2015年05月31日 (日) | Edit |
 今年は,第二次世界大戦(1939~45)終結70年ということで,あの大戦について考えることが,あちこちで行われています。安倍政権の「戦後70年談話」なども,そのひとつ。

 最近,世界大戦にかんする本をいくつか読みました。そこで知ったこと,考えたことを書きます。「日本にとって」というより,「世界にとっての,あの大戦」という視点で考えたいと思います。

 1900年代前半は「世界大戦」の時代でした。
 第一次世界大戦(1914~1918)と,第二次世界大戦(1939~1945)。

 あのような世界を巻き込む大戦争は,どうして起きるのか?

 「世界の強国のあいだの力の均衡」という視点は,とくに大事だと思います。
 世界大戦の前提には,「世界の強国のあいだで,力の均衡が大きく変化する」ということがある。

 つまり,

・これまでの世界で「ナンバー1」「1番手」といえる強国の圧倒的優位が崩れる一方,「2番手」の強国が勢いよく台頭してくる。

 このような「ナンバー1」の国を「覇権国」ともいいます。

 しかし,これだけでは大戦にはなりません。さらに,つぎのことも必要です。

・その「2番手」が,世界のなかでの自己のポジションに,強い不満を持っている。「自分たちは,本来の力にふさわしい評価や利権を得ていない」と感じている。

 さらに,もうひとつあります。

・そのような「不満」が暴発するだけの強い社会的プレッシャーが生じたり,ある種の絶望感に2番手の国が陥ったりする。

 以上をまとめると,

1.従来の覇権国の凋落と,2番手の台頭・追い上げ。
2.2番手の不満の高まり。
3.2番手における社会的プレッシャーや絶望感。


 この3つが揃うと,「世界大戦前夜」です。
 ここに,発火点となるような紛争や事件が重なると,「世界大戦」になってしまいます。

4.発火点になるような紛争・事件。

 1.~4.が揃ったとき,1番手と2番手のあいだで戦争がはじまります。

 2番手が,覇権国の立場をめざして1番手に戦いをはじめるのです。困難な戦いであっても,「戦えばなんとかなる」と,戦争をはじめてしまう。1番手・2番手には,それぞれの同盟国があるので,世界のおもな国ぐにが2つの陣営に分かれて戦うことになります。
 
 世界大戦は,2番手の国による,それまでの覇権国(1番手)への「挑戦」というかたちをとる。
  
 ***
 
 では,第一次世界大戦,第二次世界大戦において,上記でいう「1番手」「2番手」とは,具体的にどの国だったか?
 これは,共通しています。2つの世界大戦の主要キャストは(国というレベルでみれば),同じです。

 1番手・・・イギリスとアメリカ
 2番手・・・ドイツ


【第一次世界大戦】 
イギリス・アメリカ・フランス・ロシア・日本など(協商国また連合国)
      VSドイツ・オーストリア・トルコなど(同盟国)
  →連合国の勝利

【第二次世界大戦】 
アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国など(連合国)
      VSドイツ・日本・イタリアなど(同盟国)
  →連合国の勝利


 2つの世界大戦があった1900年代前半は,1800年代に圧倒的だったイギリスの優位が崩れ,アメリカ(アメリカ合衆国)が台頭した時代でした。

 工業生産では,アメリカは1800年代末にはイギリスを抜いて世界一になりました。しかし,軍事力や科学技術,文化の面では,今のような強い力はありません。一方で,イギリスはあいかわらず世界に植民地を持ち,今までの蓄積にもとづくパワーが残っていました。

 1900年代初頭は,覇権国が「イギリスからアメリカへ」と移っていく過渡期でした。
 だから,「一番手は,イギリスとアメリカの両方」といえる状態だったのです。

 そして,これら新旧の覇権国のあいだでは,深刻な対立はおきませんでした。両国は密接な関係にあり,多くの点で利害をともにしていました。また,それまでのアメリカは「孤立主義」的な外交で,ヨーロッパの情勢からは距離をおいていました。つまり「覇権」ということに,あまり興味を持っていなかったのです。

