2015年11月11日 (水) | Edit |
 世界史(近代史)に関する,昨年の記事の再放送です。
 最近,「1時間プラスアルファで読める世界史の通史」をまとめることに取り組んでいます。通勤電車の中やプライベートの時間の多くをそれに費やしています。あともう少しで完成。完成したら小冊子にして,私家版としてリリース・販売するつもりです。

 つい先日は,「30分で読める世界の近現代史」の文章もこのブログにアップしました。上記の「世界史」の最後の章にあたるものです。

 こうした世界史の通史関連の記事に,読者の方からコメントもいただき,それに返信するなかで,自分自身もいろいろと考える機会となりました。「欧米」や「近代文明」というものを世界史のなかでどう位置づけるか,ということをあらためて考えたのです。今回の再放送は,そこにかかわるものだと思っています。

 ところで今日は11月11日。1918年の今日は第一次世界大戦(1914~1918)終結の日です。近現代史の,きわめて大きな出来事の節目の日ということ。あと,イレブンが2つ並んでいるので「サッカーの日」であったり,漢数字「十一」が,電気のプラス・マイナスと同様の形であることから「電池の日」でもあったりするそうです。

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 今の世界で,最大・最強の国というと,どこでしょう? 
 多くの人は「アメリカ(合衆国)」というはずです。

 「衰退してきた」という見方もありますが,アメリカは今も世界最大の経済大国です。
 アメリカのGDPは16~17兆ドル。世界第1位の規模で,世界全体の約2割を占めます。
 (GDP=国内総生産は,その国で1年間に生み出された付加価値の総額。その国の経済規模をあらわす。以下の人口なども含め,ざっくりと「2010年代前半」の数値)

 軍事力でも圧倒的な存在で,世界の軍事費の約4割は,アメリカによるものです。人口は3.2億人で,世界第3位(1位中国:14億人,2位インド:12億人)。2000年には2.8億人でしたので,近年も人口が増えているということです。

 では,アメリカに次ぐ大国・強国というと,どこでしょうか?
 「二番手」の国ということです。

 それは一昔前なら,少なくとも経済にかんしては,日本でした。2000年当時,日本のGDPは世界第2位で,世界の15%ほどを占めていました。

 しかし,その「二番手」の座は,2010年代初頭に中国にうばわれてしまいました。現在の世界でGDP第2位というと,中国。日本は3位で,世界に占めるシェアは6~7%。(2014年現在,中国のGDPは,日本のおよそ2倍の規模です)

 「経済大国」となった今の中国は,軍備増強もすすめています。そして,周辺諸国や国際社会への自己主張も強めています。たとえば,東南アジアの国ぐにや日本に対し,強引な「領有権」の主張をしたりしている。

 今の中国は,世界の「二番手」として自信を深めています。そして,「一番手」であるアメリカ中心の世界秩序に対し,挑戦的な姿勢を示すようになってきた,といえるでしょう。

 もしも,中国がそのような姿勢をさらに強めていったら,世界に大きな緊張感をもたらすはずです。
 悪化すれば,かつての米ソの冷戦(1950~80年代)のように,「ひとつまちがえれば世界大戦になりかねない」状況に……これは避けないといけません。

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 この200~300年の近代における,世界の大国の興亡をみると,それぞれの時代の「二番手」が最強・最大の「一番手」に挑戦して,大きな戦争になる,ということが何度かくりかえされてきました。

 それは世界に大きな不幸や被害をもたらしました。
 そして,挑戦者の「二番手」は,ほぼいつも負けています。
 その結果,国の体制の崩壊に至っています。

 例をあげていきます。まず,1700年代のイギリスとフランスの戦い。
 この2国は,当時のヨーロッパの2大勢力でした。当時の最先端をいく大国でした。近代的な産業の発展や植民地の獲得でイギリスがリードする「一番手」であり,フランスはそのあとを追っていました。
 
 1700年代に,両国は大きな戦争をくりかえしています。「スペイン継承戦争」「オーストリア継承戦争」「七年戦争」などです。その争いは当時英仏の植民地だった北米にも飛び火して,はげしい戦いがくり広げられました。

