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2016年03月24日 (木) | Edit |
 このブログでは「世界史」をひとつの大きなテーマにしています。最近の海外のニュース――たとえばアメリカ大統領選のトランプ候補のことや先日のベルギーのテロといったことをみていると,世界史のなかの,衰退期に入ったローマ帝国の状況と現在を重ねあわせてしまいます。やや長くなりますが,それはつぎのようなことです。
 
西ローマ帝国の滅亡とゲルマン人

 ローマ帝国は西暦100年代に最盛期となりましたが,400年代にはその西半分(西ローマ帝国)が滅亡して,それまでの体制が大きく崩れることになりました。内乱や「ゲルマン人」といわれる人びとの帝国への侵入が,その直接の原因とされます。

 ゲルマン人とは,ローマ帝国の周辺であるヨーロッパの東や北の辺境で素朴な暮らしをしていた人びとの総称です。いくつかの系統の部族を,まとめてそう呼ぶのです。

 たしかにゲルマン人は,西ローマ帝国の滅亡に関わっています。410年には,西ゴート族というゲルマン人の一派の王である,アラリックの軍勢がローマ市を占領しました。476年には東ゴートの一部族の王で,ローマの傭兵隊長でもあったオドアケルが反乱をおこし,ローマ皇帝を廃位しています。これが「西ローマ帝国の滅亡」です。

 しかし,それ以前にもゲルマン人は,ローマ帝国に入り込んでいました。農業での労働力不足を補うため,多くのゲルマン人が農民として,公認で移住していました。また300年代には,ローマ軍の主力もゲルマン人で占められるようになっていました。

 さらに,政府高官に登用されるゲルマン人さえいました。そのような高官のゲルマン人は,立派なローマ的な教養や文化を身につけた人びとでした。彼らの能力は高く,一時期は相当な影響力をふるいました。

 ローマ史家の弓削達によれば,当時のローマでは《すぐれた高位のゲルマン人に対するあこがれも生まれ,ローマ市内でローマ人が……ゲルマン風毛皮コートを着用し,ゲルマン人風の長髪をなびかせるなどの流行さえ生まれた》といいます。(『ローマはなぜ滅んだか』講談社現代新書。以下,もっぱら弓削の著作に沿って話をすすめます)

「反ゲルマン」への転換

 しかし,その一方で「反ゲルマン」の人たちも多くいたのです。「あいつらは所詮野蛮人じゃないか」「あいつらのせいでローマの伝統の良さが失われる」「ローマにとって危険だ」というわけです。

 そこで,「ゲルマンのローマへの浸透・その活躍」は,ネガティブなことが起きると,とたんに終わりました。

 西暦400年代初頭には,当時の西ローマ帝国で最も権限をふるっていたスティリコというゲルマン人の高官に謀反の疑いがかけられ,彼は処刑されてしまいました。おそらくは政敵による陰謀です。

 この事件をきっかけに,ローマにおけるゲルマン人への対応は変わっていきます。帝国内に住むローマと同盟関係にある部族の人びとを,ローマ人が虐殺したりもしました。その結果,それらの部族の兵士3万人は,ローマと緊張関係にあった西ゴート(ゲルマン人の一派)のアラリック王のもとに合流してしまいました。前に述べたように,アラリックはのちに(410年),ローマ市を占領します。

人材の喪失による,政治・外交の衰え

 また,スティリコの処刑以降,ゲルマン人が歴任してきた軍の最高司令官のポストに,ゲルマン人が就くことはなくなりました。しかし後任者たちは,ゲルマン人の司令官よりも能力が低く,軍隊はそのぶん弱体化したのです。ゲルマンのすぐれた人材を登用しなくなったことは,西ローマ帝国の政治をさらに衰退させました。

 そこで,当時西ローマ帝国の近辺に拠点を持ち,ローマにとって脅威となっていた西ゴート族への外交的な対応も,拙劣になっていきました。弓削によれば,西ゴートの王アラリックに対し《譲るべきときに拒否を重ねた》のです。そして西ローマ皇帝がアラリックに軽蔑的な暴言を吐いたために,アラリックのローマ進軍を招いたといいます。

 当時の西ローマの政権には,ゲルマン人を「まっとうな外交の対象」としてみるセンスが欠如していました。それが相手の怒りを招きました。しかし,アラリックたちの軍隊のほうが,無能な司令官しか残っておらずガタガタになったローマの軍隊よりも強かったのです。410年,アラリックはローマを占領してしまったのでした(ただし,同年にアラリックは病死)。

もっと冷静に対応すべきだった

 ローマ帝国は,やはりゲルマン人への対応を誤ったといえるでしょう。

 西ローマの政権は,もっと冷静に対応すべきでした。まず,ゲルマン人をとにかく「人間」として認める。そのうえで,自分たちに敵対しない,あるいは有益であるなら,それなりの処遇をする。説得や妥協をすべき対象として,交渉する。聖人のように寛容である必要はない。自分たちの立場や利益を優先し,自らの優位な点は利用するズルさがあっていい。

