2015年09月30日 (水) | Edit |
 前回の「GDPとは何か」の続きです。
 安倍総理の「GDP600兆円をめざす」という発言をきっかけに,GDPについて考えてみよう,基本的なことをについて知ろう,という企画です。前回の記事はすぐ下にあります。

 ***

みんなの買い物の「みんな」とは?

 これまでに「GDPとはみんなの買い物の総額である」「日本の1人あたりのGDPは360万円である(2012年度)」ということを述べました。

 それに対しこんな疑問を抱く人もいます。「1人あたり360万円ということは,4人家族だと1400万円。ほんとにそんなに買い物するの?」

 じつは,まだ大事なことを説明していませんでした。それは,「みんなの買い物」というときの「みんな」というのは,私たち1人1人のような「個人」だけではない,ということです。

 経済において「買い物をする存在」は,大きく分けてつぎの3つがあります。

 ①個人(家計)  ②企業  ③政府(国や自治体)

 この「買い物をする存在」のことを「経済(の)主体」といいます。「経済における行動の担い手」ということです。

 企業というのは,製品やサービスをつくったり売ったりするのが仕事ですが,その仕事をするためにパソコンを買ったり,本社のビルを買ったり,工場を建てたり機械を買ったり,いろんな「買い物」をしています。工場の建設のような企業が事業を拡大するための大きな買い物を「設備投資(または単に投資)」といいます。

 政府も同じことです。役所にある机もパソコンも,買ってきたものです。道路をつくったり,学校や病院を建てたりといった公共事業は,政府の大きな「買い物」といえるでしょう。何かの公共サービスの活動を生み出したときは,そのサービスを行う人たちに政府が支払った報酬や賃金も,GDPの世界では「政府の買い物」としてカウントします。

 「個人」は経済学では「家計」といいますが,とっつきにくい言い方なので,この本では「個人」にします。
また,ここで「企業」というのは,純粋な民間企業だけでなく,政府や自治体の経営する公営の企業もふくみます。

 ここまでをまとめると,こういう「公式」になります。

日本の総買い物額
 GDP = 個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物


 「その国の経済は,個人と企業と政府の買い物が合わさってできている」といってもいいです。
「買い物額が1人平均年間360万円というのは多すぎるのでは?」と思った方は,たしかにそのとおりで,この「360万円」には,企業や政府の分もふくまれていたのです。だから,「個人の買い物の1人あたり平均」は,360万円よりは少ないです。


主体別の内訳

 では,日本の総買い物額=GDPに占める「個人」「企業」「政府」のそれぞれの割合は,どうなのでしょうか?

【問題】
現在の日本のGDPで,最も多くの割合を占めているのは,つぎのうちのどれだと思いますか? 

予想
ア.個人による買い物
イ.企業による買い物
ウ.政府による買い物


***


 つぎの帯グラフは,今の日本のGDP=総買い物額の内訳です。個人による買い物がGDP全体の60%を占めています。GDPの最も多くの部分は,私たち個人の買い物が占めているのです(2010年度のデータですが,最近もこの割合は大きく変わりません)。

GDP内訳

 ここでいう「個人の買い物」には,「個人消費」と「住宅の購入」があります。住宅の購入は,統計のうえでは,日常的な買い物である「消費」と区別するのです。ただ,住宅購入の額は,個人消費よりずっと少ない(20分の1ほど)ので,個人の買い物≒個人消費と言っていいです。

 日本の1年間の個人消費(+住宅購入)の総額は,286兆円。1人あたりだと,286兆円÷1億2800万人≒220万円。
 これが「個人の年間の買い物額の平均」なら,多くの人の生活感覚ともそんなにズレていないのではないでしょうか。

 なお,個人,企業,政府の買い物のほかに「非営利団体」による買い物もあります。「非営利団体」とは,病院,学校,宗教法人などです。

 また,GDPには「純輸出」という項目もあります。年間の輸出額から輸入額を引いたものです。外国の人(個人,企業,政府)が日本でつくりだしたモノやサービスなどを「買い物」してくれた額,とイメージすればいいでしょう。純輸出じたいが日本のGDPに占める割合は今は高くありませんが,輸出の動向は経済に大きな影響をあたえます。多くの企業の設備投資などに関わってくるからです。

 そこで,GDPの内訳の式をつぎのように改訂します。

GDP=個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物+純輸出(外国からの買い物)


国の経済の内訳を知る

 「景気がいい・悪い」というのは,「みんなの買い物額=GDPが増える傾向にあるか,減る傾向にあるか」ということです。

 そして,GDPの最も大きな部分は,個人の買い物(「個人消費」というのと,ほぼイコール)なのです。だから,景気がよくなる・悪くなるということに対して,私たち個人の動きは,きわめて大きな影響をあたえるということです。

とにかく,この「公式」は重要です。

GDP=個人の買い物+企業の買い物+政府の買い物+純輸出(外国からの買い物)

 こういう内訳を知るのが重要なのは,国の経済がどういう要素で成り立っているかを知ることだからです。それは,景気低迷などの問題があるときに,どこに原因があるのか,どういう対策をとるべきか,といったことを考える入り口になります。

 会社の経営でも,会社全体の数字だけでなく各部門別の売上などの数字をみて,どの部分に問題があるのかを把握しようとします。それと同じようなことです。

(以上)
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2015年09月28日 (月) | Edit |
 先日,安倍首相が2020年に向けた経済政策の方針として「GDP600兆円を目標とする」と発言しました。
 GDPという数値を前面に出して,大きな政策目標を打ち出すのは,近年ではめずらしいのではないでしょうか。

 その意味で,目標の実現可能性はともかく,注目してよい発言だと思います。
 あらためて,GDPや経済のことについて考えてみるよい機会ではないかと。

 そこで,「そもそもGDPとは何か」という話をしたいです。
 以下は,これまでこのブログで以前にアップした記事を編集・改訂したものです。何回かのシリーズにするつもりです。

 再々放送になるのですが,何度も取りあげてよい内容だと思っています。
 それだけ,GDPの概念は私たちが社会を理解するうえで大事なものです。
 
 *** 

国内総生産・GDP

 あなたは,「GDPとは何か」と聞かれて,自信を持って「わかっている」と言えますか?

