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2017年08月26日 (土) | Edit |
「中心」衰退の時代

アメリカの覇権の後退で国家のあり方はどう変わるか



アメリカの覇権の後退

私が昨年出版した『となり・となりの世界史』(日本実業出版社)では、「5000年余りの世界史における、世界の繁栄の中心=覇権国といえる大国・強国の移り変わり」を追いかけることで、世界史を「ひと続きの物語」として述べることをめざしました。

つまり、西アジア(メポソタミア・エジプトなど)→ギリシア→ローマ→イスラムの国ぐに→西ヨーロッパ(詳しくみるとスペイン・イタリア→オランダ→イギリス)→アメリカと、世界の繁栄の中心は移り変わってきました。今の世界は、1900年代前半から続くアメリカの時代です。

では、アメリカの時代はいつまで続くのか?

アメリカが総合的にみて世界最強の大国である、という状態ならば、これからも少なくとも何十年かは続くでしょう。もっと続くのかもしれません。

しかし、その圧倒的な力で世界を仕切るという状態=覇権は、これからますます明らかに後退していく。あと20~30 年もすると、かつてのようなアメリカの覇権は過去のものになる。少なくともすっかり様子が変わっている。どこかで、一定の「復興」もあるかもしれませんが、それは限定的なかたちで終わる。

あいまいでおおざっぱな予想ですが、ひとつの視点としては意味があるでしょう。私たちの多くが生きているうちに、大きな変化が一区切りついているのでは?という問いかけでものごとをみてはどうでしょうか。


2000年頃からの変化

アメリカの覇権の後退ということは、1970~80年代にはすでに言われてはいました。

たしかにその頃、アメリカの勢いは1950~60年代よりは後退していました。その一方で「アメリカの後退」という見解には、圧倒的な大国に反発する感情もあったように思います。「こんな国、衰退してしまえ」という願望が混じっている面もあった。

そこで、本当に後退するまでには、まだ時間がかかりました。1990年代には、ライバルだったソヴィエト連邦の崩壊によって、唯一の超大国となったアメリカがまさに世界を制覇したような状況になりました。

しかし、そのようなアメリカの「世界制覇」は、10年ほど続いただけでした。

2000年代(ゼロ年代)初頭の、9.11テロへの対抗策として行ったアフガニスタン侵攻や、その後のイラク戦争は、大きな転換点でした。このとき、アメリカはいろいろな誤りを犯しました。その後、1990年代にひとつのピークに達したアメリカの覇権がさまざまな面で崩れていきます。

一方で、中国をはじめとする新興国の発展がすすみ、世界のなかで大きな存在感を示すようになる、という流れも2000年ころから明確になりました。

今現在の世界の、アラブ・中東のひどく混乱した状態や、中国が新たな超大国として自己主張を強めていることの直接の出発点は、2000年代初頭にあります。

そして、2000年代初頭のアメリカは、勇ましくアフガニスタンやイラクを攻めたのですが、近年のアメリカはシリアなどの中東の情勢に対してかつてのような積極的な行動はとれないでいます。中東で積極的に動いているのは、ソ連崩壊後の混乱から一応は復活してきたロシアだったりするのです。


「アメリカ優先」は「覇権」以前への回帰

トランプの言う「アメリカ優先」は、「覇権国として世界を仕切るスタンスを見直す」ということです。

近年は米国民のあいだで「世界でのリーダーシップよりも自国の問題に専念すべきだ」という世論が高まってはいました。トランプの当選も、そのような流れが生んだといえます。やはり、こういう大統領が出てきたことは、大きな転換点でしょう。

たしかに、昔のアメリカも自国優先の孤立主義をとっていました(「モンロー主義」という)。しかし、そのような内向き志向が優勢だったのは1900年代前半までのことで、それ以前のアメリカは世界の中心=覇権国ではありませんでした。

「アメリカ優先」は、1900年代半ばの「偉大なアメリカ」の復活ではなく、「覇権国となる以前のアメリカへの回帰」を意味するのです。

つまり「世界トップの経済力や軍事力を持つ大国にはちがいないが、世界を仕切るような“中心”ではない」ということ。それがこれからのアメリカのポジションなのだと。

現実としてそうなりつつあったことを、トランプの主張は、基本方針として確認していることになります。そのような方針は、現実の流れを後押しするはずです。つまり、世界の「中心=覇権国」としてのアメリカの役割の大幅な後退です。