 一連の戦争にフランスは破れました。そして,ばく大な戦費のために,フランスの国家財政は破綻しました。

 1700年代末(1789年)にフランスでは「大革命」が起こって,ルイ王朝による支配が倒されました。その背景には,財政破たんによる政治の弱体化や混乱がありました。

 つまり,1700年代における「二番手」フランスは,「一番手」イギリスに挑戦して敗れ,体制も崩壊してしまったのです。

 ***

 しかし,「フランスの挑戦」の物語には,まだ続きがあります。

 フランスでは,革命がはじまって以来10年ほどの間,さまざまな混乱がありました。しかしその後,1800年代初頭には,ナポレオンが独裁的な権力を確立したことで,ようやく国がまとまりました。

 フランス革命は,国王や貴族の支配を倒した革命でした。当時のヨーロッパ諸国のほとんどは王国です。そこで「革命が自国に及んでは大変」と,周辺諸国はフランスに軍事的圧力をかけてきました。

 このときフランス軍を率いて戦い,外圧をはねのけたリーダーが,ナポレオンでした。

 やがて,勢いを得たナポレオンはヨーロッパの周辺諸国(イタリア,ドイツ西部,スペインなど)へ進軍し,つぎつぎと征服していったのです。

 このような「ナポレオン戦争」は,じつは「フランス対イギリスの戦い」でした。ヨーロッパの「反フランス勢力」のバックには,イギリスがいました。そして,ナポレオンの大活躍は「イギリスへの挑戦」だったわけです。

 しかし,ナポレオンはけっきょくイギリスとの戦いに敗れました。イギリス本土上陸をめざして大きな作戦を展開したりもしましたが,大敗しています。そのほか,さまざまな敗北の結果,彼の政権は1815年には完全に崩壊しました。

 そして,ナポレオン戦争を最後に,フランスが「二番手として世界秩序に挑戦する」ことはなくなりました。その後のフランスは,イギリスなどの「一番手」と基本的には手を組んで,世界の「体制側」に立つようになりました。

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 「ナポレオン以後」の1800年代はどうだったのか? 
 さまざまな戦争はありました。しかし「一番手と二番手のあいだの大戦争」はなかったのです。その意味では,世界情勢は比較的安定していました。イギリスという圧倒的な「一番手」が世界に君臨していたという感じです。

 「ナポレオン以後の1800年代は,比較的安定していた」というのは,「1900年代前半の,世界大戦の時代に比べれば」いうことです。

 1900年代前半には,ナポレオン戦争をはるかにしのぐ規模で,「一番手と二番手の大戦争」が起こりました。2つの「世界大戦」です。
 
 そのときの「二番手」は,ドイツでした。

 ドイツは1700年代やナポレオンの時代には,「大国」とはいえませんでした。いくつもの国に分かれていて,今のような「統一的な,大きな国としてのドイツ」はまだなかったのです。

 しかし,1870年代に,今のドイツに匹敵する統一国家「ドイツ帝国」が成立して,「大国」としての姿をあらわします。
 この「ドイツ統一」は,日本が明治維新によって「いくつもの藩に分かれていた状態から,統一的な国家体制になった」のと似ています。

 その後のドイツは大きく発展し,フランスをしのぐ「ヨーロッパ大陸最強・最大の国家」となります。「ヨーロッパ大陸」というのは,「イギリスを除くヨーロッパ」をさします。

 経緯の説明は省きますが,第一次世界大戦(1914~1918)も,第二次世界大戦(1939~1945)も,「新興の大国である二番手ドイツが,一番手イギリス(とその陣営)に挑戦した」というのが基本的な構図です。

 1900年代初頭のドイツ帝国は,巨大な工業力や軍事力を持っていました。しかし,世界の植民地支配などではイギリスやフランスに遅れをとっていました。
 そのような「遅れて発展した国」であるがゆえの不利な部分がいろいろあったのです。そこで「イギリス中心の世界秩序」に不満を持っていました。

 第一次大戦は,「イギリス・フランスなどVSドイツ・トルコなど」の戦いでした。

 そして,ドイツは破れ,イギリス・フランス側の勝利で終わりました。
 なお,この戦争の終盤には,イギリス側にアメリカも参加しました。(日本は少しだけ,イギリス側で参戦)

 第二次世界大戦は,以下の国ぐにの戦いでした。

 「アメリカ・イギリス・フランス・ソ連・中国など(連合国)VSドイツ・日本・イタリア(枢軸国)」
 
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※世界全体のGDPに占める主要国のシェア(%)

