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2020年05月27日 (水) | Edit |
つい先日、緊急事態宣言が全国すべてで解除になったので、これまでについての検証をしてみよう。まだまだコロナ禍の問題は続くだろうから、とりあえずの中間的な検証だ。

といっても、政府の対応についてではなく、自分が今回の各時点で事態をどうとらえたか、ということ。自分に対する検証である。

おととい(25日)の記者会見で、安倍総理は「今の時点でこれまでの政府の対応についての検証はしないのか」という質問に対し「今はしない。事態が収束してからだ」という答えだった(でもWHOに対しては、このあいだ「これまでの対応を検証すべきだ」と主張した国のひとつだし、このときの記者会見でもその話をしていた)。

こういう、検証や反省を避ける姿勢は良くないなと思ったので、自分は自分のことを検証してみようと思ったしだいです。

検証の材料としては各時点で書いたブログがある。2月以降、当ブログと別ブログの「そういち総研」で書いた記事(あわせて10数本、そんなに書いてないけど)のほとんどはコロナ関連だ。

最初にコロナのことを書いたのは、2月下旬。別ブログ「そういち総研」で、コロナウイルス対策からみた中国と日本の社会構造の比較というテーマで長文の記事をアップした(2月23日)。中国は専制(独裁)国家であり、日本は集団・組織のあいだの調整を重視する「団体構造」の社会で、そのことが今回のコロナへの対応でも端的にあらわれている、という内容だ。この記事を紹介する記事を、当ブログでも書いた(2月24日)。

専制国家・中国の社会構造と行動の特徴←2月23日の「そういち総研」の記事

この頃の記事を読み返すと、「コロナ問題をまだまだ対岸の火事だと思っていたなあ」と感じる。

この記事の切り口は、「コロナ問題は中国をおもな舞台として今後も進行する」というイメージに基づいている。コロナウイルスが中国を超えてあれだけの猛威を振るうとは予想していなかった。1か月後にオリンピックの延期が決まるなんて、思っていなかった。

また、今回のコロナの問題が展開しだいでは、習近平の支配に大きなダメージを与える可能性についても述べた。しかし、中国政府は今のところコロナをかなり抑え込んだようなので、習政権の明らかな危機ということは起こっていない。

記事のなかではそれほど踏み込まなかったが、当時の私は、中国での混乱の拡大・深刻化や、それが政権を揺るがすという可能性は、相当にあるとイメージしていた。そういう展開が短期間のうちにはっきりするかもしれないと。習政権自身が、少なくとも2月にはその危機感を強く持っていたはずだ。

しかし、思っていた以上に中国の独裁体制はしぶとかったようだ。それどころか、中国のような相当な国力を持った独裁体制は、強力な感染症対策を推進しやすい一面があるということが、今回の件で明らかになった。少なくとも短期的にみて、政権が大きく揺らぐ様子は、今のところみられない。

ただし、中期的には経済不振や感染拡大の再燃が深刻化する可能性はあるので、中国の体制にとって強い緊張感は続くのだろう。独裁国家の権力者は、権力の座を追われたら命さえ危なくなるので、その緊張感は先進国のリーダーとは比較にならない。

ここまで「予想やイメージどおりではなかった」という面について述べた。でも、2月23日の記事で、つぎのところは今も有効な見方だと思っている。(以下、赤い文字は記事からの引用)

“一方、新型コロナウイルスの問題に対する日本社会の反応はどうか。これは「縦に連なる重層的な関係性」で成り立つ「団体構造」ならではのことになっていると思う。「縦に連なる重層的な関係性」というのを私なりに補足すると「さまざまなレベルの中間団体に権威や責任が分散し、それが幾層にも積み重なって社会全体が構成されている」ということだ。

こういう社会は、手慣れた問題だと、さまざまな組織(中間団体)の間の連携や協力がスムースに行われるが、未経験の問題に対しては、お互いの組織の立場や利害に配慮するあまり、現場が身動きしにくくなる傾向がある”


