2016年05月19日 (木) | Edit |
 5月19日は,剣豪・宮本武蔵の命日です。
 そこで彼の「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズで,ときどきこのブログでのせています。100人分くらいを集めて,ディスカバー21という出版社から電子書籍も出版しています。(アマゾンなどで販売中)

 * *

宮本武蔵(みやもと・むさし)

なぜ歴史に名を残したのか

 宮本武蔵(1584~1645)は,「生涯に60回余りの真剣勝負をして負けなかった」といいます。でも,ある研究によれば,「記録で具体的に確認できる生涯の対戦は十数回ほど」ともいいます。
 「剣豪」としての武蔵は,じつはそれほどではなかったのかもしれません。少なくとも,彼くらい強い人は歴史上ほかにもいたようです。
 では,なぜこれほど彼は名を残したのでしょう? それは,『五輪書』という「史上初の本格的な武道論」の本を,晩年に書き残したからです。武蔵がとくに有名な剣豪として語り継がれたのは,この本の内容がすぐれていたからなのです。
 単に自分が強いだけでは,歴史に名を残すことはできません。自分がつかみとった価値ある何かを,後世にも利用できる遺産として残していくことが大切なのです。

南郷継正著『武道への道』(三一書房,1979)に教わった。ほかに参考として,久保三千雄著『宮本武蔵とは何者だったのか』(新潮社,1998),魚住孝至著『宮本武蔵』(岩波新書,2008)

【宮本武蔵】
江戸時代初期の剣豪。若いころ関ヶ原の合戦(1600年)に参加。その後諸国を巡り,強敵を倒して名をあげる。晩年は熊本の大名・細川家に落ち着き『五輪書』を書く。絵画などの美術製作でもすぐれていた。
1584年(天正十二)?生まれ(1582年説あり)
1645年(正保ニ)5月19日没

 宮本武蔵

 * *

 では,武蔵の『五輪書』にはどんなことが書かれているのか。
 冒頭の,さわりの部分だけでも読んでみましょう。
 原文を現代語訳したもの(鎌田茂男『五輪書』講談社学術文庫による)を,さらに私が若干要約・編集した「和文和訳」です。

 《私の兵法(剣術・武術)の道を「二天一流」と名付け,これまで鍛錬してきたことを,はじめて書物に書きあらわすことにする。播磨(兵庫県)生まれの武士である,この宮本武蔵は,60歳になった。

 私は若いときから兵法の道を歩み,13歳のときにはじめて勝負をして勝った。その後21歳のとき京都へのぼり,天下に知られた武芸者と何度か勝負をして,すべて負けなかった。その後,諸国をめぐって60回余りの真剣勝負をしたが,一度も負けたことはない。

 以上は,13歳から20代おわりまでのことだ。
 その後,30歳を過ぎたころから,私は自分の足跡を振り返るようになった。

 私が勝ってきたのは,はたして兵法を極めたからだったのか?
 生まれつき武芸の才能があったからだろうか?
 それとも,対戦相手の武芸が不十分だったということなのか?

 その後,さらに深く兵法を極めようと,私は鍛錬を続けた。
 すると,「兵法の道」といえるものがみえてきて,それにかなうことができるようになった。私が50歳ころのことである。
 それ以後は,新たに究めつくすということはなく,月日を送っている。

 私は,兵法以外にも,いろいろなことに取り組んできた。絵を描き,書をたしなみ,仏像を彫ったりもした。そうしたすべてのことについて,私に師匠はいない。すべては兵法から学んだのだ。

 今,本書を書くにあたっても,兵法それ自体にのみ即して,兵法の世界について述べたいと思う。
 つまり,仏法,儒教,道教などの言葉を借りたりせず,軍記などの故事を用いたりせずに,自分の兵法の真実にせまりたい。》


