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2018年02月25日 (日) | Edit |
ピョンチャンオリンピックが、閉会しました。

北朝鮮の参加、韓国との合同チームの結成では、「オリンピックの政治利用」をめぐっての話もありました。多くの場合「オリンピックの政治利用はいけないに決まっている」という前提で語られるわけです。

しかし、オリンピックというのは、本来の目的からして巨大な政治的装置ではないでしょうか。たんなるスポーツの祭典などではない。

もちろんスポーツ大会ではあるのですが、それを素材として、国際的な「平和」を演出することが、オリンピックの最も重要な特徴です。そこが多くの国際スポーツ大会とのちがいです。サッカーワールドカップでさえ、オリンピックとくらべれば、たんなるスポーツ大会です。

だからこそ、開会式や閉会式などの儀式的な面に、異様なまでに力を入れる。儀式を通じての理念の確認やメッセージの発信が、オリンピックでは大事なのです。

古代オリンピックは、その開催時期の3か月のあいだ、ポリス(ギリシアの都市国家)の間でなんらかの戦争が行われていても、停戦となっていました。

そのルールは、ポリス間の戦争が絶えなかったギリシア世界を、戦争の泥沼に陥らないようにする、歯止めの意味を持っていたはずです。

そのコンセプトを、近代世界において再現したのが、今に続く近代オリンピックです。それはひとつの社会的な発明でした。

オリンピックというのは、そもそも非常に政治的なものなのです。

戦争が絶えない国際社会のなかで、破滅的な戦争の歯止めに少しでもなれば、というのがオリンピックというイベントの果たすべき機能です。

それを実現するには、むき出しの国威発揚やナショナリズムはたしかにマイナスです。しかし、国家を代表する選手の対抗戦である。だから、話がややこしい。

オリンピックじたいは、本来政治的なもの。しかしそれは「国際協調」とか「世界平和」という政治目的であって、そのためには、個々の国家の国益を押し出すような政治利用は排除されるべきだ、ということ。

その点で、今回の北朝鮮や韓国の動きは、それぞれの国益や政治的意図があまりにも前面に出ていたので、問題視されて当然でしょう。

そのような各国の政治的利害を、ほんの一時であれ棚上げにして忘れさせてくれる(そんな気分にさせてくれる)ことこそが、オリンピックの目指す政治的機能であり、平和への貢献なのです。

スポーツそのものは、おそらく平和にはほとんど貢献しない。

しかし、スポーツを素材としたオリンピックという国際イベントは、世界の平和に対し、それなりの影響力を持つ政治的装置です。だからこそ、私たちの多くは、このイベントに妙にひきつけられるのです。

(以上)
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2018年02月03日 (土) | Edit |
ビットコインのような今の仮想通貨は、自分では持っていませんが、重要なものだと思っています。

今は投機の手段としてのブームであり、それは一過性のものでしょう。最近のコインチェック騒動みたいなさまざまな不祥事が、これからもあるでしょう。技術的にもいろいろな変化があるはずです。

でもそういう短期的なことは別にして、数十年以上のスパンの長期でみれば、仮想通貨は、お金の歴史における世界史的な革新では、と思います。キワモノではないということです。

紀元前500年代にギリシアや中国でコインが本格的に流通しはじめたことや、西暦1000年頃の宋代の中国や1600年代以降の近代ヨーロッパで紙幣が使われるようになったことにも匹敵する革新なのではないかと。

この仮想通貨の技術で、決済(お金のやり取り)は、すごく簡便でローコストになります。巨大な組織による集中管理も不要です。

こういうことは一般に言われているわけですが、やはりその意義は大きく、いろんな使いみちがあるはずです。海外とのやり取りやスモールビジネスの決済に便利なのは明らかです。でも、それだけにはとどまらないでしょう。

今後は「投機対象」としてではない、「新しい決済手段」の技術革新としての仮想通貨の本来の価値のほうが、クローズアップされていくでしょう。そして、その価値を生かすための法制度などの社会的な枠組みをどうするのか、という議論が一層さかんになってくる。

そして、やがては仮想通貨の「価値」は「あたりまえ」になるはずです。

つまり、今の仮想通貨(もしくは仮想通貨的な技術)は、お金のデジタル化ということが、いよいよ本格的に実現する、そのスタートだと。

そもそも、コインにせよ紙幣にせよ、お金の技術革新によって登場する新しいお金は、みな「仮想通貨」だった、ともいえます。

コインは、それまでの青銅器文明で用いられた貨幣である金銀の粒やインゴット(かたまり)という「本来のお金」にかわる「仮想通貨」でした。しかし、コインという仮想通貨は社会に定着し、ふつうの、本来のお金になっていきます。

コインとは、額面などが刻まれ、権力や権威によって発行される金属の貨幣のこと。これは、それまでの金属の粒やインゴットにくらべ、決済の道具として簡便でした。粒やインゴットは、取引のたびに重さを天秤などで確認することが求められましたが、コインはそれが不要です。権力や約束によって、そのコインの価値(金額)が決まっているからです。

お札(紙幣)も、コインという「本来のお金」対する仮想通貨でした。デジタル技術ならぬ、当時の最新テクノロジーの「印刷」を用いた仮想通貨です。高額の取引のとき、コインを多く持ち運ぶのは重くて大変ですが、紙幣は軽くて便利です。紙幣もまた決済の簡便化をもたらしたのです。

昔は「兌換紙幣」(だかんしへい、金貨・銀貨という本来のお金との交換が保証されている紙幣)というしくみがありました。お札という仮想通貨をみんなに信用してもらうには、必要な制度でした。

しかし、今のお札は基本的に「不換紙幣」となりました。これはつまりお札が「本来のお金」に昇格したということ。

コインだって、もともとはその額面に相当する量の金銀などの「本来のお金」を含んでいる、という前提でした。しかし、のちには金銀の含有量は少なくなっていきます。つまりコインもまた不換紙幣的になっていきました。

でも、少ししか貴金属を含まないコインであっても、その価値を人びとは認め「本来のお金」として扱うようになっていったのです。

それならば仮想通貨も、いずれ事実上「本来の・本物のお金」になることが考えられます。

ただしそのときには、今のように比較的緩やかな規制でのもとで発行できるものではなく、国家権力の強い統制下におかれるのではないかと思います。

通貨発行は、公共性がきわめて高く、発行者に大きな利益をもたらし得る「ビジネス」です。国家は放っておかないです。ITによる電子的な通貨発行、つまり今の仮想通貨は、紙幣の印刷よりもコストの少ない、究極のビジネスになる可能性があります。

コインや紙幣にも、過去には比較的自由にいろんな主体が発行していた時代がありました。しかしその後、統制が強くなり、国家による独占の方向に進んでいったという歴史があります。

しかし一方で、ネット上の仮想通貨というのは、国家が統制しにくい面もあるかもしれない……それでも国家が本気になれば、わかりません。

このように、仮想通貨を「(あぶないかもしれない)儲け話」というのとは違う視点でみることも大事ではないでしょうか。ただし、今時点の仮想通貨はまだまだ発展途上であり、「本来のお金」とは相当な距離があることは、忘れてはいけないはずです。

(以上)
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