FC2ブログ
2020年08月25日 (火) | Edit |
こちらのブログの更新がやや滞っていましたが、一方で別ブログ「そういち総研」ではこの1か月で4、5本の記事をアップしました。「そういち総研」は、世界史に特化した記事を載せようと始めたものです。メインの世界史のほか、現代社会を考える記事もあります。いずれも4000~5000文字以上の長文になっています。

最近アップしたもののうち2つをご紹介。

こちら→紙の普及による変革の歴史

ひとつは、紙の歴史に関するもの。紙は紀元前100年代の中国で発明されて、700年代にはイスラム世界に伝わっておおいに用いられるようになり、その後中世ヨーロッパにも広まった。紙の普及は社会に流通する情報量の拡大や、ビジュアル表現の進化をもたらし、さらには行政やビジネスの精緻化、文化の洗練にもつながりました。

おもしろいと思ったのは、そのような影響の様子が、現代の電子メディアの普及の場合と似ているということ。つまり紙の発明・普及の歴史は、電子メディアの意義やこれからを考えるうえでも参考になるのです。

もうひとつは、おもにビザンツ帝国でのペスト流行を話題にしたもの。

こちら→「中世のペスト」より「ビザンツのペスト」

感染症の歴史に関しては、中世ヨーロッパのペストがよく引き合いに出されます。しかし実はより昔の100~200年代のローマ帝国の疫病や、500~600年代のビザンツ帝国でのペストの流行の事例のほうが参考になるのでは、と最近になって考えるようになりました。

中世ヨーロッパのペストの場合、その惨禍のあとに新しい、活気のある社会や文化がおこりました。ペストのあとには「ルネサンス」が来たのです。しかし、これは当時のヨーロッパが活気のある新興の社会だったからではないか?

成熟社会である現代の先進国は、そのような新興の社会とはちがうのでは? 

現代の先進国は、繁栄が始まって長い時間が経った最盛期のローマ帝国やその後継の国家であるビザンツ帝国にむしろ似ているのではないか。そんな「成熟社会」を感染症の大流行が襲った場合、どんな影響が残るのか?

これは、とくにビザンツ帝国の場合ははっきりしています。それまでに盛んだった、ローマ帝国から受け継がれた公共浴場、大スタジアムでの競馬、劇場といった文化が、ペストの大流行のあとはすっかり衰退してしまいました。

それには異民族からの攻撃という要素も大きかったのですが、ペストも影響しているはずです。

成熟社会での疫病は、社会に深刻なダメージを与える。その結果、さまざまな価値あるものが失われるかもしれない。

ペスト(感染症)のあとには、新しい社会が生まれるとしても、その社会が活気ある明るいものとは限らないのです。

ビザンツでペスト流行の時代のあとに公共浴場や競馬や劇場がすたれたことは、ビザンツの専門家やとくに関心を持つ人たち以外にも、もっと知られていい知識だと思います。

たしかにペストの影響については不明確なところはあるので、このあたりの専門的な研究が進むといいと思います。あるいは、私が知らないだけで良い研究があるなら知りたいです。

私はとくに何がくわしいという専門性のない、ぼんやりした世界史好きです。なので、個別的な国やテーマを扱う歴史の本を読んで、このビザンツのペストの件のような、その筋の人は知っているけど、多くの人は知らない、でも知る価値のあることに気がつくとうれしい。それが自分の役目だと思うのです。

(以上)
関連記事
2020年08月05日 (水) | Edit |
吉村大阪府知事が、まだ検証も不十分な、イソジンなどのうがい薬の新型コロナ感染症への効果について会見で語っていた。これには驚き、がっかりした。

この人は科学が苦手なのだ。つまり、「科学とは何か」のごく基本的なところがわかっていないのではないか。

多くの専門家による確認作業のうえに成立するからこそ、科学というものは信頼できる。

ある科学者が「実験的にこういう現象や法則が明らかになった」と報告したとしても、それがすぐに「科学的な真理」として認められるわけではない。疑い深いほかの専門家が同様の実験などを積み重ねて、「ほんとうだ」ということを確認してからでないと、認められない。

