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2020年03月17日 (火) | Edit |
*3月31日現在の状況をふまえた「追記」を文末に加えました

昨日(3月16日)、NHKの新型コロナ関係の特集番組に、政府専門家会議の尾身副座長(おなじみの眼鏡のドクター)が映像で出演していた。そのなかで「なぜもっとPCR検査をしないのか」という主旨の視聴者からの質問を、アナウンサーが尾身氏に投げかけていた。

しかし、その答えはこれまで繰り返されてきたとおり。「PCR検査は、重症化が疑われる人のための検査ということです」の一点張り。あるいは、のらりくらりとはぐらかす。

番組をみていて、どうしてこんなに頑ななんだろうと気になってきた。これはやはり背景に何かがあるのでは?「何か」というのは「権力者の指図」ということではなく、専門家としてのそれなりの考え方があってのことだろうと、最近は思える。

その考え方とは、(私が推測するところでは)要するにこういうことだろう。

「積極的なPCR検査はしません。それを行うと多くの感染者が発見され、その人たちを隔離入院させれば、医療崩壊が起こる危険性があります。医療崩壊が起これば、本当に医療が必要な、重篤な新型コロナの患者さんや、その他の深刻な病気の人を助けることができなくなる。それだけは絶対に避けるべきです」

「PCR検査を限定することで、多くの感染者を発見できずに、その人たちが感染を広げてしまう恐れはあります。しかし、このウイルスの感染力や毒性には一定の限界があります。感染者の大多数は、他人に感染させることはありません。もし感染しても、重症化する可能性は低いです。それは、これまでのデータで確認されています」

「そこで、町のドクターなどの医療現場で、これは検査したほうがいいという人を見極めてもらい、その人だけを検査して、もしも陽性なら隔離入院させる」

「そのようにすれば、新型コロナによる入院は限られるので、医療現場でも十分な治療をすることができ、重篤になってもおそらくは命を救えます。日本では、諸外国とちがって、多くの人が町のドクターに気軽にアクセスできます。これは健康保険をはじめとするさまざまな制度や慣習でそうなっているのです。だから、身近な医療現場による、検査すべきかどうかの“選別”は有効に機能するはずです」

尾身副座長は「日本の医療には底力がある」とも述べていた。それは「町のドクターによる患者(感染が疑われる人)の選別」と「設備の整った病院での、重篤な患者に対する手厚い治療」の両者がしっかりと機能するのが日本の強みだ、という考えを抽象的に表現したものなのではないか。

政府の専門家が以上の方針だとして、そこに一定の合理性はあると思う。またその方針は、今のところはまずまずの結果をもたらしているのだろう。イタリアなどと比較するとそう思える。もちろん今後の展開はわからない。政府の専門家が、この病気の感染力や毒性などの性質を、大事なところで読み違えている可能性もあるかもしれない。

いずれにせよ、政府による上記のような明確な説明は、なされていないようだ。少なくともテレビのような目立つ場所では、行われていない。

それはそうだろうと思う。そんな説明をしたら、感染を不安に感じている多くの人が怒りだす。「このまま放っておけというのか!」と。

あるいは別の考えの専門家からみれば、突っ込みどころ満載である。感染力や毒性に限界があるとして、それは具体的にどの程度なのか?そのことについてのエビデンスはあるのか等々……

そして、データや証拠は十分ではないはずだ。少なくとも批判的な専門家を納得させるだけの厳密なものはない。ただし、「おそらくは」というレベルの一定の証拠ならある、といったところなのだろう。

町のドクターの立場では、「検査すべきかどうか、適宜判断して」というなら、もっと判断基準を明確にしてほしいということがあるだろう。でもこの病気はまだわからないことが多いので、それは難しい。だから「現場でうまくやってください」としか言えない。

うーん、だとしたら、いかにも日本的な問題への対処方法だと思う。明確で系統だった方針をリーダーが示すことなく、あいまいなまま。あとは現場や関係者が察して上手くやってくださいというわけだ。

また、「厳密で突っ込みどころのない材料がそろわないと、きちんと説明できない」という前提でものごとが動いているのだとしたら、それもいかにも日本的だ。

緊迫した現場では、「一定の蓋然性(確からしさ)」で意思決定していくことは、当然あっていいはずだ。しかし、日本では「お上はとにかくまちがいがあってはならない、絶対に確かなことでなければ言うべきでない」という雰囲気がある。これは、政府内だけでなく、国民のあいだにもある。

今回の新型コロナの件は、その日本的な手法によって、結果的にまずまずのところに落ち着くのかもしれない。もちろん油断はできないが。

しかしいずれにせよ、このままでは自覚的な行動に基づく「経験」というものが社会的に蓄積されない。経験というのは、「自分(たち)が何のために何をしているのか」を明確に意識して行動し、その結果を検証・反省してこそ得られる。今回の「政府の方針」のように、明確で系統だった説明が不十分なままでの取り組みでは、それは望めないだろう。

また、指導的な人たちが国民を信頼していない感じも、伝わってくる。「どうせ下々には説明してもわからないだろう」ということだ。

以上は、限られた・ありふれた情報から、私なりに推測を重ねた素人談義ですが、どうでしょうか?多くの人がある程度は感じていることをまとめたに過ぎないのかもしれません。とにかく、この「推測」が当たっているかどうかは、これからだんだんはっきりするでしょう。

(以上)

*3月31日追記 その後の報道で専門家の発言をみていると、この記事で述べた「政府筋の専門家の方針」についての理解は、ズレていなかったと感じます。

たとえば、先週時点で押谷仁教授(厚労省クラスタ―対策班の中心の1人)は、NHKのニュース番組のインタビューで「PCR検査をおさえているからこそ、医療崩壊に至っていない」という主旨(正確な再現ではないが、ほぼこれに近い踏み込んだ言い方)のことを述べていました。

また、この記事では述べていないことですが、「クラスターを個別につぶしていく」(まとまった感染があった場合、そこに接点のあった人たちをフォローして隔離や行動の規制をする)という地道で大変な作業に、当局の専門家が尽力したことも、効果があったようです。

ただし、現時点では局面は明らかに変わってきたと思えます。つまり、今までのやり方はもう限界なのではないか。今の段階では「症状の程度に合わせて患者を振り分ける」ことを徹底するという前提で「積極的な検査の実施(現状把握)」ということが求められるのではないか。

これまでのように、あいまいさを含んだ「最前線の現場に任せる」やり方ばかりではなく、上部からの明確で系統だった方針・基準に基づいた運営を確立していくということです。しかし、そのための体制や枠組みづくりは、どうなっているのだろう?

また「振り分け」をした患者を収容する病床の確保、専門の医療施設の整備(臨時の建設も含む)、その他医療関係の物資・機器の調達は必須なはずですが、当局の対応のテンポには不安を感じざるを得ません。

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