 「1番手」がそのような状況のなか,1800年代末以降,あらたな「2番手」として台頭したのがドイツでした。

  ドイツはイギリス,フランスよりはやや遅れて近代的な発展がはじまりました。たとえば,1870年ころに「ドイツ統一」がなされるまで,ドイツはいくつもの小王国に分かれていたのです。日本でいえば江戸時代の幕藩体制のような状態です。1870年というのは,日本の明治維新(1868年)と同じころです。

 しかし,急速に発展して,第一次世界大戦の少し前には,イギリスを抜いてヨーロッパ最大の工業国になっていました(当時の世界最大の工業国は,アメリカ)。

※世界全体のGDPに占める主要国のシェア(%)

       1820年   1870年    1913年 
アメリカ   1.8      8.9      19.1
イギリス   5.2      9.1       8.3
ドイツ    ―       6.5       8.8
フランス   5.5      6.5        5.3
日 本    ―       2.3        2.6

(アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』より)

 しかしドイツは(指導者も国民も),世界での自分たちの地位に不満を持っていました。
 ドイツ近現代史の専門家・木村靖二によれば,こういうことです。

《(1910年ころの)ドイツは統一後三〇年にして,軍事・工業大国へとのし上が(った。そして,)既存の列強からそれにふさわしい待遇を受けることを期待し,「陽の当たる場所」を譲られることを当然だと自負していた。既存列強の対応が期待を裏切ると,ドイツはその理由を将来性に満ちた,若々しいドイツに対する老大国の「妬み」とみた・・・(第一次世界大戦の)開戦勅書にも「敵はドイツの成果を妬んでいる」という一句がある》(木村靖二ほか『世界の歴史26 世界大戦と現代文化の開幕』中央公論社,37ページ)

 以上,第一次世界大戦の前夜には,さきほど述べた「世界大戦にいたる条件」のうちの「1.従来の覇権国の凋落と2番手の台頭」があり,「2.2番手の不満」もあったわけです。

 では,「3.2番手におけるプレッシャーや絶望感」は,どうだったのか?
 これは,ややはっきりしません。

 しかし,さきほど引用した木村靖二によれば,第一次世界大戦前夜において,列強の指導者たちが《将来における列強としての地位と順調な経済発展を維持するために,確実な保証を得なければならないという圧力を感じていた。・・・具体的な対立というより,閉塞感や未来への不安(があった)》(木村『二つの世界大戦』山川出版社,10ページ)ということです。そして,その背景となる国際情勢や,国内での労働運動の高まりなどについて述べています。

 とくに,ドイツの指導者は「閉塞感」をつよく感じていたのでしょう。
 
 そんな中,1914年にサラエボという都市(現ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)で,オーストリア皇太子がセルビア人青年によって射殺されるという「サラエボ事件」が起きます。

 セルビアは当時,オーストリアによる圧迫を受けていました。それへの反発から「サラエボ事件」は起きたのでした。
 オーストリアはセルビアに侵攻し,戦争がはじまりました。セルビアの反抗を鎮圧しようとしたのです。

 当時のオーストリアは,ドイツと同盟関係にありました。
 ドイツは,オーストリアを全面支持。
 一方,セルビアのあるバルカン半島への進出を狙うロシアは,反オーストリア・ドイツでした。
 当時のロシアはフランスと同盟を結んでおり,イギリスもその陣営に属していました。

 オーストリアのセルビア侵攻で,ヨーロッパ列強のあいだの緊張関係は一挙に高まりました。

 「サラエボ事件→セルビア侵攻」は,上記の「大戦が起きる条件」のなかの「4.発火点となる紛争・事件」ということになります。

 しかし,セルビアでの戦争は,「地域紛争」にすぎません。
 このあと,さらに大きな飛躍によって,「世界大戦」はおこりました。

 それは,ドイツがベルギーを占領し,そこを拠点にフランスへ大軍で攻め入ったことです。
 ドイツとフランスは,深刻な国境をめぐる対立をかかえるなど,互いに「仮想敵国」といえる関係にありました。