ほんとうは「再びアメリカを偉大な国にする」ではなく、「100年以上前の“ふつうの大国”としてのアメリカに回帰する」というべきです。でも、それではあまり輝かしい感じがしないので、選挙に勝てませんね。


「世界の警察官」がいなくなると

このように「アメリカ第一主義」をかかげる大統領が就任するなど、アメリカが覇権国として世界にあたえる影響が大きく後退する流れが明確になってきたわけです。

その影響について、中国やロシアはどう出るか、アラブ・中東の情勢はどうなるかなどの、比較的短期の国際情勢の話はとくにいろいろ出ています。しかしここでは、アメリカという「中心」の衰退が、おもに先進国における国家や政府のあり方に、中長期的にどう影響するのかについて考えたいと思います。これは、私たち日本人にとっても切実な問題です。

アメリカが覇権国として世界を仕切ることに消極的になると、つまり「世界の警察官」をやめると、世界の国ぐにの国家としての機能は、再編成を迫られます。

この何十年かは、世界の諸国のあいだの大小さまざまなもめごとの多くは、アメリカによる仲裁が有効でした。当事者どうしで話し合いがつかないことも、アメリカのジャッジによって一応のケリがつくことがあった。アメリカが前面に出なくても、アメリカが大きな影響力を持つ国際機関がジャッジしたりもした。

軍事的にも、アメリカの傘下に入ることで、ある程度の「属国」的な立場と引き換えに、相当な安全が保障された。

本来は国際社会には、国内の警察や裁判官にあたるような権力は存在しません。

「世界統一政府」がない以上、国際社会にはそれを統制する権力が存在しません。つまり、究極的には個々の国の「力」がものをいう世界です。その点では、かつての日本などの「戦国時代」と変わりません。

そして、20世紀前半までの国際社会は、まさに「戦国時代」だったわけです。

近代以降(1500年代以降)だけをみても、ヨーロッパ諸国は頻繁に戦争をしていますし、そのヨーロッパ諸国を主体として、アジア・アフリカ・アメリカ新大陸でも侵略的な戦いが行われました。あげくの果てに世界大戦です。

近代以前でも、さまざまな国がおこったり滅びたり、領土を広げたりというのは、結局は戦争をしているのです。この何千年のあいだ、世界はおおむねいつも「戦国時代」だった、といってもいい。

しかし、1900年代後半のアメリカは、国際社会の「警察」「裁判官」に準ずるような役割を果たしていました。もちろんそれは「世界統一政府」的な権力とは大きな隔たりがあります。

1900年代後半にも、世界各地ではさまざまな戦争がありました。それでも、1900年代後半の世界では、アメリカの存在が国際社会の「戦国時代」的な本質を、かなりおさえこんでいたのは事実でしょう。

アメリカの覇権の後退は、国際社会の本質が「戦国時代」であることを、再びあきらかにするはずです。

それは、かならずしも世界大戦のような大戦争に直接つながるということではないでしょう。

しかし、「自国優先」を掲げる利害や立場を異にする国ぐにがせめぎあい、ときにはげしく対立し、一方で利害が一致すれば、協力したり同盟したりする。そのような局所的な対立や同盟が、あちこちで起こる。

その動きを仕切る有力な存在はなく、もちろん国のあいだのもめごとをさばく警察官や裁判官はいない。

トランプ大統領は2017年1月の就任演説でも、これまで述べてきた「アメリカ優先」という原則をあらためて強く主張していました。そして、ほかの国もアメリカにならえばよい、と。

これは、「世界は戦国時代に戻る」という宣言です。


国家の「統治」的活動の強化

戦国時代的な国際社会では、それぞれの国は、ほかの国ぐに(油断のならない危険な存在)に対し対抗できるだけの力や体制を強化することが求められます。

その最も切実な要素が、国防・軍事にかかわることです。

軍隊そのものの組織や装備を強化するだけではありません。有事の際に、社会全体が軍を支える体制を築く必要があります。いざというとき国全体が安全保障のために結集できるようにする。その体制の邪魔になる反対者を排除するしくみも、当然重要になります。

