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2019年08月17日 (土) | Edit |
テレビ(民放)で外国人の受け入れの問題について、若手の識者が議論しているのをみた。だいたい20~30代の、たとえばミュージシャン、NPOのリーダー、弁護士、コンサルタントで、社会に向けてさまざまな発信をしている男女。話ぶりが魅力的な人が多く、つい聞き入ってしまった。

論者の意見は当然、外国人の受け入れ反対派と賛成派に分かれる。反対派は「日本の文化が壊れる」「少なくとも中長期的には民族間の激しいあつれきが起こる(テロだって起きる)」という。「ヨーロッパでは移民の受け入れは失敗だったというのが一般的な認識だ」とも。

賛成派の人たちは「日本の社会にはもっと多様性が必要」「これからの世代にはさまざまな文化を受け入れる素地が育っているので、対立が深刻化することは避けられる」ということを言っていた。

これに対し反対派からは、社会の現状をふまえ「そのような多様性を受け入れることがほんとうにできるか?無理なのでは」という突っ込みがあった。

発言者の表現に忠実ではないが、主旨としてはそんなところだ。

これを聞いていて私は「この人たちは本当に“文化人”だなあ」と思った。少しおどろいたところもある。文化人というのは、ここでは文化というものを、じつに大事しているということだ。「文化」が今回の議論のキーワードだった。受け入れ反対派は「文化が壊れる」といい、賛成派は「多様な文化が大事だ」といっている。

でも、外国人受け入れの問題は、文化はもちろん大事だけど、それだけのことでもないはずだ。

今年4月の法改正(改正出入国管理法)だってそうだ。あれば在留資格として「特定技能」なるものを新たにつくって、それに該当する外国人を働き手として迎え入れようというものだ。

「特定技能」の対象分野は、介護、ある種の製造業、建設業、宿泊業、飲食業、農業、漁業、ビル清掃など。これらの業界の現場で身体を使って頑張る仕事。どの分野も人手不足が深刻な状態。このままだと社会のニーズにこたえきれなくなる、従来の生活を社会全体として維持できなくなる……そこで、海外からの働き手を受け入れようと考えた。

つまり、労働や産業の問題に対応するため、外国人受け入れの枠を増やしたのである。

ではなぜ人手不足なのか。日本人で「特定技能」的な仕事に就きたい人が大きく減ったからだ。

今の日本人の多くはエアコンのきいたオフィスでのデスクワーク、さらには知的・文化的な要素のある仕事を志望するようになった。

このような「文化人」的傾向は若い世代ほどはっきりしている。私は若い人の就職・採用に関係する仕事をしているので、現場感覚としてここはよくわかるつもりだ。ただし、「特定技能」的な仕事の非正規化など、処遇の悪化ということもある。

文化人は多くの場合、「特定技能」的な仕事は好きではない。少なくともそれを本格的な職業とすることはイヤがる。そのような現場仕事は、ほかの誰かにやってもらい、自分はもっと知的・文化的な何かに関わりたい。そこまでの志向がなくても、とにかくオフィスでの事務的な仕事がいい。そのような日本人が増えた。ひと昔くらい前よりも、さらに増えたのだ。

これは、日本が豊かになり成熟した結果であり、必然的なことだ。少なくともある程度は、そうならざるを得ない。

それを、昭和的なオジさんの感覚で「けしからん」「なげかわしい」などというつもりはない。豊かになったんだから、これはあたりまえだ。オレだってそういう文化人志向の気持ちがわかるよ、といいたい(こんなブログをやっている、文化人・知識人志向のオジさんですから)。

昭和的オジさんたちだって、自分の子どもには「特定技能」的な仕事よりも、オフィスで働く仕事に就いてほしいという人が多いはずだ。そもそも、誰にも仕事を選ぶ自由がある。これは何より尊重されなくてはならない。

テレビに出ていた、もっぱら「文化」の問題として外国人受け入れのことを語る若い識者たち。この人たちは、みんなが「文化人」になった、新しい日本人の典型なんだと思う。

労働や産業の現場のこと、そして産業が支える日々の生活の問題は、どこに行っちゃったんだろう。討論が限られた時間だったとはいえ、このあたりへの言及は皆無だった。

外国人の受け入れに反対というのなら、「特定技能」的な領域での人手不足をどうするのかについても、触れるべきだろう。

くわしい処方箋はむずかしいとしても、一般的な方向性は示せるはずだ。たとえば、それらの業界での働き手の処遇改善といったことは、常識的に考えられる。

でも、いわゆる処遇改善だけでは、効果は薄いのではないか。つまりそれだけでは「文化人」の若い人たちは集まってこない。そこに「文化」を感じさせる何かを加えないといけないのだ。うーん、可能かもしれないがむずかしそうだ……

あるいは、もっと根本的に社会や生活のあり方を変えていくという選択肢もあるかもしれない。

建設業で人手が足りないなら、新しい立派な建物なんていらないじゃないか、みたいな(ただし、水道のような基本的なインフラの整備やメンテナンスの人手は何とか確保する)。外食産業だって今ほどはいらない、ビルの中もそんなにキレイでなくても大丈夫、とか。

介護はどうしよう……家庭でも施設でもない、別の何らかの人の結びつきで対処するのか……でも、それってどんなものなのだろうか? いずれにしても、簡単ではない。

「外国人が大勢来ると我が国の文化が壊れる」というのは、「あいつらはオレたちとちがうから、とにかく嫌いだ」と言っているだけにも思える。ただし「嫌いだ」という感情は根源的で手ごわいものなので、侮れない。でもそれだけでは、知識人の発言としてはもの足りないのではないか。

もの足りないといえば、「多様性は大事だから、外国人を受け入れよう」というのも、「とにかく、みんな仲良くしましょう」とだけ言っている感じだ。たしかにそれは大事だとは思うが、それだけでは知識人としてはやはりさみしい。とにかく、それだけではいけないように思う。

(以上)
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