 別の言いかたをすれば,「〈GDPとは何か〉を中学生に説明できるか?」ということです。私の友人たちに聞いてみると,「だいたいのことはわかっている」という人でも,「子どもに説明するとなると,ちょっと自信がない」と言います。

 GDPというのは,英語の頭文字をとった言葉です。日本語では「国内総生産」。
 しかし,「コクナイソウセイサン」というのは長くて言いにくい。そこで英語の

 ross(グロス=英語で「全体の」「総」と言う意味)
 omestic(ドメスティック=国内の)
 roduct(プロダクト=生産)

の頭文字をとったGDPという方を,よく使います。


「総買い物額」のイメージ

 GDPとは,一言でいうと「国全体の,みんなの1年間の買い物の総額」のことです。

 つまり,みなさんがスーパーで食料品を買ったり,デパートで服や靴を買ったり,ローンを組んで自動車やマンションを買ったり,美容院に行ったり,旅行で電車に乗ったりホテルに泊まったり……そんなふうにして,日本じゅうで1年間に使った金額です。
 この「買い物額」の合計(総買い物額)がGDPです。

 「四半期(3ヶ月)」のGDPというのもありますが,より一般的なのは「1年間」でみた数字です(この記事では「GDP」というときは,とくに断らないかぎり1年間のGDPです)。

 「何を買うか」は,モノを買う場合とサービスを買う場合があります。食料品や洋服や自動車やマンションを買うのは,モノを買うこと。髪を切ってもらう,電車に乗る,ホテルに泊まる,というのはサービスを買っています。理容のサービス,輸送のサービス,宿泊場所の提供というサービスです。

 「GDPは総買い物額である」というのは,うんと単純化した説明です。補足すべき点もあります。しかし,最初に入るときのイメージとしては,とりあえずこれでいいのです。

(補足,ある程度の知識を前提にした説明です)
 この説明について,「一般的な説明とはちがう,と感じる人もいるかもしれません。よくある入門的な説明では「GDPとは生産された付加価値の総額」と述べることが多いです。もちろん「付加価値」という説明は正しいのですが,「付加価値」の概念は,まったくの初心者にはとっつきにくいと思います。
 GDPには,生産(付加価値)・支出・所得という3つの面があります。そのなかで初心者に最もイメージしやすいのは,支出つまり買い物ではないかと思っています。また,「GDPの最も多くを占める個人消費が・・・」「経済成長のためには,投資がもっと増える必要がある」などというときは,「支出」としてのGDPを論じています。経済の議論のなかでは,「支出としてのGDP」が論じられることが多いのです。



日本のGDPの額

ここで,問題です。

【問題】
現在(2010年代)の日本のGDPは,どれくらいだと思いますか?

予想
ア.50兆円 イ.100兆円 ウ.300兆円 エ.500兆円

***

 2012年度の日本のGDPは,約470兆円です(以下,「約」は略します。こういう議論では詳しい数字は不要です。最初の一ケタか二けたで十分)

 これは「名目値」(名目GDP)といって,物価変動を計算に入れないナマの数値。 「名目値」に対するのは,物価変動をもとに加工した「実質値」(実質GDP)というもの。たとえば,GDPの名目値が年間で1%増えたとしても,物価が1%上昇していれば,実質値でみればGDPの増加は0%となる。
 今回安倍首相が目標にかかげた「600兆円」は,名目値です。

 日本のGDP(名目値)のピークは、1997年の520兆円でした。
 それからみれば50兆円くらい減っているのです。
 
 「470兆円」というのは,「500兆円まではいかない,それをやや割り込んだ数字」と理解すればいいでしょう。

 日本のGDPは470兆円。
 
 これは,「日本の人口は1億2800万人(2012年現在)→1億3千万人」という数字とともに,ぜひ知っておいてほしい数字です。

日本経済を知る最重要の数字
 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 470兆円



政府が算出する数字

 そもそも,GDPは,どうやってわかるのでしょうか?
 GDPは,政府が算出する統計数値です。しかし,政府が「すべての人の買い物を調べて合計している」わけではありません。

 そのかわり,政府はモノやサービスの売り手である企業に対して,売上などの状況を調査しています。各社の会計帳簿にもとづいたデータです。企業の売上は,結局はお客さんであるみなさんの買い物です。だから,そこからGDPがわかるのです。
 このほかにも,政府は国の経済や社会の様子をつかむため,つねにいろいろな統計調査を行っています。

 GDPは,企業の売上をはじめとするさまざまな調査のデータをもとに,政府の専門家がいろいろな計算をして出した数字です。これには,たいへんな手間がかかります。だから,信頼できる数字を出すには,しっかりした政府や企業の組織が,社会に存在していることが必要です。

 ***

1人あたりGDP

 GDPは,「国全体の,みんなの買い物額」です。これを国の人口で割った「1人あたりGDP」という数値があります。これも,社会や経済を知るうえで重要な数字です。
買い物の額というのは,実際には人によってまちまちですが,平均値を求めたのが,1人あたりGDPです。

 2010年度の日本の「1人あたりGDP」を計算してみます。

 GDP470 兆円÷1億3千万人=およそ360万円/人
 (465兆億円) (1億2750万人)

 「360万円」というのは,さらにドンブリで「300何十万円」でもいいです。
 この計算結果も,「最重要の数字」のリストに加えましょう。

日本経済についての最重要の数字(2012年)

 ・日本の人口 1億3千万人
 ・日本のGDP 470兆円
 ・日本の1人あたりGDP 360万円/人 


 1人あたりGDPは「その国の経済発展の度合い」を測るモノサシとして,使われています。これに対しGDPは,「その国の経済の大きさ」を示す数値です。

 日本の1人あたりGDPが「370万円」というのは,世界のなかで上位のほうに位置します。アメリカ,ドイツ,フランス,イギリスといった世界のおもな先進国の1人あたりGDPも,日本円に換算して300万~400万円台ですので,それと肩を並べる水準です。

 これらの先進国にくらべ,たとえば中国の1人あたりGDPは日本の8分の1ほどの水準です。お隣の韓国は日本の半分ほど。

 このように日本の1人あたりGDPは世界の中で高いほうです。とはいえ,一昔前より「順位が下がった」といわれるし,事実そうなのですが,ここでは立ち入りません。

 また,世界には1人あたりGDPが「数万円」という国もあります。アフリカやアジアで「最も貧しい」と言われる国は,その水準です。


数字の背後に,暮らしや社会がある

 「1人あたりGDPが大きい」ということは,その国では多くの人が活発な経済活動をしているということです。たくさんの高価な買い物をしたり,いろんな場所へ仕事や旅行で出かけたりする人が大勢いるのです。

 そしてそれは,そんな「人びとの活発な活動」を支えるさまざまな社会のしくみや設備が整っているということでもあります。
 無数の立派な工場やオフィス。国のすみずみまでいきわたった交通・通信網。いろいろ不満や問題はあるにせよ,まあまあまともに機能する政府と行政機関。さまざまなモノやサービスが並ぶショッピングセンターや繁華街。家庭にはモノがあふれている……

 そして,それだけの設備やモノを作り出せるだけの発達した産業があります。
 このような国が,一般に「先進国」といわれるのです。日本はそのひとつです。

 一方,1人あたりGDPがごく小さい国では,多くの人びとは,高価な買い物をすることも,自分の住む村や町を出ることも,あまりありません。人びとが活発に動きながら暮らすためのしくみや設備も不十分です。家財道具も,つつましい。

 このような国は,「発展途上国」といわれます。
 このように,「1人あたりGDP」という数字の背後には,その国の暮らしや,社会全体のあり方が存在しているのです。

 ***

 さきほど,「GDP÷人口=1人あたりGDP」である,と述べました。ここからちょっと踏みこんで,つぎのような式で,国の経済をイメージしてみましょう。

1人あたりGDP × 人口 = GDP(その国の経済)