日本でも、現総理をはじめ一部の政治家は、この問題をこれまで以上に真剣に考えていることでしょう。一方でその動きをおおいに危惧している人たちもいます。

「外敵から自分たちの社会を守る」という機能や目的は、国家にとって最も根本的なものです。近代国家では、国民であれば否応なくそのための国家の活動に動員されてしまう。直接軍隊にとられることがなくても、何らかの協力や関与、あるいは犠牲を求められる。

そして、そのような動員をするだけの力を、行政の発達した現代の国家は持っています。第二次世界大戦のときなどよりもはるかに、です。

「社会を外敵から守る」「そのために国民を動員する」「動員の体制やしくみをつくる」というのは、法の体系では「公法」といわれる分野の活動です。政治学の言葉でいえば国家の「統治」的な活動です。

「戦国時代」的な本質があらわになった国際社会では、国家の「公法」あるいは「統治」的な活動は、強化されることになるでしょう。逆にそれができなかった国は、「戦国」の世のなかで不利な立場になる。

「公法」「統治」の面では、国家や政府の存在感は、今後大きくなるのではないか。今のように国際情勢が不透明さを増すときには、ばくぜんと「国家の解体」みたいなことをいう人がたまにいますが、まちがいだと思います。


「行政」面での劣化

しかし一方で、国家の存在感が薄くなったり、機能が弱体化したりする領域もあるのではないか。

ここでいう「統治」以外にも、国家の重要な役割はあります。国民の生活により密接な、さまざまな規制や利害調整、サービス、福祉などにかかわる領域です。これは「行政」といいます。

国家の能力は有限です。だから、国防や治安などの「統治」についての国の仕事や予算が増えると、「行政」の面が割を食うことになります。

目につきやすい分野でいうと、社会保障や福祉、学校教育、さまざまなインフラや公共施設の維持管理といった部分で、国の仕事が劣化していく恐れがあるということです。少なくとも、今後ますます増大するであろう国民の期待やニーズに対応できなくなっていく。期待とのギャップが大きくなっていくのです。

つまり、年金の支給額が減ったり、公立学校がひどく荒れたり、傷んだ水道管や道路が放置されたり、公園や図書館が閉鎖されたりする恐れがあるわけです。

経済発展が急速な新興国なら、経済とともに政府の規模や予算も大きくなっていくので、こういう問題は顕在化しないのかもしれません。

しかし、経済成長が停滞する一方で財政の悪化に苦しむ先進国では、「行政の劣化」の問題は深刻になるはずです。先進国では、政府の予算や人員などを大幅に増やすことはできないので、「統治」を拡充すれば「行政」を削減せざるを得ないのです。

ただし、「行政の劣化」の恐れは、「アメリカの覇権の後退→各国の“統治”の強化」ということ以前に、先進国では財政の悪化(おもに高齢化にともなう社会保障費などの負担増による)という面から問題が生じつつあります。

だから、アメリカの覇権の後退→各国の統治の強化(“行政”が割を食う)という流れは、すでに生じつつあることを後押しするものといえるでしょう。


「国家に代わる存在」による補完

では、国家における「行政の劣化」が進むと、社会のなかでどういう動きが出てくるでしょうか。

政府が生活に密着したサービスを十分に供給し得ない社会では、その不足を埋める活動へのニーズが高まるでしょう。かつて国家が行っていたことを、国家以外の存在が行おうとする動きです。

そのような「国家に代わる存在」としては、有力な企業、NPOやNGOなどの民間組織、さらにプライベートなサークルなどの人のつながりといったものが考えられます。

それから、国家財政が疲弊しても、地方・地域によっては経済力があって財政が充実していることがあるので、そのような「有力な地方自治体」という存在も、国家に代わるものとして考えられます。

地方自治体は、ここでいう「国家」「政府」の一部ではありますが、全体として弱った国家の「行政」的な機能を補完する存在として期待が高まるケースがあり得る、ということです。

つまり、首相や大統領に暮らしを守ってもらう、というだけでなく、どこかの社長・CEOや民間組織のリーダーや一部の知事や市長に守ってもらう、ということがクローズアップされてくるのです。

これにかかわる現象はあちこちで起こっています。

最近の一部の大企業は、従来の「株主利益優先」を改めて、公益への貢献を意識した動きをしています。

NPOへの関心は、日本ではこの10数年で急速に高まりました。「政府はもう頼れないから、仲間とのつながりがセーフティーネットになる」といったことは、最近はかなり言われています。

