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2020年05月06日 (水) | Edit |
このゴールデンウィークは「ステイホーム」ということで、近所のスーパーに買い物に行った以外はほぼ外出せす、家にこもっている。ただ、私はもともと週末は家にこもって読んだり書いたりしていることが多いので、それとあまり変わらないのかもしれない。

でも、これほど徹底して閉じこもることはなかった。それに、緊急事態になる前の「ステイホーム」は、どこかへ出たくなれば、いつでもそれができるという自由があったけど、今はちがう。

おとといの午後、その何日か前にアマゾンで注文した本が届いた。メールで知らせがあったので、玄関のドアをあけると、本の入った封筒が置いてあった。このところ、そういう配達の仕方になっているようですね。

届いた本は、速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』藤原書店(2006)。第一次世界大戦末期の1918年から終戦直後の1920年まで世界的に流行した「スペイン風邪」といわれるインフルエンザの、日本での状況についての研究書だ。

「日本におけるスペイン風邪」をテーマに1冊の本を書いたのは、今のところこれだけなのだそうだ(ほかに、同時代の政府資料を復刊した『流行性感冒』平凡社というのはある)。著者の速水さんは、歴史人口学の大家である。

スペイン風邪は、史上最悪のパンデミックのひとつである。これによって全世界で5000万人、日本では40万人ほどが亡くなった(ただし、数字は諸説ある)。

この本を、ゆうべ遅くにざっと読み終わった。たしかに、今の新型コロナの状況と重なりあうところがある。

日本の場合、海外で先に起こっていた流行について情報の不足や分析の誤りがあり、対策が後手にまわった。政府として多少とも動き出したのは感染がすっかり広がってから。国家としての対策の支出は、驚くべきことに、ほとんどなされずじまい。劇場、デパートのような街中で人の集まる場所の閉鎖措置は(例外はあるが)とられなかった。政府の動きは鈍かった。

政府は予防キャンペーンのため凝ったイラストつきのポスターを8種類もつくっているが、実効性があったとは思えない。「政府も何かやってます」というアピールがしたかったのか。政府に苛立つ与謝野晶子のような有名文化人のエッセイも残っている。

一方、治療や予防に奮闘した町のドクターがいたことも、記録に残っている。当時はウイルス学も確立しておらず、この病気の正体はわかっていないので、医師にできることはほんとうに限られていた。しかしそれでも当時なりにワクチンや治療薬を試す動きもあった(それらには結局効果はなかったが)。

また、「飛沫で感染する」「人との距離を置く」「うがい・手洗い」「マスク着用」といった、今のコロナと基本的には変わらない予防策が新聞で述べられていたりもする。病人の熱をさますための氷が不足して品薄になり、値段が高騰している。

そして、スペイン風邪には、数え方にもよるが、第2波があった。いったん沈静化したあと、再度流行があり、第1波に匹敵するかそれ以上の大きな被害をもたらしている。これは、コロナの今後を考えるうえでも重要な情報だ。

スペイン風邪のことは、おもにこの本をもとに、いずれ長文の記事にまとめてみたいと思った。

なお、この本の著者の速水さんは、2019年の12月に90歳で亡くなった。もしご存命なら、今頃マスコミから多くの取材があったことだろう。速水さんがこの本を書いたのは2005年頃。当時、新型インフルエンザの脅威が取りざたされるようになり、数十万人が亡くなったスマトラ大津波(2004年)の惨事があった。そんな中、ほとんど知られていない「日本におけるスペイン風邪」について研究する必要を感じたようだ(同書、序章)。先見の明があったのだ。

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あと最近、戸部良一ほか『失敗の本質』中公文庫(1991、原著1984)を読み返している。

本の副題にもあるが、第二次世界大戦のときの日本軍(陸軍・海軍)の失敗について組織論的に研究した本である。当時の軍隊や軍事情勢に詳しい歴史家と、経営や組織論の研究者らによる共同研究。いろんなところで言及される、あるいは話の元ネタにされる、現代の「古典」といえる本。

この本は、日本社会に何かの大きな危機があって、リーダーが迷走するたびに、再読されるのだと思う。東日本大震災のときにも、当時の政府をこの本の視点から批判する動きもあったのだそうだ(同書のビジネスマン向け解説書、鈴木博毅『「超」入門  失敗の本質』より)。

「今のコロナ対策における政府は、戦前・戦中の日本軍のようだ!」と糾弾するつもりはない。ツイッターなどで、強い言葉でそう言っている人はたくさんいるにちがいない。そういうのに加わりたいとは思わない。

しかし、当時の日本軍の失敗は、日本の大組織やトップリーダーが失敗するときの「典型」「極致」を示していると思う。つまり、失敗するときには、「日本軍的」なことを多かれ少なかれやらかしている。私たちや私たちの選んだリーダーは、深刻な危機のときに「日本軍的」な失敗をしがちなのだと、警戒すべきだ。そのための「チェックリスト」を、この本『失敗の本質』は提供してくれているのだと、私は思う。

では『失敗の本質』では、どんなことに「要注意」だと言っているのか。

目の前のことばかりの「短期志向」でグランドデザインがない。現実を無視して自分たちの思い込み、情緒、忖度、楽観的見通しに基づいて戦略を決める。情報収集と活用の軽視。対策・手段の幅が狭く「いつものやり方」をくり返す。現実が変化しているのに、過去に「正しい」とされたやり方に固執し続ける。多くの犠牲が出ても、頑としてやり方を改めない。そういう人間が要職であり続ける。

意思決定を支配するのは「空気」。明確なリーダーシップを欠いたまま、責任が不明確なまま、ものごとがすすんでいく。

「目標は何か」があいまいで、戦略目標を数値などで客観的に示すことができない。とにかく定量的な検討や判断が苦手。ロジスティックス(資材・食糧の調達)を軽視して、根性主義の精神論がまかりとおる。

誰もが扱えるシステムや技術よりも、必死の努力による「名人芸」「職人技」を偏重。ある面ではすぐれた技術を持っているのに、トータルのバランスを欠いている。

能力・職務による客観的な人材登用ではなく、閉じた人間関係によるエコひいきの横行。作戦を立てる司令部と現場の距離があまりにも遠く、司令部が現場を知らない…

レベル感も不ぞろいで、順不同なのだが、同書にあった項目として、とりあえずこんなことが思い浮かぶ。

うーん、どうだろうか。今の日本政府は、もちろんかつての日本軍のような最悪ではない。もっと正常だと思う。しかし、「失敗の本質」的な失敗の周辺を、うろうろしているところもみられるように思う。あるいは「失敗」に片足を突っ込んでいるのでは、と心配になる。このことも、いずれもう少し踏み込んでまとめてみたいが、時間がないかも。

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先日、別ブログ「そういち総研」に新しい記事をアップしました。このところ、「感染症とは人類にとって何か」という視点で複数の記事をアップしていますが、これは一応の「まとめ」といえるものです。
↓以下をクリック

感染症によって、世界はどう変わってきたか。新型コロナ以後どうなるのか

(以上)
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