このような日本社会の特徴は、その後のコロナ対策にずっとマイナスの影響をあたえつづけた。私たちは、2月以降のさまざまな局面で、総理をはじめとするリーダーが「スピード感をもって調整していきます、再来週をめどに…」みたいなことを言うのを見聞きしてきた。これからもそれが続く可能性はおおいにあるだろう。

そして、ここでいう日本的な「団体構造」の特徴としては、「明確な方針や責任感をもったリーダーシップの不在」ということもある。このこともその後の政府中枢の様子をみていると顕著だった。しかし、この点についての認識は、2月下旬の時点ではまだ不十分だったと思う。

一方で、この2月下旬の記事では、こうも書いた。

“しかし一方で、日本人は目的やなすべきことが明確ならば、お互いに「調整」を重ねたうえでということになるが、立場を超えて協力しあうことも得意なはずだ”

これは、緊急事態宣言後にさまざまな事業者や多くの個人が「自粛」に協力した様子をみれば、当たっていたイメージだと思う。

ただし、このときの私は(記事では述べていないが)、日本社会における「立場をこえた協力」のひとつのあり方として、「日本株式会社の団結」ということもイメージしていた。

つまり、日本の主だったメーカーや総合商社などが、この問題への対応で何か大きく貢献してくれるのではという期待だ。医療機器の生産、あるいは物資の調達などで、こうした企業が目立った動きをするのではないかと。

ところが、こういう「日本株式会社の団結」は、不発だった。もちろん、社会を維持するうえでさまざまな企業が努力していたのはたしかにちがいないが、プラスアルファの大きな何かは、ほぼみられなかった。

とくに、最近のトヨタのCMで「関連会社でフェイスガードをつくっています」みたいなことを言っているのをみると、そう思う。世界のトヨタがそんなものか、と残念な気になる。トヨタは自分で医療系の何かをつくるのではなく、医療機器のメーカーにトヨタ的な生産管理を指南することにしたのだそうだ。「お茶を濁す」とは、こういうことをいうのだろう。

シャープは自社製マスクをネット販売しようとしてシステムダウンしてしまった。ユニクロはようやく夏の販売開始をめどにマスクをつくりはじめたとのこと。伊藤忠商事はアベノマスクの調達に尽力したが、いろいろうまくいかなかったようだ。うーん…

日本株式会社が今回のコロナ禍で、めざましい動きができなかったことについては、専門性のちがいなど困難な事情も多々あっただろう。自動車メーカーにいきなり医療系のなにかで貢献しろと言われても、ということだ。でも、ほんとうに「ムリだ」で終わっていいんだろうかと、今も思う。もしも「さすがはトヨタ」といわれるような何かができたなら、トヨタ自身も得るものは大きかったはずなのに。

日本株式会社は、やはり活力が落ちているのだ。それはわかってはいたが、思っていた以上だったのだと、今回感じた。

このことをマスコミは言わない。とくにテレビはスポンサー批判になるのでまったく言えない。日経新聞では、外国の記者がこの「日本株式会社の不発」について言及しているのをみかけたことがあるが。

検証・反省すべきことはこのあと3月、4月、5月の分と続くのだが、長くなってきたので、いったんこのへんでやめておこう。ただ、2月頃の、日本で事態の深刻化が明らかになる以前の「見立て」がどうだったかは、とくに重要だ。

こういうふうに自分について一定の検証・反省ができるのは、「ぜんぜんダメだったわけじゃない」「甘いところや間違いもあったが、正しいところもかなりあった」と今も思えるからだろう。

これが「全然ダメだった、間違いばかりだった」ということになると、検証なんてまっぴらだと思うにちがいない。検証などしたら、ボロボロになってしまう。今の安倍総理の認識は、そういうことなのだろう。

(以上)
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2020年05月12日 (火) | Edit |
今日5月12日は、フローレンス・ナイチンゲール(1820~1910 イギリス)の誕生日だ。しかも生誕200年。コロナ禍の今、人びとの命と健康を守るために多くの仕事をした彼女のことを、ぜひ取りあげたい。(このブログでは過去にも取りあげたことがあるが、あらためて)

ナイチンゲールは何をした人だったのか? 多くの人を救った立派な看護師? 

