FC2ブログ
2015年01月12日 (月) | Edit |
 今日は,久々に2本の記事を書きました。
 今日最初にアップした記事は,この記事のすぐ下ですので,そちらもご覧ください。

 *** 

 最近,「プチ富裕層とのつきあい方」というテーマが,よく頭をよぎります。
 「プチ富裕層」とは何か。世間でも使われることのある言葉ですが,「これだ」という定義はありません。

 あくまで「ここだけの定義」として,「金融資産(預貯金や証券の保有額)が数千万円~数億円」あるいは「年収1千万円~数千万円」に該当する人たち,ということにしておきます。すごいお金持ちではないですが,かなりの経済力を持っている人たち。

 こういう人たちは,ここ10年余りで増えています。
 野村総合研究所の推計だと,西暦2000年には「金融資産5000万円~5億円未満」(野村総研の分類だと「準富裕層」と「富裕層」の合計)に含まれる世帯数は,約330万世帯。
 それが2013年には,約410万世帯になっています。2割以上の大幅な増加です。

 その一方で,「金融資産ゼロ」という世帯も増えています。「資産ゼロ」世帯は,2007年には全世帯の約20%でしたが,2013年には約30%になりました。

 日本の総世帯数は,5200万世帯(2010年)。
 このうち400万世帯を少し超えるくらいが,「プチ富裕層」に含まれるわけです。これは,全世帯の8%。どんぶりで「全世帯の1割弱」というイメージでいいのではないでしょうか。

 その一方,全世帯の3割が「資産ゼロ」ということ。
 「プチ富裕層」も「資産ゼロ」も,近年増えてきている。

 ということは,日本社会における「経済的ゆとり」は,特定の層に集中する傾向が,近年はみられるのです。いわゆる「格差の拡大」というものです。

 ***

 そして,現代の特徴は,相当な経済力を持つ「プチ富裕層」が,これまでになく分厚く存在することです。何しろ,社会の1割にもなる。近い将来,さらに増えるかもしれません。15%とか20%になるということです。そのときには,「資産ゼロ」の人も増えているでしょう。

 そうなれば,プチ富裕層の存在感や影響力は非常に大きなものになる。
 しかし,その人たちがわかりやすいひとつの「社会集団」として姿をあらわすことはないでしょう。

 中高年,高齢者を中心としながらも,そこにはさまざまな年齢,職業,ライフスタイルなどの人たちが含まれているでしょう。ライフスタイルでみても,質素倹約な人もいれば,浪費的な人もいるはずです。新しい考えの人も保守的な人もいる。そこに明らかな共通性を見出すのはむずかしく,共通性があるとしたら,ばくぜんと「それなりのゆとりがある」ということくらい。

 そして,社会の1割を占めるのですから,誰もが(プチ富裕層であろうとなかろうと)彼らと日々関わることになるでしょう。たとえば,企業に勤める人なら,その人たちが顧客である製品やサービスを扱うことになるだろうし,何かの活動をすれば,プチ富裕層の人が重要なメンバーだったりするのです。

 ***

 だから,「プチ富裕層とのつきあい方」ということは,大事だと思います。
 そこには,広い意味が含まれています。

 プチ富裕層でない人,たとえば「資産ゼロ」やそれに近い人でも,仕事や何かの活動で彼らが重要になってくることがある。あるいは,「どうやって経済力をつけてプチ富裕層になるか,それに近づくか」を考えることもあるでしょう。

 プチ富裕層の人にとっては,「〈自分がプチ富裕層であること〉とどう向きあうか」が課題です。まず,自分がそのような存在だと自覚する。そのうえで「ゆとり」をどう使っていくか。あるいは,その経済力を維持するのにどうするか・・・

 その中で私が最も関心があるのは,「富裕でない人間として,プチ富裕層とどう関わるか」です。

 ところで私自身も,10年くらい前はここでいう「プチ富裕層」に近い状態だったのです。しかし,起業をしたところうまくいかず,散財や失業の結果(借金はありませんが),今は野村総研の分類だと「マス層」になりました。十分に稼ぐだけの実力が不足している,ともいえます(これから頑張りたいですが)。

