2016年01月23日 (土) | Edit |
 最近,鈴木賢志『日本の若者はなぜ希望を持てないのか』(草思社,2015)という本を読みました。
 内閣府が2013年に実施した『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』について,分析・解説した本です。この「調査」は,日本および6つの国(アメリカ,イギリス,スウェーデン,フランス,ドイツ,韓国)の13歳から29歳までの若者を対象に,共通の質問項目で行ったもの。

 その「調査」の質問項目に「あなたは,自分の将来について明るい希望を持っていますか」というのがあります。回答の選択肢は「希望がある」「どちらかといえば希望がある」「どちらかといえば希望がない」「希望がない」の4つ。
 
 この問いに対し,日本の若者の若者の12%が「希望がない」,26%が「どちらかといえば希望がない」と答えています。両者を合わせると4割弱(38%)になります。これは,ほかの6か国にくらべ,明らかに高い数値です。
 「希望がない」」と「どちらかといえば希望がない」の合計値は,日本が38%であるのに対し,アメリカ9%,スウェーデン9%,イギリス10%,韓国14%,フランス17%,ドイツ18%なのです。(23ページ)

 つまり,日本ではほかの国ぐによりも将来に希望を持っている若者が,明らかに少ないのです。

 この調査結果は,一部の人たちの間では衝撃的なものとして話題となりました。
 しかし本書の著者の鈴木さんによれば《「こんな国だから,やっぱりね」という反応があっただけで,特に議論が深まることがなかった》(201ページ)のだそうです。そこで議論を深めるためにこの本を書いたと。

 さまざまな分析をしたうえでの鈴木さんの本書での結論はこうです。

《本書では,経済的な不安定さや,家庭生活に対する不満,友人関係の希薄さ,学歴や仕事の有無など,日本の若者が希望を持てない要因をさまざまな角度から示してきた。それらを一言でまとめると,日本では,現状のマイナス要因が将来の希望度を引き下げる度合いが強いということだ。たとえば受験や就職で一度失敗すると,それをなかなか挽回できない。将来に希望を持っている若者の少なさには日本の社会システムの硬直性が端的に表われている》(200ページ)

 「現状のマイナス要因が将来の希望度を引き下げる度合いが強い」というのは,「一度落ちこぼれると,挽回が難しい」ということ。日本社会にはそういう硬直性がある。「今はダメでも,明日はなんとかなる」という希望を抱きにくいのです。

 たとえば,日本では「学校を中退・休学中」の若者が,将来に「希望がない」または「どちらかといえば希望がない」と答える割合が,ほかの6か国よりも極端に高いです。

 日本では「学校を中退・休学中」の若者の,「希望がない」「どちらかといえば希望がない」という回答は合計で72%。「大学・大学院を卒業」の若者は,42%。「中学・高校を卒業」だと56%。若者全体だと(さきほどみたように)38%です。学校を中退・休学することは,若者の将来への希望度を大きく引き下げている。(99ページ)

 これに対し,アメリカでは「学校を中退・休学中」の場合,「希望がない」「どちらかといえば希望がない」の合計は14%です。「大学・大学院を卒業」だと6%。「中学・高校を卒業」では18%,若者全体だと9%です。(101ページ)

 アメリカでは「中学・高校を卒業」の若者のほうが「中退・休学」よりも希望度が低かったりします。つまり,「中退・休学」の希望度に対する影響は日本ほどではないのです。

 ***

 日本社会の硬直性が,若者の将来への希望度を引き下げている。
 日本では,若者が一度落ちこぼれると「もうダメだ」と思ってしまう傾向が強い,ということです。

 私は,若い人の就職の相談に乗ったりする「キャリア・カウンセラー」のはしくれなのですが,以上のことは自分の経験してきた現場の感覚とも合致します。

 たとえば日本では,20代半ばまでに正社員として就職しないと,その後の職業選択で大きなハンデを負うことになります。正社員になることが相当に難しくなったり,正社員になれるとしても選択の幅が大きく制限されたりするのです(この「選択の幅の制限」ということが,とくに大きいと感じます。「正社員になれない」というよりも「思うような正社員の職に就きにくくなる」ということです)。

 もちろん,カウンセラーとしては,ハンデを乗りこえるための突破口を相談者とともに懸命に考えます。そして,動けば一定の突破口はあるものです。

 でも20代後半の正社員経験のない方の相談にのっていて「この人があと3歳若かったら,希望に沿った就職が,もっと容易にできたはずなのに」と思うことがある。

 また,ある調査では,30代前半の非正社員(契約社員,アルバイトなど)の男性が結婚している割合は,同年代の正社員の男性にくらべてはるかに低いです(元の資料がすぐに出てこないので,具体的な数字はまたいずれ)。これは,常識として「そうだろう」と思いますが,調査結果としても確認されているということ。

