2017年02月26日 (日) | Edit |
トランプ大統領は「アメリカとメキシコの国境に壁をつくる(費用はメキシコに負担させる)」といっています。すでに両国の国境にはフェンスなどがかなりあるので、それをさらに強化するということでしょう。

アメリカとの国境近くにあるメキシコの町には、アメリカへの入国を希望する人たちが、大勢やってきます。夜の闇にまぎれてフェンスを越えていく人も多くいる。そしてかなりの場合、アメリカの国境警備隊につかまって強制送還されたりしている。

国境を越えようとする人の中には、貧困に苦しむだけでなく、犯罪組織の脅威から逃れてきた人も少なくありません。メキシコでは麻薬組織などのマフィアが一般市民に金銭を要求し、拒めば恐ろしい報復をする、といったことがある。アメリカをめざす人の多くは、アメリカ社会の、より安全で快適な環境を欲しているのです。しかし一部には、麻薬などの犯罪を持ち込む人間もいる。

メキシコとアメリカの国境にあるフェンスは、「安全で快適な社会」と、そうではない外部の世界を隔てる「壁」です。壁の内側の人びとが、自分たちを守ろうとして築いたものです。

このような「壁」を、有史以来人間はつくり続けてきました。

中国の万里の長城は、最も有名なものです。秦の始皇帝(紀元前200年代)は、以前の時代からあった、北方の異民族が「中華」に侵入するのを防ぐ壁を、計画的に整備しなおしました。このような「壁」の伝統は、その後の中国に受け継がれていきます。ローマ帝国(100~200年代にとくに繁栄)でも、万里の長城ほどの規模ではありませんが、一部の辺境地域で「蛮族」の侵入を防ぐ壁をつくっています。

さらにさかのぼると、4000年ほど前のメソポタミア(今のイラクなど)でも、そのような壁はつくられました。チグリス川とユーフラテス川の間に挟まれた地域のなかで、両方の川のあいだをつなぐ形でつくられた壁です。

メソポタミアは5000年余り前から、最古の文明が栄えた地域です。その周辺には、メソポタミアという「中華」からみれば「蛮族」の人たちがいて、メソポタミアに侵入する動きがあったのです。

さらに、当時のメソポタミアでは、いくつかの大きな都市を中心として国家ができていましたが、それらの都市は日干しレンガの壁で囲まれていました。

その壁の内側では、数万人の人びとが暮らし、当時の世界では最先端の安全や快適さ、豊富な食料や、美しいさまざまなモノが存在していました。そして、そのような都市へ入ろうとするよそ者は、あとを絶ちません。その中には「ならず者」もいたので、野放図に入れるわけにはいかない。壁をつくらないことには安心できない。

今、トランプがめざしていることは、4000~5000年前のメソポタミアで行われたことと本質的には同じです。こういうところでは、人間は変わっていないのです。

つまり、その時代なりに魅力的な高度の文明が栄えると、その外部から自分たちを守るための「壁」をつくる、ということが有史以来くりかえされてきた。「中華」へ侵入しようとする人々を防ぐ壁です。それは今も続いているのです。

そして、そのような「壁」は長期でみると、結局は破られてきました。中国では始皇帝の時代から数百年以上経つと、北方異民族による王朝ができるようになりました。ローマ帝国も、その西半分(西ローマ帝国)は、多くの「蛮族」が侵入して崩壊していきました。

メソポタミアでも、結局は外部の民族の侵入は防ぐことができず、支配的な民族の交代がおこりました。

アメリカとメキシコの国境にある「壁」も、同じ末路をたどるのではないでしょうか。つまり、長期的には多くの人々の侵入を防ぎきれずに終わる。近年も、メキシコとの国境からのアメリカへの不法入国者は、年間で数十万人から100万人にのぼるといいます。「壁」を頑張ってつくっても、穴だらけになってしまうものなのです。そもそも、国を超えた交通や交流の発達した現代においては、辺境の「壁」にかつてほどの意味はない。

しかし、だからといって「壁」など無意味だ、愚かなつまらないものだ、といって片づけてはいけない。文明のはじまりの時代から、人は自分たちの文明社会を守る「壁」をつくってきたのです。だとすれば、それはきわめて根本的な欲求や感情にうったえるものだといえるでしょう。

もしも、メキシコとの国境に堅牢な壁がつくられたら、「これで守られる」という安心を感じる人たちが、アメリカにはおおぜいいるはずです。その「安心」にたいした根拠などなくてもです。そして、壁をつくった権力者への信頼は高まるのです。

「壁をつくること」は、「外敵から社会を守る」ということの象徴です。それは人々が権力者に求めることのうち、最も基本的な事項なのです。トランプや彼の周辺の人たちは、そのあたりをよくわかっているのかもしれません。

(以上)
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2017年02月18日 (土) | Edit |
一連の記事の3回目ですが、ここから読んでも大丈夫です。

1900年代において、世界の「中心」であり、覇権国であったアメリカ。そのアメリカが「世界の警察官」的な面を後退させ、内向きになろうとしています。「アメリカ優先」という動き。それが進むと、世界はどうなるか。