また、有力な自治体で注目を浴びる知事があらわれ、もてはやされたりもしている。

これは、主体的・積極的な立場で考えれば「国家に代わって新しいサービスをつくりだす活動は、これからの社会ではきわめて意義がある」ということです。企業の公益的な活動、NPOやNGO、ある種のコミュニティで重要な役割を果たすことが、これまで以上に評価されるということです。

やや受け身の立場で考えると、「国家に代わる存在にうまくアクセスして、そのサービスを享受することが自分を守ることだ」という発想になるでしょう。「国家に代わる存在」は、国家ほど幅広く万人に開かれた存在ではないので、主体的にアクセスしないとそのサービスや保護を受けられません。

これは、国家の枠組みが崩壊するということではありません。

国を外部の脅威から守ったり、治安や秩序を維持したりといった政府の活動によって、社会が国としてまとまっている状態は維持されるでしょう。

そのように、国家によって治安や秩序が維持されないと、企業もNPOも個人も安定した活動はできません。国家は依然として個人や組織が存在するための基礎的な枠組みなのです。

しかし、政府による国民へのきめ細かいサービスは後退する恐れがあるので、それに伴っていろいろな変化があるだろう、ということです。

以上、アメリカというこれまでの「中心=覇権国」の衰退・後退に伴って(とくに先進国で)何がおきるか、について考えてみました。

このように、大きくものごとをみて連想や推論を広げていくことは、ときどき行ったらいいと思います。もしも「読み」が当たらなかったとしても、これから起こることをより深く認識するための視点や手がかりにはなるはずです。


(注)
*アメリカの覇権の後退によって、戦国時代的な国際社会が再びあらわれるという見方は、すでに“「Gゼロ」後の世界”といういい方で、イアン・ブレマーという人が以前から述べています。ブレマーによる2012年の著作『「Gゼロ」後の世界』(日本経済新聞出版社)は、今あらためて読むと、見事だと思います。数年前の本ですが、今現在や近未来の状況を理解するのに、おおいに参考になります。

また、アメリカの覇権の衰退やその影響については、私が若いころから影響を受けてきた政治学者・滝村隆一さんも、ブレマーと重なる見解を述べています(『国家論大綱 第二巻』勁草書房、2014年)。国際社会の基本が「戦国時代」であるという見方や、国家の「統治」的活動といった概念は、滝村さんからのものです。私は、ブレマーや滝村さんの主張を、自分なりに編集・要約して述べているつもりです。

(以上)
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2017年08月16日 (水) | Edit |
今回の記事は、もともとは若い人が編集・発行する小さな雑誌にのせるためにまとめたものですが、その雑誌が出せないことになったので、当ブログにアップすることにしました。



日本のすべての法令を分類する

みえてくる社会のしくみ


この日本には、どんな法律があるのか、それはどのくらいの分量なのか――そんなことは考えたことがない、という人が多いと思います。でもこれは、世の中のしくみを知るうえでそれなりに大事なことなのです。


日本の法令を全部集めた本は?

では、「日本で現在通用している法令(法律やそれに準じた政令など)を全部集めた紙の本」というのは、あると思いますか?

『六法全書』(発行・有斐閣)などがあるのでは?と思うかもしれません。でもあれは、主要な法令だけを集めたもので、全部を集めたのではありません。

なお、「六法」とは、憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法の6つをいいます。法律はこの6つ以外にも数多くありますが、「この6つがとくに代表的で重要」ということです。また、いろいろな法令を集めた本(法典集)のことを一般に「六法」といいます。

***

日本の今の法令を全部集めた紙の本というのは、あります。

『現行法規総覧』と『現行日本法規』という2つの本です。『現行法規総覧』は衆議院・参議院の両院の法制局で、『現行日本法規』は法務省で編集しています。どちらも「加除式」といって、法令の改正に応じてページをさしかえる方式です。両者はほぼ同内容ですので、ここでは『現行法規総覧』(発行は出版社の第一法規)に沿って話をすすめます。

「法令」とは、「法律」と「命令」の両方のことです。法律は、国会で制定された社会のルールです。命令は、法律の枠内で内閣や各省庁などの行政機関がつくったルールで、内閣による「政令」と、各省庁の大臣による「省令」などがあります。命令にも法律のように政府や国民を拘束する効力があります。

法律は基本的なルールで、細かいことを規定していないことも多いです。命令(政令や省令など)で細かいことを決めているのです。なお、「法規」という言葉は、法令とほぼ同じ意味で使われます。*1


『現行法規総覧』の分量

では、『現行法規総覧』は、どのくらいの分量になると思いますか?