 そこで,セルビアでの戦争以降,緊張が高まる中,ドイツの側では「フランスに攻められる前に,こちらから先制攻撃をしかけて撃破してしまえ」という考えに至ったのです。
 ドイツでは,何年も前からフランス(およびロシア)との戦争の計画を練っていました。

 ドイツによるベルギーやフランスへの侵攻によって,イギリスもドイツと全面的に戦うことになりました。こうして,サラエボ事件以来の地域紛争は,「大戦」に発展したのです。

 それにしても,ドイツの選択は,今の私たちからみると,ずいぶん飛躍しているようにも思えます。
 しかし当時は,戦争に対する心理的ハードルは,今よりもずっと低かったのです。国をあげて戦い,凄惨な破壊を生む「総力戦」のイメージがなかったからです。そのイメージは,世界大戦のあとに普及したものです。

 だから,当時のドイツの指導者は,戦争を「既存の秩序を破壊し,ドイツが覇権国となるチャンス」ととらえたのです。今の自分たちの強大な軍事力をもってすれば,フランス,ロシア,そしてイギリスとの戦争に勝てるはずだ。もちろん議論はありましたが,「戦争」派がドイツでは実権を握ったのです。

 しかし,ドイツの思惑どおりにはいきませんでした。戦争は泥沼化し,大戦の後半にはアメリカも連合国側で参戦。ドイツを中心とする同盟国側は敗北したのでした。

 ***

 第二次世界大戦は,どうだったのか?

 第二次世界大戦においても,戦争の中心となった「2番手」は,ドイツでした。第二次世界大戦は「第一次世界大戦のリベンジ・マッチ」といえる面があります。

 第一次世界大戦に,ドイツは敗れました。その結果,経済・社会は大混乱に陥り,国民は苦しみました。

 そのドイツにイギリスなどの戦勝国は,きびしい要求をつきつけました。「莫大な賠償金を支払え」「二度と戦争ができないよう,軍備を大幅に制限する」といったことです。

 その後1920年代には,ドイツは一定の復興をなしとげ,安定した時期もありました。ドイツの産業は戦前の水準を取り戻し,ふたたびヨーロッパでナンバー1となりました。
 しかし,1929年に起こったアメリカ発の金融恐慌(大恐慌)が,ヨーロッパに波及すると,経済はまた大混乱となったのです。

 そんな中,人びとの支持を集め,1930年代前半に政権を獲得したのが,ヒトラーでした。彼は人びとに愛国心を訴え,「強大なドイツをつくるために立ちあがろう」と呼びかけたのでした。彼のメッセージは,当時のドイツ国民に響くものがあったのです。

 ヒトラーがめざしたのは,「イギリスにリベンジすること」「ドイツをヨーロッパ最強の覇権国にすること」でした。
  
 ヒトラーは大胆な経済政策に成功し,混乱をみごとに収拾しました。その実績もあって,彼は独裁権力を固め,1930年代半ば以降は,かねてからの「目標」の実現に向け動きはじめます。

 まず,チェコやオーストリアといったドイツ周辺の国に侵攻。のちにはポーランドを占領し,さらにはフランスなどの西ヨーロッパ諸国にも攻め入って,ほぼ制圧してしまいました。この動きのなかで,イギリス・アメリカとの戦争もはじまり,第二次世界大戦となったのです。

 このようなドイツの動きに,日本も同調しました。「遅れて発展した列強」として,日本もまたドイツと同様の不満を,国際社会に対して抱いていたのです。1941年末からは日米戦争も始まり,大戦は文字通り「世界」規模のものとなりました。