このような「ほかの科学者による、確認のための実験・検証」を「追試」という。教科書に出てくるような科学上の原理や法則は、ぼう大な追試をくぐり抜けてきたものだ。だから「真理」として信頼できる。

それよりはやや信頼性が落ちるが、医療の世界で妥当とされる治療法や承認された薬も、相当な追試・検証を経ている。

これは、「科学とは何か」に関する、ごく初歩的な話である。それを知事が多少ともわかっていれば、この「イソジンの効果」を研究している医師自身が「研究の途中」と言っている件を、会見で広めるなどいうことはなかったはずだ。

仮に将来「イソジンには効果がある」ことが定説となったとしても、今の時点で吉村知事がその説を広めたことは適切ではない。

私は、吉村知事は「現場の実務」についての感覚では、小池都知事よりもよほどしっかりしているのではと感じて、その点では好感を持っていた。若い頃に弁護士として働いていただけのことはある、そこはテレビタレントから政治家になった都知事とはちがうなあと。

弁護士は、現場の事実関係に分け入り、さまざまな細かいタスクをこなさなければならない実務的な仕事だ(私は企業の法務担当として何度も弁護士と仕事をしたので、そこはイメージできる)。

しかし、そんな吉村知事でも「科学」という素養は欠けていたようだ。それも無理はないかもしれない。「科学は膨大な確認作業のうえに成り立つ」ということは、学校教育では十分に教えていない。学校で教えるのは検証を経た「結果」のほうで、そこに至るプロセスについては、あまり教えない。

しかし、こういう「科学とは何か」の基本については、理系だろうと文系だろうと本来は知っていなければならないはずだ。政治家などのリーダーであればなおさらだ。

しかし、吉村知事でさえこんな調子なのだから、私たちのリーダーの多くはきっと科学がトコトン苦手なのだろう。

小池都知事も、実務が苦手なだけではなく、おそらく科学も苦手だ(スピーチやキャッチコピーは達人だが)。

先日の会見で都知事は「家庭内感染の防止のため、歯磨き粉は別々に」という主旨のことを述べていた。なんだかあやしい話だ。そのことを知事はどこかで小耳にはさんだのだろう。しかしその話はどれだけの検証を経ているのか?

歯磨き粉という「洗剤(一般にはウイルスを壊す界面活性剤を含む)」の一種が入った容器を共用することに、どれだけのリスクがあるのだろう?プッシュ式の手洗いの石鹸容器を共用するのと、どれだけちがうのだろう?歯磨き粉のチューブにウイルスのついた手で触ることがあると危険だからか?でも、そういうことは歯磨き粉にかぎった話ではないはずだ。

そんな私のような素人でも突っ込みどころがある話を、軽々しく、知事が会見で話してはいけない。

***

そして、科学が苦手なリーダーほど、科学者を自分の召使のように考える。

政府(つまり総理・官邸)の、専門家への態度はまさにそうだ。たとえば以前の専門家会議を廃止・改組して今の「部会」があるわけだが、その廃止・改組について、尾身ドクターのような有識者の中心人物が事前にきちんと知らされていなかった。政府側が記者会見で「これまでの専門家会議は廃止」と発表するまで知らなかったのだ。たしかに「召使」には、そんなことを知らせる必要はない。

心配なのは、リーダーが科学者を召使のように扱ううちに、リーダーのもとで働く科学者たちが召使マインドになってしまうことだ。あるいは召使として適応できた人ばかりが残って、科学者としての気概を持つ人たちが去ってしまわないか。そうなったら、わが国の新型コロナへの対応から「科学」というものが決定的に欠落してしまうことになる。

専門家部会の尾身会長は、今のところ「召使としての適応」と「科学者としての矜持」のあいだで揺れ動いている。

「国のリーダーが科学が苦手」というのは、ほんとうに困ったことだ。ただし、そのようなリーダーの姿は、私たちのあり方を反映しているのだろう。うがい薬は売り切れ続出のようだ。

(以上)
関連記事