 日本の1人あたりGDPは360万円。人口は1.3億人。
 これを,こう考えるのです。

「年間に1人あたり平均で360万円ほどの買い物をする国民が,1.3億人集まって,日本経済ができている」

 それだけの活発な経済活動をして暮らす人たちが1.3億人集まっている,ということです。その結果,GDPで400何十兆円という経済になっている。

 結局のところ,「1人あたりGDP×人口=GDP」という式は,「1人1人の暮らしが集まって,その国の経済ができている」といっているのです。

 1人1人の暮らしが集まって経済はできている。

 これは,すべての基本となる,だいじなイメージです。「経済なんて,むずかしく考えなくても,要するにそういうものなんだ」と思ってもらってもいいです。

 そのイメージを式であらわすと,「1人あたりGDP×人口=GDP」となるわけです。

 1人あたりGDP,人口,GDPの関係を図で表すと,こうなります。タテ軸に人口,ヨコ軸に1人あたりGDPを取ると,国のGDPは,つぎの図のような長方形の面積であらわすことができます。

1人あたりGDP×人口

 ふつうは,「GDP÷人口=1人あたりGDP」という説明だけなのですが,「1人あたりGDP×人口=GDP」というのは,私なりの独自な見方だと思っています。ほかではまずみかけません。「ある経済的な活動レベル(平均値)をもつ個人の集合体」として国の経済をみるわけです。

 その「経済的活動レベル」をあらわす代表的な数字が「1人あたりGDP」ということです。

(以上)
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2015年09月26日 (土) | Edit |
 最近の安保法案関係のことをみていて思ったのは「日本の社会は,これまでよりは前進したのではないか」ということです。

  「平和が脅かされている」と懸念する立場からみれば,「前進」なんてとんでもない,ということかもしれません。でも,私には「一定の合理性」を持つそれぞれの見解や立場が打ち出され,議論されているようにみえました。 「これまでよりも,社会がこなれてきた」と感じました。

 今回の法案を「違憲」であり,その法案の通し方について立憲主義に反するものだとする,法学者たち。「立憲主義」とは,憲法を「国家権力を拘束し,人権を守るもの」として位置づける思想で,近代国家の法理論の根幹にある考えかたです。
 その一方,いやそんな法学の理屈などよりも「現実」への対応こそが大事だ,憲法は国民のためにある,憲法解釈を基準に政治の重要な決定をするなんて本末転倒だ,とする人たち。

 一言でいえば,「法理論」と「政治的現実」の対立です。この対立は一筋縄ではいきません。
 法は現実のためにある。でも,前の戦争では法の拘束を受けなくなった権力の暴走が,国を破滅させたではないか・・・

 「政治的現実」をどう捉えるかについても,対立があります。北朝鮮や中国や,あるいはさまざまな「テロリスト」などの具体的な「脅威」への対応が必要だとする立場。一方で今までとってきた「平和国家」的なスタンスこそが,「脅威」から我々を守ってくれるのだ,という立場。

 そんなのは「幻想」だ,今の世界では危険すぎる。
 いや,アメリカに追従していくことこそ敵をつくることになって危険だ。
 そもそもこの法案はアメリカ追従ではないか,日本の独立はどうなっているのか。
 でも,アメリカ以外に同盟すべき存在が,この世界にあるだろうか。
 いや,今の世界はもはやアメリカ中心などではない,もっと世界の現実をみろ。
 「アメリカ中心」でなくなっているとしても,新しい国際協調の枠組みのなかで日本が役割を果たすために,この法案は必要だ。
 いや,新しい世界の現実のなかで日本が果たすべきは「平和国家」としてのあり方を徹底していくことだろう。
 そんなことは「幻想」だ,空疎な理想論。
 「アメリカについていけば,大丈夫」的な発想こそ幻想で,現実をみていない。
 「アメリカ追従」も,まともな武力を持たない平和国家も,ゴメンだ。日本はもっと独自の軍事力を整備して,自分だけで自分を守れるようにならないと。それだけの技術や産業もあるのだから。
 そんなことができるわけないだろう。それこそ「幻想」。
 「現実」といえば,戦場の現実を考えてみるべきだ。海外にいく自衛隊の人たちは,今までのままでは丸腰の危険すぎる状態で気の毒だ。
 いや,丸腰だからこそ安全なんだ,武装すれば攻撃にさらされ,実際に戦うリスクが高くなる。

 なんだかんだ言っても戦争はいやだ。
 それはわかっている。今回の法案は戦争を抑止する(防ぐ)法案なんだ。
 いや,日本が戦争をする国になるための法案だ。
 
 それにしても,今回の国会周辺でのデモは,よいことだった。日本の民主主義の新しい活力を感じる。
 民主主義にとって大事なのは,デモではないだろう。大事なのは選挙だ。
 デモや選挙のような非日常ではなく,日々の活動から民主的な社会を築くことが大事だ。

 ***

 こうした議論や見解のひとつひとつが,私には「頭からナンセンス」とは思えないのです。それぞれ一定の合理性を含んでいる。そのようなさまざまな立場からの発言が,社会のあちこちで行われました。
 それらについて,ある種の評論家のように「どいつもこいつもなっていない」という調子でバサバサ「斬る」気には,私はなれません。「どれにも一理あるね」と感じるのです。

 「どれにも一理あるね」というスタンスは,言論としてはまったく役立たずです。自分で情けない感じもします。
 でも,それが正直なところです。

 それでも,みんながいろんなことを言っている,それが言える,ということは,やはり素晴らしいと感じました。
 このような「自由」「権利」にかかわることこそが,最も根本的だと。

 今回の安保法案については,さまざまな立場や意見があるにしても,この「根本」は守らないといけない(あるいは守らざるをえない)というのは,私たちのなかの共通の認識としてあるのではないでしょうか。
 あるいは共通の認識として,常々確認していくべきなのでしょう。

 政治の重要な問題は,たいていは「未知の難問」です。
 その「未知の難問」について,確かな正解など,あらかじめわかるものではない。
 でも,私たちは何らかの「答え」を選んで進まないといけない。
 その結果「まずい」ことがおきるかもしれない。

 そのときに,前の戦争のような破局にすすまないで,軌道修正できることこそが重要です。それには「どの考えにも一理ある」という視点を持っていないと。「この考えが絶対正しい」という信念に固まっていると,軌道修正ができません。

 「どの考えにも一理ある」という視点は,無力にも思えますが,じつはそんなに「役立たず」というわけでもないのでしょう。

(以上)
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2015年09月15日 (火) | Edit |
   小さな地球儀型マグネット

 8月の半ばに,1時間ほどで読める世界史の通史 1時間で読む短い世界史 という記事をアップしました。前回の記事では,それを補足して「なぜ,世界史において繁栄の中心が移りかわるのか」ということを論じています。

 「1時間で読む世界史」を要約すると,以下のようになります。「1000文字の世界史」ですね。

 「1時間で読む世界史」じたいが,世界史という膨大な内容を要約したようなものなので,さらに要約してしまうと,それだけを読んでもよくわからないとは思います。でも,ちらっと読んで関心を持ってくださった方は,ぜひ「本体」の「1時間で読む世界史」をお読みください。すでに読んでくださった方には,以下の「要約」は「おさらい」になるはずです。