 どうでしょう。
 この冒頭の部分だけでも,『五輪書』の精神が,なんとなく伝わってくるように思いませんか。

 その「精神」とは,一種の「リアリズム」とか「合理主義」のようなもの。
 「科学」や「技術」の精神の芽生えも,そこにはあるように思えます。

 私は,はじめてこの本を読んだとき,思っていた以上に「近代的」な内容だと,新鮮に感じました。

 ほかにもたとえば,武蔵の「リアリズム」を述べた,こんなくだりがあります。
 「兵法とは,武士とは何か」ということを論じた箇所です。
 また「和文和訳」で,ご紹介します。

 《兵法とは,武士のたしなむ道である。
 仏法では人を救うという「道」があり,医者には病をなおすという「道」があるようなもの。

 武士たるものは,たとえ才能がなくても,自分の能力に応じて兵法(剣術・武術)を修業しなくてはならない。 

 なぜか?
 世の中では,「立派に死ぬことこそが武士の道」だと思われているようだ。
 でも,そのような「死ぬ覚悟」は,武士の専売特許ではない。
 僧侶であっても,女性であっても,百姓であっても,正義や誇りのために死を覚悟するということはある。

 では,武士が武士であるとは,何によるのか?

 それは,敵と戦って勝つための兵法=剣術をたしなんでいる,ということによる。

 武士が兵法を行うのは,どんな状況でも,なんとしても,敵に勝つためだ。
 それによって,主君のため,自分自身のために名をあげ,身を立てる。これが兵法の「意味」といっていい。

 世の中には「兵法など習っても,実戦には役立たない」という人もいる。
 しかし,大事なのは実際に役に立つように兵法を学ぶことだ。そして,戦い以外のあらゆることについても役立つようなかたちで,兵法を学ぶことである。
 それこそが,真の兵法というものだ。》


 * *

 ところで私は,この3年ほど毎年『そういちカレンダー』というものをつくって,ささやかに販売しています。
 このブログの記事をもとに編集した「雑誌感覚の読むカレンダー」といえるもので,さまざまな人物についての「四百文字の偉人伝」も,各月にのっています。こんなカレンダーです。
 カレンダー使用例 (2)

 このカレンダーは,妻が主宰している「奈昌書道教室」にも貼っています。
 5月のページには,宮本武蔵の「四百文字の偉人伝」が。
 以下,妻からの報告。

 先日,妻の書道教室で小学生の生徒の男の子が,カレンダーをみて「あ,宮本武蔵」と気がついた。
 それを聞いた,大人の女性の生徒さん(男の子からみればお祖母さんくらいの年齢の方)が
 「宮本武蔵,知っているの?」と声をかけました。

 「うん,しっているよ,たくさんの人とたたかって勝ったんだよね」
 「そうねー,でもそれだけではないのよ,みんなの役に立つ本を書いたのよ。このカレンダーに書いてあるでしょう・・・」

 などと会話があったそうです。
 大人の女性の方は,自宅のトイレに『そういちカレンダー』を貼っていて,今月の宮本武蔵の記事を「すごく良かった」と妻に語ってくださったそうです。「記事を声に出して読むんですよ」とのこと。
 
 うれしいですねー
 まさにそのような,カレンダーを通していろんな会話が広がるものをつくりたかったのです!

 奈昌書道教室2015年7月・大人も子どもも
 (奈昌書道教室の様子)

(以上) 
関連記事
スポンサーサイト
2016年05月05日 (木) | Edit |
 今日5月5日は子どもの日ですが,思想家・経済学者のマルクスの誕生日でもあります。
 そこで,マルクスの「四百文字の偉人伝」を。
 古今東西の偉人を,400文字程度で紹介するシリーズで,ときどきこのブログでのせています。100人分くらいを集めて,ディスカバー21という出版社から電子書籍も出版しています。(アマゾンなどで販売中)