これは、「全何巻くらいか」で考えてみます。『現行法規総覧』の1巻は、2000~4000ページです。1ページは2段組みになっていて、日本国憲法なら5~10カ条ほどの条文がのっています。

おおまかに「『現行法規総覧』の1巻には百科事典1冊分くらいの情報が書かれている」とイメージしていいでしょう。

それが何冊分あるのか?――10冊分、30冊分、100冊分? それとももっと多い?
 
***

私が調べた2001年11月時点では、『現行法規総覧』は本文が98巻、索引が5巻で、計103巻です。本文98巻の総ページ数(目次除く)は、27万ページになります。*2

このおよそ100巻に、日本という国家・社会をどう運営するかについてのルールが詰まっています。それは「法令というコードで書かれた日本国の設計図」といっていいでしょう。あるいは、「日本国という巨大な怪物の遺伝情報」といってもいいです。


どんな法令が大きな比重を占めるか

では、この27万ページのなかでは、どんな法令が最も大きな比重を占めているのでしょうか?

それを考えるには、そもそも「どんな法令があるのか」のイメージが必要です。そこで『六法全書』で、法令をどう分類しているかをみてみましょう。(分類の名称は『六法全書』によるが、説明は筆者・そういちによる)

(法令の分類)
①公法…国の根本的な法である憲法、政府の組織と運営に関する法令(憲法、国会法、裁判所法、行政手続法、地方自治法、警察法、教育基本法、所得税法など)

②民事法…個人の権利関係や商取引に関する法令(民法、商法、会社法、民事訴訟法など)

③刑事法…犯罪の処罰や防止に関する法令(刑法、監獄法、刑事訴訟法など)

④社会法…福祉・社会保障、保健衛生、労働、環境に関する法令(健康保険法、生活保護法、労働基準法など)

⑤産業法…経済活動や業界への規制・支援(独占禁止法、銀行法、農地法、建設業法、鉄道事業法、電波法など)

⑥条約…外国との取り決め(国連憲章、日米安保条約など)

条約も、政府の活動や国民生活を規制(≒拘束・制限)するので、広い意味での法令だといえます。

では、①公法、②民事法、③刑事法、④社会法、⑤産業法、⑥条約 のうち、『現行法規総覧』で最も多くのページを占めているのは、どれだと思いますか?

***

『現行法規総覧』(2001年11月確認)のページ数の内訳は、つぎのようになっています。

日本の法令白黒

①公法(憲法や政府の組織・運営) …8.2万㌻(全体の30%)
②民事法(個人の権利関係・商取引など) …0.8万㌻(3%)
③刑事法(犯罪の処罰・防止) …0.2万㌻(0.7%)
④社会法(福祉・社会保障や労働など) …2.5万㌻(9%)
⑤産業法(業界規制など) …10.6万㌻(39%)
⑥条約(外国との取り決め) …4.6万㌻(17%)
合計 26.9万㌻

このデータはやや古いですが、基本的な状況は今も変わらないとみていいです。

最も大きな比重を占めるのは⑤産業法で、全体の約4割。つぎは①公法で、全体の3割です。

一方、②民事法には民法・商法などの、③刑事法には刑法などの基本的で重要な法律が含まれますが、全体に占めるページ数は多くありません。

日本の法令の分類グラフ

さらに細かく分類したグラフを書くと、次のようになります。

現行の全法令

⑤産業法でページ数が多いのは、鉄道事業法、道路運送法などの「交通・運輸」(2.4万㌻)と、農地法などの「農林水産」(1.7万㌻)に関するものです。交通・運輸の規制は、昔から政府の重要な仕事だったので、それを反映しています。

また「農林水産」の法令は、農業などが今の経済に占める比重の割に、かなり多いです。小売業や機械・化学・繊維などの、製造業に関するさまざまな法令を含む「商工業」(1.0万㌻)よりも多いのです。農業に対する多くの規制や保護があることのあらわれです。