 
「1時間で読む世界史」超要約

●5500年前ころ、西アジアのメソポタミアで最初の文明が生まれた。その文明は周辺にも広まり,長い時間を経て,2500年前ころには西アジア全体を統一する大帝国(アケメネス朝ペルシア)もあらわれた。


●その一方,西アジアの文明を吸収しておこったギリシアの文明が,2500年前ころからおおいに繁栄した。2300年前ころには,ギリシア人の一派であるマケドニアが,ギリシア全体と西アジアの広い範囲を征服して大帝国を築いた。
 さらに,ギリシアの西どなりのイタリア半島でおこったローマが台頭し,ギリシアを含む周辺国を征服して大帝国を築いた。ローマは西暦100年代に絶頂期をむかえ,繁栄の中心はイタリア半島にシフトした。同時期,中国では漢帝国が繁栄した。


●しかし,ローマも衰退し,帝国の西半分(西ローマ帝国)が500年ころに体制崩壊してしまった。繁栄の中心はローマ帝国の東半分(東ローマ帝国)のギリシア周辺に移った。
 600年代には,西アジアの一画からイスラムの勢力が台頭して,700年ころには巨大なイスラム帝国を築いた。イスラム帝国では東ローマの影響を受け,ギリシア・ローマの遺産に基づく学問が盛んとなった。その後数百年は,イスラムの国ぐにが世界の繁栄の中心となる。ただし,イスラム帝国は800年代には分裂して,いくつものイスラムの国ぐにが並び立つようになった。ほぼ同じころ,中国の王朝(唐・宋など)も、おおいに繁栄した。


●1400~1500年代には,イスラムの文化を吸収して,イタリアの都市国家とスペインが台頭した。ギリシア・ローマ文化(イスラムの国ぐにで研究されていた)の復興をかかげる「ルネサンス」が花ひらく一方,スペインはアメリカ大陸などの海外に進出して多くの植民地を築いた。


●1600年代にはスペインに支配されていたオランダが独立して台頭し,商工業でおおいに栄えた。ヨーロッパの繁栄の中心は,イタリア・スペインのある地中海沿岸から,オランダなどアルプス山脈以北のヨーロッパへとシフトしていった。


●1700年代には,オランダの隣国であるイギリスが台頭した。イギリスはオランダから多くを学んでいる。イギリスで,1800年ころに産業革命がおこった。産業革命以降の技術や産業の発展によって、ヨーロッパは世界の中で圧倒的な存在になった。1900年ころには,地球上の大部分がヨーロッパ(欧米)に支配される。1800年代のイギリスは,世界中に植民地を持つ「大英帝国」として繁栄した。


●1900年ころからは,イギリスにかわってアメリカ合衆国が台頭した。そのころのアメリカでは,電気の利用などの産業革命をさらに前進させる革新がつぎつぎと行なわれた。アメリカとイギリスは,大西洋をはさんで「となりどうし」の位置関係にあり,アメリカはもとはイギリスの植民地だった。
 1900年ころ,アメリカの産業・経済は世界の中で圧倒的となり,のちに軍事力や科学・文化でも同様となった。2000年代(21世紀)になると中国などの新興国が台頭し,「衰退した」ともいわれるが,現在もアメリカは「世界の繁栄の中心」であり続けている。


●以上,世界史では,ほかの国ぐにを圧倒する繁栄をみせた,いくつもの大国・強国が興亡してきた。その「繁栄の中心の移りかわり」を大まかにたどると,つぎのとおり。

 1.西アジア
 2.ギリシア・ローマ 
 3.イスラムと中国 
 4.ヨーロッパ(イタリア・スペイン→オランダ→イギリス)
 5.アメリカ合衆国


 このような「繁栄の中心の移りかわり」に着目することで,世界史は見通しのよいものになる。

(以上)
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2015年09月14日 (月) | Edit |
 8月の半ばに,1時間ほどで読める世界史の通史 1万文字の世界史 という記事をアップしました。

 この記事は「短くまとめる」というほかに,「一定の視点で,世界史がひとつながりの物語になるように」ということを大事にしています。その「視点」とは「世界史における繁栄の中心が,となり・となりで移りかわっていく」というものです。名付けて「となり・となりの法則」。今回はその「法則」について。

人は人から教わる

 「となり・となりの法則」とはつぎのようなものです。

・世界史における繁栄の中心は,時代とともに移り変わる。

・新しい繁栄の中心は,「中心」の外側にあって,しかしそんなに遠くない「周辺」の場所から生まれる。周辺の中から,それまでの中心にとって替わる国や民族があらわれる。世界史は,そのくりかえし。

・だから,繁栄の中心が新しい場所へ移るときは,遠く離れたところではなく,世界全体でみれば「となり」といえるような,比較的近いところへの移動となる。つまり,「となり・となり」で動いていく。
 

 では,そもそもなぜ,繁栄の中心は「となり・となり」で移動するのでしょうか? 

 それは「人は,人から教わる」ものだからです。

 ふたつの集団が地理的に近いところにあれば,おたがいが接する機会は多くなります。それで,いろいろ教わったり刺激を受けたりできます。書物やモノ(すぐれた製品など)を通して教わる場合も,同じことです。距離が近いほうが,頻度が高くなります。

 しかし,さらに根本的なことがあります。「先人の肩に乗らなければ,高いところには行けない」ということです。「ゼロからいきなり、多くを生み出すことはできない」といってもいいでしょう。

 自分たちの文明のなにもかもを,独自につくりあげた民族や国というのはありえません。どの民族も,先行する人びとに学んでいます。そうでないと,発展することはできません。

 そして,「世界の中心」といえる高い文明を築いた隣人に学んで,それを十分に消化し、新しいことを加えることができた国や民族の中から,つぎの新しい「中心」が生まれてきたのです。ギリシア人,ローマ人,イスラム帝国を築いたアラブ人やその後継者,イタリア人,スペイン人,オランダ人,イギリス人,アメリカ人……これらの人びとはみなそうです。それを,「1万文字の世界史」の全体で述べました。

発明のむずかしさ

 ではなぜ,すべての民族は「先人の肩に乗る」必要があるのでしょうか? なぜ,「ゼロからいきなり多くを生み出すことはできない」のでしょうか?