       1820年   1870年    1913年 
アメリカ   1.8      8.9      19.1
イギリス   5.2      9.1       8.3
ドイツ    ―       6.5       8.8
フランス   5.5      6.5       5.3
日 本    ―       2.3       2.6

(アンガス・マディソン『経済統計で見る世界経済2000年史』より)

*上記の表は,とりあえず以下の点を確認。
・1820年時点ではアメリカはまだ小さく,フランスとイギリスは競り合っていた。
・1870年時点では,イギリスが一番で,アメリカがそれに追いついた。1870年代に統一されるドイツは,フランスに匹敵する存在だった。
・第一次大戦前夜の1913年では,アメリカが世界最大となり,一方でヨーロッパではドイツが最大となって,世界の「二番手」的な存在になっている。

 **

 第二次世界大戦をひき起こした中心は,ヒトラーのナチス・ドイツでした。
 この大戦は,ドイツにとって「第一次大戦のリベンジ・マッチ」という性格がありました。

 第一次大戦で勝利したイギリス側は,敗けたドイツに重いペナルティを課しました。2度と戦争ができないように,本格的な軍備を禁止し,ばく大な賠償金を課したのです。

 第一次大戦でドイツは,ボロボロになりました。経済は荒廃・混乱して,国民の多くが苦しみました。しかし,イギリス側は苛酷な要求をしたのです。

 ドイツはその後立ち直り,1920年代には安定した時期もありました。しかし,1929年にはじまった世界大恐慌をきっかけに,ふたたび政治・経済は混乱しました。

 そんなドイツで「愛国心」を訴え,「立ち上がろう」と呼びかけたのが,ヒトラーでした。

 1933年に選挙を通して政権を得たヒトラーは,政治的手腕を発揮して,大恐慌後の経済の混乱をおさめることに成功しました。そして国民の圧倒的な支持をもとに絶対的な独裁者になったのでした。

 その後,ヒトラーは軍事増強をすすめます。「イギリスへのリベンジ」「ドイツが最強であることを示す」といったことがヒトラーの目標でした。

 1930年代後半になると,ヒトラーは「目標」の実現に向けて,周辺諸国への侵略をはじめます。そして,途中までは連戦・連勝でした。一時はフランスを含め,ヨーロッパ大陸の主要部をほぼ制圧してしまったのでした。第二次世界大戦は「ヒトラーの戦争」だったといえるでしょう。

 しかしけっきょく,イギリス・アメリカとの戦いに敗れて,ナチス・ドイツは崩壊してしまいます。
 
 戦後,ドイツは東西に分割され,1990年に再統一されるまで,その状態が続きました。分割されたドイツは小粒になって,「二番手」ではなくなりました。

 ***

 第二次世界大戦後の世界は,新しい「一番手」と「二番手」の時代になりました。
 新しい一番手は,アメリカです。
 二番手は,ソ連(ソビエト連邦)です。

 ソ連は,1917年にそれまでの帝政ロシアの政権が倒されて成立した,社会主義国家です。

 社会主義体制となったロシアは,その後今のウクライナ,カザフスタン,バルト三国等々の周辺諸国を併合して,巨大な連邦国家をつくりました。それが「ソビエト連邦」です。この国は1991年の体制崩壊まで続きました。

 アメリカは,それまでの「一番手」であったイギリスと戦わずして,「新チャンピオン」となりました。
 すでに1800年代末に,アメリカの工業力は,それまでトップだったイギリスを超えて世界一になっていました。

 ただ,当時のアメリカはまだまだ「新興国」で,軍事力や文化の力を含めたトータルな実力では,「イギリスをしのいでいる」とはいえませんでした。

 しかし,第二次世界大戦後には,アメリカは世界のなかで圧倒的な存在になっていました。
 アメリカじたいがさらに発展したことに加え,イギリスは戦争のダメージが大きく,多くの植民地も失って,すっかり勢いをなくしたからです。

 そんななか,新しい「超大国」としてソ連が頭角をあらわしたのでした。

 これまでの話では省略していましたが,じつはソ連=ロシアは,ナポレオンやヒトラーの野心をくじくうえで大きな役割を果たしています。

 ナポレオンもヒトラーも,「第一の敵」はイギリス(とその陣営)でしたが,ロシアを「もう一つの重要な敵」として位置づけ,戦争をしかけているのです。そして,両者ともロシアとの戦争をはじめたことで,「泥沼」にはまっていきました。

