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2019年08月24日 (土) | Edit |
*この記事は当分のあいだ2番目に表示します。最新の記事はこのひとつ前です。2019年7月13日投稿。

2019年8月25日(日)に西新宿で下記のセミナーを開催します。今回で5回目。
半日(4時間半)で世界史5000年の流れを一気にみわたすというもの。

高校生以上の子どもさんと親子で、または高校生の参加もぜひ(これまでにも高校生とお父さんの参加がありました)。
よろしくお願いします。

親子・高校生も
5000年を半日でみわたす・大人のための
世界史「超要約」セミナー

●日時
2019年8月25日(日) 
13:00~17:30(12:45開場)

定員9名 予約制 

講師:このブログの著者・そういち
プロフィールは下記に

●会場
新宿・ノマドカフェ 「BASE POINT」(ベースポイント) 2F D
東京都新宿区西新宿7-22-3
*地図は下に

●参加費
6000円(学生4000円)
親子参加は2人で9000円(子どもさんが成人・社会人でも) 
当日支払い、フリードリンク付き

●お申込み・予約制です
メールにて so.akitaあっとgmail.com まで。(「あっと」は@に変換)
その際お名前(ハンドルネーム可)をお知らせください。
返信は翌日になることがあります。

こちらのイベント告知サイトからも予約できます
こくちーず

会場(ベースポイント)地図
ノマドカフェ地図
JR新宿駅西口より徒歩8分
丸の内線西新宿駅より徒歩6分
大江戸線新宿西口駅より徒歩11分

ベースポイント
BASE POINT(会場)

世界史セミナー2018年3月24日その2
本セミナーの様子(2018年3月)

***

●講師プロフィール
そういち:社会のしくみ研究家。1965年生まれ。企業勤務のかたわら社会科系の著作やセミナーを行う。
著書は『一気にわかる世界史』(日本実業出版社)のほか『自分で考えるための勉強法』『四百文字の偉人伝』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン、電子書籍)など。
このほか、以下で世界史関連の記事を監修。
雑誌『プレジデントウーマン』(プレジデント社)2017年10月号「大人の学び直し 経済&歴史」特集
ムック『おとなのための教養入門』(プレジデント社、2018年7月刊)

***

世界史の勉強がむずかしいのは、対象範囲が非常に広いからです。
膨大な国や民族が出てきますが、学校の教科書では、
それらをできるだけ幅広く扱おうとして詰め込みすぎています。

そこで、大人が世界史を学ぶ場合は、つぎのことが大切です。

①大まかな時代と出来事をおさえる
細かい年号や固有名詞にとらわれず、まずはざっくりと。

②それぞれの時代の中心的な大国をおさえる
世界史では時代ごとに繁栄した強国・大国があります。
古代ギリシア、ローマ帝国、中国の王朝、イスラムの帝国、大英帝国、アメリカ合衆国など……
それらを追いかけていくと、世界史の流れがつかめます。

以上の方針で、
古代から現代までの世界史5000年の流れを、
半日で一気にお話しします。


本セミナーによって、アタマのなかの断片的な知識が
「ひとつの物語」としてつながっていくでしょう。
世界史の本を読むための基礎知識も養えます。

世界史は自然科学と同様に、
世界の成り立ちについての基本的な学問です。
また、政治・経済や美術など、さまざまな教養の基礎になっています。

どの分野の本を読んでも、世界史の知識があるのとないのとでは
理解が大きく違ってくるでしょう。

こんなふうに世界史は「役に立つ」ことも多いですが、
それ以前に知る喜びのある分野です。
世界史を学ぶ最大の効用は、単に「楽しいから」と言ってもいいのです。

「大人のための」世界史セミナーですが、高校生以上の子どもさんと親子で、
または高校生の参加もぜひ。
若い人にこそ、受験のためだけではない「大人の世界史」を。

***

最後に、昨年度の本セミナーでお父さんと参加された高2男子の方の感想

世界史については“カタカナが多くて教科書も時間軸がややこしくて頭に入ってこない”と感じていたとのこと。これはほとんどの人にとって、そうでしょう。

でも“このセミナーを聞いているうちに先入観を捨てて、少しずつ好きになることができました。特に文化などが国から国へと移り、新しくなっていく過程が気になったので、これから調べてみて、親しくなっていこうと思います。本当にありがとうございました”とのことでした。