 身もふたもない話ですが,それは創造というものが,それだけむずかしいことだからです。さまざまな努力や,一定の環境や,偶然などが重なってはじめて可能になる,一種の奇跡だからです。大きな創造ほど,そうだといえます。

 そこで,「創造の典型」として,発明というものについて考えてみましょう。まず,「紙の発明とその伝播」のことを取りあげます。

(紙の発明) 
 紙が発明されたのは,西暦100年ころの,漢の時代の中国だとされます。ただし,もっと古い時代(紀元前100年ころ)の中国の遺跡からも紙の一種がみつかっています。100年ころは「紙の製造の大幅な改良がなされた時期」ということです。

 紙は,「樹や草の皮などからとれる植物の繊維をほぐして,一定の成分を加えた水にとかし,うすく平らにして固める」という方法でつくります。「紙の時代」以前の中国では,木や竹を薄く・細く削った板をヒモで結びつけた「木簡」「竹簡」というものに文字を書いて記録するのが一般的でした。しかしこれは紙にくらべるとはるかに重くてかさばります。

 また,紙以前に,紙と似たものもつくられていました。5000年前ころのエジプトで発明され,ギリシアやローマでも広く使われたパピルスというものです(中国では使われなかった)。パピルスは,「パピルス草」という水草を薄く切ってタテヨコに二重三重に貼りあわせてつくります。

 しかし,パピルスには,紙のように折りたたんだり,綴じたりする丈夫さがやや不足していました。さらに,パピルス草という,エジプト周辺でしかとれない特殊な原料が必要なため,生産量に大きな限界がありました。一方,紙の製造にはこうした制約はありませんでした。紙の材料に適した植物というのはいろいろあって,その土地ごとに適当なものをみつけることができました。

 このように,紙というのはすばらしい発明でした。では,紙の製造法=製紙法の発明は,一度きりのことだったのでしょうか? 「このくらいの発明は,別の時にほかでも行われた」ということはなかったのでしょうか?

 結論をいうと,紙の発明は,世界史上一度きりのものでした。今,世界じゅうで紙がつくられていますが,その起源をたどると,すべて中国での発明に行きつくのです。

 製紙法は,中国で広がったあと,周辺のアジアの国にも伝えられました。日本には飛鳥時代の600年ころに伝わっています。

 それから,中国の西のほうにも伝えられました。600年代後半にはインドの一部に、700年代にはイスラムの国ぐににも伝わりました。ヨーロッパには,イスラムの国ぐにを通じて1200年代に伝わったのが最初です。

 その後,1400年代にはヨーロッパの広い範囲に製紙法が普及していました。この時点で,製紙法は世界のおもな国ぐに全体にいきわたったといえます。中国での発明から千数百年かかかっています。

 たしかに,現代にくらべれば伝わり方はゆっくりです。しかし,価値のある発明だったので,着実に広まっていったのです。そして,製紙法が世界に普及するまでの千年数百年のあいだ,世界のどこかで,独自に製紙法が発明されることはありませんでした。

(文字の発明)
 「世界史上の重要な発明は、かぎられた場所でしかおこっていない」ことを示す例は,ほかにもあります。
 たとえば文字の発明です。

 文字をまったく独自に発明した可能性があるのは,ユーラシア大陸(アジアからヨーロッパにかけての範囲)では2カ所だけです。紀元前3000年ころの西アジア(メソポタミア)と,紀元前1300年ころの中国(黄河流域)です。

 西アジアではシュメール人によって「楔形文字」の原型になる絵文字が,中国では漢字の原型となった「甲骨文字」というものが生み出されました。

 現在のユーラシア大陸で用いられている,さまざまな文字のルーツをたどれば,すべてこの2つのいずれかに行きつきます。

 なお,エジプトでも紀元前3000年ころから「ヒエロクリフ」といわれる文字がありますが,メソポタミアの影響を受けている可能性が高く,「独自」かどうかがはっきりしません。インドのインダス文明(紀元前2300~1700年ころ)にも,固有の文字(インダス文字)がありました。しかし,インダス文明もメソポタミアとの接触があったことがわかっています。インダス文字が独自のものかどうかは,よくわからないのです。

 つまり,文字を使う民族のほとんどは,自分たちで独自に文字を生んだのではなく,先行するほかの民族から文字を学んだということです。

 ユーラシア大陸以外では,中央アメリカ(メキシコとその周辺)で独自の文字がつくられています。しかし,この文字はその周辺地域を超えて広がることはありませんでした。

(農業=主要作物の栽培)
 「農業」もまた「限られた場所での発明」です。ここで「農業」とは,コメやムギやトウモロコシのような,今の世界で広く「主食」となっている主要な作物の栽培を指すものとします。

 そのような「農業の発明」は,ユーラシア大陸ではつぎの2か所でしか起こっていません。

・13000年ほど前の西アジア(メソポタミアとその周辺。コムギなど)
・9000年ほど前の中国(黄河流域。コムギなど)

 ユーラシアの農業のルーツをたどると,すべてこの2カ所のどちらかに行きつくのです。

 あとは南北アメリカ大陸の3つの地域で,4000~5000年前に独自に農業が始まっています。メキシコ周辺のトウモロコシ栽培、アンデスやアマゾン流域でのジャガイモやキャッサバ、北アメリカ東部でのヒマワリ…といったものです。南北アメリカ大陸では,1500年ころにヨーロッパ人がやってくるまで,ムギやコメは栽培されませんでした。

 このほか,西アフリカ,エチオピア,ニューギニアなど,ユーラシア大陸以外の数カ所で「独自に農業がはじまったかもしれない」とされる場所があります。しかし,これらの農業は世界で広く普及することはありませんでした。

このような例は,ほかにいくつもあげられます。製鉄の技術も,そのルーツをたどると,おそらくは紀元前1500年ころのヒッタイト人による発明・改良に行きつくのです。あとは中国で独自に発明された可能性があるくらいです。

 ***

大企業病

 これまで述べた「繁栄の中心がとなり・となりで移動する」理由はつぎのとおりです。

 「人は人から教わる」
 「自分たちだけで何もかも創造することはできないので、先行する他者に学ばなければならない」
 「先行する繁栄の中心によく学んだ集団の中から新しい〈中心〉が生まれる」

 ただ,もうひとつ整理すべきことがあります。「なぜ繁栄の中心は,いつまでも続かないのか」ということです。

 「繁栄の中心の移動」とは,それまでの中心が停滞・衰退し,新しい「中心」に追いこされていったということです。それまでに圧倒的な優位を築き,豊富なリソース(利用できる材料・資源)を持っているのに,どうして新興勢力に負けてしまうか。

 これは「文明や国家が衰えるのはなぜか」ということです。昔から歴史家や思想家がテーマにしてきた大問題です。いろんな説や視点がうち出されていますが,議論は決着していません。

 私としてはまず,そのような答えの出にくい,大きな「なぜ」に深入りするよりも,「繁栄の中心がとなり・となりで移動してきた」という現象・事実をしっかりとおさえたいと思います。とはいえ,世界史の基本的な事実を追っていると,「繁栄の中心が停滞・衰退するとき、何が起こっているか」について,みえてくることもあります。

 それは,衰退しつつある繁栄の中心では「成功体験や伝統の積み重ねによる、社会の硬直化」が起こっている,ということです。
 
 繁栄の中心となった社会は,それまでに成功を重ねてきています。そのため,過去の体験にこだわって,新しいものを受けつけないようになる傾向があります。もともとは,先行するほかの文明や民族からさまざまなことを取り入れて発展したのに,そのような柔軟性を失って内向きになってしまう。