マルクス

図書館通いのフリーライター

 1800年代後半の思想家カール・マルクス(1818~1883 ドイツ)の代表作は,『資本論』(第1巻1867年刊)という大著です。これを書いたころのマルクスは,反体制活動で祖国ドイツを追われ,イギリスのロンドンにいました。
 奥さんも子どももいるのに彼には定職もなく,フリーライターの仕事や盟友エンゲルスの支援などでなんとか暮らしていました。家財を質入れすることはしょっちゅうで,債権者が集金に来そうな日には,家族で知人の家に身を隠したりもしました。
 でも,時間はありました。ロンドン市内の大英図書館に通い,経済や歴史の本をノートに抜き書きしながら読みあさりました。それを続けること十余年。抜き書きはノート何百冊分にもなりました。『資本論』は,そんな勉強の成果でした。
 彼の著作は,後世に影響を与えます。1900年代には,「マルクス主義」をかかげる革命が,ロシアなどさまざまな国でおこりました。「ビンボーなフリーライターが図書館通いをして書いた本が,世界を動かした」のです。
 そんな本を書いたマルクスはたしかにすごいです。一方で「図書館も,使い方しだいですごい道具になる」ということにも感心してしまいます。

参考:ブリッグス著,大内秀明監修・小林健人訳『マルクス・イン・ロンドン』(社会思想社,1983),大内兵衛著『マルクス・エンゲルス小伝』(岩波新書,1964),マクレラン著,杉原・重田・松田・細見訳『マルクス伝』(ミネルヴァ書房,1976)

【カール・マルクス】
 『資本論』などの膨大な著作で,後世に「マルクス主義」の教祖とされた思想家・経済学者。1849年以降は終生ロンドンに在住。生涯にわたるエンゲルスの経済的支援と学問的協力のもとで研究を行なった。
1818年5月5日生まれ 1883年3月14日没

  マルクス


 「マルクス主義」というものの評価はともかく,マルクスが後世に大きな刺激――それもきわめて大きな――を与える学問的著作を残したことはたしかです。そういう仕事をするうえで,彼は長い時間をかけて,ぼう大なインプットや探究をしているわけです。

 マルクスが通った大英博物館の図書室(大英図書館)は,当時の世界でダントツに大きな図書館でした。しかも本格的な図書館としてオープンしたのは1850年代のことで,マルクスの時代には最新の施設でした。単に新しい図書館というだけでなく,このような巨大な・よく整備された公共図書館というもの自体の先駆けでした。当時の「世界の中心」といえる大英帝国の首都ならではの施設といえるでしょう。

 マルクスが図書館通いをしたのには,「ビンボーなので思うように本を買えないから」という面もあったでしょう。しかしそれ以上にマルクスは,当時の最新鋭の「情報のインフラ」をフル活用していた,ともいえます。

 才能ある思想家が,その時代なりに豊富な情報に触れ,その情報をトコトン利用し,徹底して時間をかけて材料を集め,自分の体系を構築していった。「才能×情報×時間」ということです。これは,歴史的な書物が生まれるひとつの典型的なあり方だと思います。

(以上)
関連記事
2016年05月03日 (火) | Edit |
 今日は憲法記念日。
 憲法については,いろいろな議論があります。
 その議論も大事とは思います。しかしとにかく,今の日本では,一応は近代国家としての基準を満たした憲法が存在し,問題点はあるとしても一応は機能している。

 憲法記念日は,そのありがたみを再確認する日だと思います。

 この世界には「近代国家の基準を満たした憲法」が存在しない,あるいは機能していない国がたくさんあります。恐ろしい独裁体制となっている北朝鮮はそうですし,それと似た独裁国家は,ほかにもあるわけです。
 
 北朝鮮よりは,はるかに高度な政治を行っている中国でも,たしかに憲法はありますが,そのあり方が「近代国家の基準」を満たすかどうかは疑問です。中国では,国家権力を握っている共産党が憲法の上にある,というのが実態だからです。

 「近代国家の基準を満たした憲法」とは,「憲法が国家権力の上位にあり,国家権力を憲法が拘束する」ということです。「憲法は国家権力を拘束する」という考え方を「立憲主義」といいます。

 それをさらに広くとらえたのが「法の支配」です。これは「法によって国家のすべての構成員は拘束される。国家権力も例外ではない」ということです。そして,法のなかの最高のものであり,国家権力を規制するのが憲法である,というのが「立憲主義」です。つまり,「法の支配」という大枠において,とくに憲法と国家の関係に焦点を合わせたのが「立憲主義」ということです。