①公法で最も重要なのは、憲法とその関連法令(4000㌻)や、「国会・選挙」(2500㌻)に関する法令(国会法・公職選挙法など)ですが、それらは公法のなかのほんの一部です。

公法にはこのほか、内閣法や行政手続法などの「行政一般」(9000㌻)、地方自治法などの「地方自治」(1.1万㌻)、裁判法などの「司法・法務」(5000㌻)のほか、「警察・消防」「教育・文化」「財政」「国土計画」「国防」「外交」と、さまざまな分野があります。

つまり、今の法令でとくに大きな比重を占めるのは、「政府の組織・運営(公法)」「業界の規制(産業法)」などの行政にかかわるものです。「行政」とは、「政府(国と地方自治体)が政策のために積極的な・踏み込んだ規制やサービスを行うこと」です。*3

そのような「政府の組織・仕事」に関する法令をまとめて、「行政法」といいます。民法や刑法のような意味での「行政法」という法律があるわけではなく、広い範囲の法律を含む総称です。

福祉・社会保障や労働などにかかわる社会法も、政府による積極的な規制やサービスについて定める、行政法的なものといえます。これに対し民事法は、一般的な商取引などの国民の私的な活動に関するものです。刑事法は、政府による規制としては消極的な最低限のルールです。

つまり、今の日本の法令で分量の大部分を占めるのは、行政法といわれる分野です。


政府の変化と法令の変化

昔(明治時代~昭和の戦前期)は、産業法や社会法は、今ほど大きな比重を占めていませんでした。

つぎのグラフは、1918年(大正7、第一次世界大戦終結の年)の日本の法令をすべて集めた『現行法令輯覧(しゅうらん)(大正七年版)』(内閣記録課編・帝国地方行政学会刊)という本のページ数の内訳です。分類の仕方は、上記のグラフとだいたい同じです。

『現行法令輯覧』は、上下2巻で4800ページですが、『現行法規総覧』よりも本のサイズが大きく、文字もびっしり詰まっています。1ページあたりの情報量は、『現行法規総覧』の数倍~10倍ほどです。そこで、当時の法令の分量は、現在(2001年)の『現行法規総覧』の数万ページ分=今の10分の1~数分の1だったと考えられます。

大正の全法令

1918年当時、法令のなかで圧倒的に大きな比重を占めていたのは、政府の組織・運営を定めた①公法で、全体の56%でした。

現在は39%を占める⑤産業法は27%で、今ほど大きくありません。④社会法は現在の9%に対し、当時は3%でした。現在17%を占める⑥条約は、4%です。そのぶん②民事法、③刑事法の占める割合が大きくなっています。

昔の政府は、規制やサービスを今ほどは行いませんでした。それが戦後(1945年以後)になって、福祉を充実させたり、企業に対する規制を強めたりしました。国際的な交流も活発になりました。
 
政府の活動は、法律とそれに基づく命令に従って行われます。これは、「根拠になる法律がないと政府は動けない」ということです。だから、政府の活動範囲が広がると、それに応じて法律は増えていきます。*4

④社会法、⑤産業法、⑥条約は、政府の活動範囲が拡大・変化したことで大きくなった分野なのです。


特殊六法の世界

ところで、「六法」と名のつく本には、『六法全書』のように「いろいろな分野の主要法令を集めた本」のほかに、特定の分野や業界にかかわる法令だけを集めたものもあります。こうした本を「特殊六法」といいます。

企業や役所などにとって、自分たちの業界に関する法令を知ることは必要なので、そのニーズにこたえる本です。民間の出版社が編集・発行しています。

たとえば、鉄道関係者(鉄道会社や国土交通省などの人たち)のために『鉄道六法』という本があります。トラックやバス・タクシーの関係者には『自動車六法』があり、人事・労務の担当者のためには『人事六法』や『労働法全書』があります。

証券業界の人には『証券六法』、不動産業界の人には『不動産六法』、医療関係者には『医療六法』、自治体の職員には『自治六法』、学校関係者には『教育六法』、警察官には『警察六法』、そのほかにも『環境六法』『登記六法』『栄養・調理六法』『廃棄物・リサイクル六法』『スポーツ六法』等々……さまざまな分野の特殊六法があります。