こちらこそ、ありがとうございます。
みなさまとお会いできることをたのしみにしています。

プレジデントウーマン地図
世界史上の繁栄の中心の移り変わり
『プレジデントウーマン』2017年10月号より

(以上)
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2019年08月17日 (土) | Edit |
テレビ(民放)で外国人の受け入れの問題について、若手の識者が議論しているのをみた。だいたい20~30代の、たとえばミュージシャン、NPOのリーダー、弁護士、コンサルタントで、社会に向けてさまざまな発信をしている男女。話ぶりが魅力的な人が多く、つい聞き入ってしまった。

論者の意見は当然、外国人の受け入れ反対派と賛成派に分かれる。反対派は「日本の文化が壊れる」「少なくとも中長期的には民族間の激しいあつれきが起こる(テロだって起きる)」という。「ヨーロッパでは移民の受け入れは失敗だったというのが一般的な認識だ」とも。

賛成派の人たちは「日本の社会にはもっと多様性が必要」「これからの世代にはさまざまな文化を受け入れる素地が育っているので、対立が深刻化することは避けられる」ということを言っていた。

これに対し反対派からは、社会の現状をふまえ「そのような多様性を受け入れることがほんとうにできるか?無理なのでは」という突っ込みがあった。

発言者の表現に忠実ではないが、主旨としてはそんなところだ。

これを聞いていて私は「この人たちは本当に“文化人”だなあ」と思った。少しおどろいたところもある。文化人というのは、ここでは文化というものを、じつに大事しているということだ。「文化」が今回の議論のキーワードだった。受け入れ反対派は「文化が壊れる」といい、賛成派は「多様な文化が大事だ」といっている。

でも、外国人受け入れの問題は、文化はもちろん大事だけど、それだけのことでもないはずだ。

今年4月の法改正(改正出入国管理法)だってそうだ。あれば在留資格として「特定技能」なるものを新たにつくって、それに該当する外国人を働き手として迎え入れようというものだ。

「特定技能」の対象分野は、介護、ある種の製造業、建設業、宿泊業、飲食業、農業、漁業、ビル清掃など。これらの業界の現場で身体を使って頑張る仕事。どの分野も人手不足が深刻な状態。このままだと社会のニーズにこたえきれなくなる、従来の生活を社会全体として維持できなくなる……そこで、海外からの働き手を受け入れようと考えた。

つまり、労働や産業の問題に対応するため、外国人受け入れの枠を増やしたのである。

ではなぜ人手不足なのか。日本人で「特定技能」的な仕事に就きたい人が大きく減ったからだ。

今の日本人の多くはエアコンのきいたオフィスでのデスクワーク、さらには知的・文化的な要素のある仕事を志望するようになった。

このような「文化人」的傾向は若い世代ほどはっきりしている。私は若い人の就職・採用に関係する仕事をしているので、現場感覚としてここはよくわかるつもりだ。ただし、「特定技能」的な仕事の非正規化など、処遇の悪化ということもある。

文化人は多くの場合、「特定技能」的な仕事は好きではない。少なくともそれを本格的な職業とすることはイヤがる。そのような現場仕事は、ほかの誰かにやってもらい、自分はもっと知的・文化的な何かに関わりたい。そこまでの志向がなくても、とにかくオフィスでの事務的な仕事がいい。そのような日本人が増えた。ひと昔くらい前よりも、さらに増えたのだ。

これは、日本が豊かになり成熟した結果であり、必然的なことだ。少なくともある程度は、そうならざるを得ない。

それを、昭和的なオジさんの感覚で「けしからん」「なげかわしい」などというつもりはない。豊かになったんだから、これはあたりまえだ。オレだってそういう文化人志向の気持ちがわかるよ、といいたい(こんなブログをやっている、文化人・知識人志向のオジさんですから)。

昭和的オジさんたちだって、自分の子どもには「特定技能」的な仕事よりも、オフィスで働く仕事に就いてほしいという人が多いはずだ。そもそも、誰にも仕事を選ぶ自由がある。これは何より尊重されなくてはならない。