 第二次世界大戦がはじまった経緯のほうが,第一次世界大戦よりやや知られているので,非常にざっくりした説明になりました。
 とにかくここでも「大戦が始まる条件」の1.~4.はそろっています。「2番手」ドイツの復興,その不満や恨み,大恐慌以降の混乱,ヒトラーが近隣諸国に対し行った侵攻・・・

 第二次世界大戦で,ドイツ・日本などの同盟国側は敗北し,壊滅状態となりました。
 ドイツは東西に分割され,アメリカとソ連(ロシア)が対立する「冷戦時代」には,西ドイツはアメリカなどの「西側陣営」に,東ドイツはソ連などの「東側」に属しました。

 しかし,1990年代初頭にソ連が崩壊し,冷戦が終結したことにより,東西ドイツは統一され,今日に至っています。

 ***

 以上をみると,ドイツという国は「第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも中心的な存在だった」ということです。
 近現代史において,ドイツは世界を攪乱(かくらん)する大きな要因だったのです。

 もちろんこれは「ドイツがすべて悪い」というのではありません。ほかの列強だって,当然ながら世界大戦の勃発に影響をあたえています。「イギリスやアメリカがドイツ(や日本)を,追い詰め挑発した」という面を重視する説もあります。
 
 しかし,ドイツが2つの大戦の勃発に関し,重要な役回りを演じたことは否定できません。

 とくに,第一次世界大戦における「ドイツの責任」については,かつては専門家のあいだでもはっきりしないところがあったのです。しかし研究がすすんだ結果,現在では通説になっているようです。つまり「世界大戦が起きるうえで,ドイツの判断や行動が決定的な役割を果たした」ということです。そして,ドイツの行動の背景には「覇権への野望」があったのです。(木村『第一次世界大戦』ちくま新書,27~29ページ など)

 第二次世界大戦については「ヒトラー(ナチス・ドイツ)が中心となっておこした戦争」という見方が,ずっと有力です。「ヒトラーだけが悪いのではない」という見解もありますが,ヒトラーが大戦の中心であったことじたいは,まず異論がないわけです。

 ***

 では,今の世界はどうなのでしょうか? 

 つまり,1900年代前半のドイツのように「世界を攪乱する要因」となり得る存在はあるのでしょうか? 「1番手」アメリカに以前ほどの勢いがなくなってきたことは,たしかのようです。「世界大戦の前提条件」の1.は,満たしそうです。では「台頭する2番手」がいるとしたら,どこか?

 多くの人は「中国やロシアなのでは」と思うかもしれません。

 たしかに,今の中国は台頭する「2番手」です。国の経済規模(GDP)でみても,2010年代初頭に日本を抜いて世界2位になりました。アメリカとの比較では,中国のGDPはアメリカの半分程度にまでなっています。しかし,経済の発展度や生産性を示す「1人あたりGDP」でみると,中国はアメリカの9分の1~8分の1といったところ。

 軍事力や科学技術などでも,アメリカとの差はまだまだ大きいというのが,一般的な見方でしょう(その格差が,1人あたりGDPにもあらわれている)。だから,「2番手」中国による「1番手」アメリカへの挑戦の可能性は,さしせまったものではない。もちろん,10~20年先になるとわかりませんが。

 世界大戦の当時の,ドイツの1人あたりGDPは,イギリス,アメリカと比較して「対等」な,その時代における先進国レベルになっていました。今の中国は,それとは大きく異なるのです。

 ロシアはというと,GDPはアメリカの8分の1(日本の半分以下)です。「世界の覇権国」には程遠いレベル。

 そんな中「世界を攪乱する要因」のひとつとして,あらためてドイツが浮上してきている……そんな見方をする識者がいます(たとえば,次回の記事で紹介する,フランス人エマニュエル・トッドなど)。

 1990年代初頭の東西ドイツ合併によって,ドイツは分割前の規模をほぼ回復しました。
 その人口は現在8300万人。イギリス(6300万人),フランス(6400万人)よりもかなり大きいです。