 法の支配や立憲主義は,抽象的で理屈として難しいところがあります。同じく近代国家あるいは近代的な憲法の重要な原則である「民主主義」よりも,理解しにくいです。

 民主主義とは,「国の政治に(立法などの意思決定に)国民の多数が参加できる」ということです。その参加は,選挙や国民投票などを通じて行なわれる。こういうことは,ざっくりとなら小学5年生でもイメージできるのではないでしょうか。そこで憲法に関わる議論で,民主主義を否定する主張はまずみかけません。

 だからこそ,世界の独裁国家,つまり民主主義も立憲主義(法の支配)も機能していない国でも,民主主義の体裁だけは取りつくろうことがしばしばある。形だけの選挙をして「投票率100%で99.9%が与党を支持しました!」みたいな茶番を演じたりする。

 かつてのソ連で行われた「民主集中制」というしくみも,この手の偽装です。これは,下位の会議体が選抜・選挙した上位の会議体のメンバーに権限を委譲し,それを何段階も繰り返すことで,最高位の国家指導部に独裁的な権限が付与される,というしくみです。詳しい説明は省略しますが,要するに「多数決によって国のトップに独裁権力をあたえる手続きの一種」ということ。しかし実は「誰が会議体に参加するか」「そこで誰を選ぶか」は,国家権力が決めている。これも,やや手の込んだかたちですが「99.9%が与党支持です」的な選挙と本質は変わりません。

 「民主主義は大切だ」ということは子どもでも一応はわかる。そこで,その外形を装って,国家権力に「正統性」をあたえようとする独裁国家が後を絶たないのです。

 一方,法の支配や立憲主義は,民主主義よりもはるかにややこしいです。だから,多くの議論や批判があります。大新聞によるつい最近の論説でも「憲法が国家を拘束するというのは一方的な憲法観」という主旨のことが書かれていました。

 国家権力があまりにも法や民主主義に拘束されると,本来の役目が果たせなくなる,というのは本当でしょう。

 たとえば仮に,憲法9条による国家への拘束を極端におしすすめて,ほんとうに一切の軍事力の保持または行使をしない「丸腰」の国になったとしたら,無法な外国からの攻撃があったとしても,国を守ることができません。あるいは,大災害などの緊急事態で,政府が行う措置について,具体的にひとつひとつ国会で(民主的な手続きで)話し合って承認を取っていたら,手遅れになってしまいます。だから,実際の私たちの国の政治は,もっと現実的な制度やさじ加減のもとで運営されているのです。

 政府が必要なだけの強い権限を持って効果的に活動できることはきわめて重要です。そのような政府を組織できなかったために,外国の侵略によって滅びた国は,歴史上いくつもあります。たとえば近代において欧米列強の植民地になった国や地域には,その傾向がありました。

 だからこそ,「強力な・機能する政府」と「そのような政府が暴走しないよう拘束すること」のバランスをどうするか,というのが近代国家を運営するうえでの最も重要なポイントです。政府は強力でないと役に立たない。でも,そのような強力な政府は「怪物」のようなもの。怪物がむやみに暴れないようコントロールしないといけない。今回は立ち入りませんが,「三権分立」という国家機構のシステムは,そのような「権力の集中と制約」のバランスを取るために編み出された偉大な発明です。

 充実した福祉国家を実現するとしたら,政府は国民の生活の細部まで入り込んで,膨大な個人情報を手にすることになるでしょう。公平な税負担を実現するためには,すべての個人の財布の中身を十分に把握しないといけない。そのような情報や組織力を持つ政府は頼もしい反面,まさに怪物です。そして,現代の先進国の政府は,それに近い状態になっているのです。これを拘束することはやはり必要です。

 以上のような見方,つまり立憲主義的な思想は,私たちのあいだでどこまで共有できているでしょうか? 

