです。
「たんなるモノじゃなくて,ソフトとか,クールなジャパンをもっと輸出しよう」という意見もあります。でも何が「クール」なのか,社会のリーダー的な人たち,つまりオジさんたちにはよくわからないので,この方面の議論は混迷をきわめています。
そのためか「クールなジャパン」は,海外でよい評判を得ることがあっても,あまり儲かっていません。つまり,輸出産業としては今のところ経済にあまり影響していない(ただし,日本への海外からの観光客はこの10年で大きく増え,ほぼ2倍になりましたが)。
これからの成熟経済はモノつくりではない,金融立国に日本はなっていかないといけない,という主張もあります。
たしかに,成熟した先進国では発展途上の国とは異なる金融があるようです。たとえば,個人の金融資産であれば,銀行の預貯金よりも,株式やファンドなどによる「投資・運用」をメインとするような。
「貯蓄から投資へ」ということは,少なくとも10年ほど前の小泉政権でも言っていました。でも,日本人の金融資産は相変わらず預貯金中心で,この20~30年のあいだ,大きくは変わっていないのです。
***
以上,いろいろな面で「成熟した経済・社会に対応しきれず,相変わらずなやり方を続けている」ということです。
「岐路」に立っているけど,「これまでとはちがう方向」に進めず,立ちすくんでいる。
でもこれは,政治・経済のリーダーたちだけのせいではない。
私たちふつうの個人の多くも,だいじな場面で「相変らず」のほうを選んでいます。「選ばざるを得ないんだ」と言いたいかもしれませんが,とにかく結果として選んでいる。
最近の選挙の結果などは,まさにそうです。
年金などの社会保障を「成熟社会」に適応させるとしたら,今の給付水準を大きく下げることになるので,高齢者を中心に猛反対が起きるでしょう。だから,政治家も動けない。
貯蓄よりも投資を積極的に行うことをためらっているのは,私たちひとりひとりです。
「モノつくり」で頑張っている人たちを,私たちは今もおおいに尊敬しています(映画やドラマの制作に関わる演出家や俳優が自分たちの仕事を「モノつくり」とか言うくらいです)。その一方,金融で稼ぐ人たちは「モノつくり」の人たちほど好かれていません。
こういう「相変わらずな価値観」は,年寄りも若い人も,そんなには違わないのではないでしょうか。
たとえば就職活動をする大学生の「就職したい企業ランキング」をみると,それを痛感します。上位に来る企業は,30年近く前に(今40代終わりの)私が就職活動していたころと本質的には変わっていません。大手の金融機関や商社や,インフラ系企業などが,その顔ぶれの中心なのです。
***
「成熟した経済・社会としての対応」とは,「成熟した先進国になる」といってもいいでしょう。
そのような社会がどんなものであるかは,だいたいわかっているはずです。
政治であれば,特定の政党が何十年も政権を担い続けるなんてことは,成熟した先進国らしくないです。
先進国で少子高齢化が進むのは,常識です。社会保障制度がそれを前提にすべきなのも,常識的なことでしょう。
従来型の工業製品で輸出競争力が落ちていくのも,成熟した先進国の「宿命」といっていいでしょう。豊かな国民=賃金の高い国民なのだから,人件費の安い新興国との競争では,おおいに不利なわけです。
工業製品の輸出がふるわないなら,製品の方向性を見直したり,「クール」な何かを生みだしてソフトで稼いだり,金融・投資によって収益を得たりすることも,やはりだいじな選択肢です。
「成熟した経済・社会」への対応策というのは,基本的な方向としては,じつはすでにわかっているのではないでしょうか。わかっているんだけど,積極的にそちらの方向へ行けないでいる。
なぜでしょう?
たぶん「日本は岐路に立っている」などという決まり文句で語るような「リーダー」や「インテリ」を,私たちが放置しているからでしょう。
枕詞のように「日本は岐路に立っています」と言うリーダーは,たぶん「分かれ道」の前でモタモタするか,「相変わらずの道」のほうへ行く人です。
そういうリーダーを甘やかさないで,いろいろとものを言ったり,抵抗したりできないものでしょうか?
あるいは,そんな「リーダー」の力の及ばないところで,「相変わらずでない」何かを進めることはできないでしょうか? とくに個人として自由になる領域で,それができないでしょうか?
また,新しい何かを行っている人を,自分なりに応援できないでしょうか?