 さらにドイツのGDPは,今やイギリスやフランスの1.3~1.4倍で,ヨーロッパの中では抜きんでています。1人あたりGDPでも,イギリス,フランスを上回っています。

 これは,世界大戦の時期のドイツが,ヨーロッパで占めていた地位に似ています。

 このような国が,ある種の「覇権」を志向すれば,世界情勢に大きな影響をあたえるでしょう。
 じっさい,少なくともここ数年のドイツは「ヨーロッパでの勢力拡大」と「アメリカ離れ」の動きを強めている,という見方があるのです。

 このような「現在のドイツ」については,また別の機会に。

関連記事:ざっくり第一次世界大戦
       二番手はどうなった?
       ヒトラーについて考える
       ヒトラーについて考える(年表)
       格差と戦争

(以上)
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2015年05月25日 (月) | Edit |
 2014年4月23日の記事で,「これからの時代を生きるためのスキル」というテーマで私が講師を務めた勉強会のことについて述べました。

 関連記事: 勉強会「これからの時代を生きるためのスキル」2

 そのときお話しした「8つのスキル」の中に「実用的なわかりやすい文章が書ける」という項目があります。
 ほかに「コンピュータといっしょに働くスキル」などの項目もあげましたが,「文章」に関することは,私自身ずっと関心を持って追求してきたことであり,特別な思いがあります。

 今回は,私なりの「文章論」を,ある程度まとまったかたちで書いてみました(上記の勉強会で,参考資料としてお配りしたものです)。

 ***

実用的なわかりやすい文章を書くスキル 


 今の時代は,文章によるコミュニケーションがたいへん重要になっています。メールやSNS,プレゼン資料,さまざまな報告書,就職活動での自己PR…

 「実用的なわかりやすい文章が書ける」ことは,これからの時代の重要なスキルです。仕事や人生に大きな影響をあたえる,切実な能力といってもいいでしょう。

 しかし,「書くことが得意」な人は,じつは少ないです。パソコンや英語が得意な人より少ないかもしれません。多くの人が「文章を書くこと」に苦戦しています。
 テーマを与えられても,書くことが出てこない。頭に浮かぶことをどう表現したらいいかわからない。書いても伝わらず「これはどういうこと?」と聞かれる…

 通り一遍の文ならともかく,自分の想いや思考を踏み込んで述べたり,込み入った事実を文章で過不足なく説明したりするのは,やはり難しいことです。でも,そんな「踏み込んだ文章」を書けるなら,人と深いコミュニケーションをとるのに役立ちます。

 そのスキルは世の中を渡っていく上で,大事な「道具」になるはずです。


文章力の目安となる,「1000文字」を書く力

 「文章を書くスキル」で,多くの人がまず目標にすべきなのは「千~千数百文字の,一定のメッセージといくつかの情報で構成された,わかりやすい実用的な文章を書く力」を身につけることです。「千~千数百文字」は,おおまかに「1000文字」程度といってもいいでしょう。

 その長さが不自由なく書けることは,文章力のだいじな目安です。「1000文字」を圧縮したり,いくつも積みかさねたりすることで,もっと短い文章も長い文章も書けるからです。

 「1000文字」というのは,さまざまな文章を構成する「基本単位」なのです。「基本単位」が10個集まると,まとまったレポートになります。100個集まれば,1冊の本になります。

 そして,文章が書けるようになると,話すのも上手になります。表現が豊かになり,構成力も身につくからです。

 その感覚は,他人の表現を理解するときにも役立つので,聞く力,読む力も向上します。また,書くことは考えを整理し構築していく作業です。当然ながら,書くことで考える力もつきます。


上達するには,人に読んでもらってアドバイスを受ける

 文章は書き続けないと,上達しません。ではどうしたら,書き続けることができるのでしょうか?