これらの特殊六法は、行政法的な法令をおもにおさめています。

最近は、インターネットによる法令の検索という手段もありますが、企業や役所では、オフィスのどこかに、自分たちの業界や仕事に関する特殊六法が置いてあることが多いのです。

 
知っておくべきこと 

ここまでをまとめると、つぎのとおりです。

・世の中には、社会のさまざまな分野をカバーするぼう大な法令が存在する。憲法、民法、刑法などのよく耳にする法律は、法令全体のなかのほんの一部である。(ただし、分量は小さくても、影響の大きな重要な法律ではある)

・法令の大部分は、「政府の組織・運営」や「政府が積極的に行う規制やサービス」に関する行政法的なものである。

そこで、今の社会で活動的な人は、行政法と向き合わざるを得ないのです。企業や役所で責任のある仕事をしている人は、とくにそうです。

たとえば企業で新しく店を出す、工場を建てるといったとき、さまざまな許認可を得ないといけません。許認可とは、法律で規制されていることについて、行うための承認を役所から得ることです。法律によって「免許」「許可」「認可」「届出」などいろいろないい方をしますが、それらをまとめてここでは「許認可」といいましょう。

スーパーマーケットであれば、各種の食品販売(乳類・食肉・魚介類・酒類など)、飲食店営業、建築、消防、労務等々に関する許認可の手続きをしないといけない。つまり、それぞれの分野の法令の基準を満たすようにすべてを整えて、説明する書類を所管の役所に提出するのです。

個人でも、消費者ではなく何かをつくる側になろうとすれば、行政法がかかわることが多々あります。小規模であっても起業するなら、行おうとするビジネスについて、それを規制している法令はないか、許認可の手続きはどうなっているかを確認しないといけません。

許認可なしで、カフェやカットサロンや古本屋を営むことは、法令違反です(刑事罰の対象になる)。カフェは食品衛生法、カットサロンは美容師法、古本屋は古物営業法に基づく営業許可が必要です。*5


ベンチを置くには

もっと限られたことをする場合でも、行政法がかかわることがあります。

たとえば、近所の公道に、みんなが休憩するベンチを置こうとしたとします。行政に頼むのではなく、自分でベンチを用意して設置しようと考えた。

それならば、道路法に基づいて「道路占用許可」というものを「道路管理者」から得ないといけません。道路管理者とは、原則として国・都道府県・市町村のいずれかです。国道なら国土交通省の国道事務所など、県道なら県の、市道なら市の道路管理課(名称は自治体により異なる)が担当です。

もしも許可を得ないでベンチを置いたら、法令違反です。「ここにベンチを置けば、みんなが喜ぶのだからいいじゃないか」というわけにはいかないのです。

占用許可にあたっては、ベンチの材質・形状、設置の場所や方法、道路交通への影響などについて審査されます。場合によっては、道路交通を管轄する警察からも承認を得る必要があります。そして、原則として一定の占用料を、道路管理者に対し定期的に支払わないといけない。

たかがベンチひとつで、面倒ですね。

でも、道路占用許可のような規制がなかったら、公道を占拠するいろんなものがあふれて、多くの人が迷惑する恐れがあります。規制には、やはりそれなりの理由があります。


教わる機会が少ない

私たちが学校の授業でよく教わる法令といえば、おそらく憲法の「平和」や「人権」に関する部分です。テレビのドラマやバラエティで法律が出てくるときは、民法や刑法にかかわることが多いです。行政法的な話は、学校でもメディアでも触れる機会が少ないです。

しかし、これまでみてきたように、行政法のさまざまな規制は、社会のなかできわめて重要なものです。社会の中で活発に動こうとすれば、関係する分野の行政法的なルールを知って、対処することが求められます。

こういうことは、社会についての基本知識なのですが、きちんと教わる機会がなかなかありません。

私(そういち)は、大学は法学部でした。しかし若手社員のときに、会社の事業(運輸関係)の許認可手続きを担当してはじめて、「この社会には大小さまざまの、多くの規制や許認可というものがある」ことがよくわかりました。