新春にあたり,もしもどこかで政治家や社長やインテリみたいな人が「日本は岐路に立っている」と言っていたら,今回書いたことを思い出してください。「岐路に立っている」とはどういうことか。こんなことを言うリーダーは大丈夫なんだろうか・・・
長くなったので,「混迷を深める世界」については,またの機会に。
(以上)
今年もよろしくお願いいたします。
このブログをはじめてもうすぐ丸2年です。(はじめたのは2013年の1月)
最近,ある若い友人から「書いていてたのしそうですね」と言われました。
たしかに,たのしいです。
こういう,書きたいことを書いて,どなたかに読んでいただける場所があるのは,いいですね。ブログというのは,ありがたい道具です。今年もこの道具を積極的に使っていきたい。もう少し上手に使えるようにもなりたいです。
***
新春なので,世界や日本について風呂敷を広げて考えてみましょう。
年末にみかけた,あるビジネス雑誌の表紙に「混迷を深める世界・岐路に立つ日本」みたいなキャッチコピーがありました。
これは,決まり文句ですね。
社長さんが社員に「年頭のあいさつ」のスピーチをするときには,よく出てきそうです。20年前30年前にも同じようなことを言っていました。
たぶん,この何十年か世界はずーっと「混迷を深め」てきたし,日本もずーっと「岐路に立ち」続けてきたのです。
皮肉っぽく書きましたが,世界や日本の現状についての抽象的なまとめとして,「混迷する」「岐路に立つ」というのは,決してまちがっていないと思います。
でも,問題は話が抽象的すぎることです。それだけでなんだかわかった気になって,思考が止まってしまうとしたら困ったことです。
社長の新年のあいさつだと,「混迷を深め」「岐路に立つ」という世界や日本の情勢についての基本認識が示されたあとは,たいてい円相場がどう,業界の様子がどう,それを踏まえわが社の事業計画は,といった個別具体的な話題にすすんでいきます。
これだと,すごく抽象的な話と,かなり具体的な話を結ぶ「中間」が欠けているのです。
つまり,「世界が混迷を深めている,日本が岐路に立っているとはういうことか」というのを,もう一歩踏み込んで,しかし個別具体的になりすぎずに説明した話がない。それでは「混迷を深め」「岐路に立つ」というのは,中身のない単なる「枕詞」になってしまう。
そこで,今回はそんな「中間の話」をしましょう。
***
まず「日本が岐路に立っている」とはどういうことか?
これは「成熟した経済・社会への対応を迫られている」ということです。政府も企業も個人も。
では「成熟した経済・社会」とは何かというと,「高度成長の結果,経済的に発展した先進国となり,それが一定の年数を経て定着した状態」のことです。
「先進国に追いつけ・追い越せ」ではなくなった社会。
日本は,高度経済成長が終わった1970年代に,経済面で一応は欧米に追いついて「先進国」となりました。
1人あたりGDP(経済の発展度を示す指標になる)でみると,日本は1970年代にイギリスに追いつき,1980年代にはアメリカに追いついています。
そして 「先進国であること」が定着したのは,1980年代後半から1990年ころ以降ではないかと,私は思います。今から20数年~30年前のこと。バブル経済からその崩壊にかけての時期です。
そのころ「先進国として成熟する」という課題を,日本は背負うようになったのです。
それまでは「先進国になる」のが課題だったのですが,課題が変わった。
これが「日本は岐路に立っている」ということ。
あれから30年。
今も岐路に立ち続けている。
***
「成熟した経済・社会」に,政府や企業や私たち個人は,適応しなくてはいけない。
もちろんある程度はできています。でも,「右肩あがり」の時代の発想は根強い。中高年はとくにそうだし,若い世代も,そんな中高年に影響を受けている。
たとえば,高度成長期に政権を担った政党(自民党)が,今も圧倒的多数で政権を担っています。ほかの政権(民主党など)も試してみたけど,「ダメだ」と感じて元に戻った。「政治の新しい枠組みはないものか」と模索してみたけど,なかなかみえてこない。
日本政府の抱える負債は,ご存じのようにものすごい金額になっています。
これは「経済が順調に成長する」「国民の年齢構成が比較的若い(老人が少ない)」といった,「右肩上がり」の時代の前提に立った社会保障制度を維持してきた結果です。経済成長がペースダウンして高齢化が進んだ「成熟した経済・社会」には,全然適応していない。
「日本株式会社」は,今までの「モノをつくって輸出する」というビジネスモデル以外の新しい何かを,なかなか見いだせないでいます。
つくっているモノの中身も,「なんかズレている」とよく言われます。たとえば消費者が求めるのとはちがう,意味のないハイスペックだったりややこしい機能がついてたり・・・
「円高のせいで輸出が伸びない」と言われたりもしました(説明は省きますが,円高は輸出企業には不利なのです)。しかしアベノミクス以降,円安が進みましたが,全体としては輸出は伸びていません。「モノをつくって輸出が伸びることで経済が活気づく」という従来のモデルは,通用しなくなっているようです。