 これを私たちは,国や文明よりも小さなスケールでよくみかけます。成功を収めた大企業が時代の変化に取り残されて衰退していく,というのはまさにそうです。「大企業病」というものです。

 2012年に破たんしたアメリカのイーストマン・コダック社は,その典型です。コダック社は,写真フィルムの分野において世界最大の企業でした。世界で初めてカラーフィルムを商品化するなど,業界を圧倒的にリードしてきました。しかし、近年の写真のデジタル化という変化の中で衰退し,破たんしてしまったのです。

 これだけだと,「デジタルカメラの時代に、フィルムのメーカーがダメになるのは必然だろう」と思うかもしれません。

 しかし,世界の大手フィルムメーカーの中には,今も元気な企業があります(日本の富士フィルムはそうです)。そうした企業では,デジタル化に対応する事業や,フィルム関連の技術から派生した化学製品などに軸足を移していったのでした。

 コダックは,やはりどこかで対応を誤ったのです。何しろ,1970年代に世界ではじめてデジタルカメラの技術を開発したのは,じつはコダックなのですから。また、現在において有望な分野となっている、ある種の化学製品についても、コダックは高い技術を持っていました。

 しかし,コダックは1990年代に大きな「リストラ」を行い,のちに開花するそれらの技術や事業を売り払ってしまいました。内向きな姿勢で,人材やノウハウを捨ててしまったのです。そして,伝統的に高い収益をあげてきたフィルム関係の事業を「自分たちのコアの事業だ」として残したのでした。その結果,つぶれてしまいました……

 コダックはまさに「過去の成功体験にとらわれて,新しいものを受けつけなくなった大企業」でした。

 世界史の中では,例えば1800年代の中国やオスマン・トルコ(当時のイスラムの中心だった帝国)は,そんな「大企業病」に陥っていました。

 当時の中国もオスマン・トルコも,ヨーロッパの列強から圧迫や侵略を受け,劣勢でした。そこで「ヨーロッパの進んだ技術を受け入れる」という改革の動きもあったのですが,成功しませんでした。

 中国もトルコも,それなりに財力もあり,優秀な人材もいました。また,さまざまなヨーロッパ人との接点があり,多くの新しい情報に触れることもできたのです。しかし「改革」はうまくいきませんでした。抵抗勢力の力がまさったのです。

 結局,中国の王朝もオスマン・トルコ帝国も,1900年代前半に滅亡してしまいました。

 中国もイスラムの帝国も,ヨーロッパが台頭する前は「繁栄の中心」でした。新技術などの文明のさまざまな成果も,生み出してきたのです。たとえば近代ヨーロッパの発展の基礎になった「三大発明」といわれる,火薬・羅針盤・印刷術といった技術は,もともとは中国で発明されたものです。

 しかし,中国ではそれを十分に発展させることはできませんでした。これは,コダックがデジタルカメラなどの,未来に花ひらく技術を開拓しながら,それを育てることができなかった姿と重なります。

 このような「大企業病」は,国家でも組織でも,さまざまな人間の集団で広くみられるものではないでしょうか(個人でもみられます)。

 だからこそ,「繁栄の中心」は、永遠には続かないのです。繁栄が続くと,どこかで「大企業病」に陥って、停滞や衰退に陥ってしまう。そして,その「停滞」を「周辺」からの革新が打ち破る。その結果,新たな「中心」が生まれ,遅れをとった従来の「中心」は「周辺」になってしまう……そうしたことが,世界史ではくりかえされてきました。ここでは立ち入りませんが,ローマ帝国でも,イギリスでも,衰退期には「大企業病」的な硬直化がみられます。

 ただ,くりかえしますが,当面私がテーマとしたいのは「繁栄の中心の移りかわり」という現象を,事実としておさえることです。「なぜ文明は衰退するのか」については,今の時点ではこのくらいにしておきます。

(以上)
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2015年09月09日 (水) | Edit |
  そういち文庫9月はじめ

 ※9月10日に「目録」に注釈をつけるなど,大幅に加筆しました。

 何度も話題にしていますが,妻が近所のビルの一室を借りて,書道教室をしています。
 その教室の一画に,大人や子どもの生徒さんが息抜きできるような本を並べています。
 書道教室の小さなライブラリー(上の写真)。生徒さんには貸し出しもしています。
 私の名をとって「そういち文庫」と呼んでいます。

 前回記事で紹介した,この教室での小さなイベント(8月22日開催)では,妻のミニ書道教室のほか,私がそういち文庫のさまざまな本についてご紹介するということも行いました。
 そのとき「そういち文庫図書目録」も,作成・プリントしてお配りしています。

 今回は,この目録をご紹介します。
 そういち文庫の蔵書は,百数十冊ほど。
 これを「書道」「住まい・暮らし」「芸術・美しいもの」「少し昔の暮らし」「おはなしの絵本」「ものがたり」「世界・宇宙を知る」「伝記・人物」「ことばを味わう」の9つのカテゴリ―に分けました。

 これらの本は,私や妻の蔵書もありますが,それは全体の4分の1くらい。大部分は,この「文庫」のためにあらためて買ったのです。

 職場や公共の場など,人の集まるところに「小さな文庫」が設けられていることがあります。しかし多くの場合,「本の捨て場所」になっています。つまり,誰かにとって「要らなくなった本」ばかりが寄贈されて並んでいる。それでは魅力のある本棚にはなりません。
 ほんとうはやはり,「これは」という本を選んで並べていかないといけない。

 そのためには,「文庫」のために予算を組んで本を購入していくことでしょう。自分の蔵書を寄贈するにしても,「要らなくなった本」ではなく,「人にすすめたくなる,自分にとって大事な本」にすべきではないかと。

 そういうことを,そういち文庫ではできるかぎり行ったつもりです。

 もちろん予算には限りがあります。だから,ブックオフやアマゾンの古本で安いのをみつけたら,買うということを行ってきました。
 何万円かかかっているのですが,そのコストとしては,ずいぶんと楽しい遊びだと思っています。私はやはり本が好きなのでしょう。イベントに来てくださった方から,「そういちさんにとって本は人生そのものだと思った」という感想をいただきました。そうなのかもしれません。
 
 ***

そういち文庫図書目録
2015年9月9日現在


1.書道
書道教室なので,まず書道の本。中国や日本の古典を知る展覧会の図録や,書道の世界では定評のある雑誌『墨』,最近の雑誌の書道特集など。天石東村『書道入門』は,文庫サイズの「カラーブックス」の1冊。古い本でコンパクトですが充実した内容だそうです(妻から聞いた)。『とめはねっ!』は,高校の書道部を題材にしたマンガ。青年コミックスですが,子どもも借りていきます。