テレビに出ていた、もっぱら「文化」の問題として外国人受け入れのことを語る若い識者たち。この人たちは、みんなが「文化人」になった、新しい日本人の典型なんだと思う。

労働や産業の現場のこと、そして産業が支える日々の生活の問題は、どこに行っちゃったんだろう。討論が限られた時間だったとはいえ、このあたりへの言及は皆無だった。

外国人の受け入れに反対というのなら、「特定技能」的な領域での人手不足をどうするのかについても、触れるべきだろう。

くわしい処方箋はむずかしいとしても、一般的な方向性は示せるはずだ。たとえば、それらの業界での働き手の処遇改善といったことは、常識的に考えられる。

でも、いわゆる処遇改善だけでは、効果は薄いのではないか。つまりそれだけでは「文化人」の若い人たちは集まってこない。そこに「文化」を感じさせる何かを加えないといけないのだ。うーん、可能かもしれないがむずかしそうだ……

あるいは、もっと根本的に社会や生活のあり方を変えていくという選択肢もあるかもしれない。

建設業で人手が足りないなら、新しい立派な建物なんていらないじゃないか、みたいな(ただし、水道のような基本的なインフラの整備やメンテナンスの人手は何とか確保する)。外食産業だって今ほどはいらない、ビルの中もそんなにキレイでなくても大丈夫、とか。

介護はどうしよう……家庭でも施設でもない、別の何らかの人の結びつきで対処するのか……でも、それってどんなものなのだろうか? いずれにしても、簡単ではない。

「外国人が大勢来ると我が国の文化が壊れる」というのは、「あいつらはオレたちとちがうから、とにかく嫌いだ」と言っているだけにも思える。ただし「嫌いだ」という感情は根源的で手ごわいものなので、侮れない。でもそれだけでは、知識人の発言としてはもの足りないのではないか。

もの足りないといえば、「多様性は大事だから、外国人を受け入れよう」というのも、「とにかく、みんな仲良くしましょう」とだけ言っている感じだ。たしかにそれは大事だとは思うが、それだけでは知識人としてはやはりさみしい。とにかく、それだけではいけないように思う。

(以上)
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2019年08月12日 (月) | Edit |
この時期は、先の戦争(第二次世界大戦、太平洋戦争)についての追悼や振り返りがさかんだ。ではそもそも、あの戦争によって世界全体でどのくらいの人が亡くなったのだろう? 第二次世界大戦は、一般には1939年から45年にかけてあったとされる。1940年の世界人口(推定)は23億人である。なお、2018年現在の世界人口は76億人だ。

選択肢で考えてみよう。ア.100~200万人 イ.500~600万人 ウ.1000~2000万人 エ.5000~6000万人 オ.1~2億人



第二次世界大戦による世界全体の死者は、軍人2305万人、民間人3158万人、計5400万人余りにのぼった。正解はエだ。(以下、日本以外の戦死者数はウッドラフ『概説現代世界の歴史』で引用するデータによる)

では、世界で最も多くの犠牲者を出した国はどこだったか?

それはソ連(今のロシアなど)だ。ソ連の戦死者は、軍人1360万人、民間人772万人。合計で2100万人を超える。1940年のソ連の人口は2億人だった。2100万人は総人口の1割強である。ソ連はおもにドイツと戦ったのだが、その戦い(独ソ戦)は、きわめて激しいものだったのである。戦争というよりも、まさに地獄だったといっていいだろう。

そしてドイツの犠牲者は、軍人400万人、民間310万人で、合計710万人。1936年のドイツの人口は6700万人。戦死者の割合は1割強で、ソ連とほぼ同程度だ。

日本では軍人・軍属230万人、民間人80万人が亡くなり、合計で310万人(厚労省のデータ)。1940年の日本の人口は7200万人である。

中国は、軍人132万人、民間1000万人。中国はおもに日本と戦い、ソ連に次ぐぼう大な死者を出した。第二次世界大戦当時の中国の人口については、よい統計がみあたらないが、1950年の人口は5億5000万人である。

こういう戦死者の数字は、諸説ある。国によっては統計の精度が低かったり、政治的なバイアスがかかっている場合もあるだろう。しかしいずれにせよ、最近の大災害やテロなどで目にする犠牲者を大きく超える、ケタはずれの悲惨な数字であることにかわりはない。