 一番大切なのは,「読んでくれる人をみつけること」です。人に読んでもらうあてのない文章を書くのは,むなしいです。だから,教本を買ってきて文章を独学しようとしても,たいていは続きません。日記が三日坊主で終わるのといっしょです。

 さらに,できれば書いたものに対する感想やアドバイスをもらうといいでしょう。

 私(そういち)は幸運でした。若いころに,書いたものを読んで指導してくれる先生に出会えたからです。

 月1回ほどのペースでレポートを書き,先生にお会いしてアドバイスを受けていました。また,一緒に勉強する友だちが1人いて,書いたものをみせあっていました。

 それを3~4年続けたことで,文章力の基礎を身につけたのです。それだけに,「文章を読んでもらって指導を受けること」の大切さを実感しています。


しかし,「先生」をみつけるのは難しい。そこで…
 
 とはいえ,多くの人にとって,身近にそのような「先生」をみつけるのは難しいです。文章について適切なアドバイスができる人は,そうはいません。いたとしても,指導をお願いできるとは限りません。

 そこで私自身が,誰にでもアクセスできる「文章指導の先生」になる,ということも考えています。ブログやメールを使った「通信教育」による,文章講座ができないかと。

 これは,「書く力を身につけたいけど,身近に先生がいない」という人が学ぶためのお手伝いをする,ということです。

 かつて先生が私にしてくださったことを,今度は私がするのです。きちんとした指導力さえあれば,そのような存在は世の中の役に立つはずです。


「文章のセンセイ」としての私

 私そういちの「文章のセンセイ」としての特長は,以下のとおりです。

1.商業出版の著作がある「プロの技量」を持つ書き手である

 著作には『四百文字の偉人伝』『自分で考えるための勉強法』(以上ディスカヴァー21刊,電子書籍,アマゾンキンドルなどで発売中),『健康と環境』(小峰書店刊,共著)がある。
  
2.ここ数年キャリアカウンセラーとしても活動しており,のべ数百人におよぶ相談者の方たちに文章やプレゼンの指導を行ってきた。

3.大企業,官庁から,起業,NPO,文化・研究活動まで,社会のさまざまな場面での活動経験がある。つまり,さまざまな場における「読み手」や「表現のあり方」をイメージできる。

これは,以下の経歴から言えると思っています。

 私そういちは,1965年生まれ。早稲田大学法学部を卒業後,運輸関係の会社に勤務し官庁への許認可申請,グループ会社の内部監査,法務コンプライアンス,株主総会などの業務を担当(たくさんの文書にまみれた仕事でした)。
 その傍ら,学校の先生や大学教員などが参加する教育研究のNPOに参加し,おもに社会科関連の講演や著作の活動を行ってきた。その後十数年勤めた同社を退職し,「独立系投信」という金融系の会社を起業するが,撤退。ここ数年はキャリアカウンセラーとして若い人の就職の相談に乗る仕事も行っている。


「よい文章」の4つのポイント

 それでは,私そういちの「文章講座」がめざす「よい文章」とはどんなものなのでしょうか? それを支える技術や精神は何か? これには,4つのポイントがあります。

1.「よい文章」とは,シンプルでわかりやすく,正確な文章である。
  それが「実用的」ということ。


 芸術的な文章というのもありますが,多くの人がまずめざすべきなのは,実用的な文章です。

 学校教育では,そのような文章の教育にあまり力を入れていません。国語や作文の授業は,あいかわらず文芸中心です。ある種の凝った美文や芸術的な表現を追求する傾向があります。

 大学の授業で書くレポートも,「シンプルにわかりやすく書くこと」のトレーニングにはならないことが多いです。学術論文をお手本にしているせいでしょう。学術論文は,多くの人からみれば,たいていはガチガチした読みにくい文章です。

2.「よい文章」には,核となる,伝えたいメッセージがある。

 まず,自分のアタマにある「メッセージ」を明確にしないといけません。
 そのメッセージをあらわす「自分なりの表現・コトバ」がみつかったら,しめたもの。その「核」さえあれば,文章は書けます。なければ,いい文章にはならない。