 ***

 さらに,「どう関わるか」とは,「どう関心を持ってもらうか」ということだと捉えます。
 
 そのためにはマーケティング的な活動も必要ですが,根本は面白い・意義ある何かをすることです。何かをしていると,誰かの関心をひくことがある。とくに,ゆとりのあるプチ富裕層には,好奇心が旺盛で面白いことを積極的にさがしている人が多い。

 たとえば,私は何かを発信したり,何かの相談相手になったり,教えたりという方向での活動をしています。この活動はとくに富裕層向けにしているわけではありません。むしろ,経済的に制約のある人を意識したものです(私自身がそうだから,という面もあります)。私は「大衆路線」が好きなのです。
 
 でも,私のしていることに関心を寄せてくれる方の重要な部分に,いつもプチ富裕層の人たちがいると感じています。それなりのゆとりがあり,好奇心の豊かな人たち。全くの無名である私にアクセスしてくださるのですから,積極的な方が多いです。

 そのほかの人たちもいます。
 たとえば「若者」です。「社会でのポジションが未定」という特殊な存在。それだけに,いろんなことに興味を持つ傾向があります(そうでもない人もいますが)。
 
 あとは,富裕層ではない,いろんな人たち。この人たちにおもに語りかけているのだから,当然です。

 ただ,その中にはプチ富裕層と関わりが深い人も,少なくありません。
 自分が何かの活動をしていて,そこでプチ富裕層を顧客としたり,活動仲間としたりしているのです。
 
 たとえば,先日会った知人の1人。この人は,自分の小さな工房・アトリエを構えているフリーランスです。制作するプロダクツは受注生産。オーダーする顧客の多くはプチ富裕層といっていいです。でも,ご本人は「ビンボーでも好きなことをして生きていく」という道を歩んでいる。

 あるいは,私の友人のミュージシャンは,音楽活動のほかにアルバイトもしていますが,彼の音楽仲間には,プチ富裕層が結構います。中には,野村総研の分類だと「超富裕層」といえる人もいます。

 また,私の親しいある女性は,書道の教師をしています。書道の世界は基本的には富裕層の参加によって成り立ってきました。たとえば,書道の先生(とくに自宅で教えている人)は,多くの場合プチ富裕層といっていいでしょう。でも私の知り合いの彼女はちがいます。私の奥さんですので・・・

 ***
 

 ここで私が注目するのは,このような「自分自身は富裕層でないけど,プチ富裕層の関心をひく活動をしながら,楽しくがんばっている人たち」です。

 彼らはどうしているのか。

 単純なことですが,自分の分野でよく勉強して,楽しいこと・ステキなことをつくり出す活動をしています。情報発信やライブやイベントやプロダクツ制作をしているのです。自分なりにできるかたちで,「面白いこと」を続けている。その上で,「自分を人に知ってもらう」ための工夫や努力をしている。

 彼らをみていると,「自分はビンボーでも,世の中を楽しく豊かにするのに貢献できる」というのがわかります。こういう「ビンボーな人」がいないと,世の中は味気ないものになるでしょう。
 「ビンボー人」というのが失礼なら,「文化人」といってもいいです。

 また,そんな「ビンボー人ないしは文化人」をさまざまなかたちで応援するプチ富裕層の人たちも,世の中を楽しくしているといえます。また,プチ富裕層の人自身が「面白いこと」をつくり出す主体になっている場合も多いです。

 これは「社会を貧困から救う」といった,かつての社会主義的な理想とはちがいます。なにしろ「プチ富裕層」がカギを握るのです。プチ富裕層は,社会主義の教義では嫌われ者でした。

 ***

 この社会には「プチ富裕層の関心をひくビンボー人ないしは文化人」というポジションがあるようです。
 このような人たちも,これからの社会で一層の存在感を放つと思います。