 さらに,ナポレオンもヒトラーも,ロシアとの戦いには敗れました。それが契機となって最終的な敗北へと転げ落ちていったのでした。

 ロシアは歴史的に「二番手の野望に立ちはだかった国」だったわけです。

 しかし,第二次世界大戦後のロシア=ソ連は,自らが「一番手に敵対する二番手」となりました。

 ソ連は,巨大な連邦国家を築くだけでなく,ポーランド,チェコスロバキア,ハンガリーなどの東ヨーロッパ諸国を属国化して「社会主義国の陣営」を組織し,その絶対的なリーダーとなりました。

 その結果,世界のおもな国ぐには「アメリカを中心とする〈自由主義≒資本主義〉の陣営」と「ソ連を中心とする社会主義の陣営」に分かれて対立するようになりました。

 アメリカ側は「西側」,ソ連の側は「東側」とも呼ばれました。両者の対立は1950~60年代にはとくに深刻となり,一時は「核戦争」さえおこりかねない状況でした。「東西冷戦」の時代です。

 米ソが直接戦火を交えることはありませんでした。しかし,朝鮮戦争のような「代理戦争」はありました。つまり,ある国において,米ソそれぞれがかかわる勢力が激しく戦うということがあったのです。

 そして,地球を何十回も滅ぼすことができるほどの核ミサイルを配備して,おたがいににらみあっていたのです。戦火を交えなくても,ほとんど臨戦状態。だから「冷戦」というわけです。「冷戦こそが第三次世界大戦だった」といってもいいかもしれません。

 冷戦時代のソ連には勢いがありました。1950年当時の世界で,GDPが最大だったのはアメリカで,世界のGDPの27%を占めていました。そして,第2位はソ連で,10%を占めていたのです。3位はイギリスで,7%でした。(アンガス・マディソンの前掲書による)

 また,1957年に世界ではじめて人工衛星を打ち上げたのも,1961年にはじめての有人宇宙飛行に成功したのもソ連でした。そのような力があったからこそ,アメリカに対抗できたのです。

 しかし,ソ連の勢いは続きませんでした。ソ連の社会主義体制は,あまりに非効率で理不尽で,人びとの創意やエネルギーをダメにしてしまうものでした。

 1970年代以降は,ソ連のさまざまな歪みがしだいにはっきりしていきます。
 1980年代には,政治も経済も明らかにボロボロになっていました。科学技術でも西側に大きく後れをとるようになりました。1980年代後半にはゴルバチョフという改革者があらわれて再編成を試みますが,けっきょく1991年にソ連は崩壊してしまいました。

 つまり,「二番手ソ連」は,「一番手アメリカ」との戦いに敗れ,崩れ去ったのです。自滅していった,といえるでしょう。

 ***

 ソ連のあと,強力なアメリカへの挑戦者は,あらわれていません。

 ただし,1980年代の日本は「二番手の経済大国」として,アメリカに経済の戦いを挑んだ」といえるのかもしれません。

 高度経済成長(1950~60年代)を経た日本は,1960年代末までには西ドイツやソ連を抜いて「GDP(GNP)世界第2位」の経済大国になりました。

 1990年には,日本のGDPは世界の14%ほどを占めるようになっていました。これは,世界1位のアメリカに対し5割の規模です。

 日本がこれまでに「1位との差」を最も縮めたのは,このように「アメリカの半分」に達したときでした。
 しかし,前にも述べたように今の日本のシェアは世界の7~8% で,アメリカの3割になっています。

 1980年代には,自動車などのさまざまな日本の工業製品が世界を席巻しました。
 日本からの大量の輸出品が,欧米の国内産業をおびやかしたために,両者のあいだの政治的対立,つまり「貿易摩擦」がとくにはげしくなったりもしました。
 この「貿易摩擦」は,日本にとって最大の貿易相手であったアメリカとのあいだで,最も深刻でした。

 また,1980年代後半の日本企業は,積極的にアメリカの不動産を買収したりもしました。その買収物件のなかには,アメリカ人にとっておなじみの有名な建物・施設もあったので,アメリカ人の反発も生じました。