そしてこれは70~80年前の世界で現実に起こったことなのだ。ほんとうに、想像を超えたとんでもないことがあったのだと思う。

世界大戦があったことについて、私たちは子どもの頃からいろんな機会に聞かされてきたので、あたりまえになっている。しかし、もしもこの戦争について知識を得る機会のないまま成長した人間が、世界大戦についていきなり聞いたとしたら、どう思うだろうか? 簡単には消化できないのではないだろうか。「うそだろ?」「信じられない」という反応があってもおかしくない。

現に最近は「日本とアメリカって戦争したことがあるんですか?」などという若い人がいるらしい。その現場に立ち会ったことはないが、あり得る話だ。

今後、こういう無知な人は増えていくだろう。戦争を体験した世代や、その世代からじかに話を聞いた人たちがいなくなれば、戦争に関する記憶や知識は意識的に勉強しないと得られないものになる。学校の教科書にはもちろん書かれているだろうが、そんなものはいっさい読まない、授業もろくに聞かないという人は大勢いる。そして最近はテレビをみない人も増えているのだ。今でもたとえば「日露戦争」というものがあったことを知らない日本人は、若い世代ではかなりの割合でいるはずだ。

そして、教科書や本で戦争について読んだとしても、それだけでは抽象的で手ごたえが足りない。「あなたのひいおじいさんは戦争に行って…」「おばあさんは空襲で焼け出されて…」みたいな身近な人からのインプットは、知識にリアリティを与えるうえでやはり重要なのだ。しかし、戦争を体験した世代はこれからは本当にいなくなる。

あと何十年かのうちに日本や世界のかなりの人たちが、世界大戦というものがあったことを知らない世の中になるのではないか。戦争を経験していないとか、その悲惨さをわかっていないというのではなくて、それがあったこと自体を知らないのだ。

その先には、さらにおぞましいことが起きる。「世界大戦などというものはなかった」と主張する者たちが出てきて、それなりに影響力を持つようになるのだ。「進化論はまちがっている」とか、「ワクチンのような現代医療の多くが効果のない有害なものだ」といった主張の類のひとつとして「世界大戦はなかった」論が出てくる。

「世界大戦はなかった」論者は、たぶんこんなことを言うだろう。……そんな、何千万人もの死者が出るような大戦争があったなんて信じられますか?あり得ないでしょう。そんなことが本当にあったとしたら、すでに世界は滅びてますよ。あれは〇〇(←差別・攻撃の対象)がでっちあげたフェイクです!そのようなウソを人びとに信じこませて、自分たちの都合のよい方向に動かしているんです。戦争体験者へのインタビューとか、戦争のドキュメンタリー映像というのは、みんなCGです……

上記のような全否定の極論だけでなく、その被害や悲惨さを矮小化する主張ならば、もっと出てくるだろう。たとえば「5000万人も死んだなんてウソ。本当はヒトケタ少ない」みたいな。あるいは個別の事件・事実の否定がもっとさかんになる。すでに「ホロコーストはなかった」論というのがあるが、いつか「ヒロシマ、ナガサキはなかった」などという狂ったデマが力を持つかもしれない。

私は決してふざけているのではなく、そのようなことがほんとうに未来に起こりうるのではないかと真面目に心配しています。今のフェイクニュースだらけの世の中をみていると、そう思ってしまう。言われてみると「たしかにあり得るのでは」と、あなたも思いませんか? 

世界大戦についての記憶が失われ、「そんなものはなかった」などという大ウソが蔓延したら、世界大戦がくり返される危険はおおいに高くなってしまうだろう。重大な過ちについての教訓を失えば、失敗しやすくなるのは当然だ。

だからやっぱり、大人は子どもや若い人に戦争についての話をしよう(たいした知識などなくてもいいのだ。本記事の犠牲者数のことも素材になる)。勉強させよう。大人も少し勉強しよう。今のシーズンはいい機会だ。テレビで戦争体験を語る人たちが、本当に高齢な様子をみていると、そう思う。

***

世界史関連のさらに踏み込んだ内容の長文を載せる別ブログ「そういち総研」というのをやっていて、そこに第二次世界大戦の概要を私そういちがまとめた記事をのせています。ブログの記事としてはかなりの長文ですが、ヨーロッパの戦争と太平洋戦争の両方を視野に入れ、基本的事実を読みやすい文章で堅実にまとめたつもりです。1~2時間で初心者の人がかなりまとまった知識を得ることができます。夏休みの機会にぜひ。