3.その「メッセージ」を伝えるため,ふさわしい・程よい情報や表現を盛り込む。
  
 抽象的すぎてはいけない。かといって,具体的に細かいことを書けばいいというものでもない。情報が少なすぎてはいけない。情報過多もいけない。「読者のアタマにどんなイメージ・像を浮かばせるか」を常に意識しないといけません。「抽象性・具体性」「情報量」のさじジ加減を考えましょう。
  
 文章は,「言語によって,読者に自分の認識(思考や感情など)を追体験させるため」に書くのです。「認識」とは「イメージ・像」といってもいい。

 書き手は「どんなイメージ・像を読者のアタマに浮かばせたいか」を考えなくてはいけません。「抽象性・具体性」はそれを考える上でのカギです。

4.「押しつけ」を感じさせないだけの論理性をもたせる。

  逆にいえば,文章の「論理性」とは「読者に押しつけを感じさせない」ということです。そのためには,「論理の飛躍」をできるだけ排除しないといけません。

 不注意に書いた文章には「飛躍」が多いです。それは読者には「押しつけ」と映ります。そうならないためには,ある結論にもっていくとき,つねに必要な前提や情報を盛り込んでいくことです。

  
「4つのポイント」はどう位置づけられるか
 
 以上をまとめると,

 1.シンプルに,わかりやすく,正確に。
 2.核となるメッセージ。
 3.程よい抽象性・具体性と情報量。
 4.押しつけを感じさせない論理性。


 重要なのは,以上4つの大まかな視点です。

 具体的なコツや方法論は,上記1~4の各論になります。たとえば,「ひとつの文に多くのことを盛り込まない」「主語を述語の関係を意識する」といったことは,「1.わかりやすく,正確に」の各論です。

 世の中には多くの「文章の書き方」の本があります。1~4のポイントは,そこで論じられていることをほぼカバーしているはずです。

 また,「よい文章とは」というほかに,「文章の上達の方法論」という切り口もあります。たとえば,上達のためには「まず日記的に短い文章を書いてみること」や「よく推敲すること」が大切だ,といった話です。これまでに述べた「誰かに読んでもらう」というのも,そうです。

 しかし,この4つのポイントは,そうした「上達論」ではなく,文章論の「本体」の話です。スポーツで例えれば,「どんなフォームが正しいか,そのフォームで大切なことは何か」についてです。これに対し「上達論」とは,「そのフォームを身につけるためにどんな練習を積むべきか」ということです。


多くの文章論に不足している「体系性」と「論理性」

 文章論や文章講座の中には,上記の4つのポイントのような大きな見方と,細かい具体的なノウハウを同列に論じているものもあります。「本体」(何があるべき姿か)と「上達論」(どう練習すべきか)がごっちゃになっていたり,どちらかが欠けていたりすることもあります。あるいは,1~4のどれかに関わる,ある一面だけを強化することで文章力を上げようとするものもあります。

 それでは「体系性や論理性が足りない」と言わざるを得ません。

 しかし本来は,初心者がきちんと力をつけていくためには,体系的なアプローチが必要です。さまざまな側面の事柄について整理しながら,ひとつひとつ押さえていかないといけないのです。

 私そういちが講座を行うときは,文章論の体系や論理をしっかりとふまえながら,マンツーマンでそれぞれの方に即した指導をしていくつもりです。

 つまり,「シンプルであるか」「適切な抽象性と情報量になっているか」「メッセージが伝わるか」「飛躍や押しつけはないか」等の系統だった観点で,各人が書かれたものを詳しく検討し,問題点があれば「どう書いたらよいか」を具体的に示していく。そんな文章の添削指導を行っていきたいと思っています。それを通して,必要に応じ「ものごとをどう考えるか」「どう勉強していくか」にも触れていきます。

 以上のような指導が,文章講座・文章教育には,必要だと考えるのです。

(以上)
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2015年05月23日 (土) | Edit |
 5月23日は博物学者リンネの誕生日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。古今東西の偉人を400文字程度で紹介するシリーズ。