和様の書 (展覧会図録)
書の至宝 日本と中国 (展覧会図録)
書聖 王羲之 (展覧会図録)
雑誌『墨』 九成宮醴泉銘を書く 芸術新聞社
雑誌『墨』 三蹟とその時代 芸術新聞社
雑誌『墨』 100人で百人一首 芸術新聞社
雑誌『墨』 かなの原点古今和歌集 芸術新聞社
雑誌『Pen』 書のチカラ CCCメディアハウス
雑誌『サライ』 書に親しむ 小学館    
すぐわかる日本の書 可成屋(編) 東京美術
書百話 榊莫山 ハルキ文庫
書道入門 天石東村 保育社
知識ゼロからの書道入門 武田双雲 幻冬舎
かな連綿字典 竹田悦堂監修 雄山閣出版
新毛筆書写事典 續木湖山編書 教育出版
とめはねっ!(一)~(三) 河合克敏 小学館
脳トレ書道トレーニングブック 青山浩之 二玄社


2.住まい・くらし
住宅,インテリア,料理,ライフスタイルなどの本。90年代後半から2000年代(ゼロ年代)の少し前の本が中心です。今どきの暮らしやインテリアの本の「元祖」「大先輩」みたいな本がいくつかあります。大橋歩さんや建築家の中村好文さんの本などはまさにそう。あと,その筋の「大先輩」といえば,料理家の辰巳芳子さんの本。それから,昭和の巨匠建築家・吉村順三の『小さな森の家』。吉村の自邸の山荘を紹介したビジュアル本で,「究極のすまい」をみることができます。その一方で,最近の売れっ子の松浦弥太郎さんや伊藤まさこさんの本は,この文庫でも人気です。なお,こういうユーザーの反応については,ほとんどは現場にいる妻からの報告や貸し出し記録によるものです。『団地リノベ暮らし』には,我が家が載っています。

カーサブルータス特別編集 誰にでもわかる20世紀建築の3大巨匠 マガジンハウス
カーサブルータス特別編集 理想の暮らしが買える店 マガジンハウス
住宅巡礼 中村好文 新潮社
家族をつくった家 芦原太郎 インデックスコミュニケーションズ
住まい 萩原修監修 プチグラパブリッシング
ふつうのおいしい 大橋歩 マガジンハウス
100の基本 松浦弥太郎 マガジンハウス
松浦弥太郎の仕事術 松浦弥太郎 朝日新聞出版
美しい椅子2  島崎新ほか 枻文庫
味覚旬月 辰巳芳子 ちくま文庫
少ないもので贅沢に暮らす 石黒智子 PHP文庫
団地リノベ暮らし アトリエコチ アスペクト
LIFE 飯島奈美 ほぼ日刊イトイ新聞
ブルータス特別編集 合本居住空間学 マガジンハウス
大橋歩の生活術 大橋歩 マガジンハウス
家事のニホヘト 伊藤まさこ 新潮社
朝ごはんの献立 飯島奈美 池田書店
小林カツ代のあっという間のおかず 小林カツ代キッチンスタジオ 大和書房
日本のごはん,私のごはん ホルトハウス房子 文化出版局
暮らしのヒント集 暮しの手帖社
新版 家を買いたくなったら 長谷川高 WAVE出版
あしたのお弁当 飯島奈美 主婦と生活社
普段着の住宅術 中村好文 王国社
小さな森の家 吉村順三 建築資料研究社
暮しの手帖別冊 暮らしのヒント集  暮しの手帖社
自分の仕事をつくる 西村佳哲 晶文社


3.芸術・美しいもの
いわゆる美術の本は少ないです。『謎ときフェルメール』や岡本太郎の本くらいでしょうか。「この世にあるいろんなきれいなもの」ということで,宝石図鑑や,あるいは『寿司ガイドブック』とか。『寿司・・・』は美しい写真で,ひととおりの寿司ネタを紹介した,コンパクトな図鑑。これを子どもが借りていったりします。ついこのあいだは『宝石の写真図鑑』を小学生の女の子が借りていきました。大人向けの本で,記述は細かい字でむずかしいのですが,きれいな宝石の写真をたのしめるはずです。大人の方が木村伊兵衛の写真集を借りていかれたこともありました。

土門拳が伝えたかった日本 土門拳 毎日新聞社
木村伊兵衛の昭和 木村伊兵衛 筑摩書房
ふしぎなえ 安野光雅 福音館書店
THE SMAP MAGAZINE マガジンハウス
やきものの見方ハンドブック 仁木正格 池田書店
伊藤まさこの雑食よみ 伊藤まさこ メディアファクトリー
謎解きフェルメール 小林頼子 朽木ゆり子 新潮社
宝石の写真図鑑 キャリー・ホール 日本ヴォーグ社
ブルータス特別編集 新説・あなたの知らない岡本太郎 マガジンハウス
寿司ガイドブック 英語訳付き 池田書店
北東北のシンプルをあつめにいく 堀井和子 講談社


4.少し昔のくらし
昭和の暮らしや風景をテーマにしたものが中心。『昭和の暮らし博物館』は,昭和二十~三十年代の暮らしを取りあげたもので,借りた大人の方も「なつかしかった」とのこと。『小さな料理の本』は「大草原の小さな家」((インガルス一家のお話し)に出てくる,さまざまな料理をレシピとともに紹介したもの。

東京 消えた街角 加藤嶺夫 河出書房新社
小さな家の料理の本 バーバラ.M.ウォーカー 文化出版局
写真が語る 子どもの100年 村上義雄編 平凡社
昭和のくらし博物館 小泉和子 河出書房新社


5.おはなしの絵本
おもに私が小さいときに読んだ,定番・古典が中心。そういう昔からの本が,今も新刊書店で買えるのですね。今の子どもたちにとっても,これらの本は結構「おなじみ」のようです。「ちびくろさんぼには,2があるんだー」などという反応も(この文庫にはないけど,3まであるよ)。このカテゴリ-は,貸出がわりと少ないのですが,子どもたちはちょこちょこ手にとっているようです。書道のお稽古の前後のわずかな時間で読んでしまうことも。このあいだのイベントでも,小学2年生の男の子が『おしいれのぼうけん』をあっという間に読んでしまいました。つい先日は小学3年の女の子が『プーのはちみつとり』を借りていきました。プーさん好きなんだそうです。アニメとはまたちがった絵の雰囲気などたのしんでもらえれば。

やまのこどもたち 石井桃子 岩波書店
山のクリスマス ベーメルマンス 岩波書店
きかんしゃやえもん 阿川弘之 岩波書店
ちいさいおうち バートン 岩波書店
ぐりとぐら なかがわりえこ やまわきゆりこ 福音館書店
ぐりとぐらのうたうた12つき なかがわりえこ やまわきゆりこ 福音館書店
だるまちゃんとてんぐちゃん 加古里子 福音館書店
プーのはちみつとり ミルン 岩波書店
じてんしゃにのるひとまねこざる レイ 岩波書店
おしいれのぼうけん 吉田足日 日畑精一 童心社
いたずらきかんしゃちゅうちゅう バートン 福音館書店
からすのぱんやさん 加古里子 偕成社
ちびくろさんぼ バンナーマン 瑞雲舎
ちびくろさんぼ2 バンナーマン 瑞雲舎