 たしかに主流の考え方ではあります。でも一方で「法の拘束から,国家はもっと解放されるべきだ」という考えは,つねに社会のなかで一定の力を持っているはずです。とくに権力を行使する側の人たちに「法の拘束から自由になりたい」という思いが芽生えやすいのは,当然といえば当然です。そのほかにも,ある種の理念や正義感から「国家を法から解放しよう」という方向で主張する人たちも少なからずいるわけです。

 しかし,法の支配・立憲主義・三権分立を原則から否定した国が大失敗の末に崩壊していったのを,私たちは知っています。

 ナチス・ドイツや日本の軍国主義はそうでした。ソ連の社会主義もそうです。つまり「右」も「左」も法の支配を否定したあげくに破滅しています。中国も,毛沢東の時代のようなむき出しの独裁のままだったら体制崩壊していたでしょう。しかし,1980年ころに大きな路線変更をしたわけです。つまり,共産党の独裁(法の支配の否定)はありながらも,一方で財産権の一定の保障のような,ある程度の「法の支配」も存在する体制になった。妥協と混乱に満ちた体制ですが,そのことで今日の中国の発展があります。

 国家権力を法から解放してはいけないのです。第二次世界大戦のときの日本は,国家権力を大日本帝国憲法の制約から解き放ってしまった。大日本帝国憲法は,近代憲法としては不完全なところがありました。しかし,国家権力をコントロールする一定の機能は,果たしていたのです。昭和の戦争前夜のころから,そのような「拘束」は国の存続や発展にとって有害だとする考えが有力になっていった。

 また,ナチス・ドイツでは最後まで独自の憲法は制定されませんでした。ヒトラーは,憲法を制定すれば,それがたとえ自分の独裁を全面的に肯定するものであっても,どこかで憲法が自分を拘束することになる,とわかっていたのでしょう。

 法の支配の原則の重要性。
 それを理解することや実現することのむずかしさ。
 「国家権力における集中と制約」という課題。

 こういう根本のことを,もっと多くの人のあいだで共有したほうがいいと思います。それには一般的な法律や政治に関する議論だけでは足りません。どうしても歴史(世界史)の一定の知識も必要です。私は世界史に興味があり,このブログでもそのテーマの記事をいくつも書いてきました。私が世界史に関心があるのは,「今の社会のあり方を考えるうえで大事な情報がそこにある」と思うからです。

 以上,憲法記念日にちなんで,大風呂敷なことを述べました。たまには,こういうことを考えてみるのもいいでしょう。

*5月4日追記
 9条(戦争放棄)をはじめとする改憲の議論では,「改憲」か「護憲」かという対立軸のほかに,「立憲主義にたいする理解やスタンス」という軸もある,ということも大事です。改憲論者の中にも,立憲主義の原則を踏まえている人もいれば,「国家を法の拘束から解放すべきだ」と考え,立憲主義に否定的な人もいる。後者にとっては,憲法の9条や96条(憲法改正に関する条項)の改正は,国家を憲法の縛りから解放することの一環です。(96条の改正:憲法改正の要件を緩和して改正しやすくすること)
 護憲派では立憲主義(法による国家権力の拘束)を正面から否定する人は少ないでしょうが,立憲主義の重要性をどこまで認識しているかは,人によって差があるように思います。そして「強力な国家はやはり必要(だからそれをコントロールする必要もある)」という国家観を持つ護憲派の人がどれだけいるかは,私にはよくわかりません。護憲派のなかには「国家などないほうがいい」という,アナキズム(無政府主義)的な夢想に共感する人もある程度いるように感じます。アナキズムの発想からみると,憲法9条的な「軍事力を持たない平和国家」という方向性は,「国家を最小化する」という目標につながっているわけです。私は国家そのものを否定する発想は,立憲主義の否定と同じように「要注意」だと思います。

 以上,要するに「立憲主義否定=国家を好きすぎる人」「無政府主義=国家を嫌いすぎる人」も中にはいるので,そのような人の議論には注意すべき,と思うのです。

(以上)
関連記事