それはまちがいではないが、不十分な答えだ。

ナイチンゲールは、看護という専門分野の確立者である。彼女以前には、看護という仕事は、専門知識や高いスキルを要するとは思われていなかった。「誰でもてきる」と誤解されていた。しかし、彼女が看護の現場でリーダーとして活躍し、さまざまな改革を行い、看護師を養成する学校を立ち上げ、当局や世論に働きかけたことによって、変わった。

ナイチンゲールが有名になったのは、クリミア戦争(イギリス・トルコなどとロシアの戦争、1853~1856)で、イギリス軍の野戦病院の看護婦長として活躍したときからである。当時の彼女は30代半ば。

彼女が派遣される前、スクタリ(戦場となったトルコの地名)の野戦病院の管理・運営はガタガタだった。不衛生な環境に多くの傷病兵が詰め込まれ、薬品その他の医療物資が不足していた。食事の質にも問題があった。このため、病院内では「本来は死なずにすんだはずの患者」が、おおぜい亡くなっていた。

彼女は病院の管理体制を立て直して、多くの兵士の命を救ったのである。彼女が率いる看護師チームは、病院内を清掃し、寝具や衣類を清潔に保ち、さまざまな医療物資を調達し、食事を改善した。この改革を、私たちが一般に「看護師の仕事」と思う患者のケアを行いながら、すすめていった。

しかし、この「立て直し」は、戦いの連続だった。イギリス陸軍という官僚機構との戦いである。

当初、陸軍当局は病院の管理に問題が生じていることを認めようとはしなかった。「物資は十分に行きわたっている」と言い張った。現場から「もっと物資を」と訴えても、積極的に動こうとはしなかった。いざ何かを調達するとなっても、陸軍の部署間のさまざまな調整や手続きが煩雑で、なかなか進まない。ナイチンゲールたちを敵視する、反改革派の妨害もあった。ナイチンゲールを誹謗中傷するウソだらけの「秘密報告書」が出回った。

しかし、新聞の現地取材や報道によって、世間は野戦病院のひどい状況を知るようになった。ナイチンゲールたちが求めるさまざまな救援物資を送るための「基金」がつくられ、多くの資金が集まった。ナイチンゲールも、いろいろ手配をして独自に物資を調達した。彼女は上流階級の出身で、政界や実業界に少数派ではあるが支援者がいたので、そういうことができたのだ。

しかし、そうやって寄せられた物資を、陸軍の官僚たち(一部の軍医も含む)は活用することを拒んだ。「物資は足りている」と言ってきた自分たちの体面を気にしたのである。せっかく届いた物資(栄養補給のためのライム果汁)が、1か月間まったく支給されないまま、ということもあった。これは、ライム果汁が「支給規則」のなかの項目に含まれていないためだった……

以上はほんの序の口である。ナイチンゲールのクリミア戦争における活躍では、切迫した現場での「腐敗し、硬直化した官僚機構との戦い」が延々と続く。

それでも、あの手この手でなんとか戦いを続けて、彼女は成果をあげていった。たんに「戦う」だけでなく、現場の医師たちとの信頼関係構築には、気を配った。現場での取り組みのほかに、政府高官の支援者と連携して、世論に訴えるさまざまなキャンペーンや権力者への根回しも行った。

また、環境の変化と死亡率の相関関係など、現場で起きていることの統計的分析にも力を入れている。のちに彼女は野戦病院の状況について、数値やグラフを駆使した詳細な報告書を作成・公表している。彼女は、こうした統計研究の先駆者でもある。