リンネ

小冊子からはじまった

 植物学者カール・リンネ(1707~1778スウェーデン)は,20代の終わりに,『自然の体系』という12ページの小冊子を出版しました。世界の動植物・鉱物の分類を論じたその著作は,斬新な内容ながら,テーマの大きさに対し情報量がとぼしく,「まだまだ」というものでした。
 その後,リンネは研究を重ね,生物分類の権威になっていきます。それとともに『自然の体系』は改訂を重ね,ページを増やしていきました。 彼が60歳ころに出版した第12版は2400ページに,彼の死後,弟子が編纂した第13版は6300ページにもなりました。その巨大な書物には,リンネ自身や,多くの弟子たちが世界中で集めたデータが詰まっていました。
 『自然の体系』は,一大プロジェクトに成長していったのです。
 でもそのはじまりは,1人の若者がつくった小冊子にすぎませんでした。多くの偉大なプロジェクトは,そういうものです。

西村三郎著『リンネとその使徒たち』(人文書院,1989)による。

【カール・リンネ】
生物分類を確立した植物学者・博物学者。多種多様な生物を分類・整理する方法(二名式命名法など)を考案し,『自然の体系』(第12版は1766~68年刊)ではじめて生物界の全体像を系統的に理解する見通しをひらいた。
1707年5月23日生まれ 1778年1月10日没 

    リンネ

 ***

 今朝パソコンをたちあげて当ブログを開いたら,トップ記事が広告になっていました。1か月更新がないブログは,そうなってしまいます。「これはまずい」と,さっそく記事をアップしました。
 このところ,更新が途絶えていました。1か月も更新していなかったのは,ブログ開設以来,はじめてです。訪問してくださる方がたには申し訳なく,お詫びいたします。

 もちろん当ブログはこれからも続けていきます。せっかく何百もの記事を積み上げてきて,更新が滞っているにもかかわらず,訪れてくださる方の数も相変らず,ということにもなってきたのです。さらに記事を重ねていきたいと思います。基本的なスタンス・テーマも変えません。
 リンネ大先生だって,何十年も積み上げた末に偉大な成果を残したのだから,2年3年で終わってしまってはお話しになりません。今回はちょっとお休みさせていただいた,ということです。

 ブログがお休みのあいだは,オフの時間には「世界史」関係の原稿を書いていました。「発表のあてもない原稿」です。
 以前に当ブログに載せた となり・となりの世界史 というシリーズを大幅に増補改訂して,1冊の本にできる原稿に仕上げようとしています。

 数年前からボチボチと書いていたのですが,「このままではいつまで経っても完成しない」と思って,やや集中して進めるようにしたのです。1か月くらいやってみると,「近いうちに完成できそうだ」というメドが立ちました。といっても,まだ何か月かかかるでしょう。

 行っていたのは,「すでに書いた原稿の編集・改訂」です。これまでに(文字の組み方にもよりますが)400ページ弱分の原稿は書いているのです。これを,もっと短く300ページ以内に整理して,一方で不足していることを加えていく。典拠を示す注なども整備する。

 原稿ができたら,まずごく少部数の製本された冊子をつくって,お仲間や関心のある方に読んでいただく。それで検討したうえで,100部単位くらいで自費出版したいと考えています。自前の電子書籍化ということも(今はノウハウがありませんが)できれば,と思います。

 我が家の本の半分くらいは,世界史関連です。私にとって読んだり書いたりのうち,最も時間を割いてきたのは,世界史に関わること。やはり歴史・世界史が好きなのです。この1か月でも,家にある本をあさりながら,いろいろ調べたり,それを文にしたりといった作業は,しんどいところもありますが,夢中になれるものでした。

 「こんなことして何になる?(お金にもキャリアにもならない)」とも思います。でも,オフに好きなことをしているのだから,まあいいかと。 

図や絵
世界史関連で書いたメモや図の一部(こういうメモを書いて考えるのが好きです)
 
(以上)
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