教科書で行政法の概論を少しはかじったはずですが、「社会の現場における許認可」のイメージは、つかめませんでした。

また、会社でも許認可の担当者や管理職以外は、会社の事業に関する法令について、特別な機会がなければ、それほどは意識しない傾向がありました。

これはコンプライアンス(法令遵守)ができていない、ということではありません。

社員は社内の規則やマニュアルを守って仕事をしており、そうであれば法令遵守はできるのです。ただ、マニュアル等の根拠となる法令にまでは普段は関心を持たない、ということです。たとえば飲食店のスタッフでも、食品衛生法の条文そのものを勉強している人は、かぎられるはずです。

しかし多くの場合、何かで本格的な専門家になりたければ、その分野を規制する法令を知っておくべきなのです。

行政の許認可については、煩雑で硬直的である、社会の発展をさまたげているといった批判もあります。「規制緩和」の議論です。そのことには、ここでは踏み込みません。

それよりもまず、「行政法の世界というものがあり、それは社会の隅々にまで大きな影響を与えている」という現実をおさえることです。それはこの社会を積極的に生きるうえで、役立つ知識のはずです。

「日本のすべての法令を分類する」ことで、私たちは行政法の世界が法令全体のなかでどんな位置を占めるのかをみることができます。それは、法や社会について、多くの人が見落としがちな部分に光をあてることなのです。

(以上)

注・補足

*本稿は、2001年12月と2002年2月に、教育研究団体の楽(らく)知(ち)ん研究所が主催するワークショップ・研究会で発表したレポートに、大幅な加筆・修正を加えたものである。

*1 政令・省令は、具体的には「○○法施行(しこう)令」「○○法施行(しこう)規則」などの名称になる。どれも法律の細則(細かなルール)であるが、多くの場合、施行規則で施行令よりもさらに詳細なことや手続きなどを定めている。法律で何でも決めようとすると、国会で法案を通すのには時間がかかるので、柔軟な対応ができない。そこで(あくまで法律の枠内で)内閣や大臣の権限で細かなルールを決めることになっている。

また、詳細な事柄は、「通達」などで対応する場合も多い。通達は、役所の中での法令の解釈・運用の方針を定めたもので、上位の役所が組織内の下位の役所に出した指示である。通達は国民を直接拘束するものではなく、正式には法令とはいえない。しかし、役所の対応のあり方を決めるものなので、現実には法令に近い影響力がある。

*2 『現行法規総覧』『現行日本法規』は、都道府県立の図書館や大きな市の図書館などで、みることができるだろう。法令の調べ方については、国立国会図書館のウェブサイト「リサーチ・ナビ」の「日本の法令の調べ方」のページが参考になる。

*3 行政の定義としてはこのほかに、国の権力を「立法(国会など)」「行政」「司法(裁判所など)」の3つでとらえる三権分立の考え方に基づき、立法と司法を除く国家の役割全般をさすことも多い。この場合は、刑事法の分野も行政の一部と考え得る。ここでは、より積極的な政府の活動として行政をとらえる立場(行政法の専門家のあいだではひとつの有力な見方)で説明している。

*4 「根拠になる法律がないと政府は動けない」という考え方は、行政法学では「法律による行政の原理」という。つまり、「行政は法律に従わなければならない」という原則。とくに、国民の権利や財産を侵害する場合には、法律上の根拠が厳格に求められる。映画『シン・ゴジラ』(2016年公開)では、ゴジラとたたかう自衛隊の活動について、政府関係者が法的な根拠を検討するシーンがある。ゴジラを「敵国からの侵略」とみなし、安全保障関連の法律を根拠にするのか?――いや、ゴジラはやはり「国」ではない。では、「自然災害」ととらえて、災害対策の法律でいくのか――そんな検討をしていた。

*5 たとえば美容師法第12条には“美容所の開設者は、その美容所の構造設備について都道府県知事(筆者注:具体的には保健所)の検査を受け、その構造設備が第13条の措置を講ずるに適する旨の確認を受けた後でなければ、当該美容所を使用してはならない”とある。そして同法の第13条では“美容所の開設者は、美容所につき、次に掲げる措置を講じなくてはならない”として“1.常に清潔に保つこと”“2.消毒設備を設けること”等を定めている。さらに、それらの措置に関して、美容師法施行規則に細かい規定がある。たとえば同施行則第25条では、かみそりの消毒について“沸騰後2分以上煮沸する方法”“エタノール水溶液(エタノールが76.9パーセント以上81.4パーセント以下である水溶液をいう…)中に十分以上浸す方法”等々……のいずれかによらなくてはならない、としている。

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