初心者のための、一気に読める第二次世界大戦の要約←クリック

(以上)

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2019年08月02日 (金) | Edit |
最近「ビザンツ帝国」についての本を何冊か読んだ。とくにビザンツ研究の大家・井上浩一さんの著作(『ビザンツ 文明の継承と変容』京都大学学術出版会)を中心に。

ビザンツ(ビザンチン)帝国というのは、ローマ帝国が300年代末に東西に分裂したあとの東半分をさす(諸説あり)。首都はコンスタンティノープルという、今のイスタンブールにあたる都市。ビザンツの呼び名は、コンスタンティノープルの古い名称であるビザンチウムにちなんだものだ。なお、ローマ帝国の西半分というのは、今の西ヨーロッパにあたる地域である。

じつは、ビザンツ帝国の住民は自分たちを「ビザンツ人」と称したりはしていない。

では何と自称したかというと、「ローマ人」である。つまり偉大なローマ帝国の人間であるということだ。

「ビザンツ」というのは、だいぶ時代が下ってからの西ヨーロッパ人による呼び方だ。そこにはビザンツへの対抗意識や嫌悪がある。「あんなものは正当なローマ帝国ではない。ローマ文明の正当な後継者はこちら側(西ヨーロッパ)だ」という意識。そこでビザンツ人を「ギリシャ人」と呼ぶことも多かった。ビザンツ帝国の領域の中心はギリシア周辺で、人種的にもギリシャ人が中核を占めていたからだ。

しかし、ルネサンス以降、西ヨーロッパで古代ギリシアの文明が崇拝されるようになると、「ギリシャ人」というのも「ローマ人」同様に栄誉あるものになった。そこで西ヨーロッパの人びとは、ローマでもギリシャでもない「ビザンツ」という名でローマ帝国の東側を呼ぶようになった。ビザンツという名称には、そういう、ちょっとめんどくさい経緯がある。

300年代末に東西分裂したローマ帝国のうち、西側は400年代後半に体制崩壊して滅びてしまった。しかし、東側のビザンツ帝国は1000年余りの長期にわたって存続した。

ビザンツ帝国が滅びたのは1453年のことだ。この年にオスマン朝(オスマン・トルコ)の攻撃で、コンスタンティノープルが陥落した。長く続いたとはいえ、末期の頃のビザンチン帝国はすっかり衰退して、コンスタンティノープル周辺だけを支配する小国になっていた。

ビザンツ帝国について興味をひかれるのは、そこに現代の世界と似たものを感じるからだ。とくに、その初期の200~300年間の頃のあり方について、そう思う。

ビザンツ帝国は、古代ギリシアの文明を受け継いで発展させたローマ帝国の末裔である。その文明はギリシア・ローマの文明が長い過程を経てたどりついたものだ。だから、古典的なギリシア・ローマの文明にあったさまざまなものが変質・形骸化して存在している。

まず、民主主義・共和政的な政治のあり方。つまり、多くの市民が政治参加して、それが権力を拘束するということ。その伝統は民主主義で有名な古代ギリシアだけでなく、最盛期のローマ帝国にもあった。ローマ皇帝は、有力者の合議体である元老院やさまざまな法・慣習から一定の拘束を受けた。軍隊や市民の支持を絶えず意識して政治を行った。何にも縛られない専制君主というわけではなかった。

しかし、ビザンツ帝国の皇帝は、絶対的な専制君主だった。ビザンツ帝国では民主主義・共和政の伝統は過去のものになっていた。ビザンツ帝国の役人は自分たちを「皇帝の奴隷」だと意識していた。それを嫌がるのではなく、偉大な存在の「奴隷」であることにそれなりの誇りを持っていた。

しかし一方で民主主義的な伝統の「化石」といえるような儀式もあった。皇帝が就任するときの、市民たちによる歓喜の声。これは国家が動員した「市民」だった。そしてその「市民」は、国家のなかのひとつの官職になっていた。民主主義を演出するための役人という、奇妙なものがいたのである。