 20代前半までに就職につまずいて正社員にならなかった場合,その後も正社員になることに困難や制約が生じ,だとすると結婚も難しくなって・・・と,人生全体に大きな影響が出てくる可能性がある。それをなんとかすることも可能なのですが,全体的な傾向としては「若いうちのマイナスを挽回するのが難しい」という実態はあると,私も感じています。

 日本社会の硬直性は,やはりなんとかしたほうがいい。

 鈴木さんは,さきほど引用した部分の続きで,こう述べています。

《日本の社会システムをより柔軟にし,一度失敗して今がダメでも,明日は成功する可能性があると思える世の中にすることが,希望を持つ若者を増やす最も確実な方法である。したがって,そのための努力を重ねていくことは大切だ。もちろん,それは簡単なことではない。しかし少なくとも,現在の日本の社会システムは決して永続的なものではなく,自分たちがそれを変えてゆけるという意識を持てるようになるべきだ》(200ページ)

 たしかにもっともだと思います。
 しかし,社会システムを変えていくのは,鈴木さんもいうように簡単なことではありません。希望を持ちにくい若者が「自分たちで社会を変えていける」と思えるようになるためには,それこそ社会が大きく変わっていかないといけないはずです。「自分1人の状況をよりよい方向へ変えていける」と思えない者が,「社会を変えていける」と思えるでしょうか?

 批判めいたことを書きましたが,鈴木さんの本書は多くの人に読んでもらいたい,すぐれた著作です。ここで取り上げた「結論」も,基本的には同感なのです。社会を変えていかなければ,というのはそのとりだと思います。だがしかし,ということです。

 私は,若者が「希望」を見出すための具体的な道筋として,「社会を変えていける」感覚よりも,とりあえずはもっと現実的なことを考えたいと思います。
 
 一度はマイナスを背負った若者が希望を見出すために必要なものは「情報」なのではないか?
 挽回するための突破口を見出すための情報です。

 それは,この社会の職業世界に対する情報。この社会には会社勤めだけに限っても,じつにさまざまなあり方があって,探せばどこかしらに自分の居場所をみつけることが可能だ,という見通し。そして職業をベースに,自分の生活や人生を全体としてよりよい形で組み立てていけるという感覚。その見通しを持つための根拠となる具体的な知識・情報です。そのベースには「こんな企業からのこんな求人がある」といったレベルの具体性が必要なのではないか。

 いわゆるキャリア教育は,そのような方向をめざしているのかもしれません。
 でも,そこには,情報の具体性という点で足りないものがあるように思えます。
 「地図を読むのは大切ですから,しっかり読みましょう」という教育があっても,自分がいる場所の具体的な地図が示されない感じです。

 それは政治にかんする教育のあり方と似ていると思います。「政治への意識を持ちましょう」という教育はあっても,今の学校だと具体的な政党やそれぞれの思想や政策の方向性を教えることはまずありません。でもそこまでの具体的な情報がないと,政治的な判断(選挙での投票など)はできないはずです(この点は鈴木さんの本書でも触れていた)。

 「世の中の職業世界の具体的な地図」を示せる教師や専門家は,いるのでしょうか?
 私が知らないだけなのかもしれませんが,そのような人を期待するのはむずかしいと思います。つまり,いたとしても希少な存在だということ。

 学校の先生にとって「企業を中心とする職業の世界」は苦手な分野です。キャリア・カウンセラーだって,じつは幅広い職業・企業について知識を持つことは容易ではありません。「私は社会人経験が豊富だ」という人だって,じつは自分が属していた企業や業界以外のことはよく知らないのがふつうです。

 私がここでいう「職業の情報」は,社会の中で供給が不足しているのです。少なくとも,必要としている若者の助けになる形での供給が圧倒的に足りない。「生き方」などの「道」を説く人はおおぜいいても,役立つ具体的情報を出してくれる人はそれよりも少ない。キャリアに関わる仕事で多くの若者と話をしてきて,そのことを実感しています。

 個々の相談で私は「突破口を見出す情報」を提供することをこころがけてきたつもりです。うまくできないこともありましたが,とにかくそうしようと努めてきた。
 教師のように「生き方」や「心構え」を説いたりはしません。「気づきをうながす」といったような,いかにもカウンセリング的なアプローチもしないわけではないけど,中心ではなかった。

 最近は,個々の相談以外で「情報の供給」ということに関し,自分にできることはないか,とも考えるようになってきました。
 でも,まだ考えがまとまりません。ただ,その「供給」については,若者に直接,ということもあるのですが,先生やカウンセラーや親御さんなどの若者を支援する大人たちに対して,ということも重要なのだと思っています。今の私は,後者のほうにむしろ関心があります。