ナイチンゲールは、「白衣の天使」という表現などではとてもおさまらない、ものすごい人だった。今の世界には、「ナイチンゲール」がもっと必要なのかもしれない。

ただし、それは命がけの現場で献身的に働く医療・看護のスタッフという意味での「ナイチンゲール」ではないのだろう。そのような現場を支えるために戦う指導者としてのナイチンゲール、ということだ。

だから、医療従事者に限らず、政治家や官僚やそのほかのリーダー的な人が「ナイチンゲール」にぜひなってほしいし、誰かがならないといけない。そういうリーダーがいたら、私たちはぜひ応援していこう。でも、どこにいるのだろう?きっと、社会のあちこちのどこかで戦っているはずなのだが……

(以上)

参考文献
板倉聖宣,松野修編著『社会の発明発見物語』仮説社(1998)、長島伸一著『ナイチンゲール』岩波ジュニア新書(1993)、多尾清子著『統計学者としてのナイチンゲール』医学書院(1991)
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2020年05月06日 (水) | Edit |
このゴールデンウィークは「ステイホーム」ということで、近所のスーパーに買い物に行った以外はほぼ外出せす、家にこもっている。ただ、私はもともと週末は家にこもって読んだり書いたりしていることが多いので、それとあまり変わらないのかもしれない。

でも、これほど徹底して閉じこもることはなかった。それに、緊急事態になる前の「ステイホーム」は、どこかへ出たくなれば、いつでもそれができるという自由があったけど、今はちがう。

おとといの午後、その何日か前にアマゾンで注文した本が届いた。メールで知らせがあったので、玄関のドアをあけると、本の入った封筒が置いてあった。このところ、そういう配達の仕方になっているようですね。

届いた本は、速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店(2006)。第一次世界大戦末期の1918年から終戦直後の1920年まで世界的に流行した「スペイン風邪」といわれるインフルエンザの、日本での状況についての研究書だ。

「日本におけるスペイン風邪」をテーマに1冊の本を書いたのは、今のところこれだけなのだそうだ(ほかに、同時代の政府資料を復刊した『流行性感冒』平凡社というのはある)。著者の速水さんは、歴史人口学の大家である。

スペイン風邪は、史上最悪のパンデミックのひとつである。これによって全世界で5000万人、日本では40万人ほどが亡くなった(ただし、数字は諸説ある)。

この本を、ゆうべ遅くにざっと読み終わった。たしかに、今の新型コロナの状況と重なりあうところがある。

日本の場合、海外で先に起こっていた流行について情報の不足や分析の誤りがあり、対策が後手にまわった。政府として多少とも動き出したのは感染がすっかり広がってから。国家としての対策の支出は、驚くべきことに、ほとんどなされずじまい。劇場、デパートのような街中で人の集まる場所の閉鎖措置は(例外はあるが)とられなかった。政府の動きは鈍かった。

政府は予防キャンペーンのため凝ったイラストつきのポスターを8種類もつくっているが、実効性があったとは思えない。「政府も何かやってます」というアピールがしたかったのか。政府に苛立つ与謝野晶子のような有名文化人のエッセイも残っている。

一方、治療や予防に奮闘した町のドクターがいたことも、記録に残っている。当時はウイルス学も確立しておらず、この病気の正体はわかっていないので、医師にできることはほんとうに限られていた。しかしそれでも当時なりにワクチンや治療薬を試す動きもあった(それらには結局効果はなかったが)。

また、「飛沫で感染する」「人との距離を置く」「うがい・手洗い」「マスク着用」といった、今のコロナと基本的には変わらない予防策が新聞で述べられていたりもする。病人の熱をさますための氷が不足して品薄になり、値段が高騰している。

そして、スペイン風邪には、数え方にもよるが、第2波があった。いったん沈静化したあと、再度流行があり、第1波に匹敵するかそれ以上の大きな被害をもたらしている。これは、コロナの今後を考えるうえでも重要な情報だ。