最盛期のローマ帝国では、コロッセオのような施設で連日さまざまな見世物が行われて、市民が熱狂した。巨大な競走場での戦車(馬車)によるレース(競馬のようなもの)もさかんだった。また、市民に対し無償で食糧配給も行われた。「パンとサーカス」といわれる一種の福祉政策だ。

「パンとサーカス」はビザンツ帝国にも引き継がれた。ビザンツではコロッセオで行われたような剣闘士の戦いは廃れ、人気を集めたのは戦車競走だった。戦車競走の名選手はスーパーヒーローとしてもてはやされた。戦車競走の運営を支えるものとして、「青組」「緑組」という集団が組織され、市民はどちらかに思い入れをもって熱心に応援した。なんだかサッカーや野球の応援みたいである。

最盛期のローマ帝国では、おもに都市を単位とする、地域ごとの自治組織が強固で活発だった。「都市参事会」という公式の機関があり、それが地方政府のようなものだった。都市参事会が中心になって、インフラ整備などさまざまな行政活動が行われた。人びとはコミュニティに対し強い帰属意識をもっていた。

しかし、ビザンツ帝国ではそのような自治組織はすっかり衰退してしまった。人びとの地域コミュニティへの帰属意識も失われ、ばらばらの個人が皇帝という最高権力者によって支配される、という構図になった。

ビザンツの人々は、きわめて個人主義的だった。しかし、それは「かけがえのない自分」のような強い自我をともなう近代的なものではない。「自分たちは皇帝の奴隷」という意識のもとでの個人主義なのである。

このように、ビザンツの文化・社会は、古典時代の古代ギリシアや最盛期のローマとはかなり異質なものだった。しかし一方で、ビザンツ人は古代ギリシア以来の伝統を大事に守っていた。ビザンツの知識人が書くものは、ギリシア・ローマの文献の引用や注釈ばかり。社会が変わっても、古くからの「ローマ法」を後生大事にして、判決などの根拠にする。つまり、古い伝統をひきずったままそれを超えるものを生み出せない停滞状態だったともいえる。

技術的にみれば、ビザンツの建造物や生産の技術は、最盛期のローマ帝国を超えることはなかった。コンスタンティノープルでも、最盛期のローマ市にあったような巨大建築は建てられたが、ようするに同じようなものが(ややスケールダウンして)再現されたという感じである。

ビザンツ帝国を支配したイデオロギーはキリスト教だった。ビザンツの人びとの圧倒的多数はキリスト教徒だった。キリスト教は、皇帝の権力を正当化する役割も担った。ローマ帝国は特別な「神の国」で、ローマ皇帝(ビザンツ皇帝)は神に選ばれた支配者であると説明された。

キリスト教万能の社会では、自由な学問研究は抑圧され衰退してしまった。とくに古代ギリシア以来発達してきた、合理的に自然現象を説明しようとする学問は、神の否定につながるものとして敵視される傾向があった。

また美術では、古典期のギリシア彫刻のような、リアルで生き生きとした表現は衰退し、観念的で誇張の多い、平面的な表現が主流になっていく。それはそれで独特の味わいや深さがあり、現代美術的ともいえる。しかし、素直な子ども目線でみれば「絵がヘタになった」感じである。

どうだろうか。古典的な民主主義の衰退・化石化。地域コミュニティの衰退と個人主義の台頭。しかし自立した個人ではなく権威に隷属する個人。観念的なイデオロギーが強くなり、合理主義は後退。芸術表現にもそれがあらわれている。また科学・学問の創造性の低下……これって、現代世界と重なりませんか?

現代世界の文明も、ヨーロッパで生まれ、アメリカで展開した近代文明が長い時間を経て到達したものだ。その意味で、ギリシア・ローマの文明のなれの果てといえるビザンツの文明と似た立ち位置にある。井上教授もいうように、今の世界は「ビザンツ化」しているのではないか。

現代の世界を考えるうえでビザンツ帝国のことは参考になる。これからもこのテーマは考えていきたい。


*世界史専門の別ブログ『そういち総研』で、ビザンツ帝国についてより詳しく述べた記事を書いています。興味を持ってくださった方、ぜひご一読を。

こちら→ビザンツ帝国=東ローマ帝国とはどういう国だったか

(以上)
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