 そもそも大人たちがこの社会の職業や仕事について,若者によいアドバイスができるほどにわかっていないのかもしれない。私自身も,もっと勉強しないと,とは思います。このあたりは,また別の機会に述べたいと思います。

(以上)
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2016年01月20日 (水) | Edit |
 今年最初の記事が,こんな時期になってしまいました。
 遅ればせで恐縮ですが,今年もよろしくお願いいたします。

 新年にふさわしい,明るい展望でも述べたいところですが,最近思うのは「日本は,やはりまだ近代化の途上にある」ということです。テレビのワイドショーをみて思うのです。

 たとえば,バラエティーで活躍する女性タレントさんが,妻子あるミュージシャンの男性と「不倫(を疑われること)」をしたというので,重々しい調子で謝罪の会見をしていたこと。
 
 女性タレントさんは,なんであんなに謝っているのか? 誰に?
 不倫は,おもに不倫相手の配偶者を傷つけるものです。だから,悪いことをしたと思うなら,傷つけた相手にまず謝まるのがいいはずです。つまり,当事者間の問題です。なのに,テレビの場で「世間様」や「関係者」に謝ることが,とにかく大事なようです。

 おととい(18日)の夜は,テレビでスマップがみたこともない沈痛な様子で謝っていました(木村拓哉さんは,ややちがう立場のようでしたが)。

 これは,何について,誰に対し謝っていたのでしょうか?
 「独立騒動で,ファンのみなさんに心配かけてごめんなさい」という感じではありませんでした。自分たちの所属事務所の経営者(社長と副社長)に謝っているようにみえました。

 スマップの属する世界では,恩義あるボスと対立したことは,何よりも悪いことのようです。テレビでさらし者になって,ひたすら詫びないといけない。

 でも,今回の「独立騒動」は,スマップの属するジャニーズ事務所という一企業でのもめごとにすぎません。
 スマップを育てたという功績のある役員と,創業者一族である社長・副社長らの対立に端を発しています(その点は,多くの報道が一致している)。会社の中の派閥争い,あるいは「お家騒動」です。その争いの中で,どちらの側につこうとも,それ自体が法や倫理に触れるということはないはずです。(メンバーのうち木村さんを除く4人は,自分たちを育てた役員の側について独立しようとした,とのこと)
 
 派閥争いに負けた側が,その会社の中で恥辱を受ける,ということは本当は望ましくありませんが,現実にはあるでしょう。でも,社内の派閥争いに負けた人間に,勝った側が「テレビに出て謝罪しろ」と強要したとしたら,どうでしょう? おかしいですね。

 しかし,先日のスマップの生放送は,それと似たようなものだったと思います。あれは「会社の派閥争いで負けた側の社員が,勝った側の創業者社長に謝っている」というものだったのです。おかしな放送です。

 あの謝罪は所属事務所側によって作られたものをメンバーが読んだだけだった,とする報道もあります(例えば『東京スポ―ツ』1月21日号)。*1月20日21時付記

 でも,それをさほど異常とは感じない雰囲気が,日本の社会にはあるような気がします。
   
 たぶん,「恩」や「義理」を根拠に権威を持つ「ボス」というものが,今も日本の社会では力を持っているのです。大小さまざまなボスが社会のいろんな場所にいて,それに逆らったらひどく罰せられるということです。たとえスマップであっても例外ではない。そのような感覚が,多くの人の前提になっている。だから,テレビ局はあんなものを放送してしまう。

 タレントの独立について「せっかく育てたタレントが独立してはプロダクションが成り立たない」と言われます。でも,ほんとうはそういう問題は,契約関係を整理することで,つまり「お金」で解決できるはずです。独立するタレントは,育ててくれた会社に何らかのかたちで相応のお金を払うようにする。それが「近代社会」というものです。

 「オレが育てた以上,オレの元を離れることは一生許さん,逆らったらこの世界で生きていけないようにしてやる」なんて,職業選択の自由がなかった前近代そのものの発想です。テレビのワイドショーでは,その異常さについて,あまり言いません。前近代な「芸能界の掟」が,芸能界と関係ない人たちのあいだでも「そういうものだ」と通用してしまっているところがある。

 法や個人や人権が,「世間様」や「ボス」を前にすると,たちまちあいまいになってしまう。

 私たちは,まだまだ近代化の途上にあるのです。そこらへんを,2016年の日本は「スマップ騒動」を機に反省し,近代化をおしすすめたらいいでしょう。

(以上)
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