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2019年11月11日 (月) | Edit |
今から30年ほど前、私そういちが若者だった1980年代後半から1990年頃、活字文化はまだそれなりに元気だった。

当時の私(大学生から新入社員の頃)は読書好きの1人として、社会・人文系の古典を読むことに大きな意義を感じていた。神保町の古書店街にもときどき足を運んだ。給料をもらうようになって、学生時代から欲しかった岩波のヘーゲル全集やアリストテレス全集を何万円かで買ったりもした。こういう古典は、活字文化のなかで高い位置を占めていた。

1990年代前半の頃、インターネットはまだ一部の科学者やマニアのもので、家庭でのパソコンの普及も限られていた。私はワープロ専用機で書いた文章を印刷し、仲間との集まりで配ったりしていた。

1990年代の終わりに、私は初めてパソコンを買ってインターネットも始めた。パソコンやインターネットの急速な普及は1990年代半ばからだというから、その動きに対し、やや後ろのほうからついていく感じだった。

そして、Eメールの機能を使ってグループをつくり交流する「メーリングリスト」の集まりに参加するようにもなった。私が参加したのは、科学教育、科学史・科学論に関心を持つ、数十人のアマチュアの集まりだった。なお、当時は今のSNSのプラットフォームはなかった。

会社勤めから帰ると夢中になって、メーリングリストにさまざまな書き込みをした。今書いているもののベースになるような歴史や社会に関する議論も、全国のメーリングリストの仲間と行った。これは本当に楽しかった。また、その仲間とはときどき「研究会」というかたちで、顔を合わせた。

2000年代(ゼロ年代)半ばには、ブログというものがあることを知って、自分も始めてみた。そのときのブログは数か月でやめてしまい、その数年後(2013年)に今のこのブログを始めた。メーリングリストのほうは、最初にブログを始めたあたりで私はやめてしまった。2000年代後半は、SNSの時代の始まりだった。

さて、今はどうか? 今どきヘーゲルみたいな古典を読むのはその方面の研究者か、そうでなくてもかなり特殊な人だけに限られるようだ。知的な素養としてそうした古典をぜひ読んでおこう、という価値観はすたれてしまった。そのような価値観は私が若い頃にもかなり下火にはなっていたが、今はもう本当に「終わった」という感じだ。

また、最近の私は古書店に行くことが減って、古本はおもにアマゾンで買っている。書いた文章を最初に発表するのは、たいていは自分のブログである。

2016年にはブログをみた出版社の方から声がかかり、世界史に関する本を出す、などということもあった(拙著『一気にわかる世界史』日本実業出版社)。そんなかたちで本の著者になることなど、若い頃にはもちろん想像できなかった。遅ればせながら、最近になってツイッターも始めた。

知識・情報のやり取りに関する環境は、この30年で激変したのである。私が若い頃の「旧世界」はパソコンやインターネットの普及などで消滅し、新しい今の世界が出現した。

今50代半ばの私は、ちょうどその新旧2つの「世界」をある程度深く体験できた世代だと思う。それぞれの体験が中途半端かもしれないが、両方の世界を知ることができたのは良かったと思っている。

(以上)
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