スペイン風邪のことは、おもにこの本をもとに、いずれ長文の記事にまとめてみたいと思った。

なお、この本の著者の速水さんは、2019年の12月に90歳で亡くなった。もしご存命なら、今頃マスコミから多くの取材があったことだろう。速水さんがこの本を書いたのは2005年頃。当時、新型インフルエンザの脅威が取りざたされるようになり、数十万人が亡くなったスマトラ大津波(2004年)の惨事があった。そんな中、ほとんど知られていない「日本におけるスペイン風邪」について研究する必要を感じたようだ(同書、序章)。先見の明があったのだ。

***

あと最近、戸部良一ほか『失敗の本質』中公文庫(1991、原著1984)を読み返している。

本の副題にもあるが、第二次世界大戦のときの日本軍(陸軍・海軍)の失敗について組織論的に研究した本である。当時の軍隊や軍事情勢に詳しい歴史家と、経営や組織論の研究者らによる共同研究。いろんなところで言及される、あるいは話の元ネタにされる、現代の「古典」といえる本。

この本は、日本社会に何かの大きな危機があって、リーダーが迷走するたびに、再読されるのだと思う。東日本大震災のときにも、当時の政府をこの本の視点から批判する動きもあったのだそうだ(同書のビジネスマン向け解説書、鈴木博毅『「超」入門  失敗の本質』より)。

「今のコロナ対策における政府は、戦前・戦中の日本軍のようだ!」と糾弾するつもりはない。ツイッターなどで、強い言葉でそう言っている人はたくさんいるにちがいない。そういうのに加わりたいとは思わない。

しかし、当時の日本軍の失敗は、日本の大組織やトップリーダーが失敗するときの「典型」「極致」を示していると思う。つまり、失敗するときには、「日本軍的」なことを多かれ少なかれやらかしている。私たちや私たちの選んだリーダーは、深刻な危機のときに「日本軍的」な失敗をしがちなのだと、警戒すべきだ。そのための「チェックリスト」を、この本『失敗の本質』は提供してくれているのだと、私は思う。

では『失敗の本質』では、どんなことに「要注意」だと言っているのか。

目の前のことばかりの「短期志向」でグランドデザインがない。現実を無視して自分たちの思い込み、情緒、忖度、楽観的見通しに基づいて戦略を決める。情報収集と活用の軽視。対策・手段の幅が狭く「いつものやり方」をくり返す。現実が変化しているのに、過去に「正しい」とされたやり方に固執し続ける。多くの犠牲が出ても、頑としてやり方を改めない。そういう人間が要職であり続ける。

意思決定を支配するのは「空気」。明確なリーダーシップを欠いたまま、責任が不明確なまま、ものごとがすすんでいく。

「目標は何か」があいまいで、戦略目標を数値などで客観的に示すことができない。とにかく定量的な検討や判断が苦手。ロジスティックス(資材・食糧の調達)を軽視して、根性主義の精神論がまかりとおる。

誰もが扱えるシステムや技術よりも、必死の努力による「名人芸」「職人技」を偏重。ある面ではすぐれた技術を持っているのに、トータルのバランスを欠いている。

能力・職務による客観的な人材登用ではなく、閉じた人間関係によるエコひいきの横行。作戦を立てる司令部と現場の距離があまりにも遠く、司令部が現場を知らない…

レベル感も不ぞろいで、順不同なのだが、同書にあった項目として、とりあえずこんなことが思い浮かぶ。

うーん、どうだろうか。今の日本政府は、もちろんかつての日本軍のような最悪ではない。もっと正常だと思う。しかし、「失敗の本質」的な失敗の周辺を、うろうろしているところもみられるように思う。あるいは「失敗」に片足を突っ込んでいるのでは、と心配になる。このことも、いずれもう少し踏み込んでまとめてみたいが、時間がないかも。

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先日、別ブログ「そういち総研」に新しい記事をアップしました。このところ、「感染症とは人類にとって何か」という視点で複数の記事をアップしていますが、これは一応の「まとめ」といえるものです。
↓以下をクリック

感染症によって、世界はどう変わってきたか。新型コロナ以後どうなるのか

(以上)
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