 「日本はやがて世界一の経済大国になる!」と息巻く「識者」も,当時はいたのです。若い人には信じられないかもしれませんが。 

 しかし,ご存じのとおり,そのような日本の勢いは続きませんでした。

 1990年代初頭の「バブル崩壊」以降,日本経済は長い低迷期に入ります。世界のGDPに占める割合も低下するなど,世界のなかでの存在感もやや薄れてきています。2010年代には,「GDP世界2位」の座も中国にとって替わられました。

 1980年代から今日に至る日本は,「〈二番手〉としてささやかに・平和的にアメリカに挑戦し,敗れ去った」といえるでしょう。

 これは,第二次大戦の「敗戦」以来の,大きな「負け」です。

 大戦のときは,「二番手」などまだ遠くおよばないレベルのうちに,アメリカという巨大な「一番手」に無謀な挑戦をして,悲惨な結果となりました。1980年代には,大きく成長した「二番手」として再挑戦しましたが,やはり勝てなかったのです。

 ***

 そして,2010年代の今,中国という新しい「二番手」が姿をあらわしてきました。
 この新しい「二番手」がどのようなスタンスや行動をとるかで,世界は変わってきます。

 中国の人びとは,ここで述べたような世界史の基本的な事実は,しっかりふまえておいたほうがいいでしょう。

 つまり,「二番手が,戦争というかたちで一番手に挑戦するたび,世界は大きな混乱や不幸にまきこまれてきた」ということ。

 そして,だいじなのは「いつも二番手は,一番手に負けてきた」ということ。

 そういうと,「アメリカによる世界支配を肯定するのか」と,怒る人がいるかもしれません。

 でもこれは「アメリカの優位を良しとする」というのとは,別次元のことだと思っています。とにかく「事実」をしっかりおさえよう,ということです。

 イギリスまたはアメリカが中心の「世界秩序」への挑戦は,この300年間,つねに悲劇を生み,失敗してきました。この「挑戦」に立ちはだかる壁は,きわめて厚いのです。

 「それはなぜなのか」については,ここでは踏み込みません。
 ただ,少しだけ述べておくと,それはけっきょく「近代の文明の威力」ということだと思います。

 1800年代のイギリスと,1900年代以降のアメリカは,世界において「近代」のトップランナーでした。近代的な科学技術や政治・経済の運営において,トップを走っていたのです。

 ほかの国が部分的に何かで上回ることはありました。一時期のドイツの科学技術や,日本の工業や,ソ連の宇宙開発などは,そうです。しかし,「近代の遺産をトータルに使いこなす」という点では,かつてのイギリスや今のアメリカをしのぐ国はあらわれなかったのです。

 その意味で私は,「勝利してきたのは,イギリス,アメリカといった個々の国家というよりも,それらの国の力の源となった〈近代の文明〉ではないか」と思っています。

 そして,「近代の文明」はイギリス,アメリカの独占物ではないはずです。

 それはこれまで,世界のさまざまな国ぐにが「近代」を受け入れること,あるいはより高いレベルで受け入れることによって,発展してきたのをみればわかります。明治以降の日本は,そのいい例です。

 また,アメリカだって,もしも将来「近代の精神」を失っていくとすれば,衰退していくにちがいありません。

 「挑戦して敗れた」国のうち,フランスやドイツや日本の人びとは,多かれ少なかれ,「近代の威力」というものを思い知ったのでしょう。

 だからこそ,それらの国ぐには,「敗れた」のちはイギリス・アメリカ陣営に加わりました。それに反対する人もいた(今もいる)わけですが,かなりの人が「あっちへ加わったほうがいい」と感じたのも事実でしょう。だから,現在がある。

 不安なのは,今の中国の人たちは,まだ「思い知っていない」ということです。
 かつてのフランス人やドイツ人や日本人のような大やけどをしていない。

 だから,無邪気に「これからは中国が世界を制覇する」「中華帝国を復興しよう」などという人が,エリートにも庶民にもいるわけです。

 中国人は,歴史に学ぶことができるでしょうか?

 むずかしいかもしれません。なにしろ,社会主義や冷戦を経験し,一度は「やけど」をしたはずのロシア人でさえ,今の政権のもとで「西側」への挑戦的な姿勢を強めているのです。

 しかし,むずかしいのだとしても,「歴史に学ぶ」ことについては,私たちはくりかえし確認しなくてはいけないはずです。

(以上)
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