それぞれの国ぐにには「自分で自分を守る」ことが、以前よりも求められるようになります。それは、国防や外交、そのための国民の動員、治安の維持などの、国家の役割のなかの「統治」にかかわる面の強化を伴います。

このことは、比較的あちこちで言われています。「統治」という言葉はまず使っていませんが、「それぞれの国が独自に行うべきことが増えそうだ」というイメージは、多くの人が語っています。

しかし、ここでいう「統治」以外にも、国家の重要な役割はあります。国民の生活により密着した、さまざまな規制や利害調整、サービス、福祉などにかかわる領域です。これは「行政」といいます。

国家の能力は有限です。だから、国防や治安などの「統治」についての国の仕事や予算が増えると、国民生活により密着した「行政」の面が割を食うことになります。

目につきやすい分野でいうと、社会保障や福祉、学校教育、さまざまなインフラや公共施設の維持管理といった部分で、国の仕事が劣化していく恐れがあるということです。少なくとも、ますます増大するであろう国民の期待やニーズに対応できなくなっていく。期待とのギャップが大きくなっていくのです。

つまり、年金が減ったり、公立学校がひどく荒れたり、穴のあいた道路が放置されたり、公園や図書館が閉鎖されたりするわけです。

このような、国の「統治」面での負担の増大にともなう「行政」の劣化の恐れは、それほどは論じられていません。

経済発展が急速な新興国なら、経済とともに政府の規模や予算も成長しているので、こういう問題はそれほどは生じないのかもしれません。しかし、経済成長が停滞する一方で財政の肥大化に苦しむ先進国では、「行政の劣化」の問題は、とくに深刻になるはずです。先進国では、政府の人的・予算的なリソースを大幅に増やすことはできないので、「統治」を拡充すれば「行政」を削減せざるを得ないのです。

ただし、「行政の劣化」の恐れは、「アメリカの覇権の後退→各国の統治の強化」という流れが明確になる以前に、先進国では財政の悪化(おもに高齢化にともなう社会保障費の負担増による)という面から問題が生じつつあります。

だから、アメリカの覇権の後退→各国の統治の強化(行政が割を食う)という流れは、すでに生じつつあることを後押しする、という意味があるのでしょう。

***

では、国家における「行政の劣化」が進むと、社会のなかでどういう動きが出てくるでしょうか。

政府が生活に密着したさまざまな活動やサービスを十分に供給し得ない社会では、その不足を埋める活動へのニーズが高まるでしょう。かつて国家が行っていたことを、国家以外の存在が行おうとする動きです。

そのような「国家以外の存在」としては、有力な企業、NGOやNPOなどの民間組織、もっとプライベートなサークルなどの人のつながりといったものが考えられます。

それから、国家財政が疲弊しても、地方・地域によっては経済力があって財政などが充実していることがあるので、そのような「有力な地方自治体」という存在も、国家にかわるものとして考えられるでしょう。地方自治体は、ここでいう「政府」「国家」の一部ではありますが、全体として弱った国家の機能を穴埋めする存在として期待が高まるケースが局所的にある、ということです。

つまり、首相や大統領に暮らしを守ってもらう、というだけでなく、どこかの社長・CEOや民間組織のリーダーやある種の知事や市長に守ってもらう、ということがクローズアップされてくる、ということです。

これに関する現象はあちこちで起こっています。最近の一部の大企業は、従来の「株主利益優先」を改めて、公益への貢献を意識した動きをしています。NPOへの関心は、日本ではこの10年あまりで急速に高まったといえるでしょう。「政府はもう頼れないから、仲間とのつながりがセーフティーネットになる」といったことは、最近はかなり言われています。また、有力な自治体で注目を浴びる知事があらわれてもてはやされたりする。

これは、主体的・積極的な立場で考えれば「政府にかわる存在として、新しいサービスをつくりだす貢献をすることが、これからの社会ではきわめて意義のある活動だ」ということになります。企業の公益的な活動、NGOやNPO、ある種のネットワークで重要な役割を果たすことが、これまで以上に評価される社会になるということです。

もう少し受け身の立場で考えると、「政府に代わる存在にうまくアクセスして、そのサービスを享受することが自分を守ることだ」という発想になるでしょう。「政府に代わる存在」は、政府ほど幅広く万人に開かれた存在ではないので、主体的にアクセスしないとそのサービスや保護を受けられません。

これは、国民国家という今の国の枠組みが崩壊するということではありません。国を外部の脅威から守ったり、治安やさまざまな秩序を維持したりといった政府の活動によって、社会が国としてまとまっている状態は維持されるでしょう。

そのような、国家による治安や秩序が維持されないと、企業もNPOも個人も安定した活動はできません。国家は依然として個人や組織が存在するための基礎的な枠組みなのです。しかし、政府による国民へのきめ細かいサービスは後退する恐れがあるので、それに伴っていろいろな変化があるだろう、ということです。

このへんで、アメリカというこれまでの「中心」の衰退・後退に伴って(とくに先進国で)何がおきるか、についての考察はひと段落ということにします。このように、大きくものごとをみて連想や推論を広げていくことは、ときどき行ったらいいと思います。

(以上)
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