「たんなるモノじゃなくて,ソフトとか,クールなジャパンをもっと輸出しよう」という意見もあります。でも何が「クール」なのか,社会のリーダー的な人たち,つまりオジさんたちにはよくわからないので,この方面の議論は混迷をきわめています。
そのためか「クールなジャパン」は,海外でよい評判を得ることがあっても,あまり儲かっていません。つまり,輸出産業としては今のところ経済にあまり影響していない(ただし,日本への海外からの観光客はこの10年で大きく増え,ほぼ2倍になりましたが)。
これからの成熟経済はモノつくりではない,金融立国に日本はなっていかないといけない,という主張もあります。
たしかに,成熟した先進国では発展途上の国とは異なる金融があるようです。たとえば,個人の金融資産であれば,銀行の預貯金よりも,株式やファンドなどによる「投資・運用」をメインとするような。
「貯蓄から投資へ」ということは,少なくとも10年ほど前の小泉政権でも言っていました。でも,日本人の金融資産は相変わらず預貯金中心で,この20~30年のあいだ,大きくは変わっていないのです。
***
以上,いろいろな面で「成熟した経済・社会に対応しきれず,相変わらずなやり方を続けている」ということです。
「岐路」に立っているけど,「これまでとはちがう方向」に進めず,立ちすくんでいる。
でもこれは,政治・経済のリーダーたちだけのせいではない。
私たちふつうの個人の多くも,だいじな場面で「相変らず」のほうを選んでいます。「選ばざるを得ないんだ」と言いたいかもしれませんが,とにかく結果として選んでいる。
最近の選挙の結果などは,まさにそうです。
年金などの社会保障を「成熟社会」に適応させるとしたら,今の給付水準を大きく下げることになるので,高齢者を中心に猛反対が起きるでしょう。だから,政治家も動けない。
貯蓄よりも投資を積極的に行うことをためらっているのは,私たちひとりひとりです。
「モノつくり」で頑張っている人たちを,私たちは今もおおいに尊敬しています(映画やドラマの制作に関わる演出家や俳優が自分たちの仕事を「モノつくり」とか言うくらいです)。その一方,金融で稼ぐ人たちは「モノつくり」の人たちほど好かれていません。
こういう「相変わらずな価値観」は,年寄りも若い人も,そんなには違わないのではないでしょうか。
たとえば就職活動をする大学生の「就職したい企業ランキング」をみると,それを痛感します。上位に来る企業は,30年近く前に(今40代終わりの)私が就職活動していたころと本質的には変わっていません。大手の金融機関や商社や,インフラ系企業などが,その顔ぶれの中心なのです。
***
「成熟した経済・社会としての対応」とは,「成熟した先進国になる」といってもいいでしょう。
そのような社会がどんなものであるかは,だいたいわかっているはずです。
政治であれば,特定の政党が何十年も政権を担い続けるなんてことは,成熟した先進国らしくないです。
先進国で少子高齢化が進むのは,常識です。社会保障制度がそれを前提にすべきなのも,常識的なことでしょう。
従来型の工業製品で輸出競争力が落ちていくのも,成熟した先進国の「宿命」といっていいでしょう。豊かな国民=賃金の高い国民なのだから,人件費の安い新興国との競争では,おおいに不利なわけです。
工業製品の輸出がふるわないなら,製品の方向性を見直したり,「クール」な何かを生みだしてソフトで稼いだり,金融・投資によって収益を得たりすることも,やはりだいじな選択肢です。
「成熟した経済・社会」への対応策というのは,基本的な方向としては,じつはすでにわかっているのではないでしょうか。わかっているんだけど,積極的にそちらの方向へ行けないでいる。
なぜでしょう?
たぶん「日本は岐路に立っている」などという決まり文句で語るような「リーダー」や「インテリ」を,私たちが放置しているからでしょう。
枕詞のように「日本は岐路に立っています」と言うリーダーは,たぶん「分かれ道」の前でモタモタするか,「相変わらずの道」のほうへ行く人です。
そういうリーダーを甘やかさないで,いろいろとものを言ったり,抵抗したりできないものでしょうか?
あるいは,そんな「リーダー」の力の及ばないところで,「相変わらずでない」何かを進めることはできないでしょうか? とくに個人として自由になる領域で,それができないでしょうか?
また,新しい何かを行っている人を,自分なりに応援できないでしょうか?
新春にあたり,もしもどこかで政治家や社長やインテリみたいな人が「日本は岐路に立っている」と言っていたら,今回書いたことを思い出してください。「岐路に立っている」とはどういうことか。こんなことを言うリーダーは大丈夫なんだろうか・・・
長くなったので,「混迷を深める世界」については,またの機会に。
(以上)
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