  「富裕層を顧客やパトロンとする文化人」は,昔からいました。でもきわめて少数で,エリート的な存在でした。富裕層の数がごくかぎられていたからです。しかし「プチ富裕層に関わる文化人」はもっと数が多く,大衆的なものです。プチ富裕層が巨大なボリュームで存在するからです。「プチ富裕層」に対応するものとして「プチ文化人」といってもいいかもしれません。

 私も,そのあたりの「ビンボー人」のポジションは意識したいと思っています。そのために,いろんな意味での勉強や,行動をしていかないとね・・・

 
(以上)  
関連記事
2015年01月12日 (月) | Edit |
 今日は成人式。成人式といえば振袖の女子が華やかです。

 20年くらい前,成人式のシーズンに,昭和ヒトケタ生まれの私の父が,自分の若かった昭和20年代の田舎を思い出して,こんなことを言っていました。

「そのころ(昭和20年代)は,娘さんに振袖をつくってやれる家なんて,村にほんの何軒かあるだけだった。ちゃんとした着物は高かったんだ。でも今はいいよな。ほとんどみんなが成人式で振袖を着れる時代になった」

 その後の高度経済成長(1955頃から1975頃,昭和30~40年代)で,人びとの所得が増える一方,生産力の進歩で着物を安価につくれるようになった結果,「振袖で成人式」は一般的になったのでしょう。

 何十年か昔の日本では,「きちんとした着物をつくる(買う)」というのは,たいへんなことだったようです。
 このことは,たまに思い出すといいかもしれません。

 では「きちんとした着物」が昔はいくらくらいしたのか,ということを知りたいと思って,手持ちの「値段史」の本などをあたりましたが,よくわかりませんでした。モノによってかなりちがうので,統計資料的に示しにくいのかもしれません。いつかもう少し調べてみたい。

 ***

 さらに,何百年も前の昔にさかのぼると,着物を新調することは,もっとたいへんでした。
 たとえばこんな話が文書で残っているそうです。
 小泉和子『ものと人間の文化史46 箪笥』(法政大学出版局)にあった話です。

 安土桃山~江戸時代初期のこと。三十万石の大名家の娘が,父に手紙で新しい小袖(それなりの立派な着物でしょう)をつくらせてほしい,とお願いをした。一着しかない小袖が古くなったのだと。

 三十万石の大名の娘が,一着しか持ってないの? 
 着物一枚つくるのに,父である殿様に伺いをたてないといけないの?

 当時は,そういう時代だったのです。
 それだけ衣類というものが貴重で高価だったということ。

 そして殿様は,娘が着物を新調することを許しませんでした。最初は手紙や家来を通してのやり取りでしたが,最後は姫様本人が父君にじかにお願いしました。しかし,「一着あれば十分」と却下され,ひどく叱られたそうです。

 「昔は貧しかった」というイメージは,私もある程度は持っているつもりでしたが,この話には少々おどろきました。
 大名でも,そうだったのか・・・と。

 また,これと同時代の人で,石田三成の重臣だった三百石取りのある武士の娘が,晩年にこう語ったそうです。

 「自分は13歳から17歳まで,たった1枚の着物で通した。しまいには寸足らずになってすねが出て困った・・・」

 「三百石」というのは,かなり上級の武士です。それでも,そんなにも質素だった。
 だとしたら,庶民の着ているものなど,どれだけひどいものだったか・・・

 当時も,美しい着物をつくる技術はありました。
 しかし,それを享受できるのは,きわめて少数の人間だけだったのです。

 ***

 ただし,こういう記録に残っているのは,「印象的なほどに質素」という,やや例外的な事例である可能性もあります。
 でも,数百年前の日本が,現代の感覚でふつうに想像する以上に貧しく質素だった,ということはいえるのではないでしょうか。

 小泉和子さんの同書などによれば,着物に関しこのような「超・質素」な状態を脱したのは,江戸時代のことだといいます。木綿や絹織物の生産・流通が発展し,美しい高級な呉服も,相当に大衆化していったのです。

 そのずっと先の延長線上に,今の成人式の風景もあるわけです。

(以上)
関連記事