6.ものがたり
これも,大半は私が子どものときに読んだものから,分野のバランスを多少は考えて選びました。児童文学のほか,手塚治虫や星新一も。『鉄腕アトム3』は,男の子に人気。「地上最大のロボット」という,浦沢直樹『PULUTO』の原作が入っている巻です。伊藤計劃『ハーモニー』やアンディー・ウィアー『火星の人』のような,ふだんSFを読まない人にもオススメのSFも。このカテゴリーは「文字が多い」と,子どもには敬遠されがちです。『ゲド戦記』も『二年間の休暇(十五少年漂流記の完訳)』も『大草原の小さな家』も,まだ誰も借りていない。でもこのあいだは小学4年の女の子が『魔女の宅急便』を借りていきました。あれは,アニメもいいのですが,原作がやはりすばらしいのですね。

星の王子さま サン=テグジュペリ 岩波書店
古事記物語 福永武彦 岩波書店
ドリトル先生アフリカゆき ロフティング 岩波書店
ホビットの冒険(上・下) トールキン 岩波書店
三国志 羅貫中 駒田信二訳 講談社
海底2万マイル ベルヌ  講談社
ABC殺人事件 完訳版 クリスティ 偕成社
くまのパディントン ボンド 福音館書店
魔女の宅急便 角野栄子 福音館書店
二年間の休暇 ベルヌ 福音館書店
大草原の小さな家 ワイルダー 福音館書店
ゲド戦記Ⅰ 影との戦い ル=グウィン 岩波書店
火の鳥 未来編 手塚治虫 小学館
ハーモニー 伊藤計劃 ハヤカワ文庫
シュナの旅 宮崎駿 アニメージュ文庫
火星の人 アンディ・ウィアー ハヤカワ文庫
おーい でてこーい 星新一 講談社
ボッコちゃん 星新一 新潮社
タイムマシン 完訳版 ウェルズ 偕成社
悪魔くん千年王国 水木しげる ちくま文庫
鉄腕アトム3 手塚治虫 サンコミックス
いやいやえん 中川李枝子 福音館書店
メトロポリス 手塚治虫 講談社
エルマーのぼうけん ガネット 福音館書店
さあゆけロボット 大石真 理論社
宇宙人のしゅくだい 小松左京 講談社
赤毛のアン モンゴメリー 講談社
だれも知らない小さな国 佐藤さとる 講談社


7.世界・宇宙を知る
宇宙の広がり,生命進化の歴史,世界の国ぐに,国旗,日本歴史の絵本,哲学入門,科学入門,動物図鑑等々・・・子どものころの私が一番好きなカテゴリー。極大の宇宙から素粒子までさまざまスケールの世界を描いた『パワーズ オブ テン』や『せいめいのれきし』などは,ぜひ手にとってほしい。『せいめいのれきし』は,『ちいさいおうち』の作者のバートンによるもの。1960年代の作で,著者はすでに亡くなっていますが,新しい科学知識をふまえた改訂版がつい最近でたので買いました。「恐竜の絶滅の原因は,地球への巨大隕石落下(それによる環境の激変)である」などといったことが盛り込まれているのです。あとは,加古里子の『宇宙』『海』。ひさしぶりに読んで,その仕事の幅の広さや編集の能力にあらためて感動。イベントで加古さんのことを紹介したところ「この人は,〈だるまちゃん・・・〉とか〈どろぼうがっこう〉とか好きだったけど,こういう科学の本もあるんですね」という方もいらっしゃいました。

絵でみる日本の歴史 西村繁男 福音館書店
自分でトコトン考えるための勉強法 秋田総一郎 楽知ん研究所
「アメリカ社会」入門 コリン・ジョイス NHK
「ニッポン社会」入門 コリン・ジョイス NHK
アンネの日記 完全版 アンネ・フランク 文春文庫
ころりん 宮地祐司ほか 仮説社
江戸時代入門 落合大海 国土社
絵とき 世界の国旗 板倉聖宣 仮説社
本のれきし5000年 辻村益朗 福音館書店
考える練習をしよう マリリン・バーンズ 晶文社
地球家族 マテリアルワールドプロジェクト TOTO出版
健康と環境 落合大海 秋田総一郎 小峰書店
恐竜のすべて ジャン=ギィ・ミシャール 創元社
1たす1は2にならない 三浦つとむ 明石書店
歴史の見方考え方 板倉聖宣 仮説社
せいめいのれきし 改訂版 バートン 岩波書店
宇宙 加古里子 福音館書店
変体仮名とその覚え方 板倉聖宣 仮説社
子どもにウケるたのしい雑学 坪内忠太 新講社
北斗七星と北極星 板倉聖宣 国土社
小学館の図鑑 NEO POCKET 動物  小学館
星座をみつけよう レイ 福音館書店
海 加古里子 福音館書店
宇宙の地図 観山正見 小久保栄一郎 朝日新聞出版
パワーズ オブ テン フィリップ・モリソンほか 日本経済新聞出版社
イームズ入門 イームズ・デミトリオス 日本文教出版


8.伝記・人物
最近の子ども向けの伝記は,比較的新しい研究成果などもふまえていることが多く,情報が豊富です。大人が読んでも勉強になるはずです。伝記を借りていくのは,今のところ女の子だけ。偉人への興味は,女の子のほうが強いのか?でも,サンプルが少ないですからね・・・

エジソン 桜井信夫 ポプラ社
二宮金次郎 小暮正夫 ポプラ社
ベートーベン 加藤純子 ポプラ社
ヘレン・ケラー 砂田弘 ポプラ社
ライト兄弟 早野美智代 ポプラ社
マザー・テレサ やなぎや・けいこ ポプラ社
ほんまにオレはアホやろか 水木しげる 新潮文庫
アンネ・フランク 加藤純子 ポプラ社
三百文字の偉人伝 秋田総一郎 楽知ん文庫
乗りものの発明発見物語 岩城正夫編 国土社
動物の発明発見物語 中村禎里編 国土社
ディズニー 三浦清史 講談社
大人のための偉人伝 木原武一 新潮選書


9.ことばを味わう
偉人・達人の名言集や,ほんの少しですが,詩集など。小学生の男の子(鬼太郎ファン)が,水木しげる『がんばるなかれ』を借りていったりします。『ソロー語録』は,『森の生活』のソローの著作から「名言」を抜粋したもの。借りていかれた方からは「ソローの本は長々としていて読みにくいところがあるけど,これは短くていい。こんなのが出てたんですねー」とのこと。『絶叫委員会』はヘンなタイトルですが,歌人の穂村弘さんが,巷や日常でであった,奇妙な・でも魅力的なさまざまなコトバ(穂村さんは「天使的な言葉たち」と言っている)を集めて語ったもの。

がんばるなかれ 水木しげる やまのん
花森安治 灯をともす言葉 花森安治 河出書房新社
黒澤明「生きる」言葉 黒澤和子 PHP
絶叫委員会 穂村弘 筑摩書房
ソロー語録 ソロー 文遊社
毎月新聞 佐藤雅彦 毎日新聞社
宮沢賢治詩集 谷川徹三編 岩波文庫
自選 谷川俊太郎詩集 谷川俊太郎 岩波文庫
通勤電車で読む詩集 小池昌代編著 NHK

(以上)
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