 でも,スティリコの事件のときのような,損得を度外視したヒステリックな感情に走るのは,よい結果を生まないはずです。要するに「柔軟さ」や「寛容」を失ってはいけないということです。

 さて,ここで述べたゲルマンと西ローマの関係は,今現在の世界で起きていることを考える参考になるはずです。たとえば「西ローマ」は「欧米」に,「ゲルマン」は「アラブ」「イスラム」に置きかえることができるでしょう。あるいは,ローマ人の主流を現代アメリカの白人になぞらえてもいいでしょう。その場合,ゲルマンにあたるのは黒人・アジア人などの白人以外の人びとです。

 現代のアメリカは,白人の比率が低下する傾向にあります。1960年にはアメリカの人口に白人が占める比率は85%でしたが,2010年には64%に下がりました。「2060年には白人の比率が4割程度になる」という予測もあります(以上,アメリカのシンクタンク,ピュー・リサーチセンターが2014年に発表したデータ・予測)。
 
 白人以外のアメリカへの移民が増えたことで,そのような変化が起きたのです(さらに,人種間の結婚が増えたこともある)。そして,白人以外から政府高官や先端的な大企業の経営者など,社会を動かす人たちも続々と出てきました。

 これは,かつてのローマ帝国でゲルマン人が浸透していった様子と重なります。つまり,「文明の中心」に向かって「周辺」から多くの人びとがさかんに流れ込む動きが,現代の世界でも古代のローマ周辺でもみられるのです。近年の西ヨーロッパでも,アラブからの移民や難民の増加ということがあります。

 トランプ候補のような人物の、「周辺」の民族への差別的発言に一定の強い支持があることの根底には、以上のようなアメリカ社会の変化があるのでしょう。つまり「周辺」の人びとが、「中心」のなかに大きく入り込んで、大きな勢力になってきている。その動きのなかで,それまで「中心」のなかで主流だった人たちが不遇な目にあうこともある。少なくとも「焦り」が生じる。トランプ氏は、そこからくる不満や焦りの受け皿になっている(クリントン候補は,そういう「受け皿」になる資質やセンスが欠如している)。

 じつは,ここで引用したローマ史家の弓削達も,発展途上国から欧米先進国への移民や難民の流入と,ローマへのゲルマンの侵入を重ねあわせて論じています。当時のローマ人によるゲルマン人への対応を批判することは,現代人に「ボートピープルを笑顔で受容れよ」「外国人働者を大切にせよ」などというのと同じで,《非現実的な勧告に響くかもしれない》と。
 弓削の著作は1980年代に書かれたものですが,その後の世界情勢をみれば,的確な問題意識だったといえるでしょう。
 
 「周辺」から「中心」への人びとの流入は,さまざまなあつれきを生みます。現在(2010年代)の欧米諸国でも,イスラム教徒や非白人全般に対する差別・排斥の動きは,たえずくすぶっています。それが激化する可能性は,今後も常にあるはずです。
 
 しかし,「文明の中心といえるような大国であっても,柔軟さや寛容を失えば衰退と崩壊への道を歩む」ということは,歴史の教訓として忘れてはならないはずです。現代の「文明の中心」の人びとは,古代のローマ人よりは賢いはずだと期待していますが,どうでしょうか……

 先日のベルギーのテロや,昨年のパリでのテロのようなことがあると,テロの攻撃を受けた社会の「柔軟さ」や「寛容」は,大きく崩れてしまう恐れがあります。すでにそうなりつつあるのかもしれない。それが,テロを仕掛けた側の狙っているところではないでしょうか。

 今後,欧米などの先進国において,イスラム(テロと関係ない人たち)への差別や迫害が強くなれば,欧米の社会になじんでいた,あるいは欧米寄りだったイスラムの人びとの中から,テロを仕掛けた側に同調する人が増えるのです。古代ローマでは、ゲルマン人高官スティリコが謀反の疑いで処刑されたあとゲルマン人への迫害が起きた結果,3万人のゲルマン兵が強敵のアラリック王のもとへ亡命したのですから。

(以上)
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2016年03月08日 (火) | Edit |
 今日3月8日は漫画家・水木しげる(1922~2015)の誕生日。

 そこで,水木しげるの言葉をひとつ紹介(水木『がんばるなかれ』より)。

 じっとしていれば餓死です。

 水木は40歳過ぎまで売れず,貧乏には苦しみました。下積み時代の原稿料は安く,なんとか漫画で食べていくため,がむしゃらに働き続けたといいます。そのころの自分を振り返って,述べた言葉。今の私たちはたぶん文字どおりの「餓死」の恐れはないでしょうが,いき詰まって止まっているとき,この言葉を思い出して動こう。

 餓死です 修正

 最近更新がまた疎かになっていますが,元気でやっています。
 世界史の通史の冊子をつくるという作業に,時間を費やしております。この冊子,当初考えていたよりも内容もお届けする範囲も拡大するかたちになりそうです。

(以上)
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